織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part8
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0001人間七七四年
2007/12/15(土) 11:56:24ID:kcK2lmfHここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part7
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189136517/
過去スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていたと思う?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154509666/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160592334/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169606468/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171721957/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174052463/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part6
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178968135/
0002人間七七四年
2007/12/15(土) 11:56:55ID:kcK2lmfH生まれていなかった場合の織田家等の設定等はまだ明確になってません。
(信秀なき後、家をを継ぐのは信勝か?そして尾張の行方)
では、各々方、よろしいか?
0003人間七七四年
2007/12/15(土) 13:56:17ID:t/oTDBNc地方政治家で人徳あって管理能力に長けても、それと侵略、戦争、統一という能力とはまた別物であろう。
天下取りに毛利やら島津やらが成功するとはおよそ思えない。
信長個人はともかく、似たような人物が現れ戦国の世で頭角を現していったであろうことは予測されるが
統一ではなく連邦制のような形でかなり経過していくかもしれない。
そのあたりはまた違う話になってしまうだろうが。
0004人間七七四年
2007/12/15(土) 14:26:04ID:aN8W9e15毛利といえば厳島はじめ大内尼子潰すまでの戦いは神がかっていたというくらいの勝率
実際のとこはどうだか知らないけど大体は他の急成長した大名のとこと変わらない程度くらいにはあるかと
0005人間七七四年
2007/12/15(土) 14:53:44ID:3Vitx2aJこれが無いとどうしようもない
天下を望んだかどうかは置いといて
今川 阿部金山+遠駿の港(東日本航路にとっては外せない寄航地)+背後が
北条武田同盟で安全
三好 畿内に近い阿波讃岐が本拠+室町体制内
毛利 瀬戸内+日本海航路からの利+石見銀山
島津 日本最南端という地の利を活かした内線作戦が可能
西へ東へ毎年のように万単位で軍を動かすには経済的な裏づけがないと無理
例えば武田家は25000動員して半年稼動させた事がかなりの疲弊を招いている
これが毛利家だと大内併合した頃から秀吉との備中高松での対陣までほぼ毎年に
わたり万単位で動員しつづけている
0006人間七七四年
2007/12/15(土) 15:32:04ID:d9hkWYlG織田との抗争に否応無く巻き込まれた印象があるが、信長が居ず義昭が下向して
こないのであれば博多攻略を成し遂げるコトが出来たのかだろうか?
博多支配に成功したらしたで肥前の熊への対応、島津の北上とイベント満載ではあるが。
0007人間七七四年
2007/12/15(土) 15:56:24ID:l2fuIDp2他の大名とは経済力が段違いになる。
島津や熊さんなんて話にならんよ。
0008人間七七四年
2007/12/15(土) 16:15:56ID:kcK2lmfH戦国期においては海を挟んだり飛び地の維持はきわめて困難
いくら水軍が強くてもいづれは島津に飲まれる
現実の毛利も結局九州の領土は失ったし
0009人間七七四年
2007/12/15(土) 17:00:03ID:9xxKizODだから史実どおりなんじゃないの?
織田との抗争も巻き込まれたというのかあれは?
0010人間七七四年
2007/12/15(土) 20:16:17ID:iNKjA5VR0014人間七七四年
2007/12/15(土) 22:14:15ID:8hN9Jrcv0015人間七七四年
2007/12/16(日) 00:01:17ID:g8621+gnそれ以外の選択肢はない
0016人間七七四年
2007/12/16(日) 00:13:16ID:SQYu0wIuいや、失敗してもまた攻めればいいわけだしその体力もたぶんあった。
信長や信玄がそうでしょ。何度も失敗してるけどやり直して成功してる。
九州攻めの後もずっと各地で万単位の兵力動員できてるんだから
九州もまた攻めることができたはず。大友は火種も多いし。
でも大友が弱ってきてチャンスのときには織田が西に進出してきて、
できなくなったってことでしょう。
0017人間七七四年
2007/12/16(日) 01:24:28ID:mxRspD0Aそしたら島津との泥沼な戦いが待ってると思うが
近畿の情勢を設定しないとわからないが二正面作戦はつらいで
0018人間七七四年
2007/12/16(日) 01:32:28ID:3qJHgT/j火種があったのというのはそれは毛利も含めた他の大名も同じこと。
耳川の敗戦までは大友が弱ったともいえないような。
0019人間七七四年
2007/12/16(日) 01:38:39ID:SQYu0wIu織田がいなければ毛利はどうしていたかというテーマで
九州を攻めただろうということ。
西に行くとしてもいずれ島津との争いは避けられないしな。
0020人間七七四年
2007/12/16(日) 01:42:43ID:mxRspD0A決定的になったのは道雪の病死(1585年)かな
0022人間七七四年
2007/12/16(日) 02:49:32ID:7UcnAdKEそれでどういうメリットがあったか、で水軍がどうのなんてのは天下統一とは全然違う話じゃないの。
だから前スレが不思議で仕方がない。
地方の大名がどれだけ評価されてもそれと近代中央政権樹立とは違うだろうから、畿内水軍とか
地方国内貿易のどうこうなんてのはどういう意味評価でレスが伸びるのか不思議で仕方がない。
例えば鉄砲の硝石の移動経路を握ってたから、それで天下統一のウラの基本を牛耳ってた、なんてのは
本末転倒で、要はその地方武将がこの狭い国内をどういう形で掌握しようとしてかた、
が基本になるのではないではないの。
だもんで各武将がどういう意思の下に中央政権掌握を考慮してたか、でないと中世から近代への移行
は語れないのじゃないかな。
前スレの水軍とか国内貿易移動経路なんてのが中央政権樹立、ま、天下統一、とどのように結びつくのが
不思議で仕方がない。
単語には詳しいようだから、最近の学院系はそんなことばっかりやってるのな。
例えで申し訳ないが、イチロ〜の打率とか技術をどれだけ研究しても、彼が世界一の監督に
なれるかどうかは全然別問題、そういう気がする。
横から申し訳ないが
0023人間七七四年
2007/12/16(日) 05:19:58ID:+1knZuLb信長に追放された義昭が、頼りにしたのも、
家康と戦う三成が頼りにしたのも、毛利だった。
今川と三好が畿内で争っても、
島津と大友が九州で争っても、漁夫の利を得る位置にあったのは、確かだ。
人材論を別にすれば、瀬戸内海と鉄と銀を握り、100万石を越す国力と3万の動員兵力は、天下に一番近い。
0024人間七七四年
2007/12/16(日) 06:05:12ID:c84Qgcmz0025人間七七四年
2007/12/16(日) 07:15:07ID:SQYu0wIu信長がいなかったら誰が天下をとるかってスレだろ。
で、天下に近い有力大名の話になって毛利が出てきた。
そして毛利が畿内に進出するかどうかって話になり、
堺が重要だから進出するって主張する奴と
毛利にとっては博多のが重要だから進出しないって主張する奴に別れて話してたんだよ。
全部スレの主題に結びつく話。若干雑談混じってたが話ってそんなもんだろ。
戦国好き同士で四方山話を楽しむ場だろここは。
0026人間七七四年
2007/12/16(日) 08:58:46ID:fQV0Odneそうなったら毛利は、背後を完全に脅かされるから機内進出は、きついだろ。
0027人間七七四年
2007/12/16(日) 09:53:34ID:hjj0skKL毛利にとっては九州の土地が欲しいのではなく門司-赤間ヶ関を毛利の浴槽にし更には
博多を押さえる意味で筑前豊前の海岸沿いが大事(主として西日本国内貿易航路)
島津にとっては肥前平戸長崎-坊ノ津-豊後府内を押さえる事が出来れば南蛮貿易の
玄関確保が完成する(主として海外航路)
スミワケによる巨利が毛利島津を結ぶので対大友で強力に手を組みそう
0028人間七七四年
2007/12/16(日) 10:23:02ID:/MOmRjVk数字が出ないと議論しても意味がないような。
0029人間七七四年
2007/12/16(日) 10:38:44ID:dAZIFK45本願寺は他の宗派との対立とかがあるから無理。
法華衆との争いに敗れて京から放逐されたとこを忘れないように。
0030人間七七四年
2007/12/16(日) 14:02:49ID:SQYu0wIu毛利は博多をとれば国力的には島津を上回ると思われる。
>>27の言う通り数字がないのでこれ以上は検討できない。
まあ数字があっても数字だっていい加減なものだから参考にしかならないが。
いずれにしろ毛利はまず博多に拘るだろうし
そうなれば泥沼は避けられない。
仮に島津に決定打を与えることができれば別だが
輝元には難しそうだな。
毛利は天下をとる大名ではなく天下の趨勢に影響を与える大名になると思う。
0031人間七七四年
2007/12/16(日) 14:11:15ID:QjxgvNqJ西日本の勢力図は信長居なくてもほぼ影響なく史実通りって話でしょ?
毛利でifを語るなら秀吉が来る頃からでないと話がかみ合わないっしょ
0032人間七七四年
2007/12/16(日) 14:24:51ID:mxRspD0A尼子大内の残党の蜂起の時の九州からの速やかな撤兵や
足利義昭下向のとき反応から一貫してるものと推測できる
史実の版図から南条山名別所浦上を完全に影響下におくのに順調に行って1580年
ここで東進のスピードを落として九州に目を向けるのは十分に考えられる
(基本的には九州近畿四国の3面作戦継続)
九州に進行した場合は大友氏から独立した秋月氏を竜造寺氏に代わって支援
連合すればまだ中国地方にちょっかいを出す余力があった大友氏相手にも
2年あれば博多を確保することが出来ると予想
毛利の進行で大友氏の崩壊が早く進めば島津氏も道雪の死を待たずに北上するとして
この時点で竜造寺氏に焼き討ちされて全町消失した博多が復興出来てたとして
今度は島津氏の焼き討ちおよび進攻(1585年頃)
(代わりの湊・商人を持つ島津氏等は博多を必要としない)
いかに強力な水軍を持っていても海を挟んだ飛び地の確保は難しく
今度の相手は九州のほとんどを制覇しつつある陸続きの島津
大大国になった毛利氏も苦戦は免れず消耗戦になると思われる
結局毛利が天下を取るにはいかに早く九州を諦めるかという
いつもの結論に落ち着くと
0033人間七七四年
2007/12/16(日) 14:46:12ID:mxRspD0Aほぼ同意、
ただ秀吉による復興前の博多の経済価値は大友時代より下がってると予想できる
当主はともかく代々の補佐役(両川→吉川広家・毛利秀元)が計算できてお家騒動もなく
地理的にも思想的にも予想しやすい毛利は大体片付いた感じじゃない?(1580代中盤まで)
後は肝心の近畿今川か
0034人間七七四年
2007/12/16(日) 15:42:34ID:/MOmRjVk0035人間七七四年
2007/12/16(日) 17:46:53ID:SQYu0wIuそれは毛利、島津ともに言えることで
互いに一進一退を繰り返す他ないだろう。
少なくとも80年代に決着が着くことはない。
中国以西はこんなところか。
で、畿内だが、さっぱり予想がつかんなw
前スレでは今川は上洛するかどうか結論でたの?
0036人間七七四年
2007/12/16(日) 18:37:07ID:hjj0skKL平氏しかり征西府懐良親王しかり室町の3巨頭細川・大内・山名しかり遺領を継いだ三好・
毛利しかり
確保できればするけどしがみついてまで欲しくないみたいな
対して東国だと京都に執着してしまうみたいな
源氏・足利・新田・北畠顕家・今川・武田・織田・上杉
なんだかんだで京都を目指して進軍始めてる
0037人間七七四年
2007/12/17(月) 01:48:10ID:5z24jOewこのスレでは、上洛の前哨戦でいいんじゃないかな。
その方が、ロマンがあって、面白くなる。
まぁ、可能性は厳密に議論して行くとして…。
0038人間七七四年
2007/12/17(月) 02:24:25ID:Mx0yRwSZ四国平定できれば京に近いし有利なのでは?
0039人間七七四年
2007/12/17(月) 09:40:47ID:5z24jOew現に、畿内を支配している三好、
次いで、水軍を利用すれば、一日半で万単位の大軍を畿内に上陸させた毛利が最有力候補。
0040人間七七四年
2007/12/17(月) 12:59:49ID:nMDc0xJp途中で死ぬやつはあるけど。
0041人間七七四年
2007/12/17(月) 13:50:20ID:3IZsyMD1ある仮定をする事で読者の「もし〜だったら、こうなっていて欲しい」
という願望を具体的に表す方が重要だからなぁ。
0042人間七七四年
2007/12/17(月) 15:11:21ID:oj81hMu3ありえないのじゃないのかな。
勢力拡大よりお家安定を図る田舎大名としては評価できるけど。
ほんで革新的な跡継ぎが出ても老家老がとめるというか、そういう教育はしないと思うのだよね。
だもんで中央で信長、秀吉的なやつが出現しても、結局は同じような形で近世への移行が
行われたと思うな。
ほんで武将じゃなくて毛利あたりが朝廷に補助してるうちにゴダイゴみたいなのが出てきたら、
というほうが面白い、いや恐ろしい・・・
間違いなく今頃どっかの隷属国でみんな原住民だ・・
0043人間七七四年
2007/12/17(月) 19:06:44ID:2vjonJMx0045人間七七四年
2007/12/18(火) 00:31:46ID:rh3XgOpg信長は戦国の終息に道筋付けたからな
いなければどうなるか、なかなか想像出来ないだろ、ここみたいにw
それに信長という戦国随一の魅力がある人物をわざわざ外さないだろ、商売的に
秀吉は信長のおまけ
0046人間七七四年
2007/12/18(火) 01:59:37ID:BVA2lNM80047人間七七四年
2007/12/18(火) 09:23:23ID:eE5y6fC50048人間七七四年
2007/12/19(水) 09:05:49ID:I44U8qvVっていうか、天下統一出来るのは今川しかいなくないか?w
0049人間七七四年
2007/12/19(水) 09:24:44ID:gwQWz93e理由としては今川の主要な戦いはほぼ太源が指揮をとったから。
義元は史実で兵力に劣る織田に大敗北。
0050人間七七四年
2007/12/19(水) 10:51:46ID:LzKtgVvw更に、氏真の軍事能力が未知数?
この辺を、今川支持者は、如何に考えているの?
0051人間七七四年
2007/12/19(水) 11:17:25ID:9XmDLrJP0052人間七七四年
2007/12/19(水) 12:18:52ID:CqTq8btGどんな有名な大名家でも落ち目になれば裏切りが多く出る
0053人間七七四年
2007/12/19(水) 13:14:24ID:gX/6Cb6j1560年の侵攻でも総崩れになるまでは織田側の支城も落としてるし何人かの将の首も上げている
大名の指揮能力としては並みくらいはあるのではないかな、部隊長としては下だとしても
0054人間七七四年
2007/12/19(水) 13:40:15ID:LzKtgVvw大名の軍事能力が必要なくなる前に、義元の寿命が尽きて、代替わりすると思うんだがなぁ。
秀吉が戦場指揮官としての能力を発揮しなくなったのは、小牧長久手の後、家康と和睦し、天下の大半を手に入れてから。
その後も、長年の戦場経験からくる権威から、この人に逆らったら恐いと思われるほどの凄みはあったはず。
氏真に、それを期待出来るのか…?
0056人間七七四年
2007/12/19(水) 14:49:48ID:3kW5vn/D将軍擁立してるのがでかい天皇も抱えてるし
0057人間七七四年
2007/12/19(水) 14:55:00ID:LzKtgVvw義元何歳まで生きんの?
70年代には、三国同盟の氏康、信玄死んじゃうんだよ?
義元一人、長寿なん?
0058人間七七四年
2007/12/19(水) 15:22:08ID:gX/6Cb6jだからさ、氏康・信玄くらい生きたら1570年ごろにはまだ義元居るだろ
その時の今川家や近畿はどうなってるかってことだよ
0059人間七七四年
2007/12/19(水) 15:58:24ID:eDRPNcno松永や信長ほど残忍になれるとも思えんし
0060人間七七四年
2007/12/19(水) 16:10:31ID:rmMQ2LLo義元存命中に尾張、美濃、伊勢を取れれば次代、次次代には天下を取れると思うよ。
0061人間七七四年
2007/12/19(水) 16:16:19ID:VP8wzQsE経済力や国力のみで勝敗が決するものでもない。
実際の戦闘以外にも家臣団との関係作りや外交戦術など
大名個人若しくは取り巻く人材の個人的能力も重要だろう。
0062人間七七四年
2007/12/19(水) 16:35:32ID:eDRPNcno信長以外で松永や三好からどうやって奪えるんだよw
残忍じゃなければ不可能
将軍の権限で国賊扱いされるよ義元なんて
0063人間七七四年
2007/12/19(水) 16:53:46ID:GxzLtR03信長がそうしたように駿府に氏真を据えたまま自身は西上して尾張か美濃辺りに居城を移すべきだと思うが出来るかなあ?
0065人間七七四年
2007/12/19(水) 17:55:07ID:gX/6Cb6j一応1860年時は駿河・氏真、遠江三河・義元差配だったが
本拠地自体を移す信長方式はなかなか出来ないだろな
少なくとも美濃を取った後の信長の侵攻スピードに比べると時間はかかりそうだ
0066人間七七四年
2007/12/19(水) 18:21:13ID:gX/6Cb6j0067人間七七四年
2007/12/19(水) 19:37:38ID:gwQWz93e兵力だけで勝てるなら戦略という言葉はうまれてねーよw 池沼か?
河越野戦でも正面から戦えば北条に勝ち目は無いが、奇襲で打ち破ってるわけで。
0068人間七七四年
2007/12/19(水) 19:53:29ID:CqTq8btGもし不利になるとしたらそれは一撃で中枢に至るまで壊滅的な打撃を受けたときくらいだろう
0069人間七七四年
2007/12/19(水) 20:16:54ID:I44U8qvV戦争の基本は兵力=国力だろうが。
0070人間七七四年
2007/12/19(水) 21:37:48ID:uQSKq4Ivやっぱり今川に天下統一なんて意思はなかったと思うし、毛利だってまさに国力が
大きくて安定はしてても、肝心の統一の意思がなければどうしようもない。
ちゅうか信長に滅ぼされる寸前だったわけだし。
関が原で徳川に敵対したというのもマイナスポイントだな。
なんか毛利ファンが多くて悪いけど。
0072人間七七四年
2007/12/19(水) 22:58:38ID:o1GOKPcv0073人間七七四年
2007/12/19(水) 23:13:28ID:q06wYYdK0074人間七七四年
2007/12/19(水) 23:28:58ID:VP8wzQsE天下統一がある、という違いはあるにせよ、全ての勢力の最終的な到達地点は
天下統一であった、としなければこういうスレは成りたたんだろう。
0075人間七七四年
2007/12/19(水) 23:39:31ID:q6lilHrs毛利ファンだが、統一の意思がないことはマイナスではないし
西軍にいたのも全然マイナスではない。むしろそんな毛利が好き。
>>71
前スレから現スレの>>36くらいでほぼ結論が出てる。
毛利が1580年代中盤まで京を目指すことはまずない。
理由は畿内進出の費用対効果の悪さと背後の心配。
とりあえずスレをざっと読んでくれ。
0077人間七七四年
2007/12/20(木) 00:02:39ID:uQSKq4Ivそれと統一にはそれなりの準備というか兵増強とか家臣団への根回しとか
いるでしょう。
そういう文献と言うか統一に向けての傍証はみられないのじゃないのかな。
イザワじゃないが、あの頃すべての大名が上洛や統一を考えていた、というのこそ間違った
前提であって、そういう発想を持った3英傑というのはやはり抜きん出た異分子であり
そういうのにしか統一事業への進出はできないと思うのだよね。
74が言うのももっともなんだが、緩やかにしろ領土拡大を図ると言うこと自体がすげぇリスクであって
そうではなくて自国の安定が第一、というのがほとんどであったわけでしょう。
毛利やら今川ってのはせいぜいそういうレベルであって、信長に比類するような武将じゃないと
思うのだよね。
話の腰おってわるいけどね。
0078人間七七四年
2007/12/20(木) 00:09:28ID:Du/z8KiF毛利の畿内進出の費用対効果は、畿内の状況次第では?
三好、もしくは今川が、畿内に安定政権を成立させていたら、毛利は敢えて進出するメリットは少ない。
だが、今川、三好が畿内で伯仲、もしくはどちらかが辛うじて畿内を確保しているような状況ならば、毛利の畿内進出の時期は早まると思われるけどな。
畿内進出は、信長の上洛が、多大なメリットを信長にもたらしたように、博多以上の価値はある。
0079人間七七四年
2007/12/20(木) 00:11:48ID:6JqhUQP3あ、今川ね。
例えば桶狭間の前に織田の方から攻めたことがあったぐらいで、尾張の織田も今川も兵力と言うのは
実はあまり差はなかった、らしいのだよね。
最近の研究では桶狭間の時だって上洛や織田征伐じゃなくて単に砦の奪い合い程度での出陣、なんて風じゃなかったかな。
今川が天下統一するには回りの敵国があまりに強大だし、およそ統一への意思があったとは
思えないぐらいの田舎大名、ってのが実情だと思うよ。
ま、海道一の弓取り、とか言われてたのならあそこで負けるなよな、ってね。
重要なのは信長だって織田家のうつけであったことで、そこからあれだけケンカ仕掛けるというのもかなり
アブネェ存在で、決して今言われているように最初から統一を目指した改革派の天才、なんて
人物ではなかったと思うのだよね。
0080人間七七四年
2007/12/20(木) 00:17:21ID:7YY577o9相手より強くないと滅ぼされるから強くなるという現実はある
だが突き詰めると最終的には天下統一に行き着くんじゃないかな?
源・足利の先例があるし当時の権力者が至高を目指すことをまったく考えないとは思えない
てかどの国の歴史もそういうものじゃないのか?
同一文化圏内においての地方を制覇しただけで
全ての勢力が満足するなんてことはないだろ
0081人間七七四年
2007/12/20(木) 00:24:57ID:7YY577o9砦を取るために2万の軍勢ですか、出来れば出典を教えてもらいたい
1560の東征は近畿大名に対する工作を示す物証がない事から上洛ではなく
尾張平定が目的だという事はよく言われてるが示威行為に近いとはあまり聞かないな
0082人間七七四年
2007/12/20(木) 00:26:20ID:r1visPsSあの時点で信長が動員できる兵力と義元が動員できる兵力に差が無いって、おいw
それに、三城奪還において重要な砦が攻められてるんだから、後詰にでにゃならんだろう。
アブネェってw
0083人間七七四年
2007/12/20(木) 00:33:14ID:6JqhUQP3いや、歴史読本の数ヶ月前のに書いてあったような。
示威行為ではなくてあくまで局地戦、って感じなんですよ。
尾張平定、まで考えていたのですかね。
今川軍が2万というのも最近はそのあたりが結論なんですかね。
わしは実家がにゃ古屋であのあたりは歩いたりしたけど、そんなに行軍できるような道と言うか
土地ではないようにいつも思ってた。
天理本に4万5千なんてあるけど、さすがにね。
0084人間七七四年
2007/12/20(木) 00:43:34ID:6JqhUQP3いや、実際に具体的な兵力は知らないけど、そんなに国力に差があったら織田家から今川を
攻めることなんかできないでしょう。
そういうところからの推論なんだけどね。
桶狭間にしても200対45000なんてのはギャグとして、藤本説の正面攻撃で勝てたのなら
実際の兵数はかなり接近してたんじゃないかな。
ま、いろいろ教えてほしいけど。
で、アブネェ、というのは結構本気でまだガキンチョの頃に兄弟や叔父を殺して織田家を牛耳ったわけでしょう。
これって、先入観なしで考えるといくら当時としてもかなりヤバくない?
信長の天下フブへの第一歩、なんていうのは結果論を美化しすぎで、あんまり友達には
なりたくないタイプだったと思うぞ。
0085人間七七四年
2007/12/20(木) 00:50:06ID:6JqhUQP3なんか連続レスであれだけど、当時の権力者、というのが問題だよね。
地方大名といいかえさせてもらうけど、各々内部には問題だってあるわけでしょう。
それに政軍分離の問題とか至高をめざすことをかんがえたとしても、事実上不可能
だったわけでしょう。中央に打って出ることは。
このあたりはますますイザワの受け売りで悪いが、信長がいなかったらかなり違う形で
近世を迎えていた可能性が高いと思う。
電波あつかいされちゃいそうだけどね。
0086人間七七四年
2007/12/20(木) 01:13:02ID:7YY577o9>>83
ありがとう、今度図書館にでも行って見てみるわ、最近買ってないからなぁ詰まんなくて
>>84
常時総兵力が国境に展開してるもんでもないし、ゲームじゃないんだからw
>まだガキンチョの頃
何の話をしてるかわからないけど、義元も兄弟殺して家督継いでるね
>>85
その辺は一理有る、他のレスは電波というより、ゆと(ry
それと>>32>>33あたりも俺だが、
1580年代中盤まではまで京を目指す可能性はは低いと書いたが
中国地方完全平定が第一目標という事で、近畿進出まったく興味がないと読まれても困るアル
0087人間七七四年
2007/12/20(木) 02:01:32ID:gVDL5ZDy>接近
全然してない。実力が伯仲していたのは信秀の代。今川がまだ遠江を支配できていない頃の話。
1560年の信長は尾張の南半分のさらに半分しか支配できていない。
そこから西に一向衆に対する備えと南の砦の備えを差し引くと3千がギリギリと分かる。
対する義元は最盛期を迎え遠江の領国化をほぼ終えて尾張に進出しようかという頃。
後方は同盟国に守られ、一応の押さえを残してほぼ全軍で侵攻。実際に2万近く動員されたと思われる。
また義元は基本的に合戦は家臣に任せるタイプだったので自ら出陣というのは局地戦以上の特別な意味を有する。
0088人間七七四年
2007/12/20(木) 03:41:31ID:SC/JCJ20もし信長が存在しなかったら時代は100年ほどズレていたと言われてるからねw
それほど信長の存在は大きかったと言われているw
0089人間七七四年
2007/12/20(木) 06:11:31ID:FkRdbSJ70090人間七七四年
2007/12/20(木) 06:43:19ID:VyAV1ZeH一番大勢力になれば自動的に天下が取れるって発想がもうゲーム脳だな
ならなんで戦国時代が百数十年も続いたんだよw
その百数十年のうちのそれぞれの時期を切り取ってみれば
その時期その時期で一番の大勢力だった大名は必ず一人居るわけだろ
なんでそいつがそのアドバンテージを活かしてさらにどんどん勢力を広げて天下統一を出来なかったんだ?
例えば北九州も傘下に収めるなら毛利以前に大内だってとっくにやってるよ
しかも毛利と違って中国・九州の武家を引き連れて上洛までやってる
しかし天下“統一”はできなかった
単に一時期全国の大名中で国力トップになるのと
天下統一する(戦国時代を終わらせる)のとではまるで違うってのがわからんのかね
たぶんあれだろ信長の野望とかゲームやって戦国時代に興味持って
そのイメージでもって語ってるんだろw
あれって自分がプレイしてる大名が国力トップになれば
あとはもう作業だもんなw
あとはどんどん残りの場所を塗りつぶしていくだけ
同じ作業の繰り返しで全国の色や家紋を自分がプレイしてる大名のものにするだけだもんなw
0091人間七七四年
2007/12/20(木) 06:53:43ID:FkRdbSJ7なぜ没落したのか知りたければググって学べ。
そうすりゃそんな単純な答えはでないだろ・・ 大内は事実上天下人候補だったよ。
0094人間七七四年
2007/12/20(木) 10:48:27ID:zNt7SI4Eそれなら信玄で語れよ
0095人間七七四年
2007/12/20(木) 11:02:13ID:gVDL5ZDy確かに国内の敵はあらかた討って名目上は統一と言えなくもないが実際には半分も支配できていない。
尾張8郡のうち北4郡は岩倉を陥としたものの支配する余裕がなく手つかず、
南4郡のうち西側2郡を占領する服部ら寺衆は今川と手を組み敵対的、
残り2郡も今川が侵入してきて防衛のため思うようにならないのが実態。
0096人間七七四年
2007/12/20(木) 12:14:41ID:GArYuH8cたぶん2007の8月号で、これには公記のフロクもついてる。
これが出色の出来で疑問が増えた。
読んだらまたいろいろ教えてね。
一応ゆとりどころか白黒テレビの頃からこういうのに関心持ってて、最近の研究にはますます興味がわく。
部分的に書くとかえってユトラ〜扱いされちゃうな。
>>87
なるほどね。
とすると正面攻撃でどうして義元のところまで行けたのだろう。
大将だから幾重にも守られてたろうし、天理本にも「段々〜」とちゃんと守られてた描写がある。
桶狭間は敵大将の首を取ったという、数ある戦国合戦の中でも珍しいタイプの結果で終わった
でしょう。つまり圧倒的に不利なほうが完全勝利を収める、というレアケースにもなってる。
直前に2武将がつっこんで討ち死にしてるけど、その時の3〜50の兵数減だって相当痛いのに
それを承知で信長が正面攻撃、このあたりにちと疑問を超えた不信感さえ感じる。
さらに完全勝利・・
このあたり考えてることがあるんだけど、どっかで教えてもらえないかな。
0097人間七七四年
2007/12/20(木) 12:18:08ID:GArYuH8cあ、追加。去年の歴史読本にも「書き換えられた戦国時代のウンタラ〜」ってのがあるから
こっちも読んでみてね。
鈴木、藤本のその後みたいな「本能寺謀略説の検討」みたいなのがあって、こっちのほうが
面白いかもしれない。
京子ちゃんがいないのが残念だったりして。
0098人間七七四年
2007/12/20(木) 12:50:31ID:NQVf0FnK日本は宗教国家になってました。
0099人間七七四年
2007/12/20(木) 12:56:03ID:wt23XIoJ桶狭間当時の織田と今川が伯仲なわけがないとか今川の動員が二万ちかいという
のは賛成だが、しかし「尾張の南半分のさらに半分しか」これはない。
当時の信長は鳴海周辺を今川に抑えられていたこととと、岩倉が健在である以外
の尾張のほとんどを支配していた。
0101人間七七四年
2007/12/20(木) 14:33:52ID:K5wxYGWo林も柴田でさえ篭ってるぐらいだし、倒したばかりの土地からは
かなり不自由な動員を迫られてる気がするが
あと、確か今川は
数年掛けて諸役免除など行って、
限界以上の大量動員に努めていたっていう話をどこかで見た
0102人間七七四年
2007/12/20(木) 16:21:47ID:wt23XIoJ逆だよ。あらたに支配されたものほど、新しい君主に忠誠をみせるために大きめの
動員を求められるし、また本人もたいていは自発的に行う。これは当時の常識で
あって、現代風に支配下に入ったばかりだから新支配者には非協力的なんて考える
のはまちがい。
もちろん、新支配者がみるからボロボログダグダで支配も長くも強くもねーなーと
見くびられればその限りではないが。
0104人間七七四年
2007/12/20(木) 16:54:37ID:VvH9BRas同様に今度は裏切る元のとこから攻撃されても疑われたら援軍出してもらえずにあぼーんもこれまたよくあること
力関係から裏切ってついた者である分余計に保身に気を使わなければならないのは古今東西変わらない話だ
0105人間七七四年
2007/12/20(木) 18:19:35ID:XYH4fY+kそうしましょ。
ところでチャチャ入れて申し訳ないが、国力というのは何万石みたいに表現されるやつのことでしょう。
つまり生産高と言うか何人を養える、というか。
としたらそのうちの実際の兵数、普段は農民だが戦の時には兵になる、そういうのがどのくらいいたかは
また少し違う話じゃないのかな。
例えば石高が倍ぐらい違っても実際は1.5倍ぐらい、というのは普通にありそう。
ほんで大切な自国民全部をいきなり戦争に使う大将もいないだろうし、実際の戦においては
どのくらい動員したかはケースバイケースで考えるべきと思うのだよね。
だもんで各大名がそういう他国侵略の意思があったかどうかはかなり重要なわけで、尾張なんかは
国力はともかく精鋭がそろっていたろうし、毛利、今川あたりは実際の動員兵数&やる気と言うか、そういうのは
はどうだったのだろう、ってね。
今川が2万も動員したということは置いてきた兵もいるだろうし、相当な軍事大国ぶりだと思うのだが、
にしては義元が負けたあとはほんの局地戦を織田とか家康もなのかな、したぐらいで事実上滅んで
しまってるでしょう。
あんまり大国とも思えないのだよね、なんか。
0107人間七七四年
2007/12/20(木) 21:59:01ID:r1visPsS織田の全軍と今川の全軍がぶつかったとでも思ってるのか?
実際の戦闘は織田方が2000程度、今川方が5000程度だと言われてる。
織田方が勝利できたのは、予想外の突撃に対処できなかったとか
織田方はそのほとんどが精強な馬廻り衆だったのに対して
今川方には非戦闘員が多く含まれていたとか言われてるが定かではない。
そういった疑問点があるからこそ長く奇襲説が信じられてきたんだろう。
つーか、鈴木や藤本の本を読んでるんだったらその辺りの事は色々書いてあるだろ。
あと、あの時代に兄弟で家督を争ったくらいで危ないって何言ってんの?
0108人間七七四年
2007/12/20(木) 22:10:14ID:Du/z8KiFこの桶狭間論争の発端の人は、結局、今川では天下取りは無理だと言いたいの?
今川だから、天下取りが出来ると言いたいの?
何度、読み返してもわかりません。
0109人間七七四年
2007/12/20(木) 22:39:08ID:FkRdbSJ7さらに経緯も正面から戦っただのいや奇襲だっただの諸説あってどれも定かじゃない。
断定できる事は織田方の方が兵力が劣っていた、今川の大将、武将、旗本が大量死、という事のみ。
0110人間七七四年
2007/12/21(金) 00:24:22ID:3DarnL520112人間七七四年
2007/12/21(金) 08:27:06ID:xnQIfAboいや、それは新支配者が今度の戦いで有利な場合はそうだろうが…。
対今川は、そんな戦いだとは思わないんだよ。
国力的には、少なくとも勝ってるということは絶対にないわけだし。
現実に山口とかは、今川方に付いたりしたわけで、戦況が有利とは思えない。
それこそ、本当に負ける可能性の高い新支配者に、
必死に忠誠を誓うことが正しいのか。
0113人間七七四年
2007/12/21(金) 10:44:21ID:bJfMqEEt個人的な意見だけど有力な大名だと
北条は遠すぎ、上杉と武田はにらみ合い、九州勢も遠すぎ
天下を目指せそうな大名だと
今川は尾張制圧までは確実だろうけど、その先の想像がむずかしい
三好は最有力だけど、内部に松永という爆弾をかかえてる
毛利は上洛よりも勢力維持かつ九州に目を向けてる
ということで今川の行く末を考えてる。
0114人間七七四年
2007/12/21(金) 13:58:44ID:Zj0Wto2+九州勢力は1580年代まで変化ないがそこからスタートでも遅くはない。
0115人間七七四年
2007/12/21(金) 14:26:14ID:hVHcIL07前スレで、上洛して畿内を抑えたら、やはり有利みたいな意見も多かったし。
上洛時期を、70年代後半から80年代前半まで広げたら、毛利が頭一つ有利だと思う。
0116人間七七四年
2007/12/21(金) 16:53:51ID:eeL7dvkv横からなんだが、鈴木や藤本の本だけでは納得できない部分も多い、ということじゃないのかな。
研究家でもそういう立場の人かなりいるらいし。
2ちゃんだと、正面攻撃説で決定、みたいなふいんきあるから、それに疑義を唱える異見には
少し興味あるとこで。
0117人間七七四年
2007/12/21(金) 18:42:08ID:2PJytYGwそれはあるかも。
今川支配を見越して織田に非協力的な勢力も多かっただろうね。
0118人間七七四年
2007/12/21(金) 19:37:55ID:YS2lkhYp0119人間七七四年
2007/12/21(金) 21:59:21ID:dRQhT+890120人間七七四年
2007/12/21(金) 22:10:51ID:7H3QMHy4山口親子が裏切ったのは信秀死後の直後で桶狭間から何年前だと。
しかも、そこから桶狭間にいたるまでに、尾張で今川についた豪族勢力というのが
見当たらない。さらに佐久間、佐々、千秋などは総領が戦死するほど力戦している。
0121人間七七四年
2007/12/21(金) 23:15:47ID:p98yDsM6鈴木や藤本の偶然説や小和田先生の正面奇襲説など
何故勝てたかという疑問に対しては色々言われてるだろ。
それらを額面通りに受け止めるかどうかは兎も角、
そういった本に書かれている事から
幾らでも自分で推し量る事は出来るだろって事。
幾らなんでも兵力が同程度だったと考えるのは余りに不自然。
0122人間七七四年
2007/12/22(土) 10:59:12ID:DvG9/JDTそか、頭悪いモンでいくらでもおしはかれないんだ。
偶然説、ってのが一番合理的というのはちと逆説ちゅうとこか。
ほんで、兵力が同程度、とは思ってないよ。
言われてるほど差はない、ってぐらいね。
誰かが言ってたけどトータル2000−10000で、正面に配置されてたのが5000とする。
さらに偶然が重なって2000VS3000なら勝てても不思議はないものね。
で、現地見ると正面ちゅうより少し横からかもしれない。
ならばマトモに2000VS2000ってこともあったかもしれない。
これを最初の仮定が2000−15000でも違和感ないし、定説っぽい2万でも偶然薄くなった側面から
と考えると十分に勝機はありそうですものね。
と、ところで、なぜ小和田には先生をつける・・
ブコウの原本見て、江戸期のものだ、と言ってたけどその後を知りたいぞ。
0123人間七七四年
2007/12/22(土) 11:09:44ID:1qpWva45桶狭間の合戦の真実について
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962872/
いいかげんにしれ、織田今川の動員数戦略を推し量るならこのスレの範疇だが
桶狭間自体の経緯はすれ違い
0124人間七七四年
2007/12/22(土) 12:59:51ID:DchRSNSU濃霧の行軍中にパッタリ出会って死傷者が夥しい事に。
0125人間七七四年
2007/12/22(土) 13:09:34ID:J3yncOoqそういう説もあるというだけ、
四次ついてはまともな資料がほとんどなくて、何も分かりません。
というのが現状。
0126人間七七四年
2007/12/22(土) 13:33:08ID:DchRSNSU0129人間七七四年
2007/12/22(土) 14:35:08ID:J3yncOoqいや、四次川中島については、主力が孤立して分断されていたかどうかも分からないし、
釣り野伏せのような作戦があったかなかったかも分からないんだよ。
まあ、この話題も深くやるなら専用のスレに行くべきだと思うけど。
0130人間七七四年
2007/12/22(土) 14:58:57ID:z5ZtDC5o0132人間七七四年
2007/12/23(日) 01:43:41ID:1idlvLY/とったのは羽柴秀吉
信長状態で天下をとったと定義すると
三好の方が、よほど天下をとっている
信長は上杉にも大敗しているし、毛利にも苦戦している
信長では関東の平定は難しかったと思う
0133人間七七四年
2007/12/23(日) 02:10:13ID:pbhYK8qxとったのは羽柴秀吉
その秀吉を信長が取り立てなければ秀吉も天下取れないね
>信長状態で天下をとったと定義すると
三好の方が、よほど天下をとっている
領国、石高は圧倒的に信長が上だが
>信長は上杉にも大敗しているし
手取り川の戦いなら合戦自体あったが疑わしいし、あったとしてもたんなる雑兵虐殺で名の有る将は死んでない
>毛利にも苦戦している
最終的には毛利を追いつめた
>信長では関東の平定は難しかったと思う
北条は信長に恭順の意思を示して居るが、何か?
0134人間七七四年
2007/12/23(日) 13:48:42ID:G3pB0Gt2信長の評価は過大だと思う
楽市楽座を大々的にしたのは六角氏
安土の場所に石垣を用いた巨城を最初に築いたのも六角氏
鉄砲は各戦国大名が既に配備していた
三段構えみたいな誰でも考え付くようなことは
当時、普通に行われたいた
将軍の追放も京都では日常茶飯事で
あらためて驚くようなことではない
だいたい足利義昭は
その後も官職は将軍だし
幕府を滅ぼしてはいない
将軍が京都を離れ
地方に下ることも
よくあること
信長は普通の成り上がりの大名
朝倉や斉藤や三好と同じ
尾張守護で管領になれる格式をもつ斯波氏の
守護代並みの有力な家臣というだけ
まで言ってしまうと言いすぎか
0135人間七七四年
2007/12/23(日) 14:43:14ID:DGUivKjIいや、朝倉や斉藤や三好と同じって、
その三家とも信長に滅ぼされるか支配地域を併合されているんですが。
それだけでも大変なことなわけだが。
0136人間七七四年
2007/12/23(日) 14:47:11ID:ba+cE3Lk0137人間七七四年
2007/12/23(日) 14:50:00ID:dyKf8umJ0138人間七七四年
2007/12/23(日) 19:45:04ID:9dXkDCAw今川は上洛するの?しないの?
上洛出来るの?出来ないの?
上洛出来たとして、三好や六角、浅井朝倉ら、畿内周辺の大名と戦い続けられるの?
そして、勝ち残れるの?
0139人間七七四年
2007/12/23(日) 20:05:34ID:JLThVE260141人間七七四年
2007/12/23(日) 23:04:53ID:btw6XH01俺は今川では無理だと思う。理由は義元の年齢とそれまでの侵攻速度。
義元の世代ではせいぜい尾張、よくて伊勢が限界だと思う。次代のウジザネもキャラ的に天下とりを優先して動くようには思えない。美濃あたりに勢力を伸ばせるかでうか。
0142人間七七四年
2007/12/23(日) 23:26:40ID:x94u0HMd東美濃は武田、美味しい所は今川w
うまく上洛できても三好氏健在時には義元は死ぬだろうし
お家騒動はなさそうだが次代は暗君ではないが
出来人とも思われない氏真だからなぁ
0143人間七七四年
2007/12/24(月) 01:48:53ID:03dc6io0信長が上洛して、戦国時代が活性化したと言うか、地方大名同士の領地争いが、覇権争いに発展した印象が強いんだよね。
義元が上洛出来れば、その契機になってくれればいいんだけど…。
義元は、上洛した途端寿命が尽きそうな。
氏真+250万石の領地+三国同盟で背後は比較的安全で、畿内の争いに勝ち残れるのかが…無理だろな。
0144人間七七四年
2007/12/24(月) 02:07:45ID:f1dApGGU真田??あんな小豪族がどうかした?
信長?散々負けまくってるよねえ
元就?大勢力と争ったことあるの?江戸時代に作られた創作だらけだしね。
正直信玄に勝る大名なんていやしないよ
こんな采配出来る大名が武田信玄の他にいるの?↓
正直信玄と謙信以外の大名全てゴミだよ
「大軍を抱えたまま敵に背後を見せておいて、追撃してきた敵を殲滅、
北条討ちしかり家康討ちしかり」
0145人間七七四年
2007/12/24(月) 09:18:17ID:HER92KZj信長、尾張・美濃100万石+背後に三河20万石の同盟国より
義元、尾張・その他150万石+背後に各々100万の同盟国の方が
侵攻速度は普通に早いと思う。
>>143
義元・元就・長慶・氏康・信玄って、同じ頃に寿命が尽きるんじゃない。
0146人間七七四年
2007/12/24(月) 09:53:23ID:vmfPsJv0史実では、すべて病死で、
三好長慶 1564年
毛利元就 1571年
北条氏康 1571年
武田信玄 1573年
0148人間七七四年
2007/12/24(月) 10:55:16ID:8HK/O3c3でもそのうちのどれかはもっと勢力拡大するんじゃね?
信長だってまず最初にそのブロックの覇者程度にまで大きくなってからだったんだし。
0149人間七七四年
2007/12/24(月) 12:13:54ID:HER92KZj長慶が死ぬまで、義元は上洛できない。
義元は、長慶死後、義昭を担いで上洛。
義昭は、義元死後、元就を上洛させる。
元就死後、平氏の氏康が上洛し、義昭を追放して一旦天下を取る。
氏康死後、信玄が北陸から上洛して源氏の武田が天下と取る。
0150人間七七四年
2007/12/24(月) 12:39:41ID:hKqkf0zo同盟がずっと続くかどうかは不明。相手は信玄と氏康、全く油断ならない。
信長だって背後は徳川武田浅井に守らせてたことを忘れちゃいけない。
しかし浅井武田は勢力拡大にともない結局決裂へ。同盟ってそんなもんだろ。
勢力を拡大すれば敵も増えるし今川のやり方ってものもある。三河は戦で無理やり平定する方法もあったが松平の名分にこだわり時間をかけて領国化していった。尾張にも相当の時間をかけるだろう。
また信長がいなかったとして信行か誰かが承継し柴田ら譜代が反乱を起こしていないとすれば岩倉攻めの時期も早くなり今川の侵攻までに織田が尾張の大部分を支配した可能性はある。そうなれば国力は同等。
義元の寿命が1570年とすれば相当上手くやって尾張支配、北伊勢をちょろっとが限界だと思う。
0151人間七七四年
2007/12/24(月) 12:58:08ID:dNn+9/Jo今川が安定してれば北条は手を出さんよ
信玄が介入できるのは1569年からで、その時点で今川を取り巻く状況がどうなってるかなんぞ分からんぞ
今川に有利なら信玄も無理に動かんよ
三河統治が時間かかったのは彼我の国力差に、松平の大名権力に、織田の介入にといろいろな事情がある
そのあたりまるっと無視して、尾張にも時間がかかるとするのは乱暴にすぎないか
織田の内部情勢についても本家?宗家?の信友もいれば、一族が大量にいるだろ
こいつらは”織田信長だから”敵対したんじゃなくて、”主導権握れないから”敵対したと見るべきだと思うんだがどうか
信秀が尾張を纏め上げて外征するけど、あくまで家臣化じゃなくて協力とかそういう立場での外征だったんんじゃないのか?
と、すれば織田信秀家の当主が誰になろうが、信友にとって権益を回復するためにはこれと衝突する必要があるんじゃないのか?
そこで尾張がまとまる可能性がある手段としては、おそらく当主になるであろう信勝が信友らに屈服するといいう流れだとおもうが、史実で兄貴に反旗翻す思想の持ち主がおとなしく従うか?
つまりどのみち内部分裂はあるんじゃなかろうかと
0152人間七七四年
2007/12/24(月) 13:23:31ID:hKqkf0zo尾張にちょっかいだせば斎藤が介入してくるだろうし国力差も尾張の国力を考えれば三河のときとどっちが楽とは言えない。
確かに今川が尾張を支配できる可能性は高いがそうすんなり行くとも思えない。同盟は尾張平定までは保たれると思うがその先となると闇。尾張以降は期待できない。
それと俺もいずれにせよ織田は一度は分裂すると思う。が、信長でなくともおそらく織田はまとまる。そこは水かけ論だが可能性は十分ある。
0153人間七七四年
2007/12/24(月) 13:31:02ID:YC37PI8t0154人間七七四年
2007/12/24(月) 13:33:00ID:dNn+9/Jo史実で桶狭間な時に斉藤が介入できた?
桶狭間の翌年に斉藤義龍は死んでるが(信長の毒殺でもない限り同じように死ぬだろう)、その後斉藤は尾張に積極的に動いた?
今川と尾張の国力差が無いというが、それは尾張が一丸となって抵抗した場合じゃないか?
しかも後方の美濃とは関係良好で今川に対して全力で当たれる状況でもない限り不可能じゃないか?
尾張平定以降同盟(武田北条今川でしょ?)が破綻に至る理由と、それをしめすような史実での現象は?
信長でなくとも尾張がまとまるかはどうだろうか
信長のように権力をどんどん集中させればなかなかまとまらんのじゃないか
信秀のようにある程度権力を認めて使用するならまとまりはでても不安定なものじゃないか
そもそも信長のようにうまくやれるような才能があるなら、史実において信長を撃破してるんじゃなかろうか
0155人間七七四年
2007/12/24(月) 13:40:13ID:HER92KZj信長の背後に武田がいたことを忘れていた。
同盟を解消するには、身内に血が流れる。今川と武田は実際30年間
同盟関係だったわけで、信玄は、解消する事に慎重な態度を取るだろう。
東三河は、支配者戸田氏が抵抗したため、滅ぼした結果1年も
せず領国化した。一方の西三河は同盟者松平を保護する名目の為、
時間がかかっただけ。尾張が抵抗した方が時間はかからない。
山口は、信秀生前中から、裏で今川方になっていた。
信行だろうとも、継承した時点で、鳴海が今川方になっているだろうから、
岩倉攻めの時期が早くなっているとは思えない。
0156人間七七四年
2007/12/24(月) 14:13:15ID:8KYX2ua0あくまでも標準的な人物として評価するほうがふさわしいと思う
あと反乱を制したおかげで信長自身に家中の権力集中が出来たとも推測できる
それは逆に尾張統一に有利だったのではないか?
0157人間七七四年
2007/12/24(月) 18:41:55ID:03dc6io0今川が準備に、勢力を延ばしつつある間は、北条も、武田も大人しく同盟を守っている方が、メリットは大きい。
だが、信長みたいに畿内周辺の大名と泥沼の連戦になると、東海諸国を簡単に奪える状況になるので、裏切った方が、メリットは大きくなる。
0158人間七七四年
2007/12/24(月) 19:25:47ID:8KYX2ua0史実のように後方を固めるために今川支援に動くだろう
さらに上洛思考のあまり見えない地方派遣的戦略なので、
今川をライバルと思い妨害しようとすることもあまり考えられない
問題は武田でどうしても港が欲しく、上洛思考もあり
上杉を抜けない限り領土を広げようもないので、今川に敵対することはあると思われる
今川の美濃攻めを妨害することすら考えられる、
領土拡大だけなら美濃を一緒に攻めて分け取ることも大いにありうるが
0159人間七七四年
2007/12/24(月) 19:27:10ID:8KYX2ua00160人間七七四年
2007/12/24(月) 19:29:36ID:dNn+9/Jo上杉に傾注すれば越後取れるんじゃないか
上野だって切り取っていったし
武田が南進開始するのはなんと言っても今川の弱体化がでかいと思うんだが
0161人間七七四年
2007/12/24(月) 19:29:45ID:mmk5yngo織田弾正忠家を継ぐのは信勝。対抗馬がいないのですんなり決まると思う。
帰蝶との婚約や美濃との同盟も、平手政秀が史実と同じように頑張ってくれるでしょう。
問題は清洲や岩倉などの他の織田家がどう動くか。
信長の時は信秀が死んでからすぐに牙を剥いてきたけど、
あれは家督相続問題でもめていた事に付け込んできたからであって、
家督相続がすんなりいけばばもっと慎重になると思う。
稲葉山攻めの失敗以来落ち目な信秀家ではあるけど、
美濃の国主との同盟関係もあるので、尾張において最大勢力であるのに間違いないだろう。
しかし、斯波義統の謀殺などの腹芸が信長以外にできるとは思えないので、
信勝側も攻め手に欠け、分割統治のままずるずるいくのではないだろうか。
今川家の動きはあまり史実と変わりないと予測。
三国同盟が55年で、一進一退を繰り返したすえに大軍を率いてやってくるのが60年。
特に急がなければならない理由も無いので、こんなものだと思う。
美濃も特に変化なし。同盟は長良川で決裂。その後冷戦状態が続いていると思う。
この状態で桶狭間に突入。信勝は家臣の意見をいれて居城で篭城。
しばらくは持ちこたえるがやがてジリ貧になり切腹。
他の織田家も次々に打ち破られていくなか、岩倉あたりが美濃に援軍を要請する。
尾張が今川の手に落ちたら、次の狙いが美濃になるのは明白なので、斉藤家も承諾するだろう。
ちょうど20年前の三河みたいに、東西に分かれての混戦が続くが、
やがて地力に勝る今川が優勢となり、5年後くらいに斉藤家を撤退させ、尾張を併合する。
その後、武田家と合同で美濃攻めに入るが、その時に義輝殺害事件が勃発。
戦争中なので機敏には動けず、義昭を担いでの上洛は果たせない。
1570年代前半くらいに美濃まで手中にできるが、その頃に義元の寿命が尽きる。
そして、跡を継いだ氏真は、義輝の死により足利将軍家の正統が断絶したと判断し、東国に新たな幕府を開く。
畿内の混乱を治めた勢力と、国を二分する東西決戦を挑む。
0162人間七七四年
2007/12/24(月) 19:37:31ID:dNn+9/Joヨシムネ殺害は信友さんじゃないのか?
今川も早くなっても一年二年くらいだろうと思う
敵の敵は味方な見方でいくと斉藤は今川に協力しこそすれ、織田援助はどうか
そもそも援助する余裕があるのか
後半は…ものすごい急展開だな
0163人間七七四年
2007/12/24(月) 19:38:52ID:03dc6io0今川が、強い同盟相手である間は、北条も同盟を堅持するだろうが、弱い隣国、混乱している獲物になり果てたら、襲いかかるのが、戦国の掟。
0165人間七七四年
2007/12/24(月) 20:16:02ID:OCA+aDWT通説ではそうなんだが、実は信長家督継承時の織田弾正忠家はべつに分裂なんぞ
していなかった。叔父信光も信次も信長を支持していたし、信勝も少なくとも
表面上は信長に従っていた。清洲織田家との合戦では軍を出している。
信勝が信長への態度を表面でも変え始めたのは信光の死、道三の死によって信長を
支持する存在が消えていってから。
>>163
で、弱体化した今川に史実の北条は襲い掛かったかね?
もちろん、弱体化した同盟者に襲い掛かる北条は可能性はある。ただしそれは、
関東の諸勢力が反北条をやめた場合。関東で諸勢力を敵にまわしているのに、なぜ
さらに自分から新たに敵を、しかも本拠地のすぐ傍でこれまでの主力展開方面の全く
逆の裏に敵をつくらなければならんのか?
同じことを史実でやった武田がどれほど苦労したか。
0167人間七七四年
2007/12/24(月) 21:31:54ID:CIDzhci3守護・斯波義統を殺したのは、守護代・織田信友。
義統の嫡男・義銀が、事件後、信長の庇護下に入ったことから、これはほぼ間違いない。
0168人間七七四年
2007/12/25(火) 01:49:46ID:qvSUKHme三国同盟のメリットが、今川だけに働くとでも思っているの?
仮に、今川に上洛と言うメリットを、三国同盟がもたらしたら、北条にも関東制覇というメリットを与えてもおかしくない。
武田は、三国同盟が堅持されていたら、信越地方にしか、侵攻方向はないわけで、史実以上に、上杉と戦わなければならない。
それは、北条側から見れば、武田が上杉の関東進出を牽制してくれることになる。
関東の反北条勢力にしてみれば、自分たちの危機にも、救援に来てくれない、実に頼りない、関東管領と言わざるをえない。
こちらとしては、上杉の関東進出が、半減すれば、反北条勢力も半減し、北条の関東制覇は史実以上に進むと考えている。
0169人間七七四年
2007/12/25(火) 02:00:44ID:Zp5dcCCSつまり、義元が死ぬかどうかして今川が弱体化・混乱する頃には、北条は関東の
ほとんどを制覇していて後顧の憂いなく今川を攻撃できるという主張でよろしい?
あーそうだねー、そこまで都合のいいIFをかければそりゃそーなるだろーねー。
0170人間七七四年
2007/12/25(火) 02:40:58ID:qvSUKHmeこちらにしてみれば、今川だけ上洛出来て、北条武田は史実通りの同盟関係って、よほどの偏向なifだと思うんだけどね。
まぁ、史実で確かめられないんだけど、百者百様でifを楽しめればいいんだけどね。
0171人間七七四年
2007/12/25(火) 08:06:57ID:RHeQkOXyもし、謙信がいないというIFであればそりゃ関東制圧もさくさく行くだろうけど
0172人間七七四年
2007/12/25(火) 10:27:53ID:CQ7/4E19信長上洛したときは徳川や浅井も今日に入っているんだから、今川が上洛しても
その成果の分け前を北条や武田に分配するなら、今川だけ上洛しやがってとか北
条武田が怒る理由はないんじゃないか?
甘い汁が吸えるなら、上洛してもらったほうが彼らにとってもうまいわけだ。それく
らいの気配りもできない義元じゃないだろ。
将軍を手中にして幕府を掌握できるなら、北条を関東管領、武田を評定衆あたりに
すれば納得するんではなかろうか。
あとは武田と北条にも援軍させて、かわりに畿内に領地与えれば十分だと思う。
0173人間七七四年
2007/12/25(火) 10:44:07ID:NJTSsJdU足利義秋は信長のときみたいに朝倉とかの後に今川に来るかな?
義元の寿命がそれなりにあった、尾張制圧・美濃侵攻と仮定して、
美濃制圧後に支配体制確立しようとしてる前後にぽっくり逝って氏実になっても来たかな?
0174人間七七四年
2007/12/25(火) 10:47:33ID:NJTSsJdU氏真はボンクラだから行くのやめましょう的なこと言われたりしてな。
義元が戦死しなかった期間で氏真はどれだけ成長するんだろうか。
0175人間七七四年
2007/12/25(火) 13:53:31ID:2BQ45Vqcやはり岐阜をとったのがデカイ
0176人間七七四年
2007/12/25(火) 14:06:03ID:5z0arcgdただそれだけのこと
0177人間七七四年
2007/12/25(火) 16:15:45ID:HeuEouaZ強力な地盤が出来ると侵攻のスピードが格段にアップするみたいだね。
0178人間七七四年
2007/12/25(火) 16:23:27ID:vXd8RMZn0180人間七七四年
2007/12/25(火) 17:13:21ID:5z0arcgd0182人間七七四年
2007/12/25(火) 17:29:23ID:YzrFRTFnその一向宗の強さを測る目安の一つに「信長すらも苦戦した」っていうのが入ってるから
ややトートロジー(自己撞着)気味だと思う
0184人間七七四年
2007/12/25(火) 18:34:05ID:xJkdfnJjそれでも早めといえば早めだが、斉藤は当主の度重なる交代やら、義龍クーデターうあらから考えるに、それほど強固な支配でもなかったんだろう
そこからは事実上、単独で見れば独走状態だからな
0185人間七七四年
2007/12/25(火) 19:37:47ID:RHeQkOXy近くに同等クラスの強大な敵対勢力があると拡大速度は阻害されるみたい
毛利 尼子残党及び大友
北条 上杉佐竹里美を含む関東諸連合軍
上杉及び武田 お互いに
織田の場合は中央に織田クラスの敵対勢力が存在しなかった、
あるいはあっても機能不全だったことが大きな理由かと
0186人間七七四年
2007/12/25(火) 19:40:21ID:b6qnMqE5いや、信長がいなければ今川にとって有利になるのは十分想像つくが、
信長がいないからといって、武田や北条が有利になる要素はほとんどないわけで・・・
0187人間七七四年
2007/12/25(火) 20:41:36ID:vXd8RMZnそれは確かにある、
でも斉藤氏、朝倉浅井連合、三好氏、本願寺なんかは十分に対抗勢力だったろう
極端に有利だったわけでもない、武田氏と比べるとだいぶアレだが
0188人間七七四年
2007/12/25(火) 20:47:13ID:+4Ahj1fsいたスレがあったな。
本願寺も同様。
ほんで、侵攻は電光石火、って結論だったから妙に不思議だった。
結局信長大好き派が多いということかと理解してたけど、やっぱりそんなもんなのかな。
0189人間七七四年
2007/12/25(火) 21:37:33ID:Zp5dcCCS少なくとも史実で信玄が今川侵攻を考えて義信との関係がおかしくなりだす頃までは
西国と同様史実どおりの展開でいいと思う。その頃までは、信長の動きは関東甲信越
に全く影響はなかった。
0191人間七七四年
2007/12/25(火) 22:09:30ID:vXd8RMZn織田、
100万石1559〜1567、8年間
尾張ほぼ平定〜美濃平定
150万石1567〜1569、2年間
〜伊勢ほぼ平定
200万石1569〜1570、1年間
〜近江半国、山城一部、その他
武田
100万石1553〜1568、15年間
信濃大半平定〜駿河ほぼ平定
今川
100万石1536〜1555、19年間
家督争い終結〜尾張の一部
北条
100万石1524〜1546、22年間
江戸城占拠〜河越夜戦
150万石1546〜1564、20年間
〜第二次国府台合戦
毛利
100万石1555〜1557、2年間
厳島勝利〜大内滅亡
150万石1557〜1556、9年間
〜尼子滅亡
※毛利氏は早く見えるが、大内氏併呑は実質内部抗争で乗っ取り、1569年まで残党は残る
尼子氏も1578年までは残党勢力が残るので実効支配とは言えないかも
信長の美濃攻めも十分早し、
他の大名と比較しても尾張込みの150万石の今川が
織田より早く領土を広げることもなさそうじゃないか?
まぁ年表と太閤検地と脳内勢力図がソースでなので異論反論は大いに受け付ける
てか適当すぎるので誰か修正してくれw
0192人間七七四年
2007/12/25(火) 22:18:41ID:vXd8RMZn武田は越後を狙わないんじゃないか?
川中島やその他の対上杉小競り合いも基本的には防衛戦だし
駿河攻めで取りやめになったが木曽路〜飛騨〜越中ルートを狙ってたらしい
海峡を挟んだ飛び地取り並みに困難だからどこまで本気かわからないが
美濃を今川と分け合えるならば現実味は出てくるかも知れん
どっちにしろ越中で上杉とかち合うがw
0193人間七七四年
2007/12/25(火) 22:19:31ID:qvSUKHme>>189
三国同盟堅持だから、今川が後顧の憂いなく上洛出来る様に、武田は信越地方侵攻に専念し、北条は関東制覇に没頭出来るのでは…。
武田が史実以上に、上杉に攻め込んでも、上杉は史実通りに関東出兵が可能なのだろうか?
武田は全力で攻め込んでも、上杉の動き一つ牽制出来ないほど、ひ弱な同盟者?
北条は、上杉の関東出兵が半減しても、史実通りにしか、領土拡大出来ないほど、不甲斐ない大名なのか?
上杉は、武田と1560年以後も、戦い続けても、関東出兵に影響がないほどの最強大名なのか?
信長が存在しない→
義元は、桶狭間で死なない→
三国同盟堅持→
武田は、上杉攻めに専念→
上杉は、関東出兵が減少→
北条は、関東制覇が格段に進む
この論理って、そんなにおかしいかな…?
0194人間七七四年
2007/12/25(火) 22:32:54ID:dNzK2S1Z大して影響ないのでは。
0195人間七七四年
2007/12/25(火) 22:36:52ID:vXd8RMZn攻める気があったかどうか
0196人間七七四年
2007/12/25(火) 22:41:21ID:qvSUKHmeその影響は、小さくないと思うんだがなぁ?ってこと。
今川が尾張を奪うとか、上洛出来るとかじゃなくて、三国同盟堅持ならってことですよ。
0197人間七七四年
2007/12/25(火) 22:45:25ID:xJkdfnJj越後かどうかはおいといて、今川には向かないだろ?
>>194
なぜなのか、理由を言わないとなんともレスのしようがない
>195
上野は上杉領でしょ
0198人間七七四年
2007/12/25(火) 23:26:31ID:Zp5dcCCSはい、おかしいです。あなたに言うべきことは、史実をみてくれということです。
史実においては義元が死んでからも、武田も北条も三国同盟堅持で特に今川に
ちょっかいを出してもいません。逆に史実において、武田や北条の侵攻に今川が
援軍を出すなりして協力した、もし今川の助力がなかったら武田or北条はここまで
進出できなかっただろうなあなどという事例も見出せません。義元死後の武田も
北条も、今川とは関係なしにそれぞれの方面に専念して領土を拡げているのです。
(後方が安定してるから前に全力を注げるという意味でなら、史実でも義元顕在の
IFでもかわりはない)
そしてこのスレでは、今川は義元が健在だったらそのまま西進して東には関わら
ないという前提でいます(まあ外交的な補助くらいはするかもしれんが)。これで
どうしたら、今川義元が健在だったら武田と北条の侵攻は史実よりも進むと考えられる?
仮に史実が変わるとしたら、>189で指摘したように、武田が三国同盟を考え直し始める
時期―見方によってかわりますが、65年以降くらいか?これ以降は義元の寿命をどう
設定するかで大きくかわるのでなんともいえないが。
ただし、史実において上杉が北条と結んでも里見や佐竹などの関東諸将は北条と
戦い続けた。上杉が弱まれば一気に北条の侵攻がスピードアップするかどうかと
言えば、それも断言はできないだろう。
0199人間七七四年
2007/12/25(火) 23:34:30ID:vXd8RMZn上野長野氏は上杉に従っていたとはいえほぼ独立勢力
上杉本拠地を狙うのとは訳が違う
史実においての武田家は越後に対して消極的で数々の対戦も
上杉側の進攻によるもの、降りかかる火の粉を払うに等しい戦いと思える
また木曽氏に街道の整備を命じたことなどから>>192に書いたとおり
越後は戦略目標に無いと自分は考える。
北条に関しても今川健在による後方の安定化での利益と
対武田戦がない事によって進攻が史実より早いだろうが
対上杉の負担はそれほど減らないだろう予想する
武田対今川に関しては三国同盟堅持が地方覇権的には利益は大きいし
健在の今川を攻めるのはリスクも大きく、重臣の支持もえれにくく
同盟破棄するにしても史実よりは遅れるとして
義信の家中での影響力も大きくなっていると予想されるので
最後まで破棄しない可能性は高くなるとは思う
ただ戦国期において対等の同盟が破棄されないのはまれであり
上洛志向のある信玄が最後まで黙ってるかは不透明
同盟堅持のほうが予想は楽なんだけどなぁ
答えは出ない話だけど、どうなるかはもう少し検証してみて、
このスレ内だけでいいから、何らかの道筋というか結論を出してみたいなぁ
0200人間七七四年
2007/12/26(水) 00:15:38ID:OrkdnXOOいや、山内上杉にとって上野は根幹地だぞ
という屁理屈はおいといて、多少の差はあれ、結論は今川に向かわないで一緒だろ?
なら別に殊更に取り上げるようなことでもないだろ
対等同盟が維持されるのは珍しいが、三カ国によるパワーバランスの亀甲の抑止力というのも珍しいはずだ
二カ国の同盟と、三カ国のそれ、同列に語っていいものかね
また武田に上洛思考があるということだが、おそらく晩年の上洛行動をさしてのものだろう
しかし、ありゃ整えられた状況に乗っかるというか、勢力拡大に使える程度の認識で、武田が上洛と標榜してたと見るが
ごくごく一部を切り取ってみるならば、武田が上洛したがっていたと見ることはできる
しかし、織田を例に取れば、将軍を擁して上洛したから幕府のために行動していた、と考えるのはいかがなものか
また、徳川を例に取れば、羽柴に従属以後はおとなしくしていたから羽柴と再び対決する意思はなかった、と考えるのはいかがなものか
つまり、武田は上洛思考があったからではなく、当時武田が得ていた情報からみて織田が脆弱と判断したからこその織田への反旗じゃないか?
仮に上洛の意思があったとしよう、しかしその萌芽は織田の苦境を受けてのもので、今川が同じような状況にされ無い限りは今川を攻めるというのはないと思うんだが
0201人間七七四年
2007/12/26(水) 00:35:23ID:1Mf17eT2うーん、上洛はともかくとして
信玄の基本戦略は自軍より弱い(弱らした)勢力を攻めるというか、
手強い所とはどうしようもないとき意外は事を構えない感じなんだよな。
たとえ包囲網を引かれてたとしても自領の倍以上の国力を持つ織田家に、
単軍で進攻したのは急激に中央を纏めた信長に対する、
老年期に差し掛かった信玄の焦りが感じられてならない。
相手が革新勢力織田ではなく同じ旧来の守護大名今川で
次代が20代の勝頼では無く、30代後半の義信ならそんなこともなくなるのかな
0202人間七七四年
2007/12/26(水) 09:24:17ID:OrkdnXOOなぜあせる必要がある?
何にあせる?
織田が天下統一することに対するあせりか?
なぜ織田が天下統一すると、武田があせる必要がある?
0203人間七七四年
2007/12/26(水) 09:33:30ID:vKl6uTbI分の敵と戦うとみんな仮定しているんだろう。
実際は補給物資の融通とか援軍とかで史実よりそれぞれ少しずつでも状況はよくなると
思うんだが。
0204人間七七四年
2007/12/26(水) 09:37:42ID:mWz/7PZZ>単軍で
単独じゃないでしょう。名目とはいえ「包囲網」が敷かれてるんだから。
まだ一向宗や朝倉勢は健在なはずだし。
上洛指向が有ったかどうかはともかく、信玄の西上は純粋な政治力学的に妥当だったんだと思うけど。
領土が倍ある相手に攻め込んで領土を切り取るってのは普通にでき得る事でしょ。
0205人間七七四年
2007/12/26(水) 09:43:35ID:I2A3csBrだね
武田が意図した織田包囲網ってのは織田家が急拡大してきた要因である内線作戦を
根本から覆させたものだからな
0206人間七七四年
2007/12/26(水) 11:37:42ID:1Mf17eT2より今川に敵対する可能性は低くなるので70年代中は武田が近畿に影響を及ぼすことは無く
あっても今川主導下の共同作戦ぐらいと
0207人間七七四年
2007/12/26(水) 12:15:02ID:sqmTGCO5完全にifだけど後は三国直接戦わないで姻戚強めるか毛利と両川のようになるのでは。
0208人間七七四年
2007/12/26(水) 13:47:29ID:vKl6uTbIいと思うので、畿内のいずれかの勢力と同盟して多国同盟のかたちになると思うよ。
もしかしたら三好も同盟に加わるかもしれんし。
美濃から北近江まで進出したら、あとは無血上洛の可能性が高いんじゃないか。
そのあとどうなるかは判らんが、畿内の勢力の家臣化を進めるのかどうかが分かれ
道っぽい。細川や畠山と同じ道を行くとしたら、上洛までは出来ても天下は無理そうだ。
0209人間七七四年
2007/12/26(水) 21:10:33ID:OrkdnXOO領土が倍ある相手に領土切るとるってのはよほど困難なことだと思うんだが
寸土なら切り取れるかもしれない、ではそのあとで反攻にでられたらどうなる
逆に国力の大きい相手に楽に領土を切り取って行けるというなら、史実で浅井朝倉六角etcはなんで滅亡したんだ
国力で劣っても、なんとか勢力を糾合させて、連動して攻勢に出られたならそれも可能かもしれない
つまりは諸勢力の糾合が前提条件としてあって、それができないならば国力が格上の相手と戦うのは避けるのが道理じゃないか
>>208
名前だけで味方につけられるのはよほど巨大化した勢力か、よほどの名家じゃないと無理だと思うんだが
それこそ公方クラスでないと
0211人間七七四年
2007/12/26(水) 21:45:05ID:HB9mBGi/では百人の武士と十人の武士が戦ったらどっちが勝つ?
何回もやれば十人の武士が勝つこともあろうが、予想する段階では百人のほうが勝つと推測するのが妥当じゃないか?
0212人間七七四年
2007/12/26(水) 21:53:44ID:wxKKZqNx場合によれば生きるために仲間を売ってでも100人側に加わったほうがマシと判断する奴も出てくる
こういうのは戦国時代に限らないのだけどね
0213人間七七四年
2007/12/26(水) 22:42:45ID:o28xfSII信長包囲網ってのは別に信玄が意図企画したようなものではないんだが。
むしろ逆で、畿内で苦戦している信長をみて、今なら背後からの一撃を
かませると踏んで包囲側に加わった。ところが信玄が動き始めた頃には
包囲側が疲弊しつくしていたのだが。
0214人間七七四年
2007/12/26(水) 23:20:05ID:mWz/7PZZ子供みたいなこと言うなよ。
戦場となる場所に多数の軍勢を動員できたほうが勝つわけだろ?
ゲーム脳でも分かる話だ。
人数少ないほうが勝つのが普通、なんて言ってないだろう。
0215人間七七四年
2007/12/26(水) 23:34:29ID:HB9mBGi/うん、だから「諸勢力を糾合することが前提」と言ってるんだ
だから武田が今川に立ち向かうと論じるなら
「今川に敵対する勢力を想定して、武田がそれらを糾合しえるかどうか」
を説明する必要があると思わないか?
それを欠いて「領土が倍ある相手に攻め込んで領土を切り取るってのは普通にでき得る事でしょ。」というのは強引すぎる
ついでにいうなら、その戦場となる場所を、状況を、情勢をすら想定せずに、説明せずに、領土が倍ある相手にも領土を切り取れるとするのも強引
もうひとつに言えば、武田が糾合しえるかという問題を棚上げして、
「領土が倍ある相手に攻め込んで領土を切り取るってのは普通にでき得る事でしょ」とするのは、
まさに「人数少ないほうが勝つのが普通」と言うことじゃないか
つまり、君の話はちょいと飛躍してないか?
0216人間七七四年
2007/12/26(水) 23:44:59ID:mWz/7PZZいや、そんな大層な話じゃなくてさ。
>>204に書いたとおり「でき得る」っていうことなんだよ。
別に領土小さい勢力も大きい勢力に勝算有りで攻撃を仕掛け「得る」よ、と。
そういう状況は十分「有り得る」よ、と。
で、武田の場合はそういう状況だったんだろう、と。
>>204の最後の一文にはそこまで大きな意味は無いんだよ。
言いたかったのは
>信玄の西上は純粋な政治力学的に妥当だった
って部分なんだから。
0217人間七七四年
2007/12/27(木) 00:00:31ID:jKXm0v93だから、その勝算を見出すのには諸勢力を糾合することが前提だと言っているわけで
織田と武田、この二者のガチンコなら武田に勝算は無い
織田と武田・朝倉・毛利・本願寺・三好らが一丸となって戦えば勝算は見出せる
勿論、個々の国力で言えば、武田一味が圧倒的に小国で、部分的には君の言うとおり、小国が大国に勝つといえる
正確にいうなら「小国連合が大国に勝つ」であって、武田単独でどうこうなるものではない
朝倉・毛利・本願寺・三好らの協力を無視して、武田が織田に勝算を見出せるというのは無いだろうと
で、武田が糾合する際に用いたのが将軍であり、上洛と言う宣言だった
ではこのスレの半ば主役になりつつある、今川が天下に覇を唱えたときに、武田はどうやって糾合していくのか
この「どうやって」の部分を説明できない限りは、君の話は絵空事、画に書いたもちに成り下がる
0218人間七七四年
2007/12/27(木) 00:03:43ID:jKXm0v93あぁ、書き忘れた
だから「どうやって」を説明してくれないか
そのほうがこっちも楽しい
想定する意味も無いこと考えても仕方ないじゃないか
できないなら、そういう屁理屈じみた事言ってむやみに話の流れを乱さないほうがいいんじゃないか
0219人間七七四年
2007/12/27(木) 00:13:58ID:+a6V+w7gいや、俺も別にあのまま武田が織田と正面衝突して大々的に勝つなんて思ってない。
とりあえず遠江、三河は確実に取れる目算が有る。
その後の状況次第じゃもっと織田領に侵攻でき得る、ということで「妥当」だと言ってる。
決して>>201の言うような焦燥感からの軍事活動じゃなくて、十分にアテが有っての行動だ、と。
で、ちゃんと>>204にも「単独ではなかった」と(細かくは書いてないけど)言ってるでしょ。
それに俺が言ってるのは「小国が大国に勝つ」じゃなくて「小勢力が大国に局地戦で勝利して領土を得る」ってだけの話だ。
それが歴史上十分起こってるでしょ、と小さく書いただけだ。
0220人間七七四年
2007/12/27(木) 01:31:05ID:CbIhn6eB既に指摘されているが、全くおかしいよ。
武田は別に義元が死んだとたんに南に色目を使って、上杉戦をおろそかにした訳じゃあない。
義元死後も、4次・5次川中島に上野での戦と北条と協力もしつつ上杉との戦いに集中している。
この間に仮に義元が生きていて尾張・美濃へと拡大のための戦いをしていたとしても、
別に武田北条の動きに影響は与えない。つまり北への進行速度は変わらないってこと。
>>203
史実においても、確かに今川は武田や北条に援軍を出しています。
ただし、義元が生きているころも、死んだ後にもね。
その意味でも義元死後も三国同盟堅持という姿勢は当面は変わっていない。
つまり、やはりその時点で武田北条の北進速度があがる要素は特にないということ。
まとめると、義元が死んでも当面は武田も北条も三国同盟堅持という態度だった、
つまり、史実でも三国同盟堅持の体制で上杉に対して、あの進行速度だったということ。
このことは、義元が生きていた上で三国同盟堅持だったとしても、特に変わる事ではない。
0221人間七七四年
2007/12/27(木) 07:10:06ID:qEpsWi930222人間七七四年
2007/12/27(木) 09:21:25ID:fY/l+Wedもし義元が桶狭間で無様に死んでなければ、軍勢も無傷なわけだから、武田が援軍を
要求したら義元としては史実よりも強力な援軍を出さざるを得ないと思うけどね。
まぁ武田がそこまで強力な援軍を要求するかどうかははわからないけど、要求されて
援軍出さないと三国同盟自体の危機にもつながるわけで、そうすると史実どおりという
のはちょっと考えにくい。
0223人間七七四年
2007/12/27(木) 09:21:50ID:jKXm0v93君が話しているのは、小国でも大国に局地戦で勝つことがあり、領土を広げられると述べている
そして小国が大国に勝つのは単独では無理と認めながら、武田の史実での上洛は妥当だとし、武田は勝算を見出していたとしている
対してこっちが話してるのは、武田が勝算を見出したのは、織田の敵がたくさんいた
そして、それらを糾合する将軍という存在があり、それを利用できる立場に武田がいたからだとしてる
逆に言うと、織田に敵がたくさんいる、その敵を糾合する存在がある、このふたつが成立しないと、勝算を見出すのは困難だ
史実ではこの二つの条件はそろっていた、では、今のif、今川が勢力を拡大したときに、この二つの条件は成立するのか
あとは>>218のようになる
二つの条件の一つが「どうやって」になる
君の理屈を用いると、徳川も武田相手に領土獲得しえるから、武田の上洛は失敗するという言い方もできる
上杉の状況、北条の離反、色々な可能性を可能な限り想定すれば武田包囲網なるものができる、できる可能性がある
実際にそれが実現可能なのかどうか、そこを論じることなく想定すれば、極端な話、関東公方が天下をとるというのも成立する
だから君の話が今のifとつながるという事を、可能性として高いと言うレベルまで考えて、説明してくれないか
二つの条件についても勿論触れて
まったく別の話なんだけどさ、俺の文章読みにくい?
いまちょっと手入れしてるとこなんよ
0224人間七七四年
2007/12/27(木) 09:39:53ID:+a6V+w7g何が食い違ってるのか分かった。
俺はifの話をしたんじゃなくて史実の武田についての話をしたんだ。
>>219でも書いたけど、武田の西上は
>決して>>201の言うような焦燥感からの軍事活動じゃなくて、十分にアテが有っての行動だ、と。
と、というだけの話。実際に徳川勢力を打ち払い、それに対して織田はまともに反応できてない。
武田の当面の目標として遠江、三河の奪取は実現できそうだった。
織田はそれに対して十分な対応が取れてない。
基本は>>201の
>老年期に差し掛かった信玄の焦りが感じられてならない。
に対する反論なんだよ。別に信玄は焦って不利な戦いを挑んだんじゃない。
確実に領土を増やせる見込みが(=目算、勝算)有ったから戦を仕掛けたんだ、と。
0227人間七七四年
2007/12/27(木) 10:03:05ID:+a6V+w7g>>201の
>信玄の基本戦略は自軍より弱い(弱らした)勢力を攻めるというか、
>手強い所とはどうしようもないとき意外は事を構えない感じなんだよな。
を肯定する。で、対織田の作戦もその方針に則ったものだったと考えて良いだろう、と。
0228人間七七四年
2007/12/27(木) 10:16:56ID:jKXm0v93なら「子供みたいなこと」いうなよ、と言うことになる
本論は「武田が今川に向かうか否か」であって、お前の話は本論からずれてる
0229人間七七四年
2007/12/27(木) 11:27:25ID:PmdrRPAg一代限りの勢力だったのは武田も同じこと。義信は名将でもなんでもない。
0230人間七七四年
2007/12/27(木) 14:24:03ID:CbIhn6eB義元が健在で尾張・美濃と侵攻を続けるなら、
むしろ戦線が遠くなって武田に援軍を送る事はより難しくなると思うけど?
三国同盟は自家の領土拡大に支障が出るても、
援軍を出さなければならないような従属的なものではない。
事実、義元存命の頃から今川家は、
自家の三河・尾張侵攻作戦にさほど支障の生じない程度の援軍を送っている。
これが義元が死なず、今川家の戦線が尾張や美濃になったところで、状況が変わる要素は特にない。
上記の通り、むしろ送れる援軍が減る可能性もある。
0231人間七七四年
2007/12/27(木) 17:23:40ID:fY/l+Wedいやいや、俺が言いたいのは、義元存命で三国同盟も継続なら、どうしたって今川武田
北条の関係は史実よりも緊密になっていかざるを得ないわけで、それならお互いの戦略
にすりあわせがどうしても必要な場面が出てくるはず。たんなる不戦同盟から攻守同盟
に質的転換をすると思う。
援軍の距離的問題についても、今川の本拠地は駿河で、もし移転したとしても美濃か尾
張。美濃からなら、木曾領を通って北信にでるのはそう難しくないはずだと思うんだが。
北条に対する援軍はたしかに難しいかも。
0232人間七七四年
2007/12/27(木) 17:43:31ID:DCsWWJEDしかも主力としては戦わず補助戦力だからそれほど影響は無いだろ
北条に関しては対武田戦役が無いのは大きい
武田と事を構えなければ上杉や里見に対する譲歩は必要ないのだから
その分は侵攻は早まる可能性はある
史実で信玄勝頼親子には散々振り回されて織田家との同盟までは常に後手を踏んでいた
北条としては三国同盟堅持は有り難い事は確かだ
まぁ関東諸勢力と上杉は健在なので侵攻は多少早まるくらいにしかならないとは思う
もっと長期的に見れば御館の乱が起こらず
上杉の勢力が急速に衰えることが無くなる可能性もあるな
0233人間七七四年
2007/12/27(木) 18:31:52ID:jKXm0v93時期によるが、太閤検地で百万石近い勢力の去就だぞ?
>>232
武田が駿河に攻め込んだ時点で、上杉にそれほどの影響力があるとは思えないが
むしろ影響力が喪失したからこそ、つぎつぎと離反が起こってる
それに上野武蔵の失陥も無く、北条は正式(?)に関東公方を擁して北関東の紛争に介入できる立場になる
君の言う多少がどれぐらいなのか分からないが、1580年には関東のほとんどを席巻できるだろう
0234人間七七四年
2007/12/27(木) 19:07:14ID:DCsWWJED影響力のない相手に何故上野の支配権を認め
武蔵の一部譲渡までして越相同盟を結ぶ必要があるのか
わかるように説明してもらえないか?
0235人間七七四年
2007/12/27(木) 19:13:19ID:PmbCETY2だったら逆のことも言えるぞ?
今川が援軍要請をしたら武田も北条もわざわざ美濃だの伊勢だのまで援軍を派遣
しなければならない。いちいちそんなことをやられていたら、自家の都合にも
障害が生じて上杉侵攻も遅くなるだろうな。なにせ
「要求されて援軍出さないと三国同盟自体の危機にもつながるわけ」
なんだからあなたの主観だと。
0236人間七七四年
2007/12/27(木) 19:18:33ID:PylD5NTj他国が日本の軍事力を見るとき、+米国と見ているように、
他国(上杉や関東諸将)が北条や武田を見る時、三国同盟全体を敵として
見ているんだから、尾張を取って強大になった今川と史実の今川とでは
影響力が違ってくる。
0237人間七七四年
2007/12/27(木) 19:35:31ID:DCsWWJED三国同盟はそこまで強固な同盟ではない
若干の援軍を出すものの、不可侵条約に近い
日米安全保障条約及び日米地位協定と一緒にするなwww
今日最高に笑った、唾で汚れたディスプレイ返せ
0238人間七七四年
2007/12/27(木) 19:51:33ID:CbIhn6eB何でより緊密になっていかざるを得ないの?普通に今までどおりで問題ないでしょう。
自国独自の戦略に差しさわりがないレベルでは、援軍のやり取りもしているし、
その意味では既に攻守同盟なわけだが、それ以上に入れあげる必要は特にない。
結局、義元存命の場合の三国同盟への影響は、
史実どおりで武田が同盟を破るとは思えないという点であり、
それ以前の段階では、武田や北条の対上杉戦が史実以上に進展する要素にはならない。
0239人間七七四年
2007/12/27(木) 19:53:25ID:jKXm0v93まず影響力について
権威と言い換えても良いかもしれない
影響力が大きかった朝廷などは、全国を支配してきた
これの影響力が低下するに及んで、近畿、ひいては京にその影響力は限定されるようになった
これは室町幕府についても、関東公方についても、その影響力が及ぶ範囲というのは小さくなってる
では上杉の場合
ご存知のように、山内上杉の本領は上野(伊豆もあったと思うが)
関東全域に及ぶような影響力は喪失したが、依然として管領山内上杉としての影響力は保持していると考える
したがって、上杉が上野に出兵してくるなら多少の動揺があるだろうが、それは上野への影響にとどまる
北関東全域に及ぶような領主への動員というのは、かけ難いのではないかと
北条としては、武田に集中したいので北方の安全を確固たるモノにしたい
さらに上杉によるけん制として、上野西部の武田領への侵攻ということも期待した
こんなところかな
風呂行く前で適当に書いてる部分があるかもしれないけど
0240人間七七四年
2007/12/27(木) 20:09:23ID:4lwJE4gx史実で三方ヶ原で徳川に織田が出したのはわずか3000の援軍だった。
0241人間七七四年
2007/12/27(木) 20:28:24ID:D1OUTlXu0242人間七七四年
2007/12/27(木) 20:36:12ID:0Xmy8Xebをとっていたのは、やはり武田だと思う。
部下も、山県マサカゲや真田親子とかいたし、当時最強と言われた騎馬隊を
持っていたしな。
>>241 伊達?あの大阪の陣で実戦経験少ない真田の子倅にコテンパンにされたのに?
家康だって山県マサカゲにフルボッコにされて城でウンコもらしたとか
逸話あるしな
勝頼も無能だったわけじゃない。むしろ名将の部類にはいる。
0243人間七七四年
2007/12/27(木) 20:46:42ID:D1OUTlXu0244人間七七四年
2007/12/27(木) 21:08:42ID:dGkkZ7c6今川、武田、毛利、北条なんて力はかなりあった。
だけど天下とりの野心ってものが信長ほどあったかどうか・・・
これ重要だよ。
今川、武田ってのは足利幕府に対する儀礼ってのもありうる。
いや、義満を支援して自分の名声を高めることだけがせいぜいの
目的だったかもしれない。
北条と毛利は基本的にはそれぞれ関東と中国制定には積極的だが
天下取りに積極的に動く大名とも思えない。
野望という意味では松永久秀のほうがよほど強い。
0245人間七七四年
2007/12/27(木) 22:13:21ID:DCsWWJED影響力も軍事力も一時に比べれば低くなっていたのは確かだが、
1574年年の関東出兵では上野諸城を落とし忍城をも囲み、
軍の勢いは上野武蔵下野に至たし、もちろん連動する勢力もあった
1578年の関東出兵直前の謙信逝去時でも上野下野上総下総には
上杉方と称する勢力は一部健在であり
それを北条の関東平定に障害にならない程度の影響力とするのは
いかがなものか。
大して影響力のない勢力に松山城割譲まで言い出すとは
北条はえらく剛毅だなと言う話になる
また>>233に関東公方を擁してとあるが
北条影響下の古河公方がそれなりに権威を回復したのは
越相同盟締結時に関東管領上杉が認めたからであり
それまでは関東管領の認めぬ公方などなんの正統性も無しと
関東諸侯に言われてただろ。(本来ならおかしい話だが)
また1590年ごろの最大版図+里見佐竹宇都宮結城那須etcを
さらに10年短縮して版図に加える過程を
どのように想定してるのか聞かせてもらいたいとこだ
0246人間七七四年
2007/12/27(木) 22:46:01ID:XyGtqq3P信長がいなかったら が大前提でのたらればスレです。
0247人間七七四年
2007/12/28(金) 00:23:11ID:pTBreRiY天正二年、北条が関宿に猛攻かけて、上杉はその救援に赴く
その救援の一環として、上野下野武蔵下総へ攻撃したんじゃないかな
同時に、そんなにたくさんの城を攻めて落とせるわけが無い、実際に落としてないでしょ?
で、戦略目標っていうのかな、関宿救援は結局失敗して失陥、城主梁田は北条に従属してしまう
そして深谷上杉、下総結城も梁田同様、北条に従属し、反北条で共同歩調を取るはずだった佐竹、そして宇都宮は北条と和睦
完全に上杉の思惑とは異なる行動とって、この時点では上杉の影響力には疑問を持たざるを得ないけど
天正三年と天正五年にも新田・桐生領に攻めてるけど、めぼしい戦果はないでしょ?
天正六年の行動については、わかんないねぇ
しかし、何か上杉の権威を上昇させる何かがあったんだと思うよ
その何かはまったく持って想像つかないけど
ともかく、永禄三年四年の大遠征以降は、徐々に武田北条に領土削られていってる
これから考えるに、北条と武田の対立が無ければ、再び上杉が輝きを取り戻すというのはちょっと無理があると思うけど
その天正六年の軍事動員の要因の分析しだいじゃないかな
これは任せるよ
それから、国分については北条も渋ってたとどこかで読んで覚えがある
上杉は上杉で甲越和与持ち出して駆け引きしてるから、まあ上杉の手腕を褒めるべきじゃないかと思うけど
関東公方については、由良氏は義氏の書状をありがたく受け取ってるよ
反北条の人から見れば、北条のたてた公方なんか認められないだろう
逆に北条がたからみれば、上杉じゃなくて長尾ですと、考えるだろう
一応、前公方の晴氏から正式に家督譲られてるから(北条の圧力はあったけどね)、正統ではある
長尾の関東管領就任もイチャモンつければ、私的な継承で、正式な手続き踏んだわけじゃないと言える
史実で天正十年頃のお話
大体北条の領国分国は伊豆相模武蔵上野下総の全土、下野南部、上総の南西部以外、常陸南部(大体三分の一)ぐらいに拡大してる
史実では武田との敵対、上杉に割譲した領土の奪回と時間がかけられてる
この分が加速して、さらに上杉に代わって反北条の旗手となる佐竹の勢力伸張も阻まれる
圧倒的な勢力になる北条と、常陸一国の佐竹、時間かかるとは考えにくいんだけど?
1580年でほぼ関東を席巻で問題ないと考える
おやすみ
0248人間七七四年
2007/12/28(金) 00:51:29ID:nU9ihBgk室町幕府は滅亡しないのです
だから足利家の誰かがふにゃらほにゃら
0249にゃんこ
2007/12/28(金) 09:26:30ID:UyBXSPSl「社会・経済の変化が人を育てて歴史を作る」でないと歴史の予想にならないよ。
0250人間七七四年
2007/12/29(土) 19:32:17ID:u2Yl42+Dイランイラクを攻めるブッシュのようなもの
0251人間七七四年
2007/12/30(日) 08:06:44ID:VnFS1ihpマクロ的に見ればそうかもしれない。
例えば戦国時代でも、社会・経済的にいずれ誰かが統一を果たしただろう、とかいう観点では。
しかしミクロ的に見れば、例えば誰がどのくらいの時期に統一するだろうか?
というようなことを考える場合には、むしろ個人の能力や意思について考察した方がいい。
で、このスレの主旨は明らかに後者だと思われる。
0253人間七七四年
2007/12/30(日) 12:34:36ID:uZKa74MK勝手に後者にするなよ。
前者的な視線で見てきた議論だって有るんだから。
毛利説、今川説はほとんど前者によるものだろ。
0255人間七七四年
2007/12/30(日) 12:54:48ID:pB+AinJK北条が急速に勢力を増したってのは謙信が居なくなってからだろ?
0256人間七七四年
2007/12/30(日) 12:58:03ID:VVCfTopn天正二年以降、謙信の関東振興はほとんど無いと思う
あってもすぐに越後に引き上げてるはず
君こそ謙信を軍神だとか、戦国最強とか過剰に評価してないか?
0257人間七七四年
2007/12/30(日) 13:00:32ID:pB+AinJK0258人間七七四年
2007/12/30(日) 13:03:08ID:VnFS1ihpそうかな?毛利にしても今川にしても、
あの時期にあれだけの勢力を保っていたのは、当主の力量に負うところが大なのでは?
毛利なんて正に、社会・経済的に毛利が拡大する必然があって拡大したわけではなく、
元就の才覚によるところが大きいし、今川だって迅速に跡目争いを治めなければ強大化は出来なかった。
そして、両者ともに統一への問題として、後継ぎの力量不足が指摘されている。
正しく、人物の意思と能力が歴史を作るという観点だと思うのだけど?
まあ、確かに前者的な見方もあるだろうから、決め付けは良くなかったかもしれないけど。
0259人間七七四年
2007/12/30(日) 13:43:21ID:VVCfTopnでは伺いたい
「謙信の存在」を重要なものと捉えた理由を説明してほしい
>>255では、あたかも謙信個人の能力に拠るものという論調に思えるが
0261人間七七四年
2007/12/30(日) 14:18:34ID:QYpZGC3s横槍だがおまえの方が主観で語ってる感じだぞ。
俺は今川毛利の話にずっと加わってたけど
>>258はスレの流れを正確に再現してると思う。
0263人間七七四年
2007/12/30(日) 17:03:47ID:uZKa74MK>そして、両者ともに統一への問題として、後継ぎの力量不足が指摘されている。
当然それへの反論も有ったわけだけど。
このスレで「今川、毛利は跡継ぎが駄目だから無理」なんて結論に至ったことはない。
未だにこの両者は(候補を挙げるなら)統一の有力候補だろ。
資質重視の論に対して経済力重視の人間の反論も多かったろ。むしろそっちがメインだったように思うけど。
「信長しか統一への意志と能力を擁してないからずっと統一されないよ」って主張の人間に対する反発とかさ。
0265人間七七四年
2007/12/30(日) 17:07:59ID:uZKa74MK当主の資質よりも純粋な国力に重点を置いた議論であったように思うが。
0266人間七七四年
2007/12/30(日) 17:19:25ID:wmTZjNgf個人の資質のみで決まるものでもなければ、
地理や経済など周囲の状況のみで決まるものでもない。
後者の与える影響の方が大きかったとしても
どちらか一方のみ語る事は所詮同じレベルでしかない。
0267人間七七四年
2007/12/30(日) 17:55:19ID:pB+AinJK能力ではなく謙信自身の関東に対する固執
ほぼ毎年関東に出かけていって死ぬ直前も準備してたんだろ?
便所で踏ん張ってたら死んだらしいがw
それとさ、なんか読解力ないねとか変な所こだわるねとか
リアルで言われない?
0268人間七七四年
2007/12/30(日) 18:05:17ID:VVCfTopn上杉は天正二年以降は実際の遠征で成果を挙げていない
むしろその頃は、越中に力を注いでいる
にもかかわらず、「固執」だけで北条が梃子摺ると判断した理由は?
言われません
君は議論に向いてないねといわれないかな?
0269人間七七四年
2007/12/30(日) 18:13:01ID:VnFS1ihp了解。なんというか統一に社会的・経済的要件が必要なのは当然だが、
個人の意思や能力という要素も同じように重要だ、と言うべきでしたね。
後者が主旨とか、前者はどうだとか、並列的に語るべきではなかった。
>>266
上手くまとめていただいて感謝します。
0270人間七七四年
2007/12/30(日) 19:07:24ID:uZKa74MK0272人間七七四年
2007/12/30(日) 19:41:29ID:pB+AinJK0274人間七七四年
2007/12/31(月) 14:10:16ID:sam6bqV7今は冬休みだぞw
0275人間七七四年
2008/01/02(水) 14:15:04ID:rDRJ4j2T0276人間七七四年
2008/01/04(金) 21:36:00ID:gUqeITy+0277人間七七四年
2008/01/04(金) 23:13:08ID:IE0MUECC信長無しではとても想像できない
0278人間七七四年
2008/01/05(土) 14:43:18ID:RHGwEtHbその時に義昭から上洛要請がきたら、今川は上洛すると思う?
俺はしないと思う。
毛利や朝倉は重い腰をあげようとしなかったし、信長の家臣たちも反対していた。
当時の常識としては、情勢の読めない中央の兵を進めるのはデメリットが大きいと思われていたんじゃないかな?
現代の俺たちは信長の成功を知ってるから上洛が重要だと思ってしまうけど、
当時の人たちが知ってるのは、大内や上杉や三好などの例だけでしょ。
どれも成功してるとは言いがたい。
今川も朝倉のように言を左右して、近畿に容易には足を踏み入れようとはしないんじゃないかな?
0279人間七七四年
2008/01/05(土) 19:38:48ID:Aqjk9aGr三好は、成功例だと思う。
後、大内も、経済力は有るが、田舎の守護大名の域を出れなかったのが、管領代して、ライバルの細川と肩を並べられたのは上洛した為なんだよね。成功は失敗の母と言うのかな…。
上洛したことによるメリットとデメリットは、長期的視野に立たないと、判断が難しい。
今川がそのタイミングで上洛しなくても、近江にちょっかい出した時点で、三好が過剰反応するんじゃない。
0280人間七七四年
2008/01/05(土) 19:45:06ID:QB68va5a0281人間七七四年
2008/01/05(土) 19:48:13ID:Ak/fF8Qu0283人間七七四年
2008/01/05(土) 20:51:08ID:vYvS+ypT0284人間七七四年
2008/01/05(土) 20:55:26ID:+9FG1/6k0285人間七七四年
2008/01/05(土) 22:04:03ID:sV4Gojxr0286人間七七四年
2008/01/05(土) 22:09:14ID:vYvS+ypT0288人間七七四年
2008/01/05(土) 22:21:31ID:tAO+c9H9いや、普通にやっぱり信長が凄いってだけだから。
まあ、多少の過大評価はあるが、それでも歴史を大きく動かした人物なのは間違いない。
どんなふうに凄かったかは、歴史の教科書でも読んでみなさい。
0289人間七七四年
2008/01/05(土) 23:01:33ID:vYvS+ypT0290人間七七四年
2008/01/05(土) 23:11:23ID:+9FG1/6kいかにも頭の悪そうな煽りだが、そもそもスレ違いだ。
やるならこっちでやれ、間抜け。
織田信長は日本最高の過大評価3
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189338697/
0291人間七七四年
2008/01/05(土) 23:26:09ID:vYvS+ypT0292人間七七四年
2008/01/05(土) 23:50:22ID:xAbUVrCP非常識的に考えて。
0293人間七七四年
2008/01/05(土) 23:50:49ID:cBolOukr0297人間七七四年
2008/01/07(月) 12:12:43ID:tvBOEDtE信長が本当にすごかったら本能寺で死んでないと思うよ。
実際は家臣の秀吉と光秀がすごかっただけだと思うw
信長なんて彼らがいなかったらただの田舎大名クラス。
0298人間七七四年
2008/01/07(月) 12:17:04ID:TFToPcYA0299人間七七四年
2008/01/07(月) 12:40:48ID:r4E3vUZHその信長にしてやられた今川義元は輪をかけて無能ってことですか?
0300人間七七四年
2008/01/07(月) 13:20:01ID:ryr2A/6Vむしろ信長が本当にすごかったら槍片手に明智の軍兵片っ端からなぎ倒して言ってるよな!
時に肉まん食べて傷を癒し、酒を飲んで気力を回復させ、気力がたまったら無双乱舞!!!1!!1!!
0301人間七七四年
2008/01/08(火) 01:41:58ID:5MmG9rveしかし義元が天下をとっても、子の氏真は、犬以下だからむりだな
>>300
ゲーム、特に無双のやりすぎ、いちから考え方見直したほうがいい
0302人間七七四年
2008/01/08(火) 03:17:08ID:Xwgbtfg/0303人間七七四年
2008/01/08(火) 03:43:27ID:oQ/stG1M301自体がネタという
0304人間七七四年
2008/01/08(火) 11:40:50ID:FbDPmQ8K0305人間七七四年
2008/01/08(火) 15:23:54ID:ALMPyAG/なんだネタか
危うく氏真擁護しそうになったよ
「おまえも野望やりすぎだ」ってw
0306人間七七四年
2008/01/08(火) 17:25:12ID:ALJZ7sWT俺だ。
0307人間七七四年
2008/01/08(火) 17:27:34ID:ALJZ7sWT0308人間七七四年
2008/01/09(水) 14:18:32ID:ba1P9c140309人間七七四年
2008/01/09(水) 17:22:25ID:prhwNrCr卒論はもちろん信長がいなかったら誰が天下を取ったか
あーマジ大学が楽しみ
毎日日本史の授業受けて、戦国時代を研究しまくれる日が間もなく来ると思うとよだれがとまんねぇw
0310人間七七四年
2008/01/09(水) 18:01:27ID:cmUibBri0311人間七七四年
2008/01/09(水) 18:23:14ID:JLacWsoG専門だけできたらどんだけ大学が素敵なところか
0312人間七七四年
2008/01/09(水) 19:00:35ID:BQn5qL3Qつまり島津、長曾我部、北条、伊達、その中でも島津の戦闘力は断トツ。
秀吉、家康は信長あってこそだから除く。
その拡張主義から言っても島津。
0313人間七七四年
2008/01/09(水) 19:03:23ID:1W+rHC0lゼミもよく選ばないと(人気のゼミは試験や面接がある)
好きな分野の研究なんてなかなかできないのが現実
これをテーマに研究しろってゼミの教授から一方的に言われることもあるしな
0314人間七七四年
2008/01/09(水) 19:27:09ID:prhwNrCr>>313
参考になります
日本史全体が好きだから楽しんで出来ると思ってます
でも、戦国史専門の教授っていないんですよね…
俺は信長がいなかったら武田か毛利だと思います
0315人間七七四年
2008/01/09(水) 20:26:51ID:TnrafLEB島津は一向宗に対して徹底弾圧していた。信長と同じ。
宗教勢力への対応から見ても島津。
海外へ目を向けていた点などその先進性から見ても島津。
0316人間七七四年
2008/01/09(水) 21:00:47ID:xhQiup10さすがゆとり
0317人間七七四年
2008/01/10(木) 01:07:51ID:SBRvrKGE鼻で笑われるだろw
0318人間七七四年
2008/01/10(木) 02:21:12ID:iNFHZe3K0319人間七七四年
2008/01/10(木) 03:40:02ID:DpB+lde50320人間七七四年
2008/01/10(木) 19:08:44ID:VzcLJ6MZ無論受理されなかったが。
0321人間七七四年
2008/01/10(木) 19:13:30ID:4OdE7tD+0322人間七七四年
2008/01/10(木) 19:34:41ID:xdhMWb5E0323人間七七四年
2008/01/10(木) 21:34:24ID:yKmp03ZS北条が統一した。織田は今川にやられてその今川を北条が倒した。
武田は斉藤と上杉にレイプされて最初に滅びたw
島津はいつの間にか大友にやられてた。
最後は北条と毛利の対決みたいな感じだったけど毛利は九州四国に兵が
無駄に分散してたから負けたみたい。
0324人間七七四年
2008/01/10(木) 21:53:18ID:MN9uTQFU結局東は上杉 西は三好 大友が残ってめんどくさくなってやめた
0325人間七七四年
2008/01/10(木) 22:08:15ID:SWT+QZtv関東統一やったー!ばんざーい!よーし畑耕そう!町作りだー!
でいつの間にか中央ではまとまった勢力が誕生。とかになりそう。
0326人間七七四年
2008/01/10(木) 22:29:48ID:lMzM58d+島津は九州統一は可能だろうが毛利水軍を破って本州上陸が出来るだろうか?
九州統一したとしても動員兵力って60000から75000だと思うし、毛利の動員兵力で40000くらいは可能だと思う。
長宗我部は四国統一しても30000程かな?無理じゃね?
0327人間七七四年
2008/01/11(金) 01:47:00ID:+PS3e2mq俺か?
あれは半ば冗談で書いたやつだから
大見得切ってみんなの前で教授に提出はしたが
実質レポート10枚にも満たないような内容だぞ
0328人間七七四年
2008/01/11(金) 01:52:09ID:+PS3e2mqそれじゃ俺じゃないや
0329人間七七四年
2008/01/11(金) 02:34:31ID:59trw4g6秀吉がいない、なら天下もある程度纏められてからの話だから有力者あげられるんだけど
0330人間七七四年
2008/01/11(金) 03:17:56ID:IJ2iY7q/そもそも戦国時代専任の教授って少ないよな
0331人間七七四年
2008/01/11(金) 06:54:09ID:KgimoSd0家康も武田に潰されていない。
誰が天下人か?
本願寺あたりが仏教王国を建ててしまいじゃまいか。
0332人間七七四年
2008/01/11(金) 07:05:10ID:KgimoSd00333人間七七四年
2008/01/11(金) 17:03:20ID:IJ2iY7q/でもおそらく今川程度ではうまくコントロールできないでしょ
そこで家康が下剋上して近畿を抑えるとおもう
そんな感じで家康が天下を平定して、京に幕府を開くんじゃない?
結局家康の天下。そうなったら首都が東京から京都になってるだろうね
0334人間七七四年
2008/01/11(金) 18:41:12ID:MgDPwt27大きく分けて島津 毛利 北条 伊達 で日本四分
1800年代、欧米の脅威よりやっと日本は統一される
0335人間七七四年
2008/01/11(金) 18:56:11ID:mZkVDr0yそれはないわw
0336人間七七四年
2008/01/11(金) 19:11:43ID:vI+fVe8U伊達 東北以北
北条 関東、中部
毛利 中国、近畿
島津 九州l、四国
三国志の様に国力差のある四分ですねwww
0337人間七七四年
2008/01/11(金) 22:33:38ID:778eTmvG他の宗派が黙っていないよ、別に本願寺は日本の仏教勢力を代表しているわけじゃあないのだから。
事実本願寺はかつて日蓮宗徒との争いで破れ、当時の本拠地を焼き討ちにされた事もある。
0338人間七七四年
2008/01/12(土) 00:30:44ID:3DdIOe87今の世では斎藤龍興と同じような扱いされていたんだろうね
尾張のうつけ者として
そういうの考えると信長になれなかった
今ではバカ殿と言われている人の中で、もしかしたら天下人になれた人がいたのかもしれない
0339人間七七四年
2008/01/12(土) 00:38:28ID:BLSHCwTR0340人間七七四年
2008/01/12(土) 09:28:46ID:7tNnlLdhこれはいつの時代も変わらない
0341人間七七四年
2008/01/12(土) 13:24:09ID:TSJe/5Z6戦国の世はどこまでも続き、混迷したまま他国の植民地になってたかもしれないと予想してみる
0342織田城介
2008/01/12(土) 14:25:45ID:cAdkEuq8何故なら、武力によって天下を統一しさらに運営するという発想は
信長の独創であり、武田も上杉も領土拡大しか頭に無かった。
上洛戦を決行した今川はまだ偉いが、統一するという発想や理想をもたず
単に義元が京都かぶれで田舎の駿河に嫌気がさして起こした無計画な愚行
だったので惨めな結果に終わってしまった。信長が前例として天下統一の
方法を秀吉と家康に示した為、その後統一されたが信長という前例が無ければ、
諸大名は各地で小競り合いを繰り返すのみで南蛮の諸外国の餌食になっていたのわ
間違いない!!
0343人間七七四年
2008/01/12(土) 14:38:17ID:dQ0aVQiX0344人間七七四年
2008/01/12(土) 16:48:11ID:gLODG3rbそれを釣り針じゃなく本気で信じてる連中もかなりいるわけで、
たまにこのスレにも流入してくることもあるし
そういう人間にわからせる為にも
いいんでないの。たまには。
0345人間七七四年
2008/01/12(土) 16:59:04ID:E60k66yVなぜなら言葉が通じないから。
0346人間七七四年
2008/01/12(土) 18:12:05ID:G8p+5qv/0347織田城介
2008/01/12(土) 18:27:21ID:cAdkEuq80349人間七七四年
2008/01/12(土) 22:55:58ID:RNLMHgXj0350人間七七四年
2008/01/12(土) 23:35:37ID:RHBuh0cJhttp://society6.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1171975586/
春だなぁ……
0351人間七七四年
2008/01/12(土) 23:50:52ID:3sQRbNcZ0352人間七七四年
2008/01/13(日) 13:51:56ID:ZfRILnQy秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
天才信長以外に、天下人に値する者は存在しない。
0353人間七七四年
2008/01/13(日) 13:53:14ID:OzQZ48d40354人間七七四年
2008/01/13(日) 14:07:04ID:X09XiNF5その後は松永を倒して安定か、ぐだぐだ内紛してる間に毛利か今川、斉藤が上洛してきて阿波に逃亡かどっちかのパターンかな
0355人間七七四年
2008/01/13(日) 18:22:42ID:UnHQK466武田は甲府を首都にしようなんて考えないと思うよ
足利幕府の再建にかかると思う
0356人間七七四年
2008/01/13(日) 18:34:53ID:r1FRSt2X0357人間七七四年
2008/01/13(日) 18:40:13ID:GG8zVXgr武田の進攻方向はどっちになるだろう?
史実ではしばらく上野で戦った後駿河に出ているが、
この上野攻略はやはり対上杉戦略の一環として手をつけられたものだと思う。
謙信と果てしなく戦い続けることになって、なかなか天下は見えてこないのでは。
0358人間七七四年
2008/01/13(日) 19:00:09ID:JXo7Hu+H実際北信濃は1568年辺りで武田の支配が確立してるし。
0359人間七七四年
2008/01/13(日) 19:09:53ID:GG8zVXgr>>357は、信濃平定ではなくて越後攻略を想定して書いた。
越後まで攻め入るとなれば泥沼化は必至でしょ。
上野攻略は、本格的な越後攻略戦を見据えての下準備ではなかったかと思える。
0360人間七七四年
2008/01/13(日) 19:13:11ID:OzQZ48d40361人間七七四年
2008/01/13(日) 19:25:53ID:GG8zVXgrれっきとした街道沿いの侵攻ルートだ。
0362人間七七四年
2008/01/13(日) 19:36:46ID:QUbSFJTe今川の敵が織田
織田の敵は斉藤
で武田が今川討つと
繋がるな
0363人間七七四年
2008/01/13(日) 21:32:16ID:RbpjR9ux武田は上野や越後ばかりでなく、美濃にも進行すればよかったのな
織田と協力すれば、斎藤なんて雑魚だろ
0364人間七七四年
2008/01/13(日) 23:01:26ID:fd14OE37美濃に接している信濃木曽領ですら娘を嫁がせて外様衆で取り込むのがやっとだったのに
更にその先にある美濃
史実では甲斐府中に武田本家、信濃諏訪に武田四郎、信濃海津に高坂、信濃府中に馬場
今川崩壊前後に上野に内藤、駿河に山県、穴山
ここまで確保した上で西上直前に東美濃に秋山
このスレでは信長がいない=突然の今川壊れが無いと仮定しての話だから
駿河ルートの確保が厳しい武田が東美濃を狙う意味がない
統治という意味でね
0365人間七七四年
2008/01/13(日) 23:24:16ID:OzQZ48d4わざわざ遠方の美濃まで敵に回す必要は無いし、
なるべく弱いところから取っていく武田のそれまでの戦略とも一致しない
ただ今川健在なら連携して史実より早くに東美濃進出して
東美濃の大部分を切り取ることは現実味は出てくるし
東美濃自体は信濃や東上野と同じく山岳地帯が多いので取っても美味しくはないが
取れれば史実でも狙っていたらしき飛騨越中ルートで湊を得るのも
木曽のみからよりは容易になると言う利点はある・・・かもしれない
0366人間七七四年
2008/01/13(日) 23:31:05ID:g+0XUp2p飛騨越中ルートで湊を得ても維持するので赤字になるでしょ。
佐々どんのささら越えが有名なように飛騨越中ルートなんて無いのと等しい。
0367人間七七四年
2008/01/14(月) 00:21:20ID:yN7ON85X>当時の道路事情を鑑みればあまりにも遠く現実感が無さ過ぎる
そんなことはない。
東山道という立派な街道の通った幹線交通路だよ。
実際、信長と戦うようになって普通に兵も出してる。
難所もあるけど、このくらいの道は当時の感覚では全然余裕でしょ。
>駿河ルートの確保が厳しい武田が東美濃を狙う意味がない
東山道単独でも十分な輸送力はある(まあ海路には負けるとしても)ので、
そういう結論にはならない。
0368人間七七四年
2008/01/14(月) 00:26:34ID:yN7ON85X>さらさら越え
ありゃ真冬だったからでしょ。無いに等しいは言い過ぎだ。
まあ信濃−美濃に比べると、飛騨を越えるのは相当大変なのは確かだと思うけど。
0370人間七七四年
2008/01/14(月) 00:35:43ID:yN7ON85Xそれは状況次第。
しかし基本的にはどんな領土もプラス要素になる。
維持できなければ奪われるだけ。
もっとも、その領土を得るときにかかったコストで引き算するとマイナスになる場合はあり得る。
大概そういう領土は何か別の目的の遠征のついでに得たりするから丸々賄う必要はないんだけど。
0371人間七七四年
2008/01/14(月) 00:47:57ID:43xYEaFjゲームじゃないんだからどんな領土でもプラスマイナスでプラスになるわけないでしょ。
例えば飛騨-越中ルートを使って越中の領土を手に入れたとする。
当然越中、越後、能登、加賀方面にも敵を抱えることとなる。
それらの敵から越中での新領土を防衛するコストは新領土を得るのにかかったコストなんて比ではない額になる。
距離的にも甲斐の府中から越中まではかなりの距離があり援軍を派兵するのにも苦労する。
関東方面・信濃方面で同等勢力の上杉と争ってる状況で、
交通の便が悪くて援軍を送りにくい領土なんて得てもマイナス以外の何にもならないでしょ。
0372人間七七四年
2008/01/14(月) 01:09:55ID:w0AWB2nw領土的野心があったのか上杉に対する嫌がらせだったのか
0373人間七七四年
2008/01/14(月) 01:17:09ID:yN7ON85X勢力圏の外縁辺りは完全な領土というよりは影響圏って感じでしょ。
絶対防衛圏じゃない。
飛騨越えルートを遠征の基点として整備するとなると大変だけど。
因みに俺は飛騨越えで行けるって言ってた人(>>365)じゃないんで。
この話から手を引いてもいいかな?
0374人間七七四年
2008/01/14(月) 01:59:20ID:7CdbnRF0現実には駿河攻めに方針が変わってしまったがな。
0377人間七七四年
2008/01/14(月) 12:59:46ID:xOZQtvms>東山道という立派な街道の通った幹線交通路
ない。実は史実において、信濃から木曾を通って美濃に抜けるルートは古代から
中世まで、少なくとも軍用としては使われたためしがない。
(おそらく)始めて使われたのが、武田により美濃攻めから。
0378人間七七四年
2008/01/14(月) 13:13:40ID:ldFMI2cL0379人間七七四年
2008/01/14(月) 17:20:48ID:yN7ON85Xそれは偶々そういう作戦が必要とされなかっただけじゃん。
「ためしがない」なんて大袈裟に言うことか?
現に信玄が使ってるし、数年後には信長が大々的に利用している。
信長は東海道を使おうと思えば使えたわけで、そんなに不便な道ではないことが良くわかる。
0380人間七七四年
2008/01/14(月) 17:40:53ID:GgN0WSCI東山道はきついよ
道はあるけど渓谷難所だらけで軍事輸送としては東美濃遠山衆と信濃木曽衆を
両者とも完全に従えないと危なくて実質的に使えない
彼らが斉藤織田武田といったすぐ隣の巨大勢力からどういう扱いだったのかを
みれば道路事情も分ろうってものだ
0381人間七七四年
2008/01/14(月) 17:57:31ID:yN7ON85Xって言うか地元勢力を従えないと危ないのはどこでも一緒じゃないの。
もちろん山地の方が使い辛いのは確かだけど、過大に評価してはいけない。
0382人間七七四年
2008/01/14(月) 19:28:27ID:XQAVxcga信長も木曽氏が内応しなければ使わなかっただろうし、
それに武田攻めのときは、伊奈からも攻めているし、徳川が駿河からも攻めていた。
木曽路だけを使ったわけじゃあない。
まあ、木曽から攻め込むこと自体は不可能ではないと思うが、あまり得策ではないでしょう。
仮に一部占領できたとしても、本国との連携も難しいだろうし。
0383人間七七四年
2008/01/14(月) 19:56:11ID:xOZQtvms>偶々そういう作戦が必要とされなかっただけじゃん
好例なのが木曾義仲。彼は木曾から出て信濃をとった後、越後を攻めそこから
北陸道を南下した。
その前後、平氏が関東を攻める時も、逆に頼朝が東国から京西国へと兵を進めた
ときも、さらに下って承久の乱のときも、また後醍醐の倒幕もそれ以降の南北朝
でも、軍勢の動きは東海道か北陸道で、中山道木曾路ルートが使われなかった。
0384人間七七四年
2008/01/14(月) 21:51:14ID:XQAVxcga0385人間七七四年
2008/01/14(月) 23:45:35ID:w0AWB2nwまぁ大和朝廷が整備した五畿七道って基本的に全て軍道だし使えないって事は無い
まともに軍事行動が取れる道に成るには戦国期に武田が整備するまで待たないといけないが
0386人間七七四年
2008/01/15(火) 01:29:26ID:xS/RsOyMでもほとんど美濃から進撃した部隊だけで勝負決めてるんじゃない?
いずれにせよ大軍の通行にも支障のない道筋だったことは確か。
>>383
何の制限もつけないなら輸送力では
船を使える東海道や北陸の方が便利だとは思う。
でも今の話は、東海道には今川義元が健在で、
北陸は上杉謙信が頑張っていると言う条件下での話だから。
信玄が攻勢のメインルートとして検討する候補くらいにはなるでしょ。
上杉謙信だって三国峠を越えてせっせと侵攻してたわけで、
当時の戦国大名の頭には、「山越えだから無理」という発想はなかったと思う。
ほかの要素によっては相殺される程度のマイナス条件でしかない。
0387人間七七四年
2008/01/15(火) 09:25:40ID:ekkJcoA3わかんねーやつだな
東山道の信濃木曽路〜東美濃路というのは「他に道が無い」んだよ
道は曲がりうねり両側は常に山か崖で、イメージするなら桶狭間がずっと続く道
武田だろうが織田だろうが万単位で軍を展開してもここに入りこんでしまえば
ただの長い2列縦隊でしかなく細く伸びきった大軍を防御側は数百人単位で
いつでもどこからでも襲える
0388人間七七四年
2008/01/15(火) 18:25:19ID:+xriUByc勝頼が木曽義昌を討伐しようとして万単位の軍で木曽に侵攻したけど少数の木曽軍に撃退されたぐらいだからなあ。
大軍を動かすのに向いていない道だったのは間違いないないだろうね。
0389人間七七四年
2008/01/15(火) 21:52:57ID:xS/RsOyM捨て身になれば一度は襲撃できるかもしれない。でもそれで捕捉されて終わりだよ。
大軍に数百人で襲撃かけても大したダメージは与えられない。
襲撃をかけて、自分だけ無傷で敵にだけダメージ与えて撤退することは出来ない。
隊列は伸びてるかも知れないが、所詮は徒歩同士。そうそう都合よくは展開しない。
っていうか、数百人って言ったら結構な大部隊だぞ。
山岳地で完全な隠密行動を取れる規模じゃない。
普通の正規戦になるんじゃないか?
それに、信濃の戦いはどこへ行っても山とか谷とかそんな場所ばかりなんだけど
(主戦場は盆地だけど、そこへ至る道は多かれ少なかれ平坦ではない)。
信玄にしてみれば慣れたもんだろう。
美濃への出口当たりが少々難所だけど、容認できないリスクじゃない。
美濃侵攻を考えもせずに候補から外すほどの悪条件とは思えないね。
>>388
それは信長が迫ってたから断念しただけじゃないの。
まあまったいらな平地よりは守りやすいのは確かだろうけど。
いずれにしても、山岳地の攻略と山岳地の交通は別の話だ。
0390人間七七四年
2008/01/16(水) 01:48:08ID:XdN/woQQ0391人間七七四年
2008/01/16(水) 02:21:24ID:xNGIE0Mq山道を細長い2列縦隊できたら、
鉄砲隊・弓隊をやり過ごして、裸同然の総大将だけ狙えばいいんじゃないか。
鉄砲や弓が駆けつけようったって、細い山道では思うように動けない。
うまくいけば、総大将とその周辺数十人だけ討ち死にで、他は無傷ってのもありえる。
そううまくいかなくても、荷駄隊を本隊から切り離して混乱を誘うとか、いろいろできそう。
0392人間七七四年
2008/01/16(水) 02:57:38ID:+EOTgRmi389みたいな奴なんだろうな
0393人間七七四年
2008/01/16(水) 07:48:13ID:ssh6UKya戦国時代に山道を行軍している例なんて山ほどあるけど、
そんなんで暗殺された奴いないだろ。
桶狭間は別に峻険な山でもないし少人数の襲撃でもないし自軍勢力圏下の行軍中でもない。
0394人間七七四年
2008/01/16(水) 08:00:14ID:EbfsXJe7地図にある等高線をただの線と見る奴はいる
半端なく細長く曲がりくねった山道しかも支線が皆無であろうと行軍中に部隊が部隊として
機能していると想定できる思考力を持てる奴はいる
兵とは飯も食わねば糞もしない寝る時も立ったままだと解釈する奴はいる
全てを兼ね備えた389がいる
0395人間七七四年
2008/01/16(水) 08:09:03ID:ssh6UKya相手の総大将だけ狙うなんて口で言うほど簡単じゃないってことだよ。
また、襲撃された側が思うように動けないような山道では襲撃側もそうは自由に動けない。
小部隊な分相対的には楽だとしてもね。
それと、何の拠点もないところに敵中深く潜伏するのは極めて困難。
結局危険があるのは敵の城の近くであって、敵の城を制圧してしまえば
襲撃を受けるようなことはまずない。
0396人間七七四年
2008/01/16(水) 18:01:16ID:wb5oRrlN武田が本気になれば侵攻ルートとして使うだろうけど、
当面の敵の上杉勢放って置いてまで、敵対してるわけでもない東美濃に
高いリスクを犯してまで武田が侵攻する価値を見出すかだ。
それなら佐久防衛の意味も込めて上野上杉勢攻略継続と、山縣三枝等派遣して越中侵攻用の城まで築いた
飛騨越中攻め継続が現実的という話じゃね?
0397人間七七四年
2008/01/16(水) 21:15:47ID:3LNsBFZa武田軍にだって使えないってことはない。
山道行軍したら大将が暗殺される、なんてのはそっちの方が無茶苦茶な話だし。
しかし、可能ではあっても楽な行軍路ではないのも確かだから、
当時の武田がわざわざそこを使って美濃に攻め入る必然性もないと。
0399人間七七四年
2008/01/16(水) 22:29:03ID:3LNsBFZa上野を攻めていた時期に、上野の代わりに木曽から美濃に攻め込むのは、
ほとんどナンセンスでしょう。
0400人間七七四年
2008/01/16(水) 22:47:18ID:ssh6UKya美濃は京へつながる交易路だし、頭から捨てるほどではないのでは。
0401人間七七四年
2008/01/16(水) 22:58:00ID:8rtttxKM豊富な石高と領土防衛の為に上野攻めは必要不可欠。
関東進出の為に上野を狙ってる上杉が仮に上野を手に入れたとすると、
信濃佐久方面の防衛が面倒なこととなる。
領土防衛の為にも上杉よりも先に上野に進出するのは必須の事。
0402人間七七四年
2008/01/16(水) 22:59:15ID:G3dQ7xxU信長いない設定なら状況全然違ってくるだろうし
0403人間七七四年
2008/01/16(水) 23:03:39ID:ebqVciM50404人間七七四年
2008/01/16(水) 23:19:36ID:ssh6UKya対上杉戦略の一環として要地であるのは言えてるかな。
0405人間七七四年
2008/01/16(水) 23:32:12ID:wb5oRrlNそこに突っ込むなら東美濃だって山ばかりですが
>>402
時代がもう少し下れば状況しだいではあるかも知れないけどね
上野攻め前期の時期は桶狭間無しの影響はまったく無い
つか今川の征西前だから当たり前だけどねw
後期は多少の影響は出てくるだろうけどもう少しで箕輪落とせるのに
政策転換する必要は余程の事が無ければ無いだろう
問題にすべきは川中島が全て終わりほぼ西上野取ってからの行動
具体的には1566年以降の政策転換期だろう
0406人間七七四年
2008/01/16(水) 23:51:56ID:8rtttxKM武田が手に入れた西上野だけでも20万石程度あり、
国土面積が広い割には石高が少ない武田にとってはかなりの額でしょ。
上野全体では50万石あるしね。
石高の面だけで見ても東美濃よりも魅力は上でしょ。
西上野20万石がプラスされていない国力(60万石程度)で
上杉さんとの相手もしながら東美濃に突っ込むなんてアホだろ・・・
史実通りに北条と協力して強力な国主がいない上野の切り取りにかかるほうが余程現実的で実入りもいい計画でしょ。
0408人間七七四年
2008/01/19(土) 19:12:14ID:n0NOEs9j北条贔屓としての意見。
0409人間七七四年
2008/01/19(土) 20:06:42ID:+Ch26ASs少なくとも攻略目標にはなるはず
武田が美濃攻略に出るとは思えない
0410人間七七四年
2008/01/19(土) 21:46:55ID:CUNTpbud対上杉戦が一段落するとか色々条件は必要だがね
0411人間七七四年
2008/01/19(土) 21:53:44ID:dU8NoCLR尾張を併呑した今川が斉藤相手にそこまで梃子摺るか?
仮に尾張を斉藤今川の折半な状態になったとしても、斉藤は道三-義龍-龍オキの世代交代もある
0412人間七七四年
2008/01/19(土) 22:28:56ID:e99D0A1E甲斐北西を守る為に諏訪が必要で諏訪を守る為に伊奈高遠が必要
甲斐北東を守る為に佐久が必要で佐久を守る為に西上野が必要
信濃府中を守る為に海津が必要で海津を守る為に善光寺平が必要
信濃を守る為に木曽が必要
上杉
直江津を守る為に春日山が必要で春日山を守る為に信濃飯山が必要
こうみれば上杉武田とも納まるところで納めてる
0413人間七七四年
2008/01/19(土) 23:19:07ID:J5lL40oyてこずるというか、今川には美濃攻めを無理に急ぐ理由がないんじゃないか?
海道沿いに領国を持つ今川だから、どっちかというと伊勢の方が魅力的じゃないかと思う。
美濃は武田が落ち着くのを待って、挟み撃ちにするのがよいのでは?
0414人間七七四年
2008/01/19(土) 23:35:58ID:CUNTpbudまぁ国持ち斉藤より諸氏に分かれてる伊勢は組みやすそうではあるし
織田斉藤のように因縁がある訳でもないからな
ただ史実の織田のように同時進行で行くような気がする・・・
うーん判断つかないな
0415人間七七四年
2008/01/20(日) 00:04:31ID:NMbo9Ebs当時の交通ルートからしても、主戦面美濃、伊勢を片手間にってとこだろう。
0416人間七七四年
2008/01/20(日) 01:31:03ID:rKmGF2eg0417人間七七四年
2008/01/20(日) 04:41:00ID:keS11x9J尾張を取った今川に斉藤が太刀打ち出来るものなのか?
力押しで美濃も伊勢も簡単に平定できそうなんだが。
0418人間七七四年
2008/01/20(日) 13:45:53ID:Qc80ljo40419人間七七四年
2008/01/20(日) 18:36:25ID:SLQMFJ1D0420人間七七四年
2008/01/20(日) 19:37:46ID:Ph5GY4v9信長が美濃、北伊勢を調略を主体として落としたのは両国が攻めるに難しく守るに易い地形だからではないだろ。
尾張と同等の力を保持する美濃を力で攻めるわけにもいかず、調略を使うのが安全であってベターな選択。
同等勢力の美濃を相手にしながら同時に北伊勢にも触手を伸ばす(美濃を攻略するには地学的にも北伊勢は必須)
のに、これまた力攻めで行くわけにも行かないだろ。
今川が尾張を完全に手中に治めたら勢力は120万石強の大勢力となり、信長が美濃・北伊勢を攻略した時の倍の勢力。
そして背後は三国同盟が続く限りは当面安全だから美濃・北伊勢に全精力を注ぐことが可能。
織田氏による武田家征伐の時のように雪崩をうつように一気に攻略することは無理だろうが、
比較的短期間で攻略できるでしょ。
あと力押しという言葉を勘違いしてるようだが、力押し=調略無しで戦オンリーではないだろ。
どんなに大勢力になっても他国侵略の際は戦と同時進行で調略は行われているよ。
今川の場合も力押しといっても戦と調略をバランスよく使い分けするのは誰かがレスするまでも無く当然の前提条件なのに、
それを分からないで、>>418のようなレスするお前のような奴が一番発想が貧弱すぎるね。
0423人間七七四年
2008/01/20(日) 20:55:50ID:du3LAazh計算式が間違ってないかと。
美濃、北伊勢と三河から駿河なら石高は変わらないなと思って。少なくとも倍にはならんのでは?
0425人間七七四年
2008/01/20(日) 21:05:32ID:plsbmS09そうそう、尾張制圧後のスピードは義元の意志次第という感じ。
天下を目指すかどうか。目指せば頑張るだろうが、どうだろうな。
義元の上洛に対する意識ってどんなもんなんだろう?
0426人間七七四年
2008/01/20(日) 21:08:51ID:Ph5GY4v9ああそういう意味ね。
>>424のレスの通りの事を書いたつもりだったんだけど、
勘違いされても仕方が文章だったね、スマンかった。
0427人間七七四年
2008/01/20(日) 21:10:15ID:djAkGJ+3尾張を固めて美濃に手を出せるまでどのくらい掛かるか?
あたりからじゃないか?、
三河のように十数年かかることは無いだろうけど
1560年に完全平定で翌年に美濃攻めはさすがに無いだろう?
尾張攻めだって数年かけて準備してるわけだし
0428人間七七四年
2008/01/20(日) 21:17:54ID:plsbmS09籠城で時間稼ぎ→決め手にかいて撤退、が多くねえ?
特に大軍を動員したときは戦費も半端ないし。
もう2,3回は攻める必要があるんじゃないかと思われる。
うまくいって清洲城占領が1563年、
その後尾張に誰か嫁がせるなりして、完全統治まで1,2年。
1565年くらいじゃね?
なんだかんだで尾張も大国。
そう簡単に飲み込めるものではないと思う。
0430人間七七四年
2008/01/20(日) 21:58:57ID:plsbmS090432人間七七四年
2008/01/21(月) 00:40:11ID:wR8lpZHl0433人間七七四年
2008/01/21(月) 14:29:36ID:+ZY+UmUzふたりの死後は、上杉景勝か武田勝頼。
0434人間七七四年
2008/01/21(月) 16:22:21ID:HJZ6a2SQ0435人間七七四年
2008/01/21(月) 17:38:54ID:AVTnIsGF三国同盟は同盟が締結され二十年余を経て、婚姻も繰り返され
さらに親密になり共同体といっても過言では無い連合政権となっていた
このまま三者で天下を統一するかと思えた三国同盟も綻びが生じ
今川氏と親今川の武田義信はより緊密な関係になり、
逆に関東奥州にしか興味が無い北条とは疎遠になっていった
西を今川、東を北条に押さえられた義信は今川を誘いついに北条征伐の軍を挙げた
猛将勝頼に率いられ、今川の経済力に裏打ちされた連合軍は諸城を撃破し
後継者争いの傷が癒えず三国同盟に臣従していた上杉を加えた包囲網は
瞬く間に小田原城にまで迫った、そして一年余りの篭城戦の末降伏開城
しかしこの戦いにおいての武田家の武勲は大きすぎた
影響力の増した義信は氏真を隠居させ、
奥州征伐九州征伐を経て武田幕府を開くに至る
そして義信の死後、勝頼と義信の遺児を担ぐ旧今川軍司令官松平家康との間に
天下分け目の関ヶ原が起き、その勝者である家康が後に幕府を開くことになる
250年余太平の江戸幕府の誕生である
0436人間七七四年
2008/01/21(月) 17:39:51ID:AVTnIsGFもう寝ます、すみませんでした
0437人間七七四年
2008/01/21(月) 17:59:05ID:u9l1QVsGでもその子がどこの国で生まれ育つかがポイントだね。
東海近畿じゃないと無理だよな〜。
今川家も武田家も畿内掌握出来たのだろうかか?また今川家や武田家に光秀
や秀吉の様に臨機応変に対応出来、故事典礼にも通じ、朝廷との折衝をこなす
武将が現れた出あろうか、信長が天下に覇を唱える事が出来たのは、決して
彼自身の能力だけではなく、適材適所で実務をこなす家臣団あってこそだよね。
0438人間七七四年
2008/01/21(月) 20:01:09ID:KcO5I1tr信長だったら、島津や伊達も容赦なく力攻めして
それで疲弊したところを狙われそうだ。
強敵は敵に回すのではなく味方にする。
こういう機転が利かないと戦国乱世は生き残れないだろう。
0439人間七七四年
2008/01/21(月) 20:10:30ID:CPAAmJWs0440人間七七四年
2008/01/21(月) 20:12:57ID:9uKJl8g1まぁ今川の後謀反起こすくらいの可能性はあるかもしれんが。
まぁとりあえず今川だろ。信長の上位互換だし。
東の安全、武田は上杉にかかりきり、強大な兵力、出自名声。
普通に機内以西制圧して天下統一。
息子がアホだから死後は武田か北条か(出世してれば)家康かが簒奪するかもしれんが。
0441人間七七四年
2008/01/21(月) 20:31:28ID:VWhRnsvf義景の息子は、人物評ができるほど成長しなかったんだっけ?
0442人間七七四年
2008/01/21(月) 20:42:43ID:zv+ofAiN伊達輝宗は信長に贈り物して誼を通じていたから、
従順に軍門に下れば容赦なく攻められることは無いでしょ。
九州も大友が信長と誼を通じていたことだし、反島津の立場から信長方につく大名・豪族らはかなりの数になりそうだから、
疲弊なんてしないんじゃね?
だいたい物量戦になって先に織田が疲弊してしまう相手なんて当時どこにも存在していないだろ。
それに信長が強敵を敵に回す傾向があったかは別として、強敵を味方にする=ベストの選択でもないでしょ。
いい例が豊臣政権が徳川を味方にして崩壊したことだね。
強敵はその力を保持させたまま下手に味方にしても後々火種になりかねない。
叩ける時に叩いて弱らせてその上で手を結ぶor滅する事も選択の余地十分ありだろ。
0444人間七七四年
2008/01/21(月) 23:14:48ID:Z8l0f9tu0445人間七七四年
2008/01/22(火) 00:01:32ID:9deQvPjO織田信長がいなくても史実どおりの時期に死ぬから、このスレの考察の対象外だ
0446人間七七四年
2008/01/22(火) 00:11:12ID:VRagEKvX0447人間七七四年
2008/01/22(火) 00:47:23ID:9deQvPjOその義昭を、今川が担いで上洛するのなら、
仲介役として、明智、細川、和田らが漏れなく付いてくるだろう。
彼らを自家籠中のものにするかどうかは義元の器しだいだ。
あと、寿桂尼の実家と普通に交流できてるんだから、
それ用の家臣に不足はなかったものと推察する。
0448人間七七四年
2008/01/22(火) 00:49:35ID:juB8jQmT長篠の前後に家久が光秀に歓待されたりとかしてたはず
0449人間七七四年
2008/01/22(火) 00:54:27ID:LMcThkLM故事典礼に通じ、和歌や連歌にも明るく、おまけに武芸にも
優れた朝廷工作にはうってつけの名将がいるじゃないか。
自分の倅が。
0451人間七七四年
2008/01/22(火) 11:22:57ID:ULwv+Nds氏真?どうしても現実性がなく思えるのは俺だけだろうか?
0452人間七七四年
2008/01/22(火) 12:03:32ID:VRagEKvX甲斐源氏武田氏とて今川には劣るが似たようなもの
何で成り上がり者や田舎者と同じレベルで比べられるのかわからん
0453人間七七四年
2008/01/22(火) 17:28:01ID:JpYQqxL90454人間七七四年
2008/01/22(火) 18:16:00ID:rhHOTwRv黒船による開国まで存続していだろうな
0455人間七七四年
2008/01/22(火) 18:54:22ID:NAHnQkNE0456人間七七四年
2008/01/23(水) 09:29:00ID:gh+a8glL義輝が盛り返したら義昭はずっと坊さんのままかいな?
あの性格だし、そのうちどっかと釣るんで義輝打倒に動き出しそうな気もする。
そんで、12代13代の確執と同じような争いが起こって幕府あぼんじゃね?
0457サイコメトリー
2008/01/23(水) 10:23:43ID:54cFz2CZ名門って事で、天下統一を目指す輩より、田舎者の成上がりの野心家が天下
を目指す世が群雄割拠の戦国時代でしょ。
でも当時の可能性として今川家が最有力なのは間違いないと思われます。氏真
は別として、今川義元が同盟関係をうまく保ちつつ、家臣団を充実させる事が
出来れば、信長になれたのかなぁ。
0458456
2008/01/23(水) 10:55:24ID:gh+a8glL氏真は内政家としては有能だと思うが、肥大化した今川家を切り盛りしていく
度量はないだろうなぁ。
重臣だよりの政権は早期崩壊ってのが定番だし。
義元が自然死か謀反死したあと、誰がその基盤を引き継ぐかにかかっている
な
0460人間七七四年
2008/01/23(水) 12:37:34ID:DGMm9dxx尾張を攻略できなかった者が、美濃を攻略できないだろう。
信長がいなくても家康か道三に殺されてるさ。
0461人間七七四年
2008/01/23(水) 13:10:16ID:0GEiam1z信長がいなく桶狭間が起きなかったら1560年時点で尾張の大半を制圧できたのだが?
伊勢にも親今川勢力があるし、尾張制圧して東海道経済圏を完全に支配下におさめたら実力が史実の倍になるから、美濃は瞬殺だろ。
0462人間七七四年
2008/01/23(水) 13:36:44ID:DGMm9dxx兵力なんかあてにならんだろ。
実際兵力関係なくやられてるしな。
しかも信長が居なくても、尾張は取れないなんていってないんだがな。
0463人間七七四年
2008/01/23(水) 13:38:29ID:59y7gcNc0464人間七七四年
2008/01/23(水) 13:49:44ID:DGMm9dxx否定しないなら、誰もが可能性あるでスレ終わりなわけだが…
0465人間七七四年
2008/01/23(水) 14:06:52ID:59y7gcNc誰でも可能性はあるに決まってる。秀吉が現実に天下穫ってる世の中だぞ。
その中で有力なのが今川ってんだろ。
0466人間七七四年
2008/01/23(水) 14:09:50ID:JjN88HTa今川なんて屁だ
0467人間七七四年
2008/01/23(水) 14:11:53ID:zyDdaqJ/天下統一目前の織田家の実力No1が天下取っただけだから。
秀吉と歴史に名を残さなかった有力人物なんて架空の人物を比較してるのがもう馬鹿。
そんな奴は考慮する必要ない。
0468人間七七四年
2008/01/23(水) 14:15:12ID:59y7gcNcそれなら他に有力な大名いっぱいいるだろ。
家康は信長あってこそ。
逆にいえば機内の大名なんかは信長いなけりゃチャンスは増えるだろうな。
0469人間七七四年
2008/01/23(水) 14:24:35ID:DGMm9dxx0470456
2008/01/23(水) 14:25:07ID:gh+a8glL朝倉は好意的中立くらいでもいい。
0471人間七七四年
2008/01/23(水) 14:26:45ID:59y7gcNcなんで架空の人物を想定してんの?
武田でも三好でも毛利でも明智でもいいだろ。
だいたい信長なくしてどうやって秀吉は台頭するの?
あるいは姉川やそこらまで信長がいたとしても、まだまだ無理。
0472人間七七四年
2008/01/23(水) 14:29:13ID:59y7gcNc腹心の裏切りすら予想できない奴や武田にチンカスにやられてる奴が天下握ってるのに?
0473人間七七四年
2008/01/23(水) 14:33:47ID:JjN88HTa「織田信長がいなかったら」ってどういうこと?
生まれていなかったということか
いい加減にしろやボケケ
0474人間七七四年
2008/01/23(水) 14:35:24ID:veAHqnLo0475人間七七四年
2008/01/23(水) 14:36:02ID:JjN88HTa0476人間七七四年
2008/01/23(水) 14:39:55ID:JjN88HTa0477人間七七四年
2008/01/23(水) 14:42:37ID:JjN88HTa0478人間七七四年
2008/01/23(水) 14:45:29ID:DGMm9dxx人の裏切りを簡単に予想できると思ってるの?馬鹿なの?
奇襲を想定した陣も敷けない、行軍で軍をのばす。
たいした弓取りだな^^
0479456
2008/01/23(水) 14:47:30ID:gh+a8glL当時の街道がどれだけの物か分かって言ってるの?
行軍中の油断も、本能寺の油断も同質の失敗だろ。
信長は本能寺でやられたから南蛮かぶれのアホウって言い切れるならその
意見でもいいけどさ。
0480人間七七四年
2008/01/23(水) 14:54:24ID:0GEiam1z行軍と陣を敷くのと全然別だよ。
それに、敵が襲って来たからっていきなり隊列変換して対応できないよ。
あらかじめ敵を迎え撃つ十分をしてる信玄だって不利な陣形を敷いたまま上杉を迎え撃つハメになったし。
クリックすれば方向変換して対応できるのはゲームだけだから。
0481人間七七四年
2008/01/23(水) 15:01:03ID:DGMm9dxxちょっと言葉が少なかったか。大軍を用いての行軍の話しな。
本能寺と桶狭間が同質?へぇ〜w
0483456
2008/01/23(水) 15:04:34ID:gh+a8glL大軍だからって、方形陣組んだまま行軍できるインフラなんて当時の日本にはないよ。
二列縦隊でえっちらおっちら峠越えるしかないんだよ。
だから信長も、首脳部だけ小人数で移動して軍隊は現地集合にしてただろ。
襲われるはずのないところで襲われて死んだと言う点ではまったく一緒。
合戦の玄人ほど、常識はずれの事態には弱い。
0484人間七七四年
2008/01/23(水) 15:10:24ID:DGMm9dxxそうだよ、ゲームとは違う。敵が来たからってコロコロ陣は変えれない。
だから夜営するのに、奇襲を想定した陣を敷く。
0485人間七七四年
2008/01/23(水) 15:26:56ID:DGMm9dxxだから大軍率いて行軍すれば、軍がのびるのは分かってたんだろ?
その手段を選んだ時点でOutなんだってw
信長は奇襲だぞ?全く関係ないわけだが。
0487人間七七四年
2008/01/23(水) 15:34:10ID:59y7gcNc0488人間七七四年
2008/01/23(水) 15:37:57ID:59y7gcNc交通事故のニュース見て勝ち誇ってる引きこもりじゃないんだから…
0490人間七七四年
2008/01/23(水) 15:51:22ID:zyDdaqJ/奇襲説をとるなら、織田が壊滅する可能性も50%はあったろ。
0491サイコメトリー
2008/01/23(水) 17:48:48ID:54cFz2CZ信長不在が大前提スレだから、桶狭間どうこうは止めましょ。
やっぱり信長不在との前提な以上、光秀・秀吉が台頭する可能性は低いと思われます。
今川を推してましたが、可能性として一番高いのは松永久秀+三好三兄弟が畿内掌握し、
傀儡足利将軍をうまく操る事が出来れば・・。可能性は高いと思うがどうだろう?
0492人間七七四年
2008/01/23(水) 17:56:33ID:0GEiam1z当時西国最有力の毛利は上洛する意思なしで他も無理そうだし、朝倉も無気力だから史実通り東国勢が上洛することになるだろ。
0493人間七七四年
2008/01/23(水) 17:59:51ID:gh+a8glL三好はなぁ…大規模な合戦を指揮出来る武将が少ないのがつらいんでね?
もともと畿内の勢力だから、よその地域に軍事的に侵攻する必然性も弱いし。
0494サイコメトリー
2008/01/23(水) 18:08:19ID:54cFz2CZ仰る通りだと自分も思う。それでも、>>492が言う様に畿内近辺で勢力拡大
出来る武将連は居ないと思う。東国勢が上洛支配する可能性より、実戦経験は
少ないが、彼らの方が可能性が高いと思われますが・・。(可能性だよ。)
0495人間七七四年
2008/01/23(水) 18:30:13ID:9lxGypRJ何をもって、毛利には、上洛する意志がないと言い切れるのか?
0496人間七七四年
2008/01/23(水) 18:32:00ID:gh+a8glLたしかに、三好氏は拡大の動機付けさえあれば毛利氏と同等以上の人材・経済
ポテンシャルを秘めていると思う。長慶・実休・冬康・一存がもうちょっと長生きな
らなぁ。彼らにそれぞれあと10年の寿命があれば…とは思うよ。
0497人間七七四年
2008/01/23(水) 19:22:08ID:6ktHyTag強力なリーダー不在の三好はちょっとな
篠原とか家臣の人材は居るのと、中央掌握してるのは有利だが
信長には関係なく三好兄弟と長慶長男は死ぬし
三人衆や義継や久秀の内輪揉めも不可避だし
義輝謀殺、義栄病死、義昭逃亡も信長が居ないのとは関係なく起こるだろうし
義昭擁立軍が攻め上ってこなくても先は暗い
0499人間七七四年
2008/01/23(水) 20:22:11ID:Z8orjBoA0500人間七七四年
2008/01/23(水) 21:58:23ID:Ge8lYr1T0501人間七七四年
2008/01/23(水) 23:52:21ID:zyDdaqJ/太閤さんからも天下の仕置きができると太鼓判を押された、小早川隆景の存在も忘れちゃいけない。
0502人間七七四年
2008/01/24(木) 00:00:49ID:E4nKzI2G動かなかったから天下は諦めた臭いし
意志というか方針で天下を狙わなかったのは確かにあるな
実力云々は置いといて、
もちろん状況によっては天下を狙うのは有り得るだろ
史実での関ヶ原の件もある事だし
0503人間七七四年
2008/01/24(木) 00:17:36ID:njbbxd7Xそうなったら流れで周りを飲み込んでって実質天下取ってるって状況もありうるし
0504人間七七四年
2008/01/24(木) 00:56:49ID:PeWcwmtN信長包囲網が敷かれて義昭からも要請が来たのに蹴った。
上月城攻撃のあとも10万の大軍で播磨を席捲できたのにもかかわらず引き揚げた。
本能寺のあとも同じ。
最後の最後で色気を出して西軍に担ぎ出されたが肝心な時に日和って失敗。
タイミングの悪さと要領の悪さにかけて日本一。
0505人間七七四年
2008/01/24(木) 01:44:50ID:JngqsvwYだけど、史実で毛利が天下とることはなかった。
なぜならば、当主が輝元だったからだ。
当主が輝元である限り、毛利が天下取ることはない。
0506人間七七四年
2008/01/24(木) 01:51:15ID:NzhFvN90どっちも99%無理だと思うが。
0507人間七七四年
2008/01/24(木) 02:15:05ID:QkwZ16kZ当時の毛利は北九州で大友と争って周防で一揆
山陰で尼子再興軍、山陽では三好の支援を受けた浦上宇喜多との抗争
村上の離反で、義昭の要請受けれるような状況じゃないし
>上月城攻撃のあとも10万の大軍で播磨を席捲できたのにもかかわらず引き揚げた。
宇喜多南条山名の動向が怪しかったし、尼子残党を討つのが目的の出兵を
準備も無しにいきなり織田との全面戦争とするわけにはいかないと思う
>本能寺のあとも同じ。
本能寺の時点じゃ毛利は疲弊していて村上氏が離反したりしていて
まずは自分達の体勢を整えるほうが先決だろうし、宇喜多は備前に残っていたし
賤ヶ岳の戦いや小牧長久手ではどっちが勝つかわからない上に、
宇喜多南条など毛利への抑えはあったため勝敗がはっきりするまでは様子見という
選択肢も悪いものではないと思う
0508サイコメトリー
2008/01/24(木) 10:00:41ID:mi3TDjNr99%は言い過ぎでしょ。自分は毛利が天下を・・ってスレでも書き込んでいるけど、
本能寺直後に光秀ないし秀吉と手を組めれば可能性は高いと思うよ。詳しくは、
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156007947/l50#tag326 見てね。
0509人間七七四年
2008/01/24(木) 19:07:21ID:vDiL1WDd三好には松永という内憂あり北条には今川、武田、里見、佐竹など周囲が強豪諸大名という外患ありか
0510人間七七四年
2008/01/24(木) 21:00:18ID:5ifBL/EY他はもっともだとおもうが、本能寺の後は、
もしも天下を狙うような気持ちがあるなら、他の手段があったと思うけどね。
勝敗がはっきりしたら、勝った方とまともにやっても分が悪くなるだけ。
まあ、勝ち馬に乗るつもりならはっきりするまで待った方が良いし、
史実での行動はその通りだったわけだが。
0511人間七七四年
2008/01/24(木) 21:09:16ID:qgQ09Y9k0512人間七七四年
2008/01/24(木) 21:39:51ID:vDiL1WDd0513人間七七四年
2008/01/24(木) 21:47:49ID:ApzFcdtz三好
浅井
武田
上杉
ぐらい?
0514人間七七四年
2008/01/24(木) 21:57:47ID:WG6BXbYj0515人間七七四年
2008/01/24(木) 22:01:33ID:ApzFcdtz上杉謙信なら、いろんな人から助けてくれ〜とか官職譲るから代わりに戦ってくれ〜とか
言われてるうちに、天下獲っちゃったりしそうw
0516人間七七四年
2008/01/24(木) 23:11:24ID:vDiL1WDdよく挙がるのが「適宜な本拠地移転」があるけどこれは絶対条件かな?
兵農分離云々説が生んだ誤解かな?
0517人間七七四年
2008/01/24(木) 23:23:37ID:369YBTAh秀吉の段階でも士農の区別はハッキリさせたが
武士=サラリーマンにはなっていない。
江戸時代中期ぐらいまでは待たないと。
上級武士なら自ら農地管理までせずにやってけるが
下級武士だと難しい。
信長の馬廻でも、家族を尾張に残して農地を見させて
自分は安土で信長に奉公という連中が何十人もいて、
勤務中に安土の家に誰もいないもんだから火事を出してしまい、
信長は怒って彼らの尾張の家に火をかけたという。
しかし、根本的な解決(=安土の近くで代替の領地を与える等)
という話にはなっていない。
信長の頃は
領地=自分または家族で管理する土地
領地=徴税権を与えられている土地
という両タイプの武士が混在している。
身代の大きな武士なら代官を置いて遠隔地にいられるが
身代が小さいとそれも無理と。
蔵米侍などと呼ばれるサラリーマン武士もいたけど、
領地持ちに比べるとむしろ下っ端だな・・・
0518人間七七四年
2008/01/25(金) 00:06:38ID:JYNz6pziしかし義元、信玄、氏康の代では時間的に全国統一までは無理だとも思ってる
また家柄云々がまだ幅を利かせてる時代背景を鑑みると北条盟主の線はやや薄いか
となると次代の氏真、義信、氏政の中では氏真か義信かな
と、ここまで絞り込んでみたが史実として彼らの実績が薄いから説得力に欠けるなぁ
誰か意見の近い人が氏真or義信案を補足してくれんかな?w
0519人間七七四年
2008/01/25(金) 00:35:38ID:yV8ob2N0経済的要求により統一政権が求められるのではないかと思う
応仁の乱から始まる国内内戦だけで100年戦い続ければ国力の損耗もある
また外からは異文化(南蛮)の流入もある
となると否が応でも地理的、領国内物産条件から流通経済をわかっていたであろう三好と毛利が
商人衆の支持を得るのではないだろうか
筑前博多を、つまり博多〜塩飽にいたる海上を島津北上前までに毛利が押さえ、三好は畿内掌握
この両者の勝者が当時の日本経済の圧倒的覇者(米(石高)に頼らない常時動員が可能、鉄砲と
焔硝ルートを押さえ、鉄と銀の支配者)
0520人間七七四年
2008/01/25(金) 00:47:26ID:1FNzHgb4室町的体質を誰かがどこかで破壊しないと戦国時代は無限ループしそうだね
0521人間七七四年
2008/01/25(金) 01:54:43ID:dmRZtrOm日本は乱世になると国力が増すという不思議な国だからw
さすがに余りに乱世が続くとまずいだろうけど
疲弊経済的理由でどうのこうのは17世紀後半までは大丈夫そう
ただ人心は戦に飽いて来てたらしいが
0522人間七七四年
2008/01/25(金) 02:18:17ID:Q1XySSbE実際長慶が義輝追放して次の将軍担がないで5年間政権治めてたから三人衆はそのうち義栄を追放して自分だけで幕政を牛耳るかも
0523人間七七四年
2008/01/25(金) 09:22:22ID:fzZbQ4YT足利将軍を頭に立てた三好毛利同盟というのはありえないかな。
播磨あたりを境界線にして、西は毛利東は三好で妥協する。
これなら毛利は北九州に集中できるし三好も畿内と、東からやってくる東国勢力への
対処に集中できる。
ただネックは超曽我部だな…四国の本国が攻められたら共同線戦はれるのか、それ
ともそれがきっかけで崩壊するかが微妙。長宗我部としたら、この同盟にはいったら四
国制覇もなにもなくなるからなぁ。
0525サイコメトリー
2008/01/25(金) 09:56:50ID:3ZICTnfb同意します。
今まではなぜか、一大名にこだわっていた様です。毛利スレで自分もスレって
たのに、このスレでは出て来なかった・・。畿内掌握者と毛利家、一番可能性
が有りますね。
0526人間七七四年
2008/01/25(金) 10:38:57ID:p8EXGosJ0527人間七七四年
2008/01/25(金) 12:18:32ID:fGWv4/SJ歴史のIfを考えるアホどもに天罰を>>1-1000
0528人間七七四年
2008/01/25(金) 19:06:01ID:kZczOzFL1566年の時点で今川は尾張と伊勢の半ばを押さえているとして、北条が武田に史実よりも譲歩して上野の大部分を領有することを認めるのでわ?
北条と本庄を調略したうえで海津から高坂山県の8000で春日山に謙信を張り付け、信玄本隊15000が沼田から北上。一向宗の支援も期待できるし、冬の間境頭舗を維持できれば信玄が生きてるうちに越後をとれるんじゃないかな?
携帯からで読みづらかったらごめん
0529人間七七四年
2008/01/25(金) 19:45:06ID:WYCGNP1jなぜ北条が上野方面で史実よりも武田に譲歩するのだ?
まずは何故譲歩すると思ったのかその根拠を提示してくれ。
0530人間七七四年
2008/01/25(金) 23:40:18ID:dmRZtrOm0531人間七七四年
2008/01/26(土) 11:15:55ID:hXSTL1cF逆に、北条が上野の親上杉勢力を攻めれば、謙信は関東管領の職責上、援軍を出さなければならず。
その留守を武田に越後出兵してもらった方がいいんじゃない。
三国同盟が堅持されていたら、上杉は小田原包囲なんて、まず不可能だからな…。
0532人間七七四年
2008/01/26(土) 12:16:30ID:jGEo6TGMまだ三国同盟は堅持されていたわけだが。
0533人間七七四年
2008/01/26(土) 13:08:05ID:ZI56/e7iそれは史実でも近い事はやってる
越後を撹乱して関東出兵を妨害して北条を援護するのが目的だったから
謙信が関東から戻ってきたらすぐに兵を引いたけど
あと三国同盟が機能してても信玄生存中に武田が越後に
領土的野心を持って本格的な侵攻をすることは多分無い
0534人間七七四年
2008/01/26(土) 13:59:41ID:jGEo6TGM千曲川水系を通じてつながる直江津等日本海側の経済圏の獲得を目指すのはむしろ当然の流れ。
おそらく謙信という強敵がいなかったなら、普通にそのように進んだはず。
史実では今川の弱体化があったから南下策に転じたが、義元が死ななければその手は取れない。
そうすると越後以外の進行方向としては東美濃しかないが、
上手く今川と共同作戦を取ることが出来たとしても、
武田が美濃の中心部を得るのは難しいだろうし、
そのまま上杉との対立路線を継続するのが順当だと思うが。
0535サイコメトリー
2008/01/26(土) 14:11:44ID:oRmvcZbA0536人間七七四年
2008/01/26(土) 14:31:13ID:jGEo6TGMもし上杉との対立を続けてもそう簡単に越後まで取れるとは思えないし、
仮に方針を転換したとしても、今川の弱体化がないならば、武田家の急激な拡大は難しい。
万が一信玄存命中に越後まで制するか、決定的に有利な状況まで持っていけたなら、
次の代での情勢次第では或いはと思うが、義信がどこまでやれるか?
勝頼とあまり仲が良くなかったらしいが、諍いでも起こせば弱体化は避けられないだろうし。
0537人間七七四年
2008/01/26(土) 14:50:11ID:ql8eqB3k0538452
2008/01/26(土) 15:08:12ID:ZI56/e7i上段に関しては全くその通り、普通はそう考える
それを踏まえて史実の武田の動きを見てみると
武田上杉間の大規模な戦である川中島は全て防衛戦で
武田側の侵攻は大体謙信の留守中に小規模で焼き討ちメイン
信濃海津城を中心にした防衛線を引いたところで満足し信濃飯山城を攻めるのも消極的
で、上野と駿河の他にはどう考えても攻めにくい東美濃と飛騨越中に侵攻
もしくは後北条氏の小田原城囲んでみたり
そして最後には巨大勢力である徳川織田連合に立ち向かうわけだ
なぜ信濃等に比べたらはるかに肥沃な土地に繋がり
巨大な利益を出す湊を持つ越後に攻め入らなかったか
普通に誰でも考える越後侵攻をあえてしなかったのは
それなりの理由があったと考えるのが妥当ではないか?
0539人間七七四年
2008/01/26(土) 15:08:50ID:ZI56/e7i0540人間七七四年
2008/01/26(土) 15:53:57ID:HJG1Vk+U勝てるかも知れないけど、武田もただじゃすまない
ならば、楽に取れそうな今川にしようって流れだろ
義元が死んでなかったら今川は安泰だろうから
武田は上杉攻めするだろうな
0541人間七七四年
2008/01/26(土) 18:26:00ID:jGEo6TGMそりゃあ、4次川中島の頃は既に義元が死亡していて、今川がどうなるか流動的だったのだから、
南下へ策を転じる可能性も視野に入れていたでしょうから。
しかし、義元存命でその線がないなら、必然的に上杉との対立が最も妥当となる。
その場合なら、本気で越後侵入を試みていたと思いますよ。
もちろん、今川がどうなるか分からない程度で、その矛先を緩めたのは、
謙信との直接決戦のリスクをよく分かっていたからでしょうが、
今川が磐石だったなら、わざわざ今川と闘うよりはマシ。
あと、北条と戦うことになったのは、駿河侵攻の際の北条の対応を読み間違えたからでしょう。
自身より強大な織田に立ち向かうようなことをしたのは、それまでの信玄にない行動で、
その真意はちょっと分からないが。
>>537
史実でもそうだったのだから、当然そっちのルートからになる可能性もあるが、
どっちにしろ上杉との対立になることに変わりはない。
仮に越中まで先に進出したとしても、その後越後を巡って争うことになるのは必然だと思う。
0542人間七七四年
2008/01/26(土) 18:31:27ID:wMWDAyG/義元は尾張へ
氏康は常陸・下野・上野へ
それぞれ進出。
上杉は武田・北条にやられて逃走
0543人間七七四年
2008/01/26(土) 18:38:11ID:jGEo6TGMそれから、川中島の戦いは武田の防衛戦とはいえないでしょう。
川中島の戦いが始まる段階では、武田家の勢力は川中島以北まで及んではいなかったし、
例えば2次川中島では、川中島周辺に武田が建設した旭山城の破却や、
一部の反武田側の国人領主の旧領復帰も認める形で和睦し、実質的に武田家の敗北その勢力も後退した。
3次が始まる前には、後に海津城を築く地点の直ぐ近くにも反武田側の城があったほど。
そこから、3次・4次・5次と戦い続ける過程で徐々に勢力を北に伸ばし、
最終的に飯山城等ごく一部の城を除き北信濃を武田領と確定したのは1568年のこと。
つまり、川中島の戦いは武田軍が守る戦いではなく、
むしろ武田が更なる拡大をする為の戦いだったといえる。
0544人間七七四年
2008/01/26(土) 20:52:29ID:ZI56/e7i>謙信との直接決戦のリスクをよく分かっていたから
そう、それを信玄が判っていたからこそ越後に対する
本格的な進攻は無いということ
1565年の家中分裂時は
信玄は飛騨越中攻めから駿河攻めに政策転換
義信派は飛騨越中本格進攻ということで割れてたらしい
この説を信じるならこの時点での武田家中では
越後攻めは現実的ではない判断されてたと推測できる
もしくは攻略中の上野も数に入れて
優先順位は4番目くらいの下位であったのではないか
三国同盟維持なら駿河攻めが無いということで当面は対上杉戦継続
それは飛騨越中上野攻略継続ということで
史実ではとりあえず押さえとけばよかった飛騨も完全に平定する必要もあるし
また更なる進入経路を確保するために東美濃攻略を前倒しするかもしれない
越中に関しては冬季の増援は期待できないし
武田家の事だから金森長近ルートに似た飛騨の街道整備もやるだろうし
上杉側の越中越後間も雪に閉ざされるのでほぼ同条件ではあるが
流石に攻略に時間は掛かるであろう
順調に越中七尾と上野を取れれば上杉はかなり弱体化しているので
越後進攻は起こるが信玄の寿命前にそこまでいけるとは思わないという事
0545人間七七四年
2008/01/26(土) 20:57:44ID:ZI56/e7i>北条の対応を読み間違えたから
確かに読み違いはあったがすぐに小田原に進攻して黙らせてる
こちらが強硬に出れば基本的に関東にしか興味の無い
北条は折れるという読みはありある程度は想定の範囲内であろう
>強大な織田に立ち向かう〜真意はちょっと分からないが
たしかに今までの信玄の行動からすると異質
信玄は慎重かつかなり先が読める人物だったのではないかな、
急速に膨張する織田家にいずれ武田は飲まれるという
将来のビジョンが見えてたから今までに無い行動を取ったと思える
また織田が明らかにピンチだったから
進攻したという意見をたまに見るが
武田の征西は大規模なだけにかなり前から計画しなければならないし
駿河攻めにも使わなかった西上野先方衆参戦や
北条と再同盟して援軍までださせてるなど
進入路の街道整備、東美濃の遠山工作及び進攻以外にも
かなり準備期間を要することをしている
たまたま時期がよかったからではなく、
当初から対織田家を構想しての行動だと推測する
もっともあのタイミングに合わせて来るのは流石信玄なのか
偶然なのかはわからないが
0546人間七七四年
2008/01/26(土) 21:04:27ID:nJB8yJ3T>武田が美濃の中心部を得るのは難しいだろうし、
難易度的には上州と越後の間くらいではないかと思えるが。
美濃は割りと調略有効に効きそうな国じゃないかな。
0547人間七七四年
2008/01/26(土) 21:07:48ID:b1spC1FV>>534が美濃の中心部を得るのは難しいとしたのは、
今川と共同作戦をしても中心部を得るのは今川だから武田はよくて東美濃どまりと言ってるんでしょ。
0548人間七七四年
2008/01/26(土) 21:12:20ID:ZI56/e7i川中島に関しては対上杉越後進攻の下地作りではなく
あくまで善光寺平の確保が主目的だろ
そこに上杉軍が進攻してきたから大規模な戦い成っただけ
目の前に敵性勢力の国人が居るのに上杉から援軍が来るかもしれないから
放って置くなんて、あの状況ではありえないだろ
そもそも上杉と敵対する気が無いとは言ってはいない
越後を抜ける可能性が少ないのに
国力を削ってまでの戦いを防衛以外でする気が無いという話
0549人間七七四年
2008/01/26(土) 21:14:49ID:BYDVPz7W今川が義昭を担いで上洛し、その後決裂し、今川包囲網が結成された時じゃないか?
義昭の仲介があれば上杉とも和睦できるだろうから、
北条を上杉に抑えてもらい、今川領に侵攻する。
うまく勝利することができれば天下の第一勢力になれるだろう。
このストーリーは我ながら妄想が強いとおもうが、
このくらい偶然が重ならないと武田の天下は無理だろ。
地道にやってたら、地方の強豪止まりだと思われる。
0550人間七七四年
2008/01/26(土) 21:19:32ID:nJB8yJ3T七尾が越中と言ってるように見えるが。能登でしょ。
飛騨や越中への侵攻は対上杉戦略の一環だと思う。
であれば、全域を完全に領国化する必要ないのでは。
また、そうでなくても、西上野攻略を一段落した時点での武田の軍事力なら、
越中攻略にそれほど苦労することはないのでは。
万一苦労するようであれば、越中に拘泥することなく越後攻めに取り掛かると思う。
あくまで越後攻略を楽にするための作戦であって、そっちに苦労するようでは本末転倒になってしまう。
0551人間七七四年
2008/01/26(土) 21:25:42ID:nJB8yJ3T了解。
今川が尾張を平定するのには数年かかるだろうから、
上野をやめて美濃に行けば、上手くいけば間に合うかも。
今川氏が伊勢攻略にかかずらって美濃を後回しにする可能性も若干あるし。
0552人間七七四年
2008/01/26(土) 21:43:14ID:ZI56/e7i正直武田の場合は三国同盟堅持しても
尻貧に成る未来しか思い浮かばない
越後は確実に抜けないし・・・
あれ?俺武田厨なのにな・・・涙で画面が曇るorz
>>550
駿河攻め以降の越中攻略は確実に上杉に対する嫌がらせ
駿河が取れれば越中を無理して取る必要はまったく無いし
対徳川織田が控えてるのにその余裕もない
その前は信濃上野の対上杉の押さえがあるから
信玄親征の本格進攻もしていないが
その大事な時期に攻めてくる勢力も無い飛騨に
腹心の山縣三枝とかなりの軍勢を裂いて派遣し
木曽の街道を整備し、飛騨に越中進攻用の本格的な城を作っていることから
それなりの領土的野心はあったと推測できる、金無いのにがんばったよ
あと残念ながら簡単に越中を取れるほどの力は武田には無い
七尾は能登のことです、七尾さえ取れば一向宗と友好関係の武田は
後顧の憂いは無いので七尾と書きました
紛らわしかったかもね
0553人間七七四年
2008/01/26(土) 22:00:51ID:nJB8yJ3T道を作ったことが「飛騨に対する」もしくは「越中に対する」領土的野心であって
越後を取るためではなかったとする根拠が見えないな。
それと、武田に簡単に越中を取る力がなかった、というか、言い換えると、
越中にそれだけの強力な抵抗力があったとみなす根拠は?
謙信に関東侵攻の片手間で攻略されてる程度なのに。
て言うかそもそも越中は基本的に親武田の色が強いんじゃないの?
0554人間七七四年
2008/01/26(土) 23:25:42ID:ZI56/e7i>越後を取るためではなかったとする根拠が見えないな。
越後を取る目的なら越中に進攻する必要は少ない、労力に見合わない
北条と共同して関東から行った方がまだ現実的
つか飯山落とせばいいだけの話だし
本国から遠く保有にかなりの労力を必要とする越中は
越後攻略だけを考えれば足かせに成ってしまう恐れもある
あと何故飯山攻略に本腰入れなかったかは他のレスに書いてある
>片手間で攻略され
関東侵攻の片手間では無く逆
後半の関東遠征は間隔が長くなり規模も小さくなる
代わって越中能登には連年進攻
後年には越中に比重が傾きすぎて御館の乱で関東に利権があるキタ条とかが
影虎担いで、謙信側近で固められた景勝側に反旗を翻すことになるくらい
>強力な抵抗力
上杉
>基本的に親武田
越中は親武田でもあるが親上杉でもある、つか両者を国人が利用していた感じ
2大勢力の神保と椎名は一方が武田に付けば一方は上杉に付く
これを何度も繰り返してるだけ
武田は山縣派遣して椎名屈服させたけど駿河や徳川織田に忙しくなると
また上杉に付くとか、
もうね、その時々でアレだから調べなおさないと詳しくは言えないが
>武田に簡単に越中を取る力がなかった
あと飛騨街道って塩入のときに使われたりそれなりの街道だったんだけど
史実で金森長近が整備したくらいはやらないと本格的には使えない
裏街道なんてさらさら越えの佐々で有名なように冬は人を拒絶してるし
駿河に攻め入れたのも上杉戦が一段落したからだけど
越中ならまた上杉とやり合わなければならない
飛騨ですら小勢力なのに取り切れなかった城あるし
後年地震で城と一族ごと消え去ったがね
本腰を入れれば取れると思うが、簡単には無理
0555人間七七四年
2008/01/26(土) 23:49:24ID:nJB8yJ3T越中は直接統治下に置くわけじゃなくて現地の親武田勢力に肩入れして強化してやる感じで。
足枷には別にならない。親上杉が盛り返してもそのときはそれまでのこと。
また、上杉を抵抗力の勘定に入れるなら、それは上杉への戦いの一部として機能しているわけだから無益ではない。
そして対上杉が主眼なら飛騨越中を完全に制圧する必要はない。
取り切れなかったとか言うが、史実ではまだそんなに力を入れてなかっただけでしょ。
史実で駿河に傾けた努力を注いでも状況が変わらなかったら一体武田ってなんだってことになる。
「飛騨ですら」って、別に端から塗り潰していかなきゃいけないわけじゃない。
抵抗が軽微なら後回しにすることもある。
0556人間七七四年
2008/01/27(日) 00:17:00ID:sXtvjBFqというか、川中島地域を押さえる前に、義元死亡によって情勢が変わってしまったから、
その先に何を目指していたかははっきり言えない。
南下策に色気を出さなかったなら、そのまま越後侵攻に進んだかもしれないし。
もちろん、史実でも食指を伸ばした飛騨から越中への侵攻ルートを優先するかもしれないが、
いずれにしろ上杉との対決路線を続けるだろうということに変わりはない。
そしてどの方法をとったにしろ、上杉攻略も簡単にはいかないだろう。
このことに関する認識は一致しているようですが。
0557サイコメリー
2008/01/27(日) 02:39:05ID:R8Q8QkVu武田・上杉論に水を差して申し訳ないが、ここでまた>>519論入れときます。
だって、信玄・謙信ってお互いの戦に固執してるもん。
0558人間七七四年
2008/01/27(日) 03:49:20ID:Y9fVjdzV残念ながら天下を取れる勢力は畿内周辺。よくて毛利ぐらいまでだ。
0559人間七七四年
2008/01/27(日) 03:52:03ID:BsCEq3o3三好はいくら条件が良くてもまとまりがない
(三好家に天下を取るだけの器があったなら、信長などが台頭する頃には既に天下を取ってるはず
所詮その器ではなかった)。
どっちも問題外かと。
0560人間七七四年
2008/01/27(日) 04:28:01ID:zBJWNx2C関東の上杉方も、救援の見込みが無かったら、北条に寝返るだろうし、それを食い止めようと、上杉が関東に援軍に行けば、留守を武田に狙われる。
こんなことが、五年も続けば、さすがの毘沙門天様も、滅びるんじゃないかな…?
0561人間七七四年
2008/01/27(日) 05:22:05ID:Y9fVjdzV器は十分にあった。
やはり天下に近いのは毛利、斉藤、今川、三好のどれかであろう
0562人間七七四年
2008/01/27(日) 06:07:40ID:ofHUQzuS0563人間七七四年
2008/01/27(日) 09:03:17ID:sXtvjBFq毛利が北九州から手を引いたのは、尼子の残党とその背後の織田の存在があったからでしょう。
信長がいない場合なら、尼子の残党が決起しても、その処理がそれほど長引くことはない、
その後しっかり腰をすえて取り掛かれば、博多制圧も十分ありえると思うが。
もしそれに成功すれば、もはや毛利に対抗できる勢力は存在しない。
全国まで制覇できるかどうかは別にしても、毛利を中心とした政権が成立する可能性は十分あると思う。
0564人間七七四年
2008/01/27(日) 09:54:18ID:BsCEq3o3そもそも毛利の目は東に向かっていた。
北九州を制圧するのがそこまで決定的なら、この戦略判断自体がおかしいことになるが…
毛利が北九州はとりあえず後回しにしたのは、それほどでもないってことじゃないの。
0565人間七七四年
2008/01/27(日) 10:12:30ID:VJbWDVf3越中に対する領土的野心は無く史実における越中攻めの後半と同じとするなら
そういう理屈にはなる
第四次以外の川中島のように防衛側なので謙信より兵数や補給線など有利な条件であるのに
対峙するだけで帰ってもらえるまでひたすら待ってる
第四次も敗走する上杉勢を大して追撃もしない、こちらの損害も大きかったのはあるが
大打撃を与えるチャンスなのに鈍い動きを見せる(第四次の詳細はわかってないらしいが)
本荘と協同して飯山城攻めた時も謙信動くの報を受ければさっさと退却する
本荘は揚北衆のなかで中条などを差し置いて謙信に最も優遇されていた武将であり
そんな人物を引き抜けたのに結果見殺しにしている
北条や徳川織田に対して果敢に攻め立てた信玄は上杉本隊に対しては一貫してヘタレ
所詮は不可侵条約でしかない三国同盟が史実より長く機能したからと言って
方針を変えて越後に攻め込むとは思わない
そんな武田をどうにか領土拡大させてあげようとすれば越中の領有ぐらいしかない
0566人間七七四年
2008/01/27(日) 10:20:30ID:sXtvjBFq極短期間って事はないでしょう。
1574年の尼子残党の動きの背後には、織田家の存在があったというし、
少なくとも1576年から1582年までは激しく織田と争っている。
それから、織田家と対立関係になる前に、
毛利の目が特に東へ向かっていたとは思えない。むしろ北九州攻略を主目的としていたのでは?
仮に東へ向かっていたとしても、三好家は混乱状態にあるし毛利にとって分は悪くはないだろうが。
0567人間七七四年
2008/01/27(日) 10:25:25ID:VJbWDVf3信玄はなにしでかすかわからんからね、北条や上杉みたいに行動が読みやすくない
スレの流れに沿って三国同盟堅持の方向で長文書きなぐってる俺だが
正直信玄が三国同盟堅持するとは思ってない
史実のように同盟したり破棄したり再同盟したり
同盟遵守してるように見せかけて大規模な侵攻軍組織したり
目標を達成したら協定無視して圧力かけたりってな感じだと思う
史実と同様地理的に強敵に四方を囲まれる武田が領土拡大しようと
すればそれしかないし、実際やってきてる
しかしこの考えは根拠を示せと言われても不可能なので提唱できないが
0568人間七七四年
2008/01/27(日) 10:37:54ID:sXtvjBFqだから、4次川中島の段階で既に義元は死亡していて、今川がどうなるかわかななかった。
また、本庄等と呼応した1568年の攻勢に至っては、義信の謀反事件の後、
つまり、実質的に既に南下策に方針転換をしていたといえる。
そんな情勢下で越後に本格的に攻め込むわけがないでしょう。
また、越中に勢力を伸ばすにしても、越後に敵性勢力を残したままでは地理的に領有化は無理。
いずれにしろ越後と決着をつけざるを得ない。
もちろん、簡単に決着がつくはずはないから、結果的に武田家の大幅な領土拡大は難しい。
0569人間七七四年
2008/01/27(日) 10:38:22ID:uSimDyeq領地の動員”継続”能力の差だと思うんだよね
石高から計算可能な瞬間最大動員数じゃなくてさ
まずは武田
西上時2万強の動員力はともかく、信玄公の死去もあるけど結局半年〜1年しかもたず帰国
更にはその後武田家の財政にこの時期の出費の負担がかなり影を落としてる
言っちゃあ悪いけどたった半年そこらでだよ
直江津の利があった上杉は万単位の常時動員可能だけど哀しいかな雪国という地域性で
活動時期が狭められる
一方西国はと見ると
まずは三好
主の細川時代より本国(阿波讃岐)から東上し畿内に軍を駐屯させ続けて何十年
可能にしたのは海(畿内の港)からあがる利
次に毛利
この地域(銀+鉄+港)からあがる利は当時の他大名の比じゃない
前時代の大内尼子の頃よりこの地域は万単位で遠征が普通
その両者を継いだ形なのが毛利でたかが地域覇権大名としては異常な動員継続能力
信長が存在しない
つまりは急激な天下統一の機運が上がらないとなれば、緩やかに国内がまとめられていく
となると、軍をどれだけ継続して動員可能か否かの”財”の勝負になるんじゃないかな
まあ1武将の能力うんぬん話も嫌いじゃないんだけどさ
0570人間七七四年
2008/01/27(日) 10:40:48ID:BsCEq3o31574年のは但馬山名氏が後ろ盾じゃなかった?
山名氏は織田家と対立してたはず。
これに関しては裏で糸を引いていたのは大友氏だと思われ。
1576以降も、織田家がいなくても、
大友氏が毛利の東進に脅威を感じる近畿などの勢力に働きかけて
尼子再興を絡めた工作を仕掛けてくることは十分あり得る。
0571人間七七四年
2008/01/27(日) 10:44:19ID:BsCEq3o3例に出すなら、在陣を続けるべきなのに敢えて帰った例を出さないと。
信玄が死んだら帰るのは当たり前だろう。
0572人間七七四年
2008/01/27(日) 10:46:40ID:sXtvjBFqそれはそうだろうが、仮に尼子残党が畿内の勢力の後押しを受けたとしても、
それが織田氏かどうかでずい分違うでしょう。
信長がいなくても畿内に織田に匹敵する勢力が誕生するならともかく、
そうでないなら、東からの圧力はずい分弱まる。
内輪もめで忙しい三好あたりが本格的に中国まで介入するとは思えないし。
もちろん、だからといって必ず北九州を取れるとは言わないけど、
信長不在の場合、多少毛利氏が有利になるのは事実でしょう。
0573人間七七四年
2008/01/27(日) 11:01:23ID:/8DBVMvs>大打撃を与えるチャンスなのに鈍い動きを見せる
善光寺の上杉予備隊に警戒してるからじゃない?
確かに謙信にだけビビってるな信玄。
おまけに息子に困ったら謙信に頼れと遺言したし、トラウマになってたかも。
0574人間七七四年
2008/01/27(日) 11:09:23ID:uSimDyeqその後の武田家の貧乏っぷりをみれば結局”財”でしょ
長篠にしてもお金がなくて大動員かけられなかったんだし秋山勢を見捨てた形になったのも
高天神を見捨てた形になったのも甲越の和にしても新府城にしても
一方毛利は月山富田城を数年間1〜2万前後で囲みつつ大友と争い、後年は本願寺に
援助しつつ羽柴勢と前線挟んでにらみ合う
石高だけみれば変わらないのにこの差は”財”の差でしょ
0575人間七七四年
2008/01/27(日) 11:15:37ID:BsCEq3o3戦わずして勝つことにこだわってたんじゃないの。
実際、戦力をすり減らすと後々に響くというのは一理あるし。
ちょっとクラウゼヴィッツも読んでみろと言いたくもなるがw
つーか、本当に謙信に対してヘタレだったら信濃でぐいぐい押し込んだりしないだろ。
単に有利と思う戦略を選択してただけで、越後侵攻に利ありとみればためらうとも思えない。
あんまり「法則性」を見出しすぎるのもどうかと思うよ。
0576人間七七四年
2008/01/27(日) 12:11:07ID:VJbWDVf3上杉の影響下にある者のに対してヘタレてると言ってるわけではない
あくまでも本隊に対してであり、たとえ攻めれば謙信が来援するとしても
亀になって耐えればいずれは越後に去っていく状況なら侵攻はするだろ
そもそもそんなことを言ったら一寸も領土は増えない、要は北条氏の上杉対策と一緒
そして越後に攻め入れば謙信はどこにも撤退してくれない、当たり前だが
武田が好きでよく調べれば
けっして竜虎ライバル対決などという物ではなく
信玄の立ち回りの上手さと、武田家の限界が見えてくる
信玄が越後に利を見出し本格的な侵攻をする状況は
よっぽど武田に都合よく世の中が動かないと無いと思う
越後を取るとしたら義信の代で謙信の死後だ
もっとも三国同盟堅持や上杉本隊との消耗戦など
誰が見ても尻貧しか想像できないことは、信玄はやらないだろう
史実のように東国を引っ掻き回して主導権を握ろうとするはず
ただその場合は予想し辛く話が続かないので
上杉武田泥沼、利するのは北条のみで話を続けてもらっても構わないが
0577人間七七四年
2008/01/27(日) 12:31:42ID:BsCEq3o3別に怖れてるわけじゃない。
信玄がその時点その時点で最も有利と考えた作戦を実行した結果、
大規模な野戦にならなかったと言うだけの話。
領土を失うとわかっていながら、戦力的に有利にもかかわらず撤退したケースがあれば、
その時始めて「ヘタレ」という結論ができる。
0578人間七七四年
2008/01/27(日) 12:35:45ID:I0e/EiEeそれ以降だと国府台合戦で関東の状勢が一気に北条に傾いていってるので、
上杉の状況はずっと厳しいものになっている。
だがここで武田の今川侵攻により
武田・北条が決裂した事でかろうじて宿敵北条と同盟を結ぶ事が出来て状勢を保っている。
だが今川が健在と言う事であれば北条・武田が分裂する要素は無い。
上杉が勝てる見込みは限りなく薄いと思うが。
0579人間七七四年
2008/01/27(日) 12:55:10ID:yUx4uw100580サイコメリー
2008/01/27(日) 13:02:10ID:R8Q8QkVu財力=勢力の図式では、松永三好一派だけでは到底、畿内掌握は無理ですな。
やはり毛利を中心とした勢力との連携が不可欠ですよ。小早川隆景が実質的
な統制権を持てれば、さらにその道は早いと思うがどうだろう?
0581人間七七四年
2008/01/27(日) 14:29:58ID:zBJWNx2C史実の越中攻め構想は、あくまでも対上杉戦略の一環ではないの?
三国同盟が維持されていれば、武田はどちらにせよ、北にしか侵攻方向がなく、北条と連携して、上杉攻めを行うしかないのでは…?
0582人間七七四年
2008/01/27(日) 17:06:35ID:sXtvjBFq結局それしかないと思う。
史実における信玄の越後侵攻への消極性から、信玄は越後には攻め込まないといっている人もいるが、
武田家が現実的に越後に侵攻可能になった時には、史実では既に今川家は相当に弱体化していた。
謙信が手ごわかったのも事実だし、今川が弱体化したていたなら無理に本格的な越後攻めまで試みず、
南下を視野に入れて行動するのも当然。
しかし、だからといって今川が健在の状況でも越後攻めを行わないとは言い切れない。
むしろ、それが最も現実的な選択肢だろうから、いずれはそれを選ばざるを得ないでしょう。
もっとも、個人的には、越後攻めをしてもすんなり制圧できるとは思えないので、
結果的に武田家の急激な拡大は難しいだろうとも思うけど。
0583人間七七四年
2008/01/27(日) 20:24:39ID:KgPakBZz拠点を前線に移転させられたかな?
当時の物流等を考えると駿河、甲斐、相模が
本拠地では天下統一は困難に思えてならない
0584人間七七四年
2008/01/27(日) 21:17:28ID:BsCEq3o3一国取るたびに一々移転する必要はない。
0585人間七七四年
2008/01/27(日) 21:34:24ID:Kwce3mag・北条、武田、毛利などの話に移る
・局所的な部分に話題が集中する
・一段落ついた所で再び過疎る
0586人間七七四年
2008/01/27(日) 21:35:55ID:I0e/EiEe当時から東海道は重要な交通の要所だし。
んで実際のところ最後に天下取った家康の拠点が江戸なんだから
いまひとつ無意味な議論のような気がする。
0587人間七七四年
2008/01/27(日) 21:59:47ID:KgPakBZz関東を開発する時間的、環境的な余裕があったのが大きな要因と思う
このスレ的にはまだまだ戦国時代真っ只中を誰が抜きん出るか?
がテーマの雑談なわけだから「後に徳川が江戸で天下とった」
はあまり参考にしてはイカンような気がする
0588人間七七四年
2008/01/27(日) 22:20:17ID:zBJWNx2C駿河の重要度って、どんなもんなんだろう?
海路としては、太平洋側は、潮流が激しく、江戸末期の商人が難破して、ロシアにまで漂流するぐらいだから、主要ルートではなく、裏ルートだったはず。
東海道も、沖積平野が開発される江戸期までは、水がちで、通りにくかったって、高校の時、授業で聞いたことがあるんだが。
確か、尾張も伊勢の桑名から船に乗って、熱田か津山に行くのがメインで、陸路はほとんど、江戸中期の宗春の時代まで素通りだったらしい。
自分が住む大阪も、谷町筋までがほとんど水浸しで、御堂筋なんかは、海の中の中洲を伝う感じだったとか…。
だから、大阪には今も橋のつく地名が多い。
以上、高校の時、聞いた話でした。
0589人間七七四年
2008/01/27(日) 22:28:02ID:rpEmWHBB尾張と大阪に関しては俺もそう認識している。
特に尾張西部は輪中集落だろ。村を堤防で囲んだ、っていうより
河の中に村が浮いてるイメージで村から村へは船を使ってたらしい。
0590人間七七四年
2008/01/27(日) 22:50:15ID:BsCEq3o30591人間七七四年
2008/01/28(月) 02:20:37ID:xGXXnQuf元亀には三好が宇喜多浦上を支援して毛利と対立したため
毛利は織田と同盟して三好の牽制や山名の牽制、播磨への出兵を要請もしている
>信長がいなくても畿内に織田に匹敵する勢力が誕生するならともかく、
>そうでないなら、東からの圧力はずい分弱まる。
これはある時期までは逆に東からの圧力が強まることを意味すると思う
0592人間七七四年
2008/01/28(月) 03:48:56ID:64IHHp85ただ、織田の出兵は、上洛後間もない時期に、羽柴の軍を一度派遣したに過ぎない。
その効果がどれだけだったかは計り知れないが、毛利としては利用出来る者は利用したと言う感じじゃない。
後に浦上と宇喜多は対立し、山名も親毛利になったのは、この時期の信長の存在がどれだけ関与したのかは推測し難い。
言えるのは、元就の死後、毛利にとって、かなり有利な状況が待っているのは確かだと思うんだがなぁ…?
0593人間七七四年
2008/01/28(月) 05:20:44ID:co2F/I7F何度も数万の軍を送ることが出来た。
0594人間七七四年
2008/01/28(月) 10:27:43ID:UeS7TaHh天下への強い野心を持つ大名等がいるか、という問題。
国力が増すと、案外さくさくいくということを考えると、
各地である程度規模の大きくなった勢力同士の
せめぎあいや小康状態が続くのではと思う。
長慶〜久秀、三人衆、傀儡将軍は1570年頃まで畿内と四国で勢力を振るう。
そのあとはわからない、畿内で入り乱れての小競り合いや争いが続くかもしれない。
本物の将軍は殺されるので、義昭たんは史実どおり出てくる、
誰が担ぎ出すかはわからない、今川あたりか。これでいくらか荒れる。
1585年頃、中国は毛利がほぼ平定、九州の一部も。
三国同盟が安泰か、は微妙、
武田は上杉攻めだろうが、北条と協同するかは言い切れない。
北条は佐竹あたりにてこずるが、関東の大部分を得る。
今川はとりあえず西進。義元存命中に伊勢を押さえ、
美濃に手をかける程度までは。松平元康もいる。
中部、特に美濃と近江はどうなるかわからない。
四国は久秀らと長宗我部の拮抗状態。
九州は島津が半分くらい取って北上を狙う、大友は生き残る。
東北は多分、天下の趨勢には関係ない。
本願寺、一向門徒は各地で局地戦や駆り出される程度。
1585年くらいには、規模では
毛利、今川、北条、(いたとしたら)畿内を押さえた勢力、島津の順。
戦国時代は続く。
1590年の前頃に南蛮の外患が迫る。
0595人間七七四年
2008/01/28(月) 13:33:07ID:uwbcnJiy毛利は三好と東瀬戸内や備前などで対立している
織田によって三好が弱体した結果
毛利は淡路あたりまで進出できたのだから
どっちもどっちとしかいいようがない
織田に代わる三好を圧迫する勢力が表れないなら
元就死後の毛利は史実よりは不利になるはずだが
0596人間七七四年
2008/01/28(月) 13:49:30ID:kfGmQgvv太平洋側でも交易は結構見られる
紀州の船大工が薩摩まで出張して船建造したり、西国の米を東北に輸送する途中に北条に積荷を買い叩かれたり、紀州の元商人が関東で土着して特権承認になったり
日本海との比較では分からないが、少なくとも日本海に接続する港まで遠くて、太平洋に近い地域なら日本海ルートで交易してたと考えるのが妥当じゃないか
日本海は日本海で冬季は荒れまくる厳しい環境で、難破の可能性はどっちもあるわけで
0597人間七七四年
2008/01/28(月) 15:44:25ID:/6pFZ6dY戦国期は古くより発達していた日本海側に比べればまだまだかな
確か湊税は日本海側は最高一割ほどだが太平洋側は5%くらいだと思った
高いと陸路で日本海側に持ってかれてしまうからだと思うが、よく知らん
湊が有ると無いでは大違いだが日本海の主要港と比べるとアレな感じではある
0598人間七七四年
2008/01/28(月) 16:00:27ID:/6pFZ6dY経済力を重要視しすぎないようにな、
領土が増えれば後から付いてくる物と言えない事は無いし
0599人間七七四年
2008/01/28(月) 16:36:52ID:kfGmQgvv税率が高いと交易が活発って言うのはどうなの?
例えば武田はよく重税かけて、北条は税システムを簡素化してたっていうけど、
その税率高い=発達という理論なら、武田の収奪システムのほうが発達してるってことにならない?
税率が低くてもそれだけの収穫が見込めるから、それほど税率をかけないという解釈はどうだろう
ちょっと違うが、楽市政策も地域振興のためのシステムで、それで発達した都市というのもいくつかある
太平洋側の低税率というのもその残滓とか
いや、まったくの憶測なんだけどね
0600人間七七四年
2008/01/28(月) 20:04:20ID:tZR1bWGE悔しいから謙信が将軍を継いで
「足利義虎」
になり天下を取る可能性を…
無いですね、すいません。
0602人間七七四年
2008/01/28(月) 22:11:13ID:4jXsfoFC0605人間七七四年
2008/01/28(月) 22:46:03ID:tZR1bWGE謙信が義昭を奉じて上洛の可能性は?
0606人間七七四年
2008/01/28(月) 22:59:17ID:/6pFZ6dY基本的に土地を移動できない農民と流通を一緒にされても・・・
としか言いようが無いです
それに発展しているなら金欠権力者が
低税率のまま放って置く理由が思いつきません
普通に発展途上だから振興と商人の保護のために
低税率だったのでは無いでしょうか
>>605
信長が擁立しないなら義昭が流れ着く可能性は少しはあるかな
擁立しても史実のように少数で上洛するのが精一杯だと思いますが
0607人間七七四年
2008/01/28(月) 23:07:06ID:5FAnOBH0距離的に越後くんだりまで落ちるということはない
短日に畿内を伺える場所でないと三好の担いだ14代義栄を認めることになる
更に、形の上とはいえ関東管領上杉家を継いだのが景虎
その関東管領家というのは鎌倉公方を補佐するのが役目の家柄
室町足利家の跡目を狙う人間が鎌倉公方の家来衆の後押しを受けてというのはおかしすぎる
0608人間七七四年
2008/01/28(月) 23:24:28ID:tZR1bWGE守護代庶流の信長が擁立出来て謙信は出来ないかな?
確かに越後は遠いから無理そうだけど。
0609人間七七四年
2008/01/28(月) 23:25:39ID:G5Y1RXt30610人間七七四年
2008/01/28(月) 23:38:00ID:BISIND8V0611人間七七四年
2008/01/29(火) 03:32:28ID:vCux5T9+内部分裂した三好の圧力が、いつまで続くかは疑問?
当面は、毛利も苦しい状況が続くとは思うんだが、三好が信長以上のスピードで拡大するとは思えない。
畿内が信長だろうが、三好だろうが、宇喜多は独立して浦上と争うだろうし、山名も、尼子も、所詮はジリ貧勢力じゃないのかな…?
長い目で見れば、毛利にとって、信長でなく、三好が畿内にいる方が、毛利にとってはかなり有利なことは明白では?
0612人間七七四年
2008/01/29(火) 05:03:25ID:4CmtlJzR三好が畿内を内紛起こしてるときに信長のように畿内から駆逐しなければ勢力を盛り返すかもしれん
0613人間七七四年
2008/01/29(火) 08:33:35ID:xoALvLs4元長・長慶の頃とは状況が違うぜ。
あくまで阿波奥郡の領主に過ぎなかった頃は一致団結しても、畿内を制覇した後ではパイの奪い合いにもなるだろう。
どの道、当主がしっかりしていなければ建て直しは無理ポ。重臣に舐め切られてる義継じゃあねぇ・・・。
0614人間七七四年
2008/01/29(火) 08:51:28ID:cE8nNIdn0615人間七七四年
2008/01/29(火) 08:53:34ID:CjHzGUMZ木曽義仲、新田義貞、柴田勝家、結城秀康とその子忠直と、越前に関わった
人はどれもろくな結末ではない。もちろん義景も。
やっぱり雪がバンバン降るところはダメか?
0616人間七七四年
2008/01/29(火) 09:15:49ID:GQ6LCS6cダメか?つーよりも雪国は雪国であるというだけでかなりのハンデだ
現代ですら屋根の雪下ろしや道の雪除去をちょっとさぼると簡単に春まで隔離される
年に何度か5cm程度の降雪で大騒ぎできる土地の者にはわからないだろうが
雪ってのは重いんだぜ・・・
0617人間七七四年
2008/01/29(火) 09:19:55ID:OorkFX/N今川が尾張を併呑したんだよね
今川や武田って畿内や浅井朝倉斉藤との関係ってどうだったのかな
尾張までは三国同盟も確定で継続中と考えて今後今川が領土拡大するとする
今川は旧織田勢力や松平勢力など不安要素もある中、包囲網なり近隣勢力と武田が組んで
裏切らないなら今川が天下に一番近いと思うし
逆なら三好や毛利その他だと思う
北条は当分同盟確定として話してます
0618人間七七四年
2008/01/29(火) 09:33:40ID:uq09WYOJ政策としての意図は一緒でしょ
発展しているところにさらに重税かければ、折角発展したものが台無しになる可能性すらある
領主経済にとって商人の権力は相当程度高いし、小さな大名では強制できないというのもある
0619サイコメトリー
2008/01/29(火) 09:53:51ID:Oly7QlXl彼の天下は無理です。なぜならば、@当の本人がその器量を持ち合わせていない。
A他力本願で大事はなせない。
B追従する物に傑者がいない。
たぶん釣りだと思うが、一応答えときました。宗滴が10年長生きしたら、30%位
にはなると思うが、だって自家滅亡必然だもん。
0620人間七七四年
2008/01/29(火) 10:01:35ID:kLTZVmd3あの人は天下と珍しい酒どっちか選べって聞かれたら酒って答えるはずw
0621人間七七四年
2008/01/29(火) 10:06:36ID:kLTZVmd3信長は倒そうとしてた感じだけど、ムカついたからって理由でw
0622人間七七四年
2008/01/29(火) 10:10:55ID:cE8nNIdn0623人間七七四年
2008/01/29(火) 10:18:01ID:6DKg3v490624人間七七四年
2008/01/29(火) 11:16:28ID:Rkx0joYa発展という言葉をどの程度に捉えているかは分りませんが
瀬戸内海や日本海側と同程度に発達していたとしたら
あちら側に出来たことが太平洋で出来なかったのは何らかの問題があったのでしょう
それを単に政策の違いとするのは乱暴ではないでしょうか
通説を覆せる資料があれば別ですが、
どちらにしろ私も詳しくないので識者の登場を待ちたいものです
>>619
朝倉に擬似信長が現れれば、さらに有利な条件で信長の事跡をなぞればいいので
すごく楽なんでしょうけど、まぁ無いでしょうね
0625人間七七四年
2008/01/29(火) 11:27:45ID:wpGjiLu6お前ら戦国史上最も巧妙にして、最も食えない男を忘れちゃいませんか?
0626人間七七四年
2008/01/29(火) 11:38:44ID:Rkx0joYaそういえば彼がいましたねw大変面白い考えです
史実で朝倉を見限って流れた彼が乗っ取れはしないでしょうが
0627人間七七四年
2008/01/29(火) 12:12:21ID:A3QrGTiu神戸から堺に逃げられたんじゃなかったっけ
商人達に
それで神戸がかなり衰退した
あれ、神戸だったっけ
0628人間七七四年
2008/01/29(火) 12:33:22ID:CG1PY6hX0629人間七七四年
2008/01/29(火) 13:29:41ID:Ae2J3gnu信長居ても1560年までのシナリオだと大して延びないし
んで西国は最終的には大抵島津が来て東西決戦
0630人間七七四年
2008/01/29(火) 13:53:00ID:uq09WYOJいや、発端は「税が軽いから発展してない」なのよ>>597
それに疑問を呈してるわけで
その日本海でできて、太平洋でできたことって何?
0631サイコメトリー
2008/01/29(火) 16:37:30ID:Oly7QlXl連立が一番可能性が高いと思います。
武田や上杉や今川は名家で、勢力拡大も可能でしょうが、やはり支配国の位置
から考えるにぶつからざる得ない。
だって今川=武田=上杉=北条同盟なんて絶対に無理でしょ。このスレはIFスレ
だけど、それでもより現実性が高い天下の覇者を考えるスレなのだからね。
0632人間七七四年
2008/01/29(火) 17:09:57ID:xuhKDlP2確かに有力候補のひとつではあるよな・・・
でも、桶狭間は奇襲ではなく正面から突撃されてやられたって説も聞くし
そうなると、ますます義元の軍事的才能に?を付けざるを得ない・・・
のちの駿河侵攻といい、甲斐の武田も信用できないしなw
ってことで、三好に1票
0634人間七七四年
2008/01/29(火) 17:14:49ID:xuhKDlP2・当人に器量が無い。
・他力本願で大事はなせない
・追従する物に傑者がいない
これに、そもそも天下を取る意思が無かった。を追加したら
織田家・豊臣家・徳川家以外ほぼ無理になってしまうよなw
0635人間七七四年
2008/01/29(火) 17:19:01ID:VVI481gq軍事面は家康に任せて自分は内政、外交面に力を入れれば天下は取れる。
0636人間七七四年
2008/01/29(火) 17:24:29ID:RMyA7iPl秀吉や家康が、天下取りに目覚めるかな?
0637人間七七四年
2008/01/29(火) 17:25:36ID:xuhKDlP2手元に置いておいて決して岡崎には返さず生殺しだろw
軍事面をまかせるなんてありえないような・・・
信長がいなかったら、秀吉はどこに士官するのか
興味深いよな。
0638人間七七四年
2008/01/29(火) 17:37:12ID:6DKg3v490639人間七七四年
2008/01/29(火) 17:37:20ID:CG1PY6hX確かに配下の才覚だけでいえばね。
しかし力をどれだけ発揮出来るかは?特にサル。
名家の今川が農民上がりを重用するかは微妙。
まぁサルの事だからうまい事取り入るかもしれんが。
ただ尾張を落としても斎藤とは敵対するだろうなぁ。
いや、信長いないと婚姻もないからそうでもないかな?
0640人間七七四年
2008/01/29(火) 17:44:06ID:VVI481gq義元が家康に対して人質よりも親族の一員としてみてたよ。
一族の女を嫁がせたり、自分の名前を与えたり、元康に変えるの許したり。
桶狭間の時も一隊率いて兵糧入れしたり最前線で戦ってた。
家康の性格から見ればあのまま今川の下で猫をかぶって出世するだろ。
0641人間七七四年
2008/01/29(火) 18:08:57ID:uq09WYOJ実際桶狭間でも重臣朝比奈と先陣だったし、三河平定では狩り出されてるし
軍功があれば評価する、されなければ義元の采配に疑問を持つ人間が出るので、相応に評価しなければならない
と、松平の扱いから見て重用はしても、粗略に扱うなんて無いと思うが
0642人間七七四年
2008/01/29(火) 18:53:36ID:tDJnThJbという常識的な反論としてはよくわかる
0643人間七七四年
2008/01/29(火) 21:07:42ID:J9PfCL64鷲津砦攻めと大高城兵糧入れで、譜代の朝比奈をしのぐ戦功をあげている。
これを聞いて、義元は上機嫌だったとも書かれている。
義元は尾張攻略の戦争で、元康に手柄を上げさせ、一門・譜代に元康を認めさせたかった。
元康は、見事にその期待にこたえた。
もし、義元が義昭を担いで上洛、天下取りを目指すならば、
軍事、外交、内政で有能な元康を使わないではいられない。
したがって、彼をその役割にふさわしい職分にまで引き上げることは、嫌でも避けられない。
しかも、義元の妹の娘で養女を娶ってるし。
義元死亡の時点で、家臣団の中でナンバー3くらい(?)にはなってるだろう。
0644人間七七四年
2008/01/29(火) 22:02:28ID:hbqxkehIだって信長の勢力拡大がなきゃ、どの大名に仕えても出世には限度があるよ。可能性としては、将軍塚に取り入り畿内武将と手を組んだ光秀の方が高くね?
0646人間七七四年
2008/01/30(水) 00:27:15ID:k36vshmd0647人間七七四年
2008/01/30(水) 00:35:36ID:HbsbVwhB長生きしても三国のパワーバランスに変化がなければ今川に手を出さないから無理。
0648人間七七四年
2008/01/30(水) 01:33:33ID:u8ijXgRP武田と北条で税制が簡素化されていたのはむしろ武田のほう。
だから逆に武田家は地元の豪族も幅を利かせてるし、農民は二重三重に搾取されていた。
結果として武田家の税率は高くなっていた。
北条家は徹底した検地と代官制によって中間搾取を極力少なくする事で
結果的に農民の搾取を減らしていただけで、税収そのものはそれほど少なくない。
その分北条家は中間層が幅を利かせづらかっただけ。
これと商業の税収はまた違うかと。
0649人間七七四年
2008/01/30(水) 05:18:37ID:U3V1P2qt信長・秀吉・家康がいて良かった。
0650人間七七四年
2008/01/30(水) 07:52:02ID:7ZpY3YIrそれでも「年貢徴収できないから高税率で」って方針は共通じゃない?
十分取れない武田は新税という増税で、北条はシステムを変えて低率でっていう
楽市も北条が天正か元亀かに導入してるし、経済自体は北条のほうが発展してる
発展してるから低率でもと、かんがえるんだけど
0651人間七七四年
2008/01/30(水) 08:11:07ID:3q2yHhfZ他の面からの考察もしなよ。
0652人間七七四年
2008/01/30(水) 08:14:58ID:7ZpY3YIrだからそれが与えられたのは>>597なのよ
他に日本海が発展していたっていう論拠があるならむしろ聞きたいんだけど
0653人間七七四年
2008/01/30(水) 09:36:59ID:/BfMGOG5論拠というか日本という国がまがりなりにも出来てから江戸後期まで
航路と港の発展では日本海>>>>太平洋は歴史の常識だぞ
1.京都含め周辺の大消費地帯への輸送路としての玄関として発展した若狭小浜
2.その小浜への中継港として発展した出雲美保関と上越直江津
3.中国朝鮮との貿易拠点としてまた九州海運の拠点として発展した平戸、博多、赤間ケ関
4.南蛮との貿易拠点として発展した薩摩坊ノ津、平戸、長崎、豊後府内
5.34を畿内に運ぶ大動脈瀬戸内海拠点として発展した赤間ケ関、安芸厳島、備後鞆ノ津
一方、太平洋岸でめぼしい港は尾張津島くらい
なぜかと言えば黒潮の影響
下手にこれに乗ってしまえばはるかかなたまで漂流確定
それと太平洋側にはイザという時の島が皆無
日本海側には壹岐、対馬、隠岐、佐渡という海流にのりあげてもなんとかなる島があった
0654人間七七四年
2008/01/30(水) 09:44:49ID:5htIwPbm信長でなくても、急激な勢力拡大があれば人手不足になるのは変わらないのだから
家臣の大量新規お召抱え、中堅幹部クラスの中途採用は増えざるを得ない。
今川の場合は織田に比べて中堅幹部がもともと多いだろうから織田家ほどの急出世
は無理かもしれんが、新規採用組の中からは実力主義で抜擢されるものも出るだろう。
拡大方向が美濃・近江・伊勢方面なら信長の勢力拡大とほぼ一緒方向だから採用さ
れる人材もほぼ一緒だろうから、結局家臣団の構成も織田家と似たものになって行く
んじゃね?
0655人間七七四年
2008/01/30(水) 13:05:33ID:7ZpY3YIr紀伊の船大工の技術は相当高いらしく、遠く薩摩まで出張して建造した
そんなに船による交易が偏重してるなら、日本海側に船大工の技術者が登場するのが自然じゃない?
太平洋というか、非日本海なら堺、伊勢のアノヅ(漢字忘れた)、九州南部も琉球貿易がありそう(琉球は憶測)
品川も発達してたみたいだが
詳しく書いてある本が手元にあったような機がするから調べてみるけど
伊勢大社だっけ、あれも年貢物資の揚陸の特権があって潤ったとかなんとか、殊更に日本海側に偏重して起って言うのはどうなの?
0656人間七七四年
2008/01/30(水) 16:42:42ID:/BfMGOG5いやさ、どっちがどうとかじゃなくて歴史の事実だからね
逆に聞きたいが江戸という消費地が誕生する前の太平洋側のどこにいったい黒潮の
危険を犯してまで運ぶくらいの需要と供給があったと考えてるんだ?
次に、江戸期に入っても物流の集積地としての大坂湾周辺の港が廃れるどころか、
織豊期以前よりもより発展していったのはなぜだと考えてるんだ?
0658人間七七四年
2008/01/30(水) 17:52:05ID:wtFwvjcM戦国時代に一都市の人口が万越えしていたのは京、山口、一乗谷、春日山(+府内)、全て日本海側
小田原5000人
0659人間七七四年
2008/01/30(水) 17:53:37ID:/BfMGOG5小田原が日本有数の大都会だったとは初耳だけど仮にそうだったとする
大消費地小田原の誕生ね
ここに需要が発生する
どこが供給地として賄う?
米雑穀の類は関東の穀倉地帯からとなるよね
で、だ
関東平野から小田原に輸送するのに海路を使う?
そういうこと
0661人間七七四年
2008/01/30(水) 18:51:48ID:la/xrbMX後北条氏時代の小田原の人口に関してはっきりした資料は無いと思うが?
発掘調査で水道などが完備されて最低6000人はいたという推測しか無かったのに、5000人とはっきり言える資料はあるの?
それに、小田原は関東一円を支配する北条の本拠地。
当時の関東平野の事情を考えれば物資の集積に陸運のみに頼る可能性は低い。
北条以外にも東海道に大勢力がいくつもあるから、それらの勢力が海運を使わない可能性はほとんどゼロ。
0662人間七七四年
2008/01/30(水) 19:06:35ID:wtFwvjcM戦国期の都市人口など流動的でどこもはっきりしない
いちいち書かんといかんのかね?
あと6千は安土桃山時代の推定だろ
0663人間七七四年
2008/01/30(水) 19:13:02ID:oLMkpJm9ここまで紛糾するもんかね
0664人間七七四年
2008/01/30(水) 19:15:43ID:/BfMGOG5狭義の意味での海運はあっただろう
なんというかね
唐物、南蛮物、絹・奢侈品、海鮮物、米
当時のあの地域の大勢力と言えば北条今川となるが内部完結可能な領国「内」
経済の潤滑油としての海運でしょ
どの大名家だとかの領国の枠を超えたそれが無いとその地域一円もそれに依存する
他地域も経済が成り立たなくなるまでに発展した海運の話をしてると思ってたんだけど
0665人間七七四年
2008/01/30(水) 19:21:32ID:la/xrbMX>戦国期の都市人口など流動的でどこもはっきりしない
悪いけど、人口の件を持ち出したオレじゃなくアンタだから、
そう聞いただけ。
流動的ならいちいち万以上はどこどことかを持ち出すのは無意味だろ。
山口も小田原も地域の物流中心だったし。
0666人間七七四年
2008/01/30(水) 19:44:26ID:la/xrbMX>唐物、南蛮物、絹・奢侈品
揚げ足取るつもりじゃないけど、これらのものを扱う時点で領内完結の海運ではない。
地域を越えた海運ネットワークがなければ唐物も南蛮物も絹も無理。
確かに日本海側と比べて海運が盛んではないが、だからって太平洋側の海運は「狭義」
な海運(意味不明だけど)と決めつけるのはおかしいだろ。
太平洋側でも海運物流拠点を持つ大名とそうでない大名の経済力格差もはっきりしてるし。
これ以上は討論するなら経済力スレでやる方がいいかと。
0667人間七七四年
2008/01/30(水) 19:57:14ID:/kbT5AM0例えば京・伊勢・江戸間や九州などには鎌倉時代から海運があったし、
そもそも鎌倉執権北条氏からして海運を制した事で天下を取ったと言っても過言では無い一族だし。
家紋は水神の鱗を表しているという説もあるぐらい。
太田道灌が江戸城を作る際にも港が賑わってる様子を記録した中で和泉(関西)とも
交易があることも言及されてる。この人物が当時の関東において絶大な実力者だった事を考えても、
海運が当時から発達していた事は想像に難くない。
後北条家が支配を始める以前からこれだけの土壌が出来てるのにいきなり無くなる理由が無い。
家康が来るまでは関東は寒村だったというのを未だに信じてるわけじゃあるまいし、
考え方がちょっと偏ってないか?
0668人間七七四年
2008/01/30(水) 22:31:26ID:HbsbVwhB>家康が来るまでは関東は寒村だった
家康だってシムシティをやりたくて江戸を本拠地にしたわけじゃない。
秀吉が堺に近い大阪に本拠地を置くように、家康が品川に近い江戸を本拠地にするだけ。
当時では毛利が吉田郡山から広島に、前田が七尾から小丸山に移ったように、
水運流通の拠点の近くに本拠地を置くのが当たり前だから、
江戸はただのど田舎だったら家康もそこを本拠地にしない。
0669人間七七四年
2008/01/30(水) 22:33:55ID:MEqRFkPs>太平洋岸でめぼしい港は尾張津島くらい
薩摩坊ノ津、阿波、紀伊、伊勢大湊、遠江に駿河、江戸その他いっぱいありますが?
>667も言っているが、まさかいまだに江戸寒村説を信じ込んでいるのか?
一つ言えば、流通という点で太平洋側よりも日本海側の方が栄えていたという主張
には賛同します。しかしだからといって太平洋側が寂れていた、海運なんてロクに
なかったというのならそれには反論します。
0670人間七七四年
2008/01/30(水) 23:10:27ID:zouhKF3t太平洋側は寂れた海運か?
この不毛な議論の発端は、
>>586が、駿河は交通の要所だと主張したのを受けて、
>>588が、駿河が交通の要所ってのは、どんなもんと聞き返したことに始まる。
誰か、この質問に具体的に答えてあげて。
0672人間七七四年
2008/01/31(木) 09:41:46ID:WtCy+MI6米と言えば東北北陸とか
船は漂流しないものとか
一番の大消費地帯といえば東京とその周辺とか
0673人間七七四年
2008/01/31(木) 17:51:12ID:ae6hsrM/0674人間七七四年
2008/01/31(木) 18:50:06ID:nMajIE7nそれに異論がでるなんてはじめてみたw
0677人間七七四年
2008/01/31(木) 19:00:17ID:qCYjUWJU0679人間七七四年
2008/01/31(木) 19:11:15ID:fyoBo9F7>>676は戦国時代の「戦」の事だと思ったんじゃないか?
俺もそう見えた。
誤解を避ける為には、
「戦国時代は米と領地の奪い合いしかしてなかった」
という風に書くと良いかも。
0680サイコメトリー
2008/01/31(木) 20:42:27ID:wSymW2TL駿河が交通の要所だとしても、そうじゃなくても、どっちでもいいからさ。
悪いけど、内容的にそこまで語る事もないように思われ・・。
再々度、>>519論!
これに対して誰か意見ございますか?それとも別論ありますか?
信長不在の・・って話に戻しましょ。
0681人間七七四年
2008/01/31(木) 20:57:50ID:EpZAHOAn0682人間七七四年
2008/01/31(木) 21:01:50ID:/ZmjPAYy@桶狭間で今川義元が死なない
A三国同盟は続き、武田は木曽路・飛騨・越中・越後。
今川は尾張・伊勢・美濃、北条は常陸・下野・上野・房総半島へ
B三好は歴史通り推移し、三好は分裂
C浅井・朝倉が六角を粉砕する
D四国は他の介入がない限り歴史通り、長宗我部が台頭
E中国では毛利が勢力を拡大、九州では島津は成長
F西国では毛利・長宗我部・島津でにらみ合い。
G東北は関東を制圧した北条・北陸を制圧した武田の切り取り場
0683人間七七四年
2008/01/31(木) 21:26:11ID:pgPfWeIZ0684人間七七四年
2008/01/31(木) 21:43:11ID:OmzC2YWO場合によっては斎藤義龍が尾張を侵略して、
義龍vs義元になるかも?
濃尾の国力を結集できれば、義元より兵力が
上になりそうだが。
0686人間七七四年
2008/01/31(木) 21:51:48ID:/ZmjPAYy今川が上洛するかもしれないが
当面は集約された群雄割拠状態が続き、いずれかは大名家が統一するのではないかと。
信長がいないのだから尾張は統一されていない状態と考えていいのだろうか?
0687人間七七四年
2008/01/31(木) 22:47:58ID:ENkIbY9/それとも、尾張を併呑してしまう?
0689人間七七四年
2008/01/31(木) 23:49:04ID:CtRMJ/pu0690人間七七四年
2008/02/01(金) 00:00:32ID:hJRaOOXn毛利に関しても元就がああいう遺言を残した以上領国支配を強化しつつ勢力範囲を広げるだろ。
躓かなければ天下に一番近いかもしれないが、島津が史実通り強大化したら微妙かな。
0691人間七七四年
2008/02/01(金) 00:15:20ID:jy23U5++今川が生き残ってるなら、ある時点で上杉と組むだろう
武田が越後・越中手にできるとは思えんなあ
0692人間七七四年
2008/02/01(金) 00:26:37ID:S2p43d+U義栄担ぐ三好と義昭担ぐ誰かの衝突はあるのかな
0693人間七七四年
2008/02/01(金) 00:51:34ID:jy23U5++やはり上杉が鍵を握ると思うなあ
0694人間七七四年
2008/02/01(金) 01:13:45ID:qSd8ORV1小田原には直接海外の船が乗り付けて交易してたぞ。
城下には唐人町までできていたしな。
氏照が滝山から陶磁器を買いに来た記録も残ってる。
0695人間七七四年
2008/02/01(金) 06:25:07ID:MzmnOdTv毛利に島津が喧嘩を売るとは思えないのですが…
売るとしたら両川が亡くなった時ですか?
0696人間七七四年
2008/02/01(金) 07:10:02ID:suPpzYW50697人間七七四年
2008/02/01(金) 09:53:53ID:svBPa+rV信長がいなけりゃ、元就の遺言も変わるかもしれない。
信長の存在って、それぐらい大きいと、このスレを見てて思った。
0698人間七七四年
2008/02/01(金) 10:26:11ID:svBPa+rV0699益軒
2008/02/01(金) 10:29:01ID:9L2wwmbC三好氏は旧勢力、毛利氏は向上心無し。畿内一円は元親の勢力下になると思う。
0700人間七七四年
2008/02/01(金) 11:18:58ID:LCQbGp0j何故?九州のみで独立国でも建国するのか
毛利から手を出すかもしれませんし
>>697
元就の遺言と信長はほぼ無関係だろ
あれは生涯旧勢力の反乱に悩まされた元就だけに
「一足飛びに天下(急速な領地拡大)なんて考えずに足元固めて慎重にな」という
内容と解釈した方が自然ではないでしょうか
あの時期は織田も上洛はしたが数いる群雄の一人でしかなかったわけですし
>>699
織田との抗争による三好の急速な衰退がなければ
長宗我部は四国統一すら遅れるのではないでしょうか
それに海を渡っての領土拡大が容易に進むとも思えませんが
0701人間七七四年
2008/02/01(金) 11:23:13ID:Yu9Ulwo3徳川埋蔵
談:里田まい
0702人間七七四年
2008/02/01(金) 14:08:40ID:Qx1ODrOW独眼竜w
0703人間七七四年
2008/02/01(金) 14:36:14ID:fAVo3bs3同意。
上杉や武田はそれなりに勢力を伸ばすだろうけど、若さに劣るかな?
0704人間七七四年
2008/02/01(金) 14:59:24ID:7QNs2DZL武田では義信や飯富虎昌が死ぬ事もなく
今川では松平元康が独立する事なく
北条では北条三郎を養子に出す事もない
元康は機会があれば独立しそう。
東北では当面の間は歴史通りだろう。
そのうち関東の北条、越後の上杉もしくは武田の影響下に入る。
歴史通り進み、他の介入がなければ伊達・最上辺りが勢力を拡大していく
0705人間七七四年
2008/02/01(金) 15:03:47ID:svBPa+rV元就の遺言の類は、真偽入り混じって、いくつか残っているけど。
三本の矢から、天下を望むなから、色々とね。
自分が一番さすがだなぁって、思ったのは、『今、我が家には、10カ国の領地が有る。一度の危機で半分になっても、5カ国残る。二度の危機で更に半分になっても2カ国残る。それでも、元の吉田の小城に比べれば、大きすぎるほどに大きい。』ってのだけど。
普通、自分が残した遺産の現状維持ぐらいは、出来るだろうって、思うんだけど、これが結構難しいのは、歴史や最近の二代目三代目企業の倒産が物語ってる中で、なんて潔いじいさんだってね。
問題は、なんで元就はこんな遺言(逸話)を残したのか?
元就が想像した、毛利の領地が半分になる危機とは?
領地を四分の一に減らしても妥協しなければならない相手とは?
当時の元就が知り得た情報で、これに当てはまるのは、毛利からすれば、遥か東の尾張から興って、瞬く間に畿内を制圧した信長しかいない。
まぁ、元就がかくかくしかじかの理由で、この遺言を遺すって、言ってない以上、推測でしかないんだけど。
少なくとも、信長いなけりゃ、消極的な遺言は、遺していない可能性もあるんじゃない。
長文ごめんね。
0706人間七七四年
2008/02/01(金) 15:21:49ID:hDK+HQ6j元就が尼子、大内の盛衰を見て来たからじゃない?
当時の信長と言えば単なる一新興勢力に過ぎん。
当時の毛利なら信長よりも大友、三好や尼子残党の方が怖い。
輝元がアレだから、なんかあったら意地にならず妥協しても最低限家は維持できるという意味で言ったと思う。
0707人間七七四年
2008/02/02(土) 00:16:25ID:HuVCq7xbかなり名高い勢力だった六角や三好を瞬く間に破ったのは、相当のインパクトがあったと思うけどね。
信長が畿内に勢力伸ばしている以上、毛利も天下を狙うなら、
自分の孫が信長と正面から戦うことになるだろう事は容易に想像がつくわけだし。
0708人間七七四年
2008/02/02(土) 04:21:57ID:3IcfWbqh信長の上洛及び畿内制圧は、当時の人間にとって、かなり衝撃的だったはず。
これに何の影響も受けないほど、元就が鈍感だったとは思えない。
信長の影響を無視して、戦国を語る難しさは、このスレの議論が、遅々として進まないことで証明されている。
逆に言えば、戦国時代で、信長の存在が大きすぎるほどに大きかったことの証ではないのかな…。
0709人間七七四年
2008/02/02(土) 05:56:24ID:iOoh+onU信長だけではないと思うよ。意識してたのは。
0710人間七七四年
2008/02/02(土) 05:58:48ID:iOoh+onU織田家に攻められるだろうから多くを望まない、
みたいな具体的な話ではないでしょ。
少なくとも遺言でそんなことを言う奴は居ない。
0711人間七七四年
2008/02/02(土) 07:11:44ID:RZaM5NFcってことですね
0713現代に顕われた織田信長の霊
2008/02/02(土) 11:50:38ID:4Gj1U2y9篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。
皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。
現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。
不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
0714人間七七四年
2008/02/02(土) 11:59:02ID:G5UppVCL0715人間七七四年
2008/02/02(土) 14:15:02ID:j3zzAaLM一時中国11カ国の大守になった尼子や上洛して政権を握ってた大内、
被官でありながら主家を追放し畿内を制圧して権力を握った三好。
それらの衰退を元就がリアルタイム見てたから、
「天下を望まず家を守れ」という家訓を残すのが不思議ではないと思うが?
当時の信長と言えば三好に代わる新興勢力程度だし、
反対勢力も多いから元就から見ればいずれ大内や三好と同じ末路に辿るかもしれないから、
それほど意識するとは思えん。
将軍を追放し反対勢力を尽く打ち破った後年の方のインパクトが強いだろ。
0716人間七七四年
2008/02/02(土) 14:36:01ID:ia9Vu8tf元就が死んだ時期は織田家が包囲網に押されてたときだよな
逆に「イケイケが過ぎると織田みたいに窮地になるぜ、お前らは自重しろよ」だったりして
まぁ信長はあんまり関係ないだろ
0717人間七七四年
2008/02/02(土) 19:19:44ID:3IcfWbqh言われて見れば、そうとも読めるな…。
元就って、本質的には、スッゲー拡大主義者だったはずなのに、えらい消極的な遺言ばかり遺しているのが、めっちゃ気になるんよね。
運や実力だけで、あれだけの大大名になったんじゃなくて、本人の意思も、拡大を善と思っていたはずなのに、なんで子孫には、消極的だったのかな…?
0719人間七七四年
2008/02/02(土) 21:00:27ID:c3V+GDzd0720人間七七四年
2008/02/03(日) 19:43:13ID:/D6Sm21+元就にして見れば、いきなり濃尾からやって来て、瞬く間に畿内を支配したんだから。
そこら辺の出来星大名と同列に語れない。
少なくとも、名前の上がった三好、尼子、大内並みの勢力で、彼ら同様、毛利にとって大敵であることは間違いナシ。
尼子や大内の残党、何度も戦ってきた大友とは、質量ともに比べ物にならない存在だったはず。
0721人間七七四年
2008/02/03(日) 22:52:55ID:zai0q7cQだから元就存命中の信長で見ないといけないのだろう?
後世では信長のインパクトが強いし功績もわかってるが、
当時では新興勢力の一つに過ぎん。
元就といえば大内義興→義隆→義長の盛衰を一当事者として見てたし、
1代で守護代から中国11カ国太守に上った尼子経久や、
係争の相手の三好一族を見てきた。
そういう元就にとって信長はあくまでもその中の一人に過ぎん。
ましてや強硬策とって将軍や周辺勢力に攻められてる最中。
後世の後知恵で「元就が信長を怖がってるに決まってる」と判断するのが
おかしい。
本当に信長に恐れてるのなら「天下を望むな」のではなく「信長に逆らうな」
の家訓を残してたはずだが、事実ではそんなものは存在せず、
毛利家が織田との戦いに突入した。
0722人間七七四年
2008/02/03(日) 22:53:33ID:ZtPmWoOd二日も三日も議論されてちゃたまらんぞ。
適当なところで諦めてやってくれ。もう蒸し返さないでくれ。
0723人間七七四年
2008/02/03(日) 23:51:56ID:ArHNQTO2これまで天下に関わった大勢力は大内であれ細川であれ三好であれ最終的には
没落してきた。今は織田が台頭しているが、やっぱり周囲を敵に回している。
今後どうなるかは判らない。
だから、うちは天下なんてあぶなっかしいものに手を出すな。ただでさえ周囲に
恨まれているのに。
元就の認識を想像すると、こんな感じだと思うなあの遺言は。
0724サイコメトリー
2008/02/04(月) 00:38:38ID:/uQgE9Bl毛利家が信長不在としても、元就死去後、単独で畿内掌握及び天下を望む事は
厳しいと思われます。
畿内を掌握及び足利将軍家の義昭or義栄を担いだ者と毛利家が手を組む事こそが
最も天下統一に近いのではないかと思う。毛利家は小早川隆景が主導となる事が
絶対条件ね。
0725人間七七四年
2008/02/04(月) 00:59:22ID:mVfL27QVこれをもって、「厳しい」とみなす方がむしろ厳しいと思うけどな。
よほど致命的な弱点でもない限り。
まあ「たやすい」とまでは言わん。でも普通に有力な大名家の一つだろう。
0726人間七七四年
2008/02/04(月) 03:51:40ID:h4zlKaEC長慶も信長も反勢力や将軍の対応とあれこれ苦心して畿内を治めててきた。
0727人間七七四年
2008/02/04(月) 04:04:51ID:ANU7Jdq30728人間七七四年
2008/02/04(月) 04:44:02ID:o/5FodZ9やはり義昭を担いだヤツが天下に近付き、
やはり明智光秀を重用することになり、
やはりクーデターを起こされてあぼーん
というわけで天下取るのは光秀か、もし家内に秀吉的なヤツがいたらそいつ
0730人間七七四年
2008/02/04(月) 11:34:59ID:P0A7eEb1三万を越す兵力を養えるだけの経済力と、その大軍を1日半で畿内に上陸させるだけの輸送力と位置は、他の大名を凌駕している。
これだけの大大名が、天下統一に関わらずに安穏としてられる訳がない。
毛利が天下を望まなくても、天下を望む者にとっては、最大の障害になるんだから。
だいたい、元就は本当に、天下を望むなって、遺言したのか分からんからな。
0731人間七七四年
2008/02/04(月) 14:21:44ID:k5WhlMPzほとんど考察不可能だからとりあえず置いといておこう。
0732人間七七四年
2008/02/04(月) 14:25:02ID:pRclJCfR0733人間七七四年
2008/02/04(月) 14:32:01ID:yRGaxzFx0734人間七七四年
2008/02/04(月) 14:49:48ID:T3JqIQ/7いくら毛利でも持たん。
0735人間七七四年
2008/02/04(月) 15:26:20ID:pRclJCfR0736人間七七四年
2008/02/04(月) 15:30:54ID:66xF9zh50737人間七七四年
2008/02/04(月) 17:08:47ID:k5WhlMPz大友と九州の支配を争って芳しくなかったとか。
0738人間七七四年
2008/02/04(月) 17:15:47ID:pRclJCfR0739人間七七四年
2008/02/04(月) 17:54:37ID:7uD+BC9H戦争の名手であり人たらしの天才、の直率軍と数年に渡り対峙して戦線を構築しえた
という事実はそれだけでも凄いぞ
織田方から見れば本願寺の徹底抗戦、荒木謀反、別所の再離反の裏には毛利が
いるわけだし
後方では大友と争いながら、だ
0740人間七七四年
2008/02/04(月) 18:14:18ID:P0A7eEb1資金援助なくして、三木の長期攻城も、鳥取の干殺しも、高松の水攻めもありえない。
0741人間七七四年
2008/02/04(月) 18:49:14ID:pRclJCfRホントに東へ行くつもりなら防衛以外に九州にかかわったりしないで東側に主力持ってくのでは。
そうしていれば秀吉は攻め込めなかったかもしれないし、一度追い返した時も侵攻出来たのでは?
でも、実際は九州そんなに甘くないし東は世渡り上手の宇喜多にまかせてたわけでしょ
0743人間七七四年
2008/02/04(月) 18:59:32ID:pRclJCfRだから、九州が安定しないかぎり毛利の意識は防衛いがい東に向かないし余裕がない
九州にどこまで信長の影響があるんだ?
0744人間七七四年
2008/02/04(月) 19:17:22ID:66xF9zh5よくわからないが、なんで意識が東に向かわないんだ?
史実では九州四国東進の3面作戦で主力は九州撤退後は東進だったよな
0745人間七七四年
2008/02/04(月) 20:55:20ID:TbR4HNmrそれから、お薬をきちんと用法どおりに飲もう
0746人間七七四年
2008/02/04(月) 21:58:54ID:P0A7eEb1後は、順調に東に勢力を伸ばしている。宇喜多を属国、別所、波多野を同盟国と見なせば、畿内まで後一歩。
0747人間七七四年
2008/02/04(月) 22:30:41ID:mVfL27QV主たる攻勢軸は中国地方の東進だった。
>>741の、九州に主力を向けていたと言うのは何かの勘違いだろう。
0748人間七七四年
2008/02/04(月) 22:49:21ID:FUfThmRg0749人間七七四年
2008/02/04(月) 23:04:21ID:pRclJCfRでは、1578年頃まではだいたい史実通りって事でいいのかな。
別所と波多野は信長いないとどっちかわからないかと。
どのへんの年からifなのかで東日本の話と繋がらないから毛利の話する人は
もうちょっと具体的に頼みます。
0751人間七七四年
2008/02/04(月) 23:19:03ID:pRclJCfRご指摘、どうもです。
中国地方の制圧なら東向いてると思うけど、天下といわれるとどうかな?と思ってます
0753人間七七四年
2008/02/05(火) 12:30:21ID:OB1W+WU7信長がいなくても、畿内の支配者(三好?今川?)を蹴って、毛利を選ぶ可能性が高いんじゃない。
毛利の外交力は高いと見てるんだが。
0754サイコメトリー
2008/02/05(火) 12:54:06ID:nydEM7RO自分もこのスレpart6 位から見てるんだけど、つい思ったんだけど、信長の人物評は別として、
彼の決断力と行動力があったからこそ、秀吉〜家康って流れで天下の掌握が出来たんだよね。
つまり信長が不在であれば、秀吉や家康が台頭する事は必然的な厳しいよね。家康は今川うんぬん
言う人もいるけど、それでも主家乗っ取る事は難しいでしょ。って事は、その他の有力大名って事
で基本スレが流れてるけど、割拠状態が継続する可能性の方が高いと思うのよ。
自分も基本は<<519論なんだけど、いち大名が完全統一する事は難しい気がするけど、どうかな?
0755人間七七四年
2008/02/05(火) 13:42:05ID:BuMB8n4A宇喜多や赤松や浦上は織田に付いてるし、別所家中も割れていたから
それだけで外交力が〜とは言えないかな
0756人間七七四年
2008/02/05(火) 21:28:25ID:a55UeMJz「それにも関わらず」毛利についた大名がいたと言うことが重要なんじゃないの。
まあ地域紛争で、誰の支援を仰ぐかは方便みたいなもんだと思うけど。
0757人間七七四年
2008/02/06(水) 00:42:58ID:csetS2KY俺もそう思う。
ずっと群雄割拠状態だったんじゃないかなと。そう考えると信長はすげえなあ・・・
信長がいなかったら、家康は今川の一武将的扱いで終わってただろうし、秀吉は・・・大名ぐらいにはなってただろうけど天下は無理だろうし。
0758人間七七四年
2008/02/06(水) 02:51:30ID:iX/R7f1a別所の場合は毛利を選んだんじゃなくて
赤松同様、家中の織田家との外交担当者の権限が増すのに反発した結果
織田家から離反したって感じだとおもうけど
0759人間七七四年
2008/02/06(水) 07:16:35ID:fEQbf8Qb相手の派閥争いを利用して、自国に有利になるように図るのも、外交の一つ。
外交とは、戦場で得る物を、テーブルで勝ち取ることです。
0760人間七七四年
2008/02/06(水) 07:35:32ID:cJR4IGrZ0761人間七七四年
2008/02/06(水) 07:59:08ID:ApHg/MG20762人間七七四年
2008/02/06(水) 08:19:52ID:cJR4IGrZ0763人間七七四年
2008/02/06(水) 09:47:25ID:zHM4FTHV0764人間七七四年
2008/02/06(水) 10:56:34ID:cV4s3Tb9しかもあれだけの名家。
0765人間七七四年
2008/02/06(水) 11:04:04ID:RJgd0Vcjって話にしないか?
鉄砲伝来は土佐か
0766人間七七四年
2008/02/06(水) 11:22:20ID:9GWUUKYc割拠状態って、どの程度の状態を想定しているのか判らんが、
1)都道府県レベルの群雄が割拠
2)道州制レベルの群雄割拠
3)3〜5勢力ぐらい
俺的には、2になったなら必然的に3まで行くと思うし、3までいけば大勢力どうしの
連合政権レベルまでは確実に行くと思う。
そこまで行けば秀吉・家康連合とほぼ同等の実力があるから統一までいかないのは
考えられない。
時期的に30年くらい遅れるかもしれないが、そのぐらいの遅れは別にたいしたことで
はない。
そもそも秀吉政権も江戸幕府(初期)も諸大名の連合政権で、寛永期を経なければ
幕府のヘゲモニーが確立したとは言えないんだから、史実とそうかわらんだろう。
0768人間七七四年
2008/02/06(水) 11:47:42ID:45ZpDaIq裕福な畿内を支配できるってのが主体で。
その点だけはゲーム的数値的に判断して良いんじゃないか。
0769人間七七四年
2008/02/06(水) 12:37:15ID:cQqcmWV+大内は失敗し、織田も薄氷を踏むような危機の連続だった。
0770人間七七四年
2008/02/06(水) 13:35:00ID:cV4s3Tb9対外・立場・軍事・国力、今川が最有力なのには変わりないと思うけど。
視点を変えて、今川が上洛したとして目の敵にするのはどの勢力だろう?
立場的に上なのは…誰だ?
0772人間七七四年
2008/02/06(水) 13:41:04ID:5FDa+tJj0773人間七七四年
2008/02/06(水) 13:49:47ID:fEQbf8Qb東北 伊達、関東 北条、甲信 武田、北陸 上杉、東海 今川、畿内 三好、中国 毛利、北九州 大友、南九州 島津、四国 長宗我部ってところ。
このうち、伊達は北条が早めに北上して来たら駄目。
武田、上杉も三国同盟堅持されれば、勢力拡大は難しい。
三好も、他地域の大大名が上洛して来たら、ヤバい。
大友は、島津にやられた。
長宗我部は、三好が早々とコケてくれないと芽がない。そのうえ、四国統一しても100万石に満たない。
残っているのは、北条、今川、毛利、島津ぐらい。
0774人間七七四年
2008/02/06(水) 13:51:11ID:fEQbf8Qb0776人間七七四年
2008/02/06(水) 14:34:07ID:fEQbf8Qb武田は、進行方向が、北に限定され、史実以上に、上杉と泥沼。
0778人間七七四年
2008/02/06(水) 14:51:24ID:/2gh3tU70779サイコメトリー
2008/02/06(水) 15:53:28ID:m7/3VELC割拠状態の想定は1)強 くらいだと思います。
つまり、各局地的な支配が続くと思われる。秀吉や家康は絶対的な支配者で
あり、外様が蜂起したとしても即座に沈静出来る立場と力があるじゃないですか。
自分はそういった人物は戦国期には生まれないと考えてます。
最終的には列強の襲来により、幕末時の状態となる。江戸幕府がないだけで、史実
と変わらんって所は>>766と同じですね。
0781人間七七四年
2008/02/06(水) 16:51:57ID:ApHg/MG20782人間七七四年
2008/02/06(水) 17:50:19ID:bFXa0mmS信玄は、今川が大国になって堅くなったから
どうしても越後の上杉に向かわざるをえない。
もし日本海に出れたら東北じゃなくて
北陸潰して上洛を目指すだろう。
0783人間七七四年
2008/02/06(水) 18:01:37ID:RJ82Hnyu0784人間七七四年
2008/02/06(水) 18:08:05ID:cV4s3Tb9そんな目先の行動したら、信玄の信用は一気に失墜するぞ。
第一家臣が離れる。
0785人間七七四年
2008/02/06(水) 18:12:36ID:B+Ii5YJNだな。史実の義信問題の時以上に武田家中の親今川派は勢力が大きくなっているだろうから、
親今川派と反今川派で家中が真っ二つになって混乱する可能性大だな。
0787人間七七四年
2008/02/06(水) 18:13:42ID:EHjG7i6zなんの為の三国同盟だ
0788人間七七四年
2008/02/06(水) 18:44:07ID:RJ82Hnyu軍事的空白見つけた信玄は動かなかった例がありません
北条は謙信共闘話と今川領一部割譲で納得する気がします
0789人間七七四年
2008/02/06(水) 19:01:18ID:B+Ii5YJN武田家家中はもちろんの事、北条家家中にも親今川派の家臣が結構いるんだよ。
武田家家中の意見を纏める(親今川派を抑える)のでさえ困難で、
しかも武田家家中で今川侵攻の議論をする段階で親今川派から今川家にこの情報が届く。
当然今川家は武田家に警戒をより一層深めることとなるし、
武田家が議論してる最中に先に北条家に使いを出して、北条を今川側に取り込もうとするわな。
仮に今川家に情報が漏れずに家中の意見を纏めることに成功しても(おそらく無理だが)、
北条家では北条家で家中の議論が真っ二つになって揉めるに揉めるだろう。
もちろん北条家の親今川派から今川に情報が届くことになり、今川からも武田に味方しないように釘を刺されるだろう。
仮に北条家を味方に出来てもこんな調子で電撃的に今川の軍事的空白とやらを衝くことができるのかな?
武田家・北条家でそれぞれ家中が揉めてる間に今川もなんらかの対策を講じて軍事的空白なんて無くなるでしょ。
第一、自身の家中にも今川派がいて武田家にも今川派がいる、足並み揃わないのが分かりきっていて北条が味方すると思うか?
仮に味方しても今川に武田家・北条家それぞれの親今川派の連中の切り崩しをされるだろうな。
0790人間七七四年
2008/02/06(水) 19:31:20ID:0EJFp98N北条が駿河に攻め込むことは無いだろ
対上杉戦、今川衰退期、御館の乱、甲州崩れ辺りの
対応をみても本当に関東第一主義だからね、
三国同盟以前の国境の安定のために今川領を扼す事はあっても
本格的進攻する可能性は低いと予想する
あるとしたら今川と組んで小田原攻めさせて、
その隙に武田が関東侵食とかじゃないかな
少なくとも上杉と泥沼はやらないだろ
0791サイコメトリー
2008/02/06(水) 19:59:26ID:m7/3VELC武田・上杉・今川を語る時は彼らが天下を目指すにおいての話にしましょうよ。
関東や中部等の局地的な話は別スレでお願いします。武田信玄も上杉謙信も
北条氏康も間違いなく名将だと思いますよ。
0793人間七七四年
2008/02/06(水) 20:16:19ID:EHjG7i6z天下めざすなら単独では無理な話で、武田、今川、北条は三国同盟で有利でしょう。
それに異論が出てるってだけで。
0794人間七七四年
2008/02/06(水) 20:19:28ID:HnJ2vJhzその後の泥沼的な今川との対立はどうするんだ。北条にも武田の不誠実は伝わり、両側から攻められかねない。
ていうか背後には上杉もいるし、まぁ無理。 駿河攻めてる段階で既に無理。
0795人間七七四年
2008/02/06(水) 20:48:02ID:30rfFYEh武田が駿河を攻めるかどうかはともかくとして
随分武田の中の親今川派とやらを重視しているみたいだが
武田家中においてそんなに親今川派は巨大な存在か?
義信事件の時でさえほとんどの家臣は信玄を支持し義信は孤立したのに。
正直そこまで巨大な存在とは思えんのだけど。
北条についても氏康死んだらさっさと今川きり捨ててるように
親今川勢力とやらが両家にとって巨大な存在とは思えん。
もともと今川家と武田・北条は敵同士で戦略上手を結んだだけなのだし。
家臣たちがそこまで今川に義理立てするとは思えん。
0796人間七七四年
2008/02/06(水) 21:13:53ID:B+Ii5YJN史実では↓の2点があったから南進論に異を唱える家臣が少なかっただけでしょ。
・越後方面進出は極めて厳しい
・桶狭間の影響で三河の松平が独立など、今川家の基盤が脆弱化
しかし、史実と異なり桶狭間は起きず当主の義元健在、三河衆も離反せず、
従来の駿遠三に加えて尾張も手中に入れようとするなど(ここでは手に入れてる前提なのか?)
まさに飛ぶ鳥落とす勢いの今川家。
史実のように信玄が南進論をとなえても、史実とは違って強大な今川家と対立する事に同調する家臣よりも
同盟維持こそがお家安泰と考える家臣が多いと考えるのが普通なんじゃないのか?
お家の命運が左右されるような政策転換なんて当主の独断で即決なんて武田家に限らず普通に無理でしょ。
今川家も西に進み続けるのなら当然同盟国とはいえ武田・北条も仮想敵国とし、
それぞれの家中の中に親今川派ができるように工作し、親今川派の発言力が強くなるように支援するだろうしね。
史実とは違って今川家は巨大化し続けるんだから、今川家と盟約を維持するのが安泰と考える親今川派は
結構な数になると考えるのは間違いかな?
0797人間七七四年
2008/02/06(水) 21:25:03ID:kglEeRal嫡子が反対ってのは十分巨大な存在じゃないか?
義信事件後は家臣から精子とって、家中の動揺を抑えてる。
義信の存在が小さいならば、家中の動揺もなく、さらには精子を取る必要も無い。
北条の場合は越相同盟が機能してなかったからね。
親今川勢力が弱かったから、甲相再同盟に至ったという見方は、ちょっと極端じゃないか。
そして、当時の同盟なんか自己を有利にするための戦略以外の何者でもないよ?
そんな盟約破りをするような人間に後方を任せたら危ないと判断して、今川支援したんじゃないの?
或いは、まだ北条方は武田と交渉してる途中だと考えていたか。
にもかかわらず、武田は勝手に駿河に攻め込んだ、許せん、と。
0798人間七七四年
2008/02/06(水) 21:35:34ID:87lLWJss桶狭間が起きてすっかり弱体化した今川の侵攻に対しても史実では武田の次期当主と筆頭重臣などが親今川派だったし、
もし義元健在で今川が尾張美濃制して上洛してる途中ならもっと割れるだろ。
それこそ信玄が追放されかねない。
0799人間七七四年
2008/02/06(水) 21:40:05ID:30rfFYEhいや、とりあえず仮定の是非はともかくとして
>>それぞれの家中に親今川派ができるように工作し
ここら辺がよくわからん。正直な話、今川と戦うべきじゃないよ、と考える者が
いたとしてもそれが=親今川派とは限らない。結局の所それは計算に基づく考えなわけだし。
計算にもとづいて攻めない事があるなら計算に基づいて攻める事もある。
そいつらが武田と今川が敵対した時に武田の足を引っ張ってでも今川につくかは別問題なわけで。
今川が家中工作とかして同盟国の家臣を取り込もうとしたらそれは間接的以上の敵対行為だ。
多分それやったら両家における今川への感情は確実に悪化するだろう。
今川がそんな事するかはかなり微妙だと思うが。
それから史実では義信と信玄の対立は最近は織田との同盟の是非をめぐったものという
説も出ている。義信事件が起きたのは実は今川攻めから数年前の織田と武田の同盟直前なんだな。
両者が偶発的に激突したこの時は武田は西上野、織田は美濃にそれぞれ夢中だったので両者戦いたくなかった。
それで同盟という話になり、義信は妻の実家である今川の敵である織田との同盟を拒絶し
事件に至ったわけだ。さらにこの後も信玄は今川に対して三河を一緒に攻めようとか持ちかけたりしてるし
どうもそんなに差し迫って南進論が唱えられていたわけではないように思えるのだけど。
そして義信事件の時も駿河侵攻の時も武田家中ではそこまで深刻な動揺はでなかった。
こうしてみると武田家中に今川派なんていたのか?という疑問さえ出てしまう。
0800人間七七四年
2008/02/06(水) 21:46:36ID:RJ82Hnyu対等だった同盟相手が強くなればなるほど警戒するのが普通
影響受けて離反する家臣も出たりで過剰反応となるはず
・越後方面進出は極めて厳しい
・今川家駿河に軍事的空白地がある(北条は関東しか注目して無い)
この二つしか見えない気がするんだよ
上杉とグダグダやっていても状況を打開できず他へ目を向けた史実と同じになるんじゃないかな
そして今川武田激突、義信粛清されるに一票
0801人間七七四年
2008/02/06(水) 21:49:16ID:30rfFYEh結局その嫡子に味方しようとしている存在が少なすぎるわけで。
重臣クラスもほとんど信玄支持で義信についたのは飯富くらいなもの。
結局内部からあっさり情報が漏れてこの計画は破綻する。
そう。結局戦国の同盟なんてものは利害打算に他ならない。
北条が武田と敵対したのもその判断あっての事。
だから親今川勢力が強かったから北条は戦いを選んだという考えは不可解に思える。
結局武田にとっても北条にとっても親今川勢力なんていうのはその足かせになるような存在では
ないと思うんだけど。
0802人間七七四年
2008/02/06(水) 21:54:11ID:87lLWJss義信は妻の実家である今川の敵である織田との同盟を拒絶し事件に至ったわけだ
普通それを親今川と言うのだけど。
そもそも今川寄りの家臣がいなければ義信が幽閉されん。
一人冷遇されて終わり。
嫡男幽閉され、筆頭重臣の飯富が切腹して他にも家臣が連座するほどのに、
「武田家中に今川派なんていたのか」と断ずるのが主観的すぎ。
0803人間七七四年
2008/02/06(水) 21:58:59ID:30rfFYEhその飯富さんは結局義信の守役だったから味方したに過ぎないわけで。
そこまで「今川」に拘泥していたわけでもなかったような。
この飯富虎昌という人物は信玄が信虎を追放したときにも関わった人物で
信虎追放が信虎の権力強化に対する反発でおきたというなら
義信事件当時の信玄がかっての信虎以上の権力強化を進めていた事が飯富には
面白くなかったはず。そこでこれを機会に義信を擁立し信玄を追放すれば飯富は
信玄初期の板垣のポストにつける事になる。それを狙っていたというのは飯富と信玄が
当時は不仲だったとされることからも考えられることでは。
要するにここでも飯富が動いた理由は自分の利害に他ならないと思うんだよ。
仮定における武田今川の激突がいつごろになるのかはわからないが
史実の時点なら武田家中には信玄が引き立てた連中が要職につき、その統制力は
かなり上がっているはずなんだけど。まあ信玄が上洛した今川に戦いを挑むかはわからないけど。
0804人間七七四年
2008/02/06(水) 22:03:54ID:R0vwv1ah婿殿を助けるって。ついでに信虎も担ぎ出しての甲斐討伐が現実味を帯びてくる。
0805人間七七四年
2008/02/06(水) 22:06:37ID:87lLWJssそん時今川と戦うならそれ以前すでに戦ってたよ。
相手が一番強いときにチャレンジする理由がどこにある?
義元健在の今川が上洛しても武田が上杉の決着がつかない限り今川を敵に回す可能性はほぼゼロ。
一時の隙をついても北条が許さないだろうし、史実でも今川と共同で武田を駿河から追い出した。
義元上洛するにしても信玄対策をしないまま行くとは思えん。
0806人間七七四年
2008/02/06(水) 22:08:38ID:30rfFYEh飯富の事については>>803も参照してくれい。
とりあえず嫡子が信玄暗殺なんて考えたら普通は断罪されるもの。
冷遇だけじゃすまないのが普通。
義信事件は信玄暗殺を主体としたクーデター計画だから。
それからその義信に関しても信玄は3年にわたって生きながらえさせている。
その間に調停も何度か試みられているが結局義信は折れず病死とも自害ともいわれる最後をとげる。
そんなにやばいなら一刻も早く殺そうとするのじゃないのか?
それから連座してきられた長坂源五も曽根周防もいずれも重臣ではなく
「重臣の息子」で「義信付きの近臣」になっていた若い連中。
要するに義信の謀反は身内で始まり身内で終わったわけだ。
他の主要家臣が連動した形跡はないのにどうしてこれで武田家中の動向を縛れるほどの
親今川派がいると思うの?
0807人間七七四年
2008/02/06(水) 22:14:52ID:30rfFYEhちょい待ち。俺はもともと>>803にも書いているように信玄が上洛した今川に戦いを
挑むかはわからないといっている。
ただ武田家中に武田の動きを縛れるほどの親今川勢力なんかいるのか疑問でな。
それから武田が駿河から一時撤退した時、あれ北条と今川の共同作戦っていうのか?
今川氏真は駿河から叩きだされて一部旧臣が抵抗していただけだし。
結局信玄が北条に対処して駿河に攻め寄せた時は「今川家」としての反撃はされず各個撃破されってたし。
0808人間七七四年
2008/02/06(水) 22:44:26ID:LUuCGGy/でも今川包囲網的な大義名分が欲しい
他の地域も同時進行よろしく
0809人間七七四年
2008/02/06(水) 23:01:36ID:0EJFp98N史実では同じように婚姻と同盟を結んだ強大な同盟国の織田に対して
いきなり同盟破棄して総力を挙げた遠征軍を送り込だという例があるわけで
たまたま織田包囲網で弱ってたからと言う意見についても
やたらに国境の多い武田領をほぼ空にする大遠征は
兵の動員の他にも同盟や不戦条約等の外交など長い準備期間を要するので
駿河進攻時からの規定路線の一つと見たほうが自然と思える
どの道強国に囲まれる地理条件の武田は史実と同じように
同盟関係で東国を引っ掻き回す他に生きる道は無いし
戦国期は従属同盟で無い対等な同盟が長続きした例もほぼ無い
三国同盟堅持についてはいたって懐疑的です
0810人間七七四年
2008/02/06(水) 23:02:03ID:nnDS27n3俺には南下するとしたらその時くらいしか考えられんかな
少しの隙くらいじゃ信玄は動かないイメージだし
0811人間七七四年
2008/02/06(水) 23:07:07ID:0EJFp98Nいっそのこと信長が存在しないの事の他に、
当面は三国同盟堅持も条件に入れたるという手もある・・・かな
0812人間七七四年
2008/02/06(水) 23:38:45ID:HnJ2vJhz義元なら義昭も納得じゃねーの?世間的にも。
0813人間七七四年
2008/02/07(木) 00:10:46ID:CkAkpf0A人間てのはそういうもんだ。
0815人間七七四年
2008/02/07(木) 05:14:46ID:yeqJxa7Z三国同盟が継続しようがしまいが、どーでも良いの。頼むから別スレ行ってくれ。迷惑!!
0816人間七七四年
2008/02/07(木) 08:01:07ID:CkAkpf0A0817人間七七四年
2008/02/07(木) 08:47:31ID:nrBaBdkFそりゃ嫡子ですら幽閉されたのに、表立って反旗を翻すヤツは相当のお茶目さんじゃないかな。
義信という存在が小さいならば、わざわざ誓詞と集める必要が無い。
義信が幽閉された時点で、義信に味方する武田家中のものは、行動を控えるよね。
利害を考えれば。
でも、義信と行動を共にしたものがいないから、親今川は弱いという。
おかしくないかな。
0818人間七七四年
2008/02/07(木) 09:08:57ID:FVPBiojU0819人間七七四年
2008/02/07(木) 10:10:29ID:5S/2oSOA信玄みたいに親父を追放できなければみんな存在が小さいと思ってるじゃない?
親今川派が存在せず飯富も守役だから味方したというのなら、
ことが表面化せず飯富に止められて終わりのはず。
なぜならこのままおとなしくして信玄が死んだら義信が当主の座に付き、
飯富も自動的に板垣並みの両職になれた。
わざわざ味方のないクーデターを起こしてやられるマネはしない。
私利のためならなおさら。有利なポストにいる人間は無茶しない。
それに、勝頼を見れば義信の影響がいかに大きかったのかわかるはず。
0820人間七七四年
2008/02/07(木) 10:25:22ID:f7OkYwA4重臣一同も健在
更に尾、三、遠、駿が今川領
これがこのスレとしての最小公約数なんだよな?
この状況で三国同盟を「あえて」反故にするとすれば武田より今川からだろう
少なくともこのスレのタイトルに沿ったif話をしたいのならば、この状況下での武田なんて
一田舎貧乏大名の内輪話はどうでもいい与太話
0821人間七七四年
2008/02/07(木) 10:38:45ID:Dwf4gcXqメガドラの天下布武っていうゲームでは、
桶狭間まえのシナリオだと、
CPが担当する上杉、今川、北条、毛利がいつも大勢力になる。
次点で武田、朝倉、本願寺、大友、宇喜多、松永、島津かな。
逆にプレーヤーが担当して、セーブなしでやると、
絶対にどうかんばっても史実どおりが関の山なのが、長宗我部。
四国どころか、讃岐、阿波を維持することすら難しい。
あと、三好は四国と畿内分断されて、すぐにボロボロになるな。
家康はほとんどの場合、今川の最優秀軍団長みたいになっている。
伊達は政宗がでてくるまで家を維持しても、そのあと中央政権に怒涛の勢いでのまれて終わり。
・・結論、西は毛利。東は上杉、今川、北条のいずれかが出てきて、
最終的に関ヶ原あたりで大激突。
実質、京都を支配して天皇を動かした時点で、いずれかの幕府ができる。
(あるいは関白?)
0822人間七七四年
2008/02/07(木) 10:59:50ID:H6EpCT2bうちのウイイレではブラジルを外してPC同士でやらしたら日本は4強まで行った、
だから現実でもブラジルが予選落ちすれば日本は準決勝くらいまでは(ry
てか結構なお年とお見受けするが、その歳でゲーム脳って実生活に支障はないのか?
0823人間七七四年
2008/02/07(木) 11:07:51ID:2R8fhDni天下様WWWWW
0824人間七七四年
2008/02/07(木) 12:42:15ID:u7RcBJR7今川が畿内に出張るようになり畿内方面での敵が増えれば
武田が背く可能性はじゅうぶんあるんじゃないか?
織田に背いたときのように。
0825人間七七四年
2008/02/07(木) 12:53:16ID:VLBPkDDt今川が完全に家来化するなら別だろうけどそれ以外は必ず対立するはず
そうなると今川の統一にならずに足利軍の天下再統一となってしまう
0826人間七七四年
2008/02/07(木) 12:55:28ID:D1FtxXHLそりゃ嫡子が成功できなかったとはいえ謀反したのだから内部の引き締めに走るのは当然の事。
その他の連中は結局数年にわたって義信が生きているのに何の動きもしてないし
そもそも義信に同調しようとした形跡のある連中自体が見あたらないんだけど。
そちらの意見は義信に同調しようとした連中がまるで見受けられないのに
いるかどうかもわからない親今川勢力とやらが強大だといってる。おかしくないかな。
そんなに強大なら信玄の行動を掣肘できるはずでしょ。
結局いたとしても義信が行動を起こすまでまるで関与せず、事が起こった後も息を潜める程度の存在でしか
ないという事になるんじゃないのか?
0827人間七七四年
2008/02/07(木) 13:02:55ID:D1FtxXHLいっとくが最近は信虎による晴信廃嫡を疑う声もあるんだけど。
強権が確立された状態で継承されるのとその強権の主を飯富たちが排除して
継承されるのでは飯富達の発言力には雲泥の差が出ることになる。
飯富が信虎や信玄の強権に反発していたなら義信を擁立してそれを追放する事で
自分達の影響力を増す事ができるというのは極めて自然な事だが。
つまり飯富には飯富なりの理由があった。
勝頼から見られる義信の影響ってどんなの?具体的に挙げられる?穴山がどうとかいわないでよ。
というかあんた親今川派がやたらと強大という割りには具体的に示せてないじゃない。
信玄の主要な重臣の誰が親今川派としてそんなに強力に活動するっていうの?
具体的に名前挙げられる?飯富以外で。
0828人間七七四年
2008/02/07(木) 13:08:04ID:t7DDKj+r史実とは違って今川は当主と重臣健在で駿河遠江三河尾張の強大な勢力なわけでしょ?
親今川というか今川とは協調路線でという考えの者は史実とは違ってけっこうな数になるでしょ。
0829人間七七四年
2008/02/07(木) 13:20:19ID:D1FtxXHLとりあえず上にも挙げているが
計算上今川と仲良くしたほうがいいと考える連中がいたとしても
それが今川と武田が衝突した時に今川の為にかいがいしく働くような連中で
あるかは別問題なわけで。
信玄がその状態の今川と戦うかどうかがそもそもわからない。仮定に仮定を重ねるものなので。
とりあえず史実における年代で戦うなら信玄が引き立てた連中がかなり要職につき信玄の統制力は
かなり上がっている。それで親今川派として動きそうな主要な重臣がみあたらないのに
上で話している人達はまるで武田家中に巨大な親今川派が存在して武田と今川が戦う前に
武田が内部崩壊するような口ぶりだったので反論させてもらっていた。
0830人間七七四年
2008/02/07(木) 13:26:33ID:VLBPkDDt崩壊するとすれば戦で大敗した時のみだろう
0831人間七七四年
2008/02/07(木) 13:39:08ID:t7DDKj+r信玄に引き立てられた連中は無条件に信玄の南進論に従うのかな?
上杉の相手をするだけでも精一杯、今川は史実と違って巨大、北条が味方になるか不明で今川支持に回る可能性が高そう
といった3点を考慮すれば今川との同盟破棄に慎重になる奴も出てくるんじゃないか?
それとも信玄に引き立てられた奴等は講談みたいに「御館様は神じゃ!神の言う事に間違いなし!」とか言って全員一致で賛成するとでも言うのか?
仮に今川と衝突したら今川の為に動く奴等は殆どいないと思うが(武田を見限って今川につく奴はいるだろう)
信玄の子飼連中からも慎重論が噴出するであろう家中を纏めて今川との同盟を破棄することが困難じゃね?
0832人間七七四年
2008/02/07(木) 13:47:12ID:CkVHNPaW後、親今川家臣が誰かってのは、愚問だな。
親今川家臣にして見れば、武田が駿河併合したら、そういった事実を隠そうとするだろうし、信玄も家中が上手く言っているのに、殊更荒立てはしまい。
史料が残ってなくて当然。
0833人間七七四年
2008/02/07(木) 13:47:20ID:D1FtxXHLうーん、なんか話がずれとるな。
俺はもともとその仮定に仮定を重ねた状況で信玄が今川に戦いを挑むかはわからんと行ってる。
信玄の戦略からして強大な相手と戦うなら必ず周辺状況を利用しようとするだろう。
単独で上洛までしてる今川に戦いを挑んだりはしないだろう。
そのIFに答えるには上洛した今川の周辺状況がどうなっているかが問題になる。
今川包囲網でも構成できそうな状況なら普通に武田家中がまとまり今川と戦う事もありえそうだが。
0834人間七七四年
2008/02/07(木) 13:50:13ID:D1FtxXHL違う違う。
義信事件から義信死去、駿河侵攻まで3年のタイムラグがあるんだよ。
この間に親今川派らしき連中が動いた形跡はまるでないんだよ。
そんなに巨大な今川派がいたというならこれは実に不可解な事だろう。
というか当時の信玄の主要な重臣で親今川派として動きそうな連中が見当たらん。
0835人間七七四年
2008/02/07(木) 14:20:15ID:H6EpCT2b史実から十分読み取れるだろ、後は状況しだいだろ
0836人間七七四年
2008/02/07(木) 14:21:51ID:0XrF2U2p今川の嫁を持つ義信を幽閉した時点で武田家の戦略方針が決まったよ。
あのタイムラグは調略の時間と見るべきだろう。
実際攻め込んだ時点で今川調略がほぼ完成した。
それにリーダーの嫡男が幽閉された以上、親今川派に動きがあるわけない。
別に今川の調略を受けたわけじゃないし、リーダーが捕われても行動を起こす義理はないから動きがないのは当たり前。不平は燻るけど。
あと、飯富以外粛清された家臣が少ないというのだが、当時の信玄は絶対権力者じゃなく、
国人領主の盟主だから大粛清したら家中バラバラで自滅しかねない。
実際義信が叛乱を起こした訳じゃなく、義信を中心に不満派が集まっただけだから、
義信を幽閉して補佐役の飯富を処罰して後は引き締めという処置しか取れない。
義信が挙兵して戦ってたら話は別だけど。
0837人間七七四年
2008/02/07(木) 14:21:55ID:u7RcBJR7>親今川家臣が誰かってのは、愚問だな
そうすると陰謀説とかと一緒で、憶測でしかなくなるな。
まあこのスレは憶測によって成り立つスレだけど。
>>832の意見が他より有力と言う説得力はなくなる。
0838人間七七四年
2008/02/07(木) 14:33:45ID:D1FtxXHLいや、だからね…。
結局それじゃあ親今川派とやらの活動なんて表にも出ない程度のものだって事じゃない。
その義信を中心に集まった不満派って誰よ?名前挙げられる?
俺には正直当時の信玄の重臣で呼応しそうな奴が思いつかんよ。
義信が謀議をしてるときも処断されるときも関わってるのは義信近辺の連中だけなんだよ?
そんなに巨大な親今川勢力がいるというのに義信は計画に一人も引き込まずなかったのか?
ありえんだろう。やる必要もないのに大粛清なんかするわけないでしょ。
そしてその巨大な親今川勢力は3年の間に一度も義信の為に調停さえしてやろうとしなかったと。
なんかいないものを無理に巨大にみせようとしてるように思えてならんよ。
何度も聞いているけどあの当時の武田の主要な重臣で義信に呼応しそうな奴ってだれ?挙げてみてよ。
それから武田は1567年くらいまで今川に一緒に駿河攻めようぜ、みたいな事をいってるよ。
0839人間七七四年
2008/02/07(木) 14:46:30ID:qTWO6PsXお互いずれた会話をしてるようにしか見えない
0840人間七七四年
2008/02/07(木) 14:48:37ID:D1FtxXHLどこら辺がずれてるのか詳しく。
>>836は史実において親今川派が巨大だといっているので
俺はそれに対して反論してる。
今川が上洛した場合については上で書いてるよ。」
0841人間七七四年
2008/02/07(木) 14:50:39ID:qTWO6PsXここの義元が勢力伸ばしているようないIFなら親今川派は多いだろうな
今川と敵対することに十分な勝算があるならともかく
そうでないなら、義信かついで信玄を隠居などさせるぐらいはありそうだが
十分な勝算があれば敢えて今川を助けようなんて連中はいないだろうな
0842人間七七四年
2008/02/07(木) 14:52:22ID:qTWO6PsX>>>836は史実において親今川派が巨大だといっているので
どこにそんなことが書いてあるんだ?
つかそれがわからないから、延々と見えない敵と戦っているんじゃないか?
0843人間七七四年
2008/02/07(木) 14:56:42ID:MrO43jNq氏真が後を継ぐが弱体化。
信玄は好機とみて内部切り崩しを実行
最終的には元康独立、今川の家督は義信の子が継いだ
こんな結果はあり?
0844人間七七四年
2008/02/07(木) 14:56:48ID:0XrF2U2p当時の武田家では信玄派と義信派があるのは一般的な認識なのに、
義信には飯富と雑魚数人しか味方が無いと決めつける根拠はどこにあるかあげてほしい。
現に義信が処分された事によって動揺する家臣団を引き締めるために大量の誓紙が出された。
義信と側近のみだけならこれだけ大掛かりな引き締めは必要ないだろ。
義信の影響力が小さければ廃嫡されても家臣は動揺しないし引き締めの必要もないから。
あと、「巨大な親今川派」という表現はキミ以外誰も使ってない。
0845人間七七四年
2008/02/07(木) 14:57:37ID:D1FtxXHL>>国人領主の盟主だから大粛清したら家中バラバラで自滅しかねない。
>>実際義信が叛乱を起こした訳じゃなく、義信を中心に不満派が集まっただけだから、
これを言っているからには>>836は親今川派には大粛清されるだけの不満派が集結してる
と主張してることになる。
そんな大規模な連中が存在すると史実から見て思えませんといってるのだけどずれてるかね?
0846人間七七四年
2008/02/07(木) 15:01:42ID:D1FtxXHLちょっと待った。それは悪魔の証明。ていうか質問返しするのはやめなさい。
>>836で義信派には大粛清されるだけの規模があるといってるのに
それに該当しそうなメンバーを一人としてあげられないのかね。
あると主張するならあるというほうが証明するのが筋。
当時において親今川派として呼応しそうな奴って誰?答えてもらえる?
普通は義信が信玄暗殺なんて計画したらそれに加担した飯富や側近が処断されて当然でしょ。
その義信を3年も生かしてると何度も言ってる。
0849人間七七四年
2008/02/07(木) 15:06:56ID:qTWO6PsXあと
>それから武田は1567年くらいまで今川に一緒に駿河攻めようぜ、みたいな事をいってるよ。
三河だが、それが事実なら信玄はそれ以前から今川家臣に対して調略の手を伸ばしていることに
武田が1566年あたりに今川との国境を固めたのは史実だと思うが
0850人間七七四年
2008/02/07(木) 15:11:10ID:qTWO6PsX慢性的な不満者だろ別にいても不思議じゃないと思うが
当時の今川の実力と旗頭となる存在がいないんじゃ燻って終わりだと思うが
それと>親今川派には大粛清されるだけの不満派が集結してる
>と主張してることになる。
は大きな隔たりがあると思うが
現在の政治だってそうだろうけどゲームじゃないんだし
対織田戦にもそれなりに不満のものは多々いたようだし
0851人間七七四年
2008/02/07(木) 15:11:57ID:0XrF2U2p>ちょっと待った。それは悪魔の証明。ていうか質問返しするのはやめなさい。
はあ?
一般的な認識と食い違ってるからその認識の根拠をあげろと言ってるだけだが?
それとも勝手な妄想で「義信に派閥は存在しない、青二才の分際で信玄と対立する派なんか作れる訳が無い」と思ってるのか?
それに、すでに書いてあるが義元事件の時大量な誓紙が家臣に出させた。
義元に支持者が居なければこんな事する必要はないだろう。
あと、義元派だからという理由で粛清される必然性は無い。
暗殺という計画自体少人数実行は当たり前だから、飯富以外処分された主な家臣がいないから義信派は存在しないという理屈はおかしい。
0852人間七七四年
2008/02/07(木) 15:14:57ID:D1FtxXHLまああの交渉は伊勢物語がどうとか言ってるからなあ。
全て正しいかは微妙だわな。
1566年?1567年じゃなかったか?
まあ義信事件の後じゃ今川も警戒の色を強めていたからねえ。
0853人間七七四年
2008/02/07(木) 15:21:44ID:D1FtxXHL結局その慢性的な不満派じゃ武田の行動の枷になれるだけの力なんかだせないでしょ。
それはゲームじゃないんだから。『不満発生』で即座に『謀反』なんかおきるわけない。
>>851
根拠も挙げずに勝手な妄想を述べているのはそちら。その一般論といいつつ
義信派に雷同する重臣を一人もあげられずただ罵倒だけに終始するのはやめてもらおうか。
それで結局当時において義信に雷同しそうな重臣の名前を挙げられるの?挙げてみなよ。
妄想じゃないんならね。
義元事件ってなんだ。義元事件って。
そんなに大粛清されるだけの派閥がいながら結局少数でしか動けていない事に
そもそもおかしいと思わんのかい。
それから誓詞提出はお家内部でのごたごたで家中の動揺を抑えるため。
お家騒動起きれば普通に引き締めが図られるのは自然。
0854人間七七四年
2008/02/07(木) 15:28:12ID:qTWO6PsX国境を固めろという指示は1566年だったと思う、勝頼書状で誰宛かは忘れたが、上洛スレの過去ログにある
1567年は今川塩止め、武田秋に家臣から起請文提出&10月に義信自害
年末に今川が上杉との交渉開始
そして三河攻めの提案は1568年春だったかな
同時期に武田は徳川との今川攻めの交渉に入っているが
0856人間七七四年
2008/02/07(木) 15:29:38ID:0XrF2U2p>根拠も挙げずに勝手な妄想を述べているのはそちら
いやどう見てもキミだろ。
義信派が存在してるのはほぼ定説なのに、根拠あげずに一人延々と異論を述べてる。
それに、自分ですら微妙と思ってる書物を自信満々に根拠に使うな。
0857人間七七四年
2008/02/07(木) 15:35:31ID:D1FtxXHLちょっと待て。その定説と主張してる割にはそっちは一言もこっちの質問に答えてないぞ。
その義信派というのが飯富とその側近による少数だったか、あんたが>>836で言ったように
大粛清を引き起こしかねない規模だったかはまるで別の問題。
それで結局そちらは大粛清云々といいつつ武田において義信に呼応しそうな重臣を一人も
挙げられてないだろう。まずそれを主張してみたまえ。
甲陽軍鑑はもともと脚色を割り引いた上で読む資料。
その事件があった事とそれにどれだけの脚色があるかは別問題だわな。
武田が今川に三河攻めをもちかけ、今川が武田と織田との関係から拒否したようにうなずけそうなところもちゃんとある。
0858人間七七四年
2008/02/07(木) 15:39:18ID:WnuUChrd潰すなり服属するなりしてるんだよね?
武田が今川上洛後に駿河に攻めるんだったら、
単純に計算すれば、史実の信長領+家康領+駿河に、
甲信の海無し大名が挑むって事だけど、
勝ち目あるのか?
包囲網があっても厳しいだろう。
義元が信玄より先に死ぬとは限らないし。
駿河にしても、元々の本拠地であり、
隣に武田北条って大国がある国に
今川は少数の兵で守らせるかな?
今川だってその大きさに見合う兵力があるだろうし。
結局家中が一致団結して同盟破棄・駿河侵攻したって
敵う相手じゃないよ。
信長の存在の有無に関わらず、
上杉北条今川に囲まれている武田の天下は難しいかと。
0859人間七七四年
2008/02/07(木) 15:53:23ID:0XrF2U2p義信に近い人間でも誓紙を提出すれば成敗されなかったこと知らないのか?
成敗されたのは義信の周りの数十人+飯富の周りの人間だからそれだけしか居ない、
というキミの認識を崩すのにこれだけで十分。
あと、穴山信邦は別に義信の側近ではないけど始末された。
0860人間七七四年
2008/02/07(木) 16:00:20ID:D1FtxXHL結局義信の周辺だけじゃん、それ。
飯富と義信の周りだけだよ。それ。全然崩せてないよ。
義信にはそもそも80騎がついてたことは知ってるだろう。
全然重臣ではない義信につけられていたただの武士がどうかしたの?
信邦は穴山家の当主ですらないぞ。結局穴山家の当主で重臣の信君に
兵を差し向けられて自害していたはずだが。
結局重臣クラスで義信に着いた奴がろくにいないことになるじゃん。
0861人間七七四年
2008/02/07(木) 16:11:01ID:yeqJxa7Zあんたら武田話から、いい加減離れろよ!数名の奴らの為にたくさんの人が離れてしまう・・よ。
いくらifを語るスレでも、武田義信が天下とる事は無理だから!
根拠、三国同盟継続すりゃ武田が優位同盟じゃないんだから当然無理だし、同盟破棄しても近隣国が強敵過ぎて、時間が掛かりすぎる。結論、武田家無理!
もうこのスレで武田話をしないで!お願い!
0862人間七七四年
2008/02/07(木) 16:24:48ID:2NfdhVszIFなんだし武田も天下取る可能性はあるよ。
それも有象無象の各地の大名より遥かに高い確率でね。
ただ今川のほうがもっと確率が高いってだけ。
0863人間七七四年
2008/02/07(木) 16:25:13ID:H6EpCT2b史実では上杉派の従弟でも今川派の嫡子でも邪魔になれば排除してる
今川健在なら義信の成長とともに今川派が幅を利かすはずなどと仮定の話をしている人がいるが
たとえ今川派が力をつけようが信玄も晩年になるほどより権力を集中している
信玄の意向に従わないなら排除されるだけの話
信玄が耄碌する歳に成ればわからないがそこまで生きないし、それはまた別の話
>>861
何を言いたいかわからない、武田の動向を無視して今川の中央の戦略を語れるのか?
そもそも武田が天下を取る話など一言レスの奴しかしていないが?
まぁ今の不毛な流れを切りたいのには同意するけど
0864人間七七四年
2008/02/07(木) 16:31:29ID:yeqJxa7Z0866人間七七四年
2008/02/07(木) 16:40:41ID:MrO43jNq三国のうちいずれかが他を圧倒する領土を得たらどうなるだろう
0867人間七七四年
2008/02/07(木) 16:50:40ID:2NfdhVsz個人的にはどうもならんと思うなあ。
同盟破ってまで大国を敵に回していくらかの領土を得るメリットがないもの。
友好なまま、織田豊臣に対する徳川みたいなポジに収まるんじゃないか。
ゲームじゃないんだから、そんな無謀なリスクを背負う意味がない。
浅井や明智なんてのは特殊な理由あっての事だろ。
0868人間七七四年
2008/02/07(木) 16:54:09ID:VLBPkDDt親今川派とか訳のわからない新語使うから脱線するんだお
0869人間七七四年
2008/02/07(木) 16:57:37ID:f7OkYwA4スレタイすら理解できずID真っ赤にしてる池沼2人は武田スレでやってこい
0870人間七七四年
2008/02/07(木) 17:38:40ID:nrBaBdkFだから、引き締めなければならないほど、嫡子幽閉っていうのは影響が大きいわけでしょ。
敢えてそんな手段を採らねばならなかったんだから、嫡子の義信が親今川ってのは相当な勢力。
0871人間七七四年
2008/02/07(木) 18:16:58ID:KPNl/NzC0872サイコメトリー
2008/02/07(木) 18:21:59ID:z8+EGYiR0875人間七七四年
2008/02/07(木) 18:49:01ID:2NfdhVsz信長が京都を抑えて将軍を蔑ろにしていたからこその出陣だし
その頃にはもう逆転できるほどの差ではなかったのでは。
そうでなくても上洛途上の今川の隙を狙う意味も利点もないし
武田自身まわりが敵で動ける状況じゃないし、なにより大義名分がない。
0876人間七七四年
2008/02/07(木) 19:40:08ID:RqevdFKHできた時とか、義昭による今川包囲網の時のことだろう。
この時期は、義元・氏康・信玄とも寿命が尽きる頃じゃないか。
破棄が有るとすれば次代だと思うが義信が今川と敵対するとは思えん。
0877人間七七四年
2008/02/07(木) 19:50:55ID:jS+mAhKX史実でもそうだが、同時に北条を敵に回すことだぜ。
0878人間七七四年
2008/02/07(木) 20:30:51ID:UXngNBFFかといって簡単に倒せる敵じゃないのは明白だろ。
氏康は病床にあって難局を迎える時期ではないはずなのに。
戦国時代はその名の如く多少のリスクを背負っても戦う時代だったんじゃないかな。
戦ってやばくなれば和睦すればいいや、みたいな節もある。
0880人間七七四年
2008/02/07(木) 20:32:57ID:UXngNBFFさんざん義昭の手紙を無視した信玄が将軍のことを考えて出陣したわけないだろ。
今川だって自力で天下統一するとなれば結局将軍と対立せざるをえない。
0881人間七七四年
2008/02/07(木) 21:20:25ID:1OWwNumwこれはたぶん
甲越同盟の布石
0883人間七七四年
2008/02/07(木) 21:32:59ID:D1FtxXHL周りが迷惑してるようだから気を使ってやめようとしたんだがね。
そっちがそういう気なら挑ませてもらおうか。
>>870
それで?普通お家騒動なんか起きればその大小に関わらず動揺するもの。
引き締めが起きるのは当然。その火種の義信を3年も生かしておいてやってるのは無視するわけ?
そんなに脅威ならさっさと殺すだろ。
ていうか相当な勢力とかいってるけどさ、その内訳あげられるわけ?
相当な勢力とかいってるんだからできるよね?
まさか守役の飯富や義信近臣程度で相当な勢力とかいわないよね?
0884人間七七四年
2008/02/07(木) 21:35:51ID:f7OkYwA40886人間七七四年
2008/02/07(木) 21:41:18ID://KWDLFq0887人間七七四年
2008/02/07(木) 21:42:14ID:5S/2oSOA飯富に関して勢力が大きすぎたから信玄に粛清されたという説もあるから、
飯富程度はないだろ。
次期当主の傅役にして信虎、信玄二代に仕えた武田の筆頭重臣だぞ。
0888人間七七四年
2008/02/07(木) 21:56:14ID:nrBaBdkF簡単に挑発に乗るのね。
お家騒動が起これば、動揺する。
そのとおりだね。
それが義信の存在が大きいってことでしょ。
殺したら余計同様するでしょ。
内訳って何?
誰かが言ってたけど、誓詞提出で罪を不問にする約束でしょ。
なら、もう旗頭がつかまってるんだから、親今川派は黙っちゃうよね、利害を考えて。
嫡子幽閉、誓詞提出これらこそがその影響の大きさを語ってるでしょ。
義信も多分お茶目さんじゃないだろうから、家中の様子見て行動はするでしょ。
まったく自分だけが孤立するなら、そんな実力行使に及ばないよ。
君が、そこまで義信がバカだというなら別だけどね。
0889人間七七四年
2008/02/07(木) 22:05:01ID:D1FtxXHLだから、義信の存在が大きかろうと小さかろうとお家騒動が起きれば
普通は家中は不安になるんだよ。ぶっちゃけ関係ないんだけけど。
その誓詞提出というがその願文の内容知ってるわけで?
その信玄のクーデター計画とやらは義信近臣たちによる信玄暗殺計画なんだけど。
信玄の信虎追放のような重臣層取り込みによるものじゃないわけ。
暗殺計画なんてものがあれば普通は幽閉されるでしょ。むしろ幽閉が甘いくらい。
その後3年に渡って信玄は義信生かして調停も着てるんだけど義信は折れなかったわけで。
それでその3年にわたってついにその親今川派とやらは行動できなかったと。
調停さえしてやれなかったと。結局其の程度の勢力だとしかいえんよ。
というかさ、君は予想だけでかたらないでさ、義信が誰をあてにして動いてたといいたいのか
明らかにしてもらえる?当時の信玄の主要な重臣で義信につきそうな奴なんか思いつかないんだけど。
まずそちらが言い出した以上挙げてもらおうか。
0890人間七七四年
2008/02/07(木) 22:11:32ID://KWDLFq>その信玄のクーデター計画とやらは義信近臣たちによる信玄暗殺計画なんだけど。
>信玄の信虎追放のような重臣層取り込みによるものじゃないわけ。
さも史実かのように言ってるな
0891人間七七四年
2008/02/07(木) 22:11:43ID:5S/2oSOAひたすら人に要求するばっかりじゃなく、
自分も自説を証明できる根拠を挙げてみたらどう?
デタラメや妄想を一方的に垂れ流しといて、反論されたら「じゃ証拠でもあるのか?」
という態度は最低だよ。
0892人間七七四年
2008/02/07(木) 22:14:24ID:D1FtxXHLでたらめや妄想なんていってないんだけど。
というかあると主張するほうが証明するのが筋だろう。
俺は聞かれたことには基本的に全部答えたろう。根拠も挙げてる。
これでデタラメとか言われる筋合いがないんだけど。
義信事件をどう見てもそんな相当な勢力とやらが関わってはいないんだよ。
だからあるといういうなら挙げてみろといっているの。
0893人間七七四年
2008/02/07(木) 22:15:55ID:D1FtxXHL一応資料に基づいたんだけど。義信事件の顛末は甲陽軍鑑を典拠とするが
それによるならそうなるの。
これ以外の適切なのがあったら挙げてみてくれ。
0894人間七七四年
2008/02/07(木) 22:19:56ID://KWDLFq史実の話をしているのなら
今川が衰退していたことと信玄派の行動が早かったことで
動こうにも動けなかったでおしまいなんじゃ
それはみんなの共通認識でしょ、
でそれを踏まえて義元が生きていた場合はどうなるかが最初の論点なんじゃ
0895人間七七四年
2008/02/07(木) 22:20:15ID:5S/2oSOA>俺は聞かれたことには基本的に全部答えたろう。根拠も挙げてる
過去レスを一通り見たけど、スルーしたりもするし、根拠も大して挙げてないよ。
武田が今川に三河攻めを提案したということも実際史実と合わないと指摘されてるし、
全部スルーした。
いつも自分に都合悪いことはすべて流してるから平行線のままだよ。
また10年長生きスレの流れを繰り返したいの?
0896人間七七四年
2008/02/07(木) 22:20:31ID:n+MoTcSr0897人間七七四年
2008/02/07(木) 22:25:56ID:D1FtxXHLいやスルーしてないって。
その後のレスで甲陽軍鑑は脚色を割り引くのが普通の資料だといってるでしょ。
その甲陽軍鑑にもとづく今川と武田の交渉内容は伊勢物語とかまで出てきてるから
全部鵜呑みにするにはいかないけど今川が織田と武田の関係で拒絶したといってるところとかは
うなずけるとちゃんといってるでしょうが。
そもそも義信事件では義信が信玄暗殺を計画したけど露見して
飯富と義信近臣と穴山当主でもない穴山信邦が捕まって切られ3年後に義信も死んだ。
ただそれだけ。これで何をあげろというの?どこに相当の勢力があるというの?
人にレッテルを貼るのはやめてくれ。
相当の勢力とやらがあるならあると主張するほうがだすのが筋。
0898人間七七四年
2008/02/07(木) 22:28:00ID://KWDLFqあとこれも実際のとこは微妙だよな
>当時の信玄の主要な重臣で義信につきそうな奴なんか思いつかないんだけど。
ついでに飯富も長坂も曽根もかなりの重臣だと思うがあと穴山信邦も
板垣甘利が衰退した当時の武田家だと
飯富長坂跡部浅利辺りは信玄というより甲斐武田家ではトップクラスの重臣じゃないかと思うが
0899人間七七四年
2008/02/07(木) 22:28:23ID:D1FtxXHL義信派というか親今川派とやらが武田の行動を掣肘できるほどの規模を持っているとは
到底思えないというだけ。
0900人間七七四年
2008/02/07(木) 22:29:35ID://KWDLFq訂正
飯富長坂跡部浅利辺りが信玄というより甲斐武田家ではトップクラスの重臣じゃないかと思うが
そのうち飯富の当主と長坂の跡取が関与は甲斐では影響力大きいと思う
0901人間七七四年
2008/02/07(木) 22:32:19ID:D1FtxXHL何が微妙なの。
おーい。
なんか誤解してないか?飯富はともかく、長坂と曽根はその当主じゃなくて「当主の息子」で
「義信つきの近臣」になっていた若い連中の長坂源五と曽根周防だよ。
こいつらは義信の近臣なのだから義信に同調してもおかしくないけど
当主でもない若年の近臣に大した力なんかない。それは穴山家当主でもない信邦にしても同じ。
穴山家当主の信君は信玄を支持しているし。
0902人間七七四年
2008/02/07(木) 22:33:25ID:yeqJxa7Z義信がどうなろが、あんたらの言う通りで良いから、このスレ出てくれ、頼むから。皆、今後はこいつら一切スルーしよう。
今後入ってきたら、別スレ立てるよ。
0903人間七七四年
2008/02/07(木) 22:37:02ID://KWDLFqないから詳細は不明でいいと思うが
そもそもいきなり暗殺ってのもな
浅井や最上みたいに強制隠居辺りが一番ありえそうだが
義信事件の顛末や信虎追放の部分は甲陽軍鑑でも信玄美化のため
信用が置けない部分だと思うが
年数の間違いは些細なことだろうけど
0904人間七七四年
2008/02/07(木) 22:39:42ID:D1FtxXHL若年の近臣に過ぎない長坂源五に大した力があるかね。
実際あっさり捕まって切られたし。
それから当時においては信玄が引き立てた連中が大きな力を持っている。
香坂は武田家最大の動員兵力で北信濃の差配を。
馬場美濃は中部信濃から飛騨越中方面を。内藤もいるし。
飯富の弟である後の山県もこの時期では侍大将格で信玄の信頼を受け
飯富の密告をする状態。ほかにも秋山とかいる。
この状況で正直義信派の面子は貧弱としかいいようがないんだけど。
0905人間七七四年
2008/02/07(木) 22:43:47ID:DBcnwLU10908人間七七四年
2008/02/07(木) 22:45:23ID://KWDLFqそりゃ史実の話でしょ、いつまで繰り返しているの?
>>901
微妙というのは史料的根拠ってのと
そもそも一度謀反を企てような人間を信玄の気分的にというかリスク的に
もう一度跡取に戻せるのかってこと?
そこまで対立した場合で後に和睦した例は・・・・・・
大抵親が隠居しかないと思う
ただの子ならともかく元服した嫡男はどこの家でもそれなりに力と独自の軍事力があると思うが
でないと親子での争いなんて起こせるはずないしな
0910人間七七四年
2008/02/07(木) 22:58:58ID://KWDLFq単純な軍事力なら信玄の引きたてた連中や外様衆の方が上だろうな
織田家に例えるなら義信についた連中は
元亀頃の佐久間(飯富)林新次郎?(長坂)平手(曽根)みたいな感じで秀吉とか光秀あたりが春日や馬場あたりで
まあ長坂の親のほうは林と違ってこの時期も武田家の中枢にいたろうけどな
でまあ武田家全体の軍事力からすればそこまで大きな力じゃないけど
上記の面々は武田家の本拠である甲斐国内に大きな力を持っているからは影響力は大きいと思うが
長坂弟が今福の養子だったりもして甲斐国内の横のつながりもある
それらも考慮すべき
0911人間七七四年
2008/02/07(木) 22:59:20ID:D1FtxXHLいや、一応長坂源五は死んでるはずなんだが…。
まあその後も生きてるとか言う説もあるね。
でもそうだとしたら義信事件で義信の為に死んだ奴は本当に少ないという事に…。
>>908
まあ調停したのは快川とかだしね。信玄もいくだけ言ってみるかという感じだったのでは。
改心するなら良しという感じで。
甲陽軍鑑に示される義信の兵力は80騎なんだけど。
これは香坂(450)・馬場(120)・内藤(250)と比べても
穴山(200)・木曽(200)・勝頼(200)と比べてもえらく少ないのだけど。
第一ある程度の軍事力程度じゃ大国武田の当主には太刀打ちできないような。
0912人間七七四年
2008/02/07(木) 23:01:15ID://KWDLFq兄を売ったという話は信憑性低いにしても
また春日の武田家最大の兵力ってのも実際はどうなんだろ?
0914人間七七四年
2008/02/07(木) 23:07:45ID://KWDLFq家康に至っては信康殺したのみで終わらせたぞ
まあ調停は振りかもね、家中を落ちつかせるための
ぶっちゃっけその兵力は当てにならないと思うが
0915人間七七四年
2008/02/07(木) 23:08:38ID:nrBaBdkFだからさ、そのお家騒動が起こるのは嫡子の影響力がでかいからだと言ってるんだ。
そして、義信は武田家の嫡子。
もう十分でしょ。
誓詞の内容がどう関係するのが説明して。
暗殺計画とは初耳だ。
詳しく、史実として実証できるレベルで論証して。
暗殺計画なんてあれば、それこそ逆に暗殺するべきだとおもうけど。
織田信勝のぶながみたいに。
嫡子を殺すのはそれこそ動揺するからね。
それに、今川の娘の婿を殺せば明確な宣戦布告になっちゃうよ。
親今川が調停に入らなかったというが、旗頭が抑えられてるのよ。
エアフォースワンって映画でも、神々の足跡って小説でも言ってたけど、大統領が身柄拘束されると、権限は全て副大統領に移行する。
それぐらい、統率者って大事なのよ。
信玄はそこを抑えて、逆に親今川はそこを押さえられた。
親今川の武田家家臣が下手に調停をして、信玄に疑われたら、自身も幽閉されちゃうよ。
折角誓詞だして安堵されたのに、そんな危険を冒すわけ無いでしょ。
義信があてにしてたのが誰か?
関係ないでしょ。
義信が当時の状況みて、「いける」と判断したから、企図したんでしょ、クーデターを。
すくなくとも、後世の本しか頼るものが無いわれわれよりは当時の家中の空気を感じてたと思うよ。
第一、自分は誰が見方するはずだ!なんていってないよ。
じゃ、暗殺説の論証と、その他数々の質問に答えてね。
今までのように、全部、根拠をもって。
おいらは寝るから。
0916人間七七四年
2008/02/07(木) 23:09:42ID:5S/2oSOAほとんど一族か親が甲斐武田家の譜代重臣。
次期当主に譜代重臣の嫡男や若手をつけるのはどこの大名もやること。
それにこの時期の武田だったら香坂の地位が飯富長坂浅利曽根とは比べ物にならん。
それで貧弱とか言うと偏見がひどすぎでしょう。
0917人間七七四年
2008/02/07(木) 23:09:42ID:D1FtxXHL貧弱。
信玄初期と違い当時の武田には飯富と互角かそれ以上の兵力を持つ重臣達が
たくさんいる。例示として>>911を参照。
そもそも飯富の弟の昌景も密告するような状態だし。
>>910
でも結局跡部も浅利も当時は信玄にべったり。
浅利なんか信玄の娘をもらい内藤の前に西上野の差配を任されていたほど。
長坂も結局息子の源五に加担しなかったし。義信付きの源五と信玄の重臣である虎房じゃ
温度差があるでしょ。これは曽根も同じ。加担してるのは息子だけという状況。
飯富もそもそも弟が密告するような状態だし。
0918人間七七四年
2008/02/07(木) 23:11:35ID:jS+mAhKX信玄が三国同盟を破棄して駿河に攻め込むことが有り得るか?って話でしょう?
なんでこんなに続くの。
ちなみに私の意見を述べると、武田家中において親今川勢力とやらが芥子粒の
ように小さい存在だったとしても、このIFでは信玄が今川を敵に回す可能性は
極めて低いと思う。
国力も対外状況も違いすぎる。
0919人間七七四年
2008/02/07(木) 23:13:42ID:D1FtxXHLちょっと逃げるのはやめてもらえる?
まずそっちが論拠あげるのが筋だろう。
義信派につくであろう重臣をちゃんと立証せい。
全部根拠も立証もしてない空想だけじゃないか。
そっちが答えないならこっちも答えないぞ。
空気だけで義信が動いたなら結局なんの宛ても無かったことになるだろう。
何を考えているのか。
まずそっちが立証しない限りこっちは答えないから。
0920人間七七四年
2008/02/07(木) 23:15:34ID://KWDLFq誓詞の内容は義信の件に関しては一言も書かれていないし、
家臣を安堵させるものでもないと思うが
まあこの誓詞を主だった家臣すべてから提出させた後に
義信が死んでいるから、何のための誓詞提出かは明らかだろうけど
0921人間七七四年
2008/02/07(木) 23:17:09ID:5S/2oSOA貧弱かどうかは兵力でしか判断できないのはゲーム脳としか言いようがない。
そもそも甲陽軍鑑の香坂450騎という数字自体微妙だし。
あと、長坂息子は加担したよ。実際見つかったし。
0923人間七七四年
2008/02/07(木) 23:19:26ID://KWDLFqあの例は怪しい
曽根昌世は駿河に逃れたけどな
あと
>でも結局跡部も浅利も当時は信玄にべったり。
こんなこと言ってるがだから何としか言い様がない、史実で失敗した抑えこまれたというのは
みんな知ってる
で、義元が生きている場合で義信事件みたいなことが仮に起きたとしたら
そいつらはどう動くのか?これがもともとの論点でしょ
0924人間七七四年
2008/02/07(木) 23:20:17ID:4YUS1hVX言い出した奴が悪いぞw
0925人間七七四年
2008/02/07(木) 23:22:20ID:DBcnwLU1お前、自分で論拠を示せと言っておいて相手が言ってきたら逃げてるとかって何考えてんだ?
自らも論拠を示したうえで、他人に要求するのが筋だろ。
0926人間七七四年
2008/02/07(木) 23:23:18ID:D1FtxXHL飯富の兵力に関しては書いてないんだよねえ。
でも800の兵力を動かしてる場面があるから
騎数にならすと200騎くらいか?
義信とあわせても280。二人あわせても香坂より低いよ…。
>>914
まあ目安にするにはこれくらいしかない。
>>916
それで親は動かず息子だけ先走ってる状態。
というか当時1565年においては香坂の地位は相当高いんだけど。
北信濃における名門香坂の名跡継承者にして北信濃における武田家最大の軍事拠点海津の主にして
北信濃の統括者。
第一ほかにも信玄に引き立てられた連中はいづれもこの時期では高い地位を持っている。
それらから見れば飯富と当主でもない長坂の息子と曽根の息子と穴山信邦がいるだけの
義信派は貧弱の一言。
0927人間七七四年
2008/02/07(木) 23:28:36ID:D1FtxXHLだからさ。長坂息子が義信近臣なんだから加担してるというのは何度も
いってるでしょうが。問題は親が動いてないという事なんだってば。
それで?その貧弱じゃないというのを兵力以外でどうはかれると?
なら武田における兵力の目安がほかにあるの?何気に甲陽軍鑑は最近見直されてるよ。
>>922
ちょっと待った。実際貧弱な陣容だから貧弱といったまで。
義信と飯富以上の力を持つ奴がごろごろいる信玄陣営に対して貧弱以外の言葉をどうあてる。
こっちは随分論拠出してきたろう。まだ認めないのか。
0928人間七七四年
2008/02/07(木) 23:29:53ID:5S/2oSOA>北信濃における名門香坂の名跡継承者にして北信濃における武田家最大の軍事拠点海津の主にして
北信濃の統括者。
武田は「甲斐」武田家。
信濃、それも北信濃の一国人の名跡を継いだ国境守備司令が甲斐源氏一門にして信玄、
信虎2代に仕え、信虎追放の首謀者にして武田の宿老の飯富を
「所詮兵力は少ないじゃんプケラ」と評してる時点で物知らなさすぎ。
あと、飯富の兵力を引き継いだ山県は確か500騎だったと思う。
0929人間七七四年
2008/02/07(木) 23:35:48ID:D1FtxXHLだが史実における義信派の陣容が大した力を持ってないことをいつまでも>>915
とかが認めてくれないんだっての。
こっちだっていい加減移りたいわい。
>>924
つか最初に武田における今川派が大きな存在とか言い出したのがいたからそれに反論したんだが。
その理屈なら俺は悪くないわな。
>>925
>>915のどこが論拠示してるの。
とどのつまり「義信が謀反を狙ったのは空気を読んでいけると思ったから」って
いってるだけだぞ。これは結局義信派とやらに大した力がない事を自分で認めてるようなもんだろう。
こんな調子で論拠挙げずに空想だけあげられてどうすんの。
それから義信事件の顛末については甲陽軍鑑を典拠としてるといってるだろう。
当時における義信事件を詳述してあるのはこれしかないんだよ。
0930人間七七四年
2008/02/07(木) 23:36:50ID://KWDLFq800の兵力は1553年の話だな
>というか当時〜
でも甲斐での影響力はそこまででもない
また多くの重臣の本領も甲斐にあって春日や内藤らは外様の同心衆を多くつけられているだけって
見方も出来るし、まあ本能寺後の滝川みたいになるとは言わないし、思わないが
あと言うなら武田家の政治の中枢と言えばこの時期は春日よりは
やっぱ跡部長坂あたりが上なんじゃ、発行文書も多いし
単純に文書の量だと金丸も多かったかな
0931人間七七四年
2008/02/07(木) 23:39:44ID://KWDLFq論拠って言っても
みんなが知っているようなことだしなー
問題は義元が生きていて且つ義信事件が起きた時にどうなるかじゃ?
それとも史実の1565年に義信謀反を成功させるには?とか勝算はあったか?
みたいな話がしたいの?
0932人間七七四年
2008/02/07(木) 23:40:29ID:D1FtxXHL人を物知らないという割には随分主観的な事で。
その宿老以上の力を持っている人間がごろごろいてそいつらは信玄に引き立てられ
信玄を支持してる状態。それで飯富は一体どうするわけで?戦になれば
まず間違いなく飯富は潰されるぞ。それがわかってたから暗殺を狙い露見したら
すぐ捕まったんだろうよ。
山県は飯富の兵力を引き継ぐ前から侍大将として300騎を預かっていたはず。
となると飯富の兵力は200騎か。弟より少ないな。
0933928
2008/02/07(木) 23:40:53ID:5S/2oSOAまさか10年スレ厨がここで暴れるとは・・
誰か退治してくれ
0935人間七七四年
2008/02/07(木) 23:41:57ID://KWDLFq>山県は飯富の兵力を引き継ぐ前から侍大将として300騎を預かっていたはず。
>となると飯富の兵力は200騎か。弟より少ないな。
その時点で少しは疑えよ
0936人間七七四年
2008/02/07(木) 23:51:31ID:D1FtxXHLでも結局の所、長坂の息子は加担したけど親は動いてない。跡部も信玄支持。
甲斐の中枢に位置する穴山や小山田も信玄支持。後は土屋もこの頃には文書発給してたような。
軍事力でいうなら外様衆親族衆が控え義信派を圧倒。
この状態で義信派が相当の勢力とは……。
>>931
その皆が知ってるような事を知らないで要求してくるような人もいるわけで。
いや全然。とりあえずね、史実において義信派は大した力をもってないと
その事を承認してくれるともう十分なんだけど。
0937人間七七四年
2008/02/07(木) 23:56:40ID:D1FtxXHL人をコケにしてばかりで最後はレッテル張りとかやめてくれ。
俺は史実における義信派が大した力を持ってないことを理解してもらえれば十分だ。
というかもうここまで話せばわからないかい?
>>935
香坂450騎とかある状態なわけで。
甲斐一国で土地を分け合ってるより広い信濃で領地もらえれば動員兵力も上になると言うことでしょ。
山県には信玄の引き立てもあるわけで。
というか飯富の200騎も穴山200騎と小山田200騎と同格だからけして低いわけじゃないんだけど。
0938人間七七四年
2008/02/08(金) 00:01:31ID:J1DZ+P5V土屋じゃなく起請文提出時はまだ金丸
だから大した力というのが、史実で政権を奪うほどではなかった程度というのであれば
その通りだと思うよ、つかそんなことが言いたいのなら最初から絡まなきゃいいのに
0939人間七七四年
2008/02/08(金) 00:06:57ID:PmkaGgjQ俺も正直ここまで長引くとは思わなかった……。
あんたもいっているとおり史実の義信派が相当な勢力といえるようなもんじゃない
というのは認知されてるもんだと思ってたよ。
だから説明してけばあっさり納得してもらえると思ってた。
それを踏まえたうえでIFが進めばと思ったんだよ。はあつかれた。
0940人間七七四年
2008/02/08(金) 00:09:28ID:J1DZ+P5V相当に関する認識が異なっている
で自分は史実じゃ政権を奪うほどではなかったが相当な勢力と思っている
0942人間七七四年
2008/02/08(金) 00:16:57ID:PmkaGgjQとりあえず結論は出たみたいなので退出する。
0943人間七七四年
2008/02/08(金) 00:17:22ID:J1DZ+P5V>>939
というかおまいが一人で延々と話をループさせてるみたいに見えるが
0944人間七七四年
2008/02/08(金) 00:19:53ID:9osYiuh00945人間七七四年
2008/02/08(金) 00:20:10ID:PmkaGgjQループさせていたつもりは無かったんだよ。
というか同じ内容を聞いてくる人が多くてね。それに答えると同じ内容になって
ループが続いてしまっていた。はあつかれた。それでは。
0946人間七七四年
2008/02/08(金) 00:22:37ID:ZXjg23aV0947人間七七四年
2008/02/08(金) 00:36:48ID:J1DZ+P5V気を配る必要はなかったのか、それなりに気を配ったんじゃない?
勝頼は直接の孫・子じゃないのでいまいちその縁を使えなかったのか
織田の影響力が強くなり過ぎていたのかいまいち成果が見られないように思えるが
0948人間七七四年
2008/02/08(金) 00:37:13ID:QhD++pLZ暴れまわっておいて、疲れたも糞もねーわな。
馬鹿すぎる。
0949人間七七四年
2008/02/08(金) 00:44:58ID:IcqP61FIつーかその話はもういいだろ
またその話題は馬鹿すぎる
0951人間七七四年
2008/02/08(金) 00:50:14ID:EJfwi7dcそこで妄想なり貧弱貧弱貧弱なり好きなだけ書け。
0952人間七七四年
2008/02/08(金) 01:39:56ID:4DyWTJz2美濃・尾張・伊勢・近江など周辺大名の動きはどうなるかな?
今川が尾張侵略する時点で斉藤家の動きとか
0954人間七七四年
2008/02/08(金) 01:50:30ID:J1DZ+P5V斉藤に関してはまず義龍は1561年で死亡は確定
信勝との婚姻は今までの話し合いだと有るってことで
次に道三と義龍の争いは起こるか否か、それ次第じゃ
まあ親子の争いが起きたら、史実通り義龍は道三討った後は国内固めるのに忙しくて
安定した頃には死亡して、龍興があとを継ぐ
その場合だと尾張に関与するのは困難じゃないかと思う
0956人間七七四年
2008/02/08(金) 09:27:53ID:4gXBSyy2天下取りだけ議論しようか。
たけだうえすぎいまがわおだほうじょうだてもうりしまづなんかは厨多過ぎ。
0957人間七七四年
2008/02/08(金) 10:10:57ID:6sEf2ha6北条は何が何でも、三国同盟を破棄して、西上野に出兵すると主張した人間が、このスレにいたが、
その彼も、自分の主張を繰り返し、相手の質問には、一切答えなかった。
相手に質問だけして、相手が答えに詰まると(イフの歴史を語ると、確実な史料なんかない)、相手は間違っていると決めつけてかかるような奴だった。
昨日のは、ひょっとして同一人物。
0958人間七七四年
2008/02/08(金) 10:10:59ID:b8imvZC4空気の読めなさっぷりはどっちもどっちだろ
隔離スレでも作って気の済むまで二人でやってろよ
0959人間七七四年
2008/02/08(金) 10:27:54ID:htJp2cUK無駄にループする。
0960人間七七四年
2008/02/08(金) 11:10:23ID:caNzQ5in越後上杉及び北陸の大名 冬季には積雪が防衛の役割を果たす
小田原北条 堅固な小田原城により防備を固める
四国長宗我部 海で他の地域と隔てられる。土地そのものが攻めるほどの価値なし
九州、奥州の大名 ゲーム脳で考えなくても防衛は他の地域に比べて比較的容易
これらに比べて東海から近畿にかけては平坦な地が多く、土地も豊かなので
攻められやすい。攻められないためには常に強大化する必要が生ずる。この
ことから信長がいなくても新たな天下人はやはり東海から畿内に登場した可能性
が高いとみた。
0961_
2008/02/08(金) 12:29:04ID:/mM7p7ud石山本願寺が天下を取っていただろう。実際、石山本願寺に
滅ぼされ、一向宗の自治区となっていた国もある。家康は
信長に乗っ取って、宗教と武装の分離を推し進めただけ。
信長がいなければ、宗教と武装の分離は行われず、
戦国大名は、本願寺の動向に恐れながら日々を送るはず。
信長のように、石山戦争で勝てる大名はおらんということだ。
0962人間七七四年
2008/02/08(金) 12:36:27ID:aeD/qRGn徳川が三河一向一揆と戦ったしその後見事に無力化させた。
上杉も越中一向一揆と戦って勝った。
さらに昔だと細川晴元も山科本願寺を焼き討ちして一向宗の勢力を抑えようとした。
もう少し一向一揆を調べてみればいろんな事が分かるよ。
0963人間七七四年
2008/02/08(金) 13:30:48ID:/JEi1xSX0964人間七七四年
2008/02/08(金) 14:49:53ID:6j/7hf8j結局、謙信を倒すのは不可能だよな
謙信は野心がない、でもとんでもなく強いんだよなw
つまり越後と組めるところが大きく飛躍することになるんだろう
0967人間七七四年
2008/02/08(金) 18:50:04ID:uqImtp5rと思うほど両家の評価が高いけど、仮にどちらが甲信越を統合してたらかなり有力かな?
どちらが完勝する可能性はあったのだろうか
0968人間七七四年
2008/02/08(金) 18:59:06ID:aeD/qRGn地理的環境は致命的だから、信長みたいに本拠地を有利な場所に変えなければ山か雪かに閉ざされて終わりだが、
あの二人が本拠地を変えるとは思えないので無理。
0969人間七七四年
2008/02/08(金) 20:18:23ID:uqImtp5r室町末期のあの時代に本拠地移転に踏み切れる大名家はあったのだろうか?
地理的条件や経済的条件を考えると三好と毛利が盟約を結べれば最有力か
0970人間七七四年
2008/02/08(金) 23:26:00ID:366sYiMi0971人間七七四年
2008/02/08(金) 23:51:35ID:nxQwsKJs長尾家当主になったときに。
信長が征服したての岐阜に移ったのは確かに少々異例だけど、
そんなに重大視するようなことじゃない。
0972人間七七四年
2008/02/08(金) 23:58:47ID:EJfwi7dc両家の立地が天下を取るのにあんまりにも不便だから。
武田は最低限駿河に移さないといつまで経っても山奥の田舎大名に過ぎん。
0973人間七七四年
2008/02/09(土) 00:04:21ID:uUwZeixc天下は見えてくるが、まぁ無いなw
0974人間七七四年
2008/02/09(土) 00:05:16ID:ONzcvEDQ信濃・上野方面が手薄になる。
0975人間七七四年
2008/02/09(土) 00:11:10ID:REkrVhHN甲斐信濃上野が気になるなら天下はあきらめるしかない。
0976人間七七四年
2008/02/09(土) 00:24:38ID:ONzcvEDQ100kmやそこらの距離を過大評価しすぎだ。
0977人間七七四年
2008/02/09(土) 00:28:15ID:ONzcvEDQ別に駿河が本拠でも信濃くらい押さえてはおける。
とは言え、戦略的に正しく評価すれば、
甲斐はあの時点での武田にとって最も都合の良い拠点だったと言える。
0978人間七七四年
2008/02/09(土) 01:38:13ID:REkrVhHN0979人間七七四年
2008/02/09(土) 02:20:36ID:R7pS0KkLあ、北条家が韮山から小田原へってのがあったか?
0980人間七七四年
2008/02/09(土) 02:25:19ID:4DFm3UvCそれによっては秀吉も該当するけど
0981人間七七四年
2008/02/09(土) 02:35:03ID:7FlF314K北条も氏政が江戸支配を強化したり
伊達晴宗が伊達から米沢に
秀吉は一応山崎から大坂、そして伏見?なんじゃ
国単位だと少ないな、そもそも数カ国支配の大名ってそう多くないし
0982人間七七四年
2008/02/09(土) 02:54:10ID:iUPkAaGl本拠地を変える例は多いが国単位となると、
そもそも複数の国を支配した大名が少ないからねえ。
0983人間七七四年
2008/02/09(土) 04:23:36ID:mTUoC4xq0984人間七七四年
2008/02/09(土) 07:02:22ID:mUbsDigh武田の場合は、諏訪は一応降伏って形だから、領地を安堵しないといけないんだよな
武田の場合、ほとんどがこの降伏だから、いつまでたっても本拠地の移転はできない。
ちゃんとした征服地を持たないと厳しい。
0985人間七七四年
2008/02/09(土) 08:03:50ID:REkrVhHN例に挙がった駿府や深志など、どれも征服地。
つーか、晩年の信玄が上洛にこだわるのなら、
さっさと駿府に移転すればよかった。
あと、信長の美濃攻略が力攻めではなく調略がメインだったから、
武田の信濃攻略とあんまり変わらん。
周りから大勢力が介入しなかったから割と短時間でできた。
信玄も上杉が介入しなければ1553年で信濃攻略がほぼ完成。
0986人間七七四年
2008/02/09(土) 08:48:01ID:ONzcvEDQ駿府へ移動するのはデメリットの方が大きいと思うよ。
0987人間七七四年
2008/02/09(土) 09:04:32ID:REkrVhHN信玄が本気で上洛を目指すなら上杉対策(和睦などで短、中期を抑える)をして、
駿河に移すべきだと思うが、上杉対策は無理なら上洛自体は無理。
史実のように一向一揆を仕掛けてその短の間で上洛できても長期は無理。
まあ、あんまり武田にこだわってるとまだ誰かが出張ってくるからやめておく。
0988人間七七四年
2008/02/09(土) 09:08:14ID:ONzcvEDQそれに、甲斐から京は一回の遠征で十分行けるし。
京を取ってから移りゃ十分でないの。
0989人間七七四年
2008/02/09(土) 09:40:20ID:REkrVhHN一回の遠征と言っても数か月で達成できるわけじゃないし、
長期間本国を留守になると本拠地移転と同等以上のリスクになる。
京を取ってからと簡単に言うけど、まさか武田の兵はみんな疲れ知らずのスーパーソルジャーで、
戦いになれば無双みたいに敵兵をバタバタなぎ倒すとは思ってないだろうな。
0990人間七七四年
2008/02/09(土) 10:03:03ID:mTUoC4xqやたら、デメリットを主張するけど、具体的にデメリットって何?
0991人間七七四年
2008/02/09(土) 11:14:26ID:dkDjGlRIもう武田「だけ」別スレ作ってやれないか?
0992人間七七四年
2008/02/09(土) 12:07:33ID:uUwZeixc甲斐を中心として成立しているシステムを再構築しなければならないので金がかかる、
武田領の交通の要である諏訪から遠くなる、よって信濃北部上野飛騨への影響力減少
甲斐諏訪間の棒道等の街道整備が半ば無駄になる、諏訪駿河間も同等の大規模街道整備が必要になる
駿河より甲斐の方が若干大国
甲斐本国衆の既得権益が減少するので反発が予想される
本国で国人に蠢動されても困るので征服したての駿河国人の懐柔をより強固に進めなければ成らない
本国化なら甲斐から連れてきた家臣に土地をより与えなければ成らないので在地国人との調整が困難
武田宗家領を分けたら本末転倒
甲斐に残る小山田等の比較的独立性が高く強力な軍を持つ国人の押さえが緩くなる
駿河に移ったら東海道への野心が丸判り、史実の信長の様な油断してくれなくなる
とかじゃね?
本拠地までは移転しなくても侵攻用の仮大本営を構築してそこを中心に政務を執ることは
多くの大名がやっているし
領土が広大になり従来の本拠地が不便になれば誰でも移転するだろうし、
その頃にはその力も備わってるだろ
本拠地を転々とした信長や正宗が特殊なだけで本拠地移転はたいした条件じゃない
武田が本拠地移転するほどの大勢力になることもないからもういいだろ
0993人間七七四年
2008/02/09(土) 15:59:29ID:LnLA5YD40994人間七七四年
2008/02/09(土) 16:24:50ID:LnLA5YD4「神奈川を制する者は全国を制す」・・したがって北条だったと思う。
源頼朝しかり、また家康も結果的に関東の覇者でありえたことによって
天下を取れた。
関東武者の団結・忠誠心勇猛さ、関東平野の生産力、経済力、人口、
そして中央とのほどよい距離感。
今川が上洛した後、畿内勢力、毛利、島津、チョウソカ、武田、上杉
一向宗なんかがスッタモンダやりあってるのを尻目に、ひとり
領国経営に精を出し国力を蓄え、皆が潰しあいきった最後にドン、と
出て行くくらいの芸当ができるのは、盤石な防衛力を持つ小田原だけ。
家康の戦略と同様、待ちに徹して天下に手をかけられたのではないか。
史実でも結局最後まで落とされなかかった=単体大名としては
戦国当時軍事・経済の総合力で最も安定して強かったと考えられるし。
0995人間七七四年
2008/02/09(土) 16:30:40ID:VTrWUO/B時勢読めずに自滅したのだがな
0996人間七七四年
2008/02/09(土) 16:32:44ID:LnLA5YD40997人間七七四年
2008/02/09(土) 16:59:08ID:FsvEJ00R氏康から以降は時勢を読めずに自滅したからな。
相手が誰かは関係ない。政治能力的な資質の問題。
0998人間七七四年
2008/02/09(土) 17:06:21ID:LnLA5YD4つーか小田原VS全国連合軍という事態自体が生じない群雄割拠のまま
1600年以降も推移すると思われるじゃん。信長なかりせば。
0999人間七七四年
2008/02/09(土) 17:22:14ID:84N8UZuiあそこまで大勢力になってしまったら包囲網を作るなどして
対抗する事はもう不可能で、選択肢としては秀吉に下る以外に無かった筈。
全く同じ局面にはならなくても、重要な場面で明らかに誤った判断を
してしまったような勢力が天下を取れるとはとても思えない。
1000人間七七四年
2008/02/09(土) 17:23:44ID:zDEwe2z610011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
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