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戦国時代の髪型・装束・風習

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0001塩ビ形兜2007/07/10(火) 21:59:40ID:q0U87XTi
大河とか見てると、みんな茶筅髷だし月代は剃ってないし髭は薄い。
装束は繊細でデザイン性が高いが、実際はダイナミックでシンプルなモノが多い。
みんな直垂だが、裃はもっと後じゃろうか?
あとは茣蓙を敷いてない・膝立て座りをしない・女は眉を”マロ眉”にしてない…

などなどあるが、その他には何があるじゃろうか?
0082人間七七四年2008/02/16(土) 08:44:58ID:Hl0/i8Wg
>>81
当時の女性の袴が残存してないから謎 絵画史料ではそこまで分かる物はなかったと思われ

ちなみに公家の女性の袴(ねじまち袴)は股の下が縫いつけられているのだが
トイレはどうしたのか気になるところである。
豪華な漆器製のおまるを使っていたとか聞いたことはあるがどこから差し入れしたんだ?
0083人間七七四年2008/02/16(土) 12:28:09ID:bb7I05YH
一々脱いだとしか
0084人間七七四年2008/02/16(土) 21:45:15ID:PI4T8vVO
足の付け根まで捲し上げたとかかな?

女性が内掛けを普通に着ないで、腰の所で上半身部位を帯に折り入れてる(?)
何か”ヤッコ凧”みたいな状態の着方は日常だったの?
0085人間七七四年2008/02/17(日) 00:47:23ID:IiKUODXy
>>84
>ヤッコ凧みたいな状態の着方

はぁ・・・。腰巻だろーが。
0086人間七七四年2008/02/17(日) 11:47:03ID:3yJKopT3
>>82
81だがなるほど、サンクス。
0087人間七七四年2008/02/17(日) 13:50:30ID:rNbq61jN
戦国時代から安土桃山時代の「腰巻」
高級武家女性の夏の正装とされる
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/buso_img/103-a.gif

形を変えつつ江戸時代まで武家女性の夏の盛装となって残ったが
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/kosode_img/127-a.gif
幕末を迎えるより前に廃絶したらしい。
0088842008/02/17(日) 18:22:09ID:au3hsIhB
>>85
よく知らんのだから、しょうがないでしょうよw

>>87
サンクス。
一昨年の「功名が辻」の、北ノ庄落城の回で大地真央が
腰巻状態で正座してるシーンが、一瞬だが映った。
「やっと再現したかw」と思ったけど、45年の大河の歴史で再現したの
アレだけだったんかな…
0089人間七七四年2008/02/23(土) 23:05:10ID:dnsWndm9
戦国時代の女が垂髪にかけている丈長・平元結(現代では神社の巫女が
髪にかけているアレね)って白がいちばん多いけど、紅とか絵柄の入った物とか
もあるよね?
あれってどういう基準で選んでいるのかしら?
大河ドラマでは、大名の正室格の姫君が白、側室以下の者は白以外というパターン
が多いような気がするけど。
0090人間七七四年2008/02/25(月) 13:40:28ID:BV6bAhV/
ちょっとお聞きしたいんだけど、戦国時代初期の
女性の着物についてです。

友禅の発祥は江戸時代とどこかに書いてあった記憶がありますが
この時代、文様を染め抜いた反物(小紋等)ってもうあったんでしょうか?
あったとして「織り」じゃなく「染め」の着物って
普段にも用いられるものだったんでしょうか?
具体的にはある程度以上の身分の女性が、染めの着物を着ていたかどうかを
知りたいのですが……
あと、この頃にも着物を仕立て直す際には「洗い張り」とか
してたんでしょうか?
0091人間七七四年2008/02/25(月) 22:14:21ID:qUbfwzBx
模様染めの着物といえばこの時代に誕生した「辻が花」がある
手間がかかるため大名や富裕な町人など金持ちしか着られなかった模様
0092人間七七四年2008/02/26(火) 00:59:50ID:v9/tkGBC
おお!そういえば辻が花がありました!
ありがとうございます。

仕立て直し・洗い張りについてもご存じの方があれば
教えて頂けると助かります。
多分仕立て直しは普通に行われていたのではないかとは
思うのですが……
0093人間七七四年2008/02/26(火) 01:21:44ID:a2mOMmkd
米沢の上杉神社へ行ったら、謙信の小袖だのなんだのと、いろいろ残ってて驚いた。
そしてなんというか、妙に女の子ちっくな服がたくさん……

いや、単なるおしゃれさんだよな。そのはずだ。うん。
0094人間七七四年2008/02/26(火) 10:18:09ID:IgcaraWP
上杉家の衣裳保存能力はすごいよね。
謙信が神格化されていたとはいえ、新潟→会津→米沢という怒濤の転封の中で
アレをなくさずに引っ越しできたのはすごい。

かなり派手なのは
「安土桃山時代だから」
「尾張のお猿さんだって当時の屏風を見ると派手な服を着ています。まして謙信様なら(ry」
と よ い よ う に 考えるようにしましょうw
・・・でも、謙信様、出家の身だったのに派手な服はOKだったのかな?

>>92
仕立て直しは た ぶ ん あったと思う。
仮定でしか言えないのは、ともかく衣類は残存例が少ないから。
いま残っているのは上の謙信の例のように特別な人物の衣服を寺社仏閣に奉納したものなど、かなり特殊なのだ。
当時は布は今とは比べ物にならない貴重品だったことを考えると
仕立て直しを重ねてぼろぼろになるまで着古したと考える方が普通だろう。
0095人間七七四年2008/02/26(火) 16:22:50ID:eWutXr6r
布は超貴重品だから、仕立て直すよ。

仕立て直しという例ではないが、
戦国を生きた女性の語り聞き伝えという、有名な「おあむ物語」で
子供の頃に作った小袖を、丈が短くなっても着続けたという描写が。
おあむは決して下層武士の娘でもないのにそう伝えている。
新調できる層なんて極くわずかだったのだろう。

武家の娘であれ、庶民であれ、裁縫は必須。
上層階級は家臣に下げ渡す衣類も多かったと思うが、
普通は雑巾にするまで布は活用する。

幕末になるけど、
和宮が幼少時代、母実家の橋本家にいた頃は
当時の中級公家にありがちな「お手づまり」で
着物はほとんど仕立て直しだったという記録が残っている。
0096人間七七四年2008/02/26(火) 23:08:03ID:em0PzNWl
色々ありがとうございました。
そうだよね……>布は超貴重品
当時は紙衣とかも用いられたんでしたっけ。

実際布は雑巾になるまで使い倒す、というのは
古い時代のみの話ではなく、昭和も戦前はそうだったですよね。
0097人間七七四年2008/02/26(火) 23:51:35ID:a2mOMmkd
>>92
そもそも「洗い張り」ってものが良くわからんのですが

洛中洛外図などの風俗画では、おばちゃん層がほぼ決まって
反物状の布を干しているように思う。
ひょっとしてあれを洗い張り……と呼ぶのだろうか。

こんな感じ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuichidai
0098人間七七四年2008/02/27(水) 01:34:19ID:oZeSIBZv
服を解いて一反に戻し、ビンと板に張って、ささらなどで洗う。
乾すときも、板に張り付けたり、ハンモック状態にしてサイドを竹ひごなどで張ったり
当時の洗剤はアルカリ性である灰や、
サポニンが含まれてるクロモジやノササゲなど。他に叩き洗いなど

朝鮮では白を重んじてたので、さらに人尿をつかってた
0099人間七七四年2008/02/27(水) 01:41:35ID:oZeSIBZv
昔は日本人は動物性タンパク質の摂取が少なかったのと
摂っても魚由来だから、脂汚れは比較的簡単に落ちてたと思われ
石鹼使用は明治から
0100人間七七四年2008/02/27(水) 12:01:32ID:B+M3GrU8
祝100

今「風と雲と虹と」のDVD見てるんだけど、あの時代も然る事ながら
昔のしゃべり言葉は、どんな風だったんだろう??
0101人間七七四年2008/02/27(水) 17:24:55ID:h9Sh6OPJ
戦国時代の口語ならわずかに伺える史料があります
宣教師の書いた『日葡辞典』
ただし、発音は九州の方言を反映している可能性が高いようですが。
01021002008/02/27(水) 18:36:03ID:9HG8mxp9
ためになります(‐人‐)
0103人間七七四年2008/02/29(金) 00:52:08ID:s/LpNI1/
方言は地域差が強いからなあ。
東北に親の田舎が有るんだが、婆さんと喋るときには通訳が必要になりますw
0104人間七七四年2008/03/01(土) 08:15:07ID:NSQ/moCW
>>98
訂正:クロモジ→ムクロジ
すまぬ、ちなみにムクロジは袈裟を洗うために仏教と一緒に来日し、
戦後辺りまでは使用してました。
現在でも旧河川などに生えてる所もあります。
0105人間七七四年2008/03/01(土) 11:26:18ID:3wweDoXD
w
そうだよね……黒文字が石鹸代わりになるのかと
すげえびっくりしてたとこだ。
0106人間七七四年2008/03/01(土) 13:01:21ID:2F0Xq/XY
ロン毛着せ替え女もどき上杉政虎(風鈴)
0107人間七七四年2008/03/01(土) 13:05:43ID:2F0Xq/XY
ハゲでぶホモひげ坊主…武田信玄
0108人間七七四年2008/03/02(日) 18:32:35ID:WvGncnMs
突撃女房を持つ富山の名無し・神保長職

>>107
信玄ってデブだったのか?w
0109人間七七四年2008/03/05(水) 22:08:50ID:U3sFYXJQ
小幡信貞って群馬の田舎国人の癖にかなりお洒落な陣羽織使ってたんだね
0110人間七七四年2008/03/05(水) 22:51:44ID:OikdcoOC
いやあ、関東は金箔銀箔を馬甲に張り付けちゃう様な土地柄ですからw
0111人間七七四年2008/03/05(水) 23:22:05ID:U3sFYXJQ
唐沢玄蕃のあれか
0112人間七七四年2008/03/06(木) 00:57:39ID:BxtwH6J/
んにゃ、北条の着到状。
「馬甲には金箔を張り付けろ、剥がれてたら処罰(意訳」
0113人間七七四年2008/03/10(月) 14:07:02ID:ZnjHkrtZ
武家の婚礼ってどんな感じだったんだろう?
ドラマとか見ていると幼い頃から許嫁が決まってて
顔も見ずに輿入れ、みたいな描写がままあるけど
あらかじめ紹介されて行き来して、みたいな
「おつきあい期間」はなかったのかね。
0114人間七七四年2008/03/10(月) 16:38:45ID:4V+ZJqy4
上層階級の武家ではそういうことはない
結婚相手は政略結婚のため、諸般の事情で土壇場で相手変わることもあったと思われる。

下っ端の武家なら結婚前に顔ぐらいは見たことあったかモナー
つか夜這い結婚だったりしてw(秀吉とねね(おね)はこれだったといわれている)
0115人間七七四年2008/03/10(月) 16:56:14ID:dD/jTQcr
江戸時代の中小級武家は結婚のお試し期間があった。
あと近親婚が圧倒的に多いし、家同士が社会的な運命共同体でつき合いが深いので、
顔見知りだった可能性は相当高いと思うぞ。

戦国期の中小武士だと、
やはり婚家同士の繋がりを期待する場合もあるけど、
利家みたいに家が没落した幼なじみを娶る場合もあるので、
比較的自由が利いたと思う。

大身になると家臣とはいえ政略婚が多くなるだろうけどね。
0116人間七七四年2008/03/12(水) 10:49:33ID:9akCCcDn
>>113
大名クラス同士の結婚で婚前に顔をあわせてる(と思われる)人って

京極高次とお初(幼少の頃ともに小谷城内で過ごす、北ノ庄でも面識?)
宇喜多秀家と豪姫(秀吉の養子養女同士)

くらいしか思いつかない。まぁこの人たちの場合は特殊か。
0117人間七七四年2008/03/15(土) 00:20:05ID:d5ctTWCF
お礼遅れてごめん。
戦国時代とはいえやっぱりある程度以上の格の家だと
政略結婚が普通なんだね。
まあ自由恋愛はないかな?と思ってたけど、
格下の家へ娘を嫁に出すとかもないんだ。

こういう風俗って小説やドラマ見てもあまり描かれてないし
本当よくわからないことばっかりだ。色々教えてくれてありがとう。

0118人間七七四年2008/03/17(月) 20:59:00ID:aSn5fa1Y
武田信玄や織田信長みたく自分の家臣に娘を嫁がすって例はあるが。
0119人間七七四年2008/03/17(月) 23:48:46ID:bf12IUP/
今川義元や北条氏綱もやってる手だな。
というか結構メジャーな手段だよね。
0120人間七七四年2008/03/18(火) 07:44:23ID:stXISh+u
信玄は敵対していたとか裏切りそうとかっていうのに嫁がせたけど
信長の場合は褒美って感じだよな
そのあたりにはあまり恋愛は混じり得ない気がする
0121人間七七四年2008/03/26(水) 12:23:15ID:MMIdHQFO
冠婚話のあとに葬祭でごめん。
この時代(というか今でもそうだけど)、
墓地(草場?)は村や町からは離れた場所にあった、でおkですか?
また古くは風葬が行われていたそうですが、戦国時代の主な方法は
やはり土葬でしょうか?

0122人間七七四年2008/03/26(水) 23:37:35ID:mKQD9BDW
荼毘に付す、と有る場合は火葬。
細川幽斎なんかは荼毘に付されてる。
0123人間七七四年2008/03/27(木) 13:18:53ID:5FIJLJpz
禅宗系は荼毘に付す場合が多いように思う
0124人間七七四年2008/03/27(木) 16:01:11ID:DgSvKxoE
火葬はエライヒト、土葬は庶民のイメージがあるけど
そうでもないのかな。
そういやこの時代、信仰ってどのくらい盛んだったんだろう……
0125人間七七四年2008/03/27(木) 16:41:27ID:b1PTXM85
戦国時代を通して一向宗のあばれっぷり
京ではその一向宗と互角に争った法華宗
戦国時代後期に海外より乱入したキリシタン

今の日本人よりずっと信仰熱心です
熱心が過ぎて今のイスラム過激派より危険かも知れない 本当に(ry
0126人間七七四年2008/04/09(水) 00:46:59ID:2iXO1UIl
上で結婚の話が出てるので、ついでに教えて。
この当時の婚礼って花嫁の輿は夕刻に出立だよね?
これ遠方の場合もやっぱり夕刻出立?
だとすると夜を徹して歩くの?
それともどっかでやっぱり一泊するの?
その時打掛は着っぱなし?
0127人間七七四年2008/04/22(火) 04:28:35ID:imzn78XM
>>126
当時の結婚については地域や身分によってバラツキがあったといわれている。
主な種類は嫁入り婚、婿入り婚、足入り婚など。
結婚式自体も一日ではなく三日間。自分が読んだ本によると
武家に多かった嫁入り婚の場合、
初日は夜に相手方の家に入って身内近しい親類だけが集められ
彼らの前で杯を交わしてそのまま床入り。
二日目は仏壇参りしたり一門衆や重臣などへ披露目と挨拶。
三日目に今で言う披露宴にあたるものがあって身内や一門以外の人に
お披露目でこの時嫁ぎ先が用意した色のある着物に初日以降初めて
袖を通す。(これがお色直しの本当の由来らしくそれまでは白い着物だけ
だったらしい)
なぜ三日かというと平安時代の婿入り婚の風習(3日通って結婚したと
みなされる)の名残らしい。

花嫁の輿が夕刻に経つというのは結婚式が夜行われたためだから
遠方などはそれに限らず。ただ、夕刻〜夜に入るのが習慣だったため
きちんと調整はなされていたようだよ。
夜は凄く危ないから歩かない。山賊などに襲われたら洒落にならない。
だから夜は宿を手配したりしてそこに泊まって、明るくなったら
また移動の繰り返し。
打掛についてはそういう記録がないからよくわからんけど
遠方に行く場合は輿に乗る時でも旅衣装だったともいわれるし
腰巻みたいな着方もあったし打掛といっても当時の打掛は
江戸以降の打掛と違ってかなり軽く仕立ても袖が短めだから
長く着ていてもそんなに苦痛ではなかったんじゃなかろうか?
輿の中で袖を落とすぐらいのこともできるだろうし。
0128人間七七四年2008/04/25(金) 15:47:19ID:O8cvH4Fc
ありがとう
このスレちょっと前に専ブラでエラー出てたから
落ちたのかと思ってた……

>初日は夜に相手方の家に入って身内近しい親類だけが集められ
>彼らの前で杯を交わしてそのまま床入り。
>二日目は仏壇参りしたり一門衆や重臣などへ披露目と挨拶。
>三日目に今で言う披露宴にあたるものがあって身内や一門以外の人に
>お披露目でこの時嫁ぎ先が用意した色のある着物に初日以降初めて
>袖を通す。

もし良かったらどの本か教えて貰えますか?
自分が読んだ「中世武家の作法」では
婚礼の夜は新郎新婦と給餌の侍女だけとあり
舅や一門との対面は三日目と読めた。
色直しについては同じ。
時代が違うのかも知れないね。
0129人間七七四年2008/04/25(金) 21:49:13ID:E/idthjs
地域差もありそうだしね。
俺も興味有るから、是非127には返答して欲しい。
0130人間七七四年2008/04/27(日) 18:59:50ID:rspcRDLP
九鬼水軍の旗印の文字が「あろは」に見えてワロタw
0131人間七七四年2008/04/30(水) 00:04:48ID:s0NZgXK+
これか
http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1i/img/024.jpg

このスレ住人的には九鬼水軍ハワイ発見説を提唱しておくかw
0132人間七七四年2008/05/06(火) 23:28:47ID:V2dBm9mH
戦国時代のホモの話はよく出るが、当時はレズの方はあったのかな?

>>131
俺には「あ〜は」に見えるw 『永ちゃん信者説』も入れてくれw
0133人間七七四年2008/05/06(火) 23:47:14ID:6k25sZSR
戦国時代の武家の奥方は江戸時代の大奥ほど極端な閉鎖空間ではなかったようだから
習慣的なレズはいなかったんでは無かろうかと予想

もちろん真性のレズな方はいつの時代でもいらっしゃるかと思います。
0134人間七七四年2008/05/07(水) 21:29:43ID:MBqVhdaC
そういやレズの話とか聞かないな… 記録やら無いのかもw
0135千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y 2008/07/28(月) 01:11:51ID:Mu4N5H+w
ちょっと戦国時代からずれるけど、姫路城の千姫人形が髪を結っているのって
おかしくない?
庶民ならともかく、将軍家に生まれたような身分の高い姫が江戸時代初頭の頃に
既に髪を結いあげているなんて変だと思う。
0136人間七七四年2008/07/28(月) 12:12:42ID:5atP7jH9
茨城県の千姫の菩提寺にある「千姫の肖像画」といわれている物を参考にしているんだと思われ
http://www.city.joso.lg.jp/uploads/photos0/17.jpg
0137人間七七四年2008/07/29(火) 06:01:07ID:XPxuX4ny
>>136
中性的でかわいいね
0138千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y 2008/07/31(木) 19:15:45ID:a6oGl1FC
>>136
ありがとう。人形の姿は本当にこれとそっくりだね。
もしかするとこの絵もお市の方の肖像画や伝淀君画像の絵みたいに
没後に描かれたものなのかな
0139人間七七四年2008/11/01(土) 01:25:55ID:q7kg7fQ3
>>127
すごく遅すぎるけど自分も>>128と同じく
どの本か教えていただきたい
0140人間七七四年2008/11/04(火) 03:03:57ID:lvSfAtDW
戦国資料館みたいなとこで見た、トイレットペーパーがわりのお尻棒にびっくりした。
(荒縄かなんかでこすりおとしてたのかなって勝手に想像していた)
へらみたいなのなら、これでウンコをこそいでたんだなって想像しやすいのだが
なんか割り箸みたいだった。あれで肛門まわりのウンコをきれいにそぎ落とせるのか?
バランス崩したら肛門にブッスリ刺さりそうだ。
有名な武将でお尻棒を使っていたとなると、紙で尻を拭けるのは天皇や将軍くらい?
0141人間七七四年2008/11/04(火) 07:19:43ID:PkBOXgyP
>>140
さすがに荒縄でこそげると、いくら頑丈な皮膚してても慢性痔炎になってしまうと思われw
0142人間七七四年2008/11/07(金) 01:23:17ID:ewBf79HG
能って、すごくゆっくり喋っているように感じるけど、
戦国時代の人もあんな感じにゆっくり喋っていたのかな?
0143人間七七四年2008/11/07(金) 17:44:43ID:/OHXV1hu
>>140
棒ペーパーは籌木ちゅうぎ、ですね。飛鳥時代には使われていたようです。
モモソヒメが夫が蛇である事に気づいて驚いて腰を抜かしたところ箸でアソコを突いて死んでしまった。
と古事記にあるが、これは籌木ではないかとする説があるそうですよ。

>>142
武士はゆっくりはしゃべってなかったのでは?
早飯早グソが理想ってくらいですから。
0144人間七七四年2008/11/08(土) 01:21:56ID:phj29gQm
時間の感覚と話すスピードは比例していると個人的に思っている
例えば都会の人のほうが、あるいは金融業界の人のほうがそうでない人に比べ
話すスピードが速くなりがち(個人的な印象ですが)
というわけで馬が最速だったこの時代、今から比べるとゆっくりした話し方だったのでは…
0145人間七七四年2008/11/08(土) 17:58:33ID:SNGJxExE
戦国時代の衣食住・・・風習全般でお薦めの本があれば教えて下さい。
武家に限らず農村・街の様子も知りたいです

本屋で図説を見付けても、平安・江戸ばかりで切ないorz
0146人間七七四年2008/11/08(土) 22:17:34ID:krpK2Y6p
>>142-144
ところが、能は現在の3倍速で上演されていたという説がある。

当時の日記等を見ると、今では考えられない程大量の演目を一日でこなしており、
その上演時刻等から計算するとそのスピードになるそうな。

しゃべり方も現在の平板口調ではなく
当時の京言葉のアクセントであったという。
こちらは能を習っていたとある田舎者がいちいちアクセントをメモっていたことから
判明したそうな。


で、そんな「秀吉の見た能を再現する」て企画の映像を見てみたんだが
かなりノリノリな舞台。正直な第一印象としては
ttp://www.hikkoshi-sakai.co.jp/cm/
↑の最下段左の「エレベータ篇」だった。
秀吉が好きそうではある。
0147人間七七四年2008/11/08(土) 23:41:46ID:qOkrVdaC
へぇ、それは面白い
0148人間七七四年2008/12/02(火) 01:36:06ID:6k9AU0yF
ほんと、面白い説だなあ
あと、やっぱり京言葉が標準語だったんだね
今の劇でも一般的には方言を使わないようなもんということだよね
その映像見てみたいなあ
0149人間七七四年2008/12/06(土) 23:21:24ID:A6mqTnKs
>>148
昔、ケーブルTVでやってた「放送大学」で見たんだが
ちょっと調べたところ、当面再放送やweb配信の予定は無いようだ。

「秀吉が見た能 〜卒都婆小町の復元〜」
でググると若干資料が出てくるけど
販売ビデオは\20,00だとか……

(それと上演スピードは今の3倍速ではなくて2倍らしい。嘘を言ってスマン)
0150人間七七四年2008/12/12(金) 17:11:35ID:cTeOYclt
>>149 情報ありがとう!
ブログなんかに載っている感想をみると、娯楽的要素が強く感じられるようだね
楽しく観られるものの感性はそんなに変わってないのかもね
再放送を待つとしよう…
0151人間七七四年2008/12/28(日) 19:11:55ID:LTpbX4Vf
能というよりはもはやコントだな。
0152人間七七四年2008/12/30(火) 18:08:43ID:fCHwHQi1
だがその一方で、能でしかできないことの凄さというのもある

こちらは秀吉セルフプロデュース能「柴田」の台本
ttp://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yob16.txt
どんなもんかと思って読んでみたら
エンターテイメントであり、かつ政治的プロパガンダでもあり、その上
死者への鎮魂をテーマとしつつお市の方萌えまでもが織り込まれた恐るべき芸術作品だった。
てんか様スゲーよ。
0153人間七七四年2009/01/15(木) 23:59:57ID:FTkBYL6J
能って当時の言葉や風俗を理解するためにもっと学んでみたい
でもいまいちおもしろいと思えないんだよね…
歌舞伎は結構な割合で楽しく観れるんだけど
0154人間七七四年2009/01/18(日) 13:17:55ID:vB2+C35y
>>153
言葉や風俗なら断然、狂言のがよくないか?おもろいし。

能も演目次第では全然つまらんのは確か
立ち回り系の五番目物や源平系はたいてい面白いが
0155人間七七四年2009/03/27(金) 22:16:30ID:0YXSHewQ
半袖の上着あるじゃん? 創作では身分低めの人が着てるやつ。あれなんてーの?
0156人間七七四年2009/03/28(土) 01:29:04ID:aqrCZ4Vn
このスレまだあったんだな〜w

>>155
なんだろう…?  
0157人間七七四年2009/03/29(日) 02:28:05ID:XCFH8vSE
>>146
3倍速というのは興味深い。

自分的には、現代のあのゆっくりさは勿体つけてる・・・というか、
武家の式楽となり、民衆には無縁のものとなったこともうけ、
高尚で幽玄の世界を強調しようと、だんだん遅くなったのでは?
などど憶測。

でも同じ芸能のなかの平家琵琶だけど
薩摩などではなく古い曲調を伝承しているとされる流派を聞くと
もうとーっても遅い遅い。現代能楽なんてまだ早く感じるくらい。
「祇園精舎の鐘の声」だけでも1分間以上かかったするので
やはり昔々の芸能はそういうモノだったのだろうか・・・とも思う。

0158人間七七四年2009/04/12(日) 07:16:55ID:VBaXH66I
>>155
半臂(法被)じゃね?
0159人間七七四年2009/07/22(水) 20:41:42ID:ZNOpOFaH
鎧直垂と普通の直垂ってどう違いますか?
鎧直垂のほうが金銀の糸使って豪華に見えるぐらいですかね。
構造や材質の違いみたいなのはあるのかな。

この写真のは鎧直垂ですか?
http://deai.mokuren.ne.jp/up/src/up0744.jpg
0160人間七七四年2009/07/23(木) 04:04:58ID:8JGMJkyq
>>159
鎧直垂は通常の直垂に比べて、運動性を良くする為袖口が狭くなっている。
その画像はおそらく鎧直垂だね。
0161人間七七四年2009/07/23(木) 23:28:56ID:6NvEwQwp
>>159
かっこええな。
0162人間七七四年2009/07/25(土) 03:22:09ID:/eDLlJ+l
京都の西本願寺の近所にあった「風俗博物館」の絵ハガキがとても優秀で、
色んな時代の衣裳の変遷を人形にしてて考証的にも優れてたんだけど
今はすっかり源氏物語の世界のみになっちゃったから、残念。

いや、あの源氏の世界を表現も素晴らしいんだけどね。
0163人間七七四年2009/07/25(土) 10:28:36ID:A4fCxlZC
>>159
これって大鎧の下に着る奴?それとも当世具足の下着?
0164人間七七四年2009/07/25(土) 10:39:17ID:VGBg7LRJ
>>163
当世具足の下にも着ない事も無いが、当世具足の場合基本は具足下着だな。
0165人間七七四年2009/07/25(土) 12:38:26ID:2O4W36Dz
少なくとも、天地人のカツラはあり得ない!
0166人間七七四年2009/07/26(日) 08:10:22ID:u1BkhfKd
羽織は室町末ぐらいに現れて、その後ひろく用いられるようになるのだが、あれはヨーロッパ人が持ち込んだ上着を改良したものではないか。
それ以前には上半身だけを覆う服は、日本にはなかったように思うのだが。
0167人間七七四年2009/07/26(日) 23:29:26ID:/Ghimxaf
陣羽織は西洋人が持ち込んだ服がモデルだっけ?
0168人間七七四年2009/07/26(日) 23:48:09ID:2veQVmo1
上野あたりにもかなり洋風な陣羽織が浸透してるあたりが凄いな
0169人間七七四年2009/09/10(木) 20:06:29ID:9mAFEbD3
鎧って源平の頃と比べるとどれくらい違うのかな
0170人間七七四年2009/09/10(木) 21:16:07ID:3XCFTtFy
ドラマとかじゃ平安時代も戦国時代も素人目には
鎧の違いがよくわからないね。

しかし源平の戦って関ヶ原の約四百年前?
関ヶ原の四百年後は今だから、それを思うとすごい。
0171人間七七四年2009/09/12(土) 21:40:30ID:G5fEj6RR
>>169
別物。戦国期の当世鎧は源平武者の大鎧からではなく、雑兵などがつけていた
腹巻から進化したもの。
0172クソババア2009/09/30(水) 00:39:38ID:WqI8/bQi
女子の髪型の変遷が気になる。
いつから垂れ髪が結いあげた髪型いわゆる日本髪に変わっていくのか。

織豊期〜江戸中期頃の絵巻物なんかを見ると、過渡期だったみたいで、
庶民の中にも垂れ髪の人と簡素な結髪の人が混在してる。
もっと時代が下っても、普段は結っていても改まった場では垂れ髪だったり
するらしくて、面白い。
0173人間七七四年2009/09/30(水) 01:25:46ID:PHkTvMbk
月代剃る習慣は平安時代ころからあったらしい。
ただ、戦の時に兜をかぶる頭が蒸れないためで、戦が終わればまた伸ばした。
一般庶民が剃りだしたのはいつ頃なんだろうか?
農民とかも現代人が髭を剃る感じで頭剃ってたのか?
あと、幕末の写真見ると武士の2〜3割位は総髪だよね。
総髪はどんな位置づけだったんだろ?
0174人間七七四年2009/09/30(水) 01:33:30ID:uSEJmET2
戦国及び江戸時代の風俗って
本番NGですか?
0175人間七七四年2009/09/30(水) 03:36:17ID:OCBB9Ev5
>>173
> 一般庶民が剃りだしたのはいつ頃なんだろうか?

江戸時代。武士の風俗が庶民にまで広まった。
あと総髪に関しては、それこそ人それぞれって感じだったらしい。
ただ、月代は手入れに手間がかかるので、月代をそっていたほうが「きちんとした身なり」と
見られたのは確からしい。
0176人間七七四年2009/10/05(月) 23:29:56ID:u1Len+A8
戦国時代頃の着物って身幅が広くて帯が紐みたいに細いよね。
袖は短くて小さいし・・・
ああいう点を忠実に再現してる創作物ってあんのかしらん
0177人間七七四年2009/10/06(火) 00:07:52ID:ZqPIOsMo
大河板で話題になったんだけど「天地人」で上杉の連中に
平安時代(?)の直垂を着せてるそうなんだけどそれってあり?

>上杉家の人々は、他家の武将たちとは少し違い、流行遅れの直垂を着て正装している。
>ちなみに、彼らが着ている直垂は平安時代のもので、独自の文化を大切にし、流行に
左右されない家風が表現されているのだ。
http://www9.nhk.or.jp/taiga/topics/catalog04/cata04_01.html

いくら文化の変化が緩慢な時代だからって四百年前の服装できるもんか?
流行遅れとかってレベルじゃないよね・・・
0178人間七七四年2009/10/06(火) 01:26:40ID:YCQ7ef3c
>>177
平安時代はいいすぎだな。
それに出ているような直垂は鎌倉後期から戦国前期くらいまでのものだよ。
0179人間七七四年2009/10/06(火) 08:44:24ID:/GHU4nUM
でも上のと同じようなのを義経にも着せてるNHKだった。
http://blog.shop.ishidaya.biz/images/hitatare2.jpg

裾に白い紐を通したのは、義経が陣中で用いたということから
「義経袴」というそうだけど、それなら平安時代の武士階級が
すでに普段着てるのも変だな。
0180人間七七四年2009/10/07(水) 14:35:38ID:krlH7wVo
>>174
ちょい亀レスだがルイス・フロイスの手記から。

日本では娘達は両親に断りも無しに幾日でも外出する。
尼僧院は殆どが淫売婦の巣窟となっていて、彼女等は時々陣立てに出かける。
日本の女性は処女の純潔性を重んじない。
それを欠いても名誉を失わず、結婚にも支障がない。

フロイスには日本はフリーセックス大国に見えたんだな。
0181人間七七四年2009/10/09(金) 15:06:56ID:jx7jji46
>>180
夜鷹が布切れを頭にかぶってるのを見て尼僧と勘違いしたのかな?
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