武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件その2
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0200人間七七四年
2008/03/02(日) 23:05:39ID:y/vYW8ms三国志に天下三分の計とかあるけど、当時の日本は
頼朝が鎌倉に幕府を立てた、その前に富士川で20万の兵を集めて
兵士を追い払った事、さらに溯ること平将門の反乱があったこと。
という事から天下二分の計のようなものがあったと。
で、信長がどうなるかはわからなかったが。源氏の八幡太郎義家の
子孫である武田氏が関東を制すれば結果、織田がどんなに大きくなろうと
対抗できる”力”を得ることができると考えてたのかもしれない。
(事実、関東で力をつけた家康が天下を取ったわけだし)
信虎時代も武田・上杉氏vs今川・北条氏で戦ってたように。
(関東管領の力が弱ってたのを見定めて)駿河と関東を手にしようと
たくらんでた可能性も否定できない。
で、こっからはおいらの脳内イメージだが。信玄は関東の地を得て
信勝が成人するまで生きる予定だったが。関東制覇がおもいのほか
進まないのと。(氏政がアホだから楽観的だった部分もあるけど。
当時言われてたのが、北条の土地から出て行くものはあったけど、
帰ってくるものもいた。だが、武田の土地から出ていって帰ってくる例は
なしといわれるように領民からすれば北条の方がかなりマシと考えてたから)
あとは信玄自身も死期が近いのを悟っていたからとも
で上洛して勝頼の諏訪家が朝廷よりなんらかの官位を頂いて
武田家よりも諏訪家の方が上の要職につけるか。
仮に上洛できなくても織田の主力部隊との”決戦”を挑み
勝っておけば次世代の勝頼がたとえアホでも簡単に上洛しやすい
環境にしておこうと考えたのかもしれないな。
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