【裏切り】朽木元綱【名将】
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0001人間七七四年
2007/09/07(金) 16:19:42ID:WT0Ni3Mk0141人間七七四年
2008/07/23(水) 00:52:58ID:E8YLAs7n信長軍の朽木谷通過を許したのは、
@信長が足利将軍家の旗印を握っていた
A梟雄・松永弾正を使いこなす信長の器量を見込んだ
という2点が考えられる。
しかし、その判断力も関ヶ原ではやや鈍ったのかも知れない。
豊臣政権という絶対の存在、それに東西両軍の軍事的拮抗。
大谷吉継という抑え役が目の前に立ち塞がっていたこともあるのだろうが。
0142人間七七四年
2008/07/25(金) 02:26:54ID:vG4RfHPHそれでも、息子を徳川将軍家に仕えさせて幕閣にまでなってるんだから、
立ち回りと言う点ではかなりの才覚をもっていると思う。
0143人間七七四年
2008/07/25(金) 08:11:17ID:v5dv92iE0144人間七七四年
2008/07/25(金) 21:06:05ID:agzlzgJ20145人間七七四年
2008/07/27(日) 08:40:49ID:BoKmNSCnリカバリーが巧かったね。
しかし、家光に厚遇されたと聞くと……
0146人間七七四年
2008/07/27(日) 23:00:52ID:LzjjNjk0どんな批判です?
別に「豊臣家に忠誠を誓う=三成に忠誠を誓う」ことではないのに。
寝返ったことが許せないなら、東軍大名は総じて批判されるべき。
0148人間七七四年
2008/07/29(火) 01:51:25ID:JwCfgDIu西島太郎氏の戦国期室町幕府研究や朽木氏の研究論文をまとめた
著書が出ているが・・・・・やはり高い。
0149人間七七四年
2008/07/31(木) 23:43:04ID:bb6adfe40150人間七七四年
2008/07/31(木) 23:56:39ID:qK6BraY+0151人間七七四年
2008/08/12(火) 17:53:16ID:El3kx9KP『室町中・後期における近江朽木氏の系譜と動向』というやつですかね?
0152人間七七四年
2008/08/13(水) 05:11:36ID:b78rX89Jhttp://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1200069092/782
0153人間七七四年
2008/08/14(木) 18:47:26ID:wksgVz1E具体的にはどのあたりに疑問が存在するのでしょうか?
0154人間七七四年
2008/08/14(木) 20:59:46ID:soVqhp1H朽木ってそんなにすごかったの。
バスで高校やからド田舎やと思っていたのに
高島市には朽木高校が必要。
滋賀県の県庁所在地が朽木になってもいいのではないか。
0155人間七七四年
2008/08/17(日) 12:24:43ID:ES3qDQ7a0156人間七七四年
2008/08/27(水) 15:21:27ID:H21+eIYP0157人間七七四年
2008/08/27(水) 19:08:09ID:mLdium+j0158人間七七四年
2008/08/30(土) 13:46:56ID:bOxp4feu>近江佐々木氏の一族で六角家の祖泰綱、京極家の祖氏信の兄高信が近江国高島郡高島を領し
>高島氏を名乗り、高信の次男頼綱の子頼信が同郡横山荘を与えられ横山氏を、氏綱が田中荘を
>与えられて田中氏を、そして末弟の義綱が朽木荘の地頭職を得て朽木氏を称したのにこの系統
>は始まります。
とありますが、田中氏というのは田中吉政に繋がるんでしょうかね?
0159人間七七四年
2008/08/31(日) 17:44:42ID:MbIDddJy田中なんてあちこちにいるから関係なさそう。
0160人間七七四年
2008/09/01(月) 19:47:25ID:5MLh1FVF朝倉攻めには元綱の従兄弟(元綱の母は飛鳥井雅綱の女)にあたる
飛鳥井雅敦が同行していたからなぁ。
織田方がその血縁を利用したと考えられるよね。
0161人間七七四年
2008/09/03(水) 12:56:24ID:y9hP7v3Q出自は相当怪しいみたいで一定しない。
芋百姓出身というのが正しいのでは?
0162奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/04(木) 00:11:48ID:tAUZI6+I0163人間七七四年
2008/09/04(木) 15:16:53ID:DmDFo5cvそこに反応?
0164人間七七四年
2008/09/05(金) 14:03:27ID:PSVUdYIg近衛前久もそうだけど、何で公卿ってのは何かにつけて従軍したがるんだろうな?
0165奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/06(土) 01:39:20ID:0g9FCRon0166奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/06(土) 01:40:17ID:0g9FCRon0167人間七七四年
2008/09/06(土) 22:15:22ID:heBOpChrしかし、飛鳥井レベルで官軍になれますかね?
0169人間七七四年
2008/09/07(日) 04:45:21ID:zLg+tFuw大義名分という点では、最初から足利将軍家の旗印を掲げた平定戦ですから、
わざわざ公家を介在させる理由は無いでしょう。
接待ゴルフではありませんが、レジャー半分の戦見物ではないでしょうか。
ところが、浅井が敵方につくという不測の事態に直面した際、陣中の誰かが
飛鳥井と朽木の婚姻関係に着目したと。
となると、その誰かというのは松永久秀あたりと思われます。
漫画だと木下藤吉郎が万が一に備えてネゴシエーションしていたという筋が
多いわけですが。
0170人間七七四年
2008/09/10(水) 00:00:29ID:q4JQeDWcそれで、朽木荘の住民は、領主との信頼関係を損ねると言う事で、徳政令が出ても
自分たちには適応しないでほしい、と、申し立てしてたりする。
0171人間七七四年
2008/09/10(水) 15:11:14ID:cskoEvRg知行地に足を踏み入れることの少ない他の旗本(知行取)に比べると
統治がきめ細かい。
0172人間七七四年
2008/09/13(土) 01:44:13ID:31RgzDSsそもそも朝倉攻めは建前上、武藤友益を討伐するということで幕府、朝廷が許しを
与えているわけだが。
飛鳥井雅敦や日野輝資などが従軍したのもそのため。
0173人間七七四年
2008/09/15(月) 00:33:08ID:UB3AVUgq0174人間七七四年
2008/09/17(水) 23:14:30ID:BcvLBzNn朝倉方でしたよね。
0175人間七七四年
2008/09/20(土) 15:52:37ID:qot11TNd0176人間七七四年
2008/09/21(日) 22:22:32ID:rxaM+Zfm0177人間七七四年
2008/09/23(火) 04:14:43ID:nCR+AyEC分家が本家を家格・石高で上回った例としては、飯野保科家の例があるね。
保科正之が会津に転封になる際、義兄・正貞に保科家累代の宝物類を引き渡し、
飯野保科家を宗家とした経緯があるので。
0178人間七七四年
2008/09/23(火) 11:35:45ID:PVmbkiBX0179人間七七四年
2008/09/26(金) 00:23:58ID:brxhXxiH>義兄・正貞
廃嫡されたよね、確か。
0180人間七七四年
2008/09/27(土) 13:35:12ID:q2E7kNJ6戦国駆け込み谷
0181人間七七四年
2008/10/01(水) 19:28:51ID:txrJ8etc武田見性院と保科家の関係に加え、正直の後室が家康の異父妹という家系。
これは当然、利用されるでしょ。
0182人間七七四年
2008/10/01(水) 22:46:50ID:1Kbaflbfその中に義輝の剣の師匠役として朽木鯉九郎という人物が出てきます。
実在した人物なのかはわかりませんがなかなかいいキャラです。
0183人間七七四年
2008/10/04(土) 01:20:48ID:WH76WNMm近江・朽木谷を領する朽木稙綱の子、次男・藤綱か四男・輝孝であろう
将軍・足利義輝に仕え御部屋衆となる、松永久秀・三好三人衆らに攻められた義輝と共に討死
ttp://kazusanosukede.gozaru.jp/busyou/busyouitiran-ka.htm
0184人間七七四年
2008/10/05(日) 01:57:29ID:OxfyhCovその中に朽木白哉、朽木ルキアという兄妹が出てきます。
実在した人物なのかはわかりませんがなかなかいいキャラです。
0185人間七七四年
2008/10/05(日) 03:46:33ID:ByVI+pDCその久秀とも元綱は通じているんだよねぇ。。。
0186人間七七四年
2008/10/08(水) 11:20:39ID:/p88S2Je久秀云々というよりは信長軍の有する大義名分を重んじたんでしょう。
将軍家は越前出兵を是認しているわけですから。
0187人間七七四年
2008/10/15(水) 00:32:18ID:RuVhJhZU0188人間七七四年
2008/10/15(水) 00:54:46ID:SoQqHFA0ここだけか…厳しい世界だ
0189人間七七四年
2008/10/16(木) 09:06:38ID:e6UY54EV0190人間七七四年
2008/10/16(木) 11:50:37ID:vTBbecB2戦国期では三傑の次ぐらいの評価が定着している。
0191人間七七四年
2008/10/18(土) 01:10:15ID:KhnO9kjy四大貴族「朽木家」の二十八代目当主、護廷十三隊六番隊隊長
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%BD%E6%9C%A8%E7%99%BD%E5%93%89
0192人間七七四年
2008/10/21(火) 18:20:32ID:iMBw8At+架空の人物はどうでもいいです。
0193人間七七四年
2008/10/24(金) 18:21:30ID:z5I6INbsそんなバカなw
0194人間七七四年
2008/10/25(土) 03:31:52ID:Y5tZKOCWそりゃ朽木文書のおかげでご飯食べさせて
もらってる史学界が評価しないのも
さびしい話ですな
特に応仁の乱で京都焼け野原なった
資料乏しい中世史はね
0195人間七七四年
2008/11/01(土) 23:48:55ID:bG73Y9R90196人間七七四年
2008/11/03(月) 00:41:24ID:RKVg9yMB改易しなくてもいいよ」って言われたってのは本当なんかね?
0197人間七七四年
2008/11/03(月) 21:02:01ID:x6Je5ok7戦力的には微々たるもの。
いてもいなくても大差は無いしねぇ。
但し、若狭と京を結ぶ街道筋を押さえていた土着豪族だけに
利用価値有りと判断したのでは?
0198人間七七四年
2008/11/03(月) 22:22:32ID:lGEO+S+l信長・将軍たすけたり忠義厚いと判断したとか
0199人間七七四年
2008/11/03(月) 22:24:50ID:lGEO+S+l0200人間七七四年
2008/11/03(月) 22:24:56ID:YCB29JZU誰だって天下安定させるためには、旧勢力もある程度保全しないといけなくなるっつーの。
家康が信長や秀吉以上に名家好きだって言う論拠が欲しいわ。
0201人間七七四年
2008/11/03(月) 23:37:32ID:x6Je5ok7朽木氏って名家か?
だったら、本家筋にあたる佐々木六角氏を何故保護しなかったんだ?
という話になるしねぇ。
そもそも家康が名家(主に源氏)を高家として遇したのは、徳川政権の
「源氏の棟梁」という表看板と系図詐称の辻褄合わせでしょ。
木曾の山村氏のように、万石以下の在地領主(代官)として街道筋を
治めさせておくか・・・という程度の存在でしょ。
朽木氏は在地の交替寄合だったしね。
0202人間七七四年
2008/11/05(水) 22:25:54ID:i6Ea1ytk配置させてるから多少の恩(鎌倉以来の本領安堵)を
売って街道筋の保全を勘案したんじゃないかな
下手に潰してしまうと後々災いの種になるし
山越えは土地勘ないと今でも遭難してるしさ
0203人間七七四年
2008/11/06(木) 02:52:07ID:clyEMUGw信長時代から存在感としてはかなり薄めだったしね。
金ヶ崎の時には役に立ったけど・・・それだけという感じもする。
まあ、全国支配の段階になると街道の保全管理が重要課題になってくるので
とりあえず潰さずに使うか・・・と。
0204人間七七四年
2008/11/08(土) 21:26:36ID:3jfIMHyj回答は無いようですね。
0205人間七七四年
2008/11/11(火) 22:59:44ID:5Jul7b7J伝承できた家が重宝されたのかな
家康公将軍任官で配膳役してることから推測する
0206人間七七四年
2008/11/13(木) 03:52:17ID:0vIZayDF意外なところに顔を出すものだな。
0207人間七七四年
2008/11/16(日) 03:49:15ID:k0V2lzWM朽木元綱の嫡子・宣綱が、家康の太政大臣任官の儀式にて配膳役を務めているね。
征夷大将軍に任じられた時となると・・・誰?
0208人間七七四年
2008/11/17(月) 23:26:29ID:EwqcUGxkただ朝廷、公家とのやりとり作法は
江戸時代でもわざわざ高家取り立てて
指導してもらうくらいだから
稀少だったかもしれないね
室町幕臣系かなり明智光秀に与して悲惨な結果なってるし
0209人間七七四年
2008/11/18(火) 11:38:22ID:8009mpa2明智と朽木の繋がりってのもよく分からないね。
0210人間七七四年
2008/11/18(火) 12:12:11ID:lqqeJdsw明智と朽木に直接の上下関係はなかった(と思う)けど
所領がご近所さんだし、なにかと繋がりはあったんじゃないかな
こんな曖昧な繋がりじゃだめか^^;
0211人間七七四年
2008/11/18(火) 13:21:34ID:xybM7AhTただ幕臣奉行衆、奉公衆どうしの絆は強かったみたいだな
幕臣系いっぱい抱えた細川家も
参勤交代の折りは朽木に挨拶は欠かさなかったとか
どこかのサイトでみたんだけど…
細川家一流の交際術かもしれないけどね
0212人間七七四年
2008/11/18(火) 13:42:39ID:qYuSc1P5次第にその価値も薄れたんだろうけどな。
0214人間七七四年
2008/11/19(水) 07:08:20ID:dVd8PmfR0215人間七七四年
2008/11/19(水) 19:01:21ID:X12q8jYO一番余裕があったみたいじゃない
交代寄合基本的に無役だし
吉原で身を崩すのはこの階層が多いよ
0216人間七七四年
2008/11/21(金) 10:59:30ID:k5z1uGQzしかし、知行取というのは凶作で収入激減なんて事態もあり得るからね。
そのあたりは蔵米、切米取りの方が安定している。
それでも基本的にベースアップがない階層だけに、市場経済の前には無力だったはず。
0217人間七七四年
2008/11/22(土) 21:22:51ID:r85TmFn6鯖街道の商業税と木材座からの運上なんかがメインか
ただ飛騨の匠を抱えた飛騨奉行がかなり蓄財できる
美味しいポストだったみたいだったから
朽木もそんなに悪くないと思うよ
0218人間七七四年
2008/11/23(日) 18:58:18ID:XUOATh7f安定収入ではあるけど、といって生産性が劇的に上昇する性格のものでも
ないしねぇ。
0219人間七七四年
2008/11/23(日) 19:33:10ID:kC0H/L0f物流の動脈拠点で物資が豊富
換金特産物にも恵まれた
豊かな領地なんてあったのかいな
何かしら問題は抱えてるじゃまいか?
0221人間七七四年
2008/11/24(月) 17:20:49ID:1pqaF6yv濃尾平野と異なり、三河〜駿河というのは山と海に挟まれた土地だからなぁ。
0222人間七七四年
2008/11/25(火) 23:40:01ID:RXUuETFkでかい治水工事なんてほとんど外様の大名に
外注してもらってんだから
本来ならもっと豊かになってないといかんが
そんな話聞いたことないな
0223人間七七四年
2008/11/27(木) 18:50:33ID:GtyGun5N0224奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/27(木) 23:42:39ID:zrioAXz80225人間七七四年
2008/11/29(土) 18:51:34ID:7TAN3Ir/米が取れない地域は、それ以外の収入を増やすしかないからなぁ。
朽木谷の場合は街道の通行権、商業権、林業に対する課税だけに安定的だったのかな。
0226人間七七四年
2008/12/01(月) 22:29:03ID:czrcFTjv大都市近くはそれなりの旨味があるからね
0227人間七七四年
2008/12/02(火) 17:58:37ID:bMPsKUZr当時の京はどれくらいの市場規模を持っていたのかな。。。
0228人間七七四年
2008/12/02(火) 17:59:29ID:Xw7C+ne+0229人間七七四年
2008/12/03(水) 01:37:35ID:C0HJSLTX問題は江戸期だね。
0230人間七七四年
2008/12/03(水) 02:47:32ID:bAxKNm7Tその後微減していって正徳五年で三十万くらいになる
0231人間七七四年
2008/12/04(木) 14:05:03ID:h85b7aFv市場としては縮小傾向だったのね。。。
0232人間七七四年
2008/12/04(木) 14:22:54ID:78PWIz5Uむしろ、なぜ大都市で居られ続けたのかがよくわからんくらいだ。
まあ、それでも朽木さんとこにとっては十分広い市場だったんじゃないかしら。
0233人間七七四年
2008/12/05(金) 06:32:16ID:UTVrxvV8京だけでなくその周辺への流通もあるのでは?
0234人間七七四年
2008/12/07(日) 00:36:50ID:xqQ7HyBB「関ヶ原の恩賞で福知山に転封されてきた有馬氏は苛政を行い領民を苦しめた。
その後、数代を経て福知山城主となった朽木氏は善政を行い領内を発展させた。」
という意味のことが書かれていた。
朽木と京極は、近江の名家同士で豊臣期の所領も近いけど、つながりあったのかな?
関ヶ原で、当初は大谷の北陸攻めに加わり、機を見て東軍に寝返りと同じ経緯をたどっており、
京極の裏切りが朽木元綱に影響を与えたのかと少し思った。
0235人間七七四年
2008/12/07(日) 16:27:53ID:M61moVS1実際、元綱の嫡子・宣綱の室は高吉女(マグダレナ)だし、宣綱の次子・高通が京極高知の
女婿になっているくらいで。
0236人間七七四年
2008/12/12(金) 01:33:58ID:NcntzUJN0237人間七七四年
2008/12/15(月) 00:28:39ID:NtUdrOEoこれを無事成功させている。
父子が家康、秀忠に近侍できたのはこの瀬田橋の修造が評価されたからとも
言われている。
0238人間七七四年
2008/12/17(水) 12:57:39ID:wP5h2QQW豊臣直轄領の代官してるから
民政に精通してたタイプだったんでしょう
0239人間七七四年
2008/12/18(木) 22:10:29ID:opQBxiETあれ?罷免されなかったっけ?
0240人間七七四年
2008/12/22(月) 03:28:30ID:mFls7xd8武功は聞かないなぁ。
0241人間七七四年
2008/12/22(月) 09:00:18ID:v0FMutYU■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています