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戦国公家!近衛前久

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0001人間七七四年2007/09/03(月) 13:27:05ID:58NCKI6S
当時の公家としてはめざましい活躍をしている近衛前久について熱く語りましょう!
0192人間七七四年2008/11/18(火) 16:25:37ID:5sECOe/D
それをいったら西国の大名の大半は朝鮮半と(ry
加藤清正とか今のシベリア辺りまで(ry
0193人間七七四年2008/11/18(火) 17:54:54ID:vu+4blV7
伊達政宗なんかも、東北から九州朝鮮半島まで。

まあ、南北朝の頃とかもっとダイナミックに移動しているけどな、大名も将軍も。
0194人間七七四年2008/11/25(火) 01:13:16ID:XbDE+kCF
>>193
南朝方の親王たちの流転ぶりもすごいからね。
0195人間七七四年2008/11/25(火) 04:45:04ID:G3t23vu7
赤松則繁なんて守護大名の一族から、倭寇になって朝鮮半島から東シナ海暴れまわっているなw
0196人間七七四年2008/12/03(水) 14:39:24ID:TCpazuac
成る程、いろいろな例があるんですね
0197人間七七四年2008/12/11(木) 15:08:12ID:3UPmBVZ+
海運は盛んだからね。
0198人間七七四年2008/12/25(木) 15:31:55ID:ecn0GHgs
公家同士ではどう?
0199人間七七四年2008/12/27(土) 14:58:32ID:ypSW9B7X
現職の関白で前久ほど長く京都にいなかったひともいないんだろうね。
0200人間七七四年2009/01/08(木) 15:16:15ID:DieASzIH
一条房通とか下向した人はいるけどね
0201人間七七四年2009/01/09(金) 20:29:59ID:bWZRoD8O
左大臣か右大臣か忘れたが、ヨーロッパ視察はいたよね。
0202人間七七四年2009/01/10(土) 15:08:02ID:mwwZhI/a
岩倉さんですか?
0203人間七七四年2009/01/10(土) 16:58:35ID:4A0knTk0
いえす
0204人間七七四年2009/01/15(木) 03:37:42ID:jzSChMPm
安祥城のある志貴荘は、近衛家(藤原北家)の荘園だったので、
安城松平家(徳川本家)とつながりがある。

家康は、それを利用した。
0205人間七七四年2009/01/15(木) 13:04:10ID:uDwgQNq8
三河守叙任は三河支配の正当性を確立するためには、どうしたって必要だからな。
そりゃ利用もするわな。
0206人間七七四年2009/01/15(木) 14:09:16ID:a0thLFqc
利用された側のスレなんで、
どうして利用されたかを論じれば?
カネがらみなんだろうけど。
0207人間七七四年2009/01/30(金) 15:12:24ID:ON11RZz6
三河守は今川や織田にも大人気
0208まあ2009/02/03(火) 19:12:52ID:LEPj7eMo
>>205
三河守護の間違いですか?。
国司って平安時代までだけ名実が伴っていたように思います。
まあ鎌倉時代の相模守・武蔵守も名実が伴っていますが。
戦国時代はそんなに意味ないと思います。まあ守護もですが。
0209人間七七四年2009/02/03(火) 22:19:52ID:vYUoHGxm
>>208
幕府の権威がゼロの時代に守護なんて価値がないわけですが。
0210人間七七四年2009/02/03(火) 22:59:05ID:qpGInvpe
守護は超重要だろ。
天正年間までは。
0211人間七七四年2009/02/04(水) 01:04:13ID:tfWp4tOk
戦国期は守護も官位も超重要。
戦国大名といえども合法性の衣をまとわねば、のたれ死ぬ。
0212人間七七四年2009/02/05(木) 21:50:47ID:RLcCkSru
>>211
伊勢盛時くんって例外もいますがね。
子孫は相模守を世襲してますが。
0213人間七七四年2009/02/05(木) 22:46:06ID:Nwomja3W
>>212
盛時一代の立場は、幕府から事態の収拾のため派遣された官僚ですよ。合法的。
次の氏綱の時代から官位を求めたりして、別の方向の正当性を求め始める。
0214人間七七四年2009/02/05(木) 22:47:06ID:1jy2jXRI
>>212
早雲は出発点が足利・今川の被官という扱いだからな。
将軍や管領・有力大名の被官が守護大名を名乗るのも変だろう。
一国人が勢力拡大して守護大名を名乗らないケースとはわけが違う。
息子が北条を称して独立宣言をしたもののそれでも不足があったから、
相模守を名乗って文書主義の体制を敷かなければならなかった。
結局は永遠に「他国の兇徒」を脱することが出来ず、
豊臣の小田原征伐で関東中に見放される複線を自ら残していたわけだよ。
0215人間七七四年2009/02/05(木) 22:53:08ID:Nwomja3W
その意味で日本中の大名から見離された豊臣氏は、まさに日本の兇徒ですね。
0216人間七七四年2009/02/06(金) 09:56:27ID:31PYDRD3
前久が諸国漫遊していたから、
二代後は親王を迎えるハメになったのだろうか?
0217人間七七四年2009/02/06(金) 10:06:56ID:qkBXnkng
前久は諸国奔走してお忙氏のわりには子供は4,5人いたんじゃなかったかな。
男子も後を嗣いだ信尹の他、上に興福寺一条院の門主となった長男がいたはず。

つまり信尹が頑張らなかったから・・・w
0218人間七七四年2009/02/17(火) 15:14:35ID:VlZpSISR
血は断絶してんだよね。
0219人間七七四年2009/02/17(火) 15:30:57ID:e/bOhjXf
女系では今までつながってるけどね

前久の子孫で一番有名人なのは今の天皇ご一家
前久→前子→後水尾天皇−(以下略)−今上天皇
0220人間七七四年2009/02/18(水) 11:22:27ID:1sN0HQHo
女系で子孫とか言い出したら
天皇の子孫は数限りなくいることになるな。
0221人間七七四年2009/02/27(金) 15:30:39ID:QNOR0pWN
直接関係ないが、鷹司は後年閑院宮(その後九条家)から入ってるんだね
0222人間七七四年2009/03/05(木) 15:17:00ID:PBzGGAEI
九条はそのままなんだ
0223人間七七四年2009/03/17(火) 15:03:21ID:FerD5uTL
多くの公卿が都から離れたんだ
0224人間七七四年2009/03/24(火) 00:48:21ID:XO0J2mes
ねえねえ教えて、摂家と宮家
どっちが格上なの?
官職と身分はどう違うの
0225人間七七四年2009/03/24(火) 16:11:29ID:dUCAMz3T
摂関家の方が上に決まって居るぞゑ。
分かったナッ!!!
0226人間七七四年2009/03/25(水) 00:01:34ID:+2c5X4bU
>>224
官職(職務における序列)上では、摂関家>宮家。
身分(家の格による序列)上では、宮家>摂関家。
と思っていれば、当たらずとも遠からず。

玄人気取りで片手落ちの出鱈目を言ってんじゃないよ、
>>225ことナッちゃん。
0227奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/03/26(木) 00:15:48ID:uN/28wBv
皇別源氏と摂関家で見ると、>>226も正解ではないような。
0228人間七七四年2009/03/26(木) 22:40:51ID:UtQoqc9x
朝廷の席次では摂関家>>宮家
0229人間七七四年2009/03/28(土) 10:48:25ID:b02+5OMh
ただの勘違い君だろコイツは
世襲のくせに自分が一流の政治家だと勘違いしてる
信長とかは内心では馬鹿にしてただろうなぁ
0230人間七七四年2009/03/29(日) 22:37:07ID:fKACxG8j
>>228
それが確定したのは徳川家康の仲裁の筈
それを文書化したのが禁中並公家諸法度
0231人間七七四年2009/03/30(月) 23:46:10ID:U8wftcsv
じゃあ時代によって違うってこと?
皇族が摂政になったら最強ってことだね
摂家は皇族になれないから有得ないよね反対は
0232人間七七四年2009/03/31(火) 01:55:42ID:UQcesagz
昭和天皇は摂政で皇太子だった。
今の皇太子も天皇陛下が体の御調子が御悪いので
内々に御相談されたが例のごとく「雅子が病気なのにやってられるか」
と断られたという噂がある。
0233人間七七四年2009/03/31(火) 13:29:56ID:pxEA6Rsk
宮家から摂政には成れないだろ。
0234人間七七四年2009/03/31(火) 13:32:11ID:WgVnYoTE
>>3
いや、近衛前久は公家だけど狩りよくやり、腕よかったらしいよ。
家康は狩のコツを教えてくれ、といっているぐらい。
答えて前久は和歌に狩りのことを折りこんだものを百贈った。
0235人間七七四年2009/03/31(火) 14:28:32ID:zYeTYuVu
お歯黒しておじゃるおじゃると馬に乗る関白って想像できないね。
0236人間七七四年2009/03/31(火) 20:28:45ID:c3kdr99g
>>235
馬術が好きだった関白というのもいたらしい。
二条良基が父・道平の乗馬好きについて書いている(「嵯峨野物語」)。
0237人間七七四年2009/04/01(水) 12:27:46ID:m5TH6YtZ
戦国大名と違って暇なんだから、そりゃあ狩りも存分にできるだろうね
0238希恵子2009/04/08(水) 18:07:21ID:NBFbGiy/
初めて投稿します。
近衛家について研究しています。
お詳しい方おしえてくださ〜い。
桜御所・近衛邸(同大・新町校舎)は、いつごろまで近衛家の所有だったのでしょうか?
京都御苑北西部に本邸が移転した後も、近衛家の所有地だったのですか?
下屋敷などがあったのでしょうか?
0239人間七七四年2009/04/09(木) 01:54:01ID:FTOg0U4t
自力で研究してください
0240人間七七四年2009/04/09(木) 02:45:17ID:x3ljn1bj
メールアドレスを書かなかっただけ2chってものを理解してるなw
0241人間七七四年2009/04/09(木) 11:27:40ID:QCbKlkwi
だから、こんな奴、ただの調子こいたカスだって
0242希恵子2009/04/11(土) 18:15:22ID:MsN90Zoz
いや〜ん
みんな、いけずやわ〜。
いや〜ん
0243人間七七四年2009/04/11(土) 18:19:44ID:WFn0vpIZ
>>241
( ;∀;)イイハナシダナー
0244人間七七四年2009/04/21(火) 15:09:41ID:Do/NlItY
行動的な方ですね。
0245希恵子2009/04/29(水) 12:44:25ID:vy9Xl7eM
いや〜ん
いや〜んいや〜ん
結局だれも答えてはくれないのね?
0246人間七七四年2009/04/29(水) 15:25:02ID:ghr3Yjhs
なんでこのネカマはそんな質問したがるのかね。
きもいから知ってても答えたくなくなるわ。
0247人間七七四年2009/05/11(月) 15:39:11ID:8CD9U7UB
文麿や篤麿の伝記的なものでも読んだら。それとももっと昔か?
0248希恵子2009/05/17(日) 09:09:30ID:K6GczjAe
いや〜ん
まだ誰も希恵子の質問に答えてくれてないし〜
いやらしい男子ばっかりなのね・・
0249人間七七四年2009/05/17(日) 09:34:08ID:8R1265Aw
>>210-211
毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに
地元の守護は貰っていない。

足利義輝は、武田に長尾との戦争をやめさせる代償として信濃守護をくれている。
信玄は守護職を口実に信濃国内での対長尾戦争を続行するわけだが
これは幕府自身が守護職を飾り物と思っていた証左。
0250人間七七四年2009/05/17(日) 19:11:58ID:TKygGibV
毛利元就じゃなくて、隆元の代に貰ってるけどね。
元就の代は無理でしょ。大内がいるんだから。
朝廷の官位は具体的な陸奥守とかじゃなくて、官位を貰うということ自体が重要。
それに毛利元就の官位を語るなら左馬頭の方が重要でしょ。

信玄の例は、合戦を続行する口実になるわけだから、守護が重要なんじゃん。
0251人間七七四年2009/05/17(日) 19:12:57ID:TKygGibV
ごめん。右馬頭だった
0252人間七七四年2009/05/17(日) 19:48:46ID:idtIRMUM
> 毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに

陸奥守がどうでもいいって…、正気か?
0253人間七七四年2009/05/17(日) 21:01:28ID:u2ggLqlS
安芸より陸奥の方が格上だぞ
0254人間七七四年2009/05/18(月) 13:14:53ID:ikpiSbJE
諸大名が官位を欲しがっていたことは、官位にメリットが付随したことを意味しない。
現代ですら何のメリットも伴わない勲章を欲しがる偉い老人は少なくない。

まあ、全く何のメリットも無かったわけではないけど>>211は大袈裟。
0255人間七七四年2009/05/18(月) 13:34:42ID:bssJ+kyH
>>254
そもそも武士とは何かを理解して無い。
官位の無い武士は武士ではない。野党の類に過ぎない。
0256人間七七四年2009/05/18(月) 15:41:02ID:XfT2cUug
>>254とは違って官位の重要性はもちろん認めるけど官位の無い武士が武士ではないとは言いすぎ。
鎌倉以降戦国に至るまで官位を名乗っていない騎乗武士は多い。
少なくとも武士の定義をきちんとしてからでないと言えない。
もちろん俺は諸大夫、侍の意味を知って言っている。
0257人間七七四年2009/05/18(月) 16:46:13ID:ikpiSbJE
上総「守」とか僭称していた時代の信長は武士でないとw
江戸時代でも大半の侍は自官だがな。
0258人間七七四年2009/05/18(月) 16:52:15ID:s8fheVBc
官職があってもメリットはあまりないが、
なかったり、格の低い官職を名乗るとデメリットがある。
そういうもんだと解釈している。
0259人間七七四年2009/05/19(火) 13:27:17ID:aepTz+mK
>>257
親王任国は上総介じゃないの?
江戸時代の大名でも、領国と受領名が一致している国持大名は
やはりなにがしかの権威があったと思うなあ
中には常陸国主の徳川 常陸介 頼宣なんてのもある
他の大名もそうだけど、始祖の官職は国替えになっても世襲するんだね。
紀州徳川家は幕末の家茂までも常陸介だし。
0260人間七七四年2009/05/19(火) 14:10:50ID:f6Fit6pX
官位を軽視する人間は、歴史の見方は粗雑過ぎるとしか言いようが無い。
本気で「戦国時代は実力社会」とか信じているんだろうな。
0261人間七七四年2009/05/19(火) 14:22:59ID:BHcRVDf0
>>259
だから、信長が間違ってたんだよ。祖父江五郎右衛門への書状で信長は上総守の署名で手紙を出してる。
後の書状では上総介に直ってるから、誰かから注意を受けたものと考えられる。
信長公記内でも別人で何度も上総守と記述されている人がいる。
太田牛一も親王任国に関してよく知らなかったのかもしれない。
0262人間七七四年2009/05/20(水) 09:11:47ID:VXMCQKAD
>>260
ゲームだと官位はパラメーターを補正するだけだもんな。
勲章とかそんなレベルにされているw
0263人間七七四年2009/05/21(木) 00:27:50ID:KrDYJZgz
>>261
ド田舎もんらしい間違いだね
斯波の家臣の家臣クラスじゃ知るよしもないかw
0264人間七七四年2009/05/21(木) 08:05:57ID:rKbHPBIe
近衛前久の男色相手の中では誰が有名ぢゃ?
0265人間七七四年2009/05/21(木) 15:14:34ID:YQIoW4KV
>>264
有名人とはヤッてないんじゃないかね。ナッちゃん
0266人間七七四年2009/06/02(火) 15:06:44ID:3SLbjkNd
常陸守とか上野守とかも登場するのかな。
0267人間七七四年2009/06/07(日) 15:45:30ID:weNMA9BW
台湾守や琉球守は居たらしいね。
0268人間七七四年2009/06/13(土) 11:27:47ID:QjYTnCzF
調べれば調べるほど、唸らされる
前久は凄まじく能吏で教養に溢れ
一方で豪胆で行動力のあった男なんだな
余裕で大河の主人公になれるわ、後は優秀な原作か…
0269人間七七四年2009/06/17(水) 00:03:31ID:Zn7CQX8a
平気で足利家から貰った名を捨てるようなやつが?
二条家により朝廷を追われたやつが?
お調子者は大河の主人公はむりだよ。
0270人間七七四年2009/06/17(水) 00:06:29ID:KYiR+I7T
足利の名は捨てた方が良いだろw
0271人間七七四年2009/06/18(木) 22:48:43ID:GXyihcKT
前久が元服した足利義晴期は京都で将軍が少しは権威があった最後の時代だから
もっとも、義輝あたりになると武家では未だに「輝」の字をあり難がる奴がいたが、公家では日野輝資しか貰っていない筈。
0272人間七七四年2009/06/19(金) 23:29:56ID:rHC3ChhJ
>>271
そんなことはないよ。
他にもいるんだけどな・・・。
0273人間七七四年2009/06/27(土) 15:46:00ID:WpWwXdsN
公家が足利から貰うという発想が面白い
0274人間七七四年2009/06/27(土) 18:40:17ID:i31hCh32
足利将軍家は武家の統領であると同時に、公家の統領でもあるからな。
0275人間七七四年2009/06/30(火) 22:58:29ID:Pet58mRT
持明院統の皇室にとって足利家は近臣中の近臣だったんじゃないだろうか
官位の昇進は清華っぽいが
摂家よりむしろ
家に対する天皇家の恩情を感じる
近衛の替えはあっても足利の替えはない
みたいな。
0276奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/01(水) 08:15:00ID:2gq0D72U
室町期の摂家連中の諱。
0277人間七七四年2009/07/06(月) 00:02:12ID:RR65cdVJ
将軍家からの偏諱には領地の安堵・承認の意味があるから
貰った名を捨てるということは
非礼極まりないな
0278人間七七四年2009/07/06(月) 00:07:24ID:j4LnAQPE
将軍の権威にあやからねばならないのにその将軍様の権威が地の底奈落まで失墜してるからそれこそ無意味
0279奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/06(月) 08:13:10ID:stgG7IUw
失墜というのは下剋上の過分な宣伝でもある。
0280人間七七四年2009/07/06(月) 18:37:52ID:f64YCn8L
将軍の権威はそれこそギリギリまで存続している。特に京都では。
0281人間七七四年2009/07/10(金) 10:01:58ID:4Gyqgwg4
義維・義栄と、義晴・義輝・義昭の戦いって
応仁の乱の続きなんだな
最近知った。
0282奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/11(土) 07:30:48ID:47hzQ2+6
義尚と義視から始まって、その跡目を名乗った従弟だの甥だのが頑張って

義政┬義視─義稙─義維─義栄
    └義尚─義澄─義晴─義輝

こんな出鱈目な系図があってもある程度間違っていないという楽しさ。
0283人間七七四年2009/07/11(土) 09:15:57ID:hWCSTz2x
>>281
応仁の乱とはまた別。義尚の急死からの流れだと考えたほうが。
02842812009/07/13(月) 21:54:01ID:P4yZjHEg
義視と義尚の相続争いと、斯波家畠山家の相続争いが絡みあったのが応仁の乱じゃないの?
282さんの系図は義視以降は正しいと思うんだけど
義澄の父の名が違うね。
0285人間七七四年2009/07/13(月) 22:30:34ID:lsJ1iPaj
>>284
義視と義尚の相続争いってのは、応仁の乱が起こってから、顕在化してきたことだと
考えたほうが良いと思う。特に日野富子が義尚を将軍にしたくて山名と云々なんてのは、
アレは応仁記の創作だと考えるべきかと。
0286奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/14(火) 07:19:11ID:KmxNEBwR
>>284
誰を挟んだら成立するか教えていただけると有難いんだが・・・
0287人間七七四年2009/07/14(火) 13:29:24ID:TzE2aium
スレ違いだからこっちの過疎スレでやれ

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165676901/l50
02882812009/07/17(金) 17:40:25ID:wmm3d8Jb
>>286
挟むんじゃなくて義尚の場所に義政。
義澄の父は、ふつうに義政じゃないの?。同じ立場だというのと系譜上の位置は違うものだと思う。
0289人間七七四年2009/07/17(金) 21:07:11ID:Q8MJAr26
>>286
山野野衾レベルなら分かるが、素人が、コテつけて浅い知識語ってんじゃねーよ。不愉快だわ。
0290奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/18(土) 07:00:05ID:3ymRoS4N
>>288
なるほど分からなくはない。
ただ仮にも公方の系図なので、先代が誰なのかをハッキリさせたかっただけだよ。

>>289
歴史についてちっとも触れない書き込みならラウンジにでもしてきたらどうだ。
0291人間七七四年2009/07/25(土) 15:11:05ID:RN1Wy7Hw
複雑な要素が絡み合うでいい。
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