【滅亡】勝頼が岩櫃城に行っていたら【再起】
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0001人間七七四年
2008/01/10(木) 21:41:23ID:N4LyHib6皆さんの御意見をお聞かせ下さい。
0002人間七七四年
2008/01/10(木) 21:45:21ID:NfogeLGH0003人間七七四年
2008/01/10(木) 21:51:46ID:SWT+QZtvそして滅亡
0004人間七七四年
2008/01/10(木) 21:53:14ID:HCrJVUCU昌幸ほどの表裏者もいないからな
上杉に人質として預けた幸村の扱いを見てもわかるだろ?
そんな男が信用できる訳がない
0005人間七七四年
2008/01/10(木) 22:33:17ID:MIF4oCAq結論が出てしまいました。
0006人間七七四年
2008/01/10(木) 23:40:11ID:EiOT/EtMそこで本能寺
勝頼の再起はあるか?
のifの方がおもしろいと思うんだけど
真田は勝頼殺していたかもしれんが、本能寺があるとチャンスと思い
真田とコンビを組み一大勢力になるか?
上杉の家来に成り下がるか?
徳川の甲斐信濃進出は勝頼の再起で失敗し、小牧長久手の戦には至らず
早くから豊臣の家来になり、毛利前田の次ぐらいの地位で宇喜田と同レベルぐらい
いつのまにか越後上野下野に変えられる
天下を望めるような地位でもなく、朝鮮出兵で疲れて秀吉と同じぐらいに家康死亡
関ヶ原(場所は岡山県)は毛利×石田(前田、宇喜田、上杉)
後を次いだ秀忠はは前田みたいに、どっちつかずな行動で所領安堵
毛利幕府では徳川は前田のような地位
幕末は島津と伊達(毛利のような動き)が幕府を倒す
徳川は前田みたいに何したらいいのかボーとしてる
んで武田家は無茶しすぎた反動で勝頼は保守的な性格に
強いとこになびきながら20万石ぐらいの大名として幕末まで地位を保つ
0007人間七七四年
2008/01/11(金) 00:14:21ID:hbLsEiyJ岩櫃城に攻めてきた織田徳川軍だが、落石攻撃のまえに苦戦、復活した武田の騎馬隊のまえに信長と家康が討ち死。
0008人間七七四年
2008/01/11(金) 00:14:58ID:x0hLUNG4この前提からしてありえないぜ。
0009人間七七四年
2008/01/11(金) 00:34:11ID:vt0RoRaR0010人間七七四年
2008/01/11(金) 01:35:54ID:5MJ+as14外様にもかかわらず落ち目の勝頼を
居城に迎え入れようとしただけでも立派なもんだ
計算高い昌幸は勝算あったんかな?
0011人間七七四年
2008/01/11(金) 02:34:52ID:x0hLUNG4つまりは、捕らえて差し出して媚びる。
昌幸なら素でやりかねん。
0012人間七七四年
2008/01/11(金) 05:31:55ID:GqekpD4j『関東武陣侠』だったっけな。
0013人間七七四年
2008/01/11(金) 06:17:18ID:8U8oiVqK0014人間七七四年
2008/01/11(金) 07:15:19ID:lVHLGRWJ一緒に上杉か北条に落ち延びると思う まあ篭城すれば大軍で攻めてきてもそう簡単に落ちない
上杉と北条のほうに矛先がいくまで篭城で我慢だな
0015人間七七四年
2008/01/11(金) 11:17:34ID:odqggshQしかし、篭城しても援軍、または織田、徳川連合軍の撤退が無い限り滅亡は免れないな。
昌幸には何らかの打開策があったのかな?
0016人間七七四年
2008/01/11(金) 11:48:14ID:fwVpWjuw0017人間七七四年
2008/01/11(金) 18:29:41ID:Y8+cJrHBそれはありえない。
0018人間七七四年
2008/01/11(金) 18:53:06ID:hbLsEiyJ0019人間七七四年
2008/01/11(金) 19:06:14ID:FEqfM+Ng0020人間七七四年
2008/01/12(土) 00:56:42ID:oaGIUp1j武田(武田滅亡前から北条と折衝を開いていた説あり)→
織田(一益与力になるも、神流川後に即座に北条を信濃に引き入れ尖兵として働く)→
北条(徳川との対陣中に徳川へ裏切り)→
徳川(武田滅亡からこの間僅か六ヶ月w)→
上杉(上杉へ人質を出すも、脱走させる)→
豊臣
こいつが義理堅ければ、松永弾正なんて忠臣だぜw
しぶといとかしたたかとかは同意する。
というか武士なんてそれで十分だぜ、畳の上の侍とはちがってな。
0021人間七七四年
2008/01/12(土) 10:29:23ID:IC6QTLC1織田、徳川軍を撃退できた可能性は?
0022名無し野電車区
2008/01/12(土) 11:06:38ID:ZAYHZcjv0023人間七七四年
2008/01/12(土) 11:11:14ID:OHmla5P80024人間七七四年
2008/01/15(火) 19:04:48ID:B1BJ9DTO0025人間七七四年
2008/01/15(火) 20:04:56ID:sbXPSafTでも、周囲を大勢力×3に囲まれてる状況なのを鑑みると仕方ない。
信玄に甲斐の名族武藤氏を継がされた事をみると信頼・期待されていたようだし、
「御館」の地名が伝来通りなら、甲斐武田に対しては義理堅かったのかもしれん。
0026人間七七四年
2008/01/15(火) 20:20:07ID:+xriUByc謙信ておまw
霊界から呼び寄せるのかよw
0027人間七七四年
2008/01/15(火) 20:31:25ID:evn6+6Xd真田昌幸は織田と一戦構える気でいたのを評価されたから
臣下にされたんだ
昌幸は本気で勝頼を助けるつもりだったんだ
0028人間七七四年
2008/01/15(火) 22:19:08ID:nffaD4aCそれもあるかと
0029人間七七四年
2008/01/15(火) 22:49:04ID:8nC++6pH勝頼の首を確認しないで信長が軍を返すわけがない。仮に信長が兵を退いた
としても、信忠や家康はひかない。
それでは、本能寺自体が起こらない可能性の方が高い。
0030人間七七四年
2008/01/16(水) 00:49:14ID:qMGWJ2dQ真田は簡単に終わるとは思えないよなw
0031人間七七四年
2008/01/17(木) 19:17:04ID:2Cx8DlQX信長帝国になってたらえらいことになってそうだな。
秀吉の朝鮮出兵なぞ鼻くそ並みになるだろうな
0032仙台藩百姓
2008/01/17(木) 21:46:36ID:IGisvl/iあんな山に篭って死ぬぐらいなら躑躅ヶ崎で腹切るべきだお
0033人間七七四年
2008/01/18(金) 01:19:54ID:+B+6TJau久々にお前を見たわw
北条への書状だが、あの時武田領侵攻の主体は間違いなく信長なので、
もし勝頼を引き渡すつもりなら信長に渡していただろうし、あるいは
勝頼とその奥方らを逃がす算段だったのかも
0034人間七七四年
2008/01/18(金) 20:03:55ID:y/RamjW3逃がすとは言ってもどこへ?
0035人間七七四年
2008/01/18(金) 21:11:02ID:RVx7nz+n0036人間七七四年
2008/01/18(金) 21:28:39ID:1L25xu5B0037仙台藩百姓
2008/01/18(金) 23:30:00ID:Gkrjgf3e信長へ直行便だお┐ (´ω`) ┌
0038人間七七四年
2008/01/18(金) 23:58:29ID:FcxywPYuそこから船でモンゴルへry
0039人間七七四年
2008/01/19(土) 00:03:25ID:Hs6Q2FHR少なくとも一族、女子供老人を連れてはかなり難しいだろう。
0040人間七七四年
2008/01/19(土) 00:17:15ID:GI023cGQ信忠が諏訪を焼いている内に佐久往還から抜ければ小諸もあるし
0041仙台藩百姓
2008/01/19(土) 09:13:03ID:an610WsLいずれにせよ上杉の支援を受けずには生き残れる可能性はないお
でも上杉にしては迷惑な話しだお
勝頼匿ったら武田のとばっちりも加わってどんな殺され方するか想像もつかないお((;^ω^))
0043人間七七四年
2008/01/19(土) 13:52:51ID:yXeLWkSM0044人間七七四年
2008/01/19(土) 14:58:25ID:7Drv2fQg裏切ったといっても知合いは残っているだろうし、
情勢が変わって敵でなくなったなら、帰れないことはないでしょう。
というか、大熊さん最後まで勝頼に従ったんだ。
裏切り者のイメージかあったが、最後はそういう感じだったのか。
0045人間七七四年
2008/01/19(土) 17:09:52ID:w5haC4by真田昌幸の妻子も甲府にいて、昌幸が篭城の準備に先に岩櫃城に帰った後に岩櫃に帰ったわけだが、
勝頼も同行すればよかったんだよな。
無事に岩櫃まで行けたみたいだし。
0046仙台藩百姓
2008/01/19(土) 17:29:19ID:an610WsL0047人間七七四年
2008/01/19(土) 17:51:28ID:GI023cGQそれを言い出したら武田落ちの正確な史料なんてそうないんだから何も離せなくなるのに
何を言ってるんだお前は
0048人間七七四年
2008/01/19(土) 19:43:14ID:j5twXD7b岩櫃に昌幸が篭れば面白いね
0050仙台藩百姓
2008/01/19(土) 21:56:39ID:an610WsLなんだ結局伝説の類か┐ (´ω`) ┌
ソースは甲陽軍鑑ってオチかお?
真田家蔵文書に何かあるんじゃないお?
0051人間七七四年
2008/01/19(土) 23:15:04ID:yXeLWkSMあの情勢下で、
信忠だけではなく信長が出てくる、という意味をもっと深刻に受け止めるべき。
ほぼ間違いなく、対武田戦にけりを付けるつもりだろ。
0052人間七七四年
2008/01/20(日) 02:08:30ID:bJQ1bvJV0053人間七七四年
2008/01/20(日) 08:27:16ID:zsvYjemC大体信長本隊がどれだけのことをしたのか
例え下条やら保科やら逍遙軒やらが善戦したとしても信忠軍と徳川軍で充分だった
0054人間七七四年
2008/01/20(日) 09:24:33ID:ik+X/Hp2あの情勢下ってお前
信長が甲斐平定ついでの物見遊山の富士見物に来ただけだろうがボケ!
0055仙台藩百姓
2008/01/20(日) 09:27:28ID:0AsynglX0056人間七七四年
2008/01/20(日) 23:14:35ID:zsvYjemC佐久往還?
0057人間七七四年
2008/01/22(火) 21:17:21ID:mGXfXEAG0058人間七七四年
2008/01/23(水) 01:35:57ID:SOummXCOまあでもやはり昌幸が何をしたかったがいまいちわからないんだよなぁ。
勝頼を招きながら、同時に北条への帰順工作やってるし。
勝頼を売り渡す手駒にするにしても、
そんなことを小勢力がやってしまうと、
信用度を失ってしまい、小山田コースも十分にある。
そんな下策を昌幸が考えていたとも考えにくい。
0059人間七七四年
2008/01/23(水) 10:38:41ID:6ssXDrU60060人間七七四年
2008/01/23(水) 13:08:52ID:VeSVw/yL対北条工作は保険をかけたのでは?
本命は上杉景勝を頼って支援をうけて岩櫃城で篭城。
最悪落ち延びて上杉で保護してもらえば主家再興の大義ができる
0061仙台藩百姓
2008/01/23(水) 18:23:45ID:hWT+dais上杉の支援はあまり期待できないし
出来れば織田方の北条に収まる方が安全と見て工作を始めたのかと
だが逆にここぞとばかりに攻め込まれる恐れもあるし
上杉と完全に手切れするのは危険だお
両方と水面下で結んでおいて織田の出方を見てから一方と手を組む方が無難
より良い状況に導く為に多数と結んで秤に掛けるのが小勢力の常道だお
0062人間七七四年
2008/01/23(水) 19:05:04ID:SOummXCOではなぜそもそも織田と交渉しないのだろう。
0063人間七七四年
2008/01/23(水) 19:13:35ID:Z8orjBoA0064人間七七四年
2008/01/23(水) 20:20:15ID:dZKKyipY何処までもお供しますをアピール何なら甲斐か上野か信濃は織田勝長に継がせる。
残りは息子信勝に。
同時に松は信忠のところに送る。
松に早く妊娠するように言う。
勝頼は信忠配下になる。
信頼される程頑張る。
信頼され東国の監視役をやらせてもらう。
本能寺の変が発生。
のこのこやってきた北条は信勝、滝川が打ち破るか和睦する。
勝長を先頭に立て岐阜で松の子を保護し明智を破る。
次に羽柴に何とかして勝つ。
0065人間七七四年
2008/01/23(水) 21:55:02ID:rc/8Q2hu話が出来すぎだろwww
0066仙台藩百姓
2008/01/24(木) 10:29:39ID:0jkqZ/Mpそりゃまだどうなるか分からないから布石を打ったのでしょお( ^ω^)
領地接してる北条と結ぶのが一番無難だお
織田が武田掃討作戦に出ても北条の臣下になってれば難を逃れられる可能性あるし
まあ、昌幸も織田の侵攻速度が予想外だったんじゃないかと思うお
織田に降るにしても口添えがあったほうがいいし
北条の庇護を受けて難を逃れるか
それが上手くいかなかったら上杉に付いて生き残りを図る三段構えだお
0067人間七七四年
2008/01/24(木) 10:41:47ID:L1I7k6hYそうだなよ。
信長旗下になっていれば
本能寺の変で武田騎馬軍団が速攻で明智軍を撃破して
武田の天下になっていた。
0068人間七七四年
2008/01/24(木) 10:59:02ID:QOmHmc8P0069人間七七四年
2008/01/24(木) 12:19:39ID:r85XX5geその時点で和睦してひたすら後は臣従していれば家康と同じ位は目がありそうだな
0070人間七七四年
2008/01/24(木) 20:48:30ID:ocjnF7FOそんなにうまくはいかないでしょ。
仮にも元は100万石あった大名だぜ。
和議したって、相手は信長だ。
結局滅ぼされるのがオチだろ。
0071人間七七四年
2008/01/24(木) 21:35:18ID:8FNmf2rq改易なりなんなりで上手く分配して、勝頼は部将として使うのがいい
源三郎信房を本当に勝頼の養子にして継がせるのもいいだろうし。信長お得意の方法で
0072人間七七四年
2008/01/24(木) 21:39:03ID:ApzFcdtzお祝いの太刀を贈ったりと独自外交に余念がないのが真田家。
もちろん、主家(武田家)の了解の下で情報を探る為に
やっていたのかもしれないが。
北条の件にしても、和平交渉の取っ掛かりか情報収集で
やっていたのかもしれないし、現存してる手紙の日付は
勝頼死亡後だからようわからん。
もし勝頼が岩櫃城まで行けるなら・・・・
そこまでバレずに移動できるんなら、
岩櫃城にいることを悟られないようにして
しばらく隠れて様子を見るつー事になりそうだが。
その代わり、武田の旧領では勝頼探しのための乱暴狼藉が
横行するだろう。六角義治程度をかくまっても恵林寺が
焼かれてしまうのだから。
あと、勝頼が新府から東に向かった行軍速度が遅すぎるのが
気になるところ。普通の行軍なら2日で郡内に行けるのに
一週間もかけとる。女子供連れだったが、本気で勝頼が
どこかへ逃げる気だったら、男だけでとっとと逃げられた
と思う。
むしろ女子供中心の、松姫が小山田領を普通に通過して
北条領の八王子に逃げて大丈夫だしなあ。
0073人間七七四年
2008/01/24(木) 21:53:45ID:8FNmf2rq0074人間七七四年
2008/01/25(金) 14:12:31ID:oqtp1v2c勝頼夫婦の絆は、かなり深かったようだ。
嫁さん棄てて逃げる根性は、勝頼にはないだろう。
0075人間七七四年
2008/01/25(金) 21:10:15ID:mKzpHlaZ松姫の逃避行を調べていたら、どうやら塩山のお寺を出発したのは
勝頼も死んで残党狩りが始まってからのようだ。
勝頼も勝頼である事を前面に出さないで普通に逃げたら
家族一同、岩櫃でもなんでも行けたんじゃなかろうか。
で、草津温泉でのんびり余生を送るとかさ。
温泉宿「たけだ」とか開店したりして。
0076人間七七四年
2008/01/25(金) 22:44:32ID:Fy9li9UQ甲州法度では、他国との境目の国人や策謀を行うものは、
他国と連絡を取り合ってもよいされている。
だから、その程度のことは個別に了解をしてもらうまでもなく、普通に許されていたこと。
長尾景虎へは真田だけではなく、非常に多くの信濃国人が太刀を送っているし。
0077人間七七四年
2008/01/25(金) 22:48:02ID:ipA/uz3I甲州法度はもちろん知ってるけど、
それを踏まえても幸綱はもうそれなりの
立場だったでしょうに、という意味で、ね。
小県の一国人ではなく、小県でそれなりに
任されてる武将なんだから。
0078人間七七四年
2008/01/25(金) 22:57:13ID:TcMlUsG/0079人間七七四年
2008/01/26(土) 04:55:51ID:tIldoldB0080人間七七四年
2008/01/26(土) 09:52:17ID:rCRB+uOQ武田だから真田出すのは不思議でもないし。
北条との戦の折に泣いて離縁して、明智を破った後の清洲会議で
市を勝頼の嫁にして、茶々を信勝に、初を幸村に嫁がせれば戦国女性で有名どこも出せるし。
一応織田武田の同化政策の一環という理由付けで。
で、その後羽柴、徳川、北条とイベント盛りだくさんに出来るし。
0081人間七七四年
2008/01/26(土) 11:32:30ID:aoW9GZgD0082人間七七四年
2008/01/26(土) 11:35:35ID:aiM2vinJ0083人間七七四年
2008/01/26(土) 12:07:47ID:fb+QweIy痛すぎ。
勝頼夫婦はifでも離婚しないのがお約束だし、
初を幸村って、武田配下のそれまた次男坊にとつがせるって無理ありすぎ。
せいぜい有り得るのは信勝に茶々?
でも茶々は秀吉がほしがるんじゃない?
0084人間七七四年
2008/01/26(土) 12:14:48ID:jGEo6TGMいや、だからそれほど大げさに言わなくても、
武田家では、国境近くに位置する国人領主には、
一般的に他家と交渉を持つことは認められていたんだよ。
0085人間七七四年
2008/01/26(土) 13:26:41ID:rCRB+uOQ痛くない歴史if物ってそもそも少ないし。
売れないか?
0086人間七七四年
2008/01/26(土) 14:48:20ID:ql8eqB3kいや、一国人ならともかく、真田となれば一度は小県を追われ、
信玄の指揮下で旧領に加えて小県でそれなりの指揮権を与えられ
ていた存在だから、勝手にやってるとなると逆に内部情報ダダ漏れの
心配がある。下っ端とわけが違うのでは?
そりゃ出身こそ一国人ではあるが。
0087人間七七四年
2008/01/26(土) 20:13:44ID:b1spC1FVいくら痛い歴史ifでも陪臣に当たる一介の武将の次男に一族でも上位の娘を嫁がせんだろ。
あるとすれば織田家重臣の娘を送り込むくらいでしょ。それも信幸相手にね。
0088人間七七四年
2008/01/26(土) 20:25:42ID:OAKcUtko武田氏で一国人ではない家臣の方が珍しくね?
一部の足軽隊将衆とか一騎合衆くらいだろ
真田と一緒に長尾にお祝い贈ってる連中も同じような立場は結構いたしな
その後の成長振りから真田は特別視されがちだが
0089人間七七四年
2008/01/26(土) 22:19:39ID:fb+QweIy>>87
まあ現実の真田息子sの嫁は、
長男信幸が本多、次男信繁が大谷だから、
織田本家に連なる女をあてがうのは、無茶ありすぎ。
0090人間七七四年
2008/01/26(土) 23:13:52ID:Hd4zUQZI0091人間七七四年
2008/01/26(土) 23:22:47ID:x9MwMOYn信玄はPTAの会長みたいなもんだから
信長は後ろだての信玄がいなくなったら
心置きなく意地悪しちゃうでしょ
0092人間七七四年
2008/01/26(土) 23:59:31ID:ztykBAR9勝頼と松永、浅井では格が違いすぎるので、それはない。
てか仮に信長が勝頼に恭順を迫ったとしても勝頼が受けるはずはないと思われ。
彼にも大大名だった誇りがあるからね。
0093人間七七四年
2008/01/27(日) 00:36:20ID:KuxN83kn尼子みたいに
0094人間七七四年
2008/01/27(日) 01:15:04ID:wRwcrYj00095人間七七四年
2008/01/28(月) 21:43:11ID:/WcZQs3Zなく子も黙る武田信玄の息子ですぜ。
0096人間七七四年
2008/01/29(火) 03:43:34ID:++cP2uns信長厨は認めたがらないけど、
どうも武田に対する一連の言動から想像するに
恐怖心みたいなものはあったように思うな
0097人間七七四年
2008/01/29(火) 11:22:41ID:GPk02srn>勝頼匿ったら武田のとばっちりも加わってどんな殺され方するか想像もつかないお((;^ω^))
武田勝頼・上杉景勝のしゃれこうべ杯第2弾になる予感
0098人間七七四年
2008/01/29(火) 15:42:06ID:+id9mLxQ誰かなんとかしてやれよ。
長政がカワイソス。
0099人間七七四年
2008/01/30(水) 00:02:45ID:c2geMByj0100人間七七四年
2008/01/30(水) 07:41:29ID:igKYAoNi浅井の家臣がなんとかしてやれって意味じゃ?
0101人間七七四年
2008/01/31(木) 23:04:19ID:kU+w6MPQ0102人間七七四年
2008/02/01(金) 07:33:21ID:uYKxYgZW軍鑑とかの評価は悪くないから状況は同じだとすれば
昌幸が武藤昌幸として侍大将になってるだろう、とか
そういう推測しかできないな
0103人間七七四年
2008/02/01(金) 22:22:03ID:0YY7QeCR勝頼が岩櫃城に行く。
岩櫃城が織田、徳川連合軍に包囲されるが力攻めは無理と判断し持久戦になだれ込む。
とりあえす耐える。
なんとかなんねぇかなぁ?
0104人間七七四年
2008/02/01(金) 22:32:42ID:i6zSFVHk信長のこれまでのやり方を見れば、
力攻めできないなら付け城つくって持久戦。
その間に上杉潰して東国制覇で詰み。
0105人間七七四年
2008/02/02(土) 00:11:55ID:j3zzAaLMで、ほどなくして上杉、長宗我部も滅ぼされる
0106人間七七四年
2008/02/02(土) 01:29:15ID:NesLaUj30108人間七七四年
2008/02/02(土) 05:05:13ID:2dOJdmjPで、本能寺の変の起こる条件は
信長と信忠の防備が薄く、他の軍団が周辺におらず、明智が軍を動かせるって事でいいのか?
他に条件ってある?
0109人間七七四年
2008/02/02(土) 09:28:47ID:NesLaUj3勝頼が岩櫃に行って、昌幸が匿ったとしたら
勝長・長益らや北条に降伏した上野衆も味方になるだろうか
情報伝達の遅さのせいかもしれないけど上野衆が降伏するのは結構後だったし
0110人間七七四年
2008/02/02(土) 16:40:48ID:j3zzAaLM武田が粘れれば粘るほどタイミングがずれるから本能寺の可能性が薄れる。
明智が動いたのは秀吉の援軍のためだったが、
もし武田が粘れば信長が帰還するまでに明智が出発してしまうか、
毛利と和睦して決着がついてしまうかになる。
四国方面が決着ついたり上杉が先に滅ぼされてれば他の軍団が帰還してくるから、
可能性がさらに薄れる。
0111人間七七四年
2008/02/02(土) 18:51:56ID:7kF5LckW家康の畿内遊覧だってあったかどうか。そうすると、明智には家康接待という任務がなくなるので、その分
中国への出陣命令が早まった可能性もある。
0112人間七七四年
2008/02/20(水) 12:07:37ID:ANkdUtkR0113人間七七四年
2008/02/20(水) 12:43:50ID:6jVhqGgk景勝が佐竹義重に宛てた書状で、もはや玉砕も覚悟の上ですという内容の
手紙を送っているんだよな。
例えば、勝頼の首があがったとして、信勝のみが見つからなかった場合は
どうなるかな?その場合でも信長と家康は甲信に残るだろうか
0114人間七七四年
2008/02/20(水) 12:46:08ID:Ln9hHVon0115人間七七四年
2008/02/21(木) 08:11:30ID:rxBur3NK信勝が生き延びたとしても信長が居残る可能性は低いな。
0117人間七七四年
2008/02/21(木) 19:59:14ID:5WssTczL勝頼他、真田氏本流が消滅するだろうね
0118人間七七四年
2008/02/22(金) 09:35:34ID:VtwWIENt自身を含め信玄の忠臣を遠ざけた勝頼を助けて義理は無いと思う
0119人間七七四年
2008/02/22(金) 13:16:54ID:axEG/Rs30120人間七七四年
2008/02/22(金) 16:50:44ID:BSm9jeq9真田からすれば多少家格が上の同輩にしか過ぎん
まあ>>118の言うように信勝の為なら勝頼くらい簡単に売り飛ばしただろうな
0121人間七七四年
2008/02/22(金) 17:37:14ID:VtwWIENtまぁそういう見方だから武田家まとまらなかったんだが
0122人間七七四年
2008/02/22(金) 21:22:18ID:axEG/Rs3それが1番の原因だよな。
ハナから勝頼を正式な当主にしてりゃな。
0123人間七七四年
2008/02/22(金) 21:51:21ID:KclagXad0125人間七七四年
2008/02/23(土) 07:47:49ID:ZHhtZige滅亡する直前に信勝が環甲の礼をしたと言う話も違うのか?
0126人間七七四年
2008/02/23(土) 08:31:24ID:bkAlLlepあいつの小説はつまらないものばかりだ
0127人間七七四年
2008/02/23(土) 10:22:24ID:9mChhRAw0128人間七七四年
2008/02/23(土) 13:18:51ID:6E75aNpx0129人間七七四年
2008/02/24(日) 00:35:53ID:QVJyi3WZ0130人間七七四年
2008/02/24(日) 02:19:01ID:tM5Q9TUV0131人間七七四年
2008/02/24(日) 03:30:16ID:zuHs+my/それも、滅亡の美を際立たせるための作為的な創作とも言われる。
自分もデタラメだと思っている。
なぜなら、信勝は天正十年以前にとっくに元服式を執り行っており、
それを裏付ける文書が甲州古文書に残っているからな。
「甲陽軍艦」を全否定はしない。見るべき点もたくさんある。
けれど、実際に古文書を検討し裏づけをとりながら
慎重に解釈をしていかなければならない種類のものだと思っている。
0132人間七七四年
2008/02/24(日) 03:57:10ID:EqjNcDTg0133人間七七四年
2008/02/24(日) 18:56:30ID:Bs1B61etどちらがより武田旧臣の心をとらえるかと言えばどちらかというと信勝であると思う
0134人間七七四年
2008/02/24(日) 19:32:40ID:EqjNcDTg「武田と諏訪(元敵)の子」
よりも
「『武田と諏訪(元敵)の子』と『織田(敵)と遠山(敵)の子』の子」
の子の方が家臣受けいいなんて
まあ、だから穴山が離反したんだろうが
0135人間七七四年
2008/02/24(日) 21:14:32ID:WmXYc1Yw0136人間七七四年
2008/02/24(日) 23:06:24ID:tM5Q9TUV当主となるべく運命の人間と、そうでなかった人間の違いだろう。
信勝は名前からして武田の人間なのに、勝頼の方はあくまでも「勝頼」だからな。
所詮諏訪家の人間、としか見られてなかったんだろう。
0137人間七七四年
2008/02/26(火) 07:46:03ID:TOc5liTl0138人間七七四年
2008/02/26(火) 19:26:23ID:QFUXlgyl信勝は信の字が入っているし勝より前に入っている
それが全て
0139人間七七四年
2008/02/26(火) 21:16:40ID:BcVQCWx/0140人間七七四年
2008/02/27(水) 07:49:33ID:n0Sk3oVA0141人間七七四年
2008/02/27(水) 10:59:14ID:xEg5ib1e武田宗家の通字を入れちゃまずいだろう。
0142人間七七四年
2008/02/27(水) 12:06:55ID:lwHx+0vf勝沼信友
吉田信繁
松尾信是
一條信龍 ここまで武田支流系
海野信親
仁科盛信←信を下にしちまったぜ
葛山信貞
信ついてないの諏訪勝頼と諸角虎定くらいか
0143人間七七四年
2008/02/27(水) 12:08:36ID:lwHx+0vf0144人間七七四年
2008/02/27(水) 12:13:40ID:xEg5ib1e諸角は信虎の虎を貰ってるけど、勝頼はない。
つまり、もともと要らない子だったが、
義信の謀反で拾われただけ。
これじゃどう考えても家臣がついてこない。
0145人間七七四年
2008/02/27(水) 12:31:14ID:lwHx+0vf家臣でもそういないよな、この三文字のどれかが入ってないのは
安陪勝宝(貞村・宗貞は旧名?)と跡部勝資、勝忠は勝頼の偏諱だとすると
多田満頼、横田高松、米倉重継くらいか
三枝守友は昌貞説あるし
0146人間七七四年
2008/02/28(木) 00:49:44ID:4epr24JT名前はともかく、駿河攻めの前にでもはっきり勝頼の後継宣言しとけばよかったのさ
0147人間七七四年
2008/02/28(木) 01:05:22ID:5VhcMZrJ0148人間七七四年
2008/02/28(木) 07:33:56ID:lg80L+/w0149人間七七四年
2008/02/28(木) 13:08:37ID:lIJavCcD信玄の代で片付けなければいけない問題が山ほどあるのに、
全部勝頼に丸投げした。
0150人間七七四年
2008/03/12(水) 00:54:24ID:qj/p+U0f一応(ー人ー)
0151人間七七四年
2008/03/12(水) 01:00:01ID:qj/p+U0f0152人間七七四年
2008/03/12(水) 20:35:38ID:xY1Pv+Lt0153人間七七四年
2008/04/25(金) 18:39:54ID:Y/gCRj540154人間七七四年
2008/04/25(金) 20:03:07ID:40InFRXO0155人間七七四年
2008/04/25(金) 20:21:52ID:bX/tfWOx0156人間七七四年
2008/04/26(土) 07:42:54ID:uFKmXTVW0157人間七七四年
2008/04/26(土) 17:46:46ID:HXFsGIba有楽とか団とかがいるにしても緒戦は苦戦必至だな
信忠が上野まで出張ったらどうにもならんとは思うが
0158人間七七四年
2008/05/01(木) 21:21:34ID:bXVWXlsRもちろん、真田に売られる可能性もあるが・・・
0159人間七七四年
2008/05/01(木) 22:26:30ID:cCK2AcMtある意味どういうタイミングで何処に売るかというのも面白いかもしれないけどねw
0160人間七七四年
2008/05/03(土) 23:39:52ID:aMgKo1Sm岩櫃城に籠城した武田軍に織田軍が苦戦。
しかし籠城から暫くたった頃、明智光秀が挙兵。
その報を受けた毛利軍が攻勢に転じ、明智軍と呼号して羽柴軍を挟撃。
羽柴軍は壊滅。
その後、細川、筒井軍を掌握した、毛利、明智軍が東進。
大坂にいる、丹羽、信孝軍、壊滅を目指す。これに長宗我部が呼応。
一方、徳川を真田の押さえとして、織田本体が急遽、西上。
当面は、徳川、北条軍だけとなる。
籠城してれば兵糧があれば落城する城ではないので、ひたすら耐える。
そして大坂での織田軍対毛利、明智、長宗我部連合軍の決戦にて連合軍が勝てば徳川軍も撤退し、北条を駆逐すれば、取られた領地を奪回するチャンスもある。
0161人間七七四年
2008/05/03(土) 23:55:33ID:P5YDtvlr光秀は甲州征伐に参加してるよな?
あと丹羽長秀も
もう少し冷静に考えようぜ
0162人間七七四年
2008/05/04(日) 00:44:23ID:gGtnvz9S0163人間七七四年
2008/05/04(日) 07:04:32ID:A9ncC6hB甲斐・信濃を失って、武田の驚異は喪失したと判断したり、冬まで持ちこたえて大雪に閉ざされたりすれば、
滝川を残して信長・信忠は京に戻るって可能性も残ると思うけどな。
信長は斎藤龍興をはじめ、完全に力をなくしてるのに、それでも絶対に大将は仕留めるという拘りはないように思う。
北条、上杉、毛利が残ってるのに史実では茶会やってるんだから、完全に詰み状態の武田が残ったところで、
京都に信長、信忠が一緒にいるような状態にはならないとはいえない。
0164人間七七四年
2008/05/04(日) 10:29:16ID:VVrpA1pC勝頼が生きているってだけで状況が変わってくる
たとえ信長父子が同じ行動をとったとしても、変が起こるとは限らない
真田が勝頼を匿った場合だが
織田は信濃では小室、牧之島、海津あたりで小県を囲まなければならない
上野ではよくて国峰などの南西部に甲斐側から進入出来ているだけ
勝頼にかなり幸運に物事が運んだとすれば
小室、牧之島、海津は全部武田が持っていられる可能性すらある
上野国衆も誰一人織田に降伏していない可能性もある
もっと細かいところまで煮詰めないと、結果は見えて来そうにない
0165人間七七四年
2008/05/04(日) 14:18:33ID:gGtnvz9S信長が安土から京に入る可能性はあるが、信忠が岐阜に戻っても一緒に京に入る可能性は不明。
まだ敵が健在なら、家康が上方見物に安土や京堺にでかけるなんて状況は考えられない。
そうなると、家康接待という仕事がなくなるので、光秀の中国出陣はもっと早まった可能性
は当然発生する。つまり信長が京にいる時期と、光秀がすぐ近辺で軍勢を持っているという
状況が発生する可能性も当然なくなる。
武田討伐軍の動向が変わるということは、当然それに参加した武将たちのその後の動向も
史実とは変わるということ。それだと、四国遠征軍の行動も変わる可能性はやはり発生する。
大きいところでもこれだ状況に変化があって、それでも光秀は反乱を起すと考えるのなら
その根拠をお願いします。もっというと、光秀が反乱を起したところで、成功する可能性、
さらに言うならば、史実のように信長だけは必ず討ち取れるという可能性はどこに?
0166人間七七四年
2008/05/04(日) 14:48:21ID:A9ncC6hB徳川は信濃に兵を進めてないし、勝頼が生きていようが、「大国の武田家」が無くなりさえすれば、
武田攻めの労いで京に招かれても、全くおかしくない。
史実でも、上杉、北条が残っている状態で上京してるんだから。
加えて、明確な根拠をあげられる人間がいるはずがない。
史実の兵を挙げた理由・経緯さえ諸説あって定かではないのに、万人が納得できる根拠なんて存在するわけがない。
自分の主張と違うからって、100%無理なことを求めるなよ。
こういう仮想スレであげられる話に、完全な根拠なんてあげられるわけがない。
史実ではなく、たらればの話をしてるんだから。
あなただって、「光秀が挙兵したのは、どういう状態だったから」なんて、絶対断言できる状態をあげられるの?
0167人間七七四年
2008/05/04(日) 14:56:29ID:A9ncC6hB信長が生き残った可能性、信忠が有楽と一緒に脱出した可能性も、誰も見た訳じゃないんだから絶対に無いとは言い切れない。
「史実のように信長だけは必ず討ち取れる」証明なんて不可能。
0168人間七七四年
2008/05/04(日) 15:36:35ID:gGtnvz9S当時の北条は織田と同盟中。
それから根拠については確かに無理ですね。
つまり勝頼が生き残っていても本能寺は起こりうるということも説明できないということですね?
0169人間七七四年
2008/05/04(日) 18:14:56ID:MquhvZ4+0171人間七七四年
2008/05/05(月) 21:27:53ID:iJVxmks3「勝頼が生きてる」って時点で、史実とまったく同じ状況にはなりえないわけで、悪魔の証明になるわ。
0172人間七七四年
2008/05/05(月) 21:38:27ID:u4fW2cbl仮想関ヶ原のスレみたいにさ
0173人間七七四年
2008/05/06(火) 01:46:01ID:EhrSilZQ0174人間七七四年
2008/05/06(火) 02:54:57ID:V/jJ25Mh他の本能寺の条件が揃っても、信忠一人京都に居なければ光秀は謀反なんか起こさないんじゃないか
仮に起こしても速攻で信忠が織田家を纏めるんで、武田は多少の延命にしかならないだろう
0175人間七七四年
2008/05/06(火) 05:00:23ID:6V+yLfQC信忠は側室との間に秀信ほか子がいたし、武田攻めは信長の命令を遂行した
だけじゃまいか
0176人間七七四年
2008/05/06(火) 05:35:26ID:V/jJ25Mh松姫の消息を探させてるし、信忠の正室は空いたままだし(まあコレは内親王の席の方がまだ説得力あるが)
0177人間七七四年
2008/05/06(火) 23:31:32ID:EhrSilZQ武田の本貫地の甲斐、そして信濃を制圧した時点で、甲州征伐はほぼ完了。
あとは単なる掃討戦なだけなので、滝川一益率いる関東方面軍に任せてもなんの問題もない。
勝頼が仮に存命してても上野の一部の領主に過ぎないので脅威にもならない。
かと言って信忠が京都に行く可能性は極めて低いが。
0178人間七七四年
2008/05/08(木) 20:03:23ID:xwUMvdS4A 真田昌幸に裏切られてクビ渡されて終わり。
B 岩櫃城攻められて終わり。粘っても植えすぎも滅亡寸前で
陥落は時間の問題。陥落前に信長や信忠が京都に行くとも思えない。
0179人間七七四年
2008/05/08(木) 20:43:35ID:B8JMlZ6g0180人間七七四年
2008/05/08(木) 21:10:10ID:qFl3Rcx1Bは信長は京都に帰ると思われ。
別に信忠も居なくてもいいと思うがな。
あの状況じゃ滅亡以外に選択肢はないから。前述のように、滝川に包囲させときゃいい。
0181人間七七四年
2008/05/08(木) 21:19:06ID:pOFqr1Kp0182人間七七四年
2008/05/08(木) 21:31:03ID:I8scv0k/その後で信長が少数で上洛し京に滞在、光秀が丹波で秀吉の援軍のために兵を集めるという二つのイベントのタイミングが合えば変が起こる可能性はある。
0183人間七七四年
2008/05/08(木) 21:34:39ID:/g3YmZpt0184人間七七四年
2008/05/08(木) 22:01:16ID:i5nVkJwE領土がある程度残っているならともかく、海津あたりまで抑えたら、あとは滝川に任せて、信忠は連れて帰ると思われ。
信長が京に戻るなら、信忠も京に戻る可能性が高い。
0185人間七七四年
2008/05/08(木) 22:38:57ID:PH/Z1cjo0186人間七七四年
2008/05/08(木) 22:47:27ID:fdZ6O0Dvだとしても、軍勢が一緒にいたらそこで終わりです。
史実では西国遠征の為の軍勢がまさに京に集結する直前という絶好の機が光秀に
もたらされたわけだが、状況が変われば、光秀が中国救援軍編成のために信長の
傍から離れる時期も変わるだろうし、そうなれば光秀が軍勢を動かせるように
なった瞬間と信長信忠が軍から離れているという瞬間が一致する可能性は当然
変わってくる。
0187勇魚 ◆CsjAhHKDcQ
2008/05/08(木) 22:49:57ID:00LxUASg影武者が勝頼公として亡くなれば、岩櫃攻めなどは行われずは史実通りに推移すると考えていいんじゃない?
0188人間七七四年
2008/05/08(木) 22:51:32ID:i5nVkJwE北条は織田と結んでいたとはいえ、本能寺後に滝川と戦っている、後に圧倒的不利な状況で豊臣とも戦っていることから、
たとえ本能寺が起きなくても、いずれどこかのタイミングで織田と戦っていた可能性が高い。
勝頼を抱えることによって、北条は甲信侵攻の大義名分と、旧臣を取り込むアドバンテージが得られる。
勝頼は妹婿でもあるし、武将としての能力は確かなわけで、織田とぶつかることを考えれば、北条として取り込む価値がある存在だ。
0189人間七七四年
2008/05/08(木) 22:59:08ID:i5nVkJwEそこらのタイミングがどう交わるかなんてわからんし、
そもそも、明智がどのタイミングだったから決起したのかなんて、誰にもわからんわけでな。
その後、天下を取るつもりで決起したのか、それとも衝動的に決起したのか、誰にもわからんし。
信長さえ殺せればよかったのなら、いくらでも機会は生まれることになるし。
明智の動機がはっきりしない以上。
0190人間七七四年
2008/05/08(木) 23:48:46ID:fdZ6O0Dv信長親子が軍勢に守れていて討ち取れそうになくても、光秀は謀反を起したとでも?
明智が何故起したかという動機は判らなくとも、どうしてこの時に起したかはほぼ
推定されている。勝頼の生存が史実と変われば、当然その後の本能寺に関わった人
たちの動向も変わってくる。つまり史実の天正十年五月から六月にかけての状況も
史実とは変わるわけで、そうなれば当然、光秀に謀反を決意させた「状況」も変化
する。
それでも、どんな状況になっても光秀は謀反を起したと主張するのなら、それなりの
根拠が必要でしょう。
あなたは「動機は誰にも判らない」といいつつ、光秀は謀反を絶対に起すと主張しています。
動機がわからないのなら、光秀が絶対に謀反を起すとも決めつけはできないでしょうに、
他人の反論に対してのみ不確定を理由に退けてます。
0193人間七七四年
2008/05/09(金) 00:02:22ID:gjUzHKlaあんたも、光秀がどういう動機で決起したのかわからないのに、
どういう状況で決起するわけがない的なこといってるくせに、何言ってんだか。
0194人間七七四年
2008/05/09(金) 00:05:48ID:gjUzHKla軍勢がいたって、光秀が信長と対面する機会ならいくらでもある。
動機が天下でなく、信長を討つことだけだったとしたら、軍勢がいたところで信長を討つだけなら可能性はある。
>光秀に謀反を決意させた「状況」も変化する
↑これも可能性にすぎない。変化しない可能性だってないわけじゃない。
自分が可能性で物を言っているにもかかわらず、人が言う可能性は否定するというのは如何なものか。
0195人間七七四年
2008/05/09(金) 00:10:07ID:fhWlEYL+よく読めよ。
「信長さえ殺せれば良かったのなら」って書いてるじゃん。
信長への恨みが理由なら、無理や不利な状況だろうが決起する可能性は十分ある。
0196人間七七四年
2008/05/09(金) 00:15:41ID:gjUzHKlaあの時期の明智が動かせる兵力からいって、100%討ち取れる可能性がない状況なんてあり得ないだろ。
各地で交戦中で、勝頼が生きていたら、史実以上に甲信から将兵を戻す可能性は低い。
明智の所領の位置なども考えたら、明智が「100%討ち取れる可能性がない」ほどの大軍勢を
信長親子が京都に配してる状況なんて、それこそ考えられないんだが。
0197勇魚 ◆CsjAhHKDcQ
2008/05/09(金) 00:28:27ID:G5aO3MyK影武者が仁科盛信ばりに大奮戦して派手に討ち死にすれば、史実通りに信長も信忠も帰っていくでしょ。
なりを潜めている間に情勢の変化を待つだけなら、さほど困難ではないと思います。
0198人間七七四年
2008/05/09(金) 00:39:12ID:gjUzHKla甲信に兵は残すと思うけど、上野の奥深くにある岩櫃まで兵を進めないだろうね。
上野への深入りは、北条を刺激しすぎるし、甲信を固めて、上杉に備える方が得策だ。
0199人間七七四年
2008/05/09(金) 00:40:56ID:9ZzmwxxZ本人の行動如何で変わる事象なら兎も角な
勝頼を生存させるために本能寺が必要で、本能寺を成立させる為に信忠の撤収が必要で・・・
将棋の感想戦は「自分があの時こう手を打ってたら」で考えるモノであって
「相手のコマがここじゃなくてここにあって、こう動いてくれたら」なんて考えるモノではないのだ
0200人間七七四年
2008/05/09(金) 00:48:38ID:fhWlEYL+勝頼が生きていても、上野の深部までは攻め込まず、目的を達したと判断して京都に戻る可能性があるって話であって、
本能寺が起きるかどうかは、その後の話だ。
本能寺が起きない=勝頼の生存はないなんて、誰も主張してないと思うが。
0201人間七七四年
2008/05/09(金) 01:18:21ID:gjUzHKla↓
甲信駿制圧で主目的達成と判断、上野の深部に篭もった時点で驚異とみなさず。
上野の深部までの侵攻は、北条を刺激すると判断。上杉-北条が結ぶことは避けたいだろう。
また、六角・斉藤等の前例からしても、力を失った大名の首に執着はみられない。(武田は格が違うのも確かだが)
都合のいいようにでなく、普通に考えられる自然な行動の範疇だろ。
信忠に勝頼の首を取る手柄を得させるという選択肢も、もちろん否定しないが。
0202人間七七四年
2008/05/09(金) 01:53:27ID:oaMC5Gd6信長の精神いかんによっては駿河観光も家康歓待もないかも知れない
信忠は次は上杉か北条攻めだな
東国方面の司令官だし
0203人間七七四年
2008/05/09(金) 06:06:45ID:8g3TH3fQだから、それが>>199の言う将棋の感想戦話しなんだろう。
「相手がこう動いてくれたら」なんて虚しい話した。
0204人間七七四年
2008/05/09(金) 06:24:01ID:fhWlEYL+なんでそうやって、自分の主張の都合のいいように、推測を願望にしようとするかね。
大体、推定話がイヤならIFスレに何しに来てるの?って感じだ。
「相手がこう動いてくれたら」というのがダメなら「こう動くはずがない」っていう根拠はなんだって話。
IF話に絶対あり得ないなんて存在しない。
0205人間七七四年
2008/05/09(金) 06:28:48ID:fhWlEYL+誰も将棋の感想戦なんてしてるわけじゃなく、仮想で仮定の話してる人だっているんだ。
0206人間七七四年
2008/05/09(金) 06:46:46ID:8g3TH3fQそれこそ、真田が小山田と同じ行動を取らないとは限らないし、
真田の城とはいえ簡単に陥落するかもしれない。
岩櫃城にいく前に落ち武者狩りにあって穴山産め由紀のように死ぬかもしれない。
全てを都合の良いふうに考えてのIFに意味があるのかね。
0207人間七七四年
2008/05/09(金) 07:19:15ID:9ZzmwxxZ勝頼が落ち延びた時点で信長信忠家康が急病で死んじゃうって場合が勝頼には一番いいでしょうね
0208人間七七四年
2008/05/09(金) 07:58:18ID:9ZzmwxxZじゃあ何のために本能寺の話をしていると思ってるんだ?
信忠京に帰る説は勝頼に反撃能力がないという判断の上に支えられている。
つまり信忠が帰って本能寺が起きないと、後は信忠配下か帰ってきた信忠自らによって
残党勢力である勝頼は征伐される=史実と同じ結末になる。
通った道が違うだけでゴールは一緒、IFでもなんでもない。
IFの為に本能寺が起きなきゃならんという状態だろ、今。
それとも真田は日本一の戦上手なので、北条が織田と同盟してて上杉が風前の灯火でも
織田の大軍相手に獅子奮迅の戦いをして逆に信忠の首を討ち取りましたという三流ゲームのようなIFでも考えるのかい?
ここまで懇切丁寧に教えてあげなきゃ分からない?
0209人間七七四年
2008/05/09(金) 07:58:31ID:oaMC5Gd6その後武田がなんとかなるなんて外部で奇跡が起こるしかないです
関ヶ原以後の豊臣家がどうにもならんように
だからココは武田厨ホイホイなんです
大坂の陣前に家康が天麩羅食って死ぬとか
秀康が長生きして徳川裏切って豊臣につくとか
大坂の陣に秀家が泳いで参ったとか
幸村が家康も秀忠も討ち取って万々歳とか
そういう楽しい妄想を武田厨や真田厨がするスレなんです
現実的な予測はスレストップになるんでKYになるッス
0210人間七七四年
2008/05/09(金) 08:39:50ID:9qyy6XCh0211人間七七四年
2008/05/09(金) 17:39:45ID:8g3TH3fQ0212勇魚 ◆CsjAhHKDcQ
2008/05/09(金) 19:21:56ID:G5aO3MyK奮戦の末、逃げる余地なく取り囲まれた影武者がドカーンと火薬で大爆発パターンで跡形もなく消え失せたなら?
岩櫃まで行けるには、かねてから手筈を整えた『死んだ振りで鋭鋒をかわす』策の発動しかないと思うのです。
0213人間七七四年
2008/05/09(金) 19:53:35ID:Nyidd3nC死んだふり作戦はそんなにうまく行くとは思えず。
信長はそんなにバカではない。
てか誰にも通用しない気ガス。
0214人間七七四年
2008/05/09(金) 20:50:12ID:agAZ90IC0215人間七七四年
2008/05/09(金) 21:37:39ID:8g3TH3fQ元々、信濃の豪族だしそこまで武田に義理立てする必要はない。
勝頼が小山田の方に行って正直、ホッとしたろうね。
0216人間七七四年
2008/05/10(土) 10:37:20ID:bbueyCSYだったら我が岩櫃へとは言わんだろう。
0217人間七七四年
2008/05/10(土) 10:49:08ID:r0f7lOQ20218人間七七四年
2008/05/10(土) 11:03:29ID:irPq84O30219人間七七四年
2008/05/10(土) 11:05:25ID:zsSdP63D昌幸は一応甲斐の武藤氏の名跡を継いでたりする。
海野の一氏族に過ぎなかった真田が信濃・上州で勢力を伸ばしたのは武田の後ろ盾あってこそ。
とまぁ義理立てするための理由は無くもない。本気で迎えるつもりだっかどうかはわからん。
実は本拠へ逃げ帰る口実だったとか、小山田と共謀してたんじゃないかとか、後々のイメージだとそういうオチを期待してしまうがな。
0220人間七七四年
2008/05/10(土) 11:13:05ID:DPyQzSE+0221人間七七四年
2008/05/10(土) 13:32:37ID:3a2zOhsL上杉と連携して抵抗しましょう、なら判るんですが。
もし昌幸が北条と交渉していて、勝頼に「北条も味方につけられる可能性がある」
なんていったら、それなら余計に岩殿山の方がいいってなっちゃうような。
一族郎党女子供老人まで引き連れていくってことを考えたら、なおさら。
0222人間七七四年
2008/05/10(土) 18:15:53ID:/6B04UUS代表して昌幸がおいで下さいと言ってもおかしくはないのだが・・・
0223人間七七四年
2008/05/11(日) 01:11:53ID:LuBlvunAこの時期の北条の動きを誤解する人も多いけれど、
氏邦が積極的に上野衆を切り崩しをはかっており、成果もあったらしい。
ならば真田にも当然声をかけていたと見るのが妥当じゃないか?
真田としても手ぶらで降伏するよりは口ぞえが合ったほうが安心できるし。
0224人間七七四年
2008/05/11(日) 13:46:28ID:wPqZfEpL上杉も滅亡寸前だし、今さら北条を味方になんて無理だし。
領地に帰るための言い訳か、手土産目的だな。
0225人間七七四年
2008/05/11(日) 17:09:36ID:WPY9OimA信濃で支えられなくなって甲斐に戻ってきたのに、今から信濃に逃げましょうって…
0227人間七七四年
2008/05/11(日) 18:08:43ID:gK4SLjSd0228人間七七四年
2008/05/11(日) 18:20:11ID:Hc4j2VDF0229人間七七四年
2008/05/11(日) 18:56:58ID:czVdmtRz岩殿なら耐え切れただろう
郡内から掻き集めれば二千は集まる
ただ、謀叛に加担した八左衛門行村とかもいるしな。調略があったら難しいか
0230人間七七四年
2008/05/11(日) 21:54:11ID:SW26bf9W小山田に助けを求めれたらな〜と思うんだ
いざかき集めて近習と女中共が300(半分以上非戦闘員だわな
それも勝沼辺りに付く頃は櫛の歯が抜けるような有様
岩殿へ移って最後の決戦だ!って言うんじゃなくて
スッテンテンで落ち延びてるんだからもう詰んでるわ
この手の話は長篠行かないor新府城でなけなしの財力無駄遣いしない
とかから始めないとマジで本能寺が起こるとかそんな奇跡ありきで
話進めても息詰まるべ?
0231人間七七四年
2008/05/12(月) 21:46:05ID:9Z+kX8Zm抵抗した高遠城すら、十分に持ったとは言い難い。
しかもそれ以外の深志、諏訪やら要所がまともに戦いすら起こってない有様。
どうにもならないというか、劣勢になったとたんにそんな状況になってしまった武田家の体制の問題としか・・・
0232人間七七四年
2008/05/12(月) 22:29:59ID:Et+dI5TV信忠が全部焼き払ったから合戦どころじゃなかったしなあ
0233人間七七四年
2008/05/12(月) 22:54:20ID:2rHPF5/y甲斐源氏の意地を見せたのが弟の仁科だけとかな
逍遥軒とか土民どもに落ち武者狩りにあってるし、どんだけ〜w
天嶮の要塞、甲斐の国も守る人がいなけりゃ侵入し放題
集められる限界の兵力は高遠の三千だけだったんだろうな・・・
逼迫しすぎw
0234人間七七四年
2008/05/12(月) 23:04:40ID:dXkcQqVQ国人としての真田家の当主としてよりも、武田家の家臣としての意識が強かったと思う。
単純に信玄の子で年の近い勝頼を守ろうとしたと思うのだが。
なもんで勝頼を迎えて岩櫃で篭城、滝川や徳川北条に囲まれてるうちに、京に帰った信長親子は本能寺であれになる。
で、導き出される答えは、たぶん穴山君は死ななかっただろうなと。
0235人間七七四年
2008/05/12(月) 23:09:35ID:9Z+kX8Zm0236人間七七四年
2008/05/12(月) 23:25:57ID:6/P8pBfU一条父子だけなんだよな。
0237人間七七四年
2008/05/12(月) 23:31:11ID:Z3jm7vaQ0238人間七七四年
2008/05/12(月) 23:43:02ID:CrV/EkNy信玄の信濃侵攻時に寝返ったり軍門に下った事を考えれば、強きに靡くは当然の流れか
頑強に抵抗した笠原一族や村上義清を取り込めていたら、また違ってかもな
でも甲斐本国はもっと不甲斐無かったな
0239人間七七四年
2008/05/13(火) 01:00:48ID:DvNhurIk単純に北条が表立っては動かなかっただけだけど
0240人間七七四年
2008/05/13(火) 01:57:43ID:SyIME0lv0241人間七七四年
2008/05/13(火) 01:59:22ID:ZedbMgab0242人間七七四年
2008/05/13(火) 13:52:29ID:y/1dd0zt木曾氏の木曾領は先祖伝来の地で、武田家から賜ったものでもないしな。
そんなこと強行しようとしたら、木曾氏は普通に織田に寝返るだろう。
はっきりいって、江戸時代以降の発想。
0243人間七七四年
2008/05/13(火) 21:45:31ID:a5BDz67z新府城跡から結構豪華な装飾品らしきものが出土していると聞く
軍備戦費に廻しておけばあんな惨めな落延び方をせずに済んだろうに・・・
0244人間七七四年
2008/05/13(火) 21:47:53ID:yhvBn41Yそれだと、そもそもIFにならないので、
「真田は勝頼一向を迎えて戦った」という仮定からはじめないと
このスレは成立しない。
0245人間七七四年
2008/05/13(火) 22:14:53ID:Y/Cg6Nli何か出たとしても、その後、徳川が新府城を甲斐の拠点の1つにしてるんだから、
財政危機中の武田が残した物の可能性は低いと思うが。
0246人間七七四年
2008/05/13(火) 23:13:57ID:+ZC/6Jp70247人間七七四年
2008/05/14(水) 05:47:29ID:8yyqLd7D0248人間七七四年
2008/05/14(水) 06:38:01ID:iNQdkbXK長篠城が早く落ちて信長が撤退するのか、決戦を避けて勝頼が撤退するのか、
どちらかによって、大きな違いがある。
0249人間七七四年
2008/05/14(水) 07:56:07ID:8yyqLd7D0250人間七七四年
2008/05/15(木) 01:32:22ID:oiC4Frcv0251人間七七四年
2008/05/15(木) 13:31:10ID:s5ERWaz60252人間七七四年
2008/05/15(木) 14:03:53ID:RplqeVrL0253人間七七四年
2008/05/15(木) 16:26:38ID:wk/abiNaIf1ー高遠落城後に、勝頼一行は岩櫃城へ落ち延びるとする
ー1.1本能寺の変が起きる場合
・3ヶ月持ちこたえるために何が必要か?
・変後の甲信での巻き返しは可能か?
ー1.2本能寺の変が起きない場合(信忠が残る・引き上げるでさらに分けるもよし)
・上州で生き残りを図るためには何が必要か?
0254人間七七四年
2008/05/18(日) 10:50:38ID:bRv/oY+jなにもかもうまくいっているというおごりから生じた一面があり、
信長が京都方面にいるからといって必ず成功するというものでもないんだが。
実際、本能寺は出来すぎなほどにうまくいったのであり、相当に運の要素が多い。
武田が滅びていず歴史のタイムスケジュールが大きく狂うのに
みんな安易に考えすぎ。
0256人間七七四年
2008/05/18(日) 15:36:36ID:Vp6Je1tM0257人間七七四年
2008/05/18(日) 16:13:32ID:pQPf4Jb/IFはせいぜい一つにしない収集つかないよね。
0258人間七七四年
2008/05/18(日) 16:57:49ID:sUEjCFA10259人間七七四年
2008/05/18(日) 18:07:16ID:yYNTnz0V0260人間七七四年
2008/05/18(日) 18:31:37ID:Bi5Lw1gt勝頼"一行"にすりゃよくね?
勝頼関連の一カ所を変えると影響が大きくそれ以降ずっとifが続くんで、ifにifを重ねるってのとはちょっと違う
以下長文。ゴメン
まずは岩櫃へ向かうとして、大雑把に
・無事に辿り着く
・途中で捕縛される
・誰かが脱落するが、勝頼は無事に辿り着く
という三通りが考えられる。と、ココまでが一つめのifなんだが、仮に辿り着いたとすると更に派生して
・もはや武田に脅威無しとして後の仕置きは信忠に任せ信長自身は畿内に戻る
・もはや武田に脅威無しとして後の仕置きを徳川(or滝川or川尻)に任せ信長父子は畿内へ戻る
・それ以外の軍団長(あるいはそれに相当する人物)に任せる
・あくまで勝頼の首級を上げる事を目的に残党狩りを行う
・返す刀で上杉に圧力を掛ける
・真田が裏切る
などなど、考えられる選択肢が無数に生まれる
で、まずはこの辺までに絞っておかないと議論にもならないと思うんだがな
0261人間七七四年
2008/05/18(日) 19:18:21ID:Zd5UAott強大、残虐、極彩色の信長インパクトの後で、甲斐源氏だの御旗盾無だのにひかれる奴が
そんなにいるとは思えない。特に勝頼は評判悪いしな。
穴山信君あたりが「あれは武田ではなく、諏訪四郎にすぎんのだ」と宣伝しそうだし。
0262人間七七四年
2008/05/18(日) 22:34:25ID:Sz5rwy9B0263人間七七四年
2008/05/18(日) 23:13:16ID:pQPf4Jb/北条および関東諸将、東北大名の大部分が織田政権に好を通じつつあるし、
武田攻めの直前で、東国においては武田と上杉くらいしか反織田勢力が存在しない。
その上杉も風前の灯で援軍を送るどころか一兵でも多く欲しい状況だし。
0264人間七七四年
2008/05/19(月) 00:15:29ID:XW2da2uJお家取り潰しは防げたんじゃないかってのは甘い考えか?
いったん降伏して臣下の礼とった後は本能寺で棚から牡丹餅狙い
0265人間七七四年
2008/05/19(月) 00:27:41ID:baCZVaOY真田全面協力が前提としても、上野だけでは策源的に乏しすぎるし。
葛尾城・上田原口・佐久平口ラインで食い止められるのが一番。第2線が
上田・砥石と軽井沢口。真田の口利きでどこまで東濃勢力+αを纏められる
かが鍵かな。とはいえ信玄公の頃より信濃では武田の評判が芳しくないのも
事実。真田がどこまで力を発揮できるか。または勝頼をどこまで利用するか。
ただ問題は甲斐が落ちて地盤を失うとともに、時間が稼がれることによって
御大信長が戦場に間に合って、嬉々として現れるだろうと考えられること。
滝川の第一撃は何とかなっても、御大が現れるともう引っ込みがつかなく
なりそう。上田城もまだ無いしね。とはいえ砥石〜真田間で御大直卒軍に
最大限出血させるというのも楽しいかもしれん。
0266人間七七四年
2008/05/19(月) 01:42:35ID:iQ3OkrzV信長は絶対にひかないと思う。勝頼の首を見届けるか、最低限真田の勢力を一郡
程度になるまで他の地を占領するくらいしなければ、あとを息子なり配下武将に
任せるなりして自分は京になんてまずしないだろう。
0267人間七七四年
2008/05/19(月) 12:34:16ID:cmsJLuHQ今度は同時期に明智が他の場所で転戦してる可能性も大いにあるだろう
家康もノンビリ京都にやってくるか?という問題も
0268人間七七四年
2008/05/19(月) 22:00:03ID:pNEnj/Uy俺も信長がきていれば、降伏勧告で勝頼隠居とかで、信勝には諏訪辺りをくれて、
お市の方の娘の誰かと結婚させてその子供を甲斐に。
IFの一つではありでしょ?
0269人間七七四年
2008/05/19(月) 22:15:37ID:cmsJLuHQ0270人間七七四年
2008/05/20(火) 00:01:06ID:8gwZNDGh信勝は信長養女の子にあたるんだから。
ただ、助命家名存続されても、甲斐からは切り離されるだろうな。
0271人間七七四年
2008/05/20(火) 00:08:28ID:P+sgZX44だから信勝(゚听)イラネ
0272人間七七四年
2008/05/20(火) 01:22:38ID:evoJu2eD繋がってはいるんだな
移すとしたらどこだろうか。時期にもよるが、大和やらせて失敗させて没収とかか
0273人間七七四年
2008/05/20(火) 11:42:40ID:vn1CzGgm木曽と穴山を寝返らせてたけどまさかあれほどの武田崩れになるとは予想しがたい
出来星大名とは違う源氏名門だし
めっちゃ楽観的なスケジュールだとしても
木曽から諏訪平に行くのに1〜2ヶ月
信濃府中をおさえつつ高遠諏訪制圧に1〜2ヶ月
甲斐を諏訪口と駿河口から侵攻し、同時に佐久方面を制圧しつつ1〜3ヶ月
最短でも半年はかかると計算してたと思う
0274人間七七四年
2008/05/20(火) 15:18:01ID:8gwZNDGh0275人間七七四年
2008/05/20(火) 21:10:33ID:MCWeLmJj確かにどこの大名も滅亡するときは、離反などはあると思うけど、あそこまで脆く消えた家はそうはないよね。
0276人間七七四年
2008/05/20(火) 23:19:19ID:J5DnAnGV御親類衆だし武田軍内では有力者だし、この二人が裏切るほどだから…と思わせるものはあった。
0277人間七七四年
2008/05/21(水) 02:51:23ID:TRZFgXCo0278人間七七四年
2008/05/23(金) 14:57:06ID:E5+y2eWV300の手勢で突撃して玉砕した説があって
甲斐の人々は大半がそれを信じてるらしいけど本当??
武田一族で一番好きな人物なんで、有終の美を飾ってくれたんなら嬉しいんだが。。。
0279人間七七四年
2008/05/23(金) 21:05:28ID:63KdDU7P穴山や信廉のクソへたれが際立つな。
てか2人とも、ろくな死に方してないしね。
どうせ死ぬなら武田家に命を賭して果てれば、盛信や信竜たちみたいに尊敬されたのにね。
0281人間七七四年
2008/05/24(土) 01:08:42ID:yar/L6oO0282人間七七四年
2008/05/24(土) 12:38:40ID:TFa4QDX2ただ単にこいつらがスーパーへたれだっただけか?
0283人間七七四年
2008/05/24(土) 14:08:19ID:iPpjnUtcそれでも君、君足り得ずとも臣、臣足り得ずを守らなかった
家臣団が一番悪いのだけれど
勝頼が頼りにOR贔屓していたのは信濃系の連中だけだったんだろう
だから甲斐の国に拠点を構えているのに親信濃でそれらを重用し
国中の親族衆を軽視していてさらに
信濃に近い韮崎に新府城を築き距離を置くほどなんだから当然仲が悪いはず
河内の穴山も血統が武田本家に近いうえに
娘を梅雪の子と結婚させる約束をしていたのに反故にして
武田信豊の子と婚約させ面子を潰したので仲が悪い
跡部なんかはこの勝頼をまじめに補佐していたので
武田遺臣達によって奸臣にされちゃったんだと思う。
最後に武田家が抵抗らしい奮戦したのが信濃で頑張ったのが仁科や諏訪だし
最後まで付き従った老将長坂も諏訪郡代として重用されていた
0284人間七七四年
2008/05/24(土) 15:28:31ID:zrwgRBOX0285人間七七四年
2008/05/25(日) 02:19:23ID:rD85b7be長篠では戦局を最後まで見送った後に退却したりと中々の胆力を持っているように
思います。山県との逸話を見ても、中々の武名の持ち主だったかと。
0286人間七七四年
2008/05/25(日) 15:11:50ID:MppAkkho0287人間七七四年
2008/05/25(日) 18:36:15ID:Kc8EYBKL0288人間七七四年
2008/05/26(月) 21:47:24ID:iGhADmd7武田典厩、一条大夫の二名。
十分高い能力を持っているはずなのに、、、
何故かノブヤボでは抹殺されている。。。
0289人間七七四年
2008/05/26(月) 22:51:51ID:TjquZRY6超劣化信玄として存在しているが一条は存在すら・・・w
0290人間七七四年
2008/05/27(火) 08:03:57ID:2iIZmbA90291人間七七四年
2008/05/27(火) 14:55:21ID:Vi8S9asC0292人間七七四年
2008/05/28(水) 20:20:50ID:zcCviiNn0293人間七七四年
2008/05/28(水) 23:11:56ID:HDvkTGVC0294人間七七四年
2008/05/30(金) 23:17:59ID:7SZb0Kdwそしてなによりも長篠合戦は起こらなかっただろう。
0295人間七七四年
2008/05/31(土) 05:31:31ID:3cLSWFHg0296人間七七四年
2008/05/31(土) 17:24:13ID:DVFK7iOc0297人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/05/31(土) 17:49:07ID:xJgctKgk0298人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 18:31:29ID:Zq+pD+uN0299人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 00:03:12ID:O7xwPmXtまず武田滅びなきゃ本能寺起きない
そもそも本能寺がおきようがおきまいが
どっちにしろ財政的にかなり苦しかったらしいし
もう終わりに近いんじゃないかな
0300人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 00:25:20ID:oxYtGcH/0301人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 01:48:04ID:mjeN0jjd真田の裏切りであぼーん、なんて可能性もあったのでは?
確かに真田信繁親子の豊家への忠節は間違い無いけど、それも徳川側に長男を残したからこそ…とか。
だいたい真田昌幸は先の見えぬ時期とは言え、武田家滅亡後は徳川、北条、等々あちこちと誼を通じている。
再起をはかるにしても降伏するにしても、取引の道具として勝頼親子を手放したく無かった…
勿論、知謀に長けた真田昌幸なら小山田のような失敗はしなかっただろうけど。
0302人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 01:57:10ID:Nsa0egDW昌幸は徳川にひたすら赦免を願っていたよ。九度山でやがて来る豊臣vs徳川の大戦のための
秘策を練っていたとかは講談の話。
で、最後まで赦免されずに終わったので、息子は絶望して脱走して大坂城に入っただけ。
現実問題として、真田裏切りの目は普通にあるだろうな。勝頼からしたら、一族ではない、
姻戚関係も無い、累代の家来でもなく同国衆ですらない一豪族を頼るなんて自殺願望としか
いいようがない。
0303人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 02:27:07ID:y3WN3sr20304人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 02:38:37ID:mjeN0jjdで、親族を頼って裏切られた…と。 わかります
0305人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 03:28:48ID:Df9MNDRT親族に見捨てられつつある落ち目の勝頼を迎えて真田に何のメリットもないはず。
上杉勢が北陸で押されるって情報はもう上田に入って来てるはずだし
上杉勢の加勢を当て込んで、ってのも有りそうにない。
北条家はもう武田と対立して関係修復の見込みもなさそうだし…
昌幸は何でまた勝頼を迎えに行くって話になったんだろ。
0306人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 03:38:04ID:mjeN0jjd0307人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 04:46:31ID:nMXHQYMj新府城の最後の軍議があったとされる3/2だとすると、織田連合軍の
進撃速度から考えて既に岩殿以外の選択肢は残らないように思える。
なんとか佐久縦貫に取り付けたとしても、光秀と同じように土民に
襲われ討たれるのがオチではないかと。志賀城の恨みも残っている
可能性高いしね。
上原城へ連れて行った2万の手勢が新府に戻った時点で1千足らず
だとすると、なおさら終わってるしなあ。
0308人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 10:51:10ID:b45yJXsd以下、昌幸からみてだが
幼少時代
本家である海野一族ほぼ滅亡
分家の真田家も当主幸隆を筆頭に親子家臣揃って信濃海野平を追われ上野国に居候
少年時代
海野平の安定支配を目指す武田晴信により父幸隆が武田家に招聘される
予想以上に貢献度(武田の中・北信支配において)が高く、海野一族の故地に加えて
旧村上領の一部をも加増される
三男だったこともあり人質的な意味合いも兼ねて晴信の小姓衆となる
青年時代(晴信の代)
真田家には長男次男がいたため、家を継げる可能性はかなり低かった(と言うかほぼ無い)
その為、昌幸の器量を見込んだ晴信の差配により甲斐の名家武藤姓を継げることとなり、
一家を立てることを許される
曽根匠と共に信玄の両目と呼ばれる謀臣
青年時代(勝頼の代)
長篠で信綱・昌輝の死去に伴い、真田本家の家督相続を許される
衰退しつつある武田家において加増(上州沼田領)
新府城の作事奉行(城の縄張り担当の為、城の構造を全て把握する立場。当主からの
信頼度が無ければ務まらない)
先祖代々の家臣であることが当たり前の家臣に比べ、生々しいくらいに武田の恩を感じざ
るを得ないと環境だと思う
0309人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 15:20:57ID:cCmPVWg+それなら、織田、徳川、北条に滅亡前から、誼を通じるのはおかしいでしょ。
玉砕覚悟で勝頼主従を守るつもりであればそんなことする必要はないし、それこそ、織田、徳川軍や北条軍が進行してきて、戦ってしまえば真田が許される可能性はかなり低いかと。
やっぱり交渉の決定打として呼んだ可能性の方が高いと思うな。
0310人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 20:10:07ID:PA7O5Yvf勝頼を受け入れても、北条か織田のどちらかと通じるのは必須だろう。
0311人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 20:14:56ID:ybP7YQLk0312人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 20:39:39ID:paVCdj1j0313人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 21:28:23ID:b2itdfxS勝頼の保証は請け負いかねる。
0314人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 22:33:27ID:ltvSiZ/H0315人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 22:53:51ID:b45yJXsd別におかしくないかと
覇権型大名としての武田家ではなく、北信・西上野の地方領有小名としての存続を
考えれば織田、徳川、北条、上杉のどこかに従属というのが現実的なプランでしょうから
外交チャネルを確保しておくというのは当然のことだと思います
0316人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 00:31:08ID:CVP21sTL黒田の息子みたいに、まだ表に出てない人物なら身代わりが効く可能性がないわけじゃないし。真田にいることさえバレなきゃいい。
後々、武田の旧臣を取り込むのに、大義名分という意味でも、上杉・北条・徳川の甲信争奪戦が始まった折りに「使い道」はかなり出てくると言って良い。
0317人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 14:58:29ID:XSMEhfHEさらに新発田重家に対する攻勢を中止した上杉勢が加勢し、
戦闘は膠着状態に陥る。
信忠先鋒滝川は砥石城に取り付くも砥石崩れの再来を招き
千曲川へ落とされる。
戦場に到着した信長は佐久〜上田正面を徳川・穴山・小山田
に任せ善光寺平から春日山城を目指して動き出す。
事ここにいたり、芦名も越後に出兵し北条も上野を伺い、
上杉・武田連合はもはや風前の灯である…。
一人佇む明智光秀
0318人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 22:27:04ID:h42NSbkv信勝が密かに死んでいて、妹が「信勝」名乗ってたりする史実にほど遠い漫画だがw
土屋昌恒にスポットライトが当たるのはうれしいな。
0319人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 09:47:54ID:HFNnhZQGあれはカワイソス。
0320人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 11:18:44ID:bZrsVjto戦っては千人斬り、内政では竜朱印奏者という文武両道のエリートなのに、どれもあの数値って・・・
子孫なんて、千人斬りの逸話があってこそ、大名さらには老中に繋がったというのに。
0321人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 11:59:58ID:Lixks+Vs昌幸が裏切るという意見が多いので言ってみた
0322人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 16:05:38ID:/b1Cg7qkなんて言ったんじゃ無いかな?或いは自分では殺さずに白旗揚げて…
勿論、織田家の武将と上手く内応しておいて。
0323人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 17:38:33ID:Wqc1f67Aそれが通じる相手じゃないだろ、信長は。
0324人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 18:46:44ID:Lixks+Vs勝頼は殺さないと思うが・・・
0325人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 19:05:24ID:AhE8x9GX0326人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 19:40:26ID:AuVuo0Wo梅雪も依田信蕃も家康のとりなしがなければ殺されましたが何か?
0327人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 20:16:06ID:Lixks+Vsその二人は小山田と同じ理由だろ
考えればわかることだ
0328人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 20:24:18ID:t1Upp5c62,3年前なら可能性はあったかもしれないが
0329人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 20:48:31ID:t1Upp5c6真性のくるくるパーだな、お前w
0330人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 21:53:02ID:C9q2HogS命を永らえるためなら影武者を立てて、勝頼本人は変装して外国へ逃げるほかないですな
0331人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 00:49:47ID:L5AM8cNO「一度裏切った奴はまた裏切る」と
0332人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 04:05:40ID:hAPy0TK50333人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 07:48:36ID:6fzjmOz7なんの話?
0334人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 11:14:45ID:UQ6Yn6pm0335人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 12:14:14ID:0VGVwxIJというか、締めるところを締めるのは天下人にとって必要なことだろ。
0336人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 18:32:40ID:DQ/VSqO40337人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 19:27:09ID:hAPy0TK50338人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:01:06ID:9YgMMCow0339人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:04:59ID:sKFwbApH0340人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:10:13ID:iKUm5Q8m0341人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:30:20ID:Ljy6YTqY結局、武田家単体には、堅固な居城を築くほどの力すらなかったのかもなぁ。
居城を築かなかったんじゃなく、築けなかったんだろうかと思うと切ない。
0342人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:34:15ID:n7+Pifl5家庭すら築けないお前に言われてもな
0343人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:39:07ID:Ljy6YTqY人間関係すら築けないお前に言われてもな
0344人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 21:50:37ID:0VGVwxIJ武田の築城技術は、中世城郭では高度な部類。
そういう技術が投入された城郭は、国境たる領国の外縁に投入される。
勝頼も信長の侵攻に備えて防衛網を強化していた節がある。
その防衛網が機能しなかったのは、
武田の想定とは異なるルートで、
しかもその国境を防衛するはずの木曾が寝返ったため。
0345人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 01:25:18ID:fRYGFPlY0346人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 01:33:16ID:uy1bNdhW0347人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 12:08:34ID:Vh8BfZpf0348人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 12:47:06ID:nMkNxazfつっても、どこも全然、持ってないんだよな。裏切りが多かったとはいえ。
抵抗して、要所とされ強化されてた高遠城だって、ぶっちゃけ持ったとは言いづらい。
0349人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 14:12:55ID:nYZP3+sn国境に高度な城を作って領国を防衛するのは、
領国全域にこのクラスの城を維持するのはコストがかかりすぎるため。
だから戦域が移るにしたがってそれまでの前線の城の規模を縮小したり、廃城にするのは常套手段。
甲斐本国にこの手の城が少ないのも、早い段階で甲斐国外へ前線が移動したゆえ。
また武田が自身がそうしていたように、
信濃-三河or遠江のルートこそ、来るべき織田の侵攻ルートだと想定してた節がある。
ここの線上は結構城の改築をはじめ、防備が固められている。
まさか万を軽く超える敵の本軍が木曾谷を越えてくるとは思ってなかったんだろう、
武田は別働隊をこのルートで美濃に攻め入らせてはいても、織田のはその規模の十倍だからな。
戦術的に良いところが無かったのは、戦略的に裏をかかれたから。
鉄壁のマジノラインを無視されてパリへの電撃作戦を許したフランスのような感じかと。
0350人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 22:56:39ID:/fmKSKfR土屋の千人斬りなんて事実のわきゃないが・・・
実際は十人斬りでもまだ寛大なくらいのような気がする。
0351人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 01:41:20ID:lhAM6LYJ0352人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 12:26:48ID:cSXfbkZr0353人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 13:18:33ID:/t+sJKP+剣聖将軍みたいな人物もおられるのだ、ありえんことではない
>>351
呂布にも似たような実績、10騎で〜ってあるよ
虚構とは限らん
0354人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 13:57:58ID:EAXLka5j武田勝頼の最期のとき、家臣の土屋惣蔵昌恒(そうぞうまさつね)は、勝頼が自害する時間を稼ぐために、狭い崖の道筋に立ち、
左手に藤蔓(ふじづる)、右手に刀を持って、押し迫る織田兵を次々と斬っては谷川に蹴落とし、「土屋惣蔵片手千人斬り」の伝説をつくって殉死した。
谷川は三日間鮮血に染まり、三日血川(みっかちがわ)といわれた。
0355人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 14:27:40ID:vUB3bBOpがけの狭い道で、槍でつかれたら終わりやん。明らかに創作だな。
0356人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 18:40:39ID:lhAM6LYJ呂布にも似たような実績、10騎で〜ってあるよ
虚構とは限らん
・・・・・絶対無理だろ
0357人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 19:47:13ID:ayGv0YM6勝頼主従が足弱(女子供)込みで100人もいないことくらいは追撃側は当然知っていたわけよ
大将首から重臣クラスの首まで、まさにこれ以上はない功名の立て時
雑兵を押しのけ最前線に御徒お目見え以上の侍衆が群がっていたとしても不思議ではない
そこに片手に蔓を持ち片手で刀を握り道を1人で守る土屋氏がいた
やぁやぁ我こそは!の時代はとうに過ぎ去ってはいるけど、集団で襲うのを潔しとしない
織田衆もかなりいたのではないだろうか?
最大限好意的にみてってのわかってるんだけどね
0358人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 22:13:40ID:sDSoEdjo0359人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 22:36:25ID:vSWrNFIs道幅1人、片手は突いてないと歩けないほどの急な坂で、くの字型だったりしたら、槍は使いようがないし。
0360人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 22:49:43ID:sTEg8wUn0361人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/09(月) 00:06:14ID:75WOUML60362人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/09(月) 00:43:41ID:Y+NjFWMS最も早い出典がたしか、関八州古戦録だった気がする。
少なくとも18世紀の軍記物に初出の話が信用に値するかどうかの判断は、任せるけどね。
0363人間七七四年
2008/06/09(月) 03:29:00ID:8Xv4nfvM天下に名を知らしめていた武田家の悲惨な終幕を
せめて飾る忠臣として、誇張はされているのだとは思う。
あと、土屋の妻は岡部氏の娘でその子は家康に取り立てられて
出世もしているので、そっちの絡みもあるか?などと穿ってみたりもする。
0364人間七七四年
2008/06/09(月) 07:50:48ID:WakrMPeP織田徳川の兵士たちは口々にぼやいてたって記述があったよね
0365人間七七四年
2008/06/09(月) 22:55:53ID:4l2o9+ff土屋が奮戦したからその子が取り立てられたと見るべきじゃ?
>>350
千人斬りってただ沢山斬りましたよって言う意味だろJK
三顧の礼と聞いて
劉備って三回しか諸葛亮に会いに行かなかったのかよ!
って言ってるのと同じ。
三顧(何度もって意味)
0366人間七七四年
2008/06/11(水) 23:53:55ID:cKfoSL2B0367人間七七四年
2008/06/12(木) 00:27:23ID:8aoXxIRG0368人間七七四年
2008/06/12(木) 01:25:17ID:NWpHb8go勝頼&昌幸が岩櫃城に篭っている間に、甲斐で旧武田勢が織田勢にちょっかい(真田勢得意そうだし)。
手を焼いた信長が、勝頼隠居の信勝当主で和睦いいだしてめでたしめでたし。
もしくは、勝頼謎の死を経て信勝当主。
どちらにしても、昌幸が後見ってことで真田家マンセー
これだろ昌幸の狙いは
0369人間七七四年
2008/06/12(木) 01:53:18ID:+cXXoa5T信長から譲歩を引き出せるかかなり疑問。
また、信勝は信長の養孫にもなるので、本気で信勝を傀儡にしたてあげるなら、後見は自分の
側近か一族にするだろう。真田に任せる理由がない。それこそ、信長から真田排除の動きが出る。
0370人間七七四年
2008/06/12(木) 03:34:56ID:/s4eCPta勝頼は諏訪領内に軟禁のち病死、信勝は信州高遠あたりに数万石。与力という名の監視役に森・川尻を配属
穴山・木曽のどちらかに養女もしくは養嗣子を送り込んで実質支配後信勝の補佐役へ
真田は後見は無理だろうが信勝麾下の与力に
・・・というくらいじゃないか
信長が直接指揮を執るなら真田と一条、仁科に小山田あたりは普通に登用されてそうな気もする
信長、何気に人材コレクターな面があるからな
0371人間七七四年
2008/06/12(木) 20:58:46ID:oPIFc2XX内政でも重用されていたんだからそのまま勝頼の道連れをしていたら
信野暮でもALL+5〜10位されてもおかしくなかった逸材なのに
土壇場で勝頼を裏切ったことがデカイよな〜、まさに天と地と
0372人間七七四年
2008/06/13(金) 18:32:39ID:+xKy35Izオール70台だなんて
0373人間七七四年
2008/06/13(金) 23:39:51ID:XEr1xpbP統率・武勇は80代載っただろうな。
仁科盛信、土屋昌恒並に讃えられていることだろう。
子孫も旗本→大名の可能性も十分に考えられる。
>>372
革新の場合、戦の時は3人組で最大の数値採用だからな・・・・
平均的な人間は器用貧乏で、実はあまり使い勝手がよくない。
0374人間七七四年
2008/06/15(日) 22:03:10ID:ZU7QHQHb甲州征伐が始まった時から織田側についていればよかったのに。
中途半端に寝返るからあんな死に方。
阿呆以外の何者でもない。
0375人間七七四年
2008/06/15(日) 22:59:28ID:sBqbtV2x「なぁ、これで俺たちは助けてもらえるんだよな!?」
「ご苦労だったな、ほうびにコレをくれてやろう(PAMPAMPAM)」
まんま子供向けの30分アニメの、用済みな寝返り者の末路そのものだからなぁ。
末代まで汚名を残す破目になったな。
0376人間七七四年
2008/06/18(水) 22:44:27ID:fsMIniwaみたいな死に様だったら印象もガラッと変わったと思うのにな。
確かに、領民が戦禍に巻き込まれることも無く、領民を守ったことは事実だが、あくまでも結果論にすぎず、武田家を裏切った卑怯者と烙印を押されてしまうのはしかたがないかと。
0378人間七七四年
2008/06/19(木) 11:08:23ID:+WXKmt3h0379人間七七四年
2008/06/19(木) 13:09:15ID:HhVMfn+iそんなことは知っていますがなにか?
信友は将兵の命を救うつもりで投降したって言いたかっただけなんだけど。
0380人間七七四年
2008/06/20(金) 13:23:30ID:GBosGOrh0381人間七七四年
2008/06/20(金) 22:57:17ID:8kfCK1kt死に方は信茂とほとんど一緒だな
死んだ時の情勢と、笹子峠を封鎖したかしなかったかの違いか
0382人間七七四年
2008/06/20(金) 23:31:50ID:O2sj2jZw0383人間七七四年
2008/06/21(土) 09:55:35ID:SbifuRm1ぜんぜん違うじゃねーかw
長篠の大敗後、孤立無援で頑強に抵抗し
援軍を望めない上での已む無き降伏
小山田とは格が違い過ぎるわ、そもそも裏切ってねーし
0384人間七七四年
2008/06/21(土) 11:17:15ID:KmGJHEBx降伏勧告のだまし討ちで玉砕か降伏が許されずに玉砕かの違いだけ
0385人間七七四年
2008/06/21(土) 12:03:48ID:i8RrdGE8一緒にされては困るが。
0386人間七七四年
2008/06/21(土) 13:11:16ID:7XhRlnD6小山田は命どころか、人質差し出して郡内安堵を狙っていたと思うが。
秋山は長期にわたり徹底抗戦、後方支援が無くやむをえずの開城だよな。
一緒にしたら秋山が可哀想すぎる。
0387人間七七四年
2008/06/21(土) 17:47:27ID:SbifuRm10390人間七七四年
2008/06/22(日) 09:11:41ID:ZtVuqJz/0391人間七七四年
2008/06/22(日) 12:36:04ID:O8sicx530392人間七七四年
2008/06/22(日) 12:49:32ID:SqJu3LdDいざとなったら武田家を継いで清和源氏新羅三郎義光流を名乗れるからな
早々に見切りを付けて離反してもおかしくはない
が、この期に及んで裏切った小山田はKING of KY
0393人間七七四年
2008/06/22(日) 12:59:54ID:uyykfsPs裏切るのなら新府立ち退きの時点でさっさと離脱して降伏してればよかったのに。
0394人間七七四年
2008/06/22(日) 16:48:41ID:ztmwmXGp思えるんだよな。それに応えていれば違ったのかも
しれない。
もっとも穴山と小山田が仲悪ければそれもまた難し
かろうけど、
そもそも都留郡方面という地場の位置関係から来る
不利さと結局は本人の情勢判断の甘さからしょうが
ない結果というところだろうか。
たしかに最後のチャンスがあるとしたら新府撤退時
になるだろうね。
0395人間七七四年
2008/06/22(日) 17:59:28ID:SqJu3LdD山縣の後任で江尻城代になっていた穴山に比べれば
地勢的に不安のない郡内でぬるま湯に浸かっていた小山田なんて
土壇場まで危機感がなかったんだろう
新府立ち退きの時点では勝頼が僅かばかりでも
手勢を引き連れて岩殿に来ると思ったんだろうな
んで峠まで迎えに行って見れば落ち武者一行のお成〜り〜w
慌てて追い返しても時既に遅し、か
0396人間七七四年
2008/06/23(月) 09:13:57ID:bbLhkAYcハナから勝頼の首を手土産に所領安堵の交渉するつもりだったんじゃない?
0397人間七七四年
2008/06/23(月) 10:59:45ID:ikxwnIwX0399人間七七四年
2008/06/24(火) 09:00:17ID:GuqcJI780400人間七七四年
2008/06/24(火) 15:59:12ID:aAoaxaqI織田軍の進撃を大島城にて食い止め、勝頼の逃げる時間を作り、勝頼が落ち延びたら史実通り織田軍に投降。
0403人間七七四年
2008/07/07(月) 21:58:40ID:buMIiInm仮に勝頼が岩櫃までたどり着いても滅亡は避けられない。
幾ら真田が戦上手でも当時の真田の兵力と、織田軍の兵力とでは話になるまい。
それこそ武田一族と真田一族は滅亡し、大坂の陣はあっけなく終わっただけかと。
0405人間七七四年
2008/07/07(月) 23:16:43ID:tvSNMim6信繁ならともかく表裏昌幸が
何の考えもなく玉砕するとは思えないな
0406人間七七四年
2008/07/07(月) 23:41:45ID:oNfoUjPY仮にそうなったら、小山田のよりも上手く立ちまわれるだろうし
0407人間七七四年
2008/07/07(月) 23:53:49ID:wzas41th真田家が武田家を裏切るとでも?
小山田家は武田家と同盟関係にあったようなもんだ、
だが武田家家臣の真田家が裏切るはずがない。
当時の人間は現代人みたいな卑怯きわまりない人間じゃないんだから。
とりあえず、
アンチ武田は消えていいよwどちらにいっても雑魚な武田家は滅亡したって言いたいんだろ?
0408人間七七四年
2008/07/08(火) 00:22:50ID:YYcibLWtとりあえず真田も裏切る可能性はある
親類衆筆頭の穴山や同じく遠戚の木曽はあっさり寝返ってるし。家を残すためなら裏切らないとも限らない
その辺の感覚は現代人よりドライだよ
が、真田というか上州に逃げ込めたなら北条だの佐竹だの頼って落ち延びる事くらいは出来たんじゃないかと思う
雑魚とは言わんが内紛で瓦解してたのが問題だったな
0410人間七七四年
2008/07/08(火) 09:46:44ID:t6MiE0380411人間七七四年
2008/07/08(火) 09:47:48ID:mi2YXA2Iと思う。別に真田信仰している訳じゃないが土壇場で裏切る様な木っ端
侍→小山田とは一緒にして欲しくない。(真田は裏切らない)
現に大友の重鎮・立花道雪、高橋招運は主君があんなだったのにも関わ
らずw最期はあんな状況下に置かれてもw裏切る行為は一切してない。
招運に至っては島津軍を散々に迎え撃って最期は玉砕までかましてくれ
ているw名将と呼ばれる武将はそういうもんだと思う…
真田もこれ位はやるだろう…というかこれ位はやって欲しい!
0412人間七七四年
2008/07/08(火) 11:11:06ID:JuC+tTz70414人間七七四年
2008/07/08(火) 12:15:58ID:b0frObkv親父の代で本家海野氏滅亡、分家の真田も追われて一家揃って流浪
上野で居候していた時に、親父が武田に招聘されて中北信攻略の先駆けとなる
その功によってかつての親父はかつての本家以上の領地をもらう
なお昌幸本人は三男だった為、将来はよくて真田本家の分家扱い
妥当なところでは生涯部屋住み扱い、下手すれば坊主コースもある
ところが人質も兼ねた武田古府中への出仕中に晴信に認められ、成人後に
甲斐の名族武藤を継ぐ事になる
更に晴信の信頼厚く現代で言うなら参謀本部筆頭参謀将校扱いを受ける
信濃先方衆の真田本家より武田軍制内においての地位は上
武田の代が代わり勝頼当主となっても立場は変わらず
長篠で真田本家長男次男戦死後にはいったんは養子として武藤氏を継いでいたにも
関わらず、復して真田本家を継ぐことを許される
西上野に所領増加
武田の新拠点となる新府城の縄張りを任せられる
これは城の弱点すら把握する事になるので当主からの信頼が余程ないと務まらない
親父の代から本人含めて武田家から得た恩が深すぎる
先祖代々とかでないだけに逆に生々しいかつ濃厚
これほどの恩を受けた者の裏切りを認めていたら、受け入れる大名家当主の家中
統率上不都合かと
ゆえに、実際に勝頼信勝が落ち延びていたら一蓮托生として腹をくくるしかない立場
武田家まるごとどこかに従属とかは当然考えていたとは思うけどね
0415人間七七四年
2008/07/08(火) 13:21:28ID:YYcibLWt陶晴隆なんてのもいたな
譜代の重臣である松田大道寺あたりも早々と北条見限ってるし
松平の狸も譜代並みの厚遇受けてあっさり主家見限ったよな
だから昌幸は裏切っただろうなんて言うつもりはないが、高橋立花らのほうが希有じゃないのかね
そもそも岩櫃まで落ちる事が出来るなら何処へでも逃げられそうだがな
0416人間七七四年
2008/07/08(火) 18:14:25ID:b0frObkvおまけに元々は三男で部屋住みコースを別家立ててもらって一本立ち
結果、本人の資質も当然あるけど、仮に長篠と武田滅亡がなかったとしたら真田家
当主より武田内部での立場が上の生涯となる
寝返りするのは自由だけどこれほどの者を受け入れるとその大名家の当主は
家中に示しがつかないだろ
で、その事に頭がまわらない昌幸とも思えないんだよね
0417人間七七四年
2008/07/08(火) 23:49:49ID:8pvgfbWY当主として真田家の利益と存続を優先させなければならない立場。
家康がいい例だな、個人としては今川より多大な恩を受けたが、弱体化した
と見るや、松平の利益優先で寝返り独立敵対。
家こそがなによりも最優先される責任というのはこの時代の普通。寝返りを
受け入れたところで家中への示しもなにもない。
0418人間七七四年
2008/07/09(水) 03:15:28ID:VUAyqzJB1・勝頼とともに徹底抗戦
10万の織田軍を相手にしても昌幸なら数日は粘れるかもしれない
けど真田軍は元々総動員してもせいぜい数千
織田に走る配下も多数出るだろうから、2〜3千ほど集まればいい方なのでは?
野戦で勝負するわけには行かないので、もちろん籠城
となると時間切れで織田軍が撤退することを望むしかない
*史実の第2次上田城戦は、関ヶ原本戦が1日で決着したから秀忠に勝てたわけで、
それよりも状況は圧倒的に不利
2・勝頼の首を餌に信長に降伏
表裏比興の者と呼ばれたほどの昌幸なら、こっちの方が現実的
むしろ既に裏では信長か誰かと密約を交わしていたかもしれない
3・勝頼をどこかに逃がして降伏
上杉は御館の乱や織田軍の北陸攻勢の前に弱体化しているので、
勝頼を匿える余裕はなさそう
北条は織田の同盟軍なので匿うはずがないし、勝頼もそんなところに逃げないだろう
つーか織田と敵対してでも勝頼の身柄を確保したい大名など、当時日本にいるのか?
0419人間七七四年
2008/07/09(水) 04:48:35ID:4WN616if勝頼が亡命していれば匿った可能性はあるんじゃない?
なんと言っても、勝頼とは義兄弟なのだからね
実際に(高野山経由ではあるけど)、安田信清が菊姫を頼って上杉に逃れてるし
0420人間七七四年
2008/07/09(水) 15:25:52ID:FeGO/e2C0421人間七七四年
2008/07/09(水) 15:46:38ID:+OpdqAZl蠣崎まで順番に逃げ続ければ本能寺じゃなくても信長死んで
六角みたいに最終的に生き残れるかも。
0422人間七七四年
2008/07/10(木) 06:57:22ID:zNB/vri20423人間七七四年
2008/07/10(木) 09:39:11ID:BS94hCA2勝頼を犯して信長に差出す。
0424人間七七四年
2008/07/10(木) 11:04:43ID:IvDLIfw4発想が足軽レベル。
武田家がそこまで、生に執着してたら、
武家として威厳も格もない。
0425人間七七四年
2008/07/10(木) 11:09:55ID:7vpUK8ZP0426人間七七四年
2008/07/10(木) 23:21:56ID:2QJRU7J90427人間七七四年
2008/07/10(木) 23:37:05ID:Bgreb0RJ上杉も滅亡していれば、伝説的な存在になれただろう
0428人間七七四年
2008/07/11(金) 21:51:45ID:F6jGhMqM0430人間七七四年
2008/07/18(金) 08:43:22ID:IVj9yNaS0431人間七七四年
2008/07/18(金) 10:30:37ID:90rqsrOD0432人間七七四年
2008/07/18(金) 10:33:14ID:yYHPQvLH郷まで逃げるでござるニンニン
0434人間七七四年
2008/07/27(日) 13:50:49ID:hQbprUoH0435人間七七四年
2008/08/04(月) 23:10:10ID:5Ry6cjfq上杉に逃げれば、まあ匿ってもらえるだろうけど、当時の
上杉は景勝からして「越後一国を枕に果てる覚悟」という
内容を佐竹氏におくっているように、ほとんど「つみ」に近い状況。
昌幸が岩櫃城に勝頼を迎えるための御殿を造営していたという話を
耳にすることもあるが、実際どうなんだろうね。
余談だが横山光輝の「武田勝頼」(原作は新田次郎)では、小山田は
先に郡内へ向かったところ、家臣団によって身柄を拘束されて、
寝返りが決められていたが、なんか妙にリアルな展開だった。
0436人間七七四年
2008/08/26(火) 23:38:07ID:VUOTbYJF上杉は滅亡しなくても十分伝説だと思うがな。
0437人間七七四年
2008/08/27(水) 23:14:57ID:/YN+NGLF0438人間七七四年
2008/08/28(木) 01:24:44ID:fVKmKb7M0439人間七七四年
2008/08/28(木) 03:21:57ID:9k0TRJXw0440人間七七四年
2008/08/28(木) 18:44:41ID:DVNjIyGc0441人間七七四年
2008/08/28(木) 21:09:19ID:C4RQjp580442人間七七四年
2008/08/28(木) 21:56:39ID:47OW90rthttp://kohtetu.fc2web.com/robb.html
0443人間七七四年
2008/08/29(金) 14:19:12ID:I5ZHzuZP0444人間七七四年
2008/08/29(金) 16:25:48ID:584xSsnc0445人間七七四年
2008/08/29(金) 16:34:25ID:6ebFCys/上杉謙信が存命だったら武田勝頼は長篠城攻略など行かないんじゃないか?
0446人間七七四年
2008/08/29(金) 18:13:27ID:AKpEVFTx勝頼は信綱と仲良しじゃなかった?
0447人間七七四年
2008/08/29(金) 19:24:36ID:VuHS7UIV0448人間七七四年
2008/08/30(土) 06:36:05ID:v5llyoOT0449人間七七四年
2008/08/31(日) 01:41:41ID:cMYeSO3g信茂は郡内では名君扱いで、武田家裏切りについても異伝が伝わってるそうだけど
どうせ裏切るなら信長への手みやげに勝頼を笹子峠で討ち取ればよかったわけで
俺もその辺に何か裏があるんじゃないかと感じていたから
あの展開はなるほどと思った
まあ、信忠の手柄にするために討ち取らなかっただけかも知れないけど
0450人間七七四年
2008/08/31(日) 04:06:58ID:PSG63IJk信茂の領地は北条本領に接する付近でもあることだし。また、
戦闘状態になっても、勝頼妻は最期まで共にするわけだし。
>>435
横山勝頼を読んでみます。
他に、この辺のいい資料も探してみよう。
0451人間七七四年
2008/09/02(火) 22:16:48ID:0Af+hAgj>>448
勝頼が一人で逃げ出したら、現代の武田家の評価はえらいことになっているだろうな。
0453人間七七四年
2008/09/03(水) 00:10:47ID:sGRr7fah残ってるから上杉領まで逃げられれば景勝は保護してくれたんじゃね?
本能寺の変まで一緒に涙目で耐えるしかないかもしれんが。
0454人間七七四年
2008/09/03(水) 03:17:57ID:RGznkm6T0455人間七七四年
2008/09/03(水) 03:34:30ID:RGsymbtU0456人間七七四年
2008/09/03(水) 12:11:51ID:z+LDu4gf自分は岩殿、信勝は岩櫃に・・・って選択肢はなかったのかなぁ。
終わりはキレイに潔くって感じだったんだろうか。
0457人間七七四年
2008/09/03(水) 15:31:42ID:oojc27jD勝頼「ワシは今から逃げる。皆もそれぞれ逃げるのだ!」
0458人間七七四年
2008/09/03(水) 17:00:47ID:qiVz7eOa某戦争アニメの“ブラックリベリオン”じゃないんだからそれは無理だw
たしかにレジスタンス又は一揆集ならまた集結するのは可能かもしれんが、
(確実に幹部数名は行方不明か死亡)
もしそれを領土を持つ一大名家である武田勝頼が実行したら、
情勢が日々何時変わるかも分からない下剋上時代の戦国時代だと
皆バラバラに逃げる=その家の滅亡
となる。
0459人間七七四年
2008/09/03(水) 19:42:17ID:u0WAgajV北条に口添えしてもらって外交、に1兆ジンバブエドル
0460人間七七四年
2008/09/03(水) 19:44:19ID:u0WAgajV北条に口添えしてもらって外交、に1兆ジンバブエドル
0461人間七七四年
2008/09/03(水) 20:29:16ID:mFgJxjFSじゃあ、キミの逆のほうにかける。
ぜひ、現物でくれ、全種類くれ。
差額まではとらないよ。
ジンバブエドル、実物を見てみたいしコレクトしたいw
0462人間七七四年
2008/09/03(水) 20:41:03ID:2rfawQi60463人間七七四年
2008/09/03(水) 20:47:00ID:mFgJxjFS価値じゃない、好奇心で見てみたいww
まあそろそろジンバブエドルはスレチだな。
0464人間七七四年
2008/09/03(水) 21:39:37ID:u0WAgajV0465人間七七四年
2008/09/04(木) 08:02:42ID:vA5AwrW6結構面白い説だったよね
自分達で領主である小山田を売り飛ばした事を隠す為に
過剰なまでに名君&悲劇のヒーロー扱いして
後世に至るってのは良くある話だもんね
江戸時代の文献だかに郡内の人は自分達を甲州人だとは思っていない
それゆえ国中に対して郡内と呼称しているとか何とかあるらしいし
武田家にどっぷりな小山田に内心で唾吐いてたんだろうな。
小山田自身の意思か領民の意思か、どのみち郡内領民はDQNだってことかw
0466人間七七四年
2008/09/29(月) 18:08:14ID:AzyKRGJC信玄からかなり目を掛けられていたと思うけど、勝頼は信用できなかったの?
策士っていうのはお父さんの幸隆のことじゃないの?
0467人間七七四年
2008/09/30(火) 22:03:39ID:fza56vGm0468人間七七四年
2008/09/30(火) 22:23:43ID:cXF4wB6d0469人間七七四年
2008/10/01(水) 21:21:06ID:MdrlEIZH0470人間七七四年
2008/10/01(水) 21:29:23ID:9y7wBdaU0471人間七七四年
2008/10/01(水) 21:40:57ID:qVWFtxAv0472人間七七四年
2008/10/05(日) 15:13:49ID:ugs5CDQI家臣時代から俺が政権掌握出来てたらなぁ、って思ってたからチャンスだと思ったのさ
0475人間七七四年
2008/10/16(木) 21:37:31ID:9eDwgxjz0476人間七七四年
2008/10/17(金) 12:10:17ID:anJq4RTL昌幸ならきっとなんとかしてくれる
0477人間七七四年
2008/10/17(金) 14:35:48ID:XK1E0BS6北条に逃れた氏真ほど扱いやすくなさそう。本拠地甲府を支えきれなく
なった時点で勝頼は自害かなぁ。信勝だけ岩櫃なら一番良さげ。
武田の家もナンとかなるかしんないし、昌幸のカードにもなりそう。
0479人間七七四年
2008/10/18(土) 20:57:09ID:TV3H0g+O0480人間七七四年
2008/10/19(日) 20:31:16ID:XZmemk3u0481人間七七四年
2008/10/29(水) 23:31:22ID:MFxiuI04仙桃院を人質に出し上杉、武田、北条の三国同盟を結べばよかった。
0482人間七七四年
2008/10/30(木) 04:53:32ID:9CRZTnSp0483人間七七四年
2008/10/30(木) 20:05:24ID:7blZktjO表裏云々も、時局の流れを読むのが上手ということだし。
だいたい、史実にあるように、勝頼という駒がなくても真田はいきのこれる。
駒として勝頼を引き入れようとしたのなら、生き残る以上の何を目指したのか。
そのあたり考えると、そもそも受け入れるなどといわなければいいわけで……
ありそうなのは北条との裏取引か、上杉まで送り届けるってあたり?
そういえば武田滅亡前から北条氏直と接触してたが……
0484人間七七四年
2008/10/30(木) 20:07:16ID:v9DC4iAA景勝方より先に御館に乗り込んで景虎を生け捕れってことか?
0485人間七七四年
2008/10/30(木) 22:42:16ID:Uq+TX3P1景虎を人質にしとけば氏直だって下手なことはできない。
0486人間七七四年
2008/10/30(木) 22:47:53ID:TUS+Erq00487人間七七四年
2008/10/30(木) 23:36:49ID:gcbX+7hZでも勝頼自刃の頃には殆ど家臣残っていなかったってのが本当なら
単騎で逃がすより固まって落ち延びた方が、と考えたんだろうか。
0488人間七七四年
2008/10/31(金) 00:28:51ID:i1q3xXwhそれをするくらいなら、内乱に乗じて、越後を奪うことを狙った方が良さそうだなぁ。
実際、景勝か景虎に味方ではなく、そういう選択肢はなかったのかね。
>>487
諏訪から岩櫃に直行していれば、2人とも十分逃げられたと思うけどな。
諏訪→岩殿→岩櫃なんて、とても無理だけど。
諏訪で分かれて、信勝だけでも真田に預けるべきだったな。
身分を隠して、影武者で死んだことにして、本能寺→お家再興の流れが面白そうだ。
0489人間七七四年
2008/10/31(金) 03:07:28ID:yGM4rWcJ甲府には人質がいたのでは。武田家は勝頼ごと上州に引き上げるって話なら
穏便に質を引き取れる。案外遠いから心変わりして来ない確率の高さとかも
計算してたかもねw ナンにしてもそれほど切羽詰らない時期に然るべき
手を打ってるとこが昌幸らしい。自分の印象も悪くならないし。
0490人間七七四年
2008/10/31(金) 03:51:17ID:i1q3xXwh岩櫃に向かうなら、人質は昌幸と一緒に帰さなかったと思われ。
岩殿の向かう際も、小山田の人質は手元に残してるから。
0491人間七七四年
2008/10/31(金) 04:42:27ID:1SsGt9dgそんな義理ない人物じゃないだろうから勝頼を他国に売ったりしないと思うんだがな
0492人間七七四年
2008/10/31(金) 06:33:54ID:i1q3xXwh関ヶ原だって、両軍に分かれ家を残す策とも言うけど、
自らが不利な方に残り、北条の件で恩がある豊臣について、圧倒的劣勢の状況で戦い抜いてるし。
0493人間七七四年
2008/10/31(金) 09:27:45ID:a8R2Hp7A甲府の人質は、新府での軍議で、穴山の寢返り時に勝頼が解放してるよ
(このあたり、勝頼の潔さがすごい)
0495人間七七四年
2008/11/08(土) 21:32:44ID:YiLx6Ty70496人間七七四年
2008/11/08(土) 23:36:56ID:ITnavXO90497人間七七四年
2008/11/09(日) 07:34:54ID:hZJ/7nc90498人間七七四年
2008/11/09(日) 15:32:23ID:HHGfrX4p0499人間七七四年
2008/11/12(水) 23:06:46ID:B5EYLT6A0500人間七七四年
2008/11/13(木) 09:18:43ID:G458weh2伊達や安東は織田と友好関係
葦名は信玄存命中に謙信を牽制させている
佐竹は奥羽ではないが同盟関係
A六角や小笠原のように遠方に逃げれば、延命や再起の可能性はある。
真田が裏切らず、本能寺がなければ、上杉は滅亡。
織田に隣接している葦名と最上、織田に通じている伊達と安東を除けば、
残る可能性はは南部と若狭武田くらいか?
0501人間七七四年
2008/11/13(木) 10:09:57ID:ZPQuoKeiそこで松前に(ry
0502人間七七四年
2008/11/13(木) 19:28:32ID:mDpnieay0503人間七七四年
2008/11/16(日) 02:41:26ID:v7Ch6I1I高遠城に来ていた信長の元に臣従しに行っているし、結局
勝頼が逃げてきても、小山田と同じことやっていたんじゃね?
0504人間七七四年
2008/11/16(日) 12:47:46ID:ufUkpGnK0505人間七七四年
2008/11/16(日) 14:39:49ID:J37Xin1+真田の城に逃げて助かったとして、その後どうなるかわからんが、
5万石位で東北あたりで存続できたとしても悲しいけどな。。。
0506人間七七四年
2008/11/16(日) 14:44:49ID:RpRdzNjdあの状況で織田に臣従する以外に手だてがないし、主家が滅んだ時点で殉じる相手が存在しない。
勝頼を売る売らない以前に、勝頼を迎え入れて織田に対抗するなら、北条と結ぶのは最低限必要。
どちらも全く根拠にならない。
>>505
個人的には、勝頼は甲斐で、信勝は真田へ・・・って展開が見たかったな。
0507人間七七四年
2008/11/16(日) 20:18:51ID:CungjcTJ小山田は勝頼を本当に助けようとしていたが、一足先に
籠城の準備のため帰城すると、家臣(城代)の”八左衛門”に
軟禁されてしまい、お家のためと裏切るように諭された
ことになっている(勝頼と同行していた小山田の母親の
救出案も考えられていた)。
0508人間七七四年
2008/11/16(日) 20:34:28ID:VTUhk/mE0509人間七七四年
2008/11/16(日) 21:24:04ID:E2CIaMvh本能寺が無ければ、下手したら年内に滅んでいたかも。
0510人間七七四年
2008/11/16(日) 21:34:07ID:ChEun00v0511人間七七四年
2008/12/03(水) 20:23:29ID:VXEsp4Rm0512人間七七四年
2008/12/03(水) 23:22:53ID:cPMwGZ920513人間七七四年
2008/12/03(水) 23:26:36ID:ANa534rx27日には八王子に着いてるのです。
女子供(幼児も複数)の集団が、たった四日で山を越えて郡内に入り、さらに山を越えて
八王子に逃げている。
一般的には、山中の険しい道を逃げた事になってるけど、メンバーと日程からして、
実際は堂々と街道を逃げたような気がする。
とすれば、小山田氏の協力があったんでしょう。
あるいは、信茂の娘を人質にしたのかもしれませんが。
0514人間七七四年
2008/12/04(木) 00:00:07ID:Yg0QSZbI0515人間七七四年
2008/12/04(木) 00:06:52ID:ANa534rxミスミス逃がしたと知れれば、それこそ問題。
なにせ残党狩り中ですから。
0516人間七七四年
2008/12/04(木) 00:18:38ID:RGfEhF/1小山田の娘ごときじゃもう人質にならんでしょう
信茂処刑の前日に塩山を出発しても
小山田氏の協力は見込めないのでは?
新暦3月27日であれば
勝頼が郡内入り出来ず討ち死にした4月3日より
一週間ほど前だから勝頼の岩椻入りを阻止し
郡内へおびき出す為の母親同様の釣り餌だったのでは?
0517人間七七四年
2008/12/04(木) 00:43:28ID:Yg0QSZbI松姫の行動を妨げて、機嫌を損ねて何か信忠に言われるリスクを考えたら、行動だけ把握しておく方が安パイだろうに。
武田を土壇場で裏切ったって理由でヤられてるのに、その上、松姫引っ捕らえて献上しますなんてやったら、アホだな。
0518人間七七四年
2008/12/04(木) 01:41:55ID:z5IrMYnm武田の縁者を逃がす必要も、どちらも全く無い。松姫ら武田の生き残りと一緒に行方不明の
娘を探すぐらいだろうな。なぜ松姫を確保すると信忠が何か言うのだろうか?
だから松姫はわざわざ険しい獣道を通って関東を目指したことになっているのだから。
思いつきで小山田協力説を唱えるのも、おかしな反論をするのも???
>>516
旧暦ですぞw
信茂は24日に死んだ事になってるのだが、実の所信長はまだ諏訪にいるので
信忠の一存だろうな。松姫を探し出せなくて怒られたんじゃないかw
0519人間七七四年
2008/12/04(木) 02:15:14ID:k55HsTly普通は降った将は早々に挨拶に出向くだろうから、信忠が即断即決で死刑にしたなら
こちらの方がありそうだけどな。
信茂の母親も妻も息子も娘も死刑というから、松姫の一行だと勝頼の娘も盛信の娘も
信茂の娘も、捕まってたら全部アウトだな・・・・
そう考えると、23日まで甲府に近い塩山にいるというのは、ゆっくりし過ぎな気がする。
勝頼の娘も盛信の娘も信茂の娘もその時で4歳(実年齢3歳?)という事になってるから、
山中の道なき道を4日で歩くというのは確かに無理がある。
23日出発あるいは27日到着のどちらかの日付が会ってるなら、もう一方の日付が間違ってるとかだろう。
あるいは、かなり早い時期に逃げてるか。
0520人間七七四年
2008/12/04(木) 04:00:12ID:RGfEhF/1松姫一行には12名の家臣が同行し、ほか侍女やら含め総勢22名
と書いてあるHPもあるな(ソースが地元の中学校発刊の本らしいがw
だとするととても山中で潜伏しながらとか言う感じじゃないから
少なくとも高遠落城の前には仁科の娘と甲斐へ逃げてきて
北条夫人の縁を頼って逃げていたんだろうね、
その時点であれば小山田の娘も郡内領を通る人質として機能する
>>518
信茂は勝ち馬に乗ろうとした裏切りと言うよりも
勝頼を迎えるつもりだったけど土壇場でガクブルして降伏って感じだねw
0521人間七七四年
2008/12/04(木) 21:51:16ID:4fb6vhLc軍資金も底をついていたんだろ。
跡部あたりがネコババして隠した可能性はあるけど
0522人間七七四年
2008/12/04(木) 22:45:55ID:CsTYAyq70524人間七七四年
2008/12/04(木) 23:28:45ID:E5+gIdPO跡部大炊介の子孫乙。
0525人間七七四年
2008/12/04(木) 23:59:25ID:oeccVFl4徳川と北条が信濃・甲斐の争奪戦をした時に家康の本陣
として、数倍の兵力のある北条の押さえに十分機能したみたいだな。
守る兵力があったらなら勝頼には籠城してもらいたかった。
0526人間七七四年
2008/12/05(金) 00:08:48ID:VIuzrDC4新府城は本営。
0527人間七七四年
2008/12/05(金) 00:17:36ID:4EttCeYw勝頼が自分の妹や娘だけ早々に逃がしていては、部下に示しがつかないんじゃまいか??
通説より早く逃げていたにしても、勝頼死亡後じゃないだろうか。
>>525
新府城は堅固な城には違いないと思うが、本来の目的は織田軍を甲府盆地に入れない事だろう。
大軍で信濃から甲斐に向かう敵は、ちょうど新府城のある辺り、釜無川と塩川に挟まれた台地を
通ることになるが、新府城の北側でこの台地跡を横断する大土塁の跡が見つかっていたはず。
甲斐の兵力を結集して、ここで織田軍を止めようとしたんだろうな。
ただこれは、穴山信君が徳川家康を駿河で食い止めるという事が、前提になるが。
徳川軍が駿河から甲斐に入れる状態だと、新府城に籠って何を守るのかワカラン。
0528人間七七四年
2008/12/05(金) 00:43:52ID:Km1dgQVaそんな要所に身内を入れられなかった体制の限界とでも言おうか……
0529人間七七四年
2008/12/05(金) 01:48:58ID:4EttCeYw穴山が裏切ったから新府城で守る構想が崩れた。
新府城で敵を食い止められないなら、小山田をはじめ、甲斐の国人は当然裏切る。
でもまあ、一番の問題は「こりゃどうやっても滅亡です乙」になってしまった事自体。
そうでなきゃ誰も裏切りませんな。
0530人間七七四年
2008/12/05(金) 03:09:51ID:Km1dgQVa問題は要所を、武田家が自由に武将の配置換えできる土地にできていないという点。
穴山氏の伝来の所領を、武田家が信濃の別の土地と交換させるとか無理だろ。
0531人間七七四年
2008/12/05(金) 10:06:58ID:+++mH6Cd木曾はまだしも、駿河に穴山を配置したのは武田家だが
信君だって駿河征服した最初から駿河統治を任じられたわけじゃない
0532人間七七四年
2008/12/05(金) 15:38:22ID:h3ucFldu0533人間七七四年
2008/12/05(金) 19:57:11ID:wim0A8wX山県昌景が戦死したから、次に信頼の厚いものとして信君。
その判断は結果として間違いだったわけだが、信玄の姉を母とし、勝頼の妹を
妻とする、年齢も勝頼に近い信君が、武田信豊や仁科盛信と並んで信頼された
だろう事は想像に難くない。穴山家は武田の名乗りも許されてるしな。
>>530
>穴山氏の伝来の所領を、武田家が信濃の別の土地と交換させるとか無理だろ。
無理かもしれないし、無理じゃないかもしれないw
というのは、信濃支配の過程では、要地を直轄地にするために、在地の武将を移転
させたりしているのよ。
ただ、穴山家を移転させて支配させなきゃならないほど、遠くの土地を攻め取ってないからw
穴山家は古くから養子を送り込んだり娘を嫁がせたりしてきた武田家の盟友で、
河内で結構独自の支配もしてる家だから、移転の優先順位としては、低いだろうね。
0534人間七七四年
2008/12/05(金) 20:27:31ID:z675hlAGしていた。小山田昌行ってのもいて、小山田一族かと思って追放していた
のだが、小山田の別系統で高遠城で戦死していた忠臣だったんだな。
悪いことしたよw しかし跡部はまったく使いものにならないキャラ
なんだが。。。
0535人間七七四年
2008/12/05(金) 20:29:58ID:z675hlAG0536人間七七四年
2008/12/05(金) 20:42:12ID:wim0A8wX甲陽軍鑑では、長篠の撤退時に紺地金泥法華経の母衣を意地でも捨てずに帰って
武士の誉れだとほめていたと思ったら、すぐ後で高坂昌信が切腹させろと言いだすw
小山田信茂が廿里の合戦で、単独で北条軍を破ったりしてるのに比べると
猪突猛進馬鹿みたいな描かれ方ばかりだけど、勝頼が軍勢をまとめられなくなって
滅亡しても、なお一戦挑もうとしていたり、面白い武将だと思うけどなあ。
0537人間七七四年
2008/12/05(金) 21:28:00ID:h3ucFlduあちらの小山田の系統は面白いぞ。
昌行は長篠や高遠で名を挙げてるし、子の1人が真田を頼って落ち延びて、昌幸の娘と結婚、代々松代藩の次席家老になってる。
0538人間七七四年
2008/12/05(金) 21:43:12ID:tF38lErC上田城で徳川軍を2度撃退しているから真田の評価が高くなって
いるけど、徳川は城攻めは苦手だったみたいだし、織田軍だったら
岩櫃城は落とせていたんじゃね?
俺、岩櫃城は行ったことないんだけど、浅井長政の小谷城跡は上まで
登ってきたんだけど、とんでもなく疲れたし、山一つを要塞にして
いたような険しい山城だよ。こんな城を落とした織田軍だったら、
真田も、もちこたえられなかったと違うか?って感じたんだけど。
景勝が数万の軍勢で来援できたなら話は別だけど。
0539人間七七四年
2008/12/05(金) 21:58:10ID:z1k17nvo身動きすら出来なくなって石に腰掛けていたところを
敵兵にサクッと首を狩られたらしいからな>勝頼
せめてもののふらしく討ち死にさせてやりたいと思えば
岩椻の方が良かったかもしれんw
0540人間七七四年
2008/12/05(金) 21:59:15ID:wim0A8wX小谷城は攻め落とされたんじゃなくて朝倉が滅んだから
城を出て最後の勝負に出て負けたわけだな。
上田城にしても一回目は上杉が味方で、二回目は足止めだけが目的。
岩櫃城も堅固だが、越中で柴田勝家相手に何もできなかった景勝しか
味方がいないんじゃなあ。
北条家は織田家にいろいろ不満はあったようだが、信長存命中は表面的には
従っているし。
0541人間七七四年
2008/12/05(金) 22:05:03ID:wim0A8wX三河後風土記に伊藤伊右衛門の話として紹介されてるやつでしょ?
他所からの引用という体裁を取ってるが、三河後風土記の成立年代を考えると、
200年も経ってからいきなり出てきた話で、素直には信用できないけどなあ。
別にカッコ良く散った勝頼でもいいんじゃない?
0542人間七七四年
2008/12/05(金) 22:30:13ID:4luyMmwUそうだよなあ。
逆に言えば後詰のある場合は篭城は無類の強さを発揮する。
毛利の後詰のあった石山本願寺
直江兼続に攻められた最上も徳川、伊達がいた。
長篠城もわずかな手勢で徳川・小田の援軍を待ち続けた。
いくら真田が強くても、あの孤立無援の状況では
そうは持たなかったと思うよ。
0543人間七七四年
2008/12/05(金) 23:33:04ID:YTBZQIMP真田の家臣に殺される可能性も結構高い 武田滅亡時なんて完全に詰み
0544人間七七四年
2008/12/05(金) 23:49:25ID:h3ucFlduその辺の細かい状況なんて、史料に記されていたとしても、「事実」と言えるわけがない。
居合わせた奴がごく一部で、そいつの報告を主が受けて、その主が自分の都合の良いように上に伝えて、
色々話が伝わる中の、どこかで切り取られて記録に残ったりしてるんだから。
0545人間七七四年
2008/12/05(金) 23:53:33ID:z1k17nvoいや事実だなんて言ってないんだけど・・・
0546人間七七四年
2008/12/05(金) 23:57:21ID:mM14C711意外と助かったんじゃねw
0547人間七七四年
2008/12/06(土) 00:18:21ID:rgC/kHvd信長公記でも土屋右衛門の働きが比類なしとか、信勝が織田の兵を斬って回ったとか
書いてるぐらいだから、それでいいじゃない。
0548人間七七四年
2008/12/06(土) 07:24:41ID:TVybqlU+時期が来て、関ヶ原参戦してるかもよ。
0549人間七七四年
2008/12/06(土) 07:26:36ID:mcqBWjoI0550仙台藩百姓
2008/12/06(土) 09:41:34ID:oH4fDBAR0551人間七七四年
2008/12/06(土) 10:27:29ID:IGn8myVp甲斐国の半分位は残して存続を許されていたかもな。
相手が信長じゃ、死ぬまで追い詰められるから悲惨だ。
0552人間七七四年
2008/12/06(土) 12:29:11ID:99YmWgLQと言った話が書いてあるけど、名将言行録の信憑性は別としても、
秀吉なら言いそうだな。
0553人間七七四年
2008/12/06(土) 14:21:56ID:LR6PYUh+1万石位もらえて高家として扱われていたかもな。
信長は最強だが、好きになれないよ。
0554人間七七四年
2008/12/06(土) 16:10:15ID:Kh4eahtDなんだかんだいって、それしか武田が残る道はないね。
0555人間七七四年
2008/12/06(土) 17:05:38ID:BZRQtnSX七日もかけて甲府に寄ったり、女子供連れてうろうろしてたわけだから、
本気ですべて捨てて逃げるなら十分な時間があったね。
でも健気で若い奥さんだけは連れてってあげてほしいなあ。
0556人間七七四年
2008/12/06(土) 17:15:19ID:AiwnLYjl仮に織田に投降しても、子供はともかく本人は殺されたりしないと思うが。
0557人間七七四年
2008/12/06(土) 17:16:11ID:AiwnLYjl0558人間七七四年
2008/12/06(土) 19:17:19ID:FoKjqvS60559人間七七四年
2008/12/06(土) 19:27:45ID:FoKjqvS6御館の乱の時、北条家は上杉景虎に対してロクな支援してないからなあ。
5月に乱が起こったのに、関東で他の場所に出兵したりして何もせず、
9月になってからちょっとだけ兵送って、もともと越後出身の連中を残してすぐ退散。
うまく厄介払いできましたってとこか??
勝頼なんて家康・信長と敵対してるのに、わざわざ自ら越後に出向いて3ヶ月も頑張ったからなあ。
景勝と同盟したから北条家との関係が悪化したという人もいるけど、景勝と景虎の仲を取り持とうと
したり、景虎が攻め込まれないようにギリギリまで睨みきかせたりしてたわけだよ。
その間に北条家から援軍が送り込まれたら、万事うまくいったような気さえ、するんだよなあ。
0560人間七七四年
2008/12/06(土) 19:30:47ID:AiwnLYjl武田と縁を切ろうとしてて、口実にされただけとしか思えん。
自分はろくに兵を出してないのに、先行させて放置した勝頼を非難とか、どんだけだよと。
0561人間七七四年
2008/12/06(土) 19:55:04ID:fWfAv9FKその意味でも小山田を頼ったのは死亡フラグだろ。
仮に小山田が裏切らなかったとしても、持ちこたえられなかった時の逃げ場が無い。
岩櫃からなら上杉領に逃げ込むこともできたろうし、その先の蘆名あたりを頼ることもできたはずだ。
0562人間七七四年
2008/12/06(土) 21:58:10ID:0wZ9Ssdpどこかに逃がしてもらうかだろうな。
景勝は滅亡するまで織田と戦う気満々で
勝頼のことは「勝頼の身と武田の家督は何とかする」と言ってるから
来るなとは言わんだろう。
葦名は織田に寄ってるから越後から葦名に逃げたら首送られると思うけど。
0563人間七七四年
2008/12/06(土) 22:07:11ID:UXV9Cy0Z0564人間七七四年
2008/12/06(土) 22:43:50ID:fLsEmCPQ躑躅が崎の裏にある要害山が最終決戦地で良かったんじゃなかろうか・・・
それともあれか安土城羨ましいぼくもあれ欲しい欲しいとか思ったのか?
0565人間七七四年
2008/12/06(土) 23:02:40ID:UXV9Cy0Z新府城は地理的に実によく考えられていて、信濃方向からの侵攻を完全に
ストップできる。
つまり、勝頼の考え方は、甲府盆地に敵を入れたら負けという事だ。
信虎時代には今川軍に攻め込まれた事もあったし、信玄時代にも謙信の
小田原包囲に乗じた勝沼氏の反乱もどきなんかもあったけども、基本的には
何十年も敵の侵入を許していない甲府盆地。ここの平和を守れなければ、
当主として失格ということなんだろう。
0566人間七七四年
2008/12/06(土) 23:06:54ID:UXV9Cy0Z土木工事だけなら、城の新築でなくとも外征先で陣城を築いたりとか普段から
してるわけで、ビックリするほどの出費にはならないと思うが。
織田信長が尾張一国時代に小牧山城に移ったようなもんだ。
0567人間七七四年
2008/12/07(日) 03:01:03ID:RcJpXkAZそんなことはあるまい。
いろんな話が伝わってる。
0568人間七七四年
2008/12/07(日) 06:59:41ID:i34kDDF8荒木みたいに全て捨ててっていうのはプライドが許さなかった?
0569人間七七四年
2008/12/07(日) 07:47:13ID:2kVb6aIn0570人間七七四年
2008/12/07(日) 11:09:49ID:g2+S2FV20571人間七七四年
2008/12/07(日) 11:34:07ID:EU9D+PvD0572人間七七四年
2008/12/07(日) 11:47:07ID:Y64Ia3PV0573人間七七四年
2008/12/07(日) 13:23:28ID:1Jz/I8JS滅亡されてる大名が連携組んで徹底してやってたら
防げたはずなのに。
0574人間七七四年
2008/12/07(日) 13:27:37ID:2kVb6aIn高梨一族は一帯に散らばっているだろ
今も長野市に子孫が住んでいる
0575人間七七四年
2008/12/07(日) 13:39:43ID:EU9D+PvD0576人間七七四年
2008/12/07(日) 23:44:23ID:P/IEMIU7景勝によって信濃に帰してもらってますよ。
0577人間七七四年
2008/12/08(月) 21:36:15ID:zMHOrqPa新府っていう駅名があるんだよ。
春になったら、岩櫃城跡(あるんかいな?)に行ってみようと思う。
0578人間七七四年
2008/12/08(月) 22:17:26ID:qwC5butv0579人間七七四年
2008/12/08(月) 22:17:34ID:TBVIZklx0581人間七七四年
2008/12/09(火) 10:03:56ID:hFORQbbc来ている人が多くて人気あるんだな〜って思ったよ。
長篠にも資料館があって、こちらはあまり来場者はいなかった。
周りは田んぼばかりだし。
しかし、こんな所(奥三河)まで攻めこんできた武田ってのも
徳川にとっては脅威だっただろうな。
0582人間七七四年
2008/12/11(木) 08:11:52ID:aS2jhfbj三河は徳川の本貫地なんだから、そりゃ脅威以外の何物でもないっしょ。
0583人間七七四年
2008/12/11(木) 18:53:18ID:5CVtinks0584人間七七四年
2008/12/11(木) 23:43:12ID:OuemKiMR0585人間七七四年
2008/12/12(金) 08:31:09ID:jDJanVHM東三河を陥とされたら、西三河と遠江が寸断される。
家康の命運も尽きることになるな。
0586人間七七四年
2008/12/12(金) 20:36:38ID:G95M0dt2東三河落としてどうするの?
どれだけの兵を置いておくの?
どれだけの間置いとけるの?
遠江の徳川は東の押さえで動かないとしても、西三河の徳川に織田の援軍が加わって攻めてきたら逃げるの?
0587人間七七四年
2008/12/12(金) 22:31:43ID:lh6mn45z成功した場合は、勝頼は三河に兵を入れて尾張まで窺うって感じになったのかな?
0588人間七七四年
2008/12/12(金) 22:40:55ID:G95M0dt2まず謙信の上洛作戦なんて存在しないから
0589人間七七四年
2008/12/12(金) 22:57:47ID:lh6mn45z向かう先は、関東とも打倒信長とも言われているけど。
信長の非道ぶりを耳にして許せなかったからだと
思うんだが。。。。
0590人間七七四年
2008/12/13(土) 00:07:48ID:Toje0guZただそれだけだが。
0591人間七七四年
2008/12/13(土) 08:12:41ID:ayakBdSFそのまま、織田と一戦交えて破った上で、徳川を反織田側に組み込もうという腹があったと思われ。
0592人間七七四年
2008/12/13(土) 11:13:26ID:dBz7qgAw思うのは勝手だが、常識的に考えて
○本願寺と和睦して越中を確保
遊佐の反乱で能登確保
西の防衛線ができたから念願の関東制覇を目論む
×後方に北条、さらに武田領で暴れまわっている信忠という不安を残したまま上洛を目論む
0593人間七七四年
2008/12/13(土) 21:23:29ID:UlFZEUZL金山が枯渇した時点で武田家も衰退する運命だった気がするのだが。。。
0594人間七七四年
2008/12/14(日) 00:07:19ID:+sP4RnS8そりゃ広さの割には石高は少ないさ。
でも兵の動員は石高準拠の場合が多いから、結局他勢力よりも
広い土地を持って高い石高があれば同じ事。
むしろ港が無い方が痛い。日本の流通の中心は海運だった上、当時は
沿岸航海で一日ごとに港に入る。停泊料だけでも相当儲かる。
あと金山でどの程度儲かったか?はよく分かってない。
なにせ甲陽軍艦によれば、上洛の資金を作るために僧侶の妻帯税まで
取って7000両を集めたとある。金なら105キロ相当だが・・・・
武田家は信玄の時代から決して金持ちじゃなかったようだ。
黒川金山の金堀衆が武田家に雇われていたわけではなく
民間事業者だったとする説もあり、そもそも経営権は持っていなかった
可能性もある。
0595人間七七四年
2008/12/14(日) 05:47:03ID:HePbd9WX0596人間七七四年
2008/12/14(日) 07:00:44ID:RtEHLkDT真田に裏切られて終了
もしくは真田が籠城して頑張ってもせいぜい半年
総大将の信忠は当然前線に残るから本能寺は起きなかった可能性もあり
結果を知ってる者としては、織田にとってはそのほうがありがたい
0597人間七七四年
2008/12/14(日) 20:43:10ID:w+aFHtk80598人間七七四年
2008/12/14(日) 21:08:23ID:v3wYNWuS0599人間七七四年
2008/12/15(月) 10:10:05ID:SN9yFrJfいやいや、泳いで八丈島へ行った人だよな?
0600人間七七四年
2008/12/15(月) 10:16:27ID:49zCEe4y0601人間七七四年
2008/12/15(月) 14:01:27ID:M+r+DRlIあれでは土塀も堀も簡単に破られる。
行けば分かるよ。
0604人間七七四年
2008/12/15(月) 18:57:47ID:P4/h/s+Q0605人間七七四年
2008/12/15(月) 20:35:20ID:f/AGiRXIそもそも版築という技法は(ry
岩櫃城に行く前に、武田信豊と一緒に小諸城で一泊したところ、
下曽根覚雲斎が――
0606人間七七四年
2008/12/16(火) 18:50:36ID:+12lnYTUそもそも、新府城を出た時点の比較的兵の多くいた時でさえ
どうやら皆戦意喪失のていであろうし、
北条夫人や女中たち足弱なものも引き連れている。
攻撃軍の先鋒にも狙われるであろうし、
あの時代の武装農民や野伏せりも虎視眈々と狙うだろう。
真田の居城まで持つまいと思うのは普通だと思うがな。
0607人間七七四年
2008/12/16(火) 19:01:10ID:lX5kDhQZ北条と手切れ後も、関東方面では最後まで北条を圧倒してたし、
織田(と織田の援軍をもらう徳川)以外には終始優勢。
そもそも織田に勝てた勢力なんて存在してないんだから、
滅亡したことで凡将とは言えないと思う。
0608人間七七四年
2008/12/16(火) 19:20:31ID:ARsc2bxT前述にもあったが、もし仮に勝頼が岩櫃城や上杉に逃れられたとして、信長が「あとは掃討戦だから信忠頼むなぁ」とか言って、自らは京都に戻り、あとは史実通り本能寺が起きれば面白い展開になりそうだな。
ifにifを重ねたとしてね。
0609人間七七四年
2008/12/16(火) 20:11:34ID:7qGZc6/8■■武田勝頼 総合スレッド パート2■■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1182803942/
0610人間七七四年
2008/12/16(火) 22:22:43ID:xatF2kGq勝頼に同行したの?
0611人間七七四年
2008/12/16(火) 23:51:00ID:VCF6YFeT0612人間七七四年
2008/12/17(水) 00:00:47ID:EzHz9Nid弱すぎなんだよ
0614人間七七四年
2008/12/17(水) 01:39:28ID:khH/TYvCそのIFだと、徳川が安土やら京堺やらに物見遊山するとは思えないし。
信長も京都に無防備に出かける可能性がなくなるし。
光秀だって家康接待がなくなるのだから、中国出陣がはやまる可能性はある。
0615人間七七四年
2008/12/17(水) 01:47:20ID:hjGPcv1p甲信を出た時点で、武田家としては終了に等しいわけだしなぁ。
家康が手を出させてもらえたのは駿河までだったわけだし、家康が物見遊山に誘われるのもアリだろ。
0616人間七七四年
2008/12/17(水) 09:48:11ID:y7KkVUZU織田家はすでに信忠が家督を継いでるんだから
0617人間七七四年
2008/12/17(水) 12:04:37ID:VqHYIso/0618人間七七四年
2008/12/17(水) 14:58:02ID:1RFWuALl0619人間七七四年
2008/12/17(水) 21:15:41ID:9u415xkr0620人間七七四年
2008/12/17(水) 21:47:24ID:mHbxxrCzいや、信忠は、退路はすでに断たれてるだろうと思いこんで逃げ遅れただけで、
実際は光秀は信長一点狙い。信長を討ち取った!と思ったら信忠がまだ京都に
いたという展開でしょ?
0621人間七七四年
2008/12/17(水) 22:18:21ID:HhkpDkZx西から徳川・織田、東から北条に挟撃され、お家の浮沈を賭けて
決戦すべしとの主戦派の真田昌幸の提案を受け入れ開始された。
武田はもはや大攻勢を実行するだけの余力はないと徳川・織田連合
は認識していた。勝頼は北条への抑えと、木曽口の守備を残して、
動員できるすべての兵力を下伊那に集結させ、遠州・三河方面に進撃した。
目指すは浜松城。兵力・戦略的には圧倒的に優位に立っていた徳川・織田
軍が奇襲を受けて一時的とはいえ戦局の主導権を勝頼に握られてしまった。
どのような理由で勝頼の攻勢計画の探知に失敗したのだろうか。
豊富な人的・物資を最大限に活用して、型にはまった「合理主義」を
取っていた信長にとって、想定から逸脱した事態に直面した戦いであった
と総括できる。
★主な武将の戦死★
徳川・織田(本田忠勝・井伊直政・滝川一益)
武田 (真田昌幸・小笠原信嶺・武田信豊・穴山梅雪・仁科盛信)
0622人間七七四年
2008/12/17(水) 22:57:13ID:ZCAJqvtS0624人間七七四年
2008/12/18(木) 00:15:36ID:zc9xwrMK0626人間七七四年
2008/12/18(木) 04:35:31ID:1admmnD8なら、勝頼を懐に入れておくなんて愚考は、死んでも思いつかないだろう。生け捕りにしてさっさと引き渡すか、それ
こそ滅亡覚悟で信長と戦うかのどちらかだよ。
で、仮に彼がそれほど義理堅く本気で戦うなら、序盤で一度大軍を叩いて和平交渉に持ち込むしかないだろう。勝頼の
延命と引き換えに降伏。もちろん武田領は没収。この条件なら織田も飲むのではないか?真田ごとき小大名に手こずっ
て、貴重な時間と兵力を浪費し、おまけに面子も失うリスクを背負う必要なんてどこにもない。
交渉の駒がほしいなら、序盤の戦いで負けないこと。相手が予想する以上の被害を与え、そう簡単にはボコれないと思
わせること。これしかないんじゃないか?
0627人間七七四年
2008/12/18(木) 10:57:12ID:AH736ipM本家海野氏ともども滅亡
上野にて浪人中に武田氏からの招請を受けて信濃返り咲き
村上氏討伐の功にて父祖の地+加増
絶家となっていた本家海野氏は武田からの養子によって再興
本人昌幸
武田氏への人質兼小姓として仕える
元服後は三男の為部屋住み扱いを惜しんだ晴信によって甲斐の名族武藤氏を継ぐ
長篠で兄2人が死亡後には真田本家を継ぐことを許される
勝頼の代には衰亡しつつある武田家において上野で加増
新府城の縄張りを任されるほどの当主からの信頼
真田家の成り立ちを考えればマジで岩櫃城にて篭城を考えていた気もする
もっとも篭城前に息子のうちどちらかは逃がしてそうではあるけどw
0628人間七七四年
2008/12/18(木) 12:56:25ID:cxBijF6b関ヶ原の、どっちが勝っても家を残すってのは、どうやら「結果論」だったみたいだよ。
實際には、昌幸と信幸は方針(東軍か西軍か)を巡って対立、喧嘩別れしてたらしい。
0629人間七七四年
2008/12/18(木) 19:54:54ID:u9CjZbi9勝頼は真田好きだね
0630人間七七四年
2008/12/18(木) 20:28:25ID:3wZfkiph真田好きとかじゃなくて単に皆、優れていただけだろ。
信綱は譜代家老衆と同格扱いだったらしいな。
0631人間七七四年
2008/12/18(木) 20:45:26ID:4oPSZNhxこの財政難の時にいったい何を血迷ったのだ。。。
すぐにお屋形さまに報告しろ!!やはり信濃衆は信用ならん!」
0632人間七七四年
2008/12/18(木) 21:20:03ID:Io2Yb0nGそりゃ、少なくとも後世に残る話では、そうなるだろ。
両取りやってましたなんて、残った方からしたら、信用的にない方がいい事実だもの。
0633人間七七四年
2008/12/20(土) 02:05:13ID:2ZMrNYsy池田家とか他の家も同じ事してるし。
0634人間七七四年
2008/12/20(土) 08:04:56ID:9aAgT8bh0635人間七七四年
2008/12/20(土) 13:03:56ID:EASOb0B/その信忠に押し返されるような明智兵を二つに別けたら、下手したら信長も信忠も取り逃がすだろ
あと、信長を討った後に信忠に向かう明智の軍勢は非常に迅速だぞ?
0637人間七七四年
2008/12/20(土) 18:52:10ID:2ZMrNYsy一万数千の部隊を二分したって、十分信長、信忠を葬れるだろ。
0638人間七七四年
2008/12/20(土) 19:14:04ID:gWmx+n+Q映画「影武者」が放映されるよ
0641人間七七四年
2008/12/21(日) 12:51:04ID:ADFoPRdi信長さえやっちまえば後はどうでも良かったんじゃないか
失うものなんて元々は大して持ってなかったんだから
まず知将という条件ありきで捉われすぎてる気が
0642人間七七四年
2008/12/21(日) 17:18:11ID:nNJ2bQd+0643人間七七四年
2008/12/21(日) 17:24:09ID:A+LyAPYa来なかったのでラッキー!あとは土屋ガンバレやって思っただろうな
0644人間七七四年
2008/12/21(日) 20:45:26ID:uchDWN17秋山信友みたいに講和条件を反故にされて騙し討ちにされそうです。
開城の交渉条件を反故にされた例は他に
波多野親子や九戸政実の例など数多い。
後ろ盾のない講和なんてそんなもんだよ。
信長があの状況で律儀に講和条件を守る可能性は低い。
それに信長は勝頼の首を蹴っ飛ばした逸話からあるように
武田への憎しみで凝り固まってるしな。
0645人間七七四年
2008/12/21(日) 20:48:01ID:uchDWN17「不運」というよりは必然だろ。
信長は天下統一のために典型的な「弱気をくじき、強きを避ける」方策を取ってて
武田・上杉には豪華な貢物をしていて卑屈ともいえる外交を取り続け、
時間を稼ぎ、勢力拡大に成功したんだし。
信長の戦略勝ちだな。
0646人間七七四年
2008/12/21(日) 22:04:10ID:k0SjTf5t0647人間七七四年
2008/12/21(日) 22:13:43ID:mNqXY9Xo0648人間七七四年
2008/12/21(日) 22:38:04ID:t7YyES47波多野親子は現在否定されているし勝頼の首の逸話は後世のもので、ねんごろに
弔ったとする史料もある。一概には言えない。
昔の講談だけで語るなよ。
0649人間七七四年
2008/12/21(日) 22:46:23ID:k0SjTf5t0650人間七七四年
2008/12/22(月) 11:16:40ID:KTnXh9er古府中に降下して一気に制圧されてしまったわけだろ。
0651人間七七四年
2008/12/23(火) 04:33:10ID:oZo3dG6g>秋山信友みたいに講和条件を反故にされて騙し討ちにされそうです
そうかな?序盤に負けた織田も(いや、講和は織田が序盤に負けたことが前提になるからw)、真田が自ら降伏すれば
面子も立つし、そんなに強い真田なら、味方にしておく方が得だと思うんだけどな。打倒上杉の先兵等、将来の使い道
はいくらでもありそうだ。勝頼を生かしておいたところで、一人で何が出来るわけでもあるまい。
講和を反故にすれば、また真田と戦うことになるだろうし、そうなれば、また貴重な時間と兵力をムダにすることにな
る。その辺りの損得くらいは考えられる人だと思うんだけどなあ
0652人間七七四年
2008/12/23(火) 06:32:13ID:vIENGgS0そんなに強い真田が、独立した小大名(というか豪族)ならそれもOKだろうが、
勝頼がいると話が違う。
いつ何時、尼子のようにお家再興運動を始められるのかと考えると危ない。
しかも勝頼なら、甲斐と信濃を巻き込むことが可能。
勝頼健在と聞いた武田残党が結集してもこれまた厄介。
(しかもその残党勢力かかえて越後に合流する可能性もある)
考えれば考えるほど、勝頼を抱え込んだ真田が織田に許されることはないんじゃないかな。
0653仙台藩百姓
2008/12/23(火) 11:42:56ID:NrI1cWPL真田が勝頼を擁して織田政権下で生き残ろうだなんて希望的予測にもならない夢物語だお┐ (´ω`) ┌
0654人間七七四年
2008/12/23(火) 13:11:16ID:TWo/H2ef0655人間七七四年
2008/12/24(水) 08:12:57ID:HK9SAt3Wてか、勝頼自身なにがあろうが織田政権の下で働くなんてことはしないと思われ。
0656仙台藩百姓
2008/12/24(水) 11:58:07ID:KUeOBkDAそんな小者はどうでもいいお( ^ω^)
義昭匿った連中などは皆散々な目に遭ったお
浅井朝倉を匿った比叡山もあの有様
六角らを匿った海鮮らも火あぶり
斎藤、北畠、浅井、朝倉、六角、三好、一色、波多野…
皆、国を追われるか殺されたかだお┐ (´ω`) ┌
0657人間七七四年
2008/12/24(水) 21:26:04ID:co0N3E+9高名な快川和尚(信長とも面識あったような・・・)が殺されたのに、
当の義治がちゃっかり逃げてるってどーゆーこっちゃ??
0658人間七七四年
2008/12/24(水) 21:52:27ID:K5U0ADX10659人間七七四年
2008/12/24(水) 22:31:34ID:jN3XxZF4本音だったという事じゃないかね。信玄・勝頼の裏で暗躍して
いたと見なしていたとかで。
0660人間七七四年
2008/12/24(水) 22:37:58ID:jendtrYk諏訪社に火を掛けて信長にやりすぎだと言われたり、
なんつーかすげーイケイケドンドンなんだよね。
0661人間七七四年
2008/12/25(木) 18:42:42ID:maIgVTco信長の血を色濃く受け継いだ嫡男ですから。
信忠が本能寺で討たれなかったら、織田家が天下取っていただろうな。
0662人間七七四年
2008/12/25(木) 18:49:04ID:SbFBG0jS小山田が裏切らなかったら
どうなってたかのほうが面白い。
0663仙台藩百姓
2008/12/25(木) 19:34:17ID:8/jw/60j田野で死ぬか岩殿で死ぬかの違いだけ
それ以前に北条と決裂しなければ多少違ったかもしれないお
0664人間七七四年
2008/12/25(木) 20:41:27ID:79l/5ufn武田が上杉と争うなら価値があるが
織田と争う武田に価値は無い。
むしろ外交の原則通り織田と組んでおいて武田を関東から追い出す。
0665人間七七四年
2008/12/25(木) 21:16:38ID:v+GIEShB包囲もされてないのに速攻であきらめてしまう人に、天下は取れない気がスル。
結果論だけど。
信長は自分も放蕩息子だったのに、信忠が遊び過ぎだと叱責してみたり、ワロス
0666人間七七四年
2008/12/25(木) 21:26:58ID:IXgzjuOP信長は十代前半までは放蕩無頼だったけど、家督を継いで以降にはそういった振る舞いは
ほとんどなく、戦に政治にと明け暮れている。まあ親父死後は遊び惚けていられる状況に
なかったというのもあるだろうが。
信忠の場合は、二十も過ぎて織田家の家督も継いで以降のことだからな。
信長からしたら
「お前なあ、オレがお前の年齢の頃は能だ舞だと遊んでる余裕なんてなかったんだぞ」
と叱りたくもなるだろう。幼少の頃から大事に跡継ぎ教育施して育ててきたのに。
信忠の場合、十代に遊べなかったのが、二十代で余裕が出てから遊び心がでたか?
0667人間七七四年
2008/12/25(木) 21:33:19ID:LI/uZF+x他の兄弟は、生き残ってもあんまりパッとしないやん。
0668人間七七四年
2008/12/25(木) 21:39:45ID:UWux3G3zそれで見事に武田を滅ぼして見せたんだから、
やっぱりそれなりに優秀だったんじゃないの。
0669人間七七四年
2008/12/25(木) 21:55:53ID:LI/uZF+x鳥居峠で勝ったのは木曽・遠山だし
先行した団・森で下伊那は制圧だし
大島城は自落、勝頼は諏訪から自分で撤退、新府城も放棄。
勝頼追っかけたのは滝川・・・・
0670人間七七四年
2008/12/25(木) 22:37:54ID:be1p874Mホレ見ろ俺の言ったとおりだろと滝川のケツ叩いて勝頼を追っかけさせたんだが
そもそも信忠の評価は
「御曹司は我々が馬欲しいなーと思っている時に馬をくれて
金が欲しいなーと思っている時に金をくれて、本当によく人の機微を察せられる方です」
つー家臣に対して
「アホ。馬欲しいと思ってる時に金やって、金欲しいと思ってる時に馬やるのが上の立つ者の器量じゃ!」
っていう信長の方がムチャクチャだろうw
0671仙台藩百姓
2008/12/25(木) 22:40:49ID:8/jw/60j平手が奇行を諌めて腹切った逸話や変な格好で道三と会ったのも家督相続後の話しだし
ただ、信長はふざけていたのではなく意図があってやっていたわけで
単純にはしゃいでいたボンボンの信忠とは全く異なるお┐ (´ω`) ┌
でも、信忠は20代中盤の血気盛んな年頃に大軍をあずけられ
かつては信長も苦心した名門武田相手に圧倒的な戦を仕掛けているわけだから
舞い上がってしまうのは無理もないお( ^ω^)
ただ、あくまで信長や配下の下積みがあってこその勝利だから
信忠が慢心してしまわないように親心で窘めたのだと思うお
0672人間七七四年
2008/12/25(木) 23:10:35ID:JoTPaC1i>「アホ。馬欲しいと思ってる時に金やって、金欲しいと思ってる時に馬やるのが上の立つ者の器量じゃ!」
滝川「茶器………(´・ω・`)」
0673人間七七四年
2008/12/25(木) 23:13:15ID:i+g9Oku7適度な物を与えて、本当にほしい物は餌としてぶら下げ続けろと。
>>672
その話は、ネタだろうな。まぁ。
0674人間七七四年
2008/12/25(木) 23:18:32ID:JoTPaC1i>>672は>>670宛。
岩櫃城に逃げたら、甲斐と南信濃は完全に落ちるわけだから、動員兵力もハンパなくダウンするわな。
頑張っても5000くらい?これじゃあ、どう足掻いても織田(甲信方面軍)・徳川・北条の連合軍に圧倒されるな。
0675人間七七四年
2008/12/25(木) 23:37:24ID:IXgzjuOP飯に汁かけと同じで、話があってそこに後世人物名を入れた創作だろうな。
0676人間七七四年
2008/12/26(金) 01:48:21ID:nulrX/kM援軍が来るであろう戦場では援軍をよこし
援軍が来ないであろう戦場では援軍をよこさないから敵も行動しやすい
馬が欲しい時に金をやるように、援軍が欲しい城には援軍をやらず
金が欲しい時に馬をやるように、援軍が来ないだろう城には援軍をやれば
相手の虚を突くことができるのである
って信長は続けた筈
援軍欲しい状況に援軍やらなかったら味方は負けるだけだろうがw
0677人間七七四年
2008/12/26(金) 08:32:17ID:62tAo2vR敵の主力が味方の城から引き上げざる得ないような状況を作れれば理想的。
例えば、謙信が小田原に侵攻した裏で信玄が後詰と称して川中島に進出したような感じで。
0678人間七七四年
2008/12/26(金) 17:36:05ID:nsgiRpSsだったんでしょ。信勝が生き残れば、勝頼が死んでも武田家は滅亡
したことにはならなかったのだから、息子を逃がして、勝頼は守る兵が
100名でも新府城で最期の一戦をやるか、諏訪地方奪回と称して進軍
して散ればよかったのに。
0680人間七七四年
2008/12/26(金) 18:10:19ID:3KphcaFzたしか信勝が落ちのびることを拒否している。
0681人間七七四年
2008/12/26(金) 20:00:41ID:EOixAHkD信勝が小さい頃、信玄に挨拶(後継者として)していた
ってのは、作り話なのかな?
0682人間七七四年
2008/12/26(金) 20:55:19ID:HPi7K6Wj0684人間七七四年
2008/12/27(土) 01:29:02ID:G9ZZaEeOとお願いしていたりするし、信玄の晩年には勝頼と連署の書状を出したり、
勝頼単独で領国全体に関する書状を出すなど、勝頼後継という体制を
つくろうとしている(遅かった感はあるが)
0685人間七七四年
2008/12/27(土) 13:23:14ID:UhvpsTVn上総介とか弾正忠とかさあ。
勝頼だって適当に名乗ればいいのに。
0686人間七七四年
2008/12/27(土) 13:55:49ID:StTjF78F0687人間七七四年
2008/12/27(土) 15:22:30ID:hMM1TWOO0688人間七七四年
2008/12/27(土) 16:31:38ID:iX88MVwc0689人間七七四年
2008/12/27(土) 21:49:25ID:aOGU1ckh0690人間七七四年
2008/12/28(日) 05:37:51ID:7+YYn2tL0691人間七七四年
2008/12/28(日) 12:35:12ID:h7LMoVxN0692人間七七四年
2008/12/28(日) 19:51:45ID:EqZe4qqgつか戦国の世に官位なんかたいした効力なんて無いだろ。
だから信長も返上したんでは?
0693人間七七四年
2008/12/28(日) 21:51:18ID:+Sg/7Pwoところがそうでも無かったりする。
「三河守」をめぐる織田・今川氏の抗争や、大内義隆が「太宰大弐」の
官途を得るなど、実質的な意味を持っているケースもまま、ある
0694人間七七四年
2008/12/28(日) 22:32:21ID:YGBl0fHj山ばかりだからか?勝頼の時代って兵隊が死んだら
代わりに補充って難しかったんじゃね?
0695人間七七四年
2008/12/29(月) 02:19:22ID:jeBMIAjV今では山賊と化している。
0696人間七七四年
2008/12/30(火) 09:05:19ID:1vn6+0yX兵の補充は領国内だけじゃないだろ。
金で浪人を召し抱えたりとか。
0697人間七七四年
2008/12/30(火) 18:04:10ID:Bg9VEvA20698人間七七四年
2008/12/30(火) 20:35:47ID:oytJRP2X0699人間七七四年
2008/12/30(火) 20:57:01ID:YNSmmstl当時(武田の統治)の主な産業って何があったの?
ほうとう が今でも名物だが、あれは保存食なんだろ。
山梨の人には悪いがマズいよ。
0700人間七七四年
2008/12/31(水) 16:07:44ID:lmVDLRUPどこか領国1つなら、現実的には駿河かねぇ。
山やら好きだから、長野も個人的には好みだが。
0701人間七七四年
2008/12/31(水) 20:10:41ID:LEkqzR5c平地は危なくて住めなかったんじゃないの?
じゃなかったら越後なんて米取れすぎで超大国だろ
0702人間七七四年
2008/12/31(水) 20:41:08ID:eNiVK7/00704人間七七四年
2009/01/01(木) 04:49:43ID:jF33Zg7L信濃は山と川で全域が防御に適した地形だけど、生産性で考えると、無駄な地形が多すぎた。
圧倒的な存在がなく、連続する攻撃側の不利を覆せるほどの勢力がおらず、外の武田に侵略されたわけだが、
その武田も時間がかかりすぎて、その後に影響が出たし、かけた時間の割に得た物が少なかった。
美濃と信濃の地形が全く逆だったら、どうなっていたかなぁ。
海の有無も含めて、尾張と甲斐の差だけで結構なものだから、どうにもならんかな。
0705人間七七四年
2009/01/01(木) 07:13:43ID:aNiBhOoP武田の場合は進出方向が信濃しかなかったですからね
もし伊勢氏の彼が不在だったら内訌ばかりの駿河や両上杉や両公方の間隙ついて相模進出
可能だっただろうケド
織田は美濃がダメなら伊勢に出れますし美濃が信濃のように小勢力分立なら三河で今川とガチでやりあえるでしょう
0706人間七七四年
2009/01/01(木) 21:38:49ID:4kcN76eY大健闘だったと個人的には思うよ。
戦い続けるしかなかったものな。甲斐・信濃で持久(自給)
し続けるってのは、ほぼ不可能な気がするんだが。。。
0707人間七七四年
2009/01/04(日) 23:51:46ID:BZrY7G8W人口はおおむね石高に比例するから、動員力も補充余力も石高程度だよ。
それ以上でもそれ以下でもないだろう。
0708人間七七四年
2009/01/07(水) 09:42:10ID:HIcDgXvc0709人間七七四年
2009/01/07(水) 11:03:34ID:MxY+ROhlgoogleマップの航空写真とか、検索して画像で見てみれば、それだけでも大層だってわかるけど。
岩櫃山そのものだけじゃなく、周囲の辿り着くまでの道も険しいとこばっかりなのが良い。
0710人間七七四年
2009/01/07(水) 20:27:06ID:UHREmaxM昌幸が裏切らないにしても、1年も経てば、昌幸のほうがふんぞり返って
上座に座って、主従逆転ってことになったかもよw
0711人間七七四年
2009/01/07(水) 21:10:17ID:wJJ7DwMwその手の城は物資の搬入が大変なだけに
貯えが少なそうだよねん。
0712人間七七四年
2009/01/08(木) 20:10:45ID:nBwwGXI+それくらいだから、物資は相当貯め込んでいたはず。
0713人間七七四年
2009/01/08(木) 22:40:38ID:QPDADDVR滅亡直後の時点の手紙で、以前から言っている通りにって書いてるから、
和睦工作を担当してたんでなければ、最初から勝頼に従う気なんてなかったんでしょ。
目的はとにかく生き延びる事だと。織田にでも北条にでも通じるぞと。
0714人間七七四年
2009/01/09(金) 00:16:06ID:iSTE1e4Yその中で優先順位がどうなってたかはわからんがな
0715人間七七四年
2009/01/09(金) 01:15:44ID:5QudL+lR小山田信茂なんて何の工作もなく突然裏切ったから
信忠に土壇場見苦しスって処刑されてるからな。
口では忠実そうだけど裏でいろいろやってるっぽい奴と比べたら
確かに勝頼も岩殿に行くな。
最後に裏切られるかもしれないのはどちらも同じなら、ね。
0716人間七七四年
2009/01/10(土) 16:39:42ID:S2a6JRS2当時の武田軍制では、
真田は独自外交(というか外部勢力との独自折衝)を許可されている。
また本気で昌幸が勝頼を支えるつもりなら、
関東方面のことで北条と折衝(というか北条と関係を修復して引き込む)のは必須なわけで、
交渉していた、さらには従属するという方向性を模索していても不思議ではない。
景勝だって立場的には勝頼に従属する形で御館の乱を収束させている。
0717人間七七四年
2009/01/10(土) 18:26:22ID:LMoaRPrM>また本気で昌幸が勝頼を支えるつもりなら、
>関東方面のことで北条と折衝(というか北条と関係を修復して引き込む)のは必須なわけで、
>交渉していた、さらには従属するという方向性を模索していても不思議ではない。
>景勝だって立場的には勝頼に従属する形で御館の乱を収束させている。
え〜と、織田と同盟して関東を確保している北条家が、武田家に味方する理屈ってありますかね・・・・?
そんな事が出来る外交手腕があったら、そもそも武田家は滅亡するほどの苦境に陥りませんw
0718人間七七四年
2009/01/10(土) 19:16:38ID:qfMy8J8b「武田は北条に従属します。だから北条さん武田を助けて織田と戦ってください」
…こいつアタマがどうにかなったんだな、としか判断くだせんわな。
0719人間七七四年
2009/01/10(土) 22:49:59ID:3sUv2Valその兵を持って上洛、天下を取る。
0720人間七七四年
2009/01/10(土) 23:00:03ID:raoxF6xV0721人間七七四年
2009/01/11(日) 09:37:08ID:2itBCz7b駿河まで取り戻すのは無理だし。
0722人間七七四年
2009/01/11(日) 11:16:00ID:rqGBzI5X0723人間七七四年
2009/01/11(日) 13:44:33ID:GyO/GbWn0724人間七七四年
2009/01/11(日) 14:56:22ID:5EuvAzaXこっちのほうが面白そうだ。
老いたりとはいえ、戦の技量では信玄を超えたとも言われた勝頼が、
かつての腹心の息子・真田信繁と共に大坂城入り。
家康といえど楽には勝てないだろう。
0725人間七七四年
2009/01/11(日) 16:08:34ID:/9u2bkyr本物の勝頼か信勝が生きていて大阪入城したなら旧武田家臣はどうしたんだろうな
結構動揺あったりしてな
0726人間七七四年
2009/01/11(日) 19:05:21ID:pplxw1WD徳川がガタガタになって面白い展開があるな。
でもそれ以前に関ヶ原ですよ。
0727人間七七四年
2009/01/11(日) 23:01:51ID:VGPL4Zus0728人間七七四年
2009/01/12(月) 09:54:56ID:yBcq77DJ0729人間七七四年
2009/01/12(月) 16:25:03ID:DZCgloqVをあっさり一条信龍は奪われてしまうし、天目山で土屋はだらしないし
高遠城で散った仁科盛信以外、まともな奴はおらんな。
0730人間七七四年
2009/01/12(月) 20:12:26ID:Ll2uZ+7Dお前は、1人にどんだけの活躍を求めてんだよ。
0731人間七七四年
2009/01/12(月) 22:11:25ID:g+H2hlow0732人間七七四年
2009/01/12(月) 22:58:35ID:kjlEOtqeどっちにしろあほな奴だ
0733人間七七四年
2009/01/12(月) 23:33:11ID:UbCDB3+4だったらテメーがやってみろやカス。
0734人間七七四年
2009/01/13(火) 00:07:27ID:yWGa+YyR穴山と刺し違えて城を乗っ取って籠城すればよかったんだよ。
0735人間七七四年
2009/01/13(火) 21:13:12ID:FrnY++sr木曽、穴山の離反後に崩壊せずになんとか維持する方法ってあったのかな?
0736人間七七四年
2009/01/13(火) 21:52:02ID:JIgCXvA9現実には織田の援軍を得た木曽勢が地の利を占めていたから
短期間に勝つのは困難だったろうがね。
0737人間七七四年
2009/01/13(火) 22:15:47ID:Q7RKUW1rちょいと攻め切るのは難しいわな。
武田信豊率いる攻撃部隊にしても、木曽を攻めてる間に織田の本隊が出てきそうだったから
引き返したってとこだろう。
一部隊を木曽の北から攻めさせてる間に、勝頼の本隊は諏訪で待機じゃなくて、むしろ伊奈か
さらに東美濃に出て、伊奈衆の離反を防ぎつつ木曽を南からも攻撃する手段を探すとか?
まあどちらにしろ、一時的に織田の侵攻の手が止まったとしても、時間稼ぎという気しかしないが。
0740人間七七四年
2009/01/13(火) 23:28:44ID:45yHjDtyのにな。昌幸が5千・土屋が3千・勝頼他が2千を引き受けて
敵の先遣隊1万位だったら緒戦だけ撃退できただろう。
その後はもたないだろうが。
0741人間七七四年
2009/01/13(火) 23:49:02ID:TBs5YoDi少数で守るには大きすぎるでしょう。
野戦に討って出るには自殺行為の兵力ですし。
それなら岩櫃でも岩殿でも、少数で守れる城に行くか、諦めて自害するか、
荒木村重よろしく遁走するか。
0742人間七七四年
2009/01/14(水) 00:53:51ID:CxRXUQn+で、その後は?
0743人間七七四年
2009/01/14(水) 09:26:32ID:BRdbHv+G軍旗を奉焼し、代々伝わる家宝は信勝に持たせて逃がして
小山田・真田は居城には返さず一緒に戦わせる。信豊は勝手にしろ。
土屋が突撃して、真田・小山田も機会を見て討って出る。
勝頼は最期に自刃すればよし。
0744人間七七四年
2009/01/14(水) 10:13:22ID:ge1iw3f4もはや支えようもない
諏訪と古府中の間にある建設途上の新府城篭城策も木曽口駿河口の両方を
失った時点できつい
思い切って海津城を前線にして北信一帯〜上野を後背地。本拠としては飯山城あたりか
ここだと同盟勢力の上杉勢の支援を受けやすく(というか後背を気にしなくても良い)、
海野方面佐久方面から甲斐も睨めるし峠を越えれば上野
こうなると織田方は信濃府中(現松本)と諏訪を前線にして海津城と対峙するしか
手がなく、最低でも海津を抜かない限り平定とは言いがたくなる
甲斐を攻める時点では非常に有効だった徳川穴山による駿河口からの侵攻そのものが
(織田にとっては)意味をなさなくなるし、信長信忠滝川明智森といった織田主力が
本拠である畿内をそうそう長期に渡って留守にも出来ない
長期戦となった場合、美濃からの兵站維持がきつい(新領土からそうそう無茶な徴発は
出来ないしそもそも信州甲斐が疲弊しきっているのを見てこその侵攻)
後背を気にせず海津〜飯山に全てを集中して耐える武田と長期戦は避けたい
兵站の伸びきった織田
甲斐をいったんは見捨てる形となるけど諏訪勝頼が信濃に拠る分には名分も立つ
一方、形勢みつつ武田信勝が父祖の地である甲斐に逆侵攻する名分は保持できる
・・・これくらいしか思いつかなかった
0745人間七七四年
2009/01/14(水) 13:30:03ID:SH8gEjPPぶっちゃけ、甲州遠征が決定された時点で詰みの状態。
何とかするならそれ以前に時計の針を戻す必要がある。
0746人間七七四年
2009/01/14(水) 13:42:03ID:ICdMUYIK古府中→江尻城(穴山)まで行って、「この裏切り者!」って勝頼一行が
怒り狂って城門を叩いて叫ぶとか、奇跡的に浜松城までたどり着いて
「茶を一杯所望したい」とか言えば格好よかった。
0747人間七七四年
2009/01/14(水) 14:49:39ID:9Va2jC9A織田に送られて終わるのでないの?
真田も庇いきれないでしょう
0748人間七七四年
2009/01/14(水) 18:46:54ID:pMtSuhktというか、兵站以前に、織田と徳川相手に、国境で抑えられたとしても、
2年だ3年だ戦い続ける生産力がないから、無理だろ。
兵站以前に貯蔵が尽きそう。
0749人間七七四年
2009/01/14(水) 19:34:10ID:vZhsCAWc>同盟勢力の上杉勢の支援を受けやすく
正面からは柴田の北陸軍、国内には新発田の反乱勢力、さらに後背に葦名や
最上らの敵勢力を抱えた上杉に海津城まで退いたとはいえ武田家を後援する
余裕があるとでも?
>後背を気にしなくても良い
さらに後背地である上野には北条が攻め寄せてくる。
この状態で織田軍相手に長期戦が挑めるとでも?
まあ、それで仮に保ったとしても、甲斐駿河信濃半分以上を失った武田家が
一年以上もつとは思えん。上野は北条に奪われ、上杉は柴田に滅ぼされ、孤立
無縁となって配下の北信濃豪族が裏切って降伏の手土産に首とられるのがオチ
だと思う。
0750人間七七四年
2009/01/14(水) 22:00:10ID:eoqDmUll0751人間七七四年
2009/01/14(水) 22:05:59ID:QvadqAmn早々にどこにでも行く時間はあったよ。
甲陽軍鑑だと小山田信茂が勝頼を迎え入れる準備をするのを
待ってたという話になるが、いつ敵が追いかけてくるかも分からないのに
ダラダラただ待ってるっておかしいやろw
0752人間七七四年
2009/01/15(木) 13:36:59ID:3nTBkOSb武田の防衛拠点として木曽と江尻が機能しているのなら諏訪〜新府城〜古府中を
結ぶ一帯が後方策源地となりうる
新府城は一朝有事の甲信駿防衛を考えればとてもいい位置にある
だけど木曽江尻がいきなり敵方になったわけで、こうなると新府城の位置的な価値は
半減どころかむしろ袋小路の位置に変わる
0753人間七七四年
2009/01/15(木) 18:46:46ID:A4bNW0Xp信長は凄いな〜
0754人間七七四年
2009/01/15(木) 22:50:06ID:iZR6JaCfすなわち勝頼の発想は甲府盆地に敵を入れるのは即敗北という事。
木曽が裏切るぐらいはむしろ想定内だろうが、やはり駿河方面からの侵攻は
食い止めるという事が重要になる。
駿河からの侵攻の可能性が出てくると、新府城は意味がなくなる。
0755人間七七四年
2009/01/15(木) 23:26:42ID:P0rJcHAC0756人間七七四年
2009/01/16(金) 14:10:37ID:Oa4UvRV60757人間七七四年
2009/01/16(金) 14:43:37ID:1eFFYNMO静が竹の戦いの前田と同じ感じ
0758人間七七四年
2009/01/16(金) 15:07:16ID:/Azj4/3w0759人間七七四年
2009/01/16(金) 16:06:28ID:L98nZe5r信豊と穴山は、確実に逃げてるんじゃない?
それも、高坂が腹を切らせろっていう位に酷い経緯で。
>>758
親戚ということになってるはず。
0760人間七七四年
2009/01/16(金) 19:44:37ID:Oa4UvRV60761人間七七四年
2009/01/16(金) 20:41:13ID:jcG7mqSU腹を切らせろとかいうのは、明らかに甲陽軍鑑の捏造でしょう。
信豊なんて、長篠の過酷な撤退戦でも、紺地金泥法華経の母衣を
捨てなかった事で、武士の誉だと当の甲陽軍鑑で誉めている。
穴山にしても、後備に配置されるのが常だから、退却する時に勝頼より
前になるのはある意味当たり前だし。
さらに木曽と小幡を入れ替えろとか、明らかに結果を見て書いたと分かる無意味な内容。
ま、小幡家とて典型的な国人領主、強敵と接すれば忠義など危ういもの。
合戦から間もない時に勝頼の書いた書状でも、穴山信君や武田信豊は無事である!と
強調したぐらい、勝頼の信頼も家中の信頼も厚い将。
0762人間七七四年
2009/01/16(金) 22:24:31ID:BMO0whbTどうなんだろ?小田原から近いから北条側は、かなりの兵力を展開
できるはずだが、本気で攻めなかったのか?(徳川・織田と国境を
挟む形を嫌ったとか)
0763人間七七四年
2009/01/16(金) 22:41:32ID:NBWfUKOB佐竹は小山、森屋、古河などかなり広範囲に断続的攻撃を行っていたため
そちらへの出陣の負担も大きいし。
0764人間七七四年
2009/01/16(金) 22:56:38ID:4C+P8aqHそれでも黄瀬川で対陣したり、武田・北条水軍が争ったりと穏やかな地域ではなかった。
0765人間七七四年
2009/01/17(土) 11:08:47ID:UGUmfk9Xあまりない。一気に駿河一国平定できるなら別だけど。
もしも例えば駿東郡を取れたとしても。
西の防衛線が箱根山から伸びるだけ。そして箱根に比べれば平坦としか言えない駿東郡を
安定支配するには一定規模以上の軍が必要。一方で甲斐郡内から武蔵への圧力は変わらない。
武田領に押し出すくらいなら武蔵を拠点として両野常総にちょっかい出してる方が余程得る
ものが大。
0766人間七七四年
2009/01/17(土) 11:37:17ID:KI/uTXSP北条まで敵対されたり、けっこう苦労させられたいた気がするが。
御館の乱の後、勝頼が北条に詫びを入れて、何とかすればよかったのにな。
0767人間七七四年
2009/01/17(土) 13:39:59ID:gi+tsDYy0768人間七七四年
2009/01/17(土) 13:50:22ID:opc2yBUk0769人間七七四年
2009/01/17(土) 14:02:34ID:PflVmcaF御館直前の北条は順調に堅調に着々と関東制覇へ向けて歩を進めている。
わざわざ武田と手を切ってまで織田と手を結ぶ必要性はその当時にはない。
実際、武田と手を切って信長・家康と結んで武田を包囲したはいいけど、
逆に北条も武田・上杉・北関東諸将に包囲されて抜き差しならない情勢に陥ってるしな。
その苦境を打破するために、信長に下ってでも信長の助力が必要になったわけで。
0770人間七七四年
2009/01/17(土) 14:31:43ID:VKEHW2xt長篠以降ジリ貧の武田や織田家と交戦状態の中、
当主が死んで混乱状態の上杉なんかと組むより
早い内に織田家に降った方が得だと考えるのは自然だろ。
0771人間七七四年
2009/01/17(土) 14:41:23ID:opc2yBUkじゃあ、それだけ武田と対立するのが北条にとっても痛いなら、手切りしなきゃいい。
上杉なんて元々敵だったんだから、景勝が継ごうと、内乱収めるのに手一杯だろうし、北条的には大きな影響はない。
それなのに、自らの動きは死ぬほど遅く、わざわざ要請に応じて先に大軍を越後に派遣した武田と、問答無用で手切り。
今更、養子に出した一族が殺されたからって、国の方針を変えるような真似をするはずがない以上、
北条は、ハナから手切りを模索していたと考えるのが普通。
0772人間七七四年
2009/01/17(土) 15:15:54ID:Dzm1x/clそんなわけないだろ。なんでそんな強引な結論なんだか。
はなから手義理を模索してた資料なんか一切ないし織田徳川に通じてた資料もない。
景虎が継げば上杉領土も味方に引き込めるはずだったのに
勝頼に勝手にそれをお釈迦にされた普通は同盟撤回だろ。
0773人間七七四年
2009/01/17(土) 15:19:21ID:Dzm1x/cl後、北条もちゃんと援軍出してるし、それまでは周辺との事情もあった。
第一勝頼は景勝から領土や金をたらふくもらって景虎を捨て殺しにしてるんだから
北条にしてみれば裏切りだ。
>>今更、養子に出した一族が殺されたからって、国の方針を変えるような真似をするはずがない以上
そもそもこれがなあ……。普通は方針変えるだろ。
0774人間七七四年
2009/01/17(土) 15:20:40ID:opc2yBUk景勝が継ごうが、北条が武田と対立しなきゃ、敵にはなってない。
北条が手切りをしなきゃ、結局、北条的には現状維持以上に収まっていた。
なのに、わざわざ手切りをして、大して間もおかずに織田と徳川と結託。
そもそも、大国の織田と、前もって何も連絡を取り合っていないわけがない。
0775人間七七四年
2009/01/17(土) 15:24:09ID:opc2yBUk依頼した側が、依頼を受けた側よりも、異常なほど遅延。
援軍も実際に送ったのは大した規模じゃないし、周辺の事情があるのは、それこそ織田・徳川と面してる武田の方だって大変だろう。
武田が送った兵力は、あの時期にしては、かなり厳しい規模。そう長い時期、越後に送ったままなんかにしておけない。
武田からすれば、打診しておきながら、自分はろくに兵を出さない北条がそもそも裏切りだろう。
0776人間七七四年
2009/01/17(土) 15:32:19ID:Dzm1x/clわけがない、ってのはただの思い込みでしょ。実際資料ないんだから。
景勝に通じて勝頼が裏切ったんだから北条が切るのは当然でしょ。
>>775
だからそれは周辺事情。しかも北条は越後にまで踏み込んでるぞ。
実際武田も徳川が来たらさっさと帰ってる。
武田は上杉から領土も金も従属同盟も勝ち取って景虎を見放してるんだから
どう見ても北条から見れば裏切り。
0777人間七七四年
2009/01/17(土) 15:32:23ID:PflVmcaF織田へは徳川の仲介で接触していたはず、
しかも武田勝頼との同盟破綻後に本格的にね。
その徳川との関係は以前(信玄の駿河攻めでの手切れ)のものだけど。
それと同盟破綻は北条にも責任があるのは、指摘されるとおり。
ただ773の言うように上野衆を編成して氏邦が越山しているのもまた事実。
そして武田勝頼に落ち度はないかといえば、そうではない。
まず北条は援軍を頼んだのであって、和議の斡旋を頼んだのではない。
次にその和議自体が片手落ちも良いところの粗末な代物。
同盟破綻は北条・武田双方の責任。
0778人間七七四年
2009/01/17(土) 15:37:13ID:opc2yBUk勝頼が越後に長居すれば、織田や徳川が背後を狙うことくらい、誰でもわかるだろ。
なのに、北条は武田に依頼するだけ依頼して、自分は「周囲の事情」で、ろくに派兵せず?越後に踏み込んだって、武田と比べて、ろくな兵力じゃない。
まるで遅滞して、武田の留守を長くさせ、織田・徳川に背後を突く機会を与えたようにすら見える。
結果的には、武田は徳川に狙われて、やむなく兵を退いたに過ぎない。
兵を出させるだけ出させて、領地を危険にまで晒されて、それでもまともに軍勢を動かさない北条を、信じ続けろって無理だろ。
0779人間七七四年
2009/01/17(土) 15:41:34ID:Dzm1x/clそんなわけないだろ。しかも北条も結構な兵力だったはずだが。
実際勝頼は徳川が来たらさっさと帰ってるんだし。
そこまで無体な事いってたわけじゃない。
問題は勝頼が徳川が攻めてくるよりも前から景勝に和議を打診されて
金や領土を貰ってるって事。
そして援軍に来たはずが景勝と景虎の和議を取り持つと勝手にやって
景勝からもらうものをたらふくもらってさっさと帰る。
そしてその後は景虎がどんなに窮地になっても放置。
北条にしてみれば勝頼を信じるのはむりだろう。
0780人間七七四年
2009/01/17(土) 15:43:58ID:opc2yBUk武田は、とっくに5月中には、国境まで来てるのにも関わらず。
依頼した側が、その間、何やってたんだよ。周囲がどうのって、武田も同じで、ただの言い訳にしか聞こえない。
0781人間七七四年
2009/01/17(土) 15:46:09ID:PflVmcaF周囲の状況はともかく甲府にいた=勝頼
0782人間七七四年
2009/01/17(土) 15:46:47ID:Dzm1x/cl勝頼はその間にすでに景勝に和議を打診されて好意的にこれに応え、
領土や金をもらってるんだが。
ぶっちゃけ北条からすれば何やってんだよ、となるし。
周辺事情に関しては勝頼も徳川来たらさっさと帰ったし。
0783人間七七四年
2009/01/17(土) 15:46:58ID:opc2yBUk>その後は景虎がどんなに窮地になっても放置
大勢が動いた2月辺りなんて、雪で信濃から派兵できるわけないだろ。
動いても、また北条に何ヶ月も放置されたらたまらん。
それでなくとも、一度、すでに徳川に背後を突かれてるのに。
それでも派兵しろって、どんだけ譲れば良いんだよ。
0784人間七七四年
2009/01/17(土) 15:49:39ID:opc2yBUkだったら、北条はなんで、9月にやっと兵を進めて、しかもそのあと9月内にさっさと引き上げたんだよ。
武田に再出兵を願うより、最低でもそのまま兵を進めるべきだろ。
計画していなかった同盟決裂までするほど、景虎に拘っていた行動には思えないが?
0785人間七七四年
2009/01/17(土) 15:52:47ID:Dzm1x/clわかってないな。
勝頼は景虎と景勝の仲を取り持つ、と言って和議を成立させたんだぞ?
北条にしてみれば勝頼が上杉から領土や金をもらって何やってんだ、となるが、
それでも景虎が生きるなら我慢できたかもしれない。実際年始の挨拶は北条と武田はやってる。
問題は景虎がどんどん追い詰められてく中で勝頼は景勝を批難したり戦闘停止を訴えたり
しないで完全に放置した事。自分が取り持った和議を踏みにじられた以上、本来なら
勝頼は景勝と断交して戦ってもおかしくなかった。しかし勝頼は逆に景勝との結びつきを強める方向で
動いて行った。これで北条に我慢しろというのが無理だ。
0786人間七七四年
2009/01/17(土) 15:55:02ID:Dzm1x/cl単純な話で雪だったから。それ以上進めなかっただけ。
再出兵がどうとかいう問題じゃないんだよ。
和議を取り持つと言いながら全然中立じゃないどころか明らかに景勝と結びついてる
勝頼の行動が北条にとっては明確な裏切りなんだよ。詳しくは>>785参照。
0787人間七七四年
2009/01/17(土) 16:03:00ID:opc2yBUk>>779で、自分で「その後は景虎がどんなに窮地になっても放置」とか書いておきながら・・・
北条は雪で仕方なくで済ませて、武田は裏切り行為ですか。
0788人間七七四年
2009/01/17(土) 16:06:45ID:Dzm1x/clだからー、>>785をよく読んでよ。
武田は北条とは無断で景勝から金や領土をたらふくもらって
和議を取り持つ方向で動いた。これは援軍を要請した北条からすれば想定外の動き。
そして景虎と景勝の中を取り持つと言って和議させたのに
景虎が景勝にどんどん追い込まれても、勝頼は景勝を書状で批難したり停戦を訴える
どころかその結びつきを強める方向で動いてる。
北条にしてみれば武田を裏切りとみる以外にどう見ればいいんだ?
0789人間七七四年
2009/01/17(土) 16:08:04ID:opc2yBUk武田との手切りを北条が選んだ以上、その時点で目算や計画が建っていたことは疑いないだろう。
逆にまったくなく、上杉の一件だけで無計画に武田と敵対したのなら、北条が馬鹿すぎて、そんなことは考えられない。
0790人間七七四年
2009/01/17(土) 16:09:39ID:opc2yBUkだから、武田が景勝と結んだのは、その時点で北条の動きが鈍く、疑いを持ったからだろう。
北条は武田が景勝と結んで裏切られたかもしれないが、武田からすれば自分だけ動かして自らが動かなかった時点で裏切りになる。
武田の理屈で言えば、先に北条が不義をしてるんだよ。
0791人間七七四年
2009/01/17(土) 16:14:10ID:Dzm1x/cl完全に決め付けじゃないか。
普通に武田という有力な同盟関係が喪失した以上、
あわてて他の同盟者を探すのは自然だろ。
新たな同盟構築なんてそんな感じなんだから。
>>790
だから、何度も言うように北条は徳川が来たら武田が帰ってる事を批難してない以上、
それほど無体なこといってるわけじゃない。
勝頼も普通に進軍して景勝から領土や金を出されて切り替えただけだし。
0792人間七七四年
2009/01/17(土) 16:22:22ID:opc2yBUk大切な弟に派兵するのが何ヶ月も遅れるほど、関東が騒がしい状態なんだろ?
ただでさえそれなのに、慌てて、その後の計画もナシに、プラスして武田まで敵に回して、自分から四面楚歌になるわきゃない。
決めつけじゃなく、普通に考えたらそうなるって話。
同盟関係が喪失っていうけど、直接戦ったわけではもなく、あくまで第3国をめぐる話であって、同盟破綻に直結する話じゃない。
実際、同盟を破棄したのは北条であって、武田が望んだなんていう話はない。
織田や徳川が背後を突くなんて、最初からわかりきっている話。
武田と同時に兵を進めて、早急に終わらせればよかったのに、それをしなかったのは、北条の都合。
0793人間七七四年
2009/01/17(土) 16:27:59ID:Dzm1x/clだからただの決め付けだって。
実際問題として景虎が滅んだ後時間をおいて同盟を切ってる。
新たな状況を模索する時間はちゃんとおいてる。
そして武田はその北条が立てた側を滅ぼした側と敵対するばかりではなく、
領土や金をもらって従属同盟まで結んでる。
これで北条に放置しろなんて無理だよ。
だから北条が怒ったのは徳川が来て勝頼がひいた事じゃないんだって。
金や領土をたらふく勝手に景勝からもらって援軍しないで和議に切り替えたどころか
自分で取り持った和議を壊されても景虎を完全に見はなし、どころか景勝と結びつきを強めた
勝頼の明確な利敵行為なんだよ。
0794人間七七四年
2009/01/17(土) 16:29:13ID:Dzm1x/clそして武田はその北条が立てた側を滅ぼした側と敵対するばかりではなく、×
そして武田はその北条が立てた側を滅ぼした側と敵対するのではなく、○
0795人間七七四年
2009/01/17(土) 16:32:28ID:opc2yBUkだから、武田が怒ったのは、北条が依頼しておきながらまともに動こうとしないからだって。
武田にだけ大軍を派兵させておきながら、自らは動かず、タイミング良く徳川に背後を突かれた。
武田からすれば、越後に長居をさせられたのは、明らかな利敵行為になる。
ちなみに>>779
>北条も結構な兵力だったはずだが
だけど、たったの2500程度だったようだよ。
0796人間七七四年
2009/01/17(土) 16:33:23ID:k+WNeOvNただちに本格的支援は行えなかった。そのため氏邦や由良等上野の他国衆を通じ
北条高広、長尾憲景、河田ら上野にいる上杉方諸将を調略して彼らをもって
景虎支援の先鋒とした。7月17日に沼田城を攻略、そのまま越後上田荘まで進攻し
樺沢城などを攻略し、坂戸城を攻撃した。八月になると北条の軍勢も上野に進軍、
九月には氏邦らが上田荘まで進軍する。その後厩橋北条、河田に樺沢城の守備を委ね
来年の氏政自身の進軍を約し維持を命じる。北条の軍勢は12月に上野に後退させ
氏邦に沼田城を管轄させた。氏政は『景虎没命の上は上州の仕置当方申し付くべくの条
勿論に候』と景虎が滅亡した事により上野支配権を主張するようになり
同じく上野支配権を主張する勝頼と関係が悪化していく。
ここで疑問なのはなぜ勝頼は上野支配権を譲るくらいの低姿勢な土下座外交を
しなかったのか?という事。自らが苦しい状況なら氏政が信長や武田に対して
したような低姿勢な対応を図るべきと思うが。
0797人間七七四年
2009/01/17(土) 16:35:20ID:Dzm1x/clだから北条は武田が徳川が来たら引き返す事を認めてるじゃないか。
なんでこれでそこまでいわれにゃならんのか。
武田も徳川来たらさっさと切り上げて帰ってるし。
勝頼は早い段階から景勝にいろいろもらって景勝のほうに傾いてるよ。
その根拠は?
0798人間七七四年
2009/01/17(土) 16:43:51ID:opc2yBUkもちろん、この時期の徳川は、織田に伺いを立てずに同盟を結ぶなど不可能。
たったの5カ月で、御館の乱の決着を知り、武田との関係を吟味、徳川(織田)と同盟締結の話を詰め、成立させたことになる。
まったく下地がなかったとするには、早すぎ。
0799人間七七四年
2009/01/17(土) 16:45:38ID:Dzm1x/cl半年経ってるんだから十分だと思うが…。
信玄の駿河侵攻からめまぐるしく同盟が動いてるけど
どれも半年以内で同盟や和議が動いてるんだけど。
0800人間七七四年
2009/01/17(土) 16:49:12ID:Dzm1x/cl2か月チョイなんだけど。
0801人間七七四年
2009/01/17(土) 16:54:54ID:opc2yBUkそもそも、武田と北条の同盟には、下地があった。
織田とは、前もって何も連絡してないのなら、一から締結する必要がある。
江戸と大坂は、安全な船を使っても片道20日程度はかかる。
0802人間七七四年
2009/01/17(土) 16:57:46ID:Dzm1x/cl何の下地?
てか北条も徳川とまず同盟締結してるし、駿河争奪戦の時の同盟のルートを使ったんだけど。
駿河争奪の時も徳川がまず北条と同盟して、徳川から織田に働きかける
形式をとってるから徳川との同盟が締結された事は不思議じゃないし。
0803人間七七四年
2009/01/17(土) 16:59:32ID:opc2yBUkだから、あの時期の徳川が、勝手に他国と同盟なんてできるわけがないだろう。
信長の判断を仰いでいないなんて、考えられない。
0804人間七七四年
2009/01/17(土) 17:03:40ID:Dzm1x/clレス番間違えてるの?
普通に徳川は駿河争奪戦の時も上杉や北条と独自に交渉して
織田と働きかける形式をとってるんだから全然不自然じゃないんだけど。
0805人間七七四年
2009/01/17(土) 19:30:16ID:9wVOeBbP頭をさげて4:6位の割合で付き合えばよかったんだよ。
正直に徳川・織田との対決が厳しい状況だと打ち明けて
金はないだろうから、北条の面目を保つようにしてさ。
仁科盛信あたりをを人質に小田原に送ればよかったかもな。
北条もいくら小田原城が堅固でも、武田の後は信長の矛先が
自分達に向かう可能性も考えていただろう。
北条の支配地域を見るとけっこういびつな形をしているんだよな。
関八州を押さえていたようなイメージだけど。
0806人間七七四年
2009/01/17(土) 22:57:57ID:PvG2mnE1勝頼は5月25日には出陣して、8月まで越後にいるよ。実に3か月。1万を超える兵力でね。
景勝と結んで景虎との和議を取り持ち、景勝派が景虎に手を出さないように
睨みを利かせてる。(景虎のいた御館はただの館なので、勝頼が睨みをきかせて
なければ早々に落とされていた可能性もある)
で、北条は武田に「援軍」を頼んだはずで。
北条家が「上杉家は景虎が継ぐべきだ!」と思うなら、勝頼が越後にいた3か月の間に、
「本隊」として動くべきだろう。
武田がわざわざ単独で、堅固な春日山城などを攻め落としてやる義理は無いわな。
あくまで「援軍」なんだし。景勝が春日山城を押さえてる以上、景勝と景虎の和議を
取り持ってやれば、景虎を助けるという名目では仕事をした事になる。
北条家は9月になってから、氏邦の他、越後から寝返ってきた連中(北条、河田ら)を
中心に越後に出兵してるが、与板城あたりで足踏みして、11月には氏邦は帰ってる。
北条らは残されているが、そのまま大した働きもできていない。元越後衆だから都合よく
捨てられた感すらある。
もし景虎を本気で支援したかったなら、勝頼に頼んで信濃を通って越後に行けば、普通に
春日山に迫れるのだよな。
勝頼は積極的に景虎が実権を握れるようには動いていないし、これは北条家にすれば武田の
裏切りだと言う良い口実だが、武田にすれば北条家が動かないで援軍もへったくれも無い。
北条家の悲願である「関東完全制覇」のためには上杉も武田もいずれ争う相手でしかない。
なにせ信長が死んだら同盟相手だったはずの滝川一益に襲いかかった北条家だからね。
関東完全制覇への想いはどうやらことさらに強い。状況証拠で考えると、やはり北条は
武田との同盟を切りたかったのだろう。
0807人間七七四年
2009/01/17(土) 23:51:29ID:FQzYXjSg北条氏政なんて、信長が死んだからと滝川一益に襲いかかるぐらいで、
義理もへったくれも無い。目指すは関東の完全制覇のみ。
(そういう意味では、武田の西上野も狙ってるだろう)
1579年の年始の時点では、北条家は武田家を責めていない。
この時点で勝頼は景勝と結んでいて、北信濃の領土を貰い受け、さらに
沼田領などを譲り受ける約束すらしているのに、ね。
景虎が討たれても、即武田と断交したというわけでもない。
武田と北条の断交というのは、それぞれが考える戦略が相違したからと
言うべきであって、景虎がどうしたとかは、むしろ口実でしかないと思うよ。
武田にすれば、織田・徳川相手に領土を広げるのは難しいから、東上野や下野の
国人領主を攻めて領土を増やし、経済力を確保していきたい。幸い、景勝から
沼田領を譲ると言われている。
北条にすれば、やはり関東完全制覇目指して邁進したいわけで。
御館の乱に乗じて沼田などは確保しているし、都合の良い事に、上杉景勝は
揚北衆との対立などで関東どころではない。
徳川とは以前に結んだ事もあり、対武田の共同戦線を張れる見込みがある。
国力確保を考えると関東に出るしかない勝頼と、関東には決して出させたくない氏政。
ここに対立軸がある以上、決裂は必然。上杉の関東への圧力が無くなった事で、
それが現実のものとなったのでしょう。
0808人間七七四年
2009/01/18(日) 00:09:19ID:TeZdkrmrそろそろ自重してくれないか?
0809人間七七四年
2009/01/18(日) 00:14:16ID:ogf4qk0+まあ5月の段階で重臣の一人でも勝頼に同道させてれば、また違った
展開もあったんじゃないかと思うけどね。
ここで思うのは、氏政は、勝頼に対しては下っ端としか見てなかったんだろうって事。
だから「じゃあ越後の事はよろしくね」ってなもんで。
で、実は景勝が勝とうが景虎が勝とうが、北条家に都合の良い結果になれば
実はどうでも良かったんだろうって事。翌年の年始にはまだ武田と喧嘩してないしね。
それに景虎って昔は氏政の弟だろって言われていたけど、最近は血縁だろうけど
知られて無い誰かって扱いみたいだし、もしかしてそんなに思い入れ無かったのかも。
そういう意味じゃ、御館の乱に乗じて上杉の関東領は手に入ったし、景勝は関東に出る
余裕はなくなったしで都合は良い。
ただ、武田勝頼ごとき(氏政視線)が関東に進出したいとは何事か!ってなもんでしょう。
勝頼からすれば、対等のはずなのに、まだ手に入れてない土地まで取るなと言うか!って
事になるんだろうけど。
>>808
あ、ゴメン。じゃあこれで最後にするわ。ちょいとスレ違いだったね。
0810人間七七四年
2009/01/18(日) 00:34:18ID:hqB1T6+6それはないな。残念ながら。
>>796にもあるのだが当時は北条は関東勢力と対峙中。
だからこそ勝頼に援軍を頼んだわけで。
しかも言っておくと勝頼は景虎が不利になっても放置して景勝と結ぶ方向で
動いてる。これは明確な背信行為。
>>状況証拠で考えると、やはり北条は 武田との同盟を切りたかったのだろう。
これはありえない。
そもそも北条が信長死後に滝川をたたき出したのも元はといえば
織田が北条の影響下にあった地域まで奪って滝川に与えたことを無視するのは不公平。
0811人間七七四年
2009/01/18(日) 00:41:47ID:hqB1T6+6だから上でも述べてるけど
もともと北条の取った領域まで奪って滝川に与えてた織田が
本能寺の後で北条にたたき出されたのはきわめて自然。
もともと織田は滝川を北条の上位に置くつもりだったし、北条をないがしろにする行為も
何度もしてる。これを述べないで何をいうのか。
年始の時点ではな。その後年が明けて景虎が三月を超えて死んでから
北条は武田と絶縁する方向で動き出す。
景虎が生きて勢力を保持するならば北条もまだ勝頼の勝手な和議も
見過ごすことはできたろうけどな。勝頼が和議を踏み破られても放置するわ、
逆に景勝と結ぶ方向で動けばきられて当然と思うが。
勝頼にとって関東戦線が増えたことはどう見ても計算外なんだが。
実際勝頼はこの後必死で外交政策の転換と修正を図ってる。
関東勢力と結び、織田・徳川と結ぶ方向でな。
そして織田・徳川と結ぶ策は結局うまくいかず北条も含めた三方向との戦いで疲弊し、
滅ぼされるにいたる。どう見ても狙ってたなんて思えないが。
実際北条と切れるまで東海道に向けて動いてたんだしな。
0812人間七七四年
2009/01/18(日) 00:45:42ID:hqB1T6+6それは違うな。
越後をよろしく、と丸投げしたのではなく
援護を要請したに過ぎない。実際勝頼が進軍して景勝を脅かし
その力を分散させたりそいでくれたら自分たちが本格的に進軍するときに有利になる。
春日山とか落としてくれることまで期待しちゃいないだろ。
関東での上野の利権は景勝から勝頼に委譲されたんだが。
なんか決め付けで話してないか?
0813人間七七四年
2009/01/18(日) 00:56:02ID:w6bOsQTE思いっきり出遅れた上に、駿河でちょこちょこ動いただけで、
ロクに働いてないからだけどな。
0814人間七七四年
2009/01/18(日) 01:07:01ID:hqB1T6+6北条は武田戦では駿河でちゃんと働いてるし
武田の上野経営の重要拠点である箕輪まで攻略してるんだが。
それは丸ごと黙殺されて奪われましたと。
0815人間七七四年
2009/01/18(日) 01:07:19ID:w6bOsQTE助けようって勢力がいたなら、雪は理由にならなさそうだな。
0817人間七七四年
2009/01/18(日) 01:13:44ID:w6bOsQTE駿河でも上野でも、武田の支配がスッカリ揺らいでから出て行っただけだから
信長に怒られる。どれも2月の下旬でしょ。
0818人間七七四年
2009/01/18(日) 01:16:58ID:hqB1T6+6そんな理屈はないと思うが。
ちゃんと2方面から仕事してるぞ。北条は。
それを勝手に奪ったばかりか滝川を北条の上において
北条をないがしろにした動きすれば普通にうらまれると思うが。
0819人間七七四年
2009/01/18(日) 01:29:12ID:bwPIouT5もしかしてただの――ゲフンゲフン。
ところで、よく武田家は国人領主の合議制みたいなもんで、信長のような強大な権力は
無かったなんて話が出たりするが、勝頼の、時として意味不明な行動に、家臣が結構
従ってるって事は、みんなして救いようのない(お察し下さい)か、あるいは勝頼の権力が
結構強かったって事なんだろうか?
0820人間七七四年
2009/01/18(日) 01:47:02ID:hqB1T6+6とりあえず勝頼の権力は決して弱いものではなかったというのが
最近の説ではある。まあ常識的に考えれば百万石大名の当主なんだから当然だが。
この権力は後期になるにしたがってどんどん強化されていき、
一門でさえも対抗できないどころか、一門も多くが勝頼に近づくことで地位向上を図る
ほどにまでなってたそうだ。
0821人間七七四年
2009/01/18(日) 02:07:25ID:bwPIouT5ちょいと面白い説として、秋山駿氏の「勝頼は御坊丸を返還して、人質を取ったりしない、
正々堂々の勝負を申し出た」というのがあった。
だんだん状況が悪化してきて、武田家が不利になってきた中で、勝頼は敢えて
人質を返還して、潔く戦おうとしたんだと。
秋山氏は信長にどこまでも心酔してる人で、古今の名将やらに例えて信長を絶賛するんだけど、
氏の中では勝頼は信長に次いで2番目に凄い将なんだと。
戦国時代の他の大名は、信長が攻めて来たからとか、圧力をかけられたからとか、
状況から何と無くとか、そんな理由で信長と戦う事になったけど、勝頼だけは、
自分の意志で信長に戦いを挑んだ武将だと。
信玄が死んだ当時、色んな選択肢があったはずだと。それでも勝頼は、信長という
宇宙一の将に対して、自分の意志で戦いを挑んだと。
もうそれだけでとんでもない凄い将なんだと。
・・・・なんか妙に感心してしまったのを、覚えているよ。
まあ確かに、御坊丸の件にしても、何の成果も「無かった」のではなく「求めなかった」のだと
言われてしまえば、結果が同じなので、絶対間違ってると論破できるものでもないのかw
0822人間七七四年
2009/01/18(日) 02:17:54ID:ObBJnmoV反北条氏の諸侯の動きに加え、勝頼との争いも捗々しくない状況下で、
信長と半ば服属に近い形で結ばざるを得なかった。
なんつうか、後手後手にまわった挙げ句・・・という感じだよなあ。
>>819-820
まあ、領内全体の統治に参画し始めるのが、信玄の晩年になってから
など、勝頼個人のもともとの基盤はあまり強くなかった分、集権化に
努めねばならなかったわけだけども、
滅亡の直前に築かれた新府城も、あれだけの城を真田氏のような信濃衆に
差配させてつくれるようになったということは、武田氏当主の権力が強化
されてたってことだものね。
0823人間七七四年
2009/01/18(日) 02:21:05ID:hqB1T6+6途中から読むのをやめた。
よくあれだけ万事にわたって持ち上げられるものだと
逆に感心したのを覚えてる。
ちょっと本屋探してみるかなw
楽しく読めるかもw
0824人間七七四年
2009/01/18(日) 02:23:56ID:7U1/uTaIそりゃ勝頼の行動を、俺らの理屈で理解しようなんて無理だわな。
0825人間七七四年
2009/01/18(日) 03:18:37ID:IztAbL2V滝川を北条の上におくのは、北条が織田政権に従うのなら当然のことだが。
滝川を北条の下に置くほうが、「北条は織田をないがしろにしている」とされ
てしまう敵対行為だ。
上野に関しても、上野豪族達が北条でなく織田への臣従を望んだ、という
面があるからなあ。
0826人間七七四年
2009/01/18(日) 03:20:58ID:hqB1T6+6それで北条の利権奪ったり面子つぶしてりゃ
世話ないと思うが。
織田への臣従を望んだというかそうされたというか。
0827人間七七四年
2009/01/18(日) 03:58:34ID:IztAbL2V言い換えるなら妥協しなければならない理由ってなにがある?
先にいっておくけど、だから織田は悪党とは言えない。北条だって同じように自分より
弱小勢力に理不尽を押し付けてのし上がってきたのだから。単に自分を上回る悪党に
抵抗できなかったというだけの話だ。
もちろんこれは織田と北条だけの話でもない。
0828人間七七四年
2009/01/18(日) 04:03:27ID:hqB1T6+6結局そういう考えでいたんなら本能寺の後で
たたき出された事に文句を言うもんじゃないよ、ってな話。
もともとが「北条は関東制覇への願望が強い!
本能寺の後に同盟者だった織田をたたき出してるくらいだから!」
てな織田寄りの考えに対してのレスだから。
織田も結局無垢で善良な同盟者ではなく、北条家に恨まれることをやり
本能寺の後でたたき出されただけの話だから。
0829人間七七四年
2009/01/18(日) 04:26:26ID:qhLSlckF本能寺の変に乗じたのだって、
あるいは惣無事令を守らなかったのだって。
本能寺の時は結果的に裏切りを責められる事にはならなかったが・・・・
0830人間七七四年
2009/01/18(日) 04:32:10ID:hqB1T6+6わざわざ味方になってるのを無理やり戦いに持ち込もうとは
しないわけで。
織田との時は織田が大分恨まれる事してたし、秀吉の時は秀吉の事を
あまり重く見てなかったような節があるな。
0831人間七七四年
2009/01/18(日) 04:47:36ID:qhLSlckF武田が織田を押し返せる可能性が無いなら、いずれゼロになるなあと。
北条の執念って結局は一に関東二に関東なんだろうなと思うと特にね。
俺としては秋山説に従い、勝頼の行動を織田信長とは戦い続ける!を
中心に据えると面白いんじゃないかとね。
御館の乱の時でも、
景勝→おそらく信長と戦い続ける。むしろ信長が許さないっぽい。
景虎→上杉家として考えると景勝と同じだが、北条家とセットで考えると・・・?
北条→織田とはまだ戦火を交えていない。状況によっては織田と組むか?
勝頼にとっての同盟者とは信長と最後まで戦う人!でなければならない。
(秋山説に準拠して、である)
景虎が当主になると、最悪の場合は織田徳川北条上杉が武田の敵という
パターンが有り得る。
景勝なら、最悪でも上杉は最後まで反織田を貫く盟友足り得る。
よって景勝と結ぶ。北条との事はそれから考える。
北条と敵対しても最悪の状況ではない!
秋山説によって、勝頼の行動はバッチリ理解できたのである。
0832人間七七四年
2009/01/18(日) 08:17:38ID:OR2WWTELその後、一方的に撤回して襲ったんじゃなかったっけ?
大体、信長との同盟じゃなく、織田家と家同士の同盟である以上、当然もクソもないけど。ただの裏切り。
0833人間七七四年
2009/01/18(日) 08:22:27ID:OR2WWTEL武田からすれば、依頼だけして何ヶ月も越後にいさせながら、自分は来ない北条が悪党だったろう。
北条は、武田も利用して、敵に回ったら織田と徳川を利用して、武田を抑えようとした。
それなのに、武田征伐の際に所領を殆ど得られなかったくらいで、相手を悪党呼ばわりできる立場か?
0834人間七七四年
2009/01/18(日) 08:26:23ID:OR2WWTEL織田が北条に不義行為をしたから、滝川を襲うのは問題ないというなら、
北条が武田に不義行為をしたんだから、武田が北条を信用できなくなるのは仕方ないと認めるべきじゃないの?
完全にダブルスタンダード。北条びいきに過ぎる。
0835人間七七四年
2009/01/18(日) 08:50:55ID:Eo/QQV/a不義も糞もないわなw
0836人間七七四年
2009/01/18(日) 09:08:52ID:YdJgPcr5北条氏が信長に臣従した形になれば、現支配地はそのまま安堵されて
体制に組み込まれるのかな?秀吉じゃないんだから、信長だったら
時節を見て難癖つけて滅ぼしにかかると思うのだが。
多少、状況が変わっていただろうが、本能寺の後の徳川と北条の
武田家旧領の争奪戦の時に北条はかなりの兵力を動員できた訳だから
御館の乱の後の武田との対立も、本気で戦うというよりは牽制程度
だったのではないだろうか。武田が滅ぶにしても、徳川・織田に
痛手を加えてくれた方が得策だろうと。
0837仙台藩百姓
2009/01/18(日) 10:11:18ID:PNx+xgnq上野の領地も次々奪われて追い落とされていたのに本気で戦うつもりがなかったとはこれいかに( ^ω^)
甲相同盟が破れて苦難に陥ったのは北条の方だお
織田との同盟も武田の脅威から逃れたい思いが多分に含まれていたわけだお
0838人間七七四年
2009/01/18(日) 11:01:59ID:6SqfVep9つ>>796
旧上杉方諸将は先に来てるんだが。
>>813
北条が武田征伐の情報入手が遅れたのは信長が戦後の領土配分を優位に進めるため
情報統制を行ってたからじゃないの?普通臣従を申し出てきてる相手が
一緒に共通の敵を倒すとなれば日程くらい教えると思うが
天神ヶ尾、戸倉、沼津、深沢と攻略し吉原まで進攻して河東一帯を制圧、
さらに富士川を北上して甲斐に向けて進軍してるんだが
>>817
駿河に関してはひとかどの働きをした、と誉められてるんだがね
怒られたっけ?
>>837
1581年には北条も甲斐郡内に進攻したり西上野の宇津木、白井長尾を調略したり
駿東の長窪城を攻略したり、沼津、天神ヶ尾城を攻撃したり反撃に出てるけどな
0839人間七七四年
2009/01/18(日) 12:48:43ID:hqB1T6+6とりあえず織田・徳川の防波堤である武田がないと
結局のところ北条の関東制覇は夢のまた夢になるんだが。
結局直近の大勢力である武田に介入されても
関東制覇は遠のいたんだからそれ以上の大勢力の介入を阻止したいのは当然だろう。
北条にしてみればむしろ佐竹とかの相手で忙しいあの時に武田を切る理由がむしろない。
やるならもっと後にするだろうよ。関東の反北条勢を追い出した後とかな。
秋山説に関してはもう愚論としかいえない。
まあ冗談でいってるんだろうが。
0840人間七七四年
2009/01/18(日) 12:50:00ID:hqB1T6+6なんで織田が北条を踏みにじるのは許されて
北条が奪われた利権や領域を取り返すのは裏切りなんだ?
最初にやったのは織田だろう。
0841人間七七四年
2009/01/18(日) 12:56:12ID:hqB1T6+6北条は敵との対峙してたからな。旧上杉方諸侯はちゃんと動かしてるが。
てかなんで北条の武田に対する態度が仮に悪かったとして
それが織田が北条を踏みにじったことに対する免罪符になるんだ?
それこそ北条が織田をたたき出したのも織田が批難できた立場かと
いわれるだけだろう。
>>834
北条が勝頼にした不義行為とは?
本隊が敵との対峙で忙しいからその間に援護しといてくれと頼んだだけだ。
勝頼が徳川が攻めてきて退くのは別に北条は責めてないんだが。
問題は勝頼が勝手な和議をして、しかも明らかに景勝に傾いた贔屓の仕方をして
景虎を捨て殺しにしたことなんだが。明確な裏切り。
0842人間七七四年
2009/01/18(日) 13:20:21ID:Eo/QQV/aそれに取り返すも何も上野は北条の領国でもないしな。
0844人間七七四年
2009/01/18(日) 13:28:46ID:hqB1T6+6織田政権下での関東太守であって滝川の下風について良いように
やられることじゃないだろ。
しかもとった領土まで召し上げだし。
0845人間七七四年
2009/01/18(日) 13:32:29ID:niOs16oLだからいい加減にスレ違いって事に気づいてくれ
0846人間七七四年
2009/01/18(日) 13:35:40ID:Eo/QQV/aそれは織田家に従属してからの話。実際に領土として与えられるかどうかは信長の判断。
>>844
自分の思惑通りにならなかったから踏みにじるとかアホか。
0847人間七七四年
2009/01/18(日) 13:40:18ID:hqB1T6+6そんな理屈はないと思うが。
ちゃんと攻略したのに無償奉仕扱いか。
少なくとも明確に北条を踏みにじってるが。
これで織田側に自覚がなかったとしたら逆にお笑い草だが。
0848人間七七四年
2009/01/18(日) 14:02:51ID:Eo/QQV/aそんな理屈もなにも戦功に対してどう領土を与えるかは主家の判断なのは当たり前だろ。
武田征伐に際して信長が「切り取り次第」とか言ったとでも言うのか?
少なくとも北条の領国では無かったの。理解出来る?
で、一体何を以って「明確に北条を踏みにじってる」んだ?意味が分からん。
0849人間七七四年
2009/01/18(日) 14:09:29ID:hqB1T6+6主人とまであがめたつもりはないと思うが。
あくまで相対的な上下でしかなかったはずだ。
そして豊臣政権でさえ戦功をあげた従属大名達にちゃんと褒賞してる。
それを丸ごと奪っておき滝川を置いて関東の主権者とし
北条の立場をつぶしてるのに何を言ってるのか。
北条にしてみれば関東の主権者として振舞ってきた以上、滝川はいずれたたき出さねば
ならなかったのは当然だし、そもそも織田にしても北条をそのまま残してやるつもりだったかどうか。
0850人間七七四年
2009/01/18(日) 14:20:17ID:Eo/QQV/a信長の事を「上様」って言ってんだろうがw
それに北条から織田の分国になりたいって言ってるって言ってんだろ。
完全に主家なの。
で、褒賞を与えなかった事を北条がどう思ったかという事と、
上野が北条の領国だったかという事とは全く別の話。すりかえんなよ。
奪う前に貰ってないの。
北条が関東の主導者?誰が認めてるの?
北条がそうなりたかった、ってだけの話。
なりたかったけどなれなかっただけの話で奪われた訳でも何でもない。
この話に織田が北条をどうするつもりだったかだなんて話は全く関係無い。
0851人間七七四年
2009/01/18(日) 14:33:15ID:VwkYwpFa>時節を見て難癖つけて滅ぼしにかかると思うのだが
これ、よく言われるけど信長に対する偏見としては根強いな。
信長は最初から明白な理由なく同盟勢力を滅ぼしにかかったことは史実ではないぞ。
四国問題だって、長宗我部の織田領侵攻を問題にした上で、領土割譲を条件に許そう
としている。いいかえれば、話し合いで済まそうとしている。
後の行為をみれば秀吉とか家康の方がよっぽど自己都合で約束破って領土没収して
ばかりなのだが、なぜかイメージでは信長ということにされてしまっている。
>>838
>北条が武田征伐の情報入手が遅れたのは信長が戦後の領土配分を優位に進めるため
>情報統制を行ってたからじゃないの?
さすがにそこまで言うのなら根拠をどうぞ。
個人的には、信長の想定を覆して信忠の進撃スピード(および、武田領国の崩壊スピード)
が早く展開しすぎた。それが結果的に、武田が滅んだ時点で、北条おまえ何もやってない
だろ何してたんだ?と傍から見えてしまうことになったのでは。
>>849
従属して主人とあがめたつもりはないってなにさ?
仮に北条がそのつもりでも、だったら織田にとっては北条は臣でもないのだから、北条の
メンツだのを考慮してやる必要もないわな。
>滝川を置いて関東の主権者とし北条の立場をつぶしてるのに何を言ってるのか
信長に従属するのなら、関東においても北条より織田この場合は出先である滝川の方が
上であると認めなければならない。あたりまえだろ?
従属という政治行為をなんだと思っているんだ?
信長にとって、すでに北条は従属者としてなら受け入れても同盟者として結ぶような
対象ではない。もし北条が織田とは同盟者のつもりで従属したつもりでなかっとしたら、
それは後の豊臣政権との対応と同じく、現実が見えていない情報弱者が判断を誤ったと
しか言えない。
>北条にしてみれば関東の主権者として振舞ってきた以上、滝川はいずれたたき出さねば
それはつまり、北条には織田を上位主権者として受け入れるつもりがないということですね?
なんで信長が、そんな潜在的敵対者に妥協して、わざわざ関東全部を与えて強国化に協力
しなければならないのか。
もう一度いいますが、関東は北条のものというのは北条が勝手にいっているだけで、既存の
事実でも未来の約束されたことでもない。関東に手を出したら北条の敵って、何を
勝手なことをいっているんだこいつは、としか中央からはみられないだろう。
そして中央にとって、国力差をみれば北条の主張を受けれなければならない、妥協しなければ
ならない弱みなどない。
北条がそんなことを考えて行動していたとしたら、それは最後には現実(国力差)を認識
できない愚か者だったとしか言えなくなる。
まあ私は、北条はそんな愚か者だったとは思っていませんけどね。
0852人間七七四年
2009/01/18(日) 14:38:30ID:hqB1T6+6すり替えてるのはそっちだろうが。
後の豊臣政権でさえ攻略した大名にはちゃんと褒賞をあたえるもの。
それなのに無償奉仕でとりあげたくせに何をいってるのか。
少なくとも北条はちゃんと古河公方までたてて自己の関東の
主権者たる正当性確保をやってるがな。
ここまでやっておきながらうらまれる理由がないというのが逆にわからん。
0853人間七七四年
2009/01/18(日) 14:44:16ID:hqB1T6+6長宗我部のなんか詐欺そのものだが。
数年前に起きた領土問題をそのときはスルーして
その後散々長宗我部をこき使い、自分に滅ぼせる余力ができたら
難癖つけて領土を差し出せといい、征伐の理由にした。
結局四国の分割案までできてる状態だしな。
完全にはめられてる。
馬鹿らしい。褒賞も与えず奪うだけで何が主人か。
それでうらまれてないつもりだったというならそっちのがよっぽど愚かだな。
だから北条は織田の下での関東の主権者であることを望んだんだが?
滝川に奪われることを望んだんじゃないんだが。
北条の主権を認めるなら北条もしたがったろうな。
だが散々踏みにじっておいて認めろなど無理な話だが。
てか織田がやっておいてその理屈は無理だと思うが。
結局の話織田がそうやって北条を見ていたのなら
北条にうらまれた事をとがめるのは筋違いだな。
力によってたとうとした者が力がなくなってたたき出されただけの話だ。
0854人間七七四年
2009/01/18(日) 14:45:49ID:bZ5y5+qs単に内藤が武田の崩壊を見て北条側を入城させたってだけだろう。
上野で合戦が行われたと確認できるのは二月下旬の藤田氏邦vs長井政実の戦いだが、
長井氏は神流川合戦まで神流川流域の上武国境地域で存続していたから、北条側は自力では上野国境の突破も難しかったことになる。
だから西上野最大の小幡氏も結局甲府の織田の下へ出仕している。
ずっと柴辻氏辺りが勝頼は御館の乱後対北条戦線でも追い詰められたような書き方をしてきたが、
最近では見直されてきている。
市村高男『東国の戦国合戦』を読めば北条が滅亡を意識するところまで追い詰められていたことが分かり、
要するに北条はそんな贅沢いってられる立場じゃなかったわけだ。
ただしこの著者は東関東のほうは詳しく書いているが、西関東のほうには弱い。
もちろん、西関東の動きを調べればやはり武田が優勢だったことはよりはっきりする。
0855人間七七四年
2009/01/18(日) 14:55:40ID:hqB1T6+6上野主要部をはじめ多くの北条領が奪われたからな。
だからこそ北条が最初から武田を切りたがってたなんていうのが無理だとわかる。
そして武田を数年にわたってひきつけた事苦労した事、上野から駿河において攻略した
武功を報いてほしいと思うのは自然だったと思うが。
0856人間七七四年
2009/01/18(日) 15:08:29ID:EaNQfKe/下地としては長篠やら高天神攻略やら、北条以上に長い戦いがある。
2月の下旬に北条家が駿河東部に進出したのは家康に乗じただけだろ!と
言われてもしょうがない気がする。実際、なんか激戦を制したってわけでも
ないんじゃないの?
0857人間七七四年
2009/01/18(日) 15:11:54ID:EaNQfKe/だが考えてみれば、勝頼は結果として北条相手と家康相手で東に西に振り回されて、高天神なども
救えず滅亡していったわけで、勝頼が北条を切りたかったはずがなかったと主張できる。
んなもんお互い様にしか見えん。
0858人間七七四年
2009/01/18(日) 15:15:57ID:6SqfVep9根拠なら>>838に書いたけど。
協力して武田を攻める関係にあるのに事前の通知がないというのが不自然
戦後の領土配分を優位に進めるため情報が漏れないようにしてた可能性大だと思うが。
0859人間七七四年
2009/01/18(日) 15:24:23ID:6SqfVep9あとは海戦もやってる。勝頼は高天神城の後詰めもおろそかにして
上野やら武蔵やら攻めてるし家康からすればかなり楽になった事だろう
0860人間七七四年
2009/01/18(日) 15:41:13ID:X2e08NxO勝頼は滅亡を早める事になった。
結果的にはどちらにも不利益となった御館の乱後の手切れだが。
北条家の動きとして、5月に勝頼に援軍を頼んで、氏政は6月に別の場所に
出陣してる。
北条(きたじょう)らは東上野では早くから動いているが、越後は何か月も放置。
9月の越後進出は兵力も陣容もルートも、そして元越後衆を残しての撤退も、
景虎支援としては不可解。
御館の乱の時点で、北条家が本気で景虎を支援する気があったのか?という
点に関して言えば、合点がいかない点は多いまま。
結果論とは別として。
0861人間七七四年
2009/01/18(日) 15:42:56ID:8khD5ajF0862人間七七四年
2009/01/18(日) 15:47:34ID:6SqfVep9関東戦国史や戦国北条一族でもそう書かれてたが。
0863人間七七四年
2009/01/18(日) 16:01:32ID:l/KgGL+z0864人間七七四年
2009/01/18(日) 16:08:30ID:6SqfVep9これは黒田基樹氏の文章を引用しただけなので詳しく知らないが
景勝に対し圧迫は加えてたんじゃないの?
0865人間七七四年
2009/01/18(日) 16:09:10ID:VwkYwpFa>協力して武田を攻める関係にあるのに
つまり信長は、武田を滅ぼすのに北条にはそれほど期待していないし、武田領を
北条にくれてやる気もなかった。
別にそれが悪いことだとも思えないけど。むしろ、同盟者の思惑を読み取れなかった
北条が、戦国大名としてどうよ?としか。
織田は別に、北条に利益をもたらすために協力を望んだのではない、北条の存在を
織田の利益にするために、だ。
もし信長が北条に武田侵攻を伝えなかったのなら、それは信長の、北条は武田領に
手を出すな、という意味だったとも言える。しかし北条は信長の意思を読み取れず、
己の利益のために武田領を蚕食にかかった。これは北条からしたら当然の行為だが、
当然、信長の利益を侵害する行為でもある。だからその戦後に、信長は北条の行為を
認めなかった。お前、オレの意志逆らって、従属する気あるの?というところだろう。
あとは北条の欲望と織田の欲望、どちらがまかり通るか力で決しようか、という所で、
武田滅亡時は織田が優った。本能寺以後は北条が滝川に優った。それだけの話であり、
どちらに正邪善悪があるか、という問題ではない。
関東はオレのもの、という北条の主張は身勝手なもので正統性はまるでない。
同時に、武田領はオレのものという織田の主張も身勝手なものなのだから。
>>853
>長宗我部のなんか詐欺そのものだが
詐欺というのなら、信長が四国に手を出せない状況を見計らって侵略した長宗我部は
どうなるの?というだけの話だわな。
>その後散々長宗我部をこき使い
こき使ってなんかいませんよ。むしろ信長にとって長宗我部は、織田が三好と争って
いたころはロクに三好と戦わず、三好が織田に服属してからは三好を攻撃して領土を
奪うという、織田にとって利益をもたらさず損害ばかり与えてきた同盟者。
それを難癖とかはめられたとか、どれだけひいきの引き倒し理論で身びいきで主観な
弁護をするんだろうかね。
逆に徳川のように、信長に利益を与えてくれたものは三カ国を認めるなど優遇している。
かつては敵対していた三好も降伏して信長に忠実に仕えていれば、河内半国や、後には
阿波や讃岐も認められている。
利益をもたらす同盟者従属者を厚遇し、むしろ損失を与える同盟者従属者は冷遇する。
当然の行為じゃないか。
0866人間七七四年
2009/01/18(日) 16:13:21ID:YuRxU164北条家にとって景虎に上杉家を継がせる事は重要じゃないんだろうか。
景虎が死んだ上は上野は北条家が仕切るとか言い出すが、やはり興味は関東だけか。
景虎が生きて上杉家中に残れば景虎―北条つながりで関東制覇。
景虎が死ねば景虎の代わりに関東制覇。
って事か。ある意味一貫しまくりで美学すら感じるな。
0867人間七七四年
2009/01/18(日) 16:18:02ID:gWUEnw/Fむしろどこまでも坂戸城止まりって事になると
備えも薄い御館でガクブルな景虎自体にはあまり
興味なさそうやね。
勝頼と連絡を取って連携するとかしてもよさそうなのに。
0868人間七七四年
2009/01/18(日) 16:25:58ID:55k/5PPM0869人間七七四年
2009/01/18(日) 16:35:18ID:uESGIibm0870人間七七四年
2009/01/18(日) 16:38:02ID:RKM7jvJF上野にいた上杉家の連中を越後に送り込む。
上野にいた上杉家の連中を越後に残して退却。
なんか上手いこと東上野を手に入れただけに見えるw
0871人間七七四年
2009/01/18(日) 20:39:28ID:4SyKawof北条がいろんなことが不満だったのは分かったが、不満があるなら信長が生きてる時に、兵を挙げればよかっただろ。
それが出来ずに信長が死んだ後、突如、滝川軍を襲うなんてさすが北条家って感じだな。
0872人間七七四年
2009/01/18(日) 20:57:02ID:AUf1LL6/は?上野は元々北条の領国じゃないって話だったんだけどw
攻略したからその地域を与えられるべきだというのと
実際に領有していたというのは全く別の話。理解出来る?
そもそも与えられていないものを「取り上げた」とは言わないの。
> 主権者たる正当性確保をやってるがな。
そりゃ、関東の支配者である事を主張したってだけの話だ。
関八州を領有していた訳でもなく、実際に支配者であったというのとは意味が違う。
実際に北関東諸将とは争ってる真っ只中だしな。
0873人間七七四年
2009/01/18(日) 22:12:19ID:4MJ2tcLX訳のわからん状態を作り出せばよかったんだよ。
信長もとりあえず様子をみておこうって攻めて来なかったかもしれないぞ。
0874人間七七四年
2009/01/18(日) 22:29:14ID:VLSE9eu80875人間七七四年
2009/01/18(日) 22:37:41ID:BD9Vpz770876人間七七四年
2009/01/18(日) 23:17:11ID:nFxccJYt1582年2月よりも前に取った領地まで召し上げたわけじゃないんだし。
1582年2月から3月にかけて、こちらの動きに乗じて乗っ取った分は、別に頼んで無いし
許可してないから、計画通りウチらで分けますよってとこだ。
0877人間七七四年
2009/01/18(日) 23:22:00ID:nFxccJYt関係無いしね。
0878人間七七四年
2009/01/18(日) 23:53:15ID:mEc6p33g捨てずに帰って 武士の誉れだと」ほめていて、信豊に武田家の再興も
許そうとしたが、家臣に背かれて殺されてしまったんだよな。
0879人間七七四年
2009/01/19(月) 00:02:30ID:n3XRQfMO『甲陽軍鑑』だと、これとほぼ同義で信豊を褒めていたのに、しばらく
すると、勝手に戦線離脱したヘタレ扱いで腹切れとか言われてるんだよな
0880人間七七四年
2009/01/19(月) 03:03:27ID:sAKMogjO北条も随分痛い目を見ながら武田をひきつけてると思うが。
武田はむしろ北条との手切れ以後は北条を最大の敵と見て
そっちに主戦線を切り替えた。
>>857
勝頼も北条を切りたかったわけでもないだろう。
勝頼としては景勝からもらうものをもらいながらも
北条との同盟もできれば維持したいというのが「和議」と「捨て殺し」という
変則的な動きなんだろう。
0881人間七七四年
2009/01/19(月) 03:12:55ID:sAKMogjOなんだかなとしかいえない。
長宗我部のはそのとき不問にしておいて数年にわたって放置しておいて
その後散々使っておきながら自分に余裕できたときに領土返せなんてのは
ただの詐欺だが。
全然違うな。
三好をひとつのものだと思ってるらしいが、阿波三好と畿内三好は別物だから。
信長に従属したのは畿内三好で四国の阿波三好は織田に敵対してるから。
四国の阿波三好は長宗我部に攻められまくった結果勢力減退した。
それから長宗我部は河野戦を通して毛利のけん制もやってる。
手切れ前の長宗我部が秀吉にあてた書状では「阿波と讃岐平定したら信長公の西国平定のお手伝いします。」
といってて秀吉も「なんか手助け必要だったらいつでも言ってね」といってるような関係。
これだけやっても損だけ与えてきたなんてどれだけ都合がいいのかと。
どうせしらなかったんだろうけど。
後いっておくけど、三好は三好でも阿波を与えられることになってたのは四国に関係ない畿内三好。
四国の勢力である阿波三好は除外されてる。そしてその畿内三好には信孝が入ることになってるわけ。
讃岐も信孝のものになることがもう決定してる。
つまり四国を信孝にあげるだけの話なわけね。
さあ〜がんばってこの状況から弁護してみてくれ。期待してるよ。
0882人間七七四年
2009/01/19(月) 03:15:57ID:sAKMogjOそんでその獲得した地域をしっかり織田が奪ってること理解できてる?
そして何の褒賞も与えてないことも。
織田は北条を認めたんじゃなかったのか?それなのにその立場は認めませんじゃ
北条は不満に思うだけだろう。
0884人間七七四年
2009/01/19(月) 08:30:32ID:An/nPUrz里見ごときを滅ぼせなかったと思えば、信長が本能寺で討たれた後の
徳川との武田旧領の争奪戦には、上野の滝川一益を駆逐・碓氷峠から
信濃・佐久方面に4万3千の兵力を展開したってことになっているが
(数年前の歴史群像の武田遺領地争奪戦の特集から)
これだけの兵力を一方面に動員できるんだったら、武田が総崩れに
なる”前”に、東上野や駿河半分位は単独で制圧できた気がするんだけど。
0885人間七七四年
2009/01/19(月) 08:40:52ID:Ru+vOWa7だから「獲得」してないって言ってんだろw文盲か?
褒賞を与えていない=領土を貰っていない=上野は領有していない
理解出来た?
織田が北条を認めた?何の事だ?
0886人間七七四年
2009/01/19(月) 10:20:27ID:XTnBBxph家康はその時の北条勢を二万余りと記してるけどな
実際郡内方面に別働隊の氏忠、氏勝勢が結構な数入ってるし(これには里見からの援軍も含め)
対佐竹用に抑えをある程度は残さなきゃいけないから四万三千いたかは微妙だけどな。
武田と戦ってた時期は周囲全方面から圧迫されてたし。
0887人間七七四年
2009/01/19(月) 12:57:19ID:ZZPQuXhs1577年に和議を結んでいるわけだが、
その直前に江戸湾の制海権を奪取して、陸からも攻勢に転じてるんだな、これが。
言ってしまえば城下の盟を結ばせる事に成功した。
里見は小田原の役まで北条と争うことは無かった、
というかその小田原の役でも北条の劣勢が明らかになるまで動かなかったものだから
上総の所領を取り上げられちゃった。
0888人間七七四年
2009/01/19(月) 16:54:38ID:6hMdmXo8結局里見義堯が死ぬまで上総すら一時的にしか奪えていない
武田における長野業正とか、織田における斉藤義龍のようなもの(どっちも講談だが)だろ
0889人間七七四年
2009/01/19(月) 17:53:56ID:ZZPQuXhs里見義尭は隠れも無い名将。
ただ滅ぼすのと屈服させるのは違うよ。
そのことで後で揚げ足取られてもめんどくさいから言っておくけど、勝手に言葉を変えるなよ。
でだ。
百歩譲って、御館の乱の話は武田の滅亡に関係あるとして、
北条を執拗に落とすのはこのスレの趣旨にどう合致するのか説明していただこう。
スレ違い、と再び言っておく。
というかいい加減にしろよ、双方共に。
0890人間七七四年
2009/01/19(月) 18:02:12ID:6hMdmXo8北条を執拗に貶めるつもりは毛頭無いし、俺自身もスレ違いだとは思うが・・・
ならば>>887で無駄に弁護するなと言いたい
ついでに一応里見は万里谷武田氏との繋がりもあるんだよな
潜伏先としてはアリじゃないのかね
0891仙台藩百姓
2009/01/19(月) 18:15:23ID:A49jC+oK北条が一方的に擦り寄って哀願していたに過ぎないお
0892人間七七四年
2009/01/19(月) 18:44:24ID:3Dr6WHAG長いときは半年いる時もあったんだが北条は由良氏へ鉄砲宗合力したり
援軍派遣したりして其方への備えしたり他にも下野や下総、北武蔵へ遠征、侵攻したり
里見だけ相手にしてたわけじゃないんだが。
第二次甲相同盟締結後で里見に対し本格的攻勢に出だすのは関宿、北武蔵
を勢力下においた後の1575年から。それも下野小山と同時進行。
0893人間七七四年
2009/01/19(月) 18:51:52ID:0oWWZ3Rr長宗我部は「過去の問題」ではない。それからもずっと三好を攻撃し続けてきた
「今現在の問題」だ。
「阿波三好」も河内三好の仲介で信長に服属した。ところが長宗我部はその
織田服属勢力を攻撃した。河内と阿波で違うからなんだって?
>秀吉にあてた書状では〜
知ってますよ。問題は、書状ではそういっておきながら、長宗我部は三好
への攻撃をやめなかったこと。口ではあなたに協力します。ところが実際の
行動は手が出せない範囲で攻撃して領土を奪い、織田の権威と権益を損ねる。
これが損害でなくてなんだと?
逆に、四国問題が始まる以前、長宗我部が織田にとってどんな利益をもたらし
ましたかね?
>つまり四国を信孝にあげるだけの話なわけね
信孝に讃岐を、などの分割案は、四国問題で長宗我部が妥協せずつっぱしって
織田との敵対が明確になってからのこと。
時系列を無視して、まるで長宗我部は忠実に従っているのに信長は私欲と邪欲
からあとあと問題をでっちあげて滅ぼして領土を奪おうと最初から企んでいた
かのような印象操作はやめましょう。
>>882
信長は「上野における北条の働きを認めなかった」といっているのです。
何故なら、信長は北条に出兵など求めていないから。
信長からしたら、依頼も命令もしていないのに、こっちが武田の本軍や
本軍て敵と戦っている隙に、手薄な地域を勝手に奪った、という認識
でしかない。
そして何度も言いますが、これは信長と北条双方の自分勝手な領土争い
であって、どちらかが正義で一方が悪の行為をなしたということでは
ないですよ。
信長からすれば、武田領全部自分のものにするつもりだったのに、こっちの
指示もなく勝手に動いて領土を獲った。そんなもの認める気は無い。依頼も
命令もないのだから、恩賞とか功績とかそんなものも当然ない。
北条からすれば、関東は将来的に自分のものにするつもり。これまで上野は
武田や上杉が強くて獲れなかったが、相手が弱ったので好機だ攻め取れ。
もともと敵対していたし、今武田を攻めている織田とは友好関係を結んでいる
のだから問題もないだろ。戦国大名としては当然だ。
どちらの言い分も相応の理がある。本能寺の後に北条が上野獲りに動いたのは
北条からすれば当然の行為ではあっても、
「北条にとっての当然の行為=織田が悪いことをしたから」
とはならないのですよ。
0894人間七七四年
2009/01/19(月) 19:24:22ID:Jf3G8MAr”紺地金泥法華経の母衣”はその後、どうなったの?
どこか資料館みたいなところに展示されていれば見てみたいんだが
さすがにもうないよね?
0895人間七七四年
2009/01/19(月) 21:01:48ID:dMtebRz7下曽根覚雲斎が怪しいな。
0896人間七七四年
2009/01/19(月) 21:09:19ID:OqwnbuWN太平洋戦争中、老舗のうなぎ屋が代々伝わるタレが入った壷
を持って空襲の時、逃げ回ったってのは本当なのか?って話みたいだよ。
信豊ってかなりオモローな奴なのかね?
0897人間七七四年
2009/01/19(月) 22:05:47ID:47tc27A5勝頼は諏訪法性の兜捨ててったけど。
0898人間七七四年
2009/01/19(月) 22:18:55ID:gZ8QCQWw信長には頭を下げる格好で同盟を結んだ北条家が秀吉には徹底抗戦した意味が解らん。明らかに信長が存命中だった時の勢力よりも、大勢力だったのにな。
徳川、伊達あたりが味方になってくれると思ってたのかな?だったとすれば、救いようのない阿呆だな。
0899人間七七四年
2009/01/19(月) 22:43:25ID:zcV23htd0900人間七七四年
2009/01/19(月) 23:42:37ID:ItYv7O51秀吉の時は、隣の家康は仲が良かった
遠くよりも隣が重要なんじゃ。
0901人間七七四年
2009/01/20(火) 00:11:23ID:HMSWSY+R信長の時は近隣他勢力に先んじて信長を味方に付ける事で有利に立ち回ろうとした。
秀吉の時はいち早く上杉が秀吉に臣従し、その上杉を通じて北関東諸勢も秀吉の庇護を得てしまった。
また、徳川・伊達という大勢力と同盟関係を築けた事で秀吉にも対抗できると踏んでしまった。
ただ、家康が寝返った際には大金を叩いて氏規を上洛させ、氏政自身も上洛の準備をしていた。
その矢先での名胡桃城事件なわけだけど、これは分からん。
0902人間七七四年
2009/01/20(火) 04:15:08ID:sECIytVb文盲なのはお前さんだが。
織田は北条を受け入れた事が信長公記にもあったはずだが。
戦功あったんだからそれに報いるのは極めて自然だが。
無償奉仕で納得できると思うのか?
0903人間七七四年
2009/01/20(火) 04:27:24ID:sECIytVbだから三好には畿内三好と阿波三好がいて
信長に従ってるのは畿内三好で長宗我部が戦ってるのは信長と戦ってる
阿波三好なんだっていってるでしょ。
本当にわかってないんだな。
阿波三好が織田に従属するのは畿内三好のずっと後よ。
それをもとに長宗我部を責めるなんて笑止だな。てかさ、それまでの苦労も無視で
いきなり領土返せで従えるわけないだろ。織田がそもそもいいっていったんだから。
だから全然わかってないでしょ。都合よく解釈しすぎ。
織田家の武将である秀吉自身が「なんか手伝える事あったら言ってね。援軍出すよ」と
言ってる状態なんだけど。四国攻めを止めるどころか秀吉が応援してるんだけど。
君がどう妄想しようが勝手だが織田が切る前の長宗我部と織田の関係はこんなもんなの。
とりあえず織田の敵対勢力の力をせっせと削ってくれたな。毛利へのけん制もやってくれたな。
だからそれ以前にいきなりそれまで「四国の戦い頑張って!」という感じだったのが
四国の領土返せという風に180度転換されて当然のごとく拒否されただけなんだけど。
そしていざふたを開けて見れば三好を助けるなんて口実で実は信孝の領土あげるだけですよと。
全体として全然弁護になってないよ。わかってないのに勝手に解釈してレスたれるのはやめなさい。
書き直し。
0904人間七七四年
2009/01/20(火) 04:31:32ID:sECIytVb戦国時代の大名として敵を打倒するために動くのは当然で
信長に拒否られることじゃないし、
そもそも信長は駿河とかでの北条の戦功を書状でちゃんと認めてるんだけど。
よって君の後の駄文はすべて無意味となる。残念。
0905人間七七四年
2009/01/20(火) 09:09:35ID:qYkwFUbQ獲得してないんだから奪われるも糞も無いって言ってるだろ。
具体的な反論も出来ず、「文盲」だけ鸚鵡返しとか頭悪すぎ。
受け入れた?何言ってんだ?
別に北条が従属する事を認めてないなんて誰も言ってないんだけど。
それとも北条を関東の支配者として認めただなんて記述があるとでも?
「味方する事になった」とか「献上品の使者が来た」とかいう内容しか見当たらないが。
恩賞が得られなかった事に不満があると、領有してた事になるのか?w
0906人間七七四年
2009/01/20(火) 14:54:37ID:L1DT03DS本当に理解できない人ですね
>阿波三好が織田に従属するのは畿内三好のずっと後よ
その阿波三好が織田に従属したあとにも、長宗我部は阿波三好を攻撃し続けた。
その行為が問題になった、といっているのですが?
>それまでの苦労も無視でいきなり領土返せで従えるわけないだろ。
その苦労というのが、織田従属勢力から奪った領土だから、信長は認めないと
言ったのです。信長からしたら当たり前でしょう。四国切り取り次第というのは
信長の領地でも切り取っていいなんて代物ではないのですから。
もう一つ、多くの人が誤解しているか知らないことですが、信長は長宗我部の
領地の大部分を奪おうとしたなんて全くしていませんよ。
信長が認めたのはあくまで四国で自力で切り取った領地の領有は認める、だった。
そこで長宗我部は頑張って、(信長の領地も含めて)土佐一国、阿波二郡、讃岐一群
を切り取った。そこで信長は織田の領地を切り取ったことを咎めて、これは自分との
同盟を捨てて織田と敵対する気なのか?と問うた。そして敵対する気は無い、従属
する気があるのなら、土佐一国と阿波半国は認める代わりに、讃岐の領地は諦めて
詫び代わりに割譲せよ、とまずは話し合いで済ませようとした。
多くの人が何故か誤解しているが、信長は四国全土を支配する長宗我部から、土佐と
阿波半国の半分以下におさえようとしたなんてデマかせもいいところ。
ところが長宗我部はこれを蹴った。調停案を蹴られた以上、長宗我部は織田に従属
する意思なしと看做すしかない。敵対するのなら、かつての同盟者だろうと、滅ぼす
しかない。滅ぼすのならその後の領地の割り当ても決めなくてはならない。
これが話の流れで、信長は信孝に領土を与えるために、同盟者長宗我部に理不尽を
要求してわざと怒らせて滅ぼすつもりだった、などといいがかりもいいところであり、
信長へのネガキャンとしかいいようがない。
とにかく、北条であれ長宗我部であれ、これまで相対的強者として弱者に理不尽を
押し付けてのし上がってきた。その最後に織田(や豊臣)という自分よりも相対的な
強者にぶつかって理不尽を押し付けられる立場に逆転した。それだけのことであり、
織田が悪い、の一言ですませられることではない。
もちろん、北条や長宗我部の立場からしたら、織田や豊臣が悪い、となるだろう。
それは間違いではない。しかし唯一無二に正しいことでもない。北条や長宗我部に
立場や言い分があるように、織田にも立場や言い分がある。
ファンの心情としては、北条や長宗我部は悪くない、理不尽なことをした織田が悪い
で済ませたいところだろう。個人がそう思うだけならそれでもいい。
しかし議論の場で、一方の立場の言い分だけを展開してもう一方が完全に加害者、
自分がファンの勢力は完全な被害者でその行為は正義とみなすのでは何の意味もない。
どころか、議論が成立しなくなり、議論の場は崩壊する。
0907人間七七四年
2009/01/20(火) 21:31:46ID:wTIx3OGr「いや〜北条家のおかげで駿河の制圧はスムーズに出来ました。ありがとう。
でも武田領は最初から織田と徳川で分けるつもりだったので、悪しからず」
以上が信長の主張であり、氏政はそれに従いました。
信長が死んで旧武田領で一揆がおこるなどチャンスになったので
滝川一益に襲いかかって奪い取りました。
それ以上でもそれ以下でもないよね?
なんでそんなに無駄に熱くなってんのか、理解できないのだが・・・・
氏政が実際に信長の決めた配分に従った以上、氏政は信長を少なくとも存命の
間は認めていたのは明らかで、なんであなたが怒り狂ってるのか分からないんだけど。
もしかして氏政さん?
0908人間七七四年
2009/01/20(火) 21:39:48ID:8NgYSXEsただ腹の中は煮えくりかえってたと。
「俺が取った土地なのに・・・俺が取った土地なのに・・・!」ってね。
それ自体には何の意味も効力もないけど、本人だとしたら納得の書き込み。
0909人間七七四年
2009/01/20(火) 22:03:40ID:ZTLEFK300910人間七七四年
2009/01/20(火) 22:11:04ID:cCPDYmVM0911人間七七四年
2009/01/20(火) 22:51:31ID:7xhaGSrS勝頼公の話してよ
0912人間七七四年
2009/01/21(水) 06:04:23ID:LeHpaZ83従属することを受け入れたというならそれはその立場も認めるものだろう。
それが無償奉仕で我慢できるわけないだろうと何度もいわせるなよ。
具体的に何度も返してるんだが?ろくな反論もできずに笑わせるなよ。
少なくとももらえる領地であることは確かだな。
何年も戦ってきて最終的に獲得して無償奉仕で我慢できるわけないだろ。
北条に対して織田が何も報いなかった事は認めるわけだな?
0913人間七七四年
2009/01/21(水) 06:16:20ID:LeHpaZ83本当にわかってないのはお前さんなんだが。
長宗我部は阿波讃岐の多くを阿波三好の織田への従属以前に獲得している。
そして織田は阿波三好が従属したらいきなり
畿内三好に阿波と讃岐を丸ごと渡せと言ってるんだが?
これがどれだけ筋違いで長宗我部を冒とくしてるかいい加減わからんのか?
それから非常に誤解してるみたいだが、長宗我部は阿波三好の従属以前に
阿波の大部分を手にしてるんだが。秀吉にあてた書状ですでに勝瑞城まで
元親の手にあった事は確認できる。そして信長は阿波讃岐をを丸ごと投げ出せという
要求がけられた後で軍を派遣してこれを奪い取った。
本能寺以後の元親の動きはこの奪還を目指したものだが。
てかそっちがいった元親が土佐一国、阿波二郡、讃岐一群しか所有してなかったというのは
何が資料なのか教えてもらえるかい?
俺が言いたいのは北条にしろ長宗我部にしろ織田を恨む理由はあったというだけの話だ。
織田だけが正当な行動をしてたが、逆恨みされたみたいな言い方は笑止千万だと言ってるんだよ。
現に君の長宗我部に対する書き方は明らかに織田びいきだが。
0914人間七七四年
2009/01/21(水) 06:18:53ID:LeHpaZ83力の差から言って認めざるをえなかったからな。
でも>>908の言うように内心ははらわた煮えくり返ってたと。
俺が言いたいのは織田が北条に恨まれる筋合いはないだの、
北条が本能寺後に動いたのが完全な裏切りだのいう織田ファンの言い草が
余りに身勝手だろうという話だ。
0915人間七七四年
2009/01/21(水) 06:41:43ID:ea/3CWhCそれが、自分が有利になった途端に約束を覆すのは、完全に裏切りであることは間違いない。
戦国の習いとか、そういうのは、また別の話。
0917仙台藩百姓
2009/01/21(水) 07:34:13ID:mJnvFIzrそれは逆恨みと言うのだお
0919人間七七四年
2009/01/21(水) 08:08:44ID:+Yp9crdCへ?従属すると何故か関東の支配者として認められる事になるのか?
頭がおかしいにもほどがあるぞw
実際に領地だったかどうかの話をしてんだよ。
貰える領地とかあほか。
恩賞が無かった事に対して不満があったかどうかの話しと
実際に領有していたかどうかは全く別の話だ。
本気でそんな事も理解出来ないのか?
0920人間七七四年
2009/01/21(水) 08:11:20ID:LeHpaZ83頭おかしいのはお前だが。
北条としてはそれを見込んで信長に従う姿勢をとったんだがな。
丸ごと虚仮にされるとは思わなかったろう。
あれだけ虚仮にした以上信長も北条を生かしておくつもりだったかどうか。
武功立ててもらえるべき領土だったと言ってるんだが?
そんな事もわからんのか?
信長がそれを全部かっさらった事は認めるんだな?
0921人間七七四年
2009/01/21(水) 08:25:41ID:+Yp9crdCはぁ?じゃあ北条が関東の支配者だという事を織田に認めてもらうように交渉したのか?
勝手に思ったら自動的にそうなるとでも思ってるのか?
だから「もらえるべき」というのと「実際に領有していた」は違うって言ってんだろ。
もってないものを「奪う」事も「かっさらう」事も出来ないの。
お前本当に日本人か?
0922人間七七四年
2009/01/21(水) 08:28:41ID:LeHpaZ83少なくともそれを丸ごと否定されるというのは
北条側にしてみればおかしかったろうな。
もらえるべきというのは認めた、って事でいいんだな?
だからもらえるべきものだったのと、実際に北条が占領してたものを
とりあげて滝川にあげたんだが?
苦しくなると外国人認定か?寝ぼけるのも大概にしろ。
0923人間七七四年
2009/01/21(水) 08:38:36ID:+Yp9crdC否定も何も実際に交渉してねーだろw
俺が言ってるのは実際に領有していたかどうかの話。
「貰えるべき」だったかどうかはまた別の話。
いちいちすりかえんなよ。
何度も言うが、実際に貰ってないものを「取り上げる」なんていう日本語はないの。
俺がいつ苦しくなったのかは分からんが、何度も何度も当たり前の日本語を
言っても全く理解出来ないのだから、日本人じゃないか本物のキチガイとしか思えない。
0924人間七七四年
2009/01/21(水) 08:44:16ID:LeHpaZ83従属することを受け入れた以上その立場に配慮するのは自然だが。
だからもらえるべきだった、は認めたという事でいいんだな?
すり替えてるのはお前なんだが。
ここを認めると論旨崩壊だから仕方ないがな。
だから何度も言うが北条がそれを占領しててもらえるはずだったものを
信長が追い出して滝川に与えたのは事実なんだが。
随分日本語にこだわったふりしてごまかしてるが、
それなら「北条が占領して北条がもらえるはずだった領土を、北条を追い出して滝川に与えた」
に言い直してやろう。それでいいな?
0925人間七七四年
2009/01/21(水) 08:56:49ID:+Yp9crdC関東の支配者として認めるだなんて事が交渉もしてないのに
ただ従属しただけで認められるのが自然であるわけないだろ。
自分が攻略した土地を貰う事は「切り取り次第」として比較的多く
行われた恩賞の形ではあるだろうし、北条もそれを期待しただろう。
もちろん、必ずしも攻略した土地を領土として貰える訳じゃないし
そうなっていない例なんて山ほどある。
北条は結果として攻略した土地を領土として貰えなかった。
ただそれだけの話。奪うとか取り上げるとか言う問題じゃない。
北条は「織田家から北条家に輿を入れられ、両家が入魂になれば
関八州は氏家の本意に属する事は歴然である」という願文を残してる。
北条自身もいずれそうなる事を期待はしていたが、
最初から認めてもらっていたという認識はなかった。
言い換えるなら「貰えると思ってたけど貰えなかった」
それだけの話。
0926人間七七四年
2009/01/21(水) 09:00:48ID:LeHpaZ83北条が望んでた事は認めたわけだな。
そしてそれに対して信長が滝川を置き、北条の上におき、
北条をないがしろにして差配しているのを見て異常とはみないわけか。
比較的多い事を認めてもらえないばかりかないがしろにされる状態。
北条が不満を持つ事はわかるな?
0927人間七七四年
2009/01/21(水) 09:28:10ID:PTSkd7lU領土配分ってよくもめる事だよね。
0928人間七七四年
2009/01/21(水) 10:24:40ID:0J0a0y6m当時の両家の実力差と、北条の織田への貢献度をみれば、別に異常というほどでも
ないと思うがな。
あなたの言い方は恣意的なものかどうかは判らないが、何故か拡大解釈が過ぎる。
この問題も、何故か北条が上野全土を抑えたら、織田に全部奪われた、みたいな
書き方をしているが、実質は北条が獲ったのは上野の一部で、織田もまた獲っている。
というか、森や勝長が上野に入国したときには、上野諸将が服従の使者書状を出し
ていることが史料でも確認できる。
つまり、上野の豪族たちの大部分は、北条を嫌って織田に服属していることを選択
しているわけで。
>>913
>秀吉にあてた書状ですでに勝瑞城まで元親の手にあった事は確認できる。
何をでまかせ言っているんだ?阿波勝端城は、本能寺の頃まで三好のもの。本能寺
以後に発生した中富川合戦でも、敗北した三好勢はまず勝端城に逃げ込んでいる。
書状というものは、そう主張しているというだけのもので、それだけで事実認定
していいものじゃあない。書状に書かれているからって全てを事実だと思い込むのは
研究するには非常に危険な行為。
これを取ってみても、阿波讃岐にまだ三好がそれなりに勢力を保っていたことは事実。
長宗我部がこの二国を大きく占領するのは、本能寺後、この中富川合戦で勝利してから。
>>926
不満を持つのは判る。そのこと自体を否定しているものはいない。
問題は、北条が不満を持つのは自由だが、その不満が正統性のあるものとは限らないこと。
不満なんていったら、豊臣徳川体制の大名たちだって不満だらけだ。だからといって、
公権力の裁定(領土取り決め)が不満だからと勝手に土地占拠したら、大問題になる。
北条も同じことで、織田がまだ全国統一していなかったとしても、織田に従属する気が
あるのなら、織田の領土裁定は不満があっても受け入れなければならないってこと。
当初は力関係から受け入れた。本能寺後は逆転したので契約を反故にした。それだけ。
「北条の要望を全面的に受け入れなかった織田が悪い」というのは、一方的な見解でしょう。
0929人間七七四年
2009/01/21(水) 10:52:09ID:L3vxXHeS0930人間七七四年
2009/01/21(水) 11:45:30ID:teI52xWv0931仙台藩百姓
2009/01/21(水) 12:35:02ID:mJnvFIzr後にも家康に責任押し付けるような真似して秀吉に無能と怒られてるし
北条はよくよく軽薄な輩だお┐ (´ω`) ┌
0932人間七七四年
2009/01/22(木) 02:58:43ID:RnvdZA0oお前ID変わってるのか?ってかお前>>913だったのか?
二人いると思ったら一人だったのか。
北条を嫌ってじゃないだろ。織田のがでかいから。
北条にしてみれば北条がとった分は認めてほしいと思うのは自然だろう。
武田の西上野支配の要地である箕輪までとってるんだが。
ダウト。やっぱり知らなかったんだな。長宗我部と織田の関係が良好だったころ
長宗我部が阿波勝瑞まで抑えてそこを攻めてきた反織田勢の残党と交戦してるんだよ。
わざわざ讃岐遠征中だったのを戻ってきてまでな。
長宗我部が拒否したのを受けて織田は軍を派遣してこれを奪って三好を入れたんだよ。
長宗我部が本能寺以降にこれを攻めるのは「奪還」のためだから。
結局恨まれてる事は認めるって事でOKね?恨まれることをしたというのも。
>>930
具体的によろしく。
0934人間七七四年
2009/01/22(木) 03:16:04ID:WG+fB0IX信長の死に乗じて、自分の都合の良いタイミングで気を図って一方的に反故したのは事実であって、
滝川を襲ったのに関して、北条の正当性を唱えるのはねーよ。
0935人間七七四年
2009/01/22(木) 03:24:48ID:RnvdZA0oもともと不満を持たれてる裁定だったし
織田もやる事はやってるんだから織田が被害者みたいに
いうのもねーと思うが。
0936人間七七四年
2009/01/22(木) 07:58:44ID:lu2zbwF+別に織田家が被害者って言う訳じゃないけど。
信長の死後、突如として滝川軍を攻撃したことに関して、領土問題に不満を持っていた。とか北条が同盟を破棄した正当性を主張するのは如何なものかと。
0937人間七七四年
2009/01/22(木) 08:22:07ID:9aDV30re認めるも何も最初からそう言ってるだろ。アホか。
北条が望んでいた事と違う事をしたら異常?意味が分からん。どんな感覚だよw
いいか、俺がお前に対して突っ込んでるのは
・そもそも上野は北条の領国じゃなかった。
・北条が関東の支配者であるなんて事は関東諸将も織田も北条自身ですら思ってなかった。
この二点だ。
それを不満を持っていただの貰えるべきだっただの一々誤魔化すな。
0938人間七七四年
2009/01/22(木) 09:57:09ID:FHEan/Zi0939仙台藩百姓
2009/01/22(木) 10:35:37ID:pL1pSzvk滝川を騙して襲い掛かった戦術がセコいおね( ^ω^)
まあ、北条は騙し裏切り成り上がった連中だし
道義を求めるのが無理だお┐ (´ω`) ┌
0940人間七七四年
2009/01/22(木) 12:48:51ID:SKRFcfmvただ恨まれるにたる理由があったってことね。
織田が被害者づらするなといいたい。
>>937
なんだかな。>>928がなぜかお前の分まで2重に>>926あてレスをして
俺に返してくれてるんだが。そしたらいきなり単発レスにもどってるな。
自演ってやつか?
お前のが異常だよ。下に入ったやつの立場を考慮しないでないがしろにすれば
普通は不満持たれるが。中世における紛争の基は大抵領土問題だという事を知らんわけでもなかろう。
いいか。俺がお前の突っ込んでるのは
・北条は上野の要衝箕輪までを占拠している。駿河東部もかなりの部分を占拠してる。
・本来これは北条の獲得領土として認められていいものである。信長自身もその働きを認めている。
・信長はそれを認めないばかりか追い出し、滝川を北条の上位に起き、ないがしろにした。
の3点だ。これなら恨まれるにたる理由はあるとな。
いい加減話をそらしてごまかすのはやめておけ。
0941人間七七四年
2009/01/22(木) 12:50:22ID:ZgJkYKk5三好からしたら、「長宗我部に奪われた領土の奪還」だわな。
で、奪われたからには、その土地は長宗我部が切り取って占有している土地、
ではなくなる。
最初から言っているだろう、長宗我部にとっては正当なことと思っていても、
必ずしもそうだとは限らないと。
結局領土を獲った獲られたの戦国大名の通常のやりとりであって、
「織田が悪い長宗我部は被害者」
などと一方的にいえるものでもない。そして、話を戻せば、信長が同盟者を
最初からこき使ったあげく裏切って滅ぼすつもりだったとかいう主張を証明
する根拠にもならないと。
0942人間七七四年
2009/01/22(木) 13:33:42ID:SKRFcfmv最初お前は三好がずっと阿波の勝瑞まで確保してるといってたろ。
主張すり替えるなよ。
てか別人である(はずの)>>925のレスをなんで2重に投稿してまで書いたんだ?
えらく気になるんだが。
三好にとってはな。長宗我部にしてみれば今まで織田の味方として戦ってきた
相手から取った領土を織田に奪われた。それだけの話だ。
いい加減にしろ。織田の行為が正当だとでもいうつもりか?
さんざんこき使っておきながら一方的に領土の返還を迫り、
聞かなければ軍を派遣して奪い取っておきながら長宗我部が被害者じゃない?
結局その長宗我部から奪った領土に息子を入れることになってるのに滅ぼすつもりじゃない?
どこまで曲解する気だか。
てか「最初から」なんてことじゃなかったはずだが。
信長に余裕ができてからそれを奪う方向になったはずなのに
「最初から」とすり替えてごまかそうとするなよ。
0943人間七七四年
2009/01/22(木) 14:07:09ID:WGD3Isig思うくらい、デタラメな野郎だよ。
自分のことを神だと思っていたガイキチなんだから、約束もクソもないだろ。
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のものってジャイアンと同じだよ。
小谷城の落城の時、助けてもらえると思って浅井長政の母親も、お市達と
城を出たが、1日1本づつ指を切り落とされて10日目に殺されたんだろ。
信長側じゃない奴らが勝手な憶測で動いても、信長は常軌を逸している
のだから、そのへんを考えないとダメだろ。
0944人間七七四年
2009/01/22(木) 16:26:19ID:Y58ObxAg敵は皆殺し、恨みと怨念は無限ループ。
0945人間七七四年
2009/01/22(木) 18:54:34ID:hxhPvxoK0946人間七七四年
2009/01/22(木) 19:39:11ID:mQyEq82b朝廷云々は対立説自体が疑問をかけられているし
神云々は、中世日本人の宗教観を現代日本人のそれで解釈する暴挙
浅井の母は、助命の約束もとりつけずに勝手な行動をしただけ。
0947人間七七四年
2009/01/22(木) 20:27:20ID:W1byMhr4美しい。
0949人間七七四年
2009/01/22(木) 21:36:01ID:NwFc4QWcある程度、天下統一にメドがたったら、お払い箱だっただろうな。
昔の家督争いの時の話を持ち出せばOK。
春になったら水沢うどんでも食いに行ってくるよ
0950人間七七四年
2009/01/22(木) 23:06:03ID:lu2zbwF+>>949
いくらなんでも勝家がおはらい箱になることはないだろ。
もし、信長が天下を束ねた時に、勝家を罷免すれば、他の家臣にも影響を与えてしまい、織田政権にひびが入ってしまう。
0951人間七七四年
2009/01/22(木) 23:10:13ID:N+8s0A8R上杉相手にも、順調に戦い進めてたわけだし。
0952人間七七四年
2009/01/23(金) 06:04:17ID:Kiw1NQIY0953人間七七四年
2009/01/23(金) 13:21:32ID:6OsCGho7信長は執念深い奴だから何十年前のことも憶えていて、必ず復讐するはずだ。
領地どころか、すべて没収されて裸足で追放されていただろう、ゴンロクちゃんは。
0954不説斎ってどお?
2009/01/23(金) 13:37:36ID:K2tpCXCvゴンロクが市をもらったのは「信長生存の時」説があるらしいのだけど、ホントなの?
0955人間七七四年
2009/01/23(金) 15:40:37ID:jTuUOMFI0956人間七七四年
2009/01/23(金) 18:22:43ID:RGV8I2d3家督相続、は問題なくとは言えないかもしれないが、信長が継いでいる。
一族重臣がそれを認めている。
その後美濃斎藤氏との同盟の破綻などで、信長の権力が弱体化したと見た
ものたちが、奪権を狙い始めた。
で、勝家はその当時は弟信勝に仕える身分だったのだから、信長からしたら
陪臣の身分であり、直接の主である信勝が信長への反逆を企んだのなら、
それに従って信長と戦うのは、別にそれだけでは咎められる行為には当たら
ない。信長に直接仕えるようになってからは、一度も逆らうことなく忠実に
仕えている。
0958人間七七四年
2009/01/24(土) 00:31:41ID:kdarCyxx0959人間七七四年
2009/01/24(土) 01:53:53ID:wt7rJIg1林は直接信長に仕えている直臣だもの。
ちなみにあまり知られていないが、林は信長の出陣命令を拒否って、その後
謝罪して許されたところ信勝謀反に同調して、再度許されている。
0960人間七七四年
2009/01/24(土) 02:13:20ID:wtXczJwd林家はその後は信長に従って転戦しその嫡男は信長の為に敗戦の殿軍引き受けて
戦死してるのに。
0961人間七七四年
2009/01/24(土) 08:13:55ID:U31M/Sc6追放後、秀吉が天下を取って御伽衆になったってのは本当なの?
0962人間七七四年
2009/01/24(土) 21:55:45ID:HwMWYIWn0963人間七七四年
2009/01/25(日) 13:48:23ID:MWi5S7Uoなんかスレ違いな話題ばかりだな。
0964人間七七四年
2009/01/27(火) 07:27:47ID:5Y8wxeq1そんで、武田家の再起は?
0965人間七七四年
2009/01/27(火) 21:03:29ID:RlFC7CJM0966人間七七四年
2009/01/27(火) 22:09:35ID:8uLkFwVFどんな世紀末救世主伝説だよw
0967人間七七四年
2009/01/27(火) 22:39:18ID:tSFmguwR十万切りならいける。
あれ、なんか勝頼いらなくね?
0968人間七七四年
2009/01/28(水) 14:24:33ID:arMZhHCu別に恨みがどうこうではなくて
そんな滅茶苦茶な言いがかりでもつけないと
尾張の土地整理ができなかったってことじゃないの
大幅加増だけど転封に応じた柴田は問題なかろう
もはやスレ違いか
0969人間七七四年
2009/01/28(水) 14:33:36ID:BGEYJ0Ts信長の命令で、武田に内応しているフリをするように言われて実行し
(合戦では当然裏切らなかった)、信長は自ら汚い手を使った負い目と
口封じから佐久間を追放したって説を唱えておったよ。
武田が決戦に至った(長篠)のも佐久間の内応を期待してだと。
0970人間七七四年
2009/01/28(水) 16:29:46ID:QDzn7nuk0971人間七七四年
2009/01/28(水) 20:17:41ID:0qgD8vwY初めて読んだのは小学生の頃だが、それでも「口封じに追放っておかしくね?」
とは思ったな。「それなら殺すべきだろ」と。
0972人間七七四年
2009/01/28(水) 20:37:58ID:F0Qz1D+1長篠の合戦の話や信玄の戦術なんか話してやれば太閤殿下もさぞ
喜ぶだろう。
0973人間七七四年
2009/01/28(水) 22:29:53ID:4UOSc1Hb0974人間七七四年
2009/01/29(木) 00:21:31ID:PVhntYpJ0975人間七七四年
2009/01/29(木) 00:45:47ID:xd3vh/0B0976人間七七四年
2009/01/29(木) 07:52:05ID:xx5swP/6何せ裏切られは得意技だからな
0977人間七七四年
2009/01/29(木) 13:57:01ID:Zlo1QiU20978人間七七四年
2009/01/29(木) 17:10:43ID:Rw1t3Gzk秀吉が死んだら5〜10万石位与えて武田家を再興させてやったかもな。
ただし甲斐は江戸に近いので東北地方とかで。
大阪の陣で活躍すればさらに加増もしくは、
立花宗茂みたく奇跡の旧領復帰もあったかも。
あと勝頼親子じゃなくても、信豊でもよかったんだよ、
彼こそ景勝を頼って落ち延びるポジションにいただろうに。。。。
信豊だったら旗本で家名存続くらいだろうけどw
0979人間七七四年
2009/01/29(木) 18:30:13ID:I7XCs7cp0980人間七七四年
2009/01/29(木) 19:41:43ID:l0YPgOOy0981人間七七四年
2009/01/29(木) 21:59:32ID:xx5swP/6わかります。
0982人間七七四年
2009/01/29(木) 22:08:42ID:jn+oU5pM武田勝頼「人のこと心配する前に、働けyo!www」
0983人間七七四年
2009/01/30(金) 21:45:54ID:xk4itK1m家康は向坂牛之助に謀反の疑いかけて処刑したしな。
あ、向坂は高天神城から援軍を要請に来て、家康が応諾したと高天神に
持ち帰った人ね。で、この時は家康は援軍を約束しながら動かなかったと。
高天神関連だと、他にも武田家に降服して、武田家滅亡後に北条家に仕えてた奴を、
北条に圧力かけて切腹させたりとか、なんつーか家康にとって消したい過去らしい。
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