戦国時代の髪型・装束・風習
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0001塩ビ形兜
2007/07/10(火) 21:59:40ID:q0U87XTi装束は繊細でデザイン性が高いが、実際はダイナミックでシンプルなモノが多い。
みんな直垂だが、裃はもっと後じゃろうか?
あとは茣蓙を敷いてない・膝立て座りをしない・女は眉を”マロ眉”にしてない…
などなどあるが、その他には何があるじゃろうか?
0082人間七七四年
2008/02/16(土) 08:44:58ID:Hl0/i8Wg当時の女性の袴が残存してないから謎 絵画史料ではそこまで分かる物はなかったと思われ
ちなみに公家の女性の袴(ねじまち袴)は股の下が縫いつけられているのだが
トイレはどうしたのか気になるところである。
豪華な漆器製のおまるを使っていたとか聞いたことはあるがどこから差し入れしたんだ?
0083人間七七四年
2008/02/16(土) 12:28:09ID:bb7I05YH0084人間七七四年
2008/02/16(土) 21:45:15ID:PI4T8vVO女性が内掛けを普通に着ないで、腰の所で上半身部位を帯に折り入れてる(?)
何か”ヤッコ凧”みたいな状態の着方は日常だったの?
0087人間七七四年
2008/02/17(日) 13:50:30ID:rNbq61jN高級武家女性の夏の正装とされる
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/buso_img/103-a.gif
形を変えつつ江戸時代まで武家女性の夏の盛装となって残ったが
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/kosode_img/127-a.gif
幕末を迎えるより前に廃絶したらしい。
008884
2008/02/17(日) 18:22:09ID:au3hsIhBよく知らんのだから、しょうがないでしょうよw
>>87
サンクス。
一昨年の「功名が辻」の、北ノ庄落城の回で大地真央が
腰巻状態で正座してるシーンが、一瞬だが映った。
「やっと再現したかw」と思ったけど、45年の大河の歴史で再現したの
アレだけだったんかな…
0089人間七七四年
2008/02/23(土) 23:05:10ID:dnsWndm9髪にかけているアレね)って白がいちばん多いけど、紅とか絵柄の入った物とか
もあるよね?
あれってどういう基準で選んでいるのかしら?
大河ドラマでは、大名の正室格の姫君が白、側室以下の者は白以外というパターン
が多いような気がするけど。
0090人間七七四年
2008/02/25(月) 13:40:28ID:BV6bAhV/女性の着物についてです。
友禅の発祥は江戸時代とどこかに書いてあった記憶がありますが
この時代、文様を染め抜いた反物(小紋等)ってもうあったんでしょうか?
あったとして「織り」じゃなく「染め」の着物って
普段にも用いられるものだったんでしょうか?
具体的にはある程度以上の身分の女性が、染めの着物を着ていたかどうかを
知りたいのですが……
あと、この頃にも着物を仕立て直す際には「洗い張り」とか
してたんでしょうか?
0091人間七七四年
2008/02/25(月) 22:14:21ID:qUbfwzBx手間がかかるため大名や富裕な町人など金持ちしか着られなかった模様
0092人間七七四年
2008/02/26(火) 00:59:50ID:v9/tkGBCありがとうございます。
仕立て直し・洗い張りについてもご存じの方があれば
教えて頂けると助かります。
多分仕立て直しは普通に行われていたのではないかとは
思うのですが……
0093人間七七四年
2008/02/26(火) 01:21:44ID:a2mOMmkdそしてなんというか、妙に女の子ちっくな服がたくさん……
いや、単なるおしゃれさんだよな。そのはずだ。うん。
0094人間七七四年
2008/02/26(火) 10:18:09ID:IgcaraWP謙信が神格化されていたとはいえ、新潟→会津→米沢という怒濤の転封の中で
アレをなくさずに引っ越しできたのはすごい。
かなり派手なのは
「安土桃山時代だから」
「尾張のお猿さんだって当時の屏風を見ると派手な服を着ています。まして謙信様なら(ry」
と よ い よ う に 考えるようにしましょうw
・・・でも、謙信様、出家の身だったのに派手な服はOKだったのかな?
>>92
仕立て直しは た ぶ ん あったと思う。
仮定でしか言えないのは、ともかく衣類は残存例が少ないから。
いま残っているのは上の謙信の例のように特別な人物の衣服を寺社仏閣に奉納したものなど、かなり特殊なのだ。
当時は布は今とは比べ物にならない貴重品だったことを考えると
仕立て直しを重ねてぼろぼろになるまで着古したと考える方が普通だろう。
0095人間七七四年
2008/02/26(火) 16:22:50ID:eWutXr6r仕立て直しという例ではないが、
戦国を生きた女性の語り聞き伝えという、有名な「おあむ物語」で
子供の頃に作った小袖を、丈が短くなっても着続けたという描写が。
おあむは決して下層武士の娘でもないのにそう伝えている。
新調できる層なんて極くわずかだったのだろう。
武家の娘であれ、庶民であれ、裁縫は必須。
上層階級は家臣に下げ渡す衣類も多かったと思うが、
普通は雑巾にするまで布は活用する。
幕末になるけど、
和宮が幼少時代、母実家の橋本家にいた頃は
当時の中級公家にありがちな「お手づまり」で
着物はほとんど仕立て直しだったという記録が残っている。
0096人間七七四年
2008/02/26(火) 23:08:03ID:em0PzNWlそうだよね……>布は超貴重品
当時は紙衣とかも用いられたんでしたっけ。
実際布は雑巾になるまで使い倒す、というのは
古い時代のみの話ではなく、昭和も戦前はそうだったですよね。
0097人間七七四年
2008/02/26(火) 23:51:35ID:a2mOMmkdそもそも「洗い張り」ってものが良くわからんのですが
洛中洛外図などの風俗画では、おばちゃん層がほぼ決まって
反物状の布を干しているように思う。
ひょっとしてあれを洗い張り……と呼ぶのだろうか。
こんな感じ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuichidai
0098人間七七四年
2008/02/27(水) 01:34:19ID:oZeSIBZv乾すときも、板に張り付けたり、ハンモック状態にしてサイドを竹ひごなどで張ったり
当時の洗剤はアルカリ性である灰や、
サポニンが含まれてるクロモジやノササゲなど。他に叩き洗いなど
朝鮮では白を重んじてたので、さらに人尿をつかってた
0099人間七七四年
2008/02/27(水) 01:41:35ID:oZeSIBZv摂っても魚由来だから、脂汚れは比較的簡単に落ちてたと思われ
石鹼使用は明治から
0100人間七七四年
2008/02/27(水) 12:01:32ID:B+M3GrU8今「風と雲と虹と」のDVD見てるんだけど、あの時代も然る事ながら
昔のしゃべり言葉は、どんな風だったんだろう??
0101人間七七四年
2008/02/27(水) 17:24:55ID:h9Sh6OPJ宣教師の書いた『日葡辞典』
ただし、発音は九州の方言を反映している可能性が高いようですが。
0102100
2008/02/27(水) 18:36:03ID:9HG8mxp90103人間七七四年
2008/02/29(金) 00:52:08ID:s/LpNI1/東北に親の田舎が有るんだが、婆さんと喋るときには通訳が必要になりますw
0104人間七七四年
2008/03/01(土) 08:15:07ID:NSQ/moCW訂正:クロモジ→ムクロジ
すまぬ、ちなみにムクロジは袈裟を洗うために仏教と一緒に来日し、
戦後辺りまでは使用してました。
現在でも旧河川などに生えてる所もあります。
0105人間七七四年
2008/03/01(土) 11:26:18ID:3wweDoXDそうだよね……黒文字が石鹸代わりになるのかと
すげえびっくりしてたとこだ。
0106人間七七四年
2008/03/01(土) 13:01:21ID:2F0Xq/XY0107人間七七四年
2008/03/01(土) 13:05:43ID:2F0Xq/XY0109人間七七四年
2008/03/05(水) 22:08:50ID:U3sFYXJQ0110人間七七四年
2008/03/05(水) 22:51:44ID:OikdcoOC0111人間七七四年
2008/03/05(水) 23:22:05ID:U3sFYXJQ0112人間七七四年
2008/03/06(木) 00:57:39ID:BxtwH6J/「馬甲には金箔を張り付けろ、剥がれてたら処罰(意訳」
0113人間七七四年
2008/03/10(月) 14:07:02ID:ZnjHkrtZドラマとか見ていると幼い頃から許嫁が決まってて
顔も見ずに輿入れ、みたいな描写がままあるけど
あらかじめ紹介されて行き来して、みたいな
「おつきあい期間」はなかったのかね。
0114人間七七四年
2008/03/10(月) 16:38:45ID:4V+ZJqy4結婚相手は政略結婚のため、諸般の事情で土壇場で相手変わることもあったと思われる。
下っ端の武家なら結婚前に顔ぐらいは見たことあったかモナー
つか夜這い結婚だったりしてw(秀吉とねね(おね)はこれだったといわれている)
0115人間七七四年
2008/03/10(月) 16:56:14ID:dD/jTQcrあと近親婚が圧倒的に多いし、家同士が社会的な運命共同体でつき合いが深いので、
顔見知りだった可能性は相当高いと思うぞ。
戦国期の中小武士だと、
やはり婚家同士の繋がりを期待する場合もあるけど、
利家みたいに家が没落した幼なじみを娶る場合もあるので、
比較的自由が利いたと思う。
大身になると家臣とはいえ政略婚が多くなるだろうけどね。
0116人間七七四年
2008/03/12(水) 10:49:33ID:9akCCcDn大名クラス同士の結婚で婚前に顔をあわせてる(と思われる)人って
京極高次とお初(幼少の頃ともに小谷城内で過ごす、北ノ庄でも面識?)
宇喜多秀家と豪姫(秀吉の養子養女同士)
くらいしか思いつかない。まぁこの人たちの場合は特殊か。
0117人間七七四年
2008/03/15(土) 00:20:05ID:d5ctTWCF戦国時代とはいえやっぱりある程度以上の格の家だと
政略結婚が普通なんだね。
まあ自由恋愛はないかな?と思ってたけど、
格下の家へ娘を嫁に出すとかもないんだ。
こういう風俗って小説やドラマ見てもあまり描かれてないし
本当よくわからないことばっかりだ。色々教えてくれてありがとう。
0118人間七七四年
2008/03/17(月) 20:59:00ID:aSn5fa1Y0119人間七七四年
2008/03/17(月) 23:48:46ID:bf12IUP/というか結構メジャーな手段だよね。
0120人間七七四年
2008/03/18(火) 07:44:23ID:stXISh+u信長の場合は褒美って感じだよな
そのあたりにはあまり恋愛は混じり得ない気がする
0121人間七七四年
2008/03/26(水) 12:23:15ID:MMIdHQFOこの時代(というか今でもそうだけど)、
墓地(草場?)は村や町からは離れた場所にあった、でおkですか?
また古くは風葬が行われていたそうですが、戦国時代の主な方法は
やはり土葬でしょうか?
0122人間七七四年
2008/03/26(水) 23:37:35ID:mKQD9BDW細川幽斎なんかは荼毘に付されてる。
0123人間七七四年
2008/03/27(木) 13:18:53ID:5FIJLJpz0124人間七七四年
2008/03/27(木) 16:01:11ID:DgSvKxoEそうでもないのかな。
そういやこの時代、信仰ってどのくらい盛んだったんだろう……
0125人間七七四年
2008/03/27(木) 16:41:27ID:b1PTXM85京ではその一向宗と互角に争った法華宗
戦国時代後期に海外より乱入したキリシタン
今の日本人よりずっと信仰熱心です
熱心が過ぎて今のイスラム過激派より危険かも知れない 本当に(ry
0126人間七七四年
2008/04/09(水) 00:46:59ID:2iXO1UIlこの当時の婚礼って花嫁の輿は夕刻に出立だよね?
これ遠方の場合もやっぱり夕刻出立?
だとすると夜を徹して歩くの?
それともどっかでやっぱり一泊するの?
その時打掛は着っぱなし?
0127人間七七四年
2008/04/22(火) 04:28:35ID:imzn78XM当時の結婚については地域や身分によってバラツキがあったといわれている。
主な種類は嫁入り婚、婿入り婚、足入り婚など。
結婚式自体も一日ではなく三日間。自分が読んだ本によると
武家に多かった嫁入り婚の場合、
初日は夜に相手方の家に入って身内近しい親類だけが集められ
彼らの前で杯を交わしてそのまま床入り。
二日目は仏壇参りしたり一門衆や重臣などへ披露目と挨拶。
三日目に今で言う披露宴にあたるものがあって身内や一門以外の人に
お披露目でこの時嫁ぎ先が用意した色のある着物に初日以降初めて
袖を通す。(これがお色直しの本当の由来らしくそれまでは白い着物だけ
だったらしい)
なぜ三日かというと平安時代の婿入り婚の風習(3日通って結婚したと
みなされる)の名残らしい。
花嫁の輿が夕刻に経つというのは結婚式が夜行われたためだから
遠方などはそれに限らず。ただ、夕刻〜夜に入るのが習慣だったため
きちんと調整はなされていたようだよ。
夜は凄く危ないから歩かない。山賊などに襲われたら洒落にならない。
だから夜は宿を手配したりしてそこに泊まって、明るくなったら
また移動の繰り返し。
打掛についてはそういう記録がないからよくわからんけど
遠方に行く場合は輿に乗る時でも旅衣装だったともいわれるし
腰巻みたいな着方もあったし打掛といっても当時の打掛は
江戸以降の打掛と違ってかなり軽く仕立ても袖が短めだから
長く着ていてもそんなに苦痛ではなかったんじゃなかろうか?
輿の中で袖を落とすぐらいのこともできるだろうし。
0128人間七七四年
2008/04/25(金) 15:47:19ID:O8cvH4Fcこのスレちょっと前に専ブラでエラー出てたから
落ちたのかと思ってた……
>初日は夜に相手方の家に入って身内近しい親類だけが集められ
>彼らの前で杯を交わしてそのまま床入り。
>二日目は仏壇参りしたり一門衆や重臣などへ披露目と挨拶。
>三日目に今で言う披露宴にあたるものがあって身内や一門以外の人に
>お披露目でこの時嫁ぎ先が用意した色のある着物に初日以降初めて
>袖を通す。
もし良かったらどの本か教えて貰えますか?
自分が読んだ「中世武家の作法」では
婚礼の夜は新郎新婦と給餌の侍女だけとあり
舅や一門との対面は三日目と読めた。
色直しについては同じ。
時代が違うのかも知れないね。
0129人間七七四年
2008/04/25(金) 21:49:13ID:E/idthjs俺も興味有るから、是非127には返答して欲しい。
0130人間七七四年
2008/04/27(日) 18:59:50ID:rspcRDLP0131人間七七四年
2008/04/30(水) 00:04:48ID:s0NZgXK+http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1i/img/024.jpg
このスレ住人的には九鬼水軍ハワイ発見説を提唱しておくかw
0132人間七七四年
2008/05/06(火) 23:28:47ID:V2dBm9mH>>131
俺には「あ〜は」に見えるw 『永ちゃん信者説』も入れてくれw
0133人間七七四年
2008/05/06(火) 23:47:14ID:6k25sZSR習慣的なレズはいなかったんでは無かろうかと予想
もちろん真性のレズな方はいつの時代でもいらっしゃるかと思います。
0134人間七七四年
2008/05/07(水) 21:29:43ID:MBqVhdaC0135千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y
2008/07/28(月) 01:11:51ID:Mu4N5H+wおかしくない?
庶民ならともかく、将軍家に生まれたような身分の高い姫が江戸時代初頭の頃に
既に髪を結いあげているなんて変だと思う。
0136人間七七四年
2008/07/28(月) 12:12:42ID:5atP7jH9http://www.city.joso.lg.jp/uploads/photos0/17.jpg
0137人間七七四年
2008/07/29(火) 06:01:07ID:XPxuX4ny中性的でかわいいね
0138千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y
2008/07/31(木) 19:15:45ID:a6oGl1FCありがとう。人形の姿は本当にこれとそっくりだね。
もしかするとこの絵もお市の方の肖像画や伝淀君画像の絵みたいに
没後に描かれたものなのかな
0140人間七七四年
2008/11/04(火) 03:03:57ID:lvSfAtDW(荒縄かなんかでこすりおとしてたのかなって勝手に想像していた)
へらみたいなのなら、これでウンコをこそいでたんだなって想像しやすいのだが
なんか割り箸みたいだった。あれで肛門まわりのウンコをきれいにそぎ落とせるのか?
バランス崩したら肛門にブッスリ刺さりそうだ。
有名な武将でお尻棒を使っていたとなると、紙で尻を拭けるのは天皇や将軍くらい?
0142人間七七四年
2008/11/07(金) 01:23:17ID:ewBf79HG戦国時代の人もあんな感じにゆっくり喋っていたのかな?
0143人間七七四年
2008/11/07(金) 17:44:43ID:/OHXV1hu棒ペーパーは籌木ちゅうぎ、ですね。飛鳥時代には使われていたようです。
モモソヒメが夫が蛇である事に気づいて驚いて腰を抜かしたところ箸でアソコを突いて死んでしまった。
と古事記にあるが、これは籌木ではないかとする説があるそうですよ。
>>142
武士はゆっくりはしゃべってなかったのでは?
早飯早グソが理想ってくらいですから。
0144人間七七四年
2008/11/08(土) 01:21:56ID:phj29gQm例えば都会の人のほうが、あるいは金融業界の人のほうがそうでない人に比べ
話すスピードが速くなりがち(個人的な印象ですが)
というわけで馬が最速だったこの時代、今から比べるとゆっくりした話し方だったのでは…
0145人間七七四年
2008/11/08(土) 17:58:33ID:SNGJxExE武家に限らず農村・街の様子も知りたいです
本屋で図説を見付けても、平安・江戸ばかりで切ないorz
0146人間七七四年
2008/11/08(土) 22:17:34ID:krpK2Y6pところが、能は現在の3倍速で上演されていたという説がある。
当時の日記等を見ると、今では考えられない程大量の演目を一日でこなしており、
その上演時刻等から計算するとそのスピードになるそうな。
しゃべり方も現在の平板口調ではなく
当時の京言葉のアクセントであったという。
こちらは能を習っていたとある田舎者がいちいちアクセントをメモっていたことから
判明したそうな。
で、そんな「秀吉の見た能を再現する」て企画の映像を見てみたんだが
かなりノリノリな舞台。正直な第一印象としては
ttp://www.hikkoshi-sakai.co.jp/cm/
↑の最下段左の「エレベータ篇」だった。
秀吉が好きそうではある。
0147人間七七四年
2008/11/08(土) 23:41:46ID:qOkrVdaC0148人間七七四年
2008/12/02(火) 01:36:06ID:6k9AU0yFあと、やっぱり京言葉が標準語だったんだね
今の劇でも一般的には方言を使わないようなもんということだよね
その映像見てみたいなあ
0149人間七七四年
2008/12/06(土) 23:21:24ID:A6mqTnKs昔、ケーブルTVでやってた「放送大学」で見たんだが
ちょっと調べたところ、当面再放送やweb配信の予定は無いようだ。
「秀吉が見た能 〜卒都婆小町の復元〜」
でググると若干資料が出てくるけど
販売ビデオは\20,00だとか……
(それと上演スピードは今の3倍速ではなくて2倍らしい。嘘を言ってスマン)
0150人間七七四年
2008/12/12(金) 17:11:35ID:cTeOYcltブログなんかに載っている感想をみると、娯楽的要素が強く感じられるようだね
楽しく観られるものの感性はそんなに変わってないのかもね
再放送を待つとしよう…
0151人間七七四年
2008/12/28(日) 19:11:55ID:LTpbX4Vf0152人間七七四年
2008/12/30(火) 18:08:43ID:fCHwHQi1こちらは秀吉セルフプロデュース能「柴田」の台本
ttp://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yob16.txt
どんなもんかと思って読んでみたら
エンターテイメントであり、かつ政治的プロパガンダでもあり、その上
死者への鎮魂をテーマとしつつお市の方萌えまでもが織り込まれた恐るべき芸術作品だった。
てんか様スゲーよ。
0153人間七七四年
2009/01/15(木) 23:59:57ID:FTkBYL6Jでもいまいちおもしろいと思えないんだよね…
歌舞伎は結構な割合で楽しく観れるんだけど
0154人間七七四年
2009/01/18(日) 13:17:55ID:vB2+C35y言葉や風俗なら断然、狂言のがよくないか?おもろいし。
能も演目次第では全然つまらんのは確か
立ち回り系の五番目物や源平系はたいてい面白いが
0155人間七七四年
2009/03/27(金) 22:16:30ID:0YXSHewQ0157人間七七四年
2009/03/29(日) 02:28:05ID:XCFH8vSE3倍速というのは興味深い。
自分的には、現代のあのゆっくりさは勿体つけてる・・・というか、
武家の式楽となり、民衆には無縁のものとなったこともうけ、
高尚で幽玄の世界を強調しようと、だんだん遅くなったのでは?
などど憶測。
でも同じ芸能のなかの平家琵琶だけど
薩摩などではなく古い曲調を伝承しているとされる流派を聞くと
もうとーっても遅い遅い。現代能楽なんてまだ早く感じるくらい。
「祇園精舎の鐘の声」だけでも1分間以上かかったするので
やはり昔々の芸能はそういうモノだったのだろうか・・・とも思う。
0159人間七七四年
2009/07/22(水) 20:41:42ID:ZNOpOFaH鎧直垂のほうが金銀の糸使って豪華に見えるぐらいですかね。
構造や材質の違いみたいなのはあるのかな。
この写真のは鎧直垂ですか?
http://deai.mokuren.ne.jp/up/src/up0744.jpg
0160人間七七四年
2009/07/23(木) 04:04:58ID:8JGMJkyq鎧直垂は通常の直垂に比べて、運動性を良くする為袖口が狭くなっている。
その画像はおそらく鎧直垂だね。
0162人間七七四年
2009/07/25(土) 03:22:09ID:/eDLlJ+l色んな時代の衣裳の変遷を人形にしてて考証的にも優れてたんだけど
今はすっかり源氏物語の世界のみになっちゃったから、残念。
いや、あの源氏の世界を表現も素晴らしいんだけどね。
0163人間七七四年
2009/07/25(土) 10:28:36ID:A4fCxlZCこれって大鎧の下に着る奴?それとも当世具足の下着?
0165人間七七四年
2009/07/25(土) 12:38:26ID:2O4W36Dz0166人間七七四年
2009/07/26(日) 08:10:22ID:u1BkhfKdそれ以前には上半身だけを覆う服は、日本にはなかったように思うのだが。
0167人間七七四年
2009/07/26(日) 23:29:26ID:/Ghimxaf0168人間七七四年
2009/07/26(日) 23:48:09ID:2veQVmo10169人間七七四年
2009/09/10(木) 20:06:29ID:9mAFEbD30170人間七七四年
2009/09/10(木) 21:16:07ID:3XCFTtFy鎧の違いがよくわからないね。
しかし源平の戦って関ヶ原の約四百年前?
関ヶ原の四百年後は今だから、それを思うとすごい。
0172クソババア
2009/09/30(水) 00:39:38ID:WqI8/bQiいつから垂れ髪が結いあげた髪型いわゆる日本髪に変わっていくのか。
織豊期〜江戸中期頃の絵巻物なんかを見ると、過渡期だったみたいで、
庶民の中にも垂れ髪の人と簡素な結髪の人が混在してる。
もっと時代が下っても、普段は結っていても改まった場では垂れ髪だったり
するらしくて、面白い。
0173人間七七四年
2009/09/30(水) 01:25:46ID:PHkTvMbkただ、戦の時に兜をかぶる頭が蒸れないためで、戦が終わればまた伸ばした。
一般庶民が剃りだしたのはいつ頃なんだろうか?
農民とかも現代人が髭を剃る感じで頭剃ってたのか?
あと、幕末の写真見ると武士の2〜3割位は総髪だよね。
総髪はどんな位置づけだったんだろ?
0174人間七七四年
2009/09/30(水) 01:33:30ID:uSEJmET2本番NGですか?
0175人間七七四年
2009/09/30(水) 03:36:17ID:OCBB9Ev5> 一般庶民が剃りだしたのはいつ頃なんだろうか?
江戸時代。武士の風俗が庶民にまで広まった。
あと総髪に関しては、それこそ人それぞれって感じだったらしい。
ただ、月代は手入れに手間がかかるので、月代をそっていたほうが「きちんとした身なり」と
見られたのは確からしい。
0176人間七七四年
2009/10/05(月) 23:29:56ID:u1Len+A8袖は短くて小さいし・・・
ああいう点を忠実に再現してる創作物ってあんのかしらん
0177人間七七四年
2009/10/06(火) 00:07:52ID:ZqPIOsMo平安時代(?)の直垂を着せてるそうなんだけどそれってあり?
>上杉家の人々は、他家の武将たちとは少し違い、流行遅れの直垂を着て正装している。
>ちなみに、彼らが着ている直垂は平安時代のもので、独自の文化を大切にし、流行に
左右されない家風が表現されているのだ。
http://www9.nhk.or.jp/taiga/topics/catalog04/cata04_01.html
いくら文化の変化が緩慢な時代だからって四百年前の服装できるもんか?
流行遅れとかってレベルじゃないよね・・・
0179人間七七四年
2009/10/06(火) 08:44:24ID:/GHU4nUMhttp://blog.shop.ishidaya.biz/images/hitatare2.jpg
裾に白い紐を通したのは、義経が陣中で用いたということから
「義経袴」というそうだけど、それなら平安時代の武士階級が
すでに普段着てるのも変だな。
0180人間七七四年
2009/10/07(水) 14:35:38ID:krlH7wVoちょい亀レスだがルイス・フロイスの手記から。
日本では娘達は両親に断りも無しに幾日でも外出する。
尼僧院は殆どが淫売婦の巣窟となっていて、彼女等は時々陣立てに出かける。
日本の女性は処女の純潔性を重んじない。
それを欠いても名誉を失わず、結婚にも支障がない。
フロイスには日本はフリーセックス大国に見えたんだな。
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