武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件その2
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0001人間七七四年
2008/02/11(月) 21:26:56ID:XqRbQ7KP0095人間七七四年
2008/02/20(水) 00:51:29ID:UbZyVJph1569年1570年の武田が北条(と上杉)と敵対している時期に
北条上杉と同盟して武田と敵対すべきだったのに
信長の和睦受け入れて武田とは休戦状態で自ら攻めこむようなことはしなかったからなー
(信長を配慮してか武田との国力の差からかはわからないけど)
0096人間七七四年
2008/02/20(水) 00:54:06ID:O6f9NGt9だから「先に盟約を破ったのは武田」という言葉は理解できる?
先に破った方が悪いに決まってる。
並列する問題じゃない。
というか、キミのその独りよがりのこじつけ理論としつこさは
上洛スレの武田厨にそっくりだな。
まさか本人?
だったらもう相手しない。
一人で妄想してろ。
0097人間七七四年
2008/02/20(水) 01:01:46ID:UbZyVJph普通に武田と徳川は敵対関係に入っていったって感じだと思うが
まさか兵を引いて謝ったからもとの同盟状態に戻ったとでも?
だいたい本当に秋山が見附あたりまで進出して徳川の兵と交戦したというなら
掛川にいる徳川は退路たたれて、
もし武田本軍が遠江に進出してきたら方位殲滅されかねない状況にさせられているのだから
徳川からすれば武田が本気で自分たちに敵対しようとしていると思われてもおかしくないんじゃ
秋山が苦戦したのか武田本軍が今川残党や一揆のせいで動けなかったから一気に徳川敵対へ
動くことが出来なかっただけとか考えている可能性もあるし
0098人間七七四年
2008/02/20(水) 01:02:42ID:UidaDws/そう。掛川交渉のあと、武田と徳川はしばらく平穏を保つ。
まあこの間は家康も信長の畿内戦に借り出されたりと忙しかったからな。
そんでしばらくは徳川も平穏だったのだけど1570年10月にいきなり
上杉と同盟しちゃうんだわ、これが。
北条との駿河争奪戦を有利に進めかけていた武田はこれを受けて
北条との戦いの最中に背後をつかれる事を避けるため
1571年に北条の駿河における要衝である深沢を攻略した後で
徳川遠征に出る事になる。
0099人間七七四年
2008/02/20(水) 01:08:27ID:UidaDws/並列するに決まっているだろう。
君自身が言ったんだろう。
武田の理屈が通るなら家康の理屈も通るって。
無理して切り離しているのはそっちだろう。
>>97
とりあえずそこまで急激とも思えないが。
0100人間七七四年
2008/02/20(水) 01:19:59ID:UbZyVJph両方対等にみるなら
最初に違約した武田は汚いこれだけは確実で
あとは武田も徳川も大名として当然の行動している程度にしかならないと思う
>>98
恐らく武田が駿河をほぼ占領し始めたため、武田に対して危機感を抱きだしたんだろう
69年後半や70年前半は武田は北条と激戦繰り広げていて徳川に構う余裕がないため
徳川の安全は保障されていたが、駿河での情勢が徐々に武田有利となってきて
また武田が徳川領に攻めこんでくる可能性が出てきたと
だから自分の安全を守るため取りあえず上杉と同盟を結んだといったところかな?
徳川は織田と武田が敵対するまでは武田が割と不利な状況になっても
積極的に武田領に攻めこむようなことはしていないし、
織田と武田の同盟も考慮していた可能性もあるから、専守防衛とまではいかなくても
自分の安全保障のための行動だったのかもしれん
もっともその徳川の行動は武田から見れば十分敵対行為に映るがな
北条上杉と敵対して不利な情勢だから今なら倒せると思って徳川が敵に回るという可能性は
十分考えられる、今は攻めてきてないけどいつ攻めてくるかわからないし、だったらと・・・
まあ一度不信感が生まれた以上はちゃんと婚姻とか人質をお互いに出すとかしないと
難しいんだろうな、徳川に他に攻める相手がいれば武田も安心できたんだろうけどさ
いくら信長が両者の間を取り持っても限界はあったんだろう
0101人間七七四年
2008/02/20(水) 01:31:50ID:UbZyVJphお互い敵対してからの行動は大名として当然の行動だろ
でも最初に盟約破ったのは武田でそれに関しては武田が悪いとなるんだから
並列するような問題じゃないと思うが
0102人間七七四年
2008/02/20(水) 01:37:39ID:UbZyVJph秋山が徳川と激突した時期はかぶるから
北条が介入の姿勢を見せたから武田は今回は引いただけにも見えるからなー
徳川としては武田を信用するのは難しいと思う
また武田が北条との戦いに一段落ついたら次は自分じゃないかと警戒もするんじゃないかと
徳川が上杉との同盟を1570年後半まで待ったのは、精一杯の誠意かもしれん
0103人間七七四年
2008/02/20(水) 11:08:47ID:T9NRAleD何の問題も無く共通の敵を持ってる間はいいけど、
いったん問題が生ずると「また裏切るのか」と思われるのが当たり前。
そもそも徳川の取り分となるはずの遠江の奥深くまで侵入して徳川と交戦した時点で言い訳ができない。
もし北条が介入しなかったらそのまま徳川を滅ぼした可能性もあるから、
徳川も情勢を判断するのに半年近く待ったんじゃないかな。
で、その結論は「武田は信用できない、保険をかけよう」と北条、上杉との連携を模索し始めた。
しかし、「信」が通字なのに信用の無い武田って一体・・・
0104人間七七四年
2008/02/20(水) 14:34:50ID:mf4XHb45内から向けられた信用を重視した結果外から向けられる信用を無くしたって事ではないかな
つまり近視眼的(ry
まぁそれ以前にこの時期の信玄ですら徳川滅ぼせるはずもなさそうでは?
信長は義昭と親密な時代だし更には北条と敵対して挟撃って事もある
信長とて婿が居て大義名分ある徳川を支援しないわけにもいかんだろうし経済的に信玄より豊かな大名が複数敵に回るのはかなりやばいと思うよ
外交に関する信用云々に関しては全て同意できるが
0105人間七七四年
2008/02/20(水) 14:48:12ID:T9NRAleD騙し討ちで徳川本隊を遠江で討つ作戦がうまく行かず、
北条が駿河に介入して来て信長も仲裁に乗り出した。
ここで徳川攻めを強行すれば織田、徳川、上杉、北条、今川残党による
武田包囲網が誕生してしまう。
0106人間七七四年
2008/02/20(水) 20:07:29ID:cWkoaBKYこの時代の大名なら領土拡大する野心を抱いて当然の事なんだがね。
そもそも武田との今川領を分け合う盟約が領土拡大の為のもので、
最初に武田側から盟約を破棄して進入してきた。
それに対して徳川も対武田外交を展開して対抗。
掛川交渉が武田との盟約違反だというが、武田が徳川領に侵入してきた時点で盟約は白紙なんだから、
武田に非はあれど徳川には非は全くない。
0107人間七七四年
2008/02/20(水) 20:40:32ID:UidaDws/非が全くないというのは語弊があるな。
盟約が白紙だというなら抗議もせずに戦いを挑むべきだったな。
抗議して相手の謝罪も撤兵も受け入れ5ヶ月放置しといてその同盟相手が
苦境にあって撤兵した時点でその状況をダシにして勢力拡大にしようしたのは
まぎれもなく背信行為だろうが。
0108人間七七四年
2008/02/20(水) 21:07:54ID:cWkoaBKY遠江平定は完了していない。武田による突然の背信行為。
武田は徳川の倍の国力。対武田同盟を上杉と結んでいない。
頼みの織田は畿内方面に夢中で当てにならない。
この様な状況でいきなり武田と全面戦争できるわけねえでしょ。
一時的にでも武田の謝罪を受け入れてその場を凌ぐ。
武田としたらまた隙あらば徳川領を掠め取ろうとするだろうし、
徳川としたらとにかくこの窮地を凌ぎたいという思惑でのことであって、
双方共に未来永劫この休戦が続くとは思ってねえだろ。
どうにかして一息ついたところで今度は武田が窮地に立っている。
徳川としたらこれは二度とこないかもしれない絶好の好機なんだから武田包囲網に参加するのも当然。
背信行為だとか非難するほどの信頼関係なんて武田・徳川間には全く無い。
片方が窮地に立てばもう片方はそこを衝いてくる。
史実では武田が窮地に立ったわけだが、徳川が窮地に立っていれば武田も迷わずそこを衝いてくるだろうよ。
それともあれか?信玄は徳川との休戦に安心しきって徳川に対する策なんて講じていなかった間抜けなのか?
最初の盟約時ならともかく、自分が裏切りかました後の一時的な休戦なんだから、
この休戦に安心しては駄目なんじゃないのかね?
0109人間七七四年
2008/02/20(水) 21:28:08ID:UidaDws/だから結局徳川は武田に撤兵を要求するしかなかったし現にそれをした。
それに対し信玄は謝罪して兵も引かせていることを考慮しろよ。
そのまま突っ込む選択肢だってありえた事を考慮しろ。
片方が片方の窮地につけこむ関係だというならそれは武田を非難するのもおかしくなるな。
武田の窮地に対して1569年の5月の時点で徳川がやったのは武田包囲網に
対する参加じゃなくて、武田が窮地に陥っている状況を利用した掛川開城交渉だ。
それで1570年10月に武田が駿河の戦いを優位に進めたのを見て行ったのが
上杉との同盟だ。
武田の窮地を自分の勢力拡大に利用して、武田が力を盛り返したから武田の敵と結んだ、
ただそれだけの事。
0110人間七七四年
2008/02/20(水) 22:05:33ID:MD9KPYM8徳川は武田に殴られたから殴り返した。
現代の法律で言えば正当防衛で徳川は無罪、武田は有罪だよ。
「先に約束を破って攻め入った」ってことはそういうことなのだよ。
0111人間七七四年
2008/02/20(水) 22:10:39ID:O6f9NGt9他の人も書いてあるが武田が盟約違反して遠江に深く侵攻した上、
徳川と交戦した時点で武田の盟約違反により同盟は白紙。
双方がその時すぐ戦争状態に突入しなかったのはそれぞれの事情によるもの。
武田は対武田包囲網の形成を危惧してとりあえずの撤兵。
徳川は国力差と援軍が望めないことを考慮する上の謝罪受け入れ。
で、武田が北条と再同盟して徳川も上杉と結んだら双方が戦争状態に突入した。
信玄にとって最初盟約違反して掛川攻め中の徳川本隊の背後まで侵攻した時に
一気に徳川本隊を捕捉せん滅して三河、遠江を真空状態にする考えだったんだろうけど、
秋山隊が予想外の抵抗を受けたし駿河の情勢が悪化したから実現しなかった。
かつての同盟国を次々と滅ぼした信玄が弱小勢力の徳川にわざわざ謝罪する理由も考えず、
他人の意見も全く受け入れず、ひたすらそれを持ち出して「徳川の領土の野心」
と頑固に突っぱねるID:UidaDwsの思考回路は素晴らしいというか幸せだな。
0112人間七七四年
2008/02/20(水) 22:13:07ID:cWkoaBKY片方が片方の窮地につけこむ関係てのは休戦してからの関係で、
最初に盟約を結んだ時の関係ではねえよ。
何かの誤解があって徳川領に侵入したのならともかく、
明確な侵攻意思を持って侵入したのだから武田に弁解の余地なんて無いだろ。
0113人間七七四年
2008/02/20(水) 22:15:52ID:UidaDws/だから、その場で殴り返してないだろうといってるんだよ。
現代の法律でいうなら相手が謝罪してその場から立ち去って
しばらく立った後で相手が窮地になったときに昔の事を持ち出して
殴り返すようなものだ。これは現代の法律でいえば正当防衛にはあたらん。
0114人間七七四年
2008/02/20(水) 22:19:54ID:UidaDws/>>徳川は国力差と援軍が望めないことを考慮する上の謝罪受け入れ。
>>で、武田が北条と再同盟して徳川も上杉と結んだら双方が戦争状態に突入した。
全然経緯が違うんだが。武田が北条と再同盟するのは1571年の末。
上杉徳川が同盟するのは1570年10月。
さらに武田の窮地を利用しての掛川交渉が1569年5月。
徳川は北条と武田が争っている真っ最中に武田に牙を向いているんだよ。
それから北条が駿河の薩垂峠に現れて武田と対峙するのは1569年1月23日。
秋山進入は1568年12月18日で信玄謝罪が1568年12月23日というのも
考慮しろ。
経緯を妙に改変する態度は気に入らない。
0116人間七七四年
2008/02/20(水) 22:21:35ID:UidaDws/だから言われたらさっさと兵を引いてるというのに。わずか5日だぞ。
そのまま突っ込む選択肢があったのは無視か。
0118人間七七四年
2008/02/20(水) 22:25:03ID:UidaDws/犯罪と主張し正当防衛を訴えるなら
その場で実力行使に訴えるなり警察に通報すべきだったろう。
警告して相手が謝罪して引いた後というなら示談になっているはずだが。
そして相手の窮地に付け込んでその相手の財産をダシにして自分の財産をふやそうと
するのは現在では詐欺や横領にあたるはずだが。
0119人間七七四年
2008/02/20(水) 22:25:32ID:O6f9NGt9>現代の法律でいうなら相手が謝罪してその場から立ち去って
>しばらく立った後で相手が窮地になったときに昔の事を持ち出して
>殴り返すようなものだ。これは現代の法律でいえば正当防衛にはあたらん。
犯罪被害者は警察に届け出れば「昔のことを持ち出す」ことになって
無効ってことだな。
武田厨去れ
0120人間七七四年
2008/02/20(水) 22:30:10ID:UidaDws/だから、北条本軍が駿河の薩垂峠にあらわれて武田と対峙するのは
1月末だといっているだろう。
北条はこの当時上杉との戦いで詰めの段階を迎えようとしていて
まさか関東の利権の多くを謙信に譲ってまで信玄に対することを選んでくるというのは
予想できがたいはずだ。
織田もこの時は三好残党と戦ったりしているはずだが。
上杉も本庄とかの相手がある。
当時の状況ではそんな性急に武田包囲網は出来がたい。
もう少し立てば別だろうが。その状況で武田は引いていることも考慮してくれ。
0121人間七七四年
2008/02/20(水) 22:32:52ID:cWkoaBKY戦国時代に警察に通報するとかありえねえだろ。
>そして相手の窮地に付け込んでその相手の財産をダシにして自分の財産をふやそうと
>するのは現在では詐欺や横領にあたるはずだが。
現在の価値観を戦国時代に当てはめすぎだろ。
下克上・生き残るためにドロドロの謀が日常茶飯事な戦国時代でも、
信頼は重要なこと。
その信頼を最初にぶち破ったのが武田。
信頼を破られた被害者の徳川としては休戦を結んだとはいえ、
時は戦国時代なのだからそれだけでは安心できない。
いつまた武田が休戦を破るかどうか不透明。
それならばと積極的に対武田の対策をすることが駄目なのなら、
戦国時代を生きていくのは不可能だろ。
0122人間七七四年
2008/02/20(水) 22:33:06ID:UidaDws/警察に届出せずに一端は謝罪を受け入れるふりをして
相手の窮地に付け込んでその相手の財をダシにして
自分の財産を増そうとするのは詐欺もしくは横領だろう。
武田が逮捕されるなら徳川も逮捕されるだろうな。
0123人間七七四年
2008/02/20(水) 22:36:56ID:UidaDws/最初に現在の価値観を持ち込んできたのはそっち。
戦国時代に現在の価値観をあてはめるのが無理というなら
そもそもやらんでくれ。
というか何度も言いたいのだが、1569年5月の掛川交渉は
対武田の対策じゃないんだよ。
武田の状況を利用しての勢力拡大のための交渉なんだよ。
徳川の本当の対武田対策は1570年10月の上杉との同盟なんだよ。
0124人間七七四年
2008/02/20(水) 22:37:20ID:O6f9NGt9>秋山進入は1568年12月18日で信玄謝罪が1568年12月23日
秋山が「侵入」したじゃなく秋山が見附を占領したのは12月18日。
で、信玄謝罪までの間に「家康が信玄に猛抗議」ということも抜けてる。
>それから北条が駿河の薩垂峠に現れて武田と対峙するのは1569年1月23日。
その前に1568年12月黄梅院を甲斐に戻したことが抜けてる。
時系列を順に並ばず肝心なところを軽く書いたり抜けたり妙に改変してるのはキミの方。
0125人間七七四年
2008/02/20(水) 22:42:14ID:cWkoaBKY大事なのは当時の価値観・常識を考えること。
武田と徳川が今川領を分け合う盟約を協定。
武田がいきなり盟約違反で徳川の領域に侵攻。
猛抗議と武田の謝罪と撤兵でとりあえず休戦。
信頼関係をぶち破ってきた武田に警戒心を抱いた徳川が対武田の外交を展開。
ちょうどその時期は武田家が苦境の時期。
窮地の時期に意趣返しをした徳川は当時だとどのように捉えられたのか?
最初に被害にあった徳川としたら当然の行為なのか、
それとも窮地の時期に意趣返しするのは卑怯千万なのか?
詳しい人いたら解説お願いします。
(一連のスレの流れに対して冷静かつ中立的でいられる人が条件です。)
0126人間七七四年
2008/02/20(水) 22:44:43ID:UidaDws/抜かしてないって。
>>109の時点で
>>だから結局徳川は武田に撤兵を要求するしかなかったし現にそれをした。
と徳川の抗議については触れているだろう。
その黄梅院の甲斐出戻りは12月23日以前だったか?
第一北条が全力で入ってこれるかは別問題。北条が上杉に対して利権の多くを譲る決断を
するのはまだ先の事。
0127人間七七四年
2008/02/20(水) 23:02:18ID:mf4XHb45盟約破りは当時でも大名としてはかなりのレベルでのタブー
これを1回してしまうと信頼という点から後々に響いてくる
また盟約破りをした相手に意趣返しをしないのもタブー
これをしないと周りの大名から軽んじられる為
たとえ国力差があったとしても何らかの形でやっておかないと馬鹿にされて滅亡フラグ成立
ぶっちゃけこの辺の外交関係は戦国時代に限らず現代も一緒なんだがな
0128人間七七四年
2008/02/20(水) 23:02:56ID:UidaDws/>>信頼関係をぶち破ってきた武田に警戒心を抱いた徳川が対武田の外交を展開。
>>ちょうどその時期は武田家が苦境の時期。
あーいや、ここの流れだけどうも皆ちがうんだ。
何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。
その流れを正確にいうなら、
武田が北条と戦っている間に武田に警戒心を抱いたらしい徳川が
敵である今川氏真に駿河をダシにして開城交渉し開城させる。
武田しばらくは北条と乱戦。徳川と武田領はしばらく平穏。
武田が駿河争奪戦を優位にしはじめた1570年10月に徳川が対武田の外交として
上杉と同盟。
これを受け武田が駿河の北条の要衝である深沢を攻略した後に1571年2月徳川領土に侵攻。
こういう流れになる。
0129人間七七四年
2008/02/20(水) 23:07:26ID:O6f9NGt9キミだけの妄想トンデモ理論を受け入れる人がいないからキミと違う見解になるの当たり前。
>何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
>武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。
それの何がいけない?
武田が遠江に対する野心がすでにむき出しになってるのだから、
開城交渉に武田の駿河を口約束に使うのは別にいいだろう。
で、誰が極悪か一番の当事者に判断してもらえば一番分かりやすいのだが、
今川氏真が掛川開城後北条に渡ってから徳川に行って今川衆を率いて武田と戦ってた。
つまり、今川から見ても一番許せないのは武田。
0130人間七七四年
2008/02/20(水) 23:11:06ID:cWkoaBKYなるほど。確かに盟約破りをされたまま泣き寝入りするのは非常にまずそうだね。
他にも詳しい人いたら>>125への回答お願いします。
>>128
>あーいや、ここの流れだけどうも皆ちがうんだ。
>何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
>武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。
今川の残党を武田にぶつけようとしたのは武田に対する対策でもあるでしょ。
そもそも武田が盟約を破らなければこの様な交渉もなかったのでは?
そりゃあ勿論掛川での氏真との交渉は勢力拡大が第一だろうけど、
同時に今川残党を使って対武田対策を行ったと考えるべきなんじゃないのか?
0131人間七七四年
2008/02/20(水) 23:12:26ID:UidaDws/>それの何がいけない?
>武田が遠江に対する野心がすでにむき出しになってるのだから、
>開城交渉に武田の駿河を口約束に使うのは別にいいだろう。
話がずれまくってる。
俺がいつも言っているのは徳川が掛川交渉したのは対武田の外交じゃないと
いう事。その他の問題はまた別の問題だな。流れをちゃんと認識しろといってる。
その氏真にしてみれば徳川は(口約束だけど)駿河に戻してあげるよ〜、とか
言ってるんだから北条に放逐された身としては身を寄せるしかないだろ。
結局家康も氏真に駿河なんて返さなかったのを忘れたか。
0132人間七七四年
2008/02/20(水) 23:16:53ID:UidaDws/さてどうだかね。
今川残党はもともと駿河において残ってるものは残って武田に抵抗してる。
そんでこの時駿河を放逐された今川氏真はそのまま北条に身を寄せ、
さらには北条において氏真は駿河の継承権を北条に譲る事を約束させられている。
もし徳川のいう事とはまるで違った形に氏真も北条も動いている。
徳川もそんな後の事まで期待してたかどうか。
0133人間七七四年
2008/02/20(水) 23:16:55ID:O6f9NGt9>俺がいつも言っているのは徳川が掛川交渉したのは対武田の外交じゃないと
だから対武田外交じゃないのって何が悪い?
徳川が掛川を落してはいけない?今川の心証を良くすれば対武田で共同戦線組めるかもしれないのに?
実際氏真が徳川で城主になって武田と戦った。
>結局家康も氏真に駿河なんて返さなかったのを忘れたか。
家康が駿河を手に入れたのは1582年武田征伐のあと。
そん時氏真が何してたのか調べてみろ。
0134人間七七四年
2008/02/20(水) 23:21:59ID:UidaDws/だからまずは認識のずれを修正しろと言ってる。
それがずれると話がいつも食い違う。
今川氏真が徳川に身を寄せたのがいつだと思ってる。
まず氏真は北条に身を寄せて北条に駿河を譲ることを約束させられた。
それにもかかわらず北条と武田が再同盟してしまうと居場所がなくなって
出ざるをえなくなり前に口約束をしてた徳川に身を寄せた。
氏真は本来徳川に身を寄せたくて寄せたわけじゃないんだよ。
京都にいたな。その気になれば呼び戻して還俗させ駿河に戻してやることもできたな。
でも家康はしなかった。つまりはそういうことだ。
0135人間七七四年
2008/02/20(水) 23:25:22ID:O6f9NGt9>でも家康はしなかった。つまりはそういうことだ。
氏真本人がその気がなかったはずだが?
氏真は京で僧になって公家と交流して文化人の生活に満足してたんだぞ。
そもそも京での生活を家康が援助してた。
一方同盟国を裏切りまくった武田は滅んだ、最後は重臣一族に尽く裏切られての滅亡。
つまりそういうこと。
0136人間七七四年
2008/02/20(水) 23:30:48ID:UidaDws/最後の2行の文章にまるで話の関連性がないな。無駄なあおりはやめておけい。
満足してたかどうかなんてわからんさ。機会があればもう一度駿河を持ちたい
気持ちはあったろうさ。でも徳川にしてみれば新しく得た駿河という大国を
いきなり氏真に丸ごとやるなんて出来るわけない。戦功あった家臣にやらないとな。
もともと約束実行が無理になるのは家康だって承知の上だったろうさ。
駿河丸ごとやることに比べれば氏真私人の京都での生活援助くらい安いもんだったろうさ。
0137人間七七四年
2008/02/20(水) 23:38:45ID:O6f9NGt9だから今川残党を対武田に使うための口実だから別にいいじゃない?
氏真を城主にしたし、城主やめて京に行った後も援助してたし、
関ヶ原のあと子孫と一緒に高家という身分にして今川家を守った。
戦国で旧主にここまでする方が珍しいぞ。
で、領民に重税をかけて、国が富むほど周辺国を略奪して同盟国を裏切りまくった
武田はどういう結末だったのかを見れば、
どれほど信用されないものなのかわかるはず。
0138人間七七四年
2008/02/20(水) 23:49:30ID:UidaDws/最初は今川の心証をよくして云々といってたのにそれかい。
今川残党を対武田云々というのは>>132にも挙げたけどその効果はかなり
怪しいぞ。
元々駿河の今川残党はそのまま武田に抵抗してるし、掛川追放された氏真は
北条に身を寄せて北条に駿河譲る約束させられているし、と家康の言ったのとは
まるで違った形に動いてる。家康もそこまで期待なんかしてないと思うが。
もと勢力の主である程度の血筋を持つものを保護するのは結構よくある事でもある。
後々そのコネクションがつかえる可能性があるから。
上杉とかそういった他国亡命者を重臣とかにしてるだろ。武田も真田とか使ってる。
徳川にしてみれば駿河の代わりと思えば生活援助は安いもんだし、今川の血筋を大切に
していることを示すのは駿河支配においても悪くない。
で、最後の3行は例によって関連性がない。武田の同盟国裏切りも戦国時代というのを
考慮すればよくある例の一つにすぎないんだが。重税も略奪も。
それで生き残った大名家も結構ある。武田が滅んだのはその他の諸要素の複合。
信用云々だけで戦国勢力が滅びるもんじゃないよ。
0139人間七七四年
2008/02/20(水) 23:56:22ID:O6f9NGt9>勢力の主である程度の血筋を持つものを保護するのは結構よくある事でもある。
よくあることだし駿河支配にいいならなぜ武田にそれができない?
徳川が駿河を手に入れたのは信長の武田征伐によるものであって氏真の功績ではないし、
建前上信長から拝領したものだから氏真に駿河を与えるのが筋違い。
それでも氏真を援助し続けた。
戦国で旧主が利用価値を失っても見捨てずに援助し続ける大名がどれだけいるか調べてみれば?
で、最後の3行だけどスレタイに沿ったものだから無関係ではない。
「武田が滅亡した理由は信玄の悪行」スレである以上、
同盟国を裏切ったり信用をなくしたことが武田の滅亡の主因と書いてて当たり前。
キミと違って武田厨でもマンセーでもないから。
0140人間七七四年
2008/02/21(木) 00:04:03ID:ZehnsOCSその勢力の主と自分の勢力が衝突しなければ優遇しない事もないんだが。
武田の場合はもろに被っちゃってるからな。
そう、結局の所、今川氏真を駿河の太守に戻すのはどうやっても不可能なんだよ。
信長云々が無くて徳川の独力で切り取ったとしても領土は手柄のあった家臣にわけねばならない。
家康が氏真にやった約束は結局の所実現不可能な自己勢力拡大のための方便に過ぎなかった。
そもそも旧主がいろいろあって出戻りするなんて事態がそもそも珍しいからな。
駿河統治における徳川のアピールとしては氏真保護は悪くないといってるでしょ。
利用価値がないわけじゃないんだよ。
無関係だね。この議論においては。スレタイも間違ってるし。
信用云々だけで戦国勢力が滅びるわけじゃないと言ってるでしょ。
この議論が終わった後で話す話題だと思うが。
0141人間七七四年
2008/02/21(木) 00:06:38ID:EasfvWop>無関係だね。この議論においては。スレタイも間違ってるし。
よく読め、スレタイは「武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件その2」。
気に食わないなら上洛スレに戻れば?
0142人間七七四年
2008/02/21(木) 00:08:22ID:ZehnsOCSなんで上洛スレなのかよくわからないが。
今話されているのは1568年から1571年までにかけての
今川関連の話だろ?正直それとは筋違いな話だと思うが。
0143人間七七四年
2008/02/21(木) 00:18:00ID:lIdVsuZkまあ、おちつけ。
0144人間七七四年
2008/02/21(木) 00:22:42ID:0uBdkmyNそれに対して謝罪をするというのであれば言葉だけで謝罪をして良しとするのではなく
謝罪の意を述べた上で責任を取るところまでして初めて謝罪したと言えるのではないでしょうか?
秋山の遠州侵入については、
(1)秋山の切腹
(2)領土の割譲
(3)金品による賠償
この3つのうちの一つを実行してこそ、「謝罪した」と言えると思います。
(1)と(2)については実行していないことは明白ですが、
(3)について信玄は実行したのでしょうか?
もし金品による賠償もしていたのであれば、きちんと責任を持って謝罪したといえて
その後の家康の今川との駿河割譲策は家康の領土拡張の野望によるものと解せられ信玄の責任はないことになりますが
金品による賠償もなしに書状でだけ謝罪したのであれば、言葉でだけ謝ってみせて違約の責任は取っていないことになり
家康が信玄に不信を抱いて駿河を今川と取引して武田と事を構えたとしても
無理からぬことと考えます。
すると、信玄が家康への信頼回復を怠ったために家康を決定的に敵に追いやったこととなり
あわせて信長への警戒心を煽ったということになり、信玄の失策だったということになろうかと思います。
不勉強にて、私は信玄が家康に金品での賠償をしたという記録を見つけることができなかったのですが
その点について史料があるのでしょうか?
0145人間七七四年
2008/02/21(木) 00:27:18ID:ZehnsOCS正直な話、戦国時代においてそういう形で謝罪を表す例を私は知りません。
ましてその時その人物の領土でなかった場所での衝突において。
あなたの謝罪の例や違約責任の例はどうも近代民主国家の賠償事例について
語っているように見えるのは気のせいでしょうか。
0146人間七七四年
2008/02/21(木) 00:32:42ID:EasfvWop戦国時代でも責任者の切腹か処罰、謹慎を持って謝罪とする。
金品の補償も領土の割譲(城の譲渡)も前例がある。
0148人間七七四年
2008/02/21(木) 00:41:30ID:EasfvWop信玄が主張したように秋山が勝手に動いたとすれば、
秋山は軍令違反となり最低限謹慎以上の処分を受けなければいけないが、
それがない以上当主の黙認による軍事行動になる。
あと、このスレは「1568年から1571年までにかけての今川関連の話」
ではなく、武田滅亡の理由は信玄にあるかどうかを討論するスレ。
勝手に決め付けてはいかん。
0149人間七七四年
2008/02/21(木) 00:43:29ID:ZehnsOCSおーい、例を挙げてみてくれというたんじゃが。
でも実際のところ「1568年から1571年までにかけての今川関連の話」
になってしまっているわけで。
本来これは武田の滅亡がどうとかの問題とは関連しない議論な気もするが。
0150人間七七四年
2008/02/21(木) 00:44:02ID:0uBdkmyN自害した時に、その上司である旗本・伊奈図書の切腹を正則が要求したという
事件があります。
また、信長が同盟者家康の高天神城の救援に間に合わず、金品をもって償ったという
事例がありますね。
ちょっと、今回の事例に当てはまるかどうかは自信ないですけど、戦国気風のなかにそのような風習があったものと理解しているところです。
0151人間七七四年
2008/02/21(木) 00:52:05ID:ZehnsOCS福島の話はもはや治国の時代になってからのような気がするが。
独立勢力があい争う戦国真っ只中とは違うような。
治国の代において各勢力がまとまって秩序を守る事が必要な時代には
基本的に勢力内部の争いを収める喧嘩両成敗の原理も通用しそうですが
戦国時代に独立勢力同士でそういうのあるのだろうか。あったら戦国時代じゃ
ないような気もするが。
信長の徳川への金品贈答は援軍出せなかった事で高天神が攻略されて押され気味の徳川に
これを送るから軍資金にして頑張ってという意味だったような。
0152人間七七四年
2008/02/21(木) 01:00:03ID:EasfvWop甲陽軍鑑では対上杉、北条和睦のために典厩と梅雪の切腹と領地の割譲を高坂が提案した。
この時代では関係修復のために責任者の切腹は当たり前。
そもそも秋山は軍令違反なのに謹慎すら命じられないじゃ建前だけの謝罪であることは明白。
こんな三文芝居にだまされる大名はいない。
あと、スレ違いという自覚があればそろそろやめたら?
0153人間七七四年
2008/02/21(木) 01:03:36ID:ZehnsOCSでも実際切ってないでしょ。現実には。
梅雪も典廚も最後があれだから軍鑑は描写が冷たいんだ、これが。
そんで切らずとも上杉との和睦はうまく言ってたような気もするが。
やめたいのだけどねえ。これを理由にしていわれなき武田叩きが入るのでは
こちらもついついレスが……。
0154人間七七四年
2008/02/21(木) 01:04:49ID:0uBdkmyN0155人間七七四年
2008/02/21(木) 01:09:49ID:ZehnsOCS豊臣が一旦天下を治めてしまった後では基本的に治国の意識が発生してます。
惣無事令とかありますね。
関ヶ原も戦国乱世の独立勢力同士の離合衆参というよりは豊臣家という傘のもとでの
主導権争いという気分が結構あります。
0156人間七七四年
2008/02/21(木) 01:10:30ID:EasfvWop結局キミがしたのは武田擁護だけだろう。
そんなの最初からわかってる。
オレも武田が好きだし叩きたいわけでもなく、
なぜ失敗をしたかレスしたかだけだろう。
このスレでも「武田家滅亡の理由」だから、そこで武田の失敗を言って何もおかしくない。
そこを「叩き」ととらえるのはキミの思い込みの激しさから来た勘違いだけだろう。
0157人間七七四年
2008/02/21(木) 01:11:44ID:EasfvWopあと、実際切ってないから上杉との和睦が景勝の代になるまで実現しなかったんだろう。
肝心なところをわざとスルーするでない。
0158人間七七四年
2008/02/21(木) 01:17:03ID:ZehnsOCSいや、失敗なら失敗でいいんだが
どうも妙な方向で叩かれているというか。
ぶっちゃけこの今川関連の話って武田滅亡に関連あるのだろうか。
>>157
いや、違うのだ。謙信との和睦がならなかったのは
北条と上杉がそれぞれを拒否したからだ。書状もある。
武田はこの3者同盟を受け入れたいと言っている。
0159人間七七四年
2008/02/21(木) 01:19:36ID:0uBdkmyN同盟中敵対行為をとった秋山も敵対者として責任をとって切腹なりの処置があってもいいのではないですか?
>152さんの件についても、典厩と梅雪の切腹と領地の割譲を高坂が提案したという事実が挙げられており、
たとえそれが実現しなかったにせよ、真の和睦のためにはココまでしなければいけないという当時の基準だったと見做すことも
できます。
0160人間七七四年
2008/02/21(木) 01:24:55ID:EasfvWopだから切ってないからだろう。
話をループさせるなよ。
>ぶっちゃけこの今川関連の話って武田滅亡に関連あるのだろう
それならやめればいいだろう?
過去レス読んでわかったけど、そもそも話の発端は「武田家が東に行くべき」
というカキコに対してキミが「武田家に対して領土的野心を持つ徳川家が悪いから」
と時系列をごちゃにした意味不明な発言から始まったんだろう。
キミが意味不明な擁護をしなければ今川の話が出なかった。
スレ本題の武田家滅亡の原因に戻ればいいじゃん。
0161人間七七四年
2008/02/21(木) 01:27:21ID:ZehnsOCS清水宗治の切腹と土地割譲は数年にわたって相争い
食うか食われるかの状況で瀬戸際まで迫った毛利と織田における最終局面での
和睦策。実質的に敗北していた毛利の降伏に近い。
それでも毛利は最後まで清水の切腹を拒否していた。
武田と徳川の局面はここまでいってるのだろうか。
いや、その典厩と梅雪の切腹と割譲に関してもかなり眉唾。
実際は謙信は「勝頼となら和睦してもいいけど北条とは絶対いやだ。」といい
北条も「この三者和睦を妨げているのは上杉だ。」として拒否してる。
こういう背景の下にこの三者和睦は成立しなかったわけで。
当時の武田はぜひともこの三者和睦を結びたかったみたいだがこういうわけだった。
典厩も梅雪も最後がアレだから軍鑑はかなり筆が辛い。
0162人間七七四年
2008/02/21(木) 01:31:30ID:ZehnsOCSその北条上杉武田の三者和睦については>>161を参照の事。
東に行くべきゆうてもそもそもあの当時は信長の畿内覇権確立が迫りつつ
あったので東に傾いてる場合じゃないんだが。
実際北条との戦いが済んだらさっさと総力をあげての織田徳川戦にむかったわけだし。
そんで徳川に対してがどうので駄目だったみたいな言い方をされていや武田にもそれなりの
事情がですねえryという話になったわけで。
まあ明日があるので今日はもう寝るわ。
0163人間七七四年
2008/02/21(木) 01:31:45ID:EasfvWopだから、成立かどうかは別として当時の価値観では一度敵対したら
和睦するのに責任者の処罰が必要だということだろう。
それ以上話をずらさないでくれ。
キミの話はいつもこう言ってはああだと、脇道に逸れてはループ。
一個のテーマに絞って話せ。
キミが要求した「戦国時代の和睦に対する条件」は例として存在してるからそれでいいだろう。
成立しなくても結局「和睦するならそれをやらなければ」というのは当時の人間の価値観だから。
0164人間七七四年
2008/02/21(木) 01:35:50ID:0uBdkmyN同盟していた家康に背信行為をして不信感を持たせて敵対に追いやってしまったために
背後の信長も信玄に警戒心を抱かせることになった。
そして武田滅亡はほぼ織田・徳川家二家による侵攻により滅び去った。(北条はたいした働きはしなかったし)
この二家との信頼関係をきちんと結べなかったのは、遠州侵略が深因でしょう。
0165人間七七四年
2008/02/21(木) 01:36:12ID:ZehnsOCSちょっと待て。
本当に人のレスを読んでいるのか?
甲陽軍鑑は典厩と梅雪に辛いことはわかっているだろう。
そして成立がどうとかの問題に関してもこの両者がぶっちゃけ関係あったか
わからないといっている。
そんな事関係なしに上杉と北条が和睦を拒否してるのだから。
そんでただでさえ筆がこの二人には辛い軍鑑が香坂に切ってしまえ発言させてないと
何故いえる。
0166人間七七四年
2008/02/21(木) 01:42:49ID:ZehnsOCSいや、ぶっちゃけ織田が武田を生かしておいてくれるかなんて
正直わからんわけで。巨大大名の存在なんて大抵肯定されないんもんだ。
無茶言われて唯々諾々と従えば家中崩壊でもあるから。
だから武田は織田の畿内覇権が確立する前に戦いを挑むしかなかった。
0167人間七七四年
2008/02/21(木) 01:47:36ID:EasfvWopだから「和睦するなら責任者の切腹」という条件が出てんだろう。
甲陽軍鑑にかぎらず、戦国期では敵対したもの同士の和睦の条件で一番よくあげられるのは
「城主の切腹」「城の明け渡し」の二つ。
これに関してほぼ常識だから知らないなら自分で勉強しろ。
武田の遠州侵攻は辺境の村を略奪したという簡単なものではなく、
徳川本隊のいる掛川と本拠地の三河との連絡を切断するように重臣が軍を率いて見附を占領した。
さらに掛川の出陣は武田の要請によるもの、
徳川が掛川に出陣したわずか数日後秋山が徳川側の見附を占領。
これはどう考えても立派な敵対行為。
キミが「信玄が謝罪したからいいじゃん」と軽く言うが、
信長が和睦調停に乗り出すほど両者の関係が緊張してた。
普通なら「当主の命令なく無断で侵攻した秋山は軍令違反により切腹か謹慎」
は筋なのに、手紙一通にお茶を濁したから不信感が増大した。
武田家では当主に無断で軍を動かしたほどの軍令違反が処罰されないことはありえんし、
他家でもあり得ないから、同盟破りの侵攻→お茶濁し程度の謝罪が徳川を反武田に追い込んだ。
以上はこれまでさんざん言われたこと、これ以上話をループさせるな。
0168人間七七四年
2008/02/21(木) 02:02:51ID:ZehnsOCS城の明け渡しとかは完全な敵対状態だぞ。何年も争った。
たった数日ですぐに謝って兵をひかせてそれとはちょいと
急激にすぎる気もするがね。
0169人間七七四年
2008/02/21(木) 02:04:02ID:ZehnsOCS0170人間七七四年
2008/02/21(木) 02:08:06ID:EasfvWop家康を誘いだしてから遠州の奥深くまで進行して、
徳川側の城を占拠して家康と岡崎の連絡を絶つ。
完全に敵対状態だろう。
兵が小競り合いするわけじゃないからそこは理解しろ。
あと引いたというが、武田にとって予想外の家康の反応と情勢が悪化したから兵を引いたんだろう。
それもお茶濁し程度の手紙一枚の謝罪。
これらもすでに言われてること。
もう一度言う、話をループさせるな。
0171人間七七四年
2008/02/21(木) 02:58:13ID:tGTEmqmP罠にかけて不意打ちしたまではよかったけど、
徳川が意外と強かったことと、駿河情勢も怪しくなった上に北条が敵対したので
諦めて兵を引いたってことかな。
徳川の掛川開城における氏真との交渉や北条との交渉は単に武田と敵対しているからでは、
でも家康はその後は信玄の要請による信長の仲介を受けて、
武田の危機的な状況時に武田の弱みに付け込むようなことはせずに対武田には参戦しないで、
専守防衛に徹している感じがする。
0172人間七七四年
2008/02/21(木) 16:08:20ID:tDhNEfbM秋山が見附を占領して見附から大井川までの遠江の大半を武田領として確保
徳川に対して掛川攻めを要請して出て来た所、見附を占領して徳川の退路を断って城下の盟を強要する
もし従わなければ駿河にいる本隊と挟み撃ちにして徳川を葬り去るという構想だったんだろう
駿河情勢の悪化と北条の態度硬化(駿河侵入と同時に北条が武田と絶縁)によって駿河の武田本隊が逆に徳川、北条、今川に挟み撃ちされかねないから一旦引く
で、秋山が敵地で孤立した形になって長く見附を維持できないから見附も徳川に明け渡す(返還する)、ということだったんだろう
徳川、北条を読み切れなかったのが失敗の原因だが、その近視的な戦略が武田を滅ぼす最大の原因
もし義信の構想通り三国同盟を堅持して信長と同盟せず美濃へ侵攻したら、信長の飛躍的な成長はなく武田も信長に滅ぼされる事無かった
0173人間七七四年
2008/02/21(木) 20:38:26ID:Msy+UBMi12月12日北条氏政小田原出陣、沼津着 ←静岡県史だから信憑性は微妙
駿東郡八幡郷に禁制
12月13日蒲原城に北条氏信『地方史静岡22』
12月15日北条氏規沼津の竜雲寺に禁制 秋山遠江進入
12月16日氏規富士郡に禁制
12月19日氏政、大宮城の富士に感状
12月18日の段階で既に北条は行動している
>>125
>第一北条が全力で入ってこれるかは別問題。北条が上杉に対して利権の多くを譲る決断を
>するのはまだ先の事。
敵対して全力で武田に向かえる状態ではないとはいえ既に北条が武田に対して行動しはじめているのに
その上徳川とも敵対するわけにはいかないだろう、武田としては駿河の方が優先だし
だから信玄が謝罪して兵を引かせ、信長を通じて徳川に明確な敵対行動を取らせないようにして
北条の問題を片付けて後に全力で徳川に向かったのは正しい判断
この機会を活かせなかった徳川は戦国大名としては甘い気もする、
徳川としては織田との関係もあるから仕方が無かったのかもしれないけど
>>147
秀吉の北条征伐のきっかけとか考えれば検証するまでも無いと思うが
逆に問うがいきなり同盟破って侵攻してきて侵攻側の都合が悪くなったので謝罪しました
そして元のような同盟関係でいられるって例は存在するのか?
人質とかもださないで
しかも国境でのちょっとした利権争いとかじゃなくて、武田の場合は完全に軍事行動だしな
金ヶ崎直後に浅井が謝罪していれば謝罪だけで許されていただろうか?武田はそれぐらいの行動してると思う
それ以前に一方的にいきなり同盟破って攻めこんだら、ほとんどの場合そのまま敵対し続けるか、
情勢が変化するまで敵対し続けるような気がするが
>>158
叩かれるというか、単に事実を言われてるだけ、
単にあなたが異常に武田を擁護しようとするからこんな風になってるだけだと思う
>>162
当時の価値観としての話として軍艦の例を挙げているのに
そんなこと言っても見当違いなだけじゃ
つか人にレス読んだのかという前に少し落ち着いて話の流れを読んでレスしたほうが
武田を批判されると流れ無視してレスの一部に対して条件反射でレスしているように感じられる
だから回りの人間にはあなたが話を逸らしまくっているように感じられちゃうんじゃ
0174人間七七四年
2008/02/22(金) 04:14:08ID:25Cav3Biまぁ既に遠山夫人は亡くなっていたが遠山夫人の産んだ勝頼嫡男(後の信勝)は存在してるから無碍にもできないだろう
武田将来の当主の可能性のある人物が縁戚関係にある織田とその同盟である徳川は武田に対して攻勢に出づらいって面もやはり存在する
この面は外交的信用の関係になってくるから家康の判断は間違いないと思うが?
0175人間七七四年
2008/02/22(金) 12:55:57ID:7M+aiNoSただこういった盟約破りの不意打ちは初動で上手くいけばいいけど失敗すれば大変だと思う
毛利は陶裏切った時は即座に動いて安芸をほぼ制圧して体勢整えることに成功
浅井は織田裏切った時は失敗してジリ貧ってなったし
0176人間七七四年
2008/02/22(金) 16:01:05ID:9vwB/sa70177人間七七四年
2008/02/22(金) 19:34:54ID:fVHbQOzRいや、実際問題、厳島への誘導という策略が失敗したら次の策を用意するだけだろう、元就は
0178人間七七四年
2008/02/22(金) 19:58:22ID:3s2im/s+成功してる人間の「もし失敗していたら」という妄想はイマイチ面白くないな
その逆じゃないと夢がない
ちなみに元就の厳島誘導は陶の内部分裂を画策した上での成功なんだから
運というよりも実力の結果
あまりIFの対象にはならない
0179人間七七四年
2008/02/22(金) 21:15:20ID:xMxdtSQI0180人間七七四年
2008/02/23(土) 03:19:43ID:RDymhVlh超理論展開した挙句に、不利になると不当な武田叩きはとかスレ違いなどと突然言い出し、
周りに自分の方が正当と思わせようとイメージ戦略展開してそれも駄目だと散々煽って立ち去る。
無理に武田を擁護しようとしなければ知識はあるんだから板的に有用な人間になるだろうに。
0181人間七七四年
2008/02/24(日) 09:23:12ID:3vimAracまぁ無理に武田を擁護しようとしてるからこうなるんだろうが…
0182人間七七四年
2008/02/25(月) 21:31:22ID:SW2IXP8h1554年春に陶が石見に攻めこんで吉見と戦っていた時に突如裏切ったこと
毛利は5月に裏切ると陶が動けない隙に、安芸国内の大内方の諸城
銀山城己斐城草津城桜尾城仁保城を5月中に落として、更に厳島を占拠して
門山城を落として能美島占拠して、折敷畑で迎撃に成功すると
翌年には安芸の南東部の保木城丸屋城を落として、安芸の大半を制圧して
どうにか大内が本格侵攻するまでに、大内とどうにか少しは戦えるような状況にまで持っていった
まあ結果は厳島での鮮やか過ぎるほどの大勝利なため
その前段階での裏切ってからの一年ほどの行動もまた凄いことなのにあまり目立たない
0183人間七七四年
2008/02/25(月) 23:53:58ID:lqODLoOAその協力があったからこそ、という意見もあるしな。
一見、奇跡のように思える大勝利にも、当然のように
要因となった努力の細かい積み重ねがある訳だ。
0184人間七七四年
2008/02/26(火) 01:12:36ID:EOcYsqvt0185人間七七四年
2008/02/26(火) 02:11:53ID:/njrzkH2せめて北条相手に勝って小田原制圧とかやらかしてくれたら良かったんだけどな
信玄が織田信長や毛利元就くらいの戦の天才だったら、関東進出も成功してたかもしんない
でも逆に言えば、危なっかしく思える自転車操業ながらも信玄は上手に敵を選んでいたと思う
今川義元に滅ぼされる事もなく(半分以上親父のお陰だけど)、豪族を潰していって着々と領土拡大
なんせ唯一勝った国持ち大名が、今川氏真だってんだから徹底してるよ、これは凄い
謙信や氏康と団栗の背比べして延々消耗戦やらかした辺り、大局的な視野には乏しかったんだろうけど
なんというか、悪党として獲物を選ぶ眼があった、とでもいうべきかな
勝てなかったけど負けなかったし
結局、信玄の本質って戦に強い名将ではなく、謀略で相手の裏をかく策士だったから
その軋みが出たんだろうねぇ。信玄のやり方ゆえに領土が増えて、それゆえに滅んだ
0186人間七七四年
2008/02/26(火) 02:30:59ID:xPqVLn4mとても獲物を選ぶ眼があったとは思えんw
>上田原
信玄は自分より兵力が上の相手に勝った事が一度もないもんだから
信玄厨はしばしば、大軍で負ける方が無能なだけと抜かすが
当の信玄が聞いたら耳が痛くて仕方ないだろう
首を取られずに負傷で済んだから良かったものを
まだ若かったから、あんな酷い大敗を喫しても仕方ないってんなら
大軍に負けた家康、長野業盛、今川氏真、全員が信玄より遥かに若い青二才だ
0187人間七七四年
2008/02/26(火) 05:55:52ID:NGxLvygM織田のほうが自滅で先に滅びた可能性もあるわけだが
0188人間七七四年
2008/02/26(火) 13:05:38ID:/njrzkH2信長なんて稲生合戦の時点で、普通なら勝てずに死んでたかも知れんし
勝頼が長篠で信長の首を取れた可能性だってあるかも知れない
でも実際に織田の手によって武田は滅ばされた訳で
その原因が信長を激怒させた信玄の裏切りにあるのではないか
と言及されるのは自然な事だろう
>>獲物を選ぶ眼
俺個人としては、信玄は晩年も信長に対してはあくまで腰の低い手紙を送り続けているし
織田が朝倉と争ってる隙に火事場泥棒的に徳川領を頂いて、事が済んだら織田には頭下げて再び同盟結ぶ気だったんじゃないかなぁ
と推測してたりする。旧今川領争奪から始まる「徳川家」との争いであって大恩ある織田と反目する気はなし、としてね
その辺は信長って意外と甘い奴で、裏切って自軍に歯向かった相手でも謝ってきたら許したりしてるし
まぁ残ってる書状の信長の激怒っぷりから察するに、実際にそうして成功したかどうかは分からんけど
あの慎重な戦略家の信玄(既に50の坂を越えて、自分が病弱なのも知っている)が
本気で織田を打倒して上洛を考えていた、なんてロマン溢れる説よりは現実的じゃないか
0189人間七七四年
2008/02/26(火) 13:52:26ID:kNQKLXpYもっと冷静になってから書き込めばよかろうに
0190人間七七四年
2008/02/26(火) 14:00:25ID:kyYnyhbT事実だからしょうがない。
信玄は孫子の信条通り、確実に勝てる相手としか戦わないから弱小勢力を潰しながら大きくなったのだが、
周りが大勢力ばかりになると損するタイプ。
大局を見る目がないというか戦略眼がないというか、目先の利益だけで動いてたとしか見えん。
0191人間七七四年
2008/02/26(火) 14:27:28ID:/njrzkH2あと、戦国大名として出発した時点で恵まれた環境にあり
常に自分より弱い豪族らと戦い続けた事が、結果的に信玄の用兵家としての成長を妨げたのかも知れない
(勿論、信長や元就なんて天才レベルは初陣や若い頃の戦功も半端ないと承知の上で)
終生、自分と兵力・国力が同程度以上の相手には勝つ事が出来ず、行き詰まりを迎えてしまった
用兵が全てではないが、少なくとも信長や元就のような国力の差を用兵によって覆せる男ではなかった
山賊の英雄が、都会の軍人の英雄と戦ってしまった悲劇、という表現はしっくり来る
ある意味、信玄は充分に優秀で、優秀すぎて
それまでの自分のやり方が通じない程に強大な相手と戦うまでに成長してしまった事に悲劇性があるのだと思う
0192人間七七四年
2008/02/26(火) 14:52:46ID:xPqVLn4m信玄も優秀だから戦術が中の上レベルだったり晩年に失態多いのを残念がられるんであって
局地的な戦略眼や内政手腕は一流の英雄
思えば信虎も、信玄とは逆に閉鎖的な甲斐において近代的な改革を押し進め権力集中を図った結果、家臣に追放されたし
勝頼も含めて不遇な一族だよな
>189
不当な武田叩きをしてしまってサーセンw
0194人間七七四年
2008/02/26(火) 19:20:23ID:UkewBYl6「信長を裏切ったから滅んだ」というのは違うでしょ
織田のほうが自滅で先に滅びた可能性のほうが確率から言ったら高いでしょ
信長はたまたま運良く宝くじに当たったようなもんでしょ
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