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織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part8

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0001人間七七四年2007/12/15(土) 11:56:24ID:kcK2lmfH
戦国時代に颯爽と現れた風雲児、織田信長。
ここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。

前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part7
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189136517/


過去スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていたと思う?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154509666/

織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160592334/

織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169606468/

織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171721957/

織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174052463/

織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part6
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178968135/

0002人間七七四年2007/12/15(土) 11:56:55ID:kcK2lmfH
※ここでの「存在していなかった場合」というのは「そもそも織田信長という人物事態、生まれていなかったら」という意味です。

生まれていなかった場合の織田家等の設定等はまだ明確になってません。
(信秀なき後、家をを継ぐのは信勝か?そして尾張の行方)

では、各々方、よろしいか?
0003人間七七四年2007/12/15(土) 13:56:17ID:t/oTDBNc
前スレでは毛利とかの評価が高かったが、戦国武将としての力量はどうだったのか。

地方政治家で人徳あって管理能力に長けても、それと侵略、戦争、統一という能力とはまた別物であろう。
天下取りに毛利やら島津やらが成功するとはおよそ思えない。

信長個人はともかく、似たような人物が現れ戦国の世で頭角を現していったであろうことは予測されるが
統一ではなく連邦制のような形でかなり経過していくかもしれない。
そのあたりはまた違う話になってしまうだろうが。
0004人間七七四年2007/12/15(土) 14:26:04ID:aN8W9e15
力量はどうかというと
毛利といえば厳島はじめ大内尼子潰すまでの戦いは神がかっていたというくらいの勝率
実際のとこはどうだか知らないけど大体は他の急成長した大名のとこと変わらない程度くらいにはあるかと
0005人間七七四年2007/12/15(土) 14:53:44ID:3Vitx2aJ
評価高いというか持続的な動員力が有るか否かの差じゃないかな
これが無いとどうしようもない
天下を望んだかどうかは置いといて
今川 阿部金山+遠駿の港(東日本航路にとっては外せない寄航地)+背後が
北条武田同盟で安全
三好 畿内に近い阿波讃岐が本拠+室町体制内
毛利 瀬戸内+日本海航路からの利+石見銀山
島津 日本最南端という地の利を活かした内線作戦が可能
西へ東へ毎年のように万単位で軍を動かすには経済的な裏づけがないと無理
例えば武田家は25000動員して半年稼動させた事がかなりの疲弊を招いている
これが毛利家だと大内併合した頃から秀吉との備中高松での対陣までほぼ毎年に
わたり万単位で動員しつづけている
0006人間七七四年2007/12/15(土) 15:32:04ID:d9hkWYlG
毛利は博多に手を出しては大友に阻まれての繰り返しで大友が弱体した時には
織田との抗争に否応無く巻き込まれた印象があるが、信長が居ず義昭が下向して
こないのであれば博多攻略を成し遂げるコトが出来たのかだろうか?
博多支配に成功したらしたで肥前の熊への対応、島津の北上とイベント満載ではあるが。
0007人間七七四年2007/12/15(土) 15:56:24ID:l2fuIDp2
いやいや、毛利が博多を支配出来たら天下統一に王手だろ。
他の大名とは経済力が段違いになる。
島津や熊さんなんて話にならんよ。
0008人間七七四年2007/12/15(土) 16:15:56ID:kcK2lmfH
>>6
戦国期においては海を挟んだり飛び地の維持はきわめて困難
いくら水軍が強くてもいづれは島津に飲まれる
現実の毛利も結局九州の領土は失ったし
0009人間七七四年2007/12/15(土) 17:00:03ID:9xxKizOD
毛利が博多攻略に失敗して九州から撤退することになったのは、信長がほぼ無関係
だから史実どおりなんじゃないの?
織田との抗争も巻き込まれたというのかあれは?
0010人間七七四年2007/12/15(土) 20:16:17ID:iNKjA5VR
前スレで、ほぼ答えの出ていた今川が尾張併呑をテンプレに入れても良いのでは?
0011人間七七四年2007/12/15(土) 20:42:13ID:m6PgT8L5
>>4
吉川は不敗だったらしいぞ
0012人間七七四年2007/12/15(土) 21:32:56ID:aN8W9e15
>>9
尼子旧領での山中幸盛以下尼子残党の蜂起は織田つうか中央の援助があったと聞く。
0013人間七七四年2007/12/15(土) 22:05:11ID:Y3F1/fXe
>>12
でも山陰に侵入したのは尼子残党でしょ?
0014人間七七四年2007/12/15(土) 22:14:15ID:8hN9Jrcv
島津かもな
0015人間七七四年2007/12/16(日) 00:01:17ID:g8621+gn
石山本願寺による仏教王国に日本はなっていた

それ以外の選択肢はない
0016人間七七四年2007/12/16(日) 00:13:16ID:SQYu0wIu
>>9
いや、失敗してもまた攻めればいいわけだしその体力もたぶんあった。
信長や信玄がそうでしょ。何度も失敗してるけどやり直して成功してる。
九州攻めの後もずっと各地で万単位の兵力動員できてるんだから
九州もまた攻めることができたはず。大友は火種も多いし。

でも大友が弱ってきてチャンスのときには織田が西に進出してきて、
できなくなったってことでしょう。
0017人間七七四年2007/12/16(日) 01:24:28ID:mxRspD0A
>>16
そしたら島津との泥沼な戦いが待ってると思うが
近畿の情勢を設定しないとわからないが二正面作戦はつらいで
0018人間七七四年2007/12/16(日) 01:32:28ID:3qJHgT/j
ところで質問だが、「大友が弱体化した」というのはいつからだ?
火種があったのというのはそれは毛利も含めた他の大名も同じこと。
耳川の敗戦までは大友が弱ったともいえないような。
0019人間七七四年2007/12/16(日) 01:38:39ID:SQYu0wIu
当然そうなる。前スレからそういう流れだ。何をいまさら。

織田がいなければ毛利はどうしていたかというテーマで
九州を攻めただろうということ。
西に行くとしてもいずれ島津との争いは避けられないしな。
0020人間七七四年2007/12/16(日) 01:42:43ID:mxRspD0A
もちろん耳川の戦い(1578年)以降だろ
決定的になったのは道雪の病死(1585年)かな
0021人間七七四年2007/12/16(日) 01:46:27ID:SQYu0wIu
>>19
だから耳川だろ。毛利が織田との争いに加わってしまった時期だ。
0022人間七七四年2007/12/16(日) 02:49:32ID:7UcnAdKE
あれあれ、毛利が九州を攻めるなんてのは地方の局地戦の話でしょう。
それでどういうメリットがあったか、で水軍がどうのなんてのは天下統一とは全然違う話じゃないの。
だから前スレが不思議で仕方がない。

地方の大名がどれだけ評価されてもそれと近代中央政権樹立とは違うだろうから、畿内水軍とか
地方国内貿易のどうこうなんてのはどういう意味評価でレスが伸びるのか不思議で仕方がない。

例えば鉄砲の硝石の移動経路を握ってたから、それで天下統一のウラの基本を牛耳ってた、なんてのは
本末転倒で、要はその地方武将がこの狭い国内をどういう形で掌握しようとしてかた、
が基本になるのではないではないの。

だもんで各武将がどういう意思の下に中央政権掌握を考慮してたか、でないと中世から近代への移行
は語れないのじゃないかな。

前スレの水軍とか国内貿易移動経路なんてのが中央政権樹立、ま、天下統一、とどのように結びつくのが
不思議で仕方がない。
単語には詳しいようだから、最近の学院系はそんなことばっかりやってるのな。

例えで申し訳ないが、イチロ〜の打率とか技術をどれだけ研究しても、彼が世界一の監督に
なれるかどうかは全然別問題、そういう気がする。
横から申し訳ないが

0023人間七七四年2007/12/16(日) 05:19:58ID:+1knZuLb
ともあれ、後世の評価は別にして、戦国時代の毛利の評価は別格なのは間違いない。
信長に追放された義昭が、頼りにしたのも、
家康と戦う三成が頼りにしたのも、毛利だった。
今川と三好が畿内で争っても、
島津と大友が九州で争っても、漁夫の利を得る位置にあったのは、確かだ。
人材論を別にすれば、瀬戸内海と鉄と銀を握り、100万石を越す国力と3万の動員兵力は、天下に一番近い。
0024人間七七四年2007/12/16(日) 06:05:12ID:c84Qgcmz
三好三人衆 120万石 動員数3万5千 堺、京、東瀬戸内海を支配。てゆうか義輝殺してから暫くは天下人
0025人間七七四年2007/12/16(日) 07:15:07ID:SQYu0wIu
>>22
信長がいなかったら誰が天下をとるかってスレだろ。
で、天下に近い有力大名の話になって毛利が出てきた。
そして毛利が畿内に進出するかどうかって話になり、
堺が重要だから進出するって主張する奴と
毛利にとっては博多のが重要だから進出しないって主張する奴に別れて話してたんだよ。

全部スレの主題に結びつく話。若干雑談混じってたが話ってそんなもんだろ。
戦国好き同士で四方山話を楽しむ場だろここは。
0026人間七七四年2007/12/16(日) 08:58:46ID:fQV0Odne
九州統一したら島津の方が毛利を兵力、経済力共に大きく上回るな。
そうなったら毛利は、背後を完全に脅かされるから機内進出は、きついだろ。
0027人間七七四年2007/12/16(日) 09:53:34ID:hjj0skKL
逆に島津の北上が史実より10年程度早いほう(1570年前)が毛利にとってはいいのかもな
毛利にとっては九州の土地が欲しいのではなく門司-赤間ヶ関を毛利の浴槽にし更には
博多を押さえる意味で筑前豊前の海岸沿いが大事(主として西日本国内貿易航路)
島津にとっては肥前平戸長崎-坊ノ津-豊後府内を押さえる事が出来れば南蛮貿易の
玄関確保が完成する(主として海外航路)
スミワケによる巨利が毛利島津を結ぶので対大友で強力に手を組みそう
0028人間七七四年2007/12/16(日) 10:23:02ID:/MOmRjVk
岩見銀山の生産高、博多の税収に詳しい人いないのか?
数字が出ないと議論しても意味がないような。
0029人間七七四年2007/12/16(日) 10:38:44ID:dAZIFK45
>>15
本願寺は他の宗派との対立とかがあるから無理。
法華衆との争いに敗れて京から放逐されたとこを忘れないように。
0030人間七七四年2007/12/16(日) 14:02:49ID:SQYu0wIu
>>26
毛利は博多をとれば国力的には島津を上回ると思われる。
>>27の言う通り数字がないのでこれ以上は検討できない。
まあ数字があっても数字だっていい加減なものだから参考にしかならないが。

いずれにしろ毛利はまず博多に拘るだろうし
そうなれば泥沼は避けられない。
仮に島津に決定打を与えることができれば別だが
輝元には難しそうだな。


毛利は天下をとる大名ではなく天下の趨勢に影響を与える大名になると思う。
0031人間七七四年2007/12/16(日) 14:11:15ID:QjxgvNqJ
前スレの流れで、今川上洛が信長の前後5年でそのあたりまでは
西日本の勢力図は信長居なくてもほぼ影響なく史実通りって話でしょ?
毛利でifを語るなら秀吉が来る頃からでないと話がかみ合わないっしょ
0032人間七七四年2007/12/16(日) 14:24:51ID:mxRspD0A
毛利の基本路線は中国地方完全平定
尼子大内の残党の蜂起の時の九州からの速やかな撤兵や
足利義昭下向のとき反応から一貫してるものと推測できる

史実の版図から南条山名別所浦上を完全に影響下におくのに順調に行って1580年
ここで東進のスピードを落として九州に目を向けるのは十分に考えられる
(基本的には九州近畿四国の3面作戦継続)

九州に進行した場合は大友氏から独立した秋月氏を竜造寺氏に代わって支援
連合すればまだ中国地方にちょっかいを出す余力があった大友氏相手にも
2年あれば博多を確保することが出来ると予想

毛利の進行で大友氏の崩壊が早く進めば島津氏も道雪の死を待たずに北上するとして
この時点で竜造寺氏に焼き討ちされて全町消失した博多が復興出来てたとして
今度は島津氏の焼き討ちおよび進攻(1585年頃)
(代わりの湊・商人を持つ島津氏等は博多を必要としない)

いかに強力な水軍を持っていても海を挟んだ飛び地の確保は難しく
今度の相手は九州のほとんどを制覇しつつある陸続きの島津
大大国になった毛利氏も苦戦は免れず消耗戦になると思われる
結局毛利が天下を取るにはいかに早く九州を諦めるかという
いつもの結論に落ち着くと
0033人間七七四年2007/12/16(日) 14:46:12ID:mxRspD0A
>>30
ほぼ同意、
ただ秀吉による復興前の博多の経済価値は大友時代より下がってると予想できる

当主はともかく代々の補佐役(両川→吉川広家・毛利秀元)が計算できてお家騒動もなく
地理的にも思想的にも予想しやすい毛利は大体片付いた感じじゃない?(1580代中盤まで)
後は肝心の近畿今川か
0034人間七七四年2007/12/16(日) 15:42:34ID:/MOmRjVk
その見方は島津贔屓すぎるだろ。
0035人間七七四年2007/12/16(日) 17:46:53ID:SQYu0wIu
海を挟んで領土確保は確かに難しい。
それは毛利、島津ともに言えることで
互いに一進一退を繰り返す他ないだろう。
少なくとも80年代に決着が着くことはない。

中国以西はこんなところか。
で、畿内だが、さっぱり予想がつかんなw


前スレでは今川は上洛するかどうか結論でたの?
0036人間七七四年2007/12/16(日) 18:37:07ID:hjj0skKL
西国が本拠だと京都への執着がイマイチ無いのかもしれない
平氏しかり征西府懐良親王しかり室町の3巨頭細川・大内・山名しかり遺領を継いだ三好・
毛利しかり
確保できればするけどしがみついてまで欲しくないみたいな
対して東国だと京都に執着してしまうみたいな
源氏・足利・新田・北畠顕家・今川・武田・織田・上杉
なんだかんだで京都を目指して進軍始めてる
0037人間七七四年2007/12/17(月) 01:48:10ID:5z24jOew
史実での、今川の尾張進出(桶狭間の合戦)は、尾張併合が、戦略目的かもしれないが…。
このスレでは、上洛の前哨戦でいいんじゃないかな。
その方が、ロマンがあって、面白くなる。
まぁ、可能性は厳密に議論して行くとして…。
0038人間七七四年2007/12/17(月) 02:24:25ID:Mx0yRwSZ
長宗我部な気がする…
四国平定できれば京に近いし有利なのでは?
0039人間七七四年2007/12/17(月) 09:40:47ID:5z24jOew
近い、遠いの地理的条件だけで考えれば、
現に、畿内を支配している三好、
次いで、水軍を利用すれば、一日半で万単位の大軍を畿内に上陸させた毛利が最有力候補。
0040人間七七四年2007/12/17(月) 12:59:49ID:nMDc0xJp
そう言えば戦国if小説で信長とか秀吉がいないやつは見たことないな。
途中で死ぬやつはあるけど。
0041人間七七四年2007/12/17(月) 13:50:20ID:3IZsyMD1
そういう物は、実際にどうなっていたかという検証よりも
ある仮定をする事で読者の「もし〜だったら、こうなっていて欲しい」
という願望を具体的に表す方が重要だからなぁ。
0042人間七七四年2007/12/17(月) 15:11:21ID:oj81hMu3
毛利やチョウソガ、シマヅなんて中央に出て行く意思が感じられないから天下取りは
ありえないのじゃないのかな。
勢力拡大よりお家安定を図る田舎大名としては評価できるけど。

ほんで革新的な跡継ぎが出ても老家老がとめるというか、そういう教育はしないと思うのだよね。
だもんで中央で信長、秀吉的なやつが出現しても、結局は同じような形で近世への移行が
行われたと思うな。

ほんで武将じゃなくて毛利あたりが朝廷に補助してるうちにゴダイゴみたいなのが出てきたら、
というほうが面白い、いや恐ろしい・・・
間違いなく今頃どっかの隷属国でみんな原住民だ・・
0043人間七七四年2007/12/17(月) 19:06:44ID:2vjonJMx
なにこの電波さんw
0044人間七七四年2007/12/17(月) 19:08:33ID:A/kK07rS
>>40
その二人でほとんど全ての大名と接して滅ぼしたり領土削られてるから、当然っちゃ当然
0045人間七七四年2007/12/18(火) 00:31:46ID:rh3XgOpg
>>40
信長は戦国の終息に道筋付けたからな
いなければどうなるか、なかなか想像出来ないだろ、ここみたいにw

それに信長という戦国随一の魅力がある人物をわざわざ外さないだろ、商売的に
秀吉は信長のおまけ
0046人間七七四年2007/12/18(火) 01:59:37ID:BVA2lNM8
どこまでが釣りでどこから先が真剣なのか図りかねる
0047人間七七四年2007/12/18(火) 09:23:23ID:eE5y6fC5
とりあえずスルーで
0048人間七七四年2007/12/19(水) 09:05:49ID:I44U8qvV
今川が1560年に尾張を併合出来るなら最有力候補だろ。
っていうか、天下統一出来るのは今川しかいなくないか?w
0049人間七七四年2007/12/19(水) 09:24:44ID:gwQWz93e
今川義元の軍事能力が未知数。
理由としては今川の主要な戦いはほぼ太源が指揮をとったから。

義元は史実で兵力に劣る織田に大敗北。
0050人間七七四年2007/12/19(水) 10:51:46ID:LzKtgVvw
今川が、六角、三好の防衛線を突破する、時期と時間が、鍵では?
更に、氏真の軍事能力が未知数?
この辺を、今川支持者は、如何に考えているの?
0051人間七七四年2007/12/19(水) 11:17:25ID:9XmDLrJP
勢力が大きくなればなるほど、大名自身の軍事能力よりも家臣を使う能力の方が重要になってくる気がする。
0052人間七七四年2007/12/19(水) 12:18:52ID:CqTq8btG
つうか統治方法がどんなものなのかとか反乱が起きる可能性はとか未知数な要素が多いな
どんな有名な大名家でも落ち目になれば裏切りが多く出る
0053人間七七四年2007/12/19(水) 13:14:24ID:gX/6Cb6j
太原雪斎があまり戦場に出なくなった以降も諸将を使って三河尾張に勢力伸ばしてるし
1560年の侵攻でも総崩れになるまでは織田側の支城も落としてるし何人かの将の首も上げている
大名の指揮能力としては並みくらいはあるのではないかな、部隊長としては下だとしても
0054人間七七四年2007/12/19(水) 13:40:15ID:LzKtgVvw
>>51
大名の軍事能力が必要なくなる前に、義元の寿命が尽きて、代替わりすると思うんだがなぁ。
秀吉が戦場指揮官としての能力を発揮しなくなったのは、小牧長久手の後、家康と和睦し、天下の大半を手に入れてから。
その後も、長年の戦場経験からくる権威から、この人に逆らったら恐いと思われるほどの凄みはあったはず。
氏真に、それを期待出来るのか…?
0055人間七七四年2007/12/19(水) 14:45:13ID:gX/6Cb6j
>>54
その前に義元存命の1570年ごろまでの情勢だろ
どう考える?
0056人間七七四年2007/12/19(水) 14:49:48ID:3kW5vn/D
やっぱ三好だな
将軍擁立してるのがでかい天皇も抱えてるし
0057人間七七四年2007/12/19(水) 14:55:00ID:LzKtgVvw
>>55
義元何歳まで生きんの?
70年代には、三国同盟の氏康、信玄死んじゃうんだよ?
義元一人、長寿なん?
0058人間七七四年2007/12/19(水) 15:22:08ID:gX/6Cb6j
>>57
だからさ、氏康・信玄くらい生きたら1570年ごろにはまだ義元居るだろ
その時の今川家や近畿はどうなってるかってことだよ
0059人間七七四年2007/12/19(水) 15:58:24ID:eDRPNcno
信長じゃなかったら三好には勝てないし松永も倒せないだろ
松永や信長ほど残忍になれるとも思えんし
0060人間七七四年2007/12/19(水) 16:10:31ID:rmMQ2LLo
戦争なんてのは個人の資質よりも経済力、国力でするもの。
義元存命中に尾張、美濃、伊勢を取れれば次代、次次代には天下を取れると思うよ。
0061人間七七四年2007/12/19(水) 16:16:19ID:VP8wzQsE
個人の資質よりも経済力や国力の方が重要なのは同意だが、
経済力や国力のみで勝敗が決するものでもない。
実際の戦闘以外にも家臣団との関係作りや外交戦術など
大名個人若しくは取り巻く人材の個人的能力も重要だろう。
0062人間七七四年2007/12/19(水) 16:35:32ID:eDRPNcno
三好は将軍も天皇も擁立してたんだぞw
信長以外で松永や三好からどうやって奪えるんだよw
残忍じゃなければ不可能
将軍の権限で国賊扱いされるよ義元なんて
0063人間七七四年2007/12/19(水) 16:53:46ID:GxzLtR03
義元の場合、駿府に本拠を構えたままだと尾張以西は一時的には支配下におけてもいつまで保てるか不安が残るなあ。
信長がそうしたように駿府に氏真を据えたまま自身は西上して尾張か美濃辺りに居城を移すべきだと思うが出来るかなあ?
0064人間七七四年2007/12/19(水) 17:49:57ID:gX/6Cb6j
>>62
なら誰が天下取ると予想する?
0065人間七七四年2007/12/19(水) 17:55:07ID:gX/6Cb6j
>>63
一応1860年時は駿河・氏真、遠江三河・義元差配だったが
本拠地自体を移す信長方式はなかなか出来ないだろな

少なくとも美濃を取った後の信長の侵攻スピードに比べると時間はかかりそうだ
0066人間七七四年2007/12/19(水) 18:21:13ID:gX/6Cb6j
1560年な
0067人間七七四年2007/12/19(水) 19:37:38ID:gwQWz93e
>>戦争なんてのは個人の資質よりも経済力、国力でするもの

兵力だけで勝てるなら戦略という言葉はうまれてねーよw 池沼か?
河越野戦でも正面から戦えば北条に勝ち目は無いが、奇襲で打ち破ってるわけで。
0068人間七七四年2007/12/19(水) 19:53:29ID:CqTq8btG
だが国力と経済力が優勢であるとこはまた戦力を立て直すことができる
もし不利になるとしたらそれは一撃で中枢に至るまで壊滅的な打撃を受けたときくらいだろう
0069人間七七四年2007/12/19(水) 20:16:54ID:I44U8qvV
アホはおまえじゃね。
戦争の基本は兵力=国力だろうが。
0070人間七七四年2007/12/19(水) 21:37:48ID:uQSKq4Iv
少々の国力兵力の差は現場指揮官の作戦でどっちでも転ぶと思うけどね。
やっぱり今川に天下統一なんて意思はなかったと思うし、毛利だってまさに国力が
大きくて安定はしてても、肝心の統一の意思がなければどうしようもない。
ちゅうか信長に滅ぼされる寸前だったわけだし。
関が原で徳川に敵対したというのもマイナスポイントだな。

なんか毛利ファンが多くて悪いけど。
0071人間七七四年2007/12/19(水) 21:54:29ID:gX/6Cb6j
>>70
なぜ天下統一の意思がないと言い切れるか
詳しく聞きたい
0072人間七七四年2007/12/19(水) 22:58:38ID:o1GOKPcv
毛利元就は年をとりすぎていた
0073人間七七四年2007/12/19(水) 23:13:28ID:q06wYYdK
そりゃまあ全国的なデビューである厳島奇襲ですら60歳過ぎてるからなw
0074人間七七四年2007/12/19(水) 23:28:58ID:VP8wzQsE
つーか、天下統一を第一義として行動するか緩やかな領土拡張の延長線上に
天下統一がある、という違いはあるにせよ、全ての勢力の最終的な到達地点は
天下統一であった、としなければこういうスレは成りたたんだろう。
0075人間七七四年2007/12/19(水) 23:39:31ID:q6lilHrs
>>70
毛利ファンだが、統一の意思がないことはマイナスではないし
西軍にいたのも全然マイナスではない。むしろそんな毛利が好き。

>>71
前スレから現スレの>>36くらいでほぼ結論が出てる。
毛利が1580年代中盤まで京を目指すことはまずない。
理由は畿内進出の費用対効果の悪さと背後の心配。
とりあえずスレをざっと読んでくれ。
0076人間七七四年2007/12/19(水) 23:56:37ID:gX/6Cb6j
>>75
いや、今川の事
0077人間七七四年2007/12/20(木) 00:02:39ID:uQSKq4Iv
>>71
それと統一にはそれなりの準備というか兵増強とか家臣団への根回しとか
いるでしょう。
そういう文献と言うか統一に向けての傍証はみられないのじゃないのかな。

イザワじゃないが、あの頃すべての大名が上洛や統一を考えていた、というのこそ間違った
前提であって、そういう発想を持った3英傑というのはやはり抜きん出た異分子であり
そういうのにしか統一事業への進出はできないと思うのだよね。

74が言うのももっともなんだが、緩やかにしろ領土拡大を図ると言うこと自体がすげぇリスクであって
そうではなくて自国の安定が第一、というのがほとんどであったわけでしょう。
毛利やら今川ってのはせいぜいそういうレベルであって、信長に比類するような武将じゃないと
思うのだよね。

話の腰おってわるいけどね。
0078人間七七四年2007/12/20(木) 00:09:28ID:Du/z8KiF
>>75
毛利の畿内進出の費用対効果は、畿内の状況次第では?
三好、もしくは今川が、畿内に安定政権を成立させていたら、毛利は敢えて進出するメリットは少ない。
だが、今川、三好が畿内で伯仲、もしくはどちらかが辛うじて畿内を確保しているような状況ならば、毛利の畿内進出の時期は早まると思われるけどな。
畿内進出は、信長の上洛が、多大なメリットを信長にもたらしたように、博多以上の価値はある。
0079人間七七四年2007/12/20(木) 00:11:48ID:6JqhUQP3
>>76
あ、今川ね。
例えば桶狭間の前に織田の方から攻めたことがあったぐらいで、尾張の織田も今川も兵力と言うのは
実はあまり差はなかった、らしいのだよね。
最近の研究では桶狭間の時だって上洛や織田征伐じゃなくて単に砦の奪い合い程度での出陣、なんて風じゃなかったかな。
今川が天下統一するには回りの敵国があまりに強大だし、およそ統一への意思があったとは
思えないぐらいの田舎大名、ってのが実情だと思うよ。
ま、海道一の弓取り、とか言われてたのならあそこで負けるなよな、ってね。

重要なのは信長だって織田家のうつけであったことで、そこからあれだけケンカ仕掛けるというのもかなり
アブネェ存在で、決して今言われているように最初から統一を目指した改革派の天才、なんて
人物ではなかったと思うのだよね。
0080人間七七四年2007/12/20(木) 00:17:21ID:7YY577o9
領土拡大は弱肉強食の世を乗り切るためであり
相手より強くないと滅ぼされるから強くなるという現実はある

だが突き詰めると最終的には天下統一に行き着くんじゃないかな?
源・足利の先例があるし当時の権力者が至高を目指すことをまったく考えないとは思えない

てかどの国の歴史もそういうものじゃないのか?
同一文化圏内においての地方を制覇しただけで
全ての勢力が満足するなんてことはないだろ
0081人間七七四年2007/12/20(木) 00:24:57ID:7YY577o9
>>79
砦を取るために2万の軍勢ですか、出来れば出典を教えてもらいたい

1560の東征は近畿大名に対する工作を示す物証がない事から上洛ではなく
尾張平定が目的だという事はよく言われてるが示威行為に近いとはあまり聞かないな
0082人間七七四年2007/12/20(木) 00:26:20ID:r1visPsS
>>79
あの時点で信長が動員できる兵力と義元が動員できる兵力に差が無いって、おいw

それに、三城奪還において重要な砦が攻められてるんだから、後詰にでにゃならんだろう。
アブネェってw
0083人間七七四年2007/12/20(木) 00:33:14ID:6JqhUQP3
>>81
いや、歴史読本の数ヶ月前のに書いてあったような。
示威行為ではなくてあくまで局地戦、って感じなんですよ。
尾張平定、まで考えていたのですかね。

今川軍が2万というのも最近はそのあたりが結論なんですかね。
わしは実家がにゃ古屋であのあたりは歩いたりしたけど、そんなに行軍できるような道と言うか
土地ではないようにいつも思ってた。
天理本に4万5千なんてあるけど、さすがにね。
0084人間七七四年2007/12/20(木) 00:43:34ID:6JqhUQP3
>>82
いや、実際に具体的な兵力は知らないけど、そんなに国力に差があったら織田家から今川を
攻めることなんかできないでしょう。
そういうところからの推論なんだけどね。
桶狭間にしても200対45000なんてのはギャグとして、藤本説の正面攻撃で勝てたのなら
実際の兵数はかなり接近してたんじゃないかな。
ま、いろいろ教えてほしいけど。

で、アブネェ、というのは結構本気でまだガキンチョの頃に兄弟や叔父を殺して織田家を牛耳ったわけでしょう。
これって、先入観なしで考えるといくら当時としてもかなりヤバくない?
信長の天下フブへの第一歩、なんていうのは結果論を美化しすぎで、あんまり友達には
なりたくないタイプだったと思うぞ。
0085人間七七四年2007/12/20(木) 00:50:06ID:6JqhUQP3
>>80
なんか連続レスであれだけど、当時の権力者、というのが問題だよね。
地方大名といいかえさせてもらうけど、各々内部には問題だってあるわけでしょう。
それに政軍分離の問題とか至高をめざすことをかんがえたとしても、事実上不可能
だったわけでしょう。中央に打って出ることは。
このあたりはますますイザワの受け売りで悪いが、信長がいなかったらかなり違う形で
近世を迎えていた可能性が高いと思う。

電波あつかいされちゃいそうだけどね。
0086人間七七四年2007/12/20(木) 01:13:02ID:7YY577o9
>>81東征じゃないなw尾張攻め

>>83
ありがとう、今度図書館にでも行って見てみるわ、最近買ってないからなぁ詰まんなくて

>>84
常時総兵力が国境に展開してるもんでもないし、ゲームじゃないんだからw
>まだガキンチョの頃
何の話をしてるかわからないけど、義元も兄弟殺して家督継いでるね

>>85
その辺は一理有る、他のレスは電波というより、ゆと(ry

それと>>32>>33あたりも俺だが、
1580年代中盤まではまで京を目指す可能性はは低いと書いたが
中国地方完全平定が第一目標という事で、近畿進出まったく興味がないと読まれても困るアル
0087人間七七四年2007/12/20(木) 02:01:32ID:gVDL5ZDy
>>84
>接近
全然してない。実力が伯仲していたのは信秀の代。今川がまだ遠江を支配できていない頃の話。
1560年の信長は尾張の南半分のさらに半分しか支配できていない。
そこから西に一向衆に対する備えと南の砦の備えを差し引くと3千がギリギリと分かる。

対する義元は最盛期を迎え遠江の領国化をほぼ終えて尾張に進出しようかという頃。
後方は同盟国に守られ、一応の押さえを残してほぼ全軍で侵攻。実際に2万近く動員されたと思われる。
また義元は基本的に合戦は家臣に任せるタイプだったので自ら出陣というのは局地戦以上の特別な意味を有する。

0088人間七七四年2007/12/20(木) 03:41:31ID:SC/JCJ20
マジレスすると誰がとったかわからないだろw
もし信長が存在しなかったら時代は100年ほどズレていたと言われてるからねw
それほど信長の存在は大きかったと言われているw
0089人間七七四年2007/12/20(木) 06:11:31ID:FkRdbSJ7
分からないなら失せろw お前がここにいる必要が無い
0090人間七七四年2007/12/20(木) 06:43:19ID:VyAV1ZeH
毛利が大友に勝てばとか
一番大勢力になれば自動的に天下が取れるって発想がもうゲーム脳だな
ならなんで戦国時代が百数十年も続いたんだよw

その百数十年のうちのそれぞれの時期を切り取ってみれば
その時期その時期で一番の大勢力だった大名は必ず一人居るわけだろ
なんでそいつがそのアドバンテージを活かしてさらにどんどん勢力を広げて天下統一を出来なかったんだ?

例えば北九州も傘下に収めるなら毛利以前に大内だってとっくにやってるよ
しかも毛利と違って中国・九州の武家を引き連れて上洛までやってる
しかし天下“統一”はできなかった

単に一時期全国の大名中で国力トップになるのと
天下統一する(戦国時代を終わらせる)のとではまるで違うってのがわからんのかね

たぶんあれだろ信長の野望とかゲームやって戦国時代に興味持って
そのイメージでもって語ってるんだろw
あれって自分がプレイしてる大名が国力トップになれば
あとはもう作業だもんなw
あとはどんどん残りの場所を塗りつぶしていくだけ
同じ作業の繰り返しで全国の色や家紋を自分がプレイしてる大名のものにするだけだもんなw
0091人間七七四年2007/12/20(木) 06:53:43ID:FkRdbSJ7
なぜ大内が中央政治に参画できたのか、なぜ京都を離れなければならなかったのか、
なぜ没落したのか知りたければググって学べ。

そうすりゃそんな単純な答えはでないだろ・・ 大内は事実上天下人候補だったよ。
0092人間七七四年2007/12/20(木) 07:32:55ID:8QQ2Ok6G
>>90
毛利はともかく大内への認識に吹いたw
どうみても君がゲーム脳です。本当にありがとうござ(ry
0093人間七七四年2007/12/20(木) 09:51:29ID:gwn0MTcY
>>87
> 1560年の信長は尾張の南半分のさらに半分しか支配できていない。

前年にほぼ尾張を統一してるよ。
0094人間七七四年2007/12/20(木) 10:48:27ID:zNt7SI4E
義元なんて無能どうでもいいじゃん
それなら信玄で語れよ
0095人間七七四年2007/12/20(木) 11:02:13ID:gVDL5ZDy
>>93
確かに国内の敵はあらかた討って名目上は統一と言えなくもないが実際には半分も支配できていない。

尾張8郡のうち北4郡は岩倉を陥としたものの支配する余裕がなく手つかず、
南4郡のうち西側2郡を占領する服部ら寺衆は今川と手を組み敵対的、
残り2郡も今川が侵入してきて防衛のため思うようにならないのが実態。
0096人間七七四年2007/12/20(木) 12:14:41ID:GArYuH8c
>>86
たぶん2007の8月号で、これには公記のフロクもついてる。
これが出色の出来で疑問が増えた。
読んだらまたいろいろ教えてね。
一応ゆとりどころか白黒テレビの頃からこういうのに関心持ってて、最近の研究にはますます興味がわく。
部分的に書くとかえってユトラ〜扱いされちゃうな。

>>87
なるほどね。
とすると正面攻撃でどうして義元のところまで行けたのだろう。
大将だから幾重にも守られてたろうし、天理本にも「段々〜」とちゃんと守られてた描写がある。
桶狭間は敵大将の首を取ったという、数ある戦国合戦の中でも珍しいタイプの結果で終わった
でしょう。つまり圧倒的に不利なほうが完全勝利を収める、というレアケースにもなってる。
直前に2武将がつっこんで討ち死にしてるけど、その時の3〜50の兵数減だって相当痛いのに
それを承知で信長が正面攻撃、このあたりにちと疑問を超えた不信感さえ感じる。
さらに完全勝利・・

このあたり考えてることがあるんだけど、どっかで教えてもらえないかな。
0097人間七七四年2007/12/20(木) 12:18:08ID:GArYuH8c
>>86
あ、追加。去年の歴史読本にも「書き換えられた戦国時代のウンタラ〜」ってのがあるから
こっちも読んでみてね。
鈴木、藤本のその後みたいな「本能寺謀略説の検討」みたいなのがあって、こっちのほうが
面白いかもしれない。
京子ちゃんがいないのが残念だったりして。
0098人間七七四年2007/12/20(木) 12:50:31ID:NQVf0FnK
ずばり一向宗です。
日本は宗教国家になってました。
0099人間七七四年2007/12/20(木) 12:56:03ID:wt23XIoJ
>>87
桶狭間当時の織田と今川が伯仲なわけがないとか今川の動員が二万ちかいという
のは賛成だが、しかし「尾張の南半分のさらに半分しか」これはない。

当時の信長は鳴海周辺を今川に抑えられていたこととと、岩倉が健在である以外
の尾張のほとんどを支配していた。
0100人間七七四年2007/12/20(木) 13:26:45ID:gwn0MTcY
>>99
いや、岩倉も落としてる。
信安は美濃に落ち、城は破却してるはず。
0101人間七七四年2007/12/20(木) 14:33:52ID:K5wxYGWo
支配はしてても動員はできたのかね
林も柴田でさえ篭ってるぐらいだし、倒したばかりの土地からは
かなり不自由な動員を迫られてる気がするが

あと、確か今川は
数年掛けて諸役免除など行って、
限界以上の大量動員に努めていたっていう話をどこかで見た
0102人間七七四年2007/12/20(木) 16:21:47ID:wt23XIoJ
>>101
逆だよ。あらたに支配されたものほど、新しい君主に忠誠をみせるために大きめの
動員を求められるし、また本人もたいていは自発的に行う。これは当時の常識で
あって、現代風に支配下に入ったばかりだから新支配者には非協力的なんて考える
のはまちがい。
もちろん、新支配者がみるからボロボログダグダで支配も長くも強くもねーなーと
見くびられればその限りではないが。
0103人間七七四年2007/12/20(木) 16:34:56ID:7YY577o9
>>97
詳しくありがとう

まぁ桶狭間自体はスレ違いだからほどほどに
0104人間七七四年2007/12/20(木) 16:54:37ID:VvH9BRas
つうか積極的に協力の姿勢見せとかないと疑われて皆殺しお家断絶なんてのはよくあるパターン
同様に今度は裏切る元のとこから攻撃されても疑われたら援軍出してもらえずにあぼーんもこれまたよくあること
力関係から裏切ってついた者である分余計に保身に気を使わなければならないのは古今東西変わらない話だ
0105人間七七四年2007/12/20(木) 18:19:35ID:XYH4fY+k
>>103
そうしましょ。

ところでチャチャ入れて申し訳ないが、国力というのは何万石みたいに表現されるやつのことでしょう。
つまり生産高と言うか何人を養える、というか。
としたらそのうちの実際の兵数、普段は農民だが戦の時には兵になる、そういうのがどのくらいいたかは
また少し違う話じゃないのかな。

例えば石高が倍ぐらい違っても実際は1.5倍ぐらい、というのは普通にありそう。
ほんで大切な自国民全部をいきなり戦争に使う大将もいないだろうし、実際の戦においては
どのくらい動員したかはケースバイケースで考えるべきと思うのだよね。

だもんで各大名がそういう他国侵略の意思があったかどうかはかなり重要なわけで、尾張なんかは
国力はともかく精鋭がそろっていたろうし、毛利、今川あたりは実際の動員兵数&やる気と言うか、そういうのは
はどうだったのだろう、ってね。

今川が2万も動員したということは置いてきた兵もいるだろうし、相当な軍事大国ぶりだと思うのだが、
にしては義元が負けたあとはほんの局地戦を織田とか家康もなのかな、したぐらいで事実上滅んで
しまってるでしょう。
あんまり大国とも思えないのだよね、なんか。
0106人間七七四年2007/12/20(木) 18:42:08ID:GwYUKQwo
>>105
オレには説明できるほどの知識ないけど今川滅亡までの認識が単純すぎると思うぞ
0107人間七七四年2007/12/20(木) 21:59:01ID:r1visPsS
>>84
織田の全軍と今川の全軍がぶつかったとでも思ってるのか?
実際の戦闘は織田方が2000程度、今川方が5000程度だと言われてる。
織田方が勝利できたのは、予想外の突撃に対処できなかったとか
織田方はそのほとんどが精強な馬廻り衆だったのに対して
今川方には非戦闘員が多く含まれていたとか言われてるが定かではない。
そういった疑問点があるからこそ長く奇襲説が信じられてきたんだろう。
つーか、鈴木や藤本の本を読んでるんだったらその辺りの事は色々書いてあるだろ。

あと、あの時代に兄弟で家督を争ったくらいで危ないって何言ってんの?
0108人間七七四年2007/12/20(木) 22:10:14ID:Du/z8KiF
スンマンセン…。
この桶狭間論争の発端の人は、結局、今川では天下取りは無理だと言いたいの?
今川だから、天下取りが出来ると言いたいの?
何度、読み返してもわかりません。
0109人間七七四年2007/12/20(木) 22:39:08ID:FkRdbSJ7
桶狭間は今川方の名のある死者が夥しいのに対して織田方の死者が不明(本戦)。
さらに経緯も正面から戦っただのいや奇襲だっただの諸説あってどれも定かじゃない。

断定できる事は織田方の方が兵力が劣っていた、今川の大将、武将、旗本が大量死、という事のみ。
0110人間七七四年2007/12/21(金) 00:24:22ID:3DarnL52
俺は天下は松永様がとってたと思うよ
0111人間七七四年2007/12/21(金) 00:35:46ID:uJQc9fuR
>>110
三人衆には押され、信長の庇護下に入ってからも筒井に押されの松永様のことか?
0112人間七七四年2007/12/21(金) 08:27:06ID:xnQIfAbo
>>102
いや、それは新支配者が今度の戦いで有利な場合はそうだろうが…。
対今川は、そんな戦いだとは思わないんだよ。

国力的には、少なくとも勝ってるということは絶対にないわけだし。
現実に山口とかは、今川方に付いたりしたわけで、戦況が有利とは思えない。
それこそ、本当に負ける可能性の高い新支配者に、
必死に忠誠を誓うことが正しいのか。
0113人間七七四年2007/12/21(金) 10:44:21ID:bJfMqEEt
>>108
個人的な意見だけど有力な大名だと
北条は遠すぎ、上杉と武田はにらみ合い、九州勢も遠すぎ

天下を目指せそうな大名だと

今川は尾張制圧までは確実だろうけど、その先の想像がむずかしい
三好は最有力だけど、内部に松永という爆弾をかかえてる
毛利は上洛よりも勢力維持かつ九州に目を向けてる

ということで今川の行く末を考えてる。
0114人間七七四年2007/12/21(金) 13:58:44ID:Zj0Wto2+
毛利は元就死後も東進をやめて無いよ。九州上陸は頓挫してるが。
九州勢力は1580年代まで変化ないがそこからスタートでも遅くはない。
0115人間七七四年2007/12/21(金) 14:26:14ID:hVHcIL07
信長的なスピードを前提にしたら、全ての大名が候補からはずれると思うんだがなぁ。
前スレで、上洛して畿内を抑えたら、やはり有利みたいな意見も多かったし。
上洛時期を、70年代後半から80年代前半まで広げたら、毛利が頭一つ有利だと思う。
0116人間七七四年2007/12/21(金) 16:53:51ID:eeL7dvkv
>>107
横からなんだが、鈴木や藤本の本だけでは納得できない部分も多い、ということじゃないのかな。
研究家でもそういう立場の人かなりいるらいし。
2ちゃんだと、正面攻撃説で決定、みたいなふいんきあるから、それに疑義を唱える異見には
少し興味あるとこで。
0117人間七七四年2007/12/21(金) 18:42:08ID:2PJytYGw
>>112
それはあるかも。
今川支配を見越して織田に非協力的な勢力も多かっただろうね。
0118人間七七四年2007/12/21(金) 19:37:55ID:YS2lkhYp
六角か北畠だな。
0119人間七七四年2007/12/21(金) 21:59:21ID:dRQhT+89
松永弾正じゃね。
0120人間七七四年2007/12/21(金) 22:10:51ID:7H3QMHy4
>>112
山口親子が裏切ったのは信秀死後の直後で桶狭間から何年前だと。
しかも、そこから桶狭間にいたるまでに、尾張で今川についた豪族勢力というのが
見当たらない。さらに佐久間、佐々、千秋などは総領が戦死するほど力戦している。
0121人間七七四年2007/12/21(金) 23:15:47ID:p98yDsM6
>>116
鈴木や藤本の偶然説や小和田先生の正面奇襲説など
何故勝てたかという疑問に対しては色々言われてるだろ。
それらを額面通りに受け止めるかどうかは兎も角、
そういった本に書かれている事から
幾らでも自分で推し量る事は出来るだろって事。

幾らなんでも兵力が同程度だったと考えるのは余りに不自然。
0122人間七七四年2007/12/22(土) 10:59:12ID:DvG9/JDT
>>121
そか、頭悪いモンでいくらでもおしはかれないんだ。
偶然説、ってのが一番合理的というのはちと逆説ちゅうとこか。

ほんで、兵力が同程度、とは思ってないよ。
言われてるほど差はない、ってぐらいね。
誰かが言ってたけどトータル2000−10000で、正面に配置されてたのが5000とする。
さらに偶然が重なって2000VS3000なら勝てても不思議はないものね。
で、現地見ると正面ちゅうより少し横からかもしれない。
ならばマトモに2000VS2000ってこともあったかもしれない。

これを最初の仮定が2000−15000でも違和感ないし、定説っぽい2万でも偶然薄くなった側面から
と考えると十分に勝機はありそうですものね。

と、ところで、なぜ小和田には先生をつける・・
ブコウの原本見て、江戸期のものだ、と言ってたけどその後を知りたいぞ。
0123人間七七四年2007/12/22(土) 11:09:44ID:1qpWva45
>>122
桶狭間の合戦の真実について
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962872/

いいかげんにしれ、織田今川の動員数戦略を推し量るならこのスレの範疇だが
桶狭間自体の経緯はすれ違い
0124人間七七四年2007/12/22(土) 12:59:51ID:DchRSNSU
偶然の衝突といえば川中島もだっけ。
濃霧の行軍中にパッタリ出会って死傷者が夥しい事に。
0125人間七七四年2007/12/22(土) 13:09:34ID:J3yncOoq
>>124
そういう説もあるというだけ、
四次ついてはまともな資料がほとんどなくて、何も分かりません。
というのが現状。
0126人間七七四年2007/12/22(土) 13:33:08ID:DchRSNSU
主力は孤立して分断、名のある将兵・旗本の死があって、釣り野伏せ(vs龍造寺の島津)のような作戦がないとなれば、後は偶然性しか残らんなあ。桶狭間も川中島も。相手の動きを読んでいたとしてもだ。
0127人間七七四年2007/12/22(土) 14:18:55ID:IYVyAKlR
>>122
小和田先生は静大の教授だからだろ。
それに戦国史研究の第一人者だ。
0128人間七七四年2007/12/22(土) 14:28:36ID:DvG9/JDT
>>123
ごみん・・

>>127
そうじゃなくて2ちゃん的に・・
0129人間七七四年2007/12/22(土) 14:35:08ID:J3yncOoq
>>126
いや、四次川中島については、主力が孤立して分断されていたかどうかも分からないし、
釣り野伏せのような作戦があったかなかったかも分からないんだよ。

まあ、この話題も深くやるなら専用のスレに行くべきだと思うけど。
0130人間七七四年2007/12/22(土) 14:58:57ID:z5ZtDC5o
通説の鶴翼の陣ならば中央が本陣ではあるが主力は本陣付近には居ない形になる
0131人間七七四年2007/12/22(土) 18:12:04ID:IYVyAKlR
>>128
2ch的にも糞もねーよ
0132人間七七四年2007/12/23(日) 01:43:41ID:1idlvLY/
そもそも織田信長は天下をとっていない
とったのは羽柴秀吉
信長状態で天下をとったと定義すると
三好の方が、よほど天下をとっている
信長は上杉にも大敗しているし、毛利にも苦戦している
信長では関東の平定は難しかったと思う
0133人間七七四年2007/12/23(日) 02:10:13ID:pbhYK8qx
>そもそも織田信長は天下をとっていない
とったのは羽柴秀吉

その秀吉を信長が取り立てなければ秀吉も天下取れないね

>信長状態で天下をとったと定義すると
三好の方が、よほど天下をとっている

領国、石高は圧倒的に信長が上だが

>信長は上杉にも大敗しているし

手取り川の戦いなら合戦自体あったが疑わしいし、あったとしてもたんなる雑兵虐殺で名の有る将は死んでない
>毛利にも苦戦している

最終的には毛利を追いつめた

>信長では関東の平定は難しかったと思う

北条は信長に恭順の意思を示して居るが、何か?
0134人間七七四年2007/12/23(日) 13:48:42ID:G3pB0Gt2
809 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/12/23(日) 02:00:11 ID:1idlvLY/
信長の評価は過大だと思う
楽市楽座を大々的にしたのは六角氏
安土の場所に石垣を用いた巨城を最初に築いたのも六角氏
鉄砲は各戦国大名が既に配備していた
三段構えみたいな誰でも考え付くようなことは
当時、普通に行われたいた
将軍の追放も京都では日常茶飯事で
あらためて驚くようなことではない
だいたい足利義昭は
その後も官職は将軍だし
幕府を滅ぼしてはいない
将軍が京都を離れ
地方に下ることも
よくあること

信長は普通の成り上がりの大名
朝倉や斉藤や三好と同じ

尾張守護で管領になれる格式をもつ斯波氏の
守護代並みの有力な家臣というだけ
まで言ってしまうと言いすぎか
0135人間七七四年2007/12/23(日) 14:43:14ID:DGUivKjI
>>134
いや、朝倉や斉藤や三好と同じって、
その三家とも信長に滅ぼされるか支配地域を併合されているんですが。
それだけでも大変なことなわけだが。
0136人間七七四年2007/12/23(日) 14:47:11ID:ba+cE3Lk
これは良い厨房が湧きましたね
0137人間七七四年2007/12/23(日) 14:50:00ID:dyKf8umJ
コピペのコピペ
0138人間七七四年2007/12/23(日) 19:45:04ID:9dXkDCAw
で、結局。
今川は上洛するの?しないの?
上洛出来るの?出来ないの?
上洛出来たとして、三好や六角、浅井朝倉ら、畿内周辺の大名と戦い続けられるの?
そして、勝ち残れるの?
0139人間七七四年2007/12/23(日) 20:05:34ID:JLThVE26
頭使え馬鹿
0140人間七七四年2007/12/23(日) 22:29:35ID:x94u0HMd
>>138
君はどう思う?
0141人間七七四年2007/12/23(日) 23:04:53ID:btw6XH01
>>138に噛みついてどうする。スレのテーマを再確認させてくれただけだろ。

俺は今川では無理だと思う。理由は義元の年齢とそれまでの侵攻速度。
義元の世代ではせいぜい尾張、よくて伊勢が限界だと思う。次代のウジザネもキャラ的に天下とりを優先して動くようには思えない。美濃あたりに勢力を伸ばせるかでうか。
0142人間七七四年2007/12/23(日) 23:26:40ID:x94u0HMd
美濃は武田と挟めば取れそうだがな、
東美濃は武田、美味しい所は今川w

うまく上洛できても三好氏健在時には義元は死ぬだろうし
お家騒動はなさそうだが次代は暗君ではないが
出来人とも思われない氏真だからなぁ
0143人間七七四年2007/12/24(月) 01:48:53ID:03dc6io0
スレ的には、上洛して欲しいなぁ…。
信長が上洛して、戦国時代が活性化したと言うか、地方大名同士の領地争いが、覇権争いに発展した印象が強いんだよね。
義元が上洛出来れば、その契機になってくれればいいんだけど…。
義元は、上洛した途端寿命が尽きそうな。
氏真+250万石の領地+三国同盟で背後は比較的安全で、畿内の争いに勝ち残れるのかが…無理だろな。
0144人間七七四年2007/12/24(月) 02:07:45ID:f1dApGGU
どんなスレでも武田信玄に嫉妬してる低脳ゆとりのレスは笑えるね。
真田??あんな小豪族がどうかした?
信長?散々負けまくってるよねえ
元就?大勢力と争ったことあるの?江戸時代に作られた創作だらけだしね。

正直信玄に勝る大名なんていやしないよ
こんな采配出来る大名が武田信玄の他にいるの?↓
正直信玄と謙信以外の大名全てゴミだよ

「大軍を抱えたまま敵に背後を見せておいて、追撃してきた敵を殲滅、
北条討ちしかり家康討ちしかり」
0145人間七七四年2007/12/24(月) 09:18:17ID:HER92KZj
>>141
信長、尾張・美濃100万石+背後に三河20万石の同盟国より
義元、尾張・その他150万石+背後に各々100万の同盟国の方が
侵攻速度は普通に早いと思う。
>>143
義元・元就・長慶・氏康・信玄って、同じ頃に寿命が尽きるんじゃない。
0146人間七七四年2007/12/24(月) 09:53:23ID:vmfPsJv0
>>145
史実では、すべて病死で、
三好長慶 1564年
毛利元就 1571年
北条氏康 1571年
武田信玄 1573年
0147人間七七四年2007/12/24(月) 10:52:58ID:FcaLW0i1
>>143
何となく各地方に覇者が出て日本がいくつかにブロック分けされるような状態が長く続きそうな予感。
0148人間七七四年2007/12/24(月) 10:55:16ID:8HK/O3c3
>>147
でもそのうちのどれかはもっと勢力拡大するんじゃね?
信長だってまず最初にそのブロックの覇者程度にまで大きくなってからだったんだし。
0149人間七七四年2007/12/24(月) 12:13:54ID:HER92KZj
寿命から
長慶が死ぬまで、義元は上洛できない。
義元は、長慶死後、義昭を担いで上洛。
義昭は、義元死後、元就を上洛させる。
元就死後、平氏の氏康が上洛し、義昭を追放して一旦天下を取る。
氏康死後、信玄が北陸から上洛して源氏の武田が天下と取る。
0150人間七七四年2007/12/24(月) 12:39:41ID:hKqkf0zo
>>145
同盟がずっと続くかどうかは不明。相手は信玄と氏康、全く油断ならない。
信長だって背後は徳川武田浅井に守らせてたことを忘れちゃいけない。
しかし浅井武田は勢力拡大にともない結局決裂へ。同盟ってそんなもんだろ。

勢力を拡大すれば敵も増えるし今川のやり方ってものもある。三河は戦で無理やり平定する方法もあったが松平の名分にこだわり時間をかけて領国化していった。尾張にも相当の時間をかけるだろう。

また信長がいなかったとして信行か誰かが承継し柴田ら譜代が反乱を起こしていないとすれば岩倉攻めの時期も早くなり今川の侵攻までに織田が尾張の大部分を支配した可能性はある。そうなれば国力は同等。

義元の寿命が1570年とすれば相当上手くやって尾張支配、北伊勢をちょろっとが限界だと思う。
0151人間七七四年2007/12/24(月) 12:58:08ID:dNn+9/Jo
>>150
今川が安定してれば北条は手を出さんよ
信玄が介入できるのは1569年からで、その時点で今川を取り巻く状況がどうなってるかなんぞ分からんぞ
今川に有利なら信玄も無理に動かんよ

三河統治が時間かかったのは彼我の国力差に、松平の大名権力に、織田の介入にといろいろな事情がある
そのあたりまるっと無視して、尾張にも時間がかかるとするのは乱暴にすぎないか

織田の内部情勢についても本家?宗家?の信友もいれば、一族が大量にいるだろ
こいつらは”織田信長だから”敵対したんじゃなくて、”主導権握れないから”敵対したと見るべきだと思うんだがどうか
信秀が尾張を纏め上げて外征するけど、あくまで家臣化じゃなくて協力とかそういう立場での外征だったんんじゃないのか?
と、すれば織田信秀家の当主が誰になろうが、信友にとって権益を回復するためにはこれと衝突する必要があるんじゃないのか?
そこで尾張がまとまる可能性がある手段としては、おそらく当主になるであろう信勝が信友らに屈服するといいう流れだとおもうが、史実で兄貴に反旗翻す思想の持ち主がおとなしく従うか?
つまりどのみち内部分裂はあるんじゃなかろうかと
0152人間七七四年2007/12/24(月) 13:23:31ID:hKqkf0zo
無視つーかその辺は勿論考慮した。以下の通り。
尾張にちょっかいだせば斎藤が介入してくるだろうし国力差も尾張の国力を考えれば三河のときとどっちが楽とは言えない。
確かに今川が尾張を支配できる可能性は高いがそうすんなり行くとも思えない。同盟は尾張平定までは保たれると思うがその先となると闇。尾張以降は期待できない。


それと俺もいずれにせよ織田は一度は分裂すると思う。が、信長でなくともおそらく織田はまとまる。そこは水かけ論だが可能性は十分ある。
0153人間七七四年2007/12/24(月) 13:31:02ID:YC37PI8t
混戦につけこんで南蛮人どもがキリシタン従えて植民地化してたと思う
0154人間七七四年2007/12/24(月) 13:33:00ID:dNn+9/Jo
>>152
史実で桶狭間な時に斉藤が介入できた?
桶狭間の翌年に斉藤義龍は死んでるが(信長の毒殺でもない限り同じように死ぬだろう)、その後斉藤は尾張に積極的に動いた?
今川と尾張の国力差が無いというが、それは尾張が一丸となって抵抗した場合じゃないか?
しかも後方の美濃とは関係良好で今川に対して全力で当たれる状況でもない限り不可能じゃないか?

尾張平定以降同盟(武田北条今川でしょ?)が破綻に至る理由と、それをしめすような史実での現象は?

信長でなくとも尾張がまとまるかはどうだろうか
信長のように権力をどんどん集中させればなかなかまとまらんのじゃないか
信秀のようにある程度権力を認めて使用するならまとまりはでても不安定なものじゃないか
そもそも信長のようにうまくやれるような才能があるなら、史実において信長を撃破してるんじゃなかろうか
0155人間七七四年2007/12/24(月) 13:40:13ID:HER92KZj
>>150
信長の背後に武田がいたことを忘れていた。

同盟を解消するには、身内に血が流れる。今川と武田は実際30年間
同盟関係だったわけで、信玄は、解消する事に慎重な態度を取るだろう。

東三河は、支配者戸田氏が抵抗したため、滅ぼした結果1年も
せず領国化した。一方の西三河は同盟者松平を保護する名目の為、
時間がかかっただけ。尾張が抵抗した方が時間はかからない。

山口は、信秀生前中から、裏で今川方になっていた。
信行だろうとも、継承した時点で、鳴海が今川方になっているだろうから、
岩倉攻めの時期が早くなっているとは思えない。
0156人間七七四年2007/12/24(月) 14:13:15ID:8KYX2ua0
織田信勝は実際敗者だし近畿を制覇した信長ほどの能力があるとはは思えない
あくまでも標準的な人物として評価するほうがふさわしいと思う
あと反乱を制したおかげで信長自身に家中の権力集中が出来たとも推測できる
それは逆に尾張統一に有利だったのではないか?
0157人間七七四年2007/12/24(月) 18:41:55ID:03dc6io0
>>150の意見に同意。
今川が準備に、勢力を延ばしつつある間は、北条も、武田も大人しく同盟を守っている方が、メリットは大きい。
だが、信長みたいに畿内周辺の大名と泥沼の連戦になると、東海諸国を簡単に奪える状況になるので、裏切った方が、メリットは大きくなる。
0158人間七七四年2007/12/24(月) 19:25:47ID:8KYX2ua0
上杉や関東諸勢力との構想を繰り広げてる北条は、今川との同盟を破棄するメリットはない。
史実のように後方を固めるために今川支援に動くだろう
さらに上洛思考のあまり見えない地方派遣的戦略なので、
今川をライバルと思い妨害しようとすることもあまり考えられない

問題は武田でどうしても港が欲しく、上洛思考もあり
上杉を抜けない限り領土を広げようもないので、今川に敵対することはあると思われる
今川の美濃攻めを妨害することすら考えられる、
領土拡大だけなら美濃を一緒に攻めて分け取ることも大いにありうるが
0159人間七七四年2007/12/24(月) 19:27:10ID:8KYX2ua0
地方派遣的戦略じゃなくて地方覇権的戦略
0160人間七七四年2007/12/24(月) 19:29:36ID:dNn+9/Jo
>>158
上杉に傾注すれば越後取れるんじゃないか
上野だって切り取っていったし
武田が南進開始するのはなんと言っても今川の弱体化がでかいと思うんだが
0161人間七七四年2007/12/24(月) 19:29:45ID:mmk5yngo
桶狭間あたりまでの尾張周辺の動静を妄想してみた。

織田弾正忠家を継ぐのは信勝。対抗馬がいないのですんなり決まると思う。
帰蝶との婚約や美濃との同盟も、平手政秀が史実と同じように頑張ってくれるでしょう。
問題は清洲や岩倉などの他の織田家がどう動くか。
信長の時は信秀が死んでからすぐに牙を剥いてきたけど、
あれは家督相続問題でもめていた事に付け込んできたからであって、
家督相続がすんなりいけばばもっと慎重になると思う。
稲葉山攻めの失敗以来落ち目な信秀家ではあるけど、
美濃の国主との同盟関係もあるので、尾張において最大勢力であるのに間違いないだろう。
しかし、斯波義統の謀殺などの腹芸が信長以外にできるとは思えないので、
信勝側も攻め手に欠け、分割統治のままずるずるいくのではないだろうか。

今川家の動きはあまり史実と変わりないと予測。
三国同盟が55年で、一進一退を繰り返したすえに大軍を率いてやってくるのが60年。
特に急がなければならない理由も無いので、こんなものだと思う。

美濃も特に変化なし。同盟は長良川で決裂。その後冷戦状態が続いていると思う。

この状態で桶狭間に突入。信勝は家臣の意見をいれて居城で篭城。
しばらくは持ちこたえるがやがてジリ貧になり切腹。
他の織田家も次々に打ち破られていくなか、岩倉あたりが美濃に援軍を要請する。
尾張が今川の手に落ちたら、次の狙いが美濃になるのは明白なので、斉藤家も承諾するだろう。
ちょうど20年前の三河みたいに、東西に分かれての混戦が続くが、
やがて地力に勝る今川が優勢となり、5年後くらいに斉藤家を撤退させ、尾張を併合する。
その後、武田家と合同で美濃攻めに入るが、その時に義輝殺害事件が勃発。
戦争中なので機敏には動けず、義昭を担いでの上洛は果たせない。
1570年代前半くらいに美濃まで手中にできるが、その頃に義元の寿命が尽きる。
そして、跡を継いだ氏真は、義輝の死により足利将軍家の正統が断絶したと判断し、東国に新たな幕府を開く。
畿内の混乱を治めた勢力と、国を二分する東西決戦を挑む。
0162人間七七四年2007/12/24(月) 19:37:31ID:dNn+9/Jo
>>161
ヨシムネ殺害は信友さんじゃないのか?
今川も早くなっても一年二年くらいだろうと思う
敵の敵は味方な見方でいくと斉藤は今川に協力しこそすれ、織田援助はどうか
そもそも援助する余裕があるのか
後半は…ものすごい急展開だな
0163人間七七四年2007/12/24(月) 19:38:52ID:03dc6io0
目の前に、労せずして、勢力拡大出来る獲物があるのに、北条は黙ったまま、突っ立っていると言うのは、ちょっと考えにくい。
今川が、強い同盟相手である間は、北条も同盟を堅持するだろうが、弱い隣国、混乱している獲物になり果てたら、襲いかかるのが、戦国の掟。
0164人間七七四年2007/12/24(月) 19:54:49ID:mmk5yngo
>>162
義統殺害は信長の謀略って説がある
後半は悪乗りした
すまん
0165人間七七四年2007/12/24(月) 20:16:02ID:OCA+aDWT
>>161
通説ではそうなんだが、実は信長家督継承時の織田弾正忠家はべつに分裂なんぞ
していなかった。叔父信光も信次も信長を支持していたし、信勝も少なくとも
表面上は信長に従っていた。清洲織田家との合戦では軍を出している。
信勝が信長への態度を表面でも変え始めたのは信光の死、道三の死によって信長を
支持する存在が消えていってから。

>>163
で、弱体化した今川に史実の北条は襲い掛かったかね?
もちろん、弱体化した同盟者に襲い掛かる北条は可能性はある。ただしそれは、
関東の諸勢力が反北条をやめた場合。関東で諸勢力を敵にまわしているのに、なぜ
さらに自分から新たに敵を、しかも本拠地のすぐ傍でこれまでの主力展開方面の全く
逆の裏に敵をつくらなければならんのか?
同じことを史実でやった武田がどれほど苦労したか。
0166人間七七四年2007/12/24(月) 20:23:42ID:kxPDMkwL
>>163はゲーム脳なんじゃない?
0167人間七七四年2007/12/24(月) 21:31:54ID:CIDzhci3
>>161
守護・斯波義統を殺したのは、守護代・織田信友。
義統の嫡男・義銀が、事件後、信長の庇護下に入ったことから、これはほぼ間違いない。
0168人間七七四年2007/12/25(火) 01:49:46ID:qvSUKHme
>>165
三国同盟のメリットが、今川だけに働くとでも思っているの?
仮に、今川に上洛と言うメリットを、三国同盟がもたらしたら、北条にも関東制覇というメリットを与えてもおかしくない。
武田は、三国同盟が堅持されていたら、信越地方にしか、侵攻方向はないわけで、史実以上に、上杉と戦わなければならない。
それは、北条側から見れば、武田が上杉の関東進出を牽制してくれることになる。
関東の反北条勢力にしてみれば、自分たちの危機にも、救援に来てくれない、実に頼りない、関東管領と言わざるをえない。
こちらとしては、上杉の関東進出が、半減すれば、反北条勢力も半減し、北条の関東制覇は史実以上に進むと考えている。
0169人間七七四年2007/12/25(火) 02:00:44ID:Zp5dcCCS
>>168
つまり、義元が死ぬかどうかして今川が弱体化・混乱する頃には、北条は関東の
ほとんどを制覇していて後顧の憂いなく今川を攻撃できるという主張でよろしい?

あーそうだねー、そこまで都合のいいIFをかければそりゃそーなるだろーねー。
0170人間七七四年2007/12/25(火) 02:40:58ID:qvSUKHme
>>169
こちらにしてみれば、今川だけ上洛出来て、北条武田は史実通りの同盟関係って、よほどの偏向なifだと思うんだけどね。
まぁ、史実で確かめられないんだけど、百者百様でifを楽しめればいいんだけどね。
0171人間七七四年2007/12/25(火) 08:06:57ID:RHeQkOXy
信長がいないという条件下のIFなら仕方もない

もし、謙信がいないというIFであればそりゃ関東制圧もさくさく行くだろうけど
0172人間七七四年2007/12/25(火) 10:27:53ID:CQ7/4E19
普通に考えて

信長上洛したときは徳川や浅井も今日に入っているんだから、今川が上洛しても
その成果の分け前を北条や武田に分配するなら、今川だけ上洛しやがってとか北
条武田が怒る理由はないんじゃないか?
甘い汁が吸えるなら、上洛してもらったほうが彼らにとってもうまいわけだ。それく
らいの気配りもできない義元じゃないだろ。
将軍を手中にして幕府を掌握できるなら、北条を関東管領、武田を評定衆あたりに
すれば納得するんではなかろうか。
あとは武田と北条にも援軍させて、かわりに畿内に領地与えれば十分だと思う。
0173人間七七四年2007/12/25(火) 10:44:07ID:NJTSsJdU
将軍擁立してるかしてないかではやはり差が出ると思うけど、
足利義秋は信長のときみたいに朝倉とかの後に今川に来るかな?

義元の寿命がそれなりにあった、尾張制圧・美濃侵攻と仮定して、
美濃制圧後に支配体制確立しようとしてる前後にぽっくり逝って氏実になっても来たかな?
0174人間七七四年2007/12/25(火) 10:47:33ID:NJTSsJdU
氏実→氏真

氏真はボンクラだから行くのやめましょう的なこと言われたりしてな。
義元が戦死しなかった期間で氏真はどれだけ成長するんだろうか。
0175人間七七四年2007/12/25(火) 13:53:31ID:2BQ45Vqc
信長の進行速度って本当異常だよな
やはり岐阜をとったのがデカイ
0176人間七七四年2007/12/25(火) 14:06:03ID:5z0arcgd
どの勢力も頭一つ抜け出たら勢力伸張は早くなってる。
ただそれだけのこと
0177人間七七四年2007/12/25(火) 16:15:45ID:HeuEouaZ
信長も尾張を統一するのに10年以上の歳月を費やしてるけどな。
強力な地盤が出来ると侵攻のスピードが格段にアップするみたいだね。
0178人間七七四年2007/12/25(火) 16:23:27ID:vXd8RMZn
それを踏まえても、信長の進行速度って本当異常
0179人間七七四年2007/12/25(火) 16:36:08ID:CQ7/4E19
>>178
信長は本願寺おとすのに10年かかってる。
実はたいしたことないと思う。
0180人間七七四年2007/12/25(火) 17:13:21ID:5z0arcgd
一向宗(加賀・長島・摂津)と対立して10年以内に勝てる勢力が何処にある
0181人間七七四年2007/12/25(火) 17:28:14ID:Zp5dcCCS
>>177
それよく言われることだけど、信玄や謙信や北条や毛利は「強力な地盤」がなかったわけ?
0182人間七七四年2007/12/25(火) 17:29:23ID:YzrFRTFn
>>180
その一向宗の強さを測る目安の一つに「信長すらも苦戦した」っていうのが入ってるから
ややトートロジー(自己撞着)気味だと思う
0183人間七七四年2007/12/25(火) 17:30:56ID:YzrFRTFn
>>181
スピードアップには強力な地盤が必要なのであって
強力な地盤が有ればスピードアップするわけじゃない
0184人間七七四年2007/12/25(火) 18:34:05ID:xJkdfnJj
尾張から美濃も六年かそこいらかかってるだろ
それでも早めといえば早めだが、斉藤は当主の度重なる交代やら、義龍クーデターうあらから考えるに、それほど強固な支配でもなかったんだろう
そこからは事実上、単独で見れば独走状態だからな
0185人間七七四年2007/12/25(火) 19:37:47ID:RHeQkOXy
>>181
近くに同等クラスの強大な敵対勢力があると拡大速度は阻害されるみたい
毛利 尼子残党及び大友
北条 上杉佐竹里美を含む関東諸連合軍
上杉及び武田 お互いに

織田の場合は中央に織田クラスの敵対勢力が存在しなかった、
あるいはあっても機能不全だったことが大きな理由かと
0186人間七七四年2007/12/25(火) 19:40:21ID:b6qnMqE5
>>170
いや、信長がいなければ今川にとって有利になるのは十分想像つくが、
信長がいないからといって、武田や北条が有利になる要素はほとんどないわけで・・・
0187人間七七四年2007/12/25(火) 20:41:36ID:vXd8RMZn
>>185
それは確かにある、
でも斉藤氏、朝倉浅井連合、三好氏、本願寺なんかは十分に対抗勢力だったろう
極端に有利だったわけでもない、武田氏と比べるとだいぶアレだが
0188人間七七四年2007/12/25(火) 20:47:13ID:+4Ahj1fs
前に、美濃を落とすのに時間かかりすぎ、というカキコに対してみんなでボロカスに叩いて
いたスレがあったな。
本願寺も同様。

ほんで、侵攻は電光石火、って結論だったから妙に不思議だった。
結局信長大好き派が多いということかと理解してたけど、やっぱりそんなもんなのかな。
0189人間七七四年2007/12/25(火) 21:37:33ID:Zp5dcCCS
>>186
少なくとも史実で信玄が今川侵攻を考えて義信との関係がおかしくなりだす頃までは
西国と同様史実どおりの展開でいいと思う。その頃までは、信長の動きは関東甲信越
に全く影響はなかった。
0190人間七七四年2007/12/25(火) 21:44:59ID:xJkdfnJj
>>187
本願寺とか一向宗とかはまた別物だと思うが
0191人間七七四年2007/12/25(火) 22:09:30ID:vXd8RMZn
試みに4・50万石クラスの領土を得てからの進攻スピードを計算してみた

織田、
100万石1559〜1567、8年間
尾張ほぼ平定〜美濃平定

150万石1567〜1569、2年間
〜伊勢ほぼ平定

200万石1569〜1570、1年間
〜近江半国、山城一部、その他

武田
100万石1553〜1568、15年間
信濃大半平定〜駿河ほぼ平定

今川
100万石1536〜1555、19年間
家督争い終結〜尾張の一部

北条
100万石1524〜1546、22年間
江戸城占拠〜河越夜戦

150万石1546〜1564、20年間
〜第二次国府台合戦

毛利
100万石1555〜1557、2年間
厳島勝利〜大内滅亡

150万石1557〜1556、9年間
〜尼子滅亡

※毛利氏は早く見えるが、大内氏併呑は実質内部抗争で乗っ取り、1569年まで残党は残る
 尼子氏も1578年までは残党勢力が残るので実効支配とは言えないかも

信長の美濃攻めも十分早し、
他の大名と比較しても尾張込みの150万石の今川が
織田より早く領土を広げることもなさそうじゃないか?

まぁ年表と太閤検地と脳内勢力図がソースでなので異論反論は大いに受け付ける
てか適当すぎるので誰か修正してくれw
0192人間七七四年2007/12/25(火) 22:18:41ID:vXd8RMZn
>>160
武田は越後を狙わないんじゃないか?
川中島やその他の対上杉小競り合いも基本的には防衛戦だし
駿河攻めで取りやめになったが木曽路〜飛騨〜越中ルートを狙ってたらしい
海峡を挟んだ飛び地取り並みに困難だからどこまで本気かわからないが
美濃を今川と分け合えるならば現実味は出てくるかも知れん

どっちにしろ越中で上杉とかち合うがw
0193人間七七四年2007/12/25(火) 22:19:31ID:qvSUKHme
>>186
>>189
三国同盟堅持だから、今川が後顧の憂いなく上洛出来る様に、武田は信越地方侵攻に専念し、北条は関東制覇に没頭出来るのでは…。
武田が史実以上に、上杉に攻め込んでも、上杉は史実通りに関東出兵が可能なのだろうか?
武田は全力で攻め込んでも、上杉の動き一つ牽制出来ないほど、ひ弱な同盟者?
北条は、上杉の関東出兵が半減しても、史実通りにしか、領土拡大出来ないほど、不甲斐ない大名なのか?
上杉は、武田と1560年以後も、戦い続けても、関東出兵に影響がないほどの最強大名なのか?
信長が存在しない→
義元は、桶狭間で死なない→
三国同盟堅持→
武田は、上杉攻めに専念→
上杉は、関東出兵が減少→
北条は、関東制覇が格段に進む
この論理って、そんなにおかしいかな…?
0194人間七七四年2007/12/25(火) 22:32:54ID:dNzK2S1Z
今川が尾張を取り強くなったからといって、武田の対上杉戦線には
大して影響ないのでは。
0195人間七七四年2007/12/25(火) 22:36:52ID:vXd8RMZn
そもそも史実武田は上杉に対して謀略以外は手出ししてないからな
攻める気があったかどうか
0196人間七七四年2007/12/25(火) 22:41:21ID:qvSUKHme
だから、三国同盟堅持なら、武田の駿河攻めや、それに先立つ義信との確執もなくなり、全力で上杉に攻め込めるんじゃないの?
その影響は、小さくないと思うんだがなぁ?ってこと。
今川が尾張を奪うとか、上洛出来るとかじゃなくて、三国同盟堅持ならってことですよ。
0197人間七七四年2007/12/25(火) 22:45:25ID:xJkdfnJj
>>192
越後かどうかはおいといて、今川には向かないだろ?

>>194
なぜなのか、理由を言わないとなんともレスのしようがない

>195
上野は上杉領でしょ
0198人間七七四年2007/12/25(火) 23:26:31ID:Zp5dcCCS
>>193
はい、おかしいです。あなたに言うべきことは、史実をみてくれということです。

史実においては義元が死んでからも、武田も北条も三国同盟堅持で特に今川に
ちょっかいを出してもいません。逆に史実において、武田や北条の侵攻に今川が
援軍を出すなりして協力した、もし今川の助力がなかったら武田or北条はここまで
進出できなかっただろうなあなどという事例も見出せません。義元死後の武田も
北条も、今川とは関係なしにそれぞれの方面に専念して領土を拡げているのです。
(後方が安定してるから前に全力を注げるという意味でなら、史実でも義元顕在の
IFでもかわりはない)
そしてこのスレでは、今川は義元が健在だったらそのまま西進して東には関わら
ないという前提でいます(まあ外交的な補助くらいはするかもしれんが)。これで
どうしたら、今川義元が健在だったら武田と北条の侵攻は史実よりも進むと考えられる?

仮に史実が変わるとしたら、>189で指摘したように、武田が三国同盟を考え直し始める
時期―見方によってかわりますが、65年以降くらいか?これ以降は義元の寿命をどう
設定するかで大きくかわるのでなんともいえないが。
ただし、史実において上杉が北条と結んでも里見や佐竹などの関東諸将は北条と
戦い続けた。上杉が弱まれば一気に北条の侵攻がスピードアップするかどうかと
言えば、それも断言はできないだろう。
0199人間七七四年2007/12/25(火) 23:34:30ID:vXd8RMZn
>>197
上野長野氏は上杉に従っていたとはいえほぼ独立勢力
上杉本拠地を狙うのとは訳が違う
史実においての武田家は越後に対して消極的で数々の対戦も
上杉側の進攻によるもの、降りかかる火の粉を払うに等しい戦いと思える

また木曽氏に街道の整備を命じたことなどから>>192に書いたとおり
越後は戦略目標に無いと自分は考える。
北条に関しても今川健在による後方の安定化での利益と
対武田戦がない事によって進攻が史実より早いだろうが
対上杉の負担はそれほど減らないだろう予想する

武田対今川に関しては三国同盟堅持が地方覇権的には利益は大きいし
健在の今川を攻めるのはリスクも大きく、重臣の支持もえれにくく
同盟破棄するにしても史実よりは遅れるとして
義信の家中での影響力も大きくなっていると予想されるので
最後まで破棄しない可能性は高くなるとは思う

ただ戦国期において対等の同盟が破棄されないのはまれであり
上洛志向のある信玄が最後まで黙ってるかは不透明

同盟堅持のほうが予想は楽なんだけどなぁ
答えは出ない話だけど、どうなるかはもう少し検証してみて、
このスレ内だけでいいから、何らかの道筋というか結論を出してみたいなぁ
0200人間七七四年2007/12/26(水) 00:15:38ID:OrkdnXOO
>>199
いや、山内上杉にとって上野は根幹地だぞ
という屁理屈はおいといて、多少の差はあれ、結論は今川に向かわないで一緒だろ?
なら別に殊更に取り上げるようなことでもないだろ

対等同盟が維持されるのは珍しいが、三カ国によるパワーバランスの亀甲の抑止力というのも珍しいはずだ
二カ国の同盟と、三カ国のそれ、同列に語っていいものかね
また武田に上洛思考があるということだが、おそらく晩年の上洛行動をさしてのものだろう
しかし、ありゃ整えられた状況に乗っかるというか、勢力拡大に使える程度の認識で、武田が上洛と標榜してたと見るが
ごくごく一部を切り取ってみるならば、武田が上洛したがっていたと見ることはできる
しかし、織田を例に取れば、将軍を擁して上洛したから幕府のために行動していた、と考えるのはいかがなものか
また、徳川を例に取れば、羽柴に従属以後はおとなしくしていたから羽柴と再び対決する意思はなかった、と考えるのはいかがなものか

つまり、武田は上洛思考があったからではなく、当時武田が得ていた情報からみて織田が脆弱と判断したからこその織田への反旗じゃないか?
仮に上洛の意思があったとしよう、しかしその萌芽は織田の苦境を受けてのもので、今川が同じような状況にされ無い限りは今川を攻めるというのはないと思うんだが
0201人間七七四年2007/12/26(水) 00:35:23ID:1Mf17eT2
>>200
うーん、上洛はともかくとして
信玄の基本戦略は自軍より弱い(弱らした)勢力を攻めるというか、
手強い所とはどうしようもないとき意外は事を構えない感じなんだよな。

たとえ包囲網を引かれてたとしても自領の倍以上の国力を持つ織田家に、
単軍で進攻したのは急激に中央を纏めた信長に対する、
老年期に差し掛かった信玄の焦りが感じられてならない。

相手が革新勢力織田ではなく同じ旧来の守護大名今川で
次代が20代の勝頼では無く、30代後半の義信ならそんなこともなくなるのかな
0202人間七七四年2007/12/26(水) 09:24:17ID:OrkdnXOO
>>201
なぜあせる必要がある?
何にあせる?
織田が天下統一することに対するあせりか?
なぜ織田が天下統一すると、武田があせる必要がある?
0203人間七七四年2007/12/26(水) 09:33:30ID:vKl6uTbI
なぁ、おれ思うんだけど、なんで三国同盟堅持なのに今川北条武田がそれぞれ単独で自
分の敵と戦うとみんな仮定しているんだろう。
実際は補給物資の融通とか援軍とかで史実よりそれぞれ少しずつでも状況はよくなると
思うんだが。
0204人間七七四年2007/12/26(水) 09:37:42ID:mWz/7PZZ
>>201
>単軍で
単独じゃないでしょう。名目とはいえ「包囲網」が敷かれてるんだから。
まだ一向宗や朝倉勢は健在なはずだし。
上洛指向が有ったかどうかはともかく、信玄の西上は純粋な政治力学的に妥当だったんだと思うけど。

領土が倍ある相手に攻め込んで領土を切り取るってのは普通にでき得る事でしょ。
0205人間七七四年2007/12/26(水) 09:43:35ID:I2A3csBr
>>204
だね
武田が意図した織田包囲網ってのは織田家が急拡大してきた要因である内線作戦を
根本から覆させたものだからな
0206人間七七四年2007/12/26(水) 11:37:42ID:1Mf17eT2
なら武田も三国同盟遵守でいいのか、信玄が動かないとなると次代は親今川の義信で
より今川に敵対する可能性は低くなるので70年代中は武田が近畿に影響を及ぼすことは無く
あっても今川主導下の共同作戦ぐらいと
0207人間七七四年2007/12/26(水) 12:15:02ID:sqmTGCO5
「誰が」ではないけど、信州・美濃を取ったら「天下」は「三国同盟」が取ったような物ではないかな。

完全にifだけど後は三国直接戦わないで姻戚強めるか毛利と両川のようになるのでは。
0208人間七七四年2007/12/26(水) 13:47:29ID:vKl6uTbI
たぶん今川が畿内まで進出するとしたら、信長より畿内の土豪や武家と談合しやす
いと思うので、畿内のいずれかの勢力と同盟して多国同盟のかたちになると思うよ。
もしかしたら三好も同盟に加わるかもしれんし。
美濃から北近江まで進出したら、あとは無血上洛の可能性が高いんじゃないか。
そのあとどうなるかは判らんが、畿内の勢力の家臣化を進めるのかどうかが分かれ
道っぽい。細川や畠山と同じ道を行くとしたら、上洛までは出来ても天下は無理そうだ。
0209人間七七四年2007/12/26(水) 21:10:33ID:OrkdnXOO
>>204
領土が倍ある相手に領土切るとるってのはよほど困難なことだと思うんだが
寸土なら切り取れるかもしれない、ではそのあとで反攻にでられたらどうなる
逆に国力の大きい相手に楽に領土を切り取って行けるというなら、史実で浅井朝倉六角etcはなんで滅亡したんだ
国力で劣っても、なんとか勢力を糾合させて、連動して攻勢に出られたならそれも可能かもしれない
つまりは諸勢力の糾合が前提条件としてあって、それができないならば国力が格上の相手と戦うのは避けるのが道理じゃないか

>>208
名前だけで味方につけられるのはよほど巨大化した勢力か、よほどの名家じゃないと無理だと思うんだが
それこそ公方クラスでないと
0210人間七七四年2007/12/26(水) 21:42:07ID:mWz/7PZZ
>>209
でも普通にでき得ることだよ。歴史上、常に領土が広いほうが勝ってきたわけじゃないでしょ。
0211人間七七四年2007/12/26(水) 21:45:05ID:HB9mBGi/
>>210
では百人の武士と十人の武士が戦ったらどっちが勝つ?
何回もやれば十人の武士が勝つこともあろうが、予想する段階では百人のほうが勝つと推測するのが妥当じゃないか?
0212人間七七四年2007/12/26(水) 21:53:44ID:wxKKZqNx
そしてその10人のほうの武士達も自分達はこのままだとまず負けて死ぬと思うのでなんとか助かりたい
場合によれば生きるために仲間を売ってでも100人側に加わったほうがマシと判断する奴も出てくる
こういうのは戦国時代に限らないのだけどね
0213人間七七四年2007/12/26(水) 22:42:45ID:o28xfSII
>>205
信長包囲網ってのは別に信玄が意図企画したようなものではないんだが。
むしろ逆で、畿内で苦戦している信長をみて、今なら背後からの一撃を
かませると踏んで包囲側に加わった。ところが信玄が動き始めた頃には
包囲側が疲弊しつくしていたのだが。
0214人間七七四年2007/12/26(水) 23:20:05ID:mWz/7PZZ
>>211
子供みたいなこと言うなよ。
戦場となる場所に多数の軍勢を動員できたほうが勝つわけだろ?
ゲーム脳でも分かる話だ。

人数少ないほうが勝つのが普通、なんて言ってないだろう。
0215人間七七四年2007/12/26(水) 23:34:29ID:HB9mBGi/
>>214
うん、だから「諸勢力を糾合することが前提」と言ってるんだ
だから武田が今川に立ち向かうと論じるなら
「今川に敵対する勢力を想定して、武田がそれらを糾合しえるかどうか」
を説明する必要があると思わないか?
それを欠いて「領土が倍ある相手に攻め込んで領土を切り取るってのは普通にでき得る事でしょ。」というのは強引すぎる
ついでにいうなら、その戦場となる場所を、状況を、情勢をすら想定せずに、説明せずに、領土が倍ある相手にも領土を切り取れるとするのも強引
もうひとつに言えば、武田が糾合しえるかという問題を棚上げして、
「領土が倍ある相手に攻め込んで領土を切り取るってのは普通にでき得る事でしょ」とするのは、
まさに「人数少ないほうが勝つのが普通」と言うことじゃないか
つまり、君の話はちょいと飛躍してないか?
0216人間七七四年2007/12/26(水) 23:44:59ID:mWz/7PZZ
>>215
いや、そんな大層な話じゃなくてさ。
>>204に書いたとおり「でき得る」っていうことなんだよ。
別に領土小さい勢力も大きい勢力に勝算有りで攻撃を仕掛け「得る」よ、と。
そういう状況は十分「有り得る」よ、と。
で、武田の場合はそういう状況だったんだろう、と。

>>204の最後の一文にはそこまで大きな意味は無いんだよ。
言いたかったのは
>信玄の西上は純粋な政治力学的に妥当だった
って部分なんだから。
0217人間七七四年2007/12/27(木) 00:00:31ID:jKXm0v93
>>216
だから、その勝算を見出すのには諸勢力を糾合することが前提だと言っているわけで

織田と武田、この二者のガチンコなら武田に勝算は無い
織田と武田・朝倉・毛利・本願寺・三好らが一丸となって戦えば勝算は見出せる
勿論、個々の国力で言えば、武田一味が圧倒的に小国で、部分的には君の言うとおり、小国が大国に勝つといえる
正確にいうなら「小国連合が大国に勝つ」であって、武田単独でどうこうなるものではない
朝倉・毛利・本願寺・三好らの協力を無視して、武田が織田に勝算を見出せるというのは無いだろうと

で、武田が糾合する際に用いたのが将軍であり、上洛と言う宣言だった
ではこのスレの半ば主役になりつつある、今川が天下に覇を唱えたときに、武田はどうやって糾合していくのか
この「どうやって」の部分を説明できない限りは、君の話は絵空事、画に書いたもちに成り下がる
0218人間七七四年2007/12/27(木) 00:03:43ID:jKXm0v93
>>216
あぁ、書き忘れた
だから「どうやって」を説明してくれないか
そのほうがこっちも楽しい
想定する意味も無いこと考えても仕方ないじゃないか
できないなら、そういう屁理屈じみた事言ってむやみに話の流れを乱さないほうがいいんじゃないか
0219人間七七四年2007/12/27(木) 00:13:58ID:+a6V+w7g
>>217
いや、俺も別にあのまま武田が織田と正面衝突して大々的に勝つなんて思ってない。
とりあえず遠江、三河は確実に取れる目算が有る。
その後の状況次第じゃもっと織田領に侵攻でき得る、ということで「妥当」だと言ってる。
決して>>201の言うような焦燥感からの軍事活動じゃなくて、十分にアテが有っての行動だ、と。

で、ちゃんと>>204にも「単独ではなかった」と(細かくは書いてないけど)言ってるでしょ。
それに俺が言ってるのは「小国が大国に勝つ」じゃなくて「小勢力が大国に局地戦で勝利して領土を得る」ってだけの話だ。
それが歴史上十分起こってるでしょ、と小さく書いただけだ。
0220人間七七四年2007/12/27(木) 01:31:05ID:CbIhn6eB
>>193
既に指摘されているが、全くおかしいよ。
武田は別に義元が死んだとたんに南に色目を使って、上杉戦をおろそかにした訳じゃあない。
義元死後も、4次・5次川中島に上野での戦と北条と協力もしつつ上杉との戦いに集中している。
この間に仮に義元が生きていて尾張・美濃へと拡大のための戦いをしていたとしても、
別に武田北条の動きに影響は与えない。つまり北への進行速度は変わらないってこと。

>>203
史実においても、確かに今川は武田や北条に援軍を出しています。
ただし、義元が生きているころも、死んだ後にもね。
その意味でも義元死後も三国同盟堅持という姿勢は当面は変わっていない。
つまり、やはりその時点で武田北条の北進速度があがる要素は特にないということ。

まとめると、義元が死んでも当面は武田も北条も三国同盟堅持という態度だった、
つまり、史実でも三国同盟堅持の体制で上杉に対して、あの進行速度だったということ。
このことは、義元が生きていた上で三国同盟堅持だったとしても、特に変わる事ではない。
0221人間七七四年2007/12/27(木) 07:10:06ID:qEpsWi93
北条に関しては相越和与、甲相弓矢という状況が生じることはおそらくなくなるよなぁ。
0222人間七七四年2007/12/27(木) 09:21:25ID:fY/l+Wed
>>220
もし義元が桶狭間で無様に死んでなければ、軍勢も無傷なわけだから、武田が援軍を
要求したら義元としては史実よりも強力な援軍を出さざるを得ないと思うけどね。
まぁ武田がそこまで強力な援軍を要求するかどうかははわからないけど、要求されて
援軍出さないと三国同盟自体の危機にもつながるわけで、そうすると史実どおりという
のはちょっと考えにくい。
0223人間七七四年2007/12/27(木) 09:21:50ID:jKXm0v93
>>219
君が話しているのは、小国でも大国に局地戦で勝つことがあり、領土を広げられると述べている
そして小国が大国に勝つのは単独では無理と認めながら、武田の史実での上洛は妥当だとし、武田は勝算を見出していたとしている

対してこっちが話してるのは、武田が勝算を見出したのは、織田の敵がたくさんいた
そして、それらを糾合する将軍という存在があり、それを利用できる立場に武田がいたからだとしてる
逆に言うと、織田に敵がたくさんいる、その敵を糾合する存在がある、このふたつが成立しないと、勝算を見出すのは困難だ

史実ではこの二つの条件はそろっていた、では、今のif、今川が勢力を拡大したときに、この二つの条件は成立するのか

あとは>>218のようになる
二つの条件の一つが「どうやって」になる

君の理屈を用いると、徳川も武田相手に領土獲得しえるから、武田の上洛は失敗するという言い方もできる
上杉の状況、北条の離反、色々な可能性を可能な限り想定すれば武田包囲網なるものができる、できる可能性がある
実際にそれが実現可能なのかどうか、そこを論じることなく想定すれば、極端な話、関東公方が天下をとるというのも成立する

だから君の話が今のifとつながるという事を、可能性として高いと言うレベルまで考えて、説明してくれないか
二つの条件についても勿論触れて

まったく別の話なんだけどさ、俺の文章読みにくい?
いまちょっと手入れしてるとこなんよ
0224人間七七四年2007/12/27(木) 09:39:53ID:+a6V+w7g
>>223
何が食い違ってるのか分かった。
俺はifの話をしたんじゃなくて史実の武田についての話をしたんだ。
>>219でも書いたけど、武田の西上は
>決して>>201の言うような焦燥感からの軍事活動じゃなくて、十分にアテが有っての行動だ、と。
と、というだけの話。実際に徳川勢力を打ち払い、それに対して織田はまともに反応できてない。
武田の当面の目標として遠江、三河の奪取は実現できそうだった。
織田はそれに対して十分な対応が取れてない。

基本は>>201
>老年期に差し掛かった信玄の焦りが感じられてならない。
に対する反論なんだよ。別に信玄は焦って不利な戦いを挑んだんじゃない。
確実に領土を増やせる見込みが(=目算、勝算)有ったから戦を仕掛けたんだ、と。
0225人間七七四年2007/12/27(木) 09:47:02ID:jKXm0v93
>>224
うん、だからそのズレを修正する気があるのか無いのかはっきりしてほしい
0226人間七七四年2007/12/27(木) 09:52:36ID:+a6V+w7g
>>225
ズレを修正も何も俺のレスは>>201への指摘反論で終わってる。
0227人間七七四年2007/12/27(木) 10:03:05ID:+a6V+w7g
いや、反論というより肯定か。
>>201
>信玄の基本戦略は自軍より弱い(弱らした)勢力を攻めるというか、
>手強い所とはどうしようもないとき意外は事を構えない感じなんだよな。
を肯定する。で、対織田の作戦もその方針に則ったものだったと考えて良いだろう、と。
0228人間七七四年2007/12/27(木) 10:16:56ID:jKXm0v93
>>226
なら「子供みたいなこと」いうなよ、と言うことになる
本論は「武田が今川に向かうか否か」であって、お前の話は本論からずれてる
0229人間七七四年2007/12/27(木) 11:27:25ID:PmdrRPAg
で武田の動向次第で何が変わるんだか。
一代限りの勢力だったのは武田も同じこと。義信は名将でもなんでもない。
0230人間七七四年2007/12/27(木) 14:24:03ID:CbIhn6eB
>>222
義元が健在で尾張・美濃と侵攻を続けるなら、
むしろ戦線が遠くなって武田に援軍を送る事はより難しくなると思うけど?

三国同盟は自家の領土拡大に支障が出るても、
援軍を出さなければならないような従属的なものではない。
事実、義元存命の頃から今川家は、
自家の三河・尾張侵攻作戦にさほど支障の生じない程度の援軍を送っている。
これが義元が死なず、今川家の戦線が尾張や美濃になったところで、状況が変わる要素は特にない。
上記の通り、むしろ送れる援軍が減る可能性もある。
0231人間七七四年2007/12/27(木) 17:23:40ID:fY/l+Wed
>>230
いやいや、俺が言いたいのは、義元存命で三国同盟も継続なら、どうしたって今川武田
北条の関係は史実よりも緊密になっていかざるを得ないわけで、それならお互いの戦略
にすりあわせがどうしても必要な場面が出てくるはず。たんなる不戦同盟から攻守同盟
に質的転換をすると思う。

援軍の距離的問題についても、今川の本拠地は駿河で、もし移転したとしても美濃か尾
張。美濃からなら、木曾領を通って北信にでるのはそう難しくないはずだと思うんだが。
北条に対する援軍はたしかに難しいかも。
0232人間七七四年2007/12/27(木) 17:43:31ID:DCsWWJED
三国同盟での援軍なんてせいぜい2・3千で
しかも主力としては戦わず補助戦力だからそれほど影響は無いだろ

北条に関しては対武田戦役が無いのは大きい
武田と事を構えなければ上杉や里見に対する譲歩は必要ないのだから
その分は侵攻は早まる可能性はある
史実で信玄勝頼親子には散々振り回されて織田家との同盟までは常に後手を踏んでいた
北条としては三国同盟堅持は有り難い事は確かだ
まぁ関東諸勢力と上杉は健在なので侵攻は多少早まるくらいにしかならないとは思う

もっと長期的に見れば御館の乱が起こらず
上杉の勢力が急速に衰えることが無くなる可能性もあるな
0233人間七七四年2007/12/27(木) 18:31:52ID:jKXm0v93
>>229
時期によるが、太閤検地で百万石近い勢力の去就だぞ?

>>232
武田が駿河に攻め込んだ時点で、上杉にそれほどの影響力があるとは思えないが
むしろ影響力が喪失したからこそ、つぎつぎと離反が起こってる
それに上野武蔵の失陥も無く、北条は正式(?)に関東公方を擁して北関東の紛争に介入できる立場になる
君の言う多少がどれぐらいなのか分からないが、1580年には関東のほとんどを席巻できるだろう
0234人間七七四年2007/12/27(木) 19:07:14ID:DCsWWJED
>>233
影響力のない相手に何故上野の支配権を認め
武蔵の一部譲渡までして越相同盟を結ぶ必要があるのか
わかるように説明してもらえないか?
0235人間七七四年2007/12/27(木) 19:13:19ID:PmbCETY2
>>231
だったら逆のことも言えるぞ?
今川が援軍要請をしたら武田も北条もわざわざ美濃だの伊勢だのまで援軍を派遣
しなければならない。いちいちそんなことをやられていたら、自家の都合にも
障害が生じて上杉侵攻も遅くなるだろうな。なにせ
「要求されて援軍出さないと三国同盟自体の危機にもつながるわけ」
なんだからあなたの主観だと。
0236人間七七四年2007/12/27(木) 19:18:33ID:PylD5NTj
>>232
他国が日本の軍事力を見るとき、+米国と見ているように、
他国(上杉や関東諸将)が北条や武田を見る時、三国同盟全体を敵として
見ているんだから、尾張を取って強大になった今川と史実の今川とでは
影響力が違ってくる。
0237人間七七四年2007/12/27(木) 19:35:31ID:DCsWWJED
>>236
三国同盟はそこまで強固な同盟ではない
若干の援軍を出すものの、不可侵条約に近い

日米安全保障条約及び日米地位協定と一緒にするなwww
今日最高に笑った、唾で汚れたディスプレイ返せ
0238人間七七四年2007/12/27(木) 19:51:33ID:CbIhn6eB
>>231
何でより緊密になっていかざるを得ないの?普通に今までどおりで問題ないでしょう。
自国独自の戦略に差しさわりがないレベルでは、援軍のやり取りもしているし、
その意味では既に攻守同盟なわけだが、それ以上に入れあげる必要は特にない。

結局、義元存命の場合の三国同盟への影響は、
史実どおりで武田が同盟を破るとは思えないという点であり、
それ以前の段階では、武田や北条の対上杉戦が史実以上に進展する要素にはならない。
0239人間七七四年2007/12/27(木) 19:53:25ID:jKXm0v93
>>234
まず影響力について
権威と言い換えても良いかもしれない
影響力が大きかった朝廷などは、全国を支配してきた
これの影響力が低下するに及んで、近畿、ひいては京にその影響力は限定されるようになった
これは室町幕府についても、関東公方についても、その影響力が及ぶ範囲というのは小さくなってる
では上杉の場合
ご存知のように、山内上杉の本領は上野(伊豆もあったと思うが)
関東全域に及ぶような影響力は喪失したが、依然として管領山内上杉としての影響力は保持していると考える
したがって、上杉が上野に出兵してくるなら多少の動揺があるだろうが、それは上野への影響にとどまる
北関東全域に及ぶような領主への動員というのは、かけ難いのではないかと
北条としては、武田に集中したいので北方の安全を確固たるモノにしたい
さらに上杉によるけん制として、上野西部の武田領への侵攻ということも期待した
こんなところかな
風呂行く前で適当に書いてる部分があるかもしれないけど
0240人間七七四年2007/12/27(木) 20:09:23ID:4lwJE4gx
というか、自軍の不都合にならん程度に援軍を送るのは至極当然なのだが。

史実で三方ヶ原で徳川に織田が出したのはわずか3000の援軍だった。
0241人間七七四年2007/12/27(木) 20:28:24ID:D1OUTlXu
伊達政宗が天下とったんだよーん。
0242人間七七四年2007/12/27(木) 20:36:12ID:0Xmy8Xeb
毛利厨の俺の言うことでは、ないがあの時代織田がいなかったら天下
をとっていたのは、やはり武田だと思う。
部下も、山県マサカゲや真田親子とかいたし、当時最強と言われた騎馬隊を
持っていたしな。
>>241 伊達?あの大阪の陣で実戦経験少ない真田の子倅にコテンパンにされたのに?
家康だって山県マサカゲにフルボッコにされて城でウンコもらしたとか
逸話あるしな

勝頼も無能だったわけじゃない。むしろ名将の部類にはいる。
0243人間七七四年2007/12/27(木) 20:46:42ID:D1OUTlXu
義信が切腹した時点で、家臣は信玄限りと思ってるよ。
0244人間七七四年2007/12/27(木) 21:08:42ID:dGkkZ7c6
誰が天下を取れるかって議論はいくらでもできる。
今川、武田、毛利、北条なんて力はかなりあった。
だけど天下とりの野心ってものが信長ほどあったかどうか・・・
これ重要だよ。
今川、武田ってのは足利幕府に対する儀礼ってのもありうる。
いや、義満を支援して自分の名声を高めることだけがせいぜいの
目的だったかもしれない。
北条と毛利は基本的にはそれぞれ関東と中国制定には積極的だが
天下取りに積極的に動く大名とも思えない。
野望という意味では松永久秀のほうがよほど強い。
0245人間七七四年2007/12/27(木) 22:13:21ID:DCsWWJED
>>239
影響力も軍事力も一時に比べれば低くなっていたのは確かだが、
1574年年の関東出兵では上野諸城を落とし忍城をも囲み、
軍の勢いは上野武蔵下野に至たし、もちろん連動する勢力もあった
1578年の関東出兵直前の謙信逝去時でも上野下野上総下総には
上杉方と称する勢力は一部健在であり
それを北条の関東平定に障害にならない程度の影響力とするのは
いかがなものか。

大して影響力のない勢力に松山城割譲まで言い出すとは
北条はえらく剛毅だなと言う話になる

また>>233に関東公方を擁してとあるが
北条影響下の古河公方がそれなりに権威を回復したのは
越相同盟締結時に関東管領上杉が認めたからであり
それまでは関東管領の認めぬ公方などなんの正統性も無しと
関東諸侯に言われてただろ。(本来ならおかしい話だが)

また1590年ごろの最大版図+里見佐竹宇都宮結城那須etcを
さらに10年短縮して版図に加える過程を
どのように想定してるのか聞かせてもらいたいとこだ
0246人間七七四年2007/12/27(木) 22:46:01ID:XyGtqq3P
まあなんだ。
信長がいなかったら が大前提でのたらればスレです。
0247人間七七四年2007/12/28(金) 00:23:11ID:pTBreRiY
>>245
天正二年、北条が関宿に猛攻かけて、上杉はその救援に赴く
その救援の一環として、上野下野武蔵下総へ攻撃したんじゃないかな
同時に、そんなにたくさんの城を攻めて落とせるわけが無い、実際に落としてないでしょ?
で、戦略目標っていうのかな、関宿救援は結局失敗して失陥、城主梁田は北条に従属してしまう
そして深谷上杉、下総結城も梁田同様、北条に従属し、反北条で共同歩調を取るはずだった佐竹、そして宇都宮は北条と和睦
完全に上杉の思惑とは異なる行動とって、この時点では上杉の影響力には疑問を持たざるを得ないけど
天正三年と天正五年にも新田・桐生領に攻めてるけど、めぼしい戦果はないでしょ?

天正六年の行動については、わかんないねぇ
しかし、何か上杉の権威を上昇させる何かがあったんだと思うよ
その何かはまったく持って想像つかないけど

ともかく、永禄三年四年の大遠征以降は、徐々に武田北条に領土削られていってる
これから考えるに、北条と武田の対立が無ければ、再び上杉が輝きを取り戻すというのはちょっと無理があると思うけど
その天正六年の軍事動員の要因の分析しだいじゃないかな
これは任せるよ

それから、国分については北条も渋ってたとどこかで読んで覚えがある
上杉は上杉で甲越和与持ち出して駆け引きしてるから、まあ上杉の手腕を褒めるべきじゃないかと思うけど

関東公方については、由良氏は義氏の書状をありがたく受け取ってるよ
反北条の人から見れば、北条のたてた公方なんか認められないだろう
逆に北条がたからみれば、上杉じゃなくて長尾ですと、考えるだろう
一応、前公方の晴氏から正式に家督譲られてるから(北条の圧力はあったけどね)、正統ではある
長尾の関東管領就任もイチャモンつければ、私的な継承で、正式な手続き踏んだわけじゃないと言える

史実で天正十年頃のお話
大体北条の領国分国は伊豆相模武蔵上野下総の全土、下野南部、上総の南西部以外、常陸南部(大体三分の一)ぐらいに拡大してる
史実では武田との敵対、上杉に割譲した領土の奪回と時間がかけられてる
この分が加速して、さらに上杉に代わって反北条の旗手となる佐竹の勢力伸張も阻まれる
圧倒的な勢力になる北条と、常陸一国の佐竹、時間かかるとは考えにくいんだけど?
1580年でほぼ関東を席巻で問題ないと考える

おやすみ
0248人間七七四年2007/12/28(金) 00:51:29ID:nU9ihBgk
マジレス

室町幕府は滅亡しないのです
だから足利家の誰かがふにゃらほにゃら
0249にゃんこ2007/12/28(金) 09:26:30ID:UyBXSPSl
「英雄の意志と能力が歴史を作る」なんて史観では、ゲームの予想にしかならないよ。

「社会・経済の変化が人を育てて歴史を作る」でないと歴史の予想にならないよ。
0250人間七七四年2007/12/29(土) 19:32:17ID:u2Yl42+D
そもそも信長は侵略者であって英雄じゃない
イランイラクを攻めるブッシュのようなもの
0251人間七七四年2007/12/30(日) 08:06:44ID:VnFS1ihp
>>249
マクロ的に見ればそうかもしれない。
例えば戦国時代でも、社会・経済的にいずれ誰かが統一を果たしただろう、とかいう観点では。

しかしミクロ的に見れば、例えば誰がどのくらいの時期に統一するだろうか?
というようなことを考える場合には、むしろ個人の能力や意思について考察した方がいい。

で、このスレの主旨は明らかに後者だと思われる。
0252人間七七四年2007/12/30(日) 12:00:27ID:pB+AinJK
>>247
これは信長だけでなく謙信も居なかったらって話?
0253人間七七四年2007/12/30(日) 12:34:36ID:uZKa74MK
>>251
勝手に後者にするなよ。
前者的な視線で見てきた議論だって有るんだから。

毛利説、今川説はほとんど前者によるものだろ。
0254人間七七四年2007/12/30(日) 12:41:14ID:VVCfTopn
>>252
なんでそうなる?
0255人間七七四年2007/12/30(日) 12:54:48ID:pB+AinJK
最後のあたりがえらくが北条に都合のいい感じだったからさ
北条が急速に勢力を増したってのは謙信が居なくなってからだろ?
0256人間七七四年2007/12/30(日) 12:58:03ID:VVCfTopn
>>255
天正二年以降、謙信の関東振興はほとんど無いと思う
あってもすぐに越後に引き上げてるはず

君こそ謙信を軍神だとか、戦国最強とか過剰に評価してないか?
0257人間七七四年2007/12/30(日) 13:00:32ID:pB+AinJK
軍神?ただの偏屈狂だろw
0258人間七七四年2007/12/30(日) 13:03:08ID:VnFS1ihp
>>253
そうかな?毛利にしても今川にしても、
あの時期にあれだけの勢力を保っていたのは、当主の力量に負うところが大なのでは?
毛利なんて正に、社会・経済的に毛利が拡大する必然があって拡大したわけではなく、
元就の才覚によるところが大きいし、今川だって迅速に跡目争いを治めなければ強大化は出来なかった。
そして、両者ともに統一への問題として、後継ぎの力量不足が指摘されている。
正しく、人物の意思と能力が歴史を作るという観点だと思うのだけど?

まあ、確かに前者的な見方もあるだろうから、決め付けは良くなかったかもしれないけど。
0259人間七七四年2007/12/30(日) 13:43:21ID:VVCfTopn
>>257
では伺いたい
「謙信の存在」を重要なものと捉えた理由を説明してほしい
>>255では、あたかも謙信個人の能力に拠るものという論調に思えるが
0260人間七七四年2007/12/30(日) 14:01:20ID:NXUea7Vt
>>258
決め付けとゆーか単におまえの主観じゃん
0261人間七七四年2007/12/30(日) 14:18:34ID:QYpZGC3s
>>260
横槍だがおまえの方が主観で語ってる感じだぞ。
俺は今川毛利の話にずっと加わってたけど
>>258はスレの流れを正確に再現してると思う。
0262人間七七四年2007/12/30(日) 15:51:29ID:NXUea7Vt
>>261
おれ、単発レスなんだけど・・・
0263人間七七四年2007/12/30(日) 17:03:47ID:uZKa74MK
>>258
>そして、両者ともに統一への問題として、後継ぎの力量不足が指摘されている。
当然それへの反論も有ったわけだけど。
このスレで「今川、毛利は跡継ぎが駄目だから無理」なんて結論に至ったことはない。
未だにこの両者は(候補を挙げるなら)統一の有力候補だろ。

資質重視の論に対して経済力重視の人間の反論も多かったろ。むしろそっちがメインだったように思うけど。
「信長しか統一への意志と能力を擁してないからずっと統一されないよ」って主張の人間に対する反発とかさ。
0264人間七七四年2007/12/30(日) 17:05:13ID:uZKa74MK
まあ要は「このスレの現状」ならともかく
>>251で言うような
>このスレの主旨
とされると困るんだ。
0265人間七七四年2007/12/30(日) 17:07:59ID:uZKa74MK
そして、そもそも最近の北条関連の議論も
当主の資質よりも純粋な国力に重点を置いた議論であったように思うが。
0266人間七七四年2007/12/30(日) 17:19:25ID:wmTZjNgf
色々な要素が絡み合うから議論が続くんだよ。
個人の資質のみで決まるものでもなければ、
地理や経済など周囲の状況のみで決まるものでもない。
後者の与える影響の方が大きかったとしても
どちらか一方のみ語る事は所詮同じレベルでしかない。
0267人間七七四年2007/12/30(日) 17:55:19ID:pB+AinJK
>>259
能力ではなく謙信自身の関東に対する固執
ほぼ毎年関東に出かけていって死ぬ直前も準備してたんだろ?
便所で踏ん張ってたら死んだらしいがw

それとさ、なんか読解力ないねとか変な所こだわるねとか
リアルで言われない?
0268人間七七四年2007/12/30(日) 18:05:17ID:VVCfTopn
>>267
上杉は天正二年以降は実際の遠征で成果を挙げていない
むしろその頃は、越中に力を注いでいる
にもかかわらず、「固執」だけで北条が梃子摺ると判断した理由は?

言われません
君は議論に向いてないねといわれないかな?
0269人間七七四年2007/12/30(日) 18:13:01ID:VnFS1ihp
>>263-265
了解。なんというか統一に社会的・経済的要件が必要なのは当然だが、
個人の意思や能力という要素も同じように重要だ、と言うべきでしたね。
後者が主旨とか、前者はどうだとか、並列的に語るべきではなかった。

>>266
上手くまとめていただいて感謝します。
0270人間七七四年2007/12/30(日) 19:07:24ID:uZKa74MK
なんというか、喧嘩腰になってすまなかった。
0271人間七七四年2007/12/30(日) 19:38:45ID:pB+AinJK
>>268
現実にてこずってね?
そう簡単に事が進むなら史実の北条えらく無能だなwww
0272人間七七四年2007/12/30(日) 19:41:29ID:pB+AinJK
おっと失礼、自国より小勢力だらけになった関東制覇出来ないなんて>
0273人間七七四年2007/12/30(日) 21:32:40ID:VVCfTopn
>>271
具体的に何故梃子摺ってると判断したのか説明してほしい
0274人間七七四年2007/12/31(月) 14:10:16ID:sam6bqV7
まともに相手にするな
今は冬休みだぞw
0275人間七七四年2008/01/02(水) 14:15:04ID:rDRJ4j2T
暇やのう
0276人間七七四年2008/01/04(金) 21:36:00ID:gUqeITy+
新年オけダして ノめブとうナガいます
0277人間七七四年2008/01/04(金) 23:13:08ID:IE0MUECC
信長が戦国末期のキーマンだから
信長無しではとても想像できない
0278人間七七四年2008/01/05(土) 14:43:18ID:RHGwEtHb
1568年の段階で今川が尾張と美濃まで制圧していて、三国同盟も破綻なく機能していて、
その時に義昭から上洛要請がきたら、今川は上洛すると思う?
俺はしないと思う。
毛利や朝倉は重い腰をあげようとしなかったし、信長の家臣たちも反対していた。
当時の常識としては、情勢の読めない中央の兵を進めるのはデメリットが大きいと思われていたんじゃないかな?
現代の俺たちは信長の成功を知ってるから上洛が重要だと思ってしまうけど、
当時の人たちが知ってるのは、大内や上杉や三好などの例だけでしょ。
どれも成功してるとは言いがたい。
今川も朝倉のように言を左右して、近畿に容易には足を踏み入れようとはしないんじゃないかな?
0279人間七七四年2008/01/05(土) 19:38:48ID:Aqjk9aGr
>>278
三好は、成功例だと思う。
後、大内も、経済力は有るが、田舎の守護大名の域を出れなかったのが、管領代して、ライバルの細川と肩を並べられたのは上洛した為なんだよね。成功は失敗の母と言うのかな…。
上洛したことによるメリットとデメリットは、長期的視野に立たないと、判断が難しい。
今川がそのタイミングで上洛しなくても、近江にちょっかい出した時点で、三好が過剰反応するんじゃない。
0280人間七七四年2008/01/05(土) 19:45:06ID:QB68va5a
信長って天下取ったのか?

0281人間七七四年2008/01/05(土) 19:48:13ID:Ak/fF8Qu
信長が育てた軍と人材が天下を取った
0282人間七七四年2008/01/05(土) 19:52:42ID:+9FG1/6k
>>280
それがこのスレと何の関係があるのか?
0283人間七七四年2008/01/05(土) 20:51:08ID:vYvS+ypT
つまり信長がすごいんじゃなくて尾張・美濃・近江出身者で織田を支えた家臣団の質が凄く高かった。
0284人間七七四年2008/01/05(土) 20:55:26ID:+9FG1/6k
厨2病にもほどが有る
0285人間七七四年2008/01/05(土) 22:04:03ID:sV4Gojxr
だからその凄く質の高い家臣団を編成し統率する信長が凄いんだろ
0286人間七七四年2008/01/05(土) 22:09:14ID:vYvS+ypT
具体的にはどういうふうにすごい編成方式を編み出して統率したの?
0287人間七七四年2008/01/05(土) 22:15:24ID:MNqnp6fM
>>283
つまんねえこと言ってないで早く首吊れよ
0288人間七七四年2008/01/05(土) 22:21:31ID:tAO+c9H9
>>285
いや、普通にやっぱり信長が凄いってだけだから。
まあ、多少の過大評価はあるが、それでも歴史を大きく動かした人物なのは間違いない。
どんなふうに凄かったかは、歴史の教科書でも読んでみなさい。
0289人間七七四年2008/01/05(土) 23:01:33ID:vYvS+ypT
具体的に書かないとわからないよ。ただの織田厨房ですか?
0290人間七七四年2008/01/05(土) 23:11:23ID:+9FG1/6k
>>289
いかにも頭の悪そうな煽りだが、そもそもスレ違いだ。
やるならこっちでやれ、間抜け。

織田信長は日本最高の過大評価3
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189338697/
0291人間七七四年2008/01/05(土) 23:26:09ID:vYvS+ypT
なんだ答えられないのか。道理で漠然とした具体性皆無のマンセー信長ばっかりなワケだ。クダラネ
0292人間七七四年2008/01/05(土) 23:50:22ID:xAbUVrCP
俺だろ!
非常識的に考えて。
0293人間七七四年2008/01/05(土) 23:50:49ID:cBolOukr
まぁ冬休みだ
0294人間七七四年2008/01/05(土) 23:51:38ID:+9FG1/6k
>>291
過大評価スレなら相手してやるよ。
ここはスレ違いだって言ってるのが分からんのか?
本当に頭大丈夫?
0295人間七七四年2008/01/05(土) 23:55:04ID:S1KUaIur
>>278
>信長の家臣たちも反対していた
初耳ですが、誰が反対していたんですか?
0296人間七七四年2008/01/06(日) 08:32:16ID:dHounMbp
>>289
だから教科書読みなって。
あなたのレスに対する回答程度ならそれで十分。中学のでいいよ。
0297人間七七四年2008/01/07(月) 12:12:43ID:tvBOEDtE
>>296
信長が本当にすごかったら本能寺で死んでないと思うよ。
実際は家臣の秀吉と光秀がすごかっただけだと思うw
信長なんて彼らがいなかったらただの田舎大名クラス。
0298人間七七四年2008/01/07(月) 12:17:04ID:TFToPcYA
意味不明、スルー推奨
0299人間七七四年2008/01/07(月) 12:40:48ID:r4E3vUZH
後に天下人になる秀吉と松平元康、およびその家臣団を抱えていながら
その信長にしてやられた今川義元は輪をかけて無能ってことですか?
0300人間七七四年2008/01/07(月) 13:20:01ID:ryr2A/6V
>>297
むしろ信長が本当にすごかったら槍片手に明智の軍兵片っ端からなぎ倒して言ってるよな!
時に肉まん食べて傷を癒し、酒を飲んで気力を回復させ、気力がたまったら無双乱舞!!!1!!1!!
0301人間七七四年2008/01/08(火) 01:41:58ID:5MmG9rve
今川義元は名君だ。
しかし義元が天下をとっても、子の氏真は、犬以下だからむりだな
>>300
ゲーム、特に無双のやりすぎ、いちから考え方見直したほうがいい
0302人間七七四年2008/01/08(火) 03:17:08ID:Xwgbtfg/
ネタにマジレス
0303人間七七四年2008/01/08(火) 03:43:27ID:oQ/stG1M
>>302
301自体がネタという
0304人間七七四年2008/01/08(火) 11:40:50ID:FbDPmQ8K
織田信長が居なかったら、おそらく九州勢か四国勢か北条辺りだと思う。
0305人間七七四年2008/01/08(火) 15:23:54ID:ALMPyAG/
>>303
なんだネタか
危うく氏真擁護しそうになったよ
「おまえも野望やりすぎだ」ってw
0306人間七七四年2008/01/08(火) 17:25:12ID:ALJZ7sWT
くだないすれは辞めろ!天下布部は
俺だ。
0307人間七七四年2008/01/08(火) 17:27:34ID:ALJZ7sWT
301の意見は正しい。
0308人間七七四年2008/01/09(水) 14:18:32ID:ba1P9c14
俺も、>>301の意見に同意。
0309人間七七四年2008/01/09(水) 17:22:25ID:prhwNrCr
いま高校生でこれから史学科に進むんだが、大学ではこのテーマを中心に勉強しようかな
卒論はもちろん信長がいなかったら誰が天下を取ったか

あーマジ大学が楽しみ
毎日日本史の授業受けて、戦国時代を研究しまくれる日が間もなく来ると思うとよだれがとまんねぇw
0310人間七七四年2008/01/09(水) 18:01:27ID:cmUibBri
就職時に苦労するんだ楽しんでおけ
0311人間七七四年2008/01/09(水) 18:23:14ID:JLacWsoG
日本史だけを学べると思っている人がいると聞いてやってまいりました
専門だけできたらどんだけ大学が素敵なところか
0312人間七七四年2008/01/09(水) 19:00:35ID:BQn5qL3Q
まあ普通に考えたら、天下を狙えた大名は、秀吉が潰していった大名の中の誰かだろう。
つまり島津、長曾我部、北条、伊達、その中でも島津の戦闘力は断トツ。
秀吉、家康は信長あってこそだから除く。
その拡張主義から言っても島津。
0313人間七七四年2008/01/09(水) 19:03:23ID:1W+rHC0l
1〜2年は般教がメインだから高校の延長みたいなもん
ゼミもよく選ばないと(人気のゼミは試験や面接がある)
好きな分野の研究なんてなかなかできないのが現実

これをテーマに研究しろってゼミの教授から一方的に言われることもあるしな
0314人間七七四年2008/01/09(水) 19:27:09ID:prhwNrCr
>>311
>>313
参考になります

日本史全体が好きだから楽しんで出来ると思ってます
でも、戦国史専門の教授っていないんですよね…

俺は信長がいなかったら武田か毛利だと思います
0315人間七七四年2008/01/09(水) 20:26:51ID:TnrafLEB
武田と毛利は一向宗と融和あるいは妥協していた。中途半端。
島津は一向宗に対して徹底弾圧していた。信長と同じ。
宗教勢力への対応から見ても島津。
海外へ目を向けていた点などその先進性から見ても島津。
0316人間七七四年2008/01/09(水) 21:00:47ID:xhQiup10
史学科でifものを研究できると思っているとは
さすがゆとり
0317人間七七四年2008/01/10(木) 01:07:51ID:SBRvrKGE
史学科入っておいて「信長がいなかったら誰が天下を取っていたか」を卒論にしたら
鼻で笑われるだろw
0318人間七七四年2008/01/10(木) 02:21:12ID:iNFHZe3K
いやいやの信長好きで信長を卒論にできなかった方が鼻で笑われるだろw
0319人間七七四年2008/01/10(木) 03:40:02ID:DpB+lde5
戦国ヲタなら単位出なくてもあきれられてもifものを卒論にするべき。
0320人間七七四年2008/01/10(木) 19:08:44ID:VzcLJ6MZ
俺は卒論どころか修論でそれをやった痛い人を知っているw
無論受理されなかったが。
0321人間七七四年2008/01/10(木) 19:13:30ID:4OdE7tD+
マジでいるのかw
0322人間七七四年2008/01/10(木) 19:34:41ID:xdhMWb5E
ある意味尊敬できるwこのスレ的にw
0323人間七七四年2008/01/10(木) 21:34:24ID:yKmp03ZS
とりあえず信長の野望で1555年、信長を殺して全勢力CPUにプレイさせてみた。

北条が統一した。織田は今川にやられてその今川を北条が倒した。
武田は斉藤と上杉にレイプされて最初に滅びたw
島津はいつの間にか大友にやられてた。
最後は北条と毛利の対決みたいな感じだったけど毛利は九州四国に兵が
無駄に分散してたから負けたみたい。
0324人間七七四年2008/01/10(木) 21:53:18ID:MN9uTQFU
おれもそれやったら武田がレイプされて滅びたw
結局東は上杉 西は三好 大友が残ってめんどくさくなってやめた
0325人間七七四年2008/01/10(木) 22:08:15ID:SWT+QZtv
北条はさ、
関東統一やったー!ばんざーい!よーし畑耕そう!町作りだー!
でいつの間にか中央ではまとまった勢力が誕生。とかになりそう。
0326人間七七四年2008/01/10(木) 22:29:48ID:lMzM58d+
>>312島津、長宗我部も微妙だよな。
島津は九州統一は可能だろうが毛利水軍を破って本州上陸が出来るだろうか?
九州統一したとしても動員兵力って60000から75000だと思うし、毛利の動員兵力で40000くらいは可能だと思う。
長宗我部は四国統一しても30000程かな?無理じゃね?
0327人間七七四年2008/01/11(金) 01:47:00ID:+PS3e2mq
>>320
俺か?

あれは半ば冗談で書いたやつだから
大見得切ってみんなの前で教授に提出はしたが
実質レポート10枚にも満たないような内容だぞ
0328人間七七四年2008/01/11(金) 01:52:09ID:+PS3e2mq
ってよく見たら修論か
それじゃ俺じゃないや
0329人間七七四年2008/01/11(金) 02:34:31ID:59trw4g6
信長がいない、だと予想も立てづらいよな
秀吉がいない、なら天下もある程度纏められてからの話だから有力者あげられるんだけど
0330人間七七四年2008/01/11(金) 03:17:56ID:IJ2iY7q/
戦国時代に権威ある大学ってどこだろう?
そもそも戦国時代専任の教授って少ないよな
0331人間七七四年2008/01/11(金) 06:54:09ID:KgimoSd0
秀吉は今川家の足軽で終わり
家康も武田に潰されていない。
誰が天下人か?
本願寺あたりが仏教王国を建ててしまいじゃまいか。
0332人間七七四年2008/01/11(金) 07:05:10ID:KgimoSd0
家康は今川家の重臣で終わりの間違いだわ
0333人間七七四年2008/01/11(金) 17:03:20ID:IJ2iY7q/
とりあえずまず今川が天下っつーか将軍の後見人になるのは確実だろうね
でもおそらく今川程度ではうまくコントロールできないでしょ
そこで家康が下剋上して近畿を抑えるとおもう

そんな感じで家康が天下を平定して、京に幕府を開くんじゃない?
結局家康の天下。そうなったら首都が東京から京都になってるだろうね
0334人間七七四年2008/01/11(金) 18:41:12ID:MgDPwt27
伊達政宗が東北以北制圧

大きく分けて島津 毛利 北条 伊達 で日本四分 

1800年代、欧米の脅威よりやっと日本は統一される
0335人間七七四年2008/01/11(金) 18:56:11ID:mZkVDr0y
>>334
それはないわw
0336人間七七四年2008/01/11(金) 19:11:43ID:vI+fVe8U
>>334
伊達   東北以北
北条   関東、中部
毛利   中国、近畿
島津   九州l、四国

三国志の様に国力差のある四分ですねwww
0337人間七七四年2008/01/11(金) 22:33:38ID:778eTmvG
>>331
他の宗派が黙っていないよ、別に本願寺は日本の仏教勢力を代表しているわけじゃあないのだから。
事実本願寺はかつて日蓮宗徒との争いで破れ、当時の本拠地を焼き討ちにされた事もある。
0338人間七七四年2008/01/12(土) 00:30:44ID:3DdIOe87
信長が今川に潰され殺されていたら
今の世では斎藤龍興と同じような扱いされていたんだろうね
尾張のうつけ者として
そういうの考えると信長になれなかった
今ではバカ殿と言われている人の中で、もしかしたら天下人になれた人がいたのかもしれない
0339人間七七四年2008/01/12(土) 00:38:28ID:BLSHCwTR
そりゃそうだが、そんな事言い出したらきりがない
0340人間七七四年2008/01/12(土) 09:28:46ID:7tNnlLdh
機運をうまくつかめたものが生き残る
これはいつの時代も変わらない
0341人間七七四年2008/01/12(土) 13:24:09ID:TSJe/5Z6
信長が居なければ秀吉の活躍も家康の時代も無かったろうしね。
戦国の世はどこまでも続き、混迷したまま他国の植民地になってたかもしれないと予想してみる
0342織田城介2008/01/12(土) 14:25:45ID:cAdkEuq8
信長がいなければ天下統一はされなかった!!
何故なら、武力によって天下を統一しさらに運営するという発想は
信長の独創であり、武田も上杉も領土拡大しか頭に無かった。
上洛戦を決行した今川はまだ偉いが、統一するという発想や理想をもたず
単に義元が京都かぶれで田舎の駿河に嫌気がさして起こした無計画な愚行
だったので惨めな結果に終わってしまった。信長が前例として天下統一の
方法を秀吉と家康に示した為、その後統一されたが信長という前例が無ければ、
諸大名は各地で小競り合いを繰り返すのみで南蛮の諸外国の餌食になっていたのわ
間違いない!!
0343人間七七四年2008/01/12(土) 14:38:17ID:dQ0aVQiX
もうその釣り針は飽きた
0344人間七七四年2008/01/12(土) 16:48:11ID:gLODG3rb
このスレだから釣りにもなるけど、
それを釣り針じゃなく本気で信じてる連中もかなりいるわけで、
たまにこのスレにも流入してくることもあるし

そういう人間にわからせる為にも
いいんでないの。たまには。
0345人間七七四年2008/01/12(土) 16:59:04ID:E60k66yV
島津や伊達は絶対にありえない。
なぜなら言葉が通じないから。
0346人間七七四年2008/01/12(土) 18:12:05ID:G8p+5qv/
明治新政府・・・
0347織田城介2008/01/12(土) 18:27:21ID:cAdkEuq8
明治は無いな、っていうか明治になってない。
0348人間七七四年2008/01/12(土) 19:46:19ID:FtOnum3S
>>345
何をおっしゃる!
政宗は米沢出身
景勝とかも訛ってることになるのか
0349人間七七四年2008/01/12(土) 22:55:58ID:RNLMHgXj
武田かな〜。いまだに、信玄が死んでなかったら、甲府が首都だと思ってるし。
0350人間七七四年2008/01/12(土) 23:35:37ID:RHBuh0cJ
【社会】DQN高校生3人、国宝姫路城の鉄砲狭間から観光客をエアガンで狙撃→逮捕
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1171975586/

春だなぁ……
0351人間七七四年2008/01/12(土) 23:50:52ID:3sQRbNcZ
大グレン団だと思うよ
0352人間七七四年2008/01/13(日) 13:51:56ID:ZfRILnQy
天才信長は世界史上でも特筆するべき大改革をやってのけたが、
秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。

天才信長以外に、天下人に値する者は存在しない。
0353人間七七四年2008/01/13(日) 13:53:14ID:OzQZ48d4
また釣りですか、
0354人間七七四年2008/01/13(日) 14:07:04ID:X09XiNF5
三好三人衆が義栄を擁して上洛して引き続き三好政権が続く。
その後は松永を倒して安定か、ぐだぐだ内紛してる間に毛利か今川、斉藤が上洛してきて阿波に逃亡かどっちかのパターンかな
0355人間七七四年2008/01/13(日) 18:22:42ID:UnHQK466
>>349
武田は甲府を首都にしようなんて考えないと思うよ
足利幕府の再建にかかると思う
0356人間七七四年2008/01/13(日) 18:34:53ID:r1FRSt2X
なぜ?
0357人間七七四年2008/01/13(日) 18:40:13ID:GG8zVXgr
義元が桶狭間で死ななかった場合、
武田の進攻方向はどっちになるだろう?

史実ではしばらく上野で戦った後駿河に出ているが、
この上野攻略はやはり対上杉戦略の一環として手をつけられたものだと思う。
謙信と果てしなく戦い続けることになって、なかなか天下は見えてこないのでは。
0358人間七七四年2008/01/13(日) 19:00:09ID:JXo7Hu+H
果てしなくなんてありえない。
実際北信濃は1568年辺りで武田の支配が確立してるし。
0359人間七七四年2008/01/13(日) 19:09:53ID:GG8zVXgr
ごめん、書いたつもりがちゃんと書いてなかった。
>>357は、信濃平定ではなくて越後攻略を想定して書いた。
越後まで攻め入るとなれば泥沼化は必至でしょ。
上野攻略は、本格的な越後攻略戦を見据えての下準備ではなかったかと思える。
0360人間七七四年2008/01/13(日) 19:13:11ID:OzQZ48d4
当時の武田に上野以外どこを攻めろと
0361人間七七四年2008/01/13(日) 19:25:53ID:GG8zVXgr
美濃がある。
れっきとした街道沿いの侵攻ルートだ。
0362人間七七四年2008/01/13(日) 19:36:46ID:QUbSFJTe
>>361
今川の敵が織田
織田の敵は斉藤
で武田が今川討つと
繋がるな
0363人間七七四年2008/01/13(日) 21:32:16ID:RbpjR9ux
>>361
武田は上野や越後ばかりでなく、美濃にも進行すればよかったのな
織田と協力すれば、斎藤なんて雑魚だろ
0364人間七七四年2008/01/13(日) 23:01:26ID:fd14OE37
甲斐府中からみた場合の美濃は当時の道路事情を鑑みればあまりにも遠く現実感が無さ過ぎる
美濃に接している信濃木曽領ですら娘を嫁がせて外様衆で取り込むのがやっとだったのに
更にその先にある美濃
史実では甲斐府中に武田本家、信濃諏訪に武田四郎、信濃海津に高坂、信濃府中に馬場
今川崩壊前後に上野に内藤、駿河に山県、穴山
ここまで確保した上で西上直前に東美濃に秋山
このスレでは信長がいない=突然の今川壊れが無いと仮定しての話だから
駿河ルートの確保が厳しい武田が東美濃を狙う意味がない
統治という意味でね
0365人間七七四年2008/01/13(日) 23:24:16ID:OzQZ48d4
史実においては、上杉方の上野放置して上杉と連動されて佐久を扼されても困るし
わざわざ遠方の美濃まで敵に回す必要は無いし、
なるべく弱いところから取っていく武田のそれまでの戦略とも一致しない

ただ今川健在なら連携して史実より早くに東美濃進出して
東美濃の大部分を切り取ることは現実味は出てくるし
東美濃自体は信濃や東上野と同じく山岳地帯が多いので取っても美味しくはないが
取れれば史実でも狙っていたらしき飛騨越中ルートで湊を得るのも
木曽のみからよりは容易になると言う利点はある・・・かもしれない
0366人間七七四年2008/01/13(日) 23:31:05ID:g+0XUp2p
>>365
飛騨越中ルートで湊を得ても維持するので赤字になるでしょ。
佐々どんのささら越えが有名なように飛騨越中ルートなんて無いのと等しい。
0367人間七七四年2008/01/14(月) 00:21:20ID:yN7ON85X
>>364
>当時の道路事情を鑑みればあまりにも遠く現実感が無さ過ぎる

そんなことはない。
東山道という立派な街道の通った幹線交通路だよ。
実際、信長と戦うようになって普通に兵も出してる。
難所もあるけど、このくらいの道は当時の感覚では全然余裕でしょ。

>駿河ルートの確保が厳しい武田が東美濃を狙う意味がない
東山道単独でも十分な輸送力はある(まあ海路には負けるとしても)ので、
そういう結論にはならない。
0368人間七七四年2008/01/14(月) 00:26:34ID:yN7ON85X
>>366
>さらさら越え
ありゃ真冬だったからでしょ。無いに等しいは言い過ぎだ。
まあ信濃−美濃に比べると、飛騨を越えるのは相当大変なのは確かだと思うけど。
0369人間七七四年2008/01/14(月) 00:30:33ID:43xYEaFj
>>368
冬の間孤立する領土なんてマイナス要素がプラス要素を遥かに上回るでしょ。
0370人間七七四年2008/01/14(月) 00:35:43ID:yN7ON85X
>>369
それは状況次第。
しかし基本的にはどんな領土もプラス要素になる。
維持できなければ奪われるだけ。

もっとも、その領土を得るときにかかったコストで引き算するとマイナスになる場合はあり得る。
大概そういう領土は何か別の目的の遠征のついでに得たりするから丸々賄う必要はないんだけど。
0371人間七七四年2008/01/14(月) 00:47:57ID:43xYEaFj
>>370
ゲームじゃないんだからどんな領土でもプラスマイナスでプラスになるわけないでしょ。
例えば飛騨-越中ルートを使って越中の領土を手に入れたとする。
当然越中、越後、能登、加賀方面にも敵を抱えることとなる。
それらの敵から越中での新領土を防衛するコストは新領土を得るのにかかったコストなんて比ではない額になる。
距離的にも甲斐の府中から越中まではかなりの距離があり援軍を派兵するのにも苦労する。
関東方面・信濃方面で同等勢力の上杉と争ってる状況で、
交通の便が悪くて援軍を送りにくい領土なんて得てもマイナス以外の何にもならないでしょ。
0372人間七七四年2008/01/14(月) 01:09:55ID:w0AWB2nw
史実においての武田が越中まで進攻しているのをどう見るかだな
領土的野心があったのか上杉に対する嫌がらせだったのか
0373人間七七四年2008/01/14(月) 01:17:09ID:yN7ON85X
一義的には、ってことだよ。

勢力圏の外縁辺りは完全な領土というよりは影響圏って感じでしょ。
絶対防衛圏じゃない。
飛騨越えルートを遠征の基点として整備するとなると大変だけど。
因みに俺は飛騨越えで行けるって言ってた人(>>365)じゃないんで。
この話から手を引いてもいいかな?
0374人間七七四年2008/01/14(月) 01:59:20ID:7CdbnRF0
てか越後攻めが実現してたら本庄等と協力して上杉を春日山に追いつめるのは十分可能だった。
現実には駿河攻めに方針が変わってしまったがな。
0375人間七七四年2008/01/14(月) 02:22:34ID:w0AWB2nw
>>374
史実では飛騨攻めか駿河攻めで家中が割れたんじゃなかったけ?
越後攻めはどっから出てきた?
0376人間七七四年2008/01/14(月) 11:39:06ID:XQAVxcga
>>364
木曽には直接軍を侵攻させて屈服させていますよ。
娘を嫁がせたのは、降伏した後の処置。
0377人間七七四年2008/01/14(月) 12:59:46ID:xOZQtvms
>>367
>東山道という立派な街道の通った幹線交通路
ない。実は史実において、信濃から木曾を通って美濃に抜けるルートは古代から
中世まで、少なくとも軍用としては使われたためしがない。
(おそらく)始めて使われたのが、武田により美濃攻めから。
0378人間七七四年2008/01/14(月) 13:13:40ID:ldFMI2cL
>>1 俺様。
0379人間七七四年2008/01/14(月) 17:20:48ID:yN7ON85X
>>377
それは偶々そういう作戦が必要とされなかっただけじゃん。
「ためしがない」なんて大袈裟に言うことか?
現に信玄が使ってるし、数年後には信長が大々的に利用している。
信長は東海道を使おうと思えば使えたわけで、そんなに不便な道ではないことが良くわかる。
0380人間七七四年2008/01/14(月) 17:40:53ID:GgN0WSCI
>>379
東山道はきついよ
道はあるけど渓谷難所だらけで軍事輸送としては東美濃遠山衆と信濃木曽衆を
両者とも完全に従えないと危なくて実質的に使えない
彼らが斉藤織田武田といったすぐ隣の巨大勢力からどういう扱いだったのかを
みれば道路事情も分ろうってものだ
0381人間七七四年2008/01/14(月) 17:57:31ID:yN7ON85X
でも使ってるじゃん。
って言うか地元勢力を従えないと危ないのはどこでも一緒じゃないの。

もちろん山地の方が使い辛いのは確かだけど、過大に評価してはいけない。
0382人間七七四年2008/01/14(月) 19:28:27ID:XQAVxcga
>>381
信長も木曽氏が内応しなければ使わなかっただろうし、
それに武田攻めのときは、伊奈からも攻めているし、徳川が駿河からも攻めていた。
木曽路だけを使ったわけじゃあない。

まあ、木曽から攻め込むこと自体は不可能ではないと思うが、あまり得策ではないでしょう。
仮に一部占領できたとしても、本国との連携も難しいだろうし。
0383人間七七四年2008/01/14(月) 19:56:11ID:xOZQtvms
>>379
>偶々そういう作戦が必要とされなかっただけじゃん
好例なのが木曾義仲。彼は木曾から出て信濃をとった後、越後を攻めそこから
北陸道を南下した。
その前後、平氏が関東を攻める時も、逆に頼朝が東国から京西国へと兵を進めた
ときも、さらに下って承久の乱のときも、また後醍醐の倒幕もそれ以降の南北朝
でも、軍勢の動きは東海道か北陸道で、中山道木曾路ルートが使われなかった。
0384人間七七四年2008/01/14(月) 21:51:14ID:XQAVxcga
承久の乱のときは中山道ルートも使われていたと思ったけど。
0385人間七七四年2008/01/14(月) 23:45:35ID:w0AWB2nw
新田が足利追討で鎌倉に向かったときに別働隊が東山道通ってるな
まぁ大和朝廷が整備した五畿七道って基本的に全て軍道だし使えないって事は無い
まともに軍事行動が取れる道に成るには戦国期に武田が整備するまで待たないといけないが
0386人間七七四年2008/01/15(火) 01:29:26ID:xS/RsOyM
>>382
でもほとんど美濃から進撃した部隊だけで勝負決めてるんじゃない?
いずれにせよ大軍の通行にも支障のない道筋だったことは確か。

>>383
何の制限もつけないなら輸送力では
船を使える東海道や北陸の方が便利だとは思う。
でも今の話は、東海道には今川義元が健在で、
北陸は上杉謙信が頑張っていると言う条件下での話だから。
信玄が攻勢のメインルートとして検討する候補くらいにはなるでしょ。
上杉謙信だって三国峠を越えてせっせと侵攻してたわけで、
当時の戦国大名の頭には、「山越えだから無理」という発想はなかったと思う。
ほかの要素によっては相殺される程度のマイナス条件でしかない。
0387人間七七四年2008/01/15(火) 09:25:40ID:ekkJcoA3
>>386
わかんねーやつだな
東山道の信濃木曽路〜東美濃路というのは「他に道が無い」んだよ
道は曲がりうねり両側は常に山か崖で、イメージするなら桶狭間がずっと続く道
武田だろうが織田だろうが万単位で軍を展開してもここに入りこんでしまえば
ただの長い2列縦隊でしかなく細く伸びきった大軍を防御側は数百人単位で
いつでもどこからでも襲える
0388人間七七四年2008/01/15(火) 18:25:19ID:+xriUByc
>>387
勝頼が木曽義昌を討伐しようとして万単位の軍で木曽に侵攻したけど少数の木曽軍に撃退されたぐらいだからなあ。
大軍を動かすのに向いていない道だったのは間違いないないだろうね。
0389人間七七四年2008/01/15(火) 21:52:57ID:xS/RsOyM
>>387
捨て身になれば一度は襲撃できるかもしれない。でもそれで捕捉されて終わりだよ。
大軍に数百人で襲撃かけても大したダメージは与えられない。
襲撃をかけて、自分だけ無傷で敵にだけダメージ与えて撤退することは出来ない。
隊列は伸びてるかも知れないが、所詮は徒歩同士。そうそう都合よくは展開しない。

っていうか、数百人って言ったら結構な大部隊だぞ。
山岳地で完全な隠密行動を取れる規模じゃない。
普通の正規戦になるんじゃないか?

それに、信濃の戦いはどこへ行っても山とか谷とかそんな場所ばかりなんだけど
(主戦場は盆地だけど、そこへ至る道は多かれ少なかれ平坦ではない)。
信玄にしてみれば慣れたもんだろう。
美濃への出口当たりが少々難所だけど、容認できないリスクじゃない。
美濃侵攻を考えもせずに候補から外すほどの悪条件とは思えないね。

>>388
それは信長が迫ってたから断念しただけじゃないの。
まあまったいらな平地よりは守りやすいのは確かだろうけど。
いずれにしても、山岳地の攻略と山岳地の交通は別の話だ。
0390人間七七四年2008/01/16(水) 01:48:08ID:XdN/woQQ
なんすかダメージて
0391人間七七四年2008/01/16(水) 02:21:24ID:xNGIE0Mq
>>389 こそ、わかってないね。
山道を細長い2列縦隊できたら、
鉄砲隊・弓隊をやり過ごして、裸同然の総大将だけ狙えばいいんじゃないか。
鉄砲や弓が駆けつけようったって、細い山道では思うように動けない。
うまくいけば、総大将とその周辺数十人だけ討ち死にで、他は無傷ってのもありえる。
そううまくいかなくても、荷駄隊を本隊から切り離して混乱を誘うとか、いろいろできそう。
0392人間七七四年2008/01/16(水) 02:57:38ID:+EOTgRmi
ゲーム脳、てか机上の戦略家ってのは
389みたいな奴なんだろうな
0393人間七七四年2008/01/16(水) 07:48:13ID:ssh6UKya
391の方が漫画脳なんじゃないの?
戦国時代に山道を行軍している例なんて山ほどあるけど、
そんなんで暗殺された奴いないだろ。
桶狭間は別に峻険な山でもないし少人数の襲撃でもないし自軍勢力圏下の行軍中でもない。
0394人間七七四年2008/01/16(水) 08:00:14ID:EbfsXJe7
1万人の軍と聞けばいつでも相互に連携しあえる位置に展開しているとしか考えない奴はいる
地図にある等高線をただの線と見る奴はいる
半端なく細長く曲がりくねった山道しかも支線が皆無であろうと行軍中に部隊が部隊として
機能していると想定できる思考力を持てる奴はいる
兵とは飯も食わねば糞もしない寝る時も立ったままだと解釈する奴はいる
全てを兼ね備えた389がいる
0395人間七七四年2008/01/16(水) 08:09:03ID:ssh6UKya
攻撃部隊の規模が小さければそれだけ相手に与える損害も小さくなるし、
相手の総大将だけ狙うなんて口で言うほど簡単じゃないってことだよ。
また、襲撃された側が思うように動けないような山道では襲撃側もそうは自由に動けない。
小部隊な分相対的には楽だとしてもね。

それと、何の拠点もないところに敵中深く潜伏するのは極めて困難。
結局危険があるのは敵の城の近くであって、敵の城を制圧してしまえば
襲撃を受けるようなことはまずない。
0396人間七七四年2008/01/16(水) 18:01:16ID:wb5oRrlN
大規模な侵攻に使うには不適切ってことだろ、街道の整備も終わってないし、
武田が本気になれば侵攻ルートとして使うだろうけど、
当面の敵の上杉勢放って置いてまで、敵対してるわけでもない東美濃に
高いリスクを犯してまで武田が侵攻する価値を見出すかだ。
それなら佐久防衛の意味も込めて上野上杉勢攻略継続と、山縣三枝等派遣して越中侵攻用の城まで築いた
飛騨越中攻め継続が現実的という話じゃね?
0397人間七七四年2008/01/16(水) 21:15:47ID:3LNsBFZa
まあ、木曽路は武田の前にも後にも大規模な軍の移動に使われたこともあるし、
武田軍にだって使えないってことはない。
山道行軍したら大将が暗殺される、なんてのはそっちの方が無茶苦茶な話だし。

しかし、可能ではあっても楽な行軍路ではないのも確かだから、
当時の武田がわざわざそこを使って美濃に攻め入る必然性もないと。
0398人間七七四年2008/01/16(水) 22:15:22ID:ssh6UKya
まあ話の始まりは>>360に対してのレスで、
上野以外攻めようがない、とまでは言えないだろ、ってだけだから。
0399人間七七四年2008/01/16(水) 22:29:03ID:3LNsBFZa
そういうことなら、上野攻めが最も妥当なのは間違いないと思うけどね。
上野を攻めていた時期に、上野の代わりに木曽から美濃に攻め込むのは、
ほとんどナンセンスでしょう。
0400人間七七四年2008/01/16(水) 22:47:18ID:ssh6UKya
上野攻めにそんなに利益があったかな。
美濃は京へつながる交易路だし、頭から捨てるほどではないのでは。
0401人間七七四年2008/01/16(水) 22:58:00ID:8rtttxKM
>>400
豊富な石高と領土防衛の為に上野攻めは必要不可欠。
関東進出の為に上野を狙ってる上杉が仮に上野を手に入れたとすると、
信濃佐久方面の防衛が面倒なこととなる。
領土防衛の為にも上杉よりも先に上野に進出するのは必須の事。
0402人間七七四年2008/01/16(水) 22:59:15ID:G3dQ7xxU
史実でって事じゃないの?
信長いない設定なら状況全然違ってくるだろうし
0403人間七七四年2008/01/16(水) 23:03:39ID:ebqVciM5
木曽路は進行は出来ても侵攻は困難でいいんじゃね
0404人間七七四年2008/01/16(水) 23:19:36ID:ssh6UKya
「豊富な石高」は怪しいが(武田が手に入れたのは基本的に西上野だし)
対上杉戦略の一環として要地であるのは言えてるかな。
0405人間七七四年2008/01/16(水) 23:32:12ID:wb5oRrlN
>>404
そこに突っ込むなら東美濃だって山ばかりですが

>>402
時代がもう少し下れば状況しだいではあるかも知れないけどね
上野攻め前期の時期は桶狭間無しの影響はまったく無い
つか今川の征西前だから当たり前だけどねw
後期は多少の影響は出てくるだろうけどもう少しで箕輪落とせるのに
政策転換する必要は余程の事が無ければ無いだろう

問題にすべきは川中島が全て終わりほぼ西上野取ってからの行動
具体的には1566年以降の政策転換期だろう
0406人間七七四年2008/01/16(水) 23:51:56ID:8rtttxKM
>>404
武田が手に入れた西上野だけでも20万石程度あり、
国土面積が広い割には石高が少ない武田にとってはかなりの額でしょ。
上野全体では50万石あるしね。
石高の面だけで見ても東美濃よりも魅力は上でしょ。

西上野20万石がプラスされていない国力(60万石程度)で
上杉さんとの相手もしながら東美濃に突っ込むなんてアホだろ・・・
史実通りに北条と協力して強力な国主がいない上野の切り取りにかかるほうが余程現実的で実入りもいい計画でしょ。
0407人間七七四年2008/01/16(水) 23:56:25ID:G3dQ7xxU
>>405
後期の事しか浮かばんかったw
今川の動き次第では美濃方面への動きもあったかなと
0408人間七七四年2008/01/19(土) 19:12:14ID:n0NOEs9j
桶狭間がなかったら、三国同盟が続くとして、武田は、東美濃より、越後に向かう方がいいんじゃない。
北条贔屓としての意見。
0409人間七七四年2008/01/19(土) 20:06:42ID:+Ch26ASs
確かに桶狭間がなかったら美濃までの東海圏が今川領か、
少なくとも攻略目標にはなるはず
武田が美濃攻略に出るとは思えない
0410人間七七四年2008/01/19(土) 21:46:55ID:CUNTpbud
今川斉藤が泥沼になって双方疲弊してればやるかもしれんよ
対上杉戦が一段落するとか色々条件は必要だがね
0411人間七七四年2008/01/19(土) 21:53:44ID:dU8NoCLR
上杉戦にひとまずの終止符を打つのが1568ぐらいだろ
尾張を併呑した今川が斉藤相手にそこまで梃子摺るか?
仮に尾張を斉藤今川の折半な状態になったとしても、斉藤は道三-義龍-龍オキの世代交代もある
0412人間七七四年2008/01/19(土) 22:28:56ID:e99D0A1E
武田
甲斐北西を守る為に諏訪が必要で諏訪を守る為に伊奈高遠が必要
甲斐北東を守る為に佐久が必要で佐久を守る為に西上野が必要
信濃府中を守る為に海津が必要で海津を守る為に善光寺平が必要
信濃を守る為に木曽が必要
上杉
直江津を守る為に春日山が必要で春日山を守る為に信濃飯山が必要

こうみれば上杉武田とも納まるところで納めてる
0413人間七七四年2008/01/19(土) 23:19:07ID:J5lL40oy
>>411
てこずるというか、今川には美濃攻めを無理に急ぐ理由がないんじゃないか?
海道沿いに領国を持つ今川だから、どっちかというと伊勢の方が魅力的じゃないかと思う。
美濃は武田が落ち着くのを待って、挟み撃ちにするのがよいのでは?
0414人間七七四年2008/01/19(土) 23:35:58ID:CUNTpbud
美濃を後回しで伊勢?
まぁ国持ち斉藤より諸氏に分かれてる伊勢は組みやすそうではあるし
織田斉藤のように因縁がある訳でもないからな
ただ史実の織田のように同時進行で行くような気がする・・・
うーん判断つかないな
0415人間七七四年2008/01/20(日) 00:04:31ID:NMbo9Ebs
長島の服部党はすでに親今川。
当時の交通ルートからしても、主戦面美濃、伊勢を片手間にってとこだろう。
0416人間七七四年2008/01/20(日) 01:31:03ID:rKmGF2eg
海運を押さえるなら先に伊勢に目が行くかも?
0417人間七七四年2008/01/20(日) 04:41:00ID:keS11x9J
>>410
尾張を取った今川に斉藤が太刀打ち出来るものなのか?
力押しで美濃も伊勢も簡単に平定できそうなんだが。
0418人間七七四年2008/01/20(日) 13:45:53ID:Qc80ljo4
美濃も伊勢も調略で落ちたってのに、国力が増えたら簡単に落ちるって発想は貧相すぎるだろ
0419人間七七四年2008/01/20(日) 18:36:25ID:SLQMFJ1D
藤吉郎はどこに行くだろうね
0420人間七七四年2008/01/20(日) 19:37:46ID:Ph5GY4v9
>>418
信長が美濃、北伊勢を調略を主体として落としたのは両国が攻めるに難しく守るに易い地形だからではないだろ。
尾張と同等の力を保持する美濃を力で攻めるわけにもいかず、調略を使うのが安全であってベターな選択。
同等勢力の美濃を相手にしながら同時に北伊勢にも触手を伸ばす(美濃を攻略するには地学的にも北伊勢は必須)
のに、これまた力攻めで行くわけにも行かないだろ。

今川が尾張を完全に手中に治めたら勢力は120万石強の大勢力となり、信長が美濃・北伊勢を攻略した時の倍の勢力。
そして背後は三国同盟が続く限りは当面安全だから美濃・北伊勢に全精力を注ぐことが可能。
織田氏による武田家征伐の時のように雪崩をうつように一気に攻略することは無理だろうが、
比較的短期間で攻略できるでしょ。

あと力押しという言葉を勘違いしてるようだが、力押し=調略無しで戦オンリーではないだろ。
どんなに大勢力になっても他国侵略の際は戦と同時進行で調略は行われているよ。
今川の場合も力押しといっても戦と調略をバランスよく使い分けするのは誰かがレスするまでも無く当然の前提条件なのに、
それを分からないで、>>418のようなレスするお前のような奴が一番発想が貧弱すぎるね。
0421人間七七四年2008/01/20(日) 19:54:06ID:du3LAazh
>>420
 美濃と尾張、北伊勢で100万石以上は行くような気がするけど。
0422人間七七四年2008/01/20(日) 20:02:53ID:Ph5GY4v9
>>421
>美濃と尾張、北伊勢で100万石以上は行くような気がするけど。
何が?誰が?
0423人間七七四年2008/01/20(日) 20:55:50ID:du3LAazh
>>今川が尾張を完全に手中に治めたら勢力は120万石強の大勢力となり、信長が美濃・北伊勢を攻略した時の倍の勢力。

 計算式が間違ってないかと。
 美濃、北伊勢と三河から駿河なら石高は変わらないなと思って。少なくとも倍にはならんのでは?
0424人間七七四年2008/01/20(日) 21:04:05ID:ClRDpjjM
>>423
尾張〜駿河ゲトした今川>>約2倍の差>>他国侵略に着手し出した時の信長
って言いたいんじゃないの?
0425人間七七四年2008/01/20(日) 21:05:32ID:plsbmS09
>>413
そうそう、尾張制圧後のスピードは義元の意志次第という感じ。
天下を目指すかどうか。目指せば頑張るだろうが、どうだろうな。
義元の上洛に対する意識ってどんなもんなんだろう?
0426人間七七四年2008/01/20(日) 21:08:51ID:Ph5GY4v9
>>423
ああそういう意味ね。
>>424のレスの通りの事を書いたつもりだったんだけど、
勘違いされても仕方が文章だったね、スマンかった。
0427人間七七四年2008/01/20(日) 21:10:15ID:djAkGJ+3
その前に尾張を全土服従させるのにどのくらいかかるか?
尾張を固めて美濃に手を出せるまでどのくらい掛かるか?
あたりからじゃないか?、

三河のように十数年かかることは無いだろうけど
1560年に完全平定で翌年に美濃攻めはさすがに無いだろう?
尾張攻めだって数年かけて準備してるわけだし
0428人間七七四年2008/01/20(日) 21:17:54ID:plsbmS09
1560年ねえ。当時の合戦て
籠城で時間稼ぎ→決め手にかいて撤退、が多くねえ?
特に大軍を動員したときは戦費も半端ないし。

もう2,3回は攻める必要があるんじゃないかと思われる。
うまくいって清洲城占領が1563年、
その後尾張に誰か嫁がせるなりして、完全統治まで1,2年。
1565年くらいじゃね?

なんだかんだで尾張も大国。
そう簡単に飲み込めるものではないと思う。
0429人間七七四年2008/01/20(日) 21:52:18ID:/TqCA4S0
>>428
桶狭間直前の尾張ならそんなに時間がかからんと思うよ。
だから義元も自ら尾張に乗り込んだんだろ。
0430人間七七四年2008/01/20(日) 21:58:57ID:plsbmS09
自ら乗り込んでも撤退した人とかなんぼでもいるでしょう
0431人間七七四年2008/01/20(日) 22:09:19ID:/TqCA4S0
>>430
桶狭間直前の尾張を知ってる?
0432人間七七四年2008/01/21(月) 00:40:11ID:wR8lpZHl
あんた見てきたんかいな
0433人間七七四年2008/01/21(月) 14:29:36ID:+ZY+UmUz
上杉謙信か武田信玄。
ふたりの死後は、上杉景勝か武田勝頼。
0434人間七七四年2008/01/21(月) 16:22:21ID:HJZ6a2SQ
それだけはないと言い切れる
0435人間七七四年2008/01/21(月) 17:38:54ID:AVTnIsGF
東海近畿の覇者天下人今川、中部北陸を制覇した武田、関東をほぼ押さえ奥州を睨む北条
三国同盟は同盟が締結され二十年余を経て、婚姻も繰り返され
さらに親密になり共同体といっても過言では無い連合政権となっていた

このまま三者で天下を統一するかと思えた三国同盟も綻びが生じ
今川氏と親今川の武田義信はより緊密な関係になり、
逆に関東奥州にしか興味が無い北条とは疎遠になっていった
西を今川、東を北条に押さえられた義信は今川を誘いついに北条征伐の軍を挙げた
猛将勝頼に率いられ、今川の経済力に裏打ちされた連合軍は諸城を撃破し
後継者争いの傷が癒えず三国同盟に臣従していた上杉を加えた包囲網は
瞬く間に小田原城にまで迫った、そして一年余りの篭城戦の末降伏開城

しかしこの戦いにおいての武田家の武勲は大きすぎた
影響力の増した義信は氏真を隠居させ、
奥州征伐九州征伐を経て武田幕府を開くに至る

そして義信の死後、勝頼と義信の遺児を担ぐ旧今川軍司令官松平家康との間に
天下分け目の関ヶ原が起き、その勝者である家康が後に幕府を開くことになる
250年余太平の江戸幕府の誕生である
0436人間七七四年2008/01/21(月) 17:39:51ID:AVTnIsGF
うはwww俺キモイwww
もう寝ます、すみませんでした
0437人間七七四年2008/01/21(月) 17:59:05ID:u9l1QVsG
信長不在なら、時代は新たな寵児を生むと思われます。
でもその子がどこの国で生まれ育つかがポイントだね。
東海近畿じゃないと無理だよな〜。

今川家も武田家も畿内掌握出来たのだろうかか?また今川家や武田家に光秀
や秀吉の様に臨機応変に対応出来、故事典礼にも通じ、朝廷との折衝をこなす
武将が現れた出あろうか、信長が天下に覇を唱える事が出来たのは、決して
彼自身の能力だけではなく、適材適所で実務をこなす家臣団あってこそだよね。

0438人間七七四年2008/01/21(月) 20:01:09ID:KcO5I1tr
居てもいなくても家康だろ。
信長だったら、島津や伊達も容赦なく力攻めして
それで疲弊したところを狙われそうだ。
強敵は敵に回すのではなく味方にする。
こういう機転が利かないと戦国乱世は生き残れないだろう。
0439人間七七四年2008/01/21(月) 20:10:30ID:CPAAmJWs
信長程降将に優しく出世の機会も与える大名って秀吉以外思いつかないのだが
0440人間七七四年2008/01/21(月) 20:12:57ID:9uKJl8g1
家康とか下っ端だし無理だろ。
まぁ今川の後謀反起こすくらいの可能性はあるかもしれんが。
まぁとりあえず今川だろ。信長の上位互換だし。
東の安全、武田は上杉にかかりきり、強大な兵力、出自名声。
普通に機内以西制圧して天下統一。
息子がアホだから死後は武田か北条か(出世してれば)家康かが簒奪するかもしれんが。
0441人間七七四年2008/01/21(月) 20:31:28ID:VWhRnsvf
朝倉氏は、立地条件的には悪くないと思うんだがな。
義景の息子は、人物評ができるほど成長しなかったんだっけ?
0442人間七七四年2008/01/21(月) 20:42:43ID:zv+ofAiN
>>438
伊達輝宗は信長に贈り物して誼を通じていたから、
従順に軍門に下れば容赦なく攻められることは無いでしょ。
九州も大友が信長と誼を通じていたことだし、反島津の立場から信長方につく大名・豪族らはかなりの数になりそうだから、
疲弊なんてしないんじゃね?
だいたい物量戦になって先に織田が疲弊してしまう相手なんて当時どこにも存在していないだろ。

それに信長が強敵を敵に回す傾向があったかは別として、強敵を味方にする=ベストの選択でもないでしょ。
いい例が豊臣政権が徳川を味方にして崩壊したことだね。
強敵はその力を保持させたまま下手に味方にしても後々火種になりかねない。
叩ける時に叩いて弱らせてその上で手を結ぶor滅する事も選択の余地十分ありだろ。
0443人間七七四年2008/01/21(月) 22:07:39ID:AVTnIsGF
>>437
>臨機応変に対応出来、故事典礼にも通じ、朝廷との折衝をこなす武将

まるっきり太原雪斎じゃん
0444人間七七四年2008/01/21(月) 23:14:48ID:Z8l0f9tu
太原雪斎は年取り過ぎでないの?
0445人間七七四年2008/01/22(火) 00:01:32ID:9deQvPjO
太原雪斎は、
織田信長がいなくても史実どおりの時期に死ぬから、このスレの考察の対象外だ
0446人間七七四年2008/01/22(火) 00:11:12ID:VRagEKvX
太原雪斎という先例があるという事
0447人間七七四年2008/01/22(火) 00:47:23ID:9deQvPjO
義輝暗殺から、義昭越前逃亡。
その義昭を、今川が担いで上洛するのなら、
仲介役として、明智、細川、和田らが漏れなく付いてくるだろう。
彼らを自家籠中のものにするかどうかは義元の器しだいだ。

あと、寿桂尼の実家と普通に交流できてるんだから、
それ用の家臣に不足はなかったものと推察する。
0448人間七七四年2008/01/22(火) 00:49:35ID:juB8jQmT
島津も一応信長と誼を通じている
長篠の前後に家久が光秀に歓待されたりとかしてたはず
0449人間七七四年2008/01/22(火) 00:54:27ID:LMcThkLM
太原雪斎がいなくても、義元にはその弟子で
故事典礼に通じ、和歌や連歌にも明るく、おまけに武芸にも
優れた朝廷工作にはうってつけの名将がいるじゃないか。
自分の倅が。
0450人間七七四年2008/01/22(火) 02:40:04ID:2dtF4/J1
>>449
う…うむ…
0451人間七七四年2008/01/22(火) 11:22:57ID:ULwv+Nds
>>449
氏真?どうしても現実性がなく思えるのは俺だけだろうか?
0452人間七七四年2008/01/22(火) 12:03:32ID:VRagEKvX
戦国きっての名門今川家だぜ?朝廷公家との接点なんて数え上げればきりが無い
甲斐源氏武田氏とて今川には劣るが似たようなもの
何で成り上がり者や田舎者と同じレベルで比べられるのかわからん
0453人間七七四年2008/01/22(火) 17:28:01ID:JpYQqxL9
今川か毛利じゃないかなと思うんだが。
0454人間七七四年2008/01/22(火) 18:16:00ID:rhHOTwRv
足利義輝によって室町幕府が再興されてそのまま
黒船による開国まで存続していだろうな
0455人間七七四年2008/01/22(火) 18:54:22ID:NAHnQkNE
義輝ヲタの俺はそれでいいや
0456人間七七四年2008/01/23(水) 09:29:00ID:gh+a8glL
>>455
義輝が盛り返したら義昭はずっと坊さんのままかいな?
あの性格だし、そのうちどっかと釣るんで義輝打倒に動き出しそうな気もする。
そんで、12代13代の確執と同じような争いが起こって幕府あぼんじゃね?
0457サイコメトリー2008/01/23(水) 10:23:43ID:54cFz2CZ
>>452
名門って事で、天下統一を目指す輩より、田舎者の成上がりの野心家が天下
を目指す世が群雄割拠の戦国時代でしょ。

でも当時の可能性として今川家が最有力なのは間違いないと思われます。氏真
は別として、今川義元が同盟関係をうまく保ちつつ、家臣団を充実させる事が
出来れば、信長になれたのかなぁ。
04584562008/01/23(水) 10:55:24ID:gh+a8glL
すまん、12代13代じゃなくて13代14代だった。

氏真は内政家としては有能だと思うが、肥大化した今川家を切り盛りしていく
度量はないだろうなぁ。
重臣だよりの政権は早期崩壊ってのが定番だし。
義元が自然死か謀反死したあと、誰がその基盤を引き継ぐかにかかっている
04594522008/01/23(水) 11:25:25ID:6ktHyTag
>>457
故事典礼云々の話な
0460人間七七四年2008/01/23(水) 12:37:34ID:DGMm9dxx
今川はないだろうな。
尾張を攻略できなかった者が、美濃を攻略できないだろう。
信長がいなくても家康か道三に殺されてるさ。
0461人間七七四年2008/01/23(水) 13:10:16ID:0GEiam1z
>>460
信長がいなく桶狭間が起きなかったら1560年時点で尾張の大半を制圧できたのだが?
伊勢にも親今川勢力があるし、尾張制圧して東海道経済圏を完全に支配下におさめたら実力が史実の倍になるから、美濃は瞬殺だろ。
0462人間七七四年2008/01/23(水) 13:36:44ID:DGMm9dxx
>>461
兵力なんかあてにならんだろ。
実際兵力関係なくやられてるしな。

しかも信長が居なくても、尾張は取れないなんていってないんだがな。
0463人間七七四年2008/01/23(水) 13:38:29ID:59y7gcNc
尾張を落とした大名なんていないんだから、今川を否定する要因にはならないよ。
0464人間七七四年2008/01/23(水) 13:49:44ID:DGMm9dxx
>>463
否定しないなら、誰もが可能性あるでスレ終わりなわけだが…
0465人間七七四年2008/01/23(水) 14:06:52ID:59y7gcNc
>>464
誰でも可能性はあるに決まってる。秀吉が現実に天下穫ってる世の中だぞ。
その中で有力なのが今川ってんだろ。
0466人間七七四年2008/01/23(水) 14:09:50ID:JjN88HTa
いずれにせよ、松平だね。
今川なんて屁だ
0467人間七七四年2008/01/23(水) 14:11:53ID:zyDdaqJ/
秀吉の天下取りは別に奇跡でも何でもないぞ。
天下統一目前の織田家の実力No1が天下取っただけだから。

秀吉と歴史に名を残さなかった有力人物なんて架空の人物を比較してるのがもう馬鹿。
そんな奴は考慮する必要ない。
0468人間七七四年2008/01/23(水) 14:15:12ID:59y7gcNc
今川が屁なら、その下の松平はどんなすかしっ屁だよw

それなら他に有力な大名いっぱいいるだろ。
家康は信長あってこそ。
逆にいえば機内の大名なんかは信長いなけりゃチャンスは増えるだろうな。
0469人間七七四年2008/01/23(水) 14:24:35ID:DGMm9dxx
兵をのばして行軍したあげく、奇襲も予想できなかった奴が有力とかないわ。
04704562008/01/23(水) 14:25:07ID:gh+a8glL
個人的には、浅井朝倉を抱き込めれば今川の天下はあると思う。
朝倉は好意的中立くらいでもいい。
0471人間七七四年2008/01/23(水) 14:26:45ID:59y7gcNc
>>467
なんで架空の人物を想定してんの?
武田でも三好でも毛利でも明智でもいいだろ。
だいたい信長なくしてどうやって秀吉は台頭するの?
あるいは姉川やそこらまで信長がいたとしても、まだまだ無理。
0472人間七七四年2008/01/23(水) 14:29:13ID:59y7gcNc
>>469
腹心の裏切りすら予想できない奴や武田にチンカスにやられてる奴が天下握ってるのに?
0473人間七七四年2008/01/23(水) 14:33:47ID:JjN88HTa
大体、このスレがおかしい。
「織田信長がいなかったら」ってどういうこと?
生まれていなかったということか

いい加減にしろやボケケ
0474人間七七四年2008/01/23(水) 14:35:24ID:veAHqnLo
三好長慶か長曽我部元親
0475人間七七四年2008/01/23(水) 14:36:02ID:JjN88HTa
いや、毛利か武田だ
0476人間七七四年2008/01/23(水) 14:39:55ID:JjN88HTa
あるいは天皇か
0477人間七七四年2008/01/23(水) 14:42:37ID:JjN88HTa
松下幸之助だな
0478人間七七四年2008/01/23(水) 14:45:29ID:DGMm9dxx
>>472
人の裏切りを簡単に予想できると思ってるの?馬鹿なの?
奇襲を想定した陣も敷けない、行軍で軍をのばす。
たいした弓取りだな^^
04794562008/01/23(水) 14:47:30ID:gh+a8glL
いまの高速道路網じゃないんだから,行軍で陣が伸びるのは当たり前だろ。
当時の街道がどれだけの物か分かって言ってるの?
行軍中の油断も、本能寺の油断も同質の失敗だろ。
信長は本能寺でやられたから南蛮かぶれのアホウって言い切れるならその
意見でもいいけどさ。
0480人間七七四年2008/01/23(水) 14:54:24ID:0GEiam1z
>>478
行軍と陣を敷くのと全然別だよ。
それに、敵が襲って来たからっていきなり隊列変換して対応できないよ。
あらかじめ敵を迎え撃つ十分をしてる信玄だって不利な陣形を敷いたまま上杉を迎え撃つハメになったし。
クリックすれば方向変換して対応できるのはゲームだけだから。
0481人間七七四年2008/01/23(水) 15:01:03ID:DGMm9dxx
>>479
ちょっと言葉が少なかったか。大軍を用いての行軍の話しな。
本能寺と桶狭間が同質?へぇ〜w
0482人間七七四年2008/01/23(水) 15:03:46ID:+PhSMZyk
>>473
>>2
04834562008/01/23(水) 15:04:34ID:gh+a8glL
>>481
大軍だからって、方形陣組んだまま行軍できるインフラなんて当時の日本にはないよ。
二列縦隊でえっちらおっちら峠越えるしかないんだよ。
だから信長も、首脳部だけ小人数で移動して軍隊は現地集合にしてただろ。

襲われるはずのないところで襲われて死んだと言う点ではまったく一緒。
合戦の玄人ほど、常識はずれの事態には弱い。
0484人間七七四年2008/01/23(水) 15:10:24ID:DGMm9dxx
>>478
そうだよ、ゲームとは違う。敵が来たからってコロコロ陣は変えれない。
だから夜営するのに、奇襲を想定した陣を敷く。
0485人間七七四年2008/01/23(水) 15:26:56ID:DGMm9dxx
>>483
だから大軍率いて行軍すれば、軍がのびるのは分かってたんだろ?
その手段を選んだ時点でOutなんだってw

信長は奇襲だぞ?全く関係ないわけだが。
04864562008/01/23(水) 15:30:54ID:gh+a8glL
>>485
はぁ。では、行軍中襲われたらたいへんだから,行軍するな!てか。
さすが名軍師の言う事は違うわ。
0487人間七七四年2008/01/23(水) 15:34:10ID:59y7gcNc
だからろくな警備もしてない本能寺でにっちもさっちもいかなくなった信長でも天下取った訳です。
0488人間七七四年2008/01/23(水) 15:37:57ID:59y7gcNc
>>485
交通事故のニュース見て勝ち誇ってる引きこもりじゃないんだから…
0489人間七七四年2008/01/23(水) 15:47:54ID:0GEiam1z
>>485
えーと、大軍率いたら行軍するなってこと?
どうやって軍を移動させるの?ヘリボーン?瞬間移動?
0490人間七七四年2008/01/23(水) 15:51:22ID:zyDdaqJ/
詳細もいまいち不明な桶狭間なんかでくだらん喧嘩するなw
奇襲説をとるなら、織田が壊滅する可能性も50%はあったろ。
0491サイコメトリー2008/01/23(水) 17:48:48ID:54cFz2CZ

信長不在が大前提スレだから、桶狭間どうこうは止めましょ。
やっぱり信長不在との前提な以上、光秀・秀吉が台頭する可能性は低いと思われます。

今川を推してましたが、可能性として一番高いのは松永久秀+三好三兄弟が畿内掌握し、
傀儡足利将軍をうまく操る事が出来れば・・。可能性は高いと思うがどうだろう?
0492人間七七四年2008/01/23(水) 17:56:33ID:0GEiam1z
義昭がどっかに頼って上洛して松永+三好三人衆を蹴散らすから無理だろ。
当時西国最有力の毛利は上洛する意思なしで他も無理そうだし、朝倉も無気力だから史実通り東国勢が上洛することになるだろ。
0493人間七七四年2008/01/23(水) 17:59:51ID:gh+a8glL
>>491
三好はなぁ…大規模な合戦を指揮出来る武将が少ないのがつらいんでね?
もともと畿内の勢力だから、よその地域に軍事的に侵攻する必然性も弱いし。
0494サイコメトリー2008/01/23(水) 18:08:19ID:54cFz2CZ
>>493
仰る通りだと自分も思う。それでも、>>492が言う様に畿内近辺で勢力拡大
出来る武将連は居ないと思う。東国勢が上洛支配する可能性より、実戦経験は
少ないが、彼らの方が可能性が高いと思われますが・・。(可能性だよ。)
0495人間七七四年2008/01/23(水) 18:30:13ID:9lxGypRJ
>>492
何をもって、毛利には、上洛する意志がないと言い切れるのか?
0496人間七七四年2008/01/23(水) 18:32:00ID:gh+a8glL
>>494
たしかに、三好氏は拡大の動機付けさえあれば毛利氏と同等以上の人材・経済
ポテンシャルを秘めていると思う。長慶・実休・冬康・一存がもうちょっと長生きな
らなぁ。彼らにそれぞれあと10年の寿命があれば…とは思うよ。
0497人間七七四年2008/01/23(水) 19:22:08ID:6ktHyTag
>>491
強力なリーダー不在の三好はちょっとな
篠原とか家臣の人材は居るのと、中央掌握してるのは有利だが
信長には関係なく三好兄弟と長慶長男は死ぬし
三人衆や義継や久秀の内輪揉めも不可避だし
義輝謀殺、義栄病死、義昭逃亡も信長が居ないのとは関係なく起こるだろうし
義昭擁立軍が攻め上ってこなくても先は暗い
0498人間七七四年2008/01/23(水) 19:59:42ID:0GEiam1z
>>495
元就遺言説とその後毛利家の行動を見ると、どう見ても天下取る気なし。
0499人間七七四年2008/01/23(水) 20:22:11ID:Z8orjBoA
とりあえず織田家有力家臣団はどうなっていたかを考えてみてはどうだろう
0500人間七七四年2008/01/23(水) 21:58:23ID:Ge8lYr1T
毛利の天下取りが不可なのは意思ではなく能力だろ。
0501人間七七四年2008/01/23(水) 23:52:21ID:zyDdaqJ/
てか毛利全然不可能じゃない。元就死後も勢力は拡大してるし。
太閤さんからも天下の仕置きができると太鼓判を押された、小早川隆景の存在も忘れちゃいけない。
0502人間七七四年2008/01/24(木) 00:00:49ID:E4nKzI2G
史実では織田家の後継者争いや権力闘争中も
動かなかったから天下は諦めた臭いし
意志というか方針で天下を狙わなかったのは確かにあるな
実力云々は置いといて、

もちろん状況によっては天下を狙うのは有り得るだろ
史実での関ヶ原の件もある事だし
0503人間七七四年2008/01/24(木) 00:17:36ID:njbbxd7X
毛利自体が第一の勢力になってる可能性もあるしなあ
そうなったら流れで周りを飲み込んでって実質天下取ってるって状況もありうるし
0504人間七七四年2008/01/24(木) 00:56:49ID:PeWcwmtN
最盛期の毛利自体は当時の最大勢力だったし、
信長包囲網が敷かれて義昭からも要請が来たのに蹴った。
上月城攻撃のあとも10万の大軍で播磨を席捲できたのにもかかわらず引き揚げた。
本能寺のあとも同じ。
最後の最後で色気を出して西軍に担ぎ出されたが肝心な時に日和って失敗。
タイミングの悪さと要領の悪さにかけて日本一。
0505人間七七四年2008/01/24(木) 01:44:50ID:JngqsvwY
最大勢力だったし、チャンスも少なくとも2度はあった。
だけど、史実で毛利が天下とることはなかった。
なぜならば、当主が輝元だったからだ。
当主が輝元である限り、毛利が天下取ることはない。
0506人間七七四年2008/01/24(木) 01:51:15ID:NzhFvN90
チャンスが2度??? もしかして本能寺と関ヶ原か?
どっちも99%無理だと思うが。
0507人間七七四年2008/01/24(木) 02:15:05ID:QkwZ16kZ
>信長包囲網が敷かれて義昭からも要請が来たのに蹴った。
当時の毛利は北九州で大友と争って周防で一揆
山陰で尼子再興軍、山陽では三好の支援を受けた浦上宇喜多との抗争
村上の離反で、義昭の要請受けれるような状況じゃないし

>上月城攻撃のあとも10万の大軍で播磨を席捲できたのにもかかわらず引き揚げた。
宇喜多南条山名の動向が怪しかったし、尼子残党を討つのが目的の出兵を
準備も無しにいきなり織田との全面戦争とするわけにはいかないと思う

>本能寺のあとも同じ。
本能寺の時点じゃ毛利は疲弊していて村上氏が離反したりしていて
まずは自分達の体勢を整えるほうが先決だろうし、宇喜多は備前に残っていたし
賤ヶ岳の戦いや小牧長久手ではどっちが勝つかわからない上に、
宇喜多南条など毛利への抑えはあったため勝敗がはっきりするまでは様子見という
選択肢も悪いものではないと思う
0508サイコメトリー2008/01/24(木) 10:00:41ID:mi3TDjNr
>>506
99%は言い過ぎでしょ。自分は毛利が天下を・・ってスレでも書き込んでいるけど、
本能寺直後に光秀ないし秀吉と手を組めれば可能性は高いと思うよ。詳しくは、
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156007947/l50#tag326 見てね。

0509人間七七四年2008/01/24(木) 19:07:21ID:vDiL1WDd
地政学的見地からは大阪周辺かもしくは関東か、いずれにせよ大きな平野部を抑えた者が有利なんだけどな
三好には松永という内憂あり北条には今川、武田、里見、佐竹など周囲が強豪諸大名という外患ありか
0510人間七七四年2008/01/24(木) 21:00:18ID:5ifBL/EY
>>507
他はもっともだとおもうが、本能寺の後は、
もしも天下を狙うような気持ちがあるなら、他の手段があったと思うけどね。
勝敗がはっきりしたら、勝った方とまともにやっても分が悪くなるだけ。
まあ、勝ち馬に乗るつもりならはっきりするまで待った方が良いし、
史実での行動はその通りだったわけだが。
0511人間七七四年2008/01/24(木) 21:09:16ID:qgQ09Y9k
関東は平野つーか湿原だから。伝統的権威もないし。
0512人間七七四年2008/01/24(木) 21:39:51ID:vDiL1WDd
あの時代に天下統一を成就するための条件を挙げてみて、そこから消去法で絞り込むというのは前にやったのかな?
0513人間七七四年2008/01/24(木) 21:47:49ID:ApzFcdtz
天下を獲る野心があった、もしくはそうなる可能性があったと言えるのは
三好
浅井
武田
上杉
ぐらい?
0514人間七七四年2008/01/24(木) 21:57:47ID:WG6BXbYj
浅井、上杉は無いと思う。浅井は立地有利だけど、単独では無理だよ。上杉は野心薄だし、自領周辺に強敵多い。
0515人間七七四年2008/01/24(木) 22:01:33ID:ApzFcdtz
浅井は六角に競り勝てれば、必然的に三好との戦いに引き込まれそう。
上杉謙信なら、いろんな人から助けてくれ〜とか官職譲るから代わりに戦ってくれ〜とか
言われてるうちに、天下獲っちゃったりしそうw
0516人間七七四年2008/01/24(木) 23:11:24ID:vDiL1WDd
今日の我々の視点から見て織豊が天下統一を成就した理由の一つとして
よく挙がるのが「適宜な本拠地移転」があるけどこれは絶対条件かな?
兵農分離云々説が生んだ誤解かな?
0517人間七七四年2008/01/24(木) 23:23:37ID:369YBTAh
信長の段階では兵農分離自体が誤解だし、
秀吉の段階でも士農の区別はハッキリさせたが
武士=サラリーマンにはなっていない。
江戸時代中期ぐらいまでは待たないと。

上級武士なら自ら農地管理までせずにやってけるが
下級武士だと難しい。
信長の馬廻でも、家族を尾張に残して農地を見させて
自分は安土で信長に奉公という連中が何十人もいて、
勤務中に安土の家に誰もいないもんだから火事を出してしまい、
信長は怒って彼らの尾張の家に火をかけたという。
しかし、根本的な解決(=安土の近くで代替の領地を与える等)
という話にはなっていない。
信長の頃は
領地=自分または家族で管理する土地
領地=徴税権を与えられている土地
という両タイプの武士が混在している。
身代の大きな武士なら代官を置いて遠隔地にいられるが
身代が小さいとそれも無理と。

蔵米侍などと呼ばれるサラリーマン武士もいたけど、
領地持ちに比べるとむしろ下っ端だな・・・
0518人間七七四年2008/01/25(金) 00:06:38ID:JYNz6pzi
個人的には三国同盟継続を前提とした中で、その盟主的な立場を築いた者が天下に近いとみてる
しかし義元、信玄、氏康の代では時間的に全国統一までは無理だとも思ってる
また家柄云々がまだ幅を利かせてる時代背景を鑑みると北条盟主の線はやや薄いか
となると次代の氏真、義信、氏政の中では氏真か義信かな
と、ここまで絞り込んでみたが史実として彼らの実績が薄いから説得力に欠けるなぁ
誰か意見の近い人が氏真or義信案を補足してくれんかな?w
0519人間七七四年2008/01/25(金) 00:35:38ID:yV8ob2N0
このスレの大前提である信長未登場を踏まえれば
経済的要求により統一政権が求められるのではないかと思う
応仁の乱から始まる国内内戦だけで100年戦い続ければ国力の損耗もある
また外からは異文化(南蛮)の流入もある
となると否が応でも地理的、領国内物産条件から流通経済をわかっていたであろう三好と毛利が
商人衆の支持を得るのではないだろうか
筑前博多を、つまり博多〜塩飽にいたる海上を島津北上前までに毛利が押さえ、三好は畿内掌握
この両者の勝者が当時の日本経済の圧倒的覇者(米(石高)に頼らない常時動員が可能、鉄砲と
焔硝ルートを押さえ、鉄と銀の支配者)
0520人間七七四年2008/01/25(金) 00:47:26ID:1FNzHgb4
三好or毛利での統一の形態としてはやっぱり足利将軍を傀儡として担ぐのかな?
室町的体質を誰かがどこかで破壊しないと戦国時代は無限ループしそうだね
0521人間七七四年2008/01/25(金) 01:54:43ID:dmRZtrOm
>>519
日本は乱世になると国力が増すという不思議な国だからw
さすがに余りに乱世が続くとまずいだろうけど
疲弊経済的理由でどうのこうのは17世紀後半までは大丈夫そう
ただ人心は戦に飽いて来てたらしいが
0522人間七七四年2008/01/25(金) 02:18:17ID:Q1XySSbE
三好が義栄を担いだのはやむなしで三人衆は本当は自分達のみで政権を建てたかったかも。
実際長慶が義輝追放して次の将軍担がないで5年間政権治めてたから三人衆はそのうち義栄を追放して自分だけで幕政を牛耳るかも
0523人間七七四年2008/01/25(金) 09:22:22ID:fzZbQ4YT
>>520
足利将軍を頭に立てた三好毛利同盟というのはありえないかな。
播磨あたりを境界線にして、西は毛利東は三好で妥協する。
これなら毛利は北九州に集中できるし三好も畿内と、東からやってくる東国勢力への
対処に集中できる。
ただネックは超曽我部だな…四国の本国が攻められたら共同線戦はれるのか、それ
ともそれがきっかけで崩壊するかが微妙。長宗我部としたら、この同盟にはいったら四
国制覇もなにもなくなるからなぁ。
0524人間七七四年2008/01/25(金) 09:36:47ID:nq2L++6X
>>523
つーか長宗我部が出てこないでしょ
0525サイコメトリー2008/01/25(金) 09:56:50ID:3ZICTnfb
>>519
同意します。
今まではなぜか、一大名にこだわっていた様です。毛利スレで自分もスレって
たのに、このスレでは出て来なかった・・。畿内掌握者と毛利家、一番可能性
が有りますね。
0526人間七七四年2008/01/25(金) 10:38:57ID:p8EXGosJ
突き詰めていくとどれも似たり寄ったりで全国統一できそうな気がしないな
0527人間七七四年2008/01/25(金) 12:18:32ID:fGWv4/SJ
弾正忠さま、
歴史のIfを考えるアホどもに天罰を>>1-1000
0528人間七七四年2008/01/25(金) 19:06:01ID:kZczOzFL
武田が史実織田と結んだように、斎藤と結ぶことはないかな?
1566年の時点で今川は尾張と伊勢の半ばを押さえているとして、北条が武田に史実よりも譲歩して上野の大部分を領有することを認めるのでわ?
北条と本庄を調略したうえで海津から高坂山県の8000で春日山に謙信を張り付け、信玄本隊15000が沼田から北上。一向宗の支援も期待できるし、冬の間境頭舗を維持できれば信玄が生きてるうちに越後をとれるんじゃないかな?
携帯からで読みづらかったらごめん
0529人間七七四年2008/01/25(金) 19:45:06ID:WYCGNP1j
>>528
なぜ北条が上野方面で史実よりも武田に譲歩するのだ?
まずは何故譲歩すると思ったのかその根拠を提示してくれ。
0530人間七七四年2008/01/25(金) 23:40:18ID:dmRZtrOm
文を読めば、其処まで考えてないくらい判りそうなものだが
0531人間七七四年2008/01/26(土) 11:15:55ID:hXSTL1cF
>>528
逆に、北条が上野の親上杉勢力を攻めれば、謙信は関東管領の職責上、援軍を出さなければならず。
その留守を武田に越後出兵してもらった方がいいんじゃない。
三国同盟が堅持されていたら、上杉は小田原包囲なんて、まず不可能だからな…。
0532人間七七四年2008/01/26(土) 12:16:30ID:jGEo6TGM
史実で上杉が小田原を包囲した時には、
まだ三国同盟は堅持されていたわけだが。
0533人間七七四年2008/01/26(土) 13:08:05ID:ZI56/e7i
>>531
それは史実でも近い事はやってる
越後を撹乱して関東出兵を妨害して北条を援護するのが目的だったから
謙信が関東から戻ってきたらすぐに兵を引いたけど

あと三国同盟が機能してても信玄生存中に武田が越後に
領土的野心を持って本格的な侵攻をすることは多分無い
0534人間七七四年2008/01/26(土) 13:59:41ID:jGEo6TGM
そんな事はないと思うがなあ。善光寺平を制したならば、その延長線上に、
千曲川水系を通じてつながる直江津等日本海側の経済圏の獲得を目指すのはむしろ当然の流れ。
おそらく謙信という強敵がいなかったなら、普通にそのように進んだはず。

史実では今川の弱体化があったから南下策に転じたが、義元が死ななければその手は取れない。
そうすると越後以外の進行方向としては東美濃しかないが、
上手く今川と共同作戦を取ることが出来たとしても、
武田が美濃の中心部を得るのは難しいだろうし、
そのまま上杉との対立路線を継続するのが順当だと思うが。
0535サイコメトリー2008/01/26(土) 14:11:44ID:oRmvcZbA
>>534 となれば東国大名が天下を目指すのは、やはり厳しいのでは?
0536人間七七四年2008/01/26(土) 14:31:13ID:jGEo6TGM
個人的には、東国大名というか少なくとも武田家が天下を望むのは難しいと思いますよ。
もし上杉との対立を続けてもそう簡単に越後まで取れるとは思えないし、
仮に方針を転換したとしても、今川の弱体化がないならば、武田家の急激な拡大は難しい。

万が一信玄存命中に越後まで制するか、決定的に有利な状況まで持っていけたなら、
次の代での情勢次第では或いはと思うが、義信がどこまでやれるか?
勝頼とあまり仲が良くなかったらしいが、諍いでも起こせば弱体化は避けられないだろうし。
0537人間七七四年2008/01/26(土) 14:50:11ID:ql8eqB3k
武田の進む道は飛騨→越中しかないでしょ。
05384522008/01/26(土) 15:08:12ID:ZI56/e7i
>>534
上段に関しては全くその通り、普通はそう考える

それを踏まえて史実の武田の動きを見てみると
武田上杉間の大規模な戦である川中島は全て防衛戦で
武田側の侵攻は大体謙信の留守中に小規模で焼き討ちメイン
信濃海津城を中心にした防衛線を引いたところで満足し信濃飯山城を攻めるのも消極的

で、上野と駿河の他にはどう考えても攻めにくい東美濃と飛騨越中に侵攻
もしくは後北条氏の小田原城囲んでみたり
そして最後には巨大勢力である徳川織田連合に立ち向かうわけだ

なぜ信濃等に比べたらはるかに肥沃な土地に繋がり
巨大な利益を出す湊を持つ越後に攻め入らなかったか
普通に誰でも考える越後侵攻をあえてしなかったのは
それなりの理由があったと考えるのが妥当ではないか?
0539人間七七四年2008/01/26(土) 15:08:50ID:ZI56/e7i
名前欄は何でもありません^^
0540人間七七四年2008/01/26(土) 15:53:57ID:HJG1Vk+U
越後を取るとなると、上杉と決戦しなくちゃ行けない
勝てるかも知れないけど、武田もただじゃすまない
ならば、楽に取れそうな今川にしようって流れだろ

義元が死んでなかったら今川は安泰だろうから
武田は上杉攻めするだろうな
0541人間七七四年2008/01/26(土) 18:26:00ID:jGEo6TGM
>>538
そりゃあ、4次川中島の頃は既に義元が死亡していて、今川がどうなるか流動的だったのだから、
南下へ策を転じる可能性も視野に入れていたでしょうから。
しかし、義元存命でその線がないなら、必然的に上杉との対立が最も妥当となる。
その場合なら、本気で越後侵入を試みていたと思いますよ。
もちろん、今川がどうなるか分からない程度で、その矛先を緩めたのは、
謙信との直接決戦のリスクをよく分かっていたからでしょうが、
今川が磐石だったなら、わざわざ今川と闘うよりはマシ。

あと、北条と戦うことになったのは、駿河侵攻の際の北条の対応を読み間違えたからでしょう。
自身より強大な織田に立ち向かうようなことをしたのは、それまでの信玄にない行動で、
その真意はちょっと分からないが。

>>537
史実でもそうだったのだから、当然そっちのルートからになる可能性もあるが、
どっちにしろ上杉との対立になることに変わりはない。
仮に越中まで先に進出したとしても、その後越後を巡って争うことになるのは必然だと思う。
0542人間七七四年2008/01/26(土) 18:31:27ID:wMWDAyG/
信玄は美濃・飛騨・越中へ

義元は尾張へ

氏康は常陸・下野・上野へ

それぞれ進出。

上杉は武田・北条にやられて逃走
0543人間七七四年2008/01/26(土) 18:38:11ID:jGEo6TGM
>>538
それから、川中島の戦いは武田の防衛戦とはいえないでしょう。
川中島の戦いが始まる段階では、武田家の勢力は川中島以北まで及んではいなかったし、
例えば2次川中島では、川中島周辺に武田が建設した旭山城の破却や、
一部の反武田側の国人領主の旧領復帰も認める形で和睦し、実質的に武田家の敗北その勢力も後退した。
3次が始まる前には、後に海津城を築く地点の直ぐ近くにも反武田側の城があったほど。

そこから、3次・4次・5次と戦い続ける過程で徐々に勢力を北に伸ばし、
最終的に飯山城等ごく一部の城を除き北信濃を武田領と確定したのは1568年のこと。
つまり、川中島の戦いは武田軍が守る戦いではなく、
むしろ武田が更なる拡大をする為の戦いだったといえる。
0544人間七七四年2008/01/26(土) 20:52:29ID:ZI56/e7i
>>541
>謙信との直接決戦のリスクをよく分かっていたから
そう、それを信玄が判っていたからこそ越後に対する
本格的な進攻は無いということ

1565年の家中分裂時は
信玄は飛騨越中攻めから駿河攻めに政策転換
義信派は飛騨越中本格進攻ということで割れてたらしい
この説を信じるならこの時点での武田家中では
越後攻めは現実的ではない判断されてたと推測できる
もしくは攻略中の上野も数に入れて
優先順位は4番目くらいの下位であったのではないか

三国同盟維持なら駿河攻めが無いということで当面は対上杉戦継続
それは飛騨越中上野攻略継続ということで
史実ではとりあえず押さえとけばよかった飛騨も完全に平定する必要もあるし
また更なる進入経路を確保するために東美濃攻略を前倒しするかもしれない
越中に関しては冬季の増援は期待できないし
武田家の事だから金森長近ルートに似た飛騨の街道整備もやるだろうし
上杉側の越中越後間も雪に閉ざされるのでほぼ同条件ではあるが
流石に攻略に時間は掛かるであろう

順調に越中七尾と上野を取れれば上杉はかなり弱体化しているので
越後進攻は起こるが信玄の寿命前にそこまでいけるとは思わないという事
0545人間七七四年2008/01/26(土) 20:57:44ID:ZI56/e7i
>>541
>北条の対応を読み間違えたから
確かに読み違いはあったがすぐに小田原に進攻して黙らせてる
こちらが強硬に出れば基本的に関東にしか興味の無い
北条は折れるという読みはありある程度は想定の範囲内であろう

>強大な織田に立ち向かう〜真意はちょっと分からないが
たしかに今までの信玄の行動からすると異質
信玄は慎重かつかなり先が読める人物だったのではないかな、
急速に膨張する織田家にいずれ武田は飲まれるという
将来のビジョンが見えてたから今までに無い行動を取ったと思える

また織田が明らかにピンチだったから
進攻したという意見をたまに見るが
武田の征西は大規模なだけにかなり前から計画しなければならないし
駿河攻めにも使わなかった西上野先方衆参戦や
北条と再同盟して援軍までださせてるなど
進入路の街道整備、東美濃の遠山工作及び進攻以外にも
かなり準備期間を要することをしている
たまたま時期がよかったからではなく、
当初から対織田家を構想しての行動だと推測する
もっともあのタイミングに合わせて来るのは流石信玄なのか
偶然なのかはわからないが
0546人間七七四年2008/01/26(土) 21:04:27ID:nJB8yJ3T
>>534
>武田が美濃の中心部を得るのは難しいだろうし、
難易度的には上州と越後の間くらいではないかと思えるが。
美濃は割りと調略有効に効きそうな国じゃないかな。
0547人間七七四年2008/01/26(土) 21:07:48ID:b1spC1FV
>>546
>>534が美濃の中心部を得るのは難しいとしたのは、
今川と共同作戦をしても中心部を得るのは今川だから武田はよくて東美濃どまりと言ってるんでしょ。
0548人間七七四年2008/01/26(土) 21:12:20ID:ZI56/e7i
>>543
川中島に関しては対上杉越後進攻の下地作りではなく
あくまで善光寺平の確保が主目的だろ
そこに上杉軍が進攻してきたから大規模な戦い成っただけ
目の前に敵性勢力の国人が居るのに上杉から援軍が来るかもしれないから
放って置くなんて、あの状況ではありえないだろ

そもそも上杉と敵対する気が無いとは言ってはいない
越後を抜ける可能性が少ないのに
国力を削ってまでの戦いを防衛以外でする気が無いという話
0549人間七七四年2008/01/26(土) 21:14:49ID:BYDVPz7W
武田が天下を取る可能性は低いと思うけど、もしあるとしたら、
今川が義昭を担いで上洛し、その後決裂し、今川包囲網が結成された時じゃないか?
義昭の仲介があれば上杉とも和睦できるだろうから、
北条を上杉に抑えてもらい、今川領に侵攻する。
うまく勝利することができれば天下の第一勢力になれるだろう。

このストーリーは我ながら妄想が強いとおもうが、
このくらい偶然が重ならないと武田の天下は無理だろ。
地道にやってたら、地方の強豪止まりだと思われる。

0550人間七七四年2008/01/26(土) 21:19:32ID:nJB8yJ3T
>>544
七尾が越中と言ってるように見えるが。能登でしょ。

飛騨や越中への侵攻は対上杉戦略の一環だと思う。
であれば、全域を完全に領国化する必要ないのでは。

また、そうでなくても、西上野攻略を一段落した時点での武田の軍事力なら、
越中攻略にそれほど苦労することはないのでは。
万一苦労するようであれば、越中に拘泥することなく越後攻めに取り掛かると思う。
あくまで越後攻略を楽にするための作戦であって、そっちに苦労するようでは本末転倒になってしまう。
0551人間七七四年2008/01/26(土) 21:25:42ID:nJB8yJ3T
>>547
了解。

今川が尾張を平定するのには数年かかるだろうから、
上野をやめて美濃に行けば、上手くいけば間に合うかも。
今川氏が伊勢攻略にかかずらって美濃を後回しにする可能性も若干あるし。
0552人間七七四年2008/01/26(土) 21:43:14ID:ZI56/e7i
>>549
正直武田の場合は三国同盟堅持しても
尻貧に成る未来しか思い浮かばない

越後は確実に抜けないし・・・
あれ?俺武田厨なのにな・・・涙で画面が曇るorz

>>550
駿河攻め以降の越中攻略は確実に上杉に対する嫌がらせ
駿河が取れれば越中を無理して取る必要はまったく無いし
対徳川織田が控えてるのにその余裕もない

その前は信濃上野の対上杉の押さえがあるから
信玄親征の本格進攻もしていないが
その大事な時期に攻めてくる勢力も無い飛騨に
腹心の山縣三枝とかなりの軍勢を裂いて派遣し
木曽の街道を整備し、飛騨に越中進攻用の本格的な城を作っていることから
それなりの領土的野心はあったと推測できる、金無いのにがんばったよ

あと残念ながら簡単に越中を取れるほどの力は武田には無い

七尾は能登のことです、七尾さえ取れば一向宗と友好関係の武田は
後顧の憂いは無いので七尾と書きました
紛らわしかったかもね
0553人間七七四年2008/01/26(土) 22:00:51ID:nJB8yJ3T
>>552
道を作ったことが「飛騨に対する」もしくは「越中に対する」領土的野心であって
越後を取るためではなかったとする根拠が見えないな。

それと、武田に簡単に越中を取る力がなかった、というか、言い換えると、
越中にそれだけの強力な抵抗力があったとみなす根拠は?
謙信に関東侵攻の片手間で攻略されてる程度なのに。
て言うかそもそも越中は基本的に親武田の色が強いんじゃないの?
0554人間七七四年2008/01/26(土) 23:25:42ID:ZI56/e7i
>>553
>越後を取るためではなかったとする根拠が見えないな。
越後を取る目的なら越中に進攻する必要は少ない、労力に見合わない
北条と共同して関東から行った方がまだ現実的
つか飯山落とせばいいだけの話だし
本国から遠く保有にかなりの労力を必要とする越中は
越後攻略だけを考えれば足かせに成ってしまう恐れもある
あと何故飯山攻略に本腰入れなかったかは他のレスに書いてある

>片手間で攻略され
関東侵攻の片手間では無く逆
後半の関東遠征は間隔が長くなり規模も小さくなる
代わって越中能登には連年進攻
後年には越中に比重が傾きすぎて御館の乱で関東に利権があるキタ条とかが
影虎担いで、謙信側近で固められた景勝側に反旗を翻すことになるくらい

>強力な抵抗力
上杉

>基本的に親武田
越中は親武田でもあるが親上杉でもある、つか両者を国人が利用していた感じ
2大勢力の神保と椎名は一方が武田に付けば一方は上杉に付く
これを何度も繰り返してるだけ
武田は山縣派遣して椎名屈服させたけど駿河や徳川織田に忙しくなると
また上杉に付くとか、
もうね、その時々でアレだから調べなおさないと詳しくは言えないが

>武田に簡単に越中を取る力がなかった
あと飛騨街道って塩入のときに使われたりそれなりの街道だったんだけど
史実で金森長近が整備したくらいはやらないと本格的には使えない
裏街道なんてさらさら越えの佐々で有名なように冬は人を拒絶してるし
駿河に攻め入れたのも上杉戦が一段落したからだけど
越中ならまた上杉とやり合わなければならない
飛騨ですら小勢力なのに取り切れなかった城あるし
後年地震で城と一族ごと消え去ったがね
本腰を入れれば取れると思うが、簡単には無理
0555人間七七四年2008/01/26(土) 23:49:24ID:nJB8yJ3T
関東も使うし越中も使う(勿論信濃も)ってことで説明つくんじゃないかな。
越中は直接統治下に置くわけじゃなくて現地の親武田勢力に肩入れして強化してやる感じで。
足枷には別にならない。親上杉が盛り返してもそのときはそれまでのこと。
また、上杉を抵抗力の勘定に入れるなら、それは上杉への戦いの一部として機能しているわけだから無益ではない。
そして対上杉が主眼なら飛騨越中を完全に制圧する必要はない。
取り切れなかったとか言うが、史実ではまだそんなに力を入れてなかっただけでしょ。
史実で駿河に傾けた努力を注いでも状況が変わらなかったら一体武田ってなんだってことになる。
「飛騨ですら」って、別に端から塗り潰していかなきゃいけないわけじゃない。
抵抗が軽微なら後回しにすることもある。
0556人間七七四年2008/01/27(日) 00:17:00ID:sXtvjBFq
>>548
というか、川中島地域を押さえる前に、義元死亡によって情勢が変わってしまったから、
その先に何を目指していたかははっきり言えない。
南下策に色気を出さなかったなら、そのまま越後侵攻に進んだかもしれないし。

もちろん、史実でも食指を伸ばした飛騨から越中への侵攻ルートを優先するかもしれないが、
いずれにしろ上杉との対決路線を続けるだろうということに変わりはない。
そしてどの方法をとったにしろ、上杉攻略も簡単にはいかないだろう。
このことに関する認識は一致しているようですが。
0557サイコメリー2008/01/27(日) 02:39:05ID:R8Q8QkVu

武田・上杉論に水を差して申し訳ないが、ここでまた>>519論入れときます。
だって、信玄・謙信ってお互いの戦に固執してるもん。
0558人間七七四年2008/01/27(日) 03:49:20ID:Y9fVjdzV
信玄、謙信の話をしたいのはわかるがどちらも天下は取れるうつわではない。
残念ながら天下を取れる勢力は畿内周辺。よくて毛利ぐらいまでだ。
0559人間七七四年2008/01/27(日) 03:52:03ID:BsCEq3o3
毛利は結局大友しを打ち破ることは出来なかった。
三好はいくら条件が良くてもまとまりがない
(三好家に天下を取るだけの器があったなら、信長などが台頭する頃には既に天下を取ってるはず
所詮その器ではなかった)。
どっちも問題外かと。
0560人間七七四年2008/01/27(日) 04:28:01ID:zBJWNx2C
北条と武田が、連携して、上杉攻めれば、上杉もヤバいんじゃない?
関東の上杉方も、救援の見込みが無かったら、北条に寝返るだろうし、それを食い止めようと、上杉が関東に援軍に行けば、留守を武田に狙われる。
こんなことが、五年も続けば、さすがの毘沙門天様も、滅びるんじゃないかな…?
0561人間七七四年2008/01/27(日) 05:22:05ID:Y9fVjdzV
三好が天下とれなかったのは兄弟がわずか3年の間に全員死んでしまったからだ。
器は十分にあった。
やはり天下に近いのは毛利、斉藤、今川、三好のどれかであろう
0562人間七七四年2008/01/27(日) 06:07:40ID:ofHUQzuS
義昭が将軍の座に就くために頼るのは誰になっていたんだろう
0563人間七七四年2008/01/27(日) 09:03:17ID:sXtvjBFq
>>559
毛利が北九州から手を引いたのは、尼子の残党とその背後の織田の存在があったからでしょう。
信長がいない場合なら、尼子の残党が決起しても、その処理がそれほど長引くことはない、
その後しっかり腰をすえて取り掛かれば、博多制圧も十分ありえると思うが。
もしそれに成功すれば、もはや毛利に対抗できる勢力は存在しない。
全国まで制覇できるかどうかは別にしても、毛利を中心とした政権が成立する可能性は十分あると思う。
0564人間七七四年2008/01/27(日) 09:54:18ID:BsCEq3o3
信長の関与なんてごく短期間だし、過大に評価すべきものじゃない。

そもそも毛利の目は東に向かっていた。
北九州を制圧するのがそこまで決定的なら、この戦略判断自体がおかしいことになるが…
毛利が北九州はとりあえず後回しにしたのは、それほどでもないってことじゃないの。
0565人間七七四年2008/01/27(日) 10:12:30ID:VJbWDVf3
>>555
越中に対する領土的野心は無く史実における越中攻めの後半と同じとするなら
そういう理屈にはなる

第四次以外の川中島のように防衛側なので謙信より兵数や補給線など有利な条件であるのに
対峙するだけで帰ってもらえるまでひたすら待ってる
第四次も敗走する上杉勢を大して追撃もしない、こちらの損害も大きかったのはあるが
大打撃を与えるチャンスなのに鈍い動きを見せる(第四次の詳細はわかってないらしいが)
本荘と協同して飯山城攻めた時も謙信動くの報を受ければさっさと退却する
本荘は揚北衆のなかで中条などを差し置いて謙信に最も優遇されていた武将であり
そんな人物を引き抜けたのに結果見殺しにしている

北条や徳川織田に対して果敢に攻め立てた信玄は上杉本隊に対しては一貫してヘタレ
所詮は不可侵条約でしかない三国同盟が史実より長く機能したからと言って
方針を変えて越後に攻め込むとは思わない

そんな武田をどうにか領土拡大させてあげようとすれば越中の領有ぐらいしかない
0566人間七七四年2008/01/27(日) 10:20:30ID:sXtvjBFq
>>564
極短期間って事はないでしょう。
1574年の尼子残党の動きの背後には、織田家の存在があったというし、
少なくとも1576年から1582年までは激しく織田と争っている。

それから、織田家と対立関係になる前に、
毛利の目が特に東へ向かっていたとは思えない。むしろ北九州攻略を主目的としていたのでは?
仮に東へ向かっていたとしても、三好家は混乱状態にあるし毛利にとって分は悪くはないだろうが。
0567人間七七四年2008/01/27(日) 10:25:25ID:VJbWDVf3
>>556
信玄はなにしでかすかわからんからね、北条や上杉みたいに行動が読みやすくない
スレの流れに沿って三国同盟堅持の方向で長文書きなぐってる俺だが
正直信玄が三国同盟堅持するとは思ってない

史実のように同盟したり破棄したり再同盟したり
同盟遵守してるように見せかけて大規模な侵攻軍組織したり
目標を達成したら協定無視して圧力かけたりってな感じだと思う

史実と同様地理的に強敵に四方を囲まれる武田が領土拡大しようと
すればそれしかないし、実際やってきてる

しかしこの考えは根拠を示せと言われても不可能なので提唱できないが
0568人間七七四年2008/01/27(日) 10:37:54ID:sXtvjBFq
>>565
だから、4次川中島の段階で既に義元は死亡していて、今川がどうなるかわかななかった。
また、本庄等と呼応した1568年の攻勢に至っては、義信の謀反事件の後、
つまり、実質的に既に南下策に方針転換をしていたといえる。
そんな情勢下で越後に本格的に攻め込むわけがないでしょう。

また、越中に勢力を伸ばすにしても、越後に敵性勢力を残したままでは地理的に領有化は無理。
いずれにしろ越後と決着をつけざるを得ない。
もちろん、簡単に決着がつくはずはないから、結果的に武田家の大幅な領土拡大は難しい。
0569人間七七四年2008/01/27(日) 10:38:22ID:uSimDyeq
ここでよく名前の挙がる東国勢(上杉武田)と西国勢(三好毛利)の差って
領地の動員”継続”能力の差だと思うんだよね
石高から計算可能な瞬間最大動員数じゃなくてさ
まずは武田
西上時2万強の動員力はともかく、信玄公の死去もあるけど結局半年〜1年しかもたず帰国
更にはその後武田家の財政にこの時期の出費の負担がかなり影を落としてる
言っちゃあ悪いけどたった半年そこらでだよ
直江津の利があった上杉は万単位の常時動員可能だけど哀しいかな雪国という地域性で
活動時期が狭められる
一方西国はと見ると
まずは三好
主の細川時代より本国(阿波讃岐)から東上し畿内に軍を駐屯させ続けて何十年
可能にしたのは海(畿内の港)からあがる利
次に毛利
この地域(銀+鉄+港)からあがる利は当時の他大名の比じゃない
前時代の大内尼子の頃よりこの地域は万単位で遠征が普通
その両者を継いだ形なのが毛利でたかが地域覇権大名としては異常な動員継続能力

信長が存在しない
つまりは急激な天下統一の機運が上がらないとなれば、緩やかに国内がまとめられていく
となると、軍をどれだけ継続して動員可能か否かの”財”の勝負になるんじゃないかな
まあ1武将の能力うんぬん話も嫌いじゃないんだけどさ
0570人間七七四年2008/01/27(日) 10:40:48ID:BsCEq3o3
>>566
1574年のは但馬山名氏が後ろ盾じゃなかった?
山名氏は織田家と対立してたはず。
これに関しては裏で糸を引いていたのは大友氏だと思われ。

1576以降も、織田家がいなくても、
大友氏が毛利の東進に脅威を感じる近畿などの勢力に働きかけて
尼子再興を絡めた工作を仕掛けてくることは十分あり得る。
0571人間七七四年2008/01/27(日) 10:44:19ID:BsCEq3o3
>>569
例に出すなら、在陣を続けるべきなのに敢えて帰った例を出さないと。
信玄が死んだら帰るのは当たり前だろう。
0572人間七七四年2008/01/27(日) 10:46:40ID:sXtvjBFq
>>570
それはそうだろうが、仮に尼子残党が畿内の勢力の後押しを受けたとしても、
それが織田氏かどうかでずい分違うでしょう。
信長がいなくても畿内に織田に匹敵する勢力が誕生するならともかく、
そうでないなら、東からの圧力はずい分弱まる。
内輪もめで忙しい三好あたりが本格的に中国まで介入するとは思えないし。

もちろん、だからといって必ず北九州を取れるとは言わないけど、
信長不在の場合、多少毛利氏が有利になるのは事実でしょう。
0573人間七七四年2008/01/27(日) 11:01:23ID:/8DBVMvs
>>565
>大打撃を与えるチャンスなのに鈍い動きを見せる
善光寺の上杉予備隊に警戒してるからじゃない?
確かに謙信にだけビビってるな信玄。
おまけに息子に困ったら謙信に頼れと遺言したし、トラウマになってたかも。
0574人間七七四年2008/01/27(日) 11:09:23ID:uSimDyeq
>>571
その後の武田家の貧乏っぷりをみれば結局”財”でしょ
長篠にしてもお金がなくて大動員かけられなかったんだし秋山勢を見捨てた形になったのも
高天神を見捨てた形になったのも甲越の和にしても新府城にしても
一方毛利は月山富田城を数年間1〜2万前後で囲みつつ大友と争い、後年は本願寺に
援助しつつ羽柴勢と前線挟んでにらみ合う
石高だけみれば変わらないのにこの差は”財”の差でしょ
0575人間七七四年2008/01/27(日) 11:15:37ID:BsCEq3o3
信玄は孫子マニアだからな。
戦わずして勝つことにこだわってたんじゃないの。
実際、戦力をすり減らすと後々に響くというのは一理あるし。
ちょっとクラウゼヴィッツも読んでみろと言いたくもなるがw

つーか、本当に謙信に対してヘタレだったら信濃でぐいぐい押し込んだりしないだろ。
単に有利と思う戦略を選択してただけで、越後侵攻に利ありとみればためらうとも思えない。
あんまり「法則性」を見出しすぎるのもどうかと思うよ。
0576人間七七四年2008/01/27(日) 12:11:07ID:VJbWDVf3
>>575
上杉の影響下にある者のに対してヘタレてると言ってるわけではない
あくまでも本隊に対してであり、たとえ攻めれば謙信が来援するとしても
亀になって耐えればいずれは越後に去っていく状況なら侵攻はするだろ
そもそもそんなことを言ったら一寸も領土は増えない、要は北条氏の上杉対策と一緒
そして越後に攻め入れば謙信はどこにも撤退してくれない、当たり前だが

武田が好きでよく調べれば
けっして竜虎ライバル対決などという物ではなく
信玄の立ち回りの上手さと、武田家の限界が見えてくる
信玄が越後に利を見出し本格的な侵攻をする状況は
よっぽど武田に都合よく世の中が動かないと無いと思う
越後を取るとしたら義信の代で謙信の死後だ

もっとも三国同盟堅持や上杉本隊との消耗戦など
誰が見ても尻貧しか想像できないことは、信玄はやらないだろう
史実のように東国を引っ掻き回して主導権を握ろうとするはず
ただその場合は予想し辛く話が続かないので
上杉武田泥沼、利するのは北条のみで話を続けてもらっても構わないが
0577人間七七四年2008/01/27(日) 12:31:42ID:BsCEq3o3
刺激すれば謙信が出てくるとわかってるのに刺激してるんだから、
別に怖れてるわけじゃない。
信玄がその時点その時点で最も有利と考えた作戦を実行した結果、
大規模な野戦にならなかったと言うだけの話。

領土を失うとわかっていながら、戦力的に有利にもかかわらず撤退したケースがあれば、
その時始めて「ヘタレ」という結論ができる。
0578人間七七四年2008/01/27(日) 12:35:45ID:I0e/EiEe
川中島合戦ぐらいまでは今川がいようといまいと大して変わらんだろうけど
それ以降だと国府台合戦で関東の状勢が一気に北条に傾いていってるので、
上杉の状況はずっと厳しいものになっている。
だがここで武田の今川侵攻により
武田・北条が決裂した事でかろうじて宿敵北条と同盟を結ぶ事が出来て状勢を保っている。

だが今川が健在と言う事であれば北条・武田が分裂する要素は無い。
上杉が勝てる見込みは限りなく薄いと思うが。
0579人間七七四年2008/01/27(日) 12:55:10ID:yUx4uw10
話は変わるが義元が長生きしたら信玄の息子に対する扱いはどうなってたんだ
0580サイコメリー2008/01/27(日) 13:02:10ID:R8Q8QkVu

財力=勢力の図式では、松永三好一派だけでは到底、畿内掌握は無理ですな。
やはり毛利を中心とした勢力との連携が不可欠ですよ。小早川隆景が実質的
な統制権を持てれば、さらにその道は早いと思うがどうだろう?
0581人間七七四年2008/01/27(日) 14:29:58ID:zBJWNx2C
普通に考えて、越後に上杉が健在な状況で、武田の越中領有は無理だと思うんだがなぁ…?
史実の越中攻め構想は、あくまでも対上杉戦略の一環ではないの?
三国同盟が維持されていれば、武田はどちらにせよ、北にしか侵攻方向がなく、北条と連携して、上杉攻めを行うしかないのでは…?
0582人間七七四年2008/01/27(日) 17:06:35ID:sXtvjBFq
>>581
結局それしかないと思う。
史実における信玄の越後侵攻への消極性から、信玄は越後には攻め込まないといっている人もいるが、
武田家が現実的に越後に侵攻可能になった時には、史実では既に今川家は相当に弱体化していた。
謙信が手ごわかったのも事実だし、今川が弱体化したていたなら無理に本格的な越後攻めまで試みず、
南下を視野に入れて行動するのも当然。
しかし、だからといって今川が健在の状況でも越後攻めを行わないとは言い切れない。
むしろ、それが最も現実的な選択肢だろうから、いずれはそれを選ばざるを得ないでしょう。

もっとも、個人的には、越後攻めをしてもすんなり制圧できるとは思えないので、
結果的に武田家の急激な拡大は難しいだろうとも思うけど。
0583人間七七四年2008/01/27(日) 20:24:39ID:KgPakBZz
三国同盟堅持の場合、今川、武田、北条は背後は安全と見て
拠点を前線に移転させられたかな?
当時の物流等を考えると駿河、甲斐、相模が
本拠地では天下統一は困難に思えてならない
0584人間七七四年2008/01/27(日) 21:17:28ID:BsCEq3o3
京を押さえたら京に拠点を構えた方がいいな。
一国取るたびに一々移転する必要はない。
0585人間七七四年2008/01/27(日) 21:34:24ID:Kwce3mag
・今川が尾張制圧、以降話が進まず
・北条、武田、毛利などの話に移る
・局所的な部分に話題が集中する
・一段落ついた所で再び過疎る
0586人間七七四年2008/01/27(日) 21:35:55ID:I0e/EiEe
駿河ってそんなに悪く無い気もするのだが。
当時から東海道は重要な交通の要所だし。

んで実際のところ最後に天下取った家康の拠点が江戸なんだから
いまひとつ無意味な議論のような気がする。
0587人間七七四年2008/01/27(日) 21:59:47ID:KgPakBZz
徳川の場合まがりなりにも統一政権だった豊臣政権下で
関東を開発する時間的、環境的な余裕があったのが大きな要因と思う
このスレ的にはまだまだ戦国時代真っ只中を誰が抜きん出るか?
がテーマの雑談なわけだから「後に徳川が江戸で天下とった」
はあまり参考にしてはイカンような気がする
0588人間七七四年2008/01/27(日) 22:20:17ID:zBJWNx2C
>>586
駿河の重要度って、どんなもんなんだろう?
海路としては、太平洋側は、潮流が激しく、江戸末期の商人が難破して、ロシアにまで漂流するぐらいだから、主要ルートではなく、裏ルートだったはず。
東海道も、沖積平野が開発される江戸期までは、水がちで、通りにくかったって、高校の時、授業で聞いたことがあるんだが。
確か、尾張も伊勢の桑名から船に乗って、熱田か津山に行くのがメインで、陸路はほとんど、江戸中期の宗春の時代まで素通りだったらしい。
自分が住む大阪も、谷町筋までがほとんど水浸しで、御堂筋なんかは、海の中の中洲を伝う感じだったとか…。
だから、大阪には今も橋のつく地名が多い。
以上、高校の時、聞いた話でした。
0589人間七七四年2008/01/27(日) 22:28:02ID:rpEmWHBB
>>588
尾張と大阪に関しては俺もそう認識している。
特に尾張西部は輪中集落だろ。村を堤防で囲んだ、っていうより
河の中に村が浮いてるイメージで村から村へは船を使ってたらしい。
0590人間七七四年2008/01/27(日) 22:50:15ID:BsCEq3o3
鎌倉から京くらいは一回の作戦で十分行ける範囲だわな。
0591人間七七四年2008/01/28(月) 02:20:37ID:xGXXnQuf
>>572
元亀には三好が宇喜多浦上を支援して毛利と対立したため
毛利は織田と同盟して三好の牽制や山名の牽制、播磨への出兵を要請もしている
>信長がいなくても畿内に織田に匹敵する勢力が誕生するならともかく、
>そうでないなら、東からの圧力はずい分弱まる。
これはある時期までは逆に東からの圧力が強まることを意味すると思う
0592人間七七四年2008/01/28(月) 03:48:56ID:64IHHp85
>>591
ただ、織田の出兵は、上洛後間もない時期に、羽柴の軍を一度派遣したに過ぎない。
その効果がどれだけだったかは計り知れないが、毛利としては利用出来る者は利用したと言う感じじゃない。
後に浦上と宇喜多は対立し、山名も親毛利になったのは、この時期の信長の存在がどれだけ関与したのかは推測し難い。
言えるのは、元就の死後、毛利にとって、かなり有利な状況が待っているのは確かだと思うんだがなぁ…?
0593人間七七四年2008/01/28(月) 05:20:44ID:co2F/I7F
確かにそれはある。三好は大阪湾と四国を繋ぐルートが確立されてたからこそ三人衆は信長に畿内を追われてからも
何度も数万の軍を送ることが出来た。
0594人間七七四年2008/01/28(月) 10:27:43ID:UeS7TaHh
国力、経済力。商業都市や港、鉱山などを押さえていること。
天下への強い野心を持つ大名等がいるか、という問題。
国力が増すと、案外さくさくいくということを考えると、
各地である程度規模の大きくなった勢力同士の
せめぎあいや小康状態が続くのではと思う。

長慶〜久秀、三人衆、傀儡将軍は1570年頃まで畿内と四国で勢力を振るう。
そのあとはわからない、畿内で入り乱れての小競り合いや争いが続くかもしれない。
本物の将軍は殺されるので、義昭たんは史実どおり出てくる、
誰が担ぎ出すかはわからない、今川あたりか。これでいくらか荒れる。
1585年頃、中国は毛利がほぼ平定、九州の一部も。
三国同盟が安泰か、は微妙、
武田は上杉攻めだろうが、北条と協同するかは言い切れない。
北条は佐竹あたりにてこずるが、関東の大部分を得る。
今川はとりあえず西進。義元存命中に伊勢を押さえ、
美濃に手をかける程度までは。松平元康もいる。
中部、特に美濃と近江はどうなるかわからない。
四国は久秀らと長宗我部の拮抗状態。
九州は島津が半分くらい取って北上を狙う、大友は生き残る。
東北は多分、天下の趨勢には関係ない。
本願寺、一向門徒は各地で局地戦や駆り出される程度。
1585年くらいには、規模では
毛利、今川、北条、(いたとしたら)畿内を押さえた勢力、島津の順。
戦国時代は続く。

1590年の前頃に南蛮の外患が迫る。
0595人間七七四年2008/01/28(月) 13:33:07ID:uwbcnJiy
>>592
毛利は三好と東瀬戸内や備前などで対立している
織田によって三好が弱体した結果
毛利は淡路あたりまで進出できたのだから
どっちもどっちとしかいいようがない

織田に代わる三好を圧迫する勢力が表れないなら
元就死後の毛利は史実よりは不利になるはずだが
0596人間七七四年2008/01/28(月) 13:49:30ID:kfGmQgvv
>>588
太平洋側でも交易は結構見られる
紀州の船大工が薩摩まで出張して船建造したり、西国の米を東北に輸送する途中に北条に積荷を買い叩かれたり、紀州の元商人が関東で土着して特権承認になったり
日本海との比較では分からないが、少なくとも日本海に接続する港まで遠くて、太平洋に近い地域なら日本海ルートで交易してたと考えるのが妥当じゃないか
日本海は日本海で冬季は荒れまくる厳しい環境で、難破の可能性はどっちもあるわけで
0597人間七七四年2008/01/28(月) 15:44:25ID:/6pFZ6dY
一応東国太平洋ルートは14世紀頃から通常の交易路として使われだしたが
戦国期は古くより発達していた日本海側に比べればまだまだかな

確か湊税は日本海側は最高一割ほどだが太平洋側は5%くらいだと思った
高いと陸路で日本海側に持ってかれてしまうからだと思うが、よく知らん
湊が有ると無いでは大違いだが日本海の主要港と比べるとアレな感じではある
0598人間七七四年2008/01/28(月) 16:00:27ID:/6pFZ6dY
経済力なら地域で飛びぬけていた大友大内朝倉なんかは没落して行ったし
経済力を重要視しすぎないようにな、
領土が増えれば後から付いてくる物と言えない事は無いし
0599人間七七四年2008/01/28(月) 16:36:52ID:kfGmQgvv
>>597
税率が高いと交易が活発って言うのはどうなの?
例えば武田はよく重税かけて、北条は税システムを簡素化してたっていうけど、
その税率高い=発達という理論なら、武田の収奪システムのほうが発達してるってことにならない?
税率が低くてもそれだけの収穫が見込めるから、それほど税率をかけないという解釈はどうだろう
ちょっと違うが、楽市政策も地域振興のためのシステムで、それで発達した都市というのもいくつかある
太平洋側の低税率というのもその残滓とか
いや、まったくの憶測なんだけどね
0600人間七七四年2008/01/28(月) 20:04:20ID:tZR1bWGE
上杉が武田北条に追い込まれるのが此処の共通見解らしいので、
悔しいから謙信が将軍を継いで
「足利義虎」
になり天下を取る可能性を…

無いですね、すいません。
0601人間七七四年2008/01/28(月) 20:25:17ID:G5Y1RXt3
>>1
朝倉義景に決まってるだろ
0602人間七七四年2008/01/28(月) 22:11:13ID:4jXsfoFC
越後上杉は、別に信長がいなくても特に有利になったりしないからな。
0603人間七七四年2008/01/28(月) 22:24:42ID:CxEXoYJP
>>602
間接的には結構影響あるんじゃね?
0604人間七七四年2008/01/28(月) 22:30:48ID:kfGmQgvv
>>603
具体的に?
0605人間七七四年2008/01/28(月) 22:46:03ID:tZR1bWGE
「義虎」は無いとして、
謙信が義昭を奉じて上洛の可能性は?
0606人間七七四年2008/01/28(月) 22:59:17ID:/6pFZ6dY
>>599
基本的に土地を移動できない農民と流通を一緒にされても・・・
としか言いようが無いです
それに発展しているなら金欠権力者が
低税率のまま放って置く理由が思いつきません
普通に発展途上だから振興と商人の保護のために
低税率だったのでは無いでしょうか

>>605
信長が擁立しないなら義昭が流れ着く可能性は少しはあるかな
擁立しても史実のように少数で上洛するのが精一杯だと思いますが
0607人間七七四年2008/01/28(月) 23:07:06ID:5FAnOBH0
>>605
距離的に越後くんだりまで落ちるということはない
短日に畿内を伺える場所でないと三好の担いだ14代義栄を認めることになる
更に、形の上とはいえ関東管領上杉家を継いだのが景虎
その関東管領家というのは鎌倉公方を補佐するのが役目の家柄
室町足利家の跡目を狙う人間が鎌倉公方の家来衆の後押しを受けてというのはおかしすぎる
0608人間七七四年2008/01/28(月) 23:24:28ID:tZR1bWGE
関東管領って守護や守護代より格上じゃないの?
守護代庶流の信長が擁立出来て謙信は出来ないかな?
確かに越後は遠いから無理そうだけど。
0609人間七七四年2008/01/28(月) 23:25:39ID:G5Y1RXt3
だから朝倉義景だってば。。。
0610人間七七四年2008/01/28(月) 23:38:00ID:BISIND8V
朝倉に擁立する気があれば信長の上洛はなかったよ。
0611人間七七四年2008/01/29(火) 03:32:28ID:vCux5T9+
>>595
内部分裂した三好の圧力が、いつまで続くかは疑問?
当面は、毛利も苦しい状況が続くとは思うんだが、三好が信長以上のスピードで拡大するとは思えない。
畿内が信長だろうが、三好だろうが、宇喜多は独立して浦上と争うだろうし、山名も、尼子も、所詮はジリ貧勢力じゃないのかな…?
長い目で見れば、毛利にとって、信長でなく、三好が畿内にいる方が、毛利にとってはかなり有利なことは明白では?
0612人間七七四年2008/01/29(火) 05:03:25ID:4CmtlJzR
三好はしばらく放置すると復活してくる一族だからなぁ。元長しかり、長慶しかり。
三好が畿内を内紛起こしてるときに信長のように畿内から駆逐しなければ勢力を盛り返すかもしれん
0613人間七七四年2008/01/29(火) 08:33:35ID:xoALvLs4
>>612
元長・長慶の頃とは状況が違うぜ。
あくまで阿波奥郡の領主に過ぎなかった頃は一致団結しても、畿内を制覇した後ではパイの奪い合いにもなるだろう。

どの道、当主がしっかりしていなければ建て直しは無理ポ。重臣に舐め切られてる義継じゃあねぇ・・・。
0614人間七七四年2008/01/29(火) 08:51:28ID:cE8nNIdn
六角義治
0615人間七七四年2008/01/29(火) 08:53:34ID:CjHzGUMZ
>>609
木曽義仲、新田義貞、柴田勝家、結城秀康とその子忠直と、越前に関わった
人はどれもろくな結末ではない。もちろん義景も。
やっぱり雪がバンバン降るところはダメか?
0616人間七七四年2008/01/29(火) 09:15:49ID:GQ6LCS6c
>>615
ダメか?つーよりも雪国は雪国であるというだけでかなりのハンデだ
現代ですら屋根の雪下ろしや道の雪除去をちょっとさぼると簡単に春まで隔離される
年に何度か5cm程度の降雪で大騒ぎできる土地の者にはわからないだろうが
雪ってのは重いんだぜ・・・
0617人間七七四年2008/01/29(火) 09:19:55ID:OorkFX/N
面白かったからwikiやら絡めて一通り読んだけど話し進んでないな
今川が尾張を併呑したんだよね
今川や武田って畿内や浅井朝倉斉藤との関係ってどうだったのかな
尾張までは三国同盟も確定で継続中と考えて今後今川が領土拡大するとする
今川は旧織田勢力や松平勢力など不安要素もある中、包囲網なり近隣勢力と武田が組んで
裏切らないなら今川が天下に一番近いと思うし
逆なら三好や毛利その他だと思う
北条は当分同盟確定として話してます
0618人間七七四年2008/01/29(火) 09:33:40ID:uq09WYOJ
>>606
政策としての意図は一緒でしょ
発展しているところにさらに重税かければ、折角発展したものが台無しになる可能性すらある
領主経済にとって商人の権力は相当程度高いし、小さな大名では強制できないというのもある
0619サイコメトリー2008/01/29(火) 09:53:51ID:Oly7QlXl
朝倉義景推してた人いたから言います。可能性としては10%

彼の天下は無理です。なぜならば、@当の本人がその器量を持ち合わせていない。
                A他力本願で大事はなせない。
                B追従する物に傑者がいない。

たぶん釣りだと思うが、一応答えときました。宗滴が10年長生きしたら、30%位
にはなると思うが、だって自家滅亡必然だもん。
0620人間七七四年2008/01/29(火) 10:01:35ID:kLTZVmd3
ハッキリ言って謙信は天下取る気なんかゼロでしょ
あの人は天下と珍しい酒どっちか選べって聞かれたら酒って答えるはずw
0621人間七七四年2008/01/29(火) 10:06:36ID:kLTZVmd3
いや、謙信の戦は頼まれ戦ばっかだし
信長は倒そうとしてた感じだけど、ムカついたからって理由でw
0622人間七七四年2008/01/29(火) 10:10:55ID:cE8nNIdn
謙信なんて政治家としてみたら10点
0623人間七七四年2008/01/29(火) 10:18:01ID:6DKg3v49
政治は成功してるだろ。 じゃなきゃあんなに軍事行動起こせないから。
0624人間七七四年2008/01/29(火) 11:16:28ID:Rkx0joYa
>>618
発展という言葉をどの程度に捉えているかは分りませんが
瀬戸内海や日本海側と同程度に発達していたとしたら
あちら側に出来たことが太平洋で出来なかったのは何らかの問題があったのでしょう
それを単に政策の違いとするのは乱暴ではないでしょうか
通説を覆せる資料があれば別ですが、
どちらにしろ私も詳しくないので識者の登場を待ちたいものです

>>619
朝倉に擬似信長が現れれば、さらに有利な条件で信長の事跡をなぞればいいので
すごく楽なんでしょうけど、まぁ無いでしょうね
0625人間七七四年2008/01/29(火) 11:27:45ID:wpGjiLu6
「いまこそ朝倉家を乗っ取るべし」

お前ら戦国史上最も巧妙にして、最も食えない男を忘れちゃいませんか?
0626人間七七四年2008/01/29(火) 11:38:44ID:Rkx0joYa
>>625
そういえば彼がいましたねw大変面白い考えです
史実で朝倉を見限って流れた彼が乗っ取れはしないでしょうが
0627人間七七四年2008/01/29(火) 12:12:21ID:A3QrGTiu
重税の為に
神戸から堺に逃げられたんじゃなかったっけ
商人達に
それで神戸がかなり衰退した

あれ、神戸だったっけ
0628人間七七四年2008/01/29(火) 12:33:22ID:CG1PY6hX
とりあえずノブヤボで信長を消してデモプレイしてみりゃ如何だろう。
0629人間七七四年2008/01/29(火) 13:29:41ID:Ae2J3gnu
それだと軍神様か風林火山が東国制覇しちゃうんだよな
信長居ても1560年までのシナリオだと大して延びないし
んで西国は最終的には大抵島津が来て東西決戦
0630人間七七四年2008/01/29(火) 13:53:00ID:uq09WYOJ
>>624
いや、発端は「税が軽いから発展してない」なのよ>>597
それに疑問を呈してるわけで
その日本海でできて、太平洋でできたことって何?
0631サイコメトリー2008/01/29(火) 16:37:30ID:Oly7QlXl
また薄れてきちゃったんで出しときますが、>>519論を中心とした畿内との
連立が一番可能性が高いと思います。
武田や上杉や今川は名家で、勢力拡大も可能でしょうが、やはり支配国の位置
から考えるにぶつからざる得ない。

だって今川=武田=上杉=北条同盟なんて絶対に無理でしょ。このスレはIFスレ
だけど、それでもより現実性が高い天下の覇者を考えるスレなのだからね。
0632人間七七四年2008/01/29(火) 17:09:57ID:xuhKDlP2
よく今川って書き込みを見るんだけど
確かに有力候補のひとつではあるよな・・・

でも、桶狭間は奇襲ではなく正面から突撃されてやられたって説も聞くし
そうなると、ますます義元の軍事的才能に?を付けざるを得ない・・・
 
のちの駿河侵攻といい、甲斐の武田も信用できないしなw
ってことで、三好に1票
0633人間七七四年2008/01/29(火) 17:10:45ID:RMyA7iPl
>>620
今川や毛利だって足利幕府を牛耳る程度で満足するんじゃない?
0634人間七七四年2008/01/29(火) 17:14:49ID:xuhKDlP2
619のように
・当人に器量が無い。
・他力本願で大事はなせない
・追従する物に傑者がいない

これに、そもそも天下を取る意思が無かった。を追加したら
織田家・豊臣家・徳川家以外ほぼ無理になってしまうよなw
0635人間七七四年2008/01/29(火) 17:19:01ID:VVI481gq
それなら信長の居ない世界で家康と秀吉二人を配下にしてる義元が圧倒的に有利だろ。
軍事面は家康に任せて自分は内政、外交面に力を入れれば天下は取れる。
0636人間七七四年2008/01/29(火) 17:24:29ID:RMyA7iPl
信長の、自分が天下を取ろうとする姿を見ていない
秀吉や家康が、天下取りに目覚めるかな?
0637人間七七四年2008/01/29(火) 17:25:36ID:xuhKDlP2
元康は人質だしな。つうか三河を実効支配するのに邪魔だから
手元に置いておいて決して岡崎には返さず生殺しだろw
軍事面をまかせるなんてありえないような・・・

信長がいなかったら、秀吉はどこに士官するのか
興味深いよな。
0638人間七七四年2008/01/29(火) 17:37:12ID:6DKg3v49
秀吉は史実通り蜂須賀らとの繋がりを利用して尾張で出世する
0639人間七七四年2008/01/29(火) 17:37:20ID:CG1PY6hX
>>635
確かに配下の才覚だけでいえばね。
しかし力をどれだけ発揮出来るかは?特にサル。
名家の今川が農民上がりを重用するかは微妙。
まぁサルの事だからうまい事取り入るかもしれんが。

ただ尾張を落としても斎藤とは敵対するだろうなぁ。
いや、信長いないと婚姻もないからそうでもないかな?
0640人間七七四年2008/01/29(火) 17:44:06ID:VVI481gq
>>637
義元が家康に対して人質よりも親族の一員としてみてたよ。
一族の女を嫁がせたり、自分の名前を与えたり、元康に変えるの許したり。
桶狭間の時も一隊率いて兵糧入れしたり最前線で戦ってた。
家康の性格から見ればあのまま今川の下で猫をかぶって出世するだろ。
0641人間七七四年2008/01/29(火) 18:08:57ID:uq09WYOJ
>>637
実際桶狭間でも重臣朝比奈と先陣だったし、三河平定では狩り出されてるし
軍功があれば評価する、されなければ義元の采配に疑問を持つ人間が出るので、相応に評価しなければならない
と、松平の扱いから見て重用はしても、粗略に扱うなんて無いと思うが
0642人間七七四年2008/01/29(火) 18:53:36ID:tDJnThJb
外衆である松平が一門譜代を押しのけて軍権を差配するなんてことがありえるのか
という常識的な反論としてはよくわかる
0643人間七七四年2008/01/29(火) 21:07:42ID:J9PfCL64
>>642
鷲津砦攻めと大高城兵糧入れで、譜代の朝比奈をしのぐ戦功をあげている。
これを聞いて、義元は上機嫌だったとも書かれている。
義元は尾張攻略の戦争で、元康に手柄を上げさせ、一門・譜代に元康を認めさせたかった。
元康は、見事にその期待にこたえた。
もし、義元が義昭を担いで上洛、天下取りを目指すならば、
軍事、外交、内政で有能な元康を使わないではいられない。
したがって、彼をその役割にふさわしい職分にまで引き上げることは、嫌でも避けられない。
しかも、義元の妹の娘で養女を娶ってるし。
義元死亡の時点で、家臣団の中でナンバー3くらい(?)にはなってるだろう。
0644人間七七四年2008/01/29(火) 22:02:28ID:hbqxkehI
はっきり言うが、家康や秀吉じゃ無理!
だって信長の勢力拡大がなきゃ、どの大名に仕えても出世には限度があるよ。可能性としては、将軍塚に取り入り畿内武将と手を組んだ光秀の方が高くね?
0645人間七七四年2008/01/29(火) 22:51:51ID:7Bp5TKJp
>>613
三好元長と争った長慶が一族で一致団結していたとはとてもとても
0646人間七七四年2008/01/30(水) 00:27:15ID:k36vshmd
武田信玄以外にいるか
0647人間七七四年2008/01/30(水) 00:35:36ID:HbsbVwhB
寿命で勝手に脱落するから無理。
長生きしても三国のパワーバランスに変化がなければ今川に手を出さないから無理。
0648人間七七四年2008/01/30(水) 01:33:33ID:u8ijXgRP
>>599
武田と北条で税制が簡素化されていたのはむしろ武田のほう。
だから逆に武田家は地元の豪族も幅を利かせてるし、農民は二重三重に搾取されていた。
結果として武田家の税率は高くなっていた。

北条家は徹底した検地と代官制によって中間搾取を極力少なくする事で
結果的に農民の搾取を減らしていただけで、税収そのものはそれほど少なくない。
その分北条家は中間層が幅を利かせづらかっただけ。

これと商業の税収はまた違うかと。
0649人間七七四年2008/01/30(水) 05:18:37ID:U3V1P2qt
結局は伊達政宗が統一して、キリスト教国家に植民地扱いされる。
信長・秀吉・家康がいて良かった。
0650人間七七四年2008/01/30(水) 07:52:02ID:7ZpY3YIr
>>648
それでも「年貢徴収できないから高税率で」って方針は共通じゃない?
十分取れない武田は新税という増税で、北条はシステムを変えて低率でっていう
楽市も北条が天正か元亀かに導入してるし、経済自体は北条のほうが発展してる
発展してるから低率でもと、かんがえるんだけど
0651人間七七四年2008/01/30(水) 08:11:07ID:3q2yHhfZ
税率の多寡と経済の発展は必ずしもイコールではない。
他の面からの考察もしなよ。
0652人間七七四年2008/01/30(水) 08:14:58ID:7ZpY3YIr
>>651
だからそれが与えられたのは>>597なのよ
他に日本海が発展していたっていう論拠があるならむしろ聞きたいんだけど
0653人間七七四年2008/01/30(水) 09:36:59ID:/BfMGOG5
>>652
論拠というか日本という国がまがりなりにも出来てから江戸後期まで
航路と港の発展では日本海>>>>太平洋は歴史の常識だぞ
1.京都含め周辺の大消費地帯への輸送路としての玄関として発展した若狭小浜
2.その小浜への中継港として発展した出雲美保関と上越直江津
3.中国朝鮮との貿易拠点としてまた九州海運の拠点として発展した平戸、博多、赤間ケ関
4.南蛮との貿易拠点として発展した薩摩坊ノ津、平戸、長崎、豊後府内
5.34を畿内に運ぶ大動脈瀬戸内海拠点として発展した赤間ケ関、安芸厳島、備後鞆ノ津
一方、太平洋岸でめぼしい港は尾張津島くらい
なぜかと言えば黒潮の影響
下手にこれに乗ってしまえばはるかかなたまで漂流確定
それと太平洋側にはイザという時の島が皆無
日本海側には壹岐、対馬、隠岐、佐渡という海流にのりあげてもなんとかなる島があった
0654人間七七四年2008/01/30(水) 09:44:49ID:5htIwPbm
>>644
信長でなくても、急激な勢力拡大があれば人手不足になるのは変わらないのだから
家臣の大量新規お召抱え、中堅幹部クラスの中途採用は増えざるを得ない。
今川の場合は織田に比べて中堅幹部がもともと多いだろうから織田家ほどの急出世
は無理かもしれんが、新規採用組の中からは実力主義で抜擢されるものも出るだろう。
拡大方向が美濃・近江・伊勢方面なら信長の勢力拡大とほぼ一緒方向だから採用さ
れる人材もほぼ一緒だろうから、結局家臣団の構成も織田家と似たものになって行く
んじゃね?
0655人間七七四年2008/01/30(水) 13:05:33ID:7ZpY3YIr
>>653
紀伊の船大工の技術は相当高いらしく、遠く薩摩まで出張して建造した
そんなに船による交易が偏重してるなら、日本海側に船大工の技術者が登場するのが自然じゃない?
太平洋というか、非日本海なら堺、伊勢のアノヅ(漢字忘れた)、九州南部も琉球貿易がありそう(琉球は憶測)
品川も発達してたみたいだが
詳しく書いてある本が手元にあったような機がするから調べてみるけど
伊勢大社だっけ、あれも年貢物資の揚陸の特権があって潤ったとかなんとか、殊更に日本海側に偏重して起って言うのはどうなの?
0656人間七七四年2008/01/30(水) 16:42:42ID:/BfMGOG5
>>655
いやさ、どっちがどうとかじゃなくて歴史の事実だからね
逆に聞きたいが江戸という消費地が誕生する前の太平洋側のどこにいったい黒潮の
危険を犯してまで運ぶくらいの需要と供給があったと考えてるんだ?
次に、江戸期に入っても物流の集積地としての大坂湾周辺の港が廃れるどころか、
織豊期以前よりもより発展していったのはなぜだと考えてるんだ?
0657人間七七四年2008/01/30(水) 17:42:52ID:la/xrbMX
>>656
横からだけど、江戸が誕生する前にも小田原が日本有数の大都会として栄えてたはずだが?
0658人間七七四年2008/01/30(水) 17:52:05ID:wtFwvjcM
>>657
戦国時代に一都市の人口が万越えしていたのは京、山口、一乗谷、春日山(+府内)、全て日本海側
小田原5000人
0659人間七七四年2008/01/30(水) 17:53:37ID:/BfMGOG5
>>657
小田原が日本有数の大都会だったとは初耳だけど仮にそうだったとする
大消費地小田原の誕生ね
ここに需要が発生する
どこが供給地として賄う?
米雑穀の類は関東の穀倉地帯からとなるよね
で、だ
関東平野から小田原に輸送するのに海路を使う?
そういうこと
0660人間七七四年2008/01/30(水) 18:20:05ID:wtFwvjcM
>>659
利根川水運で品川等に集積して海運で小田原
0661人間七七四年2008/01/30(水) 18:51:48ID:la/xrbMX
>>658
後北条氏時代の小田原の人口に関してはっきりした資料は無いと思うが?
発掘調査で水道などが完備されて最低6000人はいたという推測しか無かったのに、5000人とはっきり言える資料はあるの?

それに、小田原は関東一円を支配する北条の本拠地。
当時の関東平野の事情を考えれば物資の集積に陸運のみに頼る可能性は低い。
北条以外にも東海道に大勢力がいくつもあるから、それらの勢力が海運を使わない可能性はほとんどゼロ。
0662人間七七四年2008/01/30(水) 19:06:35ID:wtFwvjcM
>>661
戦国期の都市人口など流動的でどこもはっきりしない
いちいち書かんといかんのかね?
あと6千は安土桃山時代の推定だろ
0663人間七七四年2008/01/30(水) 19:13:02ID:oLMkpJm9
オール・オア・ナッシングでもあるまいし、規模の大小の問題というだけで
ここまで紛糾するもんかね
0664人間七七四年2008/01/30(水) 19:15:43ID:/BfMGOG5
そりゃあな
狭義の意味での海運はあっただろう
なんというかね
唐物、南蛮物、絹・奢侈品、海鮮物、米
当時のあの地域の大勢力と言えば北条今川となるが内部完結可能な領国「内」
経済の潤滑油としての海運でしょ
どの大名家だとかの領国の枠を超えたそれが無いとその地域一円もそれに依存する
他地域も経済が成り立たなくなるまでに発展した海運の話をしてると思ってたんだけど
0665人間七七四年2008/01/30(水) 19:21:32ID:la/xrbMX
>>662
>戦国期の都市人口など流動的でどこもはっきりしない
悪いけど、人口の件を持ち出したオレじゃなくアンタだから、
そう聞いただけ。
流動的ならいちいち万以上はどこどことかを持ち出すのは無意味だろ。
山口も小田原も地域の物流中心だったし。
0666人間七七四年2008/01/30(水) 19:44:26ID:la/xrbMX
>>664
>唐物、南蛮物、絹・奢侈品
揚げ足取るつもりじゃないけど、これらのものを扱う時点で領内完結の海運ではない。
地域を越えた海運ネットワークがなければ唐物も南蛮物も絹も無理。
確かに日本海側と比べて海運が盛んではないが、だからって太平洋側の海運は「狭義」
な海運(意味不明だけど)と決めつけるのはおかしいだろ。
太平洋側でも海運物流拠点を持つ大名とそうでない大名の経済力格差もはっきりしてるし。
これ以上は討論するなら経済力スレでやる方がいいかと。
0667人間七七四年2008/01/30(水) 19:57:14ID:/kbT5AM0
>>664
例えば京・伊勢・江戸間や九州などには鎌倉時代から海運があったし、
そもそも鎌倉執権北条氏からして海運を制した事で天下を取ったと言っても過言では無い一族だし。
家紋は水神の鱗を表しているという説もあるぐらい。

太田道灌が江戸城を作る際にも港が賑わってる様子を記録した中で和泉(関西)とも
交易があることも言及されてる。この人物が当時の関東において絶大な実力者だった事を考えても、
海運が当時から発達していた事は想像に難くない。

後北条家が支配を始める以前からこれだけの土壌が出来てるのにいきなり無くなる理由が無い。

家康が来るまでは関東は寒村だったというのを未だに信じてるわけじゃあるまいし、
考え方がちょっと偏ってないか?
0668人間七七四年2008/01/30(水) 22:31:26ID:HbsbVwhB
>>667
>家康が来るまでは関東は寒村だった
家康だってシムシティをやりたくて江戸を本拠地にしたわけじゃない。
秀吉が堺に近い大阪に本拠地を置くように、家康が品川に近い江戸を本拠地にするだけ。
当時では毛利が吉田郡山から広島に、前田が七尾から小丸山に移ったように、
水運流通の拠点の近くに本拠地を置くのが当たり前だから、
江戸はただのど田舎だったら家康もそこを本拠地にしない。
0669人間七七四年2008/01/30(水) 22:33:55ID:MEqRFkPs
>>653
>太平洋岸でめぼしい港は尾張津島くらい
薩摩坊ノ津、阿波、紀伊、伊勢大湊、遠江に駿河、江戸その他いっぱいありますが?
>667も言っているが、まさかいまだに江戸寒村説を信じ込んでいるのか?

一つ言えば、流通という点で太平洋側よりも日本海側の方が栄えていたという主張
には賛同します。しかしだからといって太平洋側が寂れていた、海運なんてロクに
なかったというのならそれには反論します。
0670人間七七四年2008/01/30(水) 23:10:27ID:zouhKF3t
日本海側が主要海運か?
太平洋側は寂れた海運か?
この不毛な議論の発端は、
>>586が、駿河は交通の要所だと主張したのを受けて、
>>588が、駿河が交通の要所ってのは、どんなもんと聞き返したことに始まる。
誰か、この質問に具体的に答えてあげて。
0671人間七七四年2008/01/31(木) 01:01:51ID:tESGDhjz
そもそも>>586は東海道は重要だと言ってるが駿河は「悪くも無い」としか言って無い様に見えるが。
0672人間七七四年2008/01/31(木) 09:41:46ID:WtCy+MI6
現代の価値観で捉えるから混乱してるのでは?
米と言えば東北北陸とか
船は漂流しないものとか
一番の大消費地帯といえば東京とその周辺とか
0673人間七七四年2008/01/31(木) 17:51:12ID:ae6hsrM/
当時の九州を北陸、東北並のド田舎だと勘違いしてる奴も時々いるな。
0674人間七七四年2008/01/31(木) 18:50:06ID:nMajIE7n
つーか、日本海側が発展してたのは常識だと思ってたから
それに異論がでるなんてはじめてみたw
0675人間七七四年2008/01/31(木) 18:52:47ID:nMajIE7n
>>672
それはあるねw
戦国時代は米と領地の奪い合いだと思っちゃうみたいな
0676人間七七四年2008/01/31(木) 18:56:43ID:7PI69QHo
>>675
>米と領地の奪い合い

いや、これ普通に基本だから
0677人間七七四年2008/01/31(木) 19:00:17ID:qCYjUWJU
日本海側が発展しているという事に異論なんか出たか?
0678人間七七四年2008/01/31(木) 19:05:12ID:nMajIE7n
>>676
所謂、都市国家としてみるべきだろ
当時から米以外の主食や輸出入関税や観光収入もあるんだし
0679人間七七四年2008/01/31(木) 19:11:15ID:fyoBo9F7
>>678
>>676は戦国時代の「戦」の事だと思ったんじゃないか?
俺もそう見えた。
誤解を避ける為には、
「戦国時代は米と領地の奪い合いしかしてなかった」
という風に書くと良いかも。
0680サイコメトリー2008/01/31(木) 20:42:27ID:wSymW2TL
もう本題に戻そうよ。
駿河が交通の要所だとしても、そうじゃなくても、どっちでもいいからさ。
悪いけど、内容的にそこまで語る事もないように思われ・・。

再々度、>>519論!
これに対して誰か意見ございますか?それとも別論ありますか?
信長不在の・・って話に戻しましょ。
0681人間七七四年2008/01/31(木) 20:57:50ID:EpZAHOAn
六角義治だろ。
0682人間七七四年2008/01/31(木) 21:01:50ID:/ZmjPAYy
信長不在

@桶狭間で今川義元が死なない
A三国同盟は続き、武田は木曽路・飛騨・越中・越後。
 今川は尾張・伊勢・美濃、北条は常陸・下野・上野・房総半島へ
B三好は歴史通り推移し、三好は分裂
C浅井・朝倉が六角を粉砕する
D四国は他の介入がない限り歴史通り、長宗我部が台頭
E中国では毛利が勢力を拡大、九州では島津は成長
F西国では毛利・長宗我部・島津でにらみ合い。
G東北は関東を制圧した北条・北陸を制圧した武田の切り取り場

0683人間七七四年2008/01/31(木) 21:26:11ID:pgPfWeIZ
↑ちょっと集約された、群雄割拠状態が続くって事?
0684人間七七四年2008/01/31(木) 21:43:11ID:OmzC2YWO
信長の代わりに誰が尾張にいる設定?

場合によっては斎藤義龍が尾張を侵略して、
義龍vs義元になるかも?
濃尾の国力を結集できれば、義元より兵力が
上になりそうだが。
0685人間七七四年2008/01/31(木) 21:49:19ID:fyoBo9F7
>>684
普通に信勝だろ。
義龍の死亡時期は信長と関係ないから、
今川の尾張併呑後にはもう死んでる。
0686人間七七四年2008/01/31(木) 21:51:48ID:/ZmjPAYy
>>683
今川が上洛するかもしれないが

当面は集約された群雄割拠状態が続き、いずれかは大名家が統一するのではないかと。


信長がいないのだから尾張は統一されていない状態と考えていいのだろうか?
0687人間七七四年2008/01/31(木) 22:47:58ID:ENkIbY9/
よくよく考えると、斎藤道三は娘を織田信勝に嫁がせるのかな?
それとも、尾張を併呑してしまう?
0688人間七七四年2008/01/31(木) 22:58:13ID:/ZmjPAYy
>>687
和睦として信長に嫁がせていたのだからおそらくは信勝に嫁がせる
それでも尾張は統一されていない状態。
0689人間七七四年2008/01/31(木) 23:49:04ID:CtRMJ/pu
つまり>>680は、三好、もしくは毛利の勝者が天下統一すると言いたいのか?
0690人間七七四年2008/02/01(金) 00:00:32ID:hJRaOOXn
三好の内紛は信長と関係ないからおそらくそのまま分裂するだろ。
毛利に関しても元就がああいう遺言を残した以上領国支配を強化しつつ勢力範囲を広げるだろ。
躓かなければ天下に一番近いかもしれないが、島津が史実通り強大化したら微妙かな。
0691人間七七四年2008/02/01(金) 00:15:20ID:jy23U5++
う〜む、三国同盟が維持されるってのが無理あるな
今川が生き残ってるなら、ある時点で上杉と組むだろう
武田が越後・越中手にできるとは思えんなあ
0692人間七七四年2008/02/01(金) 00:26:37ID:S2p43d+U
信長が存在しないという設定だとすると室町幕府はどうなったんだろ?
義栄担ぐ三好と義昭担ぐ誰かの衝突はあるのかな
0693人間七七四年2008/02/01(金) 00:51:34ID:jy23U5++
三好・松永は謙信が上洛するたびに息を潜めてるんだよな
やはり上杉が鍵を握ると思うなあ
0694人間七七四年2008/02/01(金) 01:13:45ID:qSd8ORV1
>>664
小田原には直接海外の船が乗り付けて交易してたぞ。
城下には唐人町までできていたしな。
氏照が滝山から陶磁器を買いに来た記録も残ってる。
0695人間七七四年2008/02/01(金) 06:25:07ID:MzmnOdTv
>>690

毛利に島津が喧嘩を売るとは思えないのですが…

売るとしたら両川が亡くなった時ですか?
0696人間七七四年2008/02/01(金) 07:10:02ID:suPpzYW5
義昭は初め謙信に自分を任せるって言ってきてるしね。
0697人間七七四年2008/02/01(金) 09:53:53ID:svBPa+rV
>>695
信長がいなけりゃ、元就の遺言も変わるかもしれない。
信長の存在って、それぐらい大きいと、このスレを見てて思った。
0698人間七七四年2008/02/01(金) 10:26:11ID:svBPa+rV
>>690に対してでした。スンマセン
0699益軒2008/02/01(金) 10:29:01ID:9L2wwmbC
信長が存在しなかったら長曾我部元親あたりが大勢力になるだろうね。
三好氏は旧勢力、毛利氏は向上心無し。畿内一円は元親の勢力下になると思う。
0700人間七七四年2008/02/01(金) 11:18:58ID:LCQbGp0j
>>695
何故?九州のみで独立国でも建国するのか
毛利から手を出すかもしれませんし

>>697
元就の遺言と信長はほぼ無関係だろ
あれは生涯旧勢力の反乱に悩まされた元就だけに
「一足飛びに天下(急速な領地拡大)なんて考えずに足元固めて慎重にな」という
内容と解釈した方が自然ではないでしょうか
あの時期は織田も上洛はしたが数いる群雄の一人でしかなかったわけですし

>>699
織田との抗争による三好の急速な衰退がなければ
長宗我部は四国統一すら遅れるのではないでしょうか
それに海を渡っての領土拡大が容易に進むとも思えませんが
0701人間七七四年2008/02/01(金) 11:23:13ID:Yu9Ulwo3
>>織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part8


徳川埋蔵

談:里田まい
0702人間七七四年2008/02/01(金) 14:08:40ID:Qx1ODrOW
やはりあの御仁しかあるまい












独眼竜w
0703人間七七四年2008/02/01(金) 14:36:14ID:fAVo3bs3
>>702
同意。
上杉や武田はそれなりに勢力を伸ばすだろうけど、若さに劣るかな?
0704人間七七四年2008/02/01(金) 14:59:24ID:7QNs2DZL
三国同盟が維持されれば

武田では義信や飯富虎昌が死ぬ事もなく
今川では松平元康が独立する事なく
北条では北条三郎を養子に出す事もない

元康は機会があれば独立しそう。

東北では当面の間は歴史通りだろう。
そのうち関東の北条、越後の上杉もしくは武田の影響下に入る。

歴史通り進み、他の介入がなければ伊達・最上辺りが勢力を拡大していく
0705人間七七四年2008/02/01(金) 15:03:47ID:svBPa+rV
>>700
元就の遺言の類は、真偽入り混じって、いくつか残っているけど。
三本の矢から、天下を望むなから、色々とね。
自分が一番さすがだなぁって、思ったのは、『今、我が家には、10カ国の領地が有る。一度の危機で半分になっても、5カ国残る。二度の危機で更に半分になっても2カ国残る。それでも、元の吉田の小城に比べれば、大きすぎるほどに大きい。』ってのだけど。
普通、自分が残した遺産の現状維持ぐらいは、出来るだろうって、思うんだけど、これが結構難しいのは、歴史や最近の二代目三代目企業の倒産が物語ってる中で、なんて潔いじいさんだってね。
問題は、なんで元就はこんな遺言(逸話)を残したのか?
元就が想像した、毛利の領地が半分になる危機とは?
領地を四分の一に減らしても妥協しなければならない相手とは?
当時の元就が知り得た情報で、これに当てはまるのは、毛利からすれば、遥か東の尾張から興って、瞬く間に畿内を制圧した信長しかいない。
まぁ、元就がかくかくしかじかの理由で、この遺言を遺すって、言ってない以上、推測でしかないんだけど。
少なくとも、信長いなけりゃ、消極的な遺言は、遺していない可能性もあるんじゃない。
長文ごめんね。
0706人間七七四年2008/02/01(金) 15:21:49ID:hDK+HQ6j
>>705
元就が尼子、大内の盛衰を見て来たからじゃない?
当時の信長と言えば単なる一新興勢力に過ぎん。
当時の毛利なら信長よりも大友、三好や尼子残党の方が怖い。
輝元がアレだから、なんかあったら意地にならず妥協しても最低限家は維持できるという意味で言ったと思う。
0707人間七七四年2008/02/02(土) 00:16:25ID:HuVCq7xb
>>706
かなり名高い勢力だった六角や三好を瞬く間に破ったのは、相当のインパクトがあったと思うけどね。
信長が畿内に勢力伸ばしている以上、毛利も天下を狙うなら、
自分の孫が信長と正面から戦うことになるだろう事は容易に想像がつくわけだし。
0708人間七七四年2008/02/02(土) 04:21:57ID:3IcfWbqh
>>707に同意だな。
信長の上洛及び畿内制圧は、当時の人間にとって、かなり衝撃的だったはず。
これに何の影響も受けないほど、元就が鈍感だったとは思えない。
信長の影響を無視して、戦国を語る難しさは、このスレの議論が、遅々として進まないことで証明されている。
逆に言えば、戦国時代で、信長の存在が大きすぎるほどに大きかったことの証ではないのかな…。
0709人間七七四年2008/02/02(土) 05:56:24ID:iOoh+onU
血筋はそう悪くないとは言え、三好家の興隆も結構インパクトあったと思われ。
信長だけではないと思うよ。意識してたのは。
0710人間七七四年2008/02/02(土) 05:58:48ID:iOoh+onU
要するに、全般的に浮き沈みの激しい世の中だと見ていたわけで、
織田家に攻められるだろうから多くを望まない、
みたいな具体的な話ではないでしょ。
少なくとも遺言でそんなことを言う奴は居ない。
0711人間七七四年2008/02/02(土) 07:11:44ID:RZaM5NFc
「戦国乱世ではよくあること」
ってことですね
0712人間七七四年2008/02/02(土) 10:44:45ID:vPN71zxc
>>704
上杉は武田・北条から攻められて風前の灯になってそうな気がするが・・・。
0713現代に顕われた織田信長の霊2008/02/02(土) 11:50:38ID:4Gj1U2y9
http://www14.atwiki.jp/415mattari/

篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。

皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。

現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。

不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
0714人間七七四年2008/02/02(土) 11:59:02ID:G5UppVCL
いい歳して本気で霊とか言ってる奴が居るかと思うと、真面目に働いてるのが虚しくなる。
0715人間七七四年2008/02/02(土) 14:15:02ID:j3zzAaLM
>>708
一時中国11カ国の大守になった尼子や上洛して政権を握ってた大内、
被官でありながら主家を追放し畿内を制圧して権力を握った三好。
それらの衰退を元就がリアルタイム見てたから、
「天下を望まず家を守れ」という家訓を残すのが不思議ではないと思うが?

当時の信長と言えば三好に代わる新興勢力程度だし、
反対勢力も多いから元就から見ればいずれ大内や三好と同じ末路に辿るかもしれないから、
それほど意識するとは思えん。

将軍を追放し反対勢力を尽く打ち破った後年の方のインパクトが強いだろ。
0716人間七七四年2008/02/02(土) 14:36:01ID:ia9Vu8tf
遺言状の制作時期がいつかは知らないが、
元就が死んだ時期は織田家が包囲網に押されてたときだよな
逆に「イケイケが過ぎると織田みたいに窮地になるぜ、お前らは自重しろよ」だったりして

まぁ信長はあんまり関係ないだろ
0717人間七七四年2008/02/02(土) 19:19:44ID:3IcfWbqh
>>716
言われて見れば、そうとも読めるな…。
元就って、本質的には、スッゲー拡大主義者だったはずなのに、えらい消極的な遺言ばかり遺しているのが、めっちゃ気になるんよね。
運や実力だけで、あれだけの大大名になったんじゃなくて、本人の意思も、拡大を善と思っていたはずなのに、なんで子孫には、消極的だったのかな…?
0718人間七七四年2008/02/02(土) 19:21:56ID:THtdU/4Y
>>717
>>715
0719人間七七四年2008/02/02(土) 21:00:27ID:c3V+GDzd
輝元を「頼りない孫だなぁ」と思ってた逸話は結構あるらしいな
0720人間七七四年2008/02/03(日) 19:43:13ID:/D6Sm21+
三好同様の新興勢力でも、十分過ぎるほど脅威だったと思うんだがなぁ…?
元就にして見れば、いきなり濃尾からやって来て、瞬く間に畿内を支配したんだから。
そこら辺の出来星大名と同列に語れない。
少なくとも、名前の上がった三好、尼子、大内並みの勢力で、彼ら同様、毛利にとって大敵であることは間違いナシ。
尼子や大内の残党、何度も戦ってきた大友とは、質量ともに比べ物にならない存在だったはず。
0721人間七七四年2008/02/03(日) 22:52:55ID:zai0q7cQ
>>720
だから元就存命中の信長で見ないといけないのだろう?
後世では信長のインパクトが強いし功績もわかってるが、
当時では新興勢力の一つに過ぎん。
元就といえば大内義興→義隆→義長の盛衰を一当事者として見てたし、
1代で守護代から中国11カ国太守に上った尼子経久や、
係争の相手の三好一族を見てきた。
そういう元就にとって信長はあくまでもその中の一人に過ぎん。
ましてや強硬策とって将軍や周辺勢力に攻められてる最中。

後世の後知恵で「元就が信長を怖がってるに決まってる」と判断するのが
おかしい。
本当に信長に恐れてるのなら「天下を望むな」のではなく「信長に逆らうな」
の家訓を残してたはずだが、事実ではそんなものは存在せず、
毛利家が織田との戦いに突入した。
0722人間七七四年2008/02/03(日) 22:53:33ID:ZtPmWoOd
いくらなんでも、元就の心境がどうのこうので
二日も三日も議論されてちゃたまらんぞ。
適当なところで諦めてやってくれ。もう蒸し返さないでくれ。
0723人間七七四年2008/02/03(日) 23:51:56ID:ArHNQTO2
毛利だって新興勢力。

これまで天下に関わった大勢力は大内であれ細川であれ三好であれ最終的には
没落してきた。今は織田が台頭しているが、やっぱり周囲を敵に回している。
今後どうなるかは判らない。
だから、うちは天下なんてあぶなっかしいものに手を出すな。ただでさえ周囲に
恨まれているのに。

元就の認識を想像すると、こんな感じだと思うなあの遺言は。
0724サイコメトリー2008/02/04(月) 00:38:38ID:/uQgE9Bl

毛利家が信長不在としても、元就死去後、単独で畿内掌握及び天下を望む事は
厳しいと思われます。
畿内を掌握及び足利将軍家の義昭or義栄を担いだ者と毛利家が手を組む事こそが
最も天下統一に近いのではないかと思う。毛利家は小早川隆景が主導となる事が
絶対条件ね。
0725人間七七四年2008/02/04(月) 00:59:22ID:mVfL27QV
信長と衝突するまでの毛利の躍進は結構目覚しいものがある。
これをもって、「厳しい」とみなす方がむしろ厳しいと思うけどな。
よほど致命的な弱点でもない限り。

まあ「たやすい」とまでは言わん。でも普通に有力な大名家の一つだろう。
0726人間七七四年2008/02/04(月) 03:51:40ID:h4zlKaEC
確かにたやすいものではない。
長慶も信長も反勢力や将軍の対応とあれこれ苦心して畿内を治めててきた。
0727人間七七四年2008/02/04(月) 04:04:51ID:ANU7Jdq3
普通に今川じゃないの?
0728人間七七四年2008/02/04(月) 04:44:02ID:o/5FodZ9
信長が存在しなかったとしても、
やはり義昭を担いだヤツが天下に近付き、
やはり明智光秀を重用することになり、
やはりクーデターを起こされてあぼーん

というわけで天下取るのは光秀か、もし家内に秀吉的なヤツがいたらそいつ
0729人間七七四年2008/02/04(月) 08:06:28ID:yBp42u0l
>>728
そんなことはない
0730人間七七四年2008/02/04(月) 11:34:59ID:P0A7eEb1
普通に考えて、毛利は天下取りの最有力候補の一人。
三万を越す兵力を養えるだけの経済力と、その大軍を1日半で畿内に上陸させるだけの輸送力と位置は、他の大名を凌駕している。
これだけの大大名が、天下統一に関わらずに安穏としてられる訳がない。
毛利が天下を望まなくても、天下を望む者にとっては、最大の障害になるんだから。
だいたい、元就は本当に、天下を望むなって、遺言したのか分からんからな。
0731人間七七四年2008/02/04(月) 14:21:44ID:k5WhlMPz
元就の遺言が実際に毛利氏にとってどう働くかなんてのは
ほとんど考察不可能だからとりあえず置いといておこう。
0732人間七七四年2008/02/04(月) 14:25:02ID:pRclJCfR
そんなに毛利が凄かったのなら何故たかが秀吉相手に清水宗治を助けれなかったんだ?
0733人間七七四年2008/02/04(月) 14:32:01ID:yRGaxzFx
織田の力がずば抜けてたからだろ。
0734人間七七四年2008/02/04(月) 14:49:48ID:T3JqIQ/7
織田、大友の両正面作戦+領内のゲリラ戦
いくら毛利でも持たん。
0735人間七七四年2008/02/04(月) 15:26:20ID:pRclJCfR
それが史実で毛利の限界じゃないの
0736人間七七四年2008/02/04(月) 15:30:54ID:66xF9zh5
史実ではな
0737人間七七四年2008/02/04(月) 17:08:47ID:k5WhlMPz
毛利の限界を指摘するなら「清水を助けられなかった」なんて些細な部分を取り上げなくて良いんじゃないか。
大友と九州の支配を争って芳しくなかったとか。
0738人間七七四年2008/02/04(月) 17:15:47ID:pRclJCfR
いや、東西で長い中国地方でどちらかに戦力を集中させたりしてるのがどうかと
0739人間七七四年2008/02/04(月) 17:54:37ID:7uD+BC9H
後の天下人となるほどの器量持ちであり日の本一の城取名人であり血を流さない
戦争の名手であり人たらしの天才、の直率軍と数年に渡り対峙して戦線を構築しえた
という事実はそれだけでも凄いぞ
織田方から見れば本願寺の徹底抗戦、荒木謀反、別所の再離反の裏には毛利が
いるわけだし
後方では大友と争いながら、だ
0740人間七七四年2008/02/04(月) 18:14:18ID:P0A7eEb1
秀吉も、信忠らに助けてもらっている。何よりも、秀吉の背後には、莫大な織田の軍資金があった。
資金援助なくして、三木の長期攻城も、鳥取の干殺しも、高松の水攻めもありえない。
0741人間七七四年2008/02/04(月) 18:49:14ID:pRclJCfR
毛利、凄いのは認めるけど天下取りは視野になかったと思う
ホントに東へ行くつもりなら防衛以外に九州にかかわったりしないで東側に主力持ってくのでは。
そうしていれば秀吉は攻め込めなかったかもしれないし、一度追い返した時も侵攻出来たのでは?
でも、実際は九州そんなに甘くないし東は世渡り上手の宇喜多にまかせてたわけでしょ
0742人間七七四年2008/02/04(月) 18:51:55ID:7uD+BC9H
>>741
君が何を言いたいのかさっぱりわからない
歴史ゲームと歴史のifは違うよ
0743人間七七四年2008/02/04(月) 18:59:32ID:pRclJCfR
>>742
だから、九州が安定しないかぎり毛利の意識は防衛いがい東に向かないし余裕がない
九州にどこまで信長の影響があるんだ?
0744人間七七四年2008/02/04(月) 19:17:22ID:66xF9zh5
>>743
よくわからないが、なんで意識が東に向かわないんだ?
史実では九州四国東進の3面作戦で主力は九州撤退後は東進だったよな
0745人間七七四年2008/02/04(月) 20:55:20ID:TbR4HNmr
まず日本語を練習しよう
それから、お薬をきちんと用法どおりに飲もう
0746人間七七四年2008/02/04(月) 21:58:54ID:P0A7eEb1
元就死後は、一応九州でのけりは付いた形じゃない。
後は、順調に東に勢力を伸ばしている。宇喜多を属国、別所、波多野を同盟国と見なせば、畿内まで後一歩。
0747人間七七四年2008/02/04(月) 22:30:41ID:mVfL27QV
毛利の九州戦は、基本的には防長の防衛の延長線上だよ。
主たる攻勢軸は中国地方の東進だった。
>>741の、九州に主力を向けていたと言うのは何かの勘違いだろう。
0748人間七七四年2008/02/04(月) 22:49:21ID:FUfThmRg
毛利は四方に敵を抱えていて戦力集中がしにくい環境だったてのには違いない
0749人間七七四年2008/02/04(月) 23:04:21ID:pRclJCfR
>>746
では、1578年頃まではだいたい史実通りって事でいいのかな。
別所と波多野は信長いないとどっちかわからないかと。
どのへんの年からifなのかで東日本の話と繋がらないから毛利の話する人は
もうちょっと具体的に頼みます。
0750人間七七四年2008/02/04(月) 23:13:29ID:wx7GECBm
>>747
あれだけ散々博多に拘っていて、小早川も吉川も投入して元就当人も長門まで出張ってきていて?
0751人間七七四年2008/02/04(月) 23:19:03ID:pRclJCfR
>>747
ご指摘、どうもです。
中国地方の制圧なら東向いてると思うけど、天下といわれるとどうかな?と思ってます
0752人間七七四年2008/02/05(火) 00:44:09ID:a55UeMJz
>>750
博多には特別にはこだわってないと思うが(要地ではあるけど)。
そして長門は九州じゃないぞ。
0753人間七七四年2008/02/05(火) 12:30:21ID:OB1W+WU7
別所なんかは、毛利、織田のどちらも選べる立場にあったのに、最終的に毛利を選んでいる。
信長がいなくても、畿内の支配者(三好?今川?)を蹴って、毛利を選ぶ可能性が高いんじゃない。
毛利の外交力は高いと見てるんだが。
0754サイコメトリー2008/02/05(火) 12:54:06ID:nydEM7RO

自分もこのスレpart6 位から見てるんだけど、つい思ったんだけど、信長の人物評は別として、
彼の決断力と行動力があったからこそ、秀吉〜家康って流れで天下の掌握が出来たんだよね。

つまり信長が不在であれば、秀吉や家康が台頭する事は必然的な厳しいよね。家康は今川うんぬん
言う人もいるけど、それでも主家乗っ取る事は難しいでしょ。って事は、その他の有力大名って事
で基本スレが流れてるけど、割拠状態が継続する可能性の方が高いと思うのよ。

自分も基本は<<519論なんだけど、いち大名が完全統一する事は難しい気がするけど、どうかな?
0755人間七七四年2008/02/05(火) 13:42:05ID:BuMB8n4A
>>753
宇喜多や赤松や浦上は織田に付いてるし、別所家中も割れていたから
それだけで外交力が〜とは言えないかな
0756人間七七四年2008/02/05(火) 21:28:25ID:a55UeMJz
基本織田の方が戦力は上だったんだから、
「それにも関わらず」毛利についた大名がいたと言うことが重要なんじゃないの。
まあ地域紛争で、誰の支援を仰ぐかは方便みたいなもんだと思うけど。
0757人間七七四年2008/02/06(水) 00:42:58ID:csetS2KY
>>754
俺もそう思う。
ずっと群雄割拠状態だったんじゃないかなと。そう考えると信長はすげえなあ・・・
信長がいなかったら、家康は今川の一武将的扱いで終わってただろうし、秀吉は・・・大名ぐらいにはなってただろうけど天下は無理だろうし。


0758人間七七四年2008/02/06(水) 02:51:30ID:iX/R7f1a
>>753
別所の場合は毛利を選んだんじゃなくて
赤松同様、家中の織田家との外交担当者の権限が増すのに反発した結果
織田家から離反したって感じだとおもうけど
0759人間七七四年2008/02/06(水) 07:16:35ID:fEQbf8Qb
>>758
相手の派閥争いを利用して、自国に有利になるように図るのも、外交の一つ。
外交とは、戦場で得る物を、テーブルで勝ち取ることです。
0760人間七七四年2008/02/06(水) 07:35:32ID:cJR4IGrZ
信長がいなければ、桶狭間が無いんだから今川がそのまま上洛して全国に号令をかけるんでねえね?
0761人間七七四年2008/02/06(水) 07:59:08ID:ApHg/MG2
上洛=天下でもないからなぁ
0762人間七七四年2008/02/06(水) 08:19:52ID:cJR4IGrZ
でもあれだけの駿河・遠江・三河の軍事集団が存在するとなると歴史が変わってだだろうな
0763人間七七四年2008/02/06(水) 09:47:25ID:zHM4FTHV
三国を抑えた上尾張まで落とすとなるとかなり手がつけられない強国が出来るのには違いない
0764人間七七四年2008/02/06(水) 10:56:34ID:cV4s3Tb9
軍事力のある国が上洛=天下と考えてほぼ差し支えない。
しかもあれだけの名家。
0765人間七七四年2008/02/06(水) 11:04:04ID:RJgd0Vcj
紀伊半島の真下に九州があったら?
って話にしないか?

鉄砲伝来は土佐か
0766人間七七四年2008/02/06(水) 11:22:20ID:9GWUUKYc
>>754
割拠状態って、どの程度の状態を想定しているのか判らんが、

1)都道府県レベルの群雄が割拠
2)道州制レベルの群雄割拠
3)3〜5勢力ぐらい

俺的には、2になったなら必然的に3まで行くと思うし、3までいけば大勢力どうしの
連合政権レベルまでは確実に行くと思う。
そこまで行けば秀吉・家康連合とほぼ同等の実力があるから統一までいかないのは
考えられない。
時期的に30年くらい遅れるかもしれないが、そのぐらいの遅れは別にたいしたことで
はない。
そもそも秀吉政権も江戸幕府(初期)も諸大名の連合政権で、寛永期を経なければ
幕府のヘゲモニーが確立したとは言えないんだから、史実とそうかわらんだろう。
0767人間七七四年2008/02/06(水) 11:39:15ID:5FDa+tJj
>>764
大内政権も軍事力で上洛したし、畿内はもちろん地方に対しても影響力があったが、長続きしなかった。
0768人間七七四年2008/02/06(水) 11:47:42ID:45ZpDaIq
上洛自体はたいした要素じゃないって。
裕福な畿内を支配できるってのが主体で。
その点だけはゲーム的数値的に判断して良いんじゃないか。
0769人間七七四年2008/02/06(水) 12:37:15ID:cQqcmWV+
そう簡単に支配できるものじゃないのは大内、織田の歴史の通り。
大内は失敗し、織田も薄氷を踏むような危機の連続だった。
0770人間七七四年2008/02/06(水) 13:35:00ID:cV4s3Tb9
そりゃそうだけどそれは全ての大名にいえる事で
対外・立場・軍事・国力、今川が最有力なのには変わりないと思うけど。

視点を変えて、今川が上洛したとして目の敵にするのはどの勢力だろう?
立場的に上なのは…誰だ?
0771人間七七四年2008/02/06(水) 13:40:53ID:/2gh3tU7
>>770
三好家じゃない?
0772人間七七四年2008/02/06(水) 13:41:04ID:5FDa+tJj
1560年時点なら今川が最有力ではなく有力候補の一つ
0773人間七七四年2008/02/06(水) 13:49:47ID:fEQbf8Qb
2)まで、行けそうなのは、
東北 伊達、関東 北条、甲信 武田、北陸 上杉、東海 今川、畿内 三好、中国 毛利、北九州 大友、南九州 島津、四国 長宗我部ってところ。
このうち、伊達は北条が早めに北上して来たら駄目。
武田、上杉も三国同盟堅持されれば、勢力拡大は難しい。
三好も、他地域の大大名が上洛して来たら、ヤバい。
大友は、島津にやられた。
長宗我部は、三好が早々とコケてくれないと芽がない。そのうえ、四国統一しても100万石に満たない。
残っているのは、北条、今川、毛利、島津ぐらい。
0774人間七七四年2008/02/06(水) 13:51:11ID:fEQbf8Qb
↑は、>>766に対して
0775人間七七四年2008/02/06(水) 13:58:15ID:/2gh3tU7
>>773
>武田、上杉も三国同盟堅持されれば、勢力拡大は難しい。
何で?
0776人間七七四年2008/02/06(水) 14:34:07ID:fEQbf8Qb
>>775三国同盟堅持されれば、上杉は武田、北条に、史実以上に攻められる。
武田は、進行方向が、北に限定され、史実以上に、上杉と泥沼。
0777人間七七四年2008/02/06(水) 14:50:42ID:/2gh3tU7
>>776
北に限定されないよ?
0778人間七七四年2008/02/06(水) 14:51:24ID:/2gh3tU7
上杉はその通りだろうけど
0779サイコメトリー2008/02/06(水) 15:53:28ID:m7/3VELC
>>766
割拠状態の想定は1)強 くらいだと思います。

つまり、各局地的な支配が続くと思われる。秀吉や家康は絶対的な支配者で
あり、外様が蜂起したとしても即座に沈静出来る立場と力があるじゃないですか。
自分はそういった人物は戦国期には生まれないと考えてます。

最終的には列強の襲来により、幕末時の状態となる。江戸幕府がないだけで、史実
と変わらんって所は>>766と同じですね。
0780人間七七四年2008/02/06(水) 16:03:44ID:kglEeRal
>>777
もうちょっと中身のあるレスしたら?
0781人間七七四年2008/02/06(水) 16:51:57ID:ApHg/MG2
信玄が上洛より東北制覇をもくろんでいた、とは思えん
0782人間七七四年2008/02/06(水) 17:50:19ID:bFXa0mmS
>>781
信玄は、今川が大国になって堅くなったから
どうしても越後の上杉に向かわざるをえない。
もし日本海に出れたら東北じゃなくて
北陸潰して上洛を目指すだろう。
0783人間七七四年2008/02/06(水) 18:01:37ID:RJ82Hnyu
今川が大軍率いて西へ動くなら隙だらけの駿河を信玄が放置するとは思えん
0784人間七七四年2008/02/06(水) 18:08:05ID:cV4s3Tb9
>>783
そんな目先の行動したら、信玄の信用は一気に失墜するぞ。
第一家臣が離れる。
0785人間七七四年2008/02/06(水) 18:12:36ID:B+Ii5YJN
>>784
だな。史実の義信問題の時以上に武田家中の親今川派は勢力が大きくなっているだろうから、
親今川派と反今川派で家中が真っ二つになって混乱する可能性大だな。
0786人間七七四年2008/02/06(水) 18:13:30ID:bFXa0mmS
>>783
引き返してきた今川の大軍に叩かれる。
北条も今川につく。
0787人間七七四年2008/02/06(水) 18:13:42ID:EHjG7i6z
信玄が今川攻めたら北条が黙ってないだろ。
なんの為の三国同盟だ
0788人間七七四年2008/02/06(水) 18:44:07ID:RJ82Hnyu
いや今川軍が駿河にいてこそバランスがとれた同盟であるわけで
軍事的空白見つけた信玄は動かなかった例がありません
北条は謙信共闘話と今川領一部割譲で納得する気がします
0789人間七七四年2008/02/06(水) 19:01:18ID:B+Ii5YJN
>>788
武田家家中はもちろんの事、北条家家中にも親今川派の家臣が結構いるんだよ。
武田家家中の意見を纏める(親今川派を抑える)のでさえ困難で、
しかも武田家家中で今川侵攻の議論をする段階で親今川派から今川家にこの情報が届く。
当然今川家は武田家に警戒をより一層深めることとなるし、
武田家が議論してる最中に先に北条家に使いを出して、北条を今川側に取り込もうとするわな。
仮に今川家に情報が漏れずに家中の意見を纏めることに成功しても(おそらく無理だが)、
北条家では北条家で家中の議論が真っ二つになって揉めるに揉めるだろう。
もちろん北条家の親今川派から今川に情報が届くことになり、今川からも武田に味方しないように釘を刺されるだろう。
仮に北条家を味方に出来てもこんな調子で電撃的に今川の軍事的空白とやらを衝くことができるのかな?
武田家・北条家でそれぞれ家中が揉めてる間に今川もなんらかの対策を講じて軍事的空白なんて無くなるでしょ。

第一、自身の家中にも今川派がいて武田家にも今川派がいる、足並み揃わないのが分かりきっていて北条が味方すると思うか?
仮に味方しても今川に武田家・北条家それぞれの親今川派の連中の切り崩しをされるだろうな。
0790人間七七四年2008/02/06(水) 19:31:20ID:0EJFp98N
俺も武田は三国同盟堅持なんてしませんよ派だが
北条が駿河に攻め込むことは無いだろ
対上杉戦、今川衰退期、御館の乱、甲州崩れ辺りの
対応をみても本当に関東第一主義だからね、
三国同盟以前の国境の安定のために今川領を扼す事はあっても
本格的進攻する可能性は低いと予想する

あるとしたら今川と組んで小田原攻めさせて、
その隙に武田が関東侵食とかじゃないかな
少なくとも上杉と泥沼はやらないだろ
0791サイコメトリー2008/02/06(水) 19:59:26ID:m7/3VELC
何回も言う様だけど、信長不在で誰が天下を・・・ってスレなんだから、
武田・上杉・今川を語る時は彼らが天下を目指すにおいての話にしましょうよ。

関東や中部等の局地的な話は別スレでお願いします。武田信玄も上杉謙信も
北条氏康も間違いなく名将だと思いますよ。
0792人間七七四年2008/02/06(水) 20:00:40ID:o+T+3rRF
>>773
三好の弱体化が無い限り、長宗我部の成長はないだろ
0793人間七七四年2008/02/06(水) 20:16:19ID:EHjG7i6z
>>791
天下めざすなら単独では無理な話で、武田、今川、北条は三国同盟で有利でしょう。
それに異論が出てるってだけで。
0794人間七七四年2008/02/06(水) 20:19:28ID:HnJ2vJhz
だいたい武田が駿河奪っても一時の事だろ。
その後の泥沼的な今川との対立はどうするんだ。北条にも武田の不誠実は伝わり、両側から攻められかねない。
ていうか背後には上杉もいるし、まぁ無理。 駿河攻めてる段階で既に無理。
0795人間七七四年2008/02/06(水) 20:48:02ID:30rfFYEh
>>785>>789
武田が駿河を攻めるかどうかはともかくとして
随分武田の中の親今川派とやらを重視しているみたいだが
武田家中においてそんなに親今川派は巨大な存在か?
義信事件の時でさえほとんどの家臣は信玄を支持し義信は孤立したのに。
正直そこまで巨大な存在とは思えんのだけど。
北条についても氏康死んだらさっさと今川きり捨ててるように
親今川勢力とやらが両家にとって巨大な存在とは思えん。
もともと今川家と武田・北条は敵同士で戦略上手を結んだだけなのだし。
家臣たちがそこまで今川に義理立てするとは思えん。
0796人間七七四年2008/02/06(水) 21:13:53ID:B+Ii5YJN
>>795
史実では↓の2点があったから南進論に異を唱える家臣が少なかっただけでしょ。
・越後方面進出は極めて厳しい
・桶狭間の影響で三河の松平が独立など、今川家の基盤が脆弱化

しかし、史実と異なり桶狭間は起きず当主の義元健在、三河衆も離反せず、
従来の駿遠三に加えて尾張も手中に入れようとするなど(ここでは手に入れてる前提なのか?)
まさに飛ぶ鳥落とす勢いの今川家。
史実のように信玄が南進論をとなえても、史実とは違って強大な今川家と対立する事に同調する家臣よりも
同盟維持こそがお家安泰と考える家臣が多いと考えるのが普通なんじゃないのか?
お家の命運が左右されるような政策転換なんて当主の独断で即決なんて武田家に限らず普通に無理でしょ。

今川家も西に進み続けるのなら当然同盟国とはいえ武田・北条も仮想敵国とし、
それぞれの家中の中に親今川派ができるように工作し、親今川派の発言力が強くなるように支援するだろうしね。
史実とは違って今川家は巨大化し続けるんだから、今川家と盟約を維持するのが安泰と考える親今川派は
結構な数になると考えるのは間違いかな?
0797人間七七四年2008/02/06(水) 21:25:03ID:kglEeRal
>>795
嫡子が反対ってのは十分巨大な存在じゃないか?
義信事件後は家臣から精子とって、家中の動揺を抑えてる。
義信の存在が小さいならば、家中の動揺もなく、さらには精子を取る必要も無い。
北条の場合は越相同盟が機能してなかったからね。
親今川勢力が弱かったから、甲相再同盟に至ったという見方は、ちょっと極端じゃないか。
そして、当時の同盟なんか自己を有利にするための戦略以外の何者でもないよ?
そんな盟約破りをするような人間に後方を任せたら危ないと判断して、今川支援したんじゃないの?
或いは、まだ北条方は武田と交渉してる途中だと考えていたか。
にもかかわらず、武田は勝手に駿河に攻め込んだ、許せん、と。
0798人間七七四年2008/02/06(水) 21:35:34ID:87lLWJss
>>795
桶狭間が起きてすっかり弱体化した今川の侵攻に対しても史実では武田の次期当主と筆頭重臣などが親今川派だったし、
もし義元健在で今川が尾張美濃制して上洛してる途中ならもっと割れるだろ。
それこそ信玄が追放されかねない。
0799人間七七四年2008/02/06(水) 21:40:05ID:30rfFYEh
>>796
いや、とりあえず仮定の是非はともかくとして
>>それぞれの家中に親今川派ができるように工作し
ここら辺がよくわからん。正直な話、今川と戦うべきじゃないよ、と考える者が
いたとしてもそれが=親今川派とは限らない。結局の所それは計算に基づく考えなわけだし。
計算にもとづいて攻めない事があるなら計算に基づいて攻める事もある。
そいつらが武田と今川が敵対した時に武田の足を引っ張ってでも今川につくかは別問題なわけで。
今川が家中工作とかして同盟国の家臣を取り込もうとしたらそれは間接的以上の敵対行為だ。
多分それやったら両家における今川への感情は確実に悪化するだろう。
今川がそんな事するかはかなり微妙だと思うが。

それから史実では義信と信玄の対立は最近は織田との同盟の是非をめぐったものという
説も出ている。義信事件が起きたのは実は今川攻めから数年前の織田と武田の同盟直前なんだな。
両者が偶発的に激突したこの時は武田は西上野、織田は美濃にそれぞれ夢中だったので両者戦いたくなかった。
それで同盟という話になり、義信は妻の実家である今川の敵である織田との同盟を拒絶し
事件に至ったわけだ。さらにこの後も信玄は今川に対して三河を一緒に攻めようとか持ちかけたりしてるし
どうもそんなに差し迫って南進論が唱えられていたわけではないように思えるのだけど。
そして義信事件の時も駿河侵攻の時も武田家中ではそこまで深刻な動揺はでなかった。
こうしてみると武田家中に今川派なんていたのか?という疑問さえ出てしまう。
0800人間七七四年2008/02/06(水) 21:46:36ID:RJ82Hnyu
逆じゃないかな
対等だった同盟相手が強くなればなるほど警戒するのが普通
影響受けて離反する家臣も出たりで過剰反応となるはず
・越後方面進出は極めて厳しい
・今川家駿河に軍事的空白地がある(北条は関東しか注目して無い)
この二つしか見えない気がするんだよ
上杉とグダグダやっていても状況を打開できず他へ目を向けた史実と同じになるんじゃないかな
そして今川武田激突、義信粛清されるに一票
0801人間七七四年2008/02/06(水) 21:49:16ID:30rfFYEh
>>797
結局その嫡子に味方しようとしている存在が少なすぎるわけで。
重臣クラスもほとんど信玄支持で義信についたのは飯富くらいなもの。
結局内部からあっさり情報が漏れてこの計画は破綻する。

そう。結局戦国の同盟なんてものは利害打算に他ならない。
北条が武田と敵対したのもその判断あっての事。
だから親今川勢力が強かったから北条は戦いを選んだという考えは不可解に思える。
結局武田にとっても北条にとっても親今川勢力なんていうのはその足かせになるような存在では
ないと思うんだけど。
0802人間七七四年2008/02/06(水) 21:54:11ID:87lLWJss
>>799
義信は妻の実家である今川の敵である織田との同盟を拒絶し事件に至ったわけだ

普通それを親今川と言うのだけど。
そもそも今川寄りの家臣がいなければ義信が幽閉されん。
一人冷遇されて終わり。
嫡男幽閉され、筆頭重臣の飯富が切腹して他にも家臣が連座するほどのに、
「武田家中に今川派なんていたのか」と断ずるのが主観的すぎ。
0803人間七七四年2008/02/06(水) 21:58:59ID:30rfFYEh
>>798
その飯富さんは結局義信の守役だったから味方したに過ぎないわけで。
そこまで「今川」に拘泥していたわけでもなかったような。
この飯富虎昌という人物は信玄が信虎を追放したときにも関わった人物で
信虎追放が信虎の権力強化に対する反発でおきたというなら
義信事件当時の信玄がかっての信虎以上の権力強化を進めていた事が飯富には
面白くなかったはず。そこでこれを機会に義信を擁立し信玄を追放すれば飯富は
信玄初期の板垣のポストにつける事になる。それを狙っていたというのは飯富と信玄が
当時は不仲だったとされることからも考えられることでは。
要するにここでも飯富が動いた理由は自分の利害に他ならないと思うんだよ。

仮定における武田今川の激突がいつごろになるのかはわからないが
史実の時点なら武田家中には信玄が引き立てた連中が要職につき、その統制力は
かなり上がっているはずなんだけど。まあ信玄が上洛した今川に戦いを挑むかはわからないけど。
0804人間七七四年2008/02/06(水) 22:03:54ID:R0vwv1ah
信玄が義信を幽閉なんかしたりしたら、今川に攻める口実を与えるようなもんだと思うんだが。
婿殿を助けるって。ついでに信虎も担ぎ出しての甲斐討伐が現実味を帯びてくる。
0805人間七七四年2008/02/06(水) 22:06:37ID:87lLWJss
>>803
そん時今川と戦うならそれ以前すでに戦ってたよ。
相手が一番強いときにチャレンジする理由がどこにある?
義元健在の今川が上洛しても武田が上杉の決着がつかない限り今川を敵に回す可能性はほぼゼロ。
一時の隙をついても北条が許さないだろうし、史実でも今川と共同で武田を駿河から追い出した。
義元上洛するにしても信玄対策をしないまま行くとは思えん。
0806人間七七四年2008/02/06(水) 22:08:38ID:30rfFYEh
>>802
飯富の事については>>803も参照してくれい。
とりあえず嫡子が信玄暗殺なんて考えたら普通は断罪されるもの。
冷遇だけじゃすまないのが普通。
義信事件は信玄暗殺を主体としたクーデター計画だから。
それからその義信に関しても信玄は3年にわたって生きながらえさせている。
その間に調停も何度か試みられているが結局義信は折れず病死とも自害ともいわれる最後をとげる。
そんなにやばいなら一刻も早く殺そうとするのじゃないのか?
それから連座してきられた長坂源五も曽根周防もいずれも重臣ではなく
「重臣の息子」で「義信付きの近臣」になっていた若い連中。
要するに義信の謀反は身内で始まり身内で終わったわけだ。
他の主要家臣が連動した形跡はないのにどうしてこれで武田家中の動向を縛れるほどの
親今川派がいると思うの?
0807人間七七四年2008/02/06(水) 22:14:52ID:30rfFYEh
>>805
ちょい待ち。俺はもともと>>803にも書いているように信玄が上洛した今川に戦いを
挑むかはわからないといっている。
ただ武田家中に武田の動きを縛れるほどの親今川勢力なんかいるのか疑問でな。
それから武田が駿河から一時撤退した時、あれ北条と今川の共同作戦っていうのか?
今川氏真は駿河から叩きだされて一部旧臣が抵抗していただけだし。
結局信玄が北条に対処して駿河に攻め寄せた時は「今川家」としての反撃はされず各個撃破されってたし。
0808人間七七四年2008/02/06(水) 22:44:26ID:LUuCGGy/
全員が天下目指す設定なら野望大きそうな晴信は仕掛けてもいいんじゃね
でも今川包囲網的な大義名分が欲しい
他の地域も同時進行よろしく
0809人間七七四年2008/02/06(水) 23:01:36ID:0EJFp98N
強大になった今川もしくは北条と戦わないと言う意見も多いが
史実では同じように婚姻と同盟を結んだ強大な同盟国の織田に対して
いきなり同盟破棄して総力を挙げた遠征軍を送り込だという例があるわけで

たまたま織田包囲網で弱ってたからと言う意見についても
やたらに国境の多い武田領をほぼ空にする大遠征は
兵の動員の他にも同盟や不戦条約等の外交など長い準備期間を要するので
駿河進攻時からの規定路線の一つと見たほうが自然と思える

どの道強国に囲まれる地理条件の武田は史実と同じように
同盟関係で東国を引っ掻き回す他に生きる道は無いし
戦国期は従属同盟で無い対等な同盟が長続きした例もほぼ無い
三国同盟堅持についてはいたって懐疑的です
0810人間七七四年2008/02/06(水) 23:02:03ID:nnDS27n3
仮に義元が信玄より早死にして、当主交代の際に何らかの事情で揉めたらどうだろう?
俺には南下するとしたらその時くらいしか考えられんかな
少しの隙くらいじゃ信玄は動かないイメージだし
0811人間七七四年2008/02/06(水) 23:07:07ID:0EJFp98N
三国同盟破棄については時期やら状況やらで、さらに予想困難に成るので
いっそのこと信長が存在しないの事の他に、
当面は三国同盟堅持も条件に入れたるという手もある・・・かな
0812人間七七四年2008/02/06(水) 23:38:45ID:HnJ2vJhz
武田が動いたのは将軍である義昭あってだろ?
義元なら義昭も納得じゃねーの?世間的にも。
0813人間七七四年2008/02/07(木) 00:10:46ID:CkAkpf0A
誰が政権とっても一波乱あると思うよ。
人間てのはそういうもんだ。
0814人間七七四年2008/02/07(木) 01:00:44ID:u7RcBJR7
>>812
今川はほぼ完全に室町幕府から独立した勢力だろ
それが義昭と仲良くできるかな
0815人間七七四年2008/02/07(木) 05:14:46ID:yeqJxa7Z
武田やらで天下目指せね〜ちゅの!
三国同盟が継続しようがしまいが、どーでも良いの。頼むから別スレ行ってくれ。迷惑!!
0816人間七七四年2008/02/07(木) 08:01:07ID:CkAkpf0A
まあ武田が天下統一するだろうな。
0817人間七七四年2008/02/07(木) 08:47:31ID:nrBaBdkF
>>801
そりゃ嫡子ですら幽閉されたのに、表立って反旗を翻すヤツは相当のお茶目さんじゃないかな。
義信という存在が小さいならば、わざわざ誓詞と集める必要が無い。

義信が幽閉された時点で、義信に味方する武田家中のものは、行動を控えるよね。
利害を考えれば。
でも、義信と行動を共にしたものがいないから、親今川は弱いという。
おかしくないかな。
0818人間七七四年2008/02/07(木) 09:08:57ID:FVPBiojU
今川健在な限り武田、北条の目は無いな。
0819人間七七四年2008/02/07(木) 10:10:29ID:5S/2oSOA
>>817
信玄みたいに親父を追放できなければみんな存在が小さいと思ってるじゃない?
親今川派が存在せず飯富も守役だから味方したというのなら、
ことが表面化せず飯富に止められて終わりのはず。

なぜならこのままおとなしくして信玄が死んだら義信が当主の座に付き、
飯富も自動的に板垣並みの両職になれた。
わざわざ味方のないクーデターを起こしてやられるマネはしない。
私利のためならなおさら。有利なポストにいる人間は無茶しない。

それに、勝頼を見れば義信の影響がいかに大きかったのかわかるはず。
0820人間七七四年2008/02/07(木) 10:25:22ID:f7OkYwA4
言っちゃあなんだが今川義元が尾張崩れをしないわけなんだから当然同時に討たれた
重臣一同も健在
更に尾、三、遠、駿が今川領
これがこのスレとしての最小公約数なんだよな?
この状況で三国同盟を「あえて」反故にするとすれば武田より今川からだろう
少なくともこのスレのタイトルに沿ったif話をしたいのならば、この状況下での武田なんて
一田舎貧乏大名の内輪話はどうでもいい与太話
0821人間七七四年2008/02/07(木) 10:38:45ID:Dwf4gcXq
もう誰か書いているかもしれないけど。

メガドラの天下布武っていうゲームでは、
桶狭間まえのシナリオだと、
CPが担当する上杉、今川、北条、毛利がいつも大勢力になる。
次点で武田、朝倉、本願寺、大友、宇喜多、松永、島津かな。

逆にプレーヤーが担当して、セーブなしでやると、
絶対にどうかんばっても史実どおりが関の山なのが、長宗我部。
四国どころか、讃岐、阿波を維持することすら難しい。
あと、三好は四国と畿内分断されて、すぐにボロボロになるな。
家康はほとんどの場合、今川の最優秀軍団長みたいになっている。

伊達は政宗がでてくるまで家を維持しても、そのあと中央政権に怒涛の勢いでのまれて終わり。

・・結論、西は毛利。東は上杉、今川、北条のいずれかが出てきて、
最終的に関ヶ原あたりで大激突。
実質、京都を支配して天皇を動かした時点で、いずれかの幕府ができる。
(あるいは関白?)


0822人間七七四年2008/02/07(木) 10:59:50ID:H6EpCT2b
>>821
うちのウイイレではブラジルを外してPC同士でやらしたら日本は4強まで行った、
だから現実でもブラジルが予選落ちすれば日本は準決勝くらいまでは(ry

てか結構なお年とお見受けするが、その歳でゲーム脳って実生活に支障はないのか?
0823人間七七四年2008/02/07(木) 11:07:51ID:2R8fhDni





天下様WWWWW








0824人間七七四年2008/02/07(木) 12:42:15ID:u7RcBJR7
>>820
今川が畿内に出張るようになり畿内方面での敵が増えれば
武田が背く可能性はじゅうぶんあるんじゃないか?
織田に背いたときのように。
0825人間七七四年2008/02/07(木) 12:53:16ID:VLBPkDDt
義昭が望む物はお飾り将軍ではないからね
今川が完全に家来化するなら別だろうけどそれ以外は必ず対立するはず
そうなると今川の統一にならずに足利軍の天下再統一となってしまう
0826人間七七四年2008/02/07(木) 12:55:28ID:D1FtxXHL
>>817
そりゃ嫡子が成功できなかったとはいえ謀反したのだから内部の引き締めに走るのは当然の事。
その他の連中は結局数年にわたって義信が生きているのに何の動きもしてないし
そもそも義信に同調しようとした形跡のある連中自体が見あたらないんだけど。
そちらの意見は義信に同調しようとした連中がまるで見受けられないのに
いるかどうかもわからない親今川勢力とやらが強大だといってる。おかしくないかな。
そんなに強大なら信玄の行動を掣肘できるはずでしょ。
結局いたとしても義信が行動を起こすまでまるで関与せず、事が起こった後も息を潜める程度の存在でしか
ないという事になるんじゃないのか?
0827人間七七四年2008/02/07(木) 13:02:55ID:D1FtxXHL
>>819
いっとくが最近は信虎による晴信廃嫡を疑う声もあるんだけど。
強権が確立された状態で継承されるのとその強権の主を飯富たちが排除して
継承されるのでは飯富達の発言力には雲泥の差が出ることになる。
飯富が信虎や信玄の強権に反発していたなら義信を擁立してそれを追放する事で
自分達の影響力を増す事ができるというのは極めて自然な事だが。
つまり飯富には飯富なりの理由があった。

勝頼から見られる義信の影響ってどんなの?具体的に挙げられる?穴山がどうとかいわないでよ。

というかあんた親今川派がやたらと強大という割りには具体的に示せてないじゃない。
信玄の主要な重臣の誰が親今川派としてそんなに強力に活動するっていうの?
具体的に名前挙げられる?飯富以外で。
0828人間七七四年2008/02/07(木) 13:08:04ID:t7DDKj+r
>>827
史実とは違って今川は当主と重臣健在で駿河遠江三河尾張の強大な勢力なわけでしょ?
親今川というか今川とは協調路線でという考えの者は史実とは違ってけっこうな数になるでしょ。
0829人間七七四年2008/02/07(木) 13:20:19ID:D1FtxXHL
>>828
とりあえず上にも挙げているが
計算上今川と仲良くしたほうがいいと考える連中がいたとしても
それが今川と武田が衝突した時に今川の為にかいがいしく働くような連中で
あるかは別問題なわけで。
信玄がその状態の今川と戦うかどうかがそもそもわからない。仮定に仮定を重ねるものなので。

とりあえず史実における年代で戦うなら信玄が引き立てた連中がかなり要職につき信玄の統制力は
かなり上がっている。それで親今川派として動きそうな主要な重臣がみあたらないのに
上で話している人達はまるで武田家中に巨大な親今川派が存在して武田と今川が戦う前に
武田が内部崩壊するような口ぶりだったので反論させてもらっていた。
0830人間七七四年2008/02/07(木) 13:26:33ID:VLBPkDDt
仮に今川の調略にかかった国人が居たとしても武田の大勢に影響ないと思われる
崩壊するとすれば戦で大敗した時のみだろう
0831人間七七四年2008/02/07(木) 13:39:08ID:t7DDKj+r
>>829
信玄に引き立てられた連中は無条件に信玄の南進論に従うのかな?
上杉の相手をするだけでも精一杯、今川は史実と違って巨大、北条が味方になるか不明で今川支持に回る可能性が高そう
といった3点を考慮すれば今川との同盟破棄に慎重になる奴も出てくるんじゃないか?
それとも信玄に引き立てられた奴等は講談みたいに「御館様は神じゃ!神の言う事に間違いなし!」とか言って全員一致で賛成するとでも言うのか?
仮に今川と衝突したら今川の為に動く奴等は殆どいないと思うが(武田を見限って今川につく奴はいるだろう)
信玄の子飼連中からも慎重論が噴出するであろう家中を纏めて今川との同盟を破棄することが困難じゃね?
0832人間七七四年2008/02/07(木) 13:47:12ID:CkVHNPaW
親今川、反今川と綺麗に色分けは無理でも、外交関係において、今風に言えば、ロビイスト的な存在はいたとは思うんだけど。
後、親今川家臣が誰かってのは、愚問だな。
親今川家臣にして見れば、武田が駿河併合したら、そういった事実を隠そうとするだろうし、信玄も家中が上手く言っているのに、殊更荒立てはしまい。
史料が残ってなくて当然。
0833人間七七四年2008/02/07(木) 13:47:20ID:D1FtxXHL
>>831
うーん、なんか話がずれとるな。
俺はもともとその仮定に仮定を重ねた状況で信玄が今川に戦いを挑むかはわからんと行ってる。
信玄の戦略からして強大な相手と戦うなら必ず周辺状況を利用しようとするだろう。
単独で上洛までしてる今川に戦いを挑んだりはしないだろう。
そのIFに答えるには上洛した今川の周辺状況がどうなっているかが問題になる。
今川包囲網でも構成できそうな状況なら普通に武田家中がまとまり今川と戦う事もありえそうだが。
0834人間七七四年2008/02/07(木) 13:50:13ID:D1FtxXHL
>>832
違う違う。
義信事件から義信死去、駿河侵攻まで3年のタイムラグがあるんだよ。
この間に親今川派らしき連中が動いた形跡はまるでないんだよ。
そんなに巨大な今川派がいたというならこれは実に不可解な事だろう。
というか当時の信玄の主要な重臣で親今川派として動きそうな連中が見当たらん。
0835人間七七四年2008/02/07(木) 14:20:15ID:H6EpCT2b
信玄は家中に親今川派が居ようが相手が強大だろうがやるときはやる
史実から十分読み取れるだろ、後は状況しだいだろ
0836人間七七四年2008/02/07(木) 14:21:51ID:0XrF2U2p
>>834
今川の嫁を持つ義信を幽閉した時点で武田家の戦略方針が決まったよ。
あのタイムラグは調略の時間と見るべきだろう。
実際攻め込んだ時点で今川調略がほぼ完成した。
それにリーダーの嫡男が幽閉された以上、親今川派に動きがあるわけない。
別に今川の調略を受けたわけじゃないし、リーダーが捕われても行動を起こす義理はないから動きがないのは当たり前。不平は燻るけど。
あと、飯富以外粛清された家臣が少ないというのだが、当時の信玄は絶対権力者じゃなく、
国人領主の盟主だから大粛清したら家中バラバラで自滅しかねない。
実際義信が叛乱を起こした訳じゃなく、義信を中心に不満派が集まっただけだから、
義信を幽閉して補佐役の飯富を処罰して後は引き締めという処置しか取れない。
義信が挙兵して戦ってたら話は別だけど。
0837人間七七四年2008/02/07(木) 14:21:55ID:u7RcBJR7
>>832
>親今川家臣が誰かってのは、愚問だな

そうすると陰謀説とかと一緒で、憶測でしかなくなるな。
まあこのスレは憶測によって成り立つスレだけど。
>>832の意見が他より有力と言う説得力はなくなる。
0838人間七七四年2008/02/07(木) 14:33:45ID:D1FtxXHL
>>836
いや、だからね…。
結局それじゃあ親今川派とやらの活動なんて表にも出ない程度のものだって事じゃない。
その義信を中心に集まった不満派って誰よ?名前挙げられる?
俺には正直当時の信玄の重臣で呼応しそうな奴が思いつかんよ。
義信が謀議をしてるときも処断されるときも関わってるのは義信近辺の連中だけなんだよ?
そんなに巨大な親今川勢力がいるというのに義信は計画に一人も引き込まずなかったのか?
ありえんだろう。やる必要もないのに大粛清なんかするわけないでしょ。
そしてその巨大な親今川勢力は3年の間に一度も義信の為に調停さえしてやろうとしなかったと。
なんかいないものを無理に巨大にみせようとしてるように思えてならんよ。
何度も聞いているけどあの当時の武田の主要な重臣で義信に呼応しそうな奴ってだれ?挙げてみてよ。

それから武田は1567年くらいまで今川に一緒に駿河攻めようぜ、みたいな事をいってるよ。
0839人間七七四年2008/02/07(木) 14:46:30ID:qTWO6PsX
話しが平行線というより
お互いずれた会話をしてるようにしか見えない
0840人間七七四年2008/02/07(木) 14:48:37ID:D1FtxXHL
>>839
どこら辺がずれてるのか詳しく。
>>836は史実において親今川派が巨大だといっているので
俺はそれに対して反論してる。
今川が上洛した場合については上で書いてるよ。」
0841人間七七四年2008/02/07(木) 14:50:39ID:qTWO6PsX
まあ史実じゃ落ち目の今川だから親今川派なんていないだろうし
ここの義元が勢力伸ばしているようないIFなら親今川派は多いだろうな

今川と敵対することに十分な勝算があるならともかく
そうでないなら、義信かついで信玄を隠居などさせるぐらいはありそうだが
十分な勝算があれば敢えて今川を助けようなんて連中はいないだろうな
0842人間七七四年2008/02/07(木) 14:52:22ID:qTWO6PsX
>>840
>>>836は史実において親今川派が巨大だといっているので
どこにそんなことが書いてあるんだ?

つかそれがわからないから、延々と見えない敵と戦っているんじゃないか?
0843人間七七四年2008/02/07(木) 14:56:42ID:MrO43jNq
尾張奪取後の何年かあとに義元死亡
氏真が後を継ぐが弱体化。
信玄は好機とみて内部切り崩しを実行

最終的には元康独立、今川の家督は義信の子が継いだ

こんな結果はあり?
0844人間七七四年2008/02/07(木) 14:56:48ID:0XrF2U2p
>>838
当時の武田家では信玄派と義信派があるのは一般的な認識なのに、
義信には飯富と雑魚数人しか味方が無いと決めつける根拠はどこにあるかあげてほしい。
現に義信が処分された事によって動揺する家臣団を引き締めるために大量の誓紙が出された。
義信と側近のみだけならこれだけ大掛かりな引き締めは必要ないだろ。
義信の影響力が小さければ廃嫡されても家臣は動揺しないし引き締めの必要もないから。
あと、「巨大な親今川派」という表現はキミ以外誰も使ってない。
0845人間七七四年2008/02/07(木) 14:57:37ID:D1FtxXHL
>>842
>>国人領主の盟主だから大粛清したら家中バラバラで自滅しかねない。
>>実際義信が叛乱を起こした訳じゃなく、義信を中心に不満派が集まっただけだから、

これを言っているからには>>836は親今川派には大粛清されるだけの不満派が集結してる
と主張してることになる。
そんな大規模な連中が存在すると史実から見て思えませんといってるのだけどずれてるかね?
0846人間七七四年2008/02/07(木) 15:01:42ID:D1FtxXHL
>>844
ちょっと待った。それは悪魔の証明。ていうか質問返しするのはやめなさい。
>>836で義信派には大粛清されるだけの規模があるといってるのに
それに該当しそうなメンバーを一人としてあげられないのかね。
あると主張するならあるというほうが証明するのが筋。
当時において親今川派として呼応しそうな奴って誰?答えてもらえる?
普通は義信が信玄暗殺なんて計画したらそれに加担した飯富や側近が処断されて当然でしょ。
その義信を3年も生かしてると何度も言ってる。
0847人間七七四年2008/02/07(木) 15:03:38ID:WMiQcCCP
>>843
義元の寿命はifだが信玄の寿命ははっきりしてるぞ、時期的には微妙じゃないか?
0848人間七七四年2008/02/07(木) 15:06:21ID:MrO43jNq
>>847
う〜ん、微妙か

逆に信玄が死んだら今川に取り込まれそう。
0849人間七七四年2008/02/07(木) 15:06:56ID:qTWO6PsX
>>838
あと
>それから武田は1567年くらいまで今川に一緒に駿河攻めようぜ、みたいな事をいってるよ。
三河だが、それが事実なら信玄はそれ以前から今川家臣に対して調略の手を伸ばしていることに
武田が1566年あたりに今川との国境を固めたのは史実だと思うが
0850人間七七四年2008/02/07(木) 15:11:10ID:qTWO6PsX
>>845
慢性的な不満者だろ別にいても不思議じゃないと思うが
当時の今川の実力と旗頭となる存在がいないんじゃ燻って終わりだと思うが
それと>親今川派には大粛清されるだけの不満派が集結してる
>と主張してることになる。
は大きな隔たりがあると思うが
現在の政治だってそうだろうけどゲームじゃないんだし
対織田戦にもそれなりに不満のものは多々いたようだし
0851人間七七四年2008/02/07(木) 15:11:57ID:0XrF2U2p
>>846
>ちょっと待った。それは悪魔の証明。ていうか質問返しするのはやめなさい。
はあ?
一般的な認識と食い違ってるからその認識の根拠をあげろと言ってるだけだが?
それとも勝手な妄想で「義信に派閥は存在しない、青二才の分際で信玄と対立する派なんか作れる訳が無い」と思ってるのか?
それに、すでに書いてあるが義元事件の時大量な誓紙が家臣に出させた。
義元に支持者が居なければこんな事する必要はないだろう。
あと、義元派だからという理由で粛清される必然性は無い。
暗殺という計画自体少人数実行は当たり前だから、飯富以外処分された主な家臣がいないから義信派は存在しないという理屈はおかしい。
0852人間七七四年2008/02/07(木) 15:14:57ID:D1FtxXHL
>>849
まああの交渉は伊勢物語がどうとか言ってるからなあ。
全て正しいかは微妙だわな。
1566年?1567年じゃなかったか?
まあ義信事件の後じゃ今川も警戒の色を強めていたからねえ。
0853人間七七四年2008/02/07(木) 15:21:44ID:D1FtxXHL
>>850
結局その慢性的な不満派じゃ武田の行動の枷になれるだけの力なんかだせないでしょ。
それはゲームじゃないんだから。『不満発生』で即座に『謀反』なんかおきるわけない。

>>851
根拠も挙げずに勝手な妄想を述べているのはそちら。その一般論といいつつ
義信派に雷同する重臣を一人もあげられずただ罵倒だけに終始するのはやめてもらおうか。
それで結局当時において義信に雷同しそうな重臣の名前を挙げられるの?挙げてみなよ。
妄想じゃないんならね。

義元事件ってなんだ。義元事件って。
そんなに大粛清されるだけの派閥がいながら結局少数でしか動けていない事に
そもそもおかしいと思わんのかい。
それから誓詞提出はお家内部でのごたごたで家中の動揺を抑えるため。
お家騒動起きれば普通に引き締めが図られるのは自然。
0854人間七七四年2008/02/07(木) 15:28:12ID:qTWO6PsX
>>852
国境を固めろという指示は1566年だったと思う、勝頼書状で誰宛かは忘れたが、上洛スレの過去ログにある
1567年は今川塩止め、武田秋に家臣から起請文提出&10月に義信自害
年末に今川が上杉との交渉開始

そして三河攻めの提案は1568年春だったかな
同時期に武田は徳川との今川攻めの交渉に入っているが
0855人間七七四年2008/02/07(木) 15:29:28ID:qTWO6PsX
>>853
史実じゃな
0856人間七七四年2008/02/07(木) 15:29:38ID:0XrF2U2p
>>853
>根拠も挙げずに勝手な妄想を述べているのはそちら
いやどう見てもキミだろ。
義信派が存在してるのはほぼ定説なのに、根拠あげずに一人延々と異論を述べてる。
それに、自分ですら微妙と思ってる書物を自信満々に根拠に使うな。
0857人間七七四年2008/02/07(木) 15:35:31ID:D1FtxXHL
>>856
ちょっと待て。その定説と主張してる割にはそっちは一言もこっちの質問に答えてないぞ。
その義信派というのが飯富とその側近による少数だったか、あんたが>>836で言ったように
大粛清を引き起こしかねない規模だったかはまるで別の問題。
それで結局そちらは大粛清云々といいつつ武田において義信に呼応しそうな重臣を一人も
挙げられてないだろう。まずそれを主張してみたまえ。
甲陽軍鑑はもともと脚色を割り引いた上で読む資料。
その事件があった事とそれにどれだけの脚色があるかは別問題だわな。
武田が今川に三河攻めをもちかけ、今川が武田と織田との関係から拒否したようにうなずけそうなところもちゃんとある。
0858人間七七四年2008/02/07(木) 15:39:18ID:WnuUChrd
今川が上洛って事は、通り道の周辺国は
潰すなり服属するなりしてるんだよね?
武田が今川上洛後に駿河に攻めるんだったら、
単純に計算すれば、史実の信長領+家康領+駿河に、
甲信の海無し大名が挑むって事だけど、
勝ち目あるのか?
包囲網があっても厳しいだろう。
義元が信玄より先に死ぬとは限らないし。

駿河にしても、元々の本拠地であり、
隣に武田北条って大国がある国に
今川は少数の兵で守らせるかな?
今川だってその大きさに見合う兵力があるだろうし。

結局家中が一致団結して同盟破棄・駿河侵攻したって
敵う相手じゃないよ。
信長の存在の有無に関わらず、
上杉北条今川に囲まれている武田の天下は難しいかと。
0859人間七七四年2008/02/07(木) 15:53:23ID:0XrF2U2p
>>857
義信に近い人間でも誓紙を提出すれば成敗されなかったこと知らないのか?
成敗されたのは義信の周りの数十人+飯富の周りの人間だからそれだけしか居ない、
というキミの認識を崩すのにこれだけで十分。
あと、穴山信邦は別に義信の側近ではないけど始末された。
0860人間七七四年2008/02/07(木) 16:00:20ID:D1FtxXHL
>>859
結局義信の周辺だけじゃん、それ。
飯富と義信の周りだけだよ。それ。全然崩せてないよ。
義信にはそもそも80騎がついてたことは知ってるだろう。
全然重臣ではない義信につけられていたただの武士がどうかしたの?
信邦は穴山家の当主ですらないぞ。結局穴山家の当主で重臣の信君に
兵を差し向けられて自害していたはずだが。
結局重臣クラスで義信に着いた奴がろくにいないことになるじゃん。
0861人間七七四年2008/02/07(木) 16:11:01ID:yeqJxa7Z

あんたら武田話から、いい加減離れろよ!数名の奴らの為にたくさんの人が離れてしまう・・よ。

いくらifを語るスレでも、武田義信が天下とる事は無理だから!

根拠、三国同盟継続すりゃ武田が優位同盟じゃないんだから当然無理だし、同盟破棄しても近隣国が強敵過ぎて、時間が掛かりすぎる。結論、武田家無理!

もうこのスレで武田話をしないで!お願い!
0862人間七七四年2008/02/07(木) 16:24:48ID:2NfdhVsz
全否定と全肯定の応酬だからまとまらんわな。
IFなんだし武田も天下取る可能性はあるよ。
それも有象無象の各地の大名より遥かに高い確率でね。
ただ今川のほうがもっと確率が高いってだけ。
0863人間七七四年2008/02/07(木) 16:25:13ID:H6EpCT2b
つか家中に親今川派が居るからなんだってんだ?
史実では上杉派の従弟でも今川派の嫡子でも邪魔になれば排除してる
今川健在なら義信の成長とともに今川派が幅を利かすはずなどと仮定の話をしている人がいるが
たとえ今川派が力をつけようが信玄も晩年になるほどより権力を集中している
信玄の意向に従わないなら排除されるだけの話

信玄が耄碌する歳に成ればわからないがそこまで生きないし、それはまた別の話

>>861
何を言いたいかわからない、武田の動向を無視して今川の中央の戦略を語れるのか?
そもそも武田が天下を取る話など一言レスの奴しかしていないが?
まぁ今の不毛な流れを切りたいのには同意するけど
0864人間七七四年2008/02/07(木) 16:31:29ID:yeqJxa7Z
不毛の流れを切りたい・・。あなたの言う通り。
0865人間七七四年2008/02/07(木) 16:32:36ID:MrO43jNq
>>863
結局はIFなんだからそんなに熱くなるなよ

今の不毛な流れの君らだろ
0866人間七七四年2008/02/07(木) 16:40:41ID:MrO43jNq
三国同盟はいつまで続いただろうか?

三国のうちいずれかが他を圧倒する領土を得たらどうなるだろう
0867人間七七四年2008/02/07(木) 16:50:40ID:2NfdhVsz
>>866
個人的にはどうもならんと思うなあ。
同盟破ってまで大国を敵に回していくらかの領土を得るメリットがないもの。
友好なまま、織田豊臣に対する徳川みたいなポジに収まるんじゃないか。
ゲームじゃないんだから、そんな無謀なリスクを背負う意味がない。
浅井や明智なんてのは特殊な理由あっての事だろ。
0868人間七七四年2008/02/07(木) 16:54:09ID:VLBPkDDt
gdgdだな
親今川派とか訳のわからない新語使うから脱線するんだお
0869人間七七四年2008/02/07(木) 16:57:37ID:f7OkYwA4
まだくっだらねー親今川派どうこうやってたのかよ
スレタイすら理解できずID真っ赤にしてる池沼2人は武田スレでやってこい
0870人間七七四年2008/02/07(木) 17:38:40ID:nrBaBdkF
>>826
だから、引き締めなければならないほど、嫡子幽閉っていうのは影響が大きいわけでしょ。
敢えてそんな手段を採らねばならなかったんだから、嫡子の義信が親今川ってのは相当な勢力。
0871人間七七四年2008/02/07(木) 18:16:58ID:KPNl/NzC
軍事的空白などといういかにもゲーム厨の阿呆なレスからよくもここまで盛り上がったなww
0872サイコメトリー2008/02/07(木) 18:21:59ID:z8+EGYiR
いやいや多分、多くて4名内の盛り上がり。
0873人間七七四年2008/02/07(木) 18:34:42ID:UXngNBFF
>>867
まあその無謀なリスクを背負ったのが織田に対する武田であり
武田に対する北条であり・・・
0874人間七七四年2008/02/07(木) 18:37:36ID:0XrF2U2p
>>873
信玄晩年の武田と北条なら両者の実力はほぼ互角か北条の方が多少上じゃない?
0875人間七七四年2008/02/07(木) 18:49:01ID:2NfdhVsz
>>873
信長が京都を抑えて将軍を蔑ろにしていたからこその出陣だし
その頃にはもう逆転できるほどの差ではなかったのでは。
そうでなくても上洛途上の今川の隙を狙う意味も利点もないし
武田自身まわりが敵で動ける状況じゃないし、なにより大義名分がない。
0876人間七七四年2008/02/07(木) 19:40:08ID:RqevdFKH
三国同盟破棄の話をしているけど、これって今川が上洛に動いて駿河に隙が
できた時とか、義昭による今川包囲網の時のことだろう。
この時期は、義元・氏康・信玄とも寿命が尽きる頃じゃないか。
破棄が有るとすれば次代だと思うが義信が今川と敵対するとは思えん。
0877人間七七四年2008/02/07(木) 19:50:55ID:jS+mAhKX
このスレの前提からすれば、信玄から三国同盟破棄―駿河侵攻のシナリオははてしなく可能性が低いと思うんだがなあ。
史実でもそうだが、同時に北条を敵に回すことだぜ。
0878人間七七四年2008/02/07(木) 20:30:51ID:UXngNBFF
>>874
かといって簡単に倒せる敵じゃないのは明白だろ。
氏康は病床にあって難局を迎える時期ではないはずなのに。

戦国時代はその名の如く多少のリスクを背負っても戦う時代だったんじゃないかな。
戦ってやばくなれば和睦すればいいや、みたいな節もある。
0879人間七七四年2008/02/07(木) 20:31:08ID:D1FtxXHL
>>870
また出てきたの?
スレ住人が迷惑してるみたいなんだけどさ。
望むなら続けてあげるけどどうする?
0880人間七七四年2008/02/07(木) 20:32:57ID:UXngNBFF
>>875
さんざん義昭の手紙を無視した信玄が将軍のことを考えて出陣したわけないだろ。

今川だって自力で天下統一するとなれば結局将軍と対立せざるをえない。
0881人間七七四年2008/02/07(木) 21:20:25ID:1OWwNumw
おいwおまいら少し空気よんでみろ
これはたぶん

甲越同盟の布石
0882人間七七四年2008/02/07(木) 21:27:38ID:nrBaBdkF
>>879
逃げたいならどうぞ。
まるで自分は迷惑をかけてないみたいないい方してるけど。
0883人間七七四年2008/02/07(木) 21:32:59ID:D1FtxXHL
>>882
周りが迷惑してるようだから気を使ってやめようとしたんだがね。
そっちがそういう気なら挑ませてもらおうか。

>>870
それで?普通お家騒動なんか起きればその大小に関わらず動揺するもの。
引き締めが起きるのは当然。その火種の義信を3年も生かしておいてやってるのは無視するわけ?
そんなに脅威ならさっさと殺すだろ。
ていうか相当な勢力とかいってるけどさ、その内訳あげられるわけ?
相当な勢力とかいってるんだからできるよね?
まさか守役の飯富や義信近臣程度で相当な勢力とかいわないよね?
0884人間七七四年2008/02/07(木) 21:35:51ID:f7OkYwA4
はあ・・・バカ二人か・・・
0885人間七七四年2008/02/07(木) 21:38:26ID:5S/2oSOA
>>879
信玄10年の武田厨?
0886人間七七四年2008/02/07(木) 21:41:18ID://KWDLFq
この煽り口調と理解力のなさはっぷりはあそこの厨と似ている気がする
0887人間七七四年2008/02/07(木) 21:42:14ID:5S/2oSOA
>>883
飯富に関して勢力が大きすぎたから信玄に粛清されたという説もあるから、
飯富程度はないだろ。
次期当主の傅役にして信虎、信玄二代に仕えた武田の筆頭重臣だぞ。
0888人間七七四年2008/02/07(木) 21:56:14ID:nrBaBdkF
>>883
簡単に挑発に乗るのね。

お家騒動が起これば、動揺する。
そのとおりだね。
それが義信の存在が大きいってことでしょ。
殺したら余計同様するでしょ。

内訳って何?
誰かが言ってたけど、誓詞提出で罪を不問にする約束でしょ。
なら、もう旗頭がつかまってるんだから、親今川派は黙っちゃうよね、利害を考えて。
嫡子幽閉、誓詞提出これらこそがその影響の大きさを語ってるでしょ。
義信も多分お茶目さんじゃないだろうから、家中の様子見て行動はするでしょ。
まったく自分だけが孤立するなら、そんな実力行使に及ばないよ。
君が、そこまで義信がバカだというなら別だけどね。
0889人間七七四年2008/02/07(木) 22:05:01ID:D1FtxXHL
>>888
だから、義信の存在が大きかろうと小さかろうとお家騒動が起きれば
普通は家中は不安になるんだよ。ぶっちゃけ関係ないんだけけど。

その誓詞提出というがその願文の内容知ってるわけで?
その信玄のクーデター計画とやらは義信近臣たちによる信玄暗殺計画なんだけど。
信玄の信虎追放のような重臣層取り込みによるものじゃないわけ。
暗殺計画なんてものがあれば普通は幽閉されるでしょ。むしろ幽閉が甘いくらい。
その後3年に渡って信玄は義信生かして調停も着てるんだけど義信は折れなかったわけで。
それでその3年にわたってついにその親今川派とやらは行動できなかったと。
調停さえしてやれなかったと。結局其の程度の勢力だとしかいえんよ。
というかさ、君は予想だけでかたらないでさ、義信が誰をあてにして動いてたといいたいのか
明らかにしてもらえる?当時の信玄の主要な重臣で義信につきそうな奴なんか思いつかないんだけど。
まずそちらが言い出した以上挙げてもらおうか。
0890人間七七四年2008/02/07(木) 22:11:32ID://KWDLFq
>>889
>その信玄のクーデター計画とやらは義信近臣たちによる信玄暗殺計画なんだけど。
>信玄の信虎追放のような重臣層取り込みによるものじゃないわけ。
さも史実かのように言ってるな
0891人間七七四年2008/02/07(木) 22:11:43ID:5S/2oSOA
>>889
ひたすら人に要求するばっかりじゃなく、
自分も自説を証明できる根拠を挙げてみたらどう?
デタラメや妄想を一方的に垂れ流しといて、反論されたら「じゃ証拠でもあるのか?」
という態度は最低だよ。
0892人間七七四年2008/02/07(木) 22:14:24ID:D1FtxXHL
>>891
でたらめや妄想なんていってないんだけど。
というかあると主張するほうが証明するのが筋だろう。
俺は聞かれたことには基本的に全部答えたろう。根拠も挙げてる。
これでデタラメとか言われる筋合いがないんだけど。
義信事件をどう見てもそんな相当な勢力とやらが関わってはいないんだよ。
だからあるといういうなら挙げてみろといっているの。
0893人間七七四年2008/02/07(木) 22:15:55ID:D1FtxXHL
>>890
一応資料に基づいたんだけど。義信事件の顛末は甲陽軍鑑を典拠とするが
それによるならそうなるの。
これ以外の適切なのがあったら挙げてみてくれ。
0894人間七七四年2008/02/07(木) 22:19:56ID://KWDLFq
ID:D1FtxXHLこの人はそもそも何の話をしてるんだ?
史実の話をしているのなら
今川が衰退していたことと信玄派の行動が早かったことで
動こうにも動けなかったでおしまいなんじゃ
それはみんなの共通認識でしょ、

でそれを踏まえて義元が生きていた場合はどうなるかが最初の論点なんじゃ
0895人間七七四年2008/02/07(木) 22:20:15ID:5S/2oSOA
>>892
>俺は聞かれたことには基本的に全部答えたろう。根拠も挙げてる
過去レスを一通り見たけど、スルーしたりもするし、根拠も大して挙げてないよ。
武田が今川に三河攻めを提案したということも実際史実と合わないと指摘されてるし、
全部スルーした。

いつも自分に都合悪いことはすべて流してるから平行線のままだよ。
また10年長生きスレの流れを繰り返したいの?
0896人間七七四年2008/02/07(木) 22:20:31ID:n+MoTcSr
そういう話は他でやれよ
0897人間七七四年2008/02/07(木) 22:25:56ID:D1FtxXHL
>>895
いやスルーしてないって。
その後のレスで甲陽軍鑑は脚色を割り引くのが普通の資料だといってるでしょ。
その甲陽軍鑑にもとづく今川と武田の交渉内容は伊勢物語とかまで出てきてるから
全部鵜呑みにするにはいかないけど今川が織田と武田の関係で拒絶したといってるところとかは
うなずけるとちゃんといってるでしょうが。
そもそも義信事件では義信が信玄暗殺を計画したけど露見して
飯富と義信近臣と穴山当主でもない穴山信邦が捕まって切られ3年後に義信も死んだ。
ただそれだけ。これで何をあげろというの?どこに相当の勢力があるというの?
人にレッテルを貼るのはやめてくれ。
相当の勢力とやらがあるならあると主張するほうがだすのが筋。
0898人間七七四年2008/02/07(木) 22:28:00ID://KWDLFq
>その後3年に渡って信玄は義信生かして調停も着てるんだけど義信は折れなかったわけで。
あとこれも実際のとこは微妙だよな

>当時の信玄の主要な重臣で義信につきそうな奴なんか思いつかないんだけど。
ついでに飯富も長坂も曽根もかなりの重臣だと思うがあと穴山信邦も
板垣甘利が衰退した当時の武田家だと
飯富長坂跡部浅利辺りは信玄というより甲斐武田家ではトップクラスの重臣じゃないかと思うが
0899人間七七四年2008/02/07(木) 22:28:23ID:D1FtxXHL
>>894
義信派というか親今川派とやらが武田の行動を掣肘できるほどの規模を持っているとは
到底思えないというだけ。
0900人間七七四年2008/02/07(木) 22:29:35ID://KWDLFq
>>898
訂正
飯富長坂跡部浅利辺りが信玄というより甲斐武田家ではトップクラスの重臣じゃないかと思うが
そのうち飯富の当主と長坂の跡取が関与は甲斐では影響力大きいと思う
0901人間七七四年2008/02/07(木) 22:32:19ID:D1FtxXHL
>>898
何が微妙なの。

おーい。
なんか誤解してないか?飯富はともかく、長坂と曽根はその当主じゃなくて「当主の息子」で
「義信つきの近臣」になっていた若い連中の長坂源五と曽根周防だよ。
こいつらは義信の近臣なのだから義信に同調してもおかしくないけど
当主でもない若年の近臣に大した力なんかない。それは穴山家当主でもない信邦にしても同じ。
穴山家当主の信君は信玄を支持しているし。
0902人間七七四年2008/02/07(木) 22:33:25ID:yeqJxa7Z
↑本当っその通り!
義信がどうなろが、あんたらの言う通りで良いから、このスレ出てくれ、頼むから。皆、今後はこいつら一切スルーしよう。
今後入ってきたら、別スレ立てるよ。
0903人間七七四年2008/02/07(木) 22:37:02ID://KWDLFq
>>893
ないから詳細は不明でいいと思うが
そもそもいきなり暗殺ってのもな
浅井や最上みたいに強制隠居辺りが一番ありえそうだが

義信事件の顛末や信虎追放の部分は甲陽軍鑑でも信玄美化のため
信用が置けない部分だと思うが
年数の間違いは些細なことだろうけど
0904人間七七四年2008/02/07(木) 22:39:42ID:D1FtxXHL
>>900
若年の近臣に過ぎない長坂源五に大した力があるかね。
実際あっさり捕まって切られたし。
それから当時においては信玄が引き立てた連中が大きな力を持っている。
香坂は武田家最大の動員兵力で北信濃の差配を。
馬場美濃は中部信濃から飛騨越中方面を。内藤もいるし。
飯富の弟である後の山県もこの時期では侍大将格で信玄の信頼を受け
飯富の密告をする状態。ほかにも秋山とかいる。
この状況で正直義信派の面子は貧弱としかいいようがないんだけど。
0905人間七七四年2008/02/07(木) 22:43:47ID:DBcnwLU1
信虎追放時は甲斐も大きな飢饉で、当主交代もそれが原因である可能性がある。
0906人間七七四年2008/02/07(木) 22:43:48ID:D1FtxXHL
>>903
しかしそうすると処断された連中で見ていくしかないがそうするとやっぱり
面子が貧弱という事に…。
0907人間七七四年2008/02/07(木) 22:45:12ID:5S/2oSOA
>>901
義信の小姓である昌国(源五)が起請文出してたよ。
0908人間七七四年2008/02/07(木) 22:45:23ID://KWDLFq
>>899
そりゃ史実の話でしょ、いつまで繰り返しているの?
>>901
微妙というのは史料的根拠ってのと
そもそも一度謀反を企てような人間を信玄の気分的にというかリスク的に
もう一度跡取に戻せるのかってこと?
そこまで対立した場合で後に和睦した例は・・・・・・
大抵親が隠居しかないと思う

ただの子ならともかく元服した嫡男はどこの家でもそれなりに力と独自の軍事力があると思うが
でないと親子での争いなんて起こせるはずないしな
0909人間七七四年2008/02/07(木) 22:47:38ID:5S/2oSOA
>>904
武田家最大勢力にして甲山の猛虎こと飯富がついてるのに貧弱?
0910人間七七四年2008/02/07(木) 22:58:58ID://KWDLFq
>>904
単純な軍事力なら信玄の引きたてた連中や外様衆の方が上だろうな
織田家に例えるなら義信についた連中は
元亀頃の佐久間(飯富)林新次郎?(長坂)平手(曽根)みたいな感じで秀吉とか光秀あたりが春日や馬場あたりで
まあ長坂の親のほうは林と違ってこの時期も武田家の中枢にいたろうけどな

でまあ武田家全体の軍事力からすればそこまで大きな力じゃないけど
上記の面々は武田家の本拠である甲斐国内に大きな力を持っているからは影響力は大きいと思うが
長坂弟が今福の養子だったりもして甲斐国内の横のつながりもある
それらも考慮すべき
0911人間七七四年2008/02/07(木) 22:59:20ID:D1FtxXHL
>>907
いや、一応長坂源五は死んでるはずなんだが…。
まあその後も生きてるとか言う説もあるね。
でもそうだとしたら義信事件で義信の為に死んだ奴は本当に少ないという事に…。

>>908
まあ調停したのは快川とかだしね。信玄もいくだけ言ってみるかという感じだったのでは。
改心するなら良しという感じで。

甲陽軍鑑に示される義信の兵力は80騎なんだけど。
これは香坂(450)・馬場(120)・内藤(250)と比べても
穴山(200)・木曽(200)・勝頼(200)と比べてもえらく少ないのだけど。
第一ある程度の軍事力程度じゃ大国武田の当主には太刀打ちできないような。
0912人間七七四年2008/02/07(木) 23:01:15ID://KWDLFq
あとこの時期山県は侍大将格だっけ?飯富の当主の地位を得るために
兄を売ったという話は信憑性低いにしても

また春日の武田家最大の兵力ってのも実際はどうなんだろ?
0913人間七七四年2008/02/07(木) 23:02:47ID:5S/2oSOA
>>911
飯富の兵力はカウントしないの?
0914人間七七四年2008/02/07(木) 23:07:45ID://KWDLFq
>>911
家康に至っては信康殺したのみで終わらせたぞ

まあ調停は振りかもね、家中を落ちつかせるための

ぶっちゃっけその兵力は当てにならないと思うが
0915人間七七四年2008/02/07(木) 23:08:38ID:nrBaBdkF
>>889
だからさ、そのお家騒動が起こるのは嫡子の影響力がでかいからだと言ってるんだ。
そして、義信は武田家の嫡子。
もう十分でしょ。

誓詞の内容がどう関係するのが説明して。
暗殺計画とは初耳だ。
詳しく、史実として実証できるレベルで論証して。
暗殺計画なんてあれば、それこそ逆に暗殺するべきだとおもうけど。
織田信勝のぶながみたいに。

嫡子を殺すのはそれこそ動揺するからね。
それに、今川の娘の婿を殺せば明確な宣戦布告になっちゃうよ。

親今川が調停に入らなかったというが、旗頭が抑えられてるのよ。
エアフォースワンって映画でも、神々の足跡って小説でも言ってたけど、大統領が身柄拘束されると、権限は全て副大統領に移行する。
それぐらい、統率者って大事なのよ。
信玄はそこを抑えて、逆に親今川はそこを押さえられた。
親今川の武田家家臣が下手に調停をして、信玄に疑われたら、自身も幽閉されちゃうよ。
折角誓詞だして安堵されたのに、そんな危険を冒すわけ無いでしょ。

義信があてにしてたのが誰か?
関係ないでしょ。
義信が当時の状況みて、「いける」と判断したから、企図したんでしょ、クーデターを。
すくなくとも、後世の本しか頼るものが無いわれわれよりは当時の家中の空気を感じてたと思うよ。
第一、自分は誰が見方するはずだ!なんていってないよ。

じゃ、暗殺説の論証と、その他数々の質問に答えてね。
今までのように、全部、根拠をもって。
おいらは寝るから。
0916人間七七四年2008/02/07(木) 23:09:42ID:5S/2oSOA
義信についてる連中は若かったり中枢にいなかったりするが、
ほとんど一族か親が甲斐武田家の譜代重臣。
次期当主に譜代重臣の嫡男や若手をつけるのはどこの大名もやること。
それにこの時期の武田だったら香坂の地位が飯富長坂浅利曽根とは比べ物にならん。
それで貧弱とか言うと偏見がひどすぎでしょう。
0917人間七七四年2008/02/07(木) 23:09:42ID:D1FtxXHL
>>909
貧弱。
信玄初期と違い当時の武田には飯富と互角かそれ以上の兵力を持つ重臣達が
たくさんいる。例示として>>911を参照。
そもそも飯富の弟の昌景も密告するような状態だし。

>>910
でも結局跡部も浅利も当時は信玄にべったり。
浅利なんか信玄の娘をもらい内藤の前に西上野の差配を任されていたほど。
長坂も結局息子の源五に加担しなかったし。義信付きの源五と信玄の重臣である虎房じゃ
温度差があるでしょ。これは曽根も同じ。加担してるのは息子だけという状況。
飯富もそもそも弟が密告するような状態だし。
0918人間七七四年2008/02/07(木) 23:11:35ID:jS+mAhKX
そもそもの発端は、義元が健在で今川家が強勢を誇っているこのスレの前提で、
信玄が三国同盟を破棄して駿河に攻め込むことが有り得るか?って話でしょう?

なんでこんなに続くの。

ちなみに私の意見を述べると、武田家中において親今川勢力とやらが芥子粒の
ように小さい存在だったとしても、このIFでは信玄が今川を敵に回す可能性は
極めて低いと思う。
国力も対外状況も違いすぎる。
0919人間七七四年2008/02/07(木) 23:13:42ID:D1FtxXHL
>>915
ちょっと逃げるのはやめてもらえる?
まずそっちが論拠あげるのが筋だろう。
義信派につくであろう重臣をちゃんと立証せい。
全部根拠も立証もしてない空想だけじゃないか。
そっちが答えないならこっちも答えないぞ。
空気だけで義信が動いたなら結局なんの宛ても無かったことになるだろう。
何を考えているのか。
まずそっちが立証しない限りこっちは答えないから。
0920人間七七四年2008/02/07(木) 23:15:34ID://KWDLFq
>>915
誓詞の内容は義信の件に関しては一言も書かれていないし、
家臣を安堵させるものでもないと思うが

まあこの誓詞を主だった家臣すべてから提出させた後に
義信が死んでいるから、何のための誓詞提出かは明らかだろうけど
0921人間七七四年2008/02/07(木) 23:17:09ID:5S/2oSOA
>>917
貧弱かどうかは兵力でしか判断できないのはゲーム脳としか言いようがない。
そもそも甲陽軍鑑の香坂450騎という数字自体微妙だし。
あと、長坂息子は加担したよ。実際見つかったし。
0922人間七七四年2008/02/07(木) 23:18:56ID:5S/2oSOA
>>919
あなたも立証義務をそれほど果たしてないと思うが。
貧弱とか主観的な言葉を連ねて偏見を述べてるだけ。
0923人間七七四年2008/02/07(木) 23:19:26ID://KWDLFq
>>917
あの例は怪しい
曽根昌世は駿河に逃れたけどな

あと
>でも結局跡部も浅利も当時は信玄にべったり。
こんなこと言ってるがだから何としか言い様がない、史実で失敗した抑えこまれたというのは
みんな知ってる
で、義元が生きている場合で義信事件みたいなことが仮に起きたとしたら
そいつらはどう動くのか?これがもともとの論点でしょ
0924人間七七四年2008/02/07(木) 23:20:17ID:4YUS1hVX
そもそも、見て来たように、親今川がどうだとか
言い出した奴が悪いぞw
0925人間七七四年2008/02/07(木) 23:22:20ID:DBcnwLU1
>>919
お前、自分で論拠を示せと言っておいて相手が言ってきたら逃げてるとかって何考えてんだ?
自らも論拠を示したうえで、他人に要求するのが筋だろ。
0926人間七七四年2008/02/07(木) 23:23:18ID:D1FtxXHL
>>913
飯富の兵力に関しては書いてないんだよねえ。
でも800の兵力を動かしてる場面があるから
騎数にならすと200騎くらいか?
義信とあわせても280。二人あわせても香坂より低いよ…。

>>914
まあ目安にするにはこれくらいしかない。

>>916
それで親は動かず息子だけ先走ってる状態。

というか当時1565年においては香坂の地位は相当高いんだけど。
北信濃における名門香坂の名跡継承者にして北信濃における武田家最大の軍事拠点海津の主にして
北信濃の統括者。
第一ほかにも信玄に引き立てられた連中はいづれもこの時期では高い地位を持っている。
それらから見れば飯富と当主でもない長坂の息子と曽根の息子と穴山信邦がいるだけの
義信派は貧弱の一言。
0927人間七七四年2008/02/07(木) 23:28:36ID:D1FtxXHL
>>921
だからさ。長坂息子が義信近臣なんだから加担してるというのは何度も
いってるでしょうが。問題は親が動いてないという事なんだってば。

それで?その貧弱じゃないというのを兵力以外でどうはかれると?
なら武田における兵力の目安がほかにあるの?何気に甲陽軍鑑は最近見直されてるよ。
>>922
ちょっと待った。実際貧弱な陣容だから貧弱といったまで。
義信と飯富以上の力を持つ奴がごろごろいる信玄陣営に対して貧弱以外の言葉をどうあてる。
こっちは随分論拠出してきたろう。まだ認めないのか。
0928人間七七四年2008/02/07(木) 23:29:53ID:5S/2oSOA
>>926
>北信濃における名門香坂の名跡継承者にして北信濃における武田家最大の軍事拠点海津の主にして
北信濃の統括者。
武田は「甲斐」武田家。
信濃、それも北信濃の一国人の名跡を継いだ国境守備司令が甲斐源氏一門にして信玄、
信虎2代に仕え、信虎追放の首謀者にして武田の宿老の飯富を
「所詮兵力は少ないじゃんプケラ」と評してる時点で物知らなさすぎ。
あと、飯富の兵力を引き継いだ山県は確か500騎だったと思う。
0929人間七七四年2008/02/07(木) 23:35:48ID:D1FtxXHL
>>923
だが史実における義信派の陣容が大した力を持ってないことをいつまでも>>915
とかが認めてくれないんだっての。
こっちだっていい加減移りたいわい。
>>924
つか最初に武田における今川派が大きな存在とか言い出したのがいたからそれに反論したんだが。
その理屈なら俺は悪くないわな。
>>925
>>915のどこが論拠示してるの。
とどのつまり「義信が謀反を狙ったのは空気を読んでいけると思ったから」って
いってるだけだぞ。これは結局義信派とやらに大した力がない事を自分で認めてるようなもんだろう。
こんな調子で論拠挙げずに空想だけあげられてどうすんの。

それから義信事件の顛末については甲陽軍鑑を典拠としてるといってるだろう。
当時における義信事件を詳述してあるのはこれしかないんだよ。
0930人間七七四年2008/02/07(木) 23:36:50ID://KWDLFq
>>926
800の兵力は1553年の話だな

>というか当時〜
でも甲斐での影響力はそこまででもない
また多くの重臣の本領も甲斐にあって春日や内藤らは外様の同心衆を多くつけられているだけって
見方も出来るし、まあ本能寺後の滝川みたいになるとは言わないし、思わないが

あと言うなら武田家の政治の中枢と言えばこの時期は春日よりは
やっぱ跡部長坂あたりが上なんじゃ、発行文書も多いし
単純に文書の量だと金丸も多かったかな
0931人間七七四年2008/02/07(木) 23:39:44ID://KWDLFq
>>927
論拠って言っても
みんなが知っているようなことだしなー
問題は義元が生きていて且つ義信事件が起きた時にどうなるかじゃ?

それとも史実の1565年に義信謀反を成功させるには?とか勝算はあったか?
みたいな話がしたいの?
0932人間七七四年2008/02/07(木) 23:40:29ID:D1FtxXHL
>>928
人を物知らないという割には随分主観的な事で。
その宿老以上の力を持っている人間がごろごろいてそいつらは信玄に引き立てられ
信玄を支持してる状態。それで飯富は一体どうするわけで?戦になれば
まず間違いなく飯富は潰されるぞ。それがわかってたから暗殺を狙い露見したら
すぐ捕まったんだろうよ。
山県は飯富の兵力を引き継ぐ前から侍大将として300騎を預かっていたはず。
となると飯富の兵力は200騎か。弟より少ないな。
09339282008/02/07(木) 23:40:53ID:5S/2oSOA
なんか疲れた。
まさか10年スレ厨がここで暴れるとは・・
誰か退治してくれ
0934人間七七四年2008/02/07(木) 23:40:54ID://KWDLFq
>>928
激しく同意
0935人間七七四年2008/02/07(木) 23:41:57ID://KWDLFq
>>932
>山県は飯富の兵力を引き継ぐ前から侍大将として300騎を預かっていたはず。
>となると飯富の兵力は200騎か。弟より少ないな。
その時点で少しは疑えよ
0936人間七七四年2008/02/07(木) 23:51:31ID:D1FtxXHL
>>930
でも結局の所、長坂の息子は加担したけど親は動いてない。跡部も信玄支持。
甲斐の中枢に位置する穴山や小山田も信玄支持。後は土屋もこの頃には文書発給してたような。
軍事力でいうなら外様衆親族衆が控え義信派を圧倒。
この状態で義信派が相当の勢力とは……。

>>931
その皆が知ってるような事を知らないで要求してくるような人もいるわけで。

いや全然。とりあえずね、史実において義信派は大した力をもってないと
その事を承認してくれるともう十分なんだけど。
0937人間七七四年2008/02/07(木) 23:56:40ID:D1FtxXHL
>>933
人をコケにしてばかりで最後はレッテル張りとかやめてくれ。
俺は史実における義信派が大した力を持ってないことを理解してもらえれば十分だ。
というかもうここまで話せばわからないかい?

>>935
香坂450騎とかある状態なわけで。
甲斐一国で土地を分け合ってるより広い信濃で領地もらえれば動員兵力も上になると言うことでしょ。
山県には信玄の引き立てもあるわけで。
というか飯富の200騎も穴山200騎と小山田200騎と同格だからけして低いわけじゃないんだけど。
0938人間七七四年2008/02/08(金) 00:01:31ID:J1DZ+P5V
>>936
土屋じゃなく起請文提出時はまだ金丸

だから大した力というのが、史実で政権を奪うほどではなかった程度というのであれば
その通りだと思うよ、つかそんなことが言いたいのなら最初から絡まなきゃいいのに
0939人間七七四年2008/02/08(金) 00:06:57ID:PmkaGgjQ
>>938
俺も正直ここまで長引くとは思わなかった……。
あんたもいっているとおり史実の義信派が相当な勢力といえるようなもんじゃない
というのは認知されてるもんだと思ってたよ。
だから説明してけばあっさり納得してもらえると思ってた。
それを踏まえたうえでIFが進めばと思ったんだよ。はあつかれた。
0940人間七七四年2008/02/08(金) 00:09:28ID:J1DZ+P5V
だから何度か言われてるが話が食い違ってるんだよ

相当に関する認識が異なっている
で自分は史実じゃ政権を奪うほどではなかったが相当な勢力と思っている
0941人間七七四年2008/02/08(金) 00:12:00ID:PmkaGgjQ
>>940
よくわからない。
相当というのがどれくらいなの。
0942人間七七四年2008/02/08(金) 00:16:57ID:PmkaGgjQ
まあもういいや。
とりあえず結論は出たみたいなので退出する。
0943人間七七四年2008/02/08(金) 00:17:22ID:J1DZ+P5V
個人的な主観というか観念を説明するのは不可能じゃね?

>>939
というかおまいが一人で延々と話をループさせてるみたいに見えるが
0944人間七七四年2008/02/08(金) 00:19:53ID:9osYiuh0
これ以上続けるつもりなら先に次スレたててくれ。
0945人間七七四年2008/02/08(金) 00:20:10ID:PmkaGgjQ
>>943
ループさせていたつもりは無かったんだよ。
というか同じ内容を聞いてくる人が多くてね。それに答えると同じ内容になって
ループが続いてしまっていた。はあつかれた。それでは。
0946人間七七四年2008/02/08(金) 00:22:37ID:ZXjg23aV
信玄は、義信の母三条氏、三条氏に連なる人物達にも気を配る必要があったんじゃない。
0947人間七七四年2008/02/08(金) 00:36:48ID:J1DZ+P5V
史実だと義信の死後も三条氏介していろいろ工作しているから
気を配る必要はなかったのか、それなりに気を配ったんじゃない?
勝頼は直接の孫・子じゃないのでいまいちその縁を使えなかったのか
織田の影響力が強くなり過ぎていたのかいまいち成果が見られないように思えるが
0948人間七七四年2008/02/08(金) 00:37:13ID:QhD++pLZ
親今川派とかいう言葉に突然自分から噛み付き
暴れまわっておいて、疲れたも糞もねーわな。
馬鹿すぎる。
0949人間七七四年2008/02/08(金) 00:44:58ID:IcqP61FI
まあ暴れまわったのはお互い様でしょう

つーかその話はもういいだろ
またその話題は馬鹿すぎる
0950人間七七四年2008/02/08(金) 00:48:21ID:BxNoDI6X
>>949
一々鸚鵡返しするお前みたいな馬鹿がいるから荒れるんだろうがよ。
0951人間七七四年2008/02/08(金) 00:50:14ID:EJfwi7dc
その話題続けたいならよそへ行ってくれ。
そこで妄想なり貧弱貧弱貧弱なり好きなだけ書け。
0952人間七七四年2008/02/08(金) 01:39:56ID:4DyWTJz2
さて、織田家の影響がない場合
美濃・尾張・伊勢・近江など周辺大名の動きはどうなるかな?

今川が尾張侵略する時点で斉藤家の動きとか

0953人間七七四年2008/02/08(金) 01:43:53ID:IcqP61FI
>>948
だから馬鹿とか言わなきゃいいんだよ
0954人間七七四年2008/02/08(金) 01:50:30ID:J1DZ+P5V
>>952
斉藤に関してはまず義龍は1561年で死亡は確定
信勝との婚姻は今までの話し合いだと有るってことで
次に道三と義龍の争いは起こるか否か、それ次第じゃ

まあ親子の争いが起きたら、史実通り義龍は道三討った後は国内固めるのに忙しくて
安定した頃には死亡して、龍興があとを継ぐ
その場合だと尾張に関与するのは困難じゃないかと思う
0955人間七七四年2008/02/08(金) 01:54:43ID:07bGBO/n
>>953
だったらお前はどんだけ馬鹿だって話だw
0956人間七七四年2008/02/08(金) 09:27:53ID:4gXBSyy2
もういっそどこの厨もでてこないように、斯波氏の天下とりとか南部氏の
天下取りだけ議論しようか。
たけだうえすぎいまがわおだほうじょうだてもうりしまづなんかは厨多過ぎ。
0957人間七七四年2008/02/08(金) 10:10:57ID:6sEf2ha6
その昔、氏真には天下人の器量が有り、史実での評価が低いのは不運なだけだと言い張り、
北条は何が何でも、三国同盟を破棄して、西上野に出兵すると主張した人間が、このスレにいたが、
その彼も、自分の主張を繰り返し、相手の質問には、一切答えなかった。
相手に質問だけして、相手が答えに詰まると(イフの歴史を語ると、確実な史料なんかない)、相手は間違っていると決めつけてかかるような奴だった。
昨日のは、ひょっとして同一人物。
0958人間七七四年2008/02/08(金) 10:10:59ID:b8imvZC4
スレが伸びてると思い見てみれば。。。武田厨が暴れてたのか
空気の読めなさっぷりはどっちもどっちだろ
隔離スレでも作って気の済むまで二人でやってろよ
0959人間七七四年2008/02/08(金) 10:27:54ID:htJp2cUK
いつもの武田厨は知識より理解力読解力と思いこみの激しさに難があるから、
無駄にループする。
0960人間七七四年2008/02/08(金) 11:10:23ID:caNzQ5in
甲斐武田 狭隘な山々が天然の要害
越後上杉及び北陸の大名 冬季には積雪が防衛の役割を果たす
小田原北条 堅固な小田原城により防備を固める
四国長宗我部 海で他の地域と隔てられる。土地そのものが攻めるほどの価値なし
九州、奥州の大名 ゲーム脳で考えなくても防衛は他の地域に比べて比較的容易

これらに比べて東海から近畿にかけては平坦な地が多く、土地も豊かなので
攻められやすい。攻められないためには常に強大化する必要が生ずる。この
ことから信長がいなくても新たな天下人はやはり東海から畿内に登場した可能性
が高いとみた。
0961_2008/02/08(金) 12:29:04ID:/mM7p7ud
領土は統一はされないが、
石山本願寺が天下を取っていただろう。実際、石山本願寺に
滅ぼされ、一向宗の自治区となっていた国もある。家康は
信長に乗っ取って、宗教と武装の分離を推し進めただけ。
信長がいなければ、宗教と武装の分離は行われず、
戦国大名は、本願寺の動向に恐れながら日々を送るはず。

信長のように、石山戦争で勝てる大名はおらんということだ。
0962人間七七四年2008/02/08(金) 12:36:27ID:aeD/qRGn
信長の力がダントツだったし領内の寺社勢力が強いからそう見えただけ。
徳川が三河一向一揆と戦ったしその後見事に無力化させた。
上杉も越中一向一揆と戦って勝った。
さらに昔だと細川晴元も山科本願寺を焼き討ちして一向宗の勢力を抑えようとした。
もう少し一向一揆を調べてみればいろんな事が分かるよ。
0963人間七七四年2008/02/08(金) 13:30:48ID:/JEi1xSX
うわ 俺のせいじゃないからね(汗
0964人間七七四年2008/02/08(金) 14:49:53ID:6j/7hf8j
ずっと読んでるけどさ
結局、謙信を倒すのは不可能だよな
謙信は野心がない、でもとんでもなく強いんだよなw
つまり越後と組めるところが大きく飛躍することになるんだろう
0965人間七七四年2008/02/08(金) 14:55:58ID:4gXBSyy2
>>964
はやく揚北衆をてなづける作業に戻るんだ
0966人間七七四年2008/02/08(金) 17:51:50ID:+X52uTPX
>>965
久々にワロタw

>>964
謙信と組んだ北条涙目!!
0967人間七七四年2008/02/08(金) 18:50:04ID:uqImtp5r
武田VS上杉が早い段階で完全決着してればあるいは…
と思うほど両家の評価が高いけど、仮にどちらが甲信越を統合してたらかなり有力かな?
どちらが完勝する可能性はあったのだろうか
0968人間七七四年2008/02/08(金) 18:59:06ID:aeD/qRGn
信玄か謙信かどちらかが早く甲信越を統合してもやはり天下人にはなれないと思う。
地理的環境は致命的だから、信長みたいに本拠地を有利な場所に変えなければ山か雪かに閉ざされて終わりだが、
あの二人が本拠地を変えるとは思えないので無理。
0969人間七七四年2008/02/08(金) 20:18:23ID:uqImtp5r
本拠地移転の可否については以前から話題になるけど絶対条件かな?
室町末期のあの時代に本拠地移転に踏み切れる大名家はあったのだろうか?
地理的条件や経済的条件を考えると三好と毛利が盟約を結べれば最有力か
0970人間七七四年2008/02/08(金) 23:26:00ID:366sYiMi
絶対条件ではないだろうし、必要に迫られればみんなやると思う
0971人間七七四年2008/02/08(金) 23:51:35ID:nxQwsKJs
つーか謙信は本拠地動いてるよな。
長尾家当主になったときに。

信長が征服したての岐阜に移ったのは確かに少々異例だけど、
そんなに重大視するようなことじゃない。
0972人間七七四年2008/02/08(金) 23:58:47ID:EJfwi7dc
本拠地移動は絶対条件ではないが、武田や上杉にとって必要な条件だと思う。
両家の立地が天下を取るのにあんまりにも不便だから。
武田は最低限駿河に移さないといつまで経っても山奥の田舎大名に過ぎん。
0973人間七七四年2008/02/09(土) 00:04:21ID:uUwZeixc
上杉は一乗谷に、武田は岐阜に、本拠地を移せる位になれば
天下は見えてくるが、まぁ無いなw
0974人間七七四年2008/02/09(土) 00:05:16ID:ONzcvEDQ
武田が駿河に移動するのは下策だろう。
信濃・上野方面が手薄になる。
0975人間七七四年2008/02/09(土) 00:11:10ID:REkrVhHN
天下を目指すなら甲斐はない。
甲斐信濃上野が気になるなら天下はあきらめるしかない。
0976人間七七四年2008/02/09(土) 00:24:38ID:ONzcvEDQ
いやいや、足元がお留守じゃそれこそ天下もおぼつかないだろ。
100kmやそこらの距離を過大評価しすぎだ。
0977人間七七四年2008/02/09(土) 00:28:15ID:ONzcvEDQ
まあ逆も言えるか。
別に駿河が本拠でも信濃くらい押さえてはおける。
とは言え、戦略的に正しく評価すれば、
甲斐はあの時点での武田にとって最も都合の良い拠点だったと言える。
0978人間七七四年2008/02/09(土) 01:38:13ID:REkrVhHN
家康は浜松を本拠にしたけど別に支障がなかったよ
0979人間七七四年2008/02/09(土) 02:20:36ID:R7pS0KkL
国替みたいな強制でなく、戦国大名が国単位で本拠地を換えた例って、信長と家康くらいしかしらない。
あ、北条家が韮山から小田原へってのがあったか?
0980人間七七四年2008/02/09(土) 02:25:19ID:4DFm3UvC
山崎後の秀吉の本拠はどこになるんだっけ?
それによっては秀吉も該当するけど
0981人間七七四年2008/02/09(土) 02:35:03ID:7FlF314K
長慶が摂津から河内
北条も氏政が江戸支配を強化したり
伊達晴宗が伊達から米沢に

秀吉は一応山崎から大坂、そして伏見?なんじゃ

国単位だと少ないな、そもそも数カ国支配の大名ってそう多くないし
0982人間七七四年2008/02/09(土) 02:54:10ID:iUPkAaGl
武田も信虎の代に移動してたっけな。

本拠地を変える例は多いが国単位となると、
そもそも複数の国を支配した大名が少ないからねえ。
0983人間七七四年2008/02/09(土) 04:23:36ID:mTUoC4xq
武田は、駿府か、せめて諏訪にでも、移動出来たら、かなり行動し易かったんじゃないかな…。
0984人間七七四年2008/02/09(土) 07:02:22ID:mUbsDigh
織田の場合は、岐阜領主の斎藤を倒してるから、そこに移転することもできるけど
武田の場合は、諏訪は一応降伏って形だから、領地を安堵しないといけないんだよな
武田の場合、ほとんどがこの降伏だから、いつまでたっても本拠地の移転はできない。

ちゃんとした征服地を持たないと厳しい。
0985人間七七四年2008/02/09(土) 08:03:50ID:REkrVhHN
武田でも大量な征服地を持ってるよ。
例に挙がった駿府や深志など、どれも征服地。
つーか、晩年の信玄が上洛にこだわるのなら、
さっさと駿府に移転すればよかった。

あと、信長の美濃攻略が力攻めではなく調略がメインだったから、
武田の信濃攻略とあんまり変わらん。
周りから大勢力が介入しなかったから割と短時間でできた。
信玄も上杉が介入しなければ1553年で信濃攻略がほぼ完成。
0986人間七七四年2008/02/09(土) 08:48:01ID:ONzcvEDQ
戦線は沈静化していたとは言え、上杉と必ずしも和睦したわけではないから、
駿府へ移動するのはデメリットの方が大きいと思うよ。
0987人間七七四年2008/02/09(土) 09:04:32ID:REkrVhHN
そんなこと言ったら上洛自体無理だろう。
信玄が本気で上洛を目指すなら上杉対策(和睦などで短、中期を抑える)をして、
駿河に移すべきだと思うが、上杉対策は無理なら上洛自体は無理。
史実のように一向一揆を仕掛けてその短の間で上洛できても長期は無理。
まあ、あんまり武田にこだわってるとまだ誰かが出張ってくるからやめておく。
0988人間七七四年2008/02/09(土) 09:08:14ID:ONzcvEDQ
不可能とは言ってない。あの段階ではデメリットが大きいと。
それに、甲斐から京は一回の遠征で十分行けるし。
京を取ってから移りゃ十分でないの。
0989人間七七四年2008/02/09(土) 09:40:20ID:REkrVhHN
>>988
一回の遠征と言っても数か月で達成できるわけじゃないし、
長期間本国を留守になると本拠地移転と同等以上のリスクになる。
京を取ってからと簡単に言うけど、まさか武田の兵はみんな疲れ知らずのスーパーソルジャーで、
戦いになれば無双みたいに敵兵をバタバタなぎ倒すとは思ってないだろうな。
0990人間七七四年2008/02/09(土) 10:03:03ID:mTUoC4xq
>>988
やたら、デメリットを主張するけど、具体的にデメリットって何?
0991人間七七四年2008/02/09(土) 11:14:26ID:dkDjGlRI
武田だけは軍を動かすのに金が必要ないんだろうし飯も食わないし死者もいないんだろ
もう武田「だけ」別スレ作ってやれないか?
0992人間七七四年2008/02/09(土) 12:07:33ID:uUwZeixc
>>990
甲斐を中心として成立しているシステムを再構築しなければならないので金がかかる、
武田領の交通の要である諏訪から遠くなる、よって信濃北部上野飛騨への影響力減少
甲斐諏訪間の棒道等の街道整備が半ば無駄になる、諏訪駿河間も同等の大規模街道整備が必要になる
駿河より甲斐の方が若干大国

甲斐本国衆の既得権益が減少するので反発が予想される
本国で国人に蠢動されても困るので征服したての駿河国人の懐柔をより強固に進めなければ成らない
本国化なら甲斐から連れてきた家臣に土地をより与えなければ成らないので在地国人との調整が困難
武田宗家領を分けたら本末転倒
甲斐に残る小山田等の比較的独立性が高く強力な軍を持つ国人の押さえが緩くなる
駿河に移ったら東海道への野心が丸判り、史実の信長の様な油断してくれなくなる

とかじゃね?

本拠地までは移転しなくても侵攻用の仮大本営を構築してそこを中心に政務を執ることは
多くの大名がやっているし
領土が広大になり従来の本拠地が不便になれば誰でも移転するだろうし、
その頃にはその力も備わってるだろ

本拠地を転々とした信長や正宗が特殊なだけで本拠地移転はたいした条件じゃない
武田が本拠地移転するほどの大勢力になることもないからもういいだろ
0993人間七七四年2008/02/09(土) 15:59:29ID:LnLA5YD4
1
0994人間七七四年2008/02/09(土) 16:24:50ID:LnLA5YD4
日本史のジンクスから見ても、またドカベンにもあるとおり

「神奈川を制する者は全国を制す」・・したがって北条だったと思う。

源頼朝しかり、また家康も結果的に関東の覇者でありえたことによって
天下を取れた。
関東武者の団結・忠誠心勇猛さ、関東平野の生産力、経済力、人口、
そして中央とのほどよい距離感。

今川が上洛した後、畿内勢力、毛利、島津、チョウソカ、武田、上杉
一向宗なんかがスッタモンダやりあってるのを尻目に、ひとり
領国経営に精を出し国力を蓄え、皆が潰しあいきった最後にドン、と
出て行くくらいの芸当ができるのは、盤石な防衛力を持つ小田原だけ。
家康の戦略と同様、待ちに徹して天下に手をかけられたのではないか。

史実でも結局最後まで落とされなかかった=単体大名としては
戦国当時軍事・経済の総合力で最も安定して強かったと考えられるし。
0995人間七七四年2008/02/09(土) 16:30:40ID:VTrWUO/B
北条か・・・
時勢読めずに自滅したのだがな
0996人間七七四年2008/02/09(土) 16:32:44ID:LnLA5YD4
その「時勢」が生まれない前提だと、判断力というより実力勝負になるでしょ。
0997人間七七四年2008/02/09(土) 16:59:08ID:FsvEJ00R
実力で北条はありえねえ。
氏康から以降は時勢を読めずに自滅したからな。
相手が誰かは関係ない。政治能力的な資質の問題。
0998人間七七四年2008/02/09(土) 17:06:21ID:LnLA5YD4

つーか小田原VS全国連合軍という事態自体が生じない群雄割拠のまま
1600年以降も推移すると思われるじゃん。信長なかりせば。
0999人間七七四年2008/02/09(土) 17:22:14ID:84N8UZui
当時の北条から見た状況がどのような物だったかは分からないが、
あそこまで大勢力になってしまったら包囲網を作るなどして
対抗する事はもう不可能で、選択肢としては秀吉に下る以外に無かった筈。
全く同じ局面にはならなくても、重要な場面で明らかに誤った判断を
してしまったような勢力が天下を取れるとはとても思えない。
1000人間七七四年2008/02/09(土) 17:23:44ID:zDEwe2z6
もうここまでしろ
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