>>125
>>信頼関係をぶち破ってきた武田に警戒心を抱いた徳川が対武田の外交を展開。
>>ちょうどその時期は武田家が苦境の時期。

あーいや、ここの流れだけどうも皆ちがうんだ。
何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。

その流れを正確にいうなら、
武田が北条と戦っている間に武田に警戒心を抱いたらしい徳川が
敵である今川氏真に駿河をダシにして開城交渉し開城させる。
武田しばらくは北条と乱戦。徳川と武田領はしばらく平穏。
武田が駿河争奪戦を優位にしはじめた1570年10月に徳川が対武田の外交として
上杉と同盟。
これを受け武田が駿河の北条の要衝である深沢を攻略した後に1571年2月徳川領土に侵攻。

こういう流れになる。