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【裏切り】朽木元綱【名将】

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0001人間七七四年2007/09/07(金) 16:19:42ID:WT0Ni3Mk
決して地味ではない語れ
0079人間七七四年2008/03/18(火) 03:33:10ID:bPnXCEWH
>>78
ちょっとこのスレの方向とは合わないんですが・・・。
0080人間七七四年2008/03/20(木) 18:21:17ID:KQuhXRqb
>>73
何となく引き籠るにはちょうど良い能力って気もしますが。
幕府の奉公人なら使者の適性有りかも。
0081人間七七四年2008/03/24(月) 05:14:37ID:f1fuIDBW
元綱、嫡子の宣綱と長命だよね。
宣綱なんて地震で倒壊した屋敷の下敷きにならなかったら、
さらに長生きしていただろうし。
0082人間七七四年2008/03/28(金) 06:28:32ID:qhq2Fx5A
嫡流が分知を繰り返して5千石弱の交代寄合になったのに対して、庶流が大名家。
そういう事例って他にどれくらいあるのでしょうか?
0083人間七七四年2008/04/08(火) 16:23:22ID:zviEJtsc
>>73
それほど武功があるわけじゃないし、特徴は捉えてるんじゃない?
0084人間七七四年2008/04/09(水) 04:58:39ID:kapRpCjJ
松永弾正とはどういう間柄だったのかね?
0085人間七七四年2008/04/10(木) 11:20:01ID:2/b1o248
三好時代どちからというと三好と朽木は敵対関係だろうな。
0086人間七七四年2008/04/11(金) 22:45:53ID:fMSa34Up
去就こそ注目されたけど、元綱自身、永禄11年に三好一党が京都本圀寺の足利義昭を
攻めた際、信長軍が岐阜から到達するまで防戦した過去がある。
信長が義昭を奉じている限りにおいては敵対する理由が無い。
浅井に従っていたとしても、足利>>>>>>浅井という判断をしたのは当然のことでしょう。
0087人間七七四年2008/04/24(木) 14:48:40ID:w7pLCVaH
誰が将軍の旗印を握っていたのか、だよね。
0088人間七七四年2008/04/29(火) 12:46:31ID:lH/0zlc8
鯖街道age
0089人間七七四年2008/04/30(水) 21:44:24ID:8ilNq9AY
味わい深いスレですね。
0090人間七七四年2008/05/10(土) 23:59:22ID:EBubWHFM
>>69
俺も小川は冷遇する。
あいつはキリシタンか?
0091人間七七四年2008/05/23(金) 02:53:10ID:TD9JVrz9
>>90
能力もそうだが、人格的にも裏切りやすいしな。
調略されやすいのも問題だ。
0092人間七七四年2008/05/29(木) 12:26:37ID:UVJCm6AX
四将の中では

脇阪>>>朽木>>>(越えられない壁)>>>小川・赤座

になるのか?
0093人間七七四年2008/05/29(木) 15:15:22ID:i4VUOfE8
小川のウィキは子孫が編集したオナニー捏造ばかりで吐き気がした
0094人間七七四年2008/05/29(木) 20:59:30ID:j3xApcHE
>>67
なんだっけ、『風になびくススキ』だかなんだかだっけ?
0095人間七七四年2008/05/29(木) 21:23:13ID:uUBcACK7
>>93
禿同 あれは酷すぎだと思う

実際小川って織田家ではどのくらいの扱いだったんだろ
0096人間七七四年2008/05/30(金) 08:29:46ID:AdHU0vKy
いつの間にか小川スレにwww
0097人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 14:19:28ID:ivkaTTwK

だがそれが(・∀・)イイ
0098人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 19:02:01ID:oB1uQSp2
赤座は前田利長に仕え、7000石を給され、松任谷城代を勤めたが、越中大門の出水の検分の際、濁流を渡河中に落馬、溺死している
0099人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 21:39:57ID:4cxEvzrF
>>98
大谷刑部の祟りだな。
0100人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 22:00:17ID:/liSss8K
武士は祟らない。戦闘員だから、いついかなる場所で死んでも現世に恨みを残さない。
これが古来よりの武家の作法である。

もし大谷行部が祟るというのなら、彼は武士にあるまじき不心得者である、と言う事だ。
0101人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 22:04:37ID:3qoIj2k/
死んだ者は祟らない。
死んだ者を恐れ祟りを生み出すのは生きている人間だ。
0102人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 13:45:21ID:foXUd8LK
何のこっちゃ?
0103人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 14:47:26ID:uPFcXl8E
宗教談義スレ?
0104人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 20:57:53ID:1WqnlT24
武士が祟らないのは決まりごと。
101はその辺を理解出来ず陳腐な宗教論に転化している。
0105人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/08(日) 00:20:42ID:tarJ/2SX
なんか嫌なことでもあったん?
0106人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/08(日) 19:13:41ID:ixKNPD/+
朽木さんは何度か足利将軍をかくまってるね。
0107人間七七四年2008/06/09(月) 15:34:24ID:6XgdX/Qx
義晴が享禄元年〜天文三年
義輝が天文二十年〜二十一年、天文二十二年〜永禄元年というところか
0108人間七七四年2008/06/09(月) 16:01:20ID:+FYAIIOb
追い出している側も将軍を殺そうとはしていないよね、この頃は。
0109人間七七四年2008/06/10(火) 12:15:50ID:eSCtX3LO
赤座って大阪の陣のとき豊臣方についたんじゃなかったか
0110人間七七四年2008/06/10(火) 15:09:00ID:Dpl/BEs3
>>109
脇坂・朽木らと共に寝返り
→前田家臣
0111人間七七四年2008/06/10(火) 15:11:56ID:eSCtX3LO
なるほど。しかし前田家も裏切り者をよく召抱えるな
0112人間七七四年2008/06/10(火) 16:00:00ID:ScW7tn8m
「返り忠」も武士の習いだ。
0113人間七七四年2008/06/10(火) 16:20:53ID:7AugmIPX
3回裏切ってこそ一人前の武士と言われた時代だしな。
0114人間七七四年2008/06/10(火) 16:26:30ID:ScW7tn8m
まあ、主君でもなんでもない三成に対して、忠義を成せって言うのも変な話だしな。
それに前田も賤ヶ岳の時勝家を裏切ってるわけで。
0115人間七七四年2008/06/11(水) 00:37:00ID:KLEKcvjl
>>109
慶長11年(1606)に溺死したんじゃないの?>赤座
0116人間七七四年2008/06/11(水) 08:45:36ID:DVYdp7Lv
>>100 104
「武士」「祟り」で検索してもかなりの事例がヒットするんだが、
武士は祟らない、というのは何処の話なんだ?詳細希望。 
0117人間七七四年2008/06/11(水) 17:54:51ID:nMSf9oQM
脇坂の末裔が同級生だった。少し好きだった
0118人間七七四年2008/06/12(木) 04:02:49ID:q2NIcsuO
その人が悪いんじゃない。
時代が人をそうさせるのでは?
0119人間七七四年2008/06/12(木) 10:46:27ID:ogzvB5/t
別に悪くはないだろ。誰が悪いかといえば敗色を濃厚にした西軍が悪い。
0120人間七七四年2008/06/13(金) 01:16:30ID:49SIypQ2
>>117
スレ違いだが、高校の先輩に犬山城主のご子息さんがいたな。
0121人間七七四年2008/06/13(金) 01:23:22ID:/xf4BHbr
>>120
君の先輩は戦国期に高校時代を送ったのか?
0122人間七七四年2008/06/13(金) 01:40:17ID:Z2Xx4Yxj
>>121
君は日本語を読めない人間だな
0123人間七七四年2008/06/13(金) 17:01:57ID:cZG4meL+
・犬山城は最近まで個人所有だったことを知らない。
・江戸時代ならいざ知らず、犬山城の所有者を「犬山城主」と呼ぶことに違和感がある。

のどちらかだろう。
0124人間七七四年2008/06/15(日) 10:29:10ID:duuVRLtj
犬山城(家)の主(あるじ) = 犬山城主
江戸時代と違った意味で、犬山城主じゃない?。
0125人間七七四年2008/06/16(月) 12:30:37ID:AAzJSweH
江戸時代は尾張徳川家の付け家老(準大名格)だっけ?
0126人間七七四年2008/06/16(月) 13:51:01ID:5RKGIbKt
成瀬さんだっけ?
0127人間七七四年2008/06/16(月) 19:28:55ID:sWHBmaw5
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%B1%B1%E5%9F%8E
>近現代
>明治の廃藩置県で廃城となったが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などが
>こわれたため、明治28年(1895年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。
>平成16年(2004年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城
>白帝文庫に移管されている。
>
>2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(43番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模
>の日本100名城スタンプラリーが開始された。

財団法人犬山城白帝文庫 理事長 成瀬 淳子
(第12代犬山城主成瀬正俊の長女)
ttp://www.inuyamajohb.org/gaiyou/images/dairi.jpg
ttp://www.inuyamajohb.org/gaiyou/index.html
0128人間七七四年2008/06/18(水) 05:14:46ID:NbCvhmCH
>>127
世が世ならお姫様?
0129人間七七四年2008/06/19(木) 12:09:13ID:nUQhdezg
>>127
可愛い、結婚したい。
0130人間七七四年2008/06/20(金) 01:41:32ID:NxQqKpgv
>>129
結婚しても、財団化した以上は城主にはなれんけどね。
0131人間七七四年2008/06/24(火) 01:42:09ID:qpiF/vWV
朽木宗家の御末裔はどこで何してるんだろうね?
0132人間七七四年2008/06/29(日) 23:04:39ID:q9NMFd8a
>>131
福知山の朽木家は子爵に叙せられたが。。。
0133人間七七四年2008/07/02(水) 04:13:08ID:S8rEVCU+
>>132
大名家の爵位は珍しくないっしょ。
0134人間七七四年2008/07/05(土) 00:15:50ID:P+8g+q8t
朽木と言えば鯖のなれずし。
見た目は↓だが、けっこうクセになる。
0135人間七七四年2008/07/09(水) 08:09:50ID:y2R/V9ee
見た目が↓?
それは俺のことか?(^^ゞ
0136人間七七四年2008/07/13(日) 19:33:41ID:0eXG6aVc
元綱の武功ってどんなもの?
0137人間七七四年2008/07/15(火) 05:15:19ID:LXto4UcS
>>136
信長不在を突き、三好三人衆が京の義昭を襲った際、防戦に努めた。
あとは関ヶ原か。
0138人間七七四年2008/07/17(木) 18:01:53ID:ksLBRxxF
御料所age
0139人間七七四年2008/07/17(木) 20:22:33ID:+40ZAqYm
足利将軍や信長を匿ったりしたよね
求められると嫌と言えない性格だったのかな〜
0140人間七七四年2008/07/17(木) 20:24:07ID:q86cL6uf
>>139
> 求められると嫌と言えない性格

妙にいやらしい
0141人間七七四年2008/07/23(水) 00:52:58ID:E8YLAs7n
狡猾だよね。
信長軍の朽木谷通過を許したのは、

@信長が足利将軍家の旗印を握っていた
A梟雄・松永弾正を使いこなす信長の器量を見込んだ

という2点が考えられる。

しかし、その判断力も関ヶ原ではやや鈍ったのかも知れない。
豊臣政権という絶対の存在、それに東西両軍の軍事的拮抗。
大谷吉継という抑え役が目の前に立ち塞がっていたこともあるのだろうが。
0142人間七七四年2008/07/25(金) 02:26:54ID:vG4RfHPH
>>141
それでも、息子を徳川将軍家に仕えさせて幕閣にまでなってるんだから、
立ち回りと言う点ではかなりの才覚をもっていると思う。
0143人間七七四年2008/07/25(金) 08:11:17ID:v5dv92iE
三成厨が朽木を批判するのを見ると笑えて仕方がない。
0144人間七七四年2008/07/25(金) 21:06:05ID:agzlzgJ2
ぬる木ぽと綱
0145人間七七四年2008/07/27(日) 08:40:49ID:BoKmNSCn
>>142
リカバリーが巧かったね。
しかし、家光に厚遇されたと聞くと……
0146人間七七四年2008/07/27(日) 23:00:52ID:LzjjNjk0
>>143
どんな批判です?
別に「豊臣家に忠誠を誓う=三成に忠誠を誓う」ことではないのに。
寝返ったことが許せないなら、東軍大名は総じて批判されるべき。
0147人間七七四年2008/07/27(日) 23:30:38ID:O9CAkoCd
>>146
読み違えしてない?
0148人間七七四年2008/07/29(火) 01:51:25ID:JwCfgDIu
朽木氏といえば、足利義晴の内談衆を勤めていたりするな。

西島太郎氏の戦国期室町幕府研究や朽木氏の研究論文をまとめた
著書が出ているが・・・・・やはり高い。
0149人間七七四年2008/07/31(木) 23:43:04ID:bb6adfe4
あの狭い朽木谷の高台の館に征夷大将軍が住んでいたとは驚愕
0150人間七七四年2008/07/31(木) 23:56:39ID:qK6BraY+
一度将軍が逃げ込んで以来、そう言う変な「格」が出来たからね。
0151人間七七四年2008/08/12(火) 17:53:16ID:El3kx9KP
>>148
『室町中・後期における近江朽木氏の系譜と動向』というやつですかね?
0152人間七七四年2008/08/13(水) 05:11:36ID:b78rX89J
系図ヲタが投下してた。世代に疑問があるらしい。
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1200069092/782
0153人間七七四年2008/08/14(木) 18:47:26ID:wksgVz1E
>>152
具体的にはどのあたりに疑問が存在するのでしょうか?
0154人間七七四年2008/08/14(木) 20:59:46ID:soVqhp1H
朽木村。。。。
朽木ってそんなにすごかったの。
バスで高校やからド田舎やと思っていたのに
高島市には朽木高校が必要。
滋賀県の県庁所在地が朽木になってもいいのではないか。
0155人間七七四年2008/08/17(日) 12:24:43ID:ES3qDQ7a
大袈裟なw
0156人間七七四年2008/08/27(水) 15:21:27ID:H21+eIYP
やはり朽木プレイ
0157人間七七四年2008/08/27(水) 19:08:09ID:mLdium+j
井野場
0158人間七七四年2008/08/30(土) 13:46:56ID:bOxp4feu
ttp://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kukki.htm
>近江佐々木氏の一族で六角家の祖泰綱、京極家の祖氏信の兄高信が近江国高島郡高島を領し
>高島氏を名乗り、高信の次男頼綱の子頼信が同郡横山荘を与えられ横山氏を、氏綱が田中荘を
>与えられて田中氏を、そして末弟の義綱が朽木荘の地頭職を得て朽木氏を称したのにこの系統
>は始まります。

とありますが、田中氏というのは田中吉政に繋がるんでしょうかね?
0159人間七七四年2008/08/31(日) 17:44:42ID:MbIDddJy
近江高島氏が俳優の高島忠夫につながってるのは有名だけど田中は知らないなあ。
田中なんてあちこちにいるから関係なさそう。
0160人間七七四年2008/09/01(月) 19:47:25ID:5MLh1FVF
>>139
朝倉攻めには元綱の従兄弟(元綱の母は飛鳥井雅綱の女)にあたる
飛鳥井雅敦が同行していたからなぁ。
織田方がその血縁を利用したと考えられるよね。
0161人間七七四年2008/09/03(水) 12:56:24ID:y9hP7v3Q
>>158
出自は相当怪しいみたいで一定しない。
芋百姓出身というのが正しいのでは?
0162奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/04(木) 00:11:48ID:tAUZI6+I
芋かどうかはともかく、百姓でいいな。
0163人間七七四年2008/09/04(木) 15:16:53ID:DmDFo5cv
>>162
そこに反応?
0164人間七七四年2008/09/05(金) 14:03:27ID:PSVUdYIg
>>160
近衛前久もそうだけど、何で公卿ってのは何かにつけて従軍したがるんだろうな?
0165奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 01:39:20ID:0g9FCRon
従兄弟→義兄弟扱いできる公家 を擁することで得られる官軍ポジション。
0166奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 01:40:17ID:0g9FCRon
官軍ポジションを与えることで得られるのは経済的援助。
0167人間七七四年2008/09/06(土) 22:15:22ID:heBOpChr
>>165
しかし、飛鳥井レベルで官軍になれますかね?
0168奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 22:29:09ID:0g9FCRon
>>167
そこに将軍家が乗っかれば問題ないでしょ。
0169人間七七四年2008/09/07(日) 04:45:21ID:zLg+tFuw
>>168
大義名分という点では、最初から足利将軍家の旗印を掲げた平定戦ですから、
わざわざ公家を介在させる理由は無いでしょう。
接待ゴルフではありませんが、レジャー半分の戦見物ではないでしょうか。

ところが、浅井が敵方につくという不測の事態に直面した際、陣中の誰かが
飛鳥井と朽木の婚姻関係に着目したと。
となると、その誰かというのは松永久秀あたりと思われます。

漫画だと木下藤吉郎が万が一に備えてネゴシエーションしていたという筋が
多いわけですが。
0170人間七七四年2008/09/10(水) 00:00:29ID:q4JQeDWc
朽木さんは、勧農政策に熱心で、城から苗やら農具やら貸し与えてたそうな。
それで、朽木荘の住民は、領主との信頼関係を損ねると言う事で、徳政令が出ても
自分たちには適応しないでほしい、と、申し立てしてたりする。
0171人間七七四年2008/09/10(水) 15:11:14ID:cskoEvRg
旗本身分でもそこは在地領主だからね。
知行地に足を踏み入れることの少ない他の旗本(知行取)に比べると
統治がきめ細かい。
0172人間七七四年2008/09/13(土) 01:44:13ID:31RgzDSs
>>169
そもそも朝倉攻めは建前上、武藤友益を討伐するということで幕府、朝廷が許しを
与えているわけだが。
飛鳥井雅敦や日野輝資などが従軍したのもそのため。
0173人間七七四年2008/09/15(月) 00:33:08ID:UB3AVUgq
飛鳥井宝光院
0174人間七七四年2008/09/17(水) 23:14:30ID:BcvLBzNn
>>173
朝倉方でしたよね。
0175人間七七四年2008/09/20(土) 15:52:37ID:qot11TNd
朝倉氏滅亡後はどうなったんだろ?
0176人間七七四年2008/09/21(日) 22:22:32ID:rxaM+Zfm
分家のほうが家光の時代に若年寄にまでなって宗家を逆転してるんだね。
0177人間七七四年2008/09/23(火) 04:14:43ID:nCR+AyEC
>>176
分家が本家を家格・石高で上回った例としては、飯野保科家の例があるね。
保科正之が会津に転封になる際、義兄・正貞に保科家累代の宝物類を引き渡し、
飯野保科家を宗家とした経緯があるので。
0178人間七七四年2008/09/23(火) 11:35:45ID:PVmbkiBX
堀家もそうだな>分家が本家を
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