トップページsengoku
1001コメント436KB

■■本能寺の変を徹底考察するスレ■■

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001サイコメトリー2008/04/02(水) 08:27:11ID:Uf2sKyx2

戦国板には、いくつか本能寺スレがあるけどイマイチなので自分で立てました。
戦国マニア同士で本能寺の変を語りましょう。(なるべく名を入れましょう)

叩き台として→ http://www.ksbooksheif.com/HJ/Why.htm ←を用意しました。

大学教授や小説家にも負けない我々戦国マニアで、新たな本能寺の変の断片を
考察して行きましょう。ちなみに自分は昔から桑田忠親説を支持しています。
0853人間七七四年2008/06/09(月) 16:07:35ID:VXyyhUC1
>>852
確か桐野(PHP)本に書いてあったが、兼和の荘園の飛び地が
粟田口にあって、そこで兵隊が乱暴狼藉働いている(=在所の儀)
からなんとかしてくれってお願いだったと思うが。

>>847
研究者である以上は説を撤回しても批判の対象にされるのは当然だが
、氏は学研本で単独犯説に改説されPHP本での前書きでは「ファラ
オ本を世に出したことに忸怩たる思い」があるっていってんだから、
「桐野旧説」が妥当だろ。
0854人間七七四年2008/06/10(火) 09:08:12ID:0URgrTs9
>>850
そう言うあなたも、人に意見してるだけで、変について何も述べてないけどな。
まぁ意見してるだけだから、それで良いと思うんだけど、問題にしてんのは、
人の説や意見(変に関する)に批判する時は、別説や別論を言わなきゃ、話に
ならないとの事でしょ。まぁ当然だわな。

俺の私論では、光秀単独(多少の野望((畿内制覇)))+突発+多少の怨恨
って所だと思う。
黒幕や協力に関して言えば、里村やら光秀昵懇の者は事前に知っていた可能性
は否定出来ないが、察するに彼らからすれば、耳を疑い、耳を塞ぎたくなく心境
だったと思う。つまり、知っているだけで、なんら共生していたわけではないと
思う。
0855人間七七四年2008/06/10(火) 10:32:09ID:Ir2QZKrH
黒幕とか無い無い。

だれが黒幕だったとしても信長と信忠を同時に殺さないと意味が無い。
なのに信忠は完全にノーマーク。御所に移動できるぐらいノーマーク。信益も簡単に逃亡してる。御所に居座らず、四国遠征軍に合流したり安土城に移動することも可能だった。

明智光秀が天下を取るにしても信忠を殺さないと意味が無いし、今の研究では光秀の年齢は本能寺の変時点で60代後半だったとなっているし、野心があったのかも怪しい。
0856人間七七四年2008/06/10(火) 13:36:48ID:cIgDkRIn
信益??
うらくの事??
0857人間七七四年2008/06/10(火) 14:14:20ID:nWHMrZ/8
織田信益
十郎左衛門信清の二男。
美濃経略の先陣として十九条城の守将となる。
永禄5年、洪水により孤立し、稲葉又左衛門の家臣野々村三十郎に討たれる。



じゃあなくて、長益さんのことだろうね。
0858人間七七四年2008/06/10(火) 15:56:12ID:Ir2QZKrH
失礼。間違えた。長益です。
0859人間七七四年2008/06/10(火) 19:23:12ID:KlbwUPDX
お前ら、ここでは怨恨説以外語るのは荒らしだぞ
0860人間七七四年2008/06/10(火) 20:07:02ID:0URgrTs9
>>857
お詳しいですね〜。戦国初期はよくしらないんだよね・・・。
0861人間七七四年2008/06/11(水) 09:44:19ID:/MKWOiF4
それにしても、長益やら荒木村重やらは戦国武将と言えるのか?
0862人間七七四年2008/06/11(水) 10:53:42ID:0xVOOJrr
>>861
意味がわからん。
0863人間七七四年2008/06/11(水) 11:26:47ID:X+uIst8b
>>861
言えますが何か?
0864人間七七四年2008/06/11(水) 12:05:47ID:/MKWOiF4
所業が武将らしくないって事。
まぁ武将は武将だが、好きじゃないって事。2人の事、好きな人いる??
0865人間七七四年2008/06/11(水) 12:24:51ID:5omOLxSp
荒木は好きだな。三好の家臣の池田の家臣から摂津一国の主までのしあがったあたりが。
最後はお粗末なやつだが
0866人間七七四年2008/06/11(水) 12:46:24ID:n38PF02w
有楽だって茶ばかり飲んでいたわけじゃなく、関ヶ原では麾下の手兵を率いて参戦した。その数450
0867人間七七四年2008/06/11(水) 12:47:47ID:t/WZD6YN
まぁ光秀の最期もしょぼいし仕方ない
08682008/06/11(水) 12:49:49ID:t/WZD6YN
>>865
0869人間七七四年2008/06/11(水) 12:54:54ID:0xVOOJrr
荒木村重は、同時代ではあの戦場放棄は非難されていない。
それどころか秀吉の時代になると、むしろ尊敬を集めている。

現代人の感性で村重の行動を批判するのは間違いなのであろう。
0870人間七七四年2008/06/11(水) 14:49:11ID:/MKWOiF4
>>869
戦場放棄!? 戦として抜城や撤退等は当然の事でしょうね。村重のそれは、
その事じゃない、一族・女房衆を見殺しにした所が問題でしょ。

清水宗治等の様に自身の命と引き換えに、家臣や一族の助命を懇願する武将
も存在する分けだから、比較のしようもない。また、道糞と称し自身を卑下
した事からも自責の念も窺えるしね。

誰に尊敬を受けてたか知りませんが、それは憐れみの間違いではないのかなぁ。
村重批判に現代も戦国時代もなかろうと思うが。
0871人間七七四年2008/06/11(水) 15:00:02ID:0xVOOJrr
>>870
それこそ秀吉とかから思いっきり厚遇されているわけだが。
一族家臣の見殺しというが、それも結果見殺すことになったと考えたほうが自然だろ。
清水宗治の例を出されても、おかれた状況も戦況も違うわけだから、一概に比較なんて出来ないし。
0872人間七七四年2008/06/11(水) 15:03:18ID:gNC3kFjW
>>870
「道糞」と称したのは自責というより、秀吉に媚びてる印象。

俺も、誰に尊敬を受けてたのかは知らんが、
誰が村重批判をしてたのかも知らん。
そこんとこの根拠よろしく。
0873人間七七四年2008/06/11(水) 15:18:30ID:/MKWOiF4
>>871
秀吉に厚遇されてた事が何? 秀吉の温情でしょ。それか利休の口利きか。
秀吉に厚遇されていた事が、村重の尊敬を生んでたの?

>>872
そうですね、自分も道糞って名はアピールだと思います。
村重批判に関しては、織田右楽同様、京童に揶揄されてましたし、歌にまで
なったものが、山上宗二記に出ていた様な・・。正確じゃないので早めに
確認しておきます。
0874人間七七四年2008/06/11(水) 18:01:03ID:nMSf9oQM
信長の性格やったらわかる。どっかでホリエモンとにてるような気がする

0875人間七七四年2008/06/12(木) 09:37:57ID:BeO0ANe1
トヨタの正体

自動車雑誌は、トヨタ車の批判は書かない。いや書けない。なにせ売上高21兆
369億円、純利益は1兆3721億円(2005年度3月末決算)。その一部の約900億円
を広告費として使うだけで、どの会社よりもテレビCMを流し、新聞や雑誌に広
告を打ててしまう。日本中のあらゆるメディア、広告会社という信号機は、その
潤沢なトヨタマネーの前に青信号ばかりを点灯させる。信号無視のトヨタ車に赤
信号を点灯させるのはこの本だけである!

【内容の一部】
クルマ雑誌が書けないトヨタ車の評判/レクサスの中身/仕掛けられたプリウス
神話/トヨタのエコ戦略のまやかし/政治好きで出世した奥田会長/税金使って
道路から空港まで/過労死とウツ病だらけのトヨタマン/トヨタ“凄惨”方式/
外国人労働者急増の豊田市
http://www.labornetjp.org:80/news/2006/1151125165532iseki-kaihatu


トヨタ営業利益二兆円を支える「奴隷労働」!
http://www.green.dti.ne.jp/protest_toyota/other/061108support.htm
0876確認者2008/06/12(木) 20:28:28ID:sZJQgtTq
光秀の気分でやった。
重臣が賛同した。
信長が手薄だった。
信忠も都合良く来た。
信長殺せば、多少でも味方になる者が居ると思った。
小さな野望もあった。
小さな怨恨もあった。

上記すべてが光秀が決起した理由です。皆があーでもないこーでもないって
言ってるから、直接聞いて来ました。
0877人間七七四年2008/06/12(木) 21:04:41ID:EOhSJYdO
876さん、気持ち悪い事書かないで下さい。戦国史初心者だからここ勉強になるし
楽しみにしてるのに。妄想ともいえる説でも皆で討論していたら、別の説にたどり着く
かもしれないから、ささいな考えでも書き込むのはいいと思うのですが、
本当の妄想はアウト。
0878人間七七四年2008/06/12(木) 21:48:02ID:2QpdfUSr
あとは
コーエーにでも
任せねえぃか?
0879人間七七四年2008/06/13(金) 01:33:22ID:pOJO9hV4
毛利と間違って攻めちゃったんだよ。光秀も歳だしうっかりしちゃったんだよ。
0880人間七七四年2008/06/13(金) 10:15:19ID:E2/Y1s7j
俺もここのスレ好きで、ちょくちょく覗いてたが、最近は建設的な話がなくなり、スレ違が増えて、以前の様なバトルが見れず残念。スレ主さん、何か新しいスレ立てお願いします。
0881人間七七四年2008/06/13(金) 10:32:36ID:JIYQxGEL
スレ主がスレ主だからな
まともな人がちゃんとした話が出来るスレ立てた方が良いかも
0882人間七七四年2008/06/13(金) 11:06:11ID:gjMbC+ID
>>880
ここの住人の意見は落ち着くとこに落ち着いた感じだし、
今さら話す事もあんまりなくなってるとおもうからなあ。
なんか自分の仮説を発表するなり、質問をしてみりゃ、反応あるんじゃない。

とりあえず、ここ使い切るまでは新スレ立てないでいいと思う。
0883人間七七四年2008/06/13(金) 11:19:12ID:gjMbC+ID
ここ使い切っても、本能寺のスレ他にもあったな。
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962316/l50

>>1が勝手な理由で重複させちゃったようだが、
ここが埋まったら、あっちのスレをまず使い切るのが筋じゃない?
過疎ってきたからまた新スレ立てて乱立とか、おかしいだろ。
当分は新スレとか必要ないなあ。
0884人間七七四年2008/06/13(金) 13:54:43ID:wmiKVdbF
>>882>>883
その本能寺スレ4月から伸びてないじゃん。しかも、立てたの2006だし〜。
ここのスレは今年の4月に立ってすでに約900に伸びてる分けだけだから、
それなりに皆が注目してたって事でしょう。
本能寺スレがすでに有るからとかの問題じゃなく、内容の問題でしょ。
休眠状態のスレを使い切るのが筋? どこからそんな筋が発生したが分からんが、
あんたがスレ立てに付いて、講釈垂れる事自体がおかしいと思うがな。
0885人間七七四年2008/06/13(金) 17:14:10ID:gjMbC+ID
ん?新スレ立てるのは現行スレが埋まりそうになってからとか
同内容のスレを乱立させないとか、この手の掲示板の常識的なマナーと思ってたけど違うの?
古い重複スレをageてまず使い切るとか、普通にやることじゃない?
そんな頭に血をのぼらせるほど気に食わないことか?
0886人間七七四年2008/06/13(金) 17:48:58ID:wmiKVdbF

2chに常識的なマナーが存在するとは知りませんでした。
0887人間七七四年2008/06/13(金) 17:56:35ID:Z2Xx4Yxj
>>886
君みたいなのがいるからそう言うイメージもたれるんだろうね。
0888人間七七四年2008/06/13(金) 19:35:24ID:00+TmQxe
>>878
あそこは結構ミスするからダメですよ。
0889人間七七四年2008/06/13(金) 19:45:12ID:wmiKVdbF
>>887
んじゃ君の2chに対するイメージ教えてくれ?
0890人間七七四年2008/06/13(金) 19:48:20ID:ZytEp8uh
>>889
つ[清く正しく美しく]
0891サイコメトリー2008/06/17(火) 11:27:47ID:d73Vp2Vt
>>877
感謝します。あなたの様な方が居るだけで、このスレ立てた意味が有ります。

新たなスレ立てしても構いませんが、残り100以上書き込めるので、もう少し
ここで継続したいと思います。最近は、人の出入りが少なくなって来てしまいましたが、
地道に続けてみます。私的意見ですが、また、ご意見願います。

今まで、光秀が信長を襲った理由に付いて、あれはない。これはない等と
消去法で各説を考えていましたが、光秀が決断に至った間違いなかろうと言う状況を
再検証してみようと思います。(今更ですが、お付合い下さい)

@信長の身辺状況の把握(手勢及び直臣の少なさ)
A方面軍の点在
 ここでひとつ疑問なのだが、秀吉・勝家・一益軍は急遽戻る事が出来ないと
 判断していたと思うが、信孝と長秀軍の事は光秀が気にしていなかったのだろうか?
 状況からみて、信澄と事前打合せが出来ていたとは思えない。自分はこの一点だけ
 でも高柳野望説を否定したい。

B自らの状況(万軍以上を京近くで動かす事が出来る状況)
C与力衆の状況(変前には、少なからず筒井・細川は自軍に付くと踏んでいた)
D本能寺周辺の状況把握
E足利義昭の存在(存在自体)
F反信長勢力(各方面軍が一益軍の様になるだろうと・・)

こんな所でしょうか? 
0892人間七七四年2008/06/17(火) 12:16:20ID:S5gKNxTp
>>878
確かに、変後の光秀の動きからすると信澄との共謀はなかったでしょう。
しかし、信澄との事前の打ち合わせがないから野望がないという意見はいまいち意味がわかりかねます。
四国遠征軍は変時には住吉にいたとはいえ、信孝は伊勢2郡しか所領がなく伊勢の浪人衆はては丹波まで
軍役を課していた書状があることからすると内実は寄せ集めの軍勢で、副将の丹羽・蜂屋の身代も10万石
以下であることから、光秀にとっては四国遠征軍に信長親子が合流しさえしなければ筒井軍で対応できる
と考えていたのではないかと思います。
すなわち、四国遠征軍は光秀にとってはさほどの脅威ではなく、彼の野望の妨げにはならないということ
です。四国遠征軍はこの点が未成熟で、他の中国・北陸・関東遠征軍と性格が大きく異なるからです。
また、光秀は変後は山城・近江・美濃方面には派兵していますが、摂津方面には派兵をしていません。こ
れは摂津方面には関心がなかったからではないでしょうか。
ちなみに私は、桐野氏の新説を支持していましたが、桐野説をベースに作家の津本陽氏のノイローゼ説を
支持しています。
桐野氏の説では光秀の政治的地位の低下が信長殺害するほどの動機たりうるかの説明が欠けているし、利
三の帰属問題は光秀にとっては勝訴なのでこれを殺害の動機にするのは失当だからです。
光秀は丹波平定後は3年間、方面司令官としての仕事はなく、同格の柴田・羽柴と己を比較して「主君に干
されているんじゃないか」と思いつめてもやむをえない感があります。
そして、自分より格下で出世が頭打ち状態の丹羽が四国平定軍の副将に抜擢されたことで、鬱積が爆発した
と考えています。つまり、今度の仕事も甲斐平定と同じく信長の護衛まがいの軍役で手柄に直結しないもの
だと想像をめぐらせて、仕事をしない武将にたいする信長の過去の仕置き(多分改易)を回避するため、即
物的に謀反に走ったと考えています。
光秀の内心など資料で確認することは不可能で、光秀の織田家での地位の変化等から想像しただけなので反
論は甘受します。
0893人間七七四年2008/06/17(火) 12:17:50ID:S5gKNxTp
>>891
で、>>878誤爆スマソ
0894サイコメトリー2008/06/17(火) 14:18:19ID:d73Vp2Vt
>>892 レス感謝です。
信孝・長秀軍に付いては、確かに、その他の方面軍と比べるまでもないですね。
確かに摂津方面に自軍を割いてないですね。仰る通りです。

自分の野望説否定は、高柳野望説否定です。自分なりの解釈では、光秀の用意
周到のなさが、どうしても解せないのです。天下を望むべく決起した光秀が
細川・筒井・津田信澄に何らの事前説明、事前要請もなく事を起すでしょうか?
↑でも上げてる通り、自軍に付いてくれるだろうとの過信があったとは思うの
ですが、事それが野望説となると、軽はずみな判断はしないと思うのです。
ですから、変の一因は突発的な行動と考えています。

光秀の政治的な地位の低下が顕著だったと事ですが、仰る通り、対長宗我部に
関しては、光秀は少なからず憤慨していたハズですね。しかしながら、干され
てた感はあるでしょうか? 確かに方面軍としての戦役は無いですが、馬揃え
を取り仕切り、正親町天皇の前で面目を施した役目はある意味、戦役以上に重要
だと思われます。

元々光秀は、義昭の取り成しから信長に乗り換えた男ですから、折衝や故事典礼
に長けていた武将です。信長の構想では今後、そういう方面で彼をより使おうと
考えていたんではなかろうか との説があるサイトにありました。自分としても
同意出来る所です。ただ実際、光秀がそう考えていたハズもなく、展望不安に陥
っていった可能性は十分にありますね。
0895人間七七四年2008/06/17(火) 14:31:24ID:uyrbcNC/
>>892
>光秀は丹波平定後は3年間、方面司令官としての仕事はなく、同格の柴田・羽柴と己を比較して「主君に干
>されているんじゃないか」と思いつめてもやむをえない感があります。
方面軍司令官の仕事はなかったが、そのかわり中央の政局に関わる仕事に携わっている。
軍事面で仕事がないからといって、それで即干されたというのも短絡なような気がします。
そもそも信長にとっての怠けるというのは、信長から命じられた任務に手を抜くというもので、
光秀は与えられた仕事は十分に果している。信長から軍事命令がこない以上、戦働きがないから
という危機感はさすがに抱かないと思う。それいったら丹羽だって戦働きはたいしてこなしては
いないが、安土城建設など軍事ではな重要任務を授かっている。
それに武田征伐だって、信忠軍だけで決着がついてしまったのが嬉しい誤算であって、信長の
考えとしては光秀を含む信長本軍も十分に戦働きがあると想定しての編成なのだから。
武田征伐で光秀が軍功を樹てられなかったのは幸運な想定外で、信長の意思としてはむしろ、
光秀を武田との決戦兵力としてつかうつもりだったと考えられる。
ちなみに西国遠征に関しては、単に毛利との決着、だけでなく、四国や九州までを睨んだ大遠征
の予定だった。それに従軍するのなら、光秀の軍が護衛で功績を立てる機会がないというのも
考えにくいと思うが。
08968922008/06/17(火) 18:06:20ID:coxmT8Qn
>>894>>895
レスありがとうございます。
軍役を賦課されていなくとも、政局方面の重要任務を任されていたのはご指摘のとおりです。
しかし、光秀は近畿方面に組下武将を従えた大身の大名であることもまた事実です。政局方面
の仕事は大軍を率いなくてもできる仕事ですし、光秀の甲斐の軍役・西国遠征も後方支援にす
ぎず、方面司令官から遊撃指揮官へ地位の低下を実感したとしても飛躍した想像ではないと思
います。また、桐野氏・谷口氏が指摘していますが、織田側近・連枝衆の近江掌握構想でもっ
とも不利益を受けるのは京都にもっとも近い坂本・亀山を所有する光秀で、四国政策などのさ
まざまな要因で、光秀の頭がテンパッったとしても不思議ではないと思います。
それゆえ、光秀の能力を今後の天下統一事業に使うつもりだったという信長の思いが、光秀の
鬱積ゆえそれを受け止めることが出来ないほどの状態であったと思います。このような心証形
成には信長の家来に対する仕打ちが大きく影響していると考えるのも飛躍した想像ではないと
思います(信長と消えた家臣たち 谷口克広 中公新書参照)。
信長は秀吉と光秀を競わせるように(ほかには前田・佐々)起用していたことは、多くの文献
から明らかです。たとえ、光秀に対し行政官僚としての将来に信長が期待していたとしても、
九州遠征で彼を起用するつもりだとしても、中国の秀吉の援軍にしか起用されなかったことで
長年の競争相手である秀吉に大きく水をあけられたと光秀が絶望的な気持ちになったと考える
のはやむを得ないと考えます。また、彼は「当代記」によれば67才で、息子の十五郎は「日本
史」によれば13才です。彼の年齢からすると四国遠征軍の司令官に起用されることが戦功を立
てるラストチャンスだったと思います。当然ながら息子に司令官や行政官僚の仕事ができるは
ずもありません。仕事のできない息子の将来は明白です。

彼の脳岱を支配していたのは野望でもなく怨恨でもなく、絶望です。
08978922008/06/17(火) 18:25:24ID:coxmT8Qn
若干の補足です
>それに武田征伐だって、信忠軍だけで決着がついてしまったのが嬉しい誤算…
これはない。
信長は信忠軍団の後詰にすぎず、信長は家督を譲って以降自ら干戈を交えたこと
はありません。甲斐平定は信忠仕切りの仕事で、だからこそ信長と共に甲斐に進
軍した光秀軍の士気がぐだぐだったという記録があります(ソースは谷口・桐野
本)。
信長本隊は決して戦に参加しない、この護衛軍は兜首ひとつ取れない、これが正
算です。
0898人間七七四年2008/06/17(火) 18:33:58ID:e619V63q
変の前に前田と佐々を競わせた話はまともな史料には無いです
立場違い過ぎます
本能寺以降ぶつかる2人なのでごちゃ混ぜになってる文献も確かにありますけどね
0899人間七七四年2008/06/17(火) 18:41:33ID:d3JbuVwM
>>896
光秀長男は信長か信忠の小姓に出仕させる話とかはなかったのだろうか…?
0900はんじ2008/06/17(火) 20:04:06ID:FOZa/IeJ
俺が居たら、光秀も信長も死んでたな。
0901人間七七四年2008/06/17(火) 20:16:25ID:uyrbcNC/
>>897
信忠軍の進撃スピードをみて、信長から滝川に宛てた「自分が来るまで待て、信忠を抑えろ」という書状が
残されているわけですが?
しかし信忠はそれを無視して一気に甲斐に侵攻、信長が濃信国境を越える前に武田を滅ぼしてしまった。

それから谷口に氏の近江掌握構想は知ってますが、近江の所領を失うのは光秀に限った話じゃない。
柴田に丹羽、羽柴だって近江の所領は将来的にだが収公予定だった。近江のすぐそばというのなら柴田
だってそうだが、別に彼にはそんな絶望はなかった。
それから出世競争というが、援軍として派遣されることが、その下に配されると限った話でもない。
例えば明智自身、過去に秀吉への援軍として播磨に派遣されたことがある。この時は佐久間も一緒に。
秀吉の元に援軍派遣された佐久間が秀吉に下風に立たされることになんてなってない。
0902人間七七四年2008/06/17(火) 20:48:09ID:WJx76FWx
実際、方面軍司令といわれる柴田勝家にしろ羽柴秀吉にしろ信長の指示は絶対遵守。
北陸方面では佐々・前田らが援軍として播磨や摂津に出陣しているし、
本願寺との和睦の際には柴田に加賀攻めを奨励している。
中国方面では上月城攻防戦の件や宇喜多帰属問題の件がある。

信長の中国征伐の軍事行動と考えれば明智・池田・細川は先発隊じゃないかな?
秀吉の配下に属すという方がむしろ不自然のような気がします。

ところで細川って援軍命令が出ていたのに何で援軍の用意していないの?


0903人間七七四年2008/06/17(火) 21:52:10ID:dd+P79ib
なんだかあっさり創作扱いのようだが
1.光秀の讒言で佐久間信盛親子追放
2.他の佐久間一族全員自主謹慎
3.勝家のとりなしでその佐久間一族の謹慎が解かれる
4.この一族の中の最有力者は佐久間盛政で加賀一国を任されている。勝家とは師弟関係と言って良い存在で将来性も抜群
5.明智を良く思う筈も無い盛政を勝家は保護する筈である。又勝家家臣には多くの佐久間名が見られる
6.光秀は佐久間氏の反撃=筆頭家老柴田の圧力となり織田家ではこれ以上出世が見込めなくなる
7.自身の年齢、息子や明智家の将来を悲観した光秀は信長に恨みは無いが本能寺へ
8.光秀との関係に疑念が無い信長は無防備に明智軍の接近を許す
この線は消えてるの?
0904人間七七四年2008/06/17(火) 22:03:49ID:htQFnRGs
>>903
その内容の肝である

> 筆頭家老柴田

ここがもう間違い。柴田も方面軍司令官の一人に過ぎないよ。信長の政権中枢に影響を与える立場にはいない。
0905人間七七四年2008/06/17(火) 23:36:09ID:2eVpe4Yf
903
佐久間の反撃?
何をどう反撃するのよ?
佐久間信盛贔屓はすぐに讒言を引き合いに出すが、何の信憑性もない。
百歩譲って、讒言が事実だとしよう。立場逆にしても光秀が讒言で追放される事はない。
勝家の件は904に同意。
盛政の件に到っては冷笑。
0906人間七七四年2008/06/17(火) 23:58:24ID:WJx76FWx
>>903
全部消えてかまわないと思います。
困る人がいるのかな?


0907奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/06/18(水) 00:01:45ID:gX8QwK2l
信盛系と盛政系は同じ佐久間でも別の家だよな。
盛政系は柴田一門として見た方が自然だろうし。
0908人間七七四年2008/06/18(水) 01:56:05ID:RSi3gypr
でも盛政は柴田に救われてる話しはあるな
一応佐久間閥は存在するんじゃね?
0909人間七七四年2008/06/18(水) 02:34:35ID:WHj9IHp0
織田家内での考えられる派閥
佐久間・柴田の派閥(古参の武将)
羽柴・丹羽の派閥(織田家と縁組)
滝川・池田・森の派閥(織田家に縁がある)
明智・荒木・細川の派閥(相互縁組)

他にあるかな?


0910人間七七四年2008/06/18(水) 02:40:04ID:vPBNNe9/
>>909
信長の頃の織田家に、派閥らしい派閥は存在してないよ。
ほぼ完全な信長の独裁。派閥がないことが秀吉の乗っ取りを可能にした。
0911人間七七四年2008/06/18(水) 02:42:40ID:lnKRg9LR
確かに信盛は織田家重臣で派閥も存在しただろう。だが勝家と違い、古参の驕りがあった。『信長の事はハナタレ時代から俺は知ってるんだぞ〜』『勝家と違い裏切った事ないよ〜』ってね。信長の追放命令は古参というだけで、ある意味の影響力を持つ過去の遺物の排除。
0912人間七七四年2008/06/18(水) 02:51:20ID:Gl07T3s/
にっしゅうは このえどこへと とめゆきて 
          ほそかわもなき やぶにざすゆめ 
09139082008/06/18(水) 03:25:17ID:RSi3gypr
ごめん軽はずみなレスした
盛政の父は佐久間信盛、佐久間大学と従兄弟同士だった
信盛は盛政のおじさんにあたるな
加賀攻め命じられ制圧が4月・信盛追放が8月・金沢城主任命が11月
父亡く信盛信栄追放なので一応佐久間家筆頭つーことですな
0914人間七七四年2008/06/18(水) 10:14:42ID:lnKRg9LR
その筆頭が猪突猛進して、賎ヶ丘の敗因となった分けだか・・。
まぁ何にしても、信盛が光秀より器量が上ではない事は間違いない。
0915人間七七四年2008/06/18(水) 11:46:06ID:vPBNNe9/
>>914
賤ヶ岳の敗因は前田の勝手な舞台撤収じゃん。佐久間じゃねえ。
0916人間七七四年2008/06/18(水) 11:49:01ID:FoaDA1A2
裏崩れね
09178922008/06/18(水) 13:05:31ID:oMaLcVsy
>>901
>信忠軍の進撃スピードをみて、信長から滝川に宛てた「自分が来るまで待て、信忠を抑えろ」という書状が
残されているわけですが?
信忠本隊は2月14日には岩村から木曾に入り、友軍の徳川は2月中旬・北条は2月下旬には武田領に侵攻
している。ところが、光秀が京都を通過したのは「晴豊記」によれば3月4日で明らかな後詰。
信長が訓戒したのは、この戦が信忠仕切りの初めての大戦だからで、不慮の事故が起きないように補佐
役の老功滝川に注意をしたのでしょう。もし、信忠が軍令違反をすれば、少なくとも滝川は信長から処
罰されたはずだが、そのような資料は存在しない。

>それから谷口氏の近江掌握構想は知ってますが、近江の所領を失うのは光秀に限った話じゃない
司令官3名の本拠地で比較すると、秀吉:播磨姫路・勝家:越前北庄・光秀:丹波亀山で、亀山は京
都の咽喉の口丹波にあるから収公の順序では3名では一番先でしょ。
越前なら要衝敦賀の収公がありうるが、敦賀は遊撃指揮官武藤康秀の所領で勝家どころか北陸平定
軍ともなんら関係がない。あくまで「比較の問題」で光秀が一番不利ってことです。

>秀吉の元に援軍派遣された佐久間が秀吉に下風に立たされることになんてなってない。
その秀吉自身がかつて北陸柴田軍の援軍に派遣されるも、勝手に戦場離脱したのはなんでかな?
いずれは信忠が本隊を率いて中国に下るので(信長自身は淡路国まで出馬するとしかいってない)
、信忠指揮下に入れば秀吉の下風に立つことにはならないが、私自身「下風」とは言っていない。
秀吉に水をあけられたといっているだけ。
中国は山陽・山陰とも秀吉の仕切りで、四国の取次の一部も秀吉に取られている。光秀が四国遠征
に起用されなかった以上、官僚稼業に専念でもしない限り中国平定では秀吉とバッティングするの
は明らか。そこで主導権を取れるのは中国取次である秀吉だと考えるのは飛躍した想像とは思えないが。
0918サイコメトリー2008/06/18(水) 15:29:41ID:Iik7dO3y
>>917
確かに光秀と秀吉は出世争いをしていて、ご指摘通り、山陰・山陽どころか、
三好を介して四国取次ぎに関わっていたのも事実で、光秀としては惨憺たる
想いだったでしょうね。

しかしながら、光秀はその出世争いに固執してたでしょうか?917さんが仰る
ラストチャンスですが、自分としては光秀が四国取次ぎ一連事業に関して、
悔しさは当然あったと思いますが、そこまでのこだわりはない様に思えます。

前記した様に光秀には多方面との折衝間接業務があり、他国切取り以外にも
自力を発揮出来る面がありますが、秀吉は固執せざる得ない状況だと思います。
所領維持及び加増に於いても、家康が自軍四天王にした様に武断派には、さほど
多くない所領与える様な方向に信長もしたんではないかと勝手に思ってます。
0919人間七七四年2008/06/18(水) 15:59:31ID:WHj9IHp0
私も勝手ながらなの考えで申し訳ありませんが、
柴田や羽柴のような方面軍司令だけが出世争いではないと思います。
佐久間追放後、柴田や羽柴には目に見える成果を信長に見せなければいけなくなりましたが、
明智には柴田のような謀反人の経歴、羽柴のような軍令違反はありませんので、
それほどあせる必要は無かったと思います。
逆に中央に残り大和検地や天正九年御馬揃のような大掛かりな政務の方に出世争いを感じていたと思います。

>>918
>所領維持及び加増に於いても、家康が自軍四天王にした様に武断派には、さほど
>多くない所領与える様な方向に信長もしたんではないかと勝手に思ってます。
柴田には上杉、羽柴には毛利と大敵がいましたから軍事力増強のためにも所領加増は必要。
明智の場合は畿内に大敵がいないので必要以上の加増にメリットは無い。
それ故に所領加増は必要ないと思います。

武田征伐従軍リスト
明智、丹羽、蜂屋、細川、筒井、池田、中川、高山、武藤、西美濃衆、原、金森など

信長本隊の中でも明智の軍勢はかなり大きいのでこれ以上は不要かな。


09209172008/06/18(水) 16:39:49ID:6ZFeZs1c
>>918
私の見解では、主たる原因はあくまでノイローゼであり中国派兵の件はノイローゼを引き起こした要素
の1つとして挙げただけです。
@四国派兵決定での信長との対立
A斎藤利三帰属訴訟
B中国派兵命令
(C近江掌握構想)
@からBの問題は天正10年4月から5月末に集中しており、すべて光秀にとって憤慨・落胆させるものです。
フロイスの記録にある「信長の好みにあわない要件で足蹴云々」はこのいずれかの問題がテーマだったと思います。足蹴が
事実かは自信がありませんが、信長との関係が悪化したことは事実だと思います。
これらの難題が集中的に光秀に降りかかり頭がテンパったというのが私の意見です。

確かにご指摘の通り、光秀は朝廷との交渉能力という他の司令官にない能力をもっていますが、前にカキコしたように交渉
に組下武将は不要ですし、所領は軍役を果たすためのものなので軍役に固執しない限り加増は望めません。
秀吉は後継者に於次丸を迎えているので、軍役でポイントを稼げなくとも即減封とはならないと思いますが、光秀には少年
にすぎない実子しかいません。自分の働けるうちに軍役でポイントを稼ぎたいという光秀のあせりは何となく理解できます。
では、中国平定でポイントを稼げるかですが、中国は秀吉の手あかのついた仕事場で、加えて信忠本隊が中国に到着すれば、
「信忠に花をもたせてやれ」的な指令が下ることも予想されます。
さらに、桐野氏によれば九州の大友氏と天正7年末に周防長門の領有権と引き換えに従属関係を形成する書状が交わされ、加
えて毛利氏の同盟国の長曽我部氏は本土決戦で援軍派兵の余裕もありません。
すなわち、毛利征伐は信忠・大友はさみうちであっさりカタのつく「おいしくない仕事場」だと考えています。
よって、四国遠征から外されたのはラストチャンスを逃すものだとカキコしたのです。

まあ、推測ばかりの私論で穴だらけなのは承知ですので、その点ご容赦。
0921人間七七四年2008/06/18(水) 17:06:23ID:WHj9IHp0
>>920
毛利と長曾我部って同盟していたの?
知らなかった。
願わくはいつから同盟していたのか教えて下され。


0922人間七七四年2008/06/18(水) 17:53:30ID:6ZFeZs1c
>>921
確か織田と長曾我部氏が断交状態となった天正9年以降だと
何かの(小説じゃない)本に書いてあったが
0923人間七七四年2008/06/18(水) 18:07:59ID:WHj9IHp0
>>922
>確か織田と長曾我部氏が断交状態となった天正9年以降だと
>何かの(小説じゃない)本に書いてあったが
それより毛利と長曾我部の同盟の方が知りたい。
伊予方面で対立しているのにどうやって和解したのかな?

そこのところよろろん。


0924人間七七四年2008/06/18(水) 19:29:19ID:F723etSU
>>894
細川や筒井に限らず、事前にクーデター計画なんて知らせたら
信長に通報される。
この2者は変後に合力もしなかったんだし。
0925人間七七四年2008/06/18(水) 20:00:00ID:dSxww367
>>917
>信忠が軍令違反をすれば、少なくとも滝川は信長から処罰されたはずだが、そのような資料は存在しない
だから「嬉しい誤算」なんですよ。本来なら先陣役だった信忠軍だけで決着がついてしまったから。
信忠だけで片が付くと思っていたのなら、なんで明智だけでない、池田や丹羽や蜂屋といった大軍勢を用意
したんですか?
0926人間七七四年2008/06/18(水) 20:53:07ID:90v8kTFS
>904 織田中枢に影響力の無い織田重臣って何者です?当時に方面軍などという名称は存在しませんよ
>905 讒言は光秀のと百歩譲ってもらう前提になりますが
光秀は信盛の仇となりますよね?盛政だけでなく兄弟も養子などで散らばっているわけで
しかも一国を任されているレベルの味方武将に恨み又は警戒心を持たれている訳です
光秀なら耐えられる相手でも自分亡き後息子が生き延びれるか心配になりませんか?
その注意しなければいけない相手を復活させたのは信長になります
>913 説明ありがとう

信盛以外の佐久間氏は皆命を捨て戦うメンバーばかり
これは譜代家臣全般に言えることですが実際死亡率が異常に高くこれを信長は高く評価しています
朝倉攻めで敵将を裁く時でさえ死を選ぶ相手を褒め称えているくらいで
そこに光秀のような跡取に不安のある死ぬ気で働けない武将が遅れを取ったと感じても不思議ではないような気がしたのよね
ちなみに私信盛スキではありませんw
0927人間七七四年2008/06/18(水) 22:29:19ID:WHj9IHp0
そこまで言っておいてスキではないとは。
佐久間信盛、世の無常を感じます。


0928人間七七四年2008/06/18(水) 23:42:47ID:lnKRg9LR
だから信盛と光秀は比べるまでもないのよ。
それにさぁ、子供が幼くて不安。心配。将来をそこまで悲観的に考えてたら、何も出来やしないし、そもそも本能寺で信長討ちもらしたら、荒木村重の二の舞になる事くらいは考えてたべ。
0929奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/06/18(水) 23:45:31ID:gX8QwK2l
配下に名門を作りたくないのは当然。
0930人間七七四年2008/06/19(木) 00:08:46ID:K0Sb7lqs
>>926
>讒言は光秀のと百歩譲ってもらう前提になりますが〜
仮にこれが事実だとしたら。自業自得の末の逆恨みになるな光秀の所業は。

信長からしたら、なんで活躍した家来への行賞に、光秀の内心の事情を憚ら
なければならないのか。
0931サイコメトリー2008/06/19(木) 09:52:05ID:CM0Rpn0u
>>924
確かにその恐れはありますね。
自分の見解としては、具体的な内容をダイレクトに伝えるのではなく、家康が
関ヶ原決戦前に黒田長政や福島正則におこなった様な事前交渉です。
0932人間七七四年2008/06/19(木) 10:36:06ID:pWdiiSXJ
光秀は跡継ぎに不安あったとして何故養子を取ってないのかな?
譜代の連中は皆養子縁組でガチガチに繋がっているじゃない
織田家臣で言うと羽柴蒲生前田なんかは織田家と繋がり
0933人間七七四年2008/06/19(木) 10:54:35ID:pWdiiSXJ
途中でおくってしまた
織田家とも譜代重臣とも繋がりを持たない光秀が筒井細川の降将のみに期待してる時点で
織田での計画性がまったく見えないと思った
0934サイコメトリー2008/06/19(木) 11:08:14ID:CM0Rpn0u
>>932
同意です。
光秀はあえて織田家との縁組をしなかったのだろうか?そう考えると、
また様々な想像が出来るね。
0935人間七七四年2008/06/19(木) 11:11:12ID:K0Sb7lqs
正式に養子なのかどうかは知らないが、配下で明智姓を与えたのが何人かいる。
09369172008/06/19(木) 12:21:29ID:b2V935V0
今回は四国政策を中心に私論を展開したいと思います。

892でカキコしたように、桐野・谷口氏の説は四国政策等の問題が光秀に謀反に走らせるだけの動機として弱いのが欠点です。
そこで氏は、光秀の家老である斎藤利三が「今度謀反随一」(言経記)と公家の日記に記録されたこと、及び捕縛後に「車沙汰」(宗及会記)
という極刑でのぞんだ秀吉の措置は利三が謀反の首謀者であることを裏書するものだとして、謀反を逡巡する光秀の背中を押したのは利三だと
いう立論をしています(無論著書での立論はより詳細です)。
確かに、利三は稲葉との訴訟では信長に自害せよと命じられたこともあるし、四国政策の転換により利三の姻戚の長曽我部一族滅亡が現実実を
帯び、彼が信長に深い怨恨を抱くのは当然でしょう。そして、前者の問題は光秀勝訴判決が5月27日に下され解決済みですが、後者の問題は未解
決です。
一方、光秀は西教寺文書で明らかなように家来思いの主君であり、いくら訴訟までして獲得した利三とはいえ1家臣の恨みを晴らすために謀反を
実行して明智一族・家臣団を滅亡の危険にさらすのはまともな人間のやることではありません。かつ、姻戚関係であった荒木一族が皆殺しにされ
る際に、荒木家に嫁した自分の長女が危うくその1人にされそうになったという経験の持ち主でもあります。
09379172008/06/19(木) 12:23:31ID:b2V935V0
では、なぜ利三の謀反の教唆に応じたのか。
それは、かれがこの時「まともな精神状態ではなかった」からです。根拠は光秀が甲斐から帰還後「在庄」すなわち休暇を与えられたのに急遽家康の接待
を命じられた点です。おそらく、光秀の気鬱を発散させるため信長が気楽な仕事を与えたのでしょう(その点でノイローゼ説をとる津本氏(および氏の指
南:二木教授)に賛成です。もっとも、氏の立論は俗書の引用が多く結論のみしか賛成できませんが)。
しかし、四国派兵の決定が光秀を絶望に追い込み、接待業務はこれを癒すものではなかったと考えます(この点では中国派兵の失望より大きいと考える)。
四国平定軍は「日本史」によれば信長が15000クルザ‐ドの大金を支出し、浪人・農民を徴募して組織した雑軍です。光秀軍団が余剰戦力として存在するのに
雑軍を投入してまであえて排除したのです。他方、中国戦線が光秀軍団投入を要するものでないことは917で立論した通りです(毛利氏相手に羽柴軍団・
明智軍団・信忠本軍・大友友軍を投入するのは過剰です)。ここに四国政策をめぐる信長と光秀の断交というべき対立が看取できます。
そこに、心が折れた光秀が利三の教唆を丸のみした素地が生じたといえます。

なお、ノイローゼ説にも欠点はあります。谷口氏が指摘するように、精神病者光秀が愛宕山であれだけ教養に富んだ連歌を詠めるかとい
う点です。私論はこれに対する反論を持ち合わせていません。

09389172008/06/19(木) 12:39:19ID:b2V935V0
>>922
昨日心あたりの書物で探しましたが発見できませんでした。
よって、「脳内同盟」ってことで撤回します。スマソ

>>925
新たな日本の支配者織田信忠仕切りの戦を喧伝するため
でしょ。相手は天下の強豪武田氏で東国大名を威圧する
ため大仰な編成を組んだだけ。池田や丹羽や蜂屋は「信長
公記」によれば信長本陣付の武将で、極端にいえば単なる
装飾品。
スレ違いになるが、堀新が指摘の通り信長が右大臣辞任後
朝廷に復官を要請されるも断った際、広橋右大弁宛・勾当
内侍宛で述べた理由で唯一共通するのは「信忠の顕官起用」。
甲斐平定の総大将は信忠で、決して信長ではない。
0939人間七七四年2008/06/19(木) 13:45:42ID:YgUz7fTY
↑なんかよくわからんが、形式的な事じゃなきゃ、織田家のすべての戦は信長がトップでしょ。
0940人間七七四年2008/06/19(木) 13:45:57ID:K0Sb7lqs
>>936-937
>四国政策の転換により利三の姻戚の〜
戦国時代、姻戚関係なんて幾層にも入り組んでいて、ただそれだけで恨みに思ったとするには弱い。
ついでに長宗我部問題は、経緯を追っていくとどう考えても織田政権に対する長宗我部の敵対行為と、
交渉に失敗した明智自身の責任になる。それを恨んだというのなら逆恨みだ。

>荒木一族が皆殺しにされ〜
人質である以上、裏切られば処刑はこの時代の常識。恨むのなら殺さざるをえなくなった信長でなく、
殺すように追い込んだ荒木自身だろうこの場合。特に荒木一族に関しては、信長だって助命しようと
すらしているのに、それを拒んだのは荒木。

どうもね、あなたが言う恨んでいる云々というのは、戦国時代人ではなく、現代人の認識によっている
としか思えません。

>氏の立論は俗書の引用が多く結論のみしか賛成できませんが
前提に不安があるのに結論は賛成するっておかしくない?

>中国戦線が光秀軍団投入を要するものでないことは〜
天正十年後半の西国遠征は、毛利だけでなく四国さらに九州までを予定とした大遠征です。
毛利を始末したあとは大友とともに竜造寺島津との対戦が控えている。別に大軍団を動員する
のに不思議なんてないな。
特に武田攻めでは後詰であっても、西国では羽柴とならんで先鋒になるのなら、活躍すれば功績を
たてる機会も全くないなんていえるもんでもない。

それともう一点言わせて貰います。あなた、後詰という任務を軽い、たいしたことない、戦う機会も
たいしてない気楽な簡易なものだと思ってませんか?それは大きな間違いであると言わせてもらいますよ。
0941人間七七四年2008/06/19(木) 14:16:14ID:b2V935V0
>>940
>交渉に失敗した明智自身の責任になる。それを恨んだというのなら逆恨みだ。
失敗したから恨んだとはいっていない。取次ぎは和戦双方と担当する仕事であって、
和平工作が失敗したなら、戦闘も取次が中心でやるのが通例ってこと。
なのに、四国平定軍主将からはずされたのが恨みってことだよ。

>前提に不安があるのに結論は賛成するっておかしくない?
だから、桐野谷口の根拠と「殺意」との因果関係をノイローゼで
補強しただけ。理由を一個足しただけだから前提を採用する必要はない。

>どうもね、あなたが言う恨んでいる云々というのは、戦国時代人ではなく、現代人の認識によっている
> とか思えません。
荒木云々は謀反人の末路を眼前にした光秀が謀反に踏み切るのは尋常ではないという意味、
この反論は筋違い。

>それともう一点言わせて貰います。あなた、後詰という任務を軽い、たいしたことない、戦う機会も
>たいしてない気楽な簡易なものだと思ってませんか?
自分仕切りの戦と脇役の戦でどっちが士気があがるのかってこと、後詰も大事な仕事なのでこの点
は認識の誤りを認めます。しかし、あなたの意見は後詰仕事の甲斐平定戦で明智軍の士気がしょぼしょぼ
だったという「晴豊記」の記述を覆すには足りない。
0942人間七七四年2008/06/19(木) 19:24:27ID:xjUWZM/N
>>940はそもそも桐野・谷口の本は読んでるのか?
読んでないなら読んでから批判するように。
0943人間七七四年2008/06/19(木) 19:38:33ID:Eyxc5Eb5
横レス失礼
織田信長の場合、和戦含めて担当者が一度決まれば、その担当者が窓口を務めています。
いい例が、中国戦線における羽柴秀吉です。宇喜多家等は、羽柴秀吉に敵対したり、和睦して味方したりしています。
これまで、四国方面は、明智光秀が担当者でした。これまでの通例でいけば、明智光秀が四国方面を担当するのが筋です。
しかし、これから、明智光秀は外され、神戸信孝を主将とする四国方面軍が編制されます。
更に、自らは羽柴秀吉の後詰に行くように言われます。
当時、羽柴秀吉は、備中高松城攻めを圧倒的優位に進め、毛利家に無条件降伏を迫る勢いでした。
そんなことはない、と言われそうですが、当時の毛利家は村上水軍が離反する等、がたがたです。
備中高松城救援にも、やっと1万人の援軍を送りこめたのみです。このため、中国大返しを見過ござるをえませんでした。
こうした中で、腹心ともいえる丹波衆まで、四国方面軍に吸い取られ、羽柴勢の応援に行け、と言われたのです。
自分が明智光秀の立場でも、腹心を援軍に差し出せ、自分は不必要なライバルの応援に行け、と言うのか、と腸が煮えくり返る思いがします。
0944人間七七四年2008/06/19(木) 21:11:44ID:7PjRuVTx
943
確かに光秀は快くは思ってはいなかったでしょう。
しかし、光秀の遠征派兵命令は決しておかしくはないよ。むしろ当然と言える。
0945人間七七四年2008/06/19(木) 21:35:48ID:K+lRvyJs
援軍命令を受けることってそこまで深刻なのかな?
明智光秀にしてみれば数ある援軍命令のひとつのような気がしますが。

中国平定が成功した後に秀吉の配下になれとかだったら抵抗はあるけど。


0946人間七七四年2008/06/19(木) 21:37:10ID:xmMseLYo
>>945
> 援軍命令を受けることってそこまで深刻なのかな?

ヒント:「深刻である」って前提を作らないと、この人達の全ての仮説は成り立たない。
0947人間七七四年2008/06/19(木) 21:42:39ID:qxuAUciX
援軍命令って別に珍しいことじゃないんでしょ?
0948人間七七四年2008/06/19(木) 21:42:58ID:K+lRvyJs
>>946
なるほど。
了解しました。


0949人間七七四年2008/06/19(木) 21:59:37ID:0azOBjHY
>>940
>毛利を始末したあとは大友とともに竜造寺島津との対戦が控えている。

寝言ですか?

既に九州勢は織田政権に好を通じており(停戦命令に従っており)、長宗我部に
対するような領土問題も持ち上がっていなかったから、信長も西国の平定は
造作も無いと公家たちに言ったんだよ。
立て続けに九州に攻め込むようなことはなかっただろうね。

九州で戦闘が行われるとすれば、毛利や長宗我部を下した後に信長が領土問題に
介入し、それに対して彼らが異議を唱えるようであったらだろうね。
0950人間七七四年2008/06/19(木) 22:01:03ID:0azOBjHY
>>940
>毛利を始末したあとは大友とともに竜造寺島津との対戦が控えている。

寝言ですか?

既に九州勢は織田政権に好を通じており(停戦命令に従っており)、長宗我部に
対するような領土問題も持ち上がっていなかったから、信長も西国の平定は
造作も無いと公家たちに言ったんだよ。
立て続けに九州に攻め込むようなことはなかっただろうね。

九州で戦闘が行われるとすれば、毛利や長宗我部を下した後に信長が領土問題に
介入し、それに対して彼らが異議を唱えるようであったらだろうね。
0951人間七七四年2008/06/19(木) 22:01:33ID:0azOBjHY
>>940
>毛利を始末したあとは大友とともに竜造寺島津との対戦が控えている。

寝言ですか?

既に九州勢は織田政権に好を通じており(停戦命令に従っており)、長宗我部に
対するような領土問題も持ち上がっていなかったから、信長も西国の平定は
造作も無いと公家たちに言ったんだよ。
立て続けに九州に攻め込むようなことはなかっただろうね。

九州で戦闘が行われるとすれば、毛利や長宗我部を下した後に信長が領土問題に
介入し、それに対して彼らが異議を唱えるようであったらだろうね。
0952人間七七四年2008/06/19(木) 22:18:19ID:K0Sb7lqs
>>943
昔の通説そのまんま

>>949
九州の停戦令なんて、天正六年の耳川合戦でとっくに崩れている。
信長自身の発言として、
「まず四国にわたり、長宗我部討伐の指揮をとってから、毛利を屈服させ、そのまま
九州まで攻め込む」
との史料があります。だからこそ、本能寺直前には博多商人を呼んで会見している。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。