【頂上決戦】上杉謙信対毛利元就
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0001人間七七四年
2008/01/02(水) 11:03:57ID:xt5pLVRO関東攻略、北九州攻略で戦略的に大敗を喫している両者だが、それ以外には
敗北は見受けられない。文字通り最強を決定するスレです。
0002人間七七四年
2008/01/02(水) 11:09:34ID:KE0+JYpA土俵が違う
0003人間七七四年
2008/01/02(水) 11:39:33ID:IjGDYoK10004人間七七四年
2008/01/02(水) 13:09:44ID:CtrYnB71アンチの嫉妬を受けまくるあたり最強にふさわしいだろうな謙信は。
大内・尼子の庇護を受けて利益を追求する元就は関東で言えば上杉・北条を天秤にかけた由良兄弟や成田兄弟みたいなもん。
役者レベルが違う。
謙信は若き時に孤立した最前線で激しく戦い、その戦いぶりとカリスマ性から国人が惚れて自らの求心力で越後統一への道を進み北条・武田が北上を阻止。
最晩年は織田を排除し加賀を領有してしまうくらい。
元就が謙信と同じ寿命だったなら知名度もほとんどなかったはず。
0005人間七七四年
2008/01/02(水) 13:16:03ID:xt5pLVROカリスマ性では圧倒的に謙信だろうけど
いまでこれだけ熱烈なファンを生み出す謙信はすごい
0006人間七七四年
2008/01/02(水) 13:21:45ID:cxn6/HQP0007人間七七四年
2008/01/02(水) 13:42:03ID:zul6Pjwn3人で別のオタを装ってレスのやり取りをしているのを読んでいて
あまりにわざらしいのでゲンナリしてしまった
ここにもすでに来てるよ>5だ。似非謙信厨w
0008人間七七四年
2008/01/02(水) 16:59:55ID:pBexbgnq政宗、島津、で、次は毛利か
全部アンチの立てたスレとは言え
ここまで行くと天下統一も間近だな
0009人間七七四年
2008/01/02(水) 17:38:03ID:xt5pLVRO謙信があと10年生きてたら信長は危なかった
逆に元就があと10年生きてたら、秀吉に滅ぼされて今ほどの過大評価はなかっただろう
0010人間七七四年
2008/01/02(水) 18:04:23ID:pBexbgnq謙信、信玄→長生きしてたら信長を滅ぼしていた
氏康、元就、長慶→長生きしてたら信長に滅ぼされてた
政宗→早く生まれてたら謙信や信長に滅ぼされてた
0011人間七七四年
2008/01/02(水) 20:07:34ID:W5ezLfSH元就=フジテレビ
0012人間七七四年
2008/01/02(水) 20:30:46ID:B07dvo/50013人間七七四年
2008/01/02(水) 21:44:54ID:CtrYnB71両者が本願寺と共闘する限り信長の勝ちはない。
0014人間七七四年
2008/01/02(水) 22:06:18ID:7EPmM9vN実は米沢での教育は、謙信より鷹山が主なんだよ。
比率は謙信1<鷹山9くらいだった。
小学校の頃には、鷹山の肖像画がデカデカと飾ってあったくらい。
謙信?誰それ?って感じだった。
5月のお祭りの時に謙信が現れるくらいで、誰も謙信の話なんかしなかったな。
あぁ、ついでにお掘に自転車と原チャリ投げ捨てていたの俺と友達。
錦鯉を盗んだのも俺達で〜す。
もう20年も前だから許してね。
0015人間七七四年
2008/01/02(水) 23:20:24ID:xt5pLVROさすがは軍神
あと10年生きていたら信長を確実に打てただろうな
うまくいけば安芸や出雲あたりまで平らげていたかも試練
0016人間七七四年
2008/01/02(水) 23:45:10ID:liJNAMSH0017人間七七四年
2008/01/04(金) 12:00:25ID:RUqjSGp40018人間七七四年
2008/01/06(日) 19:55:32ID:nOZmdwKn勝ったか負けたかわからないような合戦と実在したか不明の合戦が代表的な戦いの謙信を
どうやって比較するのかとw
0019なななな梨
2008/01/06(日) 20:32:56ID:LU/MCOwu謙信にしろ信玄にしろ元就にしろ滅ぼすにわかなりの時間が必要だろ
信長包囲網は無限ループだと思うがな
0020人間七七四年
2008/01/06(日) 21:21:26ID:sqdwRTm/間違いなく返り討ちで終わるだろ
0021人間七七四年
2008/01/06(日) 21:39:41ID:Znf0wSsj信長に降伏し、秀吉の軍隊に組み込まれて備中高松あたりで毛利と決戦だな
0022奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/06(日) 21:51:47ID:bnEUtUvT10年長生きしたら武田氏が滅ばない可能性があるから信長の西方侵略が早まるんじゃないの。
0023なななな梨
2008/01/06(日) 22:11:11ID:LU/MCOwu東は家康に任せていいのか[武田、上杉、北条の三点セットは荷が思いんじやぁ
0024奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/06(日) 22:16:31ID:bnEUtUvT0025なななな梨
2008/01/06(日) 23:09:51ID:LU/MCOwuなんで信長あんなに家康信用したんだろ
信康の件はオイトイテ不思議
家臣重宝度でいえば唐笠連盤の元就が上だな
たいした家臣いたようにおもえんが
0026奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/06(日) 23:15:36ID:bnEUtUvT謙信が元気だったら上杉・武田・北条の三者が手を結ぶ状況が発生しないだろうからさ。
0027人間七七四年
2008/01/07(月) 05:11:52ID:SIUzgyMR0028なななな梨
2008/01/07(月) 07:23:40ID:x75a65beもちっと四国に領地のこせなかったのが残念だが あの時代にマジで天下統一したろうって思ってんの武田と織田ぐらいじゃね?
0029人間七七四年
2008/01/07(月) 11:55:05ID:ZUikQazeライバルはみんな死に気がついたらたくさんの子供を養子に出して地域の長老顔役になってた元就。
0030人間七七四年
2008/01/07(月) 14:08:34ID:CWaMcurW武田も負けてないぜ!
長野・北条・今川が死んでるし。
因みに養子送り込んでお家乗っ取りはどの家でも当たり前なんで…信玄もしてるし信長もやってる。
その中でも優秀な結果を残した吉川小早川がすごいってなってもいいと思うけど。
無論信雄・信孝にも信忠が長生きすればそういう立場になった可能性はなきにしもあらず。
長生きが武器なのは家康や早雲を見れば一目瞭然だろ…家康や早雲は歳が武器って解ってたような勘があるが。
>>28
大内も天下(上洛)目指したよ。挫折したけど…
>>27
中国地方が雑魚とか無知か世間の人気風にあてられた厨房だろ。
大内は一時期本気で上洛しようと考えてたし(尼子に阻まれるが)
陶は西国無双の侍大将、家乗っ取りを穏便に進めた腕は鮮やか。
尼子はまぁ当主がかわっる変わって雑魚扱いもしょうがないけど。大友は九州探題、宗鱗が狂ってないやる気ある時期を相手に九州に領土を残す。
関東の戦国時代の城は殆んど瓦などの近代装備が発掘されないが中国地方は装備面も最新。
0031人間七七四年
2008/01/07(月) 15:42:17ID:ZUikQaze0032人間七七四年
2008/01/07(月) 18:52:10ID:nScoTCrH0033人間七七四年
2008/01/07(月) 18:57:29ID:8x3GykTZ0034なななな梨
2008/01/07(月) 19:16:54ID:x75a65be0035人間七七四年
2008/01/08(火) 18:15:45ID:BAo3uR8S後に天下取った毛利と、毛利に土下座して命ごいした上杉じゃ
家としても格が違いすぎる
0036人間七七四年
2008/01/08(火) 18:19:56ID:J8EJ+NxB信玄と氏康の大軍のチームプレイに一向宗まで敵に回して互角なんだからすごい。
逆に同じ時間軸に信玄と氏康と謙信が関東甲信越に生まれたのは双方に不運であった。
0037人間七七四年
2008/01/08(火) 18:20:57ID:oDxz6l51当人死んでから300年近く後の事とか引き合いに出したって無意味だろ。
謙信だって出発点は酷いもんだし晩年の領土のでかさからいっても十分英雄だろ。
0038人間七七四年
2008/01/08(火) 18:36:56ID:J8EJ+NxBまるで守護の実権を奪い取る守護代、守護代の実権を奪い取る宿り木・寄生虫独立領主が毛利。
50歳過ぎてライバル死んでからの第二の人生が元就の本格的スタートだしな。
0039人間七七四年
2008/01/08(火) 18:50:54ID:oDxz6l51「いつまで生きているんだあのジジイ!」と本気で思っただろうな。
0041人間七七四年
2008/01/08(火) 22:13:59ID:lw12CFvj軍記物でもヨダレ垂らして美少年に飛びかかんばかりの描写になってるし
当時からガチホモのイメージが強かったんだろうな
446 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:18:01 ID:BAo3uR8S
長尾もとことん上杉の名を貶たな
35 :人間七七四年:2008/01/08(火) 18:15:45 ID:BAo3uR8S
3000貫から大大名に上り詰めた英雄・元就とボンクラ謙信を比較したら可哀相だろ
後に天下取った毛利と、毛利に土下座して命ごいした上杉じゃ
家としても格が違いすぎる
0042人間七七四年
2008/01/09(水) 02:59:16ID:kVpfGrBn家督を継いだら俺オワタ(^o^)/
1 :日本@名無史さん:2007/12/15(土) 00:22:03
絶対的劣勢不利な状況下で家督を継ぎ激烈な闘争に勝ち抜き見事に一国(東北は一定地域)を統一した最強勇将を選出したい。
東北代表 最上義光
父との抗争中に伊達輝宗に介入される。山形城のみでスタート
関東甲信越代表 上杉謙信
父は越後を破産させ兄は越後守護の操り人形で家督相続にも介入される。スタートは兄の命で中越へ派遣される。
中部東海代表 織田信長
父はある程度成功し経済的自立もすでに果たしていたし家督相続も問題なかった。
中国東部地方 宇喜多直家
祖父の自害。父はバカのフリ?チョイ悪のカリスマで復讐完了。
中国西部地方 毛利元就
父兄は酒害死亡。大内・尼子の抗争でどちらかに庇護してもらう作戦と養子作戦で安芸国衆の盟主として拡大。
四国代表 長曾我部元親
祖父は自害。父がある程度の成功を残し死去。
九州代表 龍造寺隆信
祖父・父は殺されたが曾祖父が復讐し願いは曾孫に託される。大内・大友・毛利と傘下を代えつつ養子作戦で耳川の戦いを機に自立。
除外
徳川家康→今川から岡崎城に代官が派遣され当主は人質。これはすでに松平氏は滅亡したも同然。
0043人間七七四年
2008/01/09(水) 08:00:17ID:7AuOaerYなんで元就では勝てずに謙信なら勝てると思うのか理解に苦しむ訳だが?
元就と信長は一戦もまじえてないし
ひょっとして輝元が負けたから元就も無理って印象ついてるっての?
そもそも謙信の上洛って毛利の支援なしで達成できるのかっていう話で…
0044人間七七四年
2008/01/09(水) 13:18:40ID:9i+U2WXkじっさい元就がいても輝元とあまりかわらなかったと思うよ。
そして自慢の吉川・小早川はなんら手を打てずに姫路から進出した秀吉に苦戦しまくって押されてるし。
謙信は常に陣頭指揮ばっかだからね。大きく士気に関わってくる。8000で行動してるが毛利がいなくても本願寺がいればどうとでもなる。
0045人間七七四年
2008/01/09(水) 14:41:56ID:09UXrbefその時代、日本全国の大名達から謙信信玄は最強って恐れられてたっついうのに・・・
0046人間七七四年
2008/01/09(水) 15:04:07ID:9i+U2WXk岩見の山吹城を攻める時に地元の呪術師にどう攻めるか吉凶を占わせたら
「山吹城には食料や飲料水はたくさんあるし女性が団結させてます」
とかウソを言われたのを真に受けて攻めずに安芸に帰ったりw
本城常光を吉川元春が暗殺しちまって石見が反乱した時に
尼子氏と祈祷合戦やってたら怖くなって、「ありゃあマジ怖い祈祷だったから効き目があるに違いない」とか発言するし。
出陣の吉日選びや陶を討った後に首を前に怨霊封じみたいなマネまでしてる。
呪術をマジでやってる時点で軍神謙信に勝てないわな。
0047人間七七四年
2008/01/09(水) 18:39:16ID:gqnoWXLa武名高い謙信はどのような人物って興味があったとか
0048人間七七四年
2008/01/10(木) 17:50:44ID:WdW9htYUこれ明治〜昭和初期の歴史の教科書に載ってるんだわ。
0049奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6
2008/01/11(金) 00:09:35ID:Wm9P7f6Dこう書いてあったら日本語としてその教科書はどうなんだろう。
0050人間七七四年
2008/01/12(土) 14:53:05ID:pmKNWBiz米沢限定の教科書だろw
0051人間七七四年
2008/01/12(土) 19:41:33ID:ch6j/z7T両者50万石以下、動員兵力1万前後までの規模の戦いなら上杉有利。
両者100石超、兵力2〜3万以上の規模の戦いなら毛利有利。
その他の要因として短期決戦で上杉有利。
長期戦になると毛利有利。
という感じがする。
0052人間七七四年
2008/01/12(土) 20:00:52ID:mr9vV1cH実際東京に勝てる要素がほとんど無くて嫉妬してる地方の人みたいで実に面白いです^^
0054人間七七四年
2008/01/12(土) 21:02:29ID:j2d8/DZpこの過大評価二人の共通点は本能寺の変で救われたことだ
変が無ければ両家とも確実に滅びていた
0055人間七七四年
2008/01/12(土) 21:06:55ID:4n5cNqiL0056人間七七四年
2008/01/12(土) 21:50:31ID:jbXLaKtL0057人間七七四年
2008/01/12(土) 23:05:55ID:6+29grAC生きてたら謙信に馬を曳かせて信玄に傘ささせたとかなんとか
0058人間七七四年
2008/01/12(土) 23:12:25ID:27rvGvZkその通りだな。 秀吉も元就も謙信も24の頃は単なるガキだからな。
政宗は支配圏200万石を達成。 格が違いすぎるよな。
0059人間七七四年
2008/01/12(土) 23:32:17ID:4n5cNqiL敗戦ばっかりの政宗のどこがいいんだか…フルボッコされてる政宗最強捏造スレ行けよ。
0060人間七七四年
2008/01/14(月) 13:36:47ID:YF1ZIjfO新潟県民や広島県民が回りより喧嘩強かっただけだろ
0061人間七七四年
2008/01/14(月) 13:45:03ID:Q+2EsnRl0062人間七七四年
2008/01/14(月) 13:57:40ID:Y8xNiAO1勢力が広まったのか説明がつかない
0063斎藤越後目
2008/01/14(月) 17:31:35ID:o3StFXBm0064人間七七四年
2008/01/15(火) 01:06:30ID:IQ3oZ4Cz毛利&謙信vs織田だった信長包囲網のが面白い
謙信が越前奪って、毛利が謀反した別所を助けて播磨を奪い、吉川も東進
摂津で荒木が謀反を起こして、以下続々と謀反の嵐
こうなるともう信長に勝ち目は無い
0065人間七七四年
2008/01/15(火) 06:57:58ID:PYlYig9S一般人でも、チンピラレベル ヤクザは普通。
政治家はエロじじい。
中学高校生は亀田もどき
大学生は漫才
0066人間七七四年
2008/01/15(火) 08:56:15ID:xBn2mVOcまずこれが無理そうだな
0067人間七七四年
2008/01/15(火) 12:13:33ID:xdlHlJDi0068人間七七四年
2008/01/15(火) 21:21:04ID:na6Ow3uw0069人間七七四年
2008/01/16(水) 01:10:08ID:WUExCWCx謙信が西上して越前一向宗&朝倉残党が蜂起した場合
柴田は一乗谷を守りきれない
0070人間七七四年
2008/01/16(水) 04:59:09ID:+1IIaLfdI |
I 毘 |
I |
ーーーー
0071人間七七四年
2008/01/16(水) 05:24:18ID:Enqi9tOvそれは事実
織田厨は手取川の戦いの存在自体を認めたくないらしいが
実際、資料に手取川の戦いのあった直後に
越前という大国の半分が上杉方に靡いたという資料が残ってるんだよね
つまり意味もなく、理由もなく
越前ほどの大国が一方に傾くなんて猿が考えたって不自然
これは明らかに手取川で上杉、織田の間で何らかの争いが起き
その一方が圧倒的に完勝したと思わざる負えないという事実の現れなんだよね
つまり上杉大勝。謙信最強。
これを決定付ける戦だったと言える
0072人間七七四年
2008/01/16(水) 05:32:53ID:Enqi9tOv1.川中島の戦い(断トツ。ありえない。こんな最強同士の戦って世界中見ても他にないんじゃないの?)
2.手取川の戦い(格下とは言え、この時の信長は一番脂が乗り切って勢いあった。でも謙信の足元にも及ばない)
3.関ヶ原の戦い(ま、両者頑張ったんじゃない)
4.朝鮮出兵(戦国史上唯一の海外侵略。てか島津頑張ったよね。謙信がいたら天竺支配も夢じゃなかったのに)
5.大阪夏の陣(戦国最後の大戦だったよね。でも謙信がいたら100%豊臣方勝ってた)
0073人間七七四年
2008/01/16(水) 13:57:05ID:PQfDU5MK0074人間七七四年
2008/01/16(水) 14:45:06ID:sc166L+w0075人間七七四年
2008/01/16(水) 16:26:01ID:NP9ragX+まーた手取川かよ。
手取川合戦の根拠となってるのは謙信の書状と最近出てきた新史料の2点だが、
謙信の書状は問題点がある代物、新史料は現時点では何とも評価できない状況だっつーの。
それに越前が云々てどの資料だよ。
上杉に傾いたのはせいぜい能登・加賀だし、その2つにしたってもともと織田派・上杉派に
分裂状態の能登畠山家臣の上杉派が内部抗争に勝っただけだし、加賀は盛り返していた
一向一揆と上杉が結んだだけだろうが。
ホント、ろくに調べてないな。
>74
お前信長公記がどういう史料か知ってて言ってるのか。
一方的な織田マンセーじゃなく敗北もきちんと記されてるし、手取川のみ完全無視は不自然すぎる。
それに他の北陸を舞台にした軍記などにも記されていないのはどう説明するんだよ。
と全力で釣られてみますよ、と。
0076人間七七四年
2008/01/16(水) 16:39:26ID:SEdqc3Ek温泉に将棋に 織田神社もあtるよぉ〜っと 尺八ふいてももらえる所もあるよ〜っとっ
山形県 天童市 くぐれっ
0077人間七七四年
2008/01/16(水) 18:04:05ID:7CMHRaqo越前云々は仁科文書だろ
上杉氏年表って真面目な本にも載ってる
信長公記は牛一が知れる範囲だから
各方面、全ての情報を牛一が網羅できる訳じゃない
特にこの頃は上月城まで毛利・小早川が落とすなど、戦線が広がり過ぎ
それだけでなく牛一の周辺も、松永〜荒木と謀反が連発、別所も離反して大揺れ
手取川前後から柴田勝家に関する記述が激減して
一体何をやっているのか分からない(織田にとって都合が悪い?)
反面いつまでもしつこく秀吉離脱の件を持ち出してくる
0078人間七七四年
2008/01/16(水) 18:20:35ID:7CMHRaqo城内二つに分かれた所を利用して要衝を奪う
これは後北条も武田も織田もやってる事で結構オーソドックスな方法じゃないか?
指摘されても、だから?としか思えない
加賀は手取川以前から石山本願寺と加賀一向宗の諍いを謙信が取り持ったり
加賀の国人を擁護したり、根回しっぽい事をやってんだよね
手取川も河越夜戦や川中島、三増峠など著名な合戦らしく、正確な概要が分からない
ともあれ手取川以降、加賀衆として藤丸、坪坂、若林らが上杉に組み込まれた
彼らは越中戦線などでも奮戦してくれたと
0079人間七七四年
2008/01/16(水) 18:44:27ID:sc166L+w0080人間七七四年
2008/01/16(水) 19:25:07ID:NP9ragX+信長公記は天正三年以降はほぼ完璧な内容を記しているわけで、手取川合戦(天正五年)のみ触れられて
いないというのは不自然。
手取川合戦が上杉方が言うような大規模な合戦だったら、せめて「手取川あたりで合戦が
ありましたよ」程度でも触れられているのが自然だ。
まして北陸を舞台にした他の軍記にも一切記載がないわけで、こんな状況で上杉方の主張のみが
一方的に受け入れられるというのはおかしいだろう。
また織田家にとって都合の悪い話も記載されてるわけで、都合が悪いから書きませんでしたと
いうのも考えづらい。
>78
>城内二つに分かれた所を利用して要衝を奪う
>これは後北条も武田も織田もやってる事で結構オーソドックスな方法じゃないか?
>指摘されても、だから?としか思えない
別に利用して奪ってるわけじゃないぞ。
謙信が「織田派ぶっ殺してこっちに付けよ」と働きかけたわけじゃなく、畠山家家臣の上杉派が
織田派(と畠山氏の一族)を自主的にぶっ殺して主導権奪って上杉に組したんだから。
外交工作というより上杉に組した連中の自己保身という方が適当。
>ともあれ手取川以降、加賀衆として藤丸、坪坂、若林らが上杉に組み込まれた
>彼らは越中戦線などでも奮戦してくれたと
今現在言えることはこのくらいだろう。
0081人間七七四年
2008/01/16(水) 20:14:20ID:7CMHRaqo>信長公記は天正三年以降はほぼ完璧な内容を記しているわけで
なぜ完璧だと言い切れるの
信長公記を調べた際、
織田北陸方面軍の動きを追おうとしたけど、書かれて無さ過ぎる
巻の十で湊川(手取川)を超えて在陣、十行も割かず加賀南部に砦を築いて記述終了
巻の十一では柴田は一切登場しない、それどころか「加賀」すら出てこない
加賀がやっと再登場するのは巻の十二、天正七年八月からで
天正五年十月から何と丸一年と十ヶ月も記録が見つからない
加賀と柴田が再登場する天正七年八月も、まだ手取川付近をウロウロしてるし
幾らなんでも湊川(手取川)を越えて在陣して以降、織田北陸方面軍の情報は怪し過ぎる
要するに信長公記は越前〜加賀の記録が途絶えてる時期が長過ぎる
そこに謙信の書状、北徴遺文、戦後における加賀国人の動向など他の情報も合わせて考えると
信長公記が完璧だとは全っ然思えないし、はっきり言って信じられない
>謙信が「織田派ぶっ殺してこっちに付けよ」と働きかけたわけじゃなく、
武家家伝_温井氏
一方、七尾城兵の徹底抗戦に手を焼いた謙信は内応者をさぐった。
これに遊佐続光が応じ、天正五年九月十五日、続光の手引きによって城内に入った上杉軍は
長続連・綱連父子をはじめとした長一族を討ち取った。
手元に有る本にも『九月十三日、遊佐から「内応承知」の書状が謙信にもたらされた』と書いてあるけど
0082人間七七四年
2008/01/16(水) 22:45:35ID:Bf6eXDHn0083人間七七四年
2008/01/16(水) 22:52:22ID:sc166L+w織田軍内の動揺と内応を恐れて北陸方面の徹底した情報統制をした為に牛は織田の惨敗を知らなかった。
京近くの事ではない事と夜間のしかも豪雨で通行が遮断されていた為に目撃者もおらず噂が広まらずうまく隠匿できた。
0084人間七七四年
2008/01/16(水) 23:15:06ID:B879fKTn当時の人は、信長に勝てるのは謙信しかいないとおもっていたはず
0085人間七七四年
2008/01/17(木) 00:13:00ID:+rIFG4Bu>なぜ完璧だと言い切れるの
信長公記は基本的に数多の事件を網羅してある史料だから。
仮に手取川が上杉の主張のような大規模なものだったら、少しでも触れられているのが自然。
現に牛一は柴田勢が富樫で放火しただの薙いだだのいう合戦においてどこでもありそうな
話は記している。
また手取川合戦は織田家は柴田軍18000に信長軍30000の計48000、上杉軍は20000程度で織田軍は
数千人の死傷者というのが一般的だが、こんな大規模で華々しい合戦だったら他の軍記が完全に
スルーするのは不自然すぎる。
また謙信以外にも書状の発給があるのが当然では?
>北徴遺文
この文書の内容は他の史料で裏打ちされてたりするの?
歴代古案の謙信の書状では裏打ちとしてどうなのさ。
謙信の書状もいろいろと問題点があるそうだが。
>戦後の加賀国人の動向
手取川合戦があったとされる以前から加賀は一向一揆が盛り返していて、それと謙信は
結んでいる。
家臣化されるものがいたとしても何も不自然なことはないが?
>これに遊佐続光が応じ、天正五年九月十五日、続光の手引きによって城内に入った上杉軍は
>長続連・綱連父子をはじめとした長一族を討ち取った。
>手元に有る本にも『九月十三日、遊佐から「内応承知」の書状が謙信にもたらされた』と書いて
>あるけど
これらはもしかして歴代古案収録の謙信書状の内容を元にした話じゃないか?
長々書いてきたが、自分としては手取川合戦なんてありませんといってるわけじゃない。
現在の状況ではなんとも言えないわけで、上杉が大勝しましたみたいに言うのは
変だろうと思う。
0086人間七七四年
2008/01/17(木) 06:38:10ID:fgXOTmrd数多の事件を網羅といっても越前&加賀の2大国を二年弱も放置してるので
殆ど説得力ないよ
柴田勝家だって織田家筆頭の重臣なのに二年近くも放置
戦国時代は大抵どこの国でも、月単位で目まぐるしく様々な事件が起こっていた
しかし一切の情報が牛一の耳には入ってこない(?)
これは意図的な物なのか、情報が多岐に渡り過ぎて既にパンク状態だったのか
その理由が前者にしろ、後者にしろ、どうも牛一は北陸情報に強くない
一武将(羽柴)が無断で離脱するというのは、本来大事件の筈
だが、その理由を書こうともせず、ただ諸人が甚だ迷惑して信長が激怒した〜って程度
事件の真相めいた物(なぜ離脱したのか)だって普通なら噂レベルでも知らされるもんだと思う
その一方で、羽柴が畿内〜中国戦線へ回ると
北陸での離脱事件に絡んだ、秀吉本人の想いを丁寧に描写してしまう
案外牛一にとって天正五年八月〜天正七年八月あたりの北陸の二年間は
かなり情報源が限られていたのかもしれない
裏付けという作業は江戸期に編纂された二次史料「上杉御年譜」や軍記物「甲陽軍鑑」などを
一次史料=その時代に生きた人が書き残した史料、によって証明する行為なのでは?
だから(これもwikiで仕入れた情報だが)井上鋭夫は歴代古案、北徴遺文を元に「北越軍談」を否定
そして
>謙信以外にも書状の発給があるのが当然では?
まさにこれ、北徴遺文にある刑部卿法眼頼兼が堀才助に宛てた夜襲の感状をもって、
手取川合戦〜夜襲の成功を明らかにしている
>>『九月十三日、遊佐から「内応承知」の書状が謙信にもたらされた』
>歴代古案収録の謙信書状の内容を元にした話じゃないか?
これの何が問題なの
最近は一次史料を他の一次史料で裏付けしないと駄目って事になってるの?
歴史家による七尾城攻防戦の概要は大抵、遊佐が謙信に内応してるようだが
0087人間七七四年
2008/01/17(木) 06:40:27ID:fgXOTmrdたまたま信長公記の不自然過ぎるスルーをもう一つ発見したんだが
実は『熊見川の戦い』という戦が天正六年六月二十五日に上月城近くの高倉山辺りで行われ、
撤退中の羽柴軍は毛利軍から激しい追撃を受け、大打撃を蒙った
その大敗振りは毛利軍の武将・玉木吉保が歌に詠むほど、酷い物だったらしい
しかし・・・この戦も何故か信長公記に見当たらない
手取川の柴田同様、秀吉はあっさり軍を退いたようになってる
ここでも都合の悪い敗戦は極力書かないで飛ばしてしまおうとする、牛一の姿勢が感じられる
好意的な解釈もしてみると、どちらの戦も信長の敗戦ではなく一方面軍の撤退戦ゆえに
取り扱う気が起きなかったのかもしれない
そもそも撤退戦は苦戦する物だろう、といった認識が定着していたなら尚更
(でも柴田の刈田狼藉なんて地味な働きはしっかり記載してるしなぁ・・・やっぱ怪しいなぁ)
もう一つ邪推すると、織田軍は手取川〜熊見川までにも手痛い敗戦を散々体験しており
千人が討たれる程度の撤退戦は特筆すべき事では無かったのかもしれない
それに信長の勢力も強大化して毛利、本願寺、離反組をほぼ同時に相手できるまでになった
(ここに上杉が参加すると七尾の後詰が遅れ方が尋常じゃない等、破綻が見受けられるが)
各方面軍が綺羅星の如く著名な武将を数多く抱えた事で、信長の側近く仕えていた牛一も
千人〜二千人足らずの戦死者に含まれるような、マイナー足軽大将までいちいち気に止めていられない
そういった意味での感覚が麻痺していた可能性も有る
麻痺といえば領民への虐殺も大規模になり、家畜を含めた死体の山が街道を埋め尽くし、
動く物が見当たらないほど、とにかく殺しまくる異常な殺戮劇も展開されるようになった
もはや余程の人物でもない限り、その死を顧みてもらえないような雰囲気が、この頃の織田軍には蔓延
手取川や熊見川は、その麻痺が今にも頂点に達し始めた頃、まさに行われた戦のようにも思う
0088人間七七四年
2008/01/17(木) 10:47:10ID:LsgOR42A0089人間七七四年
2008/01/17(木) 19:39:18ID:GJApIOby0090人間七七四年
2008/01/17(木) 20:15:50ID:Djyb0Mh1マクロスのバルキリーによるサーカスか?
0091人間七七四年
2008/01/18(金) 22:06:23ID:p+l6UNgn両者とも一度は誰も止めることのできない勢いの織田軍を完膚なきまでに叩き潰している
しかしその後じりじり押し切られ滅亡寸前。本能寺に救われている
0092人間七七四年
2008/01/18(金) 22:29:49ID:gJV6PHiRはじめから戦線の維持を諦めて大きく後退する時の戦だから
秀吉はその時に追撃を喰らった
織田本隊(信忠軍)が後方に居たから毛利も深追いせず
秀吉軍は壊滅を免れた
信長公記も長いから途中から方針を変えてたりね
なるべく負け戦は書かないようにしようと
書かないようにしろ!と誰か(信長か勝家)から言われてたりして
0093人間七七四年
2008/01/18(金) 23:09:08ID:E7OcqaJ+まぁそれしか自慢できる戦ないのにそれを捏造認定されたらオシマイだもんな
0094人間七七四年
2008/01/18(金) 23:39:55ID:1D7Rskfk信玄坊主ぐらいでないとものたりませんなぁ。
0095人間七七四年
2008/01/20(日) 16:09:43ID:JCTCWdGuほんとどうしようもないよ。
手取川の戦いなんて毛利にしてみれば熊見川の戦い程度だろ?
熊見川合戦なんて毛利厨でも知らない奴が多いって言うのに(笑)
信長公記に熊見川合戦が乗っていないって言っても当然の事で
信長公記は秀吉の命で創らされた文献だぜ?秀吉大敗なんて書けるかよ。
因みに熊見川合戦は「太閤記」に書かれてる。
それとさ、手取川の撤退と熊見川の撤退では意味合いが違うんだよ。
手取川の場合は飽く迄も畠山氏の援軍に行った訳で、畠山氏が滅亡したら
行く意味がない。上杉に織田の所領を侵された訳でも奪われた訳でもない。
しかし、熊見川の方は織田家が前年落とした上月城を奪われ目に見える形
で撤退と言う名の負けが解るんだよね。
しかしまぁ毛利厨ですら熊見川合戦なんて自慢しない。
毛利の合戦で自慢される合戦ってば大将首取っても自慢されない。
八浜合戦や多々良浜合戦なんて圧倒的に勝ってる筈なのに寧ろ負けとして
記憶されるからやるせないわ。両戦いとも戦後に敵の八浜城や立花城を落
とし大将首も上げてるんだが永続的に領地か出来なかったからな。
それに比べて上杉って何?まともに合戦で敵将を討ったのって、川中島で
武田信繁くらいなものだな。諸角虎定や初鹿野忠次も討ち死にしているよ
うだがどこまで本当かすら怪しい。だって諸角は生きていれば当時八十代
って言う老人。初鹿野も上田原で討たれた初鹿野左衛門尉を引っ張り出し
た可能性が在る。因みに同じく上田原で討たれた板垣信方や川中島後も生
存した小笠原長詮まで討たれた事に成ってる。山本勘助に至っては「あっ
そう…」と言うしかない。
0096人間七七四年
2008/01/20(日) 17:03:52ID:oQaGrD4H本当ですか
0097人間七七四年
2008/01/20(日) 17:24:48ID:cG7/Wudqこのスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
戦国BASARAの毛利元就はオクラカワイイ 毛利の15う [ゲームキャラ]
があくがあくぶうるぶうる2006年度入社のすれ [リーマン]
テイオーの身体能力は日本史上最強だった! [競馬]←またこいつか!
0098仙台藩百姓
2008/01/20(日) 21:17:39ID:0AsynglX政治能力の差は歴然としてるお
0099人間七七四年
2008/01/20(日) 21:20:16ID:JCTCWdGuすまんどうやらWikiに踊らされたようだ…。
Wikiの元ネタ?(秀吉の命)は「信長の棺」って言う小説が影響してる臭
い。秀吉が創らせたのは「天正記」の方であった。
ただ太田牛一が慶長12年(1607年)に「自身は信長公、秀吉公に使え今は
秀頼公の臣下である」と書いている。「秀吉の命」と言うのは間違いでは
あるが、当時の世情の中にあって豊臣方で在ったのは確かだろう。
0100人間七七四年
2008/01/20(日) 21:53:11ID:x3GMoDFK元就関係無いし勝って当然だわな。
0101人間七七四年
2008/01/20(日) 22:22:53ID:8T+B6aq0秀吉が大苦戦した中国戦線【対毛利・吉川・小早川】
これって毛利厨が立てたんじゃないの?
そこの書き込みには
「秀吉のこの戦い(熊見川)の経験が、後の中国攻略に於いて毛利軍との直接的な戦闘を避ける事に繋がった」
ってwiki記事と、よく似た内容のレスが幾つか有る
>上田原で討たれた初鹿野左衛門尉
第四次川中島の戦い
武田軍 大将及び上級武士の戦死者
武田信繁・諸角昌清・初鹿野忠次・望月盛時・安間弘家・三枝守直・油川彦三郎・山本管助
初鹿野は謙信による小田原包囲の際、信玄が氏康へ送った援軍の将
望月盛時は信玄の甥
油川は甲斐の名門
三枝は甲斐源氏が発祥する遥か以前に、大和朝廷から甲斐に派遣された国守級の在庁官人の出身。
三枝守直は武田晴信に仕え、戦功により大抜擢を受けていた
>初鹿野は謙信による小田原包囲の際、信玄が氏康へ援軍として送った一軍の将
これが本当ならこの初鹿野忠次と初鹿根伝右衛門を混同しないのでは
0102人間七七四年
2008/01/20(日) 22:30:05ID:JCTCWdGu義将ぶりも喧伝したいな。謙信が義将(ぶっちゃけそんなものは存在しない
と思っているが…)なら毛利も大概義将だぜ?
しかもその義将ぶりは凄まじい。よく尼子と大内を行ったり来たりと言われ
て居るが、実際は大内方に付いてからは元就は一度も大内方を裏切って居な
い。尼子の全盛期の時代尼子は九ヶ国守護を幕府から賜り、毛利全方位尼子
方の時も頑張った。大友全盛の時代、尼子との熾烈な戦いの中でも九州方面
からの要請に応え遠征し、特に後の上杉中興の祖になる上杉鷹山公の生家秋
月家は実質毛利家が再興したようなもの。他にも南条、河野、三村、山名、
宇喜多など毛利家無しには存在しないくらい援助した(三村家は勢い余って
潰しちゃったけど、裏切ったのは三村の方だし)。
それに比べ天下の義将謙信公が加担した勢力はどうだった?
謙信に利用されるだけ利用されことごとく悲惨な目に追いやられた。
しかも大恩人の上杉憲政は騙し討ちで景勝が討ち取る始末。上杉家は鬼畜!
義将の名乗りを毛利に返還しろ!!
0103人間七七四年
2008/01/20(日) 23:24:18ID:an3ksDVZ0104人間七七四年
2008/01/21(月) 00:39:42ID:agZEZkPR>102などはまんまとトラップに引っかかっている
島津にも似たようなスレが立ったが、島津オタは冷静にスルーしていた
0105人間七七四年
2008/01/21(月) 00:40:53ID:UZxabAn60106人間七七四年
2008/01/21(月) 01:12:22ID:vGH8YZi00107人間七七四年
2008/01/21(月) 01:16:53ID:Ky0TnfXg毛利 家 石見銀山
両家とも貴金属鉱山もってたからあそこまで頑張れたんでしょ
0108人間七七四年
2008/01/21(月) 01:21:05ID:p54I1P01宇喜多、南条、河野、三村
ここらへんは尽く悲惨な目に有ってんじゃないか?
宇喜多と南条が潰されたのは吉川(毛利の軍奉行)の裏切りが原因みたいだし
景勝はなぁ・・・せめて村上と上条くらいは面倒見て欲しかった
まぁ、佐竹が残っただけ良いだろ
0109人間七七四年
2008/01/22(火) 16:22:23ID:HFr6PKwn元就の場合は自領300石程度からスタートして100万石の尼子氏から石見銀山を勝ち取った訳だし
一緒くたにするのはどうよ
むしろスタート時から金山で得しまくったのは上杉と、武田
0110人間七七四年
2008/01/24(木) 17:36:16ID:LhFZffDn上杉謙信として死ぬときも領有していたかどうかは少し怪しい。
0111人間七七四年
2008/01/24(木) 22:35:11ID:UfTc1Lmr0112人間七七四年
2008/01/24(木) 22:51:30ID:vtkcSdyn50歳過ぎたあたりではもう周りはザコしかいなくなってたじゃん。
そんで年長者元就は地域の大御所みたいなもん。
0113人間七七四年
2008/01/25(金) 00:50:04ID:6Xg+CsRY例えば厳島合戦はそれだけでは説明できないぜ。
0114人間七七四年
2008/01/25(金) 05:02:02ID:nbhiVNdy謙信は信玄より長生きしてライバルが死にまくっただけ。
気付いたら北条も武田も若造の雑魚が当主で余力が出来てようやく北陸の大御所になったようなもん
それと健康管理も武器の一つなんだよ。
北条・毛利が残した家訓や家康の健康管理を見れば寿命が武器って理解できるだろ。
塩漬けの梅干を肴にし酒を飲んで健康を害して寿命を縮める行為はどうなのかねぇ?
北条早雲毛利元就も酒は害と見なして遠ざけてるけど。
早雲は仕事の前に軽く一杯飲むと仕事がはかどってよいと遺してるのかな確か。
0115人間七七四年
2008/01/25(金) 05:10:10ID:Ool6w4dN塩分取りすぎが体に悪いとか医学的な事なんて昔の人は知らないんじゃねーの?
寒い越後だから酒は必須だろ!
つか人生50年時代なんだから謙信は平均寿命だから酒や塩が原因の短命とは言わない。
元就は人生を2回やってるようなもんだろ。人脈と財産を引き継いだまま少年〜青年期だけをすっ飛ばして人生やり直しすりゃあ教訓と経験で普通はうまくいくだろ。
0116人間七七四年
2008/01/25(金) 07:54:16ID:ikQ8y1tsつーか「元就は長生きだからズルい」って理論はアホ。
「元就は頭がいいからズルい」っていうのと同じくらいアホ。
0117人間七七四年
2008/01/25(金) 08:52:42ID:mfdc/QD60118人間七七四年
2008/01/25(金) 14:44:04ID:PvpJVB+Uその二点なら直家のが上じゃね?
0119人間七七四年
2008/01/25(金) 15:45:01ID:nbhiVNdy結果元就は長生きしてチャンスを伺い勢力拡大した訳で。因みに53でようやく安芸一国をまとめるので謙信の一生分を生きてる。
0120人間七七四年
2008/01/25(金) 17:07:48ID:ikQ8y1ts元就の場合、単純に「寡兵で大軍に勝つ」というだけでなく
敵勢力の総大将を戦術レベルにおいて死亡させ、戦略レベルでの大逆転を成し遂げたのが凄すぎると思われ
↑の代表格といえば、信長が義元を討ち取った桶狭間だけど
元就の場合は有田合戦で武田元繁、厳島合戦で陶晴賢と、二度までも成功させている。
戦国史上最高の用兵家の一人である事は疑いようがない。
領土拡張率も普通に元就のが上じゃね?
有田合戦当時の毛利家が三千石程度、しかも元就は当主でなく
全体の半分以上は有力家臣に占有されてたような状態。
いや、俺も直家好きだけどさ。どっちも謀略家なイメージばかり先行してるけど
実際は戦上手だよね。
0121人間七七四年
2008/01/25(金) 17:41:01ID:GHiR40kdこいつらがそうとう無能なだけ。
戦場で討ち死にってどんだけアホだよ・・・油断してるにも程がありすぎ。
陶なんかは吉凶を占って攻める攻めないって言うのも吉日を選んでたらチャンスを逃したらしいしな。
0122人間七七四年
2008/01/25(金) 19:04:01ID:ikQ8y1ts「凄い勝ち方したのは負けた相手が無能だから」で片付けたらいかんよ。
「凄い勝ち方出来ない奴は無能」の方が、なんぼか正しい。
元繁は名目だけの守護から独力で20万石相当にまで勢力を伸ばした勇将だし
晴賢は大内家100万石を乗っ取り、対尼子氏においても戦功を立てた「西国無双」の名将。
どちらも無能とは程遠い人物。言うまでもなく、今川義元もね。
0124人間七七四年
2008/01/25(金) 20:48:32ID:Ool6w4dN0125人間七七四年
2008/01/25(金) 22:51:08ID:nbhiVNdyそう思う根拠も書いてくれなきゃ説得力が著しくかけている
0127人間七七四年
2008/01/25(金) 23:39:41ID:ikQ8y1ts本国における尼子残党の内乱で止む無く吉川小早川両軍が撤退しておきながら
それでも大友は九州の毛利領土を奪還出来ず
講和でも門司の毛利占有を認めざるを得なかったんだぜ。つまりは思い切り領土侵略されてんの。
それでも対尼子、対大内が完全勝利すぎるからって、大友に負けたとか酷すぎる。
0128人間七七四年
2008/01/26(土) 00:26:55ID:yiWg6/A8だって残党煽って撤退に追込んだんだろ。
0129人間七七四年
2008/01/26(土) 01:09:03ID:q689dZkV尼子残党の蜂起は織田の援護だとか大友の策謀だとか諸説あるが
どちらにせよ両川撤退後も、毛利の侵攻スピードが止まっただけで大友は全く領土を奪い返せてない。
ちなみに立花道雪の大活躍は立花家の文書にしか記載されてない、謙信の手取川並に眉唾もんの代物。
どっちにしろ野戦で負かしたはずの両川は元気に本国帰って、そのまま尼子残党を鎮圧。
城は一切落とせてないってんじゃ話にならん。実際の戦果はゼロ。両川の撤退を「俺が追い払った!」って宣伝しただけ。
まぁ毛利相手にして領土奪われただけで滅ぼされなかったんだから御の字かな。
尼子大内に比べりゃ大友は外交やら策略やらで頑張って講和に持ち込んだんだから立派。
ってか元就にとっての大名同士の勝ち負けの話って謙信とはスケール違いすぎるんだよな。
もっと細かいレベルで比較しようぜ。
0130人間七七四年
2008/01/26(土) 02:25:11ID:BWg6+JuW>もっと細かいレベルで比較しようぜ。
上杉ヲタの人たちは乱立しているスレに対応するのに手いっぱいです
ので、尼子、大友、大内ヲタと議論して欲しいです。
0131人間七七四年
2008/01/26(土) 02:46:24ID:NG3V/alsやっぱり大友の勝ちだろ。
ワザと負けて懐に誘導して
後方で工作して
目の前の敵を孤立させ撤退に追い込んだんだから
0132人間七七四年
2008/01/26(土) 03:18:59ID:oJ/pFp14釣られたクマー
0133人間七七四年
2008/01/26(土) 05:37:42ID:8+fIj9Rcようやく織田相手で謀略を選んだその初キッスにして手取川の敗走という成績。
謙信が目覚めるのがおくれたのが元就厨には幸いだったな。
0134人間七七四年
2008/01/26(土) 07:51:25ID:drMFJkHW春日山に元就が生まれたら生き延びれなかっただろう
吉田郡山に謙信が生まれたら、これも生き残れなかっただろう
0135人間七七四年
2008/01/26(土) 09:03:12ID:EAD7UPPV毛利、上杉の離間工作見え見え、島津スレからあのAA借りてこよう。
゚ 。 ,∧_∧ ゚。
゚ ・(゚´Д`゚ )。 糞工作員からみんな逃げてエエ!
(つ ⊃
ヾ(⌒ノ
` J
0136人間七七四年
2008/01/26(土) 12:25:39ID:oJ/pFp14今時こんな釣りに引っ掛かる奴はいないと思うよ(´・ω・`)
0137人間七七四年
2008/01/26(土) 12:31:12ID:yiWg6/A8尼子と大内の侵攻と真正面から激突して圧倒し、気がついたら兄より優秀なんで国人から国主に擁立され安芸を統一し、その間に上洛を数回行い近衛と意気投合して安芸にやってきてたろう。
越山と言う面倒くさい事もないので楽勝だ。
0138人間七七四年
2008/01/26(土) 12:46:46ID:oJ/pFp14むしろ井上の専横にいじけて出奔
0139人間七七四年
2008/01/26(土) 14:07:45ID:jGEo6TGMどちらも信用できないような国人領主が多い中、
当主としてそれらをどうにかまとめ、領土の拡大にも成功している。
どっちの場合も生き残れないなんて事はないと思うが。
0140人間七七四年
2008/01/26(土) 14:29:45ID:q689dZkV0141人間七七四年
2008/01/26(土) 14:37:48ID:EAD7UPPV゚ ・(゚´Д`゚ )。 糞離間工作員からみんな逃げてエエ!
(つ ⊃
ヾ(⌒ノ
` J
0142人間七七四年
2008/01/26(土) 15:08:43ID:yiWg6/A8安芸の武田なんて楽勝www
0143人間七七四年
2008/01/26(土) 17:42:53ID:oJ/pFp14もう少し歴史のお勉強しましょうね(*‘ω‘ *)
0144人間七七四年
2008/01/26(土) 18:17:33ID:WnPxmuhr結果が全てだろ。
「〜に勝てたのは相手が無能だったから」「〜に負けてしまったのはまだ若くて経験不足だったから。経験豊富な壮年の〜に負けるのも当然だろ」
「〜があまり領土広げられなかったのは周りが強敵だらけだったから」
「〜が1代であんなに領土広げられたのは周りに雑魚しかいなかったからだろ」
「〜は長生きしたら天下取ってた」
全部言い訳。
こんな補正かけたら、いくらでも都合いいふうに歴史は捻じ曲げられてしまう。
0145人間七七四年
2008/01/26(土) 18:27:36ID:+zpxwj+s0146人間七七四年
2008/01/26(土) 21:24:36ID:68hzSkfk0147人間七七四年
2008/01/27(日) 01:50:31ID:hsCBxr8P0148人間七七四年
2008/01/27(日) 02:00:39ID:S59lCPS/そんな棚ぼた式に初陣伝説飾ると後々楽そう。
景虎の四面楚歌のそれと違って。
0149人間七七四年
2008/01/27(日) 08:45:56ID:y5dLALWp0150人間七七四年
2008/01/27(日) 17:13:37ID:Ps4uRUW+真の敵は現在大河の恩恵に与りながら「鬼石曼子」のおかげで大河モザイク野郎
にされてる島津一派と、時期大河の主役で信玄をスルーするような上杉方の裏切
りに怒り心頭の武田厨達だ!!
0151人間七七四年
2008/01/27(日) 17:28:48ID:RQSIUJ9Rつまらぬ煽りあいに参加せぬこと
0152人間七七四年
2008/01/28(月) 12:32:38ID:3buqs0Gl史実にならって共同戦線をはるのじゃ。
中高生信長ゲームくされ脳ニワカを撲滅するのじゃ。
これに武田、北条、一向宗、そして将軍様もどうぞ。
伊達はまぜてあげない。あの血筋は信用できんw(最上w
0153人間七七四年
2008/01/28(月) 18:02:12ID:blqAFV6F元就は一流の政治家で二流の軍人
謙信は一流の軍人で二流の政治家
みたいに勘違いしてる奴には腹が立つ。史実から判断する限り
元就の内政手腕は特に目立ったものではなく(息子の隆元と隆景は凄い)
輝かしい武勲を数多く誇る生粋の軍人気質。
謙信は港を駆使して交易で多大な富を得た男で
一方で戦では目立った功績がない。利益に乏しい出兵を何度もできたのも、その経済手腕があってこそ。
なんか英雄としての実像よりも
ゲームや漫画でのキャラクター像を好きになってる人が多い気がするな。
あと毛利は上杉と組んでた時期より織田と組んでた時期のが長いんじゃね?
まぁ江戸期でも名門大名として残った勝ち組同士仲良くやろう、ってんなら分かるけどさ。
0154人間七七四年
2008/01/28(月) 18:07:01ID:blqAFV6F何だかんだいって「謙信=同盟裏切って敵対したりしない義将」ってイメージが頭にこびりついてたのかも。
なんにせよ、変な派閥意識なんか持たずに仲良くやりましょうや。
0155人間七七四年
2008/01/28(月) 18:14:16ID:9sdVP1th元就は内政は検地を旧大内領でやったくらいしか知らんなぁ・・・。
外交は結構やり手だと思うが。
0156人間七七四年
2008/01/28(月) 19:09:21ID:P1t6PCEn毛利厨の私もその考え方は少し納得できる物がある。
謙信の凄さはやはり政治家としての凄さだよ。戦では目立った功績がないと言う
のは織田や毛利、島津、北条、武田など劇的な戦果と比べた場合の話しであり、
その機動力や遠征能力、攻城の上手さ等総合的に考えれば戦国トップクラスに成
ると思う。
現に戦争とは飽く迄も政治の延長線上のものであり、戦略に於いても謙信は素晴
らしい。川中島では決戦をしたが、謙信の基本的な姿勢は決戦より寧ろ囲碁のよ
うに軍事行動により相手を制すもので負けない戦術であったと思う。
又、財政面では座や流通経路の確保に素晴らしい面を見せた。謙信は2度上洛した
が、その時も数千人単位で上洛させている。これほどの大規模な上洛行為がで来
たのは、畠山、一色、山名、大内、六角、三好、織田、朝倉、武田(若狭)程度
で遠征となれば織田と大内くらいであろう。謙信はこの時、特産物の座の交渉な
どしており唯上洛した訳ではない。
0157人間七七四年
2008/01/29(火) 13:55:55ID:iU2klrY9敵味方問わず犠牲を最小限に押さえるのは最上策。
0158人間七七四年
2008/01/29(火) 15:05:42ID:3O0hp3moレスはなに?ここは上杉厨も元就様を賞賛するところだろ!許さん!!
言わせて頂ければ、古今東西関わらず野戦より遥かに攻城戦の方が被害が大き
いです。ただ、指揮官が前面に出ない攻城戦は指揮官の死亡率が低いって言う
だけ。更に言えば、謙信公の攻城戦は敵の殲滅より「交渉」によってもたらさ
れた勝利と言う名の撤退が多いように感じる。わたしも詳しく調べた訳では無
いので飽く迄もざっと見た印象ではあるが、陥落させても又同じ領主と同じ城
で戦争を繰り広げている。
他の覇道系の大名、織田、武田、毛利、島津、伊達などの攻城と一緒に述べら
れるのもではないと思う。
0159人間七七四年
2008/01/29(火) 16:38:44ID:BC5SUwh3まず「謙信は用兵が巧みだから」なんて根拠ゼロの仮定から妄想を始めるのが痛すぎ
「謙信には大した戦果がない」→「用兵が巧みじゃないから」となるのが自然
野戦(有田中井出・厳島)攻城戦(第二次月山富田城)篭城戦(吉田郡山)
全てにおいて輝かしい戦績を誇る元就と戦術能力を競うなんて無謀もいいとこ
上のレスでも書かれてるけど謙信の真髄とは経済力だよ
「謙信は戦で最強!」なんて抜かしてるのは史実の謙信が好きなんじゃなく
ゲームや漫画の「うえすぎ・けんしん」が好きな厨房
雪深い越後の地で特産品などを開発して莫大な富を築いた謙信の凄さを分かれ!と言いたい
ちなみに「元就と謙信が入れ替わって生まれたら」というIF妄想についてだが
二人とも不遇な生涯を送るとは思えないな
共に兄(兄の息子)からの権力移行も潤滑に行えてるし、色々問題多い家臣団をなんとかまとめていたという共通点もある
まず元就だが、越後に攻めてくる敵が武田信玄程度なら負けんだろうし(織田が来ると微妙
神保氏などを相手に領土拡大も問題なく行えるだろう
ただし、関東出兵などの遠征を支える経済力は養えなかったと思われる
よって、結局は北陸地方の過半を制する程度に落ち着くのではあるまいか
逆に謙信は有田合戦に勝つのは不可能だろう(というより勝てるのは元就と信長くらい)
しかし権威を重んじる謙信の性格を考えれば、安芸守護である武田元繁に臣従する道を選んだとしても
功臣として活躍するのではあるまいか。なんせ中国地方は畿内に次いで発展しており(現存する城の構造などで明らか
海に囲まれて交易が盛んな地方。越後以上に謙信の経済手腕を発揮できるだろう
大勢力の頂点に立てるか?と問われれば疑問が残るが
一豪族の毛利家を、格段に権威が上の有力家臣(武田なり大内なり)に成長させる事は可能だろう
ようするに「どっちも成功するけど、やはり本来の栄華に比べれば微妙になる」が俺の妄想
0160人間七七四年
2008/01/29(火) 16:54:02ID:BC5SUwh3「酒の飲みすぎは身体に毒だぞ」って元就が謙信を嗜める手紙が残ってそう
そんで謙信が史実より長生きする
0161人間七七四年
2008/01/29(火) 22:30:39ID:QRnhv9al0162人間七七四年
2008/01/29(火) 23:06:48ID:iU2klrY9月山富田、吉田郡山。その攻城戦で謙信連勝。
厳島は陶がぽっと出。
0163人間七七四年
2008/01/30(水) 02:06:14ID:0JWqLC8yあれが他の大名なら敗戦撤退扱いばかりだぜ?
まともに城代置けて占領できた戦いを振り返ってから言った方が良いんじゃねえ?
結果的に謙信の時代に上杉家並びに勢力圏の領地を悉く取られて「勝った、勝った」
って根拠も無く言ってるだけじゃん。
0164人間七七四年
2008/01/30(水) 02:13:03ID:0JWqLC8yttp://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/uesugi-n/sugi906.htm
これでも見てみろよ。まともに勝って占拠できた戦いなんて殆んど無いのが解るから。
0165人間七七四年
2008/01/30(水) 10:33:23ID:7Cx05DZlしかも謙信の戦については具体的に語らずに、信長とか元就とか他大名の戦にケチつけるだけ
ホントは史実の謙信なんかどーでもよくて
ゲームや漫画で戦最強扱いされてる謙信の虚像が好きなだけなんだろな
謙信の女性説でも仲間内で熱く語って、専用スレから出てこなきゃいいのに
0166人間七七四年
2008/01/30(水) 10:39:31ID:TRyvrqBUゲームや漫画はその反映に過ぎないだろう
0167人間七七四年
2008/01/30(水) 10:48:00ID:7Cx05DZlま、本当に上杉謙信好きな人には気分悪いレスしてスマソ
つーか俺も謙信好きだから腹立つんだけどね
真田幸村好きだ〜美形で格好良い〜とか言ってるの見ると変な感じじゃない
実際はヨボヨボの爺様で、死に際のバンザイアタック以外には活躍が皆無なんだぜって突っ込みたくなる
そして、そんな人間臭い最後に一花咲かせた戦争爺な真田信繁が好きなのに
ゲームや漫画しか知らずに美化されまくった真田幸村を史実と勘違いしてる奴がいたら…
このスレの謙信厨の言動を目にしていると、大体そんな感じの気分になる
0168人間七七四年
2008/01/30(水) 11:11:41ID:TRyvrqBU>>163のような意見も元就・信玄・信長とかならいいかもしれんが
謙信は崩壊した権威の元で関東管領業務なんぞやっとるからなw
0169人間七七四年
2008/01/30(水) 14:10:59ID:xv1drMQCこそ氏康無敗説を唱えている。
「謙信厨」という言葉はゲームヲタらしき人たちが来てから、あるアンチ
のグループが半年くらい前から言い出した。
以前のアンチは「上杉厨」と呼んでたものだが。
0170人間七七四年
2008/01/30(水) 14:30:05ID:0JWqLC8y謙信最強伝説は戦国期〜江戸時代の歴史的背景も知らないと中々理解出来ないと
は思う。ただ謙信の生涯は実質40万石程度の地盤ではあったが、その活躍ぶりは
100万石クラスの大名と比較しても光っているのは確か。
また後継者問題は御座なりに成ったが、御陰で景勝・直江と言う優れた指導者を
排出した。超名門の上杉の家名を名門のまま後世に残せた偉業は他の名門大名の
家名が、悉く現代の記憶から消え去った現在を鑑みても異常な事である事が理解
できる。
しかし、戦国最強かと聞かれれば私はそれは無いと答えるしかない。やはり織田
が戦国最強であり、戦歴を見れば島津の戦歴の凄さや毛利の軍事力の凄さは他の
追随を許さない。特に個人では元就の戦歴や生涯は最強に相応しいものだと思っ
ている。
0171人間七七四年
2008/01/30(水) 15:08:26ID:Yailax2J0172人間七七四年
2008/01/30(水) 15:59:18ID:kpkmdqqG最強厨は暇をもてあましているみたいだから、これでもスレ1から見ていろ。
↓
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1182909668/17
毛利と上杉は信長に対して同盟関係にあったことでもあり比較する意味なし。
0173人間七七四年
2008/01/30(水) 18:29:37ID:0JWqLC8y0174人間七七四年
2008/01/30(水) 19:08:07ID:c08j9R64ID:0JWqLC8y=ストーカー男www
0175人間七七四年
2008/01/30(水) 20:45:36ID:65wBq11Q関東出兵は確かに何の成果もないし戦略的に失敗だったと思うが、
北九州は失敗か?
0176人間七七四年
2008/01/30(水) 22:37:44ID:jhecDSji数々の戦術的勝利を村上水軍への諜略や幕府との外交で覆されたんだから。
0177人間七七四年
2008/01/30(水) 23:21:09ID:mKMTD+S70178人間七七四年
2008/01/30(水) 23:29:49ID:mKMTD+S70179人間七七四年
2008/01/31(木) 00:39:24ID:05Q3eNOx長生きしたということは、それだけ永い期間に及んで成功してきた、
失敗をあまり犯さなかったということであり、その点はむしろ高く評価すべきだ。
中には若い頃は立派な人物だったのに、晩節を汚して評価を下げる者も少なくないのだから。
0180人間七七四年
2008/01/31(木) 00:51:20ID:bja1o2rT/": : : : : : : : \
/-─-,,,_: : : : : : : : :\
/ '''-,,,: : : : : : : :i
/、 /: : : : : : : : i ________
r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i /
L_, , 、 \: : : : : : : : :i / ID:0JWqLC8y, ID:65wBq11Q
/●) (●> |: :__,=-、: / < ID:mKMTD+S7等は仲間だ。いつも同じことを
l イ '- |:/ tbノノ \ 書いている。飽きたよ。
l ,`-=-'\ `l ι';/ \
ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ=-' / /
____ヽ::::... / ::::|
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0181人間七七四年
2008/01/31(木) 01:21:12ID:nlhazKH3武田元繁と・陶隆房・尼子義久
がアホなだけだろ。
毛利厨のイタイところはこいつらが自爆しただけなのを
元就の武略だと言い張るトコwww
0182人間七七四年
2008/01/31(木) 01:34:43ID:yRSkQ1E0取れなかった上杉と違って毛利は上記以外にも沢山の大将首を取っています
がなにか?^^
0183人間七七四年
2008/01/31(木) 01:45:35ID:c3uLPhFW. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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0184人間七七四年
2008/01/31(木) 01:57:00ID:c3uLPhFW. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
0185人間七七四年
2008/01/31(木) 02:16:49ID:zp3Pxv3l>各下さえ倒せず
それはないわw
0189人間七七四年
2008/01/31(木) 03:06:00ID:zp3Pxv3l元就ファンに謙信タソ褒められたかっただけ ノシ
0190人間七七四年
2008/01/31(木) 03:21:52ID:nlhazKH3元就の場合は小早川家に養子出したくらいの事しかしてねーもんな。
長生きしてたらみんなが勝手に衰退しただけ。
0191人間七七四年
2008/01/31(木) 05:34:06ID:+oYRp+ofその三人は大した実績もねーザコ。
武田信玄・北条氏康・一向衆・揚北衆・守護上杉派・上田長尾に比べたら楽勝だろ。
0192人間七七四年
2008/01/31(木) 05:43:26ID:+oYRp+ofそしたら大内も尼子も権力闘争で自壊をはじめて急速に衰退。
棚からボタモチの一生だっただけ。
0193人間七七四年
2008/01/31(木) 07:10:43ID:L2bIHn3v元就が和睦を一方的に破って石見に攻め込み壊滅状態に陥らせた。
おかげで尼子残党という負の遺産を輝元に受け継がせるはめに。
0194人間七七四年
2008/01/31(木) 07:20:50ID:b+JyY47K同じ事ばっかり書いてないでたまには変化つけろカス
0195人間七七四年
2008/01/31(木) 07:41:17ID:17UA1jt/何とか正面からぶつかりたい謙信、飄々と切り崩す元就
戦以外のとこで決着つきそう
0196人間七七四年
2008/01/31(木) 08:23:50ID:eVXxcbjmちなみに、武田元繁は雑魚じゃねぇよ。ただ、ちょっと本人が頭が弱かったから、運悪く討ち取られただけ。運良く討ち取った毛利も、即座に切り返して射殺す采配を見ると運だけではないよね。(85%運だが)
0197人間七七四年
2008/01/31(木) 11:18:26ID:fn2+YnMl0198人間七七四年
2008/01/31(木) 13:05:50ID:+oYRp+of毛利は疲弊しさらに寿命で元就が先に死ぬ→毛利滅亡だったのは間違ない。
0200人間七七四年
2008/01/31(木) 13:30:08ID:yRSkQ1E0その発想自体違うって、謙信の基本戦略は決戦回避の調整型だよ。
元就は決戦重視の謀略型だからやり合ったら…
というかこれってば謙信VS信玄でもう大体やったて感じ^^
0201人間七七四年
2008/01/31(木) 13:36:48ID:b+JyY47K浦上や毛利と戦いながら領土を何気に取ったり守ったり新宮党無くても全然上手くやってる。
しかも有力な親戚衆を抹殺したことにより跡目争いの芽をつんだ。
そういう意味では毛利の新宮党謀殺は過大な評価かな。そもそも本当に毛利の謀略かも定かじゃないけど。
斎藤義龍同様早死にさえなければね…。
0202人間七七四年
2008/01/31(木) 14:14:21ID:OuuyhO63. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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0203人間七七四年
2008/01/31(木) 19:00:19ID:nc/W6LNFまあ上杉謙信なんてメジャー武将、知識がなくてもファンになれるからな
言っちゃ悪いが毛利元就なんて、ある自分で調べて知識がある奴じゃないとファンになれん
0205人間七七四年
2008/01/31(木) 19:56:14ID:L2bIHn3v毛利は長州に減封されるまで国人一揆に過ぎないし、謙信は信玄、氏康に良いように勢力圏を削られるような領国経営ど下手糞。
双方とも周辺大名にちょっかい出して包囲網作られるアホっぷり。
まあ、政宗厨よりはマシかもなww
0206人間七七四年
2008/01/31(木) 20:03:50ID:pcval7ro越後に限ってはかなり評価出来る筈。
0207人間七七四年
2008/01/31(木) 20:22:13ID:L2bIHn3vそれに、北条(一回目)?大熊?本庄?
信長並に裏切られてんな。
0208人間七七四年
2008/01/31(木) 22:33:10ID:Ppv7QZOV信玄でさえ板垣を制御出来ず、勝沼、飯富、穴山に裏切られた
0209人間七七四年
2008/01/31(木) 22:47:56ID:Ppv7QZOV川中島でも二次と三次の間、大雪が信越国境を塞ぎ、謙信は四月半ばまで出兵できない
逆に信玄は一月〜四月まで攻城、調略し放題
これが決定的になった
謙信は関東方面も「北国第一の険」三國峠&「坂東太郎」利根川に塞がれてるから、さらに厄介
謙信が上田長尾を屈服させ、中越と上越を不完全ながら纏めた頃、
信玄は北信濃、氏康は上州北部に手をかけてる状態だし
元就と謙信を比較するにしても、
互いの立地条件や領土拡大の進捗次第で大きく変わってくる
0210人間七七四年
2008/02/01(金) 09:28:17ID:kKhyWIxh謙信がスキーを開発したら無敵。それで利根川も渡河できたら神。
0211人間七七四年
2008/02/01(金) 15:51:15ID:kKhyWIxhそして草津温泉や水上温泉でゆっくりした後に利根川上流から群馬県を縦断しなさい。
厳しさがよく理解できるから!
0212人間七七四年
2008/02/01(金) 16:23:55ID:suPpzYW5大熊は裏切りというより
派閥争いで追い出されたって感じだな。
実際謙信は土地争いについて、
大熊寄りの裁定を下してる。
本庄は家臣というより盟友に近い。
戦略で謙信を離れ武田についたようなもの。
0213人間七七四年
2008/02/01(金) 16:35:34ID:rJW/5Iy5政治の方が活躍してる気がする
0214人間七七四年
2008/02/01(金) 17:08:26ID:suPpzYW5本当は政治手腕を持った家臣が多かったのかも。
0215人間七七四年
2008/02/01(金) 17:40:58ID:EDfGqmOb0217人間七七四年
2008/02/01(金) 18:51:03ID:EDfGqmOb信玄逝去隠匿をたった二週間でスッパ抜いている。
0218人間七七四年
2008/02/01(金) 18:53:21ID:suPpzYW5スッパ抜く→ノキザル抜くw
0220人間七七四年
2008/02/01(金) 23:07:38ID:DQ4UPEBXありえん。
0221人間七七四年
2008/02/02(土) 00:24:11ID:VuQNYjUV0222人間七七四年
2008/02/03(日) 02:00:51ID:QY63nosCスレトメンナヤ
0223人間七七四年
2008/02/03(日) 20:47:23ID:/esu4aFe0224人間七七四年
2008/02/03(日) 21:15:37ID:jLO+elLC0225人間七七四年
2008/02/03(日) 21:20:58ID:GSEKGAuR0226人間七七四年
2008/02/03(日) 21:29:26ID:wpSeG5Ic送り込んで乗っ取りそうな気がするな。
0227人間七七四年
2008/02/03(日) 21:49:05ID:bj5HtZUe謙信の評価が飛躍的に高まったのは江戸期
0228人間七七四年
2008/02/03(日) 22:02:29ID:V7PPJehX0230人間七七四年
2008/02/04(月) 01:37:08ID:+vnTgP7z0231人間七七四年
2008/02/04(月) 11:20:53ID:vfKFISNU毛利で名のある家臣なんていない
0232人間七七四年
2008/02/04(月) 12:16:52ID:DYe1zwKC用意してあるんだから。
0233人間七七四年
2008/02/04(月) 12:29:17ID:9eL9sDf7実際は有能な家臣がいっぱいいるけど大内残党なんかがいるからどうしても過小評価されてしまう。
そして子沢山、一族がぞろぞろいるんで一族がメインに戦いを展開するから中々家臣に注目がいかない。
どの方面でも必ず兄弟が総大将だし前線指揮とってるから家臣を評価するのも中々難しい。
0234人間七七四年
2008/02/04(月) 12:47:16ID:vfKFISNU攻められて滅亡寸前になんてならないでしょ。
優秀な家臣がいたらもう少し抵抗できたはず
0235人間七七四年
2008/02/04(月) 13:18:25ID:MdVstOpI北条も緩い集合体だから血縁者を戦場に派遣するのが精一杯で全軍をあげて決戦できないね。
0237人間七七四年
2008/02/04(月) 14:34:52ID:vfKFISNU0238人間七七四年
2008/02/04(月) 14:49:11ID:5ToWyoDi@長尾景信
A長尾政景
B山本寺定長
C直江景綱
D本庄実乃
E柿崎景家
F斎藤朝信
G安田景元
H北条高広
I宇佐美定満
J中条藤資
K安田長秀
L色部勝長
M本庄繁長
N新発田綱貞
永禄三年頃の毛利家の主な家臣
@吉川元春
A小早川隆景
B口羽通良
C福原貞俊
D宍戸隆家
E熊谷信直
F桂元澄
G市川経好
H平賀広相
I天野隆重
J杉原盛重
K乃美宗勝
L児玉就忠
M桂元忠
N国司元相
家臣はこの辺を参考にして下さい。
0239人間七七四年
2008/02/04(月) 14:59:48ID:MdVstOpI毛利側は寄らば大樹とか強い者に巻かれる的な家臣団だな〜まー毛利自体がそういう体質だからな。
0240人間七七四年
2008/02/04(月) 15:12:05ID:Gxlrk8dq直江景綱・柿崎景家・宇佐美定満・甘粕景持
毛利四人衆
吉川元春・小早川隆景・口羽通良・福原貞俊
どっちの方が強そう?
0241人間七七四年
2008/02/04(月) 15:19:10ID:5ToWyoDi長尾家の場合は守護代が成り上がったケースだから独立心や反発感が大きいかな。
毛利家の場合は大内家と尼子家の抗争の中から自立したケースだから安定を望んだのかも。
0242人間七七四年
2008/02/04(月) 15:31:22ID:vfKFISNU無配なんて大嘘
秀吉にビビッて鳥取城を見殺しにしてるしカスだな
0243人間七七四年
2008/02/04(月) 15:36:37ID:9eL9sDf7秀長無敗って言ってるのと同レベル
鳥取城はむしろ前代の城主に問題があったろ…頼むからもう少しお勉強してから書き込んでくれ
0245人間七七四年
2008/02/04(月) 15:56:07ID:vfKFISNU経家や宗治が可哀想
0246人間七七四年
2008/02/04(月) 16:24:19ID:5ToWyoDiそれを言ったら魚津城の中条景泰ら13名も可哀想でしょう。
上杉好きの245(vfKFISNU)に無かったことにされてさぞかし無念でしょうね。
元就や謙信の話ではありませんが・・・。
0247人間七七四年
2008/02/04(月) 16:39:26ID:MdVstOpI上杉は新発田の内乱もあり反撃余力どころの騒ぎじゃない。
0250人間七七四年
2008/02/04(月) 17:00:34ID:MdVstOpI前線が玉砕したのも春日山も玉砕する意思を持ってたから。
0251人間七七四年
2008/02/04(月) 17:08:34ID:5ToWyoDiおいおい、既に246で言っているがw
>>242・>>245・>>247に指摘しろよ。
しっかり読んでくれたまえ。頼むよ。
0252人間七七四年
2008/02/04(月) 17:14:02ID:mFa8semD佐竹スレから分断行工作員達が移ってきた。
ID:MdVstOpIとID:vfKFISNUとID:5ToWyoDiは仲間である。
0253人間七七四年
2008/02/04(月) 17:15:21ID:crj0nEAQどっちも若い頃はより強大な勢力の狭間で生き残りをはかるしかなく、
人生50年な時代に還暦を間近にして勝負を仕掛けて、最期は覇者として
75歳まで生きてしまう。
亀の甲より年の功ってところか。
0260人間七七四年
2008/02/04(月) 21:27:22ID:pjumHa3g0261人間七七四年
2008/02/06(水) 17:13:29ID:bFXa0mmS長州め。
謙信にもくれ。
0262人間七七四年
2008/02/07(木) 03:11:28ID:0OWZURfU講談のお陰で世間的な知名度は謙信の方が上なんだからいいじゃない。
むしろ俺としては横山御大に「毛利元就」を漫画化して欲しかった。
同じ山岡荘八の「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」繋がりでさ。
0263人間七七四年
2008/02/07(木) 12:40:54ID:OJ3kw1fy同人誌作家とかで本人と見分けがつかないぐらい、
そっくりな横山絵の描ける人が何人かいるらしいから、
そういう人たちに金をつめば描いてくれんじゃないかw
0264人間七七四年
2008/03/08(土) 11:17:25ID:sbavAW4O信長は毛利攻めの援軍へ向かった
上杉は柴田らに任せておけば十分って事だったんだろ
0265人間七七四年
2008/03/09(日) 17:07:04ID:Zdy9yEk70266人間七七四年
2008/03/09(日) 18:14:11ID:ZdQgTE3V0267人間七七四年
2008/03/10(月) 23:22:43ID:vZvjuqP/探偵だっけ?
0268人間七七四年
2008/03/11(火) 03:13:39ID:ikBoySQd0270人間七七四年
2008/03/11(火) 15:14:01ID:linsp1qm頭悪そうだな
0271人間七七四年
2008/03/11(火) 16:42:52ID:9irhcgQF毛利を叩きたいのかしらんがお前の発言が頭悪いのに気付けよw
0272人間七七四年
2008/03/11(火) 17:16:43ID:linsp1qm0273人間七七四年
2008/03/11(火) 17:35:31ID:fYLjf5ly0275人間七七四年
2008/03/11(火) 23:04:10ID:linsp1qm福岡県警行橋署に逮捕されたのは同県苅田町の会社員・毛利勝也容疑者(34)。
今月1日、近くに住む自営業・男性(35)宅に押しかけ「ラジオ体操に出ろ」などと言い男性を殴ったなどとして、傷害などの疑いが持たれている。
0276人間七七四年
2008/03/11(火) 23:18:14ID:linsp1qm今年2月、10代の女性を路上でレイプしようとしたとして、 北海道教育大岩見沢校3年、
毛利直行容疑者(20)=別の強制わいせつ事件 で起訴済み=が30日までに、婦女暴行未遂容疑で再逮捕された。
教職を目指す身ながら、約20件もの婦女暴行未遂や強制わいせつも 自供しており、“性職者”への道を歩んでしまったようだ。
0277人間七七四年
2008/03/11(火) 23:26:29ID:linsp1qm*発寒13の3、会社員、伊藤義康(31)
*手稲区星置3の7、同、山崎秀樹(50)
の3容疑者を児童買春禁止法違反(買春)容疑で逮捕したと発表。
3人は07年10?11月、札幌や石狩市などで、手稲区の少女(16)に現金を渡す約束をして、それぞれいかがわしい行為をした疑い。
毛利容疑者が少女と知り合いで、自分が買春した後に伊藤容疑者に紹介しており、同法違反(周旋)容疑でも逮捕された。
山崎容疑者も紹介を受けたとみて追及する。(札幌手稲署)
0278人間七七四年
2008/03/11(火) 23:32:42ID:linsp1qm京都市伏見区竹田中内畑町、デリバリーヘルス「プチマダム」経営毛利純子容疑者(40)を逮捕した。
調べでは、毛利容疑者は他の女2人=同法違反容疑で同日逮捕=と共謀し昨年5月、
市内の女性(25)が売春で得た金を、女性と店側とで分配する契約をした疑い。
さらに今年2月には、この女性を南区内のホテルに派遣し客となる男性と会わせ、売春をあっせんした疑い。
昨年3月ごろ匿名の通報が南署にあり、捜査していた。
0279人間七七四年
2008/03/12(水) 01:35:15ID:mJPEf8yl0280人間七七四年
2008/03/12(水) 04:53:12ID:bOylWANN0281人間七七四年
2008/03/12(水) 11:31:56ID:240NxG9r可哀想に、現実ではゴミクズ以下なのにせめてネットでくらいは人を不愉快にさせない最低限のモラル程度は守ればいいのに。
0282人間七七四年
2008/03/12(水) 15:41:36ID:ue0QqM5o0283人間七七四年
2008/03/13(木) 21:57:36ID:6E1OoBJD0284人間七七四年
2008/03/14(金) 17:45:55ID:v/MxyI6d毛利元就の肖像画は普通(なんとなくだが一休宗純の肖像画に似てる気がする)
上杉謙信の肖像画は不細工だな(当時は下膨れは福の証だったんだろうが)
信長の子孫のはずの信成、元就の子孫のはずの晃司先生、どちらもイケメンの範疇
以前にトリビアで出てきた謙信の子孫は(ついでに信玄の子孫も)……微妙だな
0285人間七七四年
2008/03/15(土) 19:01:05ID:gNQYLTcCなんかどっちかっつ〜とイケメンぽいから嫌い。もっと戦国武将みたいな厳つい顔希望だ
0286人間七七四年
2008/03/16(日) 00:48:28ID:alzis9Yxまぁ、それでも信長とか元就とかの子孫が活躍してる人達ってのは凄いなぁ、と感心できる
0287人間七七四年
2008/03/23(日) 07:01:12ID:lFZsPg+i0288人間七七四年
2008/03/24(月) 16:01:22ID:q78pc42a東大教授の植えすぎ博士は
いっかいの学者やないやろ
0289人間七七四年
2008/03/24(月) 16:07:52ID:q78pc42a酒ハカセ
0290人間七七四年
2008/03/24(月) 23:53:14ID:oECXlZ7zあんな安っぽい音楽とか格闘技なんて名家の者がやるべきものではない
御里が知れると言うものですよね
0291人間七七四年
2008/03/24(月) 23:59:57ID:odxqeYQDつか謙信って直系の子孫おらんだろ?
0292人間七七四年
2008/03/25(火) 06:31:04ID:jvzTbumq「いろんなカクテル酒を飲ませて、相手を吐かせる名人」
を掛けてる=酒ハカセ
0293人間七七四年
2008/03/25(火) 06:50:32ID:jvzTbumqに関わってる上杉博士
流石やまがた宇宙好きやねん
ビートきよし大先生
のギャグ「うちゅー」
0295人間七七四年
2008/03/25(火) 13:02:21ID:jvzTbumq北九州での
下積み時代の小松政夫先生のギャグ
舟歌「あらよっと」
0296人間七七四年
2008/03/25(火) 13:05:50ID:jvzTbumq0297人間七七四年
2008/03/25(火) 13:46:33ID:Y7Y9DmC70298人間七七四年
2008/03/25(火) 21:15:26ID:Zad0tmXx0299人間七七四年
2008/03/25(火) 21:55:24ID:HyYIXk4s0300人間七七四年
2008/03/25(火) 23:08:45ID:zdeB+Dw10301人間七七四年
2008/03/25(火) 23:37:20ID:Zad0tmXx0302人間七七四年
2008/03/26(水) 05:09:44ID:K9Qs/nAY0303人間七七四年
2008/03/26(水) 11:55:22ID:VLkQHpJj0304人間七七四年
2008/03/26(水) 17:42:28ID:pU6bHACD>尼子画伯
0305人間七七四年
2008/03/30(日) 23:32:15ID:Ten02jYuなんで謙信って戦に関しては最強って言われるの?
無敗なら北条氏康だって吉川元春だって自分が戦った戦は無敗だったと思うんだけど
なんでなのかわかる人いる?
0306人間七七四年
2008/03/31(月) 03:03:13ID:hcdXiSNZ信長のアンチテーゼとして。だと俺は思ってる。
ちょっと昔は信玄が幅を利かせてたんだが騎馬軍団とか無かったし意外とあれだよね、ということで。
0307人間七七四年
2008/03/31(月) 09:42:34ID:kqxhppld野戦に関しての戦績はちょっと異常だぞ(城攻めはそうでもない)
あと戦績に加えて、越後軍の機動力とそれを可能にした兵站も驚異的
越後から「冬の」三国峠を越えて関東出兵
北信で武田軍と対峙していたと思えば関東に展開
相模小田原に北条を包囲したかと思えば北信で武田軍と対峙
下越で揚北衆と揉めていたかと思えば越中で坊主と戦闘 とか
もっとも1560〜80年あたりの毛利軍の機動力と兵站も異常なんだけど元就、
隆元、元春、隆景と4人が主軍を率いる事でそれを可能としていたからね
大名家としては毛利の方がバランスいいんだけど、1人で八面六臂の方が
印象としてはSUGEEE となる
0308人間七七四年
2008/03/31(月) 17:12:06ID:6ikZT5vG元就の野戦の戦績はちょっとどころじゃなく異常じゃん(有田中井出、折敷畑、厳島)
城攻めでの敗退を除いて野戦に限定すれば元就だって無敗だぜ。城攻めも元就と謙信じゃ比べもんにならんけど
謙信に、なんか凄い戦勝あんの?
川中島で武田(ほんのちょっと前に大軍で寡兵の豪族にボロ負けしたレベル)に判定勝ちしたくらいしか思い浮かばん
単純に戦の回数が多くて凄いってのも分かるが、それを可能にしたのは謙信の軍事力というよりは経済力な希ガス
信長のアンチテーゼは納得だね。元就は信長と仲良い部類だったし
家康のアンチテーゼで信玄が過大評価されてるのと相乗効果もある
0310人間七七四年
2008/03/31(月) 21:00:05ID:+qJua9R8惨敗しながらも大敢闘した旧日本軍みたいさに
0311人間七七四年
2008/03/31(月) 22:18:38ID:6ikZT5vG陰徳太平記などは言わずもがな、悪名高き甲陽軍鑑ですら「当代随一の英傑とは毛利元就」と認めてる
要するに西方の毛利マンセーの立場でも東方の武田マンセーの立場でも「一番凄いのは元就」って認識
それに謙信の時代における関東全般は未開の土地と評しても良い
残ってる城の構造がショボい+鉄砲などの兵器に関する技術もショボい
ハッキリ言っちゃえば原始的な地方だった訳。北条などが頑張って発展させてたけど、まだまだ途上の段階
そこに交易で儲かってた越後から大軍で乗り込んできて、あの戦果じゃあ、とてもとても…
元就が活躍した西方とは戦のレベル(城の構造、焙烙火矢、投石器、鉄砲普及率)が違いすぎる
謙信の評価が高まったのは江戸期だよ
関東に文化の中心が移ったからこそ、太田道灌などを中心として
かつて関東で活躍した者達の評価が軒並み高まった
徳川史観で信玄がマンセーされ、オマケで
信玄と団栗の背比べやってた謙信も講談などで持ち上げられたって訳
0312人間七七四年
2008/03/31(月) 22:43:52ID:q9ikHn3k待て。太田道灌は当時から戦上手の忠臣として評価高かったろ
江戸時代にそれが更に底上げされたのは認めるが
上杉謙信の当時の評価はさっぱりってか
むしろけなしてるのが多いよーな
関東じゃ散々だし越前方面でも神保や一揆相手に苦戦してたってくらいしか分からんなぁ
0313人間七七四年
2008/03/31(月) 23:25:48ID:6ikZT5vGそーだったね。そもそも周りに評価されて信望なきゃ、それを危険視されて暗殺されなかったって話か
当時の評価ねぇ…そーいや天正10年に「甲斐と越後の兵の強さは日本一」って書かれた記録あるみたいだけど
あれ持ち出す人って何で「だから信玄と謙信が日本一」とか言い出すんだろ
そん時の当主は勝頼と景勝なのに…もしや信玄と謙信の時代に書かれた記録だったら親父の信虎と為景が最強だって言いだしてたんだろうか
ま、好意的に受け取っても「三河兵は日本一」と同レベルか、普通に捉えりゃ
天正3年に勝頼が信長に長篠で大敗して、天正9年に景勝は柴田に越後侵攻戦で兵数で優ってたのに逆転負けして
あまりに不甲斐ない敵の弱さを皮肉ったか、↑も知らないような輩が天然で書いただけなのか…
武田も上杉も滅亡寸前なんだから文面通り「その土地の兵が一番強いらしいって噂で聞いたよ」だけの意味だよな
0314人間七七四年
2008/04/01(火) 00:11:09ID:jv9fs5EF本気だとしても、戦場にいなかった寺の坊主が噂聞いたって書いといた話
まるっきり島津の「真田日本一の兵」と同じような状況だし
額面どおりに受け取る奴の知能程度も同じくらいだな
「楽天が一番強いチームだって皆が言ってる!」と日記に書いといたけど
実際は連敗記録更新中で最下位みたいなオチw
0315人間七七四年
2008/04/01(火) 09:29:46ID:xX/2pVfhあれって元就はやめたほうがいいって言ったんだっけ?
0316人間七七四年
2008/04/01(火) 14:44:09ID:JBcpu1/z実情に関してだけど、とりあえずこの際の対尼子抗争に関しては元就と晴賢の指揮する軍は連戦連勝だった
そこに大内家の当主たる義隆が堂々と乗り込んできたんだけど
尼子晴久の謀略によって家臣が離反し、大敗を喫した
この時の「俺達は勝ってたのに殿が来たせいで負けた」との晴賢の感情が
後の謀反へと繋がった可能性は無視出来ない
あと渡辺通が元就をかばって死んだ話はマジで泣ける
0317人間七七四年
2008/04/01(火) 15:04:25ID:jv9fs5EF元就が止めたのは侵攻そのものよりも(吉田郡山城攻防戦から一貫して元就は尼子を撃破し続けてる)
そういった国人衆などを疑いもなく受け入れ、軽率に尼子領に深入りし過ぎたのを諌めた、といった方が正しいだろう
対元就・晴賢の吉田郡山城攻防戦で、一万程度の相手に三万近くで大敗した事ばかり注目されがちな尼子晴久だけど
上記のように大内の大軍を撃破した事を含め
元就と元春が別行動してた隙を狙い、毛利軍に大敗を喫させた忍原崩れ(指揮してた相手も有能な宍戸隆家
などを加味すれば、晴久の能力は過小評価され過ぎだな
0318人間七七四年
2008/04/08(火) 02:54:50ID:wtRUfx8l毛利元就は織田信長と同等クラスの統率だぞ
0319人間七七四年
2008/04/08(火) 07:31:35ID:b+0mclMM戦術レベルの比較なら稲生、桶狭間、天王寺。有田、吉田郡山、厳島など
正にそうそうたる戦歴同士の比較になる
謙信って信玄よりは大分マシだけど結局は実像がショボいからつまらない
0320人間七七四年
2008/04/08(火) 09:04:15ID:A291MLyv尼子経久や晴久が死に大内も義興が死に義隆が謀反で死ぬと言う…言わば芦名盛氏が死んだ跡に後継者が早々と死にボロボロになって衰退した末期に必敗武将政宗に滅ぼされたのと同じで弱体化しまくった後に空中分解したので屠れただけ。
九州では毛利に協同して謀反した龍造寺を見殺しにするヘタレぶり。
とても最盛期の大友には勝てません。
四国本格侵攻した場合は宇和郡を中心に大友に負けるだろうし
残念ながら村上水軍は三好寄りになっちゃうだろうねw
たかが元就レベルじゃ九州や四国に本格侵攻した日にゃ大敗しちゃうよ。
長生きして長老的立場になって自然と国人達の盟主的存在になっただけだから。
だから各地の国人を大動員して決戦なんてできるほどの指導力もないよね。
だから九州侵攻は失敗だし四国にもちょっとちょっかい出した程度だし織田軍相手に決戦を避けて傍観するしかないんだよなw
0321人間七七四年
2008/04/08(火) 09:22:09ID:A291MLyv陶が吉凶日を占い戦端を開いたりしてたから簡単に作戦の裏をかけて出し抜いただけじゃんかアホ。軽率かつ浅はかな武田に至っては猪武者の猪突猛進で案の定討ち死にだろ。
関東ではそんなアホでシャーマニズムな迷信で戦闘したり蛮勇を誇って自滅したりしませんがw
簡単な話、越後春日山に次男元就が生まれてれば当主になれなかっただろうし
兄貴が死亡して当主になれたとしても信玄・氏康に従ってビビり続け、
勝頼や氏政のご機嫌を伺い、信長が勝頼を滅ぼした後に本能寺で死亡した後に地域の長老として緩やかな旧武田領併合を狙いつつ氏政早く死ねと願いながら家康に全部取られるだけだな。
0322人間七七四年
2008/04/08(火) 09:42:24ID:wtRUfx8l0323人間七七四年
2008/04/08(火) 10:42:53ID:t5WrqJOY面白そうだね
・・・・で?
何の頂上決めるの?
0325人間七七四年
2008/04/08(火) 12:35:24ID:t5WrqJOYうん!気にしててね
張り切っちゃうp(`∀´)q=3
0328人間七七四年
2008/04/08(火) 13:08:24ID:yGiZK0GZ自力独力で切り開いたと言うより周囲が失点を積み重ね自爆するまでずぅーっと忍耐し続け、たまたま長生きしただけだわな。
0329人間七七四年
2008/04/08(火) 13:26:22ID:dk9OKR3Y元就の方がはるかに格上。
0330人間七七四年
2008/04/08(火) 13:40:17ID:A291MLyv残念ながらそんだけ元就の地位がまわりから羨ましいなーと思われない魅力ない立場だったんだろう。長老として単なる中国地方の調停斡旋者みたいなもんだろ。
長男も心労で早死にしたし。
0331人間七七四年
2008/04/08(火) 14:21:32ID:E3/URB7J緩やかな連合政体。
前統治者の山内・扇谷・大内・尼子は国人達に大動員かけて
戦場に進出させ場合によっては決戦指向で国人の負担が大きい。
毛利や北条って逆に緩やかな連合だから国人などに大動員かけられないから決戦を忌避し、回避できない場合は兄弟親類縁者をやむを得ず出陣させるが傍観してるだけ。
北条のたびたびの小田原籠城もそう。
謙信や信玄や経久や義興なんかは国人を使役して決戦するって性癖で戦国大名たりえるけど
毛利や北条の場合は前代の支配よりも後退してしまってるんだよね。
まぁ北条は謙信や勝頼が死んで義重が奮闘してたが沼尻合戦後より支配体制がかなり強化されてきたけどな。
もし北条の支配力がさらに強化されてたら全軍を動員し
豊臣軍相手に徳川や島津軍のように一戦して勝利し、その後小田原籠城し外交戦で決着をつけて相模安堵くらいはできたかもな。
無論そんな指導力はなかっただろうな。
0332人間七七四年
2008/04/08(火) 14:31:25ID:/HVjwFyU謀略を得意とし、最強の武器は長寿と運。
強国を頼り、徐々に領土を増やしていった。
だがチキンな一面があり、押しに弱い。
故に三ヶ原では脱糞、九州で雪道に撤退された。
0333人間七七四年
2008/04/08(火) 14:51:35ID:wtRUfx8l他のスレにも居たぞそれ
0334人間七七四年
2008/04/08(火) 18:25:10ID:p+HsMTpo武田だって国人集合体なんですが…無論上杉も。
0335人間七七四年
2008/04/08(火) 18:51:02ID:E3/URB7J国人支配力の差って事。
一揆的な同列連合をまとめてるだけで大出血を強いる無理な動員を指示できないか
決戦も視野に入れた大遠征など大動員かけられる大名かって事
0336人間七七四年
2008/04/08(火) 19:52:19ID:A291MLyv0337人間七七四年
2008/04/08(火) 20:45:32ID:wtRUfx8l0338人間七七四年
2008/04/08(火) 20:57:00ID:p+HsMTpo大友を滅ぼすって目標は達してないけど結局大友は失地の完全回復ができてない。
小牧長久手の一戦で家康が勝ったから全体で家康の勝利っていうのに似てるかな。
おまけにこの頃の大友は家臣もフル面子揃って宗麟自身も人生で最も輝いていた時期でもある。
一応宗麟がそれなりに評価されてるのはこの時期があるからでしょ。
そもそも決戦って元就時代に決戦を挑むような相手が居ないし決戦よりも国内安定に力を入れる時期。
決戦を(信長・秀吉)輝元にそれを求めるなら酷な話。
それと関東の田舎戦と中国地方の戦の質は全く違うって知ってるか?
中国地方の城は当時最新の瓦など最新の武器が比較的普及されていた。
関東の城からはそういった武器や装備は全く発掘されないんだわ。
0339人間七七四年
2008/04/08(火) 22:07:55ID:wtRUfx8l0340人間七七四年
2008/04/09(水) 00:30:20ID:rwyH3a+g>大友を滅ぼすって目標は達してないけど結局大友は失地の完全回復ができてない。
よく分からんが信玄も信長も無敗ってこと?
0341人間七七四年
2008/04/09(水) 02:36:21ID:dmmmPRn5大友家の毛利家に対する華麗なる戦績(門司城編)
弘治三年四月(1557)義鎮の実弟大内義長が元就に討たれるも援軍出せず。
同年七月 筑前の秋月・筑紫などが毛利に呼応し離反した為、二万余りの討伐兵で此れを降す。
秋月文種の遺児種実(当時13歳)は家臣に守られ周防へと逃れ毛利の庇護下に入る。
永禄元年六月(1558)宗像が大友から離反し、豊前の長野らも毛利に服属する。元就は小早川を
中心とする二万の毛利軍を関門の要塞門司城の向け此れを占拠し、三千の兵を配置する。
永禄二年正月(1559)種実は元就より精兵三千と援助を受け大友の守る古処山城を攻め此れを
奪還し旧領を回復する。(永禄十年説あり年齢的に十年説を支持する)
同年六月(1559)豊・筑で反大友勢が蜂起する中、大友義鎮は将軍家へ願い出て三国守護を賜る。
同年九月(1559)義鎮は北九州から毛利氏の勢力の一掃を計り西大友と呼ばれる庶流、立花鑑載に
は宗像を攻略させ自身は大挙して門司城を攻め此れを奪還する。当時石見に出兵中であった元就は、
門司城の陥落を知ると急遽嫡子隆元と隆景を派遣し、石見山吹城の包囲をとき撤退を余儀なくされ
る。小早川水軍の提督乃美宗勝らが海上より上陸し、身に数箇所の傷を受ける激戦も敵首級数百の
大勝にて門司城の奪還に成功する。大友の軍勢はなおも城の付近に集結して奪回を計るも、毛利水
軍提督児玉就方、宗勝らに背後から補給路を急襲され撤退する。
0342人間七七四年
2008/04/09(水) 02:36:39ID:dmmmPRn5同年十一月(1559)幕府へ運動し念願の九州探題並びに大内氏家督を手に入れ北九州での地位を確
立させる。
永禄三年一月(1560)大親町天皇即位。献納の功により左衛門督に任官される。
同年三月(1560)大鳥へ逃れていた宗像氏貞が千の兵を持って許斐城を奪回し、白山城に入城す。
同年十二月(1560)尼子晴久病没。嫡子義久家督を継ぐ。
永禄四年六月(1561)毛利方二百余りの兵が守る香春岳城を兵数万を持って攻撃し、一ヶ月に及ぶ
攻防戦ののち此れを陥落させる。
同年八月(1561)門司城奪回に向け大友軍の総攻撃始る。
義鎮は兵一万五千を小倉に進出させ門司城を地上から攻撃させるとともに、ポルトガル船(ナウ型
5〜600トン乗員300名片舷17〜18砲門)数隻より海上から砲弾させ命中した砲弾により門司城は鮮血
で染まった。元就は再び隆元・隆景に門司城の援護を命じ派遣した。
この度も隆元は防府にて本陣を置き、隆景が先陣となって門司城救援へ向かったが、対岸の下関から
見える浦一帯は雲霞の如き大友の大軍がひしめいていた。隆景は決死隊を募り見事八百の兵を落城寸
前であった門司城へ入城させる。隆景は更に児玉に命じて豊筑沿岸も襲撃させ大友軍の背後を攪乱さ
せるも、十月二日には大友軍も豊前沼に屯営していた毛利軍を襲撃し城地の奪還に乗り出し、村上・
児玉両水軍が更に背後から大友軍へ攻撃を仕掛け後方遮断にでるも、大友は堅陣を構え益々増強して
いった。
十月十日遂に大友軍は門司城へ向け総攻撃を開始した。門司城に入城していた隆景も城外に出て奮戦。
宗勝、就方らも大友軍の背後から上陸し壮絶な戦いが始った。宗勝は敵将伊美弾正と一騎討ちを演じ
負傷するも見事討ち取る。この戦いで大友軍は竹田津則康、吉弘統清、一万田源介、宗像重正、大庭
作介らの諸将が討ち死にした。十月二十六日 大友軍は大軍を持って最後の決戦に望むも、押し切れず
大里まで撤退する。十一月五日には夜陰に乗じ総撤退を開始するも、撤退を見抜いた隆景により先回
りされ、待ち伏せにより大打撃を被る。
永禄五年正月(1562)大友義鎮、将軍足利義輝に黄金五十両を送る。
同年三月(1562)大友方の志賀常陸介が、香春城の城督に任ぜられている。
同年五月(1562)大友義鎮は剃髪する。
同年八月(1562)松山城を毛利が奪還する。将軍家より仲裁が入るも元就拒否。
同年九月(1562)一日大友方が苅田表に夜討ちを企てたが撃退される。十三日にも同じく大友勢が松山
城を攻撃するが、これもまた撃退される。十九日にも懲りずに松山城を攻めるが撃退され、逆に番春城
を毛利に奪還される。
同年十月(1562)十三日大友氏は門司表の毛利軍を攻めるが、敗れて撤退する。
永禄六年正月(1563)二十七日戸次鑑連が松山城を攻撃したが天野隆重により撃退される。
永禄六年三月(1563)大友宗麟娘を隆元に差し出し和議が成立し大友完全勝利で幕を閉じる!!
0343人間七七四年
2008/04/09(水) 05:14:27ID:asJqA2Qf謙信玄厨なら、この皮肉なオチを理解せずに相変わらず毛利が負けたとか抜かしそうw
つか雪道(道雪の事なんだろうが)が毛利軍を撤退させたとか言ってるあたり
立花家の文書にしか記されてない多々良浜合戦の勝利とか信じてんの?
惨敗したはずの両川は、そのまますぐに本領にて尼子残党の鎮圧に成功し
圧勝したはずの立花は、その後も一つも城を取り返せなかったのに
連戦連勝だった毛利を九州から撤退させた最大の要因は、尼子残党を支援した信長の策略だしょ
大友が善戦+外交戦略優秀だったのは異存ないけどね
なんか宗麟の晩年のトチ狂いっぷりが長慶や信玄と似てて憎めなくて、九州勢で一番好きな大名家
0344人間七七四年
2008/04/09(水) 06:41:55ID:wlODw7q4局地的勝利を毛利は全く活かせなかった、と。
0345人間七七四年
2008/04/09(水) 07:51:05ID:6DyTu8Es0346人間七七四年
2008/04/09(水) 08:03:11ID:g6y9QaTdそんなんに介入せずにさっさと大友と同盟して背後を固めて東進した方が将来の信長との戦いの為にも良かった。
明らかに敗北だろ。
0347人間七七四年
2008/04/09(水) 10:34:18ID:asJqA2Qf大友の戦略目標って領土奪われてもいいから、とにかく講和する事?
毛利は侵略戦争に成功しても、相手が滅びなかったら負けなの?
あからさまに大友が領土奪われた(門司一帯)不利な条件での講和なのに、なんで大友の勝ちになるのか分からん
対尼子・大内で毛利が完全勝利収めたからって毛利に条件厳しすぎ
尼子残党に対処するのみならず、その背後に信長の支援があったんだから
毛利としちゃ大友の相手してる場合じゃなかった。だから奪い取った領土の大半を返してまで
(そんな弱みを抱えていても門司は譲らないほど毛利優勢の戦況だった)大友と講和して東の脅威に備えた
もっとも、信長が本格的な衝突を避けて尼子残党と手を切ったから
(これを後に秀吉が尼子残党には不義理な事したとか言ってるが、人気取りっぽいな。信長の判断が正しいだろう)
織田と毛利が本格的に争うのは元就死後の話になるんだけどね
>>345
強いね。地味っつーか毛利家は両川をはじめとして元就の一族が優秀すぎて
血縁以外は譜代の臣でも霞んじゃうとこがある
その辺、一族は後継の信忠くらいしか目立たなくて、その他家臣団がメッチャ優秀だった織田とはタイプ違う
上杉っつーか長尾も一族には長尾政景とか優秀なのいたんだけどね
0348人間七七四年
2008/04/09(水) 10:59:58ID:g0mSjnvM信長の戦略手腕と見るか宗麟の戦略手腕と見るかで意見別れそう
俺は宗麟が画策した仲裁工作は元就に跳ね退けられ
信長の尼子残党工作が成功したんだから信長の手柄と見るが
そういや上杉スキーな人って長尾政景についてはどう思ってるの?
0349人間七七四年
2008/04/09(水) 14:20:32ID:JGLepYOsしかも毛利の場合は最初から大内、尼子という二大国に挟まれていたのだから
それに上杉謙信が戦国最強といわれるのも徳川が武田に負けたからだろ
0350人間七七四年
2008/04/09(水) 15:33:48ID:sPQ57weJ武田・北条が南方から信濃・上野を北上し
西は信長も手を焼いた戦国一やっかいな一向宗に祖父は殺されるし
越後国内は守護上杉や反抗的な揚北衆らと戦い府内長尾は破産状態で隠居に追い込まれる。葬式では小僧謙信も甲冑姿でのち出家。
おまけに兄は上杉の傀儡として擁立される。東では葦名が揚北衆を支援。
四面楚歌の中で最前線の中越に派遣される少年謙信。背後の柏崎は上杉系に握られている始末。
同族上田長尾も敵対勢力で府内長尾の地位を奪おうと虎視眈々。
こんな状況でもプライド高い越後衆は守護代長尾氏が北条や武田に
降服するようなら簡単に見限り、その弱さを突いて攻め滅ぼされるのは必定で尼子や大内に服属する元就のような選択肢は100%ない厳しさ。
0351人間七七四年
2008/04/09(水) 16:55:07ID:sPQ57weJだいたいこいつらただの無能揃いだろ。
ちなみに折敷畑合戦はなかった
ttp://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-thebattleofoshikibata.htm
0352人間七七四年
2008/04/09(水) 17:00:50ID:dmmmPRn5お前その文章タイトルしか読んでないだろ
0353人間七七四年
2008/04/09(水) 17:08:05ID:sPQ57weJ折敷畑合戦みたいなもんじゃなくてショボイ戦いだったってこと。
0354人間七七四年
2008/04/09(水) 18:21:20ID:g6y9QaTd謙信存命時は武田も北条も全盛期。
九州方面では大友の外交戦略的勝利だろ。もともと筑前や肥前の国人は背反激しい信頼におけない者達。
彼らをけしかけておきながら結局は見捨てたも同然で、その地域での毛利支持者はほぼいなくなった。
0355人間七七四年
2008/04/09(水) 18:43:31ID:g6y9QaTd実際、外交政戦略面で言えば元就は最後まで宗麟に負けっぱなし。
その為に元就の大河では九州戦線は完全に黙殺されているくらい黒歴史。
四国でも大した戦果をあげてない。
0356人間七七四年
2008/04/09(水) 18:55:41ID:4gA6Mwk1春日山や躑躅館の民草は安全圏でいつも国外決戦志向の抜群の指揮能力でガチ対決…そしてお互い譲らず互角の方が力強い大将だわな。
まぁー武田も北条も失点らしい失点も無かったし後継もうまくいったから尼子や大内と違い切り崩すのは難しかったろうね。
0357人間七七四年
2008/04/09(水) 19:22:22ID:g6y9QaTd謙信や信玄、信長の死去時の年齢と同じ年齢までで比べたら元就はかなりショボイ。
0358人間七七四年
2008/04/09(水) 20:24:54ID:JGLepYOsそもそも上杉が倒せなかった武田や北条が凄いという解釈だからいけない
例えばもし上杉謙信が川中島で大勝してたとしたら武田信玄なんて
たいしたことないとか言われてるだろ?
それと同じ尼子や陶は敗れたからたいしたことないように言われるだけで
そんなの結果論でしかない
0359人間七七四年
2008/04/09(水) 20:44:55ID:HPTptnej元就も無論酒は毒といい放ち酒を遠ざけた。
健康管理は名将への第一歩なんだわ。生きる知恵袋になれるしそれが領土拡大に繋がる。
まぁ謙信が早死にしたとは思わんがね。49歳だし。運が悪かったすね。
今で言われる脳卒中で死んだなら酒飲みが悪かったな。昔こうかいたら
冬国で避け飲むななんて酷
とか
塩分が体に毒とは解ってなかった
とか反論されたな
0360人間七七四年
2008/04/09(水) 23:39:47ID:g6y9QaTdはぁ?そもそも元就を過大評価する為に武田や陶を無駄に持ち上げてんだろ。
彼らの経歴なんて信玄や氏康や一向衆の武略に比べたら大した事ないからw
彼らが政戦略で素晴らしい事をしたならぜひ教えてくれ。
>>359
唯一健康に気を使って長生きしたから信長や秀吉や家康は天下を手にできたのか?
違うだろ才能だろ。
長生きした事を利点にして論ずるのは天下人を愚弄する事だ。
信長は49歳で王手をかけたし秀吉や家康も元就の寿命よりも早く天下に王手をかけた。
しかし元就はセックルして小作りしながら彼らより長く生きていながら尼子や大内の衰退まで待ち続けて自然と中国の長老の位置に座っただけだろ。
0361人間七七四年
2008/04/10(木) 00:00:16ID:o16MOi3l今回のキーワードは長老ですwww
0362人間七七四年
2008/04/10(木) 00:15:24ID:uk/MDhwLでも彼らより長生きしたのに残念ながらたかが中国地方だけでさえ磐石な地位も築けなかったね。
0363人間七七四年
2008/04/10(木) 00:30:33ID:h3k3i4Tb簡単な話、必敗将軍政宗が幼少の二本松畠山氏や三代続けて早世した葦名など経験不足の年少者で統率力ないために自壊衰退した者どもを経験豊富な年長者がハイエナのように滅亡させたようなもんだわな。
0364人間七七四年
2008/04/10(木) 03:06:20ID:pJi34EvL好きな武将持ち上げるためにいちいち他の武将馬鹿にするのやめたほうがいい
0365人間七七四年
2008/04/10(木) 05:12:52ID:HR7HRVRe0366人間七七四年
2008/04/10(木) 08:14:26ID:o16MOi3l勝頼から領土奪ったの?
氏政から領土奪ったの?
0367人間七七四年
2008/04/10(木) 09:22:35ID:dAEz0Xy/そうかなあ、メガトンさんは司法試験に合格して
戦国板へはもう来ないと思ったが。メガトンさんだとしても
まだ本気を出してない。
0368人間七七四年
2008/04/10(木) 10:04:21ID:Gopkjegw元就の強欲と違って領土侵略野心なぞありませんがなにか
義のために戦いますがなにか
0369人間七七四年
2008/04/10(木) 10:29:13ID:uk/MDhwLだが名主から求心力がない孫の代くらいになると長きに渡る遠征などで疲弊しきった国人達も同じように従ってはいられない→もう親方さまには従ってられん!大内や尼子の自壊瓦解の始まり。
国人に対して長生きした長老が人気取りして関心を買う→大動員かけて決戦したり国人から搾取しない。緩やかな国人連合で会議の議長が長老格元就(国人にとって毛利の支援が貰えるが自分達はそれほど奉仕しなくてよい都合が良い存在で無害だから選ばれた人選)。
山内上杉と扇谷上杉と長尾景春や長尾能景親子や古河公方が武蔵野で長期に渡り争い続けて人心が離れ自壊していった背後から漁夫の利を得て拡大した北条早雲と元就は似ている。
0370人間七七四年
2008/04/10(木) 10:55:34ID:h3k3i4Tbさらに一向宗のウザさは信長も怒ってたからな。
尼子経久や大内義興あたり大動員かけての決戦志向が強いから信玄や謙信のような英雄型武将だね。
元就や氏康はピンチになったら忍耐籠城型
そしてひたすら相手の失策や自壊を待つ。
たしかに北条早雲もやたら長生きしてるね。
毛利や北条は国人の合議での意志統一が難しくて大出血も嫌がる。だから国人大動員かけての決戦できない。
せめて敵前まで無理やり引きずってきても備中高松城のように傍観して事態の変化待ち。
謙信や信玄や義興や経久は合議したとしても当主の意向を汲み国人から一目おかれ指導的立場を確立させていったので遠征も可能になった戦国大名だった。
もしかしたら当初は早雲や元就を長老として祭り上げていた国人達も死んでいき孫達はいつのまにか家臣化されていったって感じの長生き長期政権だったんだろうね。
まー意見調整し国人に気を使いまくる議長みたいな地位だから毛利や北条当主の座を狙うやつもいなかっただろうしね。
こんな感じなのかもね。
0371人間七七四年
2008/04/10(木) 11:22:47ID:HR7HRVRe0372人間七七四年
2008/04/10(木) 12:01:34ID:3znoe3eHなんせ父の失政で経済崩壊し守護上杉の傀儡として兄よりもさらに幼い謙信を擁立して意のままに操ろうと策してたからな。
謙信の発給文書自体がのちに守護からも同意の文書がでると思います。とか最終認可権が存在してるくらい。
0373人間七七四年
2008/04/10(木) 12:24:30ID:3znoe3eH惣構えの小田原城とは違う意味でかなり堅牢な山城の根拠地をもつていただろう。
なんせ月山富山城からして197m程度で難攻不落だからな。
七尾城も力攻めで落ちず堅牢とうたわれたが300m。
天下人信長の威信をかけた安土城が198m。ちなみに春日山城180m。
0375人間七七四年
2008/04/10(木) 12:46:00ID:uk/MDhwL尾張美濃や南近江や山城などを押えて信長が全力での攻城でもなかなか落ちなかった浅井氏の小谷城が390b。
いざとなれば籠城で何とでもなったのが郡山城で元就は絶対的安全が保証されていた根拠地に籠ってた。
尼子に包囲されてても実際はかなり余裕だったろう。
0376人間七七四年
2008/04/10(木) 12:48:09ID:Q7ElfB9Oどっちも有名な諺っぽいの残してるね。
「敵に塩を送る」「三本の矢」
北条早雲(伊勢宗瑞)って最近では
実はそんなに長生きしてなかった
って説が有力だったと思うけど…
0377人間七七四年
2008/04/10(木) 12:52:48ID:HR7HRVReあんまり詳しくありませんが
元就も次男という身から始まり兄の死後弟の相合氏との抗争もあったり
井上氏の専横があったりと結構キツイ部分があったと思うのですが・・・。
>>373
城もあまり詳しくありませんが
郡山城を持ってたとしても大内氏、尼子氏との国力差があり
難攻不落の城を持ってようがそれを実用的に使える程の国力があったとは思えないし
単純な国力の差で言うと元就の方が武が悪いと個人的には思います。
それでもやはり謙信のが不利なんですかね? ><
言葉足らずで知識不足ですみません><
0378人間七七四年
2008/04/10(木) 12:59:25ID:3znoe3eH信玄が敗れた砥石城もランキングされてるな。いかにキツイ戦いかがわかる。
ttp://utsu02.fc2web.com/tozanranking1.html
0380人間七七四年
2008/04/10(木) 13:14:55ID:uk/MDhwL元就の悪事を正当化するために汚名を井上に着せただけだわあれ。
長男死んだら次男が継ぐのが当たり前だし代々執権職をつとめる志道家が元就を支持してんだから家督に関しては尼子に弟が支援されてようが元就の地位はまったく微動だにしない。
弟も元就に殺され悪く書かれている可能性が高い。
0382人間七七四年
2008/04/10(木) 13:25:04ID:uk/MDhwL前々からずっと北関東諸将が助けて〜って嘆願してたから。
憲政を補佐しつつ南下した謙信は野心ある長野氏の山内上杉領横領地区(利根川以東)を取り上げて関東管領として長野氏を許し騎下に従えた以外は一寸の土地も奪ってない。
また管領に忠勤した由良氏に対しては恩賞として伊勢崎地域や館林領を与えたが自らは一寸の土地も横領してない。
0384人間七七四年
2008/04/10(木) 13:36:01ID:uk/MDhwL佐竹らがアホだから見限って将軍救援の為に上洛への道に路線変更したから。
越中に関しては父の代から越中半国守護代だったし、一向衆とも和睦して将軍を助ける為の道を切り開いただけ。
案の定、佐竹らはまたまた救援依頼してきたから人が良い謙信は助けに行くつもりだったらしいがな。
0385人間七七四年
2008/04/10(木) 13:37:22ID:HR7HRVRe0386人間七七四年
2008/04/10(木) 13:47:08ID:uk/MDhwL0387人間七七四年
2008/04/10(木) 14:07:16ID:3znoe3eH敵地に乗り込んでくる謙信はマジで怖いな。
みんな籠城する気持ちがわかる。武蔵野で一戦して大敗でもしようものなら利根川が退路を断つ形になりひとりたりとも三国峠を越えられないだろうに。
0389人間七七四年
2008/04/10(木) 14:23:14ID:o16MOi3l0390人間七七四年
2008/04/10(木) 14:28:30ID:dAEz0Xy/0391人間七七四年
2008/04/10(木) 14:31:11ID:3znoe3eH尼子来襲時で郡山城は8000人くらいが籠城してるから充分な戦力といえる。
井上元兼は元就の当主就任を支えて経済的に援助した人物で、同じ国人衆として対等な立場にいただけで元就に危害を加えるような人物ではなかった。
元就は井上の経済力と当主擁立に恩がある井上が邪魔に思えたために謀殺した。
基本的には毛利は大内か尼子の傘下に入り仕える事で保護されてきたので大して苦難な道を進んではいない。そして有利な条件の方に鞍替えすればよい程度でむしろおいしい位置にいたといえる。
まー元就は関東で言えば由良氏や成田氏みたいなもん。
0392人間七七四年
2008/04/10(木) 14:35:02ID:3znoe3eH佐竹が先の見えないアホだから結城氏を通して宇都宮と一緒に再び謙信の越山を要請したんだろ。
謙信と協力を続けてたら関宿城も落ちず小山も危機に陥り宇都宮氏が本拠を移転せざるおえないハメにはならなかった。
佐竹は先々まで考えて戦略を立てられなかったアホだろ。
0393人間七七四年
2008/04/10(木) 15:08:33ID:lRlCBS/x(コイツは名目だけの守護で兵を持たぬ状態からスタートし
大内と手を結ぶ政略や自ら兵を率いての戦術で、毛利と吉川ら小豪族を除く安芸の大半を制圧してみせた傑物。
そもそもコイツが凄くなきゃ、勝った元就が三百貫程度から一気に十倍近い三千貫にまで出世しない)
厳島は言わずと知れた「西国無双」の陶晴賢の大軍が相手
(百万石の大名を乗っ取った男が凄くないのなら、もはや何も言う事は無し。
軍事能力に関しても対尼子という大大名相手に連勝を重ねた実績がある)
これらが楽な条件下なら、一国の大名として豪族やら一向衆やらに苦戦しまくって
しかも対等近い国持大名は、ついぞとして一つも滅ぼせないまま(神保を政略で滅ぼしたのが一番凄い)
だった謙信の生涯ってのは苦闘の連続ですな。楽な条件なのに能力低かったから苦しかっただけだけど。
逆に元就は厳しい条件なのに能力高かったから、あんまり苦闘しなかっただけ。
結局、上杉謙信と毛利元就を戦果や領土拡張などの実績で比べたら明確な差がありすぎるから
(元就の方が凄いけど)それは長生きしたから、敵が弱かったから、卑怯だったから
(謙信の方がヘボいけど)それは早死したから、敵が強かったから、馬鹿だったから
という言い訳理論に終始してしまい、見苦しい事この上ない
元就がやったのと同じくらい凄い事を、謙信もやってると実績を示せばいいのに
出てくるのは川中島(w)だの手取川(w)だのばっか
そもそもこのスレじゃ戦術や領土拡張においては元就のが凄いってのは前提で
謙信の素顔である優秀な領土経営者という側面にスポットを当て
軍事的な英雄と政治的な英雄という対比で、両雄の功績を比較する向きもあったのに
謙信玄厨は、無理やり謙信の苦手な分野である軍事にばかりスポットを当てるんだから辟易する
0394人間七七四年
2008/04/10(木) 15:18:13ID:HR7HRVRe陶晴賢の反乱も見事なものですよね。
反発を最小限に抑えるての反乱は中々難しいものだと思います。
元就に負けた陶を無能扱いしてる人がたまにいますが
一概には言えないと個人的には思います。
0396人間七七四年
2008/04/10(木) 15:30:58ID:KqqV4+q3つか謙信スキーに言わせりゃ長尾景虎こと上杉謙信は越後の虎で
龍なんて呼ぶの武田厨だけだと思うが
>実績を示せばいいのに
生涯で一度も自分より兵力が上だった相手に勝てず
兵力が下の相手にはちょくちょく負けてる謙信に戦の実績なんてある訳ない
あるのは講談などで培った虚像だけ
終いにゃ戦上手の政治下手なんて実像とは正反対のイメージ押し付けられてんだから哀れだな
押し付けてんのは武田厨の延長だろうけど
義将とか失笑もんだわ
謙信は何とも魅力的な人間臭い野心家だっつーの
毛利元就となら家督争奪や家臣粛正で面白い比較になるのにな
0397人間七七四年
2008/04/10(木) 15:46:06ID:lRlCBS/x小説などでそう扱われるからしゃあないと思うけど
どうも語り口からして、よく見かける武田好きで北条嫌いの方と論調が同じで
謙信を持ち上げてるのはオマケのようにも思えちゃうけどね
いわば「毛利厨は負かした相手を持ち上げて、武田厨は勝てなかった相手を持ち上げる」ってとこ?
信玄が勝った相手の今川氏真や、謙信が勝った相手の神保一族も持ち上げてくれればいのに
>395
晴賢の通り名の由来は「兵を進退させる侍大将として陶隆房は西国無双」って意味の書状が
まだ主君の義隆と仲良かった頃に、他の大名から送られていたよーな(この辺うろ覚え)
対立する前の大内義隆と陶晴賢って、美男子だった晴賢を義隆が「寵愛」したって話もあるから
外交相手の大名お気に入りの武将を褒めて機嫌を取るって意味もあったんだろうけどね
ま、晴賢の場合は尼子攻略で実績残してるから問題ないんだけど
興味深いのは大内を乗っ取った政略家としての器量ではなく、戦術家としての力量を「西国無双」と評されている所だろう
元繁の通り名の由来は知らないんで、ごめん
0398人間七七四年
2008/04/10(木) 15:50:18ID:HR7HRVRe時勢が良ければ名君だったと思います。
0399人間七七四年
2008/04/10(木) 16:10:41ID:Gopkjegwオマエのことか? w
0400人間七七四年
2008/04/10(木) 16:24:22ID:KqqV4+q3ついでに連レス
氏真は徳川相手に粘ってるし
当時既に五倍近い国力差あった武田も単独では五年以上かけても滅ぼせず
徳川と共同でようやく倒した相手
親父の代では終始ヘイコラしてたくせに
駿河一国に落ちぶれるや否や裏切った信玄が最低すぎるだけで
氏真は無能とは呼びがたい人物
>兵力が下の相手にはちょくちょく負けてる謙信
この辺「謙信は城攻め下手だけど野戦は負けてない」なんてアホな理論の奴がいるんで補足しとくが
謙信は常に大軍で少数と戦ってたんだから
少数の相手が城に篭るのは当たり前
兵力少なくてもいいから、とにかく出てきて大軍の俺に負けてくれ、と言い出すほど謙信も馬鹿じゃない
それに所詮は何度も大軍で少数の相手に城攻め失敗してる程度の男だから
わざわざ城を出なくても放っておけば城落とせずに負けて帰っていくのが謙信
謙信はライバルの信玄同様に、政略及び、大兵力をもって少兵力に当たるという意味での戦略には優れていたが、戦術はイマイチの男だった
0401人間七七四年
2008/04/10(木) 16:29:55ID:uk/MDhwL厳島神主家の後継者争いが激しくなってきたが上洛中の大内は帰れないので手駒の元繁を鎮圧に向かわせる。
尼子経久に煽られて大内から独立を目指すが猪突猛進の低脳なんで陣頭指揮をとってあっけなく死亡する低レベル武将。
陶晴賢は美男だったので大内義隆の寵童としてヒイキされていた。
その為に大軍を任されて疲弊しきっていた尼子軍を排除して郡山城を救っただけ。
出雲遠征では低脳ぶりを発揮し尼子と同じミスをして疲弊させたあげくに吉川らに裏切られて大敗。
結果、口先で勇ましい事を言うだけの無能がバレて寵を失い相良武任が重用される。
内藤とともに相良を暗殺しようとしてバレて完全に落ち目になる。
相良が義隆に讒言し追い詰められた長門守護代内藤興盛と周防守護代陶は自暴自棄の謀反。
アホな惨殺事件を指示し宗像騒動を起し国人から総スカンを喰らう。
その結果、義隆の姉の正室である吉見氏が叛旗を翻すと石見に出兵→留守の間に元就が火事場泥棒。
厳島合戦でも相変わらず吉凶日を占い奪える時に奪わず、奪うのが不可能になってから攻撃するバカぶりを発揮し続け自害。
冷酷かつ直情で独断専横で家臣の進言を聞かず自爆した男。
ちなみに項羽と称されたのは大内義弘が項羽のように討ち死にしてやると言ったため。
0402人間七七四年
2008/04/10(木) 16:42:21ID:3znoe3eH北条や武田の動員可能兵力よりも全然少ない。
だが北条も決戦を避け続け、騎下に組した諸将を救援しようとしない。
城攻めは例えば、小谷城や稲葉山城もそうだがそう安々と陥落しない。城攻めが下手という言い方がよくわからん。
無理な城攻めで大出血を強いて8000の兵力が減少する事を恐れてるからに過ぎない。また性格から調略を好まないために切り崩しをやらない事も一因。
包囲してて落城はしてなくても佐野氏は降服してきたりしてるので目的を達してたりしてるし。
0404人間七七四年
2008/04/10(木) 16:48:33ID:lRlCBS/xまーある程度の意味は掴めるんだけど、その前の偏りすぎた主張(上杉謙信は最低の武将、とかのコピペと同レベルじゃん)
と誤字が相まって伝わりにくいな。添削させてもらうなら
「ちなみに武田元繁が項羽と称されたのは大内義広(これも誤字じゃないか心配)が、元繁を項羽のように討死させてやると言った為についた通り名」
という意味でOK?
つーかもしかして軍記物でちょくちょく見かける
「項羽と謳われた程の武勇を誇った元繁だが、皮肉にも項羽と同じように討死した」
という表現を都合の良いように歪曲しただけ?
0405人間七七四年
2008/04/10(木) 16:54:46ID:uk/MDhwL項羽と讃えられた戦いっぷりとして名を遺したのは大内義弘くらいしかいないからとりあえず書いておいただけ。
0406人間七七四年
2008/04/10(木) 17:06:38ID:lRlCBS/xすると「項羽の由来に関しては、大内義広についてなら知ってる。元繁については知らん」と主張したかったんかな
誤解してすまんね
0407人間七七四年
2008/04/10(木) 17:07:09ID:KqqV4+q3ツッコミ所多すぎだが、とりあえず
>性格から調略を好まない
謙信の好敵手だった神保や畠山が涙目ですな
0408人間七七四年
2008/04/10(木) 17:12:46ID:3znoe3eHつかその後の体たらくは無能すぎ。
陶らが無能なのは16ヶ月も長対陣しつづけ吉川興経の裏切りにまったく気がつかず弛緩してたことでも明らか。
そもそも中国地域(大内・尼子・毛利)はいまだに寄親・寄子制で国人衆の懐柔を繰り返していたから謙信らのような決戦指向の軍は持ててないよ。
0409人間七七四年
2008/04/10(木) 17:31:10ID:3znoe3eH0410人間七七四年
2008/04/10(木) 17:50:17ID:uk/MDhwL中国地方なんて迷信と呪術の世界からまだ抜けきれてないからなぁ。
日本海貿易で京へ青芋を輸出したり塩田でもかなりの利益を出すなど経済政策と戦乱のない安定した春日山城下から直江津にかけて商人を呼び繁栄させた経済力に立脚した遠征により攻撃型越後防衛政策…やはり謙信の方が万能だな。
0411人間七七四年
2008/04/10(木) 18:22:46ID:Jf+APSdh元就を過剰に貶るのは謙信厨
謙信を過剰におとしめるのは謙信玄厨
元就を過剰に持ち上げるのは史実厨
0412人間七七四年
2008/04/10(木) 18:49:51ID:o16MOi3lそもそも上杉の決戦主義ってなんなんだ?
0413人間七七四年
2008/04/10(木) 19:20:38ID:Gopkjegw謙信以前に義久義弘兄弟にも勝てないよ
0414人間七七四年
2008/04/10(木) 19:27:04ID:HR7HRVRe自分を毘沙門天の化身だと思ってた人もいるんですよ。
>>413
あのときの大友氏は最盛期ですよ。
戦術面においては毛利氏が押してたんですがね。
まあ、外交面で負けてどっこいどっこいになってしまったんですがね。
それでも退却した後に毛利の両川はそのまま尼子残党の討伐をしてますがね。
その後の大友氏は毛利氏の介入により勢力を弱めてそのまま竜造寺、島津等に吸収されると。
0415人間七七四年
2008/04/10(木) 19:37:35ID:Jf+APSdh謙信>>>>>義久義弘
は至極当然の共通認識だと思ってるんですか?これが謙信厨なのか…感服しました。
0416人間七七四年
2008/04/10(木) 19:50:45ID:h3k3i4Tb正直、武田や陶は単なる武勇バカで自滅だろ。むりやり持ち上げて、そいつらを倒したからすごいって論調はかなり痛い。
0417人間七七四年
2008/04/10(木) 19:51:39ID:lRlCBS/xもっと謙信や信玄のライバルで、滅ぼした相手の中では一番凄い奴らだった
今川氏真や神保・畠山らの豪族を、もっと注目してやれよ、と
↑の凄いところ語って見せろよ。そうすりゃそれを滅ぼした信玄や謙信は凄かったんだ〜、って分かるじゃん
毛利厨の皆さんは、しっかり
安芸を制圧寸前だった武田元繁は凄いとか
百万石乗っ取り成功させた陶晴賢は凄いとか、元就が滅ぼした相手の凄さを語ってるじゃん?
これって丸っきり、今川義元は凄いと素直に認める織田厨と、不当に義元を貶める武田厨の構図とそっくりだよ?
まさか謙信や信玄は、↑みたいに凄い相手は滅ぼせなかったんです〜
滅亡寸前の一国のみ保持してる大名や豪族くらいが精一杯なの〜
なんて言わないよね?
0418人間七七四年
2008/04/10(木) 19:56:45ID:HR7HRVRe何度も言うのもアレですが
安芸武田がただの武勇馬鹿でしてら安芸の豪族を纏める事は無理でしたよ。
陶晴賢が馬鹿だったら大内乗っ取りは多分無理だったと思いますよ。
0419人間七七四年
2008/04/10(木) 19:59:34ID:uk/MDhwL項羽の再来ってどこに記されてるんだよ?早く答えろよ。
安芸統一寸前とは笑わせる。んなわけねーじゃんw
周防守護代と長門守護代の2人が協力すれば楽勝だろ…まー単に追い詰められた末の無計画な暴挙だったがな。
0421人間七七四年
2008/04/10(木) 20:08:04ID:lRlCBS/xなおかつ今度は「安芸を制圧寸前だった」とあえて項羽云々の異名を外して書いたのに…
謙信や信玄自身に実績がないもんだから
(本当は氏真や豪族連中相手にして頑張ってるから充分凄いのに、それじゃ脳内謙信玄とは違いすぎて不服らしい
他の英雄達にケチつけるだけで、褒める事が出来ないんだね
氏真や豪族達が可哀想じゃん。ちゃんと褒めてあげようよ
0422人間七七四年
2008/04/10(木) 20:11:01ID:h3k3i4Tb項羽と元繁じゃ比較にもならねぇ。
0423人間七七四年
2008/04/10(木) 20:15:26ID:uk/MDhwL0424人間七七四年
2008/04/10(木) 20:27:22ID:Jf+APSdh0425人間七七四年
2008/04/10(木) 20:28:34ID:HR7HRVRe異名はともかく安芸武田氏は十分評価できますが?
>>423
上杉謙信って人は隙を突く事も出来ないほど無能なんですか?
留守同然の所を攻めない奴なんていないでしょ?
0426人間七七四年
2008/04/10(木) 20:36:19ID:lRlCBS/x火事場泥棒できたから凄いって理論にはならんの?
俺は火事場泥棒で、苦戦しまくったけど何とか今川氏真を滅ぼした武田信玄は凄いと思ってるよ
元繁の場合は自分で留守を狙って火をつけたんだから、行動力では尚更凄いね
信玄は完全に火の手が回ってから、モタモタ盗品集めて徳川さんに手伝ってもらってたくらいだし
何でもケチつけてるだけじゃあつまらんよ。元繁も信玄も、武田同士凄いんだぜ
>422
「元繁には項羽という異名があった」という趣旨のレスをして
それに「異名がついた由来知ってる?」「いや別に知らんよ」と答えたらウソになるんかい
異名の由来なんて知ってるっつーか明確に史料として残ってる方が少数派だろ
俺には誰かが形容詞を用いて人物を語る度に
「そう呼ばれるようになった由来のソースを示せ。ソースがなきゃウソつき」なんてアホな事を書く度胸ない
ほんじゃま、多すぎてツッコミに困る謙信玄厨の主張の中から一つだけ選んで
>>391の井上が同格の国人だとかの珍説に対するソース求めてみようか
(何で有田合戦で井上元兼じゃなく若輩者で初陣の元就が主力を任されて総指揮取ってんだ
主格の毛利家の一族と、家臣格の井上一族という関係だったからだろ。という反論の根拠付きで)
にしても、相変わらず謙信や信玄が滅ぼした好敵手についても言及してあげないなんて可哀想
0427人間七七四年
2008/04/10(木) 20:41:34ID:lRlCBS/xそんな訳ないじゃない。謙信は神保の内紛を利用して越中を掌握した政略の実績があるし
畠山の城攻めた時も、疫病が流行ってたお陰で城を落とせた
これは謙信が卑怯だからでも運が良かったからでもなく有能だったという証拠
なのに謙信玄厨は実像から目をつむって謙信が正義だと主張し
他の大名の凄さにケチをつけてみせるのが精一杯
0428人間七七四年
2008/04/10(木) 21:00:50ID:uk/MDhwL大内を裏切り卑怯にも他人がみんな遠くに出かけてる隙に火事場泥棒するのと内紛を利用したりする事はまた別物だけどな。
なら聞くが武田元繁は安芸統一寸前って主張するなら安芸の国人達をどのくらい騎下に組み込む事に成功したのかね?誰が武田に帰順してきたの?
毛利や吉川が戻ってきたら簡単に有田城を奪い取られて奪回すらできなかったよね?
0429人間七七四年
2008/04/10(木) 21:08:34ID:uk/MDhwL対等同盟でなおかつ経済力に裏付けされた井上の軍事力が脅威だったし、井上は元就当主擁立に力を尽くして経済的に支えた恩があったから意見に対して尊重せざるおえない。
元就には次第に邪魔な存在になっていったろうね。
0430人間七七四年
2008/04/10(木) 21:11:35ID:Jf+APSdh比較スレになってないって気付いてるんかな?まぁいいけどボロ負けした武田VSスレと似たような流れだね。
謙信については何も言わないところがまたw
0431人間七七四年
2008/04/10(木) 21:14:23ID:o16MOi3l邪魔なら殺すだろ…常識的に考えて…
それが自分の権力に対等する力があるなら尚更。井上が完全に柔順って訳でもないし
井上を殺ることで完全に権力握れるんだからな。
0432人間七七四年
2008/04/10(木) 21:15:46ID:HR7HRVRe自分は先ほどから同じ事を聞いてますが
毛利元就が井上氏に汚名を着せたというのは貴方の主観ですか?
もしソースがあるならお願いします ><
0433人間七七四年
2008/04/10(木) 21:19:11ID:l9H0mxU6織田信長、豊臣秀吉くらいだろ
家康は信長、秀吉の統一に乗っかって政権とっただけだしな
普通に信長>秀吉>家康≧元就>北条氏康≧上杉謙信=武田信玄くらいだろ
0434人間七七四年
2008/04/10(木) 21:21:51ID:lRlCBS/x>>433
大内義興と三好長慶を家康と元就の間に入れて欲しいんだぜ
0435人間七七四年
2008/04/10(木) 21:25:25ID:HR7HRVRe私が思うに 大内、三好、毛利と
この三名に不等号をつけるのは難しいかなと。
実績も甲乙付けがたいですし。
0436人間七七四年
2008/04/10(木) 21:25:26ID:h3k3i4Tb義元死亡から信玄の駿河侵攻開始まで9年近くも経ってるのに桶狭間の火事場とでも?
氏真は北条との婚姻関係で侮れない勢力だったが遊興に耽るようになり、三浦義政に政務を任せきりになり重臣が離反するようになり人心が今川から離れたから好機到来と感じたから信玄が侵攻しただけ。
0437人間七七四年
2008/04/10(木) 21:27:33ID:l9H0mxU6ただ大内義興は元の領土もそれなりに大きかったわけだから
家康と元就より下という印象だけど
やっぱ事実上の天下人ってこともあるし判断が難しい
0439人間七七四年
2008/04/10(木) 21:37:22ID:h3k3i4Tb毛利は敗走してて本来なら下手くそな用兵が原因で武田元繁に殺されていたからね。
たまたまアホな元繁が勝ちに乗じて調子コイて猪突猛進して、自ら流れ矢に当たりにいっちゃって自殺同然の犬死にしたからね。
所詮中国地方の戦いなんて双方ダメダメでこんな感じで低レベルなんだわ。
0440人間七七四年
2008/04/10(木) 21:38:01ID:lRlCBS/x>信玄は完全に火の手が回ってから
>遊興に耽るようになり、三浦義政に政務を任せきりになり重臣が離反するようになり人心が今川から離れたから
この辺が俺にとっては同義。信玄は桶狭間で火がついた今川家に
完全に火の手が回ってから同盟裏切って(後継者の義信死なせてまで)攻め入った、ってとこ
つか普通に徳川と今川争ってたし、武田は徳川との共同作業で今川滅ぼしたんだし
大内義興と三好長慶については、元の地盤を考えたら長慶の方が上じゃないかな、とは思う
ま、やはり天下人だからね。元就はそれらの下になっちゃうと思うよ
0443人間七七四年
2008/04/10(木) 21:42:52ID:l9H0mxU6大内は天下人になったとはいえ
一定の期間であって結局大内氏にとって有益だったかどうかといわれると
疑問が残るところだし毛利は上洛する気すらなさそうだからね
0444人間七七四年
2008/04/10(木) 21:43:59ID:lRlCBS/x城の構造、焙烙技術、投石技術、鉄砲普及率。全て西方が上
ソースソース言い出す前に、全国の城跡を尋ねたり博物館を訪ねるくらいの事はしましょうね?
戦のレベルが低い=全てのレベルが低い、じゃないけど
まぁ戦術レベルでの比較なら西方のが明らかに上
0445人間七七四年
2008/04/10(木) 21:50:28ID:uk/MDhwL占い呪術を盲信してたりアホな猪突猛進してたり
いまだ寄親寄子制だから低レベルなんだろ。
0446人間七七四年
2008/04/10(木) 21:52:09ID:l9H0mxU60448人間七七四年
2008/04/10(木) 21:58:11ID:uk/MDhwL統率と士気を考えたら悪い事じゃないだろ。
別に占いに頼って吉凶を占いチャンスを潰すバカや大将自ら矢に当たるバカバカしさとは質が違う。
0449人間七七四年
2008/04/10(木) 21:58:21ID:lRlCBS/xそーだね、多分、自分が毘沙門天の化身だとか
示威行為でなく本気で妄信して家臣に呆れられてる人望ない大名や
家臣の日記で「俺は妖怪を退治した!」とか書いて武勇談にしちゃう田舎の大名がいる
関東、もとい関東を侵略しようとして失敗した上杉さんとか武田さんとかは
技術が伝達するのが遅い田舎にいて、田舎者同士で技術レベルの低い戦を繰り返して
ついでに国人や家臣に謀反起こされまくりな先進的な制度だったんじゃないかなー
先生そろそろ飽きてきたなー
0451人間七七四年
2008/04/10(木) 22:02:25ID:uk/MDhwL何言ってんだ北九州の旧大内領継承戦争でたかが大友風情に政戦略で毛利は大敗したくせにw
島津>大友>毛利だろw
0452人間七七四年
2008/04/10(木) 22:04:10ID:O+lQU0Hc特産物も違うしさ
群雄割拠が戦国時代の魅力だよね?
0454人間七七四年
2008/04/10(木) 22:07:50ID:HR7HRVRe正確には双方痛み分け。
毛利は大友の政略で撤退したとは言え大友にも多大なダメージを与えてる。
さらに毛利は撤退してすぐに尼子残党を攻める程の余力があった。
島津が大友に勝てたのは毛利との後だからだろ・・・。
0455人間七七四年
2008/04/10(木) 22:09:23ID:uk/MDhwL誘いこんだんじゃなくてたまたま「流れ矢」に当たっただけ。
取り巻きに守られる大将に都合よく矢が当たるわけでもないので別に狙ったんじゃないし、
そもそも大将が最前線に出るなんて有り得ないから毛利側がそれを狙って計画し(出てこない可能性が高いので失敗リスクがかなりある)戦術を考えたとしたらかなり無理がある。
出てこなかった場合を想定したら自殺行為になってしまう。
0456人間七七四年
2008/04/10(木) 22:10:00ID:lRlCBS/x吉日を選ぶのも兵の指揮に作用しますが何か
つーか占いや運勢の類を信じて行動するのなんて現代でも残ってる風習だし
神がどうとか妖怪だとか本気で言ってる地方の田舎に
宗教関係で難癖つけられちゃあ、毛利さんとこもいい迷惑だろ
そして「相手を猪突猛進させる程の少数で粘る戦術」ではなく
「猪突猛進して少数に負ける」という「勝った」元就ではなく「負けた」元就の敵中心に考える詭弁
そりゃ元就の敵は「元就に比べれば」無能だよ。だから元就が勝った
んで、謙信の敵は「謙信と比べれば」有能だったから謙信は勝てなかったんだよね
勝った元就が凄いのを語るのは簡単だけど
勝てなかった謙信が凄いの証明するのって大変だよね。無理やりにでも相手が凄かった事にしなきゃ!
さぁ氏真…は良く考えたら武田で、謙信は一人も国持大名滅ぼしてないので
神保や畠山の凄さを大いに語ってみせる番だ!
0457人間七七四年
2008/04/10(木) 22:10:59ID:HR7HRVRe成功したのには変わり無いじゃないか。
それに元就の初陣は諸説あると。
ガチのぶつかり合いかもしれないしな。
0458人間七七四年
2008/04/10(木) 22:15:27ID:uk/MDhwL毛利のおかげで島津が大友に勝てた?冗談でしょワロタw
そもそも謙信は関東に対しては助っ人的な立ち位置で長野氏の山内上杉領の横領地を取り返した以外は、関東で一寸の土地も得ていないし謙信自体も欲望や土地の為に戦争を起したわけでないと言っている。
0459人間七七四年
2008/04/10(木) 22:25:30ID:o16MOi3l逆に占い合戦なんか当人(大将や司令官)が信じてなくても兵員の士気に影響が出ればそれで十分。
この時代にそれをわかれってのは中々難しい話し。
大友はそりゃ大内領は喰らいやすいわ。毛利は尼子や大内とまで戦ってるんだからなぁ
しかも足場を固めない電撃戦やって土台揺るがされたんだからそりゃ退くわ
0460人間七七四年
2008/04/10(木) 22:25:35ID:uk/MDhwL吉凶日を選んで好機を逃したり、相手が吉凶日を選んで攻めてくるのを知ってて答がわかってるので、
ゆっくり休んだり裏をかかれたりとバカバカしい戦いばかりで確かに兵の士気が下がりまくるだろうね。
>>428の件にも解答くださいな。
0461人間七七四年
2008/04/10(木) 22:29:28ID:HR7HRVRe元就が指揮をしてない合戦だったとはいえ
北九州争奪戦においては毛利家の連戦連勝だったわけで
大友に対しての離反工作も成功してる
コレだけで大友に対してはかなりの大打撃でしょう。
それにコレ以降大友は衰退するわけですよ。
0462人間七七四年
2008/04/10(木) 22:32:23ID:uk/MDhwL下関あたりから九州へは大した距離ではないぞ。
そんな事を言い訳で言うなら手が震えて字が書けないほどの寒さの上信越の山脈を越えて越山して坂東太郎と呼ばれた程の荒ばれ大河の利根川を渡河した謙信はもっと不利だろう。
0464人間七七四年
2008/04/10(木) 22:36:32ID:uk/MDhwL戦術面の勝利も政戦略で敗北し北九州旧大内領の大半が大友領になったんだから毛利の敗北だよ。
大友が衰退を開始したのを明確に言うとしたら宗麟が家督を譲り二元政治をはじめて指揮命令系統が混乱したのと、
キリスト教に傾倒し過ぎて宗教を巡る対立からだ。
まったくもって毛利のせいではない。
0465人間七七四年
2008/04/10(木) 22:36:53ID:lRlCBS/x「甲陽軍鑑」も読んでないのか
真偽の程はともかくとして、謙信玄厨にとっては一等史料扱いされてるぜコレ
城巡りとかと違って時間もお金もあんまり掛からないし、読んでみたらどう?
つか今までソース全然出してないのに一方的に続けて要求するのはどうよ
解答も求めるばかりで、こちらからの肝心な質問には答えてくれない
(ま、そちらもそう思ってるのだろうけど)
つか対大友は厳島以降なんだから大内領なんて言い出すのは詭弁だろ
大友領となっていた北九州を侵略されて、毛利に領土を差し出した上で和睦した、が正しい
謙信が侵略戦争やって(義将とか言ってる人には信じられないかも知れないけど関東出兵だって侵略行為なのよ)
領土を得る事が出来た例の方が少ない、ってか前述の通りに謙信は大大名は勿論、国持大名は一人も滅ぼせてない
なのに「大大名の大友を滅ぼせずに領土を得ただけ」の毛利が負け扱いされるなんて心外ですわ
じゃあ謙信って豪族相手に勝ってただけで、まともな大名相手には全敗じゃん
0466人間七七四年
2008/04/10(木) 22:38:47ID:HR7HRVReそれが上杉です。
0467人間七七四年
2008/04/10(木) 22:39:39ID:uk/MDhwLしかも下関海峡は大した距離じゃないし邪魔で迂回しなきゃいけないような場所もない。
里見氏が東京湾を通過して鎌倉を襲うのとは訳が違う。
0468人間七七四年
2008/04/10(木) 22:46:19ID:uk/MDhwL小田氏の助命嘆願を受け入れたり佐野氏の降伏にも人質を取る事で許している。
甲陽軍鑑は持ってるが忘れてる。あとで読むからどこら辺に書かれてたか教えてくれ。
城を見ろとか言ってるようだが君はいったいどこの城を見たって言うんだい?
0469人間七七四年
2008/04/10(木) 22:56:44ID:lRlCBS/x所持しておらず、図書館で飛び飛びで読んだので無理。つか持ってるなら全部読め
どこの城見たのとかあんまりプライベートなの話すのは気が引けるが
まぁ普通に小田原城とかマイナー(?)で長篠城とかがお気に入り
特に長篠は城の名残みたいな建造物ってのは殆どなかったんだけど
当時の名残を残す険しい斜面ってか崖が正に天然の要塞って感じが良かった。博物館に火縄銃関係潤ってたし
あと朝倉スキーって理由で一乗谷で義景公の墓を拝んできた。復元城下街とか面白かった
つか相変わらずそちらのソース提示はゼロで求めてばかりなのね。議論する甲斐がない
0470人間七七四年
2008/04/10(木) 23:03:52ID:o16MOi3l一方の中国地方はあって当たり前。関東と近畿・中国との差は結構あるよ。
0471人間七七四年
2008/04/10(木) 23:08:48ID:uk/MDhwL一乗谷城は行きたいな。
あそこ行くの大変だったでしょ?電車不通になってるエリアはバスだし。
んー城巡りしてる人間とはあまり言い合いしたくないなー。
私もまずは有名どころから城巡りしてるしな。50以上は見たかな。
0472人間七七四年
2008/04/10(木) 23:16:23ID:KqqV4+q3つか普通に火車鬼退治の件くらい知らね?
甲陽軍鑑持ってると主張するのは何よりだが
今まで散々毛利方を貶めてきた占いやら何やらのソースいい加減出しとけよ
ソース出すの面倒くさいって分かって相手に要求してんだろ?
0473人間七七四年
2008/04/10(木) 23:26:01ID:lRlCBS/x(ホント、崖にポツンとちっちゃ博物館あるだけなの。当時の規模も、そんなもんだったって絵図があった
一乗谷は車だったから別に大変って訳でもない。つかある程度歩くのも楽しみ
あそこ行きゃ、義景公は名君だ、と思うまでは行かずとも、ある程度認識は変わると思う
たまたま俺が行った日がそうだったのかも知れないけど
地元の人が(係とかじゃなく)未だに無償で花供えてるって話聞いて感動した
逆に小田原城は…動物園の存在がなぁ、いや動物に罪ないけどさ。基本的に平野の城より山城がオススメ
どこだったか名前は失念したか(長篠と同じ日に訪ねたから、愛知近辺。浜松城は平地で駐車場あったし違う
山一個丸々歩かなきゃいけないとこもあって、真夏なんできつかったな
博物館もくそもない、日曜のせいか無人の城跡(普段は近くの寺が管理してるって立て札あった)
だったけど、櫓とか丸太での囲いとか感動した
この手の話はプライベートな馴れ合いにしかならないんで、この辺で止めとく
嬉しくて、ついつい連レス失礼
0475人間七七四年
2008/04/11(金) 00:09:47ID:ihAtbTdB一乗谷は友人も行きたがってるんだよな。レス読んでるとやっぱり行くしかないなと改めて思った。
長篠も良さそうだね。
山城なら備中松山城や竹田城は皆さんが激賞するだけにやはり良かった。
ちなみに安土城は夕方に登ると良い。総見寺跡から西の湖を眺めると夕日が湖に写り込み非常に綺麗で神秘的だ。
信長もこの風景を見たかと思うと感ずるものがある。
また津山城や弘前城も素晴らしいので遺構が見えづらくなるが桜を愛でるゆとりがあるならぜひ。
個人的には機会があれば岩村城と郡山城には行きたいと思ってる。
0476人間七七四年
2008/04/11(金) 08:49:02ID:QCaITxpx越後を手にした英傑だったんだから、信玄もそんな奴はほっといて美濃や上野方面に
進出すればよかったんだよ。それをできなかったあたりが信玄の情報収集能力か
戦略眼の不足をよくあらわしてるね。
あるいは自分より9歳も年下の若造に負けるとは思ってなかったのかもしれないがw
0477人間七七四年
2008/04/11(金) 10:35:14ID:oLXNI3N8上杉氏は佐渡金山、
今川氏は駿府金山、
北条氏は伊豆金山、
毛利氏は石見銀山、
織田氏は堺の町からの徴税によって経済力を持った。
ゆえに戦国時代は経済力による勢力争いであった。
というようなことを中井貴一主演の大河ドラマ武田信玄で言ってたんですけど、
武将の能力ってどれ程必要だったんでしょうか?
同じ佐渡金山があってもそれまでの上杉氏は弱く謙信になったら強くなったのでしょうか?
尼子氏から奪ったのは銀山なのに強く慣れたのは毛利元就の能力の高さでしょうか?
0478人間七七四年
2008/04/11(金) 10:56:09ID:wJIdz/Tjおまけに周囲は信長と対決するまでは比較的緩い均衡地帯。
0479人間七七四年
2008/04/11(金) 11:30:09ID:z+2ZkoW6またメガトンさんですか?w
毛利は〜っていうけど元就の初期って都に近くて博多が近くて楽な情勢だったん?三百貫って随分大きな領土なんですね。
もしかして軌道に乗せる能力って無視ですか?
0480人間七七四年
2008/04/11(金) 11:31:38ID:NRrdDw2Q自転車で回れるぐらいの範囲なんだっけ?
0481人間七七四年
2008/04/11(金) 11:47:20ID:gSZ+qIdn山本勘助が大活躍するし、北条の武州松山城攻略も甘利騎下の活躍のおかげで速攻で陥落したので武田の功績みたいに記すしな。
そうそう松山城落城を聞いて怒った謙信が信玄と氏康に予告状を送ってから翌朝に利根川に船橋を作って渡り、
船橋を壊して背後を絶ってから氏康や信玄の陣地前を通過し北条の山の根要害を攻めて3000人殺し、
また同じ道を通って帰りその案内をしなかった厩橋城主の長尾謙忠とその兵2000人を殺戮したとかムチャクチャなデタラメ書いてるもんな。
合計5000人も殺すかよ…つか江戸初期の人間のお前が数えたんか?と言いたいな。
まぁ武田旧臣ども謙信を基地外みたいに捏造を言い過ぎてワロタw
0482人間七七四年
2008/04/11(金) 11:54:09ID:NRrdDw2Q第三者の書状によると死傷者8000人だと書いてあるらしいが・・・。
0483人間七七四年
2008/04/11(金) 12:27:23ID:G+WlITAB元就はんは非常に堅固な難攻不落の永久要塞をもってました>>373>>375>>378
現在の江の川なども往時には河川流通に利用され税収もかなりあったでしょう。
なんせ三次から福山への河川ルートははなはだしく遠いが
江の川を利用して三次〜広島へのルートは短く、その分、国人達の間を通過する数が少ない。
現在でも安芸高田市役所が置かれる盆地もあり余所者の往来もチェックできる。当時としては決して不便な場所ではないだろう。
0484人間七七四年
2008/04/11(金) 12:45:12ID:ihAtbTdB道三と義龍の時代は難攻不落だった。
龍興は行状が悪く、ついには竹中半兵衛や美濃三人衆の安藤守就らによって乗っ取られる事件が発生し衰運してしまい人心が離れてしまった。
斉藤家もまた隆盛は三代続かず孫の代で滅亡した。
尼子経久や大内義興といった偉大な祖父の威光という遺徳も孫まで届かないもんだ。
いや祖父への恨みを孫が引き受けされられ精算を迫られたと言うべきか。
治乱興亡とはかくも哀しき。
大坂夏の陣により戦国の終焉を迎えた事は幕藩体制下でとりあえずは生き長らえる保証をもらった主家なら上杉でも毛利でも皆がホッとした事だろう。
0486人間七七四年
2008/04/11(金) 13:01:28ID:ihAtbTdBん。そうだね。
隆盛が開始されたのが祖父と言う意味。
なかなか代がわりを三代続けて尚且つ安泰足らしめるのは難しいって言いたかっただけ。
義隆は43歳の時に謀反で殺され、晴久は46歳で急死。
こういう死に方されると後に残された子は大変なもんだ。
0487人間七七四年
2008/04/11(金) 13:10:32ID:G+WlITAB迷信や間違った健康法や、暖房器具がない厳冬の地域の酒。
戦国時代の寿命なんて天命でしかないからね。
当人の能力とか関係ない寿命。だけどこれは家督相続して家を安泰たらしめるには非常に重要だよね。
例えば現在の医療水準であれば信玄や謙信も長生きしてるだろうし豊臣秀長や秀吉も長生きしてしまうかもしれない。
生後間もない乳児に死亡率だって変わると嫡男も別人かも。
家康の当時の薬草などの健康法がどこまで間違いないものかは知らんけど
寿命が長かった当主は有利なのは間違いないね。
そういう意味では信長親子のように謀反で死ぬのは愚かとしか言いようがない。
0489人間七七四年
2008/04/11(金) 13:31:38ID:z+2ZkoW60490人間七七四年
2008/04/11(金) 13:36:04ID:NRrdDw2Q寿命を持ち出すのは止めたほうがいいと思う。
0491人間七七四年
2008/04/11(金) 13:48:55ID:G+WlITAB父の毛利弘元は酒毒だね。
そういや豊元の祖父の毛利光房って応永の安芸国人一揆の幕府公認のリーダー格だったらしいね。毛利は国人のリーダー的な存在だったんだね。九州の大内と戦ってる最中に陣没したらしいけど。
0492人間七七四年
2008/04/11(金) 15:34:16ID:hd18wZYr元就以前の毛利家のこと「小さな大名家」くらいに認識してる感じだしね
基本的に国人連合の代表格に過ぎない立場の大名なんていくらでもあるけど
(つか信長みたいに絶対的な権力体制に移行出来たのが少数派。武田信虎辺りは失敗して追放されてる
毛利の場合は元の領土が小さいもんだから、なおさら権力が弱かったんだろう
「寿命が長かったら有利」って「頭が良かったら有利」「身体が健康だったら有利」と同じだぜ
元就の場合は一族との対比で、禁酒という自らの行動によって健康を獲得したのが窺えるから
健康を保って長生きしたのも実力の内
そもそも「寿命が長い」なんてゲームのパラメータみたいに予め定まった数字のように認識してる奴がおかしいだけで
元就は自身の努力によって、長い間死なずに生き続けた。自ら寿命を引き伸ばした訳
晩年は大大名になってたから、将軍から名医を派遣されて更に長生きしたなんて話もあるな
義輝も元就も好きなんで、お気に入りのエピソードだ
0493人間七七四年
2008/04/11(金) 15:51:51ID:gSZ+qIdnただ周囲の強敵が死に経験少ない若き当主が就任するのは勢力拡張の絶好のチャンスなのは間違いない。
なんせ新体制になると当主との婚姻関係や後見人や悪い遊びを教える寵臣、補佐役や重臣や新たに取り立てられた者など新旧の対立や新たな立場に不満を持つ者が増え不安定化する隙が狙える。
酒飲む武将なんてたくさんいたし信長みたいに酒飲まないのに謀反で死亡なんてのもある。
寿命なんて所詮は運。
0494人間七七四年
2008/04/11(金) 15:57:42ID:hd18wZYr酒を呑めない体質のお陰で健康を保てるってんなら、それも一つの才能だよ
逆に酒大好きな体質で早死にしちゃったんなら
そりゃあ運が悪いんじゃなくて本人が生まれもって資質の内の一つ
「頭が良い」「頭が悪い」の差と同じように
「健康な体質である」「不健康な体質である」というのは才能の差ってもんだろう
寿命が運、「長生き出来る人間」に生まれてくるのが運だというなら
「頭が良い人間」「体力のある人間」に生まれてくるのも運だわな
0495人間七七四年
2008/04/11(金) 16:10:31ID:G+WlITAB能力の寿命はまったく違うだろ・・・何が言いたいのかさっぱりわからん。寿命を評価する方法なんてあるのか?
0496人間七七四年
2008/04/11(金) 16:13:11ID:z+2ZkoW6だから頑健な体質だった元春を家に残そうとしたりしたのかね?結局隆元が継いだけど
0497人間七七四年
2008/04/11(金) 16:13:14ID:NRrdDw2Qってのは間違いだな。
0498人間七七四年
2008/04/11(金) 16:16:23ID:hd18wZYrあぁ、ごめんね。もうちょい分かりやすく書くよ
要するに酒の毒に気づいて長生きした元就さんは頭が良い
酒の毒に気づかず長生き出来なかった人たちより凄かった、って事
元就さんが長生きしたのは運というよりも、自分自身の努力による物なのが確認できるのよ
寿命なんて本人の心がけ、努力によって長生き可能なんだから
君ももっと健康に気を使う努力をした方が良いよ。「寿命は運」だなんて信じちゃダメ
0499人間七七四年
2008/04/11(金) 16:24:45ID:ihAtbTdBなんせ壮年期に活躍らしい活躍もしてないし。
優れた人物は袋に入れても突破るはりのよう鋭く頭角を現すもの。
個人的には元就よりも48歳?三村家親や51歳?で死んだ宇喜多直家の方が優秀だと思う。
0500人間七七四年
2008/04/11(金) 16:25:06ID:NRrdDw2Q0502人間七七四年
2008/04/11(金) 16:27:18ID:z+2ZkoW6by スポック
0504人間七七四年
2008/04/11(金) 16:33:08ID:hd18wZYr(元就は凄いけど)「それは敵が弱かったから」「長生きしたから」
という言い訳理論ばかりで、目新しい角度じゃないから
なんか全然「おっ、一理あるなぁ」と思えないね
一時期、内政面で比較したら元就は息子は優秀だけど当人よりは謙信の方が優れているのでは?
って流れで「軍事は元就」「政治は謙信」という流れになった時は「なるほど」と思ったもんだが
0505人間七七四年
2008/04/11(金) 16:33:20ID:G+WlITAB斉藤道三や北条早雲も年齢上から親子二代説やらいろいろあるし
元就も当時としては異常に長生きだしあるいは・・・とか思っちゃうね。
0506人間七七四年
2008/04/11(金) 16:42:18ID:hd18wZYr(結局、50年近く長生きした謙信も信玄も、元就の初陣に匹敵するような戦果を残していない)
50歳までに三百貫の地盤から安芸一国を掌握するまでに成長したのを
「うだつが上がらない」と評するかね普通
そういえば北条早雲(実は若い頃から活躍してたのが明らかになってきた人)
こと伊勢新九郎盛時の最初の地盤が、元就とほぼ同じ三百貫と判明した時には
何やら不思議な感慨に襲われたなぁ
時期的に考えれば、西の経久と東の早雲という対比だけど
世代を超えた元就と早雲という東西の英雄にも、こんな共通点があったんだね
0507人間七七四年
2008/04/11(金) 16:43:15ID:NRrdDw2Q強さというは基本的には国力ですな
例外があるとすればそれは、有能の指揮官って事ぐらいかな?
>>505
吉川氏、小早川氏を乗っ取る以前にも十分活躍してますよ。
>斉藤道三や北条早雲も年齢上から親子二代説やらいろいろあるし
>元就も当時としては異常に長生きだしあるいは・・・とか思っちゃうね。
元就には親子二代説なんてありませんよ?
子供は多いけど。
0508人間七七四年
2008/04/11(金) 16:43:26ID:K10k+hiu1550年ぐらいまでで一豪族から安芸で最大勢力の豪族になったんだから
1550年以前もとんでもないと思うが
0509人間七七四年
2008/04/11(金) 16:55:01ID:G+WlITAB後方の柏崎は守護上杉、南方は守護代の地位を狙う上田長尾
東方は葦名に支援されてる揚北衆と孤立無援の死地。
ここで謙信は実力を発揮し中条氏などは若き謙信の活躍に惚れこんで謙信を長尾家の当主にと望むようになっていった。
若き日からカリスマを発揮してましたが何か?
0510人間七七四年
2008/04/11(金) 16:57:55ID:0aP+u7IH毛利の方が凄いな
知名度は上杉の方が高いだろうけど
0511人間七七四年
2008/04/11(金) 17:00:34ID:ihAtbTdB0512人間七七四年
2008/04/11(金) 17:00:49ID:hd18wZYr別に謙信にカリスマがなかったなんて一連の流れで誰も書いてないでしょ。被害妄想
つか若くしてカリスマになったって意味なら有田合戦に勝利した元就だって同じ
まー違いは明確な戦果残してないとこだけど、散々既出のように
謙信の本領とは戦術能力ではなく政治力だから問題なし
兄貴を追いやって家督争奪しただけで政治的な実績としては充分
(家督争奪に関する善悪論争はお腹一杯なんで遠慮しとく。弟が兄の家督を奪ったという事実関係だけの意味で)
0515人間七七四年
2008/04/11(金) 17:11:02ID:hd18wZYr>513
そうだね
元就が「多大な兵力差を覆して」「敵総大将を討死させる」なんて
謙信や信玄が生涯で一度も味わえなかったような大勝利の実績を残したのには
「敵が弱くて」「運が良かった」っていう言い訳が提出されてたんだよね
忘れてないから安心して
謙信や信玄に実績がない事実と同じように、覚えておくから
>512
そだね。そもそも頼られた存在でなきゃ
有田合戦で吉川やら井上やらを従えて初陣の元就が主力を任されて指揮できない
ただ、元就は次男だったし、父が元就に残してくれた三百貫の領地も井上に専横されてた
だから元就20歳頃における毛利本家の実力=元就が最初から受け継いでいた地盤
ではない、という事は留意して欲しい
謙信と同じように、元就も最初から順風満帆な条件でスタートしていた訳じゃない
この辺の共通点
・本来は兄筋の当主の座を弟が相続した
・酒好きで有名な謙信と、禁酒を努めた元就
は面白いんだよね、この両雄
0516人間七七四年
2008/04/11(金) 17:14:13ID:G+WlITAB兄は病弱で越後衆から頼りなく感じられて支持を失っていった。
その最大の原因は守護上杉定実の養子問題から始まった争いに介入すらできず調停できなかったから。
また守護上杉定実としても若輩の謙信の方が操りやすかったので家督問題で干渉され擁立された。
ただ定実に命じられて中越に派遣された若き謙信の戦いぶりで熱烈な信奉者が多くいたので守護家の思惑とは違う方向にいった。
0517人間七七四年
2008/04/11(金) 17:17:33ID:G+WlITABマジでぜんぜんわからない。元繁の凄さをもっと具体的に説明してくれ。
0519人間七七四年
2008/04/11(金) 17:24:24ID:hd18wZYr要するに奪ったんじゃなく奪わされたと
別に「家督争奪」という表現が間違ってる訳じゃないんでしょ
なんか「今川氏真は支持を失ってたし北条が狙ってたから裏切って攻め滅ぼしても悪じゃない」
っていう信玄さんとこの理論と似てますねソレ
>517
そうだね
謙信や信玄が「多大な兵力差を覆して」「敵総大将を討死させる」
勝ち戦をしてる実績を示してくれれば、二人の軍事能力を高く評価する意味も分かるのに
どうして具体的に謙信の軍事能力の凄さを語らずに、元就の凄さにケチをつけるだけなのかな?
俺は信玄が無能だなんて思わないけど、川中島のちょっと前に信玄って少数の豪族相手にボロ負けしてたよね?
武田元繁って連戦連勝で(勝てる条件を作ったのは名将の条件です)
信玄みたいに後世に残るような酷い大敗北を喫する前に元就と戦う羽目になったんだよね?
おっと、ついでにアンカーミス発見
>515の元就の地盤に関するレスは>511宛て
連レス及びケアレスミス失礼。自粛
0521人間七七四年
2008/04/11(金) 17:29:57ID:NRrdDw2Q一時期とは言え安芸最大の勢力を築いてる
コレだけで評価できると思うんだがどうだろ?
0522人間七七四年
2008/04/11(金) 17:31:12ID:K10k+hiu謙信が栃尾に入った時期は
この時期の芦名は天文の大乱に巻き込まれて動けないような状況
揚北衆は中条以外の大半は養子反対で晴景・景虎派
上田長尾氏が景虎と対立しだしたのは、晴景と景虎が争いだしてからじゃ
中越には景信らもいたし、
別に孤立無援でも死地でもないと思うが・・・
前線ではあるけど。
0523人間七七四年
2008/04/11(金) 17:33:43ID:ihAtbTdBみんな大内の上洛軍で留守してたところで暴れ周ってただけ。
尼子の調略に乗せられた末に毛利と吉川が戻ってきたら軽く有田城を攻め取られる始末。
これで尼子経久に愛想尽かされて見捨てられたあげくに猪突猛進して運悪く流れ矢にあたり死亡。
まったくもって愚将の見本。
0524人間七七四年
2008/04/11(金) 17:38:02ID:G+WlITAB双方とも仲がよくない。隙あらばと牽制しあってる。
葦名は金上氏などが揚北衆を煽動したり援助したり後援してる。
0525人間七七四年
2008/04/11(金) 17:41:24ID:ihAtbTdB上田長尾は事あるごとに対立してきた潜在的な敵。
天文の乱と上杉派内の戦いは連動している。
0526人間七七四年
2008/04/11(金) 17:45:05ID:z+2ZkoW6客観的に見て毛利元就が凄いと支持してる人達は、上杉厨の人達が『毛利元就のこういうところは流石だね、対する上杉謙信もこんな業績や逸話もあるんですよ』という風にきちん話せばととりあってくれそうじゃないですか?
それなのに何故くだらない煽り合いしかしないんだろう?
相互に価値ある議論や話し合いをする気はありませんか。上杉厨は
0528人間七七四年
2008/04/11(金) 17:51:50ID:G+WlITABそうそう上田長尾と揚北衆は上条氏について父の為景を引退に追い込んでるね。
0529人間七七四年
2008/04/11(金) 17:52:47ID:K10k+hiu>葦名は金上氏などが揚北衆を煽動したり援助したり後援してる。
この時期に関してはそんな史料無かったと思うが?
>>525
晴景が養子反対の揚北衆を支持して、養子派の守護中条らと対立したから起きた内乱じゃ
ちゃんと状況を把握している?
上田長尾が潜在的な敵というのは同意だが。
0530人間七七四年
2008/04/11(金) 17:56:29ID:G+WlITAB過去レスでさんざん謙信の悪口言ってる件は完全スルーですか?
不利になるとすぐそういう事をいうから毛利厨は自己中すぎる。
0531人間七七四年
2008/04/11(金) 17:58:41ID:K10k+hiu時代と情勢が異なるんだが・・・
わざとやってるのか?
時代と情勢無視と言うより別々の時代からわざと謙信に不利になるような
情報を部分的に抽出して知らない人間が勘違いするかのように。
そういう言い方するんじゃ毛利の方がよっぽど凄いことになりそうだが
0533人間七七四年
2008/04/11(金) 18:02:10ID:CdNFeAWl0534人間七七四年
2008/04/11(金) 18:02:50ID:G+WlITABあとアンカーは俺宛じゃないが・・・晴景はアナウンスしたけど、結局、どちら側にもつかなかったと思うが・・・その無能さが越後衆から失望されたんでない?
0535人間七七四年
2008/04/11(金) 18:03:54ID:NRrdDw2Q隙を突くのが夜盗なら、大半の大名は夜盗になってしまう。
尼子の調略に乗せられたかどうかはわからないが、利害関係があったのは確かですな
尼子氏の女を妻としてますしね。
その後毛利に負けてからの尼子氏と安芸武田氏の関係はどうなったかはちょっとわからない。
>>530
悪口の言い合いは多少あったと思いますが
上の方では子孫を罵ってみたり
毛利と付く人の名前を挙げてみたりと結構酷い荒らしもいますよ。
まあ、その辺はお互い様という事で。
0536人間七七四年
2008/04/11(金) 18:05:07ID:0aP+u7IH真剣に両方の実績を並べてみて元就の方が凄いといったところで
相手が弱いとかの一点張りなんだから話になるわけないでしょ
謙信が滅ぼせなかった武田や北条は大内や尼子と比べてはるかに凄いといってるん
だから
0537人間七七四年
2008/04/11(金) 18:08:44ID:K10k+hiu晴景はどちらにもつかなかったってことは無いと思うが
一応景虎を派遣してるんだし。
ただ本当に病弱だったのかはわからないが、この時期動いたような記録は残していないかな。
0539人間七七四年
2008/04/11(金) 18:12:35ID:0aP+u7IH書き方が悪かった
元就と謙信どちらが凄いかは意見が分かれるところだろう
それはいいとして
謙信を上だという奴の理由が相手がしょぼいというまったく根拠の無い
方法で毛利を貶し始めるから話にならないといっているだけだ
0540人間七七四年
2008/04/11(金) 18:16:55ID:G+WlITAB謙信もそうだが細かいことはわからない。
元就の有田中井手の戦も非常に疑わしい。そもそも取り巻きが固めてるであろう武田元繁に流れ矢があたるだろうか。
なかなか戦国史でも当主が流れ矢って・・・そうとうなレアケース過ぎる。
もし事実なら相当のアホだろ。
0541人間七七四年
2008/04/11(金) 18:18:52ID:0aP+u7IHそれでもあの国人から西国一の大大名になったことは紛れもない事実だろ?
0542人間七七四年
2008/04/11(金) 18:20:31ID:K10k+hiu佐渡金山は景勝時代
上杉はアオソと津料が主な収入源じゃ
尼子は十分強かったと思うが
尼子が銀山持っていた頃は、石見は大内と取ったり取られたり
また肝心の銀山も本城常光らの所有で直接支配ではない
毛利は石見を取った後、銀山を所有していた本城常光らを粛清して銀山を支配したから
尼子より効率良く銀山使えたのだと思う、
まあその粛清見て石見出雲で毛利に従っていた勢力が離反するという結果も招いたけど。
0543人間七七四年
2008/04/11(金) 18:22:50ID:X+PU3aTV壮年期以前にも以降にも戦果を残した記録がない謙信のアホっぷりが際立ちますな
0545人間七七四年
2008/04/11(金) 18:31:42ID:X+PU3aTV武田元繁なんて持ち出すのがナンセンス、というよりは卑怯
だって謙信には有田合戦みたいな凄い実績ないんだもん
実績ない側が実績ある側に、どんな難癖つけても負け犬の遠吠え
だから大人しく尼子・大内と神保・畠山を比較しようぜ
それが両者の実力の差
0548人間七七四年
2008/04/11(金) 18:56:14ID:G+WlITAB大内義興や尼子経久が弱いなんて
誰も言ってない。
孫の代まできてすっかり衰退しきって末期になった両者を老人元就の老練さで滅ぼしただけと言ってるだけ。
長生きは得だよね。
0550人間七七四年
2008/04/11(金) 19:03:48ID:G+WlITAB小早川当主だって目が見えないとか願ってもそんなラッキーな話はないよな。陶や内藤は追い詰められたあげくに逆切れして無計画に謀反しちゃうし。
中国地方なら宇喜多直家や三村家親の方が元就よりも才覚あったし偉大。
0551人間七七四年
2008/04/11(金) 19:05:14ID:0aP+u7IH0552人間七七四年
2008/04/11(金) 19:06:01ID:NRrdDw2Q別に衰退してもないし末期でもないですよ。
大内氏は陶晴賢の謀反により当主の義隆が死亡。
コレは衰退じゃありませんよ。
元就が大内氏を攻める決心をしたのは当時同盟関係にあった大内氏の当主が死亡したからですよ。
まずは攻めるために日ごろ外交工作をしてた天皇家を使って大義名分を得る。
普通に戦えば陶氏に滅ぼされる状態を持ち前の謀略でそれを覆したんですよ。
尼子氏は孫の晴久の代が最盛期。(それでも経久の方が恐ろしいと思いますが)
その最盛期の尼子を滅ぼすのは難しいと思うのですがどうでしょう?
0553人間七七四年
2008/04/11(金) 19:06:34ID:X+PU3aTV長生きして尼子や大内を滅ぼした元就の方が
長生き出来ずに神保や畠山を滅ぼした謙信より凄い
って結論でスレ終了ですな
0554人間七七四年
2008/04/11(金) 19:14:13ID:G+WlITABなんもわからん無能だから尼子を6年で崩壊させたもんな。
でも謀反されて死んだ大内義隆や義興の孫の大内義尊よりはがんばったけどな。アホ当主が死んだ後に擁立された大内義長も6年しか持たなかったもんな。
0555人間七七四年
2008/04/11(金) 19:18:35ID:K10k+hiu相手が勝手に弱くなっていっただけってのも少しは言えるかもしれないけど
元就の場合は家督継いでからずっと領土広げているわけだしなー
それ以前に大内尼子が衰退期にというよりは、
毛利が強くなった結果相対的にってのが正しいだろうし
0556人間七七四年
2008/04/11(金) 19:21:48ID:ihAtbTdBそういう意味では狙って起こせないだけに喰う側はラッキーだと言える。
大内や尼子は自爆したと言える。
信玄→勝頼や氏康→氏政への後継時は内紛や権力闘争といった面でさして何の問題もおきず見事な引き継ぎができたのはかなり凄い。
まったく他家に乗ぜる隙を見せないあたり政治力も抜群の安定性を誇ってる。
0557人間七七四年
2008/04/11(金) 19:30:10ID:G+WlITABいや毛利はかなりおいしい位置にいた。
尼子か大内のうちで条件の良い方を選んでその庇護を受けていただけ。
また吉田郡山城は標高も高く難攻不落の要害でありいざとなったら篭ればなんとでもなる。
武田や北条の北上に、いまだバラバラの越後を纏めてガチ勝負してるのとはわけが違う。
また越中情勢は椎名や神保に一向宗が複雑に絡み合い
謙信の祖父は相模国で守護代三浦氏を捕縛した勇武の男だが般若野の戦いで討ち死にするほど手ごわい地域。
戦地の砺波市などはもう石川県も近く越中の者どもは侮れない。
0558人間七七四年
2008/04/11(金) 19:38:07ID:gSZ+qIdnこいつらが椎名や神保の後援したりする時があるから厄介なんだよな。
しかも神保や椎名も自立性が高くプライド高いからいくら負けてもすぐ反旗を翻して服属しねーんだよな。
安芸国人なんて寄親寄子制の服属癖がついてるから楽なもんだよ。
0559人間七七四年
2008/04/11(金) 19:38:20ID:NRrdDw2Qおいしい位置にはいなかったでしょう。
>尼子か大内のうちで条件の良い方を選んでその庇護を受けていただけ。
条件の良い方を選ぶのは当たり前の事であって、態々悪い方を選ぶ人はいないでしょ?
大内氏の方に行けたのは武田氏との戦いの勝利したからですよ。
アレで負けてれば滅亡もしくは大内氏に攻め滅ぼされていましたよ。
>また吉田郡山城は標高も高く難攻不落の要害でありいざとなったら篭ればなんとでもなる。
吉田郡山城がいくら堅城でも数で攻められば落ちる城ですよ?落ちた試しはありませんが。
>武田や北条の北上に、いまだバラバラの越後を纏めてガチ勝負してるのとはわけが違う。
武田や北条は国力が同等だったからガチで勝負ができただけですよ。
毛利の場合は国力からしてガチで勝負するのが無理なんですよ。
まさかあの状態で勝負をしろとでも?それはいくら武田でも上杉でも無理だと思いますよ?
0560人間七七四年
2008/04/11(金) 19:58:13ID:ihAtbTdB標高250m級の要害城は内応でもない限りほとんど落ちない。
国力が同等?なんの冗談ですか?
謙信が傀儡として当主になった頃の越後はまったく統一されてないですが何か?
しかも信玄は甲斐と信濃の大半を領有し、氏康は伊豆・相模・武蔵・上野・原氏を通じて千葉氏を支配し下総の大半も領有下してましたが。
0561人間七七四年
2008/04/11(金) 20:12:27ID:NRrdDw2Q矢に当たるのがアホかどうなのかはわかりませんが
武田氏をここで圧倒しておかねば大内氏との同盟は結べませんし
いくら堅城といえども初期の頃の毛利氏は精々500人?集めるのがやっとだと思いますよ?
500人で篭って100万石の大名の攻撃に持ちこたえる事は難しいと思いますよ?
例え持ち応えたとしても次が来ますよ。
>国力が同等?なんの冗談ですか?
すみません><
武田氏と北条氏が対峙してた頃は国力は同じくらいだと思っていました。
0562人間七七四年
2008/04/11(金) 20:42:13ID:0aP+u7IH謙信と元就の功績をまとめてみないか?
0563人間七七四年
2008/04/11(金) 20:49:45ID:z+2ZkoW62ちゃんといえど落ち着け
0564人間七七四年
2008/04/11(金) 20:53:50ID:NRrdDw2Q誰かが纏めてくれたら非常に助かります。
0565人間七七四年
2008/04/11(金) 21:03:05ID:ihAtbTdB批判する資格すらない。
0566人間七七四年
2008/04/11(金) 21:06:53ID:z+2ZkoW6まぁたバァカがw
いい歳してなにやってるのか知りませんが、歳相応の心のゆとりを持って頂きたい。あなたにはまた別の資格が無いようですな
0568人間七七四年
2008/04/11(金) 21:12:04ID:gSZ+qIdn何も知らずに語ってんだわな。
0570人間七七四年
2008/04/11(金) 21:19:11ID:ihAtbTdB教えて君がネットで一番嫌われる。
めんどくさい事をわざとやらせる嫌がらせだろアホが。
0571人間七七四年
2008/04/11(金) 21:19:53ID:NRrdDw2Q0572人間七七四年
2008/04/11(金) 21:20:29ID:gSZ+qIdn0573人間七七四年
2008/04/11(金) 21:22:30ID:NRrdDw2Q「自分で調べろ」っと言うのは悪魔の証明ですよ。
上杉側が上杉謙信の資料等を出さないと意味がありませんよ。
まあ、貴方が上杉側なのかは私は知りませんがね。
0574人間七七四年
2008/04/11(金) 21:23:55ID:0aP+u7IHあと武田信玄とのスレで書かれてたものを引用してくると
・国人から中国最大の大名まで押し上げた
・周防、長門、安芸、石見、出雲半国、備後、伯耆半国、備中、筑前の一部、豊前の一部
伊予の一部等だいたい180万石くらい?
・広大な領土にした反面尼子、大内の残党にあとあと苦しむことになってしまった
・厳島などでかなりの知力があることがわかる
・織田信長とは友好関係を保とうとしていた(中国だけで満足していて
お家安泰を第一に考えていたところが人によってはマイナスポイントかも)
こんなレスがあった
0575人間七七四年
2008/04/11(金) 21:46:50ID:z+2ZkoW6かくいう私は武田厨なわけですが
0576人間七七四年
2008/04/11(金) 21:58:34ID:hd18wZYrそんなの品格の問題でしょ
たとえば>>493にて貴方
>代々みんな死ぬほど酒好きなのに元就だけ飲まないのは単に酒が呑めなかっただけかも知れんし、その辺はわからん。
なんて発言してるじゃない
でも元就が隆元や輝元らに酒の毒について訓戒している書状が残ってる
これ、そこそこ有名な事だし、元就の名前がスレタイについてるんだから知っておいて欲しいんだよね
謙信が酒好きだってのと同じくらい、一般常識的な情報だから
つまり「元就だけ飲まないのは単に〜」なんて体質的な理由は証拠ゼロの妄想で「酒の毒を自覚して長生きした」って事だよ
本当は俺としちゃあ「寿命なんて運」発言に対しての方が
「いやいや、健康に気をつけて寿命延ばす努力しようぜ」と大いに説き伏せたいとこだけど
つまり、相手のミスに対して軽く窘める程度で済ますか、口汚く罵って人格攻撃まで始めちゃうか、という違い
つか貴方の場合
>謙信が傀儡として当主になった頃の越後
と、わざと時間軸が違う状況を持ち出して、常に謙信に不利なように書くのも疑問
「本格的に対立したのはいつなのか」の定義は人それぞれとはいえ
第一次川中島は、当主となってから五年後の話だから、五年後まで「当主となった頃の越後」括りは無理がある
長尾政景の反乱を鎮圧して上田長尾家に対する支配力を強化させたりしてるから
明らかに当主となった五年前よりマシな状況。つか謙信は有能だから五年経って同じ状況な訳ない
俺は動員兵力を比較すれば(遠征して川中島で武田と互角近い兵力、小田原包囲)
基本的に武田、北条と上杉の間に確たる国力差は(第一次川中島の段階から)なかったと判断する
無論、越後を発展させて国力を上昇させた謙信の内政手腕は見事
(まぁ武田と北条も内政で国力上昇させてんだろうけど、一応ね
0578人間七七四年
2008/04/11(金) 22:52:16ID:hd18wZYr>>531にもいるから、褒められるべきはその人だと思うよ
つか↑でも指摘されてるのに「年代及び事実関係を意図的に歪曲させて相手に誤解させる」論法を変えてないんだね
むしろ何度も遠征している側の上杉の動員兵力と、防衛する側の武田・北条との動員兵力差を考慮すれば
経済力では上杉が二者よりも優位で、総合的な国力は上杉が一等凄かったんだと俺は思う
なのに臆面もなく「謙信が家督相続した頃の越後は〜」なんて全く違う条件で、対立した頃の武田、北条と比べてんだから…
>武田氏と北条氏が対峙してた頃は国力は同じくらいだと思っていました
ってのも、見当違いなレスに対する皮肉じゃなかったの?
まぁ誤字で「家督相続の頃じゃなくて、武田や北条と対峙してた頃の上杉の国力は〜」って意味だと思うけど
どっちにせよ騙されちゃいかんよ
0579人間七七四年
2008/04/11(金) 23:01:18ID:xv/hOz75なんで成田や由良や真田や須田や佐野やらが100万石級の大名になっていないんだってことに
0581人間七七四年
2008/04/11(金) 23:02:33ID:X+PU3aTVそうすりゃ元就と謙信の実績が比較出来るじゃん
武田だとか北条だとか言い出して話を誤魔化す奴の相手すんなよ
0582人間七七四年
2008/04/11(金) 23:13:15ID:xv/hOz75だいたいだが
周防17長門13安芸19備後19備中18
石見11出雲19*1/2で10
伯耆10*1/2で5
で計112万石
それに伊予34筑前33豊前14のそれぞれ一部とすると
180万石くらいとするにはかなり水増しというか、支配範囲をかなり過大に見ていると思う
>・織田信長とは友好関係を保とうとしていた(中国だけで満足していて
)お家安泰を第一に考えていたところが人によってはマイナスポイントかも)
これはその人というのが単に元亀時代の中国畿内情勢把握していないだけじゃ?
0583人間七七四年
2008/04/12(土) 00:18:40ID:tDg/MfQg上杉には直江津があるしやっぱお互い経済力はかなり高いね
0584人間七七四年
2008/04/12(土) 00:43:43ID:TEQLDAF/瀬戸内海が近くにあったとは言え初期の状態では山の中ですね。
石見銀山を手中に収めたのはだいぶ後の話です。
0585人間七七四年
2008/04/12(土) 00:49:58ID:tDg/MfQg0587人間七七四年
2008/04/12(土) 01:10:42ID:tDg/MfQg0588人間七七四年
2008/04/12(土) 01:10:58ID:CvRR6L1R最盛期には港関係を手に入れてたんだけど、初期の状態では山の中だったってレスじゃん
0589人間七七四年
2008/04/12(土) 01:19:30ID:CvRR6L1R>586-587で、とっくにすれ違いを解消してる両者の礼儀正しさに俺涙目
ま、どちらも港の交易+金山銀山の経済力が主体だろうから
単純な石高で比較するのは難しいね
元就の地盤の三百貫(つっても井上に専横されてたが)は有名だけど
これも石高じゃない訳だし
0590人間七七四年
2008/04/12(土) 08:34:49ID:Jhrdce6/キミは越後の青苧を知らないの?
謙信は青苧の栽培流通の整備に尽力して越後を莫大な経済大国にしたんですが
優秀な青苧を輸出することで、全国の衣料も革新的に向上させたんですけど
0591人間七七四年
2008/04/12(土) 10:23:34ID:KzR9D2WVもっとよく考えてから腹立ててくれないと相手が迷惑する
0592人間七七四年
2008/04/12(土) 10:56:50ID:CvRR6L1Rスレの流れ見ても、>583以降一貫して港を意識して経済力の話してるんで不思議
「特産品の輸出」と「港の交易」を別物と考える人なのかなぁ
ちなみに交易=互いに物品の交換や売買をすること
「優秀な青芋を輸出すること」は交易の一種だよ
そもそも「謙信は金山主体の経済ってのが腹立つ」というのが良く分からない
「金山主体の経済」と半分以下の意味で日本語を受け取って腹を立てているようなので
もしかして「港の交易+金山銀山の経済力が主体だろうから」という文章の意味が分からない?
0593人間七七四年
2008/04/12(土) 11:16:48ID:n9o76ZAD毛利の九州撤退は信長が尼子を支援したから、っていうのは何?
尼子再興軍には3回あって1568年からの毛利の九州戦の時(第一回)は別に信長関与してないだろ。
当時の信長は京都に乗り込むかどうかの時期。毛利の事なんか関与しちゃいない。
関係だって良好だったし。この時の尼子再興軍は元就死後の1571年まで抵抗したけど
及ばず破れ、山中も捕虜になった。(その後脱走してまた動きだすけど。)
信長が尼子再興軍に関与するのは1572年からの第2回尼子再興軍からだろ。
この時は元就死んでるから関係ない。さらにいっとくと元就が九州から撤退したのは
大友が支援した大内再興軍が周防に乱入したから。これは紛れもなく大友の手柄。
他の大名の手柄まで奪って信長の手柄とかなんなんだ。
0595人間七七四年
2008/04/12(土) 11:53:32ID:CvRR6L1Rいや、君が「港の交易」に全く触れずに金山だけ取り上げた理由は分からない
「こるゃ」が誤字だろうな、ってのは分かる
あぁ、もしかして越後・佐渡の金山は謙信時代には利用されてなかったって主張したい訳?
そんなもん、手取川なんかと同じで人によって見解は異なるけど
アホな人は「本格的になったのが謙信の死後で」「佐渡全域を支配したのは景勝時代だから」「謙信は金山の恩恵を受けてない」
なんてトンデモ理論を口にするよね
上田長尾(反乱起こして鎮圧された謙信支配下の国人)を通しての越後の金山掌握を無視したりだとか
(そもそも謙信直轄でないだけで最初から家臣格の同族が保有してる金山を無視するってどうよ)
本格的に開発されきった時期で、直轄領で、産出国の全域を支配してなければ、金山収入が入ってこない理論?
上杉謙信を妄信してるファンサイトの記事でも真に受けたの君?
あーいうの、信玄が生涯で二敗しかしてない、とかと同じで出鱈目だから信じない方がいいよ
というか、それ以上の問題は君が一連の港に関する話題を無視して
「越後の青苧を知らないの?」なんて言い出した事にあると思うよ
港の交易が経済力の主体だと語ってる相手に対して
「知らないの?」「優秀な青苧を輸出することで〜」なんて書いてるのは恥ずかしすぎる
特産品の生産輸出が「港の交易」に該当しないと勘違いしてなけりゃ、こんな事書けないよ
0596人間七七四年
2008/04/12(土) 12:09:35ID:UJf4wkFo隆元らが大内に人質でいた時に酒を大酒を飲むことを覚えたから普通に酒を諫めただけだろ。
別に元就が体質上飲めなかったのかもしれんしわからんだろそんなこと。
長尾政景の反乱を鎮圧して上田長尾家に対する支配力を強化させたり
越後守護上杉定実の家督干渉によって40歳の兄を思うままに操れないこともあり謙信が19歳(1548年)で擁立されてから
2年後の1450年のこの上田長尾の乱では後継に異を唱え簒奪しようとした上田長尾氏を鎮圧してはいない。
越後守護死去により政権が崩壊してしまい府内長尾の力では上田長尾を倒すことができず
謙信の姉との婚姻で和睦をしただけでこれがのちに謙信政権の足かせになり死後の後継者問題で一気に爆発した。
ちなみにその頃には関東管領上杉憲政が北条に侵攻され救援依頼をしてきたので
即刻出陣して北条と上野国で戦い平井城へ憲政を送り返している(上田長尾に姉をくれてまで和睦しようとした原因)
さらにこの上田長尾との和睦の翌年(1451年)には北条の再度の上野攻略で関東管領上杉憲政は春日山城下に住むことに。
と同時に村上義清が逃げてきたので川中島出兵し武田との本格的対立。
上条(守護上杉系で関東管領を輩出した事もある上杉定実の実家)・上田長尾・揚北衆・葦名・出羽砂越らにより
父の為景が敗北し隠居し兄の晴景が越後守護にすげ替えられ擁立される(青芋の貿易ルートは戦乱で崩壊し府内長尾経済は崩壊)
これが府内長尾が孤立してる基本構造でのちに謙信が出家すると言って行方不明(1556年)になった事があるのは
越後国主としての判決を否定されるなど家臣同士が呉越同舟でむちゃくちゃ仲が悪かったのも一因。
さらに伊達から養子問題で伊達・葦名・中条VS本庄・鮎川の揚北衆の紛争。かれらは晴景の家臣ではなく守護上杉の政争から大乱。
ここでの晴景は守護代としてあまりにも無力無策で越後衆から完全に見放される。
この頃、兄の代わりに孤立無援の中越に派遣され謙信が初陣して活躍し
その活躍ぶりに反晴景だった中条藤資はホレ込み伊達権力を利用して守護権力復活を諦め謙信擁立を考える(1543年〜)
ナメられまくった府内長尾では晴景に対して黒田秀忠らが反乱し守護上杉から謙信に討伐を命じられる(1546年)
天文の乱で1542年〜1548年で伊達晴宗が勝利したために養子派遣の話はなかったことに。
1548年の家督相続後に謙信が発給した文には「のちに守護からもおって認可の沙汰がでると思われます」と認可権は守護に握られたまま。
0598人間七七四年
2008/04/12(土) 12:18:22ID:KzR9D2WVつまり元就は酒の害を自覚してた証拠はあって
体質云々は証拠ない単なる妄想だったんですね
分かります
0599人間七七四年
2008/04/12(土) 12:23:20ID:UJf4wkFoんで簡単な話、越後の場合は北条と武田が侵攻してくる寸前までを安芸に置き換えると
越後守護上杉=安芸守護武田元繁
北条=大内
武田=尼子
そんで謙信は武田元繁に擁立されて意のままに操られていたが
その勇武とカリスマで次第に混乱分裂した安芸の救世主だと
思われるようになり安芸の国人達の支持を実力を見せつける事で獲得していく。
そして仲たがいしてる安芸国人を調停しつつ
尼子と大内の侵攻に対して安芸の平和を守る為に安芸の外での決戦をする道を選び戦乱に荒らされない安芸に商人を呼び経済復興に成功した。
尼子には勝頼が大内には氏政と何の家臣間の権力闘争や内紛もなく平和裏に後継も成功し隙を見せつけず
超大軍の天下人信長・秀吉の登場までは安定政権だった。
0600人間七七四年
2008/04/12(土) 12:43:21ID:UJf4wkFo賛成です。なぜ毛利厨がこの指摘を徹底的に無視し続けるのかと思うと笑っちゃいますね。
しかも謙信について何も知らないと言ってて、知らないけど謙信より元就が優秀という論旨なんだからキチガイ過ぎるw
そんなこんなで元就よりすごいと思われる人々
東北代表 最上義光
父との抗争中に伊達輝宗に介入される。山形城のみでスタート
関東甲信越代表 上杉謙信
父は越後を破産させ兄は越後守護の操り人形で家督相続にも介入される。スタートは兄の命で中越へ派遣される。
中国東部地方 宇喜多直家
祖父の自害。父はバカのフリ?チョイ悪のカリスマで復讐完了。
四国代表 長曾我部元親
祖父は自害。父がある程度の成功を残し死去。
九州代表 龍造寺隆信
祖父・父は殺されたが曾祖父が復讐し願いは曾孫に託される。大内・大友・毛利と傘下を代えつつ養子作戦で耳川の戦いを機に自立。
0601人間七七四年
2008/04/12(土) 12:58:38ID:UJf4wkFo揚北衆に至ってはほぼ独立王国の感すらある。
現代でも下越・中越・上越は生活習俗も言語も違い文化圏としてもバラバラと言われており、北陸・中部・関東・東北のどちらに所属するかも不明な分裂地方。
中国地方の寄親寄子制度下での謙信ならもっと速やかに中国を席捲できたでしょう。
0602人間七七四年
2008/04/12(土) 12:59:40ID:KzR9D2WVなんだ、そのコピペ最強スレとかに貼って
「何この酷い上杉厨」って住人に総叩きに遭ってた奴じゃん
どこでも同じように荒らして、嫌われて、相手にされなくなる運命なんだね
哀れ
0603人間七七四年
2008/04/12(土) 13:03:39ID:UJf4wkFoはっ?なんの話?意味わからない。
どこに総叩きに遭ってた奴じゃん←こんな状況にされてる?
それどこにあんの?リンク貼ってくれ。読んでみるから。
0604人間七七四年
2008/04/12(土) 13:06:41ID:UJf4wkFoそれは「港の交易」の範疇だろ常考
もっとよく考えてから腹立ててくれないと相手が迷惑する
597:人間七七四年 04/12(土) 12:13 KzR9D2WV [sage]
とりあえず
史実だけでなく日本語にも不自由してる>>590をイジメないであげて下さい!
598:人間七七四年 04/12(土) 12:18 KzR9D2WV [sage]
>しれんしわからんだろ
つまり元就は酒の害を自覚してた証拠はあって
体質云々は証拠ない単なる妄想だったんですね
分かります
602:人間七七四年 04/12(土) 12:59 KzR9D2WV [sage]
>>600
なんだ、そのコピペ最強スレとかに貼って
「何この酷い上杉厨」って住人に総叩きに遭ってた奴じゃん
どこでも同じように荒らして、嫌われて、相手にされなくなる運命なんだね
哀れ
なんだ・・・ただのバカ低脳毛利厨かw
0605人間七七四年
2008/04/12(土) 13:25:19ID:UJf4wkFoそれと付け加えるならば信長も大苦戦した一向宗勢力が
加賀を策源地に越前と越中で暴れまわってます。
謙信の祖父は神奈川県平塚市あたりまで遠征し相模守護代を打ち破り捕らえ河越で扇谷上杉を降服に追い込んだ(扇谷弱体化で北条早雲はその領土を掠める機会に恵まれた)
ほどの武略に富んだ男ですが越中西部で越中守護代神保が一向宗とともに祖父を討ち死に追い込んでます。
また寒すぎて手の震えが止まらず文が書けず困ったために謙信がハンコを作った甲信越国境の厳冬の三国峠を越え、
坂東太郎と呼ばれ何度となく流筋も変えた暴れ大河の利根川という天嶮も謙信の敵でした。
0606人間七七四年
2008/04/12(土) 13:45:34ID:4KpXdhzcなんか龍造寺って傘下を変えつつ養子送り込み作戦で元就と似てるんだよな。
北九州自体が中国地方と同じ寄親寄子制度が根付いてたから版図拡大の速さは理由がつくし死後の崩壊の速さもまさにこれ。
そんで大友が宗麟が息子の義統との二元政治で指揮系統がバラバラになり家臣団の権力闘争に宗教問題で自壊し龍造寺が寄親になり瞬く間に版図を拡大。
天正11年には肥後で島津を圧倒した事もあって油断しちゃったんだが経歴は見事。
長曾我部も一条氏や怨敵本山氏の傘下で力を養い養子戦略だよな。
そういう意味ではセックル大好き小作りマシーンより謙信や最上義光や宇喜多直家や三村家親の方がより実力に根差しているだけに凄い気がするな。
0607人間七七四年
2008/04/12(土) 13:46:01ID:TEQLDAF/人格攻撃とかしない方が良いと思うよ。
0608人間七七四年
2008/04/12(土) 13:48:15ID:IU1W1aqK0609人間七七四年
2008/04/12(土) 13:52:16ID:gwpCCUSnそれと謙信の跡目を決めてなかったのは大きなマイナスだと思う
あれのせいで結局上野も越中もほとんど失ったわけだし
0611人間七七四年
2008/04/12(土) 13:55:49ID:TEQLDAF/って決め付けてる人がいるような気がするんだ。
うん、気のせいであってほしいな。うん。
0612人間七七四年
2008/04/12(土) 14:01:45ID:4KpXdhzc三村家親は突然の暗殺がなければと思うと惜しいな。
0613人間七七四年
2008/04/12(土) 14:02:57ID:gwpCCUSn0614人間七七四年
2008/04/12(土) 14:07:40ID:TEQLDAF/何を根拠に元就より謙信の方が上か教えてください。
お願いします。><
最上義光と宇喜多直家の評価は他所でしてくだされ。
0615人間七七四年
2008/04/12(土) 14:07:51ID:1MWf3uhl元就と同レベル以下の境遇から備前一国+αまでいったのだから
ただ時代を考えるとあれ以上長生きしていても、
秀家の3ヶ国と似たような結果に終わりそう、下手した警戒されて領土を低く抑えられるかも
0616人間七七四年
2008/04/12(土) 14:10:23ID:UJf4wkFo普通に論議できない人がいるようで・・・。
人格攻撃とかしない方が良いと思うよ。
これは私に対しての人格攻撃ですかw
つか謙信のことがわからないから教えてって言ってる毛利厨のために>>596で少し詳しく書いたつもりなのに、その答えがこれかよ・・・毛利厨ってキチガイだな。
続きの経歴書いてたが止めたわアホくさ。
0619人間七七四年
2008/04/12(土) 14:18:50ID:1MWf3uhl毛利なんてもっと孤立無援の死地にいたことになりそう。
そのような理論で他の大名も説明するなら、みんな苦境に陥っていたことになる、
まあ多くの大名が多少の差はあれどみんなそれなりに苦しい状況抱えていたんだろうとは思うが。
0620人間七七四年
2008/04/12(土) 14:25:43ID:LutN05Vcしょーもないケチつけるだけのレスだけの>>607>>611>>614>>617と>>609>>613>>618は毛利厨房の自演だろ。
>>619の指摘に対して>>596さんがめんどくさい事をわざわざ詳しく書いたら毛利厨が内容に触れずに普通に議論できないと人格攻撃してきたんだろ。
0622人間七七四年
2008/04/12(土) 14:31:51ID:4KpXdhzc謙信の家督相続前後の経歴を詳しく書いたら今度は人格攻撃だからアホ過ぎて手に負えない。
>>615>>619
あなたは直家を評価したのでまともな人だと思いたいが。
なんせ毛利厨は直家の評価を完全黙殺スルーしてる厨ばかりだから。
0625人間七七四年
2008/04/12(土) 14:36:56ID:TEQLDAF/このスレは上杉謙信と毛利元就を比べるスレですよ。
別に黙殺するつもりはありませんが、
毛利元就と宇喜多直家または、三村家親を比べるのであれば
そういうスレを立ててから比べてください><
0626人間七七四年
2008/04/12(土) 14:38:38ID:UJf4wkFo論議をブチ壊そうとしてるのはわかった。
0628人間七七四年
2008/04/12(土) 14:42:29ID:4KpXdhzc中国地方や関東甲信越地域の大名を持ち出して対象比較するのが悪い事なのか?
またわけ分からない独自ルールを持ち出すわけか…毛利厨には付き合いきれないわ。
0629人間七七四年
2008/04/12(土) 14:46:04ID:UJf4wkFoどこに総叩きに遭ってた奴じゃん←こんな状況にされてる?
それどこにあんの?リンク貼ってくれ。読んでみるから。
その該当レスに対しては>>231のレスしかついてないが?これこそまさしく悪意の誘導してんだろうが。
0630人間七七四年
2008/04/12(土) 14:51:07ID:IU1W1aqKメガ豚が思い浮かんでどうせ詭弁だろと思ってしまう俺がいる…
0631人間七七四年
2008/04/12(土) 14:52:38ID:LutN05Vc0632人間七七四年
2008/04/12(土) 14:53:56ID:TEQLDAF/比較対象として出すのなら構いませんが
>まー元就よりも謙信や義光や直家の方が優秀って結果で終りだろこのスレ。
直家、義光と元就を比べたいなら他所でやってくださいと言っただけですよ。
>>629
総叩きにあってるかどうかはわかりませんが
>>600と同じのがそのスレにありますよと教えただけです ><
0635人間七七四年
2008/04/12(土) 15:01:26ID:Uy6U6g4V0637人間七七四年
2008/04/12(土) 15:06:42ID:Uy6U6g4Vまともな人が来ない休日の昼間に一気に畳み掛けても無駄だぜ。なにやってんの?ニート
0639人間七七四年
2008/04/12(土) 15:11:59ID:LutN05Vc毛利厨の自演の可能性はすでに指摘されてる。
今朝から交易について毛利厨は屁理屈を持ち出し始めて12時過ぎの上杉方の書き込みに対しては反論できず内容にまったく触れず毛利厨の議論ぶち壊しの自演が開始された。
0640人間七七四年
2008/04/12(土) 15:14:44ID:TEQLDAF/確かに前のを振り返って見て見れば >>614の自分の発言は説明不足な部分がありました
それはあやまります。
なので改めて言います。
ここは元就と謙信を比べる所ですよ。
直家、義光と元就を比べるなら他所でやれば言いと思います。
0641人間七七四年
2008/04/12(土) 15:25:48ID:LutN05Vc所詮はこれが毛利厨の限界だよ。
政戦略で大友に大敗したのに勝ったと主張するし>>574の指摘のように油断してるとすぐ捏造するし指摘されても黙殺スルーしてくる。
そのくせ港の交易とかくだらんところではやたら屁理屈で粘着してくる。
0643人間七七四年
2008/04/12(土) 15:30:18ID:TEQLDAF/いや、だからさあ
ここは元就と謙信を比べる所なんだよ?
元就と謙信を比べる上で、周りの勢力を比較対象にするのは別に構いませんよ?
でも、元就と謙信を比べる上でいきなり三村や直家の方が、元就より上って言うのもどうかと思いませんか?
0644人間七七四年
2008/04/12(土) 15:41:24ID:UJf4wkFo死去年齢で比較したら元就の同年齢時に比べてはるかに彼らの方が飛躍している。
>>642
それなら謙信死去時の石高
金銀の産出や青芋の生産や塩などの日本海交易での運上金などを石高に換算すれば300万以上にはなるかもしれんが、
越後・佐渡・越中・能登はいいとして、加賀は四分の三の支配?
しかし柴田軍団は単独では謙信死後2年たっても加賀に乱入して放火するぐらいしかできなかった(信長公記)と言うし。
越前は柴田勢の越前への撤退につけこんで一時乱入しただけ、信濃や上野、西下野、南出羽は
合算してもたいした石高にはならないので180〜200万石ってところだろう。
0645人間七七四年
2008/04/12(土) 16:01:45ID:UJf4wkFo越中38
能登21
加賀35-5=30
佐渡1
上野49-34=15
信濃+出羽+飛騨+下野=6
かなり小さく見積もって150万石ってところか。
0646人間七七四年
2008/04/12(土) 16:11:25ID:4KpXdhzc元就はどう見積もっても120万石はいかないね。
元就は75歳まで生きたんだっけ?まぁ実質50歳スタートみたいなもんだから後半生25年でよく拡大したと思うが…
謙信は織田軍を北陸から排除しての49歳での死去だな。
0647人間七七四年
2008/04/12(土) 16:14:43ID:wSBm6K9o内容のあることを書けないただの煽り厨ww
0648人間七七四年
2008/04/12(土) 16:15:55ID:LutN05Vc寄親寄子制度だから有力者が死んじまえば次の有力者にお鉢が回ってくるから
いったん勢いづいたらドミノ倒しのように国人が帰順してきてアホみたいに拡大するのが西国の特徴。
0649人間七七四年
2008/04/12(土) 16:19:15ID:wSBm6K9o0650人間七七四年
2008/04/12(土) 16:34:58ID:UJf4wkFo上野49-34=15
信濃+出羽+飛騨+下野=6
あまりに小さく見積もりすぎて削りすぎかな???
さすがに上野は削りすぎかも・・・
加賀も削らなくても良いのかも知れんね。
+10の160万石でもぜんぜんおかしくないような気がする・・・
0651人間七七四年
2008/04/12(土) 17:31:09ID:0W2SPwLvそしてこの三村家親は元就の支援の元勢力範囲を広げたが暗殺でおじゃん、宇喜多直家は浦上を追放したのはいいが毛利、織田に囲まれなかなか勢力を広げられず死去
寿命云々は運も実力の内、家康も最初は苦労したが、長生きして天下を取れた、これと同じ
死ぬのが早かったは言い訳にすぎない
よって三村や宇喜多が元就以上だと言う事はないだろ、謙信は知らん
0654人間七七四年
2008/04/12(土) 19:08:42ID:8g5pZA6Z晩年の最盛期は謙信も元就も大差なく戦国屈指の大勢力を築いてるし、
両者とも後世では日本史の教科書に太字で載る程評価されている。
(教科書に載れないような戦国武将が大多数な中、運がいいのかもしれない)
つまりどっちも日本を代表する偉人だよ。戦歴や寿命なんか関係ない。
個人的には、この二人は争わせるより手を組ませてみたい気がする。
0655人間七七四年
2008/04/12(土) 19:14:36ID:4KpXdhzc家康はちゃんと薬草薬マニアになってちゃんと健康管理し、長生きしただけあって天下取れたけどな。
元就はただの偶然で長生きして中国地方で覇者になっただけだろ。
家康と同列みたいな論じ方は失礼だ。
だいたい三村も宇喜多も元就よりも年数短くして地域の覇権を確立してる。
元就は50歳くらいでもいまだに安芸一国の統一すら出来てないじゃないか。
元就みたいに年数の無駄な経過をひたすら待たずに知略武略と英断で切り開いた実力面で考えたら彼らは元就より上なのは明白だろうが。
0656人間七七四年
2008/04/12(土) 19:15:04ID:aKoVTnUh謙信も健康管理をしてれば長生きした可能性もある。まぁ49だから長生きではあるけどね
0657人間七七四年
2008/04/12(土) 19:17:13ID:Uqesj/Lg元就と同等かそれ以上の領土拡大率を誇るとは思うが・・・
0658人間七七四年
2008/04/12(土) 19:40:14ID:4KpXdhzc酒だって通常に嗜む分には酒毒と言われるほど寿命を縮めるわけじゃねーよ!何を誇張してんだ。
健康管理してないから49歳で謙信が死んだ→能力がないのか?50歳前後で死ぬとは当時としては普通だ。
元就の父とかが酒毒で死んだからって健康管理が重要とか言ってるようだが度を越した飲み方で暴飲しただけだろ。
そんな事言ったら京風の薄味を好んだから畿内の大名は健康管理していたとか信長は酒を飲まなかったのは健康管理の為とかと変わらないだろ。
0659人間七七四年
2008/04/12(土) 19:41:19ID:Uqesj/Lg自身よりある程度強大な伊達や上杉の介入を受けながらも
山形城主という元就よりはかなりましとはいえ、それでもかなりの小勢力からスタート
家督相続の1570年から20年ほどで石高を数倍の24万石に
関ヶ原後は57万石
宇喜多直家はゼロから考えるなら拡大率は無限
1543年の乙子城城主から考えるなら元就とほぼ同程度の状態から
40年弱ほどで備前一国+α、拡大率は数十倍
自身より強大な三村浦上更には毛利と争いながらの拡大
三村家親はいつ元服かはわからないけど、
庄氏には及ばないものの川上郡の国吉城・成羽城などを本拠し備中でも有力な豪族
元就とほぼ同程度の状態から産まれてから50年ほどで備中+αと拡大率は数十倍
自身よりはるかに強大な尼子氏と争いながらの拡大
元就は1523年の家督相続から30年ほどで安芸備後の大半だから
それまでの期間考えても元就の方があるいは上じゃないか?
年齢で考えると、元就は次男であったため家督相続が27歳だから
他のものの50歳と比較すると活動期間が短くなるので、
年齢だけでの比較は詭弁というか、わざと元就に誤った印象を与えるような情報操作になりそ
でも元就50歳時の1547年は吉川氏に養子送りこんだ直後になるから
毛利は安芸の最大勢力で上の宇喜多最上三村そう劣るほどでもないけど
もっとも義光の家督相続も24歳だが
0660人間七七四年
2008/04/12(土) 19:43:15ID:0W2SPwLv大器晩成って言葉があってな、別に若い頃から活躍しなくてもその人物が後年に活躍した人物なら歴史上いくらでもいる、北条早雲や斉の文公がいい例だ
要するに年齢は関係ない、如何に結果を残すだけ、一瞬輝いてもそれ以上の結果を残せなければ上とは言えない
それと比べると雄藩の基礎を築いた人物より、所詮二三代限りの人物の方が上という方がよっぽど失礼じゃないのか?
0661人間七七四年
2008/04/12(土) 19:49:05ID:4KpXdhzcでた基地外毛利厨ww
雄藩の基礎を築いたから凄いwww
議論に敗北したあげくに、
ついに元就とかまったく関係ない250年以上先の未来を持ち出してマンセーを開始したなwww
しかも2000年以上前の文公まで持ち出すしwww
最近の研究で早雲の年齢ももっと若かったと言われてるしな。
毛利厨はどうしようもないな…
0662人間七七四年
2008/04/12(土) 19:56:32ID:4KpXdhzcそもそも最初の義光からして認識がおかしい。
父の最上義守(最上の支流出身)は幼少時に強大な伊達にムリヤリ擁立させられ従属させられていた(伊達軍が山形城まで乗り込んで来た)。
義光は父と抗争中に伊達輝宗の介入すらあった。
山形城は平城で小さいものだったし周囲は敵だらけで孤立無縁。
とても難攻不落の吉田郡山城とは違います。
なぜ元就よりマシなのか?それこそ誘導だろ。
0663人間七七四年
2008/04/12(土) 20:35:32ID:Uy6U6g4V同時並行して概要を理解しつつお話することが不可能なのならやめればいいのに。
0664人間七七四年
2008/04/12(土) 21:00:07ID:Uqesj/Lg周囲は敵だらけも同様だし
義光の方がましと考えるのは国力比だな
家督継いだ段階じゃ最上は数万石(山形盆地の一部なら5〜6万石くらい?)
それに対し伊達は30万石ほど(岩城や留守や石川など含めれば跳ね上がるが)
宇喜多は初期所領はどこまで少ないかわからないが
家督継いだ段階じゃ浦上は備前一国なら22万石
それに美作播磨備中含めれば更に増える
毛利に従属した時期には備前の過半を制していたが毛利はすでに100万石超の大名
織田や豊臣に従属した時期は更に差がある
毛利は元就が家督継いだ段階じゃ数万石、それに対し大内尼子は100万石近い大大名
三村にしても従属したり敵対した尼子や毛利は100万石近い大大名
このように並べて考えると上に挙げた武将の中では義光がましとなるのは自然の結論だと思うが
また難攻不落と言うのもどうかと、
そもそも城の強弱が戦術的にならともかく政略戦略有利不利に繋がるのであれば
甲斐の小山田氏や砥石城の海野氏などが勢力広げてもいいんじゃ
0665人間七七四年
2008/04/12(土) 21:36:50ID:Uqesj/Lg1523年の段階じゃ大内尼子ともに100万石も無いな
大内は周防長門豊前筑前に石見の一部安芸の一部
尼子は出雲に石見の一部安芸の一部、伯耆の過半(大永の五月崩れの前年であるため)
大内は100万石に近いが
尼子はせいぜい50万石くらい?
こう考えると大内義隆尼子晴久はともにかなりの勢力拡大をしていると思う。
0666人間七七四年
2008/04/12(土) 22:39:10ID:Uqesj/Lg>金銀の産出や青芋の生産や塩などの日本海交易での運上金などを
>石高に換算すれば300万以上にはなるかもしれんが、
そういったもの含めれば他のすべての大名も同様に数倍の石高になるんじゃ
>>645
582は自分だが、それぐらい上杉の支配範囲を広く見積もるのなら
>>582の方も美作や肥前などを加えるため180万石ぐらいまで上昇してしまうと思う
0667人間七七四年
2008/04/13(日) 03:19:15ID:DNhCwXOY0668人間七七四年
2008/04/13(日) 10:09:00ID:Ug/ERPzC功があれば恩賞ももらえるし安芸での指導的立場も保障される美味しい立場と言える。
もともと大内側だが尼子の大挙進入時にビビって大内裏切り尼子へ服属→元就の家督問題で尼子に介入されやむなく大内方へ逃走→
尼子の攻撃は難攻不落の吉田郡山城へ籠もったので危機感はなし(尼子来襲時で郡山城は8000人くらいが籠城してるから充分な戦力といえる)
参考>>373>>378
1516年〜1523年まで元就は叔父として幸松丸(9歳死去)を後見してるので7年は加算すべき(武田元繁との戦いも元就指導であり違うとは言わせない)
最上義光について
伊達が30万石って・・・毛利厨は伊達厨と同類じゃねーかワロタw
まぁ輝宗は北は仙台市あたりまでは確実に伊達領で80万石以上はあったな。
岩城・留守・石川・国分などを伊達圏に組み込み山形居館(当時は3〜5万石が妥当)に乗り込み幼児の最上義守を擁立し黒川氏を威圧服属させ輝宗期の伊達は
関東方面から奥羽に敵が来たら一致団結して戦おうとの手紙も岩城氏に出しているほど。
さらに義光は伊達からの自立を狙うために伊達派の父と対立した際に輝宗は山形居館の真下の上山城主と共同で出兵し介入してる。
そういった争いの中で己が手で当主の座を父から奪い取った。
宇喜多直家は祖父・能家が島村盛実の暗殺され父が城を放棄して逃げてからの話で完全にゼロスタートだろ。
放浪の末に浦上宗景に仕えて政敵排除の策謀で実力でのし上がってきてる。毛利厨が直家をほとんど評価しない書き込みばかりで驚く。
その宇喜多直家を何度となく打ち破ってる三村家親は備前美作で激突し、ついに直家がどうにも困って鉄砲で暗殺せざるおえなかった猛者。
美作や肥前などを加えるため180万石ぐらいまで上昇してしまうと思う←なに言ってんの冗談でしょw
>>645はかなり削ってる謙信死去時石高だぞ。元就死去時はせいぜい甘くつけても130万石には到達しない。
0669人間七七四年
2008/04/13(日) 10:20:50ID:+bmt/6R00670人間七七四年
2008/04/13(日) 11:00:05ID:lpMXWLCF不思議な事に複数の厨での共通認識みたい。はて、そういえば文体もにて(ry
0671人間七七四年
2008/04/13(日) 11:11:54ID:5SAhL3Iqくだらんな。明らかに難攻不落級の城だろ。
月山富田城が難攻不落だと毛利厨はよく言うが標高197mでひ弱な吉田郡山城が360mじゃ主客転倒もいいところw
要するに尼子は凄いが毛利は貧弱な小城で頑張ったと捏造してるだけ。
実際は吉田郡山城>>>月山富田城っていう明白な事実なんだよ毛利厨さんw
0672人間七七四年
2008/04/13(日) 11:20:32ID:lpMXWLCF0673人間七七四年
2008/04/13(日) 11:35:38ID:ueKLjEkr0674人間七七四年
2008/04/13(日) 11:44:13ID:lpMXWLCF妙な因縁つけやがってwww
0675人間七七四年
2008/04/13(日) 11:56:12ID:Ug/ERPzC謀反して後ろめたい陶は味方を増やしたくて伝統的に安芸の国人盟主だった元就に東方を自由にして良いと任してくだされた。
(大内からのお墨付きで安芸一国安堵と言える・・・破格の厚遇!さらに棚からボタ餅でもう最高!)
1555年に石見国の吉見氏の討伐に向かった陶を裏切り元就が留守を狙い火事場泥棒開始(元就はビビっていたが隆元が説得)→1557年に大内家滅亡。58歳
備後で大内方の杉原理興の死去(1557年)に家督継承した杉原盛重が元就の兄の娘をもらって
1562年から毛利の戦評定にでてるので毛利騎下となったと思われる→ここらで備前の領国化もひと段落で元就65歳くらいか。
まさに寄親寄子制度の賜物で75歳死去まで国人が大挙服属→織田軍の前に緩やかな連合体の国人衆は烏合の衆で決戦回避を続ける脆弱な連合政体が露呈。
やはり48歳三村家親や51歳宇喜多直家死去の二人の方が凄いな。
0676人間七七四年
2008/04/13(日) 12:19:59ID:aU/Y0xbVわずか3年弱で尼子晴久死んじゃうもんなー。
尼子義久はまだ20歳で何もわからず毛利と和睦路線を進めるし、父晴久が奪い取った石見銀山の重要性も理解できずに
毛利との和睦条件に石見国への不干渉を約束し石見の尼子方を見捨てちゃうし、元就は銀山収入をバネにそんな和睦なんて裏切って侵略してくるし。
なんか義久って可哀想…その後も尼子再興には一切手を貸さずに大人しくしてんだよね。。
石見銀山防衛に全力を挙げてたら晴久の粛清による中央集権化が軌道に乗ってきて毛利に勝てたかも知れないのに。
0678人間七七四年
2008/04/13(日) 13:16:59ID:gH0rgs7+都井睦夫
津山三十人殺しの主人公
元祖ニート大王
宇喜多直家
謀略と毒で次々に敵を消す
最低の犠牲で最高の利益を得た将軍
菅源太郎
名家の跡取り息子にして偉大なる首領にしてニートの領導者
名前だけでケチの岡山県民から六万票も引き出した偉人
0679人間七七四年
2008/04/13(日) 13:21:15ID:0oyGb9SYまったく関係なくはないだろ、基礎を築いて結果的に日本史に影響を与えたんだから、その三者はあまり影響を与えてるとは思えんし
もっとも、戦国限定にしても三者よりは勢力範囲と影響力は高い
それと文公はあくまで大器晩成の例として持ち出しただけだよ、そんな事も分からないの?
北条早雲が若い事は知らなかった、でもこれは別人をあげれば解決する話し
0680人間七七四年
2008/04/13(日) 13:47:47ID:Ug/ERPzC役に立たない屁理屈で食ってかかるな。しょーもない。
門司城攻防戦
宗麟との同盟軍の尼子軍が後方で侵攻開始し
宗麟が政戦略外交を駆使して毛利を屈服させ香春岳城・松山城・門司城を大友に返却し和議させる。
この際に宗麟は自分から将軍に大金をつんで和議斡旋を頼んでおきながら元就が困って和議を受託しようとしたら
条件を次々に出してなかなか和議を結ばないという卓越した外交交渉をしてのけたので元就の一方的譲歩になった。
1566年尼子滅亡
多々良浜の戦い1569年
宗麟の謀略として大内輝弘の逆上陸が開始され
後方では隠岐国から上陸した尼子残党が出雲一国をほぼ奪回寸前になり
毛利軍は多大な犠牲と苦戦の末に落とした立花山城を大友に返却し撤退。
1571年に元就死去。
1574年山名氏から援助を受け尼子軍が因幡国より出雲侵攻。
1577年織田軍に参加した尼子残党が播磨上月城を攻略
信長が尼子の後ろ盾になるのは元就死去後でありここで頻繁に織田を出すのはおかしい。
0681人間七七四年
2008/04/13(日) 14:12:18ID:0oyGb9SYそれ以上の結果を残せない奴が何ほざいても負け犬の遠吠えにしか聞こえない、謙信は知らん
0682人間七七四年
2008/04/13(日) 14:42:18ID:5SAhL3Iqまったく違う…理解しがたい。
人生50年下天のうちにくらべれば…同じ与えられた時間内で不利な状況を胆力と勇武と知略で自力で切り開いた者と
周囲の事態が劇的に好転するまでいたずらに時を過ごし陶の謀反という非常事態から地域の長老として周りから推戴されるまで無為に過ごしてきたかを比較してんだろ。
かなり平等な客観的数値比較として成立してるだろうが。
0683人間七七四年
2008/04/13(日) 15:07:27ID:TjBSU7xZソレが関東蛙には理解できんけのう 往生しよるわ
0684人間七七四年
2008/04/13(日) 15:33:53ID:0oyGb9SYいくら優れた人物でも、相手より結果として劣ったり負けたら言い訳にしか聞こえないとの例として出したんだが
だいたい勇武と知略とやらで結局元就以上の結果は出せなかったじゃん、そういう言葉は本当に勇武と知略を発揮し結果を残した秀吉クラスにならんと負け犬の遠吠え
それに鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、勝てない敵と戦うより勝てる状態まで待つのはむしろ的確な判断だ
それに平等って・・・結果として勇武と知略を尽くした宇喜多三村が元就に勢力で劣ってるのに、それを上だというのが何処が客観的で平等なんだ?
0685人間七七四年
2008/04/13(日) 15:58:07ID:aU/Y0xbV元就の寿命ってのは天下人クラスなわけさ。
でもさ、ラッキーで中国地方の覇者クラスじゃん。
しかも中国地方って寄親寄子だからいったん頭一つ飛び出ると簡単に拡大できるわけよ。
0686人間七七四年
2008/04/13(日) 15:59:48ID:+bmt/6R00687人間七七四年
2008/04/13(日) 16:24:15ID:0oyGb9SYだいたい三村や宇喜多が元就より優れてたら、経久や元就のマネが出来る筈だろ、中国地方は寄親寄子制とやらで拡大しやすいんだろ
それが出来ないという事は、所詮その程度だったという事だろ
0688人間七七四年
2008/04/13(日) 16:38:17ID:+bmt/6R0言い換えればいったんどこかの勢力の拡大を許せば(あるいは生まれた時点ですでに差を付けられてたら)
もう逆転は難しいってことだよな?
武田大内陶尼子と頭1つも2つも飛び出てた勢力を逆転して滅ぼした元就はやっぱりすごいってことでFA?
0689人間七七四年
2008/04/13(日) 17:02:35ID:DNhCwXOY比較対象の上杉はどうしたのよ
0690人間七七四年
2008/04/13(日) 17:22:19ID:aU/Y0xbV0691人間七七四年
2008/04/13(日) 19:10:20ID:lpMXWLCF芝を生やさないとレス出来ない低脳とかは三戦にでも篭っていて欲しいな。
0692人間七七四年
2008/04/13(日) 19:20:24ID:Ug/ERPzC備前西部・美作から三村氏を追い払い備中深くまで侵入し
1568年には撫川城(備中南東)・猿掛城(備中南西)・斎田城(美作・備後国境沿い)と宇喜多の前に次々落城し、
最後の仕上げとして直家の調略で備中の名族庄氏が裏切り備中中枢の松山城の居城を奪われ三村氏は崩壊。
三浦氏(美作西部の有力者)も三村氏より美作西部の要衝高田城を奪還。
1569年元就が対大友戦で長府へ(翌年正月に輝元をおいて元就は吉田へ帰る)
大友との多々良浜の戦いが開始され大友に支援された大内軍が後方の周防国へ上陸し
破竹の進撃を開始しついに山口攻撃を開始し無視できない状況に。さらに尼子残党が隠岐より上陸し出雲一国をほぼ制圧してしまう。
毛利は大損害を出しながら何とか確保した立花城さえ大友に譲渡し九州完全撤退を決意し交渉に入る。
毛利軍が備中猿掛城を落城させるも備中斎田城で宇喜多勢に大敗。毛利方香川春継が尼子・三浦氏より高田城奪取。
1570年2月尼子残党の月山富田城攻略失敗。尼子と宇喜多直家は手を結ぶこととし、
尼子勝久・山中幸盛らは備中より美作へ1000の援軍を派遣し三浦氏を支援し10月には毛利軍を破り高田城は落城。
尼子勢は備中を次々に降し幸山城(倉敷北方)・松山城などの諸氏は尼子に降り毛利方の城攻めを開始しほぼ毛利は備中失陥。
同年に宇喜多配下の花房職秀は荒神山城を築城し美作支配の拠点とする(宇喜多が美作をほぼ制圧完了)
9月に元就重症の急報あり尼子残党を元春に任せ、輝元と隆景は大友の動きを警戒しながら元就のもとへ急行。
1571年6/14元就死去。
8月に新山城で山中幸盛を元春が捕縛するも逃げられる(尼子勢力が減退し始める)
毛利が備中中部で反撃を開始し松山城落城させるも備中幸山城が備中北部を制圧していた尼子に攻められ降服。
1572年毛利の支援で三村元親が佐井田城を奪取し松山城に居城を移す(備中の軍事バランスが毛利方へ)
宇喜多と毛利はこの後も一進一退の抗争を繰り返す。
1574年対織田で宇喜多・毛利は同盟し毛利の背反に激怒した三村氏は織田へ。
1575年毛利が松山城や猿掛城を落城させ三村氏を滅亡させ備中平定に成功。
1576年毛利氏が美作高田城奪取。
1577年宇喜多によって浦上は滅亡へ。
0693人間七七四年
2008/04/13(日) 19:22:57ID:Ug/ERPzC長門13
石見11
出雲18(尼子残党が暴れていたが詳細不明につき削らない事にする)
備後18
安芸19
備中17-10=7(尼子残党とそれを支援する宇喜多同盟軍がかなり攻勢に出ており三村滅亡寸前だが元就死去後には挽回し始めている)
隠岐4(尼子残党の拠点になったりしてるので元就時代に領有してたか不明だが+する)
美作と備前(元就死去時はほぼ宇喜多支配下)
毛利元就死去時の石高は106万石
九州(大友の四国侵攻による宇和郡領有による伊予での河野氏支援も含む)と中国東部での無意味な二面作戦という愚策で
東部・西部ともに劣勢に追い込まれるが死去寸前に愚かさを悟り九州から完全撤兵(健康への不安からか?)
謙信が関東を放置し上洛戦で北陸に戦力集中したのと違い元就は戦略変更が遅すぎて宇喜多や大友の支援で尼子残党が巨大化してしまった。
元就死後に中国東部のみに敵を絞り込み反攻しある程度の成功を収めてるところを見ると老害が出始めていたかも。
0694人間七七四年
2008/04/13(日) 19:44:31ID:5SAhL3Iqよく言うよ。
毛利厨は何も知らない無知でただただ厨二病元就マンセーしてるだけだろw
謙信の事もよく知らないって言ってたが元就の事もほとんど知らないだろ厨房クンw
>>692
元就は完全に大友宗麟と宇喜多直家に翻弄されまくってるアホだな。やっぱり無能の陶が大内義隆を謀殺という素晴らしいラッキーな出来事のおかげで運が良かっただけだな。さらに石見放棄とかする尼子義久もアホだったしな。
0696人間七七四年
2008/04/13(日) 21:33:07ID:ZEHwi8ba同調。
謙信の神出鬼没と元就の権謀術数を組み合わせたらどうなるか見てみたいな。
関ヶ原時の当主がこの二人だったら家康が勝てる気がしない。
会津にいると思ってた謙信がいつの間にか家康の背後にいたり、
東軍だと思ってた諸大名が元就の謀略によっていつの間にか寝返ってたりw
0697人間七七四年
2008/04/13(日) 23:34:05ID:9vd05k47ソースは何?
0698人間七七四年
2008/04/14(月) 00:23:51ID:Wm1GuagR吉田郡山城ってそんな凄い難攻不落の城なのか?
0699人間七七四年
2008/04/14(月) 01:50:28ID:ELRzEGB4伯耆(10万石)因幡(8万石)情勢
1564年 西伯耆の要衝たる尾高城は毛利方の杉原盛重が派遣される。
1568年 毛利氏の九州出陣で伯耆の領主たちが九州に赴いた隙を狙って
尼子勝久・山中幸盛らによる尼子再興戦が開始され伯耆各地を奪回し始める。
1569年 山中幸盛らの尼子残党に尾高城を奪われる(陰徳太平記)
1571年 毛利と同盟して因幡を乗っ取った武田高信が但馬侵入するも山名氏の塩冶高清に大敗。
西伯耆の浄満原で杉原盛重が尼子氏残党(信長の支援で但馬因幡の山名氏を復興させた)と戦う(陰徳太平記)
1572年 因幡国人の大半が山中幸盛側になびき武田高信の大敗で鳥取城陥落し因幡が完全に山名領国化。
西伯耆と分断された東伯耆の国人の南条宗元は毛利と同盟しているが
孤立無援の中でかなり苦戦してると思われる(毛利に援軍派遣の余裕はない)
※陰徳太平記は毛利氏によって編纂されているので毛利贔屓になっている。
よっておそらく杉原盛重は浄満原で負けていると思われる。
元就死後に元春のがんばりで対尼子の出雲情勢が好転してくる状況で、なおかつ美作国方面はほぼ宇喜多の手に落ちている。
よって伯耆以東は尼子の勢力圏化が進み連絡線も断たれ孤立した各国人が独自の防衛政策で必死に守っており
毛利の軍事プレゼンスも期待できない以上は影響力が皆無に等しく毛利領と見なすのはかなり無理がある。
しかも出雲・隠岐もかなり尼子に蹂躙されているが>>693ではまったく石高を削っていない状況なのでさすがに伯耆分は追加不能。
厳密に計算したら元就死去時の石高は、ほぼ100万石くらいまで落ちる気がする・・・がそんな事したら毛利厨が過小評価だと騒ぎ出しそうだし遠慮しとこう。
>>645>>650
微妙なところなんで謙信の場合はあいだをとって155万石とするか・・・160万石でもおかしくなさそうだがそんな事したら毛利厨がヒイキとか騒ぎ・・・w
0701人間七七四年
2008/04/14(月) 02:15:47ID:GRWcbA1Vしかし尼子再興軍ウゼェーー!
山中鹿介の偉大さがわかった気がする…
尼子残党に翻弄される元就って世間で言われるほど智将じゃないね。
出雲や伯耆や備中の旧領での尼子って潜在能力かなり高かったのね…尼子義久のアホが。
0702人間七七四年
2008/04/14(月) 02:20:37ID:Wm1GuagR0703人間七七四年
2008/04/14(月) 02:27:57ID:A+ZpQ9Wqなかった点で謙信は戦国大名としてどうかと思うが。
その点毛利はきつちり決めてたし。まー血が繋がってるないの違いはあるがそれでも
やはりこの理由で毛利の勝ちだと
0704人間七七四年
2008/04/14(月) 02:33:29ID:ELRzEGB4播磨35万石
但馬11万石
因幡8万石
伯耆10万石のうち東部3郡羽柴方の南条6万石
宇喜多備前22万石+美作18万石
合計100万石
あーもう石高で同等に追いついちゃってるよ・・・
これじゃ毛利軍はどうあがいても100%かなわないわ。
0705人間七七四年
2008/04/14(月) 02:39:27ID:GRWcbA1Vもうムリヤリ元就を勝たせようと必死w
これだから毛利厨は…
死後を持ち出したら信長親子よりも元就がすごい事になりますねw
あー秀吉も死後の事をもっと考えておくべきでしたねw
いやいや家康も幕末まで考えて長州という雄藩を予測し関ヶ原で毛利を改易しておけば良かったですねw
はいはいさすが老害の元就だね。
はいはいさすが基地外の毛利厨だね。
0706人間七七四年
2008/04/14(月) 02:50:56ID:ELRzEGB4そういや近江長浜からつれて来てる兵や信長からも与力つけてもらってるし
淡路6万石
長宗我部に侵攻され滅亡寸前の三好讃岐領もあるんだよな。
0707人間七七四年
2008/04/14(月) 03:05:12ID:G6oB8pAFこれメガトン先生の口癖ね。あの自演野郎どこいったw
0708人間七七四年
2008/04/14(月) 03:09:55ID:Qv78kjze元就自身も輝元が15歳の頃に歳を取り過ぎて疲れたから隠居して家督を譲るって言ったが輝元が
「お父さんの時は長く後見してくれたのに何で僕の時は(涙)」と言い出して元就が考えなおしてるのに。
例え後継者指名してなくても隆景も元春も毛利家の後継者として育ってきてる輝元を擁立するだろ。
輝元も死後の手紙で「もはや亡くなる覚悟はできてました」って落ち着いた文を書いてるし。
ほんと毛利厨は何にも知らないで元就をマンセーしててなんとか謙信を引きずり落とそうと中傷してるだけなんだよな。
0709人間七七四年
2008/04/14(月) 04:56:31ID:D8GO4pUjそれに元就は三子の教訓条等で後継者を明確にしてきたから輝元でもスムーズに移行し、当時としては珍しく家族間の繋がりが強固な体制になった(こう見ると北条家に似てる)。
その点謙信の後継者選びは細川政元(この二人は何処かしら奇人みたいな共通点がある)みたいに突然の死を迎えて家が割れる事を想定してなかったのが謙信の爪の甘い所。
信長みたいに明確な後継者まで死ねばどうしようもないが、そんなのは特殊な例。
しかしそれを持って毛利の総合的勝利はどうだろ(そもそも接点がないし)。
0710人間七七四年
2008/04/14(月) 05:03:06ID:QwZbRMlnまずいってことはちょっと考えりゃ分かりそうなもんだが。
ましていつ戦死してもおかしくない戦国時代ならなおさら。
0712人間七七四年
2008/04/14(月) 06:47:04ID:D8GO4pUjその吉田郡山城の今の形状は元就家督を継いですぐ拡張したからね
旧本城でも標高290メートルで十分堅固だがそれをさらに強化したのは元就
0713人間七七四年
2008/04/14(月) 06:54:01ID:D8GO4pUj居城で勝負するならどちらが上だろうか?
0714人間七七四年
2008/04/14(月) 06:59:29ID:D8GO4pUj石高
謙信→元就
謙信の方が上、しかし当時の越後にそれほど石高があったかどうかは考慮すべきか。
経済
謙信→元就
石見銀山を押さえた毛利も評価すべきだが、経済力を抜群に強めた謙信の方が上だろ。
初期状態
謙信=元就
どちらも本来なら継ぐ予定はないが、持ち前の運と実力で当主に。
戦略
謙信→元就
元就も中間はかなりよかったが晩年は失敗、謙信は関東でこそ失敗したが北陸地方での戦略はうまくいった、しかし謙信はその後の織田に対抗出来たかは疑問だが謙信の勝ちとする。
戦術
謙信←元就
元就は少数でもよく戦い、有田中井手の戦い、青山取場の戦い、厳島の戦い等の戦歴がある、謙信は川中島や七尾城での戦い等があり甲乙付け難いが、肝心の有名合戦でいくらか勝利した元就の方の勝ちとする。
知略
謙信←元就
謙信も北陸計略はなかなかだが元就の反間の計、養子送り切腹作戦等はエグく効果的、これに対抗出来るのは宇喜多や真田くらいか
後継者選び。
謙信←元就
上記の通り
とりあえずこんな感じで比較してみた。
0715人間七七四年
2008/04/14(月) 07:36:27ID:QwZbRMlnなんかもう元就vs信玄スレも念頭におくと
謙信>信玄って感じだな。こんなことを書くとスレが荒れるんだろうが…
0716人間七七四年
2008/04/14(月) 08:35:07ID:VKvNQ+kU後継者選びなんか謙信は完全に失策だろ。知略も元就が上だと思うけど
0717人間七七四年
2008/04/14(月) 10:01:01ID:GRWcbA1Vすぐ後継者問題を持ち出すくせに信長を例外にする。
親子を同じ京に居合わせ警備も手薄にしてる時点で過失があり万が一の後継継承に油断があったではないのか。
これも立派な後継への思慮だろう。
暗殺された後継者の毛利隆元(急死説もあるが死んだ理由が不明だ)が死んだのも警備の配慮に不備があり手薄だからではなかったか?
それに後継問題に関しては謙信の突然の死を利用して上田長尾氏の景勝がクーデターを起した可能性があるから謙信が悪いとは言い切れない。
なんせ勝者の景勝側の主張ではちゃんと謙信が死ぬ寸前に後継を景勝にすると言っているとしている。
また当初は北条と武田と旧関東管領山内上杉憲政に支援された景虎が他家を利用してのクーデター阻止に動いたかも知れないし(結局、北条自ら動かず勝頼を動かそうとしたので不信感が募った勝頼が景勝側にいく)
そうそう越後守護上杉氏の上条氏を継いだ能登畠山氏の養子もいた。
本来の謙信の構想では上野国と関東管領職を景虎にして北条と協力させ
景勝に越後国と自信の官職を渡し上田長尾を納得させ能登を上条に渡し畠山の名家を再興させる平和プランがあったとされるしな。
なんにしても勝者の景勝側視点からの記録しかない以上は後継問題を持ち出し比較するのは不可能。
0718人間七七四年
2008/04/14(月) 10:24:16ID:QwZbRMln>すぐ後継者問題を持ち出すくせに信長を例外にする。
>親子を同じ京に居合わせ警備も手薄にしてる時点で過失があり万が一の後継継承に油断があったではないのか。
>これも立派な後継への思慮だろう。
そうだね、信長にしては脇が甘かったね。「所詮は信長もその程度」でもすんでしまう話だし,なんにせよ信長はスレ違いな訳ですが。
>暗殺された後継者の毛利隆元(急死説もあるが死んだ理由が不明だ)が死んだのも警備の配慮に不備があり手薄だからではなかったか?
死因不明ならみんな暗殺されたことになるんですか。当時の医学を買い過ぎだろ。
たとえ暗殺だったとしても当時の隆元は40半ば、まして毛利家の当主,自信の警護は自信でおこなうべき立場だろ。
なんで元就がそんなことまでいちいち細かく口出しして指導しなきゃならんのだ?
>それに後継問題に関しては謙信の突然の死を利用して上田長尾氏の景勝がクーデターを起した可能性があるから謙信が悪いとは言い切れない。
>なんせ勝者の景勝側の主張ではちゃんと謙信が死ぬ寸前に後継を景勝にすると言っているとしている。
周囲に徹底してない遺言にいったいなんの意味があるんだか。
>また当初は北条と武田と旧関東管領山内上杉憲政に支援された景虎が他家を利用してのクーデター阻止に動いたかも知れないし(結局、北条自ら動かず勝頼を動かそうとしたので不信感が募った勝頼が景勝側にいく)
>そうそう越後守護上杉氏の上条氏を継いだ能登畠山氏の養子もいた。
>本来の謙信の構想では上野国と関東管領職を景虎にして北条と協力させ
>景勝に越後国と自信の官職を渡し上田長尾を納得させ能登を上条に渡し畠山の名家を再興させる平和プランがあったとされるしな。
>なんにしても勝者の景勝側視点からの記録しかない以上は後継問題を持ち出し比較するのは不可能。
謙信の夢の戦略プランを語ってくれてありがとう。で,それが後継者問題となにか関係ある訳?
0719人間七七四年
2008/04/14(月) 10:33:02ID:GRWcbA1Vただ残念ながら越後国主就任以前の記録は概要だけで個々の戦闘などはほとんど残っていない。
また尼子や大内が滅亡してしまい中国地方の記録のほとんどは勝者毛利の主張がそのまま通っている。
元就の知謀があまりにも講談じみていて鵜呑みにできない。
まわりを取り巻きに守られている武田元繁なんて自分から矢に当たりに言ってるようなもんだ。たまたま流れ矢が当たらなければ元就の作戦は崩壊していたがこんな不備ある作戦はおかしい。
アホ陶に関しての記録では
厳島の戦いの無為な大空費で有名な宮尾城の話などもある。
まだ手薄で簡単に落城させられる宮尾城を前に陶は吉凶を占いさせた。
すると軍監者が朝夕城中から立ち上ぼる炊飯の煙の気をみて勝敗を考えたが落ちる気はしない。また明日、明後日は大凶であり来月の大吉日に攻めた方がよい。
それに対して弘中隆兼が「おっしゃる事はもっともだがそんな日を選ぶより実際に闘う意思の方が戦いの結果では優先されるのでは?味方にとって悪日なら敵にも悪日だし目に見えない天の意思や陰陽より目の前の明らかな勝敗を選ぶべき」
陶は待たずに被害を数千人も出すわけにはいかない。数字待つのに害はなかろうと言ってチャンスを失う愚将。
有名な百万一心の吉田郡山城の大改築は尼子氏の攻撃を受けた経験を生かして大改築されたものだ。
それ以前は父祖代々の改築の積み重ねとそれほど大幅に変わらないはずだ。
0720人間七七四年
2008/04/14(月) 10:41:01ID:Qv78kjze毛利厨は何も知らない素人が屁理屈言ってるだけだから
毛利厨が詳しい話をした事が今まであったか?
まるでないどころか謙信の事をほとんど知らないと白状するし元就の事も実際にはほとんど知らないで講談話レベルの話しか出してこない厨二病マンセーだから。
おおかた大河やノブヤボくらいの知識で語ってるのがレス読んでてわかるから痛過ぎるよ。ほんと毛利厨は戦国板一の恥さらし。
0721人間七七四年
2008/04/14(月) 10:52:01ID:QwZbRMlnの多い議論をやってくれるんで。
日本の史学科のレベル低いって思いたくもないので,GRWcbA1Vに>718の突っ込みに対するディフェンスを頼むわ
0722人間七七四年
2008/04/14(月) 11:08:48ID:GRWcbA1Vしかも信玄自身の体調があまりよくない状況である以上は織田と敵対せず養生してれば。
ただ真の後継者は勝頼の子で後見者勝頼は諏訪家の後継者。諏訪地方失陥がそのまま甲府の人心の瓦解になっちまった。
まぁ後継者達の生き方はまた別な人格と人生だから論議不要。
ただ謙信や信玄の最後のチャンスにかけて織田軍にケンカ売るってのは連戦錬磨の戦国大名の名に恥じない意気込みが感じられる。
豊臣政権下の大名がいかにも小粒で気宇が小さく感じる。
元就は信長と戦うなと言ったようだが…尼子再興軍はすでに信長が後援を開始し始めているし。
まぁ謙信や信玄の死による総決算までを考えたら国境では彼らの遺徳と武遺を恐れた織田の行動が鈍く小康状態で保っており大成功で終わってる。
元就は九州戦線を終結させたが尼子残党軍と宇喜多が暴れ周っており先行き不安を覚えながらの死だったろう。
0723人間七七四年
2008/04/14(月) 11:15:00ID:GRWcbA1V自分はほとんど意見を開陳せずにケチだけつける輩とは論議が成り立たない。
こういうタイプは揚げ足やへ理屈が多いし枝葉末節な話になったり言い換えや言葉の定義の一字一句まで執拗なタイプが多いのでめんどくさい。
まず何か自分の主張を滔々と語れ。それからだ。
0724人間七七四年
2008/04/14(月) 11:21:56ID:QwZbRMln>織田軍にケンカ売るってのは連戦錬磨の戦国大名の名に恥じない意気込みが感じられる
その辺が徳川幕府関係なく今でも人気のある理由かもしれんね。
でも当時の価値観で言ったら自分の夢の為に御家を滅ぼした(滅ぼしかけた)愚か者 にしかなりそうにない気がするが。
>>723
揚げ足やへ理屈が多いし枝葉末節な話になったり言い換えや言葉の定義の言い争いになっちゃたときは
止めてくれよ。実際なっちゃうかもしれないからw
ちなみに俺の主張は元就の方がすごい!ではなくて「>717の議論から謙信>元就というには無理がある」な。
だいたい修士論文のディフェンスもそんなもんだよ。教授の方も学生のテーマにそんなに詳しい訳じゃないから
彼らを納得させらんなきゃ終わり。
0725人間七七四年
2008/04/14(月) 11:51:49ID:9+RJoohE経済: 謙信>元就
初期状態: 謙信>元就(謙信の方が酷い状態でスタートしたという意味)
戦略: 謙信=元就
戦術: 謙信>元就
知略: 謙信<元就
後継者選び: 謙信=元就
客観的に判断すれば、こうなった
0726人間七七四年
2008/04/14(月) 15:09:30ID:G6oB8pAF0727人間七七四年
2008/04/14(月) 15:27:17ID:ELRzEGB4元就は三子の教訓条等で後継者
←そもそも史実じゃないのに・・・
細川政元みたいに突然の死
←養子に殺されたのに謙信と一緒って・・・
>>712
元就家督を継いですぐ拡張
←>>719の指摘のとおり大改築は尼子の包囲以後だろ。
標高290メートル
←郡山城は390M級なんだが・・・
>>719
尼子や大内が滅亡してしまい中国地方の記録のほとんどは勝者毛利
←そのとおり!いい加減に諸葛亮孔明ばりの知略とか講談じみた元就神格化はやめにしようよマジに・・・戦国板最大の恥部。
東西両戦線で大失敗して泥沼にはまったまま亡くなってるのでとても謀将とは言いづらい。
謙信は北陸を征して成功して終了してるのとは段違い。
アホ陶に関しての記録
←そう大内は伝統と慣習で脳が腐ったアホ揃い。例えば大内義隆は陶の謀反を事前に察知していたが
何の手を打ったかと言えば陶晴房という敵を調伏すべく37日の間ずっと加持祈祷で護摩を焚いていたら殺された。
宮尾城を前に陶は吉凶を占いさせた
←当時の中国地方では凶日は双方休戦との暗黙の習俗があったとも言われているので
元就は敵側が防備を解いてゆっくりしてる隙をついて卑怯なマネをしてたっぽい。
>>720
毛利側は明らかにモノを知らな過ぎるね。希薄などうでもいい点を部分的にピックアップして無理やり
全体を論じ始めてロクに根拠を出さず、なんとか元就が凄いと持ち上げようとしてるに過ぎない。
自分達は無知なので何も語らず、ケチをつけるのだけは一人前だけどな。
まぁ中国地方のスレの賢い良心は幻の尼子スレだけだわな。毛利厨はレベル低い。
0728人間七七四年
2008/04/14(月) 15:27:20ID:oXIfuEN6全然客観的じゃない
まず後継者選びこれ元就>>謙信
後継者選びだけではなくしっかり子作りもしてたわけだし
戦術も元就の方が上
戦績見てどう考えても謙信が勝った戦など元就と比べて少ない
0729人間七七四年
2008/04/14(月) 15:51:21ID:c4Q1ZVov0730人間七七四年
2008/04/14(月) 16:07:27ID:GRWcbA1Vもうあきらめろw
0731人間七七四年
2008/04/14(月) 16:14:16ID:Wm1GuagRその辺は上杉側も認めないと。
毛利側も上杉側の領土経営等はちゃんと認めてるんだがら。
ただ屁理屈だのなんだので聞く耳持たないって態度はどうかと思うよ。
ほかの事に関してはまだ議論しなくちゃいけないのかもしれないが。
0732人間七七四年
2008/04/14(月) 16:16:01ID:Qv78kjzeそもそも当人達に関わりない後継者なんて項目をムリヤリ設置してるだけで毛利厨が少しでも元就有利にしようと持ち出した独自ルールだからな。
今までVSスレ数あれどそんな項目を設置してたためしはない。
そのくせ長寿って言う年齢による膨張率を提示したら絶対に認めない糞ルール奉行ぶりの毛利厨は伊達厨以下の講談厨でどうしようもない。
0733人間七七四年
2008/04/14(月) 16:19:41ID:Wm1GuagR最初の方から見ても結構お互い様の部分があると思う。
0734人間七七四年
2008/04/14(月) 16:47:38ID:D8GO4pUj三本の矢なら史実じゃないが三子教訓条の文書は存在するぞ、これは偽物なの?
ttp://www.google.com/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww5d.biglobe.ne.jp%2F%7Edynasty%2Fsengoku%2Ftegami%2Fm405.htm%3F_gwt_pg%3D0&hl=ja&mrestrict=xhtmlchtml&inlang=ja&client=ms-kddi-jp&q=%E4%B8%89%E5%AD%90%E6%95%99%E8%A8%93%E6%9D%A1&channel=main
0735人間七七四年
2008/04/14(月) 17:23:47ID:ELRzEGB4「矢」じゃねーだろ。矢の話は講談話。
謙信の後継問題は同情に値する。そもそもこの問題は根深い。
※1 越後の国人はやたら敵愾心と独立心が旺盛で共同での一揆や国人の間での調停も起こらず仲たがいばかりで 揚北衆に至ってはほぼ独立王国の感すらある。
現代でも下越・中越・上越は生活習俗も言語も違い文化圏としてもバラバラと言われており、北陸・中部・関東・東北のどちらに所属するかも不明な分裂地方。
※2 上条(守護上杉系で関東管領を輩出した事もある上杉定実の実家)・上田長尾・揚北衆・葦名・出羽砂越らにより
父の為景が敗北し隠居し兄の晴景が越後守護にすげ替えられ擁立される。これが府内長尾が孤立してる基本構造。
少年謙信が越後守護の養子問題で中越で孤軍奮闘しカリスマを発揮し豪族の中にはその勇武を越後の救世主と期待する熱烈な者達が増えた。
中条氏などは伊達権力で守護権力復活を図っていたが謙信支持に変わってる。
謙信が兄にかわり守護に擁立され無理やり家督相続して少し経ってから擁立した政権の主宰者たる後見人の守護が死んだ(1550年2月)→政権瓦解の足音
(これにより大事な時期に守護のかわりに幕府の権威にすがるべく謙信が将軍に会いに越後を留守にして上洛しなければならなくなったのも痛い→実現できたのは1553年にやっと)
すると早速に上田長尾氏が謙信の家督相続に異議を唱えて地位を奪おう反旗を翻した(1550年12月)
あくまで守護権力下の下では守護の顔を立てる意味でガマンしてたし※2府内長尾も上田長尾も同格に扱われていたが、
明日から上位権力者じゃない府内長尾の指示を受けるのはまっぴら御免ってヤツ。
しかもその争乱のころに北条の上野国北上やら武田の信濃北上が同時に襲いバラバラ状況の越後の危機で上田長尾には武力で圧倒できそうにない。
(1552年正月にはついに関東管領が越後に逃げてきた・1553年には村上義清が信濃から逃げてきた)
※1さらに越後国人達は離合集散と私利私欲ムキだしのバラバラで争乱が長引けば父のような失敗もありえる
(守護上杉の養子争いの紛争みたいな真似は避けたい)
そこで上田長尾に謙信は姉を与えて妥協せざるおえなかった。そのため上田長尾は独自に発給文書や感状を出せる同格指揮権者。
そしてその上田長尾出身が景勝なわけで、この政権基盤のバランスには謙信も苦労して配慮していた。このあたりが子作りしなかった一因かもしれない。
かなり危うい薄氷の上の政権運営してたが、1556年またまた家臣団が仲たがいし謙信権力の否定をし始めたので出家すると言って春日山から逃亡したこともある。
ちなみに本格的に北条・武田と抗争中の1559年の2度目の上洛で相伴衆に就任したことでだいぶ政権参加領主(柿崎・斉藤・北条など)が増えてきた。
これにより越後統一も視野に入り1560年にやっと小田原遠征が可能になった。
0736人間七七四年
2008/04/14(月) 17:24:25ID:9+RJoohE石高: 謙信=元就
(この部分はお互い説明が少ないので無理な判定せず)
経済: 謙信>>元就
(国内統治や港湾整備など両者は比較にならないくらい差が出てるということでおk?)
初期状態: 謙信>元就
(謙信の方が酷い状態でスタートしたという意味)
戦略: 謙信>元就
(無計画な領土拡大で東西に敵を作り泥沼化させた元就は戦略性が欠けていた?)
戦術: 謙信>>元就
(元就は敵が自滅して弱ったから何とか勝てたって感じでおk?陶に勝ったのも元就というより村上?)
知略: 謙信<元就
(これは元就だと思います。これで上杉とか言い出したら、ただの贔屓判定になりますので厳粛に)
後継者選び: 謙信=元就
(両者、特に遜色ないといった感じのようですね)
不公平の出ないように両者の意見を汲み、客観的に評価したらこうなりました。
0737人間七七四年
2008/04/14(月) 17:26:29ID:oXIfuEN6負けを認めてるからだよな?
0739人間七七四年
2008/04/14(月) 17:51:31ID:ELRzEGB4>>699のレスに異論がでていない。そうすると石高で謙信が圧勝なんだが。
後継者の概念は毛利側が持ち出してきた自己中独自ルールなのでそれを入れるなら年齢による膨張成長率も入れないと不公平だ。
おなじ中国地方の48歳三村家親や51歳宇喜多直家死去の二人が参考になるだろう。ちなみに謙信は49歳・元就75歳・秀吉61歳・家康75歳
また元就が知略面として謙信より優れてる面に言及してるレスが毛利側から一言の説明もないので要説明求む。
>>46>>719>>727このへんのレス読めばわかるけど明らかに呪術とか占いとかやっててアホだよ尼子とか大内とか陶とかさ。
0740人間七七四年
2008/04/14(月) 17:59:04ID:Wm1GuagRだからお互い様だって。
後継者関係は家そのものに関わる事だ。
その後継者関係が不当だと言うなら占いや呪術を持ち出してきた上杉側もどうなんだ?
大体占いや呪術をやってたのは中国地方だけじゃない。
その辺りを印象操作するのもどうかと思うぞ。
ソレを言うなら謙信だって自分を毘沙門天の化身に例えたのもオカシイって事になるぞ。
0741人間七七四年
2008/04/14(月) 18:08:58ID:9+RJoohE計算に入れるのは不当だということですね?
確かに一概に領土だと言っても、それは(記録を残すことができた)勝者の言い分であって
国内の力関係や、また敵に蹂躙されてる地域は明確に領土とするのは不自然な気もしますね
ただ石高とは、東西の国の特性も大きく影響してくるので(一般に東高西低)これも考慮に入れるべきかも知れません
それと>>699を読んで感じたのは
石高というより、毛利の戦略性や戦術性の方が問題じゃ?
ということだったんですが、その変はどうでしょう?
0742人間七七四年
2008/04/14(月) 18:09:54ID:GRWcbA1V謙信家督相続時は経済破綻してたし、発給文書も「守護からも認可の手紙がおって沙汰すると思われます」って内容で最終認可権を持つ守護の操り人形だしいつ殺されてもおかしくなかった。
安芸守護武田元繁の管理下に謙信がいたようなもん。
また父の為景の葬儀には府内長尾の衰退のチャンスとばかりいつ襲撃が来るかわからんから鎧兜姿で幼い謙信も葬儀に出たんだよな。
さらにその後は出家させられちゃうし。
占い呪術は島津や大友にも見られ西日本ではやたら多かった。
畿内以東はあまり例を見ないだろ。
毘沙門天ってのは味方の士気を高める程度の話で上杉も武田も神社で祈る程度の習慣。
西国のようにシャーマニズム的で平安時代の陰陽師みたいな恨みのぶつけ合いや戦況を無視したり、有利な状況で戦機を逃したりする非合理的で後進的なものではない。
0743人間七七四年
2008/04/14(月) 18:19:56ID:9+RJoohE謙信の武将としてのスタート時の酷さは有名ですよね
秀吉や道三のように無一文からスタートするのも大変
直家や家康のように自家滅亡で他家の家来としてスタートするのも大変
でも、謙信の場合は力も蓄積してない状態で
いきなり命を狙われ続けるスタートなんですよね。しかも実の兄からも
これは考えようによっては一番、酷かも知れない
秀吉が何も持たない0だとすると、
謙信は身近な存在から命を狙われる−からのスタートということです
さて、元就はどういった過酷な状況からスタートだったんでしょうか?
0744人間七七四年
2008/04/14(月) 18:22:44ID:Qv78kjze隠岐は毛利領から石高削るべきだな
隠岐は現在こそ島根県だから近いように感じが実際は出雲と伯耆の境目の北海上にある。
また山中鹿之助が拠点を置いていたのは新山城といい松江市の北だ。とするとさらに背後にある隠岐はまだ安全圏だろうし新山城の位置から万が一には隠岐に脱出するルート保全もあったと思われる。
0745人間七七四年
2008/04/14(月) 18:41:00ID:ELRzEGB4地方によって石高そんなに違わないんでない?
まぁ四国はたしかに93万石しかないもんね。
出羽31万石だけ。
でも中国地方は290万石だし
九州地方は264万石よりもあるよ。
陸奥でさえ167万石しかないんだから。
謙信の北陸地方だけがヒイキされてはいないよ。
畿内は飛びぬけて高いけど毛利も上杉も該当してないしね。
それに石高が少ないって事はそれだけ村落が少ないから支配力が
簡単にあがるからどんどん領域を膨張しやすくなるメリットもある。
石高による数値的客観評価を排除してしまっては意味がないのでは?
0746人間七七四年
2008/04/14(月) 18:50:21ID:9+RJoohEこれは支配する側から見れば楽ではありますね
そうなると石高数値だけで評価するのが公平かも知れません。
0747人間七七四年
2008/04/14(月) 18:51:21ID:GRWcbA1V東国の国割りは手抜きされて大雑把な事を東高西低と言われてもな…
実際、越後3ヵ国にや越中2ヵ国に分国してもおかしくない領域だから。
そのくせ能登と加賀の国分けは畿内から近いからかなぜか細かいw
だいたい吉備国を以前わざわざ備前・備中・備後の3ヵ国に分けただけだから。
だから別に東高西低だから毛利が不利とかはないだろう。
0748人間七七四年
2008/04/14(月) 18:57:34ID:ELRzEGB4それは私も思った。
でも毛利側だけは甘くつけておかないと毛利厨が不公正だって騒ぐだろうから
文句言われる隙を作らないようにするにはちょっと甘めも仕方がないんじゃないかな。
0749人間七七四年
2008/04/14(月) 19:04:30ID:G6oB8pAF早くなんとかしないと
0750人間七七四年
2008/04/14(月) 19:10:13ID:D8GO4pUj急死も暗殺も似たような物だろ、どちらも突然死
郡山城の旧本丸の標高が290メートル、尼子侵攻以前に元就が拡張してなければ290メートルで当ってるはずだが
>>732
後継者をはっきり決めるのは戦国大名として当然の評価だろ、現に無責任な選び方した信玄は叩かれ要因の一つ何だから
>>738
誰が「矢」を史実と言った?
文章読め
>>739
知略の点では養子乗っ取り、月山富田城の調略、江良房栄殺しと等々
それに呪術といえば謙信は信玄を呪殺しようとしたのは有名な話しだが?
0752人間七七四年
2008/04/14(月) 19:16:32ID:Qv78kjze少年謙信も「これでちょっとは府内長尾家も再興できたかなと思うとうれしい」って言ってるんだよな。
このあたりの激戦下の少年謙信の姿を見て敵側の豪族達も心を寄せ味方になっていったって言うしね。
越後は関東の騒乱に長い事巻き込まれ一向宗の脅威もあったから越後を救う指導力ある救世主が求められたんだろうね。
出家して私利私欲のない謙信だから公平に欲深い国人を治められたと思うな。
川筋が変わったあとの土地の所有権を巡り争いがあった時に身びいきせずに平等に判決出したら中越時代から謙信と一緒にいた身内の本庄が判決を無視。
これには謙信も怒って、いつもケンカばかりで愛想が尽きたからあとは勝手にやれやと春日山から出家すると言って出ていっちゃったからな。
越後をまとめられるのは謙信だけだから謙信いなきゃまた越後はバラバラに瓦解して戦乱の日々になっちゃうから必死に国人豪族が謙信さま帰ってきてくださいだもんな。
0753人間七七四年
2008/04/14(月) 19:54:56ID:7IczYmsm郡山城(拡張前) 標高402m 比高約200m
郡山城(拡張後) 標高290m 比高約90m
富田城 標高184m 比高約150m
春日山城 標高182m 比高約170m
0754人間七七四年
2008/04/14(月) 20:08:55ID:VKvNQ+kU毛利は産みすぎだなw
0755人間七七四年
2008/04/14(月) 20:15:40ID:GRWcbA1V比高は任意に選んだ2点の間を測る
例えば最寄り駅と城郭や山の峰の1地点。
それは各自の城でどことどこを選んだ時の高さなのか?
0756人間七七四年
2008/04/14(月) 21:26:57ID:GRWcbA1V上田長尾氏の事実上の乗っ取りだろう。関東管領山内上杉憲政まで死んだから勝者の記録しか残ってない。
0757人間七七四年
2008/04/14(月) 22:09:26ID:Qv78kjzeそれでさ、大会戦ってのは勝っても被害が大きいから普通は避けるんだよね。
第4次川中島も濃霧の中で偶然の遭遇戦が拡大しただけ。
まー結局、信玄の弟とか討ち死にさせたが。ただこの戦いの翌年は被害の副作用か動きが鈍いんだよね。
手取川は単なる撤退する軍の追撃戦(追撃を受けない退却ができて初めて良将で謙信や佐竹義重はこのへん職人芸)
だから決戦やる将は人的被害もあるから良将ではないって事。三方が原の家康みたいに決戦しようとするのはダメダメ。
城を強攻策で力攻めするのも被害が大きく愚将なんだよな。信玄も謙信も城の力攻めは好まないんだよな。
また大勝ってのは必ず相手に重大な過失がないとおきない。また大軍だから決戦しようとする典型的な無能タイプ。
今川義元や陶晴房なんかまさにそれ。
0759人間七七四年
2008/04/15(火) 00:51:15ID:9QnYLvgh前レスに健康管理の件のってて質問なんだけど
ほとんどの謙信の小説にはものすごい大酒のみで毎日飲んでた。それが原因で
脳卒中て書いてるけどあれは嘘なの?
0760人間七七四年
2008/04/15(火) 01:21:16ID:3EgX0dMJ謙信愛用の春日杯と馬上杯が残っており、
中風を患っていたらしい形跡がある。
近衛の手紙でも酒飲みだと書かれている。
辞世でまで自分の人生を酒に例えている。
アル中である事は間違いなかろう。
0761人間七七四年
2008/04/15(火) 01:52:05ID:BDT5L5W0してみると安寧を願っての自己犠牲なのに後継者無策とかガチポモ説とか下衆の極みだ。
アル中(T_T)
0762人間七七四年
2008/04/15(火) 03:10:54ID:QOBAf4Vi信玄を呪殺しようとしたってのは有名なのか?
有名なら読んでみたいが…それ始めて聞いたが出典って何に載ってんの?上杉文書?
あと新潟の寒さで酒を飲むなってのは厳しかろう。
ただ家臣達とワイワイと豪快にやる大酒飲みと言うよりは
独りで梅干し食べながらチョビチョビやるのが好きだったそうだからアル中かどうかと言えば違うだろう。
死因は穀物の採れない冬期の越後で食べる為に塩を使った保存食など越後食文化に起因する塩分過剰摂取からくる脳卒中だろうね。
なんせ越後では塩生産が輸出の主力製品のひとつだから腐るほどあるからねぇ。北条や今川から甲斐や信濃への塩止め参加要求にも商人や民の生活が困るだろうからと参加しなかったしね。
体の不調は本人が僧みたいなもんなんで普段はあまり食事は取らなかったそうだから栄養失調からきてるかも知れん…
出陣が近くなるとたくさん食べたそうで家臣達はそれを見て「あぁ出陣が近いな」とか気がついたらしい。
そういや吉川の使者が武勇で評判高い謙信に会いにきた事もあるから当時としては全国区の評判になるほどの武勇だったんだろうね謙信。
0763人間七七四年
2008/04/15(火) 04:13:37ID:G1+hNjdbつかこの時代その手の迷信というかげんかつぎというか、
その手のものは各大名みんなやってることじゃねーの
別に謙信に限ったことじゃないだろ。
0764人間七七四年
2008/04/15(火) 04:37:03ID:QOBAf4Viよく西国最大級の山城と呼称されてるよな。
毛利時親築城で当初は山の南東隅だけが城域だったらしいが空堀や堀切りしてれば充分だし、まー山域が巨大だわ。
なんせ1kmにわたって峰々の尾根筋が続くのと近くを川が2筋に分流してるので典型的な後ろ堅固な山城&要害だろうから南北朝期の山深い場所にある堅固な高山という特色を色濃く残してる充分な防御力だな。
戦国期になると民衆支配の面から平地に孤立してある低い山に築城するが郡山城は行政よりは防御特化だな。
それに木々が生い茂る深い山自体がかなり広域のようだから8000が詰めるのにも申し分ない。
改築後の本丸は山頂にあり上下二つに別れ、北端が一段高い物見台があったらしい。
また三の丸には石垣が現存。改築後だろうが曲輪270以上ってスゲェなオイ!…この数なら改築前でもだいぶあったろうから難攻不落に相応しい。
天正17年広島城築城を着工開始しのち広島へ去る。
0765人間七七四年
2008/04/15(火) 04:48:53ID:QOBAf4Viあぁ願文なら別にシャーマニズム的だったり陰陽師的なものじゃないよね。当時はみんなやってるし。
神仏を敬うだけの話で単に神さまに気合い入れてお願いする程度。
簡単な話、現代人がお宮参りで願い事するレベルだね。
そんなの別に呪詛じゃないよね。
非科学的・非合理的な占いとかの結果で戦略戦術レベルに影響がでるような話でもないし。
0766人間七七四年
2008/04/15(火) 05:20:08ID:/ld9KOZh有名とか言うから何が有名なのか疑問に思ってたんだけど
結局ID:D8GO4pUjが何も知らないのに適当なことを言っただけなんだね
そんだけ追い詰められてるってことかな?
毛利擁護の人は
0767人間七七四年
2008/04/15(火) 08:09:01ID:bBAZ/viU謙信の公言があってもいいんじゃない?
景虎に対する厚遇も家中を混乱させるだけだし。
景勝が慌てる様に春日山を占拠する必要ある?
通説では脳卒中が死因になってるけど、
腹痛って書かれた当時のいくつかの書状は無視?
それとも脳卒中って腹痛も伴ったりするの?
新暦で4月下旬だから上越はそんなに寒くないし。
0768人間七七四年
2008/04/15(火) 08:13:19ID:017DBTqt0769人間七七四年
2008/04/15(火) 10:14:22ID:QOBAf4Viなんといっても妙高高原から峰々とつながってる延長戦にある春日山城に住んでたっぽいし。
直江津近くの平城の御館は憲政が住んでたからね。
死因については脳溢血の発作で倒れたのが数日前で3/13に亡くなったとされる。
脳卒中の症状が現れてたみたいだから現時点でこれを否定するのは難しいだろう。
謙信は子どもと遊ぶのが大好きで3人の養子をかなり厚遇してた。
ただ姉の子で10歳で養子になって謙信から直接に教育を受けた景勝(府内長尾と上田長尾の血が入ってる)を世継ぎにしようとしてただろう。
なんせ1575年に上杉景勝の名に改めさせて後奈良天皇から賜った官職の弾正少弼をくれたし、なおかつ御中城様と呼ばれ一門筆頭になってる。
また上杉政権中枢の人々がみんな景勝支持してる。
上条政繁(養子の1人で能登畠山の血を引き越後守護上杉を継いだ)
村上国清(信濃村上義清の子で謙信がかなり信用してた)
直江信綱・斉藤朝信・河田長親など
0770人間七七四年
2008/04/15(火) 10:19:38ID:LkDM7Oqv将軍義教選考の時や島津なんかも意見が割れたりした時は籤で決めたりしているが
当時はこれが民主的な方法だったのかね〜
>>767
脳卒中に腹痛は無いな
一応景勝派によるクーデターから謙信の暗殺説まであるけど、
死因は結局よくわかってないな
0771人間七七四年
2008/04/15(火) 10:21:14ID:+D6wcUS7城山だと基本大手口だと思っているので、
郡山は南麓、富田は西麓、春日山は東麓、
国土地理院の1/25000の等高線で割り出している。
大手口が間違っていたらすまん
郡山城の拡張前と後が逆だ、すまそ
0772人間七七四年
2008/04/15(火) 10:57:03ID:/ld9KOZh>通説では脳卒中が死因になってるけど、腹痛って書かれた当時のいくつかの書状は無視?
脳卒中ってのは現代でも三大死因のひとつになってるけど
腰痛で死んだって人なんか聞いたことないw
そんなこと考えれば分かると思うけど
0773人間七七四年
2008/04/15(火) 11:26:19ID:AtElnHQeつかさ、大友とか島津って占いやくじ引きで戦闘日や進軍経路や先陣・殿を決めて軍事行動してるだろw
呪術的判断で出陣してる時点でもうダメダメだろw
しかも天正13年10/11には秀吉が大友支援にまわった事もあり春にクジで進入路を肥後から豊後へと決めてたのに
一年以内にまたクジの引き直しをやりやがってフザけんな!とか上井覚兼が怒ってるしw
謙信は呪術とかクジとか占いやってねーし。
信玄は神に対しても無礼な要求してるくらいだからなw
うまくいかなかったら領地削るぞ!みたいなw
神社などに願掛けや奉納程度の文化的習慣や呪術を利用してうまく兵の士気を高めさせる統率って言うのと
九州のクジで決める非合理的なシャーマニズムな神託の盲信という古代から変わらない慣習とはまるで違う。
それに症状として腹痛がでても別に腹痛が死因ではないだろう。
脳卒中で定説である以上は覆せる根拠ないんじゃ話しにならないよ。
>>769
越相同盟で氏康に関東管領の地位を認めさせてるんだよね。これは立場上で北条は関東管領指揮下に入った事と同義。
その際に人質として景虎がきて謙信が養子に迎える(1570年4月末)ついでに10月に家康とも同盟。
この時期の景勝はすでに謙信とは別働隊を率いて行動するだけの立場を築いてる。
沼田城代のち魚津城代と常に最前線を守り越中最高責任者として織田の攻勢を凌いでいた河田長親は
謙信が近江から取り立てた最も信頼できる奉行だから重要だね。この人が病死してから一気に越中が織田の手に落ちたからね。
1575年の軍役帳では家格として1位景勝、2位山浦国清(信濃の村上が上杉の名族を継いでいる)、
3位上杉景信(古志長尾)、4位上条政繁であり景勝は上杉家上層部の大半の支持を得ている。
古志長尾は謙信の母の実家で景信が上杉に名を改めた際に河田長親が古志長尾の家督を継承している。
これは古志長尾と上田長尾の対立を緩和させるための謙信の配慮。
このことからも古志と上田の和解を謙信は望んでいたし、周囲は景勝を後継者とみていたのは間違いない。
謙信生存時に力を弱めさせられていた古志が上田の家督継承に不満をもって北条の後ろ盾を期待し謀反したに過ぎない。
0774人間七七四年
2008/04/15(火) 11:50:04ID:0LztCpvxいづれにしてもあなたが言うように腰痛で死んだ話は聞かないから三大死因のひとつ脳卒中で死んだんだろ。
一歩譲って腹痛と言うなら悪性ガンで脳にも転移し腫瘍があったが当時の人はわからず脳卒中のように感じたんじゃないか?
元就の謀略ってのは講談みたいで信じられない。偽書状の話はウソくさいし、新宮党の話は完全にウソとか。
>>771
国土地理院の資料に戦国当時の拡張前や後の地形が計測できるの?
0775人間七七四年
2008/04/15(火) 12:32:12ID:5PLlKItMって方が個人的には信じられん。なんか理由でもあるの?
0776人間七七四年
2008/04/15(火) 13:19:19ID:AtElnHQe//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344027&l=1324235
北緯34度40分27秒、東経132度42分35秒
北緯34.674073度、東経132.709653度
郡山南東の一支尾根が1523年の元就相続時までの城域でその後に拡張。
(相続で尼子の干渉があり離反準備を開始し改築開始し1525年大内側へ離反)
この間に兄嫁の高橋氏を1529年に滅亡させ北を固め宍戸氏に娘を出し婚姻し北東を固め、
武田氏と険悪な熊谷氏が頼ってきた事で(1533年)南を固めてる→1540年に晴久に攻撃される→戦訓を元にさらに増強築城
謙信居城春日山城
//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370911&l=1381313
北緯37度9分11秒、東経138度13分13秒
北緯37.152948度、東経138.220153度
尼子居城月山富田城
//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352139&l=1331108
北緯35度21分39秒、東経133度11分8秒
北緯35.360922度、東経133.1855度
0777人間七七四年
2008/04/15(火) 13:35:14ID:AtElnHQe尼子の包囲以後に石垣などの近代化が行なわれたと思われる。
大内領を背後にする武田元繁・熊谷に対して大内騎下の毛利・吉川・高橋(幸松丸の母の実家)らが武田領の包囲体勢をしいている。
普通に有利だと思うんだが。熊谷も武田も意味不明に前線に出てきて流れ矢に当たってるところをみると武田側が最初から
劣勢で陣頭指揮をとらざるおえない状況なのでは?兵力面の彼我戦力がウソくさい。
そもそも城攻めに失敗し疲労してる状況で囲みを解いて毛利方へ向かっている。
尼子に煽られたものの武田は利用されただけで見捨てられていて
尼子の援軍が無いと知り浮き足立った国人衆は大内側へ戻る者もいて士気がさがっていたのでは?
厳島合戦など他の戦いもまるで横で見ていたように詳述されていて講談話を読んでいるようで元就戦記はかなりウソっぽい。
尼子や大内側資料はほとんどないに等しい為に、他家資料からの照らし合わせも不可能で信憑性が疑われる。
事実、時代がくだって秀吉との接点がありだいぶ記録が残ってくる宇喜多や大友戦では精彩を欠いていて智謀の将の印象はない。
養子戦略で乗っ取りは竜造寺や長宗我部・伊達といった各地方政権もみんなやってることで
他家評価にそれらが挙げられる事はほとんど無い以上は特別評価の必要性はない。
0778人間七七四年
2008/04/15(火) 13:43:27ID:QOBAf4Vi毛利系の話って過剰に毛利の不利さばかりを演出するから誤認しちゃうだよね。
実際、講談レベルでだいぶ怪しい。
資料が勝者毛利視点のものばかりで研究自体がほとんど進んでないんだろうね。
0779人間七七四年
2008/04/15(火) 13:46:31ID:38QHDj0W伊達の場合それが成功とも言いづらいけどね
養子戦略は評価する必要は無いと思うけど
養子戦略で領土を拡大に成功したところは評価するべきだね
0780人間七七四年
2008/04/15(火) 14:40:42ID:AtElnHQe守護上杉家への養子戦略でヘタを打ち天文の乱が起きたものの大筋としては完全に成功だっただろ。
この政策がなければ仙台方面まで伊達領とすることは難しかったろうし輝宗期の安定性はこれらの土台の上にある。
政宗が親戚筋を追い詰めて全部ぶち壊したがw
0781人間七七四年
2008/04/15(火) 15:49:43ID:0LztCpvxそういう悪辣な手法が広まると占領された側の心情が悪化に統治に苦労するし。
だから竹中半兵衛とか黒田如水とかが実際になにやってたかわからんし。
今川や徳川や織田や神社仏閣の僧や公家などの日記などで合戦についても桶狭間からしてよくわかってないし議論百出の感ある。
なのに厳島なんてやたら詳細なんだよな。
元就なんてもう戦況の推移とか講談話のように詳しい。
甲陽軍鑑なんて他家資料との照らし合わせで間違いだらけなのがわかってるが毛利側資料って
結局は江戸時代に吉川広家が関ヶ原での自分擁護の資料を残した→岩国藩の家老の香川氏が自分の先祖を脚色をまじえて擁護して編纂した物
毛利吉川小早川家文書がメインでしょ。
このあたりは疑わしいし、謀略についてもそもそも偽手紙が成功するなんて元就以外で聞いた事すらないんだが…三国志演義ではみた事あるがw
0782人間七七四年
2008/04/15(火) 15:51:20ID:017DBTqtそういった者達と言葉を交わす必要は無い。
0783人間七七四年
2008/04/15(火) 16:00:39ID:QOBAf4Vi毛利も似てるよな。
織田や徳川や武田や上杉ってかなり研究されてきたから講談色が消えちゃっててあんまり面白くないけど。
0784人間七七四年
2008/04/15(火) 16:02:18ID:/ld9KOZh納得。
全部手前味噌な感じで信憑性がない武勇伝ばかりなんだろうね
確かに講談と変わらない
0785人間七七四年
2008/04/15(火) 16:37:44ID:AtElnHQe気付いたら当時の平均年齢50歳でみんな死んでて
自分が地域の長老になってたので
死んで他に誰もいないのでやむをえずみんなに推戴され
(元就視点ではもともと安芸の国人一揆の盟主の家柄だし当たり前じゃボケ国人どもめ!)
吉川も小早川も普通に跡継ぎいないから次男か三男くれない→いいよ別に!
大内義隆が陶の謀反を知り調伏の護摩焚いてたらマジに陶が殺しにきた→陶が山田事件起こす→石見国人謀反→討伐中に元就火事場泥棒→
厳島でなにやら占いや気をみたりする陶がここ数日は大凶だから休戦日だな!→大凶?関係ねーよと元就襲撃→卑怯なり元就ぃ!
→石見銀山ゲット!ってあれ晴久突然死→20歳義久は毛利をビビリ石見を毛利にプレゼントするから和睦しよ♪→石見の国人見捨てられる→
うっひゃひゃ銀を出雲国人にばらまけ和睦なんて関係ねーし侵略じゃ!
0787人間七七四年
2008/04/15(火) 16:50:05ID:/ld9KOZh面白おかしく書いて毛利厨を煽ってるように見えるが
実際、史実通りに要約すれば、この通りだから驚きですw
元就って過大評価の代表みたいな武将だったんだな
0788人間七七四年
2008/04/15(火) 16:55:46ID:bBAZ/viU確かに当時の医療は宛にならないかもしれないけど、
一応、腹痛(虫気)と書かれた書状が残されてる訳だし。
脳卒中でも、脳梗塞なんかは季節に関係なく起こるし、
上越は大雪が降るからといって、越後では最も温暖な地方。
気温差で誘発されたってのを理由に脳卒中はどうかなと思う。
だからと言って脳卒中じゃないとは言い切れないけど。
謙信の景勝への特別扱いは、上田長尾の延長みたいなものかも?
景勝隊の編制って上田衆がほとんどだよね?
後継者としない代わりに弾正少弼を与えたともとれるんじゃない?
山内上杉の後継者は後を継ぐまで無官位で、
三郎と名乗るのが風習ってのも聞いた事ある気がする。
景虎に軍役がないのは、謙信直属で後々その直属部隊を継承するからとも。
本当に景勝を後継者にするつもりならさっさと公に話すべき。
景勝についた家臣達が多いのは、景虎は余所者という感じが拭えなかったからかな。
流れぶった切ってたらごめん。
死後に家中が分裂してるって事は、謙信がどれだけ大きな存在か解るけど、
逆に、生前に兄弟の結束を強めさせ、家中分裂がなかった元就も凄いと思う。
0789人間七七四年
2008/04/15(火) 17:02:33ID:yVZ6BFPz元就が国人のリーダー格になれたのは、1541年に尼子晴久を撃退し、その年のうちに安芸守護家の武田を滅ぼしたことが大きい
ただの年長だけではないよ
吉川の場合、吉川興経と吉川経世を対立させた元就の策略が大きい
0790人間七七四年
2008/04/15(火) 17:05:38ID:5PLlKItMなんで江戸時代にそこまでしなきゃならないんだ。
0791人間七七四年
2008/04/15(火) 17:49:25ID:017DBTqt0792人間七七四年
2008/04/15(火) 18:45:32ID:017DBTqt翌年四月、今度は高田郡内に進撃上根ね祢村城を二日で攻略。五月末には毛利元春の郡山城を攻落し六月には坂城を落とした。こうして安芸国内のほとんどを平定し銀山城に凱旋した。
0793人間七七四年
2008/04/15(火) 19:27:59ID:AtElnHQe→小物に尼子の支援なし→正義の大内・毛利・吉川(嫁の実家)・高橋(兄嫁実家)が孤立した武田をフルボッコ
→ヤクザの尼子オヤジに脅され毛利が舎弟になり大内を裏切る
→27歳・幸松丸がうまく死んで弟一派惨殺し元就家督継承(弟の背後にヤクザの影・・・ここから大内と尼子の両属のような曖昧な態度開始)
→32歳・兄の妻の実家高橋氏を不意に騙まし討ちで惨殺(人質の長女捨て駒)
→宍戸に娘を嫁がせる・武田に攻められた熊谷が味方になる
→40歳・ビビってたゴッドファザー経久が孫に家督を譲り引退と聞き正義の大内様に長男を人質に差し出し明確にヤクザ尼子を裏切る
→家督相続にヤクザ尼子が介入されてから怨み続け17年間かけて改築した郡山城は難攻不落の大要塞
→43歳・毛利の背信に怒り孫の晴久が長遠征してきたが案の定大苦戦し疲弊→陶軍が来たので撤退→安芸守護武田完全孤立→大内様と挟撃し武田滅亡
→45歳・正義の大内様の出雲遠征に付き合わされたあげくヤクザの本拠地でボロ負けして死にそうになる。
→47〜50歳で吉川・小早川が後継いないから養子ちょうだい→イイヨ♪→当主の吉川興経自己中で家臣困り果てて追放
→53歳・吉川興経一族を惨殺しさらに経済利権を狙い井上元兼一族を惨殺(元就の当主擁立や経済面でバックアップしてくれたのに)
→54歳・クスリやってる陶が謀反し悪の同盟者元就に安芸・備後は好きにやっていいよ♪→正義の大内派の平賀氏を討ち元就ついに安芸統一に成功!!
気がついたら元就自身がヤクザになっていた。
0794人間七七四年
2008/04/15(火) 19:59:23ID:QOBAf4Viなぜ南北朝時代のを??
元就の壮年期はセックル大好きでひたすらガキを作りまくって成長後には親戚作りをやってたんだろう。
外交的にはことなかれ主義で主に大内の庇護と援助をうけていた。
家督問題介入で怒ってたが尼子にも良い顔をしたりと卑屈だが八方美人をしてた。
大内としても安芸守護武田の支配に対して昔から反抗していた国人一揆の議長役をしていた毛利を通して安芸支配を固めていた。
尼子も武田がダメなら安芸支配のポイントは毛利だとして吉川氏経由で支援して優遇していた。
要するに大内と尼子の勢力圏の緩衝地帯に毛利がいたってわけ。
だから双方の傘下に両属し厚遇された毛利はけっこう美味しい地位にいたし力を蓄える事ができた。
またセックル好きのおかげでガキに恵まれ自身も地域の長老になるとかなり有利になった。
毛利は典型的な他力本願タイプで寄生虫・宿り木・小判鮫をして主家が衰退するのを待って地位を簒奪したと言える。
毛利家は代々の安芸国人一揆の議長役という地位が非常に有効になったんだろう。
0795人間七七四年
2008/04/15(火) 20:10:50ID:017DBTqt0796人間七七四年
2008/04/15(火) 20:26:43ID:HLnU6cs8保存しとけやだれか。
0798人間七七四年
2008/04/15(火) 20:38:26ID:jBb3POSG当時の山陰山陽や越後の国力を米による石高だけで推定する事自体が無意味だろ
0799人間七七四年
2008/04/15(火) 22:17:48ID:HLnU6cs8等を無視して面積や額面の石高を計算しても意味無いし。
中国地方は低い山地の合間に盆地がもの凄く沢山あり、隠し田も非常に多か
ったと言われてるよ。
0800人間七七四年
2008/04/15(火) 22:19:19ID:017DBTqt0801人間七七四年
2008/04/15(火) 22:29:22ID:017DBTqt0802人間七七四年
2008/04/16(水) 01:31:21ID:5btKuGi2全国での太閤検地で度量衡からすべて統一してる石高なんだから
客観的に測れるだろ。江戸幕藩体制の基礎となる石高制を否定すんのか?
宇都宮家の改易を見ても隠し田なんて大きくやってたら潰されるだけ(浅野次男の養子を入れてたら助かったかも知れんが)
0804人間七七四年
2008/04/16(水) 01:52:40ID:5btKuGi2尼子に吉田郡山城を攻められても尼子に降伏できなかったんだよ。
なんせ高橋を滅亡させた時に長女を犠牲にして、
今度は長男を犠牲にする信用できない元就になっちゃうからね。
兄嫁の実家の高橋滅亡時から周囲の人々は毛利との婚姻に気をつけろ!と警戒してたろうし宍戸なんかも娘を毛利からもらっても不安だったろうね。
周囲との人間関係の崩壊寸前だったから。
0805周防守護代桶川兼家様付大刀持
2008/04/16(水) 09:02:21ID:ZrvXLJNRたとえ敵が弱体化していようが、安芸武田氏はかつては武門を誇り安芸平定までやった家だし、大内尼子はいわずもがなの大大名だったわけだ。これらを滅ぼす事則ち非常に世間の評価が高くなるのは当然。
強い弱小大名と激戦を繰り広げるよりも弱体化したかつての守護大大名を滅ぼす方がいいわけよ。
謙信ファンの方々はやはり一戦のインパクト主義なのかしらないが、まぁ煽ってばかり居ないで謙信の実績を毛利ファンの方々に提示してみてはいかがかな?
0806人間七七四年
2008/04/16(水) 11:53:19ID:D/E0Tmss厳島の合戦において
大内軍:2-30,000人←34歳の謀反人に馳せ参じた奴らの数
毛利軍:4-5,000人←長老なのにたったこの程度wwwwww
0807人間七七四年
2008/04/16(水) 11:56:40ID:bs4b/Dlg周囲の敵
元就とは関係なく勝手に自爆自壊した大名達→武田元繁・大内義隆・尼子義久
寿命
50歳まで安芸一国すら統一してない。元就の寿命は天下人家康級なのに…謙信は49歳で死去だがだいたい50年あれば自力で困難を排除し宇喜多直家や三村など再三レスされてますが実績あげてます。
最終石高でも謙信圧勝
年齢膨張率では
一番の働きどころの壮年期に大内や尼子の庇護下でビクビクして生きてきた元就と初っ端からカリスマを発揮して瞬く間に越後統一し武田・北条・一向衆とガチ勝負を開始。
内政では
安芸は戦乱で民衆は困惑の50年だが越後は謙信が統一するや繁栄を謳歌し商人を呼び未曾有の経済発展。
元就は北九州と中国東部でボロボロに敗退し続けて死ぬが謙信は西部で圧勝(織田領を切り取った大名は謙信のみ)して死去。
外交では
越相同盟時に北条氏康から一方的譲歩に成功し数城返却と地位上で氏康を下におく事に成功したが、
元就は大友宗麟と和睦するのに北九州の持ち城をすべて譲渡した。
0808人間七七四年
2008/04/16(水) 12:00:56ID:bs4b/Dlg元就の合戦の彼我戦力はウソくさい。
武田戦では大内の残存兵力や高橋家の戦力は完全に黙殺されているし
厳島では安芸だけでなく備後などの一部からも動員できるのになぜそれだけの兵力しかないのか?
0809人間七七四年
2008/04/16(水) 12:02:45ID:D/E0Tmss多くはないってことだろ。
0810人間七七四年
2008/04/16(水) 12:24:46ID:bs4b/Dlg背後で毛利が火事場泥棒して勢力圏を一気に拡大させたんだから毛利有利とみる国人達も多かったろう。
なんせ石見と安芸が敵になり陶が守護代をしていた周防まで危機になってんだから陶の立場はかなり厳しくなっていた。
長門守護代内藤氏は毛利と婚姻してるどころか陶のやり方を巡って内紛して厳島には参加せず。
実質的には周防の兵力で石見で苦戦疲弊してから厳島へ行軍だ。
明らかに毛利有利なのは間違ない。
0811人間七七四年
2008/04/16(水) 13:06:55ID:haSX4doo史実に照らし合わせて論理的に推察すると
毛利は圧倒的不利な状況を覆したわけではないんだね
神懸った作戦で、さも軍神みたく吼えてる人をよく目にするけど
こういった指摘をされると一斉に沈黙決めちゃうあたり
毛利元就の活躍って講談ベースと思わざる終えない
0812人間七七四年
2008/04/16(水) 13:07:29ID:UnJI96Zy0813人間七七四年
2008/04/16(水) 13:18:14ID:5btKuGi2北九州の大内軍を任されていた筑前の守護代杉興連が謀反に怒り支持を得られず
陶は主殺しで疑心暗鬼になってて残虐になってるから宗像騒動(山田事件)を引きおこし惨殺。
豊前守護代杉重矩が陶晴房のやり方に協力してたのにもともと仲が悪いからって謀殺しちまうからな。
これで陶は北九州からの兵力をアテにできなくなっちまう。
石見国守護代問田隆盛は見事に石見の鎮定に完全失敗するし
知将の安芸守護代弘中隆包の状況説明や忠言も聞かないし江良房栄殺害命じる始末。
結局は陶が討ち死にした後に息子の杉重輔の反乱がおきて陶長房や問田隆盛が殺され
鎮圧しにきた内藤隆世(長門守護代内藤興盛の孫で興盛の五男隆春が毛利隆元を支持しており対立)らと激戦して
栄華を誇った山口を完全に炎上させちまい大内義長の調停も失敗。
隆春は長門守護代の地位を約束してもらい毛利を引き入れちまう。
これにより毛利は労なくして簡単に周防長門の両国を手にすることができた。
これが大内のドロドロの末期の人材と政情だよ。まさに自爆自壊していった名家だよ。
国人衆たちも陶の謀反で陶派と大内派に分裂したみたいだからだいぶ離れていったと思うよ。
しかも陶の強権恐怖政治だから国人達の離散も早かったはず。だから早期に瓦解した。
元就は何もやってない棚からボタ餅だと言われても仕方が無い。強いて言えば内藤家との婚姻関係やっててラッキーだったね。
0814人間七七四年
2008/04/16(水) 13:24:53ID:bs4b/Dlg「元就は北九州と中国東部で」の頭の部分に「戦略では」が抜けてました。
ちなみに謀略や戦術ってのは講談話ばかりで実際にはわからないので書きません。
元就の話は鵜呑みにはできないので…カンスケが大活躍する甲陽軍鑑みたいなレベルでしょw
0815人間七七四年
2008/04/16(水) 13:29:48ID:ZrvXLJNR0816人間七七四年
2008/04/16(水) 13:34:12ID:D/E0Tmssなんだか謙信に攻められたときの畠山家臣団と同じぐらいひどい状況ですね。
それにくらべたら大友は(ry
0817人間七七四年
2008/04/16(水) 16:36:03ID:5btKuGi2一向一揆を鎮圧し畠山家当主の権力強化による守護大名から戦国大名へと脱皮にも成功した。
義総は積極的な国作りを行ない居城を七尾の城山に移して五大山城と称される名城・七尾城を建設した。
この七尾城は後にあの上杉謙信の猛攻を受けても1年以上耐え切ったことを見てもわかるように天下でも屈指の堅城として讃えられた。
また義総は優れた文化人でもあり戦乱を逃れて下向してきた公家や連歌師などの文化人を積極的に保護し、
さらには商人や手工業者にも手厚い保護を与えて、義総治世の七尾城下町は、小京都とまで呼ばれるほどに発展したという。
天下第一の堅城との呼び名も納得の七尾城→//watchizux.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370031&l=1365902
第8代 畠山義続(信玄の肖像画で有名w)/畠山七人衆
遊佐続光・温井総貞・長続連・遊佐宗円・平総知・三宅総広・伊丹総堅
遊佐続光が先代からの寵臣で専横していた温井総貞と畠山氏の主導権をめぐって争い大槻一宮合戦で敗れて加賀に逃亡
1555年に義続・義綱父子らが温井総貞を暗殺した。この暗殺事件をきっかけに温井氏と温井氏と親しい三宅氏が
加賀一向一揆を味方につけ大規模な反乱を起こし一時は外浦を占領された(弘治の内乱)。
しかし、この内乱も永禄3年(1560年)頃までには義綱方が鎮圧。この内乱の過程で義綱方は士気が高まり、大名専制支配を確立した。
遊佐続光が帰参して再び重臣となった。畠山氏が上杉謙信に攻められた神保長職に仲介を頼まれ争いを調停し合意させるなど、外交活動が活発化
長続連、遊佐続光などの重臣が永禄9年(1566年)にクーデターを起こして義続・義綱父子らを追放した(永禄九年の政変)。
義綱らは縁戚関係にあった六角氏の領地である近江坂本に亡命。能登奪回を目指し六角氏の支援と上杉謙信や神保長職らの連携により、
永禄11年(1568年)に能登に侵攻したが義慶政権(遊佐と長が加賀一向宗と武田の支援を得た)に敗退した(義綱の弟・畠山義春は上杉謙信の養子となる)
0818人間七七四年
2008/04/16(水) 16:36:56ID:5btKuGi2長綱連(続連の子)遊佐盛光(続光の子)温井景隆(遊佐続光と仲が良く帰参した総貞の孫)平堯知、三宅長盛、長光連ら。
天正2年(1574年)に義慶が死去すると(遊佐続光と温井景隆による畠山義慶暗殺説と義慶・義隆同一人物説があり不明)
長親子はそのまま義慶の弟の第11代の義隆に仕え、父と共に能登畠山家の筆頭重臣として活躍する。
(長続連は信玄死去後に織田信長の勢力が能登にまで伸びてくるとこれに近づいて親密な関係を作り、
同じ畠山家中の対抗勢力である遊佐氏・温井氏などに差をつけ家中で随一の勢力を誇る重臣となった)
その義隆も天正4年(1576年)に死去すると、長親子はその跡を継いだ畠山春王丸の後見人となる。春王丸は幼少だったため能登畠山氏の実権を完全に掌握し主導した。
同年冬から畠山義春の求めに応じて逆臣討伐のため越後の上杉謙信による侵攻を受けたが、
長親子は上杉謙信に通じた遊佐続光らを中枢から遠ざけ長続連主導のもと七尾城に立て籠もって一度は撃退する(七尾城の戦い)
越後で冬を越している間に長親子は能登の諸城の奪回に成功。
しかし1577年謙信の再侵攻を受け窮地に陥ると弟の長連龍を使者として織田信長に援軍を要請する。
(謙信が祖父の仇である本願寺との外交で和睦し、日本海貿易の為の唯一の外交ルートのある温井氏を利用し本願寺派の遊佐氏を切り崩しにかかる)
援軍が到着する前の9月15日、謙信と通じた遊佐続光や温井景隆らの裏切りによって七尾城は落城した。
河内守護畠山氏と共に能登へやってきて能登守護代だった名門遊佐氏は成り上がりの温井総貞が気に喰わず出奔したあげく謀反して失敗してる→遊佐氏失脚
畠山義綱に温井総貞が殺された後にやっと遊佐氏は復帰できた→温井失脚
温井景隆は一向衆の元に逃亡していたが義綱が追放された後に長氏が帰参を斡旋してくれたので復帰できた→当主畠山失脚
鎌倉時代より能登に地盤を固めていた国人の長氏はまったく失脚してないし遊佐氏を許した当主義網を追放し温井氏の帰参まで斡旋した。
つまり能登を実効支配してる織田派の長氏が実権を握ってるんだよ。
0819人間七七四年
2008/04/16(水) 16:45:35ID:5btKuGi2謙信の上洛の危機に北近江を奪われるのを想定した信長は急ぎ安土城の築城を急がせてた。
まっ実際、七尾城が包囲を受けて織田に支援を求めても信長ビビって救援せず→冬になって謙信撤退。
翌春からまた包囲→七尾城が織田に救援要求するも信長ビビって救援せず。
いよいよ落城寸前でついに長続連が一族皆殺しされる決意をして息子一人を七尾から脱出させ長連竜が信長に直談判してやむを得ず織田軍出陣。
しかし七尾陥落まじかなのに進軍速度は遅く明らかに「謙信恐い…早く七尾落城しろ」と思ってたような士気の低さに秀吉はヤベェと感じ取り離脱。
手取川を渡った頃に七尾落城!の報を聞き「ラッキー軍神と闘う前に撤退する名分ができた♪ゆっくり進軍してきて良かったぜ。」
大軍が進軍方向をいきなり変更するのは難儀だけど今回はいつでも逃走する準備ができてるから早く危険地帯から逃げようぜ。
大雨で道はぬかるみ河川は氾濫してっから今日は謙信来ないからゆっくり帰ろうや♪
戦機を知る謙信は急追命令「大雨で信長自慢の鉄砲隊が使えないでやんのwww」
そして柴田軍は偉い人から渡河していき残された兵達は手取川でおぼれましたとさ。
結局、謙信の武威を恐れる織田の緩慢な進軍に七尾城方は見捨てられたと判断し失脚した長氏を切るという方向につながった。
七尾落城は謙信と闘う事にビビった信長が見捨てたからこそ後ろ盾を失った長氏が七尾城内での支持を失った事にある。
また謙信が仇敵本願寺と和睦しての一向宗派の七尾重臣の調略も非常にうまくいった。
これにより最大の要害城を落城させた謙信は織田勢力圏を突き崩し能登だけでなく加賀も制圧し将軍救援の上洛への道が大きく切り開かれた。
0820人間七七四年
2008/04/16(水) 17:41:44ID:bs4b/Dlgついには畠山氏を傀儡にして長氏による支配体制が完成していたわけか。
実質的には信玄&本願寺・織田を後ろ盾に長氏は戦国大名化への脱皮に成功してたんだな。
加賀に隣接した能登はもともと一向衆の侵攻すら排除してきた強国だもんな。
能登侵攻に失敗し一向衆は越中へ進路を変えて神保や椎名を争わせ、時には一方に協力し勢力を浸透させていったんだよな。
越前朝倉も困ってて謙信へ支援の依頼してるし。
謙信も越中では一向衆さえいなくなれば神保や椎名も安定して越中分国守護にして河内守護畠山氏の元で安定すると思って協力してんだよな。
謙信の父が越中半国守護だった義理があるから。
1565年に義輝が暗殺された時は謙信に河内守護畠山家臣から上洛要請もらってるし。
謙信も義昭の上洛要請から関東介入をやめて上洛へと政策を変えたけどね。
0821人間七七四年
2008/04/16(水) 18:11:57ID:5btKuGi2ちょっと訂正
謙信が七尾城から一時撤退した理由は冬を越すためでなく
北条軍が上野国へ侵攻してきたからでした(長氏と北条の連合?)
上野へ急行した謙信は速攻で北条軍を撃破して七尾に戻ってきたそうです。
関東を急ぎ決着をつけて戻った事。これは重要でこの間に長氏の能登での反撃奪回戦は激しいものでしたので)
>>820
謙信が北陸へ本格的に向くキッカケは信長が長篠で勝頼を破った勢いで義昭が追放され備後鞆から泣きの支援要請がきて激怒してからですね(勝頼の哀願で長篠敗戦の5ヵ月後に越甲同盟締結)
能登の仕置きは能登守護代家を再興して遊佐盛光に謙信の養子だった上条政繁(畠山義春)を補佐させ能登に配置しておいて畠山義隆の妻子を保護して子は謙信が養子にしてる。
0822人間七七四年
2008/04/16(水) 18:47:06ID:JHXXARoqそんで謙信の圧勝でこのスレは終了だな。
0823人間七七四年
2008/04/16(水) 19:35:29ID:ZrvXLJNR毛利への知識を深く持ってる方も居るだろう。ただそういう人は陰徳太平記の元就ではなく史実の毛利元就が好きな人だろう。
そうなると安芸武田氏すらよく知らん方々には話に入れない話題になるよ。
まぁ、個人的に毛利元就は知将よりも優れた指揮官という結論が出ることを希望してやまないわけだが
0824人間七七四年
2008/04/16(水) 20:07:13ID:haSX4doo何か具体的に史実ベースの元就の戦の功績を語ればいいのに
>>822の文面は確かに煽りが入ってるかも知れないけど
それまでに上で散々、根拠となる知識を開陳した上で
毛利擁護派の意見を待ってるんだから
煽りとか何とか言う前に、自分たちも好きな武将のために弁護してあげれば?
知識がなくて何も言い返せないんなら、それは文句いう権利もないよ
「毛利厨は講談程度の知識しかなくレベルが低いってこった」
こう言われても仕方ないんじゃない?
そもそも、こんなスレを勝手に乱立させてるのも
毛利厨かどうか知らないけどアンチ上杉厨に間違いないんだからさ。
上杉擁護派の人たちは本当に迷惑してると思うよ
0825人間七七四年
2008/04/16(水) 20:35:24ID:ZrvXLJNRしかし、上で安芸武田はゴミクズだの陶はカスだのと言うのにはまったくもって反感を抱いてるわけです。まぁべつにいいんですがね
一つ言っておくと、私も毛利元就のファンの方の議論参加を待ち望んでいます。あと、ちゃんとした上杉ファンの方の参加も切望しています。
今はまったくの待ち状態です。
0826人間七七四年
2008/04/16(水) 20:40:28ID:9zxkOUHR面倒
話が通じる人間相手ならともかく、そうでないようなの相手にしても時間の無駄
何言っても相手はただ同じ主張を繰り返すだけなんだし
0827人間七七四年
2008/04/16(水) 20:52:25ID:RH4Y6Qdg頭の弱い方ですか?
何言っても聞く耳持たず妄想を根拠に否定するような基地外が居るうちは話す気になれん。
そもそも、上杉の功績をあげてくれと誰か言ってたがスルーしてるじゃねぇか。
相手についてしか語らず、そちらの話はしない時点で上杉厨騙った荒らしとしか思えん。
0829人間七七四年
2008/04/16(水) 20:54:46ID:Yr1Dgts4武田対毛利の時もこういう流れになってたよね。
まあ、あそこは持ち直した?のかな。
0832人間七七四年
2008/04/16(水) 21:12:28ID:bs4b/Dlg朝鮮とまったく関わりないのに頭がおかしいんですか?
0833人間七七四年
2008/04/16(水) 21:15:57ID:Yr1Dgts4正直言ってお互い様だと思う。
0834人間七七四年
2008/04/16(水) 21:31:52ID:RH4Y6Qdgお前そんな事言ったら朝鮮の人=あたまおかしいみたいじゃねぇか。訂正しろ
くだらん事で芝を生やすな。
>>832
bs4b/Dlgさんよ決め付け屋のあんたが言えた台詞ではないな
都合良い事ばかり言うなよ。
>>833
お前は何様だって?
だが概ね同意
0835人間七七四年
2008/04/16(水) 21:39:08ID:Yr1Dgts4嫌な気分にさせたのなら謝るわ。
すまんな。
このスレを見るに後半から流れが完全に荒らしの方向に向かってるわな。
0836人間七七四年
2008/04/16(水) 22:05:06ID:JHXXARoqいきなり低レベルレスが続いててビックリだ。
陶はさ、大友から養子もらうために北九州の大内権益をすべて譲渡して大内の威信を地の底まで急激に低下させた無能無策な男だな。
いかに追い詰められて苦し紛れに謀反しただけで未来へのビジョンすら持ってないかがわかる。
0838人間七七四年
2008/04/17(木) 14:52:50ID:m1X9YiMX謙信の義理堅さはもはや異常
将軍義輝が謙信と信玄に上洛してきて欲しいから
第三次川中島の和睦を成立させた時に
信玄が条件として将軍に信濃守護を要求して認めさせたら
謙信は義輝のいうこと聞いて信濃から撤退し
その後に将軍から認められたこともあり小田原へ
関東管領就任の為に近衛氏の下向を待ってから出兵しに行ってる。
信玄が信濃守護として侵略者と戦うとか歪曲して信濃侵攻を開始したから
第4次川中島の戦いになってしまったが。
また越中に関しては(一向衆と手を組み謙信祖父と殺したりで河内畠山が怒った)
河内守護畠山氏に協力して能登守護畠山氏と共同で
父の為景が越中の神保氏を粉砕した際に
越中東部の分国守護代に任命されたので椎名氏に統治を任せているので
謙信は神保氏が富山に城を築いて椎名氏を圧迫しだしたら再三仲裁をしているが
いうことを聞かないため懲らしめる為に出陣しては決着は能登畠山氏の仲裁で終わらせてます。
(2度目は信玄・一向衆の後押しで謀反し謙信に破れまた畠山氏に仲裁されてる)
椎名氏は神保との和睦には不満らしく今度は椎名氏が武田・一向宗と同盟したために
謙信は椎名氏を攻めることになります。もともと椎名氏が分国守護代だったことも関係してるかもしれません。
椎名氏は謙信とは婚姻同盟してただけに養子をもらっており椎名景直(長尾景直)が跡を継いだそうです。
またこの時期になると河内畠山氏は紀伊へ追放されたあげくに信長に河内半国安堵のみとなっており
越中は国人と一向衆の蹂躙にまかされ治安回復の必要性に迫られていましたが能登畠山氏も当主親子が追放されている状況
で北陸の治安回復の必要性がありました。
0839人間七七四年
2008/04/17(木) 15:01:03ID:wis8IBP3>私は毛利元就が大好きでたまらない人じゃないんで、そんな事言われても困るんですが
自分で意見しないんなら一方的な立場に立ったことも言わない方がいいよ。荒れるから
>しかし、上で安芸武田はゴミクズだの陶はカスだのと言うのにはまったくもって反感を抱いてるわけです
それなら、何で反感を持ってるのか詳しく説明して止めてもらうように頼べばいいよ
または、そんな煽り部分はスルーして他のまじめな説明部分にだけ反応すればいいじゃん
>>826
>面倒。話が通じる人間相手ならともかく、そうでないようなの相手にしても時間の無駄
面倒とか時間の無駄だと言うのなら、文句だけは必ず言うって方がよっぽど時間の無駄だと思うけど。違う?
>>827
>妄想を根拠に否定するような基地外が居るうちは話す気になれん。
なら、上杉擁護派と同じように、どの根拠が妄想か指摘すればいいじゃないか
>そもそも、上杉の功績をあげてくれと誰か言ってたがスルーしてるじゃねぇか。
スルーされてると思うのなら、自分で、知ってる上杉の功績を挙げればいいじゃないか
>相手についてしか語らず、そちらの話はしない時点で上杉厨騙った荒らしとしか思えん。
相手についてしか語らずって、上杉擁護派は相手のことも勉強して、キチンと知った上で語ってんだろ?
君が毛利擁護派なら、毛利のことは当然反論できるだろうし、また上杉のことを勉強して語ればいいだけの話
知らないから指摘できない、反論できないんなら、それは議論上、完全敗北なんだって
結局、史実に基づいた知識で相手に圧倒するしか優越なんて証明できないんだって
基地外だからとか、話聞かないとか、それは知識のない人間の言う逃げ口上であって
チャンとした説明をした上で、周囲がそれに納得できたら、それが勝ちなんだって
ハッキり言って、現状、上杉擁護派の方が圧倒的に勝ってるよ
0840人間七七四年
2008/04/17(木) 15:40:54ID:m1X9YiMX訂正
(一向衆と手を組み謙信祖父と殺したりで河内畠山が怒った)
(越中西部分国守護代の神保慶宗が一向衆と手を組み謙信祖父長尾能景を裏切り殺したりで主家の河内畠山が怒った)
謙信の和議は相手の顔を立てすぎる面がある。
第2次川中島では今川の雪斎も顔を立ててるし
第3次では信玄を信濃守護に任じた将軍の顔を立ててる。
そのかわり村上氏を納得させるために
根知城主に義清を取り立て領土を割き、嫡男の国清は謙信の養子に迎えられて
山浦姓(守護上杉の名流)を名乗り上杉家第2位の地位にするなど厚遇している。
また越中では能登畠山氏の顔を立てて神保氏と和睦して椎名氏に不満をいだかせたり・・・
信玄並みの領土欲があれば神保も椎名も滅亡させて越中なんてさっさと領土化できるところなのだが
彼らの為に一向衆と戦ってやれば、いつの間にか彼らは一向宗と和睦してたりと祖父の討ち死にと同じパターンになってたりと・・・
本格的に越中・能登を制覇する行動を起こすのは足利義昭が信長に追放されて
幕府組織の瓦解と泣きの上洛要請されてからなんだよな。
0841人間七七四年
2008/04/17(木) 15:41:20ID:ruMloBPY上杉擁護派の戦略勝ちか
0843人間七七四年
2008/04/17(木) 17:00:41ID:wis8IBP3>その理屈はお か し い
だけじゃ、どこがどうおかしいのか分からないんだって
ちゃんと他の人が分かるようにおかしいと思うところを説明して否定しなよ
説明できないけどおかしいと思う。じゃ、誰も納得してくれないよ
0845人間七七四年
2008/04/17(木) 20:51:06ID:+ZdpegiY0846人間七七四年
2008/04/17(木) 22:28:09ID:nHi/huLhおかげで北陸なんだが東北なんだか関東なんだか中部なんだかぜんぜん分類できない。
どう考えても上越・中越・下越で言語や習俗で文化的隔たりがある。
上信越国立公園といい大湿原地帯の尾瀬もある越後三山只見国定公園とか磐梯朝日国立公園とか海抜1000m級なんだよね。
越中へ向かうにしても不知火の天険だもんな。
あそこ高速道路がトンネルだらけ。当時の打ち寄せる波飛沫を受けながら道なき道を行軍するのは怖いだろうね。
あれ当時だったら風雨が激しい時は道なき道が水の底に沈んじゃうんじゃないの?
いまでさえ海の中から伸びた柱で道路支えてるじゃん。
0847人間七七四年
2008/04/18(金) 01:14:40ID:kZC+jyru謙信と元就は戦ってないから比較しようがない
0848人間七七四年
2008/04/18(金) 01:26:26ID:gE4AQdtE(一向宗との和睦の努力の為に出向いた?)
1559年5月〜7月の上洛の時は近江坂本に滞在していたらしいが
将軍義輝や公家かた大変な厚遇を受けており相伴衆に任じられている(これを機に翌年3月に初の越中遠征)
(ちなみに翌年1月に三好長慶が12月に毛利元就が相伴衆になっている)
義輝からは当時の鉄砲最先端の大友義鎮からもらった「鉄砲薬之方調合次第」巻物を下賜したもらったり
関白近衛前嗣からは血書をしたため越後につれて帰ってくれるように頼まれた。
将軍が謙信を厚遇した理由の一つは下記のように謙信の評判を聞いてたこともあるのだろう。
永禄二年八月廿七日 (前略)
此頃将軍家に白井の局と云有 齢半百にすき 心匠辨才にして 様躰人に勝れたる故
幕府の寵愛日々に盛んにして 常に左右に近侍して世の聞こへもあさからす
是に依て将軍家に時々景虎公の御事を台聴に達す 抑此局は白井の長尾伊玄入道景春か娘なり
始武州忍城成田下総守長康に嫁す 自然と天性勇猛にしてよく伊玄に似り
下総守父子権謀術数の士にて 主君の憲政に不儀を盡す 内助度々是を諌といえとも更に承引せす
悲涙感
(長尾伊玄入道景春とは北条早雲と並ぶ関東下克上の雄で謙信の父の為景と同盟し上杉氏を半壊させたのはこの人)
謙信の上洛に怯えた信長は自らの能登救援に躊躇し、苦肉の策として
7/23伊達輝宗に本庄繁長を謀反させるように頼むが失敗に終わる。
長続連が落城と一族皆殺しもやむなしと決意し息子の長連龍1人を脱出させる。
信長の元へ連龍が行き援軍を哀願され、8/8止むおえず柴田・羽柴・丹羽・滝川を派遣せざるおえなくなる。
0849人間七七四年
2008/04/18(金) 02:37:19ID:gE4AQdtE親不知・子不知
//www.interq.or.jp/mars/omr/m03c_highway/m03c_oyashirazu/f03c_oyashirazu.htm
//ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5
こりゃあキツイな・・・謙信の遠征は自然と兵站との戦いだな。
大軍がそう易々と撤退できない地域ばっかで敗北=死だよな。
0850人間七七四年
2008/04/18(金) 04:24:51ID:m1X5EycB上杉擁護の皆さんもお手柔らかにしてあげて下さい
それにしても乙です
こういったスレでは往々にして負け組みがゴネルもんだけど
はじめて完全決着に至りましたね
それほど互いの実力差があったという他ありませんね
では、勝った上杉擁護派の皆さんは勝利の雄たけびです。えいえいおー!
0851人間七七四年
2008/04/18(金) 08:36:09ID:QbO8spw4テスト終わったら相手してやるよ
0852人間七七四年
2008/04/18(金) 08:50:40ID:0gdEFDSCま、落ち着け
煽って呼び戻そうとしなくていいよ。
上杉厨も毛利厨も、議論に参加するやつはもう居ないんだから
0854人間七七四年
2008/04/18(金) 11:25:09ID:v1tQ0FkTこいつまったく知識ないな。
そもそも中国地方は大内が国人に大動員かけていやいや上洛に引きずって行ったり出雲遠征に連れてったり
陶が石見遠征に動員かけたり
尼子が安芸遠征に動員かけたり毛利も北九州へ引きずっていったりした隙に火事場泥棒できた。
(嫌々なので国人の士気が非常に低くて決戦回避ばかりで失敗ばかり→国人離散リスク高過ぎてあまりできない)
しかし北条は謙信防衛のために国衆を他国へ動員せずに兵力と火縄銃を集中して防備を固めてたから留守を狙う事ができなかった為にガチ攻城戦になってた。
0855人間七七四年
2008/04/18(金) 11:37:21ID:UStMydcVスレが350〜400以降だんだんおかしい方向に向かってると
言ったわけだが。
0856人間七七四年
2008/04/18(金) 11:44:43ID:UStMydcVどうでもいいが
隙を見て攻めるってのはどの大名もしてるんじゃないのか?
毛利の急襲は火事場泥棒です って印象操作してるようにしか見えない。
0857人間七七四年
2008/04/18(金) 11:48:44ID:QbO8spw4それにしても謙信家督相続前後の越後は東西南北敵が全くいなさそうで統一も楽だっただろうな。
0858人間七七四年
2008/04/18(金) 12:17:20ID:gE4AQdtE武田や北条が越後を蹂躙してもどっちかの巨大勢力の庇護を受けて経済破綻した府内長尾の生存だけを考える。
越後は荒廃していく間にセックルしまくりでガキを作って揚北衆や上田長尾に養子を送って50年無策に過ごしてたら
北条家で氏康と氏政が大道寺や松田ら重臣に殺され里見から養子をもらって傀儡とした。
家臣国人は北条派と大道寺派に分かれて抗争を開始し、大道寺らが反旗を翻した伊豆へ遠征へ行ってる間に元就が火事場泥棒。
大道寺軍は伊豆で苦戦し疲弊していたが和睦し急遽、元就討伐へ進軍するも
途中で国人離散が開始され弱体化した大道寺軍は(仲間だと思ってたのに裏切りやがって元就!絶対殺す!)
無謀にも利根川を渡河して北上し白井〜沼田の天嶮で大敗
最後は小田原城が炎上し隆元が松田との婚姻関係から小田原へ招き寄せられて北条併合。
そしたら勝頼が急死し急遽、跡継ぎに何にも知らない信勝が擁立される→元就と和睦するために信濃をプレゼント。
武田の信濃家臣団は見殺しにされ信濃金山を手に入れ和睦を無視して甲斐へ侵攻し武田を滅亡させる。
越中に侵攻したら一向宗を率いてた当主宗麟がいきなり「明日からお前らキリスト教な」って言い出して国は混乱。
好機とみて勢いに乗って侵攻をしたらボロ負けで、さらに里見も強大化し彼らが武田や北条の遺臣を煽り再興させられ大苦戦中に75歳で死去。
安芸に生まれた謙信は安芸守護武田氏の命令で安芸の国人討伐を命じられていた。
武田元繁は「19歳の謙信ってのは素直に言うこと聞いてくれるし40歳で糞生意気な兄より使えるな」と兄を廃して元就を毛利家当主にする。
だが元繁はアホで気付いていなかった。謙信の武勇とカリスマに国人達は安芸の救世主だと心を寄せ始めていた事を。
そして安芸は謙信という求心力を得て無理やり統一完了。尼子大内が備後や石見の国人を容赦なく次々滅亡させて自領にしていく。
安芸に逃げてきて助けを求めてくる国人達。そして安芸にも迫る大内と尼子の直接侵攻を前に安芸の平和を守る為に山口城を包囲したり
備後や石見や出雲で戦い、49歳で織田軍を撃破して上洛への道を切り開くも死去。
0859人間七七四年
2008/04/18(金) 12:20:17ID:UStMydcV小説書けば?
0860人間七七四年
2008/04/18(金) 12:25:17ID:v1tQ0FkT>>856
>>857
毛利厨の知識は所詮この程度のレベル。
文脈を読まずに一部を取り出してきてケチをつけるだけ。
0861人間七七四年
2008/04/18(金) 12:31:35ID:UStMydcV>>855は >>853をもうちょっと詳しく説明しただけだ。
>>856は、大分前からのレスを見て
上杉側が火事場泥棒って表現を良く使ってるから。
印象操作なのか?と聞いただけだ。
0862人間七七四年
2008/04/18(金) 12:46:53ID:gE4AQdtE無駄に長生きしてたらものすごくおいしい願ってもなかなかないシチュエーシュンが起きたから火事場泥棒と言ってるだけだろう。
他の大名でもここまでおいしいのはなかなかない。
>>857
使役され続け国人の人心が大内や尼子から離散したからこそ火事場泥棒できたんだろ。
北条なんかはほとんど兄弟親戚筋のの軍勢を使役しても由良・成田・佐野・小山とかを使役しないからね。
>>861
陶の背後を襲う時に火事場泥棒と使ってる件か?みんなやってる?
では他の大名で元就に「火事場泥棒」と使われるほど美味しい火事場泥棒があるなら実例を5件くらいあげてみてくれ。
0863人間七七四年
2008/04/18(金) 13:00:04ID:gE4AQdtE>>596
別に大内も尼子も国人を従わせようととしてるだけで
国人を滅亡させようと考えてないし、どちらかの庇護をうけたら
恩賞もらえるし美味しい位置にいた毛利とはちがい
国人を次々と滅亡追放して甲斐信濃を制圧した武田や
伊豆・相模・武蔵・下総・上野を版図に加えた北条に
追われた山内上杉や村上の助けを受け入れた謙信の方が大変な状況なんだけどな。
0864人間七七四年
2008/04/18(金) 13:02:46ID:UStMydcV長生き等々は評価のしようが無い。
あえて言うならば
酒の害に気付いて酒を控えたってのは
十分評価できるんじゃないのか?
いや、だから
戦国の世で相手が下手こいたらソレを利用する
どの戦国大名もやってる事なんじゃないのか?
隙を突いた急襲等々は上杉謙信もやってるんじゃないのか?
0865人間七七四年
2008/04/18(金) 13:08:49ID:gE4AQdtE酒を飲んだって別に寿命が減ったりしない。
たまたま父兄が度を越して飲みすぎただけだろう?
謙信だって別に平均寿命まで生きてる。
寿命はたまたま運よく長生きできただけで健康管理云々を主張できるのは自分で薬草調合してた家康くらいだ。
それにみんなやってることなら火事場泥棒の例を5つくらいあげてみてくれ。講談じみた戦術レベルではなく戦略レベルで指摘してくれ。
0866人間七七四年
2008/04/18(金) 13:29:58ID:UStMydcV改めて言うが
寿命等々は評価のしようが無い。
父や兄を見て酒を控えた。
イイ事じゃないか。
ソレに気付けた事だけで
変な理屈を抜きにして十分評価できる。
ソレに「酒を控えろ」と息子や孫に対しても書状を送ってる。
健康管理してない人間がそんな書状を送るか?
俺はそうは思えないなぁ。
俺が「皆やってる!」なんて自信満々に言って無いよ。
よく文章を読んで頂きたい。
他の大名もやってるんじゃないか?って疑問を訴えてるんだ。
まあ、コレは持論だがね。
隙と言う物に大きさは無いと思うんだ。
その隙をどう最大限生かすかによるんだ。
貴方は講談だと決め付けるかもしれませんが
現に厳島等々で毛利氏は陶氏に勝利を収めてる
コレは紛れも無い事実なんですよ。
言葉足らずで悪い。
読みにくいと思うが把握してくれ。
自分もまだまだ勉強をする身なんでね。
0867人間七七四年
2008/04/18(金) 14:01:43ID:QbO8spw4>酒を飲んだって別に寿命が減ったりしない。
アルコールが肝臓で分解される途中にできる
アセトアルデヒドは発がん物質なのだが。
で,火事場泥棒ってどんな褒め言葉?
戦国時代なんだから相手の隙をうかがってせめるのが
名将ってもんだろ。謙信房の定義は違うかもしれないが。
火事場泥棒の例ならいくらでもあるがな。
大内義弘@尼子攻め、浅井長政@金ヶ崎、石田三成&村上元吉@関ヶ原,武田信玄@色々…
0868人間七七四年
2008/04/18(金) 14:24:03ID:v1tQ0FkT悪い面ばかり過度に誇張してるようだが逆にアルコールには良い面もあるわな。
じゃなきゃいま古代から現在まで飲み続けてないでしょ?
例を挙げてるようだが北条早雲みたいに戦略的に敵に乗じる状況を主体的に作る為の外交をしたりしたあとに行動し漁夫の利を得るのと
ただ単に受動的で状況が勝手に変更されラッキーで火事場泥棒できた元就のとは大きな隔たりがあるよな。
0869人間七七四年
2008/04/18(金) 14:46:05ID:QbO8spw4>じゃなきゃいま古代から現在まで飲み続けてないでしょ?
悪いと分かっててもやめられないという例は人類史上いくらでもあってだな…
煙草とか戦争とか…
北条早雲の例はよく知らんのでできれば解説を頼む。ついでにその信憑性も。
0871人間七七四年
2008/04/18(金) 15:08:22ID:gE4AQdtEさんざん謙信についてもわからんから教えてくれで今度は早雲まで教えてくれか・・・毛利厨はただの嫌がらせばっかりだな。
それとも自分ではまったく努力しない教えてクンでただの無知か。
論議するに値するマナーを持ってないのか・・・いや最低限の知識すら持ち合わせていないんだな。
0872人間七七四年
2008/04/18(金) 15:30:10ID:QbO8spw4本当に申し訳ないけど今テスト期間中なので突っ込んで調べものできないんだよ。
0873人間七七四年
2008/04/18(金) 15:52:29ID:gE4AQdtE0874人間七七四年
2008/04/18(金) 16:09:26ID:UStMydcV0875人間七七四年
2008/04/18(金) 16:16:30ID:RQTpNUJBテスト期間で調べ物ができないくらい忙しいのなら集中して勉強しましょう。
そこまで2chに固執することはないでしょう?
0876人間七七四年
2008/04/18(金) 16:36:33ID:t8//H4fm毛利輝元>上杉景勝
0878人間七七四年
2008/04/18(金) 17:01:28ID:0gdEFDSC0879人間七七四年
2008/04/18(金) 17:31:40ID:UStMydcV('A`)
0881人間七七四年
2008/04/18(金) 20:15:51ID:m1X5EycB傍から見て、どう観てもファビョってんのはオマエだよ
>>876
毛利元就<<上杉謙信
毛利輝元<上杉景勝
毛利隆元=長尾晴景
0882人間七七四年
2008/04/18(金) 20:57:07ID:0gdEFDSC0883人間七七四年
2008/04/19(土) 02:28:25ID:+5eaIBqm暗黒寺の指導に従って主従が協力していれば毛利は天下人になっていた可能性が高い。
肝心な時に決断できずどっちつかずの曖昧な態度で大減封は祖父の元就そっくり。
陶へ謀反する決意をビビる元就に促した隆元が存命でなかったのが惜しい。
373 :人間七七四年:2008/04/18(金) 22:54:48 ID:m1X5EycB
こんな考えしてる時点でアフォかとというのは
安国寺らにそそのかされたと思い込んでるID:6WB05pl0に対してのレスね
俺個人的にも、西軍なら西軍で
全力で関が原を戦ってたら事態は好転したと思うよ
結果論だけど大坂城は小早川や吉川が入って
輝元自身が関が原に出向いてりゃ、それだけでもグッと勝ちに繋がったと思うし
祖父の元就譲りの曖昧さを輝元は受け継いだんだなあと
0884人間七七四年
2008/04/19(土) 02:46:26ID:+5eaIBqm大内家で人質生活をしていた時に長門守護代内藤家と婚姻。
大内の内情を知る隆元は義隆の仇の陶晴房を討つように父に強く主張した。
元就が凄いんではなく3人の息子がすごかったと言える。
元春(陶晴房のホモ相手)も隆景も養子として送られて傀儡にされるのではなく
自らが家臣団を統率するまでに成長し50歳までうだつのあがらない父を叱咤激励し毛利家を飛躍的に成長させた。
元就の死後に東部戦線が好転するのも元就の無能さを証明している。
隆景は5大老の1人となり豊臣政権下で毛利本家と並び5大老中2席を獲得して
毛利一族は天下の副将軍といえる地位にまで登りつめた。
しかし本能寺で追撃しなかったり、死後に毛利家臣団の対立で関が原の失態を演じ
長門周防だけに大減封されるなど、天下人を狙わない姿勢だった元就の遺言が結局は毛利を失敗させた。
また元春の非協力精神が広家に遺伝し関が原での背信を導いた点も批判されよう。
0885人間七七四年
2008/04/19(土) 03:11:54ID:F5s0jKLg0886人間七七四年
2008/04/19(土) 03:13:08ID:I+7R6MMy記録したのは岩国領主吉川広家が関ヶ原の言い訳のため。
いまや毛利本家も周防長門だけ。
安芸や石見以東の人々がどう思おうが関係ない。
元就の神格化(劣勢毛利が苦労しつつ藩祖とも言うべき天才元就の活躍)と大内領支配の正当性(強敵かつ謀反人の陶を討った)
このへんにかなりの脚色を加えたんだろう。
実際は謀反した陶とは協力関係だったし、石見で泥沼にハマり陶の立場が悪くなると見るや陶を裏切って火事場泥棒した元就の道義的責任はぼやかされてるし。
0888人間七七四年
2008/04/19(土) 03:40:56ID:+5eaIBqmだから陶晴賢を討ちたかった。
陶が大好きな元春が家督を継ぐことになるかも知れない恐怖もあった。
男色を巡る争いは愛ゆえに激しく憎みあうものですね。わかります。
元春は陶を討つことになった悲しみから兄を暗殺してしまったのかもしれないな。
0889人間七七四年
2008/04/19(土) 03:58:41ID:+5eaIBqm0890人間七七四年
2008/04/19(土) 04:26:51ID:wD/P5Hvw>875
その通りですね。議論は自粛します
北条早雲の生涯をしらべてどのへんで火事場泥棒したのか
調べるにはかなり時間がかかりそうだったので。
まさ最初の小田原城奪取が火事場泥棒なわけはないだろうし
0891人間七七四年
2008/04/19(土) 04:33:57ID:kZ1rQk9nそれに比べて上杉は謙信以外はカスレベルだからな…。
景勝なんて戦の弱さは100万石クラス一のヘボさだし、関が原後の土下座外交には
ドン引きだよね。毛利なんてあれだけ東軍の諸城を落としといて、手紙一通で済
ませたんだから気概が違うよな。まぁそこら辺の気概の違いが、維新へ繋がる毛利
と事実上断絶した上杉との違いかな。
0892人間七七四年
2008/04/19(土) 05:06:59ID:I+7R6MMy基地害キターーーwww
関ヶ原最大の戦犯毛利www
ついに300年近い未来まで持ち出してキターーーwww
だいたい景勝の場合は家康が背中見せて帰っちゃったんだから仕方ないだろう。
毛利の戦国最後の出番は立花宗茂の引き立て役で終わったなwww
0893人間七七四年
2008/04/19(土) 05:21:29ID:kZ1rQk9nおお、この人が最近よく荒らすお人か^^
深夜から明け方に掛けて餌撒いたら直ぐ釣れるな(苦笑)
0894人間七七四年
2008/04/19(土) 05:39:32ID:I+7R6MMy0896人間七七四年
2008/04/19(土) 06:58:55ID:tfu7yENfおお、この人が最近どのスレでも自演して叩かれてるお人か^^
深夜から明け方に掛けて餌撒いたら直ぐ釣れるな(爆笑)
0898人間七七四年
2008/04/19(土) 09:01:57ID:mechuhuh0899人間七七四年
2008/04/19(土) 09:13:46ID:tfu7yENf華麗にスルーしてあげて下さい
0900人間七七四年
2008/04/19(土) 10:58:45ID:2kxM8Osz九州では大友に退廃して領土を失い、中国地方東部戦線でも負けっぱなし。
実は雑魚なんですかね
0901人間七七四年
2008/04/19(土) 11:06:31ID:2kxM8Osz毛利は一家臣にすぎない秀吉ごときに一方的にぼこられて滅亡寸前。本能寺の変に救われただけだし
0902人間七七四年
2008/04/19(土) 11:17:08ID:I+7R6MMyしかし毛利三兄弟の成長した後に劇的変化がありましたので毛利史にはありえない兄弟を生んだ母が素晴らしい。
吉川の血のパワーのおかげでまさに鳶が鷹を生んだと言えます。
兄弟が敵対せずに仲がよいと非常に家が安定度を増し相乗効果で成功する例はたくさんあります。
早世が惜しまれた信玄の弟の信繁(上杉軍に敗死)や秀吉の弟の秀長。
また秀吉に屈伏するハメになりましたが北条氏政・氏照・氏邦兄弟や島津4兄弟などと毛利3兄弟は評価されています。
0903人間七七四年
2008/04/19(土) 13:01:45ID:+5eaIBqm0904人間七七四年
2008/04/19(土) 14:27:47ID:wD/P5Hvw謙信もいいタイミングで武田が北上してきてくれてラッキーだったよな。
そのおかげで越後国内に緊張感が広まって守護代の当主の弟という国内で
2番目に有利なたち位置にいた謙信に指導者としてのお箱が回ってきたんだから
0905人間七七四年
2008/04/19(土) 14:48:03ID:+5eaIBqm元就みたいに武田に服属して北条から守ってもらえばよかったな。
それに謙信の場合はもっと以前から守護の命令で中越での激戦を戦い続けて実績をあげることで敵側の越後の豪族の心をつかんだ下積み時代があるんだけどな。
0906人間七七四年
2008/04/19(土) 15:05:57ID:wD/P5Hvwすごいのは村山与七郎他長尾の忠臣
ていうか衰えたとはいえ最初から豪族相手に戦争を有利にしかけられる守護代の家
の息子だったんだから、豪族出身の元就より遥かにいいスタートだろ
0907人間七七四年
2008/04/19(土) 15:09:43ID:OPogdiM/謙信はまるで何でも一人でやったみた感じだな
>>901
謙信が信長と戦った時は元就死んどる
0908人間七七四年
2008/04/19(土) 15:12:00ID:2kxM8Osz毛利は清水宗治や吉川経家などをなすすべもなく見殺しにする薄情な家風
0909人間七七四年
2008/04/19(土) 15:14:14ID:IcFT5G9Y>また秀吉に屈伏するハメになりましたが北条氏政・氏照・氏邦兄弟や島津4兄弟などと毛利3兄弟は評価されています。
おい、北条氏規が抜けてるぞ!
0910人間七七四年
2008/04/19(土) 15:18:18ID:wD/P5Hvw>毛利は清水宗治や吉川経家などをなすすべもなく見殺しにする薄情な家風
なすすべもなかったから見殺しにするしかなかったんだし、そもそもそのとき
元就生きてねーよw
0911人間七七四年
2008/04/19(土) 15:28:18ID:tfu7yENf未だに理解できない毛利厨クオリティーw
0912人間七七四年
2008/04/19(土) 15:32:57ID:wD/P5Hvw0913人間七七四年
2008/04/19(土) 15:33:05ID:+5eaIBqm上条(守護上杉系で関東管領を輩出した事もある上杉定実の実家)・上田長尾・揚北衆・葦名・出羽砂越らにより
父の為景が敗北し隠居し兄の晴景が越後守護にすげ替えられ擁立される(青芋の貿易ルートは戦乱で崩壊し府内長尾経済は崩壊)
これが府内長尾が孤立してる基本構造でのちに謙信が出家すると言って行方不明(1556年)になった事があるのは
越後国主としての判決を否定されるなど家臣同士が呉越同舟でむちゃくちゃ仲が悪かったのも一因。
父の葬儀の時は府内長尾は恨まれていたのでいつ襲撃をうけるかわからず幼少の謙信は鎧姿で葬儀にでたほどで
その後はいつ殺されて府内長尾の血統が終わるかもしれないので襲撃を恐れて謙信は出家させられる
さらに伊達から養子問題で伊達・葦名・中条VS本庄・鮎川の揚北衆の紛争。かれらは晴景の家臣ではなく守護上杉の政争から大乱。
ここでの晴景は守護代としてあまりにも無力無策で越後衆から完全に見放される。
この頃、兄の代わりに捨て駒として孤立無援の中越に派遣され謙信が初陣して活躍し
(背後の柏崎はいつ裏切るかわからん守護擁立組。南も守護擁立組の上田長尾で前方は揚北衆と完全に孤立無援)
その活躍ぶりに反晴景だった中条藤資はホレ込み伊達権力を利用して守護権力復活を諦め謙信擁立を考える(1543年〜)
ナメられまくった府内長尾では晴景に対して黒田秀忠らが反乱し守護上杉から謙信に討伐を命じられる(1546年)
天文の乱で1542年〜1548年で伊達晴宗が勝利したために養子派遣の話はなかったことに。
1548年の家督相続後に謙信が発給した文には「のちに守護からもおって認可の沙汰がでると思われます」と認可権は守護に握られたまま。
越後守護上杉定実の家督干渉によって40歳の兄を思うままに操れないこともあり謙信が19歳(1548年)で擁立されてから
2年後の1450年のこの上田長尾の乱では後継に異を唱え簒奪しようとした上田長尾氏を鎮圧してはいない。
越後守護死去により政権が崩壊してしまい府内長尾の力では上田長尾を倒すことができず
謙信の姉との婚姻で和睦をしただけでこれがのちに謙信政権の足かせになり死後の後継者問題で一気に爆発した。
ちなみにその頃には関東管領上杉憲政が北条に侵攻され救援依頼をしてきたので
即刻出陣して北条と上野国で戦い平井城へ憲政を送り返している(上田長尾に姉をくれてまで和睦しようとした原因)
さらにこの上田長尾との和睦の翌年(1451年)には北条の再度の上野攻略で関東管領上杉憲政は春日山城下に住むことに。
と同時に村上義清が逃げてきたので川中島出兵し武田との本格的対立。
0914人間七七四年
2008/04/19(土) 15:37:35ID:+5eaIBqm0915人間七七四年
2008/04/19(土) 15:38:04ID:IcFT5G9Y毛利元就の死後→高松城の見殺し→元就が原因
この論理なら、
上杉謙信の死後→魚津城の見殺し→謙信が原因
元就も謙信も同格。
毛利厨も上杉厨も同格。
0916人間七七四年
2008/04/19(土) 15:41:09ID:+5eaIBqm0917人間七七四年
2008/04/19(土) 15:42:44ID:I+7R6MMy0918人間七七四年
2008/04/19(土) 15:44:19ID:wD/P5Hvw長文はありがたいんだがもっと短くまとめてくれると助かる
結局謙信が家督を相続できたのも越後守護の後ろ盾が
あってこそで、全て本人の実力って分けでもないってことで。
しかも武田と対立するまでちゃんと統一できてたわけでも無いような
>915
せいぜい議長役だろ? その議長の上役である安芸武田に攻められてる
ような状況で権威の後ろだてもなにもあったもんじゃないじゃん。
せいぜい豪族の中で頭一個抜けてるって程度だろ
0919人間七七四年
2008/04/19(土) 15:58:18ID:+5eaIBqm守護が死んだあとにさっそく政権が瓦解して上田長尾を反旗を翻していたように守護が死んだあとが一番大変だった。
しかし守護が思うように謙信を操っていた時から謙信は前線で武勇とカリスマで豪族達の心をつかんで支持をうけるようになっていった。
これは守護の思惑からはずれていく事にはなったが、このことが謙信への求心力となり武田・北条との戦いができるようにまとめられていく。
これらは謙信の努力によるところが大きい。
国人一揆の恐怖をしらないようだね。
播磨では赤松を追放しようとしたり近江で六角を排除しようとした浅井なんかもこの範疇だ。すでに武田の実効支配地は縮小し安芸の大半が国人によって支配されていて武田の影響が排除されている。そして毛利はそのリーダーの家系なんだよ。
元就に若き謙信のような意気と武略があれば一揆をまとめる資格は充分にあった。
0920人間七七四年
2008/04/19(土) 16:04:51ID:IcFT5G9Y当時の越後と当時の安芸では政局がかなり違うよ。
大内と尼子に挟まれた安芸と特に強敵がいない越後では政治判断が変わると思うよ。
安芸で上杉謙信が台頭しようとするものなら、
謀略家の尼子経久にいいように扱われるのがオチじゃないかな?
0921人間七七四年
2008/04/19(土) 16:21:40ID:+5eaIBqm大内も尼子も国人を滅ぼすつもりはなく傘下に入ってくれれば
それでよかった甘い状況。尼子が武田を安芸支配の道具にしようとし
大内は毛利を安芸支配の要だと思って厚遇していた。
越後は国人一揆自体が成立したこともない国人同士がいがみ合っている国情で
国人の参加もそれほど多くない守護上杉政権内も呉越同舟でガタガタ。
上田長尾も揚北衆も上条も独自勢力に近く相当な強敵。
またすでに北条・武田がすでに信濃・上野をかなり切り取っていた。
尼子経久にいいように扱われるのがオチじゃないかな?
信玄みたいな謀略を駆使する男が謙信には卑怯者にうつるらしく
経久のこともおそらく好きではないだろうから操ることはできないだろう。
0922人間七七四年
2008/04/19(土) 16:30:43ID:I+7R6MMy尼子は石見方面などで自分の軍事行動を大内に邪魔されないように武田を煽って利用して援軍も寄越さずに切り棄てたのちに
毛利を安芸支配の鍵として尼子傘下に納めているように
安芸で毛利が武略をもって国人をまとめても大内も尼子も自陣営に入れたいとより良い条件を出して来て毛利を潰そうなどと思わないだろう。
これは毛利の援助で備中をまとめた三村氏や浦上氏の下で備前を手中にした宇喜多でも同じ事が言える。
0923人間七七四年
2008/04/19(土) 17:26:05ID:IcFT5G9Y>大内も尼子も国人を滅ぼすつもりはなく傘下に入ってくれれば
>それでよかった甘い状況。
それって大内も尼子も上杉謙信と同レベルってことを言っているようなもんだが。
いいのかそれで?
0924人間七七四年
2008/04/19(土) 18:10:39ID:+5eaIBqmちなみに過去レスで元就が酒の害を知ってて健康管理して飲まなかったと主張してる毛利厨がいたようだが
元就は隆元の妻に自分は下戸だから酒が飲めないと言っているので体質的に飲めなかった。
0925人間七七四年
2008/04/19(土) 19:57:42ID:OPogdiM/0926人間七七四年
2008/04/19(土) 20:04:38ID:I+7R6MMy明らかに自立する意欲は皆無だし、陶に従おうとする奴隷的な隷属意思しか見えない。
ビビる元就に隆元が強く陶と手を切るように主張しなかったら元就は終生に渡り陶の命令に従いビビって生きて終了だろ。
隆元が義隆と男色だったから激怒して冷静じゃなかった…ただの勢いかも知れんが。もしくは内藤氏から状況報告と内応するって手紙がきてたのかも知れんが。
0927人間七七四年
2008/04/19(土) 20:07:54ID:rfWDLaqv>大内も尼子も国人を滅ぼすつもりはなく傘下に入ってくれればそれでよかった甘い状況。
>尼子が武田を安芸支配の道具にしようとし大内は毛利を安芸支配の要だと思って厚遇していた。
大内・尼子に限らず、どの大名も余程の事がない限り傘下に入ってくれればいいという態度だが。
というか全ての敵を滅亡させるまでやる大名が浮かばないが。
また有田中井手合戦までに毛利・武田ともに安芸を支配できるほどの力はない。
とくに毛利はそのころ庶家と宗家の立場がはっきり差が出てから間もないと言うほど立場が弱い。
おまえは国人一揆契約があればほかの国人を支配できると思ってるのかもしれないが、連判状に
名を連ねてる吉川元経なんかは毛利らが大内側の時に尼子に寝返ったりしてるんだが。
>当時の毛利に謙信並みの元就が生まれて国人をまとめて巨大化すれば大内は喜んだだろう
有田中井手までに初陣もまだの元就に、どうして大内が謙信並みとかの具体的な評価が出来たのか激しく疑問だな。
というかそれ以前にお前の行ってることは 毛 利 が 大 内 側 な ら ば の話だ。
>尼子は石見方面などで自分の軍事行動を大内に邪魔されないように武田を煽って利用して援軍も寄越さずに
>切り棄てた
言いがかり乙。
武田の安芸での支配力拡大と、尼子の安芸での勢力拡大の目的が一致したから
両者は組んだのであって、捨て駒にするのが目的じゃない。
また援軍をというが銀山城までどうやって援軍を入れるんだ?
この頃は吉川や毛利など少なくとも安芸西部は大内側が占めてる状態。
それに尼子は伯耆や備後の紛争に介入してるしとても援軍なんてまわせない。
>毛利を安芸支配の鍵として尼子傘下に納めているように安芸で毛利が武略をもって国人をまとめても大内も尼子も自陣営に
>入れたいとより良い条件を出して来て毛利を潰そうなどと思わないだろう。
毛利が尼子に入ったのは当時の安芸で尼子派が多数派になったからだが。
次に「安芸で毛利が武略をもって国人をまとめても大内も尼子も自陣営に入れたいとより良い条件を出して来て毛利を
潰そうなどと思わないだろう」なんて無茶苦茶な屁理屈こねてるが、ならなぜ和智郷合戦や吉田郡山城攻めが行われたんだ?
有利な条件で引き抜くだけならそうしてるよな?
それと先に書いとくが、どちらも尼子の予定の行動であって晴久の暴走とかはないから。
>これは毛利の援助で備中をまとめた三村氏や浦上氏の下で備前を手中にした宇喜多でも同じ事が言える。
三村は早い段階から尼子側が大半の備中で毛利に組してたし、ころころ立場を変えてもいない。
宇喜多にいたっては浦上の 家 臣 だ。
それと三村が毛利、宇喜多が浦上に攻められなかったのはずっとその傘下、及び家臣の立場で通して
きたからであって毛利や浦上が自陣営に入れようと有利な条件で引き抜いたからじゃない、理屈が逆だ。
毛利について前提となる知識があってまっとうな批判するならともかく、こんな無茶苦茶な批判されても困るんだが。
それと謙信について、北越軍記や宇佐美家文書などでのデタラメな過大評価はスルーするされてるが、こっちはどうなのさ。
毛利ばかりじゃなくて謙信もちゃんと議論してくれよ。
0928人間七七四年
2008/04/19(土) 20:29:29ID:F5s0jKLgま、いい加減な当て推量と手前勝手な思い込みで呆れられてる奴らに何言っても無駄
0929人間七七四年
2008/04/19(土) 20:37:23ID:I+7R6MMy我田引水みたいな真似をしてるだけでくだらない。
0930人間七七四年
2008/04/19(土) 20:51:31ID:+Tz8q+iL本当の上杉厨はこんなとこで盟友だった戦国毛利を叩かないぜ
こんなスレで煽りあって得するのは誰かよく考えろw
0932人間七七四年
2008/04/19(土) 21:05:32ID:rfWDLaqv何が大きな視点、自分の都合よい時期や都合がよい部分だけを抽出してだ。
おまえが無知&無茶苦茶な屁理屈で言いがかりつけてるだけだろ。
それと誰が 上 杉 側 が矛盾しているなんて言ってるんだ。
お ま え の批判が的外れだから的外れだと言ってるだけだろうが。
0933人間七七四年
2008/04/19(土) 21:08:08ID:+G9MG9Yy謙信と、どちらが強かったのか、自ずと明らかだ。
勝てばいいというもではない。勝利には美しさも必要だ。新潟の酒のように。
0934人間七七四年
2008/04/19(土) 21:53:05ID:mechuhuh0935人間七七四年
2008/04/19(土) 22:00:48ID:ykrEMb2u0937人間七七四年
2008/04/19(土) 22:32:41ID:4GcNlxi+禿四句胴衣
0938人間七七四年
2008/04/19(土) 22:49:39ID:mechuhuh意外に元就も
ガチでのぶつかり合いもあるよなーっと思って。
0939人間七七四年
2008/04/19(土) 22:53:34ID:tfu7yENfバカの毛利厨は史実のことは何一つ知りもしないのに
上杉支持者を装った低脳な反間の計など小細工だけはしてくんだな
でも、バカな毛利臭がしてるのでバレバレですよ
>>930>>937
逆だと思う。
この毛利厨を語ってる奴らこそ、本当に毛利が好きなのか?
と、思わざる負えないほど、毛利のことを知らない
ま、三好厨=信秀厨=毛利厨のクオリティーの低さは戦国板で有名だがな
0940人間七七四年
2008/04/19(土) 23:09:38ID:IcFT5G9YこのIDはどこのスレでも相手にされない痴れモノです。
>>939
>バカの毛利厨は史実のことは何一つ知りもしないのに
>上杉支持者を装った低脳な反間の計など小細工だけはしてくんだな
>でも、バカな毛利臭がしてるのでバレバレですよ
ごめん、レス(>>915)で既に言っているが妄想している君のためにもう一度レスする。
上杉も毛利も同格。
もう一度、全てのレスを読み直せ。
それから返レスよこせ。
そんなことだからどこのスレに行っても相手されないで害虫扱いされるんだ!
0941人間七七四年
2008/04/19(土) 23:10:03ID:4GcNlxi+まぁ、毛利厨も上杉厨も含め全ての厨はそうなんだけどね。
それぞれに好きな大名、ひいきの大名はいるだろうけど、
どうしてここにいる厨は自分の好きな大名家について詳しく知ろうとせず、
只管他の大名を貶すことしかできないのか。
負の観点でしか歴史を見れないやつに偉そうに語ってもらいたくはないよな。
0942人間七七四年
2008/04/19(土) 23:10:44ID:+Tz8q+iL煽るようなレスを繰り返すのは上杉ファンでも毛利ファンでもないと言うことでよろしいか?
0943人間七七四年
2008/04/19(土) 23:16:29ID:IcFT5G9Yそれでいいんじゃない?
本当のファンなら好きな戦国大名をべた褒めしないし、
他の戦国大名と比較するために長所と短所を知ろうとする。
0944人間七七四年
2008/04/19(土) 23:24:00ID:SOvix2U1それに本当のファンとか単純に詳しく知りたいけど今は初心者って人も
いずれは自分で調べるなり、誰かに教わるなりしてちゃんとしたことを知る時が来るだろうし。
あと議論と言うか罵り合いに勝った負けたなんてほとんどの人が無関心だろうし。
0945人間七七四年
2008/04/19(土) 23:27:56ID:tfu7yENfま、確かに本当のファンなら
もうレスしないと公言しといて、次の瞬間には荒らしレスをしたり
史実についての議論には一切答えられないくせに
煽りだ荒らしだばかり関係ないこと喚いて対抗しようとしたり
挙句が織田信秀や毛利隆元が信玄や謙信より実績上とか盲信したりしないわな
0946人間七七四年
2008/04/19(土) 23:45:00ID:IcFT5G9YこのIDはどこのスレでも相手にされない痴れモノです。
>>945
レス(>>940)は読んだかい?
全てのレスを読むことはできましたか?
>挙句が織田信秀や毛利隆元が信玄や謙信より実績上とか盲信したりしないわな
いつオイラがそんなレスをつけたんだ?
その時の政情が違うのに信秀も隆元も信玄も謙信も上も下も無いだろうよ?
相変わらずレスを読んでいないんだね。
日本語が読めないのか?
0947人間七七四年
2008/04/19(土) 23:58:39ID:I+7R6MMy0949人間七七四年
2008/04/20(日) 00:03:51ID:aWw81g0C毛利厨というか、コイツは
信秀厨=三好厨=毛利厨=ゲーム厨だよ
こいつが沸いてくると、どのスレも盛り下がるんだよね
0950人間七七四年
2008/04/20(日) 00:40:13ID:JPE4z6YZだいたい銀山城落城の話を知らないだろとか言ってるが、そんなら説明してみせろよw
上杉側には毎回説明を求めて説明すると黙殺スルーばっかり。そのくせ毛利側はいつもどうせ知らないだろとか説明を一切せずにそういう言い方して逃げてるだろ。
まさか毛利厨得意の講談である千足わらじの話を持ち出したりしないよな?
0951人間七七四年
2008/04/20(日) 01:01:52ID:RA/VLTYuまあ、あえて言うなら。
上杉側のが荒らしてるようにしか見えない。
0952人間七七四年
2008/04/20(日) 01:02:43ID:aWw81g0Cこのスレは史実を基に主張する上杉支持派に
ゲームばっかりしてる毛利好きの厨がいろんな質問して
正しい歴史を教えてもらうスレになってるよ
0953人間七七四年
2008/04/20(日) 01:28:45ID:kz/Zm6HS0954人間七七四年
2008/04/20(日) 03:22:32ID:03r2jJusいい加減このスレも終了だし。
あとはお互い自分の本拠地スレッドにもどって反省会だろ。
0955人間七七四年
2008/04/20(日) 03:39:50ID:F2fwZvMC俺になんか言ってきてるね。まず断っておくが大枠でこういう状況だったと概要説明してるだけだし
時代区分も大内義興が上洛してる間に尼子に焚き付けられた武田が安芸で火事場泥棒しようとしてる時期前後(1516年)の説明なのに
吉田郡山城攻めの話(1540年)を持ち出してきたりして反論してきたりもう無茶苦茶なことをあなたは言っているが?
あと何を言いたいのかいまいち論点がわからないが・・・把握できんが答えてみる努力はしてみる。
>>大内・尼子に限らず、どの大名も余程の事がない限り傘下に入ってくれればいいという態度だが。というか全ての敵を滅亡させるまでやる大名が浮かばないが
→何に対して言ってきてるかよくわからない。いろいろレスの前後を読むと【寄親寄子】の制度の中国地方の特質が理解してないだけか?
傘下に入らない国人でも大内や尼子は滅亡までは考えてない←武力で実力行使をすれば結局は降伏して帰属を申し出て徹底抗戦しないから最後は許す。
関東甲信越←北条が上杉憲政を追放したり武田が村上氏や小笠原氏を追放し滅亡に追い込みまくってる。
寄親寄子の世界なら彼らは最後まで抵抗せずに結局は帰属を申し出てただろうし、当然に武田や北条も許していたろう。
>>国人一揆契約があればほかの国人を支配できると思ってるのかもしれないが連判状に名を連ねてる吉川元経なんかは
←だから大枠と傾向で言っている。単純思考しかできんのか?状況や力関係で多少の変動はある。
それに元経の妻は毛利弘元の娘、妹は毛利元就の妻という関係から毛利に対して裏切り離反はしていない。この婚姻関係が国人一揆の絆でもある。
>>有田中井手までに初陣もまだの元就に、どうして大内が謙信並みとかの具体的な評価が出来たのか激しく疑問だな。
というかそれ以前にお前の行ってることは 毛 利 が 大 内 側 な ら ば の話だ
←このあたりが最高に何を言いたいのか理解し難い。論点が見えない。そもそも例え話として出した話に噛み付く人はいないと思うが。
謙信13歳で長尾景虎と名乗り初陣して豪族に力を見せ始めたって事を念頭にいれて例え話をしただけだ。毛利元就と名乗るのもだいたい同年齢くらいからだろう。
そして1516年前後の有田中井手の時の毛利は大内側なんだが・・・別にここから元就がスタートしても
充分に遅れを取り戻せる時間的猶予があるんだが。タイムリミットは吉田郡山城攻めの話(1540年)なんだから。
0956人間七七四年
2008/04/20(日) 03:41:16ID:F2fwZvMC>>捨て駒にするのが目的じゃない。
また援軍をというが銀山城までどうやって援軍を入れるんだ
←尼子は自分の利権拡大の為に武田を陽動作戦の囮に使ったに過ぎない。援軍というのは別に銀山城に入れる事だけが軍事援助じゃない。言ってる事が極端だ。
>>有利な条件で引き抜くだけならそうしてるよな?
それと先に書いとくが、どちらも尼子の予定の行動であって晴久の暴走とかはないから
←基本概念として大枠を話していた時代から一気に24年も未来に飛ぶんだがw基本的に有利な条件で引き抜きたいというスタンスはかわらない。
ただそれでも元就は当時、大内に隆元を人質にだしており裏切れない状況だから自陣営に引き抜けない。なら軍事攻撃で敗北させ服属を強要するだけの話。
>>毛利や浦上が自陣営に入れようと有利な条件で引き抜いたからじゃない、理屈が逆だ。
←文意を歪曲して捉えてるだろ・・・俺は「毛利を安芸支配の鍵として」
「安芸で毛利が武略をもって国人をまとめても大内も尼子も自陣営に入れたいとより良い条件を出して来て毛利を潰そうなどと思わないだろう」と書いただろう。
家臣程度に思ってる毛利が安芸を力づくで統一しても大内や尼子は滅亡させようとは思わない。
三村が備後を統一したからと言って毛利は三村を潰そうとは思わないし
宇喜多が拡大しても主の浦上は宇喜多を滅亡させようとは思わないのと同じだと言っている。
明確な叛意がないうちは、わざわざ敵を作りたくない第三勢力に成長してきてもむしろ頼りたい、仲間に引き入れたいと思うものだ。
0957人間七七四年
2008/04/20(日) 04:01:28ID:F2fwZvMCこれが元就の限界をよく表しているね。
ついでに俺は長門守護代内藤家が隆元に陶の軍事情報をタレこんだりしたおかげで陶に勝てたんだと思うな。
父の意見を曲げさせて陶と闘うように説得するとなると
ただ勇ましいだけでは無理。勝てる根拠が必要なわけ。それが内藤が謀略係として動いてくれること。
内藤隆春が甥の内藤隆世から内藤家の家督を奪うために陶打倒の画策を練り隆元に教えていたんだろう。
その代償の取引として毛利は長門守護代に任じてる。
大内滅亡後の毛利の内藤への厚遇はそれを証明してる。
決して輝元の伯父という婚姻関係だけが理由ではないだろう。
なんせ甥の隆春から家督を奪った男だ。同じ甥の輝元という関係でも油断はできん奸物だ。
0958人間七七四年
2008/04/20(日) 04:12:23ID:F2fwZvMCこれが平等な客観的評価だね。
毛利側もここらで納得した方がいいんでない?
毛利3兄弟を上杉側は評価してるんだから。景勝より上だと褒めてるんだよ。
なんか毛利も伊達と同じでガキハンターって感じだねw
大内義長は26歳で自刃→大内滅亡
尼子義久26歳の時に降伏→尼子滅亡
みんなド素人で無能揃いで家を統率できる技量もなく混乱させたあげく自爆。
0959人間七七四年
2008/04/20(日) 04:32:47ID:RA/VLTYu武田の火事場泥棒を真正面から撃退したな。
凄いな元就。
有田中井手の戦いの頃はまだ大内側じゃないな。
>>957
そのシナリオで小説書けよ。
>>958
純粋な強さは兵の数と国力な。
大体の戦はソレで決まる。
物凄く有能な指揮官じゃないかぎり寡兵では勝てないな。
年齢はあまり関係無いな。
ど素人ってのも関係ないな。ど素人かどうかも分からんしな。
兵の数を博して元就は勝ったな。
コレは紛れもない事実だな。
0960人間七七四年
2008/04/20(日) 04:40:41ID:MIDikC/Yその程度の推測を語っていいのなら(2chだからいいんだろうけど)
謙信が越後を統一できたのも武田が急成長してくれたおかですよ?
外敵がでてきたから国内統一の機運が高まったんであって,たまたま
軍功のあった謙信がまつりあげられただけ。
そういやここの上杉房は手取川合戦をさも史実のように語ってるけど
謙信の手紙にしか載ってないんだってなw
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153157857/
一応地元の神官の記録にも残ってる厳島合戦以下の信憑性しかないじゃん
0961人間七七四年
2008/04/20(日) 05:46:32ID:VhJl1qV1横からだがID:F2fwZvMCの言ってることは無茶苦茶なことが多いとは思うが、
有田中井手の戦いの頃は大内側ってのはあっているはず。
毛利熈元の頃は反大内ではあったが毛利豊元の代からは基本的に親大内となっている
毛利弘元の代はちょっと微妙だったけど。
0962人間七七四年
2008/04/20(日) 05:52:33ID:JPE4z6YZぜんぜんわかってないねぇあんたw
その程度の知能しかないんじゃ話にならないね。
ただ単に反発したいだけで書いてもみじめになるよ。
だいたい元就だったら村上を捕えて武田の傘下に降るでしょw
有田中井手の時に毛利は大内サイドじゃないなら独立してたの?
寡兵で大軍に勝つ場合は相手に重大な過失がある時か戦略で上回るのが大半だから。
また国力ではなく外交戦略で勝つ手段があるので一概に国力で勝負が決まるわけでもない。
だいたい元就の戦いの彼我戦力は根拠ない。戦術や謀略に関しては明治期の戦いでさえすべてがわかるわけではない。
まして戦国時代の戦術・謀略レベルの話は自家の講談脚色と考えるべきだ。
武田侵攻以前にどう動き示してきたかが謙信の統一に影響されており上田長尾の処理を間違えなかったから一応の統一があっただけで統一の機運とか意味不明。
手取川の戦術がどうとかではなく織田を排除し加賀を領有した事実しか語ってないでしょ。
0963人間七七四年
2008/04/20(日) 06:05:42ID:RA/VLTYuオリジナルシナリオだな
>有田中井手の時に毛利は大内サイドじゃないなら独立してたの?
ソレに関しては>>961で指摘されたな。俺のミスだな。
>寡兵で大軍に勝つ場合は相手に重大な過失がある時か戦略で上回るのが大半だから。
>また国力ではなく外交戦略で勝つ手段があるので一概に国力で勝負が決まるわけでもない。
>だいたい元就の戦いの彼我戦力は根拠ない。戦術や謀略に関しては明治期の戦いでさえすべてがわかるわけではない。
>まして戦国時代の戦術・謀略レベルの話は自家の講談脚色と考えるべきだ。
そんな事言ったら毛利氏以前に全ての議論ができなくなるじゃないのか?
0964人間七七四年
2008/04/20(日) 06:13:24ID:MIDikC/Y「織田を排除」したことになるのか
毛利房だって小国だった毛利がいつのまにか大国の周防長門を
切り取った事実だけでも十分争えるんだがな。
0965人間七七四年
2008/04/20(日) 06:14:05ID:JPE4z6YZ経験と熟練とその間に熟成された人間関係の信頼という財産を元就は持っている。
大内義長や尼子義久はそういう点で素人だと断言できるだろうし取り立ててすごい逸話もなく家を滅亡に追い込んだ以上は無能と言える。
そして隆元が大内から毛利へ戻ってきてから隆景が死ぬまでが毛利家の一番良い時期なのであってそれ以前とそれ以後は迷走しまくってダメダメなんだから毛利三兄弟>>>元就=輝元なのは間違ないだろう。
0966人間七七四年
2008/04/20(日) 06:25:45ID:MIDikC/Yその瞑想しまくってダメダメな時期の毛利家
1517 有田中井手の戦い
1523 鏡山城攻略
1530s 安芸国人の盟主としての地位を確保
1540 吉田郡山城の戦い,銀山城攻略
0967人間七七四年
2008/04/20(日) 06:25:47ID:JPE4z6YZ大内や尼子の傘下に降るのと同じように武田か北条に降り従属するって事だろ。
またミクロレベルの戦術や謀略はハッキリわからないんだから(桶狭間や手取川など議論百出でいまだに真相はわからない)
マクロレベルの話をしていくという事だろう。マクロミクロって言葉がそれを適切に表しているかはどうかはわからんが。
織田軍は加賀に進駐してきてるだろうが。柴田や羽柴や滝川ら織田精鋭が。
周防長門を切り取った事実は誰も否定してないだろう。死亡時石高がだいたい謙信が約150万石で元就が約110万石だったか?まーその前後で結論が出て毛利側から強い反論も出てこずに決着をみているはずだが。
0968人間七七四年
2008/04/20(日) 06:27:34ID:JPE4z6YZお前は一度過去レスをROMれよ…その辺もさんざん分析してあるから。
0969人間七七四年
2008/04/20(日) 06:33:21ID:MIDikC/Y謙信が七尾城を攻略したとき織田家主力はどこにいたっけ?
あとスタート時の石高も比較しないと公平じゃないよな?
はっきりいって300貫とか葬式のときにも武具とか言う主張も,
そもそも国主や豪族の跡取り格って時点で水増し(減らし?)な
気がしてならないんだが。だからもめてたんだっけ?
どんな有能な武将でもまわりから孤立した300貫や葬式武具スタートじゃ
かなりきついだろ
0970人間七七四年
2008/04/20(日) 06:33:51ID:RA/VLTYuはっきり分からない事なのに分析なんてできるの?
0971人間七七四年
2008/04/20(日) 06:37:59ID:MIDikC/Yよくわからないから好きなように分析できるんだよ
0972人間七七四年
2008/04/20(日) 06:41:20ID:JPE4z6YZんなこと言うなら謙信なんて出家して無一文だ。
七尾は能登だ。そんな事も知らんのか?
0973人間七七四年
2008/04/20(日) 06:42:09ID:MIDikC/Y動員兵力と支配範囲と直接支配範囲とか不確定要素も多いし
何を考えて行動していたかなんて状況証拠から推量しかできないはずだし
負けた方についた側は,同盟の証拠となりそうな手紙はなるべく消そうとするだろうし…
0974人間七七四年
2008/04/20(日) 06:48:14ID:JPE4z6YZそう。だから戦術や謀略なんてわからないの。だから比較対照には適してない。
だから謙信49年で150万石くらい
元就75年で110万石で勝敗は出てるの。
石高に関しては毛利側も最終的には反論してきてないでしょ。だから双方了解済み。
0975人間七七四年
2008/04/20(日) 06:48:16ID:MIDikC/Yぶっちゃけ僧が突然やってきて
今日から俺が越後を支配してやるze!
とかいっても無視されるのが落ちだということだ。
>七尾城
能登でしたorz
ところで,加賀から織田を追い出したってのはソースどこ?
手取川の合せんについては七尾城の救援に向かった織田
主力が加賀で本拠に引き返したってぐらいしか,マクロ
レベルでは語れないと思うのだが。
0976人間七七四年
2008/04/20(日) 06:49:49ID:MIDikC/Y>ぶっちゃけ僧が突然やってきて
ちょっと修正。
ぶっちゃけ僧が突然やってきて→ぶっちゃけ縁もゆかりもない僧が突然やってきて
0977人間七七四年
2008/04/20(日) 06:53:07ID:JPE4z6YZ一応、夜戦はあったんじゃないかと言われてる。
ただ戦の規模はいろいろと諸説ある。
0978人間七七四年
2008/04/20(日) 06:53:36ID:RA/VLTYu家督相続年 相続時勢力圏 最大勢力圏 勢力拡大率
・織田信長 1551年 20万石 800万石 40倍
・三好長慶 1532年? 10万石 200万石 20倍
・武田信玄 1541年 26万石 130万石 5倍
・上杉謙信 1548年 30万石 120万石 4倍
・北条氏康 1541年 45万石 180万石 4倍
・尼子経久 1478年以前 10万石 70万石 7倍
・毛利元就 1523年 6万石 180万石 30倍
・伊達政宗 1584年 35万石 120万石 3.5倍
・長宗我部元親 1560年 6万石 60万石 10倍
凄い簡略されてる部分はあるかもしれんが
違うのか?
0979人間七七四年
2008/04/20(日) 06:55:53ID:MIDikC/Y・上杉謙信 1548年 30万石 150万石 5倍
・毛利元就 1523年 6万石 110万石 18倍
0980人間七七四年
2008/04/20(日) 06:57:43ID:JPE4z6YZ内訳詳細も不明だしもう無茶苦茶だ。
それ毛利厨が作ったのかwww
どういう計算式で算出されたのが詳細求ム。
0981人間七七四年
2008/04/20(日) 06:59:37ID:JPE4z6YZスタート時の石高はなぜそのような数値が導き出されるんだ?不透明すぎるな。
裏付けとなる論拠を求ム。
0982人間七七四年
2008/04/20(日) 07:02:25ID:JPE4z6YZまさに伊達厨しか使わない石高主張と同じでワロタw
0983人間七七四年
2008/04/20(日) 07:02:27ID:RA/VLTYu信ヤボ過大過小にあったやつだな。
参考になるかどうかと思って持って来た。
後悔はしているが反省はしていない。
またやると思う。
>>981
信やぼスレ行って聞いてきてくれ。
0984人間七七四年
2008/04/20(日) 07:04:53ID:JPE4z6YZそれ作ったやつかなりのゲーム脳で真性の厨だよw
面白かったから後悔はしなくても良いかとw
0985人間七七四年
2008/04/20(日) 07:11:20ID:MIDikC/Yこれ以外に推測方法が思いつかないのであまり文句は言うなw
有田中井手の戦い ○毛利軍1千5百 対 ●武田軍7千
元就の初陣。 当時の毛利家の領土は3000貫といわれ、15000石〜25000石ぐらいといわれているほど少ないものだった。
初陣、そして圧倒的劣勢にもかかわらず圧倒的な戦力差を華麗な戦術ではねのけ、総大将武田元繁を討ち取り軍団を総崩れにさせる。
元就の天才ぶりはこの時から発揮されていた。
後世西国の桶狭間と呼ばれる。(状況を考えれば桶狭間以上の大勝利)
そのうち毛利本体は1200人,残り300は吉川からの援軍として,
信玄上洛スレの万石あたり250人という数値を当てはめると5万石程度となるが,
実際これは防衛戦なので動員率はもっと高かったはず。
となると3−4万石ってところかな?
15000石〜25000石の根拠は不明だが,多くとも5万石にはいってないのでは。
上杉の方はよろしく。
0986人間七七四年
2008/04/20(日) 07:12:26ID:RA/VLTYu0987人間七七四年
2008/04/20(日) 07:13:45ID:MIDikC/Y0988人間七七四年
2008/04/20(日) 07:14:57ID:JPE4z6YZまったく信用性ゼロで講談レベル
0989人間七七四年
2008/04/20(日) 07:15:20ID:RA/VLTYuとりあえず 武田元繁 討ち死に。
この事実しか語れないな。
0990人間七七四年
2008/04/20(日) 07:16:03ID:RA/VLTYu信用性が無いとは言えないでしょ。
正確には 分からない なんだから。
0992人間七七四年
2008/04/20(日) 07:18:18ID:JPE4z6YZそれ以前にすごく眠い。
寝ようと思ってたのに。。
0993人間七七四年
2008/04/20(日) 07:20:35ID:RA/VLTYu寝ろよ。
もう結論出たんだから。
ミクロレベルはむりぽ
マクロレベルで比較するしか無い。
あーでも
昔の事だから怪しいや。
わからん
0994人間七七四年
2008/04/20(日) 07:24:48ID:JPE4z6YZ元々は伊達厨が立てたスレなんだから。
0995人間七七四年
2008/04/20(日) 07:27:38ID:RA/VLTYuまあ、あそこは物凄い燃料がいたからねぇ。
0996人間七七四年
2008/04/20(日) 07:29:54ID:RA/VLTYu最近夢枕に毘沙門天みたいな顔の人が立ってます。
どうにかしてk嘘です。
0997人間七七四年
2008/04/20(日) 07:30:53ID:RA/VLTYuゴクリ。
0998人間七七四年
2008/04/20(日) 07:31:36ID:knMb9QhP(*・.・)ノ 協力ヨロシク・:*:・°'★.。・:*:・°'☆♪
0999人間七七四年
2008/04/20(日) 07:32:15ID:knMb9QhP1000人間七七四年
2008/04/20(日) 07:32:36ID:JPE4z6YZ10011001
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