史実の場合、義昭が作った反信長包囲網は、
朝倉・浅井、本願寺、三好など、もともと個別に信長と敵対していた諸勢力を連携させ、
これに武田、松永が加わった形だと思う。

if の場合、武田は今川と北条との三国同盟を堅持してるし、
本願寺も今川と敵対していない。
朝倉・浅井は、まだ今川から離反していない。
もともと信長の場合、上洛命令に従わない朝倉を討とうとしたために、浅井の離反を招いたが、
今川の場合、朝倉が上洛命令に従うかもしれないし、従わなくても、即討とうということにならないかもしれない。
何回かの交渉の失敗の結果、やはり朝倉を討つということになったとしても、今度は浅井が朝倉に付くとは限らない。

結局、当主氏真の能力に疑問は付くが、
京都周辺で、今川は圧倒的な勢力なので、反今川包囲網は考えにくい。
義昭は、奉られている限りは、神輿としての役割に従わざるを得ない。

松平元康は、尾張平定〜畿内平定戦で武功を上げ、幕府との交渉でも成果をあげるだろう。
氏真の義弟という立場を最大限活用し、30代半ばには、重臣に列するようになると思う。