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【滅亡】勝頼が岩櫃城に行っていたら【再起】

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0001人間七七四年2008/01/10(木) 21:41:23ID:N4LyHib6
小山田の岩殿城では無く、真田の岩櫃城に落ち延びていたらどうなったと思う?
皆さんの御意見をお聞かせ下さい。
0567人間七七四年2008/12/07(日) 03:01:03ID:RcJpXkAZ
>>566
そんなことはあるまい。
いろんな話が伝わってる。
0568人間七七四年2008/12/07(日) 06:59:41ID:i34kDDF8
武田家というのが重くなり過ぎたのかな?
荒木みたいに全て捨ててっていうのはプライドが許さなかった?
0569人間七七四年2008/12/07(日) 07:47:13ID:2kVb6aIn
岩櫃に退いても上杉の後詰はないだろうし織田・北条の10万以上の軍勢相手にどこまで戦えるかだな
0570人間七七四年2008/12/07(日) 11:09:49ID:g2+S2FV2
長篠の大敗だけが語られているがその後の滅ぶまでのグダグダっぷりもなぁ
0571人間七七四年2008/12/07(日) 11:34:07ID:EU9D+PvD
この時って、村上義清や高梨政頼ら、元北信濃大名は生きてたんだっけ?
0572人間七七四年2008/12/07(日) 11:47:07ID:Y64Ia3PV
義清なんて、信玄より前に死んでるだろ、jk
0573人間七七四年2008/12/07(日) 13:23:28ID:1Jz/I8JS
結局、織田に撃破されてる大名って各個撃破の形なんだよね。
滅亡されてる大名が連携組んで徹底してやってたら
防げたはずなのに。
0574人間七七四年2008/12/07(日) 13:27:37ID:2kVb6aIn
村上なら国清が生きているし
高梨一族は一帯に散らばっているだろ
今も長野市に子孫が住んでいる
0575人間七七四年2008/12/07(日) 13:39:43ID:EU9D+PvD
そうだったか。すまん。
0576人間七七四年2008/12/07(日) 23:44:23ID:P/IEMIU7
村上さんと高梨さんは息子が信長死後に
景勝によって信濃に帰してもらってますよ。
0577人間七七四年2008/12/08(月) 21:36:15ID:zMHOrqPa
数年前だが、新府城、天目山(勝頼の墓)、岩殿山は行って来た。
新府っていう駅名があるんだよ。
春になったら、岩櫃城跡(あるんかいな?)に行ってみようと思う。
0578人間七七四年2008/12/08(月) 22:17:26ID:qwC5butv
つttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Gunma/Iwabitsu/index.htm
0579人間七七四年2008/12/08(月) 22:17:34ID:TBVIZklx
駅名の並びでいうと、新府駅の隣が穴山駅ってのは、勝頼的には泣ける。
0580人間七七四年2008/12/09(火) 03:50:39ID:TOIhWZ5j
>>577
ここに籠もっていれば、あるいは……と思わせてくれる地形だぜw
0581人間七七四年2008/12/09(火) 10:03:56ID:hFORQbbc
長野の真田氏の歴史資料館みたいな所に行ってきたが、
来ている人が多くて人気あるんだな〜って思ったよ。
長篠にも資料館があって、こちらはあまり来場者はいなかった。
周りは田んぼばかりだし。
しかし、こんな所(奥三河)まで攻めこんできた武田ってのも
徳川にとっては脅威だっただろうな。
0582人間七七四年2008/12/11(木) 08:11:52ID:aS2jhfbj

三河は徳川の本貫地なんだから、そりゃ脅威以外の何物でもないっしょ。
0583人間七七四年2008/12/11(木) 18:53:18ID:5CVtinks
屋根裏を大きなドブネズミが這っていたら怖いもんな
0584人間七七四年2008/12/11(木) 23:43:12ID:OuemKiMR
本貫地はあくまでも西三河でしょ。
0585人間七七四年2008/12/12(金) 08:31:09ID:jDJanVHM

東三河を陥とされたら、西三河と遠江が寸断される。

家康の命運も尽きることになるな。
0586人間七七四年2008/12/12(金) 20:36:38ID:G95M0dt2
>>585
東三河落としてどうするの?
どれだけの兵を置いておくの?
どれだけの間置いとけるの?
遠江の徳川は東の押さえで動かないとしても、西三河の徳川に織田の援軍が加わって攻めてきたら逃げるの?
0587人間七七四年2008/12/12(金) 22:31:43ID:lh6mn45z
謙信の上洛作戦って勝算はあったのだろうか?(信玄と同じで病死したけど)
成功した場合は、勝頼は三河に兵を入れて尾張まで窺うって感じになったのかな?
0588人間七七四年2008/12/12(金) 22:40:55ID:G95M0dt2
>>587
まず謙信の上洛作戦なんて存在しないから
0589人間七七四年2008/12/12(金) 22:57:47ID:lh6mn45z
大動員令を発令してすぐに死んでしまったんだよね。
向かう先は、関東とも打倒信長とも言われているけど。
信長の非道ぶりを耳にして許せなかったからだと
思うんだが。。。。
0590人間七七四年2008/12/13(土) 00:07:48ID:Toje0guZ
勝頼と川中島で戦ったら面白そうだな。

ただそれだけだが。
0591人間七七四年2008/12/13(土) 08:12:41ID:ayakBdSF
信玄が三方原のあと、城攻めをなかったのは、その後の確保が難しいと思ったのと、
そのまま、織田と一戦交えて破った上で、徳川を反織田側に組み込もうという腹があったと思われ。
0592人間七七四年2008/12/13(土) 11:13:26ID:dBz7qgAw
>>589
思うのは勝手だが、常識的に考えて
○本願寺と和睦して越中を確保
遊佐の反乱で能登確保
西の防衛線ができたから念願の関東制覇を目論む
×後方に北条、さらに武田領で暴れまわっている信忠という不安を残したまま上洛を目論む
0593人間七七四年2008/12/13(土) 21:23:29ID:UlFZEUZL
山梨や長野ってあまり米が収穫できるイメージがないのだが(山ばかりで)
金山が枯渇した時点で武田家も衰退する運命だった気がするのだが。。。
0594人間七七四年2008/12/14(日) 00:07:19ID:+sP4RnS8
イメージつーか農業生産力は太閤検地で明らかにされてるじゃないのw
そりゃ広さの割には石高は少ないさ。
でも兵の動員は石高準拠の場合が多いから、結局他勢力よりも
広い土地を持って高い石高があれば同じ事。
むしろ港が無い方が痛い。日本の流通の中心は海運だった上、当時は
沿岸航海で一日ごとに港に入る。停泊料だけでも相当儲かる。

あと金山でどの程度儲かったか?はよく分かってない。
なにせ甲陽軍艦によれば、上洛の資金を作るために僧侶の妻帯税まで
取って7000両を集めたとある。金なら105キロ相当だが・・・・
武田家は信玄の時代から決して金持ちじゃなかったようだ。

黒川金山の金堀衆が武田家に雇われていたわけではなく
民間事業者だったとする説もあり、そもそも経営権は持っていなかった
可能性もある。
0595人間七七四年2008/12/14(日) 05:47:03ID:HePbd9WX
このスレは勝頼が岩櫃城に行っていたらスレです
0596人間七七四年2008/12/14(日) 07:00:44ID:RtEHLkDT
>>595
真田に裏切られて終了
もしくは真田が籠城して頑張ってもせいぜい半年
総大将の信忠は当然前線に残るから本能寺は起きなかった可能性もあり
結果を知ってる者としては、織田にとってはそのほうがありがたい
0597人間七七四年2008/12/14(日) 20:43:10ID:w+aFHtk8
勝頼って関ヶ原の合戦で負けて八丈島に送られた人ですよね?
0598人間七七四年2008/12/14(日) 21:08:23ID:v3wYNWuS
そうだよ。
0599人間七七四年2008/12/15(月) 10:10:05ID:SN9yFrJf

いやいや、泳いで八丈島へ行った人だよな?
0600人間七七四年2008/12/15(月) 10:16:27ID:49zCEe4y
いいれす
0601人間七七四年2008/12/15(月) 14:01:27ID:M+r+DRlI
新府城の欠点は、土が柔らか過ぎること。
あれでは土塀も堀も簡単に破られる。
行けば分かるよ。
0602人間七七四年2008/12/15(月) 14:03:51ID:IiOZU5tv
>>1
岩櫃城にたどり着くまでに討たれていたと思う。
0603人間七七四年2008/12/15(月) 15:10:10ID:OlZQxGYI
>>602
誰にw
0604人間七七四年2008/12/15(月) 18:57:47ID:P4/h/s+Q
のうみん
0605人間七七四年2008/12/15(月) 20:35:20ID:f/AGiRXI
>>601
そもそも版築という技法は(ry

岩櫃城に行く前に、武田信豊と一緒に小諸城で一泊したところ、
下曽根覚雲斎が――
0606人間七七四年2008/12/16(火) 18:50:36ID:+12lnYTU
>>603
そもそも、新府城を出た時点の比較的兵の多くいた時でさえ
どうやら皆戦意喪失のていであろうし、
北条夫人や女中たち足弱なものも引き連れている。

攻撃軍の先鋒にも狙われるであろうし、
あの時代の武装農民や野伏せりも虎視眈々と狙うだろう。
真田の居城まで持つまいと思うのは普通だと思うがな。
0607人間七七四年2008/12/16(火) 19:01:10ID:lX5kDhQZ
勝頼の不運って、結局は織田が強大になり過ぎていたってことだろうなぁ。
北条と手切れ後も、関東方面では最後まで北条を圧倒してたし、
織田(と織田の援軍をもらう徳川)以外には終始優勢。

そもそも織田に勝てた勢力なんて存在してないんだから、
滅亡したことで凡将とは言えないと思う。
0608人間七七四年2008/12/16(火) 19:20:31ID:ARsc2bxT

前述にもあったが、もし仮に勝頼が岩櫃城や上杉に逃れられたとして、信長が「あとは掃討戦だから信忠頼むなぁ」とか言って、自らは京都に戻り、あとは史実通り本能寺が起きれば面白い展開になりそうだな。
ifにifを重ねたとしてね。
0609人間七七四年2008/12/16(火) 20:11:34ID:7qGZc6/8
関連スレ
■■武田勝頼 総合スレッド パート2■■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1182803942/
0610人間七七四年2008/12/16(火) 22:22:43ID:xatF2kGq
取り巻きの跡部勝資と長坂釣閑斉は新府城放棄の時、
勝頼に同行したの?
0611人間七七四年2008/12/16(火) 23:51:00ID:VCF6YFeT
信長公記では勝頼と一緒に死んだ中に入ってる。
0612人間七七四年2008/12/17(水) 00:00:47ID:EzHz9Nid
土屋がもっと強ければ勝頼も助かっただろう
弱すぎなんだよ
0613人間七七四年2008/12/17(水) 01:05:59ID:Jqg+DP1b
>>612
無茶いうなw
0614人間七七四年2008/12/17(水) 01:39:28ID:khH/TYvC
>>608
そのIFだと、徳川が安土やら京堺やらに物見遊山するとは思えないし。
信長も京都に無防備に出かける可能性がなくなるし。
光秀だって家康接待がなくなるのだから、中国出陣がはやまる可能性はある。
0615人間七七四年2008/12/17(水) 01:47:20ID:hjGPcv1p
いやあ、上野まで逃れちゃったら、東北に逃げられたりしたら、もう追いかけるのは無理だし、
甲信を出た時点で、武田家としては終了に等しいわけだしなぁ。
家康が手を出させてもらえたのは駿河までだったわけだし、家康が物見遊山に誘われるのもアリだろ。
0616人間七七四年2008/12/17(水) 09:48:11ID:y7KkVUZU
信忠が京にいなければ光秀だって本能寺の変を起こそうとは思わないよ
織田家はすでに信忠が家督を継いでるんだから
0617人間七七四年2008/12/17(水) 12:04:37ID:VqHYIso/
ナチスの残党みたく南米にでも逃げればよかったんだよ
0618人間七七四年2008/12/17(水) 14:58:02ID:1RFWuALl
琉球にでも落ち延びて、琉球王国を乗っ取っちゃえばよかったな。
0619人間七七四年2008/12/17(水) 21:15:41ID:9u415xkr
実はいへやすと入れ替わっていたのです><
0620人間七七四年2008/12/17(水) 21:47:24ID:mHbxxrCz
>>616
いや、信忠は、退路はすでに断たれてるだろうと思いこんで逃げ遅れただけで、
実際は光秀は信長一点狙い。信長を討ち取った!と思ったら信忠がまだ京都に
いたという展開でしょ?
0621人間七七四年2008/12/17(水) 22:18:21ID:HhkpDkZx
勝頼が実行した、最後の戦略的大攻勢「信濃の守り作戦」は、
西から徳川・織田、東から北条に挟撃され、お家の浮沈を賭けて
決戦すべしとの主戦派の真田昌幸の提案を受け入れ開始された。
武田はもはや大攻勢を実行するだけの余力はないと徳川・織田連合
は認識していた。勝頼は北条への抑えと、木曽口の守備を残して、
動員できるすべての兵力を下伊那に集結させ、遠州・三河方面に進撃した。
目指すは浜松城。兵力・戦略的には圧倒的に優位に立っていた徳川・織田
軍が奇襲を受けて一時的とはいえ戦局の主導権を勝頼に握られてしまった。
どのような理由で勝頼の攻勢計画の探知に失敗したのだろうか。
豊富な人的・物資を最大限に活用して、型にはまった「合理主義」を
取っていた信長にとって、想定から逸脱した事態に直面した戦いであった
と総括できる。
★主な武将の戦死★

徳川・織田(本田忠勝・井伊直政・滝川一益)
武田   (真田昌幸・小笠原信嶺・武田信豊・穴山梅雪・仁科盛信)
0622人間七七四年2008/12/17(水) 22:57:13ID:ZCAJqvtS
作戦名にセンスが無い上に初っ端で昌幸死んだらダメだろw
0623人間七七四年2008/12/17(水) 23:57:04ID:ZYArUiWd
>>620
信忠を重用視してたなら、同時に兵向けてるよな。
0624人間七七四年2008/12/18(木) 00:15:36ID:zc9xwrMK
怪我をしない鋼鉄の肉体忠勝が死ぬわけ無い。
0625人間七七四年2008/12/18(木) 02:09:50ID:roCrTolB
>>621
武田方の手ごまがほぼなくなっちまったじゃないかw
0626人間七七四年2008/12/18(木) 04:35:31ID:1admmnD8
つか、勝頼をかくまって交渉の駒とか有り得ない。勝頼を迎え入れた時点で、信長の反感を買うだろう。生き残りたい
なら、勝頼を懐に入れておくなんて愚考は、死んでも思いつかないだろう。生け捕りにしてさっさと引き渡すか、それ
こそ滅亡覚悟で信長と戦うかのどちらかだよ。

で、仮に彼がそれほど義理堅く本気で戦うなら、序盤で一度大軍を叩いて和平交渉に持ち込むしかないだろう。勝頼の
延命と引き換えに降伏。もちろん武田領は没収。この条件なら織田も飲むのではないか?真田ごとき小大名に手こずっ
て、貴重な時間と兵力を浪費し、おまけに面子も失うリスクを背負う必要なんてどこにもない。

交渉の駒がほしいなら、序盤の戦いで負けないこと。相手が予想する以上の被害を与え、そう簡単にはボコれないと思
わせること。これしかないんじゃないか?
0627人間七七四年2008/12/18(木) 10:57:12ID:AH736ipM
父幸隆
本家海野氏ともども滅亡
上野にて浪人中に武田氏からの招請を受けて信濃返り咲き
村上氏討伐の功にて父祖の地+加増
絶家となっていた本家海野氏は武田からの養子によって再興
本人昌幸
武田氏への人質兼小姓として仕える
元服後は三男の為部屋住み扱いを惜しんだ晴信によって甲斐の名族武藤氏を継ぐ
長篠で兄2人が死亡後には真田本家を継ぐことを許される
勝頼の代には衰亡しつつある武田家において上野で加増
新府城の縄張りを任されるほどの当主からの信頼

真田家の成り立ちを考えればマジで岩櫃城にて篭城を考えていた気もする
もっとも篭城前に息子のうちどちらかは逃がしてそうではあるけどw
0628人間七七四年2008/12/18(木) 12:56:25ID:cxBijF6b
>>627
関ヶ原の、どっちが勝っても家を残すってのは、どうやら「結果論」だったみたいだよ。
實際には、昌幸と信幸は方針(東軍か西軍か)を巡って対立、喧嘩別れしてたらしい。
0629人間七七四年2008/12/18(木) 19:54:54ID:u9CjZbi9
昌幸の兄さんも勝頼に重用されてたんだろ
勝頼は真田好きだね
0630人間七七四年2008/12/18(木) 20:28:25ID:3wZfkiph

真田好きとかじゃなくて単に皆、優れていただけだろ。

信綱は譜代家老衆と同格扱いだったらしいな。
0631人間七七四年2008/12/18(木) 20:45:26ID:4oPSZNhx
「何?真田殿がお屋形さまの許可無く築城(新府城)を開始しただと!
 この財政難の時にいったい何を血迷ったのだ。。。
 すぐにお屋形さまに報告しろ!!やはり信濃衆は信用ならん!」
0632人間七七四年2008/12/18(木) 21:20:03ID:Io2Yb0nG
>>628
そりゃ、少なくとも後世に残る話では、そうなるだろ。
両取りやってましたなんて、残った方からしたら、信用的にない方がいい事実だもの。
0633人間七七四年2008/12/20(土) 02:05:13ID:2ZMrNYsy
それは真田に限った話じゃないだろ?

池田家とか他の家も同じ事してるし。
0634人間七七四年2008/12/20(土) 08:04:56ID:9aAgT8bh
荒木村重みたいに、みんな捨てて逃げちゃえば良かったの。佐竹とか拾ってくれるベ
0635人間七七四年2008/12/20(土) 13:03:56ID:EASOb0B/
>>623
その信忠に押し返されるような明智兵を二つに別けたら、下手したら信長も信忠も取り逃がすだろ
あと、信長を討った後に信忠に向かう明智の軍勢は非常に迅速だぞ?
0636人間七七四年2008/12/20(土) 15:32:59ID:6eymqq9s
>>635
力攻めはあとにして、とりあえず囲っておく。
0637人間七七四年2008/12/20(土) 18:52:10ID:2ZMrNYsy

一万数千の部隊を二分したって、十分信長、信忠を葬れるだろ。
0638人間七七四年2008/12/20(土) 19:14:04ID:gWmx+n+Q
今日の夜9時からNHK衛星第二で
映画「影武者」が放映されるよ
0639人間七七四年2008/12/20(土) 23:15:04ID:EASOb0B/
>>636
で、囲みを突破されるのかw
0640人間七七四年2008/12/21(日) 05:24:42ID:OEScFc/O
>>639
適当の憶測でモノ言うなよ。
0641人間七七四年2008/12/21(日) 12:51:04ID:ADFoPRdi
黒幕やら勘ぐって色々言われてるけど、結局単に信長憎しで後先考えずやっただけだろ
信長さえやっちまえば後はどうでも良かったんじゃないか
失うものなんて元々は大して持ってなかったんだから
まず知将という条件ありきで捉われすぎてる気が
0642人間七七四年2008/12/21(日) 17:18:11ID:nNJ2bQd+
まぁ、人間なんてそんなもんだよ。
0643人間七七四年2008/12/21(日) 17:24:09ID:A+LyAPYa
昌幸も後先考えずに勝頼誘ったけど
来なかったのでラッキー!あとは土屋ガンバレやって思っただろうな
0644人間七七四年2008/12/21(日) 20:45:26ID:uchDWN17
>>626
秋山信友みたいに講和条件を反故にされて騙し討ちにされそうです。

開城の交渉条件を反故にされた例は他に
波多野親子や九戸政実の例など数多い。
後ろ盾のない講和なんてそんなもんだよ。
信長があの状況で律儀に講和条件を守る可能性は低い。

それに信長は勝頼の首を蹴っ飛ばした逸話からあるように
武田への憎しみで凝り固まってるしな。
0645人間七七四年2008/12/21(日) 20:48:01ID:uchDWN17
>>607
「不運」というよりは必然だろ。
信長は天下統一のために典型的な「弱気をくじき、強きを避ける」方策を取ってて
武田・上杉には豪華な貢物をしていて卑屈ともいえる外交を取り続け、
時間を稼ぎ、勢力拡大に成功したんだし。
信長の戦略勝ちだな。
0646人間七七四年2008/12/21(日) 22:04:10ID:k0SjTf5t
それで部下に討たれるのも必然なのかねw
0647人間七七四年2008/12/21(日) 22:13:43ID:mNqXY9Xo
昔NHKで放送していた真田太平記あれはよかった
0648人間七七四年2008/12/21(日) 22:38:04ID:t7YyES47
>>644
波多野親子は現在否定されているし勝頼の首の逸話は後世のもので、ねんごろに
弔ったとする史料もある。一概には言えない。

昔の講談だけで語るなよ。
0649人間七七四年2008/12/21(日) 22:46:23ID:k0SjTf5t
まあ長島一向一揆の例もあるしな。
0650人間七七四年2008/12/22(月) 11:16:40ID:KTnXh9er
武田の残党は逃げ隠れしようとしたけど、信長の空挺部隊が
古府中に降下して一気に制圧されてしまったわけだろ。
0651人間七七四年2008/12/23(火) 04:33:10ID:oZo3dG6g
>>644
>秋山信友みたいに講和条件を反故にされて騙し討ちにされそうです

そうかな?序盤に負けた織田も(いや、講和は織田が序盤に負けたことが前提になるからw)、真田が自ら降伏すれば
面子も立つし、そんなに強い真田なら、味方にしておく方が得だと思うんだけどな。打倒上杉の先兵等、将来の使い道
はいくらでもありそうだ。勝頼を生かしておいたところで、一人で何が出来るわけでもあるまい。

講和を反故にすれば、また真田と戦うことになるだろうし、そうなれば、また貴重な時間と兵力をムダにすることにな
る。その辺りの損得くらいは考えられる人だと思うんだけどなあ
0652人間七七四年2008/12/23(火) 06:32:13ID:vIENGgS0
>>651
そんなに強い真田が、独立した小大名(というか豪族)ならそれもOKだろうが、
勝頼がいると話が違う。
いつ何時、尼子のようにお家再興運動を始められるのかと考えると危ない。
しかも勝頼なら、甲斐と信濃を巻き込むことが可能。
勝頼健在と聞いた武田残党が結集してもこれまた厄介。
(しかもその残党勢力かかえて越後に合流する可能性もある)

考えれば考えるほど、勝頼を抱え込んだ真田が織田に許されることはないんじゃないかな。
0653仙台藩百姓2008/12/23(火) 11:42:56ID:NrI1cWPL
信長に敵対した連中を匿った人達がどのような結末を迎えたか見れば一目瞭然だお( ^ω^)
真田が勝頼を擁して織田政権下で生き残ろうだなんて希望的予測にもならない夢物語だお┐ (´ω`) ┌
0654人間七七四年2008/12/23(火) 13:11:16ID:TWo/H2ef
徳川家中にもいるじゃん
0655人間七七四年2008/12/24(水) 08:12:57ID:HK9SAt3W

てか、勝頼自身なにがあろうが織田政権の下で働くなんてことはしないと思われ。
0656仙台藩百姓2008/12/24(水) 11:58:07ID:KUeOBkDA
>>654
そんな小者はどうでもいいお( ^ω^)
義昭匿った連中などは皆散々な目に遭ったお
浅井朝倉を匿った比叡山もあの有様
六角らを匿った海鮮らも火あぶり
斎藤、北畠、浅井、朝倉、六角、三好、一色、波多野…
皆、国を追われるか殺されたかだお┐ (´ω`) ┌
0657人間七七四年2008/12/24(水) 21:26:04ID:co0N3E+9
六角義治をかくまった容疑で恵林寺の山門が焼かれて
高名な快川和尚(信長とも面識あったような・・・)が殺されたのに、
当の義治がちゃっかり逃げてるってどーゆーこっちゃ??
0658人間七七四年2008/12/24(水) 21:52:27ID:K5U0ADX1
六角ですからw
0659人間七七四年2008/12/24(水) 22:31:34ID:jN3XxZF4
やっぱり六角うんぬんは建前で、快川和尚を滅ぼしたいのが
本音だったという事じゃないかね。信玄・勝頼の裏で暗躍して
いたと見なしていたとかで。
0660人間七七四年2008/12/24(水) 22:37:58ID:jendtrYk
武田攻めの信忠って、高遠城攻めで陣頭に立ったり、
諏訪社に火を掛けて信長にやりすぎだと言われたり、
なんつーかすげーイケイケドンドンなんだよね。
0661人間七七四年2008/12/25(木) 18:42:42ID:maIgVTco

信長の血を色濃く受け継いだ嫡男ですから。
信忠が本能寺で討たれなかったら、織田家が天下取っていただろうな。
0662人間七七四年2008/12/25(木) 18:49:04ID:SbFBG0jS
むしろ
小山田が裏切らなかったら
どうなってたかのほうが面白い。
0663仙台藩百姓2008/12/25(木) 19:34:17ID:8/jw/60j
どうにもならんでしょお( ^ω^)
田野で死ぬか岩殿で死ぬかの違いだけ
それ以前に北条と決裂しなければ多少違ったかもしれないお
0664人間七七四年2008/12/25(木) 20:41:27ID:79l/5ufn
関東さえ手に入ればそれでいい北条家にとって、
武田が上杉と争うなら価値があるが
織田と争う武田に価値は無い。
むしろ外交の原則通り織田と組んでおいて武田を関東から追い出す。
0665人間七七四年2008/12/25(木) 21:16:38ID:v+GIEShB
>>661
包囲もされてないのに速攻であきらめてしまう人に、天下は取れない気がスル。
結果論だけど。

信長は自分も放蕩息子だったのに、信忠が遊び過ぎだと叱責してみたり、ワロス
0666人間七七四年2008/12/25(木) 21:26:58ID:IXgzjuOP
>>665
信長は十代前半までは放蕩無頼だったけど、家督を継いで以降にはそういった振る舞いは
ほとんどなく、戦に政治にと明け暮れている。まあ親父死後は遊び惚けていられる状況に
なかったというのもあるだろうが。

信忠の場合は、二十も過ぎて織田家の家督も継いで以降のことだからな。
信長からしたら

「お前なあ、オレがお前の年齢の頃は能だ舞だと遊んでる余裕なんてなかったんだぞ」

と叱りたくもなるだろう。幼少の頃から大事に跡継ぎ教育施して育ててきたのに。
信忠の場合、十代に遊べなかったのが、二十代で余裕が出てから遊び心がでたか?
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