織田信長は日本最高の過大評価3
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年
2007/09/09(日) 20:51:37ID:VmkhcRjKhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1184764790/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156136876/
0002人間七七四年
2007/09/09(日) 20:52:40ID:VmkhcRjK49歳という、いいところで死に過ぎた。
もっと長生きしていれば、今ほど人気は無かったでしょう。
異常なスピードで性急に勢力を拡大したのはいいが、
慎重さを欠いて最後には殺されたワンマン指導者以上の存在でしかない。
0003人間七七四年
2007/09/09(日) 21:00:21ID:7lJMEDdd上の三行と下の二行は言ってる事が矛盾してるだろ。
死んで良かったのか悪かったのかどっちと言いたいんだ。
0004人間七七四年
2007/09/09(日) 21:14:17ID:qt7SEhxU1000ギリギリまで議論続いたスレなんて昔の竜馬スレ以来見てないよ。
あと、感状って、江戸期に捏造されたのがやたら多いらしく(祖先が褒められたってのは自慢になるからね)、
史学的にはちょっと信頼性は低いみたいだよ。
0005人間七七四年
2007/09/09(日) 21:15:29ID:DWaAi2yj1位織田信長 1619票
2位坂本龍馬 1471票
3位徳川家康 1299票
4位豊臣秀吉 1184票
5位聖徳太子 1174票
6位マッカーサー 965票
7位源頼朝 956票
8位ペリー 869票
9位西郷隆盛 816票
10位徳川慶喜 720票
信長秀吉家康以外の顔ぶれを見ると、今の評価も妥当かな と思う
ちなみに11位は勝海舟で12位は新撰組
0006人間七七四年
2007/09/09(日) 21:19:58ID:DWaAi2yjNTV 2006.05.07放送
1位 織田信長 (大友康平)
2位 坂本竜馬 (内藤剛志)
3位 エジソン (片岡鶴太郎)
4位 豊臣秀吉 (丸山和也)
5位 松下幸之助 (藤村俊二)
6位 徳川家康 (照英)
7位 野口英世
8位 マザー・テレサ (蓮舫)
9位 ヘレン・ケラー
10位 土方歳三
11位 西郷隆盛 (小川直也)
12位 ダイアナ元妃
13位 アインシュタイン
14位 美空ひばり
15位 福澤諭吉
16位 アンネ・フランク
17位 ナイチンゲール
18位 吉田茂 (林家正蔵)
19位 ウォルト・ディズニー
20位 ベートーベン
21位 源義経 (金子貴俊)
22位 アイルトン・セナ
23位 レオナルド・ダヴィンチ
24位 手塚治虫
25位 ナポレオン (大木こだま・ひびき)
26位 聖徳太子
27位 ジョン・レノン
28位 諸葛亮孔明
29位 宮本武蔵 (須藤元気)
30位 尾崎豊
ttp://www.geocities.jp/shakmie/ntvijin060507.html
0007人間七七四年
2007/09/09(日) 21:21:32ID:DWaAi2yj信長よりも順位が疑問視される人物が山ほどいるので、信長の評価自体はそう間違っていないだろ
0008人間七七四年
2007/09/09(日) 21:41:09ID:m98mBkq00010人間七七四年
2007/09/09(日) 23:03:07ID:RVIlLOQQ実際にイケメンだと思われてるのは沖田総司だろ。
現代の感覚で言ったら写真見てもそこまで男前じゃないし。
こういうアンケートでは大抵女は女を選ぶんじゃないの?
0011人間七七四年
2007/09/09(日) 23:31:40ID:N/Zbc6ZFもっとも身近に一人はいるような、平均よりはちょっと上くらい程度だと思うけど。
まあそんなことよりも坂本龍馬が二位という事の方が納得できない。
0012人間七七四年
2007/09/10(月) 00:04:12ID:tZ9uVcqi>実際にイケメンだと思われてるのは沖田総司だろ。
沖田が好きなのは、妄想大好きな腐女子だけだよ。
実際、写真一枚残ってないので、妄想に頼るしかない。
>現代の感覚で言ったら写真見てもそこまで男前じゃないし。
まあ、個人の好みもあるしね。
俺は十分にイケメンだと思うけど。
>こういうアンケートでは大抵女は女を選ぶんじゃないの?
女でその人物の業績を評価する奴なんて、むしろ少ない。
小泉に熱狂していた女どもを見れば、それがわかるだろ?
0013人間七七四年
2007/09/10(月) 00:23:00ID:DUTKaTXu> 沖田が好きなのは、妄想大好きな腐女子だけだよ。
> 実際、写真一枚残ってないので、妄想に頼るしかない。
あくまで、イメージな。
土方が男前だったってのは、ある程度知識があるやつじゃないと知らないだろ。
> 俺は十分にイケメンだと思うけど。
この時代の人間にしては十分に男前だとおもうけど、
現代の女があの写真を見て「うわー、かっこいい」とは思わんだろ。
> 女でその人物の業績を評価する奴なんて、むしろ少ない。
そりゃそうだろ。
日本を統一したとか、維新で功績があっただとかどうでも良い。
だから、マザー・テレサだのヘレン・ケラーだのダイアナだのアンネ・フランクだの
ナイチンゲールだの、同姓で有名な人物を選ぶんじゃないの?
0014人間七七四年
2007/09/10(月) 01:41:24ID:tZ9uVcqi>土方が男前だったってのは、ある程度知識があるやつじゃないと知らないだろ。
テレビで何度も出ているから、そうでもないんじゃね?
>現代の女があの写真を見て「うわー、かっこいい」とは思わんだろ。
「偉人」、つまり歴史上の人物というのがポイント。
だから、キムタクは入っていない。
まあ、なぜか尾崎豊が入っているけど・・・・これは故人ということで入っているんだろうね、たぶん。
あと、尾崎信者は基地外が多いので、常識が通用しないのかも。
>同姓で有名な人物を選ぶんじゃないの?
人間の半分は女性です。
君の論理が正しいなら、女性の偉人が上位に食い込むはず。
0015人間七七四年
2007/09/10(月) 02:03:41ID:DUTKaTXu> テレビで何度も出ているから、そうでもないんじゃね?
普通の女はそんなテレビ見ないだろ。
> 「偉人」、つまり歴史上の人物というのがポイント。
対象は既に亡くなっている人だそうだ。
現代の感覚で写真を見てカッコイイと思わなかったら
それだけの理由でその人物に投票せんだろ。
> 君の論理が正しいなら、女性の偉人が上位に食い込むはず。
もちろん、偉人なんてものに全く興味が無く、
知っている名前を適当に挙げただけの人も多いだろう。
圧倒的に知名度の高い女性の偉人がいないから、票も割れるだろうしね。
投票の内訳も知らないし、ここでこんな事言っても仕方ないが。
0016人間七七四年
2007/09/10(月) 04:37:20ID:W1B/+1nK昔のヤワラちゃんとか
0017人間七七四年
2007/09/11(火) 12:08:50ID:MfpCMQBI0018中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
2007/09/11(火) 14:09:03ID:/H08vu1Vhttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c5/Toshizo_Hijikata.jpg
和服姿のは見つからんかったorz
0020人間七七四年
2007/09/11(火) 15:23:41ID:L50tz3Of運が良かった(悪かった)だけとかアホな理由は除外な
0021人間七七四年
2007/09/11(火) 17:12:17ID:YPiZilID沖田と源義経は記録に残っている面相を信じる限り、色男にはならなかったりする。
多分、薄幸な部分に注目した小説辺りが色男ということにしたんだと思うがね。
0022人間七七四年
2007/09/11(火) 21:26:49ID:xCFFpJmx0023人間七七四年
2007/09/11(火) 21:53:52ID:/7+vsdfO0024人間七七四年
2007/09/11(火) 21:55:23ID:7MDsVUNk0026Y ◆nzdGjBH722
2007/09/12(水) 22:38:16ID:9IbPH6S2用兵術とかそっちがシーザーならかなり+だが。
0027人間七七四年
2007/09/12(水) 23:27:44ID:Y2egbBXz現代はほぼ外見のみだからな…
0028人間七七四年
2007/09/12(水) 23:37:41ID:27JwGOTd0029人間七七四年
2007/09/13(木) 00:04:14ID:sSZ14Cyuだから人気ランキングなんぞ挙げても何の意味もない
昔から日本では志半ばで非業の死を遂げた人の人気が高い
織田信長、楠木正成、源義経、坂本竜馬、新撰組、山中鹿之助
0030人間七七四年
2007/09/13(木) 02:52:37ID:5MBb+5Hh神クラスじゃないと都合が悪い。
家康が糞尿垂れ流しながら逃げた武田騎馬隊を
江戸時代になって絶賛したように
何百年もかけて神格化したわけさ
0031人間七七四年
2007/09/13(木) 03:57:29ID:I9D48JQl小泉もそうだけど、強いリーダーシップを求めてるのよ。
今の日本人は。
0032人間七七四年
2007/09/13(木) 10:39:05ID:K3hvBW0q明らかに戦後の映画、テレビの影響だもんね。
そういう映像向きのエピソードも多いし。
ほんで戦後の価値観ともうまく合致するんだ、信長は。
最初に取り上げたのが大河ドラマというのはわかるんだが
次が、赤影、というのがね。
あのナレ〜ションは印象的だったけどな。
0033人間七七四年
2007/09/13(木) 12:09:28ID:tNZtU2dhすが、事実なのでしょうか。詳しい方情報を。
0034人間七七四年
2007/09/13(木) 12:50:59ID:Pf81/I+G今の教科書、歴史書、もしくは専門家以外は信用するな。
そして上記を疑うのは専門家だけでいい。
本当に正しいかどうかでなく、今の時点で正しいとされてるかどうかが重要。
0035人間七七四年
2007/09/13(木) 14:11:14ID:tNZtU2dh「上記を疑うのは専門家だけでいい」あなた何様ですか?屁理屈おたくは結
構。詳しいまともな方情報を。
0036人間七七四年
2007/09/13(木) 14:49:20ID:feuR7VO8それは長篠日記、という野史が出典
信長が三段撃ちを命令したくだりとか、織田徳川に数千の損害が出たと書いてある
が、甲陽軍鑑の捏造部分が丸写し同然でのっていたり(別の書状で戦場にいなかったことが確認されている長坂釣閑斎が、作戦会議で勝頼を煽ったことになっていたり)
信用性は信長公記等と比べ物にならないからあんまり相手にされてない
0037人間七七四年
2007/09/13(木) 16:27:40ID:tNZtU2dh有難う御座いました。36さんのように具体的な出典等で教えて頂けるまとも
な方だと有難いです。
0038人間七七四年
2007/09/13(木) 16:47:50ID:fv6Gwva0信長はあんま人気ないよ。特に最近は。
どっちかつーと、コーエーの影響で信玄・謙信のが凄いと思われてるし、
伊達とか真田とかのが人気ある。
0040人間七七四年
2007/09/13(木) 18:37:38ID:fv6Gwva0有名税みたいなもん。
むしろ伊達とか信玄とかが入ってるのが凄い。
0041人間七七四年
2007/09/13(木) 19:20:52ID:I2iDBcsoお前が何様だ?
帰り際に煽り残すほどハラ立ったのか?
0042人間七七四年
2007/09/13(木) 21:07:41ID:K3hvBW0q0043人間七七四年
2007/09/14(金) 06:12:07ID:d880ek06当時は下克上だし身分の移り変わりは激しかったと思うが
少なくとも自分より身分の低い人間に王座を奪われた人はたくさんいる
0044人間七七四年
2007/09/14(金) 10:10:11ID:N/EfpoEY通ぶりたい年頃なんだよ
0045人間七七四年
2007/09/14(金) 10:28:33ID:fwd4qxsA少なくともその理屈でいうと信長は家臣に殺された大勢の負け組み大名の
一人にすぎなくなるんじゃ。
0046人間七七四年
2007/09/14(金) 10:33:50ID:uXJawsCk0047人間七七四年
2007/09/14(金) 10:40:02ID:fwd4qxsA家臣に殺された人がいっぱいいるというなら
家臣に殺されなかった人がいっぱいいるのも事実なんだから。
0049人間七七四年
2007/09/14(金) 10:50:10ID:fwd4qxsA実際家臣に自分と嫡男ともども殺されて家は完全に衰退。
やがて嫡流も途絶えて残りは微禄で細々。
これと比べればまだ毛利や上杉のほうが勝ち組じゃない?
0050人間七七四年
2007/09/14(金) 11:05:38ID:WdeUjvYHそれはそれで一つの意見だろうけど。
話の流れとして繋がってないから。
要するに結果論で負け組だと思ってるってだけでしょ。
例えば天下を取った頼朝の血筋は数代で絶えたが、この時点でそちらの理屈でいえば究極の負け組み。
江戸期に残った大名家だって取り潰しや養子による乗っ取りに遭い、それを逃れても明治でおじゃん。
あんまし意味ない。
0051人間七七四年
2007/09/14(金) 11:09:30ID:fwd4qxsA頼朝はしっかり天下をとった後で基盤を固めて死に
その後で数代後に権力争いで嫡流が絶えただけだから。
信長は自分の代で自分の油断から家臣に嫡男ともども殺されて
織田家の基盤を完全に崩された。そしてその結果のっとられて
やがて微禄で細々生きる事につながった。
全然違うでしょ。
0052人間七七四年
2007/09/14(金) 11:12:07ID:WdeUjvYH違わない。
少なくともお前さんのレスを追っている限りは。
そうやって都合よく一部を切り取る一方、例を出せば範囲を広げる。
もしかしてアンチ信長さん?
だったら相手するだけ無駄っすかw
0053人間七七四年
2007/09/14(金) 11:14:29ID:zrT/VTyoバカなのか?
0054人間七七四年
2007/09/14(金) 11:14:52ID:fwd4qxsA都合よく切り取っているのはあんたじゃないか。
頼朝と当代で家衰退の原因をつくった信長は全然違うでしょ。
そうやって都合の悪いところだけ切り取って無視するのは
それこそあんたが信長厨なだけなんじゃないのか?
0055人間七七四年
2007/09/14(金) 11:23:48ID:Gn2//eTL信長が旧体制を打破したからこそ歴史の流れが動いた
真に歴史的な人物というのは、一面的な毀誉褒貶とは別に歴史そのものに影響を与え得る
目先の利得しか視野に無い人には理解しがたいんだろうけどね
0056人間七七四年
2007/09/14(金) 11:24:19ID:1sGFEkPcその結果は重要視しないといけないと思うよ。
少なくとも畳の上で死んだ秀吉、家康、この二人は特別だが、と比べるとよくわかる。
そしてこの二人の上司だった、ということからまず信長の結果論的過大?評価ははじまっているわけだからね。
0057人間七七四年
2007/09/14(金) 12:16:56ID:d880ek06その理屈なら秀吉だって負け組みだろ?
家臣の加藤や福島に裏切られて嫁にも裏切られたかも?
土岐○○だって家臣の斎藤道三に暗殺されて乗っ取られましたが
源義朝だって家臣の長田親子に殺されましたが
松平清康だって家臣に殺されましたが
0059人間七七四年
2007/09/14(金) 13:16:23ID:0j9eJl43過大評価されているっていう思い込みからか兎に角なんでもいいから過小評価にもっていきたいって奴が多いね
それって過大評価組とベクトルが違うだけで実像見てないって点では鏡に映った自分なんだがな・・・・・・
0060人間七七四年
2007/09/14(金) 13:29:57ID:UEDEvMUy“どういう事を行ってこようが、こういう問題があるから過大評価だ”などと
断ずるのはあまりに幼稚で世間を知らない人間の考え。
0061人間七七四年
2007/09/14(金) 13:42:18ID:fwd4qxsA自分の生存中は磐石で死んだ秀吉は信長とは違うでしょ。
後の3人は基本的に負け組みでしょ。実際家は衰退して滅亡寸前までいった。
子孫が超人的にうまくやってくれただけの話。
0062人間七七四年
2007/09/14(金) 13:47:26ID:fwd4qxsA>>56でも見たら?信長が天下統一のレールを敷いたというのも
結局織田家の力を速やかに継承し天下を統一して見せた秀吉あっての結果論
なんだから。
もし光秀が畿内を固めて各地が割拠状態になっていたら?
光秀がやられても織田家の主導権争いが長期化していたら?
結局のところ秀吉の活躍抜きには天下統一はありえない。
信長だけを見て秀吉は引き立てられなければ〜などといってその意義を過小評価し、
信長の存在を持って天下統一があった
ような言い方はそれこそ結果論的過大評価。
0063人間七七四年
2007/09/14(金) 14:33:02ID:UEDEvMUy俺がいつ秀吉を過小評価したのかw
俺は信長も秀吉も好きだ。
家康は嫌いだけど、秀吉死後の政治手腕は大したものだと思っている。
短期間での圧倒的な勢力拡大や大名の支配権の確立などは
彼の類稀なる決断力や行動力がなければ成し得なかった物。
彼の行った事績は部下に殺されたという一事を以って帳消しになるような物ではない。
秀次事件や大勢力の外様による二頭体制という不安要素が多かった豊臣政権などは
後世の人間から見れば秀吉の失敗と見る事も出来るだろうが、
そのような事で彼の事績が否定される物でもない。
何事も一事を以って全てを否定するなどというのは余りに浅薄な考え。
0064人間七七四年
2007/09/14(金) 14:59:39ID:fwd4qxsAそうかい。
俺も信長を一事でもって否定した覚えなんかないよ。
信長は戦国時代の英雄ではあるだろうさ。
でも結局の所「天下統一のレールを敷いた」「秀吉も家康も信長あってこそ」
というのはむしろ逆で秀吉、家康があったからこその結果論的過大評価だと
は思っている。
信長が光秀に息子ともども倒された後に秀吉がいなくて短期に混乱が収束されず
天下が再び群雄割拠になっていたら天下統一の行方はわからなくなっていた。
その場合信長は今のように「天下統一のレールを敷いた人物」ではなく
「天下を統一できる可能性をもったが挫折した英雄」として伝えられていただろう。
実際秀吉による継承と織田家の衰退を信長自身がとても望んでいたとは思えない事から
実像は後者に近いと思う。
0065人間七七四年
2007/09/14(金) 15:04:46ID:1sGFEkPc「秀吉、家康は信長あってこそ」これはまた別に検証されるべきと思うけど
それが出発点になってしまってるんだよね。
全く逆に、信長がいなくとも秀吉、家康はなんらかの型で世に出た可能性も高い。
もちろん生前の信長の事績はそれで評価されるべきだし、戦国武将としての力量も
冷静に評価されるべき。
ただ、秀吉、家康があんなにすごかったから「もし信長が生きていたらもっと〜」というのは
IFの評価でしかないし、信長の評価を根本的に誤らせてるもとにはなってるでしょうね。
0066人間七七四年
2007/09/14(金) 15:13:48ID:UEDEvMUyじゃあ>>49は何なんだ?
そもそも、何で一々秀吉や家康の事を引き合いに出すのか?
どのレスと混同しているのか知らんが、
俺にレスするなら俺の書いた内容について書けよ。
0067人間七七四年
2007/09/14(金) 15:20:17ID:fwd4qxsAつーかお前はそもそも誰だ。>>60が初見だと思ったんだが?
>>その人物が行った事績について過大であったかどうかを論ずるなら兎も角、
“どういう事を行ってこようが、こういう問題があるから過大評価だ”などと
断ずるのはあまりに幼稚で世間を知らない人間の考え。
とかいってきたから>>55みたいな視点から信長がいかに過大評価されてるかを
述べたんだが?
信長をお前さんがどういう視点で高く評価してるのかは知らんが天下統一の
レールを敷いた人物として評価してるならそれは結果論的過大評価だといってる。
0068人間七七四年
2007/09/14(金) 15:21:58ID:fwd4qxsAそれから>>49になんか問題あるのか?
俺は信長を戦国時代でいえば負け組みに属するとは思うが英雄だったことまでは
否定してないぞ。
0069人間七七四年
2007/09/14(金) 15:33:14ID:UEDEvMUyは?
何で>>60の内容が>>55と同意見になるのか理解できん。
俺は>>63で
> 短期間での圧倒的な勢力拡大や大名の支配権の確立などは
> 彼の類稀なる決断力や行動力がなければ成し得なかった物。
って言ってるだろう?
何をとち狂ってるのか。
お前にとって「負け組み」ってのは否定的な発言じゃないのかも知れんが、
一般的には立派に否定した表現。
負け組みの英雄ってか。すごいね。
0070人間七七四年
2007/09/14(金) 15:37:10ID:fwd4qxsAそもそも>>60でお前が自分がどうして信長を高く評価してるか述べなかったのが
問題だろうが。後々になって述べて変なこと抜かすな。
負け組みと英雄はまるで矛盾しないんだが?悲劇的に死んだ英雄なんてそれこそ
いくらでもいるんだが?
信長は英雄としてたたえられる能力を持ち事跡を残した、だが結局最後はつまづいて
負け組みとして終わった、ただそれだけのことだが?
この程度の事さえわからずに極端に断じる姿勢こそがお前の言うあまりに
浅薄な見方なんだがな。
0071人間七七四年
2007/09/14(金) 15:53:56ID:UEDEvMUy>>60では単純に一つの事でその人のその他の活躍を否定する事は良くないって事を言ったんだ。
それをお前が勝手に秀吉や家康の事と結び付けてきただけだろうが。
しかも、>>63で改めて信長の評価について書いたのに、
それでもしつこく>>64みたいなレスをしてきたわけだろう?
お前の「負け組」の解釈がどういうものかは知らんが、
家臣に殺されたから、家を残せなかったから等の負の要素のみで
判断するなら全ての人間が「負け組」になるわな。
そもそも「勝ち組」だの「負け組」だのという下らない表現で
歴史上の人物を評する事自体馬鹿馬鹿しい。
0072人間七七四年
2007/09/14(金) 16:02:17ID:fwd4qxsA最初俺がお前が評価書かずに書いてきたからわざわざ別の視点を例にあげて
書いてやったんだがな。その流れで話が進んでいるときにいきなり話を
もどすわけか。しかも秀吉や家康をしっかり絡めておいて。
随分勝手なもんだとは思うが>>63の視点でいうなら他にあこがれていい大名は
いるだろうよ。結局天下統一までいかずに終わった優秀な拡大的大大名の一人
なんだからな。三好長慶辺りもあこがれてみたらどうだ?
長々考えてその程度の言い訳か。戦国大名には立派に家を残し家臣にも殺されなかった
奴がいっぱいいるのにそれらを無視して全てを負け組扱いか。
随分都合のいい考えだな。歴史の人物を勝ち組負け組で分けるのがバカらしいって?
ならなんでお前はそれにこだわって引き合いにまで出してきたんだ?
逃げの言い訳はいい加減やめておけ。
0073人間七七四年
2007/09/14(金) 16:42:29ID:1sGFEkPc0074人間七七四年
2007/09/14(金) 16:46:29ID:UEDEvMUy> 最初俺がお前が評価書かずに書いてきたからわざわざ別の視点を例にあげて
一つの事で人を否定するのは良くないって意見で書き込んでるのに
何故「評価書かずに」とかなるのかが全く分からんが?
単純に勘違いした事を「例にあげて書いてやった」とか恥ずかしい事この上ない。
> その流れで話が進んでいるときにいきなり話を
「その流れ」も何も「信長がいなかったら〜」みたいな話は
>>60以前には>>55だけだろうが。
その後にお前が>>62で秀吉の事を出したから
俺が>>63でそれに答えたまでだ。
頭大丈夫か?
> 随分勝手なもんだとは思うが>>63の視点でいうなら他にあこがれていい大名は
桶狭間や美濃攻め、刀根坂、天王寺などで見せる決断力と行動力、
石山戦争や安土での楽市で見る大名権力の確立など
信長には他の大名に無い魅力がある。
もちろん、三好に魅力を感じる人が居ても否定せんがね。
> 長々考えてその程度の言い訳か。
ずっと張り付いてる訳にはいかんのだよ、普通の人は。
日本語の意味を良く理解してないようなので説明するが、
お前にとって「家を残した事」や「家臣に殺されなかった事」が
「勝ち組」となるようだが、そんな物はお前個人の解釈でしかない。
「歴史に名を残した」という事でも十分に「勝ち組」と言えるが、
それは後世の人間が言う事で、その言葉には何の意味も無い。
ちなみに俺が>>69「負け組」といったのは
お前の信長に対する否定的意見の例として挙げただけだ。
どこをどう見たら、その表現自体に拘ってるように見えるのか。
0075人間七七四年
2007/09/14(金) 18:02:09ID:3AjLPO6n0076人間七七四年
2007/09/14(金) 19:17:25ID:fwd4qxsA一つのことで否定するのが良くないならそれが否定されるべきことだったことは
認めるわけだな?俺も別に信長を全否定してるわけじゃないことくらいは
少しは理解できてるんだろうな?今までの文章を自分に都合のいいようにしか
とってないみたいだが。それであげくのはてには相手を恥ずかしいことこの上
ないとか抜かすお前の神経を俺は正直疑うよ。
頭大丈夫か?お前自身が>>60でそもそも具体的にあげないで寝言ほざいたから
わざわざ別の視点から過大評価の例を論じてやったといってんだろうが。
その流れというのは俺とお前のレスのことなんだが?>>60から>>63において
その流れでお前自身も家康や秀吉を例に出しておきながら突如として返せなくなれば
相手の言葉揚げ足とって一方的に押し付けるってか?寝ぼけるのも大概にしろ。
0077人間七七四年
2007/09/14(金) 19:18:11ID:fwd4qxsA信長には他の大名にない魅力があるって?なら他の大名にも信長にはない魅力があるな。
もっともそれでお前が信長に魅力感じるならそれは否定せんがね。
ずっと張り付いているわけにはいかないって?wそのわりには40分くらいで
もどってきたな。休日でもないにしては随分不規則なもんだな。
ほほう。随分話をそらしたいみたいだが
>>家臣に殺されたから、家を残せなかったから等の負の要素のみで
>>判断するなら全ての人間が「負け組」になるわな。
などと偉そうに抜かしておいて随分なざまだな。
どうやったらこの論調で
>>「歴史に名を残した」という事でも十分に「勝ち組」と言えるが、
>>それは後世の人間が言う事で、その言葉には何の意味も無い
負け組という言葉にムキになり執拗にこだわってこっちにわざわざレス番あげてまで
反問しあげくのはてには言葉につまれば価値観の問題にすりかえるわけか?
とことん寝ぼけてやがるな。そんなに価値観の違いというならそもそも
>>じゃあ>>49は何なんだ?
などと>>64で聞く必要もなかったはずだな?最初から価値観がそれぞれ違うだけ
といえばよかったんだから。相手にムキになって釈明を求め言葉尻つっついてる
だけで追い詰められて言い訳重ねてるとしか思えんな。
0080人間七七四年
2007/09/14(金) 20:50:36ID:zrT/VTyoまぁ落ち着け
0081人間七七四年
2007/09/14(金) 20:54:02ID:Wk6VGHik0082人間七七四年
2007/09/14(金) 20:56:28ID:3AjLPO6n0083人間七七四年
2007/09/14(金) 20:58:35ID:pE/LM172ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
ID:fwd4qxsA
0084人間七七四年
2007/09/14(金) 21:12:48ID:FpAlYkrP0085人間七七四年
2007/09/14(金) 22:37:31ID:UEDEvMUyなんか、もう言ってる事が滅茶苦茶だな。
冷静になってきちんと人の言っている事を理解しろ。
まず、>>60での俺の言いたい事は分かるか?
「その人のマイナス部分のみを挙げて、
人物そのものの評価を断ずる事は幼稚だ」って言ってるわけだ。
このレスのどこに具体的な例を挙げる必要性が感じられる?
それをきちんと説明してくれ。
0086人間七七四年
2007/09/14(金) 22:55:08ID:fwd4qxsA>>その人物が行った事績について過大であったかどうかを論ずるなら兎も角、
>>“どういう事を行ってこようが、こういう問題があるから過大評価だ”などと
>>断ずるのはあまりに幼稚で世間を知らない人間の考え。
これがお前さんの>>60で言っていたことだ。
>>その人物が行った事績について過大であったかどうかを論ずるなら兎も角
といってるよな?
>>“どういう事を行ってこようが、こういう問題があるから過大評価だ”というのは
NGなんだよな?お前さんの主張では。
でもそういいつつお前さんは自身が信長をどう評価しているかについては挙げてない。
だから俺はお前さんに対して一面だけで過大評価だといってるわけじゃないと主張する点に
おいて事例を挙げて説明しようとした。
だからこそ信長が一般には行ったと信じられている事績であり、現に>>55もそうだと
主張している「信長が天下統一のレールを敷いた」「秀吉、家康は信長あってこそ」
という事例に対して俺は過大評価だと主張したんだが?一面だけで否定してるんじゃないとな。
お前さんはそれに対していきなり突っかかってきたんだろうが。
しかも明らかに俺が信長を一方的に否定してるわけでもないことくらいわかるだろうに
さらに自分に関係ないレスがどうたらこうたらとわめきながら
わざわざ>>49をあげて「負け組の英雄なんておかしい」とか主張しつつ
それが矛盾しないと言われると「勝ち組負け組でわけるなんておかしい」とか
2転3転させてるから話が混乱したんだろうが。
0087人間七七四年
2007/09/14(金) 23:17:25ID:UEDEvMUy> でもそういいつつお前さんは自身が信長をどう評価しているかについては挙げてない。
具体的に信長の事を取り上げて>>60の内容を書いた訳じゃない事くらい分からないか?
マイナス面だけ取り上げて人を判断するなって事を>>60で書いたんだ。
お前は例に挙げただけだというが、
> ような言い方はそれこそ結果論的過大評価。
こんな書き方では、如何にも俺が秀吉を引き合いに出して信長を
偉大だと言っているとお前が指摘しているようにしか見えない。
0088人間七七四年
2007/09/14(金) 23:24:59ID:fwd4qxsA俺がそもそもお前に対してお前が一面だけで否定するなと抜かしてくるから
>>55のような主張を例として挙げて信長を過大評価だと論証している
ことくらいはいい加減わからないか?
これまでの俺の主張を見てまだ俺が信長をマイナス面だけ見て過大だと
いってると思うわけか?
お前自身がどう信長をとらえているかわからんかった以上俺は俺の観点から
どうして信長が過大評価だと思うかを説明していっただけだ。
お前の前にあった>>55の主張を引き合いにしつつな。
それをお前がいきなり被害妄想してきたから話がこじれたんだろうが。
事績について過大かどうか論じろといっておきながらお前はなんなんだ。
0090人間七七四年
2007/09/14(金) 23:36:16ID:fwd4qxsA信長のこと「だけ」ではなくても
信長の過大評価かどうかを論ずるスレでそんな書き込みをすれば
信長が主体と思われて仕方のない書き込みではあると思うがな。
そうじゃなかったのか?
後、俺が信長をいい加減一面的に否定してるんじゃないことは理解できたのか?
0091人間七七四年
2007/09/14(金) 23:43:46ID:UEDEvMUyマイナス面のみを取り上げてその人物を評価しようとする行為自体
を指して幼稚だと言ってるんだよ。
だから「信長」と書かずに「その人物」と書いてるんだろう。
順番にやっていくから、まずこれについて分かったかどうか答えてくれ。
0092人間七七四年
2007/09/14(金) 23:45:54ID:fwd4qxsAそんな事はわかっているから。
だから事例を挙げて過大評価だと長々説明してきたんだろうが。
それくらいわかれ。
0093人間七七四年
2007/09/14(金) 23:51:37ID:UEDEvMUyそうか。
じゃあ、
> でもそういいつつお前さんは自身が信長をどう評価しているかについては挙げてない。
お前はこう言うが、俺が>>60でそういった事を挙げる必要性が無い事も分からない?
> だから事例を挙げて過大評価だと長々説明してきたんだろうが。
だから順番にやっているって言ってるだろう。
0094人間七七四年
2007/09/14(金) 23:54:37ID:1sGFEkPc0095人間七七四年
2007/09/14(金) 23:56:54ID:fwd4qxsAだからな、必要性がどうとかいう問題じゃなくて
俺はお前が
>>その人物が行った事績について過大であったかどうかを論ずるなら兎も角
といったからこそ事例を挙げて過大評価だと説明したんだろうが。
一面的に否定してるんじゃないと。何度言わせるんだ?
それでいきなり被害妄想したり俺のレスがどうだのと的外れなこといって
噛み付いてきたからそんなにいうならお前が最初に事例を示すべきだったろうと
いってるんだよ。
0096人間七七四年
2007/09/14(金) 23:59:48ID:UEDEvMUyだから、それは後で説明するから先ず
>>60の時点で信長個人に対する事を言っている訳でも無いのに
信長の評価を書く必要性が無いって事は分かったのかどうか答えろ。
0097人間七七四年
2007/09/15(土) 00:02:24ID:fAtj7UYMはあ?明らかに信長に対する俺のレスに反発する流れの中で書き込んで
おいていまさら信長関係ないとでもいうつもりかよ。
散々信長について主体にしといて今になって信長個人じゃないからといって
逃げる気か?ふざけんな。
0098人間七七四年
2007/09/15(土) 00:05:10ID:nK00HLZCお前、>>92で「そんな事はわかっているから」って書いてるじゃないか。
分かってなかったのか?
それならもう一度>>91に話が戻るが。
0099人間七七四年
2007/09/15(土) 00:09:55ID:fAtj7UYMだから、お前のマイナス云々という事と信長個人のことをさしているだけじゃない
事はわかってる。だがそもそもあの流れでああ書き込めば信長のことを主体
にしてると思うのが自然だろうが。今になって信長に対することをいってるわけでも
ないのに、と逃げる姿勢が気に入らない。
お前だって信長を主体にして語ってたんだろうが。信長が過大評価かどうかを論ずるこのスレで
俺のレスに反発する流れの中で。
0100人間七七四年
2007/09/15(土) 00:21:35ID:nK00HLZC> お前のマイナス云々という事と信長個人のことをさしているだけじゃない
> 事はわかってる
これと
> だがそもそもあの流れでああ書き込めば信長のことを主体
> にしてると思うのが自然だろうが
これは完全に矛盾してるんだけど。
一体どっちだよ。
信長個人の事を言ってる訳では無いって事が分かってるなら、
>>60で信長個人の事を挙げる必要が無い事も分かると思うんだが。
0101人間七七四年
2007/09/15(土) 00:28:15ID:fAtj7UYMだ・か・ら。
信長個人だけをさしているわけじゃない→だからといって信長が含まれてないわけじゃない
このスレで俺のレスに反発する形で書き込んだ以上お前のレスは
明らかに俺によって一面的に否定されている(とお前が思い込んでる)信長を
主体にして使ったんだろうが。他の全ての人間に適用しうるとお前がいいつつも
実態は俺のレスに対する否定のために使ったにすぎないわけだ。
後段については>>95を見ろ。もう何度繰り返してる事やら。
お前が変な被害妄想して噛み付いてこなきゃすんだ話だろうが。
0102人間七七四年
2007/09/15(土) 00:43:06ID:nK00HLZCじゃあ、分かってないじゃないか。
俺が批判したのは、「行為」そのものについてだ。
もう一度>>91を読め。
例えば信長以外の人間について、同じようにマイナス面のみを
挙げて評価しているような場合についても幼稚な行為と批判するという事。
信長「個人」だとか「含まれる」だとかそういう問題じゃないの。
分からない?
0103人間七七四年
2007/09/15(土) 00:49:25ID:fAtj7UYMあのね…だからそういってあの時実態として信長を一面的に否定してる
(とお前が思い込んでる)俺に対するレスとして使ったんだろ?
何度言わせるんだ?そうじゃなかったとでもいうつもりか?
あの時の俺のレスを肯定できるのか?少なくとも俺は肯定されてオッケーだがな。
肯定できるならそもそも何の問題もなく話は終了だろ。
いい加減>>95のことは認めてもらえるわけで?これ以上逃げ回られてもうっとおしいので
こっちも攻めさせてもらう。
0104人間七七四年
2007/09/15(土) 00:53:13ID:fAtj7UYMそもそもなんで俺が信長を一面的に否定してると思ったんだ?
どうしてそういう「行為」をしたと思ったんだ?
俺は信長は部下に裏切られて家衰退の原因を作ったのは戦国大名としては
マイナス点だといってるだけだし、頼朝とも全然違うといっただけだぞ?
信長が部下に裏切られて死んで家衰退の原因を作ったのはマイナスじゃないのか?
まずそれについて聞かせてもらおう。いい加減お前さんのにげ口上は飽きた。
この問題はまずこれに対してお前さんがいった事が的はずれだったかどうかも
大切なのだから。
0105人間七七四年
2007/09/15(土) 00:57:37ID:fAtj7UYM後はお前さんご執心の「負け組」問題か。
これについてはお前さんの主張が2転3転してるのでお前さんが触れない
限り触れない。
0106人間七七四年
2007/09/15(土) 01:04:17ID:nK00HLZC> あのね…だからそういってあの時実態として信長を一面的に否定してる
> (とお前が思い込んでる)俺に対するレスとして使ったんだろ?
そうだ。
だが、批判しているのはマイナス面のみで人物そのものを評価するという行為そのもので、
その対象が信長であるかどうかは関係無い。
俺は先ずお前が>>60について理解出来ていなければ話にならないので、
順番に言っているだけだ。
物事には順序がある。
いきなり連投するのはただの荒らしだ。
0107人間七七四年
2007/09/15(土) 01:09:05ID:fAtj7UYMとりあえず最初に>>104を見てもらえる?いい加減お前さんの逃げ口上には飽きた。
なんで俺がそういう「行為」をしたと思ったんだ?
信長が家臣に裏切られて死んだのはマイナスじゃないのか?
これについてまず応えてもらえるか?これについて否定できないなら
俺が一面的に否定したと立証できないならこの話はそもそもお前の勘違いだったで
終了だ。
0108人間七七四年
2007/09/15(土) 01:17:24ID:nK00HLZC俺は順番にやっていると言ってるんだ。
俺は>>60のレスが最初で、そのレスの内容について
理解が一致していなければ話にならない。
質問で逃げずにきちんと答えろ。
0109人間七七四年
2007/09/15(土) 01:22:06ID:fAtj7UYMだからその質問自体がそもそも正しいのかを聞いてんだよ。
答えられないんじゃないだろうな?
お前の>>60のレスは何の脈らくもなしにだしたんじゃないよな?
俺に対するレスに対して出したんだよな?
あとあとわざわざ>>49を引き合いに出してきた以上そうだよな?
お前はどうして俺が一面的に信長を否定してるとおもったんだ?
まずそれから答えろ。信長が部下に裏切られて死に家衰退の原因をつくったのは
マイナスじゃないのか?どうして一面的に否定してると思ったかまず立証しろ。
そうでなければそもそもこの質問自体がお前の勘違いだったで終了だ。
0110人間七七四年
2007/09/15(土) 01:25:20ID:nK00HLZC>>60での俺の批判が正しかったのかどうかはその後の話だ。
先ず、そのレスの内容自体が理解されていなければ話にならない。
レスの内容を理解していないのにその答えを先に論ずるなど
という事が出鱈目な事だと理解しろ。
0111人間七七四年
2007/09/15(土) 01:29:13ID:fAtj7UYM寝ぼけるのもいいかげんにしろ。
その批判自体が的外れなものならそもそもお前の勘違いだったで
話は終了だ。もう一回いうぞ。
お前はどうして俺が一面的に信長を否定してるとおもったんだ?
まずそれから答えろ。信長が部下に裏切られて死に家衰退の原因をつくったのは
マイナスじゃないのか?どうして一面的に否定してると思ったかまず立証しろ。
逃げ回るのはいい加減やめろ。
0112人間七七四年
2007/09/15(土) 01:38:19ID:nK00HLZC逃げるな。
>>60のレス自体は信長と関係無いという事がきちんと分かったら
その上で何故俺がお前を「マイナス面のみで人物を評価した」
と批判したか説明してやる。
質問を質問で返して誤魔化すな。
0114人間七七四年
2007/09/15(土) 01:41:58ID:fAtj7UYM逃げてるのはお・ま・え・だ。
おまえ自身が問題だとしている>>60自身の原点も答えられない分際で
何が説明してやるだ。できるならさっさと説明しろ。
順序としてはこっちが先だろうよ。
お前はどうして俺が一面的に信長を否定してるとおもったんだ?
まずそれから答えろ。信長が部下に裏切られて死に家衰退の原因をつくったのは
マイナスじゃないのか?どうして一面的に否定してると思ったかまず立証しろ。
0115人間七七四年
2007/09/15(土) 01:43:19ID:fAtj7UYMそれはありえません。>>60君は後々俺に対してねちっこく>>49を引き合いに
出していってきました。前の俺のレスの影響を受けていることは明白です。
0116人間七七四年
2007/09/15(土) 01:46:32ID:nK00HLZCだからその原点について話してるんだ。
レスの意味がどういう物だったのかも分からないで
何でその理由を問う事が出来るんだ?
理由は至極単純な物だが、そもそもレス自体の意味を
分かっていない人間に説明しても全くの無駄。
0117人間七七四年
2007/09/15(土) 01:49:13ID:fAtj7UYM寝ぼけたことほざいて逃げ回ってないでさっさと答えろ。
至極単純なら簡単だろ。さっさと答えろ。
信長が部下に裏切られて死に家衰退の原因をつくったのは
マイナスじゃないのか?どうして一面的に否定してると思ったかまず立証しろ。
0119人間七七四年
2007/09/15(土) 02:28:42ID:nK00HLZCレスをした理由を言うだけなのだから何も難しい事ではない。
ただ、>>76のレスを見て、このまま話を進めていったら
滅茶苦茶になってしまうと思い順番に整理しようと考えた。
そこで先ず>>60のレスで俺の意図した事が
何だったのか分かっているのかをお前に確認しようとした。
結局矛盾を指摘されると、今度はその質問には答えずに
自分の質問に先に答えろと言う。
そんな言葉の通じない動物相手に説明した所で、また同じ事の繰り返しだ。
きちんと答えられないようならこれ以上議論の余地は無い。
0120人間七七四年
2007/09/15(土) 02:33:03ID:fAtj7UYMやっぱり40分あけてきたな。
人が席を空けた瞬間に勝利宣言しようとおもったんだろうがあてがはずれたな。
結局自分の原点となる質問にすら満足に答えられず時間を置いて勝利宣言か。
やることがさもしい限りだな。
結局答えらえれるわけねえよな。俺は信長が家臣に殺されて家衰退の原因を作ったのは
マイナスじゃないのか?と聞いてるだけだもんな。これを否定できるもんじゃないし
肯定すればお前の勘違いで終了。結局こうやって無様に時間をあけて勝利宣言するしか
できないわけだ。無様のきわみだな。
0121人間七七四年
2007/09/15(土) 02:37:10ID:k3lvts8T案の定このザマですかw
0122人間七七四年
2007/09/15(土) 03:16:51ID:LFGuyedV信長は家臣に殺された大勢の負け組大名
これと比べればまだ毛利や上杉のほうが勝ち組じゃない?
信長は戦国時代でいえば負け組に属する
などは短絡的すぎて人物考察というより誹謗してる様にしか聞こえない。
>>64-65は興味深いけど>>59-60がID:fwd4qxsAの本質ぽくって残念。
0124人間七七四年
2007/09/15(土) 07:49:00ID:j80IAyFC0125人間七七四年
2007/09/15(土) 08:20:11ID:PAbdKTWN0126人間七七四年
2007/09/15(土) 10:26:58ID:DZZetJRx0127人間七七四年
2007/09/15(土) 11:07:35ID:3vIZzD8uそりゃ無理だよ流石に
秀吉や家康がいなくても信長は何らかの形で歴史に残った可能性が高いけど
信長がいなかったら家康は義元の家臣筆頭(ということを考えると可能性が無いわけでは無いが…)
秀吉はどうあがいても歴史の表舞台には上がれない
0128人間七七四年
2007/09/15(土) 11:22:12ID:YmYYktfN0129人間七七四年
2007/09/15(土) 11:25:23ID:cqi16YtD不毛だわ
0130人間七七四年
2007/09/15(土) 12:08:27ID:0qxfxzQ5本来なら豪族の冷や飯喰らいで終わった人物とか
今でいう途中入社組で、普通なら出世なんて覚束ない人物とかが
信長の登用のために明治期まで続く大名家の祖になったりしているな
前田利家とか山内一豊のような近年の大河組なんてその代表
これは織田家自体が広くいえば下克上組にあたるためでもあるだろうけどね
支配層に新しい血を入れることになり、歴史的に大きな影響を与えたことは否定できない
0131人間七七四年
2007/09/15(土) 18:19:18ID:7HE9mafZ一向宗の総本山、石山本願寺
聖徳太子が建立した百済寺
古事記・日本書紀にも書かれてる住吉大社も焼き討ちしてるね。
これらの寺が現存してれば、国宝のみならず世界遺産に登録されていたろう。
このらの建築物を灰燼に帰したのは日本の大いなる損失。
0132人間七七四年
2007/09/15(土) 18:26:29ID:/mMozuPj見てみたかったなあ。。
0133人間七七四年
2007/09/15(土) 19:46:39ID:QgOK1Ljg0134人間七七四年
2007/09/15(土) 20:09:40ID:/mMozuPj0135人間七七四年
2007/09/16(日) 00:26:47ID:efSjGdka政教分離とか
0137人間七七四年
2007/09/16(日) 03:08:36ID:bRHFKuht何しろ枡に焼き印が押してあるんだぜ
おしゃれじゃん
0138人間七七四年
2007/09/16(日) 05:18:29ID:5DDHFmu5信長に否定的な人は、どうして信長がほぼ一代であそこまで領土拡大できたと思う?
煽りじゃなくて見解を聞きたい。戦国大名としては謀反が原因で、家を没落させて
しまったのは痛いが、一人の人間としては十分勝ち組だろう。
好きなだけ殺し、遊び、抱き、民を愛し、日本統一後の政権構想に思いを巡らせる。
敦盛の一節を地でいくような生き方をしてきた信長にとって、本能寺で死んだ事に
さほど悔いはないように思う。さすがに信忠まで死んだのは予想外だと思うが。
毛利、特に上杉はまず間違いなく滅亡してたはずであるから、時流に乗って結果的に生き残れた
からと言って、信長より優れていたとは言えないと思う。勿論、時流に乗る為の
政治力は認められて然るべきだと思うが。
0139人間七七四年
2007/09/16(日) 06:31:03ID:bRHFKuht0140人間七七四年
2007/09/16(日) 14:05:28ID:xq66JvJs抱きwww なんかタチの悪い漫画でも読んだのかwww
恥ずかしいすぎる・・・
0141138
2007/09/16(日) 14:51:38ID:5DDHFmu5だが、現代の価値観で勝ち組、負け組などと定義付けるのはナンセンスでしょう
その前に俺の文章がナンセンスだわな…
ちょっと吊ってくる
0142人間七七四年
2007/09/16(日) 16:35:14ID:MQbT25Y8歴史的資料に基づくとソックリらしいね?
身長以外は本当にあんな容姿だったらしいよ。
0143人間七七四年
2007/09/16(日) 17:03:49ID:YnwScbuc信長は競争社会なかんじ
0144人間七七四年
2007/09/16(日) 17:05:47ID:yzzfHJEOあのまま家康を従属させてたら間違いなく信長は滅んだだろうし
0145人間七七四年
2007/09/16(日) 17:24:58ID:0BoaiZrX決戦を挑めばよかったのに。
死ぬ前にもう一戦できだろ。
0146人間七七四年
2007/09/16(日) 18:00:29ID:yzzfHJEOアホですか?病弱でない場合のことを言ってるんだよばーーか
本来の信玄ならばいきなり長々とした遠征の最後に信長と一戦
なんて考えないだろ、普通に海道から攻略する作戦をとるはず
ま、実際史実の通りあの時点でも情勢からいって勝ち組みたいな
もんだが信玄は。
0147人間七七四年
2007/09/16(日) 18:03:00ID:6rPqU26s頼みの綱の朝倉が撤退、包囲網も連携が取れていないあの情勢が勝ち組ですかw
0148人間七七四年
2007/09/16(日) 18:11:52ID:rgeW9BCR0149人間七七四年
2007/09/16(日) 19:24:51ID:Uxm+yMM10150人間七七四年
2007/09/16(日) 23:56:41ID:9Bhv4oieいくつもの由緒ある寺院(建築遺産)を焼失させたが、
それ以外に焼死された数も半端じゃない。
信長の嗜虐性には反吐が出る。
0151人間七七四年
2007/09/17(月) 00:11:54ID:VzygWV1t0152人間七七四年
2007/09/17(月) 10:23:02ID:GF++l4IT0153人間七七四年
2007/09/17(月) 11:56:09ID:at/xIrBm十分勝ち組、負けて汚名を残さずに死ねた上、徳川幕府が武田信玄ヲタときたもんだ。
信玄のツケを払わされている勝頼の扱いを見て見ろよ、ああいうのが負け組。
0154人間七七四年
2007/09/17(月) 14:30:12ID:7+cLabBi小幡とかの自称軍学者の講談屋が、信玄の大敗を糊塗し(上田原や戸石崩れさえ、軍師山本勘介(笑)のお陰で五分としているし)
負債全部を息子に押し付けただけなのにね(武田の重税と、それによる民衆離散は信玄の代から)
0155人間七七四年
2007/09/18(火) 08:15:02ID:n6ypU4hN過大評価されている信玄は勝ち組
↓
このスレ的には(?)信長は過大評価
↓
信長は勝ち組
と、いうことでつね
0156人間七七四年
2007/09/18(火) 12:16:43ID:xwz1EYxI日本のアウグストゥスは秀吉
0157人間七七四年
2007/09/18(火) 12:25:26ID:Wq+GtD0sアウグストゥスは政治的やり口をみても家康で妥当。
アントニウスの方が秀吉に近い。
0158人間七七四年
2007/09/18(火) 13:15:21ID:9fbrAavC0159人間七七四年
2007/09/18(火) 17:30:50ID:9Hx99DsH太田牛一はしつこく天文21年と言い切っているが
永禄3年じゃ2000人???と突っ込まれるから、8年も前のことにして
尾張統一できてない時期に少数で勝ったと故意に記載した可能性を否定できない。
長篠の戦いで銃手三交替も疑問視されてるようだ。牛の捏造と取れなくもない。
0160人間七七四年
2007/09/18(火) 17:52:46ID:mY8feHcP長篠は千というのを後からわざわざ三を書き加えてるところが何とも正直。
0161人間七七四年
2007/09/18(火) 23:46:24ID:xwz1EYxI千葉邦胤、正木憲時、伊達義広、相馬整胤、小野崎義昌、細川政之、
松平清康、広忠。源平では源義朝、藤原泰衛 みんな家臣に殺されている。
何故信長の本能寺ばかりこれ程注目されるのかわからない。
別に家臣に謀反され殺される事自体戦国時代では一般的であり
特に恥ずかしい死に様ではない!
ただ本能寺の変自体が過大評価されているだけだよ
0162人間七七四年
2007/09/18(火) 23:57:33ID:hFga7spL天文二十一年に桶狭間があったなんて何の信長公記に書いてあるんだ?
普通に永禄三年って書いてあるだろ。
あと、長篠の合戦での三段打ちって、それ何て甫庵信長記?
っていうか、ネタ?
>>160
長篠の合戦の記述に関して最も成立が古いと間がえらえっる建勲神社本では
「千挺ばかり」となっている。
後年、「甫庵信長記」の影響を受けて池田家文庫本が加筆訂正され、
更に後年の写本でそのまま三千挺とされたと考えられる。
0163人間七七四年
2007/09/18(火) 23:57:53ID:Y1F3DaUu天下を握りつつある中で謀反で絶命したのは信長だけだからでしょ
第一>>161であげている武将の面々は一般的に知名度皆無で信長と比べると業績もかなり見劣りする
本能寺の変が過大評価ってのが意味不明w
本能寺は信長にとってマイナス評価にしかならないのに過大評価ってなんだよw
0164人間七七四年
2007/09/19(水) 00:33:30ID:P+LMc0dS×間がえらえっる
○考えられる
0165人間七七四年
2007/09/19(水) 00:41:52ID:ugF/Z+4gちなみに張飛もパクチョヒもフィリッポス2世もドミティアヌス帝も
皆家臣に殺されていますが? 何か?
0166人間七七四年
2007/09/19(水) 00:50:12ID:ugF/Z+4g0167人間七七四年
2007/09/19(水) 00:54:40ID:ugF/Z+4g頼むよ
0168人間七七四年
2007/09/19(水) 00:57:45ID:3K5k9XUvかもしれんけど歴史に名は残らんだろうな
0169人間七七四年
2007/09/19(水) 01:02:37ID:LV6cztPi本能寺が大きく取り上げられすぎだと?
・天下統一間近で悲運の死を遂げた
・織田信長自体魅力のある武将
・本能寺の変の動機等謎が多い
など本能寺の変を取り上げる魅力は十分だと思うんだがねw
他に戦国時代に本能寺のような大きく取り上げられる謀反てあるか?
0170人間七七四年
2007/09/19(水) 01:03:13ID:ugF/Z+4g一応光秀信長より年上だし
光秀1528生まれ信長1534生まれ
0172人間七七四年
2007/09/19(水) 11:44:20ID:4uaUccOeこのことはどう評価されるべきなんだろう?
大河のヤスケは伝令やったり戦死したりと忙しいが、史実じゃあんまり史料がないから考察不能?
0173人間七七四年
2007/09/19(水) 12:07:09ID:JicwBJtZ単に珍しいものが好きだったんだろうけど。
奴隷じゃなくて士分というのが彼らしいが。
以外に夜の相手もさせてたり・・・・
0174人間七七四年
2007/09/19(水) 16:47:21ID:Bz+lhqhw徳川実紀ではそこのところどうだっけ?
徳川から見たナガシノはまた違う印象があるものね。
ただ、織田徳川で戦死60人、というのはすごいな。
これはかなり信憑性高いのだろうな。
0175人間七七四年
2007/09/19(水) 18:31:55ID:xPJpeW+3織田軍を五千人と見積もった今川側の人物が、他の者に
「そんなにいねーよw」と嘲笑われた記述があったと思うが。
織田側寄りの記述を書く理由の無い史料だし、
実際、織田の兵力は少なかったんじゃないのかね。
0176人間七七四年
2007/09/19(水) 18:41:29ID:wZk0fkNI敵に捕捉されずに桶狭間に向かい
そのまま奇襲攻撃するのは難しそうな気がする
0177人間七七四年
2007/09/19(水) 18:58:15ID:wZk0fkNI信長軍は夜明け前に出陣してから昼過ぎに義元を討つまでの間
何がしたいのか分からんような感じでうろうろしてるんだよね
これ、少数だったら捕捉されない可能性もあるけど
さすがに5千だったら逐一義元に報告が行くよね?
0179人間七七四年
2007/09/19(水) 22:15:29ID:BwiqwptS0180人間七七四年
2007/09/19(水) 22:49:15ID:uEp9SCftせいぜい同レベルだと思うけど、
桶狭間の戦いは、圧倒的な不利な兵力差を覆して奇襲戦で勝利なんて劇的なものではなかったにせよ、
有力大名今川義元を打ち破って勝利を収めたのは事実なんだから、
それなりに評価されてしかるべし。
0181人間七七四年
2007/09/19(水) 22:49:31ID:3K5k9XUv0182人間七七四年
2007/09/19(水) 23:08:58ID:xOcr+UwZ骨まで切れば、よほどの名人で限り刃こぼれしないか?
それもせいぜい一人の首だろう。
大将かそれに順ずるものでなければ首級にしなかった。雑兵は打ち捨て。
公記に見る桶狭間の戦い
2000人で数倍の敵に立ち向かって、首数は三千余にのぼった。とする記述。
いろいろな意味で胡散臭い。
0183人間七七四年
2007/09/19(水) 23:27:11ID:P+LMc0dS首を取って持って行く事が手柄になるから、誰の首でも構わず取るんだよ。
「本城惣右衛門覚書」に本能寺で首は討ち捨てにしろという命令があったが、
取った首を軒下に投げ入れて隠しておいたっていう記述がある。
その後、首を持って行って恩賞を貰ってる。
敵の首は恩賞になる大事な大事な宝物だ。
後、首を切り取る動画とか見たこと無い?
魚さばくみたいに簡単に切り落とせるぞ。
0184人間七七四年
2007/09/20(木) 01:24:09ID:i8nulc7rなれた人間なら簡単に出来るんだろう
なれてなかったら魚を三枚におろすのも大変だが
てか簡単に切り落とせることと、刀の切れ味が鈍るとかとは関係なくね
二千人で三千の首落としたというが、大体一人をきれば相当切れ味が鈍るのに、軍勢の数を上回る首の数というのはおかしいと言ってるわけで
今川方が壊走してるときで、そこらに落ちてる刀やらを使ったとすれば別に無理でもないと、反論するならこういう方が適切じゃね
0185人間七七四年
2007/09/20(木) 03:08:04ID:qLssLys/日本刀は一人切ったら切れ味が鈍るとかって司馬の受け売りじゃねーかw
(司馬は2〜3人って言ってるみたいだが)
日本刀での切り合いじゃないんだよ。
死んでるか、気絶してる人間の首を切り落とすだけなの。
骨ごと叩き切る訳でもないのに、そんなに簡単に歯こぼれする訳無いだろ。
血だの脂だのってのは論外。
まぁ、日本刀の質と使い手の技量によっては
骨ごと叩き切ってもそう簡単に歯こぼれなんぞしないようだけど。
それに、そんな事言い出したら歴史上の「首級を〜挙げた」なんて話や
それについての感状なんかは全部嘘になる。
0186人間七七四年
2007/09/20(木) 07:21:45ID:vWNrfia2あといっぱしの武士になれば郎党とかつくしな。
0187人間七七四年
2007/09/20(木) 08:27:35ID:i8nulc7rよくよめ
反論が間違ってると指摘してるだけだ
ID:xOcr+UwZへの反論として「首は簡単に切り落とせる」だの、「首は大事な手柄の証だ」だのは的外れ
読解力つけてからレスしような、低脳君
0188人間七七四年
2007/09/20(木) 08:42:21ID:S7z0UgNf0191人間七七四年
2007/09/20(木) 10:41:44ID:ONsc13Ta斬ったとかいう話を又ギキに知ってて、公式文書とかとは違う、感触、の話を
怪談みたいに語ってくれたもんだ。
皮、肉、骨、全部てごたえが違うってね・・
刃こぼれ、ってのは刀同士の時には起きるけど
死んでる人間切るだけならすぐにはならないようだね。
ま、3000の首とは少し大げさだけど、それに近い事実はあった、ということでどう?
わしは2000の織田軍がいっせいに攻撃した、というのすら誇張とは思うけど。
あのへん道細いし実際に歩いてみると何千もの馬がどうやって行動したか
いつも不思議なんだ。
「スわ、かかれ」なんて牛一の創作と思うけどな。
0193人間七七四年
2007/09/20(木) 12:11:25ID:S7z0UgNf殺すのは矢か槍、首を落とすだけなら刀かそれ以外のいろんなモノ。
だから必ずしも今川の落とした刀を奪う必要はない。
と、ID:qLssLys/は言ってるんじゃなかろうか。少なくともオレはそう解釈したし、
別にバカにされるようなことは思うんだが。そう思うのは俺が低脳だからだろうか。
0194人間七七四年
2007/09/20(木) 12:12:01ID:S7z0UgNf0195人間七七四年
2007/09/20(木) 13:32:38ID:i8nulc7rいや、俺は反論の一例として今川方の刀奪えば首問題は解決と言ってるだけ
「反論の仕方が間違ってる、例えばこういう感じで反論しないと意味がない」という主張に対して
「いや、その例はおかしい」なんて趣旨を完全に理解してないレスしてれば「読解力がない」となるだろ
0196人間七七四年
2007/09/20(木) 14:58:37ID:S7z0UgNfつまり勘違いがあったんじゃないか?
185は>182=>184だと思ってそう言ったんじゃ?
ちょうど日付が変わった直後だったし。
横から「反論の仕方が〜」といきなり言われたから、184だと思った。少なくともオレは。
すまんかった。
まぁ「オレはこういう趣旨だったのにそう受け取れないお前が悪い」だとかは、
単なる言葉遊びの領域を出ないわけで、不毛だと思うからやめとこうよ。
0197人間七七四年
2007/09/20(木) 14:59:28ID:S7z0UgNfまた間違えた。重ね重ねスマン
0198人間七七四年
2007/09/20(木) 23:07:53ID:qLssLys/先ず>>183に関してだが、
「首を取って持って行く事が〜」の部分は
>>182の「大将かそれに順ずる〜」に対しての発言。
「後、首を切り取る動画〜」の部分は
首なんて簡単に切れるので、
そんな事で刀が切れなくなるような事はないっていう事。
で>>185に関してだが、「刀が切れなくなる」という事を
そのまま肯定している事に対しての発言。
「いやいや、そこを肯定すんなよ」って事。
0199人間七七四年
2007/09/21(金) 01:58:45ID:XNxSMeUsつくづく文章読めない馬鹿だな?
焼き魚だされて「このお魚おいしいでしょう」と聞かれて「うん、いいお皿だね」という返答が期待されてると思うのか?
おまえそれで社会でやっていけてるのか?
いや、やっていけてはいるのかもしれないが…
0200人間七七四年
2007/09/21(金) 02:11:23ID:g3qGosRTどこがどういう風に見当違いなのか具体的に指摘して説明してみなよ。
あと、馬鹿だとか低脳だとかって言うと自分が他人より
優位に立っているような気分でも味わえるの?
小学生みたいだよ。
0201人間七七四年
2007/09/21(金) 02:40:44ID:XNxSMeUs>>195
なので、低脳、読解力皆無と言ってる
しかもそれをいまだ理解してないから多分、俺は言ってないが、お前は馬鹿なんだろう
0202人間七七四年
2007/09/21(金) 03:05:28ID:g3qGosRT一応、>>198では>>195で言っている>>185の発言に関してと
>>183の発言の説明をしてるわけ。
>>195については>>183の発言から説明するべきだと思ったからね。
なので一応、どちらについての事か確認したわけ。
分かる?
で、一応>>198で説明してるんだけど分かんなかったのかな?
要するにね、君が>>184でした指摘は的外れなんで
期待する答えが返ってこないのは当たり前なの。
君が言った「こういう感じで」というのは
飽く迄「刀が使えなくなる」という発言が正しいという事が前提でのものなの。
分かんないかな?
0203人間七七四年
2007/09/21(金) 08:06:18ID:308o9AD4そんで>186はそこに突っ込んでいるようにも。
どうも違和感を感じたけど、合点がいった。ちゃんとそれに対して弁明すべき。
少なくとも自分で考えろとか馬鹿とか罵るところじゃないよ。それはよくない。
0204人間七七四年
2007/09/21(金) 08:14:57ID:XNxSMeUsだから趣旨がそこじゃないといってるだろ?
刀が使えなくなるという認識がそもそもおかしいというなら>>182にそれを言えと
そんで簡単にきれても脂で切れ味は相当鈍るがな
試しにバターでも包丁に塗りたくってから肉でも切ってみ
というかここが趣旨じゃねえ
0205人間七七四年
2007/09/21(金) 16:42:05ID:KnAnMfbY織田家って武田家の末裔であるはばし(漢字がわからん)の
家来が基だし源氏じゃない?
0206人間七七四年
2007/09/21(金) 18:01:47ID:35Ck74sw0208人間七七四年
2007/09/21(金) 23:29:29ID:o+tenXtu0209武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk
2007/09/23(日) 07:28:05ID:aCNuJokW信長は情緒不安定な被害妄想患者みたいなもんだと、太田の三枚橋ホワイトハウスの院長が仰ってたよ。
0210人間七七四年
2007/09/23(日) 16:31:15ID:6Q5etIuu末期の信長は、名前は忘れたけど壮年期の男性がよくなる病気にかかっていたという説がある
それにかかると末期の信長のように言動がおかしくなるらしい
精神的な病気ではなく脳の障害らしいよ
だからと言って、
これ1つを取り上げて信長の生前の業績全てを全否定するようなヤツは
精神的な病気にかかっていると思うけどね
0211人間七七四年
2007/09/23(日) 17:32:02ID:lopvahcS信長は良くも悪くも常識はずれ 生まれた時から死ぬまで だからアスペルガーだと言われているんだろう
0212人間七七四年
2007/09/23(日) 21:26:31ID:Z0tpmMUm0214名無的発言者
2007/09/24(月) 12:06:34ID:8J7ZX9EA>気温が上がるとこういうバカが増える
お前は気温が上がらなくてもバカだ。
ここは織田信長に関するスレなんだからそれらしい意見を書けや
0216人間七七四年
2007/09/24(月) 12:59:59ID:qHV8uqlQわざわざ最初から真面目に一般常識を書いてあげなさいって言いたいの?
0217人間七七四年
2007/09/24(月) 13:32:19ID:H531vOxx集めてはばし
最上義光
0219人間七七四年
2007/09/24(月) 23:31:26ID:ramY+sTK馬の骨 藤原を騙ったり 平氏を騙ったり
0220人間七七四年
2007/09/24(月) 23:33:28ID:7POnTaIpで?明確な祖先が確定していないのなら
>>205や>>207のような思考停止バカのアホ発言が
素晴らしい発言であると言いたいの?
0221人間七七四年
2007/09/24(月) 23:38:14ID:Aud6Yuqq誤解なきように言っておくけど、総見記やその他の資料にそう載ってるのはもちろん
常識だから知ってますよ。
ただ、公記には4代前の久長の記事がない、つまり確実なのは3代前の敏定まで、
とすると寛永うんたらに載ってる系図も信用はできない、そういう観点からの意見ですからね。
ちなみに「揚羽蝶」の紋を使用したような記事とか、多聞院日記とかにも平氏というような記事があるけど、
これは、信長が後世平家を名乗っていたかもしれない、といった解釈で、本当の祖、とはまた違う話
ではないだろうかと。
ブコウヤワには、藤原信長、なんてのもあったかな。
0222人間七七四年
2007/09/25(火) 00:23:08ID:ZVwDgLmm0223人間七七四年
2007/09/25(火) 00:35:16ID:qVXNm6ND0224人間七七四年
2007/09/25(火) 09:19:12ID:AgX0ia0L> その系譜には不明な部分がある。 江戸時代に作られた系図では、
>桓武平氏・平清盛の孫・平資盛の末裔という事になっている。
> しかも、 尾張織田宗家の古岩倉織田家は抹殺され、 清洲織田家の織田敏定に系図が結び付けられている。
>しかし、 織田信長は、 織田敏定の末裔ではない。
>織田一族の系図は、本来の岩倉家(古岩倉織田家・伊勢守家・尾張織田家宗家)の系譜が抹殺された事、
>清洲織田家(大和守家)の系譜も混乱・改竄がある事、更に織田信長が尾張を統一し、
>美濃も併合して天下取りを意識したあたりから系図の改竄が行われ、
>本来の織田一族の系図の姿が失われた事も、この系図に多くの謎をもたらした。
0225人間七七四年
2007/09/25(火) 11:35:29ID:6qLH2kWa織田達勝の家臣、信長の親・先祖は自称藤原(弾正忠家・・元々の系譜は定かではない)
信長は早い時期には藤原姓、美濃攻略後くらいから平姓を名乗っている。
0226人間七七四年
2007/09/25(火) 15:21:15ID:xUc+hC+D1行めは勘違いだよね。
で、主家が源氏だから名乗れなくて織田は平氏とか名乗った、という風に続いていくのでしょ。
0227人間七七四年
2007/09/25(火) 16:58:32ID:hk6KH0mr織田家が仮に謙虚だったとして、それならステイタス(あくまで自称)藤原でいいのでは?
藤原秀郷のような武家として名をはせた人もいるし、
もっとも秀郷も藤原姓を仮冒した、などと言われてますがね。
名門に憧れて、なんちゃって藤原は多かったのではないかと。
主家と同じ源氏姓なら鎌倉幕府にも足利幕府にもいるでしょう。
系図改竄したなら、藤原、平氏、源氏等、中央に名の通った家系ではなかったと思える。
0228人間七七四年
2007/09/25(火) 21:27:35ID:eyytg0mq忌部氏で、越前の織田神社の神主が武士化したんじゃなかった?
0229人間七七四年
2007/09/25(火) 22:07:57ID:rvK7Bph+推測の域。江戸時代なら郷士の類とされる地方豪族じゃまかとかね。
0230人間七七四年
2007/09/26(水) 01:18:30ID:9IvvDjhL0231人間七七四年
2007/09/26(水) 08:45:45ID:c+99rdcM源氏の名門の足利幕府を実質潰して武田家も破砕
まさに下克上な世界だ
0232人間七七四年
2007/09/26(水) 12:19:22ID:qK82ZGLR同意。
なんだけど、豪族系、とかのカキコにアホバカというレスがついたからそこが不思議だった。
で、224にある、信長は敏定の末裔でない、が気になる。
最近はそういう説が主流なの?
としたら信長の系譜自体からいろんな定説が根拠薄弱になりそうだけど。
>>231
そう、下克上、というのは本来足利、源氏に対する謀反、という意味合いが強い。
もっとも信長の場合は一族をかなり殺して織田家自体の乗っ取りから始めたから
若い頃はかなりアブないに〜ちゃんだったんだろな。
0233人間七七四年
2007/09/26(水) 16:11:20ID:1MNtsDXN0234人間七七四年
2007/09/26(水) 16:27:07ID:nfZUgn28この若さでこの修羅場を潜ってきた大名なんてそうはいない
美濃攻略までは格上相手ばかりだしな
0236人間七七四年
2007/09/26(水) 19:09:03ID:rzSq98HGこのことから、斯波氏を越前から追い出した朝倉氏と代々仲が悪くて、
信長と義景の確執の遠因になったみたいなことを、小説で読んだが(w
松と竹の兄弟の分裂も捏造か?
0238人間七七四年
2007/09/27(木) 00:27:39ID:Bw1J7LGYこれだけ偉大なことをしたんだから1位で当然
0239人間七七四年
2007/09/27(木) 03:50:03ID:1KSHl+/3宗教を政治的・経済的な利権から切り離す政策は
評価されて当然だと思うよ
0240人間七七四年
2007/09/27(木) 05:48:44ID:m8egwpi5信長の執った政策の中で高く評価されて然るべきものだろう
ただ
>これだけ偉大なことをしたんだから1位で当然
に至る思考が意味不明
信者はこれだから困る
0241人間七七四年
2007/09/27(木) 08:51:42ID:kLquWwQA0242人間七七四年
2007/09/27(木) 11:36:34ID:EZokf1MI些少とかもよく起きてるし。
0243人間七七四年
2007/09/27(木) 14:17:27ID:QLMOzMcc政治関係のスレでもよくあることだけれど
わざと褒め称えて突出したことを言うことにより、信者というレッテルを
他者にはらせて、○×信者は痛いという評判を作ろうとする人はいるよ
0244人間七七四年
2007/09/27(木) 15:14:57ID:AOBUO7a50245人間七七四年
2007/09/27(木) 16:13:21ID:dO572fY9>戦国時代に家臣に殺されるのは良くあること
学習能力がない。
0246人間七七四年
2007/09/27(木) 17:55:32ID:VkMH3bMiみんな領土広げることしか考えてなかったわけだからな
0247人間七七四年
2007/09/28(金) 01:55:29ID:V/4A9uUm正直、織田家には仕官したくないよね。
俺が足軽だったら考えちゃうな。
こわいもんw
0248人間七七四年
2007/09/28(金) 07:30:27ID:EpE591HU実力あれば上にいける可能性が高いし
0249人間七七四年
2007/09/28(金) 10:51:51ID:5Hs9BT2T足軽にとって重要なのは主君が強いかどうかだし。
まあ、士卒クラスになると主君の人柄とか家風とかは重要だけど。
0250人間七七四年
2007/09/29(土) 00:33:03ID:jVyTpCAR信長公は勇将ではあるが、良将ではない。剛が柔に勝つことは知っておられるが、柔が剛を制することを知っておられない
0251人間七七四年
2007/09/29(土) 00:53:41ID:N7kbOJre0252人間七七四年
2007/09/29(土) 03:33:42ID:dRKgfQej0253人間七七四年
2007/09/29(土) 09:54:36ID:E5R8C9ib0254人間七七四年
2007/09/29(土) 10:43:15ID:x/bkoHEQ0255人間七七四年
2007/09/29(土) 10:55:04ID:u4c5u6fn0256人間七七四年
2007/09/29(土) 13:12:16ID:1IvdtViT0257人間七七四年
2007/09/29(土) 16:56:15ID:uRhqp3XG0258人間七七四年
2007/09/29(土) 17:42:03ID:EEwZRncg0259人間七七四年
2007/09/29(土) 20:27:57ID:7N7riTiB万人恐怖の政治ゆえ部下に暗殺された。
0260人間七七四年
2007/09/29(土) 21:06:28ID:V3jscalQ信長=ゴルバチョフ
秀吉=エリツィン
家康=プーチン
みたいものだろ。
歴史は連続性のあるものだし、革命の歴史は3人相応に評価されるはず。
0261人間七七四年
2007/09/29(土) 21:55:16ID:A0mKqZge0262人間七七四年
2007/09/30(日) 15:15:00ID:Dy+gxxEX農本主義での軍事行動は、一年の内で数ヶ月しか作戦行動が取れない。
商業主義に移ったがゆえ、信長、秀吉と続き、外征までも可能にした。
徳川期に入り、重農主義に先祖帰りしたため、大規模な軍事行動を取れる体制ではなくなった。
>>260は旨い事言ってるけどね。
現代の、魔王だの悪魔だのレッテルは戦後の左翼主義、日教組のバカが言い出したたわごと。
旧弊を打破し、中央集権を確立した信長は普通に偉大。
毛利や武田では絶対できない。
0263人間七七四年
2007/09/30(日) 16:01:12ID:/lfR1gNs0264人間七七四年
2007/09/30(日) 17:55:47ID:lnqCEaIG後、信長が美濃統一後、怒濤の勢いで所領を拡大していったのは何故だと思う?
0265人間七七四年
2007/09/30(日) 18:07:04ID:h6+P1QFv0266人間七七四年
2007/09/30(日) 18:35:10ID:wFWPd8YI0267人間七七四年
2007/09/30(日) 19:06:14ID:FP2r4aL+信長は中世の人間
0269人間七七四年
2007/10/01(月) 02:28:06ID:3l+N2zAr毛利なら上手く商業も伸ばしていったかもしれん
西はもともと商業を上手くやってきたからな
武田をはじめとした田舎侍じゃ無理
0271人間七七四年
2007/10/01(月) 03:22:24ID:3l+N2zAr0273人間七七四年
2007/10/01(月) 09:49:59ID:LAEbP2Uw無駄な関所壊したり、そのために寺社勢力ぶっつぶしたり
道路整備したり治安維持したりいろいろあるだろ
自軍の規律を正し分捕り等無法な行為をさせない事なども重要だな
(一概に無法ともいえないが便宜上)
商人なんて保護育成して育てるようなもんじゃない
まぁ西と甲斐じゃ土壌が違うので、まずは信玄のような政策が必要だったのかもしれんが
0274人間七七四年
2007/10/01(月) 10:02:27ID:LAEbP2Uw商業の起源はシナの周に滅ぼされた商(殷)の人々が行っていたといわれている生業
世界史でみればユダヤ人の商売上手にみられるよう
農耕政権に迫害されてきたような人々が仕方なく?発展させてきたような代物
保護とか育成されて発展してきたと思うか?
0275人間七七四年
2007/10/01(月) 15:20:16ID:0RYzSgLb経済ッたって、泉、近江周辺、や瀬戸内、北九州に比べたらゴマ粒みたいなもんだ。
だからこそ保護しなくちゃならなかったけどね。
現在の武田人気は江戸時代に作られた、幻想。
実際はただの田舎侍の烏合の衆。
尾張以西は西欧州、甲斐は社会主義体制下の東ヨーロッパのような経済格差。
田舎モノのくせに良くやった方だとは思うけどね。
信長に対して信玄を持ち出す人が多いけど、武田こそ日本最高の過大評価。
元就の方がウン倍もすごい業績残してる。
0276人間七七四年
2007/10/01(月) 15:47:00ID:xLQPi4RP0277人間七七四年
2007/10/01(月) 19:20:17ID:QkuuEfIgタリバンのようにバーミヤン仏像を躊躇なく破壊するタイプ
0278人間七七四年
2007/10/01(月) 19:29:05ID:KtK4XJ0t想像を絶する基地外レスをどうもありがとうよ。
商業の起源がどうかしたって?そもそもお前の大好きな重商主義の本来の意味を
本気でわかってるのか?そのモデルケースたるコルベール主義は?
近世において各西欧諸国が設立し保護したインド会社は?
田沼意次が保護した特権商人の存在は?
井上馨が三井の番頭と揶揄された事については?
国家が商業を保護育成した事例なんざ歴史にいくらでもあるんだよ。
国家が商業を規制する事で逆に不利益になるのは資本主義が発達した状態だ。
中世にそんなものがあるとでも思ってるのか?資本主義になる前段階としては
国家が商業を保護育成する重商主義が発展のために求められる。
信長がどうしたって?豊かな経済力のある地帯を押さえていたから
財源が他より優越していただけの話だ。楽市楽座がなんてものは信長の領土の本当に
一部でしか行われていないし、先にやった大名なんか複数いる。条件の問題なんだよ。
0279人間七七四年
2007/10/01(月) 21:08:32ID:8yfswhJH稲作は気候によって変化する要素が多い、リスクの高い農作物なんだよ。
現代においてもリスクが高いのに、
品種改良が行われていない戦国時代では言わずもかな。
信長のやったことは、年に一度の不安定な米収入に頼るよりは、
恒常的な商業収入を重視して、財政基盤を安定させたことでしょう。
0280人間七七四年
2007/10/01(月) 21:55:49ID:PD5iKL5P足軽だってホシイイ持って移動してたわけでしょう。
信長の商業政策は、単に既存の特権階級への反駁だったのかもしれないけど、見事に近代化への
礎とはなってるな。
0281人間七七四年
2007/10/01(月) 22:47:51ID:8yfswhJH腐らないし、嵩張らないよ。
0282人間七七四年
2007/10/02(火) 00:16:59ID:d/zWw7znお金ってこと?
ゴールドは重くて持ち運び不便だし、お金なんか山中で持ってても仕方ないから、
やっぱり兵糧が一番の価値でしょうな。
ま、信長の話と関係なくなってきたが。
0283人間七七四年
2007/10/02(火) 00:23:57ID:tCpT1lfb頼朝や毛利輝元や元親や秀吉や家康みんなに言えること
0284人間七七四年
2007/10/02(火) 00:59:24ID:xu4661OE確かに貨幣経済が浸透しないと、
保存で軽量な食料にもっとも価値が高くなるかもね。
てか、戦国時代の経済を語ることは、
信長の再評価につながると思うが。。。
戦国時代の原点は食料の争いだし、
各大名は米収入に頼ることによる限界は感じていたはず。
0285人間七七四年
2007/10/02(火) 01:31:50ID:d/zWw7znウィキで信長みると、商業政策が4行しかないのには笑ってしまう。
きっとググってカキコする人たちは、ウィキがそうだから信長の商業政策はたいしたことない、
みたいに解釈するのだろうな〜。こわひ・・
徳川幕府の終焉も、現代の各内閣もだけど、経済問題がきっかけになることは多いのだよね。
維新にしたって竜馬は、ビジネス、という観点から語られるべきだろうし。
信長が関所を部分的にしろ廃止したことや、市、座、さらには城下町みたいなものを整備したことは
近代的で理にかなってる。
油の流通もだし、それ以前はシャホチョウみたいに私腹を肥やし放題だったわけだからね。
商業の価値をどこまで認識してたか、既得権力への挑戦がまずそういう特権を奪うこと、から始まったのは
最短距離で素晴らしいやり方なんだよな。
今だって北朝鮮に経済制裁から始めてるのだし。
0286人間七七四年
2007/10/02(火) 03:45:15ID:n9EHLybXでたまに残された史料を確認すると肝心要の京の関所がそのまま手付かずで残されてたり、
座の廃止どころか地方の商人の既得権益を殆どそのまま認めるものであったり、
貨幣統制が上手くいってなかったみたいで何度も撰銭令を出しても効果なし、だったりするんだよね
けど自分は上記のように既存勢力と適度に妥協しながらも除々に改革を進めていった
調整家信長の方が胡散臭い革命家信長像よりも余程評価できると思うな
ついでにいうとこのスレではあんまり追求されてないけど
岐阜城や安土城みたいな城下町整備こそ唯一信長が始めた真に革新的な政策だと思う
城下に配下の旗本を住ませ商人たちを誘致し、防衛面での配慮だけではなく
物資の輸送や人の移動にも効率の良い画期的な町割りはその後江戸時代を通して延々と模倣され続けたと言っていい
0287人間七七四年
2007/10/02(火) 09:10:51ID:JsL9aeWQ一旦流れをつくれば強いて潰す必要も無かった
むしろ双方を経済基盤として包括して持ったほうが得
ドライスティックに実施したのはむしろ関所通行税の廃止のほうだろうな
こっちは直轄領のほぼ全てで施行されており、越前や甲斐信濃といった新領地にも適用されている
0288人間七七四年
2007/10/02(火) 09:57:22ID:6axf6Pxgあとこれは井沢の受け売りなんだけど京に対抗して安土をって話からいくと
京の関所はそのままにしておいたほうが信長にとっては有利なんじゃないだろうか
たしかに城下町整備はすばらしいね
こう言うと似たようなことを信玄もやってたとかって話が必ず出てくるんだけど
別にオリジナリティー勝負をしてるわけじゃないんだよね
どういうことをやってどれだけの成果が出たか?
どういう影響を与えたか?が重要だよね
完全に解明することは出来ないだろうけど・・・
あと信長がめぐまれていたとかもナンセンス
同じ中華かぶれでも天下布武のキャッチコピーで同盟婚姻を駆使し畿内制圧をめざした信長と
風林火山の旗を掲げ散々消耗戦を繰り返し
行き当たりばったりで上洛めざした信玄とでは天と地ほども違う
乱世の世の中に条件が違うとか論じても詮無き事
0289人間七七四年
2007/10/02(火) 11:01:29ID:jFj1M8Ueなるほどね。ウィキの他のとこでは史料丸写しじゃなくて、〜説、も紹介してるから、経済に関しても
もう少しその意義とか記録したほうが、信長の近代性に言及することになるかと思ったもんで。
城下町は、治安、とか防衛という意味にもつながるから家康の政策にもつながってくる。
確かに、オリジナルじゃない、という意見が多いけど、その意味内容性をしっかり把握することが必要
でしょうな。
安土や岐阜への知名改変なんてのもそうで、それ以前にも例はあったかもしれないけど、自分が
確固たる意思を持って新しいことを始めよう、というのを明確にしたという意味で重要だと思う。
「そこにあった地名をつけただけ」なんて地名辞典の説明はさすがに・・
でもさ、信長もラッキだった面は多いと思う。
特に信玄が絶好のタイミングで死んだでしょう。
あれ、一番得した〜、じゃないけど信長暗殺説、なんてイザワあたりが小説に書きそうだけどね。
実際1568〜1573あたりの信長はかなりヤバかったわけで、義昭の最大のミスであったな。
0290人間七七四年
2007/10/02(火) 11:22:52ID:gclqnHeqあの時点で信玄が生きていても信長に勝てる保証なんてどこにもないし
大体その信玄、「信長に見捨てられたら信玄は滅亡です」と泣きついて助けてもらったから信長を裏切れたわけだし
正直、こんな背信しないと信長に楯突けない雑魚という印象しかない
0291人間七七四年
2007/10/02(火) 11:27:44ID:EMuAShbM支配地域の通行整備なんて信玄がもやっとるわな
最強騎馬軍団の真の意味は戦地までの馬などを利用した
すばやい物資を運送、兵の素早い移動ね
当然、経済面での影響もある
0294人間七七四年
2007/10/02(火) 11:53:51ID:ZUW9IZ5P専門家はちゃんと統率力を認め、応用力を認め、過激で痛烈な部分を認めているはずだ
倫理や感情論はいいからちゃんと評価しろよ。不毛だ
過大評価しているって主張している奴が信長を過大評価しているように見えてならないんだが
0295人間七七四年
2007/10/02(火) 12:43:51ID:6axf6Pxg天下を考えていた信長とではスケールが違うしなぁ・・・
たとえると吉田茂と東国原を比較しているようなもん
0296人間七七四年
2007/10/02(火) 13:58:34ID:qOsyyPUX0297人間七七四年
2007/10/02(火) 15:17:11ID:AUCnn0Rq長期戦の準備をしてるかどうかでしょ。
日本の戦国大名の戦なんて、ヤンキーの果し合いの延長みたいなもんなんだから。
力比べみたいなもんだよ。
川中島の戦いだって数日で終わってるでしょ。
武田、上杉双方、長期戦の準備をしてなかったから、山に陣取っても水をたたれて兵糧攻めにされなかったんだよ。
いちいち長期の水や食料を用意して喧嘩するヤンキーいないでしょ。
武田だって、兵力と兵糧に余裕があれば、山を包囲して、水を絶つよ。
戦術レベルで争っていた戦国大名(信長や秀吉は除いて)と、戦略レベルで戦っていた魏と蜀では事情が違う。
0298人間七七四年
2007/10/02(火) 15:51:32ID:qOsyyPUX0299人間七七四年
2007/10/02(火) 16:37:22ID:HNDxQX38信玄自体の強さじゃなくて、本願寺やら信長包囲網があれで崩れてしまったからね。
信玄が上洛してたら義昭についてた大名も多かった。
実際信長は義昭に講和を求めてるわけだし。
かわいそうなのは義昭で、電話もない時代に武田軍が来るのを楽しみに待ってたろうな、とは思う。
その時点では信長だって少し景気の良い田舎大名、ってとこでそんなに恐れられてはなかったろうしね。
0300人間七七四年
2007/10/02(火) 17:29:26ID:5b1ZULZK信玄が上洛して義昭を一応の盟主にすれば従う大名は多いだろう(あくまでも武田の武力によるもの)
肝心の信玄の上洛の可能性が限りなく0に近いけどね
包囲網自体は元々足並みが揃わずあまり機能していなかったし武田家離脱で崩れたというよりも
朝倉家が越前撤退の時点で崩れたと言うべきじゃないかな?
>>その時点では信長だって少し景気の良い田舎大名、ってとこでそんなに恐れられてはなかったろうしね。
京・堺など畿内の要所を押さえて突出した国力を持った織田家が畏怖されていない訳がない
0301人間七七四年
2007/10/02(火) 18:06:39ID:LWnodNoD腹抱えてワロタwww
0302人間七七四年
2007/10/02(火) 18:16:02ID:HNDxQX38そだね、包囲網に関しては注意が必要だね。
ただ、信長が脅威と思うのなら義昭がうまくまとめたかもしれないし、信長のピンチであったようには
思うよ。
1570ぐらいの時点で突出してたのかな、信長の国力。
もちろんキレやすい田舎大名だからおそれられてはいただろうけど、義昭あたりはまだナメてたふしがある。
武田や毛利、本願寺からみたらせいぜい同格、ぐらいに思ってたのじゃないかな。
このあたりは解釈だから難しいけど、その時点でどうだったか、というのは重要だしおもしろいよね。
0303人間七七四年
2007/10/02(火) 18:57:55ID:GV5P9Ke+後は状況見て引っ付いたり離れたりしてる連中(松永とか)の領土
摂津・河内・和泉といった畿内の織田の勢力も結構あったと見られている(領土ではない)
これに京や堺といった街を加えると… 250万〜300万石程度の力はありそう
実際動かせる兵は5万ぐらいだけどな
0304人間七七四年
2007/10/02(火) 19:12:36ID:HNDxQX38信長の背景なんだろな。
特に京を押さえるというのはやっぱり無言の圧力があったか。
そんなこと言ったら三好三人衆も結構京を押さえてたもんで、一種の天下人になっちゃうか。
0305人間七七四年
2007/10/02(火) 19:16:04ID:5b1ZULZK信長がキレやすい田舎大名って偏見持ちすぎだろ・・・
大名としての教養は備えていたし、上洛後は公家や文化人等の都人と問題なく交流してるのにその評価はどうかと思うな
中国地方の雄の毛利はともかく武田や本願寺を同格とはさすがに思わないはず
信長の国力に関しては1568年の美濃奪取後で尾張美濃伊勢(北伊勢)となり全国でも1,2を争う国力となってるよ
0306305
2007/10/02(火) 19:17:48ID:5b1ZULZK0307人間七七四年
2007/10/02(火) 19:23:12ID:5b1ZULZK操り人形とはいえ将軍家が存続していたから天下人というよりも北条氏の様に執権みたいなもんじゃないかな
信長も義昭を追放して幕府を滅ぼすまでは上記のような立場であって、幕府滅亡後から天下人と言えると思う
0308人間七七四年
2007/10/02(火) 20:55:01ID:ZUW9IZ5P最大勢力のトップで、あと少しで天下人っていうところ止まりじゃないか
全国平らげていたらまさに天下人だけど、それもあと数年はかかったろうし
まあそんなこといったら、何人かの徳川将軍だって天皇みたいなもので天下人たりえなかったが
0309人間七七四年
2007/10/02(火) 21:37:53ID:lNr07NZa偏見というか事実とは思うよ。
田舎出身の出自もはっきりしてない、ほんで一族かなり殺しまくった大名なんだから。
教養、というのは具体的に何を指すのかわからないけど、上洛後の交流も朝廷側から見たらどうだろう。
東大寺切り取りだって、田舎の作法も知らないもんが、というのでやんわり断られてる感じだけど。
茶器にミ〜ハ〜しちゃうのもそういう地方から出て東京で一発あてたのがブランドものにこりかたまるのと
同じように思える。
もっともそれと戦国大名としての力量とは全然別だからね。
秀吉、家康がまだまだだったこと思うとその時点ではかなりの豪腕だったことは確か。
ほんで、執権、とはさすがに全然違うからちょっと誤解をまねくね。
信長が義昭を利用したように見えるけど、義昭の方がうまく信長を利用した、というのも1573までは言える
わけでしょう。
それが信玄の突然死で信長がラッキそのもの、というカキコにつながるのだけどね。
タラレバだけど、義昭が信長をナメずに講和をせず、あくまで敵対してたら普通に足利幕府は続いてた。
「御父」だなんてうまくやるよね、義昭も。
ちなみに、本能寺の時点で四国も東国もまだ押さえてないから、天下人、の一歩手前、ぐらいだろうね。
0310人間七七四年
2007/10/02(火) 21:59:21ID:O9G2Z4gK室町幕府で全国にそれなりにと言えそうなのは義満から義教ぐらいか?
ってか本能寺直前の織田家の力は尊氏なんかより権力も支配範囲も遥かに強力だろうけど
0311人間七七四年
2007/10/02(火) 22:30:17ID:lNr07NZaほんで、足利が健在のうちは、天下人というのは武士の頭領、つまり源氏じゃないとダメ、みたいな
のもあったろうね。
その足利が滅びたのでそういう価値観もなくなるかと思ったら、朝廷はしっかり権威だけは守ってたわけか。
秀吉もロコツだもんね。
0312人間七七四年
2007/10/02(火) 22:40:44ID:G22yWmcK織田領を切り取った武田や朝倉がそれに取って代わるだけで
足利に天下が戻ってくるなんてことはないんじゃないかな
0313人間七七四年
2007/10/02(火) 23:02:36ID:AjzCLUER足利将軍も天皇みたいに権威だけの象徴として存続できたかもね
0315人間七七四年
2007/10/02(火) 23:43:29ID:lNr07NZaそうそう、それで権威だけでも存続できればそのうち人物が現れたかもしれない。ま、タラレバ
だから仕方ないけどね。
>>314
一応、征夷大将軍は源氏がなるものだから、秀吉は義昭に養子を申し込んで断られたんでしょ。
だもんでその上の関白になろうとして、近衛さんにワイロつんで藤原氏をもらったと。
ほんで征夷大将軍には、東を治めるもの、という意味もあって、田村麻呂の故事から来てるのだろうけど
このあたりの、慣例、を理解しておかないと朝廷と武士たちの関係がうまく理解できないかもしれない。
1573以降、信長は朝廷とひんぱんに書とかのやりとりをするけど、なんかプレゼント交換みたいな
感じでうまくあしらわれてるようなふいんきがあるんだよね。
0316人間七七四年
2007/10/03(水) 00:29:06ID:fZoM5Q0M藤原氏も征夷大将軍になってるだろ。
平性の信長も将軍に推任されてるし、
秀吉も左近衛権少将に任官された時は平性だ。
猶子(養子じゃないぞ)の話も当時の書状等は一切無く、
「豊臣秀吉譜」や「絵本太閤記」といった
江戸時代に書かれた物にしか載っていない。
0317人間七七四年
2007/10/03(水) 00:29:44ID:fZoM5Q0M×性
○姓
0318人間七七四年
2007/10/03(水) 00:47:19ID:WS907m3W秀吉が価値を見出さなかっただけかもしれないよな
0319人間七七四年
2007/10/03(水) 01:12:35ID:Clr1DREI0320人間七七四年
2007/10/03(水) 02:02:50ID:mNAk/Pu2もうどこから突っ込んでいいのやら・・・w
0321人間七七四年
2007/10/03(水) 02:44:09ID:oOt6lXWL信長の教養がどうとか言われても自分も首を傾げてしまうな
信長時代の茶の湯は「茶の湯御政道」なんて言われて
信長個人の趣味というより配下の武将統制に使われた感が強い
和歌や漢詩を詠んだという記録もない
能は時々見たようだが自分で好んで舞ったという記録もない
文化的な趣味といえば幸若舞の「敦盛」舞うくらいで、
後は鷹狩や馬を駆けさせたりが趣味の体育会系武将でしょ
茶人としても一流で幽斎から和歌の手ほどきを受け、
自作能を舞うくらい(これは下間少進なんかの記録を見る限り下手の横好きだったようだが)だった秀吉、
文化の都駿府で育ち若年から古典漢籍に親しみ、
年老いてからも羅山から儒学、梵舜から吉田神道、
三浦按針から幾何学の講義を受けるなど
貪欲な知的好奇心を持ってた家康なんかとは比べるべくもないな
0322人間七七四年
2007/10/03(水) 08:06:25ID:8Sic9ysbそもそも本願寺自体全国に信者がいる巨大権力団体
武田信玄やら毛利元就も本願寺には頭を下げざるを得なかった
創価学会みたいなもので下手な企業や地方自治体(昔で言う武将)より力を持っていたと推測される
当時の日本人にとって一向宗は嫌いだけど逆らえない権限あったと思うが
0323人間七七四年
2007/10/03(水) 10:55:14ID:qvZsLzRa権力者側 反一向宗
0324人間七七四年
2007/10/03(水) 12:14:28ID:01ggYGSKあくまで、一応、と断ってるけど、鎌倉武士政権が出来た後の話、ってことでね。
信長の平姓も自称であって本当の出自ではどうなのかわかってない。
もちろん系図等は知ってるけど、あくまで確定できるのは敏定ぐらいまで、という意味ね。
こう書いておかないとまた、中卒、とか言われちゃうからね。
秀吉が、義昭の猶子云々、はもう少し事実として確定してるのかと思ってた。
感謝する。
0325人間七七四年
2007/10/03(水) 12:44:42ID:o9G15xFq一応信長は、鼓の名手、にはなってるけど、いかにもお世辞っぽいものね。
で、教養という視点からじゃなくて、知的好奇心、という視点だと、世界地図理解したり
黒人洗わせたり、新しいモノ好きだった信長もかなりのもので、それが当時としての
教養に結びつかなかった、という面から考えると面白いですよね。
体育会系武将、って良い表現ですね。
織田家乗っ取りを策してた頃の信長は、家庭に恵まれないヤンキーのヘッド系あんちゃんだった
ようで、それがその後武将として変化していく、戦国大名としての実力を発揮していく、
そういう成長面から考えると、これまた面白い。
我々はどうしても結果を知ってるので、最初っから天下統一を目指していた、と考えやすいけど
決してそうではなくいろんな人生の岐路において経験、体験して、最終的にあ〜いう信長が
出来上がった、そういう風に信長さんを考えたいのですよね。
ちなみに部下に相撲とらせて、勝った者の褒美が、栗3コ、とか案外ケチだったとかね。
ま、それこそ本当かどうか知らないけど。
0326人間七七四年
2007/10/03(水) 12:50:40ID:hVgI3F7Z小豪族分立のグレーゾーンの北伊勢制圧を滝川に任せつつ美濃攻略に傾注
この結果、尾張は安全なパワーベースとなって信長軍の兵站を支えることになる
信長の戦略を見ると、実はかなり安全策を取っているよ
上洛した時も、近江廻りと伊勢廻りのニルートを事前に確保しておいたお陰で浅井に裏切られた時も孤立せず岐阜まで帰還できた
0327人間七七四年
2007/10/03(水) 13:03:09ID:o9G15xFq松平との講和、というのは織徳同盟のことでいい?
もちろんまだ徳川なんて名乗ってないけど。
これはファインプレーというか結局本能寺まで続くわけでしょう。
これがまず戦国においてはかなり奇異な気がする。
美濃攻略も10年ぐらいかかってるのかな。信長にしては案外まったりしてる。
道三救援の時は空けた城を攻められてあたふたしてるし、対外戦争というのは
巷間言われてるほど完璧最強の武将ではないと思う。
戦略では安全策重視でも、個々の戦術ではなんか危なっかしかったりするね。
まさか浅井に裏切られるとは思ってなかったろうし、このあたりでやられてたら
義元あたりと同評価だったんだろうな。
0328人間七七四年
2007/10/03(水) 13:38:07ID:fQYLNZA2世界を見渡しても対抗できるのは、せいぜい曹操、カエサル、ナポレオンがいるぐらい。
0329人間七七四年
2007/10/03(水) 13:46:55ID:fZoM5Q0M> あくまで、一応、と断ってるけど、鎌倉武士政権が出来た後の話、ってことでね。
だから鎌倉期以降の話だよ。
少しは調べろよ。
> 信長の平姓も自称であって本当の出自ではどうなのかわかってない。
> もちろん系図等は知ってるけど、あくまで確定できるのは敏定ぐらいまで、という意味ね。
信長の正確な出自に何の意味がある?
平姓でも藤原姓でも将軍になれるって事だ。
そのくらい理解しろ。
つーか、
ID:01ggYGSK=ID:o9G15xFq
こいつ
異常な句読点、独特の文体、
> ヤンキーのヘッド系あんちゃん
この言い方。
例の馬鹿か・・・。
0330人間七七四年
2007/10/03(水) 16:20:38ID:gqiX+nuW鎌倉幕府の頼朝嫡流が3代で途絶えた後は摂家将軍(藤原氏)、親王将軍(皇族)と源氏以外の者を傀儡の将軍としている
鎌倉幕府滅亡後も後醍醐天皇の長男の護良親王が征夷大将軍に任官されている
>信長の平姓も自称であって本当の出自ではどうなのかわかってない。
出自が定かでない者でも力さえあれば征夷大将軍になれるという事で君の考えとは矛盾してると思うんだが
>>327
美濃攻略は7〜8年程度
自身と同等の大国を相手にこのスピードは賞賛されるくらい早いんだけどなw
戦国期に自勢力を倍増できた大名なんて数えるほどしかおらず、
それらの大名も勢力倍増することに自身の人生の大半の年月を費やしたというのに
信長の美濃攻略期間がまったりとか言われてもなあw
>道三救援の時は空けた城を攻められてあたふたしてるし
この時期は尾張半国程度の勢力で周囲が敵だらけなんだから当たり前
>戦略では安全策重視でも、個々の戦術ではなんか危なっかしかったりするね。 まさか浅井に裏切られるとは思ってなかったろうし
浅井家の背信行為は戦術どうこうの話ではなくどちらかと言うと戦略どうこうの話だよ
0331人間七七四年
2007/10/03(水) 18:42:17ID:o6F7JwaX>この時期は尾張半国程度の勢力で周囲が敵だらけなんだから当たり前
横からだが、そういう攻められて当たり前の状況でありながら
道三救援においてろくにそういった対処をせずに行動して失敗して
城攻められてあたふたしてるのを迂闊といいたいんじゃないのか?
0332人間七七四年
2007/10/03(水) 21:16:26ID:3GMi2Ow+エーと、詳しいことは知らないが、
その時は、信長は隠居して(名目上?)、斯波義銀に清洲城を譲って(事後、彼を追放)、
軍事上、兵を集めるのは限度があるので、
政治的に、敵に城を攻められないように段取りをつけて、救援に向かったんじゃなかったかな。
将来美濃を併呑したいという構想を持っていれば、
道三を救出することは計り知れないメリットがある。
0333人間七七四年
2007/10/03(水) 21:33:11ID:oOt6lXWL地球儀を見せたら地球が丸いつうことを直感的に理解した、
つうことで宣教師が信長の理解力の高さに驚嘆したという記録が残ってるね
数十年後に羅山が宗論の場で地動説を唱える宣教師を「論破」したつう話と比べたら、
頭の良さにも色々有るんだな、と思うw
頭の回転の速さや柔軟な思考という点では信長はずば抜けて凄いと思うけど、
やっぱ教養つう点ではあんまり評価できないわな
それが信長の魅力でもあると思うけどね
0334人間七七四年
2007/10/03(水) 21:50:14ID:4DdaXrbu逸話としては里村紹巴とか本能寺の前夜に囲碁の対戦を見物したとかあるが、
本人が歌や囲碁をたしなんだという記録はない。能については信忠が填っている
のを見て譴責しているほど。
>>315
源氏については他の人が触れているので一つ。
征夷大将軍は東国を侵略するための官位であって、治めているかどうかではない
ですよ建前では。足利尊氏も関東の反乱を討つために下向するにあたって将軍位を
求めて却下されている。
そもそも東国支配が将軍就任の条件と言ったら、足利将軍の半分以上が資格なしに
なりそうだが。
>>327
美濃侵攻は足掛け七年、通算で六年と四ヶ月。ちなみに侵攻を開始した時点では
尾張一国の完全支配はまだで、三河とも交戦状態だった(停戦はしていたようだが、
完全に終息するのは同盟を結んでから)。さらに途中で北伊勢に兵を出したり、東
美濃では武田との接触からこちらとの交戦もあった。
そんな状態で、少なくとも美濃一国を支配していた勢力と戦って完全征服。
これってすごいことだと思いますよ?
0335人間七七四年
2007/10/03(水) 22:26:04ID:o6F7JwaXしかしその結果は無残だったな。
道三は救援できず、逆に自軍の勇士を討ち取られ突き崩される有様。
兵力差は信長公記には書いてないが信長軍より上のようだったし
不利な状況でどうするつもりであったのか。
政治的に攻められないように、といってもしっかり清洲攻められて「ご無念限りなし」
「尾張下郡半国過半敵になるなり」という状態になったわけだが。
>>334
松平は今川のほうが主問題。尾張を脅かすなんてできっこない。停戦もしてたしな。
東美濃では武田はそもそもこの頃西上野攻防戦が大詰めになってた。
この交戦はもともと両者にとっては偶発的なもので、深い戦略的意図によったものではない。
事実両者はさっさと和議を結んでいる。
松平と武田を織田にとっての美濃攻略の障害というのは無理がある。
美濃側が反撃に出れてない事や内部崩壊の様子からも斉藤氏は若くて経験不足な当主でいまいち
足並みがそろってない事も考慮すべき。
0336人間七七四年
2007/10/04(木) 01:16:57ID:r0NLwbGSあっさり打ち首になるとは思わなかったのかな。
0337人間七七四年
2007/10/04(木) 02:18:13ID:AZyFF9b30338人間七七四年
2007/10/04(木) 13:42:34ID:5knhAOVO国譲りの真偽はともかく、この前後から反斎藤派になった美濃諸豪族が信長を頼るようになっている
このあたりは、武田勝頼が高天神城を後詰できなかっために求心力を失ったのと真逆
0339人間七七四年
2007/10/04(木) 15:41:27ID:frzdyDgy道三は1000ちょいの兵力で、結果は見えているのに援軍出しているからなー
>道三救援の時は空けた城を攻められてあたふたしてるし
ところでこれって何?
信広が攻めてきた時は備えが完璧で信広は退いたと言うし
岩倉に清洲近辺の村を焼かれたことか?この場合は城を攻められたわけじゃないし・・・
0340人間七七四年
2007/10/04(木) 15:45:03ID:frzdyDgy兵力は義龍は17500道三は2700だった
0341人間七七四年
2007/10/04(木) 16:55:01ID:Qe7Y7DAJすごいな。
0342人間七七四年
2007/10/04(木) 21:43:42ID:qajLZMST論点ずらしすぎ
道三救援してるときの尾張への処置と、その目的についての議論だっただろ
それで結果云々言い出すって
0343人間七七四年
2007/10/04(木) 23:08:54ID:t858L+ybなにが論点そらしだ。
その尾張への処置が全然機能してない、っていってるんだが?
それで見事に失敗して偉い目にあってるのに何をいってるんだ?
見事に失敗してるのに信長の処置が正解だったとでもいいたいわけか?
0344人間七七四年
2007/10/04(木) 23:16:56ID:t858L+ybつーかお前もう一回>>331と>>332を見返せや。
>>331では俺は信長が「失敗して攻められてあたふたしたのは迂闊」といった
>>332で述べられている信長がとった「政治的に攻められない配慮」というのは
結果から見て全然機能してないっていってるんだが?
これで論点そらしってどういう頭してるんだ?そっちこそ信長のミスが認められなくて
無理に揚げ足とって論点そらししようとしてるだけだろうが。
0345人間七七四年
2007/10/04(木) 23:25:57ID:pbIQ3y13この時動いたのは岩倉が清洲近くの村を焼いたぐらいで
これが信長がとった「政治的に攻められない配慮」の結果
この程度で済んだになるのか、こんなことされているになるのか?
どっちなんだ
0346人間七七四年
2007/10/04(木) 23:30:09ID:t858L+ybその後「尾張半国下郡過半敵」になる。
信長のとったという「政治的に攻められない配慮」とやらは全く機能してない。
0347人間七七四年
2007/10/04(木) 23:38:46ID:pbIQ3y13そりゃ無理も無いんじゃないか?
今までは今川と岩倉ぐらいが敵だったのが、
更に美濃を敵にまわしたんだから、中立的日和見勢力は敵になるだろ、
ただそれは道三救援時に「政治的に攻められない配慮」とはまた別の問題じゃ?
それとも斯波氏を名目的に城主に据えるだけでそれなりに長期間
政治的に攻められないことに繋がるとでも思ってるの?
0348人間七七四年
2007/10/04(木) 23:47:09ID:t858L+ybそうでなかったとしたらその配慮は結局的外れだったって事だろ。
どうせ隙があれば攻められる程度の配慮にすぎんし、事実信長は追い詰められた。
わざわざ城主の座を名目的にせよ、譲ったにしてはその効果は無きに等しい。
0349人間七七四年
2007/10/04(木) 23:55:07ID:pbIQ3y13斯波の件は信長が美濃行ってる間城を攻められないよう配慮って話しだろ
それで結果としては城を攻められることは無かった
その一時的な効果だけで十分なんじゃないか?
まさか斯波氏を名目的に掲げただけで尾張が治まるなんてアホなことを
信長が考えてるとは思えないし
0350人間七七四年
2007/10/04(木) 23:56:56ID:qajLZMST連投までして必死だな
それはとりあえず、お前が>>331を読み直せと
331で「道三救援においてろくにそういった対処をせずに行動して失敗して 」といってるのをムシするなよ
331の時点で結果がどうこう言ってない
「なんら対処せずに行動して失敗して城攻められ」たのをうかつとしてるんだろ?
それに対して、332は「いや、処置してるし、また政治的な意義も大きい」と言ってるわけだ
前提である「なんら対処せずに」が否定されてるのに「いや結果は…」とはじめれば立派な論点ずらしだ
反論するならその対処の有効性なり、信憑性についてだろ
そうだ、いいものを教えてやろう
ttp://yslibrary.cool.ne.jp/harojapa000top.htm
0351人間七七四年
2007/10/04(木) 23:59:29ID:t858L+ybほう、ねぼけたこと抜かして論点そらしか。ご苦労さんだな。
その対処の有効性は全然なかったといってるんだが?
それは結果を見れば一目瞭然だよな?
まさかあの結果を見て有効だとか抜かすわけじゃないよな?
そうだいいものを教えてやろう
ttp://yslibrary.cool.ne.jp/harojapa000top.htm
0352人間七七四年
2007/10/05(金) 00:05:41ID:bwKIi5BU前に信長が信友と争った時、城に守護がいるということで城攻めを控えたことがあったが
それと同等に多少の抑止力にはなっているんじゃないか?
0353人間七七四年
2007/10/05(金) 00:10:02ID:n0leM3NX別に恒久平和なんか望まなくてもいい。
でも信長がわざわざやった事のわりにはその効果は意味が薄いといっている。
連中が動かなかったのは結局動向と信長の足元を見ていただけに過ぎなかった。
信長が結局道三救援に失敗すれば連中は手のひらを返して動いた、ただそれだけ。
信長は斯波氏を担いだにしてはその下に一時的な時も稼げなかった。
政治的な意義は薄い。
0355人間七七四年
2007/10/05(金) 00:14:10ID:3auYf+N3「対処してない」と「対処したけど効果がなかった」は似てるが全く意味合いが違うぞ?
331は前者を主張してるが?
だから人が親切に文法の勉強が出来るページ教えてやったのに
鸚鵡返しとはまた幼稚なことしか出来ないんだな?
あ、鸚鵡って読めるかな?一応いっておくと「おうむ」ね
おうむがえしってのは相手の言ったことを馬鹿の一つ覚えに繰り返すこと
相手の言ってることをそのままかえすなんて、ウチの四歳になる姪でもできることだ
そんな幼稚なことしてるようじゃ、論点ずれてても気づかないわけだ
ところで「対処してない」で、次に「対処は効果が無かった」に変わった理由を明確に提示してもらおうか
そしてその「対処してない」は一体全体どういう認識による発言なのかも明確にしてくれ
0356人間七七四年
2007/10/05(金) 00:14:35ID:n0leM3NX岩村の動きからしてもある程度信長は防備を固めていたはず。
下郡の連中は信長の道三救援の動きを見て足元を伺っていただけ。
そして好機と見て動いた、ただそれだけの事。
連中が動きを止めていたのは状況の見極めと信長の防備を考慮したもの。
信長とて斯波氏をわざわざ担いだ以上、ある程度の期間平穏を保てる事は
期待したはずだ。美濃の状況も道三が危うい事はある程度しっていたはずだしな。
だがその結果は攻められて「ご無念限りなし」「尾張下郡過半敵」だ。
0357人間七七四年
2007/10/05(金) 00:21:01ID:n0leM3NXわざわざ餓鬼にでもわかる言葉を説明して無駄な文字をつかってる時点で
お里が知れるもんだな。その4歳の姪とやらがお前の影響を受けない事を祈るばかりだ。
まず最初に「ろくな対処をせずに」といったよな?
「ろくな対処をしてない」の意味くらいはわかるよな?洪水来る前に板一枚川に
放り投げておいても何にも意味はないわけだ。
信長は斯波氏を担ぐというお前にしてみれば「政治的な意義は大きい」らしい事をしたが
結果はなんの抑止にもならず逆に追い詰められる自体になったわけだ。
まさに洪水の前の板、ろくな対処をせずにあたふたするハメになったというわけだ。
0358人間七七四年
2007/10/05(金) 00:24:03ID:bwKIi5BUだったら絶好の機会である、信長が美濃に出兵している隙を付けばよかったのに
結果は碌に動けず信長に各個撃破されてしまっている。
>信長とて斯波氏をわざわざ担いだ以上、ある程度の期間平穏を保てる事は
>期待したはずだ。
そのわりにはあっさり追放しているから一時の時間稼ぎと思うが
0359人間七七四年
2007/10/05(金) 00:32:39ID:n0leM3NXいや、だからね。美濃の状況を見ていたわけでしょ。
信長や道三が勝ってくるかも知れないし。
それに岩村の動きから見ても信長の防備はある程度あったわけで。
迂闊にうごいて手間取っているうちに信長・道三が勝って美濃は信長友好者で
固まっちゃいました、じゃしゃれにならない。
そんで結果信長も道三も負け、信長の敵が美濃の主になった。
これを見て下郡連中は動いたんだろ。ある程度状況が不利な事を知っていた信長は
斯波氏を立ててある程度の期間連中が蜂起するのを遅らせられればいいと思ってたけど
役に立たないんであっさり追放したその程度の事だろう。
0360人間七七四年
2007/10/05(金) 00:45:29ID:bwKIi5BU実際の戦闘が極短期間で終わっていたから信長・道三が勝つ可能性は低かったと思うが、
そのどっちが勝つか分からない曖昧な状況だからこそ斯波氏という名目が
程度抑止力になっていたんじゃ。
>ある程度状況が不利な事を知っていた信長は
>斯波氏を立ててある程度の期間連中が蜂起するのを遅らせられればいいと思ってたけど
十分遅れたんじゃないか?
そして道三救援してるときの尾張への処置を話していたんじゃなかったの?
あと斯波氏の追放は今川と手を結んだからじゃ
0361人間七七四年
2007/10/05(金) 00:55:57ID:n0leM3NXいや、だからね。
道三救援から尾張下郡連中蜂起まではつながった一連の流れだ。
道三救援の時点である程度状況が不利な事を知っていた信長は
斯波氏を立てる事で道三が敗れてもしばらく平穏を保てる事を期待した。
下郡連中は美濃が不穏な事を見て動揺したが美濃で信長が勝って来るかもしれないし
信長もある程度の防備を固めていた事から様子を伺う事にした。
結果として信長は敗れ、美濃は信長の敵となり好機と見て蜂起した。
状況がよいとみれば即動いたわけで信長にしれみれば十分なんていえんだろ。
信長にしてみれば斯波氏をわざわざ担いだのに村は焼かれるわ、
下郡連中は蜂起するわで斯波氏の利用価値の低さを感じた。
そんで斯波氏が不穏な動きを見せたらすぐに放逐した。そんなところだろう。
本当に斯波氏を担ぐ事に有効性や義理を感じてるなら斯波氏の別のものを立てるなり
やり方はあるはずだし。
0362人間七七四年
2007/10/05(金) 01:10:31ID:bwKIi5BU>斯波氏を立てる事で道三が敗れてもしばらく平穏を保てる事を期待した。
こう思う根拠は?
この部分が根本的にずれてる気がする、
まず上を成り立つ根拠を示してもらわないと議論に意味が無いと思う。
0363人間七七四年
2007/10/05(金) 01:11:16ID:bwKIi5BU0364人間七七四年
2007/10/05(金) 01:30:17ID:n0leM3NX信長公記の信長が斯波氏を押し立ててるくだりから。
今川からの斡旋とはいえわざわざ大々的に吉良との対面を行わせ
斯波氏擁立を宣伝し、国主としてあがめ本丸まで譲って隠居の体裁をとった事から
恒久平和とまでいわないしそれほど長くともいわないが、ある程度の期間効果が
ある事を期待しておかしくないだろう。本来ならこれは他国でやられる場合統一を
保つための手段として行われることだ。わざわざ美濃が不穏な時にこれをやった以上
信長もある程度の期間における効果を期待していただろう。そんなに長い間とはいわんけど。
むしろこれだけ大仰にやっておきながらそっちのいう「美濃に救援に行く間だけ」の効果しか
求めてないというのは逆に不可解。そっちこそなんか根拠あるの?
0365人間七七四年
2007/10/05(金) 08:31:46ID:3auYf+N3都合よく文言変えるなよ…
「ろくにそういった対処をせずに行動して」だろうが>>331で言ってるのは
「ろくな対処をせず」と「ろくにそういった対処をせず」では意味が違うぞ?
悪いことは言わないから教えてやったページで日本語勉強してこい
あと鸚鵡返しをやめたのは成長した証だな、偉いぞ
0366人間七七四年
2007/10/05(金) 10:10:52ID:n0leM3NXお褒めに預かり恐悦至極とでも言ってやろうか?
少なくともお前のほざいてる「政治的に大きな意味」なんざどこにも
ないわけだが?
それでしっかり失敗してるのに「ろくに対処をして行動した」とでも
ほざくわけか?いい加減揚げ足とりにやっきになるのはやめれ。
日本語の勉強はお前がすれば?そうすりゃ多少は論理展開がまともになるかもな。
0367人間七七四年
2007/10/05(金) 10:50:18ID:Iyxa+LhRこれはやっぱり失敗だと思う。
下郡の連中は様子見で好機を伺っていた、というのなら、道三救援時の信長の領地を見て
好機と思われたのも失敗だろうし、結果的に「過半敵」だものね。
それに結果的に信長が美濃には勝っているのを知ってるから、大したミスじゃない、みたいな
印象があるけど、あたふたどころかかなり戦国大名としては致命的なミスではないのだろうか。
下手したらここで信長は終わってたかもしれないでしょう。
道三救援失敗、領地にも侵入された、この二つの結果は信長の道三救援作戦の失敗を物語ってる
ように思える。
さらに信安がヨシタツと組んで信長に叛旗を翻すわけだが、これは道三の死後から、じゃなく
信長が道三救援に向かったぐらいからじゃないだろうか。
兵力17500−2700がほぼ事実とするなら道三はまず勝てない、道三が負けるのを見てからの行動
のみならず、信長が救援に領地を出たあたりからすでに狙われていたのじゃないだろうか。
事前からヨシタツと信安が内通してたかどうかはわからないけど、信長がそのあたりの情報を
取れてなかったのも事実だろう。
余談だが信安って、最後は安土総見院だったかの住職になってるのだよね。
いくら一族とはいえ、よく罪を許されたなって、そっちの方が不思議だったりする。
0368人間七七四年
2007/10/05(金) 11:36:59ID:Chyx0Elf救援の失態、滅亡したかもというのは予想の上に予断を重ねたものでしかないだろう
批判のための批判はやめれ
0369人間七七四年
2007/10/05(金) 12:37:49ID:N8CpLUFo元々敵対?していた信安以外動いていない、
領地に侵入されたと言っても村を焼かれた程度。
「過半敵」となったのも信長のミスというよりは道三が死んで義龍と信長が敵対した結果、
信長のミスというなら道三に味方して義龍と敵対したことじゃないかと思う。
まあ義龍に味方することが長期的にどんな影響及ぼすかまでは分からないけど。
0370人間七七四年
2007/10/05(金) 13:06:51ID:Iyxa+LhR確かに村を焼かれた程度ではあるだろうが、それによって救援が遅れた、道三見殺し、
になったのは信長の失敗の1つだと思う。
過大評価スレだから、数少ない?信長のミスみたいなのはきっちり論証しておきたい。
道三は娘やったり信長には期待してたろうから、タラレバ、の話になるが信長、道三が組んでたら
どうなってたろう、とか考えるのも好きなんだけど。
0371人間七七四年
2007/10/05(金) 13:32:46ID:3auYf+N3恐悦至極なんぞ現代日本人が使う言葉じゃないがねえ
お前の元の主張がおかしかったりぶれたりして、さらに論点ずらしてるからそれを指摘してるだけだ
恥ずかしいのは分かるが、素直に過ちを認められるようになればさらに成長できるぞ
「ろくに対処していない」なら失敗かどうかは問題じゃない
「ろくな対処していない」なら、お前が言うとおりその対処の有効性について問題になるがな
さあ、まずは中学校の国語の教科書を買うところから始めよう!
0372人間七七四年
2007/10/05(金) 13:59:05ID:TWwa+e99横からだけどね。
あんた、本当に恥ずかしい人だな。
中学生の自称口喧嘩上手じゃないんだからさ、
どうでもいいことで鬼の首を取ったように喜ばないように。
見てるこっちが恥ずかしいよ。
0373人間七七四年
2007/10/05(金) 14:35:30ID:3auYf+N3どうでもいいこと?
議論の発端となった部分だぞ?
しかもその文章をちゃんと理解してないから、対処の有効性がどうの、結果は失敗だのとぐだぐだと続けてる
それをどうでもいいなどと評価するのか…
俺にはどうでもいいなどと評価することのほうが恥ずかしいがねぇ
まあお前がどう思うか、俺がどう思うかは人それぞれだ
0374人間七七四年
2007/10/05(金) 15:33:16ID:TWwa+e99いや、どうでもいいよ。
いきなり相手に対して国語サイトとか出して煽ったり、オウム返しがどうのと言ってみたり、
無関係な些細な言葉の違いを得意げに語ってみたり、
そういうのは議論の最中に必要な事とはとても思えない。
そういうのが恥ずかしいと言ってる。もとの主張がどうのと語れるレベルですらない。
特に>371はほとんど小学生のようだった。大部分がつまらん煽りだろ?
内容を語るなら、語る本人もまず襟元を正して臨むべきだと思うがね。
子供っぽさを露呈したところであんたに何も得はあるまいに。
0375人間七七四年
2007/10/05(金) 15:42:41ID:/FTjMo9J「何もしてない」と主張した人間に「こういう事をした」と言ってるのに
「したけど失敗だった」という返答じゃあ、議論が成り立つ訳が無い。
0376人間七七四年
2007/10/05(金) 15:47:59ID:TWwa+e99>さあ、まずは中学校の国語の教科書を買うところから始めよう!
こういう部分ね。この人、やけに目に付く。
あとは議論って言うか揚げ足の取り合いでしょう。
話が噛みあわなくてその上煽りあいばっかじゃ議論が成り立つ道理はないわな。
0377人間七七四年
2007/10/05(金) 17:14:10ID:EYNxWzFvそれ以上に両者の日本語の説明はいらない罠
>>370
>確かに村を焼かれた程度ではあるだろうが、それによって救援が遅れた、道三見殺し、
>になったのは信長の失敗の1つだと思う。
それによって救援が遅れたというのは事実誤認じゃない?
村焼かれたのは信長の敗退した後だと思う、少なくとも信長が出兵した後。
道三救援は短期的には確実に失敗だろ、長期的には後の外交交渉や美濃攻めで
役にたったかもしれないけど。
0378人間七七四年
2007/10/05(金) 18:15:17ID:3auYf+N3話がかみ合ってないのは、日本語が不自由な彼だけだから
純粋に日本語に難儀してるから噛み砕いて説明したのに煽り呼ばわりか
それ以前に344で揚げ足取り呼ばわりされてるんだがねえ、それはムシ?
お前の言ってることは議論中心に見れば枝葉末節でしかない
俺が指摘してるのは議論の仕方そのものについて
俺は純粋に議論を見たいだけだが、お前の場合は俺の煽りをどうこういってるだけ
なんだろう、お前のレスはまるごと無駄だよな
そもそも2chで煽るなってドンダケだよ
俺はID:t858L+ybが論点ずらさずに、主張をころころと変えずに話してくれりゃそれでいいだけなんだがね
0379人間七七四年
2007/10/05(金) 19:19:15ID:C96px+Zu数百年後に自分をダシにして有象無象が
ごじゃごじゃ語ってるってのはどうなんだろうな。
結局本能寺で大チョンボして横死したわけだし
過度に持ち上げられてもあんまり嬉しくないだろうな・・・。
0380人間七七四年
2007/10/05(金) 19:20:13ID:o2XNJYyXっつかさ。
オレも議論がみたいだけだけど、なのにどうでもいいノイズが邪魔するっつってんの。
別に2ちゃんだから煽りあい推薦ってわけでもないだろう。
相手がわかってないと思うなら、ちゃんと筋道立てて説明すればいいじゃない。
どうもそれをせずに行数のほとんどを煽りに費やすから、論旨がわからなくなる。
あとたしかにオレのレスはまるごと無駄だけど、あんたもちょっと度が過ぎてるってのは自覚してくれ。
0381人間七七四年
2007/10/05(金) 19:35:18ID:UwPO9NWIそのあたりが実ははっきりしてなくて、出兵した後信安?に領地侵入されて
あわてて引き返したりしてるうちに道三救援が間に合わなくなった、とこんな感じで
記憶してるのだけど。
だから道三死後の下郡の蜂起とは違った意味で、信長は迂闊だった、と判断したのだけどね。
お二人さんの議論のかみ合わない点は、当時の尾張の状況はこうだった、とするのは
単に事実の説明なんだが、迂闊だった、というのは信長の行動に判断を下してるわけで
どちらが正しいと言うより次元の違う話をしているように感じたのだよね。
史料や事実を並べるのと、そこから推察や判断しているのとでは段階が違うわけで
他の板でもよくあるのだよね、こういうこと。
0382人間七七四年
2007/10/05(金) 20:06:33ID:3auYf+N3適宜説明してるつもりだが?
そもそもこの程度の文章の煽りに血が上って論旨が分からなくなるようじゃ、まともな議論なんざできん
あぁ、だから日本語がいまいち通じてないんだな
そのための日本語講座じゃないか?
物凄い親切じゃん、俺
0383人間七七四年
2007/10/05(金) 20:09:17ID:gRbS4E0w>そのあたりが実ははっきりしてなくて、出兵した後信安?に領地侵入されて
>あわてて引き返したりしてるうちに道三救援が間に合わなくなった
信長公記の記述だとそんな風にはなっていないけど他の史料は知らない、ソースは何?
議論が噛み合っていないのは片方がどんどん話を広げているからだと思う。
道三救援において尾張でどんな対処をしていたか、その効果はってのが本題だったのに、
別に話を広げるのは構わないけど、
ちゃんと話を分けて書かないと論点ずらしてるようにしか見えないしなー。
0384人間七七四年
2007/10/05(金) 20:11:38ID:o2XNJYyX検索してそのページ引っ張ってくる手間を、ソフトに伝える努力に向けることはできんの?
どうでもいいが、怒った人用に日本語講座のページがあるわけじゃないよな?
0385人間七七四年
2007/10/05(金) 20:39:02ID:UwPO9NWI昔読んだ全集モノ。
道三の遺言に、美濃は信長に譲る、とかそういうのもあったけど
あのあたりも史実じゃないのかな、スマン。
0386人間七七四年
2007/10/05(金) 20:46:05ID:Ofpo+0ivID:3auYf+N3のレスは純粋に議論を見たい奴のレスには到底見えんし
他人のレスを無駄と言うくせに自分のレスもまた無駄という事が分からないようだな・・・
しかも煽りを肯定してるとか・・・
自分が知能高いんだと必死でアピールしてるのには少しワロタけどなw
0387人間七七四年
2007/10/05(金) 21:42:55ID:g77WsFoo道三と義竜が闘争するという、
信長には仲裁も何もできない、しかも突然というか急展開で勃発した戦い。
これに対して、信長は、できる限りの手は打ったということ。
そして、それが不十分だとしても、道三の危機は目前に迫っているので、時間の余裕はない。
結果的に道三の救出には失敗したけど、これをもって信長のミスというのは酷(こく)すぎる。
義父の危機に、不利を承知で出兵したという事実は、
尾張・美濃の国人衆の信望を得るのにプラスになったと思う(多少はね)。
0388人間七七四年
2007/10/05(金) 21:54:37ID:3auYf+N3日本語が通じないから、俺が日本語で説明しても通じないだろう?
日本語以外できないからな、俺は
そもそも、仮に怒りを感じてる対象が丁寧に説明したとて、素直に納得するような人間ならこんなにレスの応酬合戦になってないぞ
>>386
>>373以降のレスは全くもって無駄だぞ、それは認める
そりゃ無駄なレスで聞いてくるのがいるから、説明してるだけだ
それに格別知能が高くなくてもこれぐらい理解できるだろうし、そう主張したことは無いがなあ
親切だとは主張してるが
投射?
0389人間七七四年
2007/10/05(金) 22:23:55ID:o2XNJYyXそうかなぁ。
バカにしたような対応をすれば相手が怒るのは当たり前だと思うけど。
日本語講座がどうの、オウム返しがどうののどうでもいい言葉遊びが始まったのは明らかに
>そうだ、いいものを教えてやろう
>ttp://yslibrary.cool.ne.jp/harojapa000top.htm
この部分から始まってる。
自分で油そそいでおいて、「どうせまともに話は通じない」はないんじゃないのかね。
煽りあう時間をきちんとした議論に使えたのでは?
386じゃないけど、本当に純粋に議論を見たい奴のレスならそんな事態は起こらないと思うよ。
まぁその点ではID:t858L+ybも反省すべき点があるけどな。
「日本語が通じない」じゃなくて「どこか食い違いがある」と考えられないのは、
真に公平な議論を望む人としては問題じゃないかね。
0390人間七七四年
2007/10/05(金) 22:28:06ID:UwPO9NWI反論じゃないが、不利を承知で出兵したのは単に義父への義理だけではなく
美濃攻略において道三救出が重要だった面もあるでしょう。
信長のミス、というのを酷というのなら信長の戦国大名としての力量がその時点では
そこまでだった、と言う風に解釈したい。
つまり桶狭間から美濃攻略、上洛まではトントン拍子で順調だったのではなく
地方大名としても特に図抜けたものでもなく、苦労しながらたどりついた
そういうのを確認しておきたくてね。
テレビだけじゃなく通史でも信長の過大評価というか若い頃から最短距離で上り詰めた
みたいなイメージがあるのだけど、案外そうじゃないというかね。
0391人間七七四年
2007/10/06(土) 00:04:48ID:fDvVQ57s義銀保護が1554年
清洲奪取が1555年4月
義龍が弟らを討ち道三と敵対したのが1555年10月
義銀をたてたのが1556年4月上旬
道三救援が1556年4月20日(18日)
斯波氏をたてるのと道三救援にほとんど間が無いことから、
斯波氏をたてたのは道三救援のためというのが主目的と自分は考える。
美濃から戻ってきたらあっさり元に戻ったという逸話もあるし。
斯波氏をたてることで尾張の安定を狙うなら清洲を奪った時点でたてるだろうし、
これをわざわざ美濃が不穏な時にこれをやった以上と言うのであれば、
義龍と道三が敵対してから半年ほど何をしていたのかということになる。
吉良との対面はともかく、国主として義銀を据える事はもっと早い時期に可能なはず。
0392人間七七四年
2007/10/06(土) 00:11:50ID:rQeukfjM>道三救援は短期的には確実に失敗だろ、長期的には後の外交交渉や美濃攻めで
>役にたったかもしれないけど。
それに関しては同感、
武田の今川攻め時の北条ぐらいに両者の国力が拮抗(ていうか北条の方が上?)なら
滅亡寸前でも救援も可能性あるだろうけど、
信長の道三救援の時はどう考えても不可能だろうと思うのだが、信長は何考えていたんだか
0393人間七七四年
2007/10/06(土) 00:14:54ID:qgGW7mrdそりゃ君主としては落第だけどw
0394人間七七四年
2007/10/06(土) 00:15:57ID:rQeukfjMそりゃ信長は割と不利なとこからのスタートだからなー
元就あたりには負けるけど、信玄とかと比べるなら割合不利、
特に周囲を取り巻く環境が。
0395人間七七四年
2007/10/06(土) 00:20:59ID:rQeukfjM同感、危険を冒してまで、道三に援軍出す必要があったのかどうか?
一歩間違えれば美濃で大きな被害を受けていただろうに。
天王寺でも、無理矢理信長自ら突っ込むほどの必要性があったのかどうか、
当時はまだ毛利も上杉もはっきりとは敵対していないし、武田は長篠の敗戦後、
一旦摂津失っても挽回は可能だと思うんだけどな。
0396人間七七四年
2007/10/06(土) 00:35:25ID:qgGW7mrdトンチンカンな物言いかもしれないけど、俺はこう思うんだ。
信長ってのはある種の感動屋さんっていうか、
たまに聖人的な行為をする自分にどこか酔っちゃう人だったんじゃないかと。
保険をかけとこうとか、自ら突っ込むのは危ないとか、まぁそれが普通の考えなんだけど。
チンピラに絡まれてるいじめられっこを助けに行く時の心理に似てるんじゃないかな?
0397人間七七四年
2007/10/06(土) 01:23:14ID:1aBUCDVI自ら先頭に立って突っ込んで行く、
そういう大将の姿に感動したり、男気を感じる部分もある。
戦国の荒くれどもを率いるためには、ときにはそういうことも必要だったのかもしれない。
信長は激情で動くというよりも、案外計算してやっている気もするが。
それにしても、、、
そうやって救われたこともある明智の裏切りは万死に値する。
道三は、もし救出できれば、
美濃攻略においてその情報、人脈、ノウハウ、など利益は計り知れない。
0398人間七七四年
2007/10/06(土) 03:31:23ID:ixoWvQWt鉄砲しかイメージできない
天王寺では信長に助けてもらうし
0400劉邦
2007/10/06(土) 09:05:45ID:5hwUvUeD0401人間七七四年
2007/10/06(土) 09:10:30ID:D+luc6VR0402人間七七四年
2007/10/06(土) 10:51:57ID:VpFCIQbnあの信長が一番の部下とほめるのだから大したもんだったんでしょう。
朝廷とかのつながりもある光秀から見たら信長は田舎大名に思えたろうし
そう考えると本能寺も別に謎でもなくなる。
明智の裏切りが万死に値するというのは信長側からみただけで
それも是非におよばずなんだから本能寺すらも過大評価されてるかもしれない。
0403人間七七四年
2007/10/06(土) 11:59:06ID:wIJRLgw5朝廷との繋がりといってもそれは織田家の武将としての政務での繋がりなだけであって
光秀個人が朝廷と関係した家柄ではないんだから、信長を田舎大名と見下す程傲慢じゃないと思うんだが
まあ教養の点では信長の事を田舎大名と思ってたかもしれないけどね
0404人間七七四年
2007/10/06(土) 12:53:59ID:VpFCIQbn光秀は細川と話があったように、朝廷の故事とかしきたりとかにある程度の知識は
あったみたいだよね。
それが信長に採用された理由のひとつでもあるだろうし家柄ではなくて個人としての
つながりも出来たのじゃないかな。これは織田の武将としてからのことだけど。
傲慢かどうかは解釈と表現の違いだけどあの頃の尾張は確かに田舎だったろうな。
光秀が信長のことをどう思ってたかは永遠の謎だけど連歌会なんかに出席できるほどの
教養のあった光秀が大した教養も無かったであろうに茶器だけはありがたがる信長を
どう見ていたか、これは本能寺の遠〜い原因のひとつかもしれない。
0405人間七七四年
2007/10/06(土) 15:56:45ID:XQj5OwJP言い返せないと大概それだよなw
突っかかってきてる奴に言えよ
日本語通じてない奴は理解したみたいだが、煽りがどうこうとレスしてきてる奴とかにな
0406人間七七四年
2007/10/06(土) 16:29:47ID:wIJRLgw5もちろん個人での繋がりもできただろうね
>>405
空気嫁
自分は純粋に議論を見たいとか言ってた割には相変わらず無駄レスの連続とかどんだけry
本当に純粋に議論を楽しみたいのなら、IDも変わったんだしいちいち昨日のことのレスに対して
反応するのをいい加減やめる事だな
0407人間七七四年
2007/10/08(月) 03:58:19ID:bj23XNSM信長の肖像画は実物と全然違うといって
フロイスの日記に書かれている詳細に沿って
どんな顔だか想像図を作った
それを見て こんな顔ね〜 ふ〜ん とか思った
そして数年後
ある日 テレビを見てたら
その人相書きの犯人みたいな顔とそっくりなヤツがいて爆笑した
0408人間七七四年
2007/10/08(月) 03:59:30ID:bj23XNSMスケートのノブナリ 顔が似すぎで吹いたw
(半分気持ち悪くて恐くなったけど)
0409人間七七四年
2007/10/08(月) 11:23:43ID:wcWUAIyP>>突っかかってきてる奴
>>日本語通じてない奴
なんかやな言い方だね。この>>405の人。
言い返さないんじゃなくて面倒になって相手するのやめただけじゃないの?
夜に不利になると何もいわず離脱して朝誰もいない頃に反論してエンドレスじゃ
普通の人は相手する気をなくすでしょ。言ってる事も煽り罵倒ばっかりだし。
0410人間七七四年
2007/10/08(月) 11:54:12ID:j0jCD4VJ今度は人格攻撃?
別にどの時間にレスしようが関係ないだろ
一ヶ月や二ヶ月あけてレスしてるわけじゃなし
それとも一日中張り付いてレスしろとでも言うのか?
それにまともなレスにはまともにレスしてるだろ?
馬鹿みたいな奴には馬鹿みたいなレスしてるが
0411人間七七四年
2007/10/08(月) 11:58:44ID:wcWUAIyPだったら離脱するときには一言いったら?
いきなり離脱して朝になって反論開始じゃ相手も疲れるでしょ。
都合があるのはみんな同じなんだから。
まともなレスってなに?上のレスとかみると煽りとかばっかりに思えるんだけど。
0412人間七七四年
2007/10/08(月) 12:27:47ID:d7mRV5Fwあ、ごめん。
別にもういいの。話が通じてないみたいだから辞めただけ。
ヒトの迷惑になるしね。
0413人間七七四年
2007/10/08(月) 13:35:34ID:cQ9+m8ni【日本史上の】 信長革命 【大転換点】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191811194/
0414人間七七四年
2007/10/08(月) 14:19:46ID:j0jCD4VJチャットじゃないんだからな
別に期限きってレスしろとも言ってないし、こっちもそのつもりでレスする
レスできるときにレスする、それで何か不満か?
0415人間七七四年
2007/10/08(月) 17:15:59ID:wcWUAIyP相変わらずしつこい人だね。
夜にみんないろいろ都合持ちながら書き込んでるんだからさ。
少しはそこらへん考えたら?
夜に議論してだいたい結論が出たと思われるところで何の前触れもなく
レスしなくなって、ああ納得したんだと思ったら朝になっていきなり反論開始じゃ
不親切で相手してるほうも疲れるんだよ。「もう今日は寝る」くらい書いてもいいだろう。
正直あんたが論破したと思ってる相手って、あんたの相手すんのに疲れて身を引いただけなんじゃ
ないかと思えてしまうよ。
0416人間七七四年
2007/10/08(月) 17:27:22ID:j0jCD4VJしつこいのはそっちだろ…
一週間とか空けてレスしてるならお前の言い分も理解できるがな、空けて一日か二日だろ?
まして次の日にちゃんとレスしてるのに「逃げた」ってな…
それから多分二度目だが、チャットじゃないんだぞ
いつでもレスできて、それをいつでも見れるのが掲示板の利点
チャットならログが流れていくから、ある程度配慮する必要があるが、掲示板ならいつでもできる
お前がどう思うか知らんし、お前の勝手だが、それに論破するような論がないぞ?
日本語を教えてやってるだけなのに、論破もへったくれもねえし
0417人間七七四年
2007/10/08(月) 17:41:57ID:wcWUAIyPしつこいってそっちだろ。
上のやりとりをどれだけひきずってるのかと。
「日本語を教えてやってる」とかそういう言い方も鼻につくし
その言い方とか態度に修正を別の人が求めて話し合いになったじゃないか。
そこらへんどう考えてるんだよ。
第一こっちも2回目だけど「もう今日は寝る」くらい言ってもいいだろう。
手間かかんないだろ?いつもいきなり自分から話が大詰めになったときに
いなくなって相手の事考えてるのか?返答を待ってそれがないから話が終わったと
思ったら朝にいきなり返答でエンドレスじゃ疲れるんだよ。
0418人間七七四年
2007/10/08(月) 18:07:55ID:d7mRV5Fw別に言う事はないな。
ただ、議論と口喧嘩は違う。この違いを意識できるかできないかで、
日本語を教えてやってるなんて言葉を吐けるかどうか決まってくる。
議論がしたいならいちいち態度に対しての注意に対しファビョらなきゃいい。
現に>402-405で元の話題に戻りつつあったのに、あんたは参加しようともしない。
「相手をヘコます」ことだけが議論だと思ってる何よりの証拠なんじゃないの?
絶対に負けたくないとか、相手にいい気にさせたくないって子供じみた心理が働いてるなら別だけど。
0419人間七七四年
2007/10/08(月) 19:01:32ID:8mTFmFIm>>418も言ってるようにまともなスレの話題には全く参加しようとしないこいつはスルーするしか手はないよ
ところでここ2、3日専ブラ(ギコナビ)で戦国板のスレで新着レスをリロードする事ができない、
レスを書き込めないんだけど、これって俺だけかな?
スレ違いな質問で申し訳ないんだが、他の板は問題なく使えてるから戦国板だけ
なにか調子が悪いのかな?詳しい人いたら教えてください
0420人間七七四年
2007/10/08(月) 19:34:43ID:FsuIvNQJ0421人間七七四年
2007/10/08(月) 19:51:07ID:j0jCD4VJ一日あいてるのに書き込んでるお前のほうがしつこいだろ
それにわざわざ寝ること宣言しなきゃならんのか?
アホか
レスしたくなくなったんならそれでいいじゃん
気の向くままに、好きなときに書き込むのが掲示板なり2chだ
そもそも論破とかいうような高尚な話もしてないし、俺をそんなに論破したいのか?
>>418
それは>>417に言え
どうやらどうしても俺を論破したいという幼い心理が働いてるのは>>417のようだからな
>>419
それでイイと思うぞ
誤解してる点があるが、俺は議論したいんじゃなくて、見たいだけだ
0422人間七七四年
2007/10/08(月) 20:02:33ID:wcWUAIyP阿呆らしい……。
なんで
>>どうやらどうしても俺を論破したいという幼い心理が働いてるのは>>417のようだからな
なんていう書き込みになるわけ?あんたとろくに話なんかしたくもないんだけど。
そんなに引くのが嫌なの?普通に切り上げる時には返答を待つ人を気遣って
一言あればいいというのがそんなに難しいの?やってる人普通にいるよ?
この話こそ論破云々の高尚な話じゃないだろ。他人にまで救援要請するのやめない?
0423人間七七四年
2007/10/08(月) 20:15:48ID:j0jCD4VJ一日空いてるのに、「ろくに話もしたくない」のに、わざわざレスして何を得たいんだ?
で、俺の考えた答えがそれだ
それ以外に「話もしたくない」のにレスする心境ってのがいまいち理解できないからな
レスしたくないなら、する気も起きないならレスしなければいい
なんでレスをしたくなるんだ?それも「ろくに話もしたくない」相手と?
言われっぱなしじゃ気がすまないんじゃないのか?
それほどまでに「論破」されるのがイヤだからじゃないのか?
なぜ相手には「退け」といっておいて自分は実行しない?
いや、できないのか?
チャットならなんぞの一言アルだろうな
残念、しかし俺が書き込んでるのは掲示板だ
2chで礼儀を求めるか?
0424人間七七四年
2007/10/08(月) 20:20:55ID:j0jCD4VJあぁ、宣言しなきゃお冠のようだから言っておくわ
これから風呂行って寝るからレスできません
そもそもスルーしろって指摘してる奴もいるからしないと思うが、それでも「論破」しなきゃ気がすまない性質の人ならまだレスしてくるんだろうねぇ
0425人間七七四年
2007/10/08(月) 20:23:49ID:wcWUAIyPそもそもね。あんたに言ったわけじゃないんだけど。
傍からみてあんたが非常に不快だったんで感想を書いたんだけど。
あんたね、はっきりいわせてもらうけどうっとおしすぎ。
結局あんたの言い方は「相手へこます」事が目的なだけじゃないか。
そもそも議論が見たいだけ、といっておきながらわざわざ口出して煽りして
無駄レスしまくって何がしたいの?結局「相手をへこます」事をしたいだけでしょ。
そのくせ追い詰められると「〜に言え」と相手に責任転嫁。
夜に追い詰められれば切り上げる一言もなしで朝誰もいない時に
書きなぐってエンドレス。そんで相手の主張は一切引かず認めず粘着しまくって
相手が反論しなくなるまで続けて論破完了。正直見てて不快にしかならないんだけど。
あんたが論破したと思ってる相手なんて大半が相手するの疲れてやめただけだろうよ。
2chにだってある程度のマナーはあるよ。人間としてのある程度の常識があれば出来る自然な事だよ。
0426人間七七四年
2007/10/08(月) 20:26:25ID:FsuIvNQJ_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
m9( °Д°)
もまいら〜オチつけ
0427人間七七四年
2007/10/08(月) 20:27:13ID:wcWUAIyP今日は随分早く切り上げるんだね。驚いたよ。
まあ僕もあんたと話してると不毛だからこれであんたとの話は切り上げるよ。
どうする?朝になってこっちがいなくなってから書き込んで勝利宣言する?
反論がないのを見て「論破してやった」と勝ち誇る?
あんたが相手した人の大半は多分こんな感じで適当に切り上げただけだと思うよ。
0428人間七七四年
2007/10/08(月) 22:05:53ID:j0jCD4VJだからスルーすればいいといってるだろう?
相手をへこまそうなんぞ思ってもないし、反論したいならすればいい、したくないならしなければいい
勝っただの負けただのに拘ってるのはおまえだろう?
だからこそ、自分の反論で終わらないときがすまない、スルーすればいいといってるのにそれもしない
マナーを強要するのはマナー違反じゃないのかね?
で、「ろくに話もしたくない」相手にレスし続けるのは何で?
>>426
いつ俺が勝ち誇った?
妄想がきついぞ、お前
0429人間七七四年
2007/10/08(月) 22:33:11ID:j0jCD4VJまた「逃げた」だの喚き散らすんだろうか
0430人間七七四年
2007/10/08(月) 22:48:07ID:wcWUAIyP結局「寝る」と言って相手が引いたのを見計らって書きなぐって撤収するわけだ。
姑息な姿勢でなにより。
自分の反論で終わらないと気がすまないのはあんただろ?
こだわってるのはお前といいつつ自分からやめる事は決してないんだから。
「ろくに話したくない」あんたに対してレスするのはあんたが姿勢があまりにも
うっとおしくて、自分の非を一切認めず相手が呆れてレスをやめるまでしつこく粘着して
自分の反論で終わらないと絶対に気がすまない根性に対して物申してやりたくなったから。
0431人間七七四年
2007/10/08(月) 23:05:55ID:wcWUAIyPこだわってるわけじゃないんなら書き込むのやめたら?
散々粘着しといてよくいうよ。
そんなに言うなら自分から書き込みやめてみなよ。
それとも「自分が最後に反論しないと気がすまない」わけ?
0433人間七七四年
2007/10/09(火) 07:54:33ID:+j1FcEYq別に俺はお前の相手をするのを「ろくに話もしたくない」ほどいやなわけじゃないからな
それに俺はいつレスしてくれてもいいと何度もいってるし、相手がそうしたとて、また俺がそうしたところで別に問題ないというのが基本姿勢だから
それにそんなに俺のレスがいやならngなりスルーするあんり方法があるだろ?
相手に非を認めさせないと納得できない、言い換えれば論破しないときがすまないからレスし続けているんだろう?
認めちゃいなよ
違うなら、論破したり納得させたりすることが目的じゃないなら、もう俺にレスする必要ないよな?
0434人間七七四年
2007/10/09(火) 08:09:23ID:GqKcaplnそうやって無理に相手にレスを控えさせるようになにが何でも持っていって
自分の反論で何が何でも終了したいわけ?>>431は完全スルー?
散々煽りまくってマナー無視しまくって粘着しまくって
挙句の果てに相手が引くのが当然みたいにいう言い方は好きじゃないんだけど。
本来スルーするけどあまりに見てて鬱陶しかった。あんたの無駄レスでどれだけスレが
消費されたか。態度を注意した人の発言をどれだけあんたがないがしろにしてた事か。
見てて正直不快きわまり無かったよ。
結局そっちこそ自分の反論で終わらなきゃいやなんでしょ?さっさと認めたら?
こだわってないならあんたは自分から引くことが出来るよね?出来ないならそう認めてくれる?
「自分は自分の反論で終了しないと気がすみません」って。
0435人間七七四年
2007/10/09(火) 08:45:52ID:+j1FcEYq>>432
>そんなに言うなら自分から書き込みやめてみなよ。
>それとも「自分が最後に反論しないと気がすまない」わけ?
俺は別に相手するのが苦じゃないからな
無駄レスはわざわざイチャモンつけるのがいるからだろう?
俺が飽きるまでいつまでも相手してやるぞ、お望みならな
それに最初に論破だのなんだのと勝ち負けに拘ってるのは相手だぞ
で、お前が拘ってるんだろと聞いたら顔真っ赤にして反応してきてると
さてまた次のレスはおそらく時間が空きますよっと
0437人間七七四年
2007/10/09(火) 10:22:58ID:6j57f2pZどうも普通に注意されたことを「うるせー」「お前だって」と話題そらしに責任転換してるだけのように見える。今までずっと。
母ちゃんもお前に注意するのは大変だったろうな。何を言ってもすべてイチャモンになるんだから。
少し素直になってみたら如何か。4歳でもできることだから。たぶん。
それと、>>434の言ってる事を噛み砕いて説明するね。
「お前は身を引けないの?」
こういうこと。相手がどうとか言い出すのは止めよう。
ついでに>418も十分あんたに言ってるんで矛先を変えようとせず、真摯に聞きなさい。
勝ち負け云々の高尚な話じゃないんだから。
「はいはい、わかったよ」って言うこともできないかね?
絶対に自分がどこも間違ってないと言い張れるのか?
0438人間七七四年
2007/10/09(火) 10:34:43ID:6j57f2pZごく自然に実践できる当たり前のことだからな。
>そもそも2chで煽るなってドンダケだよ
話の流れとか、人間の感情でどうしたって煽ってしまうヒトもいる。
でも別に許容されてるわけじゃないので、そこんとこよろしく。
わかっててやるもんじゃないよね。
0439人間七七四年
2007/10/09(火) 20:59:56ID:M/7V/W9r0440人間七七四年
2007/10/09(火) 21:18:48ID:0Jzw+tp0当時の信長の国力や周辺状況から見て道三救援は既に現実的じゃないと思うけど
この状況で何が出来て、何をして、どうなったかを話合えば良いんじゃないの?
0441人間七七四年
2007/10/09(火) 21:23:44ID:+j1FcEYqいや、俺がレスする動悸を説明したわけだが
お前から見て俺は荒らしに等しい存在なんだろ?
なら黙ってスルーしとけと
それにレスされたらなんぞ反応してやるのも「マナー」じゃないのか?w
いや、俺は強要してるわけじゃないぞ
俺はレスしてきた奴がいたらレスすると、自分の行動の指針としてそういうのがあるってだけだ
ところで何で「親が注意」じゃなくて「母ちゃん」なんだ?
父親はどこいった?お前の家にはいないのか、父親
俺は素直だぞ?
俺は俺の行動に正当性があると思って行動してるから、お前らのイチャモンを聞かないだけだ
身を退くも何もなあ…正しいことをして何故に退かねばならんのだ?
>>418の返答は420あたりでしてるだろ
議論に参加するのが目的じゃない、見るのが目的だ
「絶対に自分がどこも間違っていない」はっきりと言い張れるぞ
それがなにか?
お前は自分が間違ってると思ってることでも行動するのか?会社でもないのに?
>>438
でもマナー押し付けたって事はマナーが無いって事だよな
で、極自然に実践できる当たり前のことをできてないと
そんなやつがえらそうにいえるねえ
さてさて、またつぎのレスがあれば時間は空きますよっと
お前もいっとかないとマナー違反らしいぞ、気をつけろ
0442人間七七四年
2007/10/09(火) 21:37:39ID:GqKcapln動機と動悸を間違えるくらい必死なのか。
というかもはや文章のいろんな所から必死な所が滲みでまくってるねえ。
これだけ煽りしまくって正しい事をしてるってもはやジョークかなにか?
マナーっていうのは極自然に出来る事であって押し付けるもんじゃない。
それを守れてない人に注意を促すのは別におかしくないだろ。
というかもはや論点そらしまくって逃げ回るだけだろうから話絞るね。
>>431の人が言ってるのはさ、>>428であんたが「勝ち負けにこだわってるのはお前」
といったから
「あんたがこだわってるわけじゃないならむしろあんたが書き込みやめられるでしょ」って
いう事でそれに対して「嫌なわけじゃないから」って答えるのは筋違いなんだけど。
ちゃんと答えてね。勝ち負けにこだわってるのはあんたでしょ?そうじゃないなら
書き込みやめられるよね?
0443人間七七四年
2007/10/09(火) 22:30:08ID:ah2w94ud道三救援は100%不可能だろうけど将来の美濃侵攻を考慮すれば、絶対必要だったか分からないけど布石にはなったと思う
まあ尾張一国の支配すら確立していなかった時期に美濃侵攻を考慮していたかは疑問だけどね
道三救援の意志を兵を動かすことによって行動で示すことによって、義龍勝利後も美濃国内での反義龍派との連携ができれば
尾張統一の間に美濃からの侵攻を食い止める可能性を考慮していた可能性が高いんじゃないかと俺は思う
0444人間七七四年
2007/10/09(火) 22:51:36ID:EQtVpA57政治的には将来の布石として何らかの役に立つかもだからねー
0445人間七七四年
2007/10/09(火) 22:55:13ID:6j57f2pZすんません、今回ばかりはもうあなたが何を言っているのかさっぱりわかりません。
>でもマナー押し付けたって事はマナーが無いって事だよな
>で、極自然に実践できる当たり前のことをできてないと
>そんなやつがえらそうにいえるねえ
よくわからん。その三段スライド方式はまったく全然わからん。
じゃあ普通の家庭で子供に礼儀作法を教える親や教師はみんなマナー違反なんだね。
>正しいことをして何故に退かねばならんのだ?
学校で先生が「他人に石投げちゃいけませんよ」→「せんせー!でも相手がバカなら投げてもいいですよね!」
まぁ…あんたが何度も日本語しかわからんと言ってるように、こっちも日本の文化しかわからんからさ。
でもせめて姪御さんにはその俺カルチャーは教えないほうがいい。墓まで持ってけ。
郷に入っては郷に従えってコトワザがあるんだからね。
>お前は自分が間違ってると思ってることでも行動するのか?会社でもないのに?
会社だろうが外だろうがオレはしつこく人を文盲呼ばわりする事はないです。
思考停止状態で根拠のない正当性を主張する事はもっとないです。
>お前もいっとかないとマナー違反らしいぞ、気をつけろ
何度もやってるけど、いちいち人を引き合いに出すのはやめましょう。
(例:煽りがどうとか言ってるやつ 日本語がわからんやつ)
ついでに
>いつ俺が勝ち誇った?妄想がきついぞ、お前
↓
>>日本語通じてない奴は理解したみたいだが
こういうのは勝ち誇りと違うのかなーと思ったけどなんかもう一般的な思考回路と善悪基準が全然違うみたいだからどうでもいいや。
>ところで何で「親が注意」じゃなくて「母ちゃん」なんだ?
>父親はどこいった?お前の家にはいないのか、父親
>俺は素直だぞ?
はぁ、そうっすか。
0446人間七七四年
2007/10/09(火) 23:29:22ID:+j1FcEYq>>442
2chで誤字の指摘か
それこそ必死だなあと思うが
先に論破だのと勝ち負けを持ち出したのは残念だが俺じゃないんだなこれが
「お前が論破したと思ってる〜」→「論破なぞと高尚な話してないぞ?」
→「お前と話もしたくも無い。退くのがいや?」→「おまこそ話もしたくないならレスやめれば?おまえが論破されるのがいやだから自分のレスで終わりたいんだろう?」
→「へこますことが目的だろう?論破したいだけだろう?」→「(論破だのなんだのと)勝ち負けに拘ってるのはお前だろう?」
→「いや、お前だろう?拘ってないなら自分からレスやめたら?」
と、まあ話もしたくない相手なのに延々とレスしてくれるから
ちなみに一文の矢印の右側が俺の言ったことな
みたらわかるが、無理やり俺が論破したがってると決め付けられてるんだ
俺は論破云々にこだわっちゃいない
いろんな人間がいるし、快不快を感じるものも違うから「スルーしとけばいいのに」と言ってるんだ
本人も話をしたくもないといってるのに
なのにレスをしちゃう、聞けばマナーが無いからだそうだ
マナー云々と相手を「へこま」そうとしてるのはつまり論破じゃないか、そう思わないか、君
つまり勝敗に拘ってるのはマナー云々といってる彼なんだよ!
で、違うと言うならスルーしとけと
簡単なことじゃね
俺が相手するのは別に不快でもなんでもない、んが、勘違いされてるからな、誤解は解かなきゃ
>じゃあ普通の家庭で子供に礼儀作法を教える親や教師はみんなマナー違反なんだね。
お前は俺の教師でも親でもないし(違うよな?)、師事を請うた覚えも無い
まったくもって意味を持たない質問
>学校で先生が「他人に石投げちゃいけませんよ」→「せんせー!でも相手がバカなら投げてもいいですよね!」
どこの世界に馬鹿なら危害加えてもいいなんて法律があるんだ?
少なくとも法律に違反することは正しいことじゃないだろう?
すくなくとも日本じゃそういう法はないはずだが…
あぁ、ドイツでは信号無視したやつは引いても大丈夫とかあるとか見た記憶あるが、お前も日本の文化しか知らないって言うし…
>会社だろうが外だろうがオレはしつこく人を文盲呼ばわりする事はないです。
日本語が通じないから勉強してからまたレスしてねと優しく諭しただけジャン
>思考停止状態で根拠のない正当性を主張する事はもっとないです。
そうか?具体的に何も挙げられてないのになあ?
>何度もやってるけど、いちいち人を引き合いに出すのはやめましょう。
>(例:煽りがどうとか言ってるやつ 日本語がわからんやつ)
上と下のつながりがよく分かりません!
忠告聞き入れてそれを実践してるのに、それをしてない人がいるから教えてあげただけです!
真面目な話文意が全く違うだろ?
俺だけにマナーだのなんだのと指摘する奴を皮肉ってるのと、人物を特定するための修飾言葉
お前も日本語講座やってきたら?
>こういうのは勝ち誇りと違うのかなーと思ったけどなんかもう一般的な思考回路と善悪基準が全然違うみたいだからどうでもいいや。
そりゃ異常な思考回路してる奴から見れば正常が異常にも見えるだろうさ
例えば九人のキチガイと一人の常人がいたらキチガイの基準が正常になるんだ
あ、それで父親は健在?
さあてと、犬が静かに…なんで俺だけこんな報告を求められるんだろうな?
0447人間七七四年
2007/10/09(火) 23:38:49ID:6j57f2pZまぁなんか言ってる全部ひっくるめてさ、俺のほかに言動その他不快に思ったやつがいて、
みんなキチガイだったのならいいんじゃないの。
よかったね正常で。おやすみ。
0448人間七七四年
2007/10/09(火) 23:53:51ID:GqKcapln2chって別に音がするわけじゃないんだから見に来なきゃ寝れるだろ。
いつも寝るといっておきながら覗きに来て相手がいないの見計らって書いて
去っていくんだね。必死さ全開って感じだね。
だからさ、あんた人に押し付けるのはやめい、って。そもそもこれだけ粘着しといて
ムキになってないとかこだわってないとかありえんから。
上で他の人が言ってるように「はいはい、わかったよ」でくらい他人の忠告受け入れられる
くらい素直ならこんなにこじれるわきゃないだろ。
スルーしとけ、ったってあんたの煽り及び粘着レスでこれだけスレが満たされりゃ
出来る範囲じゃないだろ。
大体マナー云々で注意しようとするのを「相手がへこまそうとしてる」なんて
被害妄想もいいところじゃないか。
結局あんたは上でまた別の人が言ってるように自分の反論で終了しないと終われないんでしょ?
あんたの>>445の人に対するレスなんてもはや論点そらし以外の何者でもなくなってるよ。
あんたの日本語講座って自分の意に沿わない相手を罵倒する為に使われてるとしか思えなくなってきたよ。
とりあえずマナーの注意くらいでそんなにムキになってる時点であんたが勝敗にこだわってるとしか
私には思えない。そうじゃないないっていうなら書き込みやめなよ。
もうあんたの俺ルールがこのスレでは支持されてない事くらいわかるでしょ?
0449人間七七四年
2007/10/09(火) 23:55:04ID:ah2w94udお前等のせいでレスが埋もれちまってるじゃねーかよ・・・
無駄な喧嘩をしたいんなら捨てアドでも取得してメールでやるかチャットでやって欲しいもんだ
今なぜか専ブラが不調で戦国板だけが使用不可だからIDあぼ〜んできないからマジで頼むよ
0450人間七七四年
2007/10/09(火) 23:57:16ID:EQtVpA57もう治っているんじゃない?
0451人間七七四年
2007/10/09(火) 23:58:57ID:6j57f2pZごめん。もういいやと思ってたし、本当に悪い。
0453人間七七四年
2007/10/10(水) 00:11:14ID:XNrIvS8b0454人間七七四年
2007/10/10(水) 00:11:29ID:kbOnps4A他に評価すべき点がなー
いくら戦術で頑張っても、戦略的には絶望的だったしな
0455人間七七四年
2007/10/10(水) 00:22:12ID:Yaky6dNl0456人間七七四年
2007/10/10(水) 00:27:05ID:JAgP19Llさすがに何もないのに、ポンと信長に美濃一国くれてやったとは思えん…
0457452
2007/10/10(水) 00:43:01ID:u77fuPpW義龍謀反を周辺諸国が予測できるほど道三親子の対立って表面化してたのかな?
信長の立場としては正室の父、道三に味方するか争いに介入しないで傍観するの2択しかなかっただろうし、
謀反が予測できない突発的なものだったら史実での対応をするだけで精一杯だったんだと思う
義龍謀反を周辺諸国が予測できる程、道三父子の対立が表面化、激しかったのか
そこら辺の事情に詳しい人いたら教えて
0458人間七七四年
2007/10/10(水) 01:02:11ID:EuLwHljmとりあえず信長公記でいうなら
道三が二人の息子を義龍に殺されて宣戦布告され、町を焼いて逃げ
城にこもったのが1555年の10月から年が明けるまで。
道三と義龍の決戦が4月20日。結構期間があるように思えるんだけどどうかな。
0459人間七七四年
2007/10/10(水) 01:16:54ID:kbOnps4A更に国内にも服部や織田信安など敵対勢力を抱えているから
本来なら動くことさえ困難だと思う
0460人間七七四年
2007/10/10(水) 01:31:49ID:EuLwHljm結果はいろいろ疑問点があるみたいだけど、もっと早くにできなかったもんかね。
4月に直前になってやるというのもね。もっと早くやって工作とかしておけば
もっとうまく動けて道三救援に失敗しても国内の混乱を少なくするとか出来たかも。
0461人間七七四年
2007/10/10(水) 01:40:32ID:kbOnps4Aむしろより早く斯波氏が信長と敵対して却って混乱しそうな
0462人間七七四年
2007/10/10(水) 01:48:44ID:EuLwHljm下手に出ればもっと時間稼げたんじゃないの?
義昭のときはなんども和議してるんだし、斯波氏にだって有効性を認めればするでしょ。
早めにやっておいて斯波氏の権威を借りて国内を鎮撫しある程度の安定状態を
作れば道三の救援及びその後の流れもマシになってたんでないの?
まあ道三救援自体は無理だろうけど。
0463人間七七四年
2007/10/10(水) 01:54:31ID:kbOnps4Aこの後に及んで斯波氏の権威がそこまで有効か?
岩倉はもともと斯波氏とは敵対していたし、
服部は信秀全盛時でも織田氏と対立
そして信勝信広らは道三が生きている状態では敵対まではいっていないから
斯波氏の擁立が早くても取りあえずは信長に従う程度で、
史実とさほど変わらないんじゃないか?
0464人間七七四年
2007/10/10(水) 02:05:13ID:EuLwHljmうん、だからさ。その「取りあえず信長に従う」ぐらいの状態を早めに作っておいて
そこから内部工作をある程度時間かけて鎮撫すれば史実よりは多少マシな状況つくれたんでないの、
って話よ。
0467人間七七四年
2007/10/10(水) 02:15:50ID:kbOnps4Aでもその辺は道三死亡の結果、完全に離反であって。
道三は生きている間は取りあえず信長に従っているし、
離反していない時期に内部工作は却って敵にまわしそうだし、
一応従っている以上無理には討てないし
0468人間七七四年
2007/10/10(水) 02:23:57ID:EuLwHljmああ、誤解を招いたね。
内部工作っていうのは取り込みってことだよ。
信広なんかは後に信長に従って各地を転戦するようになるし、
斯波氏の権威を借りてじっくり取り込みを図れば脈はあったんじゃ?
もともと信広の家臣も信勝の家臣も信秀の家臣だったわけだし
そいつらにアプローチするのも悪くない。
「取りあえず従う」状態からうまく取り込める可能性はなきにしもあらずじゃない?
0469人間七七四年
2007/10/10(水) 11:41:16ID:jmoEY5Zu結局織田も他国並の豪族連合体になってしまい
後の躍進なんて望めなくなるんじゃないの?
回り道に見えても、信長のトップダウンが通じる体制にしたのは結果論だけど正解だよ
0470人間七七四年
2007/10/10(水) 20:12:11ID:eaedPiq9信長だって、
おじ信次、あに信広、信治その他の弟、おい信澄、いとこ信成、、、
一門は温存の方針だろう。
それでも独裁体制を築くのに障害ではなかった。
てゆうか、粛清された一門衆は信行だけだが。
0471人間七七四年
2007/10/10(水) 21:39:29ID:wgWnHV7Nやっとスルーできるようになったか、偉いぞ
>>448
おまえはまだなのか
最後の方しか読んでないが、お前がどう思うか、回りがどう思うかなんぞ関係なかろう?
隣に住んでる友達がこけたらお前もこけるのか?
周りの支持を得られないと何も出来ない人間なのか?
0472人間七七四年
2007/10/10(水) 21:45:36ID:EuLwHljmお前さんまだいたのか……。正直な話お前さん見てて痛すぎ。
>>やっとスルーできるようになったか、偉いぞ
なにこれ?っていうか相手にしてるのが一人二人だと思ってるのか。
ほぼ毎日人が変わってるんだぞ。ひらたくいうと>>448は
「ムキになってないなら書き込みやめれ」ってるわけよ。
お願いだからこのスレの平和の為に消えてくれや。せっかくまともになってきたのに。
0473人間七七四年
2007/10/10(水) 21:51:46ID:8wkMiyQW織田信光織田信清は?
力ある一族は潰されていると思う。
>おじ信次、あに信広、信治その他の弟、おい信澄、いとこ信成
信広は別として、1556年の状況じゃ信次は逐電、他の弟たちは幼少で
ほとんど無力な存在でしかないと思う、
これらのものに関しては元から独裁体制を築くのにはこの時点では関係ない存在かと。
0474人間七七四年
2007/10/10(水) 22:03:50ID:wgWnHV7N凄いな、全部違う人間だって何を根拠に考えたんだ?
俺はおそらく一人二人は同じ人間がいる、後は違う奴だと思ってるがな
0475人間七七四年
2007/10/10(水) 22:10:09ID:r+v9rNyA0476人間七七四年
2007/10/10(水) 22:51:10ID:JAgP19Llまぁとにかく消えろ。目障りだしホント邪魔。
0478人間七七四年
2007/10/10(水) 23:21:59ID:EuLwHljmもう荒らしにしかなってないからNGとか言ってないで消えてくれ。
皆不快になってるのがわからんのかい。
0479人間七七四年
2007/10/11(木) 01:57:44ID:DnenBWB/おじ信光は家臣・坂井某に殺され、
おとうと信時は家臣・角田新五に殺され、
おとうと秀孝は、おじ信次の家臣・須賀才蔵に殺され、
信次は逐電したが、後に呼び戻されて臣従。
いとこ信清は、長く独立していたが、協力離反臣従また離反を繰り返し、最後は追放。
あに信広は、一度は謀反をたくらんだが許されて臣従。
おとうと信行は二度の謀反のかどで殺害したが、その子・信澄は養育。
清洲の守護代織田信友は信光に殺され、
岩倉の守護代織田信安はむすこ信賢に追放される。
このように、信長は信行しか殺していない。
信光については、「公記」ではなにやら含みのある書き方をしていて、
これは牛一が、信長が殺したと思って、婉曲に書いてるっぽい。
しかし、坂井つながりで、今川へ逃げた坂井大膳の命令とも考えられる
(信光は大膳を裏切って清洲城を奪取し、信長に渡したから)。
信光は、信長にとって信友との戦いなど、最も苦しい時代を支えてくれた協力者だったと思う。
で、結論として、信長は独裁体制を築くにあたって、一族粛清はおこなっていない。
0480人間七七四年
2007/10/11(木) 08:20:10ID:7NoO8cdzお前もいい加減スルーしとけ。
>>479
協力者だからこそ発言権を持ち始めて、疎んじた信長が・・・とか。
独裁体制気づくためというのが動機なら、十分にありえる話で。
0482人間七七四年
2007/10/11(木) 13:32:30ID:K4n85mDz信広みたいに一旦撃破して大人しくなればよしみたいな
信勝は2度謀反したからアウト
0483人間七七四年
2007/10/11(木) 16:15:56ID:cdG8Zmsr信秀の死後、信長と勢力争いをした相手であり、守護斯波義統を殺した罪で殺した。
信長の命令または同意があっただろう。
秀孝は、信次の家臣による過失殺人。
実弟であり、まだ14・5歳。信長に動機はない。
信時の場合は、
彼がホモだちの近習を寵愛して、軽視された重臣・角田がむかついて殺した。
信時は信広の実弟だが、信長と親しく、一緒に行動していて林兄弟に殺されかかったこともある。
信長によって守山城城主に取り立てられた。信長に殺す動機はない。
信光は、信秀の死後一貫して信長の支持者で協力者だった。
おじとして発言力は当初から強いだろうが、信長と確執があったかは不明。
公記がほのめかす「信長の動機」は、まったくナンセンスで信じるに足りない。
信行が家臣の大半の支持を集めている状態で、信長を支持する信光の存在は貴重。
信光の後、守山城の城主にすえた信次、信時を次々に失って、信長は苦慮を重ねた。
信長に信光殺害の動機はないと思う。
やはり、坂井大膳が同族の坂井某に指令して暗殺したと推測される。
0484人間七七四年
2007/10/11(木) 22:20:33ID:SPyLywJf反論じゃないが、信光が信長の協力者なら、その信光を殺した坂井某を処罰してもいいはずだけど
そういう記録はなかったのじゃないかな。
角田にしてもそうで信長と信時が親しいなら信長は角田に報復してもいいはず。
ただそういう描写はないような。
秀考殺人もそうなんだけど、信長側に根拠があるとしたらこのあたりの一族の相次ぐ死、そういうのに
信長がかなりからんでいる可能性もあると思う。
信次も秀考の死の時に逐電してしまったわけだけど、信長はそれをしばらくたって守山城主にすえる、
このあたりも不思議な感じで実弟殺害の関係者なんだから信長が探してきて許すというのもどうなんでしょう。
このあたりの信長はどうもよくわからなくて公記のほめのかす「信長の動機」はそれなりに何らかの
根拠があるとも感じられる。
単純に、織田家乗っ取り、のために信長はそういう一族を殺す必要があった、そういう意味なんだけども。
名前に間違いとかあったらごめん。
0485人間七七四年
2007/10/11(木) 22:27:56ID:KgfBPb6I身内殺しだけ解決してるわけじゃないんだし
0486人間七七四年
2007/10/11(木) 23:49:05ID:SPyLywJfただかなりの後年このあたりの出来事を理由に身内を追放したりしてる。
他にも理由があるのかもしれないけど、ちゃんと若年の頃を覚えてたのも事実。
結構ネに持つ性格だったんだな、としみじみ。
0487人間七七四年
2007/10/12(金) 01:26:35ID:cNmyR4OY坂井孫八郎は今川への逃亡を図り、信長は三河国境の村まで追跡して彼を斬ったと伝えられる。
昔、何かの本で読んだが書名は思い出せない(小説ではないよ)。
坂井大膳を裏切った信光が坂井孫八郎に刺殺された・・・。
この「坂井」の一致は偶然とは思えない。
守護代の家老だった大膳は、おそらく坂井一族の当主的存在で、弥八郎に信光暗殺を指令しえた。
角田新五が処罰されていない、これは確かなようだ。
角田は守山城の重臣だから、その周辺の実力者であったろう。郎党も多いはず。
守山城は、尾張統治には重要な城だが、城主が信光、信次、信時と代わり安定を欠いている。
この上、角田一族に反抗されたら、尾張平定に支障を起こす。
ということを考慮して、信長は角田の処罰を見合わせたのかもしれない。
(といっても執念深い信長のこと、本能寺まで角田が無事だったかどうかはわからない。危険な任務を与えるとか・・・)
信次については、秀孝の死が家臣の過失によるもので、信次に責任がないことがわかれば、
別に処罰する必要もないし、
重要な守山城は、やはり一族の者に預けたかったのではないか。
秀孝については、「我らの弟たるものが・・・」と、軽率な行動の非を認めている。
>このあたりの一族の相次ぐ死
信長が最終的に尾張を平定したから、怪しく見えるだけだと思う。
年上で煙たいおじ信光を殺したというなら、
同じおじの信次を何故、探し出してまで守山城にすえたのか?
親しかった信時や、反抗的でない実弟である秀孝を殺したというなら、
何故、同じ弟で実際に謀反を起こした信行を一度は許したのか?
矛盾している。というか、
最大のライバルであり、実際に謀反を起こした信行を許せるのだから、
ライバルでもなかった信時や秀孝を殺す理由がない。
>公記がほのめかす信光殺害の動機
には、根拠も説得性も感じられない。
要するに、清洲城奪取に当たって、信長に領土の半分の割譲を要求したというのだが。
歴戦の武将である信光は、領土を二分すれば織田家の武力は半分以下になることをよく知っている。
また、こんな要求をすることは離反宣言と等しい。
遠い地である犬山の信清は離反しても当面はほおって置かれるが、
尾張の中枢地で清洲城にも近い守山城の信光はすぐに攻められるか、暗殺されることを知っている。
したがって、信光がそんな要求をすることはありえない。
それに、織田一族の首脳同士の密約を、下っ端の弓衆である牛一が知る道理がない。
おそらく牛一は、信光死亡当時、下っ端同士で噂しあった話を、数十年後、真実と思って書いたのだろう。
0488人間七七四年
2007/10/12(金) 17:40:09ID:BdaFNf8aなぜ秀考を殺して信行はいったん許したか。
逐電した信次をいったんは守山城主にすえたか、このあたりは矛盾してるようなんだけど
そうではない説と言うか解釈があるのですよね。
いわば推理小説で状況証拠しかないのだけど、そうすればこのあたりの織田家事情が
すんなりと説明できる、というか。
>479にあるように、含みのある書き方、というのを認めるならば首巻にある織田家乗っ取り
全体がそういう牛一の遠慮と言うか書きたくても書けない、そういうのを示唆してるかもしれなくて
信長よりも年上の牛一ならよく知ってた事情、首脳同士の密約ではなくて織田家自体の事情
そういうのの可能性があるという感じで。
ちょっとモゴモゴしたカキコで申し訳ないが過大評価にならないためにも
上洛以前のあたりはもっと語られるべきかもしれないね。
0489人間七七四年
2007/10/12(金) 19:39:04ID:0uXHoqRc疎んじたとか、そういう理由からだったっけ?
個人的には、これは将来的な危機だと思う。たしかに未来を考えれば、そういった
危惧も高い可能性がある話だが、しかし当時の信長にとって信光はほとんど唯一と
いっていいほどの一族内の有力者兼味方。あの時期の信長には、殺すメリットより
デメリットの方がが高かったろう。
0490人間七七四年
2007/10/13(土) 10:30:18ID:3JdrnDW8不慮の仕合、とかで決して殺害とか死因には触れられてない。
「天道」うんたらとか牛一得意の表現の後に信長は「果報故」とか出てきて信長の関連が
伺える。
そして書かれた条も半年たったところにでてくる。
他のとこでは結構細やかに描写してその理由すらも述べてるのになんか
怪しげなところが牛一の作為を感じる。
信行だまし討ちのとこなんてよく正直に書いたな、と思うものね。
この信長の手法、結構重要だと思うけどあまりその後と比較されたりしないな。
0491人間七七四年
2007/10/13(土) 14:29:23ID:Ep4eAy06牛一知る立場にないし
噂話とか聞きかじったことを書いといただけって部分も多いでしょ
0492人間七七四年
2007/10/13(土) 15:04:43ID:WM8Muzba>>要するに、清洲城奪取に当たって、信長に領土の半分の割譲を要求したというのだが。
「信友を討ち、清洲城を奪って差し上げる代わりに、領土の半分を拙者にお譲りください」
信長から見ると、
いま支配している尾張下4郡のうち2郡を失って、清洲城を得ることになる。
清洲城1個と2郡の支配権が等価なのだろうか?そうでないことは素人でもわかる。
全然プラスにならないこんな条件を、信長が飲むわけがない。
また、信光も、命が惜しかったらこんな条件を出すはずがない。
公記のこの部分は、牛一の捏造だろうね。
坂井孫八郎をググってみたら、結構たくさん出てきた。
下手人はコイツで決定的だな。
孫八郎が若い近習だったためか、信光の妻との浮気が原因とか噂されたようだ。
信長は、佐々孫介他5名の討手に追跡させ、熱田で斬られたらしい。
0493人間七七四年
2007/10/13(土) 15:19:38ID:uK00UivEあのあたりの一族の次々の死は事件がおきては複数まとまって死んでるし、結局
最後には信長が織田家を乗っ取ってる。
最初の広信からはじまって信長の確信的計画であったほうが辻褄があうような感じ。
0494人間七七四年
2007/10/13(土) 15:29:05ID:WM8Muzba>>信光殺害って、彼が野心家だったからだとか、家中で勢力を増した叔父を信長が疎んじたとか、
家中で勢力を増したというか、
もともと信光は、先代信秀の弟で、小豆坂七本槍の1人で、数々の武勲で実績は12分。
もし野心をもっていたら、信秀死後、兄弟で家督争いする信長と信行をうまく煽って、
自分が織田家をのっとること可能性さえあったと思う。
それほどの実力者が信長を支持しているから、信行派にとっては目の上のたんこぶ。
信光殺害の黒幕は信行派かもしれない。
0495人間七七四年
2007/10/13(土) 17:27:23ID:uK00UivE最初に仕掛けたのは信行のほうだったかな、でも案外理由ははっきりしてない。
別に争わなくても兄弟仲良くやっていけばいい。
うつけに対してマジメしっかりものなんだから信行が仕掛けると言うのもおかしな話。
逆ならわかるのだけども。
最後も、病気見舞いに来てくれ、と言ってきたところをだましうち、これでは信長もうめちゃくちゃ
ですものね。
最初に戻って信行派、という言い方もちょっと気になる。
はじめから家督争いとかそういう派閥があったわけではないのじゃないかな。
0496人間七七四年
2007/10/13(土) 17:42:26ID:bc4GJMD10497人間七七四年
2007/10/13(土) 20:14:26ID:hpNoLTbC0498人間七七四年
2007/10/13(土) 20:17:38ID:jyK/lkpu徳川幕府でもそうだが
改ざんされる
0499人間七七四年
2007/10/13(土) 22:44:34ID:lYk+U3Nu0500人間七七四年
2007/10/13(土) 22:47:05ID:j92jit/A0501人間七七四年
2007/10/14(日) 00:32:29ID:0R4W43yv何の違和感も不都合もない物をどうやって否定しましょうか
0502人間七七四年
2007/10/14(日) 01:56:59ID:DWUR6D0O信勝側からの記録を見ないと完全には公平とはいえんのでは?
「違和感も不都合もない」って断言できる根拠ってなんかあるの?
0503人間七七四年
2007/10/14(日) 02:08:32ID:zchTyCnW0504人間七七四年
2007/10/14(日) 02:33:39ID:DWUR6D0Oそりゃ知ってるよ。
でもだからこそ現在ある資料は勝者の記録である事に留意する気持ちは大切だと
思う。>>501のように断言するからにはなんか明確な根拠あるのかな、と思ったのでね。
0505人間七七四年
2007/10/14(日) 02:39:59ID:tOrRzYfM逆にその後の処遇でわざわざ捏造してまで殺すなら、稲生合戦後に謀反で死刑と言えば済む事。
くだらん
0506人間七七四年
2007/10/14(日) 02:58:57ID:DWUR6D0Oさてどんなものだか。
案外信行側が行動に移ったきっかけは何気に信長側からの挑発とかがあったかもよ。
信長が信行を目ざわりに思わなかったとは思えないしな。
首巻は結構適当記事が多いところからして稲生の兵力差も怪しむ事は出来る。
最初に殺さなかったのはもともと信行とは母親を介した和睦だったはずだが?
信行は末森に篭城し、信長は城下を焼き払ったけど攻略したわけじゃない。
そのまま攻めると手ごわそうなので母親を介して和睦し隙を見て謀殺、というのも
十分考えられるだろう。結局の所残ってるのが勝者の記録である以上注意は常に必要だろう。
0507人間七七四年
2007/10/14(日) 03:02:15ID:0R4W43yv0508人間七七四年
2007/10/14(日) 03:05:04ID:DWUR6D0Oかくして話は>>504に戻る、というわけだ。
俺も別に無理して信行の潔白を証明したいわけじゃない。
ただ勝者の記録を主にする以上断定は危険と思ってね。
0509人間七七四年
2007/10/14(日) 03:11:19ID:0R4W43yv信行を一方的に悪者にしたり無能なやつのように扱っているのかね?
普通はまず脳内妄想ではなくその辺から考察を始めると思うけど
0510人間七七四年
2007/10/14(日) 03:16:02ID:tOrRzYfM多分戦国時代の記録とかを最近始めて見始めたんだろうけど、
この板にいる9割以上の人間が既に通過してることだから、いちいちレスにせんで良いよ。
0511人間七七四年
2007/10/14(日) 03:17:32ID:DWUR6D0O上にもあったでしょ。信光が死んだときの経緯について織田家首脳の協定を
大田が知れるはず無いから信光謀殺は怪しいって。
これと同じで大田が得られた情報は本当に事の核心ばかりついていたものだったといえるのかな?
言ってみれば大田はそういった信長の謀議に加われる立場でもない。
信長がもっともらしい信行殺害の理由をでっちあげて発表しそれを記録した可能性は十分あるだろう。
別に一方的に悪役や無能してなくとも情報操作は起こりうるだろう。筆者すら意図しない形でね。
0512人間七七四年
2007/10/14(日) 03:19:11ID:DWUR6D0O俺は上の流れで答えただけの事。ちゃんと通過した道なら一方的に「くだらん」とか
いって切り捨てるのもなしにすべきだと思うよ。
0515人間七七四年
2007/10/14(日) 03:28:01ID:DWUR6D0O確か信長公記首巻は他の巻よりも後年になって編集されたものだったはずでは?
織田家旧家臣に取材したとしても首脳部の情報を完全に知りえたといえるかな?
むしろ取材してまわった旧家臣達自体が信長の情報操作にひっかかってた可能性は
十分あるのでは?
0516人間七七四年
2007/10/14(日) 03:30:28ID:0R4W43yv信長公記は秀吉の命令で作られ始めて
江戸時代に完成した
内容のソースの多くが大田の日記
だから信長と信行との戦いに関しては
一方的に信長を持ち上げたり一方的に信行を悪く書く必要性が全くないわけだが
その辺に関する釈明は可能ですか?
0517人間七七四年
2007/10/14(日) 03:31:58ID:DWUR6D0O柴田の家臣だったとすればより怪しいのでは?
後に信長に寝返った柴田が信行殺害の経緯を正確に牛一に教えたかな?
むしろもっともらしい理由をでっちあげて(つまり信行が謀反たくらんでたので
柴田は信長様に報告し、信行様は成敗されたというような)家臣たちに発表していた
としても不思議ではないのでは?
0520人間七七四年
2007/10/14(日) 03:35:51ID:DWUR6D0Oいや、だから信光謀殺が怪しいというなら同じ視点で大田が得ていた信行殺害の
情報も疑ってみておかしくないのでは?という事。
別にこれは必要性の問題じゃないっていってるでしょ。
大田が自分の持っている限りの情報で正確に記事にしようとしてもその情報自体が
信長が自分に都合よくでっちあげた大本営発表だったら?
筆者自身が意図しない形で情報操作をしていることだってあるだろうっていう事。
0522人間七七四年
2007/10/14(日) 03:39:11ID:0R4W43yv君の意見は「信行マンセー」という結論ありきなので
書いてる事が二転三転してるねw
ではまず、「柴田が信行を見限って信長側についた」のを史実として認めてるのに
何で「信長が先に仕掛けたので信行は悪くない」というアホな結論でまとめようとしているのか
その辺の言い訳をお願いしますw
0524人間七七四年
2007/10/14(日) 03:46:13ID:DWUR6D0O俺は正直な所信行はどうでもいい。
ただ下っ端家臣でしかない大田が織田家の首脳の情報を知りえたとは思えない。
稲生合戦の後、末森攻略にてこずりそうだと思った信長は母親を介してとりあえず和睦。
そして柴田を抱き込み、その協力を得て信行をおびき出し謀殺。
という流れもありえるのでは?という話をしているだけ。
信行が最初に決起したのも信長の挑発があった可能性もある。という言ってみれば
当時特に謀議に関われたわけでもない大田の日記をソースにしすぎるのに疑問を呈してるだけ。
0525人間七七四年
2007/10/14(日) 03:57:14ID:0R4W43yv史料の中の一部の情報を全否定したいがために
同じ史料の中の一部の情報を無条件で鵜呑みにするのはいかがなものか
頭だいじょうぶか?
0526人間七七四年
2007/10/14(日) 04:03:00ID:DWUR6D0O知りえる情報と知りえない情報はある。
信長と信行が戦を交え、それが末森攻略の前に和睦で終わったのは
別に謀議に関わる立場でなくとも普通に関わり知りえること。
ただし信行の殺害にいたる「信行謀反」という重大情報を大田は正確に知りえる
立場にいたか?信長なり柴田なりの発表を聞いて鵜呑みにするしかなかったんじゃないか?
大田が柴田の家臣だったなら柴田は裏切った以上その裏切りに正当性があったとして
家臣に発表した可能性は高い。
0527人間七七四年
2007/10/14(日) 04:06:55ID:0R4W43yvどいう部分のいいわけはどうなりました?
0528人間七七四年
2007/10/14(日) 04:15:31ID:DWUR6D0O柴田の裏切りは普通に柴田が津々木と仲が悪く、そこを信長に調略された可能性がある。
柴田の直接的な裏切りの理由は津々木との対立とされている。自分の所属する上司に
仲の悪い相手がいることくらいは下っ端でも十分知れることだろう。
それで感情を害していた柴田が信長に抱きこまれ、信長にとって目障りな信行謀殺の片棒を担いだ可能性はあるだろう。
0529人間七七四年
2007/10/14(日) 04:24:28ID:JCxQqhwi信長公記の記述が100%正しい「可能性」も捨てきれないわなw
0530人間七七四年
2007/10/14(日) 04:25:09ID:2355x2zH「信長が第六の天魔王?じゃあ足利義教あたりが第五天魔王で、他には清盛や将門あたりがいるのかな?」
などと誤解したもんだ。
0531人間七七四年
2007/10/14(日) 04:28:03ID:DWUR6D0Oその通りだなww
俺も無論その「可能性」は否定しないよ。ただ公記というのは
勝者の発表を少なからず鵜呑みにせざるをえなかっただろう下っ端であった大田の日記が
ソースになっている以上疑ってかかれば疑える資料だ。
それを元にあんまり断定的になるのはどうかと思っただけの事。
注意する意思は大切なんじゃないかと思うだけ。
0532人間七七四年
2007/10/14(日) 04:31:13ID:saLAmeZ0勝者側の一方的な記述だと仮定するなら
信長がうつけ者扱いで家臣の多くが信行側についていた
という初期設定はどう言い訳するの?
0533人間七七四年
2007/10/14(日) 04:37:17ID:DWUR6D0O誤解されてるね。
俺は別に勝者側の一方的な記述「だけ」とはいってないよ。
大田には知りえた情報と知りえなかった情報があったといってるだけ。
信長がうつけ者扱いされて家臣から評判になるくらい馬鹿にされて信行に
多くの家臣が付いていたなら、その事は十分下っ端にも知れ渡っていただろう。
つまりこれは大田が知りえた情報だ。
でも首脳部の謀議とかにいたっては大田が知りえるはずが無い。これは知りえなかった情報。
そしてその本来知りえなかった情報については大田は上司の発表や噂を鵜呑みにするしか
なかったはず。そういった点は疑ってみてもおかしくないだろう。
0534人間七七四年
2007/10/14(日) 04:42:21ID:tOrRzYfM可能性だけで語っても根拠が無ければ誰も賛同しない。
こんなの当たり前すぎて書くのも恥ずかしい事なんだがな、本来。
あと勝家の家臣だった太田牛一の日記なんだから
稲生合戦に関して言えば完全に敗者の記録なんだが。
0535人間七七四年
2007/10/14(日) 04:48:43ID:DWUR6D0Oだから、別に賛同してもらう必要はないって。
もともと信長公記という疑おうとすれば疑える資料を絶対視するのに疑問を
呈しただけの事。君の今の持論も結局信長公記を元にしてる。下っ端で完全な
情報を把握できたはずの無い大田のね。それに注意する意思まで否定する気?
それは妄信だろう。
稲生合戦については別に否定してないよ。ただ大田の知りえないところで信長の
挑発があった可能性、さらには君が一番最初に言ってた「稲生合戦後に謀反で死刑と言えば済む事」
というのは母親を介した和睦であったことから無理があったことは述べておく。
0536人間七七四年
2007/10/14(日) 04:51:18ID:DWUR6D0O0538人間七七四年
2007/10/14(日) 05:11:34ID:WUu64LEHその文体だと信長からの申し入れで母親を介した
和睦が行われたように見えるけど、一体何がソースだ?
あと、あんた>>508までは
信長公記を「勝者の記録」だから鵜呑みに出来ない、としておきながら
>>511以降は「下っ端だから勝者側の情報しか把握できていなかった」
としている。
似た事のように感じるかもしれないが、筆者の「意思」が介在する以上、
両者は全く違った事だ。
それを一貫して同じ事を主張していたように言うのは如何なものか。
0539人間七七四年
2007/10/14(日) 09:26:43ID:p6dke3GA「信長公記が絶対正しいとは限らない」なんていう内容ってのが酷い
0540人間七七四年
2007/10/14(日) 10:18:01ID:Q04XA1qN要はいろんな可能性を考えてみるのも大切ってことなんだろ?
いいんじゃない、とっても作家的な考えで。
ただ人前でこう具体的な事件を例に挙げちゃうと、証拠が無いわけでただのトンデモ説になっちゃうんだよね。
0541人間七七四年
2007/10/14(日) 10:30:36ID:qcuSBCYv0542人間七七四年
2007/10/14(日) 13:29:41ID:VezCbk8Yとか言ってるがもし本当にそんなことがあったら信勝が謀反する際、
それを公にして自信の正統性を訴えるだろうな、
そして柴田家臣の太田ならそれを記述するだろうに。
0543人間七七四年
2007/10/14(日) 15:03:16ID:mWAkirXb1555年に山口教継が今川へ寝返り東部の3城を奪われ、
1556年1月に織田信光が死に、4月に斉藤道三が死に、
岩倉の守護代織田信安が斉藤義竜と結んで信長に敵対。
こういう、信長に絶対不利の状況の中で稲生合戦は起こっている。
動員兵数も、信行方が信長方の約2.5倍(5倍説もある)。
稲生合戦が、信長の挑発によるものだとしたら、もっと信長に有利な状況の時に起こすだろう。
0544人間七七四年
2007/10/14(日) 22:23:56ID:dyH19Kv6信行が末森城主になったのって信秀の生前?
それとも信秀の急死でうやむやのうちになっちゃったの?
0545人間七七四年
2007/10/15(月) 13:08:08ID:Pb58WTs+人の口とかは案外漏れるものだからましてや狭い田舎のことで
かなり事実を把握していたのは事実だと思う。
信行だまし討ちだってよく知ってたな、と思うくらいでね。
そういう元上司の恥みたいなことを記録してる以上事実としては信憑性が高くて
勝者側の記録、と一言で割り引く必要はあまりないのではないかな。
このあたり藤本が詳しく説明したりしてるよ。
兵数なんかは誇張はいってるだろうけど、その理由らしきもの公記の各写本成立の
事情とか考慮すると、それと公記自体の信憑性とはまた別にして考えるべきかな。
首巻の創作、という点にもかなり同意ではあるんだが、事実としては正確で
ただ書きたくても書けない事情があった、そういう風に理解してる。
それを論ずるのはアカデミック系から反論きそうだから別の問題にしたいけど
詳しい人にはぜひ聞いてみたいこともいっぱいだな。
0546人間七七四年
2007/10/15(月) 15:23:17ID:XDwaQUdK伝聞、しかも半世紀前後の時が経ってからの物だからね。
もちろん史料価値が0かといえばそうではないけれど、
他の部分に比べれば劣ると言わざるを得ない。
0547人間七七四年
2007/10/15(月) 16:27:24ID:zf3B2Jow陰謀渦まく中の勝ち残り組、これをもって信憑性の判断に結びつけるのは如何なものか。
0548人間七七四年
2007/10/15(月) 18:17:10ID:jZzNgMH7ま、信憑性に関しては例えであって別に語るべきとは思うけど、桶狭間でも信長の失敗みたいなのを
ちゃんと記録しておいてくれてるからね。
そのあたりはストレートに評価したいところ。
0549人間七七四年
2007/10/15(月) 19:05:14ID:C2QFDuGUそういう部分が「恥」なのでは?
0550人間七七四年
2007/10/15(月) 22:30:19ID:1DOQ1M16普通初陣は勝てる戦でするものだし、戦果もかなり大げさに記録するから「恥」かどうかは分からないけど、
信長本人は悔しかっただろうし、恥に思ってた可能性大だと思う。
初陣で負けとはっきりと記述するのは珍しいことだろうね。
信長の四男で秀吉の養子になった秀勝の初陣は確か戦果を大げさに手紙に書いてあるが
実際は戦があったかどうかさえも怪しいらしいしね。
0551人間七七四年
2007/10/15(月) 23:01:16ID:TVG9sYWtしか書いてなかったような。
0552人間七七四年
2007/10/16(火) 00:21:04ID:zSZ7dw93三河の吉良大浜にいた今川勢を攻撃、放火して、(追い払い?)
その日はそこに野陣して、翌日那古野へ帰陣。
0553人間七七四年
2007/10/16(火) 00:22:35ID:fcDXI7Cp「場所は三河の吉良大浜で、自ら指揮をとって戦い、各所に放火し、その日は
野陣を張って翌日那古野に帰陣した」
くらいの記述しかないはずだが。
ひょっとして城を落とせなかったことを負け戦といっているのだろうか。
それとも、公記以外の史料になにかそんな記述が?
0554人間七七四年
2007/10/16(火) 00:41:59ID:1Ks4QTBW勝ちとか残虐とかイメージ的な価値観で信長ちゅうか歴史を語ってるような。
あの時代にあんな一級史料はすごいと思うし、弓を信長にほめられた、みたいな微笑ましい
とこもあるしそんな簡単に評価できるような存在ではないと思うよね。
200年後の徳川実紀も結構信長をケチョンケチョンに言ったり公式記録という割には
かわいいとこあるんだよね。
0555人間七七四年
2007/10/16(火) 01:51:57ID:HJcIDi610556人間七七四年
2007/10/16(火) 21:37:47ID:h33LT8ZI0557人間七七四年
2007/10/16(火) 21:59:12ID:AwMk87CJ0558人間七七四年
2007/10/16(火) 23:30:37ID:h33LT8ZIところで有名な鉄甲船まで史料では確定してないとはちと驚いた。
調べつくされたようなことでも案外そうじゃないこともあるんだな。
これが飛鳥やヒミコなら発見一発で定説が揺らぐこともあるんだけど、
信長あたりは文書も多いからね〜。
0559人間七七四年
2007/10/17(水) 02:16:09ID:aUAU7jQt総鉄張の根拠は多聞院日記の鉄の船って記述だけみたいだからねー
0560人間七七四年
2007/10/17(水) 15:04:00ID:hDsSdlej信長の世界的大発明、というのはおかしいということか。
0561人間七七四年
2007/10/17(水) 15:09:38ID:msqnHAen銅版張った、というのもあるけどこれこそ予測以外何者でもないし
0562人間七七四年
2007/10/17(水) 15:33:35ID:NIhGr4sb一応船の中まで詳しく見てきたらしい宣教師の記録に鉄張りの事が一言も
無いのは不思議だな。
0563人間七七四年
2007/10/17(水) 15:35:50ID:LTnMr6st「大友氏がもってる数門以外に日本にはこんな大砲あるなんて知らなかったな」
みたいな感想残している
あと「欧州の船ににている」とか
構造上外国船をヒントにした、とかはありそうだけども
大砲は国友あたりからの自前鋳造かな?
0564人間七七四年
2007/10/17(水) 23:12:17ID:8X/R4A+Nそういう武器類には最優先の関心持ってたろうし、自国に送る報告書は軍事報告書と
とらえてそういう視点から解釈するべきなんだろね。
フロイスの記述は美術史や文化史の専門家でも注目する人がいてなかなか興味深い
ものがある。
偏見だらけ、というけどキリスト教的偏見と蛮族に対する偏見を考慮して考えれば
まだまだこの時代に関するいろんな解釈が出るかもしれない。
ただタテ割専門システムだからそういう研究者はいないのだろな。
0566人間七七四年
2007/10/18(木) 00:04:24ID:kWnPI43Q素人だから専門的なことは知らないが、
本で読んだところでは、信秀生前から末森城に同居していて、
信秀の死後はそのままその城をもらったようだ。
それには信長も同意していたんじゃないかな。
清洲城を実力で奪い取れば無問題だし。
ただし、信行は父の弾正忠を勝手に襲名。これには信長はむかついたと思う。
0567人間七七四年
2007/10/18(木) 00:58:54ID:QE5vVBg3信長は日本流のシーア派やスンニ派を話し合いでは
武装解除できないと悟り大虐殺して武装解除した
英雄です、当時の宗教派閥は横柄に世俗の権力やら戦国武将と
軍事的協力をして侵略行為や殺人行為を繰り返した卑劣な連中であることは確かなのです
信長の行いはある種の正義
であり決して完全な悪ではありません
0570人間七七四年
2007/10/20(土) 01:55:35ID:mznGRha00571各板より反対の矢を放て
2007/10/20(土) 02:48:39ID:A40u3gxX「10年以上日本に在住している外国人に、地方参政権を与える」
なんていう恐ろしい法案が!
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【メニュー】→【TV】→【日テレ】→【バラエティ】→【太田総理】
「マニフェストに投票!」
半島の工作員が賛成に投票しまくるものと思われます。
日本人ならどうするべきかな。
0573人間七七四年
2007/10/20(土) 04:46:16ID:mznGRha00574人間七七四年
2007/10/20(土) 11:10:32ID:1UNWkHkk0575人間七七四年
2007/10/20(土) 12:03:22ID:pz6n8+Wl0576人間七七四年
2007/10/21(日) 09:06:52ID:EFBwXwp80577人間七七四年
2007/10/21(日) 10:22:03ID:QlhIMFmA0578人間七七四年
2007/10/21(日) 15:20:36ID:+WyKZb4b洋楽かぶれの厨房とかわらねぇ
0579人間七七四年
2007/10/21(日) 19:13:00ID:EFBwXwp80580人間七七四年
2007/10/21(日) 22:48:09ID:0HZb6x7jこれ程多くの勢力を敵に回して天下人寸前まで
登りつめる
権力基盤を掌握した信長公はやはり偉大な武将であることには間違いない
尾張の小大名から東日本から西日本の一部まで勢力を拡大した
信長公
の力添えがなければ後の江戸幕府すらありえない話だったかもしれませぬ
0581人間七七四年
2007/10/21(日) 22:52:14ID:o7aQZvWf0582人間七七四年
2007/10/22(月) 02:03:04ID:0XCo79I4信長包囲網を見てみろ
これ程多くの勢力を敵に回して東日本から西日本の一部まで勢力拡大できた武将が他に何人いるんだ
信長は多くの敵に囲まれながらも打ち勝って秀吉、家康にバトンを渡した
そのおかげで家康は織田家や斎藤家や武田家の古株と一緒に幕府を
創立し江戸250年の退屈な平和を作り上げることができたわけだ
山内も前田も皆織田家の人間だし
信長と家康は旧知の仲で
0583人間七七四年
2007/10/22(月) 07:00:14ID:uz1ReNdy信長も秀吉、家康にバトンを渡した覚えはなかっただろうなw
信長の息子達迫害されまくりw
0584人間七七四年
2007/10/23(火) 21:41:19ID:3XV+3oBFスケートやってるのもいるし、1つまちがったら豊家の二の舞・・
0585人間七七四年
2007/10/23(火) 22:37:38ID:IGWdK+Dc0586人間七七四年
2007/10/24(水) 08:48:58ID:Wr+cWvWk越中で上杉軍を大破するなどそれなりに活躍しているのにマイナーだな
これで「我が子らはあのうつけもの殿の門前に馬を繋ぐことになるだろう」という道三の予言は的中
0587人間七七四年
2007/10/24(水) 10:45:11ID:l3uebDGH0588人間七七四年
2007/10/24(水) 11:32:31ID:JR9vL8Zp何故信長ばかり叩かれるのか?
400 :世界@名無史さん:2007/10/22(月) 01:53:52 0
>>399
見境なしにこんなスレ立てまくるからだろw
【世界史】第六天魔王・織田信長【最高の英雄】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1179062226/
織田信長 vs 曹操 vs カエサル
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181506549/
織田信長公が現代の日本政府を築いた
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1182171203/
中国英雄は、誰一人として信長に及ばない
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179742923/
おまえらは信長に対して失礼すぎる
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192939486/
信長帝国の統治体制に関する考察スレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191511445/
【日本史上の】 信長革命 【大転換点】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191811194/
0589人間七七四年
2007/10/24(水) 13:32:58ID:z7pNXItR0590人間七七四年
2007/10/24(水) 13:51:13ID:X71doUGX0591人間七七四年
2007/10/24(水) 18:38:42ID:BVGWFomS「家より人を尊重する。」
婚姻などによる縁戚より、人物同士で交わした約束を優先させる。
メリット・デメリットは、信長が身をもって語っている。
0592人間七七四年
2007/10/26(金) 02:30:48ID:3MvsodBe0593人間七七四年
2007/10/26(金) 17:41:41ID:IexPCfl8自分の力量も計れず調子こいて、負けたらごめんなさいって所とかWW
0594人間七七四年
2007/10/26(金) 17:43:19ID:K2svufSGhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191853619/
0595人間七七四年
2007/10/26(金) 19:11:34ID:iVPtkLR2今思えば日テレには先見の明があったか・・・・・・
亀田大毅が役者デビュー 織田信長を演じる 日テレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1173788386/
0596人間七七四年
2007/10/27(土) 10:37:56ID:tXSjEq1Eお市を嫁がせた浅井家は裏切るし
五徳いかせた徳川家では結局嫡男切腹、でも同盟に影響は無し
叔母おつやは敵の手に落ちてそいつと再婚
ここまできたら娘は子飼いの蒲生とかに嫁がせたいと思っても不思議じゃない
0597人間七七四年
2007/10/28(日) 00:17:10ID:XoAD6yon浅井・朝倉の敗走兵が立てこもる比叡山の僧侶を呼び出して
信長に味方すれば寺領は返す、できなければ中立を保ってほしい。浅井・朝倉に味方したなら
ことごとく焼き払うと宣告。信長公記ではそう書いているけれど・・・
この辺のこと詳しく知りたい。
知りえる限りでは
1569年 永禄12年10月23日付 綸旨 天皇が寺領を返却するように強い言葉で信長を非難
信長は11月11日付 「御請の勅答」綸旨の実行を誓約
1570年 元亀元年秋、信長は、比叡山延暦寺、本願寺、浅井・朝倉などの反信長連合軍の攻勢に押され、
京都で孤立した。この劣勢から脱出するため、信長は正親町天皇に乞うて、天皇の講和勧告を出してもらい、
一時的な講和によって危機を逃れた。
12月22日付 調停役の二条晴良より(興福寺)尋憲僧正宛書簡では
山門は最後まで和議を渋ったが、晴良は綸旨や信長の誓紙まで示して説得に努めた。
この時の綸旨は 山門宛しか残ってない。
12月9日付 綸旨 山門に対して和与を受け入れたことを褒めてる。
しかし、翌年信長は苦労して和議に至った比叡山を突如焼き討ち
0598人間七七四年
2007/10/29(月) 12:41:21ID:HUEMyNO8>信長に味方すれば寺領は返す、できなければ中立を保ってほしい。浅井・朝倉に味方したなら
>ことごとく焼き払うと宣告
信長は返却の約束を履行してない??
和議を渋ってる山門側に、味方したら還すが敵側なら焼き払う等
強気の申し渡しは考えにくい。
0599人間七七四年
2007/10/29(月) 13:11:20ID:HUEMyNO8>1569年 永禄12年10月23日付 綸旨 天皇が寺領を返却するように強い言葉で信長を非難
>信長は11月11日付 「御請の勅答」綸旨の実行を誓約
信長公記
1970年9月24日
>浅井・朝倉の敗走兵が立てこもる比叡山の僧侶を呼び出して
>信長に味方すれば寺領は返す
0600人間七七四年
2007/10/29(月) 13:13:01ID:HUEMyNO80601人間七七四年
2007/10/29(月) 13:20:15ID:3q+hF0oF当時のカルト教団を壊滅寸前まで追い込んだことかな
今も残ってるけど冬至の本願寺はまぁ政治に口だすは武力もつわで・・・オウム以上じゃないかな
0604人間七七四年
2007/10/30(火) 21:46:54ID:ZZCsNMZq極論すれば、歴史などという観念自体がすでにフィクション以外の何物でもない。
過大評価されるということは、それだけの存在感を示したと言う事。
宮本武蔵の例でもそれは言える。
0605人間七七四年
2007/10/30(火) 21:52:01ID:Gx0PGtDo井沢信者
カコワルイw
0606人間七七四年
2007/11/01(木) 12:32:42ID:qOjraYRwこの戦はまことに前代未聞の栄誉ある一戦であった。
上記、信長公記のデタラメな記述。
朝廷を巻き込んでいる為、それなりの史料で検証できるが
他にも敗者側の史料が破棄された等、検証できないだけで
事実と異なる信長万歳の創作はあると思う。
0607人間七七四年
2007/11/01(木) 19:12:42ID:mkYa6lY6笑わないので詳しくw
0608人間七七四年
2007/11/01(木) 23:13:36ID:zdQ++zpy0609人間七七四年
2007/11/02(金) 00:49:33ID:Mn7PG8g1堺屋太一『豊臣秀長』より
「――7人の軍団長は、みな信長からかなりの領地を与えられており、相当の家臣団を養えた。
が、その上に多数の武将を与力として与えられた。
――彼らも織田家より一万石以上の城地を与えられた直参だが、軍事行動においては指揮下に置かれた。
例えて言えば、方面軍司令官の指揮下に師団長、旅団長がいるようなものだ。
知領の授受という封建的主従関係と軍事指揮権と言う命令権限とを分離したと言う意味で、
この軍制は非常な近代性を持っている。織田信長は成長した戦国大名であったばかりでなく、
社会・経済・軍事の諸面に大改革をもたらした革命家でもあったのだ。」
どう?
0610人間七七四年
2007/11/02(金) 02:25:34ID:DV5A/4Uh0612人間七七四年
2007/11/02(金) 03:58:48ID:DV5A/4Uhすまんが>>606じゃないんだ
>>606を悪魔の証明と言おうとしたんだがあまりにもズレすぎてだめだったかwww
0613人間七七四年
2007/11/02(金) 04:28:51ID:1BeJ+Vy7アンチ信長は歴史を知らない
0614人間七七四年
2007/11/02(金) 08:40:51ID:yXQ2bpz1>この戦はまことに前代未聞の栄誉ある一戦であった。
>上記、信長公記のデタラメな記述。
公記だと、朝倉から和議を申し込んだが、信長はぜひの一戦と跳ね除けた。
だったよね?
0615人間七七四年
2007/11/04(日) 00:39:43ID:LIUVIexH実際は天皇動かして必死こいて和議だったのに。
0616人間七七四年
2007/11/04(日) 12:21:56ID:SInt+Euv反織田軍の領分となり、岐阜城への退路も塞がれ、さしもの信長も弱気に陥って和平を願い出た。
「天下は朝倉殿持ち給え、我は二度と望みなし」
と起請文まで書いて岐阜へ引き上げた。・・・・by三河物語
浅井親子宛(あて先欠損、朝倉宛か?) 朱印状(誓紙)
公家、門跡方の政道の件は、
貴国よりご沙汰に及ぶべきの条、相違これあるまじき事
元亀元年11月28日 朱印(信長)
0617人間七七四年
2007/11/05(月) 18:58:24ID:v2IFpFHM0618人間七七四年
2007/11/05(月) 19:17:01ID:XN93uSQ8信長側から必死の和議を懇願したと
それで宜しい?
0619人間七七四年
2007/11/05(月) 20:31:19ID:KUATTjw5必死の懇願だろうと、信長が天下をあきらめるわけがなく、そんなのポーズに過ぎない。
騙されたほうが馬鹿。
0620人間七七四年
2007/11/05(月) 20:48:59ID:xWwmF7Usいや、そういう問題じゃないんだけど…。
信長公記にある相手がむしろ和議を懇願してて信長がそれを跳ね除けてたと
いう信長万歳の表現が粉飾であったかどうかなわけで。
とりあえず今の流れで見てくと粉飾でFAみたいだね。
やっぱり信長方の人間が書いただけあって公記には粉飾があるみたいだね。
0621人間七七四年
2007/11/05(月) 21:01:53ID:94GVYcFe太田が粉飾したのか、織田家上層部が操作した情報を流して太田がそれを信じてしまったか
の二つの可能性があると思う。
個人的には信長の敗戦も載っているから、太田が粉飾したよりは情報操作を受けて
そのまま書いてしまった部分があると思う。
>>620
>とりあえず今の流れで見てくと粉飾でFAみたいだね。
どこ読んだらそういう結論が出るんだ?
三河物語は信憑性低いし、朱印状ではそこまでの背景は判らないし
0622人間七七四年
2007/11/05(月) 21:18:21ID:xWwmF7Us>>597の流れとか見ても信長公記とは違うことが明白じゃん。
あんたも
>>太田が粉飾したのか、織田家上層部が操作した情報を流して太田がそれを信じてしまったか
の二つの可能性があると思う。
といってる以上事実と違うことは了解済みなんじゃないの?
あんたの言ってる「そこまでの背景」って粉飾がされたかどうかの背景なん?
0623人間七七四年
2007/11/05(月) 21:47:19ID:94GVYcFe597は
>1570年 元亀元年秋
の出典がよくわからない
事実と違うことは了解済みではなくその可能性もあると言うことで、この件に関しては
事実と異なると確信しているわけではない
俺個人の根拠も無い勝手な意見としてなら、公記にあるほど織田が
強気でいられる状況というのは怪しいと思うが
背景というのは
>信長公記にある相手がむしろ和議を懇願してて信長がそれを跳ね除けてたと
>いう信長万歳の表現が粉飾であったかどうかなわけで。
これのこと
0624人間七七四年
2007/11/05(月) 23:33:19ID:1fpLrxSw大勢力となった織田家の全てを把握できる立場にあったとは言えないでしょ。
なにより、公記が世に出たのは秀吉政権下、太平記が実は室町幕府の検閲を
受けていたように、公記も秀吉の「意図」がある程度挿入されていることは
否定できないでしょ。
旧主を持ち上げる、それとなくくさすの二つを全体にバランス取ってるんじゃ
ないですかね? 元亀元年〜三年頃はマジでピンチだったと。それを実体験で
覚えてる連中も沢山生き残ってるから、このあたりはちょっと持ち上げ気味?
0625人間七七四年
2007/11/06(火) 00:35:37ID:eTZG+e1R調停を努めた二条関白より姻戚の興福寺尋憲僧正宛
山門に浅井宛の信長の誓紙(朱印状)や、綸旨、御内緒(将軍の停戦令)を示して受諾を迫った。
朱印状(割愛部分を補足)
勅宣によって、今程貴国とのこのように和睦した上は今後相互信頼の原則に立って
双方疎意を存ぜぬようにしたい。
一、公家・門跡方の政道の件は、帰国から沙汰されることに間違いない。
一、和睦後、流言蜚語による突発的事件の発生については猜疑心を持たず、誓紙を交換の上で 共同で対処したい。
一、近江と美濃の国境(←浅井宛?)には、互いに警護兵を置かない。
万一被官中に和議を破る輩が出た時は、 双方の軍兵を出して鎮圧すべきで、また臨機応変に対処すべきである。
元亀元年11月28日 信長朱印
後破
山門の難渋にしびれを切らした二条関白は(尋憲僧正の日記)
「もし今回の和議が出来なければ、身共は高野山に上り、隠遁いたす。」
と強硬に言い張って、ついに山門も折れた。
宮中女官の日記
この御所よりの綸旨の筋にて、武家(義昭)も御帰り、信長も下がり、
越州(義景)も目出度かり(立派)にて下り候
山門宛て12月9日綸旨
今程朝倉と織田との和睦について、朝廷・幕府の斡旋どおりに講和されるとのこと。
尤も神妙である。
0626人間七七四年
2007/11/06(火) 01:46:45ID:siZmU0tgそれを粉飾するんなら、
美濃攻めの時の失態も粉飾したら良かったのになんでしなかったんだろうという皮肉。
0627人間七七四年
2007/11/06(火) 01:58:20ID:NFPqA4GVいや、十分粉飾されてるんでねえの?
信長公記見る限りじゃ美濃攻め関連においては信長に失態らしい失態あるか?
河野島とか書いてないし、義龍の大軍を華麗に防いで退却したり、800くらいの兵力で
3000の敵からこれまたほぼ被害出さずに撤退したり、「本当かね?」と思うくらいに
信長公記における美濃関連では信長に落ち度や失態が見当たらないんだけど。
0628人間七七四年
2007/11/06(火) 02:26:40ID:/4bauDvzそれ見ると山門が特に和睦に反対していたみたいで
(単独では織田に対抗できないからか?)
遠征している織田浅井朝倉はどちらかといえばメリットの方が大きいと考えていたのかねー
>>627
河野島とかは存在自体怪しくないか?
無傷で撤退とかも怪しいが
0629人間七七四年
2007/11/06(火) 02:34:56ID:NFPqA4GV何気にありえそうな状況だと思うがね。河野島は。
上洛できずに面目つぶされた信長が出撃してにらみ合ったら雨が降ってきて水浸し。
そんで水が引いたら戦いの前に信長撤退して洪水に巻き込まれて被害をだし、
美濃勢は逃げ遅れた奴らを何人か討ち取ったって。捏造とかいうなら
真正面から撃破してやったぜ!くらいの事はいうんじゃないかね。手紙で捏造すんなら。
0630人間七七四年
2007/11/06(火) 10:57:48ID:C6b8jw1q三方原の大敗北も隠してないし、なにより家康に直結しない部分は客観的だよ。
0631人間七七四年
2007/11/06(火) 18:58:55ID:Wr/i4Elv最後まで嫌がったのが山門で、浅井も朝倉も相当渋ったのでは。
叡山は浅井・朝倉の侵入で巻き込まれた形だけど、寺領を返さない信長に
不信感を抱いていたところに反信長が立てこもって触発されたかな。
0632人間七七四年
2007/11/07(水) 00:47:32ID:QGjwben3長篠や姉川は徳川主戦の合戦、みたいになってるし信長のことをケチョンケチョンに書いてるような感じで
過大評価をしないためには公記の事実じゃなくて、評価と言う面でもっと他の史料も研究したほうが
いいと思うのだよな。
0633人間七七四年
2007/11/07(水) 02:44:27ID:ZW68RJwh0634人間七七四年
2007/11/07(水) 06:49:36ID:UyHVn95m0635人間七七四年
2007/11/07(水) 12:15:11ID:Yt46EuUn信長公記では、9月16日朝倉・浅井連合3万で南下とあるが、信長側の数は殆ど未記入
堅田で果てた坂井(数千)のみ。
11月上旬は稲葉、木下、信長の宿将が近江を払って朝倉の洛中侵入に備えなければならない羽目に陥る
一揆衆が各地で蜂起、木下、丹波が江南各所に転戦して騒を鎮めたとしているけれど、
いくらでも涌くんじゃないかな。三好は河内・摂津を荒らしまわっている。
下旬には一揆衆が尾張小木江城に乱入して信長の弟が自決。
周囲を反信長に方位され六角との和議にこぎつける。(六角にとって信長は宿敵、油断がならない)
信長は近くにある堅田城が包囲攻撃されても援軍すら出せない。
三河物語は信長の要請で江北に出陣した帳下の兵士によるもので、連合軍3万は公記に同じ。
0636人間七七四年
2007/11/07(水) 16:52:11ID:xyfzilXd原典がどこかというのが重要かな。
0637人間七七四年
2007/11/07(水) 20:09:58ID:FTOaZzSP0638人間七七四年
2007/11/07(水) 23:40:21ID:wpEr1OpQ0639人間七七四年
2007/11/08(木) 02:46:09ID:IK5DtGjB相対的にみて織田の方が追い詰められていただろう。だから朝廷を動かしてでも
講和を急いだ。しかしだからって三河物語そのほかにあるように朝倉が圧倒的に
優性だったとも言えなかった。
0640人間七七四年
2007/11/08(木) 03:05:34ID:eABTY7yO0641人間七七四年
2007/11/08(木) 05:41:48ID:gO+/XOXhあのまま持久戦やってれば信長を倒せたかも知れないのに。
0642人間七七四年
2007/11/08(木) 06:01:29ID:TOJpJTH4いつまでも本国空にしとくと危険だしなぁ
0643人間七七四年
2007/11/08(木) 11:06:22ID:Uw4/wkOwこれ、どう思う?
0644人間七七四年
2007/11/08(木) 11:41:13ID:eABTY7yO朝倉が疲弊するのはもっと後でしょ。この時は本願寺とかとも手を組んでるし
本国をあけといても攻め込まれる可能性はは低い。
0645人間七七四年
2007/11/08(木) 12:37:52ID:TOJpJTH4信長は身内には甘い
妹婿の長政だったからこそってのもある
>>644
一揆って一向一揆だけじゃないしな
それにいつまでも越前空にしといたら危険なのに違いはないんでは?
疲弊とか関係なく
0646人間七七四年
2007/11/08(木) 12:59:44ID:eABTY7yOたとえばどんな危険が?南の浅井も北の一向宗もこの時点では同盟相手。
毛利や上杉の例を見てもまだ十分に粘れそうな気が。
0647人間七七四年
2007/11/08(木) 14:42:16ID:gDR2KfFXまあいつ頃朝倉に吸収されたか知らないし、
そもそもこの前後になんか具体的な鎮圧行動があったかも知らないからなんとも言えないけど。
0648人間七七四年
2007/11/08(木) 16:44:20ID:XnRHvkNo朝倉方にも事情はあるだろうが、和議は本位じゃなかったと
推測するに、浅井への譲歩も公家、寺とあるからには、それに関して不信を抱かせる何かがあったとか
隣接地でよくある領土侵犯などもあって信長に反目したとか。朱印状を読み返してそんな気がする。
0649人間七七四年
2007/11/08(木) 17:09:28ID:ec+LgAHK0650人間七七四年
2007/11/09(金) 10:44:45ID:jkUPF74o【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1186729847/
0651人間七七四年
2007/11/10(土) 12:19:33ID:4Watpzc/7月1日、信長みずから佐和山城の攻略に向かって四方より攻撃させた。
元亀元年の公記はここまで(佐和山城を落とせなかったことは触れず)
7月6日には将軍へ勝利報告した。
と続けるところがミソ。
0652人間七七四年
2007/11/11(日) 04:52:36ID:YOh1Mnjj過大評価とかはよく耳にするけど
あんま生理的に嫌いだとか言うやつはいない
何故か家康 秀吉のが嫌われている
0653人間七七四年
2007/11/11(日) 04:53:15ID:YOh1Mnjj0654人間七七四年
2007/11/11(日) 05:03:54ID:YOh1Mnjj江戸時代に叩けなかった家康は今になって亡霊に襲われるように叩かれている
0655人間七七四年
2007/11/11(日) 13:07:28ID:A9/vADHr0656人間七七四年
2007/11/11(日) 14:04:05ID:LhSzZ3xx最近じゃ、徳川時代は世界に類を見ない平和な時代なんて言われてる
0657人間七七四年
2007/11/11(日) 15:26:27ID:4hDJD4Ev平和な時代だったことは間違いない。
その弊害が幕末にモロに出た形ではあるが、
明治期の躍進も文化的に熟成した江戸時代があったればこそ。
日本史的には、現代を除いて最も安定した時期といえるかもね。
0658人間七七四年
2007/11/11(日) 20:09:02ID:noGRcK10だもんでその基礎を作った家康なんかは世界史的にもすんげぇ人物じゃなかったのかな。
15代も一族が続くなんてたいしたもんだと思う。
ま、島国の原住民レベルという反論されたこともあるが。
0659人間七七四年
2007/11/11(日) 21:07:44ID:UV+ocNwk誰だい?原住民レベルだなんていったのは。
それでいて平和を260年保持したってのは世界史的に見ても類がないと思う。
0661人間七七四年
2007/11/11(日) 23:13:03ID:4hDJD4Evてっきり近代かと思ってた。
0662人間七七四年
2007/11/12(月) 09:24:26ID:PvO0RLsDまぁ平和と言っても地方叛乱(一揆とか含めて)は結構あったからなぁ・・・
政権転覆の危機も何度か無かったか?
地方叛乱程度は容認で安定した政権っていうなら世界史上類がないってのは言い過ぎ
0663人間七七四年
2007/11/12(月) 10:38:02ID:Zj5jSQ/9ヨーロッパ中核諸国間にて大規模な衝突が行われなかった。
奇跡的と言われたイギリスの力による平和パックス・ブリタニカだって90年弱
海外からも「トクガワ・ジャパン」「パクス・トクガワーナ」と賞賛される時代
大規模な戦闘のない時期が250年間 人口もほぼ2600万人のまま変化がない安定した社会
この頃、お隣の清国は領土拡大に奔走中
島国と云われようが、250年間も戦闘が無い時代が続いたんだから誇っていいよん。
0664人間七七四年
2007/11/12(月) 21:56:07ID:VJE0Q53R技術は個人レベルで高かったりもするんだけどね。幕末に外国人と無関係に
反射炉とか蒸気機関とか色々自作したりしている。
それから、江戸時代初期から中期にかけての一揆は暴動反乱というよりは
サボタージュ・ストライキのようなもの。実際に武装蜂起して統治者側の治安
部隊と対決>流血死傷者なんて例は初期の天草の乱から後期の大塩平八郎の
乱まで、ほとんどなかった。
暴動という意味では、むしろ都市部の打ちこわしの方になるか?これは
初めて起きたのが八代吉宗のときだっけか?うろ覚え。
0665人間七七四年
2007/11/12(月) 22:02:33ID:tR24mT1Eなんか生き死にかかった必死の要求ではなかったらしい。
0666人間七七四年
2007/11/13(火) 02:30:53ID:HRLQ/10Q地方の疲弊や飢饉に対して中央の人間が鈍感だっただけ。
今も昔もその感覚は変わらん。
江戸期だけで、多数の死傷者が出た大規模な一揆は幕府の史料から、三百件以上あり、
小規模のものなら、数え切れないほど、一揆が頻発している。
生き死にを賭けた、民の声なき声を軽んずるべからず。
0667人間七七四年
2007/11/13(火) 02:52:42ID:XMwfKZ6U農民に一揆を起こされると藩が取り潰される可能性があるから
役人はあの手この手で一生懸命農民のご機嫌を取ったとされている。
法律では年貢は50%だが、育ちの悪い田んぼで出来高の調査をしたり
年貢を納めさせる時にも「景色を見に行く」とその場から離れて
農民達に米を隠すチャンスを与えるような事を「慣例」として行っていて
現実には20%〜30%ぐらいしか徴収していないとの事。
だから日本では「農民に気を使う役人と、役人を信頼する農民」という
世界でもあまり類例のない関係が生まれた。
それでも農民側に不平があるのなら、それじゃあ法律通りに徴収しましょうか、
という事になるので、農民側は少なくとも藩に対して一揆を起こそうとは考えないわけさ。
だから江戸期に大きな一揆はたったの300件しか発生しなかった。
こういう「慣例」を無くして法律どおりに徴収しようとした役人は「悪代官」とされたり
明治政府になると法律どおりに徴収されて小作人が地獄の目にあったりしたわけさ。
0668人間七七四年
2007/11/13(火) 02:56:14ID:XMwfKZ6U明治以降に天皇を神のように崇めるような教育をするための物ではないかと
オレは思うわけだ。それ以外にないし。
0669人間七七四年
2007/11/13(火) 03:10:35ID:1UqCtLaiそこの大名Bがブチ切れて大名Aの今後一切の通行を拒否したとか言う話もあるしな。
全てが全てそうであったとは言わないが、概ね江戸時代の大名達は領民に対して気を配ってる。
というか戦国時代でも領民に対して配慮をしている領主は多い。
0670人間七七四年
2007/11/13(火) 03:17:58ID:9w3Q/D8p税収にモロ直結する。逃げ込まれた大名からすれば、働き手が自動的に手に入る。
おかげで、農民の確保のために大名間でもいろいろとやり取りがあったとか。
>>668
もう一つ、社会主義というか共産主義というかマルクス・レーニン史観というか。
>生き死にを賭けた、民の声なき声を軽んずるべからず
このあたり、白戸三平の「カムイ伝」の洗脳が見えません?
0671人間七七四年
2007/11/13(火) 03:29:04ID:XMwfKZ6U似たような話で
武士には無礼を働いた市民を斬り捨てる権利が「建前」として与えられていたが
「現実」には市民を斬った武士は「斬るに至ったのはお前にも落ち度がある」として
切腹か打ち首などで100%死罪になった。
斬る権利はあるけど斬ったら自分も殺される、だから武士は市民ともめないように
夜になったら外に出歩かないなどの自衛策をしていたわけさ。
0672人間七七四年
2007/11/13(火) 08:42:26ID:R1xLwsp6神社仏閣の門前は様々な出店が立ち並ぶ百貨店でもあり。曲芸なども楽しめた。
お伊勢参りなどは、驚異的を思われる年間で100万人前後にも及んだと推定されている。
ドイツ人医師ケンペルも、日本人は非常によく旅行をすると大いに驚いている。
0673人間七七四年
2007/11/13(火) 09:39:30ID:MPNw2xCv武士は普通に苗字、通名、官位、氏、姓、名前とあったが
商人にも苗字はあったとされてるし、さらに身分が上の農民にいたっては
苗字があるのはあたりまえで小作人でさえ名簿に苗字が残っている
くらいだから身分差別うんぬんは後世の思いこみの部分はかなりある。
0674人間七七四年
2007/11/13(火) 14:11:39ID:9w3Q/D8pようやく解明されてきたことだからね。
ちょっと違うけど離婚の話もある。
これまでは離婚するしないの決定権は男のみにあるとおもわれていたけど、それも
建前で、現実には女の方が実質離婚をやって男の方が「イヤだけど泣く泣く三行半を
書かされる」なんて状況がかなりあったらしい。
0675人間七七四年
2007/11/13(火) 18:51:42ID:7YMGLHwM普通に日本史でも史料(史料集)で出てたような記憶もあるが、あれは漏れの記憶違いだろうか
>>673
流石に寺の戸籍簿みたいなものに名字帯刀許可のありなしが記載されてるんだし小作人でさえってのは・・・
ただ農民は庄屋クラスだと比較的容易に名字はもらえたっぽいけどね(新田開発一個でもらえる代物ぐらいらしい、帯刀含めて)
小作人でもってたのって没落農民とかそういう系統じゃないのか?
0676人間七七四年
2007/11/14(水) 02:52:37ID:XzwSNZ97流れをたどれば庄屋クラスの分家というのは良くある話だからな。
家を建てたときに実家の苗字をそのまま、あるいはちょっと変えて使用するのは多いみたいだな。
母方がその中小農民の流れだが、少なくとも寛永年間には家を建てて苗字を名乗ってる。
父方は庄屋の流れなので言わずもがな。
>>675
武士の離婚率も四割だか六割だか忘れたけど、
一割に満たない現代に比べると異常な高さだしね。
妻が夫に尽くす訳ではなく、共同経営と言った方が良い。
0677人間七七四年
2007/11/14(水) 04:01:50ID:MGK31+OR屋号と苗字を混同している可能性は?
0678人間七七四年
2007/11/14(水) 23:38:06ID:k2P+HETA0679人間七七四年
2007/11/15(木) 02:30:54ID:tK+YhYmf0680人間七七四年
2007/11/15(木) 04:27:23ID:8qDBItLC0681人間七七四年
2007/11/15(木) 19:00:04ID:26uvdPGd0682人間七七四年
2007/11/15(木) 19:40:16ID:+liKn1OSそれこそ過大評価だな
0683人間七七四年
2007/11/15(木) 22:40:46ID:TBCTCYAS0684人間七七四年
2007/11/16(金) 00:03:45ID:rcTTTKWZ天下統一の過程をみれば、三英傑が主役だろう。
そういう意味では、信長は主役といえる。
0685人間七七四年
2007/11/16(金) 00:07:14ID:ffXGMeh0当然信長は戦国時代の主役だろう。
0686人間七七四年
2007/11/16(金) 01:37:17ID:Ti2ZD514地方ごとに見るのが間違いね
中央の政権に影響も及ぼしていないような地方の大名は主役とはいえないだろう
0687人間七七四年
2007/11/16(金) 02:05:37ID:VukooRTQ0688人間七七四年
2007/11/16(金) 03:55:27ID:Ti2ZD5140689人間七七四年
2007/11/16(金) 08:16:17ID:egMC9QtQほんで井沢が言ってたけど、米の生産量から見て農民が貧しかったことはなかったろう、ということだった。
さらに海のほうなら魚だって手に入る。
ならば政治的に安定させた家康の評価はもっと高まっていいはずだもんね。
しかし、世界地図見ると原住民レベルではあるのだよな、よくこんなとこに1億人もいるわ・・
0690人間七七四年
2007/11/16(金) 09:02:40ID:ffXGMeh00691人間七七四年
2007/11/16(金) 12:08:19ID:4EJ4cBiR0692人間七七四年
2007/11/16(金) 14:55:25ID:ng4fsvQ0井沢のこの手の意見ばめちゃくちゃなんだよね
「米に貨幣価値があっても結局は食品だから、
人の口に入ってナンボなので必ず最後には人の口に入る
だから農民は米が食えないという事はありえない」
という事を
米の生産量が人口に対して充分かどうかという事まで考えずに書いてる
0693人間七七四年
2007/11/16(金) 17:37:44ID:mkgHOqWxさすがに小作人の苗字はきちっとした苗字ではなく、あくまで
管理上の通り名のようなもんだったと言われてるけどね。
0694人間七七四年
2007/11/17(土) 01:06:59ID:de/IInVl0695人間七七四年
2007/11/17(土) 10:12:19ID:qbikNEQ3もちろん昔は1日2食だったろうし、1回の量は少なかったろうから、あまり生産量とか人口とかに
こだわってもまた話がずれていくのじゃないかな。
農民が言われてるほど悲惨じゃなかった、という傍証と言う意味になればね。
0696人間七七四年
2007/11/17(土) 10:35:31ID:hXjSwKZ60697人間七七四年
2007/11/17(土) 11:03:55ID:LRhFWQ/A0698人間七七四年
2007/11/17(土) 13:46:34ID:VUJuzI+/江戸時代260年間、人口が増えていない。
この一事をもって、いかに農民に過酷な時代だったか分かるだろうが。
技術革新だって進んでいて、生産量も増えているのに人口が増えていない
ということは、農民にとって生死ぎりぎりの状態だったんだよ。
0699人間七七四年
2007/11/17(土) 14:25:36ID:XOXqsEUsもともとこの狭い日本列島で近代工業とか技術とか抜きにして
稲作を主体として生活するには3千万が限度といわれてるけどね。
それでも戦国時代よりは人口がずっと増えてる。平和と生産量の恩恵は出てるよ。
江戸時代に起きた飢饉とかは当時における人口キャパシティの限界を超えた事も
原因の一つとされている。
もし生死ぎりぎりだけなら飢饉で死んだ人口がもとの水準まで回復するわけないからね。
つまり人口増→人口キャパシティを超える→飢饉発生で人口キャパシティ以下まで減少
→飢饉収まり平穏の中で人口回復→人口キャパシティを超えry
という事を繰り返していたわけだね。
0700人間七七四年
2007/11/17(土) 14:30:18ID:YO1cGkw00702にゃんこ
2007/11/17(土) 18:44:45ID:JtUoTDw9くらいだったと思う。
ききんの多くは、現金収入を求めて、米など南方系作物を東北地方で栽培したことに
よる。冷夏に強い作物を植えたり、食料の貯蔵など、冷害対策が極めて不十分
だった。
ちなみに、津軽藩の大ききんは、米価高騰の際に、豊作を見込んで、貯蔵米を売り払った
後に冷夏が続いたことによる。農民は金貨を持って死んだ。
不慣れな貨幣経済に巻き込まれる悲惨だったわけだ。
0703人間七七四年
2007/11/17(土) 19:55:29ID:U9lKAY+v0704人間七七四年
2007/11/18(日) 01:19:18ID:JIJRCTZ/江戸時代の人口がどうたらって何を根拠に言ってるのか。
飢饉っていうのも、米は保存食って知らないのかな。生物じゃない。
川には魚はいるし餓死なんてよほどじゃないとこんな島国じゃおきらない。
わしらが子供の時はお見舞いに、玉子、持っていったもんだ。
ほんの30年前だ、もっと勉強せい。
0706人間七七四年
2007/11/18(日) 09:49:33ID:YdWvN77P江戸時代は各人が宗旨ごとにお寺の帳簿に登録することが定められており、
これが戸籍代わりになってたんだよ。
0707人間七七四年
2007/11/18(日) 10:22:47ID:zY+sbbUP公園で犬肉売られてた
0708人間七七四年
2007/11/18(日) 10:35:55ID:YdWvN77P飢饉に対しては上に挙げられているように災害対策がこの時代では
まだ不十分だった事もあるし、現にあちこちで飢饉の時には食料が不足して餓死者が出てる。
そんで米沢藩では飢饉の時に食べられる野生植物その他とその調理法について記した「かてもの」を
出版し領民に配り餓死者を防いだりしていた。
0709人間七七四年
2007/11/18(日) 11:55:11ID:vhc+Ct+W0710人間七七四年
2007/11/18(日) 13:04:22ID:uZ/aG9/G幕末なんかは特に商人の倉には米がたくさんあったが価格がさらに上がるのを待って市場に出さないもんだから農民には買えない価格まで急上昇し高利貸しが悪魔の取り立てをしてた。
農民に貧しいイメージがあるのは高利貸しに借りたりするから。だが藩財政も商人からの借金で破綻寸前で農民救済どころか武士すらも米買えないほどに物価があがる。
借金まみれになってない、まともに政治が機能してた時代には農民はそれほど厳しくはない。冷害がきても農民にも蓄えがありしのぐ事はできた。
浅間山噴火の噴煙が日光を隠すなどで冷害がきた時のような天災や東北での冷害の危険性を考慮しない実験的な米づくりによる政治の無能さによる飢饉の拡大なる人災は
幕府や藩の財政によって救済力がかわるが市場経済による先物取引や倹約令や重商主義経済など幕閣の政策などでかわる。
ただ江戸期の農民が生きるのも辛いってのは左翼や日教組の大ウソで明治大正期の重税と人民の奴隷化の方がひどい。
0711人間七七四年
2007/11/18(日) 13:15:40ID:uZ/aG9/G商人達はタダで幕府から銀座あたりの土地をもらってたので江戸の民衆に対する組織化による自治をタダでやっていた。士農工商っていうのも大商人には関係なかったからね。
ただエタ・非人や部落の人間達がどうなったかは詳しくわからないが四足獣を食べれたし土地を持っていても無税だったはずだから。
群馬方面ではマジで宵越しの金を持たないとかで賭博ダンナが多かったから貧困はないだろう。東海道筋も豊かだったはず。
0713人間七七四年
2007/11/18(日) 13:58:05ID:p3NYXrUiイギリスと日本という本を読むと良い
日本は江戸時代を通してマルサスの罠にはまることなく
近代への準備をしていたことがわかるはずだ
0714人間七七四年
2007/11/18(日) 14:03:10ID:C2m9hLtG0715人間七七四年
2007/11/18(日) 16:51:26ID:vhc+Ct+W怒りがこみ上げてくる。
0717人間七七四年
2007/11/18(日) 18:18:47ID:vhc+Ct+Wチミはバカか?あるいは脳萎縮か?
死んだ方がいいんじゃないか?
あるいは便所に流していいか?
0718人間七七四年
2007/11/19(月) 00:46:28ID:LaIyPelV基本的に飢饉の記録や資料が残っているのは
飢饉というイベントが特殊で極端な例だからであって
日常的に飢饉が起こっているわけではないんだよ
>ID:uZ/aG9/G
「士農工商」という制度は海外のような階級制度ではなく
「勝手に職種を変えるな」という身分固定制度なんだが
その辺を勘違いして「士農工商は階級制度だ」と言うアホが多い
たしかに中学校では「階級制度」として教えていたが
0719人間七七四年
2007/11/19(月) 01:05:21ID:6yyd3/2iそのへんの農家の小倅も大阪の商家に丁稚奉公に出ることもできないよな
0720人間七七四年
2007/11/19(月) 01:11:51ID:3KwfW4x7>>719
「士農工商」
正に欧州社会のような「階級」、「階級制度」じゃないか。
「階級」の語は「士農工商」みたいなのを意味するんだ
日本の官位・爵位に関しても「階級」と呼ぶ
日本マルクス主義語で使っているのは、この語を当てているだけ
「階級」といやぁ、マルクス主義と思うのは、かなりマルクス主義に毒された頭だ
教科書の記述がそうなってるなら、それが正しい
0721人間七七四年
2007/11/19(月) 01:25:47ID:LaIyPelVバーカ
「日本に階級はなかった」などと誰も言ってない
「士農工商というのは職業を固定するための制度であって
海外のような階級制度ではない」と言っている
官位や爵位に「士農工商」は関係ない
0722人間七七四年
2007/11/19(月) 01:36:09ID:3KwfW4x7海外のようなって、欧州のことだろう?
「士農工商」って正にそれと同じ「階級」じゃないか
外国に一体どんな「階級」があるんだい又あったんだい
貴・前レスの「アホ」だの「バーカ」とかは、そっちの方こそじゃないか
0723人間七七四年
2007/11/19(月) 01:40:17ID:3KwfW4x7「士農工商は階級制度だ」と言うアホ、って言ってるじゃないか
士農工商みたいなものを「階級」というんだよ
0724人間七七四年
2007/11/19(月) 01:58:22ID:LaIyPelV例えばインドのカースト制度などは
細分化された階級によって職業が決められていたので職業間にも階級差があった
階級や職業は一生変える事が出来なかったし
生まれた時から自分の将来の職業が階級によって決まっていた
一方、日本の身分制度(階級制度ではない)は
武士が商人になったり農民が武士になったりして職業が流動化するのを防ぐために生まれた物で
そもそものスタートから階級制度を意識したの物ではないし
商人と農民と職人の間には制度としての階級など存在しない
0725人間七七四年
2007/11/19(月) 05:14:28ID:LFhzwci8武士・都市民・村民程度の区分けだったはず。
しかしまあ、千人同心のような半農半士の連中もいるし、
豪農や町人が武士になることなんてザラだしな。
身分の固定化というよりは、都市部への流入対策ひいては村の過疎化対策という側面が強いと思う。
0726人間七七四年
2007/11/19(月) 09:23:22ID:o4sr1jYB武士階級の奉行の手下達はみんな外で待ってるんだよ。
0727人間七七四年
2007/11/19(月) 11:29:53ID:oLyf/urS様々な制度を作る過程で身分が固定されてしまう。
16-18世紀で最下層部がない国ってどこだろ。
0729人間七七四年
2007/11/19(月) 13:34:45ID:7Wq1WeWtどの書籍で見たか忘れたので本棚ひっくりかえさないとわからんが、
つまり「村を捨てて都市に流入したり、犯罪者はこういうことになる」という
みせしめ的なものもあったような。
0730人間七七四年
2007/11/19(月) 14:17:50ID:o4sr1jYB日本でも江戸期に「よう家康!」って農民でも声かけようと思えばお咎めなしだったって事?
0731人間七七四年
2007/11/19(月) 14:59:34ID:15Hd9LpSへー、米国って身分制度はなかったんだ。
人間皆平等か、いいね。
ところであなたは当然、黒人奴隷を人間にはカウントしないと、おっしゃるわけですよね。
0732人間七七四年
2007/11/19(月) 15:37:58ID:9btmxscj0733人間七七四年
2007/11/19(月) 15:40:41ID:o4sr1jYB0734人間七七四年
2007/11/19(月) 15:45:21ID:AX++vkEa幕末なら、高杉晋作が「よっ!征夷大将軍」と目の前で言ったという話がある。
結局、将軍の供の者に睨まれただけですんだらしい。
0735人間七七四年
2007/11/19(月) 15:56:41ID:qYVtoHFd0736人間七七四年
2007/11/19(月) 17:12:24ID:BIbCQJ7Q「制度として階級」と「社会の中で自然発生した階級」を
区別できていないアホがいるね
ID:o4sr1jYBは論外だね
中学もまともに出ていないだろう
0737人間七七四年
2007/11/19(月) 17:20:41ID:o4sr1jYB0738人間七七四年
2007/11/19(月) 17:44:45ID:lRgIEbVg0739人間七七四年
2007/11/19(月) 22:41:31ID:RMOu7IAX違うよ
部落問題の根本は徳川秀忠による
定住しいない者を定住化させる政策から始まっている
0740人間七七四年
2007/11/21(水) 04:13:20ID:cqfTZZ5Fレ
違
い
も
こ
こ
に
極
ま
れ
り
0741人間七七四年
2007/11/21(水) 10:19:12ID:woGHuA5uECCの社長も小泉もホリエモンもみんな信長が好きみたいだ
0742人間七七四年
2007/11/21(水) 10:31:09ID:woGHuA5u信長包囲網を見ていただければ分かると思いますが
これ程敵の多い武将は日本の歴史上他にいません
0743人間七七四年
2007/11/21(水) 10:42:24ID:ez0rCj3p0744人間七七四年
2007/11/21(水) 16:30:50ID:fR8dGdRKつくったというよりかそういう仕事があればやる人が出る、そういう職や
仕事を極端に嫌う人がでて来た結果だろうね。時代の変遷で意味はかわってるようだし。
0748人間七七四年
2007/11/21(水) 22:17:02ID:9dv/riU+それで?信玄がその支配規模の割りに特に多く敵を作ってたとは思えんのだけど。
少なくとも信長包囲網ほどの密度ではないね。
0749人間七七四年
2007/11/21(水) 22:19:39ID:9GtJicug信玄の敵は不義理が原因
0750人間七七四年
2007/11/21(水) 22:24:07ID:9dv/riU+んなわけないだろ。
朝倉は自分から攻め込んだもんだし、浅井はその背信が原因。
三好も六角も自分で攻め込んで追っ払って敵に回したもんだろうが。
0752人間七七四年
2007/11/21(水) 22:33:53ID:9dv/riU+んなら信玄を特に敵が多いとかいわんでね。
ちなみに信玄の場合生涯で接してる国は全て敵なんて状況はないんですけど。
他の大名も大抵同じ。信長も徳川込みにするなら。大勢力になっても同盟や協調の関係は結構あります。
0753人間七七四年
2007/11/21(水) 22:34:02ID:JVQ9gXNL0754人間七七四年
2007/11/21(水) 22:56:44ID:BMIiWgVu駿河攻めたときは織田を除けば全方位敵だぞ
織田との接点も美濃信濃間だから微妙ではあるが接してるか
織田は相手が分裂してるから数は多くなるな
六角すらも数に入ってくるし、筒井も反織田といえばそうか
一方の武田は北条今川上杉らがまとめてるから表面上、敵対した勢力の数はすくなくなる
そもそも勢力の「数」を数えて何になるんだって話だが
武田も駿河攻めたときは上杉に信濃から、北条に駿河から、徳川に駿河遠江と戦略正面増やしてるからな
ある一時期に区切って数を数えてもそりゃ領土が広く、それだけ他大名と接する地点も多い織田には敵が多くなる
生涯通じてならやっぱり領土を拡大しただけ、衝突する大名も多くなるのは至極当然
0755人間七七四年
2007/11/21(水) 23:04:59ID:9dv/riU+だから、駿河攻めの時でも信玄には織田という同盟者がいたんだっての。
だから信長にも徳川込みにするならそうだといってるでしょ。
戦略正面で考えるなら信玄はその駿河攻めの時を覗いては極力戦略正面を
少なくしてる。信長は生涯の多くにおいてどうだったかい?
領土を拡大したから敵と衝突したんじゃないよ。逆だよ。
敵と多く衝突してそれらを打倒したから結果として領土が拡大したんだ。
0756人間七七四年
2007/11/21(水) 23:20:10ID:BMIiWgVuだから織田を除けばと言ってるぞ?
織田の場合は東を武田徳川でまとめて西に注力してるじゃないか
武田が裏切ったから東西に増えたし、一向宗は各地で勃発するのは仕方ない面があるだろう
武田は上野と信濃に同時期に食指のばしてるし
結果として領土が拡大した…と?
んじゃ、なんで敵と衝突することになるのか教えてくれ
0757人間七七四年
2007/11/21(水) 23:34:07ID:9dv/riU+西に注力とはいうがその西の戦略正面が広すぎでしょ。
西というより東を除く北西南といったほうがいい。
一向宗が各地で勃発するのは仕方ないといわれてもね。
あれだけ大規模に敵視されたのは信長くらいなもんでしょ。
武田の上野・信濃攻めは上杉という相手の勢力を北条という有力な同盟者と
連携して削減する戦略によるもの。戦略としてかなり手堅い。
敵と衝突する事になる理由はその大名の戦略と周囲の動向が絡みあって生まれる。
信長の場合は>>750に挙げたように敵対した連中は自分から種をまいた所が大きい。
戦国時代だし敵をつくるのが悪いとはいわんけど、あそこまで途方も無く戦線が拡大
したのは信長自身にとって望んだ結果といえたかな。
計算外に多くの敵を抱え込みそれらに屈せず戦い抜き
最後の勝利を得た事で強大な領土を得たけど
それは信長が当初から考えていたというよりは泥縄に回った戦略からの結果でしょ。
勝ち抜いたのは見事といえるけど最初からあれだけ多くの敵を信長が一度に抱え込むつもりだったと
いうのはむしろ信長を荒く見すぎではないかと。
0758人間七七四年
2007/11/21(水) 23:48:47ID:BMIiWgVu将軍擁立して王権を巡る対立に介入していくんだから広範囲にわたるのは至極当然
南の北畠もほとんど無力化してるだろ、信雄送って
北も確か飛騨はそんな大規模な動向無かったと思うが?
いや、そもそも武田の影響下にあるんじゃないのか?
確か武田が上野に介入したのは上杉憲正の時代だったと思うがねえ?
甲斐の安全保障上必要な手というのはわかるがね
で、なんで衝突するんだ?
聞き方を変えようか
なぜ協力関係になれなかったんだ?
0759人間七七四年
2007/11/21(水) 23:59:31ID:9dv/riU+飛騨とかいわれても困るんだけど…。
北とかいうと朝倉浅井の事言うんじゃないの?
南は伊勢長島とか六角とか三好とかいるじゃないか。
武田が上野に介入したのは上杉憲正の時代っていうけどさ
あんたの言うとおり甲斐の安全保障上必要な手であるし、信濃攻略の邪魔だった。
憲正の時代は信玄は小田井原で上杉勢追っ払ったらずっと信濃目指してる。
不確かながら西上野に介入したという話もなくはないけどその時はもう川中島が始まってたはず。
なぜ協力関係になれなかったんだ?のところでも思ったけど
いつごろの時代の、どの勢力に対して話をしているのかお互いの認識にずれがあるようだ。
まずそれをはっきりさせよう。
俺は>>757にあるように信長包囲網に至るまでの時代と信長に敵対した勢力の動向について
話をしている。信長包囲網に参加した勢力達はまず信長に領土を攻められたり背信されたりした
連中であった事。そして信長自身も一度にそれだけの敵を作ったのは計算外だったろうという事。
そっちはいつごろの時代のどの勢力について話をしてるのかまず教えて欲しい。
0760人間七七四年
2007/11/22(木) 00:28:55ID:oalhi2/B中央政権を掌握した織田信長では
敵の数が違うのは当然だが
0761人間七七四年
2007/11/22(木) 00:39:06ID:7Id1eY8M織田の本拠岐阜からみれば当然北は飛騨に南は伊勢だろ…
やっぱ上野と信濃の二正面採ってるじゃないの
別に時代も勢力もずれてないぞ?
お前は衝突したから領国を拡大したと言う、ならばなぜ衝突したのかと俺が聞く、お前は自分から(織田から)衝突したという、ならばなぜ協力関係になれなかったのかと俺が聞いてる
領土接してるだけじゃ争いにはならんよな?
ではどちらかがなんらかの、相手にとって都合の悪いことを行ったから敵対するわけだ
両者が争いたくない、争う必要も無ければ戦いが起こらないからな
おそらくその都合の悪いことというのを、お前は>>750と織田の背信行為?やら六角を追ったことが原因といってる
違う?
だからおれはそいつらと協力できなかったのはなぜかと聞いてる
いや、最初はなぜ六角を追い、朝倉を攻めたのかを聞いたのか
で、なんで?
0762人間七七四年
2007/11/22(木) 02:10:03ID:oalhi2/Bウザいので3行にまとめて
0763人間七七四年
2007/11/22(木) 09:04:49ID:lzzXyu9i了解した。
上野と信濃の二正面作戦といえるほどかな?
小田井原は佐久に攻め込んだ武田に対し上杉憲正が援軍を送った事によるもの。
戦いの場所は信濃だよ。そんでその後武田が西上野を攻めた云々は資料も乏しく
それほど大規模でも集中的でもなかった。回数も少ないし。信濃に力を大部分注いでる。
あれを2正面作戦っていっていいのかな?まあここらは個人の見解も入るだろうけど。
六角に関しては足利義昭擁立をもくろむ信長に対して協力しなかったからだね。
そもそも京都に将軍義栄がいるのに義昭将軍ですとかいったって納得させるのは難しかろう。
そもそも六角は義昭が直接来たときでも応じなかったし。それどころでもなかったんだけど。
朝倉に関しては信長公記にしてもいきなり朝倉に攻め込んでるんだけど。
信長が朝倉に上洛を要請し朝倉がそれに応じなかったからともいう話を聞いたこともあるけど
だとしたら随分乱暴な話だ。
特に協力関係になろうと手を砕いた形跡がない。普通に京都を平定した余勢を駆って
北の大勢力である朝倉を平定しようとしたといったところだろ。
そしてそれで浅井の離反を招き六角三好その他が息を吹き返す契機を与えてしまった
という所だろう。これはとても信長の計算どおりとはいえんと思うんだけどどかね?
0766人間七七四年
2007/11/22(木) 15:14:52ID:lzzXyu9i2正面か?だって本当に1回か2回だよ?業正死去前に信玄が西上野に介入したのって。
そんな奥までいったわけじゃないし。小田井原はあくまでも撃退戦だし。
北条も北条で上野攻めてるし。当時の西上野連中には武田に逆襲できる余裕もないし。
協力できなかった理由としては六角にしてみれば義昭将軍というのは正式に京で即位した
わけでもない自称のものに過ぎない。信長がそれを担いでいくといったってそれは
単なる信長の勢力拡大に他ならないと写っただろう。信長は六角の敵である浅井と同盟もしてるし。
それならばちゃんと京都で即位した義栄を擁する三好と組んで戦った。
信長はそれらを打ち破り京都に入って義昭を立てる事は成功したけど
それらに対する完全な掃討を終える前に戦国大名におけるさらなる勢力拡大の攻撃対象として
朝倉氏を攻め、それが多方面に敵を抱える契機になった。とこんな感じじゃないかな。
朝倉氏に対しては信長は協力できなかったというよりしようとしなかっただけじゃないかね。
0767人間七七四年
2007/11/22(木) 16:20:58ID:eX25uxghウザいので3行にまとめて
0768人間七七四年
2007/11/22(木) 19:57:36ID:mQx01AIqhttp://news.ameba.jp/hl/2007/11/8776.html
0770人間七七四年
2007/11/22(木) 20:50:57ID:7Id1eY8M十分じゃないか?
信濃を完全に掌中に収めたわけでもないのに西上野に手を出してるんだから
とりあえず六角は置いておこう、朝倉はなんで協力しなかったんだ?
ところで気になったんだが、織田の背信行為ってなんだ?
0771人間七七四年
2007/11/22(木) 21:01:47ID:UpxpfhbR上野は箕輪長野、総社長尾、白井長尾以外はほとんど北条領になっていた。
安中氏は武田と北条に両属、小幡は北条に従属、吾妻斉藤氏は北条に人質を出していた。
武田の援軍が倉賀野や沼田に入っていたことが考えられるが、どっちも北条のものだ。
駿河攻めた時は上杉とは同盟交渉中で、謙信も家臣の鮎貝に対し
「武田と同盟交渉中だから北条の要請する武田攻めはやらないよ」とか、
信玄も「家臣は反対したけど西上野の防衛は引き上げさせたよ。だから信頼してね。」と言ってる。
上杉が敵だったとは言いがたい状況。
0773人間七七四年
2007/11/22(木) 21:18:01ID:7Id1eY8M川越合戦以降、徐々に北条が上野で影響力を拡大していくが、まだ北条が全土に影響を及ぼす前に上野を狙ってるだろ?
攻められる上杉からしてみれば、援軍であろうがなんであろうが、自分を責める敵以外の何者でもない
そして、甲越和与は武田が駿河攻めて一年か二年後になされてるものだ
0774人間七七四年
2007/11/22(木) 21:54:30ID:UpxpfhbR甲陽軍鑑の三寺尾の戦いは存在が怪しい。
平井城、或いは安中が健在なまま寺尾まで侵攻することは不可能。
甲越和与は謙信が本庄の謀反を平定するのに前後して義昭からの御内書が越後に届いており
永禄十二年五月には条件が整い七月には成立している。
0776人間七七四年
2007/11/22(木) 23:03:29ID:UpxpfhbR長野への切り崩しは片方真田幸隆とあるので偽文書、
片方も俺は怪しいと思うがそこは譲って本物としたところで書状送っただけだ。
五月には合意がなされているということを譲って七月下旬と見ても一年後はないだろう。
本庄の謀反から間髪を容れず同盟交渉に入っており、
>>754 >上杉に信濃から…と戦略正面増やしてる
という事態にならないよう手を打ってるよ。
0777人間七七四年
2007/11/22(木) 23:39:34ID:lzzXyu9i朝倉はなんで協力しなかったんだ?といわれてもね。
そういうからには織田側から朝倉に対して「協力してね。そしたらこれこれの条件を出すから」
という風に積極的に交渉しなければならない。織田はとりあえず朝倉に対してここまで
手を砕いて交渉した形跡がない。信長公記によれば本当に唐突に越前攻め込んでるし。
織田側から積極的に交渉しなければ朝倉が自分から織田に対して協力を申し入れるつもりも必要も特にない。
背信については朝倉を織田が無断で攻めた事。これを不明確とする声もあるが
小谷城の中に朝倉が築いた曲輪があったり、朝倉と同陣した浅井長政の禁制が上位者を想定したものであったりと
浅井が朝倉と従属に近い同盟であった事は有力と言われている。それを無断で攻めちゃいかんでしょ。
0778人間七七四年
2007/11/23(金) 17:50:32ID:a0u+OPu1朝倉を攻める前に浅井に通告ってのは講談だけの話では
それに朝倉は将軍の前に出てこいって言う幕府命令無視があるんで討伐の名目になってるんじゃないっけ?
0779人間七七四年
2007/11/23(金) 17:57:57ID:2uEqN05dだからその下を読んでくれい。
浅井が朝倉に対して従属に近い同盟であった事は有力視されている。
それを勝手に攻めちゃいかんでしょ。
上洛命令拒否についてだけど朝倉はこれを織田が謀殺する気だろうと疑ったという
話になってるね。まあ戦国時代だしそう疑うのも無理ないけど。
一回上洛命令を拒否したくらいで討伐にいたるというのも随分乱暴な話だろう。
信長公記じゃそこらへん書かないでいきなり朝倉攻めた事になってるね。
同じ信長公記に示されたうまくいかなかったとはいえ六角に対して見せた交渉と
随分隔たりがある。とても本気で交渉する気だったとは思えんよ。
0780人間七七四年
2007/11/23(金) 18:39:08ID:a0u+OPu1浅井が朝倉の従属に関しては理解。
上洛命令拒否に関しては難癖付けたいだけなんじゃ?
大義名分も無しに攻めれば責められるが、大義名分さえあればとりあえず攻め込んでも説得力はある。
乱暴云々じゃなくてこれは現代にも通じたりするんだが(実際世界大戦もこんな難癖に近い問題から始まってたりする)
本拠地の近くに強大で仲の疎遠な大名を独立させて残したくなかったって面もあるんじゃね?
そもそも浅井が朝倉の属国だったら安心して近畿戦線に出ばれん問題も出てきそうなもんだが
そういう意味で浅井にどっちにつくかの選択を迫ったって面もあるのかも
0781人間七七四年
2007/11/23(金) 19:18:37ID:jjt+7QcE織田の行動が無防備過ぎるんだよな
0782人間七七四年
2007/11/23(金) 19:23:29ID:KgWKQrnJ0783人間七七四年
2007/11/23(金) 19:33:48ID:2uEqN05dそう多分難癖つけたかったんだと思う。そして攻めた。
でもその急な軍事行動は浅井の離反を招き六角や三好に息を吹き返す契機を与え
信長包囲網につながっていく。一度にそれだけの敵を抱え込んだのは信長にとって
計算外だったんじゃないのか、というのが上までで主張していた事。
浅井が朝倉に従属に近い関係だったと見てさらにその近畿戦線での重要性を認識して
いたからこそお市を嫁がせて縁を結びその江北支配を朝倉に代わって保障してやっていた
つもりだったんじゃないかね、信長は。
だからこそ信長公記での信長は浅井の離反を聞いたとき「浅井にはお市を嫁がせ江北も与えてある。
不足のあろうはずがない。」と半信半疑になり後から何度もその報告が来て
やっと信じたという場面になったんじゃないかね。
朝倉の従属勢力に近かった浅井は妹を嫁がせ、朝倉より大きな勢力を持つ自分が
江北支配を保障してやった以上自分に背くはずがないと思い込んでいたんじゃないかね。
0784人間七七四年
2007/11/23(金) 20:24:06ID:a0u+OPu1だが浅井が朝倉の従属ってのが織田と浅井が組んだ時に残ってたかどうかはまた別問題
更に言うなら従属だとしても朝倉攻める時は一言くれっていうのもソースが未呈示。
その辺が示せない事には背信行為ってのはちょっと言い過ぎでないかい?
0785人間七七四年
2007/11/23(金) 20:37:16ID:2uEqN05d>>朝倉攻める時は一言くれっていうのもソースが未呈示。
このことについては歴史では特にそんな約束なかったんじゃないかね。
信長と浅井が同盟結んだ時はそんな約束する必要も条件も無い。
ただ普通に浅井にしてみれば朝倉攻める時には一言あるもんだと思っていたんだろう。
信長にしてみればお市嫁がせたし江北支配は朝倉に代わって自分が保障してやってる(つもり)のだし
こうなれば自分が朝倉攻めたって浅井は特に文句も無いだろうと思っていたんじゃないかね。
言うなれば「意図せざる背信」って所じゃないかね。
浅井にしてみれば「聞いてないよ」だったろうけど信長にしてみれば浅井が不足があるなんて
思ってなかったというのがまあ実情じゃないかね。信長公記の反応とか見るに。
0786人間七七四年
2007/11/23(金) 20:42:20ID:hMhDVnpv0787人間七七四年
2007/11/23(金) 20:49:51ID:2uEqN05dその可能性は無論ある。
ただ浅井は全体的に見て元亀争乱において領土拡大という感じで動いていない。
朝倉のつきそいで進軍して朝倉の防波堤みたいになって後詰を受けて戦って。
宿敵だった六角とも手を結んで。領土拡大としたらどこを狙っていたのかと。
まあ反信長勢が多そうだから信長よりも朝倉を選んで
勝ち組に入ろうってな考えはあったかもしれないけど。
0788人間七七四年
2007/11/23(金) 20:54:10ID:KgWKQrnJ今はそういう考え方をしてる人の方が多いと思うよ。
そもそも何故朝倉方についたのかなんて正確な史料があるわけない。
浅井だって馬鹿じゃないんだから、何が最も自己の利益に繋がるかを考え
最適だと思われる選択肢を選んだってだけの話だろう。
0789人間七七四年
2007/11/23(金) 22:46:31ID:fm4Of9nF織田が朝倉を攻めた時点で
両方と同盟関係を持つ浅井がどちらにつくかは不透明な状態だった
が
織田はそれに対して無防備すぎた
そういうことか
0790人間七七四年
2007/11/24(土) 00:48:43ID:LARl6PIi圧倒的な戦力差。これらの好条件をもって電撃的に朝倉を討って既成事実化
してしまうつもりだったんじゃないかね?
下手に浅井に事前通告して自陣営に引き込もうと工作をしようとすると逆に
朝倉に感づかれる危険もある。実際史実では朝倉の備えは脆く、信長軍は
早々に手筒山を落としてそのまま越前国内になだれ込もうとしていた。
仮に浅井の決断が三日逡巡していたら、その間に大勢は決して浅井としては
いまさら朝倉につくのも無理、なんて状況になっていた可能性はある。
0792人間七七四年
2007/11/29(木) 22:46:06ID:rP7jqViu0793人間七七四年
2007/12/04(火) 20:43:31ID:a4AXs8yN0794人間七七四年
2007/12/04(火) 21:58:12ID:hSn5+Pgzhttp://news.ameba.jp/gooranking/2007/12/9106.html
0796人間七七四年
2007/12/17(月) 07:16:12ID:jHMfWRYv0797人間七七四年
2007/12/17(月) 12:22:47ID:F4Bug1BD0798人間七七四年
2007/12/17(月) 21:43:08ID:5yEnPWWU0799人間七七四年
2007/12/21(金) 20:37:27ID:VDCFtiPc熱田神宮のこととかあるけどさ
0800人間七七四年
2007/12/22(土) 01:17:43ID:Up5DU+wN初耳
ソースよろ
0801人間七七四年
2007/12/22(土) 01:41:14ID:jbpxIMHZ仏の名を利用して政治に介入するナマグサボーズが嫌いなだけかと。
0802人間七七四年
2007/12/22(土) 09:24:31ID:fEiCLMR90803人間七七四年
2007/12/22(土) 09:40:26ID:e0+zqg7z怠け者、無能、愚痴や、わからずや、理屈屋、臆病者、坊主、神、動作の鈍い奴、気取り屋 などなど
0804人間七七四年
2007/12/22(土) 09:48:54ID:Ad8xXADq敵対勢力だから嫌っただけで。
0805人間七七四年
2007/12/22(土) 10:06:40ID:dslD3+ip0807にゃんこ
2007/12/22(土) 21:34:57ID:3VZQU0+rそもそも、鎌倉幕府以来、「武士による土地利権の拡大(独占)」というレール
は引かれていたわけで。
0808人間七七四年
2007/12/23(日) 00:30:38ID:Lchuevk5ついでに欲深もきらい
0809人間七七四年
2007/12/23(日) 02:00:11ID:1idlvLY/楽市楽座を大々的にしたのは六角氏
安土の場所に石垣を用いた巨城を最初に築いたのも六角氏
鉄砲は各戦国大名が既に配備していた
三段構えみたいな誰でも考え付くようなことは
当時、普通に行われたいた
将軍の追放も京都では日常茶飯事で
あらためて驚くようなことではない
だいたい足利義昭は
その後も官職は将軍だし
幕府を滅ぼしてはいない
将軍が京都を離れ
地方に下ることも
よくあること
信長は普通の成り上がりの大名
朝倉や斉藤や三好と同じ
尾張守護で管領になれる格式をもつ斯波氏の
守護代並みの有力な家臣というだけ
まで言ってしまうと言いすぎか
0810人間七七四年
2007/12/23(日) 02:08:52ID:maD561fV0813人間七七四年
2007/12/24(月) 13:00:36ID:u7LQTLwj0814人間七七四年
2007/12/24(月) 13:11:18ID:dNn+9/Jo南蛮勢力がしたのは主に資金援助
東アジアまで軍隊送るほどの力は当時の南蛮には無い
で、デウス様のの教えを疎んじ始めた信長の宿所・本能寺に爆薬仕掛けて羽柴に首を挿げ替えた
0815人間七七四年
2007/12/24(月) 13:18:14ID:xrhYDohH0816人間七七四年
2007/12/24(月) 13:21:15ID:dNn+9/Jo0817人間七七四年
2007/12/24(月) 17:54:53ID:IwXzKUBVこのスレの人には釣りだとは気が付いてくれない
0818人間七七四年
2007/12/24(月) 18:11:48ID:TP7ZTAG+信長は本能寺を脱出して船に飛び乗って薩摩へ逃げたというトンデモ説があったなw
0819にゃんこ
2007/12/24(月) 22:06:17ID:Esya6KB9もちろん、無能ではなくて、大有能。
正しくは、「戦国大名総集編が織田信長」
0820人間七七四年
2007/12/25(火) 09:08:58ID:6qTsoWdL0821人間七七四年
2007/12/25(火) 10:50:51ID:0VKvMuK+だが織田厨が反論した事をいまだに見た事がないw
鉄鋼船で毛利水軍を破ったとかw
あと足利義教の人生を信長はまんまパクッてるとかw
0822人間七七四年
2007/12/25(火) 12:42:24ID:xJkdfnJj幸せ回路発動ちぅ
0823人間七七四年
2007/12/25(火) 13:03:58ID:0VKvMuK+0824人間七七四年
2007/12/25(火) 19:24:39ID:t0Q+WZNKそうじゃなくて、「他の大名の模倣」と主張するのなら
もっと重要な「模倣」が欠けている事からして
コピペの元を書いたヤツは中学生か中卒ではないかと推測できる
0825人間七七四年
2007/12/25(火) 20:16:51ID:0VKvMuK+0826人間七七四年
2007/12/25(火) 20:29:45ID:qE2OjUMP発明家以外の歴史的人物のすべて模範者になる
0827人間七七四年
2007/12/25(火) 20:33:00ID:0VKvMuK+0828人間七七四年
2007/12/25(火) 23:30:08ID:8PQSOxn80829人間七七四年
2007/12/26(水) 01:02:48ID:PzEKQBuw0830人間七七四年
2007/12/26(水) 01:43:19ID:U0D2Q+LB0831人間七七四年
2007/12/26(水) 10:59:38ID:PzEKQBuw0832人間七七四年
2007/12/26(水) 17:09:04ID:Y7y4pVco的から外れすぎていて全然当たらない鉄砲玉を「よけろ」と?w
しょうがねえなぁ、>>809をお前が書いたんなら、
まず、信長厨が「信長は偉大である」としている理由を挙げてそれを否定しろよ。
お前が挙げている例は瑣末な部分でしかない。
せめて毛利元就から模倣した例でも書き加えてみ。
0833人間七七四年
2007/12/26(水) 17:55:27ID:PzEKQBuwつかやっぱり織田厨反論デキズかw
0834|ω・`)
2007/12/26(水) 18:20:07ID:WIItATk80835人間七七四年
2007/12/26(水) 20:01:22ID:jmidMH3xじゃあ書いたヤツより更に無能じゃんw
0836人間七七四年
2007/12/26(水) 20:03:44ID:PzEKQBuw0837人間七七四年
2007/12/26(水) 20:04:23ID:X9qU+xC60839人間七七四年
2007/12/26(水) 20:45:24ID:PzEKQBuw0840人間七七四年
2007/12/26(水) 22:34:36ID:uQ9igvir0841人間七七四年
2007/12/27(木) 08:36:56ID:IEP9xMrC0842人間七七四年
2007/12/27(木) 11:11:52ID:BSj8X8K50843人間七七四年
2007/12/27(木) 11:53:09ID:lo3jBDLw最強じゃん。
武田軍相手に一人で頑張る男だぞ
その上天下御免のかぶきもの。最強じゃん
0844人間七七四年
2007/12/27(木) 12:01:14ID:RbKL+GJT安土の場所に石垣を用いた巨城を最初に築いても、
天下に威光を示さなければ意味が無い。
鉄砲を三段構えみたいにみんなしていても、戦に勝てなきゃ意味が無い。
将軍の追放をしても、天下を取れなきゃ意味が無い。
信長は意味のある成果を出した事に意義がある。
0845人間七七四年
2007/12/27(木) 12:33:22ID:BSj8X8K50846人間七七四年
2007/12/27(木) 12:38:32ID:GIADmbPr信長だって自分で楽市楽座やったのはその後期である1576年だし。
戦国大名は石垣づくりじゃなくてもそれなりの城を作って領内に威光を示してはいる。
天下に威光しめすだけが意味じゃない。
鉄砲三段なんかみんなしているというより、みんなしていないといったほうが正解。
なぜなら不合理だから。
将軍の追放は天下とらないと意味が無いことではない。将軍殺害までやった連中までいるが
それはあくまでも権力争いの一環。信長だってそう。義昭追放したのは義昭がいう事聞かなかったから。
義昭追放した後はしばらく2歳の義昭の息子を新しい将軍として擁立しようとしていたように
信長にとっても義昭追放は権力争いの一環。途中から反信長勢力を撃破して余裕が出来たから
自分が天下人になる方向に切り替えただけで。
0847人間七七四年
2007/12/27(木) 19:57:16ID:CF3XOm6Aキチガイコピペに書かれていない「判枡」について
ぜひともあなたのご意見をお聞きしたいです
0848人間七七四年
2007/12/27(木) 22:10:14ID:IyDlOHWU「領土を拡大したい」という意図で戦争をしていた。
信長だけが「天下統一したい」と公言して戦争をしていた。
信長が目指していたのは武士による完全な中央集権国家であって、
それまで各地の大名が勝手に法律を作って勝手に領国を経営し
その上に将軍がいるという国家体制だったのを改めさせて
中央が決めた1つの統一したルールで日本全土を経営させようとしたわけだ。
そこで>>842の判枡の説明が入ります。
↓↓↓
0849人間七七四年
2007/12/27(木) 23:29:04ID:BSj8X8K5中華科挙官僚制度に日本が移行するハズだったんすか?
0850人間七七四年
2007/12/27(木) 23:47:51ID:c2RRRPsoいよいよ>>842の判枡の説明が入ります。
↓↓↓
0851人間七七四年
2007/12/28(金) 00:07:55ID:zp+C40a5ローカルルールに、信長様を尊重することを義務づける一文を、
導入してはどうだろうか?
0852人間七七四年
2007/12/28(金) 00:16:48ID:AQuJVO0Eやたら必死なのは伝わりマスヨw
0853人間七七四年
2007/12/28(金) 01:00:15ID:tM6xEyu0本当に中卒なんだなお前w
0855人間七七四年
2007/12/28(金) 08:21:32ID:pTBreRiY0856人間七七四年
2007/12/28(金) 10:59:09ID:B5FJ+CUBただのかまってチャン。
まぁ、あんまりしつこいとレスしたくもなるわな。
0857人間七七四年
2007/12/28(金) 11:24:09ID:AQuJVO0E0858人間七七四年
2007/12/28(金) 11:39:35ID:uPvsEm6F0859人間七七四年
2007/12/28(金) 14:14:28ID:pTBreRiYそうやって自己弁護したいならご随意に
仏像に向かって口喧嘩して情けないと思わないなら、どうぞ続けられればいい
0860人間七七四年
2007/12/28(金) 14:21:59ID:B5FJ+CUB0861人間七七四年
2007/12/28(金) 14:41:16ID:AQuJVO0E必死過ぎてワロタwww
0862人間七七四年
2007/12/28(金) 15:14:43ID:B5FJ+CUBここまで粘着しているのを見るとぞっとする。
何か精神的な障害を負っているんだろうが。
0863人間七七四年
2007/12/28(金) 15:59:12ID:AQuJVO0E0864人間七七四年
2007/12/28(金) 16:36:19ID:dnItz2qq0865人間七七四年
2007/12/28(金) 21:23:15ID:Mdr8/fce0866人間七七四年
2007/12/28(金) 21:24:06ID:Mdr8/fce彼らの評価の真の意味が日本人はわかってない。
0867人間七七四年
2007/12/28(金) 21:51:20ID:cl1p9Dg+0868人間七七四年
2007/12/29(土) 01:42:34ID:oeyXiZA+「領土を拡大したい」という目の前の瑣末な目的でただ戦争をしていた。
そんな時代に信長だけが「天下を統一したい」と公言し
大きな目標を持ち、それを明確に示して戦争をしていた。
その辺から信長は他の大名とは全く違う存在になっている。
信長が目指していたのは武士による完全な中央集権国家であって、
それまで各地の大名が勝手に法律を作って勝手に領国を経営し
その上に将軍がいるという国家体制だったのを改めさせて
中央が決めた1つの統一ルール、1つの統一規格で
日本全土を公平かつ公正に経営させようとしたわけだ。
貨幣価値の統一、計測器の規格化、幹線道路の規格化、
他にも街の中心部の城は要塞としての機能を捨てて
「政庁」としての機能を重視したりと、当時としては革新的な部分は多い。
0869人間七七四年
2007/12/29(土) 05:20:04ID:wtwOv1Kq809 :人間七七四年 :2007/12/23(日) 02:00:11 ID:1idlvLY/
信長の評価は過大だと思う
楽市楽座を大々的にしたのは六角氏
安土の場所に石垣を用いた巨城を最初に築いたのも六角氏
鉄砲は各戦国大名が既に配備していた
三段構えみたいな誰でも考え付くようなことは
当時、普通に行われたいた
将軍の追放も京都では日常茶飯事で
あらためて驚くようなことではない
だいたい足利義昭は
その後も官職は将軍だし
幕府を滅ぼしてはいない
将軍が京都を離れ
地方に下ることも
よくあること
信長は普通の成り上がりの大名
朝倉や斉藤や三好と同じ
尾張守護で管領になれる格式をもつ斯波氏の
守護代並みの有力な家臣というだけ
まで言ってしまうと言いすぎか
0870人間七七四年
2007/12/29(土) 07:25:13ID:nmjaW2KV地方の大名はそもそも京都への距離や間に挟む敵との関係で天下を目指すという話じゃ
なかったんだけどな。北条氏とかはその辺割り切っていて関東8州で一つの国家を目指した。
信長よりもはるかに前に上洛し天下に一時期なれど覇を唱えた大内氏とかがいるな。
信長は比較的京都に近く、間に挟む敵も弱体化していた六角や三好といった連中だったからな。
比較的京都に入りやすかった。
どんなもんなのだろうな。これは江戸時代でさえ完全には実施されていない事。
これをやるには信長が文字通り織田家以外の日本の大名を根絶やしにしない限り無理なんだが。
いや、それでも無理か。土地による事情の違いというのもあるから一つの統一規格による経営なんかできるわけない。
出来ればこの説には資料による根拠が欲しいところだな。
その3つは地方大名が大体その領国内で行っていることだな。信玄なんか全部やってる。
要塞としての機能を捨ててるか?普通に石垣組みとかで山とかに頼らなくても防御を構築できる
築城方式が信長の時代に主流になっていっただけだと思うが。
0871人間七七四年
2007/12/29(土) 09:44:16ID:K2HUI3v3上洛の要因として、前将軍の弟を擁立できたったのもあるんじゃないか
中央集権について、「無理」と「目指す・志向する」っていうのは別の話じゃないか
例えば、錬金術師は土くれから金を生み出すという「無理」なことを目指していたが、「目指して」はいた
そこいくと、>>868のかれは、中央集権を企図したとまでしかいってない
そして統一ルールに従わせるために、織田信長が行ったことというのを最後に例示してるんじゃない?
君の反論はちょっとズレてやしないか
というよりも、これは反論も主張も難しいと思う
0872にゃんこ
2007/12/29(土) 10:06:20ID:3bBlK4Fv1,まともな兵農分離は秀吉から。信長は兵農分離も丈量検地も一部でしか実施
できていない。
2,鉄砲も当時の常識。楽市・楽座も天守閣も先例あり。
3,都市の自治権を奪うのも秀吉から。
4,方面軍とやらは、正しくは、寄親寄騎制。鎌倉時代からある武士の普通の軍制。
5,一向一揆との戦いも、政教分離というより、土地利権の奪い合い。一向一揆が
「政府」に口だししたか?一向一揆を本願寺荘園制度と解釈すれば、信長の
行動は過激だが、武士階級としては常識的な方向性。
6,「天下統一」を広言し出したのは、岐阜以降らしい。この時点で最大の戦国大名と
なっているのだから、当たり前。過半に及ばなくても、最大政党当主が首相を
めざすのは当たり前である。少数政党が天下取りではなく、議席増加を目標と
するのも当たり前。
そもそも、歴史は「英雄の意志と能力」で築かれるものではない。社会や経済への
対応の中で勝つための工夫や、下々からの陳情に応えていくうちに、いつの間にか、
必然的なレールに乗っていくものである。
有能者とは、自分の希望を下々に押しつけていく者ではない。必然的なレールを
見つけて、それに乗れる者のことである。信長もまた、その一人。
0873人間七七四年
2007/12/29(土) 10:49:45ID:tmFw5mjw天下統一って概念自体が革新的ってのもおかしいな。
京洛を支配し安定政権を築いた時点で足利幕府が統一政権を築いてる。特に足利義満の日本国王といい足利義教が鎌倉府を滅亡させるなど精力的な支配権確立への道を歩んでる。
大内や三好も畿内に安定政権を作ってる。
まるで部下の謀反で死ぬ信長が初めてみたいな言い方だ。
0874人間七七四年
2007/12/29(土) 10:52:56ID:tmFw5mjwこれこそ政教分離であって信長の場合はタダのケンカレベル
0875人間七七四年
2007/12/29(土) 16:04:25ID:ONCMisvv京都で起こった数々の戦い(応仁の乱等)では、実動部隊として、
ごく普通に京都に上洛し戦っていたと思われる。
織田家の人間として、はじめて上洛するような昨今の解説はオカシイと思う。
幼いときから身近に名門の管領家(斯波義銀等)を見ていたら、
京都に上洛したときに細川等に会っても敬意を払わないのは
あたりまえ。
信長が足利義昭を追ったことも、すごいことのように書かれているが、
将軍が都を追われるのは日常茶飯事。
三好なんか、おなじ管領の細川氏の守護代でありながら
将軍を追い
殺し
信長と同じような版図を
ずっと早くに
築いている
0876人間七七四年
2007/12/29(土) 18:17:25ID:Nb32B6tR>ごく普通に京都に上洛し戦っていたと思われる
応仁の乱の時に織田信長が生きていたとは初耳です
>織田家の人間として、はじめて上洛するような昨今の解説
その妄想のソース出して
>京都に上洛したときに細川等に会っても敬意を払わないのは
あの細川とは違うからだろハゲ
>将軍が都を追われるのは日常茶飯事。
頭大丈夫か?
>信長と同じような版図を
>ずっと早くに
>築いている
なんだ、キチガイか
0877人間七七四年
2007/12/29(土) 18:42:25ID:nmjaW2KVんな事いったって信長自身が土地ごとに多様な治め方しているのだから
統一経営しようとしていたなんて思えないでしょうに。
信長はその土地ごとに臨機に政策を用いてうまく収めていった。これは賞賛されて
しかる事であって、無理な統一経営しようとしていたという話よりもはるかに偉大な事。
統一ルールに従わせるために貨幣や度量衡や道路の整備をしたというなら、
それは他の多くの戦国大名がやっている事であるとも言っているじゃないか。
そうすると他の多くの戦国大名も統一経営を目指していたという事になるのでは?
とてもそうだとは思えないが。
>>876
とりあえず罵倒ばっかりじゃなくて具体的に反論しなよ。
織田家が京都に上っていたと>>875は言ってるだろうに。
さらに言っておくと将軍が都を追われるのは結構良くあった事なのは事実。
13代将軍足利義輝も12代将軍義晴も11代将軍義澄も10代将軍義稙も
何度も追放された経験を持っている。義輝なんかしまいには殺されてしまったしな。
14代将軍義栄は信長自身が追放して15代将軍義昭を擁立ししまいには追放。
0878人間七七四年
2007/12/29(土) 19:03:36ID:ONCMisvvアタマ、大丈夫?
勉強してから、ここ来なよ。
0879人間七七四年
2007/12/29(土) 19:22:27ID:1tAEXCXE0880人間七七四年
2007/12/29(土) 19:47:30ID:K2HUI3v3いや、俺の指摘は君の反論がズレてるって事だけなんだが
>>868は論拠を示してないから何ともいえない、というのが正解じゃないか?
>>868が何かを曲解したのか、新たな史料を発見したのか、電波なのかわからないけど
0881人間七七四年
2007/12/29(土) 20:06:23ID:UnR/TswH中世から近世の扉をひらいた人間だとは思いませんよ。コーエー厨のマンセーには恐れ入った。
0882人間七七四年
2007/12/29(土) 21:27:39ID:qzt+CBTZ天才は過大評価と言えば過大評価だな
0883人間七七四年
2007/12/29(土) 21:29:19ID:0tc4PR770884人間七七四年
2007/12/30(日) 18:20:53ID:aBStunxSどの細川?
>>875がいう、京都に上洛した時に合った細川は、文章の流れからすると管領の
京兆家のことでしょ。
織田信長は尾張で細川藤孝に既に会っているから、これとも違う。
教えてください。
0885人間七七四年
2007/12/30(日) 18:40:23ID:gYob2scvどの細川?
>>876の、あの細川って
どの細川?
>>876の、あの細川って
どの細川?
0886人間七七四年
2007/12/30(日) 22:47:37ID:TIhmYvmuわざわざ300年続いた将軍がいるのに天下統一しようというのが当時としては革新なんだ、鎌倉幕府とかは関係ない
例えば今の日本で首相と天皇を追い出してその辺の奴が力で国家元首になったら驚くだろ、それと同じ
>>875
つうか信長の織田は所詮分家の成り上がり、そんな家が応仁の乱の織田家を意識するか?
だいたい名門中の名門の朝廷や公家等は敬意を払ってる
それに三好は京を押さえた時に略奪等の好き放題をして支持を失った、その点織田は一部の例外を除いて禁止して支持を得た
その辺が京を押さえた他の大名とは違うといういわれなんだろ
信長の過大評価も確かに目につくが過小評価も程々に、仮にも天下の中心人物だったんだから
0887人間七七四年
2007/12/30(日) 23:51:47ID:TprArxkS足利将軍って300年も続いてたっけ?200年ちょいじゃないか?
まあ細かい違いだが。
室町幕府は元から有力大名が多く、その権威に従わない連中が多かったからなあ。
応仁の乱以後は特にその傾向が増えたし。
信長も当初は幕府輔弼を名分として戦っていたが、このやり方は室町幕府の時代を通じて
よく使われたものではある。中国地方から将軍を担いで上洛し一時期天下に覇を唱えた大内、
畿内を押さえた細川や三好、応仁の乱における山名や細川、などなど。
信長のした事も当初はこの系譜の中に属している事だった。
ただ信長の特殊性は「幕府輔弼」から「天下静謐の護持」という論理を構築した事。
まず大義として「天下静謐」があり、それを乱す者は例え足利将軍であろうと放逐されるものであり、
その天下静謐を護持する存在こそが信長であると。
ちなみにこの天下静謐という大義自体は前から存在した。信玄も義昭に当てて「天下静謐の馳走」を
すると述べている。信長のは「天下静謐の為に足利将軍を助ける」のではなく、
「天下静謐の為なら足利将軍といえども放逐されてしかるべき」という主張だったわけだ。
つまり「幕府輔弼」に変わる新たな天下統一論理の構築ではあるが、これが生み出されたのは
当初利用しようとしていた足利将軍がいう事を聞いてくれなかったのが大きい。
信長は義昭を追放した後もしばらくはその息子を抑えて新たな将軍として擁立しようとしている。
そして反信長勢力を大体撃破して余裕が出来始めた時に自らが天下人になろうとしていく。
こうして見ると信長の新たな天下統一論理の構築はそれほど革新的なものだったのかというと疑問が。
確かに特殊性はあるがそれは現実とのせめぎあいの果てに信長の後期に構築されたもので
それでもって信長の革新性の根拠といわれると不思議な気がしてしまう。
0888人間七七四年
2007/12/31(月) 01:09:14ID:97J1pDVg基本的に悪なのは変わらない。
ただ自警団として各地の寺社勢力も武装してたり国人などの勢力が牽制していた。
だから各大名は侵攻地では利害関係を思案し制札を発行して安全確保してたんだろが。
特に謙信は関東管領としてあちらこちらで発行してる。
三好や大内は畿内で安定政権を築いていて将軍を実権ない機関として見事に操ってる。
結局は足利義輝との対立から松永久秀が用済みとして殺意を抱いたに過ぎない。
信長も足利義昭が敵対的な独自政策を行わなければ排除したりしない。
義昭の外交政策が結果的に2人を敵対させただけで天下一統を最初から念頭にいれていたとは考えられない。
六角や朝倉・三好・大内らと同じで己に後ろ盾に将軍を擁立する行為を踏襲しただけ。
ところで足利幕府は意外と労力を使わずに楽して治める強固な支配手法があったよ。
それは守護領国制の中の守護や関東管領を任命する権利を握ってたこと。
一見すると足利幕府は紛争や混乱ばかりで支配力がない幕府に見えるけど
あれはわざと守護家の内紛や権力闘争を誘発させて合い争わせて弱体化を謀る足利幕府の得意技。
相続を巡る兄弟親戚の争いを将軍が作りだしどちらかに肩入れしたり調停者になるなど巧妙かつ悪質な将軍が義満や義教。
義教の子供の世代から幼年で将軍になり始めて操り人形化が開始され暴走を始める。それを嫌う将軍親政を目指した義尚の死が幕府の衰退を決定づけた。
0889人間七七四年
2007/12/31(月) 09:58:12ID:IyKJjBA1>わざわざ300年続いた将軍がいるのに天下統一しようというのが当時としては革新なんだ
こういう発言見ると、なんか視野が狭くね?と思うんだよ。
将軍家なんてなんぼのものなんだよ。
0890人間七七四年
2007/12/31(月) 12:12:02ID:lAQo5Twv権威は大義名分に使いやすいという利点があるから、「なんぼのもんじゃい」だけでは
太刀打ちはできない。
ふつう、そういった大義を利用して自勢力を強化して乗っ取る、というのが順当。
多くは、その過程で有力者同士の足の引っ張りあいで自滅か矮小化していくものだ。
織田信長はそうではなかった、ということ。
0891人間七七四年
2007/12/31(月) 12:15:36ID:IyKJjBA10892人間七七四年
2007/12/31(月) 12:34:45ID:TUR+6MAG0893人間七七四年
2007/12/31(月) 19:50:56ID:lAQo5Twv0895にゃんこ
2007/12/31(月) 22:21:41ID:mC60h87D0896にゃんこ
2008/01/01(火) 01:16:36ID:bdxovX2w地方大名が、領土拡張を目標とするのは当然だ。
過半に届かぬとも、最大政党の党首が首相を目標とするのは当然だし、
濃尾平野と伊勢平野を抑えた最大の戦国大名の織田信長が天下取りを目標と
するのは当然。その際、有名無実化した将軍を利用できる時は利用し、できない
時に追い払うのも当然の行動。
0897人間七七四年
2008/01/01(火) 02:59:38ID:s75WlzfD秀吉って存在のおかげで
0898人間七七四年
2008/01/01(火) 14:22:55ID:i0q8kc53「天下統一を意識したことが革新的」とか
「将軍家の権威をあっさり否定したのが革新的」ってのは、なんか違うとは思うな。
0900にゃんこ
2008/01/01(火) 20:39:29ID:bdxovX2w堺屋太一氏の方面軍説ね。
正しくは寄親寄騎制。鎌倉時代からある武士の普通の軍制だよ。
朝倉氏にも、武田氏にもあった、普通の軍制。
0901人間七七四年
2008/01/01(火) 21:16:18ID:yA50o36L0903人間七七四年
2008/01/02(水) 00:37:15ID:gRXYZbQn0904人間七七四年
2008/01/03(木) 02:03:30ID:LGVNTerG「俺だって戦国時代に生まれて、信長の立場だったらコレぐらい出来るよ」
って言ってるみたいで凄く鼻につくんだが、
一回ぐらいは「驚嘆すべき」とか、司馬遼太郎ばりの修辞使ったレスがみたい。
0905人間七七四年
2008/01/04(金) 15:48:28ID:5vRmFLrt織田信長は妹達を嫁がせ織田家の家格アップを計っている
幕府の権威を認めないなというのら婚姻するな
0906人間七七四年
2008/01/05(土) 00:00:27ID:zAfpDXAgここで尾崎豊が入ってるのがすごいなw
0907人間七七四年
2008/01/05(土) 00:27:01ID:pZttd9RD0908人間七七四年
2008/01/05(土) 02:27:44ID:VejYRONs0909人間七七四年
2008/01/05(土) 02:43:27ID:vYvS+ypT武を用いずただ威を持って防御となす…まさに戦わずして勝つだよな。
0910人間七七四年
2008/01/05(土) 04:46:43ID:RGf9yYL3こいつが死ねば家中が揺れるってわかってたんだろう
0911人間七七四年
2008/01/05(土) 18:23:10ID:4ADTRc9Aこの事実は、まさに現在の評価と矛盾するよなあ。
ぜんぜん過去の権威とか家柄とか認めちゃってるじゃん。
さらに秀吉が後に養子にした桂宮の兄親王を
信長は養子にしてたんでしょ。
結局、全部認めてるじゃん。
最近の歴史研究家は小説家化してきて笑えるよね。
0912人間七七四年
2008/01/05(土) 18:47:07ID:rrQJb5XFなんというか。
信長個人は権威を認めていないとしても、それを認める側の
影響とか効果などを考えたら、そういった権威との婚姻による
周囲にみせる格上げ、というのなら考えてもおかしくないのと違う?
政略家としては、順当な手だけどね。
当然、その権威が他に影響を及ぼさなくなったり、効果が薄くなると切って捨てる。
むろん、そうさせるのが権臣たるおのれの政治によってなのだろうことは言うまでもない。
0913人間七七四年
2008/01/05(土) 18:54:27ID:7ey1dbNp0914人間七七四年
2008/01/05(土) 20:19:35ID:rz3A8SiT>>904
結果を知ってるから当然の事のように思うのだと思う
>>909
精神的敗北てのは行き過ぎでしょw
ヤンキー漫画じゃあるまいし、強敵と好き好んで戦う奴は居ないよ
いや、信長ならやりかねないか…?
0915人間七七四年
2008/01/06(日) 00:42:10ID:4CZdekrw「ぜんぜん過去の権威とか家柄とか認めていない」
という研究者の意見など聞いた事ないのだが
君は他人の意見を曲解していないか?
0916人間七七四年
2008/01/06(日) 08:53:24ID:Zc5ibi19そうだよ。
信長どころか、世界中の偉人は結局、そういう評価。
おんなじ人間なんだから、気が利いたり、物事を良く考えられる頭があれば
実行力はなくとも、構想はもてるでしょう。
実行力のあるところが、偉人の偉人たるゆえんだけど。
問題は、考えることを止めてしまった、自らの立場にしがみついた人たち。
あるいは、そもそも目の前のものしか思慮に入ってこない、近視眼。
こういう人らにとって見れば、先々のことに思いが至る人の思考力は
怖いと感じるかもしれないね。
>>909
>>信長ならやりかねないか…?
勢力が整わぬうちは決して仕掛けはしないだろうと思うけどな。
自分の目指す前に立ちはだかっているなら、立ち向かわざるを得ないが
(優位になる策を講じるのは当然としても)
たいして障害とならないようであれば、ちょっかいかけてこないようにするのは
政治としてまっとうな手だからね。
で、自分がそれより大きくなったら、名目つけて討伐開始、と。
0917なななな梨
2008/01/06(日) 09:05:04ID:LU/MCOwuまぁ統率82 武勇71 政治76 謀略60
これでも過大か?
0918人間七七四年
2008/01/06(日) 11:55:47ID:h1wFRN3x歴史初心者はあれらを読むときまって「信長って天才だよな!俺知らなかっけど世界史でも指折りの業績を残した革命者だわ」とか熱く語り出す。
単なるDQNなんだけどな。後知恵でムリヤリ革命とか近代の扉を開いたとか捏造拡大解釈で鉄鋼船とか長篠鉄砲三段撃ちなど評価し狂える天才とか言い出す。
一方でコーエーの韓国ビジネス拡大に伴い半島の圧力で提督の決断や蒼き狼と白き雌鹿チンギスシリーズが製作中止になると同時に朝鮮出兵した秀吉がやたら不当に酷い評価にされるような内容になった。
そういうコーエー史観がゲーマーに広がるにつれて犬HK大河まで影響をうけ始めた。
もっとも犬HKなども韓国に不利な報道をしたら韓国から取材陣を追放されるからって理由もあるが。
0919人間七七四年
2008/01/06(日) 12:24:36ID:decrHlGuその人達のおかげで出身できたのに、
いらなくなると
切って捨てる信長
一番、友達になりたくないタイプの嫌な奴だな
結末は当然というべきだ
斯波氏の家来の分際で
足利義昭を利用するだけ利用しといて
追放した信長が
悪い
管領として天下布武するのが筋だ
0920人間七七四年
2008/01/06(日) 12:30:29ID:obKM4zoD何百年にも及ぶ安定政権はこいつには絶対作れない
0921人間七七四年
2008/01/06(日) 12:42:45ID:96vtJAY50922人間七七四年
2008/01/06(日) 13:04:48ID:bAWcf/Kh0923人間七七四年
2008/01/06(日) 13:06:57ID:h1wFRN3x織田信長政権も秀吉なり明智なりの部下権力肥大が始まり最後は謀反になると思うよ。
例えば明智を潰せば秀吉が次は俺が誅殺されると思うだろうし。これは万人恐怖の政治をした足利義教が謀反で殺されたのと同じ。
うまく粛清がなく信長死後を迎えたら秀吉死後みたいにどっちみち必ず押さえつけられてきた実力者の柴田や明智、羽柴、丹羽などの重臣の専横と対立が始まり織田政権は崩壊する。
信長はどっちみち高みから転げ墜ちる運命。
暗黒寺の言ってた事は間違ってないよ。
0924人間七七四年
2008/01/06(日) 13:12:37ID:96vtJAY5いわゆるスクラップ&ビルド
0925信長政権が確立されてたら伊達政宗とか龍造寺隆信とか重宝しそう
2008/01/06(日) 13:14:12ID:LU/MCOwu0926人間七七四年
2008/01/06(日) 13:55:39ID:/ZkeZgbh0927人間七七四年
2008/01/06(日) 14:08:23ID:h1wFRN3x将軍が反抗的だから追放したし別に長期的戦略なんてない。
だから次から次へと各地域に戦線を拡大してる。それをムリヤリにアホが方面軍制とか言ってるが実際は無計画に転用しまくってる。
0928人間七七四年
2008/01/06(日) 14:49:48ID:MMKkgI4k0929人間七七四年
2008/01/06(日) 14:55:09ID:Zc5ibi19そりゃ、公と私では全然違うわな。
公人として、それくらいの冷徹さは、別に不思議でもすごくもない。
凄みはあるかもしれんけど。
友達づきあいあたりのミクロな環境で、それやられたら
そもそもついてくる人自体がいなくなるでしょ。
あるいは、中国的な言い方でいうと「徳がなくなる」と。
曲がりなりにも、その当時、他の誰にもできなかった勢力形成を成し
人の意思を戦乱の収束に向けた、というだけで十分偉人だ。
そういう偉人とは、ふつう友達づきあいはできなくなるもの。
彼の結末がそういったものへの、天の懲罰なのかどうかは、知らんがね。
>>927
それでも当時、誰もそれを越えていないわけで。
0930人間七七四年
2008/01/06(日) 15:39:07ID:PekCPflzhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193239817/
1 :人間七七四年:2007/10/25(木) 00:30:17 ID:UXtEsnil
天才信長以外は全員カスなんだから、板名は信長板でいいと思う
お情けで信長以外の同時代のことも語ってもいいってことで
戦国時代板と言いながら安土桃山時代のことも語っているんだから、
戦国時代板なんておかしいし、この際、板名を信長板にしよう
0931人間七七四年
2008/01/06(日) 18:09:26ID:DrOLNFlq本日のベストキチガイ
926 :人間七七四年 :2008/01/06(日) 13:55:39 ID:/ZkeZgbh
破壊者っていうかただの大量無差別殺人鬼
0932人間七七四年
2008/01/06(日) 22:46:05ID:+b1IcKtZでも区別はつけてるけどな。
0933人間七七四年
2008/01/07(月) 07:10:18ID:0BEPv/L30934人間七七四年
2008/01/08(火) 01:46:02ID:VWnWPYp1権威にせよ、伝統にせよ良いものを否定はしてないでしょう。
そこがわからず、全部を一緒くたにしか見れない人には信長の凄さがわかる
訳も無い。
0935人間七七四年
2008/01/08(火) 08:57:45ID:YmMn/3UP0936人間七七四年
2008/01/08(火) 09:24:33ID:QKT5UDvG朝廷を否定ってのはがくしゃさんでも意見が割れてるところだが
足利も当初は支援したし
斯波を擁立したりもしてる
権威を否定してるんじゃなくて、ただ対立しただけと見るほうが適当だとおもうが
0937人間七七四年
2008/01/08(火) 18:01:47ID:D4APHKc3無理に貶めることもないし、変に破壊者とか狂人とかキャラ付する必要もない。
0939人間七七四年
2008/01/12(土) 15:01:58ID:EFTKatAQ0940人間七七四年
2008/01/12(土) 16:39:37ID:66kUAuA+0941人間七七四年
2008/01/12(土) 20:09:20ID:MwzJ9CIO戦国時代の朝廷は深刻に金が無くて
次の天皇が立てられなかっただけだろ
親王が適当な年齢になったらさっさと譲位して
上皇になって楽するのが普通だろ
0942人間七七四年
2008/01/12(土) 22:37:13ID:yio+g0s3秀吉、家康は単に権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
0943人間七七四年
2008/01/12(土) 22:44:19ID:kyyZU6Zeつい興味を惹かれて買ってしまったが、信長を貶めるための空想が多すぎて辟易した。
信長公記に沿って信長の戦下手を論じているところまでは面白かったんだがな。
0944人間七七四年
2008/01/12(土) 22:47:49ID:RNLMHgXj0945人間七七四年
2008/01/12(土) 23:15:03ID:B04wyyiG最後は部下に見限られて殺されるという末路は避けられないだろう
天才ってのはそういうとこも兼ね備えてるもんだ
つまり信長は天才じゃない
謙信が戦馬鹿なら、信長は野望馬鹿ってとこだな
0946人間七七四年
2008/01/12(土) 23:20:13ID:kyyZU6Zeそういう極端な評価しかしないのは見識を疑いたくなるな。
信長が行った改革は具体的に何であり、それが歴史にどういう影響を
与えたか、それと同時に秀吉と家康は何をして何をしなかったのか、
そういうところを聞いてみたい。自分は信長はあんまり知らないので。
治世の短い豊臣政権はいざ知らず、江戸幕府の定めた制度は大きく
国体を左右したと思うのだが、それは信長の業績に比べてそんなに
卑小なものなのだろうか。私にはそうは思えない。
そもそも為政者の評価軸は改革をすることなのだろうか?
改革をする為政者だけが偉大という定義自体がずれている気がする。
内乱による社会的エネルギーの損失を速やかに停止することは、
為政者の業績として(その動機が権勢欲であったとしても)大いに
評価すべきだと思う。
さらに言えば、徳川幕府は前政権の長短に学べたという利点はある
ものの、はっきりとした国家ビジョンを打ち出すことが出来ている。
これと比較して未完に終わった信長の国家観がいかに優れていたかを
知りたい。
0947人間七七四年
2008/01/12(土) 23:24:46ID:4n5cNqiLこんなトンデモ理論でムリヤリ信長マンセーしてるだけ。
やってる事は部下に暗殺された足利義教となんら変わらない。
0949人間七七四年
2008/01/12(土) 23:30:03ID:yio+g0s3与えたか、それと同時に秀吉と家康は何をして何をしなかったのか、
そういうところを聞いてみたい。自分は信長はあんまり知らないので。
そんなの自分で確認しとけ。
自助努力を怠って甘えるな。子供か。
>治世の短い豊臣政権はいざ知らず、江戸幕府の定めた制度は大きく
国体を左右したと思うのだが、それは信長の業績に比べてそんなに
卑小なものなのだろうか。私にはそうは思えない。
信長の存在なくして徳川の天下は有り得たのか。
低能すぎる。
>そもそも為政者の評価軸は改革をすることなのだろうか?
改革をする為政者だけが偉大という定義自体がずれている気がする。
内乱による社会的エネルギーの損失を速やかに停止することは、
為政者の業績として(その動機が権勢欲であったとしても)大いに
評価すべきだと思う。
永禄から、元亀、天正前半の時代背景を勉強しとけ。
>徳川幕府は、はっきりとした国家ビジョンを打ち出すことが出来ている
大航海時代という世界的潮流に背を向けて、
国内統治が精一杯の引きこもり主義という国家ビジョンのどこが優れているのかね。
0950人間七七四年
2008/01/12(土) 23:32:26ID:B04wyyiG0951人間七七四年
2008/01/12(土) 23:37:12ID:kyyZU6Ze大航海時代という世界的潮流に背を向けて、
国内統治が精一杯の引きこもり主義という国家ビジョンのどこが優れているのかね。
まあ、その程度の歴史認識しかできていないのですな。貴方は。
0952人間七七四年
2008/01/12(土) 23:39:42ID:yio+g0s3国際化の扉が開いた時代に対応する能力がなかったという点で、
信長より遥かに劣等だといっている。
家康は、雑魚と比べれば確かに有能だわさ。
0953人間七七四年
2008/01/12(土) 23:40:57ID:RNLMHgXj0954人間七七四年
2008/01/12(土) 23:42:51ID:yio+g0s3では、貴殿の言うところの徳川の優れた国家ビジョンとやらを、
信長とそれと比較して、その優位性を示してもらおうか。
表面的な難癖ならバカでもできるがな。
0955人間七七四年
2008/01/12(土) 23:43:02ID:B04wyyiGあのままだとマジで中国みたいになってたかも
0956人間七七四年
2008/01/12(土) 23:46:20ID:yio+g0s3あのままだとマジで中国みたいになってたかも
西洋文明を積極的に取り入れた明治維新後の日本は、中国みたいになったのか。
アホか、お前。
0957人間七七四年
2008/01/12(土) 23:47:25ID:RNLMHgXj0960人間七七四年
2008/01/12(土) 23:52:35ID:B04wyyiG国の疲弊がない状態で西洋文明を取り入れたから、あそこまでスムーズにいけた
0961人間七七四年
2008/01/12(土) 23:54:47ID:yio+g0s3わざとやってるの?
では信長の「西洋カブレ」=「中国みたいになっている」という因果関係を説明していただこうか。
0962人間七七四年
2008/01/12(土) 23:57:42ID:kyyZU6Zeポルトガルもオランダも江戸幕府より遥かに早く没落している。
日本が開国を迫られた時点で列強といわれたイギリスとフランスはともに
海外政策では後発国であり、プロイセンに至っては海外領土はない。
ロシアはいわゆる通商国家でも産業国家でもない。
どのような政権も体制の衰退は存在するものであり、その責任を創業時に
押し付けることは論理の飛躍ではなかろうか。日本鎖国開始時に盛況を誇った
オスマン帝国は、開国時には体制が機能不全に陥っていた。これをもって
オスマン帝国を劣等というのであれば、どこにも優れた政権など存在しなくなる。
0963人間七七四年
2008/01/13(日) 00:01:20ID:sKqycMxt宣教師歓迎しまくりの時点でいずれそうなるわな
家康が追放したからあいつら南蛮の日本占領の野望は費えた
0964人間七七四年
2008/01/13(日) 00:03:21ID:DnE0OxON日本がワザワザ大航海時代を真似て外国へ進出する必要性はないんだわ。
宣教師どもは信者を増やし長崎を領土化し日本人奴隷を売りさばき、まぁ島原の乱でもわかるが危険な存在へと変化する。
インドなどはちょっと港を譲渡したら都市国家を建設されて侵略されていった。
それがわからなければお前はバカだ。
0966人間七七四年
2008/01/13(日) 00:04:34ID:bY44i7UM世界史など聞いてない。はぐらかすな。
徳川の閉鎖性が信長の政策と比べてどこが優れているのか聞いている。
0967人間七七四年
2008/01/13(日) 00:10:19ID:bY44i7UM信長が南蛮交易から得た恩恵を分かってねえじゃないか。
知ったかぶりして、底の浅さを露呈させただけの恥さらし。
>>965
>他のアジア諸国がどうなったか考えろと
お前が、アジア諸国がなぜ列強の植民地にされたか考えろ
0969人間七七四年
2008/01/13(日) 00:15:38ID:DnE0OxON当時からすでに傭兵とか買ってるんだよ宣教師どもは。
キリシタンは立派な軍隊にだってなる。
0971人間七七四年
2008/01/13(日) 00:21:04ID:bY44i7UM石山本願寺は扇動する一向一揆と混同している阿呆
0972人間七七四年
2008/01/13(日) 00:23:41ID:DnE0OxONそれだけ宣教師達の海外貿易による利益が大きいって事だ。
0973人間七七四年
2008/01/13(日) 00:26:04ID:mfz6XcM3教えて欲しいのですよ。最初の投稿で書いたとおり。そもそも私は徳川政権の
国家ビジョンの方が優れているなどとは一言も書いていないので。
怠慢な私はここに来たら親切な方がいろいろと教えてくれると思ったので
尋ねてみたのですが、バカに講釈する気がないと仰るならそのまま放置して
もらえれば結構です。
0974人間七七四年
2008/01/13(日) 00:28:05ID:DnE0OxON0975人間七七四年
2008/01/13(日) 00:29:18ID:C0/fkXOT調達出来る心当たりが一つある、それは日本。
実際日本人傭兵が売買され、イギリスやオランダの尖兵となってる。
もし旧教国が秀吉によって締め出されていなければ、旧教国が雇う可能性は否定できない。
0976人間七七四年
2008/01/13(日) 00:31:06ID:4mz1XaADだから、統一国家となった日本を侵略出来るだけの軍隊をどうやったら雇えるのか?
仮に数十万の軍隊を雇える(これも有り得ないが)事が出来たとして、
中国からどうやってそれだけの兵力を日本に送り込む事が出来るのか?
0977人間七七四年
2008/01/13(日) 00:34:17ID:bY44i7UM>そもそも私は徳川政権の国家ビジョンの方が優れているなどとは一言も書いていないので
貴殿は>>946にて
>江戸幕府の定めた制度は大きく
国体を左右したと思うのだが、それは信長の業績に比べてそんなに
卑小なものなのだろうか。私にはそうは思えない
、という書き込みをしとるがな。
0978人間七七四年
2008/01/13(日) 00:34:17ID:DnE0OxON少しは世界史勉強しろよ…
0979人間七七四年
2008/01/13(日) 00:35:37ID:MfFPDk/w庶民には、かなり好かれてたかな?。好かれてなきゃ、桶狭間はありえない。
焼き討ちとかなければな〜。一番好きな武将なんだけどな。
0980人間七七四年
2008/01/13(日) 00:36:56ID:4mz1XaADあのな、当時の日本の軍事力はヨーロッパ諸国に引けを取らないんだよ。
分かる?
もうちょっと勉強しようよ。
0981人間七七四年
2008/01/13(日) 00:38:43ID:DnE0OxONソース出せよ。
0982人間七七四年
2008/01/13(日) 00:40:10ID:mfz6XcM3純粋に国語の問題ですな
>江戸幕府の定めた制度は大きく
>国体を左右したと思うのだが、それは信長の業績に比べてそんなに
>卑小なものなのだろうか。私にはそうは思えない
この意味するところは
信長>>>>>家康 ってほど差のあるものなのか?そうは思わない
という意味なのだが。そんなにおかしい日本語か?
0983人間七七四年
2008/01/13(日) 00:44:48ID:MfFPDk/w0984人間七七四年
2008/01/13(日) 00:52:32ID:4mz1XaAD実際に動員された兵力や使用された鉄砲の数からしても世界で有数だ。
鉄砲の性能も独自に改良され、非常に優秀だった。
そのくらい、同時期にあったヨーロッパでの戦乱と日本での戦乱を調べれば
すぐ分かるだろ。
0985人間七七四年
2008/01/13(日) 01:03:07ID:bY44i7UM>ソース出せよ。
一々ソースを求めるな。
誰もが共有している普遍的な個々の歴史認識のソースなど、一々覚えている奇特な奴なんぞいねーよ。
単にお前が無知なだけ。
0986人間七七四年
2008/01/13(日) 01:15:40ID:DnE0OxONじゃあ質問するが何で世界有数の日本軍が朝鮮出兵に失敗したんだ?
0987人間七七四年
2008/01/13(日) 01:26:48ID:mfz6XcM3相違や兵站の問題を考えればスペイン本国からの万人単位での遠征は不可能
だと考えられる。加えてスペインはネーデルラント独立戦争、イングランド
との戦争、三十年戦争と大きな戦争が続き本国は疲弊してしまった。
当時ヨーロッパ人が確保していた海外領土はアメリカ大陸をのぞけば基本的
に商業拠点となる砦とその守備兵程度で、現地傭兵といっても百人単位、多くて
数千人だった。インドにおいてはたびたび現地の領主を怒らせては敗走し、
ほとぼりがさめると舞い戻るというのが実情だったらしい。
おそらく徳川幕府がキリスト教を禁止したのは侵略を恐れてというより、
信徒と教会の組織力が次代の一向一揆に映ったからではなかろうか。
とはいえ当時の大名たちもヨーロッパの力を過大評価していたことも考え
られる。地球儀を見ればスペインの領土は確かに広大であり、自らの領国
支配の体制のそのまま何十倍もの地域を支配していた、あるいは短期間で
占領したと認識したとすれば、その力を極端に過大評価した可能性はある。
伊達政宗は支倉常長を通じてスペイン王国に日本への遠征を求めているが、
どの程度本気であったかは別として、日本に数万以上の軍勢を遠征させら
れると考えていたかもしれない。結果は断られているが。
0989人間七七四年
2008/01/13(日) 01:48:44ID:+PD9gLj2つまり力づくで日本を侵略する力などヤツらには無かったって事になるわ。
それにインドの例など、信長の「西洋かぶれ」とやらの話と何の関係があるんだ?
インドは西洋かぶれだったから侵略されたのか?ん?
むしろ幕末、明治の例を見るならば、日本が彼らの侵略を免れたのは
彼らの文明の利点は利点として学ぶ姿勢があったからだろ。
無関心でもなく自文明の優越主義に酔うこともなく、敵愾心だけに染まることも無く。
それは家康よりも信長に近い物があると思うがね。
0990人間七七四年
2008/01/13(日) 02:12:03ID:RdKRqK3Sそんな俗説を今だに信じてるやついるんだな。
そんなの証拠になるようなものなんて出てこないよ。
>>979
それほとんど信長が考えたもんじゃないから。パクリだから。
0991人間七七四年
2008/01/13(日) 02:17:17ID:RdKRqK3S宣教師は尖兵であって拠点づくりの段階だから。
長崎が橋頭堡になるのは時間の問題で大友などもキリシタンに飲み込まれる可能性があった。
島原の乱が軽微だとは言い切れないはず。
別に本国から軍隊派兵なんてする必要はない。
0992人間七七四年
2008/01/13(日) 02:22:25ID:bY44i7UM>何で世界有数の日本軍が朝鮮出兵に失敗したんだ?
朝鮮に渡り半島南部から土地支配を拡大していくという旧態依然の軍事侵攻をしたから。
朝鮮など無視して直接船団で明国に渡り、重要拠点のみを押さえ、民を懐柔して現地に内通勢力を構築すれば、イイ線まではいったはず。
少なくても、信長は秀吉のような稚拙な戦略は用いない。
0993人間七七四年
2008/01/13(日) 02:25:24ID:RdKRqK3S非現実的すぎるな。そんなのうまくいかない。
だいたい制海権も握れてないのにそんな事をするのは自殺行為だ。
0994人間七七四年
2008/01/13(日) 02:27:21ID:RdKRqK3S0995人間七七四年
2008/01/13(日) 02:29:53ID:bY44i7UM>それほとんど信長が考えたもんじゃないから。パクリだから。
いくら考えたって、実際に実行して成果を上げなければ意味が無い。
妄想と実行との間には、大きな差があることも知らんのか。
その辺を分かってないから頭の血の巡りが悪いと思われる。
0996人間七七四年
2008/01/13(日) 02:31:05ID:8AeI7rcQ海軍の重要性に気付かなかったのかな?
案外平凡だよな。
0997人間七七四年
2008/01/13(日) 02:38:46ID:bY44i7UM>制海権も握れてない
日本からの大船団を明国が事前に阻止できるとでも?
>>994
明国さえ懐柔すれば、属国の朝鮮などどうにでもなる。
統治の正当性を民に示せずに、領地も糞もないって話だ。
傍若無人な陸上からの軍事侵攻など愚の極みだろ。
信長が足利義昭を擁して上洛した手法を鑑みれば、容易に理解できる理屈だ。
0998人間七七四年
2008/01/13(日) 02:40:03ID:4mz1XaAD鉄砲装備率30〜40%、動員兵力10万以上
当時、これだけの兵力がある国家が他にどれだけあるというのか。
>>991
仮にキリシタンが日本を手に入れようと考えていたとしても(ありえんが)
一部地域を支配化に置いた時点で全力を挙げて鎮圧されるだろうよ。
0999人間七七四年
2008/01/13(日) 02:43:43ID:RdKRqK3S検地・・・信長が始めたもんじゃねーぞ
楽市楽座。関所撤廃・・・六角定頼は実績をあげてますが?
鉄砲戦術・・・まさか鉄砲三段のことか?
鉄船・・・まさか鉄鋼船の話をだしてんのかw
朝廷政策・・・足利義満の方がえげつないぞ。
人事政策・・・たいしたことやってねーじゃん。
足利義教の方が信長よりすごいがな。
1000人間七七四年
2008/01/13(日) 02:43:48ID:+SsOr3cs自分は自由だと誤って信じている者は奴隷以下である(ゲーテ)
9.15 リチャード・コシミズ東京講演会
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. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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