【政略】戦国大名の領土の広げ方【戦略】
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0001ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/15(火) 17:33:19ID:a3r4Ty20それらを考慮して領土拡張の成功の理由を考えていきましょう。
対象の戦国大名(9家)
織田家・徳川家・北条家・上杉家・武田家・今川家・三好家・長曾我部家・毛利家
0002人間七七四年
2008/04/15(火) 17:35:44ID:yVZ6BFPz例えば武田信玄は諏訪・小笠原・村上・今川を攻める際、敵の重鎮クラスを寝返らせている
信長も美濃の斉藤や近江の浅井を攻める際にやった
0003ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/15(火) 17:39:18ID:a3r4Ty200004人間七七四年
2008/04/15(火) 18:11:16ID:BUkdT0S/0005人間七七四年
2008/04/15(火) 18:46:38ID:sQCSa/P/あまり領土拡張のイメージがない
大友、島津、伊達辺りの方が語るに相応しいのでは
0006ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/15(火) 19:25:39ID:a3r4Ty20>三好は細川と取って代わったので
>あまり領土拡張のイメージがない
確かに三好長慶の勢力範囲の拡大は細川家の家臣団内の内紛の様な感じだから難しいかな?
>大友、島津、伊達辺りの方が語るに相応しいのでは
ごめんなさい。
私自身が九州と奥州がよく分からないので抜かしていました。
0007人間七七四年
2008/04/16(水) 12:40:47ID:+K3JNQ5s三好は本国阿波でも守護細川の名前を使わないと軍勢動員できなかったらしいからね。
0008人間七七四年
2008/04/16(水) 13:00:50ID:haSX4doo0009人間七七四年
2008/04/16(水) 13:13:25ID:PKoiwHWE0010人間七七四年
2008/04/16(水) 13:21:38ID:haSX4doo同じ50万石の美濃斎藤に全然勝てなかったんだよね
結局、義龍が死んで
龍興という無能が引き継いで始めて勝てたんだよね
これだけで100万石の大大名だよ
次の伊勢50万石も政略結婚で取ったようなもんだし
150万石の大名なら、後は雪崩式に進むよな
そう思うと、信長ってつくづく運のいい武将だと思う
これが信玄と入れ替わってたら、どうなってただろう
0011人間七七四年
2008/04/16(水) 13:49:29ID:PKoiwHWE信玄は木曽口から美濃に攻めるという選択肢はなかったのかねえ。
駿河にしてお家騒動まで起こして無駄に年月重ねた上に勝頼に負の遺産を残す結果になるし。
0012人間七七四年
2008/04/16(水) 13:57:15ID:haSX4doo美濃へ矛先を変えた方がスムーズだったかも知れない
0013ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/16(水) 15:22:08ID:R9ebv2qb>信玄は木曽口から美濃に攻めるという選択肢はなかったのかねえ。
無かったのではと思いますよ。
理由は三つ。
一つ目は信玄自身の侵攻理由かな?
信濃侵攻では佐久方面から諏訪方面に切り替えていますし、
北信濃と東美濃(弘治元年に侵攻)でも北信濃への作戦を優先していますし、
同盟国の今川家の駿河侵攻もしています。
より豊かな土地に執着した結果が美濃攻めの選択肢を選ばなかった原因かと思いますよ。
二つ目は斎藤義龍と織田信長の存在が大きいかな?
道三の死後、義龍はよく美濃を治めたために隙ができなかった。(家臣団の切り崩しに失敗)
義龍の死後、東美濃への侵攻を開始した信長との対立を避け同盟を結んでしまった。
義龍と信長の戦国大名としての資質が大きいかな?
三つ目は上杉謙信と北条氏康の存在。
謙信との対立は勿論、氏康の要請で関東に出兵し上野方面にまで戦線を拡大させてしまった。
この泥沼化が一番厳しいかな?
0014ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/16(水) 15:30:29ID:R9ebv2qb信玄の斎藤家(義龍)の家臣団の切り崩しの失敗が、
信長の斎藤家(竜興)の家臣団の切り崩しの成功につながっているのかもしれませんね。
0015人間七七四年
2008/04/16(水) 15:34:41ID:haSX4dooそこから矛先を美濃に変えるのは武門としての面目もある
で、泥沼にはまっていった感はあるけど
そこで、意地を張らずに方向転換してたら、意外とスムーズに行ったんじゃないか?と
謙信は迎撃こそしてくれど、自分からは出てこないわけで
北条も同盟国なわけだ
それなら義龍は確かに強敵だけど、子の龍興は無能以下だ
それと当時の信長がそれほど強敵だとも思わないし
速やかに方向転換して
美濃⇒飛騨⇒もう一度北信濃 OR
美濃⇒尾張⇒近江⇒京
こっちの方が良かったかも知れない
0016ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/16(水) 16:09:57ID:R9ebv2qb>謙信は迎撃こそしてくれど、自分からは出てこないわけで
それ、間違っていないかえ?
川中島合戦のほとんどは謙信の出陣から始まってるような気がする。
関東遠征も謙信の出陣から始まるわけで。
>それと当時の信長がそれほど強敵だとも思わないし
その当時は桶狭間ショックがありますから信玄としても考慮すると思いますよ。
0017人間七七四年
2008/04/17(木) 01:00:23ID:KERiw9tMしかも金山まである。当時武田の金山は底がみえていたみたいだからね。
金と言えば金山って固定概念があり貿易や楽市楽座で金を稼げるって発想がなかったように思える。
が長男と対立する結果になって侵略が大幅に遅れる結果になると。
長期的に見ると武田滅亡の要因の一つになるしね。
0018ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/17(木) 04:57:47ID:PS5cGCh7甲斐からの距離を考えますと駿河と美濃では駿河の方が近いからね。
あと、織田信長が狙う美濃と徳川家康が狙う遠江・駿河なら徳川家康の方が組みやすいし。
金山や江尻の魅力に惹かれたのが一番の理由かな。
信玄としては氏真の方が同盟国ということもあり色々と情報が入ってきたのかもね。
0019人間七七四年
2008/04/17(木) 05:16:26ID:wis8IBP3だからこそ、早期に美濃侵攻に路線を変更してりゃ
武田家としてはスムーズに行ったんじゃない?
信長は美濃制圧後に増長して行くんだから
出る杭は早めに叩いといた方が結果的に後は楽になったんだしさ
氏真も家康も後でいくらでも料理できる相手なわけで
氏真と家康が睨み合ってる間に美濃と尾張くらい料理できなかったものかと
0020ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/17(木) 05:49:50ID:PS5cGCh7永禄四年
三月…小田原城包囲(北条vs上杉)
五月…斎藤義龍、死去
九月…第四次川中島合戦(武田vs上杉)
十一月…武田軍の上野出陣・上杉軍の上野出陣
永禄五年
正月…清洲同盟
この状況で美濃を狙うのは厳しいでしょう?
美濃なんかに手を出すと上杉謙信が南下してきますよ。
0021人間七七四年
2008/04/17(木) 06:37:06ID:l9q6AnX5横長になると防衛上相当不利になるんじゃない?
信長が増長できたのは、長年の付き合いのある大名がいなかったからじゃないかな。
武田は常に周囲に上杉・北条がいて、侵略に専念する余力なんてなかったはず。
その点信長の場合は対今川はあくまで防衛戦だし、美濃に出たのは道三が死んでからでしょ。
周囲がゴタゴタしてる間に勢力拡大しながら戦力を整備できたってのは大きいと思う。
0022人間七七四年
2008/04/17(木) 07:02:52ID:lNN1v0UV武田や上杉とはとにかく戦うのを避けた外交手腕。
実際武田と織田が戦えば川中島みたいに無駄な消耗戦で年月を使うことになっていただろうな。
0024人間七七四年
2008/04/17(木) 12:18:15ID:wis8IBP30025人間七七四年
2008/04/17(木) 12:20:29ID:wis8IBP3第三次川中島合戦の停戦にあたって将軍義輝が幕府勢力回復のため謙信の上洛を熱望して
長尾氏と武田氏の和睦を勧告する御内書を送ったんだよね。
信玄は、謙信との和睦の条件として、義輝に信濃守護職を要求して
義輝はこれを許し、武田氏と長尾氏の和睦が実現した。
これにより、信玄の信濃国支配が幕府により正当化されることになった。
つまり、名実の名はこの時点で勝ち取ったわけだ。
で、何故、和睦状態が解け、第四次川中島の戦いが起きたかと言うと
「信濃守護の職責を果たすため他国の侵略と戦っている」という口実とともに
永禄元年(1558年)に信玄は和睦を無視して北信濃へ出陣。越後国への侵攻を企図しているんだ
つまり、ここがキーポイントだと思うんだ。
ここで一旦、信濃は放置して将軍義輝を仲介して成立させた謙信との和睦関係を続けておけば
当然、謙信の方からは侵略してこれないわけだ
何故ならこの後、実際に第四次川中島合戦が起きる永禄4年(1561年)まで謙信は
関東出兵したり、関東管領職就任の為に上洛したりと大忙しだ。
つまり謙信の方から将軍の仲介を無視した行動は絶対取れない。
この三年間に美濃侵攻への足がかりをつかんで置けば
史実で第四次川中島合戦と同年に起きる義龍の死とともに美濃の侵攻を果たせたんじゃないかと
そう思えば、意外と無茶じゃないような気がする
0027人間七七四年
2008/04/17(木) 12:29:51ID:wis8IBP3防衛上不利かどうかと言われれば
不利のような気がしないでもないが
謙信と5度も対峙して無駄に労力を費やすことを考えれば
美濃侵攻によって支配地が増えること自体は無駄じゃないよね
実際に第四次川中島合戦で両軍が負ったダメージを考えると
その分を別方面に方向転換しとけば・・
っていう発想は信玄自身の中にもあったはずだし
史実でも、その証拠として当初の目標である信濃征服⇒越後征服を断念して
義元死後の駿河に矛先を変えたことでも充分窺えるだろ?
むしろ信長こそが、この両雄の無駄な鬩ぎ合いの恩恵を受けたわけで
その片方が力を温存させ、自分の方へ向かって来たら、一たまりもなかったと思うよ
0028人間七七四年
2008/04/17(木) 12:39:11ID:wis8IBP3ならないと思うね
信長が力を増幅させた最初の第一歩を抑えこむんだからさ。
史実でも信長は義龍死去まで美濃を全く支配することができず
その前に美濃を支配することになるのが
この信玄の美濃攻め構想なんだもん
むしろ信玄にとって、美濃さえ抑えれば
尾張、三河、遠江、駿河これらは史実よりグッと楽に支配下できたかも知れない
0030人間七七四年
2008/04/17(木) 13:58:20ID:hyzt0/Lc0031人間七七四年
2008/04/17(木) 14:07:57ID:m1X9YiMX信玄は本願寺と共闘して信長打倒と北陸制覇
0032人間七七四年
2008/04/17(木) 14:34:58ID:wis8IBP3>稲葉山城を陥とせなかっただけでその間もどんどん美濃侵食を果たしてるはずだけど?
歴史知ってる?
信長は義龍存命の間、長良川の戦いで決定的な敗北を喫してから
1561年5月の森部の戦いで墨俣に拠点を築くまで
何1つも美濃に進出できてないんだよ
で、その足がかりが出来たのも同年の義龍の死が切欠なんだよね
因みに、そこから6年後の1567年にやっと稲葉山城を攻略することができたんだ
その1561年までの間に信長が美濃侵食を果たしてたって具体的には
どのような形で美濃に侵食できたの?
そもそも美濃侵食なんて曖昧な言葉使ってる時点で
本当は何も知らずに言ってるんじゃない?
0034人間七七四年
2008/04/17(木) 14:46:09ID:nWkXg5lwすまん、単純に勘違いしてた。
義龍生存中、信長は主に尾張統一に勤しんでいたんだな。
ほぼ尾張を統一した頃に桶狭間合戦があって、その後義龍死亡があってそれから美濃攻略に本腰を入れはじめたが正解だったね。
もう一度、謝っておく。すまん。
それから>>30はオレじゃないぞ。
0035人間七七四年
2008/04/17(木) 14:56:46ID:lNN1v0UV美濃だと海がないし金山もないから魅力的に見えないんだろう。義龍が早死するとは
わからないわけだしその後継者の龍興も当時は未知数なわけで。
今川氏真はすでに有名だったんだろう。
0036人間七七四年
2008/04/17(木) 15:09:23ID:wis8IBP3そう、素直に非を認められると本当に勘違いだったんだね
俺の方も無意味に言い過ぎたことを謝るよ
>>35
確かに氏真のバカ殿ぶりは一種の”釣り”だったんだろうね
アイツがもう少しマトモだったら、信玄も違う行動を起こしてたかも知れない
0037人間七七四年
2008/04/17(木) 16:22:58ID:zcLgxP+9歴史知ってる?
道三死後から義龍が死ぬまでの間、信長は美濃に攻め込んだことはなく当然敗北もない。
なぜかというと、この間の信長は尾張統一、その後は今川への対処で手一杯だったから。
こういう状態を指して信長は義龍生前は一度も勝てなかったとか、美濃侵攻はまったく
進んでいなかったとかいうのは詳細をしらない無知のたわごと。
例えば、信長は1566年まで伊勢に手を出していなけど、それは北伊勢の勢力や特定の人を
恐れていたからじゃあない。単に、他に目が言っていたからってだけ。
それから、信長が本格的に美濃攻めをはじめるのは清洲同盟締結後ですよ。それまでは、
今川勢力との抗争が続いていてとても多方面に手を出す余裕なんてなかった。
ただこのスレの主論である、信長が進出するまえに武田が美濃に出てしまえば〜
という点についてはほぼ同意。信長の台頭も抑えることは出来ただろうな。
問題は、その美濃侵攻ができたかどうかなんだがね。
たしか、木曾氏が武田に臣従するのも結構後なんじゃなかったっか?
0038人間七七四年
2008/04/17(木) 16:52:09ID:wis8IBP3長良川の戦いって道三死後じゃないよ。その道三を助けるために出向いた戦だよ
そこで道三は義龍に討たれ、織田軍も蹴散らされて撤収した。
>こういう状態を指して信長は義龍生前は一度も勝てなかったとか、
こういう状態も何も義龍存命中に一度でも勝てたのか?勝てなかったよね
その事実を言ってるだけ。それに対してオマエが勝手にバカにされたと思い込んだだけだよね?
こちらがバカにしてない証拠として、>>28>>29>>32の流れを読めば一目瞭然のはず
>美濃侵攻はまったく進んでいなかったとかいうのは詳細をしらない無知のたわごと。
詳細とかって言っても、それは織田家の事情だよね?
美濃侵攻がまったく進んでいなかったって事実は変わりないんだから、
>>28>>29>>32の流れを読めば、美濃進出できてなかったていう
回答をするのは、ごくまっとう
0039人間七七四年
2008/04/17(木) 16:56:04ID:m1X9YiMX頼朝も尊氏も家康も三河武士の操り人形なんだよ。わかったかお前ら
天下は三河武士の気持ち一つなんだよ。
www.city.okazaki.aichi.jp/museum/iyeyasu/ka302.htm
0040人間七七四年
2008/04/17(木) 17:18:24ID:nWkXg5lwただ逆に義龍は尾張の反信長勢力と通じて信長を封じ込めようとしたけど、結局は信長に尾張統一されちゃってるからな。
義龍は早世したことによってうまく勝ち逃げできたとも言えなくもない。
0041人間七七四年
2008/04/17(木) 17:28:41ID:wis8IBP3義龍>>信長なんて言うつもりはないよ
ありゃ、尾張から侵攻するには地形が攻めにくくなってて
大名同士の個人能力とか関係ない話だから
攻め難く守り易い状況が一番の問題ね
ただ、そうであっても義龍は生きてる間に最低限凌ぎきったのは事実
でも、それが木曽路から侵攻される分にはどうなのかな?と
意外と武田は楽に行けたのかどうか?と
この辺に住んでる人がいれば是非、話を伺いたい
0042人間七七四年
2008/04/17(木) 17:51:44ID:nWkXg5lw一応、六角と結んで浅井にちょっかい出したりもしてたみたいだし、尾張の反信長勢力と通じてたりしてたのに……
0043人間七七四年
2008/04/17(木) 19:26:17ID:qxJVmIkd>でも、それが木曽路から侵攻される分にはどうなのかな?と
>意外と武田は楽に行けたのかどうか?と
>この辺に住んでる人がいれば是非、話を伺いたい
当時はどうだったんだろう?
岐阜の東濃地方に住んでる者だけど、ここらと岐阜市がある辺りとはかなりの物理的・精神的な距離感があるよ
むしろ名古屋の方が近い。文化的にも。
木曽路から進入する場合、稲葉山城へ出るためには犬山辺りで織田勢力と対決することになるんじゃないだろうか。
0044人間七七四年
2008/04/17(木) 20:20:34ID:tcqlkB982ちゃんは全国の人が見てんだし、対象とか要らなくね?
あんたが九州や奥州を語れなくても、他の人が大いに語れる。別にあんたが中心にある必要はないんだから。
0045ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/17(木) 21:01:41ID:PS5cGCh7>何故ならこの後、実際に第四次川中島合戦が起きる永禄4年(1561年)まで謙信は
>関東出兵したり、関東管領職就任の為に上洛したりと大忙しだ。
そこまで書いてあればありがたい。
善徳寺会盟がある故に武田信玄は史実通りに援軍の派兵と信濃へ出陣します。
そこまでは信玄も予想できるんじゃないかな?
0046ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/17(木) 21:05:13ID:PS5cGCh7>>44
願わくは44さんが別スレを立てていただけるとありがたい。
ここで9家の戦国大名を扱っているのでこれ以上は厳しいかな?
0047ぺんぺん ◆KWuZ6xeiYA
2008/04/25(金) 08:25:29ID:9TF+dsQM0048人間七七四年
2008/05/16(金) 14:49:19ID:PErtkVkf1553年に謙信と戦い始めるんだからそのまま日本海に出ればよかった
当時は太平洋側より日本海側の方が経済的にも豊かだったしな
斎藤義龍がいる美濃よりはよっぽど建設的だな
0049人間七七四年
2008/05/16(金) 14:50:46ID:PErtkVkf0050人間七七四年
2008/05/16(金) 15:02:45ID:KMTykmAm楽勝ならば、なぜ川中島で謙信に勝てなかったのか。
0051人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 02:22:47ID:FdCsM1sX織田信長は桶狭間合戦で勝利した後、本格的に美濃侵攻を進めます。
しかし斎藤義龍は尾張勢の侵攻を撃退しています。
それどころか近江方面に矛先を向けています。
刈安尾合戦や垂井合戦で湖北勢と干戈を交えています。
残念ながらこの後すぐに死去されてしまいましたので今一つ謎なのですが、
この時の織田と浅井はつながっていたのかな?
さらに、斎藤と六角はつながっていたのかな?
私的には新興勢力の浅井の台頭を喜ばない斎藤が牽制したと解釈していますが。
六角義賢は朝倉家と結ぼうとしていて六角義弼は斎藤家と結ぼうとしている。
兎に角、六角家は内部統一されていないから分かり難い。
略年表
永禄三年
五月
桶狭間合戦。
松平元康、岡崎城に入城。
六月
第一次森部合戦。
七月
河内・大和侵攻。(三好vs畠山)
八月
第二次森部合戦。
野良田合戦。
九月
第二次関東遠征。(長尾vs北条)
十月
飯森合戦。(三好vs畠山)
高屋合戦。(三好vs畠山)
十二月
刈安尾合戦。
永禄四年
二月
垂井合戦。
三月
小田原包囲。(長尾vs北条)
佐和山合戦。
五月
斎藤義龍、死去。
0052人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 00:35:32ID:2XEQXSvh野良田合戦での敗退で浅井長政の台頭を許し、さらに佐和山合戦でも敗退。
対浅井にはあまり良いところがない六角義賢ですが、
対三好にはなかなか強硬に対抗しています。
永禄四年七月から始まる畿内大戦では三好長慶を追い込んでいます。
どちらかというと畠山・根来連合の方が良い働きをしているんですが。
まあこの状況を作り出したのは六角サイドですから戦略的には良かったと思います。
最後の詰めが甘かったのが残念。
略年表
永禄三年(1560)
四月肥田城合戦。六角義賢、肥田城を攻めるも退却。
五月織田信長、三河吉良に侵攻。
今川義元、鳴海城と大高城への後詰出陣。
織田信長、桶狭間で勝利し今川義元が戦死。(桶狭間合戦)
今川家部将の由比正信、松井宗信、久野宗忠、飯尾乗連、井伊直盛らも戦死。
松平元康、無人の岡崎城に入城。
六月第一次森部合戦。
七月三好義賢、若江城を占拠。(河内・大和侵攻)
三好家部将の松永久秀、大和に侵攻。
井戸城合戦。筒井軍、後詰出陣するも敗退。(八月に開城。)
八月第二次森部合戦。
野良田合戦。浅井賢政、六角義賢に勝利。
九月長尾景虎、第二次関東遠征。(対北条氏康)
十月飯盛城合戦。三好義賢、安見直政に勝利。
高屋城合戦。三好長慶、畠山高政に勝利し河内を平定。
十一月三好家部将の松永久秀、大和を制圧。
十二月刈安尾城合戦。(浅井vs斎藤)
世継合戦。(浅井vs六角)
0053人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 00:36:23ID:2XEQXSvh二月垂井合戦。(浅井vs斎藤)
三月長尾景虎、北条氏康の小田原城を攻める。(第一次小田原城包囲)
佐和山城合戦。浅井家部将の磯野員昌、佐和山城を占拠。
五月斎藤義龍、死去。同日、何人かの死者あり。
第三次森部合戦。織田軍、墨俣を占拠。
十四条合戦。織田軍、敗退。
第一次軽海合戦。織田軍、尾張に退却。
浅井賢政、長政と改名。
六月小口城合戦。
三好家部将の松永長頼、若狭に侵攻するも敗退。
七月六角義賢、京に進軍。(畿内大戦)
畠山高政や根来寺らもこれに交応し和泉に侵攻。
太尾城合戦。(浅井vs六角)
九月上杉政虎と武田晴信、川中島で戦い引き分ける。(第四次川中島合戦)
東条城合戦。松平元康、西三河を平定。(三州錯乱)
十一月北白川神楽岡合戦。第一次久米田合戦。
永禄五年(1562)
正月織田信長、松平元康と同盟を締結。(清洲同盟)
二月西郡城合戦。
三月第二次久米田合戦。三好義賢、戦死。
畠山・根来寺連合軍、飯盛城を包囲。
五月第二次軽海合戦。織田信長、美濃に侵攻するも敗退。
教興寺合戦。葉引野合戦。畠山家部将の湯川直光、戦死。
七月尾張知多郡が織田家に帰属。(清洲同盟の影響か?)
九月長坂山合戦。三好家部将の伊勢貞孝、謀反を起こし戦死。
0054人間七七四年
2008/06/23(月) 12:22:13ID:CcsHPTLw0055人間七七四年
2008/06/24(火) 18:37:21ID:KY5NiOaZ根本的に政略・戦略が違うような気がします。
織田信長の場合
基盤確立のための濃尾平定→政権確立のための畿内平定
その他の戦国大名の場合
基盤確立のための地域平定→経営維持のための周囲平定
徳川家康だけは異質かな?
0056人間七七四年
2008/06/24(火) 18:58:43ID:KY5NiOaZ他の戦国大名が経営維持に力を入れざるを得ない理由は、
国人(他国衆)の掌握が不充分のためかな?
他にもありそうでけどね。
0057人間七七四年
2008/06/25(水) 09:09:30ID:myVFlF0y0058人間七七四年
2008/06/25(水) 15:37:53ID:A2+QR3K9君は何でも織田厨に見える例の人物でしょ?
先に言っておきますが私は織田厨じゃないからね。
0059人間七七四年
2008/07/02(水) 03:35:12ID:9xMeYvov島津や伊達はこれを参考にしたのかね?
0060人間七七四年
2008/07/11(金) 01:52:50ID:4hiSQlcN0061人間七七四年
2008/07/13(日) 04:09:51ID:gaPDLxxoそうか?
0062人間七七四年
2008/07/16(水) 22:18:24ID:2d0DNJ0G無知な奴だな。
織田信長が勢力拡大だけを考えていたなら桶狭間合戦後は今川領を切り取りにかかる。
それを実行しなかったのは権力掌握のため西に向かいたいから。
0064人間七七四年
2008/07/17(木) 13:33:08ID:112Of0tm0065人間七七四年
2008/07/17(木) 13:38:33ID:RApQ/wgL0066人間七七四年
2008/07/18(金) 00:14:41ID:Bu4SKIkN三河はどうするの?
駿河まで攻め取れても武田や北条はどうするの?
まさか信長が最初から天下取りを考えていたとでも言うの?
なんなの? 馬鹿なの? 死ぬの?
0067659
2008/07/18(金) 01:27:22ID:1hY0neWU>三河はどうするの?
>駿河まで攻め取れても武田や北条はどうするの?
どうもこうも信長が攻めるわけが無い。
なんなの? 馬鹿なの? 死ぬの?
0070人間七七四年
2008/08/10(日) 23:47:38ID:c14vHEzj, -...、
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/::::: |. |│::: l ::::::::| rt 、 / /::::::::::::::::::::ノ / r' ´ 三三 j
0071アニマル
2008/08/16(土) 02:53:52ID:+smQf7ZYhttp://love.45.kg/mo02/3/34.html
日本は、北方領土、朝鮮半島、樺太、台湾、太平洋の諸島は
いつか取り戻すことができると信じている。
0072人間七七四年
2008/08/16(土) 17:43:43ID:A5Bp1TFB0073人間七七四年
2008/12/21(日) 01:57:57ID:+KspnpZi0074人間七七四年
2009/02/27(金) 22:56:41ID:4xVB+AEt0075人間七七四年
2009/04/11(土) 10:11:20ID:4WHjR7X90076人間七七四年
2009/04/23(木) 00:04:00ID:xmxvuywl0077人間七七四年
2009/05/20(水) 04:51:25ID:EWLO+b3e0078人間七七四年
2009/05/20(水) 11:55:35ID:RiTQ4HU0にわか戦国ファンに大量にいがちな低知能やなw
以降信玄と信長の比較ばっか、まあそれだけ他の大名マンセーが人気が無い
というのもあるやろうけどなw
そもそもお前ら、信玄が最初から天下を取る意志があったという前提で議論
しすぎやろ、だから美濃攻略がどうだとかいつまでも無駄な議論ばかり繰り
返す始末w
0079人間七七四年
2009/05/20(水) 18:43:39ID:fMGeKgQj0080人間七七四年
2009/05/24(日) 20:38:57ID:PJaUE0BW朝倉なんか攻めないで中国地方平定に力を入れた方が
もっと早く天下を狙えたんじゃないのかな?
0081人間七七四年
2009/05/27(水) 15:30:23ID:ZoYzkGxi0082人間七七四年
2009/05/27(水) 21:38:35ID:ejD3mF8bあと、畿内に伊丹・池田・和田・畠山・三好・松永が居るわけだから、
これらの離反のおそれを考えると中国攻めはきついと思う。(池田・松永は越前攻めに従軍)
あの当時、越前攻めで浅井が離反したのなら何所攻めても離反はありそうだし。
六角・本願寺も含めると西に出るよりは北の方がいいかな。
江北は浅井だけだから離反するなんて思っていなかったでしょね。
ここに信長の近江施策の雑さと甘さを感じるね。(六角問題も含めて)
0083人間七七四年
2009/05/31(日) 03:08:59ID:ond2UN5/信長包囲網があるから
そいつら全員倒すってだけのことで
京を制圧するのが目的なんだから中国はイラン
0084人間七七四年
2009/07/09(木) 00:56:03ID:vyrnkcKQ戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが上杉に阻まれる
同盟や和睦をやぶるなど謀略を尽くしての領土を拡大し、奪った領土からの略奪により家臣や国内をまとめあげた。
しかし、国境を接する弱小豪族をすべて倒したあたりから領土拡大に急ブレーキがかかる。
このような相手国からの略奪によって家臣や国内の領民の不満を封じこむやり方は、領土拡大のペースが落ちると家臣や国内の不満を生むこととなった。
息子である勝頼は家臣や領民の不満を封じるため、無理な拡大路線を強いられることとなった。
また、信玄の度重なる外交に関する不義により武田家の他国への信用性はゼロに等しいこともあった。
その結果、勝頼は、他国との連携作戦もできずにやがて孤立していくこととなる。
結局、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することができなかった。
そして、武田家は一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
織田信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。
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武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72
毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89
徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115
豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120
織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105
北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110
上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95
信玄が信長よりスタートに恵まれない → だがのウソ
信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ
信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想
一国にまとまらない信濃の豪族という格下との戦いに勝利して領土を広げただけ。同格の上杉やと北条との戦いでは領土拡大の
スピードは目に見える勢いで低下。上杉の謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や、氏康の病気をねらって
領土を拡大するものの、両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができなかった。
0085人間七七四年
2009/09/07(月) 20:17:58ID:6KZjvN+kコイツは既に死んでいる
0086人間七七四年
2009/09/07(月) 20:22:48ID:T4B4QEhu0087人間七七四年
2009/09/11(金) 04:50:55ID:fRxluw3x三好家はかなり苦戦していた。
0088人間七七四年
2009/11/01(日) 10:02:25ID:rO0Fy6vS,r' `' 、
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0089人間七七四年
2009/12/17(木) 23:44:35ID:ItFkT+OG上杉家と長曾我部家の領土拡大は一瞬で版図を拡げ一瞬で崩壊していくのでこれも華がある
宇喜多家と佐竹家は泥臭い駆け引きがあるので玄人向けだな
島津家と伊達家は面白味に欠ける
武田は信濃にしても上野にしても中途半端でつまらん
落日の今川領を攻めるのもその中途半端さで無駄に時間を浪費してる
0090人間七七四年
2010/01/04(月) 20:11:09ID:YNpUlihVそのためどの方面も中途半端な行動に終始してしまう
0091人間七七四年
2010/01/04(月) 20:19:16ID:D+4x+zYx戦国時代が始まる前から周辺国に侵攻し領土を拡大させている
0092人間七七四年
2010/01/12(火) 23:43:02ID:QXbv2odN0093人間七七四年
2010/01/22(金) 10:00:29ID:iAhFNPeM0094人間七七四年
2010/03/21(日) 09:03:25ID:YzD/GnRr0095人間七七四年
2010/04/27(火) 03:37:30ID:5/ksV6ot伊達家は蘆名家の所領を奪い
北条家は上杉家の所領を奪い
毛利家は大内家の所領を奪い
島津家は大友家の所領を奪い
織田家は畿内を中心に本願寺や武田家の所領を奪った
これらに共通することは強者が弱者を食い尽くす
政略・戦略と言っても基本は没落してる家を攻めた方が経費がかからない
0096人間七七四年
2010/06/10(木) 00:19:32ID:4rC1ScVz0097人間七七四年
2010/06/17(木) 15:33:08ID:SFVFMORs0098人間七七四年
2010/07/13(火) 11:48:28ID:SsaLigwW0099人間七七四年
2010/08/07(土) 21:14:26ID:cAtUfaDO東播磨だけで終わってしまった形になるけど播磨全土の掌握は難しかったのかな?
0100人間七七四年
2010/09/12(日) 19:27:44ID:pL6bbq+l東播磨で終わったのは三好家の本当の狙いが丹波だからかな?
ある程度丹波が平定できたら、次は若狭。
播磨の赤松家は三好家と友好的だったから露骨に攻めるわけにもいかなかったんだろう。
0101人間七七四年
2010/09/26(日) 16:17:57ID:fccGf3Is0102人間七七四年
2010/11/08(月) 23:13:09ID:4Hh3qfRO0103人間七七四年
2010/11/19(金) 00:00:24ID:PM8R6I2z北条氏康、武田信玄、今川義元、毛利元就くらいか?
あと大友、蘆名、朝倉も入れるべきか?
0104人間七七四年
2010/11/19(金) 00:29:11ID:PxBFlupY0105人間七七四年
2010/11/19(金) 11:28:54ID:s4NegdDgその一点だけは死ぬまでかわってないよ
0106人間七七四年
2010/11/19(金) 13:47:49ID:o2/m3b+O遺言にも天下を狙ってはいけないって言ってるぐらいだし
ただ地方豪族時代に尼子に攻められたり、陶に攻められたりして応戦してたら敵がいなくなって他だけって感じがする
陶隆房の射ない大内とか殆ど無人の荒野。
尼子も出雲の鬼経久、孫の晴久が死んで元就に対抗できる奴が居なくなったから尼子領を侵食していった感じがする
中国地方で元就に対抗できそうなのはあとは宇喜多と三村ぐらいじゃないの
雑魚ばっかりだし、そりゃ攻めたくもなるわ
0107人間七七四年
2010/11/19(金) 18:19:32ID:PM8R6I2zどんだけ都合よく解釈してるんだよw
大内家に成り代わるために周防長門に攻め込んだことを無かったことにする気か?
石見の銀山を目当てに山陰に進出したことを無かったことにする気か?
博多の収益を狙って九州に攻め込んだのも無かったことにする気か?
毛利元就は野心を剥き出しに西に東に攻め込んでいるぞ!
領土的野心があまり感じられないのは伊予くらいだ
0108人間七七四年
2010/11/19(金) 22:33:59ID:PxBFlupY何も知らない毛利隆元は衆道関係のあった大内義隆の敵討ちを強硬に主張していたらしいけど。
0109人間七七四年
2010/11/23(火) 19:25:21ID:i3QrE1j5織田信秀(斯波家陪臣)
美濃大垣城や三河安祥城を制圧
両方とも短期間の制圧に終わる
里見義堯
領土的野心は房総半島限定
北条氏康に対しての意地か?
尼子晴久
大内義隆死後の混乱による一時的な八ヶ国守護
石見に対しての情熱だけは本物か?
三好長慶、今川義元、北条氏康、毛利元就、武田信玄と比べると領土的野心が弱いか?
0110人間七七四年
2010/12/11(土) 17:43:06ID:0XfLccl10112人間七七四年
2011/02/18(金) 06:57:46ID:L6Omvetr0113人間七七四年
2011/05/19(木) 22:21:57.11ID:xI7RxLcR織田みたいな大規模な領土拡張とはならなかったけど。
0114人間七七四年
2011/07/25(月) 23:05:06.54ID:EoAeosGv0115人間七七四年
2011/08/07(日) 05:48:45.67ID:6qDIYWP7一次史料に信秀が大垣城を失ったとする証拠はまったく無いデタラメを言うな。
大垣城と言う近江との通商の要路を維持したから信秀は朝倉の援軍も呼べた。
0117人間七七四年
2012/03/04(日) 17:42:24.46ID:vUMiwvHe沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
0118人間七七四年
2013/06/12(水) 19:37:30.02ID:xIUWvF040122人間七七四年
2013/07/30(火) NY:AN:NY.ANID:UGzsHFRW0123人間七七四年
2013/07/30(火) NY:AN:NY.ANID:01UGwgTNだがの信条
嘘も言い続ければ本当になる
生息地
HOST:ntaich063200.aich.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
愛知県安城市
これによりSubと同一人物であることが判明
レスの特徴
@織田信長や織田家を蔑むレス
A武田信玄や武田家を讃えるレス
B協調性の無い自己顕示の強いレス
Cスレを荒らすための煽り挑発が著しいレス
D「織田厨」という言葉を連呼するレス
E自作自演一人芝居しているレス
F嘘と偽りによる妄想レスでソースは一切無し
レスの戦術
かまってちゃんのため相手をしてくれる人をコピペ爆撃で燻り出し発見次第にスレ荒らしを展開
戦国板三大事件
上洛スレ64の自演自爆事件
64検証スレの歴史改変事件
歴ゲー板の創造・天道の屈辱
信野暮の武将FILEから戦国時代の知識を獲得
だがの主観により事実を捻じ曲げて覚えたため日本の教科書を排撃
平日休日関係なく24時間2chに常駐して見えない敵と永遠に戦い続ける
今日のアスペルガーだが
自演ID爆撃活動記録一覧
ID:Obs9ybc0
0時〜1時と13時〜18時
ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130730/T2JzOXliYzA.html
ID:hLk578s2
11時〜12時
http://hissi.org/read.php/sengoku/20130730/aExrNTc4czI.html
0124人間七七四年
2013/08/02(金) NY:AN:NY.ANID:qmqi1UWeあれを上手とは言わんだろ?
信長の野望みたいな、今川、武田、斎藤北畠、朝倉を激弱にしてるゲームならまだしも、
リアルで尾張、美濃、伊勢と掌握するのは奇跡としか思えん。
上手いのは毛利元就じゃね?
問題のある家を順番に(小早川から吉川、大内、尼子)取って行く手腕は大したもんだと思う。
だから、あんなに長生きしてもまだ京に届かなかったにしても
0125人間七七四年
2013/08/30(金) NY:AN:NY.ANID:aY5u+CxT0126人間七七四年
2013/08/30(金) NY:AN:NY.ANID:QP688V5V畿内の有力武将は次々病死した上に、六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。
足利義昭が信長の下に訪れ、六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくるとここまでお膳立てされたのが
信長の上洛
このうち斉藤や三好長慶は、単体で長生きしても信長はまず美濃方面畿内方面の拡張は無理だし
他の連中も二人以上生きてたらまず成功しないだろ。
0127人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:FoDfsSxLどっちにせよ信長にズタボロにされる運命は変わらんな
長慶が長生きして、足利義輝が生存していたら歴史が変わる程度
長慶が生存し続けていたところで他の奴は死んでる(義輝を除く)ので大勢では意味ナス
斎藤はどっちみち信長に潰されて終わり。
0128人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:jqie8k04不安定な美濃の情勢はより一層解消されるはずだろ。
しかもその頃には既に龍興は幼君ではなく青年になってる。
どう考えても美濃への拡張が無理だな。あとは伊勢か三河に勢力のばすしかないけど
義龍時代は尾張国内での謀反を煽られたり劣勢だった事考えると信長のニ方面作戦は容易ではなくなるだろう
0129人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:CWWdQkmi斉藤の瓦解要因がなくなる。
長慶が長生きしたらもっと無理。下手すりゃ信長領国の尾張まで斉藤に侵略されてアボーン
0130人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:FoDfsSxL足利政権をぞんざいに扱う三好と協調するとは考えづらい
元より三好と対立していた六角と盟を結んでいたし
織田・浅井VS斎藤の図式が織田・浅井・三好VS斎藤の図式になって余計瓦解する可能性が高まる
信長領国に介入なんてしていたら六角潰した三好に攻め滅ぼされて終わりでしょ
尾張一国の織田の侵攻を跳ね除けられない斎藤がどうやって畿内第一勢力の三好に勝つのか?
0131人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:FoDfsSxLただ美濃を占領していただけの斎藤が安定統治とは片腹痛い
その時点で大義名分を逸しており元土岐の家臣である美濃三人衆も
力のために斎藤に与しているだけで強い勢力が出てくれば寝返るのは至極当然の事
斎藤が例えどんなに統治を勧めても外圧に耐えられないのは地盤を見れば当然
その相手が織田になるか三好になるかの差
0132人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:FoDfsSxL0133人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:KY/2I9Zf義龍は最高意志決定機関の宿老制を作り重臣合議制斎藤氏の知行軍役体系を完成させ、
土岐氏の官僚機構を 国人合議制により斎藤の元に奉公人制を確立させ吸収していった叡主であり、
家臣団の意見を吸い上げて諮っているので、義龍が生きていれば生きているほど斉藤家臣団は団結していくだけ。
土岐なんてもう美濃の民から見捨てられてて、道三追放された時ですら、擁立の駒の価値すらなかった。
>>130
一色左京大夫を許されたのが、そもそも義輝を主君と仰ぐ長慶政権の時なのも知らんのかwww
>>織田・浅井・三好VS斎藤
お前、頭がおかしいだろwwwwワロスwww
0134人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:FoDfsSxLあんなにあっさり寝返った美濃三人衆が義龍なら従うとかw
10数年で何回主君をかえたと思ってるんだw
挙句義輝を主君と仰ぐ長慶wwww
三好長慶は何回足利義輝と対立すれば気が済むんですかねw
別に長慶が長生きしていたところで足利義輝と対立するのは避けられないし
それとも織田・浅井・三好VS斎藤・足利・六角とでも書けばよかったのかな?w
0135人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:CXGNq1IW国内でクーデター騒ぎまで起きるくらい統制がグラついてたからであるし
足利義輝が殺害後嘉昭が信長の元に訪れ、上洛へのお膳立てとして浅井や和田ら甲賀衆や六角義秀らが
全面的に協力したから成功しただけであって、義龍が死ななかったり
長慶が死ななかったりしたら上洛への名分も美濃攻略の足がかりも完全に失われるから美濃への拡張は無理
現に義龍時代は手も足も出てないし、龍興時代ですら何回も負けまくってるし
0136人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:KY/2I9Zf美濃三人衆の斉藤離反は龍興が寵臣優遇と東美濃諸将との和解
(長井隼人佐や久々利らが織田を後援することに決めた信玄が美濃への介入を止め見放された為に龍興に接近)で宿老制が傀儡化したから。
それで政権から排除されたことと同じくして
義昭上洛を狙う六角派と近江南部の奉公衆が推進した織田と浅井の婚姻同盟に乗り気になったから。
長慶は義輝が帰京してからうまくやってる。義輝が三好を滅ぼそうと謀略をかましているが、長慶は義輝を殺そうとはまったく思ってない。
義輝も京から出奔しても、もはや河内や大和まで領国化した三好に決定的に敗北した畠山と六角が支援してくれないのを知ってるから京から出奔したくない。
対立しても決定的な破綻が起きない情勢になるほど三好政権は安定していた。
0137人間七七四年
2013/08/31(土) NY:AN:NY.ANID:zC+hdGWe0138人間七七四年
2013/09/01(日) 10:35:50.22ID:USNsKLH/しかしオリジナルのレスをした武田厨にはまったく歯が立たなかったのが見てとれるw
0139人間七七四年
2013/09/02(月) 22:23:21.18ID:flsbjuzH0140人間七七四年
2013/09/02(月) 23:09:49.34ID:U2bICpXq0141人間七七四年
2013/09/02(月) 23:55:59.89ID:UXPMi1mX邪魔だから早く朝鮮半島に帰ってね
0142人間七七四年
2013/09/03(火) 11:34:10.57ID:TQQyUHFr森田善明が信長が美濃を制圧できた理由を
美濃が不景気と飢餓で戦わずに信長に降伏したものばかりだったからだと主張してる。
頑強に排除されてきた西美濃攻略を諦めて、東美濃攻略に変更した信長は
内通で加治田城・黒田城/織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城/城内で内通が出て開城が犬山城
と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは東美濃の国人達が経済的に没落していて
戦いたくても戦えない、農民が他所へ逃げている欠落と農地が荒廃していた退転状態だった
美濃の国情ゆえに武士階級も収入が無かったと主張してる。
その点、父の代から裕福な信長の尾張なら楽だったろうし、近江との街道収入のある西美濃は豊かであったろう。
そして豊かな西美濃衆が稲葉山城奪取占拠をやったりして斉藤家は落ちぶれてしまったから
かんたんに信長は美濃を手にいれたとすれば実に納得できる。
国内は幼君ゆえ混沌し竹中・安藤の稲葉山奪取が勃発し
稲葉山占拠は半年に及び、これを受けて信長は小牧山に拠点を移している。
結局竹中や安藤は美濃簒奪に失敗したが、斉藤家はすでに美濃国人らを統御できる力はなかったのが内外に露呈した。
六角義治と対立する六角重臣達らの支持を受ける六角義秀が義昭を上洛させるべく
浅井と織田の同盟を推進し市の婚姻を働きかけ(福田寺文書和田惟政披露状)
その話に美濃三人衆の氏家と安藤も乗り気になっていた(長政→市橋伝左衛門尉宛て書状)
これにより信長はやっと美濃攻略に成功する。
信長公記はこのあたりを全て隠蔽して美濃は信長独力で攻略できたことに捏造してるし
元亀元年6/28姉川の戦いの寸前の6/19には故六角義秀に近い
近江修理大夫が義治親子を捕縛してるのを信長が褒めてる。
この時に宮が助命嘆願してきたが貴国ノ御心次第だとも信長が言ってる。
このために義治軍が姉川の戦いに参加できなかったから信長が姉川で破滅せずにすんだだけ。
0143人間七七四年
2013/09/03(火) 12:18:48.87ID:T2PK6O5B0144人間七七四年
2013/09/03(火) 14:01:10.05ID:gBmgysVd快川和尚が龍興と晴信の同盟を斡旋してきても晴信は、
信長との信義を守り、信長による美濃統治をバックアップした。
0145人間七七四年
2013/09/03(火) 17:36:15.86ID:rUic17vjそのやり様はまるで北朝鮮の妨害電波なみだな
0146人間七七四年
2013/09/03(火) 17:43:06.55ID:TQQyUHFr0147人間七七四年
2013/09/03(火) 18:09:45.79ID:rUic17vj0148人間七七四年
2013/09/04(水) 08:46:19.22ID:EsXhaH8A0149人間七七四年
2013/09/16(月) 18:46:09.66ID:mhszX0vT0150人間七七四年
2013/09/22(日) 14:01:36.23ID:AnC5gjXE備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
0151人間七七四年
2014/01/18(土) 21:20:55.17ID:+4RKgPc4>>1
>侵攻理由と政治情勢
東国情勢
北条氏:早雲の伊豆平定とその維持→上杉氏の排除
今川氏:氏親の遠江平定とその維持→斯波氏の排除
武田氏:信虎の甲斐統一とその維持→外圧の排除
長尾氏:謙信の北陸平定(北信や関東の戦いは領土拡張とは違う)
西国情勢
三好氏:長慶の打倒政長→細川氏の排除(政長を擁護するため)
毛利氏:元就の安芸統一とその維持→大内氏と尼子氏の排除
北条氏・今川氏・武田氏・三好氏・毛利氏は最重要課題は国益保守で他国への領土拡張は副産物と思う
長尾氏だけは越後が争乱状態ということもあり他と比べて領土拡張に出遅れたと言えるよね
戦国後期
織田氏:信秀の反斯波氏勢力圏の切り崩し→一色氏と今川氏の排除
織田氏は斯波氏の武将として対外勢力を討伐し経済圏を支配し急成長
※津島は一色氏、那古屋は今川氏の勢力圏と考えています
0152人間七七四年
2014/01/19(日) 08:33:44.90ID:LYEyTprtカキコ乙
三好氏の播磨や丹波の侵攻って結局のところ細川派残党の討伐ですもんね
若狭武田氏も細川氏と付き合い長いし
今川氏の三河計略も斯波氏武将の織田氏が松平氏に圧力をかけたからだし
戦国時代前期の政治情勢の理解って大切ですよね
0153人間七七四年
2014/01/20(月) 22:17:59.41ID:RnqO+sqc>三好氏の播磨や丹波の侵攻って結局のところ細川派残党の討伐ですもんね
河内・大和も三好氏に敵対したから攻め込んだだけなので三好氏は最初から天下統一なんて考えていなかったことです
攻撃は最大の防御と言いますがこの考えが一番しっくりすると思う
0154人間七七四年
2014/01/21(火) 22:47:39.46ID:4MR91/nbまあ足利義晴が細川氏支持を堅持した時点でこうなるのは予測できたはずだけど
0155人間七七四年
2014/01/21(火) 23:09:52.68ID:argfnKht二十一屋形の六角氏や武田氏は三好氏みたいな勢力を快く思っていなかったと思う
逆に京極氏に取って代わった浅井氏は三好氏と誼を通じて六角氏に対抗していくけどね
二十一屋形も今川氏と六角氏はがんばったと思うけど他ももう少しがんばって欲しかったな
0156人間七七四年
2014/01/25(土) 13:43:53.01ID:0Ys/yr7J一昔前だと大小の戦国大名が天下統一を目指して争っていた感じだったけど
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