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戦国公家!近衛前久

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0001人間七七四年2007/09/03(月) 13:27:05ID:58NCKI6S
当時の公家としてはめざましい活躍をしている近衛前久について熱く語りましょう!
0242希恵子2009/04/11(土) 18:15:22ID:MsN90Zoz
いや〜ん
みんな、いけずやわ〜。
いや〜ん
0243人間七七四年2009/04/11(土) 18:19:44ID:WFn0vpIZ
>>241
( ;∀;)イイハナシダナー
0244人間七七四年2009/04/21(火) 15:09:41ID:Do/NlItY
行動的な方ですね。
0245希恵子2009/04/29(水) 12:44:25ID:vy9Xl7eM
いや〜ん
いや〜んいや〜ん
結局だれも答えてはくれないのね?
0246人間七七四年2009/04/29(水) 15:25:02ID:ghr3Yjhs
なんでこのネカマはそんな質問したがるのかね。
きもいから知ってても答えたくなくなるわ。
0247人間七七四年2009/05/11(月) 15:39:11ID:8CD9U7UB
文麿や篤麿の伝記的なものでも読んだら。それとももっと昔か?
0248希恵子2009/05/17(日) 09:09:30ID:K6GczjAe
いや〜ん
まだ誰も希恵子の質問に答えてくれてないし〜
いやらしい男子ばっかりなのね・・
0249人間七七四年2009/05/17(日) 09:34:08ID:8R1265Aw
>>210-211
毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに
地元の守護は貰っていない。

足利義輝は、武田に長尾との戦争をやめさせる代償として信濃守護をくれている。
信玄は守護職を口実に信濃国内での対長尾戦争を続行するわけだが
これは幕府自身が守護職を飾り物と思っていた証左。
0250人間七七四年2009/05/17(日) 19:11:58ID:TKygGibV
毛利元就じゃなくて、隆元の代に貰ってるけどね。
元就の代は無理でしょ。大内がいるんだから。
朝廷の官位は具体的な陸奥守とかじゃなくて、官位を貰うということ自体が重要。
それに毛利元就の官位を語るなら左馬頭の方が重要でしょ。

信玄の例は、合戦を続行する口実になるわけだから、守護が重要なんじゃん。
0251人間七七四年2009/05/17(日) 19:12:57ID:TKygGibV
ごめん。右馬頭だった
0252人間七七四年2009/05/17(日) 19:48:46ID:idtIRMUM
> 毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに

陸奥守がどうでもいいって…、正気か?
0253人間七七四年2009/05/17(日) 21:01:28ID:u2ggLqlS
安芸より陸奥の方が格上だぞ
0254人間七七四年2009/05/18(月) 13:14:53ID:ikpiSbJE
諸大名が官位を欲しがっていたことは、官位にメリットが付随したことを意味しない。
現代ですら何のメリットも伴わない勲章を欲しがる偉い老人は少なくない。

まあ、全く何のメリットも無かったわけではないけど>>211は大袈裟。
0255人間七七四年2009/05/18(月) 13:34:42ID:bssJ+kyH
>>254
そもそも武士とは何かを理解して無い。
官位の無い武士は武士ではない。野党の類に過ぎない。
0256人間七七四年2009/05/18(月) 15:41:02ID:XfT2cUug
>>254とは違って官位の重要性はもちろん認めるけど官位の無い武士が武士ではないとは言いすぎ。
鎌倉以降戦国に至るまで官位を名乗っていない騎乗武士は多い。
少なくとも武士の定義をきちんとしてからでないと言えない。
もちろん俺は諸大夫、侍の意味を知って言っている。
0257人間七七四年2009/05/18(月) 16:46:13ID:ikpiSbJE
上総「守」とか僭称していた時代の信長は武士でないとw
江戸時代でも大半の侍は自官だがな。
0258人間七七四年2009/05/18(月) 16:52:15ID:s8fheVBc
官職があってもメリットはあまりないが、
なかったり、格の低い官職を名乗るとデメリットがある。
そういうもんだと解釈している。
0259人間七七四年2009/05/19(火) 13:27:17ID:aepTz+mK
>>257
親王任国は上総介じゃないの?
江戸時代の大名でも、領国と受領名が一致している国持大名は
やはりなにがしかの権威があったと思うなあ
中には常陸国主の徳川 常陸介 頼宣なんてのもある
他の大名もそうだけど、始祖の官職は国替えになっても世襲するんだね。
紀州徳川家は幕末の家茂までも常陸介だし。
0260人間七七四年2009/05/19(火) 14:10:50ID:f6Fit6pX
官位を軽視する人間は、歴史の見方は粗雑過ぎるとしか言いようが無い。
本気で「戦国時代は実力社会」とか信じているんだろうな。
0261人間七七四年2009/05/19(火) 14:22:59ID:BHcRVDf0
>>259
だから、信長が間違ってたんだよ。祖父江五郎右衛門への書状で信長は上総守の署名で手紙を出してる。
後の書状では上総介に直ってるから、誰かから注意を受けたものと考えられる。
信長公記内でも別人で何度も上総守と記述されている人がいる。
太田牛一も親王任国に関してよく知らなかったのかもしれない。
0262人間七七四年2009/05/20(水) 09:11:47ID:VXMCQKAD
>>260
ゲームだと官位はパラメーターを補正するだけだもんな。
勲章とかそんなレベルにされているw
0263人間七七四年2009/05/21(木) 00:27:50ID:KrDYJZgz
>>261
ド田舎もんらしい間違いだね
斯波の家臣の家臣クラスじゃ知るよしもないかw
0264人間七七四年2009/05/21(木) 08:05:57ID:rKbHPBIe
近衛前久の男色相手の中では誰が有名ぢゃ?
0265人間七七四年2009/05/21(木) 15:14:34ID:YQIoW4KV
>>264
有名人とはヤッてないんじゃないかね。ナッちゃん
0266人間七七四年2009/06/02(火) 15:06:44ID:3SLbjkNd
常陸守とか上野守とかも登場するのかな。
0267人間七七四年2009/06/07(日) 15:45:30ID:weNMA9BW
台湾守や琉球守は居たらしいね。
0268人間七七四年2009/06/13(土) 11:27:47ID:QjYTnCzF
調べれば調べるほど、唸らされる
前久は凄まじく能吏で教養に溢れ
一方で豪胆で行動力のあった男なんだな
余裕で大河の主人公になれるわ、後は優秀な原作か…
0269人間七七四年2009/06/17(水) 00:03:31ID:Zn7CQX8a
平気で足利家から貰った名を捨てるようなやつが?
二条家により朝廷を追われたやつが?
お調子者は大河の主人公はむりだよ。
0270人間七七四年2009/06/17(水) 00:06:29ID:KYiR+I7T
足利の名は捨てた方が良いだろw
0271人間七七四年2009/06/18(木) 22:48:43ID:GXyihcKT
前久が元服した足利義晴期は京都で将軍が少しは権威があった最後の時代だから
もっとも、義輝あたりになると武家では未だに「輝」の字をあり難がる奴がいたが、公家では日野輝資しか貰っていない筈。
0272人間七七四年2009/06/19(金) 23:29:56ID:rHC3ChhJ
>>271
そんなことはないよ。
他にもいるんだけどな・・・。
0273人間七七四年2009/06/27(土) 15:46:00ID:WpWwXdsN
公家が足利から貰うという発想が面白い
0274人間七七四年2009/06/27(土) 18:40:17ID:i31hCh32
足利将軍家は武家の統領であると同時に、公家の統領でもあるからな。
0275人間七七四年2009/06/30(火) 22:58:29ID:Pet58mRT
持明院統の皇室にとって足利家は近臣中の近臣だったんじゃないだろうか
官位の昇進は清華っぽいが
摂家よりむしろ
家に対する天皇家の恩情を感じる
近衛の替えはあっても足利の替えはない
みたいな。
0276奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/01(水) 08:15:00ID:2gq0D72U
室町期の摂家連中の諱。
0277人間七七四年2009/07/06(月) 00:02:12ID:RR65cdVJ
将軍家からの偏諱には領地の安堵・承認の意味があるから
貰った名を捨てるということは
非礼極まりないな
0278人間七七四年2009/07/06(月) 00:07:24ID:j4LnAQPE
将軍の権威にあやからねばならないのにその将軍様の権威が地の底奈落まで失墜してるからそれこそ無意味
0279奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/06(月) 08:13:10ID:stgG7IUw
失墜というのは下剋上の過分な宣伝でもある。
0280人間七七四年2009/07/06(月) 18:37:52ID:f64YCn8L
将軍の権威はそれこそギリギリまで存続している。特に京都では。
0281人間七七四年2009/07/10(金) 10:01:58ID:4Gyqgwg4
義維・義栄と、義晴・義輝・義昭の戦いって
応仁の乱の続きなんだな
最近知った。
0282奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/11(土) 07:30:48ID:47hzQ2+6
義尚と義視から始まって、その跡目を名乗った従弟だの甥だのが頑張って

義政┬義視─義稙─義維─義栄
    └義尚─義澄─義晴─義輝

こんな出鱈目な系図があってもある程度間違っていないという楽しさ。
0283人間七七四年2009/07/11(土) 09:15:57ID:hWCSTz2x
>>281
応仁の乱とはまた別。義尚の急死からの流れだと考えたほうが。
02842812009/07/13(月) 21:54:01ID:P4yZjHEg
義視と義尚の相続争いと、斯波家畠山家の相続争いが絡みあったのが応仁の乱じゃないの?
282さんの系図は義視以降は正しいと思うんだけど
義澄の父の名が違うね。
0285人間七七四年2009/07/13(月) 22:30:34ID:lsJ1iPaj
>>284
義視と義尚の相続争いってのは、応仁の乱が起こってから、顕在化してきたことだと
考えたほうが良いと思う。特に日野富子が義尚を将軍にしたくて山名と云々なんてのは、
アレは応仁記の創作だと考えるべきかと。
0286奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/14(火) 07:19:11ID:KmxNEBwR
>>284
誰を挟んだら成立するか教えていただけると有難いんだが・・・
0287人間七七四年2009/07/14(火) 13:29:24ID:TzE2aium
スレ違いだからこっちの過疎スレでやれ

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165676901/l50
02882812009/07/17(金) 17:40:25ID:wmm3d8Jb
>>286
挟むんじゃなくて義尚の場所に義政。
義澄の父は、ふつうに義政じゃないの?。同じ立場だというのと系譜上の位置は違うものだと思う。
0289人間七七四年2009/07/17(金) 21:07:11ID:Q8MJAr26
>>286
山野野衾レベルなら分かるが、素人が、コテつけて浅い知識語ってんじゃねーよ。不愉快だわ。
0290奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/18(土) 07:00:05ID:3ymRoS4N
>>288
なるほど分からなくはない。
ただ仮にも公方の系図なので、先代が誰なのかをハッキリさせたかっただけだよ。

>>289
歴史についてちっとも触れない書き込みならラウンジにでもしてきたらどうだ。
0291人間七七四年2009/07/25(土) 15:11:05ID:RN1Wy7Hw
複雑な要素が絡み合うでいい。
0292人間七七四年2009/07/26(日) 00:47:35ID:Aa+EC9zR
とにかく固定うざい
0293人間七七四年2009/07/26(日) 01:11:59ID:cREjXz9l
勝手にNG登録でもしてろよ。本筋に関係ないところでごちゃごちゃ言うお前の方がウザイ。
0294人間七七四年2009/08/01(土) 17:24:19ID:vsXyI7yI
近衛前久って足利義輝や足利義昭と仲が悪かったんだね。
義惟、義栄派だったんだろうな。
きっと
0295人間七七四年2009/08/01(土) 17:34:54ID:g9fnneno
義昭はともかく、義輝とは別に仲悪くは無いわな。
前久が越後に行ったのも義輝の代理という側面がある。
0296人間七七四年2009/08/01(土) 20:49:51ID:kM50WMjT
親戚だし、個人的にも二人で一緒に酒飲んで騒いでるのに仲が悪いはずがないでしょ。
0297人間七七四年2009/08/01(土) 22:17:09ID:64+H1xOl
義輝とは従兄弟であり義理の兄弟だよな
>>294は夢遊病か?
0298人間七七四年2009/08/02(日) 08:31:20ID:5vD6a4Ve
義輝とは既に書かれてあるように緊密な関係だった。義兄弟であり、同志であり、友人だった。

義栄との関係は不明。
彼を将軍にするよう動いたのが関白殿下。

義昭とは険悪だった。
「兄の仇に従って義栄を擁立するとは何事だ!」と追放されている。
0299人間七七四年2009/08/03(月) 10:10:19ID:CFcwz+2d
>>298
義栄を近衛前久は擁立したんだね。
織田派じゃなくて三好派だったんだね最初は。
0300人間七七四年2009/08/03(月) 10:48:21ID:iH9wCiXy
そりゃあ織田が機内の勢力として定着できるなんて、当時誰も思ってないからな。
0301人間七七四年2009/08/03(月) 20:53:52ID:AAKkDl6T
将軍の偏諱「晴」を捨ててもいいもかね?
0302人間七七四年2009/08/04(火) 04:38:58ID:XuqmcL/q
>>299
義栄擁立には関わっていないとの異説もあるけどね。
0303人間七七四年2009/08/05(水) 20:16:27ID:lGlo7zr2
近衛秀吉の偏諱を棄てない徳川秀忠は偉いと思います。
0304人間七七四年2009/08/14(金) 15:54:47ID:wX8/JXIl
足利尊氏さんがいらしゃいます
0305人間七七四年2009/08/20(木) 14:48:50ID:M1tcxzpy
むしろ元康が薄情なのかも
0306人間七七四年2009/08/26(水) 22:13:51ID:vws2ZNpd
>>303
そうか
藤原氏として関白になったんだから
まさしく近衛秀吉だったんだろうね
秀吉は皇統だったそうだから
近衛家を継いでも特に問題無いけどね
江戸時代には皇子が直接
近衛家ついでるし
0307人間七七四年2009/09/04(金) 16:08:14ID:LWXZlizS
他の人は継げないから不思議。
0308人間七七四年2009/09/05(土) 10:04:25ID:WlkpldFs
信尋は前久の娘前子の産んだ皇子。
外孫。
0309人間七七四年2009/09/14(月) 15:41:37ID:XC2Anjtq
今は細川さん
0310人間七七四年2009/09/15(火) 18:07:32ID:RrJXo436
武士が近衛家ついでもいいの?
それも足利家の家老が?
今は家柄とか家の格式とかどうでもいいんだね?
0311人間七七四年2009/09/15(火) 19:14:03ID:rE75/KLh
どうマジレスしたものやらw
0312人間七七四年2009/09/16(水) 14:08:52ID:BMXTmoL1
戦国時代板なのに、バカなの?
0313人間七七四年2009/09/18(金) 22:37:57ID:msgEhK4z
>>311
事細かに思ってることを全部マジレスしたらええやん。
0314人間七七四年2009/09/18(金) 23:03:27ID:OQ6AMEc6
>>310
日本近代史板へ逝け
0315人間七七四年2009/09/24(木) 15:34:05ID:feklRCbA
行動力は凄いですな
0316人間七七四年2009/09/30(水) 15:37:53ID:4DM9zuCd
薩摩から越後までか
0317人間七七四年2009/10/09(金) 15:30:44ID:SiAxJwNJ
移動は専ら船なんでしょ
0318人間七七四年2009/10/09(金) 17:41:45ID:JDRwy+xi
そうでもないよ
0319人間七七四年2009/10/14(水) 14:55:41ID:S/sfC/vf
結構歩くよね
馬かもしれないが
0320人間七七四年2009/10/16(金) 20:11:53ID:lfThVbzo
明応の政変で亡命した足利義材なんて、雲水の格好で越中から長門まで歩き回ったらしいな。
0321人間七七四年2009/10/18(日) 22:57:08ID:fOZIimd6
作り話を信じる香具師っているんだねw
0322人間七七四年2009/10/18(日) 23:53:50ID:qJ8bat5+
>>321
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
0323人間七七四年2009/10/23(金) 16:08:50ID:N0cMFcIm
義材は越前・周防・阿波かな
0324人間七七四年2009/10/30(金) 15:24:30ID:VbNhB5qF
船でもいけるね。
0325人間七七四年2009/11/05(木) 15:34:36ID:pOWbWbCY
公家は行動的でないなぞイメージでしかないんだ
0326人間七七四年2009/11/06(金) 19:35:16ID:CukRqtZt
むしろ身軽な分動き回っている。
0327人間七七四年2009/11/14(土) 15:47:59ID:jyCSqZPJ
よく旅をしてるね。
0328人間七七四年2009/11/19(木) 14:46:34ID:2kxYfH0i
健康なんだよ
0329人間七七四年2009/11/25(水) 16:13:40ID:cHMk97PG
祖父の尚通も長命、親父もまあまあだが前久は喜寿だからね
0330人間七七四年2009/12/08(火) 21:25:30ID:D+1Jyugs
>>312
戦国時代の近衛家を細川京兆家の古い初期の分家が継ぐことは
ありえたのでしょうか?
0331人間七七四年2009/12/08(火) 22:27:32ID:ZIl75+oN
マジレスだが、戦国語るには、前久視点とか、義昭視点、と言う方が明確だと思う。
そういうのってあんまり、小説や造り話でもなかったんじゃないかな。
記録も明解に残ってるしね。
0332人間七七四年2009/12/11(金) 23:21:26ID:Rbg6BxC4
>>331関白太政大臣に将軍様か
当事者は公平に歴史を語れないんじゃない?
平公家の冷泉・山科くらいに語らせないと。
0333人間七七四年2009/12/12(土) 02:27:50ID:CnJK+X9d
>>332
まぁ公平かどうかはともかく、事実とか記録しては価値があるだろうしね。
当時の日記でも、個人の肉声として貴重、と言う意見や、代々伝えられるもので人の目に触れる前提だった、とかいろんな言い方があるし。
だから、特定の武将に偏った研究というのよりは当時の記録がはっきりしてる身分のある人の視点で「この時点ではこうだった」
見たいなほうがかえって公平で明解じゃないかなってね。

特に前久なんてあの頃のオールスター全部にからんでるようなもんだし。
0334人間七七四年2009/12/15(火) 21:33:03ID:0U6lIgk0
勸修寺晴豊なら岳宏一郎が長編を書いてる。「天正十年夏ノ記」だっけ。
淡々と熱い小説でおすすめ。
これを読んで、公家を狂言回しにより経済や文化を重視した戦国大河なら見たいなと思った。
0335人間七七四年2009/12/31(木) 14:00:28ID:DfSUZFK1
読んでみようかな 文庫になってるの?
0336人間七七四年2010/01/31(日) 07:56:09ID:nz/xdC9j
面白そうだね
0337人間七七四年2010/03/11(木) 09:50:02ID:JLw3v+yX
前久の肖像画はありますか?
0338人間七七四年2010/05/07(金) 10:07:00ID:PnY1ddMn
2カ月レスなしか
0339人間七七四年2010/07/31(土) 17:44:14ID:c+6YL1jo
保全
0340人間七七四年2010/08/21(土) 23:23:57ID:GC3AT2PY
長男は寺に入れて
次男に家を継がせたのはなぜだ?
0341人間七七四年2010/10/01(金) 09:46:57ID:EsMl1+a0
残念ながら、このスレ、需要なす?
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