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【裏切り】朽木元綱【名将】

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0001人間七七四年2007/09/07(金) 16:19:42ID:WT0Ni3Mk
決して地味ではない語れ
0203人間七七四年2008/11/06(木) 02:52:07ID:clyEMUGw
>>202
信長時代から存在感としてはかなり薄めだったしね。
金ヶ崎の時には役に立ったけど・・・それだけという感じもする。

まあ、全国支配の段階になると街道の保全管理が重要課題になってくるので
とりあえず潰さずに使うか・・・と。
0204人間七七四年2008/11/08(土) 21:26:36ID:3jfIMHyj
>>200
回答は無いようですね。
0205人間七七四年2008/11/11(火) 22:59:44ID:5Jul7b7J
礼法、作法に通じた武家で
伝承できた家が重宝されたのかな
家康公将軍任官で配膳役してることから推測する
0206人間七七四年2008/11/13(木) 03:52:17ID:0vIZayDF
>>205
意外なところに顔を出すものだな。
0207人間七七四年2008/11/16(日) 03:49:15ID:k0V2lzWM
>>205
朽木元綱の嫡子・宣綱が、家康の太政大臣任官の儀式にて配膳役を務めているね。
征夷大将軍に任じられた時となると・・・誰?
0208人間七七四年2008/11/17(月) 23:26:29ID:EwqcUGxk
将軍、大臣勘違いじゃないの?
ただ朝廷、公家とのやりとり作法は
江戸時代でもわざわざ高家取り立てて
指導してもらうくらいだから
稀少だったかもしれないね
室町幕臣系かなり明智光秀に与して悲惨な結果なってるし
0209人間七七四年2008/11/18(火) 11:38:22ID:8009mpa2
>>208
明智と朽木の繋がりってのもよく分からないね。
0210人間七七四年2008/11/18(火) 12:12:11ID:lqqeJdsw
>>209
明智と朽木に直接の上下関係はなかった(と思う)けど
所領がご近所さんだし、なにかと繋がりはあったんじゃないかな
こんな曖昧な繋がりじゃだめか^^;
0211人間七七四年2008/11/18(火) 13:21:34ID:xybM7AhT
明智か…謎だらけでわかんないや(汗)
ただ幕臣奉行衆、奉公衆どうしの絆は強かったみたいだな
幕臣系いっぱい抱えた細川家も
参勤交代の折りは朽木に挨拶は欠かさなかったとか
どこかのサイトでみたんだけど…
細川家一流の交際術かもしれないけどね
0212人間七七四年2008/11/18(火) 13:42:39ID:qYuSc1P5
>>211
次第にその価値も薄れたんだろうけどな。
0213人間七七四年2008/11/18(火) 13:56:44ID:xybM7AhT
>>212
細川家も有数の貧乏大名で有名だし
幕閣との付き合いで
手がいっぱいだっただろうしね
0214人間七七四年2008/11/19(水) 07:08:20ID:dVd8PmfR
朽木家も分知を繰り返したから、財政的には厳しかったんだろうね。
0215人間七七四年2008/11/19(水) 19:01:21ID:X12q8jYO
大身旗下が実際は武士階級では
一番余裕があったみたいじゃない
交代寄合基本的に無役だし
吉原で身を崩すのはこの階層が多いよ
0216人間七七四年2008/11/21(金) 10:59:30ID:k5z1uGQz
>>215
しかし、知行取というのは凶作で収入激減なんて事態もあり得るからね。
そのあたりは蔵米、切米取りの方が安定している。
それでも基本的にベースアップがない階層だけに、市場経済の前には無力だったはず。
0217人間七七四年2008/11/22(土) 21:22:51ID:r85TmFn6
朽木の場合、山間で新田開発が難しいから
鯖街道の商業税と木材座からの運上なんかがメインか
ただ飛騨の匠を抱えた飛騨奉行がかなり蓄財できる
美味しいポストだったみたいだったから
朽木もそんなに悪くないと思うよ
0218人間七七四年2008/11/23(日) 18:58:18ID:XUOATh7f
>>217
安定収入ではあるけど、といって生産性が劇的に上昇する性格のものでも
ないしねぇ。
0219人間七七四年2008/11/23(日) 19:33:10ID:kC0H/L0f
気候温暖、土地が豊かで開拓余力が有り
物流の動脈拠点で物資が豊富
換金特産物にも恵まれた
豊かな領地なんてあったのかいな
何かしら問題は抱えてるじゃまいか?
0220人間七七四年2008/11/23(日) 23:26:29ID:u7eUPSog
>>219
尾張〜駿河くらいまではなかなかそんな感じでは?
0221人間七七四年2008/11/24(月) 17:20:49ID:1pqaF6yv
>>220
濃尾平野と異なり、三河〜駿河というのは山と海に挟まれた土地だからなぁ。
0222人間七七四年2008/11/25(火) 23:40:01ID:RXUuETFk
東海、関東大名はいいよな
でかい治水工事なんてほとんど外様の大名に
外注してもらってんだから
本来ならもっと豊かになってないといかんが
そんな話聞いたことないな
0223人間七七四年2008/11/27(木) 18:50:33ID:GtyGun5N
関東はまだしも三河、遠江あたりは農耕面積がそんなにあるわけじゃないしねぇ。
0224奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/11/27(木) 23:42:39ID:zrioAXz8
なんだかゲームマップを見ながらの書き込みに見える。
0225人間七七四年2008/11/29(土) 18:51:34ID:7TAN3Ir/
>>217
米が取れない地域は、それ以外の収入を増やすしかないからなぁ。
朽木谷の場合は街道の通行権、商業権、林業に対する課税だけに安定的だったのかな。
0226人間七七四年2008/12/01(月) 22:29:03ID:czrcFTjv
京都様様だな
大都市近くはそれなりの旨味があるからね
0227人間七七四年2008/12/02(火) 17:58:37ID:bMPsKUZr
>>226
当時の京はどれくらいの市場規模を持っていたのかな。。。
0228人間七七四年2008/12/02(火) 17:59:29ID:Xw7C+ne+
江戸以前は日本唯一の十万都市じゃないの?
0229人間七七四年2008/12/03(水) 01:37:35ID:C0HJSLTX
>>228
問題は江戸期だね。
0230人間七七四年2008/12/03(水) 02:47:32ID:bAxKNm7T
寛永十一年の洛中は410,089。
その後微減していって正徳五年で三十万くらいになる
0231人間七七四年2008/12/04(木) 14:05:03ID:h85b7aFv
>>230
市場としては縮小傾向だったのね。。。
0232人間七七四年2008/12/04(木) 14:22:54ID:78PWIz5U
武家社会の恩恵が受けられるところじゃないしねぇ。
むしろ、なぜ大都市で居られ続けたのかがよくわからんくらいだ。
まあ、それでも朽木さんとこにとっては十分広い市場だったんじゃないかしら。
0233人間七七四年2008/12/05(金) 06:32:16ID:UTVrxvV8
>>232
京だけでなくその周辺への流通もあるのでは?
0234人間七七四年2008/12/07(日) 00:36:50ID:xqQ7HyBB
前に福知山城に行ったとき、城内の展示物や説明文を見ていたら、結構はっきりした口調で
「関ヶ原の恩賞で福知山に転封されてきた有馬氏は苛政を行い領民を苦しめた。
その後、数代を経て福知山城主となった朽木氏は善政を行い領内を発展させた。」
という意味のことが書かれていた。

朽木と京極は、近江の名家同士で豊臣期の所領も近いけど、つながりあったのかな?
関ヶ原で、当初は大谷の北陸攻めに加わり、機を見て東軍に寝返りと同じ経緯をたどっており、
京極の裏切りが朽木元綱に影響を与えたのかと少し思った。
0235人間七七四年2008/12/07(日) 16:27:53ID:M61moVS1
近隣勢力同士、互いに影響し合うことはあるでしょ。
実際、元綱の嫡子・宣綱の室は高吉女(マグダレナ)だし、宣綱の次子・高通が京極高知の
女婿になっているくらいで。
0236人間七七四年2008/12/12(金) 01:33:58ID:NcntzUJN
婚姻は年齢的に関ヶ原前?
0237人間七七四年2008/12/15(月) 00:28:39ID:NtUdrOEo
元綱と言えば、関ヶ原の役後、嫡子・宣綱と共に瀬田橋の修造奉行に任命され、
これを無事成功させている。
父子が家康、秀忠に近侍できたのはこの瀬田橋の修造が評価されたからとも
言われている。
0238人間七七四年2008/12/17(水) 12:57:39ID:wP5h2QQW
越前とか伊勢の太閤検地してたり
豊臣直轄領の代官してるから
民政に精通してたタイプだったんでしょう
0239人間七七四年2008/12/18(木) 22:10:29ID:opQBxiET
>>238
あれ?罷免されなかったっけ?
0240人間七七四年2008/12/22(月) 03:28:30ID:mFls7xd8
>>238
武功は聞かないなぁ。
0241人間七七四年2008/12/22(月) 09:00:18ID:v0FMutYU
一族に三好三人衆に義輝が殺された時、討死したやついなかったっけ?
0242人間七七四年2008/12/22(月) 16:04:59ID:rrwcNB2j
宮本昌孝の小説には朽木鯉九郎という人物が出て来るけど
モデルは晴綱の弟の直綱や輝孝辺りかな。
0243人間七七四年2008/12/23(火) 17:16:18ID:EBa1vkON
>>242
少し前に出てました。
>>http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189149582/182-184
0244人間七七四年2008/12/24(水) 01:54:19ID:SS6ed8tx
>>240
三好勢が京の足利義昭を襲撃した際、防戦にあたったとされているが
それ以外はあまり聞かないね。
関が原後、忠節を示すために戦ったという記録はないのかな?
02452422008/12/24(水) 15:31:48ID:nbzakFlr
>>243
thx
>>241宛のレスのつもりでしたが、やはり三人の誰かがモデルなのでしょうね。
0246人間七七四年2008/12/25(木) 20:04:58ID:PiCC4RgE
>>244
兵力が兵力なので。。。
0247人間七七四年2008/12/28(日) 17:17:37ID:jfRSnrf3
佐和山城攻撃に参加しているが、果たして軍功と言えるものかねぇ。
0248人間七七四年2008/12/31(水) 06:02:06ID:n0N53Yjp
関ヶ原での足取りと追うと・・・

伏見城攻撃に参加
     ↓
大谷吉継の軍勢に加わる
     ↓
京極高次を西軍に誘うも失敗
     ↓
関ヶ原本戦にて東軍に寝返り、大谷吉継を攻撃
     ↓
佐和山城攻撃に参加

何かフラフラしてますなぁ・・・
0249人間七七四年2008/12/31(水) 07:00:47ID:4NSdVyME
近江にあって東軍につくってのは判断は、まぁ無理だよな
だからそこ京極は家康に手厚く迎えられたわけだけど……
0250人間七七四年2008/12/31(水) 07:29:14ID:PCq7/6RT
むしろ東軍についた京極の方が英断ですわな。
しかも、あまり籠城戦に適さない大津城で集中攻撃に耐えなければならない。
朽木が同じことをしたらサッサと蹂躙されて終わり。
西軍に加わったのはある意味、妥当な判断ですよ。
脇坂のように裏工作をしていれば、本領の2万石をそのまま安堵されていたのでしょうけど。
0251人間七七四年2008/12/31(水) 15:56:49ID:IBEKTPJH
「磯野家の野望」では、磯野家重臣ですよ>元綱
0252人間七七四年2009/01/01(木) 01:19:56ID:wzvpWWWD
>>251
またマイナーな。。。
0253人間七七四年2009/01/06(火) 02:26:16ID:DRDAzlZs
>>251
磯野の配下だった時期もあるしね。
俺は朽木プレイの時は京極さんは拾ってやるぞ、同族だしな。
0254人間七七四年2009/01/06(火) 23:44:38ID:qnKNEzkc
>>253
六角、姉小路、尼子は?
0255人間七七四年2009/01/07(水) 01:16:29ID:k7CsItco
群雄割拠の近畿にあって
明治の世まで残ったのは京極と朽木だけ。
0256人間七七四年2009/01/10(土) 03:39:49ID:9YiZKpqH
朽木家の被官って殿原衆と呼ばれてたけど
殿原衆って禅を信仰する在地郷士も
そう呼ばれてたから
関係性あるのかい?
0257人間七七四年2009/01/27(火) 01:16:25ID:Erzl4ojq
>>255
京極は改易された家もあるしねぇ。。。
0258人間七七四年2009/01/29(木) 01:29:51ID:Sg6h2zQZ
京極高通
0259人間七七四年2009/02/01(日) 01:50:05ID:FnUWgRJ6
>>258
それが何か?
0260人間七七四年2009/02/01(日) 17:23:20ID:fJ+ir1q+
俺も先祖をたどっていけば
0261人間七七四年2009/02/02(月) 12:38:03ID:+wS1/r6Q
>>260
百姓でしょ、どうせ。
0262人間七七四年2009/02/06(金) 04:25:04ID:HGdrTgMN
「百姓」というのは氏も出自もある立派な身分階層だぞ。
江戸期に農民が基本的に自営農家になるまでは、百姓と言えば、下人を使って自分の農園を経営する
農村の上流階層。「百姓様」と呼ばれていた。
0263人間七七四年2009/02/07(土) 21:55:42ID:NCN64zGa
>>262
君の場合は小作人でしょ?
0264人間七七四年2009/02/07(土) 23:34:22ID:VbB5QbqY
先祖辿って小作人しかいないとか、それはそれで凄いことだと思うw
0265人間七七四年2009/02/09(月) 14:02:18ID:+nb8y9Ml
>>264
今も小作人のようなものでしょw
0266人間七七四年2009/02/10(火) 03:43:13ID:n3bkN3lB
ねえねえ、君ら、何の話してるの?
0267人間七七四年2009/02/10(火) 04:06:14ID:5wOCLpOe
そういや京都に京極って友達いたな
やっぱり関係あるのかな?
0268人間七七四年2009/02/11(水) 15:13:15ID:8EQgB9cz
朽木さんの子孫ってどこにいるんだろうね?
0269人間七七四年2009/02/11(水) 23:52:44ID:N8riY1fr
いらっしゃるようです。

ttp://www.kisnet.ne.jp/~matikado/kutuki01.html
>朽木家研究のためにこのほど福知山市へ転居してきた朽木家直系子孫の
>朽木 彰さんから寄託を受けた新資料も一部展示した。
0270人間七七四年2009/02/14(土) 16:15:51ID:zr+OyLO8
>>269
もう「○綱」ではなくなっているんだね。
0271人間七七四年2009/02/14(土) 17:47:16ID:GZgReSWo
ここまで続くとかぶりまくると
ひこにゃんの実家筋の分家さんも
困ってたなぁ
0272人間七七四年2009/02/16(月) 14:06:14ID:840lsEAP
朽木村って野生の鹿が多いよね。
0273人間七七四年2009/02/17(火) 18:42:23ID:luPZKN1G
冬は多い
0274人間七七四年2009/02/18(水) 03:39:39ID:b00R3fvU
>>271
名前もいい加減、ネタ切れするよね。
0275人間七七四年2009/02/21(土) 02:46:46ID:33XdexhL
>>274
江戸時代の後半にもなると、結構変な字を当てた諱が増えてくるからね。
0276人間七七四年2009/02/21(土) 08:53:14ID:0mcq+SyO
その時代の流行とかは……無いか。
0277人間七七四年2009/02/25(水) 16:48:44ID:VeZTkEFI
http://homepage3.nifty.com/hyuuga/daimyou/kutuki.htm
0278人間七七四年2009/03/01(日) 17:37:39ID:R5kUEMUb
しかし、朽木家って分知を繰り返し、やたら枝分かれしてるのね・・・
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kukki.htm

元綱━━━┳━━━宣綱━━━┳━━智綱
近江高島. ┃..    6,470石..  ┃   4,770石
9,950石..  ┣━━━友綱.    ┣━━高通
.       ┃..    3,010石.  ┃   (峰山藩)
.       ┗━━━稙綱.    ┣━━良綱 
...            (福知山藩).┃   1,000石
..                    ┗━━元綱
                          700石 
0279人間七七四年2009/03/02(月) 01:35:09ID:YPaXxp1L
>>278
曾祖父、祖父と同じ名前を名乗ってるし・・・稙綱、元綱
0280人間七七四年2009/03/02(月) 04:10:18ID:wjjCBI8h
>>278
高通って、通字の「綱」が無いね。
他家からの養子でも無さそうなのに不思議だな。
0281人間七七四年2009/03/02(月) 17:37:04ID:Vzl8+eZ8
京極高知の養子になったからです。
0282人間七七四年2009/03/03(火) 21:20:40ID:Z0zyuwAX
高知から見ると甥になるのかな?
0283人間七七四年2009/03/03(火) 22:23:03ID:xQ3ArbLX
>>281
京極家に入る前の諱は何だったんだろ?
0284人間七七四年2009/03/04(水) 04:24:10ID:A3Thhkje
>>283
不明。
幼少の頃に京極家に入ったのかな?
秀忠の小姓になっているけど、当時であれば朽木家の庶子でも秀忠に
近侍できただろうし。
0285人間七七四年2009/03/04(水) 10:38:52ID:LPpgP+iw
嫡流は分知を繰り返して知行を半減させていったものの、
宣綱弟の稙綱、宣綱次男の高通と明治維新まで続く大名家を
派生させただけでも、並の交代寄合とは一味違うな。
0286人間七七四年2009/03/05(木) 19:09:31ID:AHaYIq5N
高通と稙綱はほぼ同年配なんだね。

朽木元綱 1549〜1632年
  ┃
  ┣━━ 宣綱 1582〜1662年 ※寛文地震により近江国朽木にて死去
  ┃     ┃
  ┃     ┣━━智綱
  ┃     ┣━━高通 1603〜1666年
  ┃     ┣━━良綱        
  ┃     ┗━━元綱        
  ┃     
  ┣━━ 友綱 1599〜1662年 
  ┃
  ┗━━ 稙綱 1605〜1661年
0287人間七七四年2009/03/05(木) 22:03:05ID:Plhrnb4y
元綱56歳の時の子か>稙綱
随分とお盛んなこった。
0288人間七七四年2009/03/05(木) 23:02:18ID:oByePbhk
>>283
高綱だよ
0289人間七七四年2009/03/06(金) 03:25:14ID:Q6F5VMCJ
>>288
「高」は京極家の通字なんだが、最初から養子入りすることでも決まってた?
0290人間七七四年2009/03/06(金) 04:55:24ID:moCLrG8X
>>289
朽木家の嫡流は長子・智綱がいるし、それ以外の男子もいる。
分知するにしても宣綱自身、知行は6,470石しかない。
とすると、宣綱が妻の実家である京極家に働きかけ、京極一族として秀忠の小姓に
送り込んだのかも知れないね。

京極高知としても、秀忠治世下での厳しい大名統制を見るに、丹後一国の国持大名
の地位を保てるとは考えていなかったのでは?
高広、高三に秀忠の小姓であった甥の高通を加えることで、丹後を三分割し、リスク
の回避に努めたのかも知れない。
0291人間七七四年2009/03/07(土) 23:31:09ID:3USZoqf9
>>290
他大名がドシドシ改易されていたしね。
0292人間七七四年2009/03/08(日) 01:48:55ID:QI2KQEQw
丹後京極氏も宗家は改易されたしな。
後年、2,000石の旗本(高家)として再興してはいるが。
0293人間七七四年2009/03/08(日) 13:13:06ID:3uEBNyzQ
高知も強かだからなぁ。
義父・毛利秀頼の遺領(南信・飯田)の大半を相続しているし。
秀頼の嫡子・秀秋は1万石を相続したのみ。
おそらく姉・松の丸殿と義姉・常高院の働きかけがあったんだろうけど。
0294人間七七四年2009/03/08(日) 23:10:38ID:8xfhALQn
秀秋はその後、大坂の陣で豊臣方についてあぼ〜ん・・・
0295人間七七四年2009/03/09(月) 16:40:41ID:vBbQwBq1
地味だが手堅いなぁ
0296人間七七四年2009/03/10(火) 14:27:52ID:IPwy1u/8
元綱の肖像画って見たことないね。
0297人間七七四年2009/03/11(水) 12:21:18ID:FZ6AQWu2
>>296
ttp://s3.amazonaws.com/cogolo_faces/%E6%9C%BD%E6%9C%A8%E5%85%83%E7%B6%B1/imgs/www.ikedaya.com/images2/nobukatsus/bakufu/kutsuki-mototuna.jpg
0298人間七七四年2009/03/11(水) 20:48:42ID:g3Hmcfc9
>>297
顔グラやんけ。。。
0299人間七七四年2009/03/14(土) 12:54:43ID:qG1hgtBS
>>286
>宣綱 1582〜1662年 ※寛文地震により近江国朽木にて死去

当時で81歳ってのもエラいご長寿だなぁ。
地震で死ななければどんだけ長生きしていたんだよ。
0300人間七七四年2009/03/14(土) 13:05:01ID:9+glQ5G+
戦国から江戸時代生き残った武家は
長寿に恵まれた人物を輩出できたとこが
多いのよねん
0301人間七七四年2009/03/14(土) 13:22:23ID:dcUZiu9M
血統値の高い保守派が居れば分裂しにくいし
上の代から認められた知行は貰った本人が生きてる間は取り上げにくいし

死んだら手をつけるかと思ってる方が先に死んじゃうからな
0302人間七七四年2009/03/16(月) 01:18:16ID:EkZICQwf
>>300
逆に平和な世になると軟弱になっていく。
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