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>>そして上杉と盟約を結んだからといって徳川側から武田領への侵攻は一切ない
上杉と徳川の同盟は1570年10月8日。秋山の遠江侵入が正月。
この間に詫びも入れたけど徳川は上杉と対武田の同盟を結び敵となる道を選んだ。
そして1571年に駿河攻略がひと段落した後の徳川攻めが1571年2月から。
北条との戦いに忙しい信玄としてはそんな悠長に待っているわけにはいかん。
駿河がひと段落した間隙をぬって徳川に一発ぶちかましていくつもの城を攻略し徳川軍にも打撃を与え
山家三方衆なども服属させてその力を削いだ。これによって徳川の動きを封じることが出来た。
絶縁し上杉と対武田の同盟を結んだ時点で家康は武田に対する敵対意思を表明したようなもの。
これを放置して北条との戦いに集中してる間に背後をつかれる危険性は放置するには大きすぎる。