三国戦記《其の五》

1574年
今川氏真、朝比奈泰朝に丹波攻めを命じる
朝比奈泰朝、摂津衆を先鋒として総勢1万5千で丹波侵攻
足利義昭、独断で幕府への恭順を条件に波多野秀治と和睦を結ぶ
北条氏政、上杉輝虎の関東出兵に対し、2万5千の兵で上野に進攻、利根川にて対峙
武田義信、2万の兵で北信濃に進攻、越後を狙う
足利義昭、独断で幕府への恭順を条件に上杉輝虎と和睦を結ぶ
幕府内に義昭を中心とする将軍派(朝倉義景、浅井長政、三好義継、松永久秀)と
氏真を担ぐ副将軍派(武田義信、北条氏政、松平元康)の間に確執が生じる
1575年
足利義昭、幕府内で明智光秀、細川藤孝、等を重用し、今川氏真との距離を置き始める
明智光秀、今川に変わる幕府の後見として上杉輝虎の上洛を将軍義昭に進言
足利義昭、上杉輝虎に上洛を要請
上杉輝虎、上洛し、将軍義昭に謁見
上杉輝虎の上洛・謁見の件により、将軍派、副将軍派の確執が決定的となる
今川氏真、将軍派の不穏な動きに身の危険を感じ、京から撤退、美濃に兵を引く
1576年
足利義昭、将軍派に御内書を発し、三国同盟(今川、武田、北条)包囲網を画策、朝倉義景、
浅井長政、三好義継、松永久秀、上杉輝虎、が参加
佐竹義重、義昭の御内書を受け、上杉輝虎と同盟、三国同盟包囲網に参加


松永久秀の扱いについていろいろご意見がありましたので
1575年、76年の内容を見直しましたw