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【滅亡】勝頼が岩櫃城に行っていたら【再起】

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0001人間七七四年2008/01/10(木) 21:41:23ID:N4LyHib6
小山田の岩殿城では無く、真田の岩櫃城に落ち延びていたらどうなったと思う?
皆さんの御意見をお聞かせ下さい。
0773人間七七四年2009/01/17(土) 15:19:21ID:Dzm1x/cl
>>772に追加
後、北条もちゃんと援軍出してるし、それまでは周辺との事情もあった。
第一勝頼は景勝から領土や金をたらふくもらって景虎を捨て殺しにしてるんだから
北条にしてみれば裏切りだ。
>>今更、養子に出した一族が殺されたからって、国の方針を変えるような真似をするはずがない以上
そもそもこれがなあ……。普通は方針変えるだろ。
0774人間七七四年2009/01/17(土) 15:20:40ID:opc2yBUk
>>772
景勝が継ごうが、北条が武田と対立しなきゃ、敵にはなってない。
北条が手切りをしなきゃ、結局、北条的には現状維持以上に収まっていた。
なのに、わざわざ手切りをして、大して間もおかずに織田と徳川と結託。
そもそも、大国の織田と、前もって何も連絡を取り合っていないわけがない。
0775人間七七四年2009/01/17(土) 15:24:09ID:opc2yBUk
>>773
依頼した側が、依頼を受けた側よりも、異常なほど遅延。
援軍も実際に送ったのは大した規模じゃないし、周辺の事情があるのは、それこそ織田・徳川と面してる武田の方だって大変だろう。
武田が送った兵力は、あの時期にしては、かなり厳しい規模。そう長い時期、越後に送ったままなんかにしておけない。
武田からすれば、打診しておきながら、自分はろくに兵を出さない北条がそもそも裏切りだろう。
0776人間七七四年2009/01/17(土) 15:32:19ID:Dzm1x/cl
>>774
わけがない、ってのはただの思い込みでしょ。実際資料ないんだから。
景勝に通じて勝頼が裏切ったんだから北条が切るのは当然でしょ。
>>775
だからそれは周辺事情。しかも北条は越後にまで踏み込んでるぞ。
実際武田も徳川が来たらさっさと帰ってる。
武田は上杉から領土も金も従属同盟も勝ち取って景虎を見放してるんだから
どう見ても北条から見れば裏切り。
0777人間七七四年2009/01/17(土) 15:32:23ID:PflVmcaF
>>774
織田へは徳川の仲介で接触していたはず、
しかも武田勝頼との同盟破綻後に本格的にね。
その徳川との関係は以前(信玄の駿河攻めでの手切れ)のものだけど。

それと同盟破綻は北条にも責任があるのは、指摘されるとおり。
ただ773の言うように上野衆を編成して氏邦が越山しているのもまた事実。
そして武田勝頼に落ち度はないかといえば、そうではない。
まず北条は援軍を頼んだのであって、和議の斡旋を頼んだのではない。
次にその和議自体が片手落ちも良いところの粗末な代物。
同盟破綻は北条・武田双方の責任。
0778人間七七四年2009/01/17(土) 15:37:13ID:opc2yBUk
>>776
勝頼が越後に長居すれば、織田や徳川が背後を狙うことくらい、誰でもわかるだろ。
なのに、北条は武田に依頼するだけ依頼して、自分は「周囲の事情」で、ろくに派兵せず?越後に踏み込んだって、武田と比べて、ろくな兵力じゃない。
まるで遅滞して、武田の留守を長くさせ、織田・徳川に背後を突く機会を与えたようにすら見える。
結果的には、武田は徳川に狙われて、やむなく兵を退いたに過ぎない。
兵を出させるだけ出させて、領地を危険にまで晒されて、それでもまともに軍勢を動かさない北条を、信じ続けろって無理だろ。
0779人間七七四年2009/01/17(土) 15:41:34ID:Dzm1x/cl
>>778
そんなわけないだろ。しかも北条も結構な兵力だったはずだが。
実際勝頼は徳川が来たらさっさと帰ってるんだし。
そこまで無体な事いってたわけじゃない。
問題は勝頼が徳川が攻めてくるよりも前から景勝に和議を打診されて
金や領土を貰ってるって事。
そして援軍に来たはずが景勝と景虎の和議を取り持つと勝手にやって
景勝からもらうものをたらふくもらってさっさと帰る。
そしてその後は景虎がどんなに窮地になっても放置。
北条にしてみれば勝頼を信じるのはむりだろう。
0780人間七七四年2009/01/17(土) 15:43:58ID:opc2yBUk
大体、北条が越後に踏み込んだのは、9月になってからじゃなかったか?
武田は、とっくに5月中には、国境まで来てるのにも関わらず。
依頼した側が、その間、何やってたんだよ。周囲がどうのって、武田も同じで、ただの言い訳にしか聞こえない。
0781人間七七四年2009/01/17(土) 15:46:09ID:PflVmcaF
実際に出陣してる最中=氏政
周囲の状況はともかく甲府にいた=勝頼
0782人間七七四年2009/01/17(土) 15:46:47ID:Dzm1x/cl
>>780
勝頼はその間にすでに景勝に和議を打診されて好意的にこれに応え、
領土や金をもらってるんだが。
ぶっちゃけ北条からすれば何やってんだよ、となるし。
周辺事情に関しては勝頼も徳川来たらさっさと帰ったし。
0783人間七七四年2009/01/17(土) 15:46:58ID:opc2yBUk
>>779
>その後は景虎がどんなに窮地になっても放置
大勢が動いた2月辺りなんて、雪で信濃から派兵できるわけないだろ。
動いても、また北条に何ヶ月も放置されたらたまらん。
それでなくとも、一度、すでに徳川に背後を突かれてるのに。
それでも派兵しろって、どんだけ譲れば良いんだよ。
0784人間七七四年2009/01/17(土) 15:49:39ID:opc2yBUk
>>782
だったら、北条はなんで、9月にやっと兵を進めて、しかもそのあと9月内にさっさと引き上げたんだよ。
武田に再出兵を願うより、最低でもそのまま兵を進めるべきだろ。
計画していなかった同盟決裂までするほど、景虎に拘っていた行動には思えないが?
0785人間七七四年2009/01/17(土) 15:52:47ID:Dzm1x/cl
>>783
わかってないな。
勝頼は景虎と景勝の仲を取り持つ、と言って和議を成立させたんだぞ?
北条にしてみれば勝頼が上杉から領土や金をもらって何やってんだ、となるが、
それでも景虎が生きるなら我慢できたかもしれない。実際年始の挨拶は北条と武田はやってる。
問題は景虎がどんどん追い詰められてく中で勝頼は景勝を批難したり戦闘停止を訴えたり
しないで完全に放置した事。自分が取り持った和議を踏みにじられた以上、本来なら
勝頼は景勝と断交して戦ってもおかしくなかった。しかし勝頼は逆に景勝との結びつきを強める方向で
動いて行った。これで北条に我慢しろというのが無理だ。
0786人間七七四年2009/01/17(土) 15:55:02ID:Dzm1x/cl
>>784
単純な話で雪だったから。それ以上進めなかっただけ。

再出兵がどうとかいう問題じゃないんだよ。
和議を取り持つと言いながら全然中立じゃないどころか明らかに景勝と結びついてる
勝頼の行動が北条にとっては明確な裏切りなんだよ。詳しくは>>785参照。
0787人間七七四年2009/01/17(土) 16:03:00ID:opc2yBUk
>>786
>>779で、自分で「その後は景虎がどんなに窮地になっても放置」とか書いておきながら・・・
北条は雪で仕方なくで済ませて、武田は裏切り行為ですか。
0788人間七七四年2009/01/17(土) 16:06:45ID:Dzm1x/cl
>>787
だからー、>>785をよく読んでよ。
武田は北条とは無断で景勝から金や領土をたらふくもらって
和議を取り持つ方向で動いた。これは援軍を要請した北条からすれば想定外の動き。
そして景虎と景勝の中を取り持つと言って和議させたのに
景虎が景勝にどんどん追い込まれても、勝頼は景勝を書状で批難したり停戦を訴える
どころかその結びつきを強める方向で動いてる。
北条にしてみれば武田を裏切りとみる以外にどう見ればいいんだ?
0789人間七七四年2009/01/17(土) 16:08:04ID:opc2yBUk
まあ、もちろん武田に一切原因がないとは言わないが、
武田との手切りを北条が選んだ以上、その時点で目算や計画が建っていたことは疑いないだろう。
逆にまったくなく、上杉の一件だけで無計画に武田と敵対したのなら、北条が馬鹿すぎて、そんなことは考えられない。
0790人間七七四年2009/01/17(土) 16:09:39ID:opc2yBUk
>>788
だから、武田が景勝と結んだのは、その時点で北条の動きが鈍く、疑いを持ったからだろう。
北条は武田が景勝と結んで裏切られたかもしれないが、武田からすれば自分だけ動かして自らが動かなかった時点で裏切りになる。
武田の理屈で言えば、先に北条が不義をしてるんだよ。
0791人間七七四年2009/01/17(土) 16:14:10ID:Dzm1x/cl
>>789
完全に決め付けじゃないか。
普通に武田という有力な同盟関係が喪失した以上、
あわてて他の同盟者を探すのは自然だろ。
新たな同盟構築なんてそんな感じなんだから。
>>790
だから、何度も言うように北条は徳川が来たら武田が帰ってる事を批難してない以上、
それほど無体なこといってるわけじゃない。
勝頼も普通に進軍して景勝から領土や金を出されて切り替えただけだし。
0792人間七七四年2009/01/17(土) 16:22:22ID:opc2yBUk
>>791
大切な弟に派兵するのが何ヶ月も遅れるほど、関東が騒がしい状態なんだろ?
ただでさえそれなのに、慌てて、その後の計画もナシに、プラスして武田まで敵に回して、自分から四面楚歌になるわきゃない。
決めつけじゃなく、普通に考えたらそうなるって話。
同盟関係が喪失っていうけど、直接戦ったわけではもなく、あくまで第3国をめぐる話であって、同盟破綻に直結する話じゃない。
実際、同盟を破棄したのは北条であって、武田が望んだなんていう話はない。

織田や徳川が背後を突くなんて、最初からわかりきっている話。
武田と同時に兵を進めて、早急に終わらせればよかったのに、それをしなかったのは、北条の都合。
0793人間七七四年2009/01/17(土) 16:27:59ID:Dzm1x/cl
>>792
だからただの決め付けだって。
実際問題として景虎が滅んだ後時間をおいて同盟を切ってる。
新たな状況を模索する時間はちゃんとおいてる。
そして武田はその北条が立てた側を滅ぼした側と敵対するばかりではなく、
領土や金をもらって従属同盟まで結んでる。
これで北条に放置しろなんて無理だよ。

だから北条が怒ったのは徳川が来て勝頼がひいた事じゃないんだって。
金や領土をたらふく勝手に景勝からもらって援軍しないで和議に切り替えたどころか
自分で取り持った和議を壊されても景虎を完全に見はなし、どころか景勝と結びつきを強めた
勝頼の明確な利敵行為なんだよ。
0794人間七七四年2009/01/17(土) 16:29:13ID:Dzm1x/cl
>>793訂正
そして武田はその北条が立てた側を滅ぼした側と敵対するばかりではなく、×
そして武田はその北条が立てた側を滅ぼした側と敵対するのではなく、○
0795人間七七四年2009/01/17(土) 16:32:28ID:opc2yBUk
>>793
だから、武田が怒ったのは、北条が依頼しておきながらまともに動こうとしないからだって。
武田にだけ大軍を派兵させておきながら、自らは動かず、タイミング良く徳川に背後を突かれた。
武田からすれば、越後に長居をさせられたのは、明らかな利敵行為になる。

ちなみに>>779
>北条も結構な兵力だったはずだが
だけど、たったの2500程度だったようだよ。
0796人間七七四年2009/01/17(土) 16:33:23ID:k+WNeOvN
氏政は乱当時佐竹の下に一統した反北条連合と絹川にて対陣中であり
ただちに本格的支援は行えなかった。そのため氏邦や由良等上野の他国衆を通じ
北条高広、長尾憲景、河田ら上野にいる上杉方諸将を調略して彼らをもって
景虎支援の先鋒とした。7月17日に沼田城を攻略、そのまま越後上田荘まで進攻し
樺沢城などを攻略し、坂戸城を攻撃した。八月になると北条の軍勢も上野に進軍、
九月には氏邦らが上田荘まで進軍する。その後厩橋北条、河田に樺沢城の守備を委ね
来年の氏政自身の進軍を約し維持を命じる。北条の軍勢は12月に上野に後退させ
氏邦に沼田城を管轄させた。氏政は『景虎没命の上は上州の仕置当方申し付くべくの条
勿論に候』と景虎が滅亡した事により上野支配権を主張するようになり
同じく上野支配権を主張する勝頼と関係が悪化していく。

ここで疑問なのはなぜ勝頼は上野支配権を譲るくらいの低姿勢な土下座外交を
しなかったのか?という事。自らが苦しい状況なら氏政が信長や武田に対して
したような低姿勢な対応を図るべきと思うが。
0797人間七七四年2009/01/17(土) 16:35:20ID:Dzm1x/cl
>>795
だから北条は武田が徳川が来たら引き返す事を認めてるじゃないか。
なんでこれでそこまでいわれにゃならんのか。
武田も徳川来たらさっさと切り上げて帰ってるし。
勝頼は早い段階から景勝にいろいろもらって景勝のほうに傾いてるよ。

その根拠は?
0798人間七七四年2009/01/17(土) 16:43:51ID:opc2yBUk
天正7年3月24日に景虎自害、天正7年9月5日には、遅くとも徳川と同盟が成立している。
もちろん、この時期の徳川は、織田に伺いを立てずに同盟を結ぶなど不可能。
たったの5カ月で、御館の乱の決着を知り、武田との関係を吟味、徳川(織田)と同盟締結の話を詰め、成立させたことになる。
まったく下地がなかったとするには、早すぎ。
0799人間七七四年2009/01/17(土) 16:45:38ID:Dzm1x/cl
>>798
半年経ってるんだから十分だと思うが…。
信玄の駿河侵攻からめまぐるしく同盟が動いてるけど
どれも半年以内で同盟や和議が動いてるんだけど。
0800人間七七四年2009/01/17(土) 16:49:12ID:Dzm1x/cl
たとえば1571年10月に氏康が死んで北条と武田が再同盟するのはその年の12月末。
2か月チョイなんだけど。
0801人間七七四年2009/01/17(土) 16:54:54ID:opc2yBUk
甲相の距離と、相模と京都の距離を考えろよ。
そもそも、武田と北条の同盟には、下地があった。
織田とは、前もって何も連絡してないのなら、一から締結する必要がある。
江戸と大坂は、安全な船を使っても片道20日程度はかかる。
0802人間七七四年2009/01/17(土) 16:57:46ID:Dzm1x/cl
>>801
何の下地?
てか北条も徳川とまず同盟締結してるし、駿河争奪戦の時の同盟のルートを使ったんだけど。
駿河争奪の時も徳川がまず北条と同盟して、徳川から織田に働きかける
形式をとってるから徳川との同盟が締結された事は不思議じゃないし。
0803人間七七四年2009/01/17(土) 16:59:32ID:opc2yBUk
>>801
だから、あの時期の徳川が、勝手に他国と同盟なんてできるわけがないだろう。
信長の判断を仰いでいないなんて、考えられない。
0804人間七七四年2009/01/17(土) 17:03:40ID:Dzm1x/cl
>>803
レス番間違えてるの?
普通に徳川は駿河争奪戦の時も上杉や北条と独自に交渉して
織田と働きかける形式をとってるんだから全然不自然じゃないんだけど。
0805人間七七四年2009/01/17(土) 19:30:16ID:9wVOeBbP
勝頼は御館の乱のあと、くやしいだろうが北条には対等でなく
頭をさげて4:6位の割合で付き合えばよかったんだよ。
正直に徳川・織田との対決が厳しい状況だと打ち明けて
金はないだろうから、北条の面目を保つようにしてさ。
仁科盛信あたりをを人質に小田原に送ればよかったかもな。
北条もいくら小田原城が堅固でも、武田の後は信長の矛先が
自分達に向かう可能性も考えていただろう。
北条の支配地域を見るとけっこういびつな形をしているんだよな。
関八州を押さえていたようなイメージだけど。
0806人間七七四年2009/01/17(土) 22:57:57ID:PvG2mnE1
>>797
勝頼は5月25日には出陣して、8月まで越後にいるよ。実に3か月。1万を超える兵力でね。
景勝と結んで景虎との和議を取り持ち、景勝派が景虎に手を出さないように
睨みを利かせてる。(景虎のいた御館はただの館なので、勝頼が睨みをきかせて
なければ早々に落とされていた可能性もある)

で、北条は武田に「援軍」を頼んだはずで。
北条家が「上杉家は景虎が継ぐべきだ!」と思うなら、勝頼が越後にいた3か月の間に、
「本隊」として動くべきだろう。
武田がわざわざ単独で、堅固な春日山城などを攻め落としてやる義理は無いわな。
あくまで「援軍」なんだし。景勝が春日山城を押さえてる以上、景勝と景虎の和議を
取り持ってやれば、景虎を助けるという名目では仕事をした事になる。

北条家は9月になってから、氏邦の他、越後から寝返ってきた連中(北条、河田ら)を
中心に越後に出兵してるが、与板城あたりで足踏みして、11月には氏邦は帰ってる。
北条らは残されているが、そのまま大した働きもできていない。元越後衆だから都合よく
捨てられた感すらある。

もし景虎を本気で支援したかったなら、勝頼に頼んで信濃を通って越後に行けば、普通に
春日山に迫れるのだよな。

勝頼は積極的に景虎が実権を握れるようには動いていないし、これは北条家にすれば武田の
裏切りだと言う良い口実だが、武田にすれば北条家が動かないで援軍もへったくれも無い。
北条家の悲願である「関東完全制覇」のためには上杉も武田もいずれ争う相手でしかない。
なにせ信長が死んだら同盟相手だったはずの滝川一益に襲いかかった北条家だからね。
関東完全制覇への想いはどうやらことさらに強い。状況証拠で考えると、やはり北条は
武田との同盟を切りたかったのだろう。
0807人間七七四年2009/01/17(土) 23:51:29ID:FQzYXjSg
戦国大名ってのは義理よりも実利で動くでしょ。
北条氏政なんて、信長が死んだからと滝川一益に襲いかかるぐらいで、
義理もへったくれも無い。目指すは関東の完全制覇のみ。
(そういう意味では、武田の西上野も狙ってるだろう)

1579年の年始の時点では、北条家は武田家を責めていない。
この時点で勝頼は景勝と結んでいて、北信濃の領土を貰い受け、さらに
沼田領などを譲り受ける約束すらしているのに、ね。
景虎が討たれても、即武田と断交したというわけでもない。

武田と北条の断交というのは、それぞれが考える戦略が相違したからと
言うべきであって、景虎がどうしたとかは、むしろ口実でしかないと思うよ。

武田にすれば、織田・徳川相手に領土を広げるのは難しいから、東上野や下野の
国人領主を攻めて領土を増やし、経済力を確保していきたい。幸い、景勝から
沼田領を譲ると言われている。

北条にすれば、やはり関東完全制覇目指して邁進したいわけで。
御館の乱に乗じて沼田などは確保しているし、都合の良い事に、上杉景勝は
揚北衆との対立などで関東どころではない。
徳川とは以前に結んだ事もあり、対武田の共同戦線を張れる見込みがある。

国力確保を考えると関東に出るしかない勝頼と、関東には決して出させたくない氏政。
ここに対立軸がある以上、決裂は必然。上杉の関東への圧力が無くなった事で、
それが現実のものとなったのでしょう。
0808人間七七四年2009/01/18(日) 00:09:19ID:TeZdkrmr
盛り上がっているところ悪いんだけどさ、
そろそろ自重してくれないか?
0809人間七七四年2009/01/18(日) 00:14:16ID:ogf4qk0+
北条氏政は6月に、越後じゃなくて関東で反北条の連中と対陣してるが、
まあ5月の段階で重臣の一人でも勝頼に同道させてれば、また違った
展開もあったんじゃないかと思うけどね。
ここで思うのは、氏政は、勝頼に対しては下っ端としか見てなかったんだろうって事。
だから「じゃあ越後の事はよろしくね」ってなもんで。
で、実は景勝が勝とうが景虎が勝とうが、北条家に都合の良い結果になれば
実はどうでも良かったんだろうって事。翌年の年始にはまだ武田と喧嘩してないしね。
それに景虎って昔は氏政の弟だろって言われていたけど、最近は血縁だろうけど
知られて無い誰かって扱いみたいだし、もしかしてそんなに思い入れ無かったのかも。
そういう意味じゃ、御館の乱に乗じて上杉の関東領は手に入ったし、景勝は関東に出る
余裕はなくなったしで都合は良い。
ただ、武田勝頼ごとき(氏政視線)が関東に進出したいとは何事か!ってなもんでしょう。
勝頼からすれば、対等のはずなのに、まだ手に入れてない土地まで取るなと言うか!って
事になるんだろうけど。

>>808
あ、ゴメン。じゃあこれで最後にするわ。ちょいとスレ違いだったね。
0810人間七七四年2009/01/18(日) 00:34:18ID:hqB1T6+6
>>806
それはないな。残念ながら。
>>796にもあるのだが当時は北条は関東勢力と対峙中。
だからこそ勝頼に援軍を頼んだわけで。
しかも言っておくと勝頼は景虎が不利になっても放置して景勝と結ぶ方向で
動いてる。これは明確な背信行為。
>>状況証拠で考えると、やはり北条は 武田との同盟を切りたかったのだろう。
これはありえない。
そもそも北条が信長死後に滝川をたたき出したのも元はといえば
織田が北条の影響下にあった地域まで奪って滝川に与えたことを無視するのは不公平。
0811人間七七四年2009/01/18(日) 00:41:47ID:hqB1T6+6
>>807
だから上でも述べてるけど
もともと北条の取った領域まで奪って滝川に与えてた織田が
本能寺の後で北条にたたき出されたのはきわめて自然。
もともと織田は滝川を北条の上位に置くつもりだったし、北条をないがしろにする行為も
何度もしてる。これを述べないで何をいうのか。

年始の時点ではな。その後年が明けて景虎が三月を超えて死んでから
北条は武田と絶縁する方向で動き出す。
景虎が生きて勢力を保持するならば北条もまだ勝頼の勝手な和議も
見過ごすことはできたろうけどな。勝頼が和議を踏み破られても放置するわ、
逆に景勝と結ぶ方向で動けばきられて当然と思うが。

勝頼にとって関東戦線が増えたことはどう見ても計算外なんだが。
実際勝頼はこの後必死で外交政策の転換と修正を図ってる。
関東勢力と結び、織田・徳川と結ぶ方向でな。
そして織田・徳川と結ぶ策は結局うまくいかず北条も含めた三方向との戦いで疲弊し、
滅ぼされるにいたる。どう見ても狙ってたなんて思えないが。
実際北条と切れるまで東海道に向けて動いてたんだしな。
0812人間七七四年2009/01/18(日) 00:45:42ID:hqB1T6+6
>>809
それは違うな。
越後をよろしく、と丸投げしたのではなく
援護を要請したに過ぎない。実際勝頼が進軍して景勝を脅かし
その力を分散させたりそいでくれたら自分たちが本格的に進軍するときに有利になる。
春日山とか落としてくれることまで期待しちゃいないだろ。

関東での上野の利権は景勝から勝頼に委譲されたんだが。
なんか決め付けで話してないか?
0813人間七七四年2009/01/18(日) 00:56:02ID:w6bOsQTE
信長が北条の奪った土地を認めなかったのは、対武田戦で
思いっきり出遅れた上に、駿河でちょこちょこ動いただけで、
ロクに働いてないからだけどな。
0814人間七七四年2009/01/18(日) 01:07:01ID:hqB1T6+6
>>813
北条は武田戦では駿河でちゃんと働いてるし
武田の上野経営の重要拠点である箕輪まで攻略してるんだが。
それは丸ごと黙殺されて奪われましたと。
0815人間七七四年2009/01/18(日) 01:07:19ID:w6bOsQTE
景虎の死んだ3月24日は新暦換算だと4月19日だから、
助けようって勢力がいたなら、雪は理由にならなさそうだな。
0816人間七七四年2009/01/18(日) 01:12:01ID:hqB1T6+6
>>815
そして勝頼はきれいさっぱりと見殺しにしたどころか
景勝と結ぶ方向で動いたわけで。
0817人間七七四年2009/01/18(日) 01:13:44ID:w6bOsQTE
>>814
駿河でも上野でも、武田の支配がスッカリ揺らいでから出て行っただけだから
信長に怒られる。どれも2月の下旬でしょ。
0818人間七七四年2009/01/18(日) 01:16:58ID:hqB1T6+6
>>817
そんな理屈はないと思うが。
ちゃんと2方面から仕事してるぞ。北条は。
それを勝手に奪ったばかりか滝川を北条の上において
北条をないがしろにした動きすれば普通にうらまれると思うが。
0819人間七七四年2009/01/18(日) 01:29:12ID:bwPIouT5
長篠スレでも何度か思ったのだが、勝頼って時折、理解不能な行動をするよな。
もしかしてただの――ゲフンゲフン。

ところで、よく武田家は国人領主の合議制みたいなもんで、信長のような強大な権力は
無かったなんて話が出たりするが、勝頼の、時として意味不明な行動に、家臣が結構
従ってるって事は、みんなして救いようのない(お察し下さい)か、あるいは勝頼の権力が
結構強かったって事なんだろうか?
0820人間七七四年2009/01/18(日) 01:47:02ID:hqB1T6+6
>>819
とりあえず勝頼の権力は決して弱いものではなかったというのが
最近の説ではある。まあ常識的に考えれば百万石大名の当主なんだから当然だが。
この権力は後期になるにしたがってどんどん強化されていき、
一門でさえも対抗できないどころか、一門も多くが勝頼に近づくことで地位向上を図る
ほどにまでなってたそうだ。
0821人間七七四年2009/01/18(日) 02:07:25ID:bwPIouT5
そういえば、勝頼は御坊丸を返還して信長に和議を願ったと一般に言われてるけど、
ちょいと面白い説として、秋山駿氏の「勝頼は御坊丸を返還して、人質を取ったりしない、
正々堂々の勝負を申し出た」というのがあった。
だんだん状況が悪化してきて、武田家が不利になってきた中で、勝頼は敢えて
人質を返還して、潔く戦おうとしたんだと。

秋山氏は信長にどこまでも心酔してる人で、古今の名将やらに例えて信長を絶賛するんだけど、
氏の中では勝頼は信長に次いで2番目に凄い将なんだと。

戦国時代の他の大名は、信長が攻めて来たからとか、圧力をかけられたからとか、
状況から何と無くとか、そんな理由で信長と戦う事になったけど、勝頼だけは、
自分の意志で信長に戦いを挑んだ武将だと。

信玄が死んだ当時、色んな選択肢があったはずだと。それでも勝頼は、信長という
宇宙一の将に対して、自分の意志で戦いを挑んだと。
もうそれだけでとんでもない凄い将なんだと。

・・・・なんか妙に感心してしまったのを、覚えているよ。

まあ確かに、御坊丸の件にしても、何の成果も「無かった」のではなく「求めなかった」のだと
言われてしまえば、結果が同じなので、絶対間違ってると論破できるものでもないのかw
0822人間七七四年2009/01/18(日) 02:17:54ID:ObBJnmoV
>>813-814
反北条氏の諸侯の動きに加え、勝頼との争いも捗々しくない状況下で、
信長と半ば服属に近い形で結ばざるを得なかった。
なんつうか、後手後手にまわった挙げ句・・・という感じだよなあ。


>>819-820
まあ、領内全体の統治に参画し始めるのが、信玄の晩年になってから
など、勝頼個人のもともとの基盤はあまり強くなかった分、集権化に
努めねばならなかったわけだけども、
滅亡の直前に築かれた新府城も、あれだけの城を真田氏のような信濃衆に
差配させてつくれるようになったということは、武田氏当主の権力が強化
されてたってことだものね。
0823人間七七四年2009/01/18(日) 02:21:05ID:hqB1T6+6
秋山氏の「信長」はあまりの信長万歳ぶりに
途中から読むのをやめた。
よくあれだけ万事にわたって持ち上げられるものだと
逆に感心したのを覚えてる。
ちょっと本屋探してみるかなw
楽しく読めるかもw
0824人間七七四年2009/01/18(日) 02:23:56ID:7U1/uTaI
信長が宇宙一だから、勝負を挑んだ勝頼は宇宙二ってスゴイ論法だな。
そりゃ勝頼の行動を、俺らの理屈で理解しようなんて無理だわな。
0825人間七七四年2009/01/18(日) 03:18:37ID:IztAbL2V
>>818
滝川を北条の上におくのは、北条が織田政権に従うのなら当然のことだが。
滝川を北条の下に置くほうが、「北条は織田をないがしろにしている」とされ
てしまう敵対行為だ。

上野に関しても、上野豪族達が北条でなく織田への臣従を望んだ、という
面があるからなあ。
0826人間七七四年2009/01/18(日) 03:20:58ID:hqB1T6+6
>>825
それで北条の利権奪ったり面子つぶしてりゃ
世話ないと思うが。
織田への臣従を望んだというかそうされたというか。
0827人間七七四年2009/01/18(日) 03:58:34ID:IztAbL2V
当時の織田家に、自分の利益よりも北条の都合やメンツを優先させなければならない、
言い換えるなら妥協しなければならない理由ってなにがある?

先にいっておくけど、だから織田は悪党とは言えない。北条だって同じように自分より
弱小勢力に理不尽を押し付けてのし上がってきたのだから。単に自分を上回る悪党に
抵抗できなかったというだけの話だ。
もちろんこれは織田と北条だけの話でもない。
0828人間七七四年2009/01/18(日) 04:03:27ID:hqB1T6+6
>>827
結局そういう考えでいたんなら本能寺の後で
たたき出された事に文句を言うもんじゃないよ、ってな話。
もともとが「北条は関東制覇への願望が強い!
本能寺の後に同盟者だった織田をたたき出してるくらいだから!」
てな織田寄りの考えに対してのレスだから。

織田も結局無垢で善良な同盟者ではなく、北条家に恨まれることをやり
本能寺の後でたたき出されただけの話だから。
0829人間七七四年2009/01/18(日) 04:26:26ID:qhLSlckF
結局は、北条家は関東は制覇したいのでしょ?
本能寺の変に乗じたのだって、
あるいは惣無事令を守らなかったのだって。
本能寺の時は結果的に裏切りを責められる事にはならなかったが・・・・
0830人間七七四年2009/01/18(日) 04:32:10ID:hqB1T6+6
北条も関東は制覇したいだろうが
わざわざ味方になってるのを無理やり戦いに持ち込もうとは
しないわけで。
織田との時は織田が大分恨まれる事してたし、秀吉の時は秀吉の事を
あまり重く見てなかったような節があるな。
0831人間七七四年2009/01/18(日) 04:47:36ID:qhLSlckF
いやね、どちらにしろ北条としては、落ち目の武田と組み続けるメリットって、
武田が織田を押し返せる可能性が無いなら、いずれゼロになるなあと。
北条の執念って結局は一に関東二に関東なんだろうなと思うと特にね。

俺としては秋山説に従い、勝頼の行動を織田信長とは戦い続ける!を
中心に据えると面白いんじゃないかとね。
御館の乱の時でも、

景勝→おそらく信長と戦い続ける。むしろ信長が許さないっぽい。
景虎→上杉家として考えると景勝と同じだが、北条家とセットで考えると・・・?
北条→織田とはまだ戦火を交えていない。状況によっては織田と組むか?

勝頼にとっての同盟者とは信長と最後まで戦う人!でなければならない。
(秋山説に準拠して、である)
景虎が当主になると、最悪の場合は織田徳川北条上杉が武田の敵という
パターンが有り得る。
景勝なら、最悪でも上杉は最後まで反織田を貫く盟友足り得る。

よって景勝と結ぶ。北条との事はそれから考える。
北条と敵対しても最悪の状況ではない!

秋山説によって、勝頼の行動はバッチリ理解できたのである。
0832人間七七四年2009/01/18(日) 08:17:38ID:OR2WWTEL
北条が滝川たたき出したのは当然っていうけど、確か最初はこれまで通りにって約束しておきながら、
その後、一方的に撤回して襲ったんじゃなかったっけ?
大体、信長との同盟じゃなく、織田家と家同士の同盟である以上、当然もクソもないけど。ただの裏切り。
0833人間七七四年2009/01/18(日) 08:22:27ID:OR2WWTEL
織田に悪党のようなことされたっていうけど、
武田からすれば、依頼だけして何ヶ月も越後にいさせながら、自分は来ない北条が悪党だったろう。
北条は、武田も利用して、敵に回ったら織田と徳川を利用して、武田を抑えようとした。
それなのに、武田征伐の際に所領を殆ど得られなかったくらいで、相手を悪党呼ばわりできる立場か?
0834人間七七四年2009/01/18(日) 08:26:23ID:OR2WWTEL
武田でも織田でも一貫して北条をかばってるから、北条びいきなのかもしれないが、
織田が北条に不義行為をしたから、滝川を襲うのは問題ないというなら、
北条が武田に不義行為をしたんだから、武田が北条を信用できなくなるのは仕方ないと認めるべきじゃないの?
完全にダブルスタンダード。北条びいきに過ぎる。
0835人間七七四年2009/01/18(日) 08:50:55ID:Eo/QQV/a
北条の方から縁戚になって織田家の分国になりたい、とか言ってんだから
不義も糞もないわなw
0836人間七七四年2009/01/18(日) 09:08:52ID:YdJgPcr5
信長が順調に天下統一に邁進していく中で(本能寺の変は起きてしまったが)
北条氏が信長に臣従した形になれば、現支配地はそのまま安堵されて
体制に組み込まれるのかな?秀吉じゃないんだから、信長だったら
時節を見て難癖つけて滅ぼしにかかると思うのだが。
多少、状況が変わっていただろうが、本能寺の後の徳川と北条の
武田家旧領の争奪戦の時に北条はかなりの兵力を動員できた訳だから
御館の乱の後の武田との対立も、本気で戦うというよりは牽制程度
だったのではないだろうか。武田が滅ぶにしても、徳川・織田に
痛手を加えてくれた方が得策だろうと。
0837仙台藩百姓2009/01/18(日) 10:11:18ID:PNx+xgnq
勝頼に駿河や伊豆を散々荒らしまわられて
上野の領地も次々奪われて追い落とされていたのに本気で戦うつもりがなかったとはこれいかに( ^ω^)
甲相同盟が破れて苦難に陥ったのは北条の方だお
織田との同盟も武田の脅威から逃れたい思いが多分に含まれていたわけだお
0838人間七七四年2009/01/18(日) 11:01:59ID:6SqfVep9
>>806
>>796
旧上杉方諸将は先に来てるんだが。
>>813
北条が武田征伐の情報入手が遅れたのは信長が戦後の領土配分を優位に進めるため
情報統制を行ってたからじゃないの?普通臣従を申し出てきてる相手が
一緒に共通の敵を倒すとなれば日程くらい教えると思うが
天神ヶ尾、戸倉、沼津、深沢と攻略し吉原まで進攻して河東一帯を制圧、
さらに富士川を北上して甲斐に向けて進軍してるんだが
>>817
駿河に関してはひとかどの働きをした、と誉められてるんだがね
怒られたっけ?
>>837
1581年には北条も甲斐郡内に進攻したり西上野の宇津木、白井長尾を調略したり
駿東の長窪城を攻略したり、沼津、天神ヶ尾城を攻撃したり反撃に出てるけどな
0839人間七七四年2009/01/18(日) 12:48:43ID:hqB1T6+6
>>831
とりあえず織田・徳川の防波堤である武田がないと
結局のところ北条の関東制覇は夢のまた夢になるんだが。
結局直近の大勢力である武田に介入されても
関東制覇は遠のいたんだからそれ以上の大勢力の介入を阻止したいのは当然だろう。
北条にしてみればむしろ佐竹とかの相手で忙しいあの時に武田を切る理由がむしろない。
やるならもっと後にするだろうよ。関東の反北条勢を追い出した後とかな。

秋山説に関してはもう愚論としかいえない。
まあ冗談でいってるんだろうが。
0840人間七七四年2009/01/18(日) 12:50:00ID:hqB1T6+6
>>832
なんで織田が北条を踏みにじるのは許されて
北条が奪われた利権や領域を取り返すのは裏切りなんだ?
最初にやったのは織田だろう。
0841人間七七四年2009/01/18(日) 12:56:12ID:hqB1T6+6
>>833
北条は敵との対峙してたからな。旧上杉方諸侯はちゃんと動かしてるが。
てかなんで北条の武田に対する態度が仮に悪かったとして
それが織田が北条を踏みにじったことに対する免罪符になるんだ?
それこそ北条が織田をたたき出したのも織田が批難できた立場かと
いわれるだけだろう。
>>834
北条が勝頼にした不義行為とは?
本隊が敵との対峙で忙しいからその間に援護しといてくれと頼んだだけだ。
勝頼が徳川が攻めてきて退くのは別に北条は責めてないんだが。
問題は勝頼が勝手な和議をして、しかも明らかに景勝に傾いた贔屓の仕方をして
景虎を捨て殺しにしたことなんだが。明確な裏切り。
0842人間七七四年2009/01/18(日) 13:20:21ID:Eo/QQV/a
自ら要請して従属関係を結んでもらったのに祗園城の返還程度で踏みにじるとかないわ。
それに取り返すも何も上野は北条の領国でもないしな。
0843人間七七四年2009/01/18(日) 13:27:01ID:hqB1T6+6
>>842
武田領上野の箕輪まで攻略したのに全部召し上げられたが。
駿河の攻略した領土もいわずもがな。
0844人間七七四年2009/01/18(日) 13:28:46ID:hqB1T6+6
そもそも北条が織田に従属してまで望んだのは
織田政権下での関東太守であって滝川の下風について良いように
やられることじゃないだろ。
しかもとった領土まで召し上げだし。
0845人間七七四年2009/01/18(日) 13:32:29ID:niOs16oL
ID:hqB1T6+6、北条贔屓というか勝頼嫌いなのはわかった
だからいい加減にスレ違いって事に気づいてくれ
0846人間七七四年2009/01/18(日) 13:35:40ID:Eo/QQV/a
>>843
それは織田家に従属してからの話。実際に領土として与えられるかどうかは信長の判断。
>>844
自分の思惑通りにならなかったから踏みにじるとかアホか。
0847人間七七四年2009/01/18(日) 13:40:18ID:hqB1T6+6
>>846
そんな理屈はないと思うが。
ちゃんと攻略したのに無償奉仕扱いか。

少なくとも明確に北条を踏みにじってるが。
これで織田側に自覚がなかったとしたら逆にお笑い草だが。
0848人間七七四年2009/01/18(日) 14:02:51ID:Eo/QQV/a
>>847
そんな理屈もなにも戦功に対してどう領土を与えるかは主家の判断なのは当たり前だろ。
武田征伐に際して信長が「切り取り次第」とか言ったとでも言うのか?
少なくとも北条の領国では無かったの。理解出来る?
で、一体何を以って「明確に北条を踏みにじってる」んだ?意味が分からん。
0849人間七七四年2009/01/18(日) 14:09:29ID:hqB1T6+6
>>848
主人とまであがめたつもりはないと思うが。
あくまで相対的な上下でしかなかったはずだ。
そして豊臣政権でさえ戦功をあげた従属大名達にちゃんと褒賞してる。
それを丸ごと奪っておき滝川を置いて関東の主権者とし
北条の立場をつぶしてるのに何を言ってるのか。
北条にしてみれば関東の主権者として振舞ってきた以上、滝川はいずれたたき出さねば
ならなかったのは当然だし、そもそも織田にしても北条をそのまま残してやるつもりだったかどうか。
0850人間七七四年2009/01/18(日) 14:20:17ID:Eo/QQV/a
>>849
信長の事を「上様」って言ってんだろうがw
それに北条から織田の分国になりたいって言ってるって言ってんだろ。
完全に主家なの。
で、褒賞を与えなかった事を北条がどう思ったかという事と、
上野が北条の領国だったかという事とは全く別の話。すりかえんなよ。
奪う前に貰ってないの。
北条が関東の主導者?誰が認めてるの?
北条がそうなりたかった、ってだけの話。
なりたかったけどなれなかっただけの話で奪われた訳でも何でもない。
この話に織田が北条をどうするつもりだったかだなんて話は全く関係無い。
0851人間七七四年2009/01/18(日) 14:33:15ID:VwkYwpFa
>>836
>時節を見て難癖つけて滅ぼしにかかると思うのだが
これ、よく言われるけど信長に対する偏見としては根強いな。
信長は最初から明白な理由なく同盟勢力を滅ぼしにかかったことは史実ではないぞ。
四国問題だって、長宗我部の織田領侵攻を問題にした上で、領土割譲を条件に許そう
としている。いいかえれば、話し合いで済まそうとしている。
後の行為をみれば秀吉とか家康の方がよっぽど自己都合で約束破って領土没収して
ばかりなのだが、なぜかイメージでは信長ということにされてしまっている。

>>838
>北条が武田征伐の情報入手が遅れたのは信長が戦後の領土配分を優位に進めるため
>情報統制を行ってたからじゃないの?
さすがにそこまで言うのなら根拠をどうぞ。
個人的には、信長の想定を覆して信忠の進撃スピード(および、武田領国の崩壊スピード)
が早く展開しすぎた。それが結果的に、武田が滅んだ時点で、北条おまえ何もやってない
だろ何してたんだ?と傍から見えてしまうことになったのでは。

>>849
従属して主人とあがめたつもりはないってなにさ?
仮に北条がそのつもりでも、だったら織田にとっては北条は臣でもないのだから、北条の
メンツだのを考慮してやる必要もないわな。

>滝川を置いて関東の主権者とし北条の立場をつぶしてるのに何を言ってるのか
信長に従属するのなら、関東においても北条より織田この場合は出先である滝川の方が
上であると認めなければならない。あたりまえだろ?
従属という政治行為をなんだと思っているんだ?

信長にとって、すでに北条は従属者としてなら受け入れても同盟者として結ぶような
対象ではない。もし北条が織田とは同盟者のつもりで従属したつもりでなかっとしたら、
それは後の豊臣政権との対応と同じく、現実が見えていない情報弱者が判断を誤ったと
しか言えない。

>北条にしてみれば関東の主権者として振舞ってきた以上、滝川はいずれたたき出さねば
それはつまり、北条には織田を上位主権者として受け入れるつもりがないということですね?
なんで信長が、そんな潜在的敵対者に妥協して、わざわざ関東全部を与えて強国化に協力
しなければならないのか。

もう一度いいますが、関東は北条のものというのは北条が勝手にいっているだけで、既存の
事実でも未来の約束されたことでもない。関東に手を出したら北条の敵って、何を
勝手なことをいっているんだこいつは、としか中央からはみられないだろう。
そして中央にとって、国力差をみれば北条の主張を受けれなければならない、妥協しなければ
ならない弱みなどない。

北条がそんなことを考えて行動していたとしたら、それは最後には現実(国力差)を認識
できない愚か者だったとしか言えなくなる。
まあ私は、北条はそんな愚か者だったとは思っていませんけどね。
0852人間七七四年2009/01/18(日) 14:38:30ID:hqB1T6+6
>>850
すり替えてるのはそっちだろうが。
後の豊臣政権でさえ攻略した大名にはちゃんと褒賞をあたえるもの。
それなのに無償奉仕でとりあげたくせに何をいってるのか。
少なくとも北条はちゃんと古河公方までたてて自己の関東の
主権者たる正当性確保をやってるがな。
ここまでやっておきながらうらまれる理由がないというのが逆にわからん。
0853人間七七四年2009/01/18(日) 14:44:16ID:hqB1T6+6
>>851
長宗我部のなんか詐欺そのものだが。
数年前に起きた領土問題をそのときはスルーして
その後散々長宗我部をこき使い、自分に滅ぼせる余力ができたら
難癖つけて領土を差し出せといい、征伐の理由にした。
結局四国の分割案までできてる状態だしな。
完全にはめられてる。

馬鹿らしい。褒賞も与えず奪うだけで何が主人か。
それでうらまれてないつもりだったというならそっちのがよっぽど愚かだな。

だから北条は織田の下での関東の主権者であることを望んだんだが?
滝川に奪われることを望んだんじゃないんだが。

北条の主権を認めるなら北条もしたがったろうな。
だが散々踏みにじっておいて認めろなど無理な話だが。
てか織田がやっておいてその理屈は無理だと思うが。
結局の話織田がそうやって北条を見ていたのなら
北条にうらまれた事をとがめるのは筋違いだな。
力によってたとうとした者が力がなくなってたたき出されただけの話だ。
0854人間七七四年2009/01/18(日) 14:45:49ID:bZ5y5+qs
箕輪城を攻略したというが箕輪の内藤氏はその後も神流川合戦の後も存続しているんだから
単に内藤が武田の崩壊を見て北条側を入城させたってだけだろう。
上野で合戦が行われたと確認できるのは二月下旬の藤田氏邦vs長井政実の戦いだが、
長井氏は神流川合戦まで神流川流域の上武国境地域で存続していたから、北条側は自力では上野国境の突破も難しかったことになる。
だから西上野最大の小幡氏も結局甲府の織田の下へ出仕している。

ずっと柴辻氏辺りが勝頼は御館の乱後対北条戦線でも追い詰められたような書き方をしてきたが、
最近では見直されてきている。
市村高男『東国の戦国合戦』を読めば北条が滅亡を意識するところまで追い詰められていたことが分かり、
要するに北条はそんな贅沢いってられる立場じゃなかったわけだ。
ただしこの著者は東関東のほうは詳しく書いているが、西関東のほうには弱い。
もちろん、西関東の動きを調べればやはり武田が優勢だったことはよりはっきりする。
0855人間七七四年2009/01/18(日) 14:55:40ID:hqB1T6+6
勝頼が北条相手に優勢に進めていた事は知っている。
上野主要部をはじめ多くの北条領が奪われたからな。
だからこそ北条が最初から武田を切りたがってたなんていうのが無理だとわかる。
そして武田を数年にわたってひきつけた事苦労した事、上野から駿河において攻略した
武功を報いてほしいと思うのは自然だったと思うが。

0856人間七七四年2009/01/18(日) 15:08:29ID:EaNQfKe/
駿河攻略の一番の功績は家康が穴山信君を降らせた事だろうし、
下地としては長篠やら高天神攻略やら、北条以上に長い戦いがある。

2月の下旬に北条家が駿河東部に進出したのは家康に乗じただけだろ!と
言われてもしょうがない気がする。実際、なんか激戦を制したってわけでも
ないんじゃないの?
0857人間七七四年2009/01/18(日) 15:11:54ID:EaNQfKe/
北条が結果として勝頼相手に苦戦したから、北条が武田を切りたかったはずがないという主張がある。

だが考えてみれば、勝頼は結果として北条相手と家康相手で東に西に振り回されて、高天神なども
救えず滅亡していったわけで、勝頼が北条を切りたかったはずがなかったと主張できる。

んなもんお互い様にしか見えん。
0858人間七七四年2009/01/18(日) 15:15:57ID:6SqfVep9
>>851
根拠なら>>838に書いたけど。
協力して武田を攻める関係にあるのに事前の通知がないというのが不自然
戦後の領土配分を優位に進めるため情報が漏れないようにしてた可能性大だと思うが。
0859人間七七四年2009/01/18(日) 15:24:23ID:6SqfVep9
>>838にも書いたが武田攻めの前の1580,81年でも北条と武田は駿河伊豆付近で戦ってる。重須など
あとは海戦もやってる。勝頼は高天神城の後詰めもおろそかにして
上野やら武蔵やら攻めてるし家康からすればかなり楽になった事だろう
0860人間七七四年2009/01/18(日) 15:41:13ID:X2e08NxO
結果的には北条は武田対策で織田に臣従するはめになり
勝頼は滅亡を早める事になった。
結果的にはどちらにも不利益となった御館の乱後の手切れだが。

北条家の動きとして、5月に勝頼に援軍を頼んで、氏政は6月に別の場所に
出陣してる。
北条(きたじょう)らは東上野では早くから動いているが、越後は何か月も放置。
9月の越後進出は兵力も陣容もルートも、そして元越後衆を残しての撤退も、
景虎支援としては不可解。
御館の乱の時点で、北条家が本気で景虎を支援する気があったのか?という
点に関して言えば、合点がいかない点は多いまま。
結果論とは別として。
0861人間七七四年2009/01/18(日) 15:42:56ID:8khD5ajF
むしろ信長にすれば、頼んでも無いのに火事場泥棒の如く武田領を奪っただけって事になるんでしょ。
0862人間七七四年2009/01/18(日) 15:47:34ID:6SqfVep9
北条高広はともかく他の上野の旧上杉諸将は七月段階で越後入りしてないか?
関東戦国史や戦国北条一族でもそう書かれてたが。
0863人間七七四年2009/01/18(日) 16:01:32ID:l/KgGL+z
越後で何かしてたの?
0864人間七七四年2009/01/18(日) 16:08:30ID:6SqfVep9
>>796
これは黒田基樹氏の文章を引用しただけなので詳しく知らないが
景勝に対し圧迫は加えてたんじゃないの?
0865人間七七四年2009/01/18(日) 16:09:10ID:VwkYwpFa
>>858
>協力して武田を攻める関係にあるのに
つまり信長は、武田を滅ぼすのに北条にはそれほど期待していないし、武田領を
北条にくれてやる気もなかった。
別にそれが悪いことだとも思えないけど。むしろ、同盟者の思惑を読み取れなかった
北条が、戦国大名としてどうよ?としか。

織田は別に、北条に利益をもたらすために協力を望んだのではない、北条の存在を
織田の利益にするために、だ。
もし信長が北条に武田侵攻を伝えなかったのなら、それは信長の、北条は武田領に
手を出すな、という意味だったとも言える。しかし北条は信長の意思を読み取れず、
己の利益のために武田領を蚕食にかかった。これは北条からしたら当然の行為だが、
当然、信長の利益を侵害する行為でもある。だからその戦後に、信長は北条の行為を
認めなかった。お前、オレの意志逆らって、従属する気あるの?というところだろう。

あとは北条の欲望と織田の欲望、どちらがまかり通るか力で決しようか、という所で、
武田滅亡時は織田が優った。本能寺以後は北条が滝川に優った。それだけの話であり、
どちらに正邪善悪があるか、という問題ではない。
関東はオレのもの、という北条の主張は身勝手なもので正統性はまるでない。
同時に、武田領はオレのものという織田の主張も身勝手なものなのだから。

>>853
>長宗我部のなんか詐欺そのものだが
詐欺というのなら、信長が四国に手を出せない状況を見計らって侵略した長宗我部は
どうなるの?というだけの話だわな。

>その後散々長宗我部をこき使い
こき使ってなんかいませんよ。むしろ信長にとって長宗我部は、織田が三好と争って
いたころはロクに三好と戦わず、三好が織田に服属してからは三好を攻撃して領土を
奪うという、織田にとって利益をもたらさず損害ばかり与えてきた同盟者。
それを難癖とかはめられたとか、どれだけひいきの引き倒し理論で身びいきで主観な
弁護をするんだろうかね。

逆に徳川のように、信長に利益を与えてくれたものは三カ国を認めるなど優遇している。
かつては敵対していた三好も降伏して信長に忠実に仕えていれば、河内半国や、後には
阿波や讃岐も認められている。
利益をもたらす同盟者従属者を厚遇し、むしろ損失を与える同盟者従属者は冷遇する。
当然の行為じゃないか。
0866人間七七四年2009/01/18(日) 16:13:21ID:YuRxU164
勝頼が景勝と結んだのはOKだけど景虎が殺されたらNGになるとか判断基準はよく分からん。
北条家にとって景虎に上杉家を継がせる事は重要じゃないんだろうか。
景虎が死んだ上は上野は北条家が仕切るとか言い出すが、やはり興味は関東だけか。
景虎が生きて上杉家中に残れば景虎―北条つながりで関東制覇。
景虎が死ねば景虎の代わりに関東制覇。
って事か。ある意味一貫しまくりで美学すら感じるな。
0867人間七七四年2009/01/18(日) 16:18:02ID:gWUEnw/F
>>864
むしろどこまでも坂戸城止まりって事になると
備えも薄い御館でガクブルな景虎自体にはあまり
興味なさそうやね。
勝頼と連絡を取って連携するとかしてもよさそうなのに。
0868人間七七四年2009/01/18(日) 16:25:58ID:55k/5PPM
いや上田は景勝にとっては本拠地みたいなもんだ。攻める意味はある。効果は出せなかったが。
0869人間七七四年2009/01/18(日) 16:35:18ID:uESGIibm
そろそろスレ違い止めないか?
0870人間七七四年2009/01/18(日) 16:38:02ID:RKM7jvJF
上野にいた上杉家の連中と一緒に沼田を攻略。
上野にいた上杉家の連中を越後に送り込む。
上野にいた上杉家の連中を越後に残して退却。

なんか上手いこと東上野を手に入れただけに見えるw
0871人間七七四年2009/01/18(日) 20:39:28ID:4SyKawof

北条がいろんなことが不満だったのは分かったが、不満があるなら信長が生きてる時に、兵を挙げればよかっただろ。
それが出来ずに信長が死んだ後、突如、滝川軍を襲うなんてさすが北条家って感じだな。

0872人間七七四年2009/01/18(日) 20:57:02ID:AUf1LL6/
>>852
は?上野は元々北条の領国じゃないって話だったんだけどw
攻略したからその地域を与えられるべきだというのと
実際に領有していたというのは全く別の話。理解出来る?
そもそも与えられていないものを「取り上げた」とは言わないの。

> 主権者たる正当性確保をやってるがな。
そりゃ、関東の支配者である事を主張したってだけの話だ。
関八州を領有していた訳でもなく、実際に支配者であったというのとは意味が違う。
実際に北関東諸将とは争ってる真っ只中だしな。
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