同盟国に対して、一方的に違約して攻め入ったというのは十分に背信行為と言え
それに対して謝罪をするというのであれば言葉だけで謝罪をして良しとするのではなく
謝罪の意を述べた上で責任を取るところまでして初めて謝罪したと言えるのではないでしょうか?

秋山の遠州侵入については、
(1)秋山の切腹
(2)領土の割譲
(3)金品による賠償
この3つのうちの一つを実行してこそ、「謝罪した」と言えると思います。

(1)と(2)については実行していないことは明白ですが、
(3)について信玄は実行したのでしょうか?
もし金品による賠償もしていたのであれば、きちんと責任を持って謝罪したといえて
その後の家康の今川との駿河割譲策は家康の領土拡張の野望によるものと解せられ信玄の責任はないことになりますが
金品による賠償もなしに書状でだけ謝罪したのであれば、言葉でだけ謝ってみせて違約の責任は取っていないことになり
家康が信玄に不信を抱いて駿河を今川と取引して武田と事を構えたとしても
無理からぬことと考えます。
すると、信玄が家康への信頼回復を怠ったために家康を決定的に敵に追いやったこととなり
あわせて信長への警戒心を煽ったということになり、信玄の失策だったということになろうかと思います。

不勉強にて、私は信玄が家康に金品での賠償をしたという記録を見つけることができなかったのですが
その点について史料があるのでしょうか?