2〜3版前の大阪書籍の中学校の教科書の裏表紙に、「山麓や丘陵地に住んで
いた日本人が、平野に田畑を作って移り住んできたのは戦国時代から」と図示
してあった。これは、西国ほど早くて、戦国時代は東海までで、関東は、
江戸時代以降だ。

 織田家のエイリアン的なパワーの源はこれだ。濃尾平野の拡大しつつある生産力が
国人・地侍層の暴力的強欲さを産んだのだろう。そのリーダーが信長なんだな。
 さらに、近江平野もすごい。

 晩年の毛利元就や小早川隆景の消極性は、この平野部パワーに欠けたことも
大きな一因ではないか。広島平野では、日本統一のエンジンになれないのでは
ないかな。戦国大名は、国人・地侍の連合体だから、彼らの気風とそれを形成
する生産力に左右される。また、それを読める者だけが有能なんだな。