織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part10
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0001人間七七四年
2008/02/27(水) 09:18:41ID:U8EI3jD0天下統一を目指して、みんなで仲良く語りましょうw
0726人間七七四年
2008/03/09(日) 08:21:33ID:0JaleEpV宗教勢力は旧来のままに加えて、キリスト教の洗脳も浸透
今の半島情勢と大して変わらない状態に
0727人間七七四年
2008/03/09(日) 09:46:17ID:SG9T8OVL義昭、今川の対立から話しにまた色んな可能性も出てくる。今川の天下を支持したい人もしたくない人も
語り合える訳だしこのスレも決定的に荒れる心配もなさそうな良スレだから勿体ない。
0728人間七七四年
2008/03/09(日) 09:54:19ID:eXJdKJmL今川も毛利も島津も武田も上杉も北条も長曽我部も大友も、それをやらないと思うんだよね。
義元なら上洛は出来るだろうけど、本拠地を都とかその近い場所にすること無く、重臣の家族とかは駿河にいるまんまで、本拠地と言えるのは駿河のまんま動かさないだろう。
伊達は本拠地動かしたりしたが、あれは信長って先例があってのことだし、政宗の暴走的な侵攻も信長って先例があったから起きたと思うんだよね。
信長ってお手本無く、信長のような真似をした信長より年下で大勢力になりうる存在を探さないと、天下には結びつかないと思うよ。
0729人間七七四年
2008/03/09(日) 10:09:18ID:eXJdKJmL元康ならば義元の寿命とか不確定要素があるにしろ、元就みたいになれると思う。
で、元康は史実では武田に滅ぼされ欠けた訳だが、義元が掃除してくれていた尾張とか美濃とか近江南部という大穀倉地帯のどこかを掠め取ってしまえば、
弱い者いじめしか出来ない武田には負けなかったんじゃないかな。
元春亡き後の寿命までの隆景と、氏真から領地を簒奪した元康で畿内で戦をして勝った方が天下への道を開くと考える。
0730人間七七四年
2008/03/09(日) 10:45:58ID:5VBFwlNg洗脳って、キリスト教を魔術的に過大評価しすぎ。
戦国時代にキリスト教に基づいて反乱を起こした民衆なんて存在しないし、
同じ時期の世界を見渡しても、布教は世界中で行われていたがそんな事例はない。
0731人間七七四年
2008/03/09(日) 11:08:07ID:meRJWpML支持する支持しない以前に>>631での義元没以降の内容はちょっとどうかな。
僕の考えた今川オナニー垂れ流し状態。
それなりによく出来てるとは思うけど。
1575年 長篠の戦い
武田軍、織田徳川連合軍に勝利。別働隊を率いていた徳川家家臣酒井忠次死亡。
この結果を受け遠江国人領主なだれをうって武田傘下に。
武田軍、浜松城を攻略し遠江完全支配。徳川家家臣酒井衆が三河東部本領安堵を条件に
武田家に帰順。徳川家は三河西部安堵を条件に武田傘下に。
秋山別働隊 美濃岐阜城を強襲。
とか
1580年 三木城の戦い
織田西部方面軍である羽柴軍が離反した別所氏を播州三木城に包囲する。
毛利家これをうけて、山陰路から吉川軍、水路から小早川軍、山陽路から毛利本隊総勢3万が
播州に急襲。同時期におきた摂津有岡城主荒木村重謀反により羽柴軍退路を絶たれ逆包囲
される。野戦を挑むも衆寡敵せず羽柴軍惨敗。羽柴秀吉敗死。
例えばこんな適当に書いてみた仮想と一体どこが違うのかと思わざるを得ない。
0732人間七七四年
2008/03/09(日) 11:12:12ID:SG9T8OVL既に新教と旧教の争いはあったと思うが。宗教はキリスト教に限らず、洗脳をもって
人々を引き入れるのではないだろうか?信長は南蛮人が持ってくる物に興味を持ち布教を認めたが、
大友宗麟や大内義隆なんかは洗脳(洗礼とは別ね)されて領国経営にも反映されていたんじゃないの?
0733人間七七四年
2008/03/09(日) 11:17:12ID:SM60OtVh0734人間七七四年
2008/03/09(日) 11:35:38ID:5VBFwlNg相手のいのままに意思を変えられてしまうなら洗脳ともいえるが、
そこまで影響を受けたのはいません。
事実最も熱心なキリシタン大名の一人である大友宗麟も、
あくまで自分が支配する領土内でキリシタンを強く擁護しただけで、
欧州勢に従おうとしたわけではなかった。
つまり、幾ら熱心なキリシタンになっても欧州の尖兵になったりするようなことはない、
そこまで意識を変えることはできなかったということ。
0736人間七七四年
2008/03/09(日) 11:57:42ID:SG9T8OVL俺はずっと島津台頭の時期を待ってるんだから早く進めようよ。>>631の続きを始めよう。
義昭派と今川派、どっちが勝つんだろう?
0739人間七七四年
2008/03/09(日) 12:28:44ID:6ww03dXj違うところが知りたい?
>>731の1の方は客観的に考慮して負けるべくにして負けた戦いだから、勝つシナリオはどうしてもオナニーになる。
2の方も織田本体の動きを完全無視して毛利の一方的有利な状況を設定してのもの。
そもそも1も2も一人の人間が考えた武田、毛利ひいきの仮想にすぎない。
で、>>631の方は単にこのスレで話したことのまとめ。
>>631ひとりが考えたオナニーじゃないし、なぜそういう流れになったのか過去レスを読めばわかる。
0740人間七七四年
2008/03/09(日) 13:54:41ID:meRJWpMLなんというか。わざわざオナニー文ですよと断って適当に書いたものをそこまでつつかなくても。
では聞きますけど>>631も義元没後は今川ひいきのオナニーではないの?
ほんの10年そこらで尾張伊勢美濃近江山城と席捲し上洛を果たして副将軍に就くくらい絶大な
影響力を誇った人物が亡くなる。
それなのに特に反乱もおきずに、三好は三好で対処可能な兵数で挙兵とか。
適当に思いつくだけで、三好にしてみれば挙兵時には旧六角、旧斉藤、旧北畠、旧織田を扇動して
主力兵が大挙再上洛できないよう、つまり京都常駐+α兵だけと戦えるように時間稼ぎさせるのでは?滅ぼされた旧勢力にしてみても最大のチャンスなんだし。
三好にすればあえて挙兵するわけだから興るか滅ぶかの乾坤一擲。なのに何の策も無しにのん
びりと美濃尾張三河兵が再上洛するまで待ってるようで^^;
だいたい即応可能らしい朝比奈の率いる1万の兵はどこにいたのですか?
まさか京都周辺に即時動員可能な1万もの兵が常駐していたとは言いませんよね。
まさかねー。
言わずもがなでしょうけど各地域の防備を気にしなくてもいいという意味での1万です。
過去スレ読めばということでしたから読んでみましたがここらへんの不思議さは過去スレでも
触れてもないようで。
集団オナニーだからokってことですか?
0741人間七七四年
2008/03/09(日) 14:16:09ID:SM60OtVh0742人間七七四年
2008/03/09(日) 14:31:18ID:pb4a875/0743人間七七四年
2008/03/09(日) 15:09:33ID:SG9T8OVL0744人間七七四年
2008/03/09(日) 15:12:39ID:ryOSsw6n>>631と>>731の決定的違いは、複数の人の意見が反映されているかどうかだ。
631はこれまでいくつかのシナリオを書き込んでいるけど、それはあくまでみんなが意見をだすためのたたき台だ。
だからこれまでも、何度となく訂正や改訂をしてきている。
631のシナリオは、たたき台として出されただけで、まだ、だれもまともに論議してないモノ。
>だいたい即応可能らしい朝比奈の率いる1万の兵はどこにいたのですか?
>まさか京都周辺に即時動員可能な1万もの兵が常駐していたとは言いませんよね。
>まさかねー。
その話も、過去レスに書いてあっただろ、駐留軍1万って、その数が妥当かどうかは
その時に意見を出せば議論の対象になったのに、なぜ、いまさら勝ち誇ったように揚げ足を取る?
それとも、君はここ2日くらいでこのスレを読み出した初心者なのか? そんなことはないよな?
こんなことを推理するのは、このスレタイに全く関係ないことだけど、君はこのシミュレーション進行の最初から
批判的な意見を書き込んでいた人物だろw
邪推ついでにもうひとつ付け加えておくけど、631がこれまで書き込んできたシナリオを読むと偶然なのか、意図的なのか、真意は判らんが
もし、意図的だとしたら631はとんだくわせものだと思うぞ(これは褒めているつもり)w
740では気がつかんと思うがなw
スレタイに関係ない書き込みをしてしまった、すまない。
0745人間七七四年
2008/03/09(日) 15:39:56ID:ryOSsw6nただ、今のスレの流れからすると、631をつづける、つづけないは、半々ってところだろ
0746人間七七四年
2008/03/09(日) 17:31:09ID:SG9T8OVL0747人間七七四年
2008/03/09(日) 17:39:56ID:ZkErvliE0748人間七七四年
2008/03/09(日) 18:54:39ID:iJUhrq5s上洛あたりまではだいたいまとまってきたけど
それ以後はまだ煮詰めてないからじゃないか?
上洛後、どんな政治体制・義昭との関係、周囲の大名との関係
東海の統治体制に畿内の統治体制
更には、宗教勢力とどう対峙するか、また三好の状況はとか
また氏真には生前の間にどれだけ権限委譲しているのかとか
氏真の能力はとか
それらが決まってようやく義元死んだらどうなるかになるんじゃ
今のままじゃ、義元が死んでもたいして影響でないとも、離反反乱続出など
どうとでも言えるんじゃないか?
統治体制は後回しにしても、せめて畿内の状況と今川と本願寺や寺社勢力北畠朝倉浅井との関係は
はっきりしないと、IF考えるにも各人の考え方が枝分かれしすぎるんじゃ
0749人間七七四年
2008/03/09(日) 19:05:15ID:98M7QekJ何をいまさら
誰それを右翼に配置して、元康を中央に、左翼には朝比奈を…
とか言いだした時点で、仮想小説「ぼくのかんがえたいまがわれつでん」になってるだろ
0750人間七七四年
2008/03/09(日) 19:14:32ID:y3fEcao6義昭はじめ足利一門ことごとく変死、怪死、狂死→さまたげられる者なく義元
朝廷より征夷大将軍に任ぜられる→武田、北条とさらに政略結婚等を重ね完全
に自軍の傘下にとりこむ→義元が80歳くらいまで存命で氏真意外に優秀
な息子ができたなら→このスレ終了…
0751人間七七四年
2008/03/09(日) 20:10:17ID:9LEqAHjV氏真が後を継げば必然と内部に不穏な空気が流れることは疑いない。
義昭は義元には強く言えないが、氏真ら息子世代と浅井長政に対しては
強権的に出ることも考えられる。
>>631のカキコが妥当ではないかな。
0752人間七七四年
2008/03/09(日) 21:38:44ID:Fa2jVNke誤)仮想小説「ぼくのかんがえたいまがわれつでん」=僕の考えた今川列伝 列伝?
正)仮想小説「ぼくたちのかんがえたいまがわせんき」=僕たちの考えた今川戦記
0753人間七七四年
2008/03/09(日) 22:00:21ID:pb4a875/誤)752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/09(日) 21:38:44 ID:Fa2jVNke
正)752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/09(日) 21:38:44 ID:Fa2jVNke
0754人間七七四年
2008/03/09(日) 22:01:39ID:VgU+oWb00755人間七七四年
2008/03/09(日) 22:17:29ID:YW0HxBjz島津
背後をつかれる心配をしないで済む強みもあり、事実秀吉の中央制覇時点で九州制圧しかけたという実力派。
土佐の長曽我部と手を組み毛利を打破し近畿制圧
島津&長曽我部 vs 武田 で天下分け目だな
0756人間七七四年
2008/03/09(日) 22:31:21ID:Fa2jVNkeその辺の話を煮詰めることは賛成です。
義昭を奉じて上洛、義昭が将軍、義元が副将軍に就任(義昭・義元の蜜月状態)
義元は領国支配に義昭(将軍家)が口出し出来ないように分国法は認めさせる。
新しい幕府体制は、各同盟国(今川、武田、北条、朝倉、浅井)の連合体として各領国の
統治権は大名(守護)が持つ。
幕府の運営は、各同盟国の代表(京都駐在)が合議制で執り行い、副将軍がそのとりまと
め役を務めるが、合議制とは名ばかりの実質義元主導型。
義元は当然、京都に今川館(実質的な幕府の中枢)を構え、京都に在住。(氏真は駿府)
武田、北条、朝倉、浅井は、それぞれの当主ではなく守護代クラスが京都に派遣されてい
て、各領国に在する当主と連絡を取りながら幕府運営に参画する。
将軍は、合議制(義元主導)で取り決めた議事の承認(追認)を行う。
こんな政治体制はどうでしょ?
0757人間七七四年
2008/03/09(日) 22:33:01ID:h7j732xC関東情勢にしても畿内の情勢にしても
まだそれほど決まっていないのに妥当も何もあったもんじゃないと思うけど
>義昭は義元には強く言えないが、氏真ら息子世代と浅井長政に対しては
>強権的に出ることも考えられる。
それは十分にありそうだけど
0758人間七七四年
2008/03/09(日) 22:45:08ID:h7j732xC六角は史実同様甲賀伊賀に潜伏でいいとして
三好は山城から追い出しただけなのか
それとも畿内から追い出したのか?
大和の支配者は誰?筒井?
あと本願寺寺社勢力の行動はどうなんだろ、今川家は寺社に対して強権的だから
信長同様敵対するでいいのかな?
0759人間七七四年
2008/03/09(日) 22:49:38ID:dthAVprd今川に優位に進めば進んだで反論はでるし
今川が不利になったらなったで反論はでるんじゃないのか?
もうこれ以上今川については議論というより妄想に近いよね
0760人間七七四年
2008/03/09(日) 22:57:40ID:h7j732xC0761人間七七四年
2008/03/09(日) 23:03:41ID:dQAgzafAまあ無理だろう。
まずその政治体制を発想できる思想や統治できる程の手腕が義元にあるとは思えない、
それ以前に国力面でも無理そう。
次に各国の大名が守護代クラス(つーかそんなの居ないが)の要人・領主を
中央勢力に送る事など不可能だし、自分を差し置いて中央と結びつく事なんて望まないだろう。
むしろそのような今川傘下に入る様な行為に対して反発を覚える奴の方が多そう。
また義昭もそんな風な明らかに傀儡な状況だと、信長にしたとおり反発すると思うな…。
この手のIFの真の問題点は、IFの主人公が判断を誤らないという点にあると思うな。
現実では信長や秀吉・家康でさえも往々にして判断に誤る事があるのに、
IF話における人物達はその誤りを起こさない方向で話が進む、
だからIFは主役にとって都合のいい話になっちゃう。
まあ誤りを想定して話を作ると悪意を持ってるみたいになっちゃうから仕方ないんだけどね…。
0762人間七七四年
2008/03/09(日) 23:04:19ID:98M7QekJ列伝で何か問題が?
>>759
重要なのはいかに自説に説得力を持たせられるか、じゃないのか
説得力が無いから、批判反論が出る
それにきっちりと応えればいいのに、できないのかしないのか、批判に応えるどころか、じゃあお前はどう思うんだなんて見当違いなレスし始めちゃったりする惨状なわけで
0763人間七七四年
2008/03/10(月) 00:43:28ID:sREAHNcKその頃の宿老格は誰なのさ
元康はまあ入るとして、寿命的にいなくなっちゃうヤツもおるだろ
元康クラス、準元康クラスが何人かいないと、史実織田のように軍団制を導入できず、
多面的な軍事活動は難しくなってくるんじゃないか
史実織田で言えば、柴田・丹羽・羽柴・明智軍団などがあったじゃんね
東海三国+尾張・美濃を制圧したとして、
内政しながら上洛もして近畿平定も目指すとなると人材的にどうなんだろう
今川家は、さすがに織田家ほど実力主義で新人起用しまくりじゃないよね?
0764人間七七四年
2008/03/10(月) 01:22:41ID:XUYKkKWH0765人間七七四年
2008/03/10(月) 01:41:53ID:sREAHNcK宿老格は確かにおかしいな。
軍団長クラスと解釈してくれればありがたい
しかも70年ごろに義元が死ぬはずはねえな。75〜80年前後か。
元康は順調に行けば功績を重ねて一軍団の長になるのは固いと思うんだが。
0766人間七七四年
2008/03/10(月) 01:43:51ID:G7SL/xF3元康は普通に一武将のままなんじゃないか?
0767人間七七四年
2008/03/10(月) 01:59:05ID:sREAHNcK桶狭間の時も先鋒?に起用されてるし、
例えば氏素性の怪しい秀吉なんかと違って一応大名の子だしな。
でもあれかな、領土がデカくなってくれば間口はやっぱり広くなってくのかね。
0768人間七七四年
2008/03/10(月) 02:08:47ID:G7SL/xF3先鋒と言っても単に所領が西三河だからじゃ
織田家みたいに新人重用するっていうなら、譜代押しのけて高い地位につくこともあるかもしれないけど
武田家とかで武田の一門となってる小山田家とか先鋒任されたりで軍功重ねていたけど
その地位と領土はあまり変化ないし、木曽家も同様
それが縁組したとはいえ外様への保守的な対応なのでは?
0769人間七七四年
2008/03/10(月) 04:35:51ID:tMvwuaN+兵糧輸送。それはそれで重要な任務だが、敵軍の最前線に配置されたわけでもない。
年齢や閲歴からいって、元康が軍団長にまでなるのはまだ先だろう。史実の桶狭間で、
ようやく将来の幹部候補生の一番はしっこに名前を連ねたというくらい。
0770人間七七四年
2008/03/10(月) 11:36:29ID:cfGZqrg5松平隊は大高城に兵糧入れだけじゃなく、その後、丸根砦を攻め落としている。
このことで、
元康を引き立てたい義元の期待に見事にこたえた。
0771人間七七四年
2008/03/10(月) 13:00:00ID:sREAHNcKそうなの?
0772人間七七四年
2008/03/10(月) 13:11:04ID:BP08vf/jそれだったら直系の娘貰った朝比奈はーとかなるし
関口瀬名みたいな一門や朝比奈岡部なんかの譜代よりはやっぱ下になるんじゃないかって気がするが
0774人間七七四年
2008/03/10(月) 16:43:33ID:KkyyQc5y60くらいは可能性あるんでは?
そうしないと、家康がもし桶狭間で死んでて、先祖の寿命とかで決めると若死
に説しかでないわけだが…
0775人間七七四年
2008/03/10(月) 16:49:58ID:B7dR16Ku普通に下でしょ。一門の娘を嫁としてあげるは外様を手なずける常套手段。
元康も本心とは別に大変喜び、今川勢の先鋒勤めた。もっとも新たな支配地の
軍勢は先鋒に廻されるのだが、宗主の親戚として出陣出来れば世間的にも顔が立つ。
0777人間七七四年
2008/03/10(月) 17:39:09ID:XUYKkKWH外様だから今川の政策の中枢に関わってく事も当分無いし
桶狭間も朝比奈管理下で露払いには使われたが、
後に後方に回され、本戦で大手柄を挙げる機会も無くなるし
最悪は手柄を立てる機会も大して与えられず、
傀儡として西三河統治に利用され続ける事も
まぁ西三河勢もそれなりの戦力だから使われるだろうから
順当に行って義元死亡時にはやっと中堅クラス、重臣の末席くらいではないかな
0778人間七七四年
2008/03/10(月) 18:18:28ID:L34iZqT9正室は義元娘室とはいえ養女だし>>777の言うとおりな実情だし
ざっと家臣団を書いてみたがこの中で松平より今川家での席次が下のほうが少ない
宿老 庵原、遠江朝比奈、由比、三浦、駿河朝比奈
一門 鵜殿、瀬名、関口、新野
駿河衆 安部、岡部、葛山、小原、御宿、蒲原、伊東、久能
遠江衆 松井、飯尾、天野、小笠原、奥平、井伊、孕石、天方
三河衆 小原、吉良、山田、牧野、松平
尾張衆 岡部
0779人間七七四年
2008/03/10(月) 20:49:11ID:jZIBvzD8無駄に戻すな
0780人間七七四年
2008/03/10(月) 21:27:13ID:B7dR16Ku比較的年の近い浅井長政と懇意の間となり共にこれからの幕府や日本について語り合う仲となる。
そんな二人の前に義昭側近の明智光秀、細川藤孝が天下のあるべき姿を諭すようになる。
次第に今川家のやり方に疑問を持つようになった元康や長政は、
旗揚げの可能性を模索し始めるが、果たして・・・・・
0781人間七七四年
2008/03/10(月) 21:55:31ID:L34iZqT9義元死亡前ですら不確定要素だらけなところを強引に失敗しない今川家という
主人公補正ありでシミュレートしてすら上洛したあたりが寿命の限界
これはこれで楽しかったけどな
約十年で濃尾に伊勢に南近江に山城を攻略だなんてまさに負け知らずで無限に
兵も米も金も沸く常勝軍団
ここまで補正バリバリに入れて、さらにその死後なんて無理ありすぎ
0782人間七七四年
2008/03/10(月) 22:38:11ID:XUYKkKWH話の発展させようが無い、補正しようにも話を戻すなとか言われるし
0783人間七七四年
2008/03/10(月) 22:44:01ID:uQuFPr2A0784人間七七四年
2008/03/10(月) 23:03:58ID:sREAHNcKさりげなく、後顧の憂いなく戦い続ける北条が関東制覇じゃないか?
0785人間七七四年
2008/03/10(月) 23:19:38ID:uQuFPr2A0786人間七七四年
2008/03/10(月) 23:26:24ID:sREAHNcK・主要都市での楽市・楽座の実施
・共通基準での検地による歳入管理
・兵農分離
・専制君主のトップダウン型命令系統の確立と重臣たちによる軍団制
・能力主義中心の人材登用
・鉄砲の大量導入・集団的運用
他になんかある?
0787人間七七四年
2008/03/10(月) 23:46:34ID:0oDNGbVw・主要都市での楽市・楽座の実施
これは一概にするほうが合理的と言えるようなものじゃないんじゃ?
・兵農分離
合理的だけど、この時代にこれが出来た大名なんているのか?
また兵力に余裕が出来れば自然とそのような方向にいくんじゃないか?
・専制君主のトップダウン型命令系統の確立と重臣たちによる軍団制
トップダウンは確かに重要
でも重臣たちによる軍団制は大名が大規模化すればどの大名家もしているんじゃ?
0788人間七七四年
2008/03/11(火) 00:18:27ID:xdKte2rVそのまま天下取りへの道なんだと思ってしまうな
スマン、スレ違いだな
0789人間七七四年
2008/03/11(火) 00:26:45ID:iQooHM/S>大名が大規模化すれば〜
例えばだけど、今川が駿遠三、濃尾、伊勢北部、南近江、山城を抑えた段階で、
.武田・北条との外交は義元が直接担当するとして、
おそらく、最高権力者として義元が居て、財務官僚の頂点に氏真を置く。
各地域は配下に恩賞として与えるから、そいつらが統治(もちろん天領も増えるだろうけど)
その上で、
・北陸方面(対朝倉)の軍事・外交担当官
・近畿方面(対三好)の軍事・外交担当官
・近畿方面(対三好以外)の軍事・外交担当官
この三つは必要になってくるんじゃないかな。
全部義元(死後は氏真)が深く関わるのは効率が悪すぎるし、難しい。
方針だけを決めて、それにしたがって実際に動く責任者を置くほうがいいし、織田家はそうなった。
だけど織田家みたいに、完全に最高責任者を置く形で領土を拡張していった大名は他にいないんじゃないか?
秀吉も軍団制にはしてないし。秀吉の時代には戦争が減ったってのもあるけど。
もちろん、外交のやり口次第で多方面に大軍を展開する必要はなくなるってのはあるけど。
なんか頭悪い感じですまん
>>788
でも実際に天下とったのは織田〜豊臣〜徳川である以上、
この段階では織田〜豊臣をモデルに置いて、それに近い政治・軍事戦略を実施できるかどうか
その可能性が天下を取るのに重要、とするのはしょうがないんじゃないかな
例えば、兵農分離と逆の一領具足を実施した長宗我部は四国統一に25年かかってる。その結果、
すでに中央を統一していた秀吉に下った(もちろん時間がかかった理由はそれだけじゃないけど)
人より早く勢力を拡大していかないと後で困るってことは、侵略と統治に合理化が求められるってことで、
参考にすべきなのはやっぱり天下取った人の例なわけで。
0790人間七七四年
2008/03/11(火) 00:47:28ID:ssthyzo6織田以外でも
武田は駿河方面山県穴山信濃筑摩方面馬場伊那方面秋山北信濃春日西上野内藤
上杉は越中方面河田上野方面北条
毛利は山陰吉川山陽小早川
島津は日向方面義弘肥後方面家久
大友は肥後方面は菊地筑前方面は高橋立花
北条は伊豆駿河方面氏規上野方面氏邦下総方面氏照
三好は阿波義賢讃岐十河淡路安宅大和久秀丹波長頼
見たいな感じである程度分割されていると思うが
まあ力与えすぎて上手くいかなかったり、軍団同士が方針巡って対立したりした例もあるが
>例えば、兵農分離と逆の一領具足を実施した長宗我部は四国統一に25年かかってる。
それは全く関係無いと思うが
それに領土を拡張していった織田がそもそも兵農分離なんてしていないんだから
当面は関係無いんじゃないか?
0791人間七七四年
2008/03/11(火) 01:04:29ID:ssthyzo6あと秀吉の場合は軍団制じゃないけど各地域への外交担当取次ぎとか置いている
>侵略と統治に合理化が求められるってことで、
>参考にすべきなのはやっぱり天下取った人の例なわけで。
しかし織田は兵農分離していないし、楽市楽座も不徹底
検地は北条や今川を初めとして規模を問わなければいろんな大名がやっているし
鉄砲の大量導入・集団的運用も、時代が進めばどこもやっていることじゃ
0792人間七七四年
2008/03/11(火) 07:46:29ID:VMgSLlzx0793人間七七四年
2008/03/11(火) 08:12:04ID:vJKFomJP義元まんせー
0794人間七七四年
2008/03/11(火) 08:30:15ID:SWmtnezp義元の軍略なんてたかが知れている、濃尾を制することが出来る
のは信玄のみ。甲信海道3国濃尾で超大国になり、畿内の雑魚連中
を脅かすことが出来る。
0796人間七七四年
2008/03/11(火) 09:16:28ID:p/QAWjj+といっても豊臣と徳川だと行政組織も軍制もかなり異なっているんだが。
豊臣と織田だってかなり違うし、信長の行った方向が天下取りの唯一の方
向ってこともないよな。
とはいえ、凡人の俺らに、それと違う天下取りの方法考えろっつったって限
界あるしな・・・むずかしいとこだ。
0797人間七七四年
2008/03/11(火) 10:49:40ID:2dXQFU9I今川の上洛までは大体皆納得しているのに、その後の話になると、信長はこうやったけど今川では無理とか
から始まって、結局今川では上洛すら無理だとか、今川は金や兵が湧いてくるなど
批判的意見が席巻して進まなくなる。IFの世界なんだから信長の軌跡以外にも天下の取り方はあると思う。
まず>>631の意見を検証して義元死後から再開してもいいのではないかな。
0798人間七七四年
2008/03/11(火) 12:40:21ID:XY8b4Gbt0799人間七七四年
2008/03/11(火) 12:48:51ID:KT9mXGCgそう、自分で言ってる通りり、ifだからいろんな意見が出るのは当然。
これ以上は意見をすり合わせて進むのは不可能なんじゃないか。
0800人間七七四年
2008/03/11(火) 14:36:12ID:MODmnPMnまず今川が失敗絶対にないのと
今までの話に付け加えようとすると
話し戻すなの一点張りだからもう無理でしょ
0801人間七七四年
2008/03/11(火) 15:34:51ID:n6Klxava0803人間七七四年
2008/03/11(火) 15:43:50ID:n6Klxava0804人間七七四年
2008/03/11(火) 15:47:00ID:n6Klxava何か思い当たる節でもあったのかな
0806人間七七四年
2008/03/11(火) 16:09:16ID:2dXQFU9I0807人間七七四年
2008/03/11(火) 20:07:50ID:rVqu9w0C連中は隔離スレに行ったみたいだな
0808人間七七四年
2008/03/11(火) 20:48:50ID:2dXQFU9I0809人間七七四年
2008/03/11(火) 21:33:45ID:KT9mXGCg0810人間七七四年
2008/03/12(水) 01:16:08ID:T42Uclbmなんていってる人いるけど
史実の織田家よりも経済力あって兵力も大きい設定でいて史実の織田家と
同程度の頻度で戦争
これで今川は金や兵が無限と言うなら史実の織田家はどうなるんだ?
ただまあ上洛して義元死後はいくつもの意見に分かれるだろうし
大まかな流れで語るぐらいしか出来ない気がする
特に今川や畿内周辺は
0811人間七七四年
2008/03/12(水) 09:18:58ID:no+EOq54ケース1)美濃攻略中に竹中半兵衛の計略にかかり戦死
ケース2)美濃攻略中に三河で一向一揆が再発して引き返す
ケース3)美濃攻略中に尾張で旧織田家臣が蜂起、討伐に向かうが奇襲を受け戦死
ケース4)近江進軍中に浅井の奇襲を受けまさかの戦死。
ケース5)近江攻略中に美濃で旧斎藤家臣団が蜂起、引き返す途中で奇襲を受け戦死
ケース6)etc
いくらでも考えられるw
0813人間七七四年
2008/03/12(水) 10:56:42ID:TiztHQKs検地、天馬制度、仮名目録に則った寄子寄親制、守護不入権の否定
義元パパ兄の頃の混乱の反省から、他国のような家臣による下克上を防ぐ意味もあって見事な
までに分権統治
簡潔にまとめると、家臣に平時も戦時も権限を与える事を過剰なまでに避ける
例外として武家家臣ではない僧籍の大原雪斎
考えてもみてくれ
大原雪斎は確かに優れた実績を残しているわけだけど宿老一門には事欠かない今川家なわけ
それが義元の代になると尾張での織田パパとの競り合いでも三河侵攻戦でも河東の乱でも
当主か大原雪斎が総大将であり一門や譜代家臣をその任にはあてない
パッと出の戦国大名でもないのに、武家ではない僧が当主からの権限付与という身分で総大将
両者が出馬しない時は家臣による共同合議制で、極端なまでに1家臣には権限を与えていない
なお、この人は庵原家の出身とはいえ僧であり、義元擁立の立役者でもあって、なにより
寄子衆をもたない臨済寺住持の身分なので非常に使いやすかった
わかりやすく言うと織田のような方面軍とか武田のような西上野は内藤の仕置きだとか毛利の
ような山陰は吉川とかそういった有力家臣へのある程度の軍事内政上の権限の付与が今川支
配下においてはほぼ見られない
単純化すれば寄子>寄親>寄親を束ねる有力家臣>大名ではなく、寄子>寄親>大名で家臣
横並び
いわゆる宿老クラスであっても○○城城主はその城の統治範囲内のみの影響力であって周辺
複数の城を取りまとめる権限はない
だからこそ史実では桶狭間における義元死亡の混乱期にあっさりと西三河で松平が独立を果たす
このような統治と軍制をもって遠江>東三河>西三河>尾張東端と水が紙に染み渡るように緩
やかに勢力範囲を広げてきた今川が義元一代のうちにいきなり尾張〜上洛といった急拡大とも
いってよい対外戦争と占領統治を維持出来るのだろうか、という根本的な疑問が生じる
0814人間七七四年
2008/03/12(水) 11:04:28ID:TiztHQKs>>777じゃないけど
松平の本城は岡崎城だけど義元生存時には松平元康元服以降も岡崎城には
今川からの城代が駐在しており帰還が許されていない
城持家臣は平時はその城に滞在してるわけだけど松平元康はずっと駿府
0815人間七七四年
2008/03/12(水) 11:54:09ID:jmh0yXKV0816人間七七四年
2008/03/12(水) 12:04:04ID:Om5g9x0Hどの辺りを想定してるのだろうか?という辺りから話していかんといかんのではないか?
足利の誰かを奉じて上洛程度じゃ、天下を取るとは言わんなあ。
天下を取るとなったら、
・足利氏に取って代わって幕府を開く。
・幕府を支配下に置くような地位に就く。
・鎌倉政権下の執権北条氏のようなポジションにつく。
これくらいいかんとダメかな?
0818人間七七四年
2008/03/12(水) 17:21:00ID:t2tlLZu0義輝以下をまとめて暗殺しちゃえば良いだけだし。
それじゃあ諸侯は付いてこないかも知れないが、既に戦国の世だからね。
もしも東海から京まで勢力を伸ばせれば、諸侯も従わざるを得ないだろ。
織田や羽柴が立つよりも、初期は安定するかも。
0819人間七七四年
2008/03/12(水) 19:28:51ID:YB0BPNUn独立家臣というのは言葉が悪いと思うが、戦国期の豪族は自領の統治に関しては
強い権限を持っていた。まあそれも時代の流れ(戦国大名権力の強化)で少しずつ
削られていくのだが。いい例なのがそれこそ守護不入権を否定した今川家。しかし
それでも、先祖代々の自分の領地に関してはそれなりの権限はあった。
そういった権限すらもいっさいなかったのが当時の岡崎松平家。当主は元康
だったが、名目上の傀儡でしかなく、彼には自分の領地である岡崎になんらの
権限を有さず、岡崎の統治差配はすべて今川家代官つまり今川家が握っていた。
0820人間七七四年
2008/03/12(水) 19:52:57ID:aqTx6gY2まぁ、すまんね
0821人間七七四年
2008/03/12(水) 20:53:59ID:i3Mn2QwG>>819
よく理解できたね
弘治三年11月十日浄妙寺への文書を石川安芸守、青木越後、酒井将監、酒井雅楽助、同じく左衛門尉、天野、榊原連署の文書があるけど
また岡崎城代は今川だが、奉行は松平系
皆無といえるほどじゃないね
例えば吉田城は代官奉行いずれも今川
まあ傀儡立ててる時点で今川権力が浸透してないって証左でもあると思うけど
また松平旧領は安堵されてるし
0822人間七七四年
2008/03/12(水) 22:17:59ID:4RcwBczU当主が不在、岡崎城に代官が置かれる状態であっても実質は松平支配がおこなわれていた
というところでしょ。三河物語などで語れてる今川支配というのは話つくりすぎということ。
0823人間七七四年
2008/03/14(金) 00:33:04ID:EFnnA+cNそろそろ三国同盟が維持されることによって
1568年以降が史実と大きく異なるであろう関東と武田上杉について語らないか?
0824人間七七四年
2008/03/14(金) 01:01:29ID:n5u19tZc北条の関東進攻速度が変わってくるか、くらいかな当面は
0825人間七七四年
2008/03/14(金) 01:30:42ID:EFnnA+cN今川も桶狭間直後にも関わらず北条に援軍出したが
それがやや大規模化する?
1565年以降武田が今川に協力するなら、
東美濃攻めが増えて上杉とは史実より若干戦いが減る?でも1565年の織田との戦いがない
義信の謀反が無い1566年の今川との緊張状態により国境を固めることが無い、
そのため史実より上杉との戦いが増える
塩留めが無いため3国の経済が史実よりいい、
上杉が塩を信濃に売れないため多少経済上不利?
0826人間七七四年
2008/03/16(日) 10:10:21ID:WogGuuzX■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています