【若狭】武田氏総合スレ上総】
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0001人間七七四年
2007/06/25(月) 23:48:49ID:BdDgfX71若狭にだって、上総にだって、安芸にだって武田氏は栄えていた。
武田高信のことだって時々で良いから思い出してあげて下さい
0002奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/25(月) 23:59:52ID:la8kF5Ui0003人間七七四年
2007/06/26(火) 00:12:45ID:uT8ajMrSだが、気を取り直して。
庁南武田氏の最後の当主武田豊信は、武田信玄の三男というのを
しばしば見るんだが、信玄の三男って夭逝してなかったっけ?
0004宇喜多直家信者
2007/06/26(火) 02:52:32ID:DY6XfkJQ甲斐武田氏
安芸武田氏
若狭武田氏
因幡武田氏
上総武田氏
仙台藩士武田氏
水戸藩士武田氏
医家武田氏
土佐武田氏
これら皆全国に散った清和源氏武田氏の一族、いやはや・・・
0005宇喜多直家信者
2007/06/26(火) 03:44:03ID:DY6XfkJQ武田信玄3男は信之だな。1561年ぐらいに11歳で夭折してる。
この信之が秀吉に攻められ1590年自害した上総武田豊信と、
同一人物である、と上総武田氏系譜に記されてるらしい。 しかし信じるのはなかなか難しい・・・らしい。
不勉強なので、これ以外のこの事に言及してる資料は
知らない、すまん・・・
ただ仮に武田豊信=武田信之とすると、甲房同盟がもっと面白くなるんだが…
0007人間七七四年
2007/06/26(火) 07:26:39ID:G36a08cw0008人間七七四年
2007/06/26(火) 10:13:13ID:j0v4pMxB伝承では仁科盛信が、息子を逃がす際に武田豊信が実兄であるとして
頼ったという話もあるらしいな
0009人間七七四年
2007/06/26(火) 10:17:55ID:j0v4pMxB連投すまぬ
そうなると、信玄と里見の同盟を、信玄の息子が仲介した形になるんだよな
0010人間七七四年
2007/06/26(火) 12:29:39ID:YK3NSGo3http://www.amazon.co.jp/gp/product/4404034202/
0011人間七七四年
2007/06/26(火) 13:53:54ID:Iv6wkHHB本家以外の武田家を語ろう!
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160787455/
0012人間七七四年
2007/06/26(火) 16:08:02ID:kGMBkxzcそう。
史実でも、同族ということで武田信玄が庁南の武田豊信に仲介を依頼したらしい
0013人間七七四年
2007/07/26(木) 16:19:08ID:7glj90qq0014人間七七四年
2007/07/27(金) 21:30:44ID:dFPSaPLO0015人間七七四年
2007/07/27(金) 22:08:56ID:ZjZqg5yD見た事が有るんだが。
0016人間七七四年
2007/07/27(金) 22:26:08ID:TbrJDgP5若狭武田氏との合流を目指していたため、と言う説があるがどうなんだろ?
実際今川が滅びると日本海ルートはさっさと放棄してしまったようだが。
0017名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 11:35:55ID:cUsgyw1k北信の領有を巡って謙信と対立していただけで、
武田氏は北信制圧に失敗している
0018人間七七四年
2007/07/29(日) 22:58:09ID:J2toWhmF0019人間七七四年
2007/07/29(日) 23:13:32ID:J2toWhmF0若狭武田氏は、「殺 佛 殺 祖」の教えを説く臨済禅を信仰されていたのかも知れぬ。
0020人間七七四年
2007/07/29(日) 23:17:45ID:J2toWhmF0やはり、海を持っているという事は商売にも戦にも有利です。
0021人間七七四年
2007/07/30(月) 00:33:09ID:KVjA3sSx0022人間七七四年
2007/08/28(火) 01:07:27ID:neoqShVP0023アステカイザーvsガンバロン
2007/08/30(木) 17:45:05ID:eoqJCjEe0024人間七七四年
2007/10/09(火) 22:25:45ID:TtmNCgL/0025人間七七四年
2007/10/10(水) 00:25:06ID:yxNO4mi60026人間七七四年
2007/10/10(水) 00:27:46ID:RsAz88+/0027人間七七四年
2007/10/10(水) 01:19:39ID:y1EJLS8f始祖である武田信武についてここまでコメントがゼロってどういう事?
武田といえば信玄より石和五郎よりも断然信武でしょ。
0028人間七七四年
2007/10/10(水) 10:02:22ID:VT3XZ3SH0029人間七七四年
2007/10/26(金) 13:45:59ID:2ls9XleO0030人間七七四年
2007/10/26(金) 15:36:34ID:wOqwDUft実際の所、遠縁の同族と交流とかあったのかな?
畠山みたいに本家と分家とかなら、合流論とか出てもおかしくないけど。
0031人間七七四年
2007/10/27(土) 00:14:27ID:Loqjy/FVこれだけじゃ根拠は弱いが多少の交流はあったのかも。
0032人間七七四年
2007/11/13(火) 14:05:32ID:SbqYkxVR0033人間七七四年
2007/11/30(金) 17:11:54ID:Y+SAZgg50034人間七七四年
2007/11/30(金) 21:58:32ID:Cvt5mF0b甲斐は15世紀〜16世紀初頭にかけては動乱の時代。
一族内で覇権を巡って抗争を繰り返し、関東に手を出したりしてはいるが、
甲斐一国すら治まっていない状態。
漸く安定を見るのが信玄の親父である信虎の代の治世終盤。
若狭は15世紀を通じて基本的に細川京兆家と結託して安定した時代。
しかし16世紀初頭以後頼みの細川氏が内乱により衰えると、
当然煽りを受けて衰退の道を辿るようになる。
安芸は分郡守護に過ぎず、若狭の分家としての立場でしかない弱小勢力。
さらに応仁の乱の西軍方であった大内氏が周防、山名氏が備後にいたため、
勢力を保持するのでやっとの状態だった。
格ってのが何を指すのかはわからないが、
中央政権が頼みにしたのは甲斐の武田ではなく、若狭の武田。
武田氏からすると嫡流筋の甲斐>若狭>安芸だったろうが、
幕府から見ると若狭>甲斐>安芸なのは明らかだろう。
0037人間七七四年
2007/12/22(土) 19:31:54ID:627Moq7x>>33の指す安芸武田氏が氏信〜信繁の前期安芸武田氏を指すとは思えず、
元綱〜信実の後期安芸武田氏を指すと思われるので、安芸守護時代は無視した。
前期安芸武田氏は若狭武田氏の安芸在住時代とも言われる。
武田氏の安芸統治時代は三期に分けられ、
前期は鎌倉時代、中期は若狭守護獲得以前、後期は若狭守護獲得以降
となる。
0038人間七七四年
2007/12/31(月) 13:19:23ID:U/n+27iU若狭武田氏の兄弟らしい
母は六角氏らしい
0039人間七七四年
2008/01/21(月) 15:06:09ID:etxp1msU0040人間七七四年
2008/02/03(日) 13:30:57ID:E4YYH2oA本能寺の変で明智方についたのは、義統の子・元明。
0041人間七七四年
2008/02/17(日) 13:20:53ID:PrL26V3B0043人間七七四年
2008/02/20(水) 06:30:15ID:NzMY3y1l0044>>41ですが
2008/02/29(金) 16:08:29ID:6n5p8vs50045人間七七四年
2008/03/05(水) 05:37:56ID:iJ8hl6Zj戦国最強だろうな。
0046人間七七四年
2008/03/08(土) 07:43:46ID:MajhIyln0047人間七七四年
2008/03/08(土) 09:13:59ID:3pHRgOtG0048人間七七四年
2008/03/24(月) 15:31:29ID:ZvcuUJeq0049人間七七四年
2008/03/28(金) 15:53:41ID:ySgCtRdz同意
0051人間七七四年
2008/04/16(水) 15:08:43ID:1k92Rx520052人間七七四年
2008/04/30(水) 16:17:07ID:tocvD0PN0053人間七七四年
2008/05/16(金) 13:57:52ID:VwxIsYmM0054人間七七四年
2008/05/25(日) 20:13:04ID:HqjERy97いました。京に近く幕府とも繋がりの深かった若狭なら、たしかにそうだろうと思いますが。
0055人間七七四年
2008/05/25(日) 20:20:39ID:HqjERy97甲斐家の譜代の板垣信方などと同族なんでしょうか?
0056人間七七四年
2008/05/26(月) 01:17:02ID:EsUUFVdk板垣氏・一条氏・飯富氏は甲斐のそれと同族と思われる。
信光・信時・信武・氏信のいずれかの安芸守護時代に安芸に下向し、
土着して勢力を敷衍させたものだろう。
伴氏は安芸武田氏の分家。「伴」は安芸国沼田郡にあった地名。
ほか、山県氏に関しては同族ではあるものの、由来は一条・板垣・飯富らとは異なる。
12世紀に美濃から安芸に下向した人物を始祖とするのが安芸山県氏、
14世紀に美濃から甲斐に下向した人物を始祖とするのが甲斐山県氏で、
両者とも美濃山県氏の分家に当たる。
0057人間七七四年
2008/05/26(月) 01:18:59ID:v1bgB2Ac山縣有朋の山縣氏と飯富昌景が継いだ山県氏も同族な気がする。
有朋の先祖が安芸武田家臣でその後毛利に仕えたってのは地理的にありえそうだし。
まあ根拠はないですが。
0058人間七七四年
2008/05/26(月) 13:47:25ID:9pCVVRZf将軍御側衆を勤めていたからでしょうが、甲斐や安芸とは違い、どこか洗練されたイメージが
ありますね。
0059人間七七四年
2008/05/27(火) 20:23:45ID:w9KfnQQx義統以降はそれどころじゃなかったらしいけど
0060人間七七四年
2008/05/31(土) 15:23:58ID:Bo7oUSTZ信豊も晩年は連歌などをしてすごしてたらしいしね。
そういえば、木下勝俊・利房の実父が武田元明って話の出展って
なんだろうな?時々「木下家に伝わる」みたいなことを言われてるのを
見るけど。
(そういえば、勝俊も歌人として有名だなあ)
0061人間七七四年
2008/06/12(木) 08:45:04ID:6cv/uj6J武田信玄が上杉−北条の「越相同盟」に対抗して、
安房の里見との「房甲同盟」を結ぼうとした時に、
上総武田氏(庁南家)の武田豊信に仲介を依頼してる。
この武田豊信っつーのは信玄の三男という説もあるんだけど、俗説の域を出ない。
0062人間七七四年
2008/06/12(木) 12:54:17ID:mVF7Djd0同族と言うことで、付き合いがあったのかな?
0063人間七七四年
2008/06/16(月) 17:01:15ID:bL9MyST/一因を作った小弓公方足利義明のパトロン武田三河入道恕鑑(信保)。この人の子供の
たちで跡目争いが第一次国府台を生んだ。
0064人間七七四年
2008/06/24(火) 15:09:58ID:I0faMHgZ0065人間七七四年
2008/07/07(月) 15:59:48ID:lKsn8Lo/0066人間七七四年
2008/07/08(火) 22:59:37ID:o9CyaYJQ一色氏を丹後一国に追いやったわけだから
さぞ仲が悪かったろうね
0067人間七七四年
2008/07/08(火) 23:33:36ID:PHkdP154若狭武田のバックには幕府やら細川やらがついてるから
一進一退のグダグダ展開に
0068人間七七四年
2008/07/16(水) 15:15:17ID:2CtcEbZaわけだ。だから、一族の逸見氏が謀反を起こしたときに朝倉氏が鎮圧に協力したんだね。
0069人間七七四年
2008/07/26(土) 02:58:46ID:74QoXQlX0070人間七七四年
2008/07/29(火) 18:29:30ID:JV+KC0x5庶流が真里谷)。
0071人間七七四年
2008/07/29(火) 18:32:17ID:JV+KC0x50072人間七七四年
2008/07/29(火) 21:14:28ID:GFvbABJR0073人間七七四年
2008/07/29(火) 22:18:22ID:33Nfjn1P0074人間七七四年
2008/07/30(水) 12:52:55ID:r1pz+OeC0076人間七七四年
2008/08/01(金) 23:45:08ID:UWxhccKW0077人間七七四年
2008/08/02(土) 09:14:28ID:QwgH301c血統で嫡流が決まるなら、こんな楽なことはない
0078人間七七四年
2008/08/02(土) 21:14:30ID:tM1lOMBtアホだな。嫡流か否かは血筋で決まるに決まってんだろ。
家の勢力の大小は嫡庶とは別問題。
もうちょっと調べてから物を言え。
0079人間七七四年
2008/08/03(日) 03:23:50ID:TljYO3Cq血筋上では直系の子孫であっても嫡流じゃない人物
血筋上では傍系の子孫なのに嫡流である人物
こんなのゴマンといる
0080人間七七四年
2008/08/03(日) 11:31:17ID:4ULN//az0081人間七七四年
2008/08/04(月) 19:18:01ID:eeqUwACI0082sage
2008/08/05(火) 12:07:08ID:e1J1hJDW全然情報ありませんね・・・。
0083人間七七四年
2008/08/06(水) 14:25:58ID:UtyJmO3F唯一実力者として真里谷の武田恕鑑(信保)が親父の信勝(信嗣)とともに「上総守護、真里谷城主、
生実(小弓)御所執権」として資料にでるくらいで、あまりよくわからない。本家である庁南の武田宗信
(公方高基派)とも対立してたようだが。地元千葉の人で詳しい方いらっしゃいます?
0084人間七七四年
2008/08/06(水) 20:32:01ID:fhdjsq6x0085人間七七四年
2008/08/11(月) 11:01:29ID:XQQHj2Cu0086人間七七四年
2008/08/11(月) 18:00:23ID:tIwMb4Hz0087人間七七四年
2008/08/13(水) 01:48:56ID:1yELIB1i0088人間七七四年
2008/08/26(火) 15:38:01ID:lWBygrjP0089人間七七四年
2008/08/27(水) 07:45:18ID:Xy1Ox7Ny0090人間七七四年
2008/09/05(金) 15:20:27ID:ecbeUZF/0091人間七七四年
2008/09/22(月) 14:27:03ID:0QdpwvVO0092人間七七四年
2008/09/22(月) 14:40:41ID:+qRnqCKu0093人間七七四年
2008/09/25(木) 13:53:40ID:cs4aPgk90094人間七七四年
2008/09/25(木) 16:36:57ID:Uu9VRSnv0096人間七七四年
2008/10/02(木) 14:55:46ID:KTA94XJ3感じました(特に安芸家)。乏しい資料をよく集めたという作者の執念に脱帽ですが。
0097人間七七四年
2008/10/02(木) 18:03:50ID:isTnq6Ym銀が産出されるなんて話は生まれてから一度も聞いた事無いんじゃけど
0098人間七七四年
2008/10/02(木) 20:40:37ID:6hMyKssS0099人間七七四年
2008/10/03(金) 03:48:30ID:Y/6KAob70100人間七七四年
2008/10/03(金) 03:51:14ID:TCBnlzsQ大森銀山で有名な銀鉱脈があの辺には通ってるみたいだから、平安時代以前は産出したのかもしれん。
江戸時代の民話では既に今は昔のこととして語られてたような気がする。
0101人間七七四年
2008/10/03(金) 18:17:28ID:6x6r8xel子供の頃に水晶は時々拾って帰ってたんじゃけどなんで銀山って言うんか不思議だったんです
0102人間七七四年
2008/10/16(木) 13:57:56ID:qGU38Xci0103人間七七四年
2008/10/29(水) 15:08:48ID:jd8g5iBc0104人間七七四年
2008/11/11(火) 15:01:03ID:Q1nDgKn70106人間七七四年
2008/12/03(水) 14:23:43ID:TCpazuac0107人間七七四年
2008/12/03(水) 20:55:45ID:cPMwGZ920108人間七七四年
2008/12/03(水) 20:57:04ID:cPMwGZ92郊外型でした
0109人間七七四年
2008/12/04(木) 15:29:05ID:AJeAFNFi0110人間七七四年
2008/12/04(木) 20:24:16ID:hkKXrRci削りまくっているけど
0111人間七七四年
2008/12/05(金) 00:46:46ID:ZoyvaaQa0112人間七七四年
2008/12/05(金) 01:15:29ID:XK0VSYAz0113人間七七四年
2008/12/06(土) 11:55:22ID:n3Dpaby4木下勝俊と木下利房が実子と思うんじゃ!
0114人間七七四年
2008/12/19(金) 15:13:06ID:erYZjTgf0115人間七七四年
2008/12/27(土) 15:29:27ID:8e3CkzgR0116人間七七四年
2008/12/28(日) 06:15:14ID:nEgD/oeK0117人間七七四年
2009/01/09(金) 15:53:34ID:bHNvEW/r0118人間七七四年
2009/01/09(金) 15:55:15ID:bHNvEW/r0119人間七七四年
2009/01/22(木) 15:07:55ID:23Fa1Ljv0120人間七七四年
2009/01/22(木) 21:29:50ID:XbIawkvF鎌倉末期から南北朝初期の安芸武田氏(安芸守護家。後の甲斐武田氏)と
室町中期以降の安芸武田氏は(若狭武田氏の分家)はやや異なるから注意な。
血統は同じなんだが(安芸守護家→若狭武田氏→安芸武田氏)、微妙に違うのだ。
0121人間七七四年
2009/01/26(月) 20:48:04ID:59hs+iX50122人間七七四年
2009/01/26(月) 22:34:17ID:PBHZGadV蠣崎氏は自称では若狭武田氏の出自としている(始祖武田信広)。
但し若狭武田氏の家系図に信広に該当する人物は見当たらない。
もし武田家の血縁であっても、若狭・安芸・甲斐の武田三家のような関係は存在していない。
0123人間七七四年
2009/02/07(土) 14:46:12ID:v88ZJqvv0125人間七七四年
2009/02/13(金) 11:10:59ID:8x3iVA1p若狭武田説は蠣崎松前氏による自称であり、それを証明できる客観的な資料はないのが実情
俘囚説は武田氏出自説を否定する場合によく使われるが、
こっちは状況的な予想でしかなく、資料的な裏付けは存在しないと思った
で、他には南部関係の資料なんかを見ていくと、
蠣崎蔵人の乱に破れ蝦夷地に逃れたとされる蠣崎蔵人を祖とみなす考えも出てくる
この場合も武田氏の流れになるだろうが、傍流にもほどがいう感じ
0126人間七七四年
2009/02/20(金) 00:01:03ID:hYoOSLg20127人間七七四年
2009/02/20(金) 06:46:32ID:GJNIRag/その後も何回か音信を通じているようです
元々小浜は日本海交易最大の拠点でしたから、
交易を通じて蝦夷地との商業的なつながりがあったことは間違いないでしょう
(これを元に蠣崎氏の出自を交易で蝦夷地に出入りしていた商人に求める意見も存在はするらしい)
蠣崎家が使者を送ったのもこの交易からのつながりではないかと思われます
0128人間七七四年
2009/03/04(水) 09:08:29ID:6ok0dzWv神宮寺と言えば、まさに若狭本家が屋敷としても使っていたところですよね?
写真でしか見たことありませんが三門に武田菱の幔幕が掛かってた覚えが。
0129人間七七四年
2009/03/05(木) 18:26:14ID:gbYqiSS50130人間七七四年
2009/03/06(金) 09:39:08ID:Fc960ao30132人間七七四年
2009/03/14(土) 23:36:43ID:ayRGNdEr0133人間七七四年
2009/03/15(日) 08:25:54ID:b8TlFnQA上総地方に勢力をもっていた庁南武田氏、及び真里谷武田氏の人物で
・1582年当時に存命
・諱と多少の事績がわかる人物
上記に該当する人物っていますか?
どちらも最後の当主となった武田豊信(庁南)・武田信高(真里谷)くらいしか
わからなかったので
0134人間七七四年
2009/03/16(月) 08:34:52ID:zP6+JeXy甲斐武田氏の仁科盛信の長男・信正が、甲州征伐から庁南に逃れて来ていたような。
あと、
庁南2代目の宗信の次男・白井信方の息・信勝(5代豊信の後見役)、
庁南豊信の長男・氏信(1590年の庁南落城に際して落去、のちに城下で帰農)、
真里谷信高の長男・勝房(のちに宮原義勝に仕えて下野足利に移住)、
こんなもんでしょうか。
0136人間七七四年
2009/03/18(水) 03:24:15ID:J4MJV/Goそこらの図書館にあるかはわからないけど、
千葉日報社から平成12年に出た永嶋信恒『知られざる甲斐・上総史 戦国大名房総武田氏と信玄』って本が参考になるかと。
定価3千円。
0137人間七七四年
2009/03/18(水) 08:13:42ID:BCtt2xw4以下の論文が上総武田氏研究の最新成果だと思います。
黒田基樹「上総武田氏の基礎的検討」(『袖ヶ浦市史研究』6号、1998年)
0139人間七七四年
2009/03/22(日) 18:49:34ID:vbzrDbYHだれの子ですか?
0140人間七七四年
2009/03/27(金) 02:55:08ID:K07yTQWK0141人間七七四年
2009/04/06(月) 15:46:53ID:7ggq2klS0142人間七七四年
2009/04/07(火) 14:46:47ID:Zvx9zW5pやはり武田の嫡流だったんですかね?甲斐は石和流の庶流だと訊きました。
0143人間七七四年
2009/04/08(水) 17:34:30ID:DuHhDkdS武田の城門だったんですね。
0144人間七七四年
2009/04/08(水) 18:06:25ID:DuHhDkdS代々伊豆守を踏襲した若狭は武田の嫡流で間違いないでしょうね。
0145人間七七四年
2009/04/10(金) 10:36:03ID:gLAkjXMv真里谷は庶流なので致し方ありませんが、その本だと三代武田信保と三河入道恕鑑が別人になってますね。
大抵の本には同一人物(小弓公方足利義明のパトロン、房総管領)とされてましたが。
これは目から鱗でした。
0146人間七七四年
2009/04/11(土) 21:54:33ID:d7ulheaU0147人間七七四年
2009/04/17(金) 16:20:49ID:WtQFNl5p猛将熊谷元直(石田登星氏)がかっこよかった。元直といえば、頼朝の家臣熊谷直実の子孫。
元繁の後ろでたなびく武田菱のノボリが何とも言えません。武田家自体の家臣は福島信之くらいしか
(名も無き郎党役で蛍雪次郎、渡辺哲氏らが出ていたが)出ていないのが残念。譜代の板垣繁保、
伴繁清あたりが出るべきだった。ちょっとスレ違いだな。すまん。
0148人間七七四年
2009/04/17(金) 20:52:32ID:PBEGVdSK0149人間七七四年
2009/04/28(火) 13:30:52ID:ANy+kRkQ0150人間七七四年
2009/05/12(火) 14:12:23ID:RZX3FFD40151人間七七四年
2009/05/23(土) 15:01:07ID:w/I2oP6Z0152人間七七四年
2009/05/23(土) 23:25:35ID:6QXWsQOi見るに耐えられない」とか旨いこと言われて大内に反旗を翻すんでしたよね。あれを言われちゃうと元繁も乗せられざるを
得ませんでしたな。
0153人間七七四年
2009/05/23(土) 23:38:53ID:6QXWsQOi以前に一度小浜へ行ったことありますが、武田関係のものが小浜駅前にも特に無かったもので。
0154人間七七四年
2009/05/25(月) 12:47:41ID:Wa0U6Evy他の武田ゆかりの地に行っても扱いは小さいのが実情じゃない?
0155人間七七四年
2009/05/26(火) 21:01:18ID:RR2CaSyx0156人間七七四年
2009/05/28(木) 17:49:02ID:7tE0ElM8真里谷武田三河入道恕鑑が房総管領(自称だけど)だったのを。
0157人間七七四年
2009/06/08(月) 15:19:57ID:DL1PELQx0158人間七七四年
2009/06/18(木) 15:05:52ID:6/xDBmCG0159人間七七四年
2009/06/22(月) 21:30:45ID:y0Jm4Q3d将軍家と婚姻関係にもあったのにねー
0160人間七七四年
2009/07/03(金) 15:14:10ID:aRyI/uzz0161人間七七四年
2009/07/13(月) 17:45:24ID:VRyygLOk0162人間七七四年
2009/07/15(水) 21:10:16ID:9q4qBK2c隣国朝倉との抗争もあったし、朽木家みたいに避難所でしかなかったのかもw
0163人間七七四年
2009/07/18(土) 09:50:46ID:+819uXMN0164人間七七四年
2009/07/27(月) 06:39:17ID:oPfhJvzI祖先は武田なんだよ、って勢力(旗に武田菱を使ったような)にはどんなのがあるでしょう?
例えば紀伊の湯川氏とか。ああいう感じの
0165人間七七四年
2009/07/27(月) 22:50:21ID:z8Q86YWE一応南部や香曽我部も先祖は武田。
甲斐武田氏の庶流ではなく甲斐源氏の一流だが。
甲斐武田氏の成立と甲斐源氏の成立は別物だから、その点は注意しとけ〜。
0166人間七七四年
2009/08/06(木) 15:13:22ID:Pgq6pcj3どういうこと?、ご教授を
0167人間七七四年
2009/08/17(月) 15:46:33ID:RHrN3u8y0168人間七七四年
2009/08/23(日) 22:47:55ID:8cf9x2WG0169人間七七四年
2009/09/01(火) 15:41:38ID:cCTQDX+Fttp://www2.harimaya.com/takeda/html/t_1zoku.html
0170人間七七四年
2009/09/11(金) 15:19:24ID:52RZ7+XQ0171人間七七四年
2009/09/15(火) 01:38:42ID:UWdONVrMちょっとざっくり言いすぎですが。
0172人間七七四年
2009/09/15(火) 08:10:14ID:q3aLGOz20173人間七七四年
2009/09/15(火) 09:08:17ID:0lq9fS4a何か武田にゆかりがあって「武田菱」を使った勢力っていうと誰がいますか?
0174人間七七四年
2009/09/15(火) 12:30:54ID:UWdONVrMま、これは当たり前ですよね。
0175人間七七四年
2009/09/25(金) 18:22:29ID:N2PZVWHk熊谷、香川ほか安芸の国人多数を引き連れて強大になった元繁が
なぜ弱小国人の毛利の次男坊ごときに負けたんだろうね?
0176人間七七四年
2009/09/25(金) 20:43:48ID:GbW84MTpあれは常々不思議に思うが、運が悪かったとしか言いようが無い。
熊谷元直、武田元繁が共に弓で射殺されるなんてほとんど奇跡。
射殺っていうか矢が当たって落馬して首を獲られただけど。
決戦を急いだっていう逸りが間接的な原因だとは思うけど、
一連の戦いで先陣の大将が射殺、本軍を率いる一家の当主も射殺、なんて、
かなり珍しい類例じゃないかな。
0177板垣繁保
2009/09/26(土) 02:04:39ID:hRo4/lJi0178人間七七四年
2009/09/28(月) 17:57:09ID:U3wOvoaOそうですね。大河『毛利元就』でも、石田登星さん演じる熊谷元直がおびき出されて
あっけなく、そして宍戸開さんの武田元繁も単騎で毛利に突入して死亡と、あまりに
悲劇が重なってしまいましたよね。西の桶狭間(こっちの方が先ですが)と呼ばれる
合戦でしたが、武田が勝っていたら(大内に潰されたでしょうが)安芸統一くらいは
できたかな?
0179人間七七四年
2009/09/28(月) 19:46:03ID:6w7/WK7m元綱健在の頃は、安芸に侵入する大内軍を撃破してたんだが。
0180人間七七四年
2009/10/06(火) 15:42:34ID:Gpdlumbc0181人間七七四年
2009/10/07(水) 09:53:45ID:qTKQfEUE大河「毛利元就」中では、
「安芸守護の地位を取り返す」
(宍戸版武田元繁)と言ってましたね。
まあ、幻に終わりましたけどw
0182人間七七四年
2009/10/15(木) 15:31:47ID:D6Mf0K410183人間七七四年
2009/10/21(水) 17:03:32ID:fXFw4ZUJこのサイトには1550年以前からとある。
http://proto.harisen.jp/minato1/nosiro.html
0184人間七七四年
2009/10/31(土) 15:34:07ID:P5a1oAuf0185人間七七四年
2009/11/01(日) 13:14:19ID:SzHJ0B+80186人間七七四年
2009/11/12(木) 15:48:25ID:YDdTD4az0187人間七七四年
2009/11/24(火) 16:02:38ID:SkeiEWnP0188人間七七四年
2009/11/29(日) 07:06:49ID:6E6WaQfU0189人間七七四年
2009/12/04(金) 22:06:25ID:vf8qexleその分張り合いがなかったと思う。
0190人間七七四年
2009/12/06(日) 13:09:44ID:t4noqVzj頑張ってはいたんだよ
0191人間七七四年
2009/12/17(木) 20:01:07ID:zB3hBaQ5でも信長が織田氏でなく南部氏とか宗氏とか隠岐氏に生まれていたら
天下は取れなかったろうなあ。
0192人間七七四年
2009/12/18(金) 13:26:07ID:jzmpQw1l今は内陸部の津島が河港として賑わったから、それで潤って勢力を拡大できたんだろうね弾正忠家は。
だいたい守護斯波氏の守護代家の分家でしかない弾正忠家、特に信秀の功績が大きくない?スレ違いすまん。
0193fushiana
2009/12/18(金) 15:04:20ID:+sxr2brz0194人間七七四年
2009/12/18(金) 18:20:50ID:SI0cx1o10195人間七七四年
2010/01/02(土) 11:47:07ID:pyx+zGrj0196人間七七四年
2010/01/02(土) 16:23:02ID:UG15ecHmの古筆切が出品されてたんで驚いた。
武田元信は三条西実隆とも交流のある文化人でもあるから伊勢物語を書写していても不思議ではないな。
0197人間七七四年
2010/01/05(火) 14:56:52ID:VTy3nijq都の公家とも親交が深いのは当然だろう
公家も頻繁に若狭国には下向してたらしいね
0198人間七七四年
2010/01/22(金) 13:49:40ID:Zob1cgUm細川晴元流の下、丹波守護代の内藤氏を継いだ松永兄により武田家臣団は、
分裂させられてしまい・・・。
0199人間七七四年
2010/01/23(土) 13:19:08ID:kjuaZ7zV0200人間七七四年
2010/01/23(土) 15:10:39ID:nwewwb3v朽木氏や一色氏?
0201奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/01/24(日) 02:46:09ID:IqaaHjzH0202人間七七四年
2010/01/24(日) 07:01:21ID:4nUoUrV+北は海。
南と西に割拠していた大名は誰だろ?
0203人間七七四年
2010/01/31(日) 11:28:25ID:fZ1WJCIm南は直接接してる大名はいないんじゃ?
0204人間七七四年
2010/01/31(日) 13:16:14ID:Z3LhBgPY別に悪くはなかった?
0205人間七七四年
2010/01/31(日) 18:28:16ID:1yR7GlzC保護占領されて、当主は拉致されてますな。
0206人間七七四年
2010/01/31(日) 20:43:29ID:HOiBEWbr0207人間七七四年
2010/02/02(火) 16:01:57ID:jsLKcC3o義景の母親が若狭本家国信の娘さんじゃなかったっけ?
ところで岩井三四二氏の最新作「城は踊る」の舞台が上総になっていて、武田左近将監なる
人物が出てきます。主人公の武将がその一族が籠る榎沼城を攻める話ですが、これは上総武田氏
(庁南か真里谷かは不明。おそらく庁南系、つまり嫡流の分家の設定かも)かと思われます。左近将監
(左京大夫とほぼ同意)なる人物は架空の人物でしょうが、さすがは岩井さん。マイナーな戦国の人々を
描かせたら一番です。
0208人間七七四年
2010/02/03(水) 00:05:15ID:udUtsiJP0209人間七七四年
2010/02/04(木) 12:10:36ID:5RhL3XQ1「武田信長」
は名前だけは天下人っぽいな。
0210人間七七四年
2010/02/04(木) 13:09:16ID:NvIGHvo50211人間七七四年
2010/02/04(木) 15:38:04ID:ntHm8QJl> 丹後一色とって若狭武田は当主を殺して領国を奪った不倶戴天の敵
それは知らなかった。
歴史好きでも無名大名のことはあまり知らないよなあ。
戦国期の隠岐氏や真壁氏のことを語れといわれても無理だしな。
0212人間七七四年
2010/02/08(月) 14:09:28ID:LlWKsV+V武田家としては若狭が嫡流なんだけどね。傍流のの甲斐の方が有名になっちゃったからな。
0213奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/02/08(月) 21:23:51ID:LqbSyPNy0214人間七七四年
2010/02/13(土) 06:23:20ID:TBa0UuH3足利義教の命令で若狭、丹後の守護大名だった一色義貫が暗殺され、
若狭国の守護職が将軍側近の武田信栄に与えられたのが若狭武田氏のはじまり
応仁期で東西に分かれて争うなど、地味な覇権争いをgdgdやってた
若狭武田の方が将軍や管領の受けはいいんだけど、在地支配力は元々の守護だった
一色の方が強かったりするからいつまでたっても終わらないし、若狭武田は将軍や管領との付き合いで
畿内の内紛にずっぽり首を突っ込んでいたから結局どっちも浮かび上がることはなく・・・
0215人間七七四年
2010/02/13(土) 14:04:03ID:+KZmI2vj0216人間七七四年
2010/02/15(月) 16:30:12ID:z9auyPp9将軍家に乞われて安芸若狭の守護(いわば栄転)になった武田家が分家を甲斐から送るなんてことはなく、
すべて嫡流が当地に移動している関係で若狭を武田の本家とする見方があります。安芸から若狭に移った
本家が代官として安芸に残したのが元綱や元繁などの安芸武田氏。
0217仙台藩百姓
2010/02/17(水) 09:08:05ID:DtTnQUPx当時安芸武田氏が武田宗家だったかと言うのが問題の焦点などだと思うお( ^ω^)
0218月孔雀
2010/02/17(水) 12:38:13ID:JIKGRD1m0219人間七七四年
2010/03/28(日) 10:46:41ID:wHN/EDSJ0220人間七七四年
2010/04/20(火) 22:38:15ID:HzmQf5Ryとくに丹後最東端の加佐郡は戦国時代も武田家の支配下(影響下)にあったはず
武田家の家臣達が丹後加佐郡の方々に城を構え、ほとんど分郡守護状態だとおもう。
0221人間七七四年
2010/04/21(水) 15:10:10ID:0POZKOPJ0222人間七七四年
2010/04/21(水) 19:58:45ID:Q/P1sd0hhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183829686/
0223人間七七四年
2010/04/21(水) 23:09:27ID:RSu3muRX0224人間七七四年
2010/04/23(金) 02:45:01ID:vqhx7++Kさすがに隠岐氏のスレはないが。
0225人間七七四年
2010/04/24(土) 15:43:55ID:GUqyDX1W応仁の乱で西軍が敗れたのち一色家・山名家は領地に引込んでしまい
元東軍の細川・若狭武田に押されっぱなしで・・・みたいなかんじじゃ
0226人間七七四年
2010/04/24(土) 16:38:59ID:3hAWQ3lsだったからなあ…。どうなんだろ。
0227人間七七四年
2010/04/29(木) 00:16:32ID:QKGJxJfV史実としてその後細川一家が京都を牛耳り
山名は山陰へ引っこんでしまったからねえ。
細川の後も、結局は細川の守護代あがりの三好の天下だったから、これも細川。
まあ三好も、斯波の守護代?の織田にやられちゃうわけだから
山名・細川より、斯波が偉いというわけ。
W
0228人間七七四年
2010/05/04(火) 02:03:10ID:x4+EtEAe話では400年前、残ってる資料からすると享和(上野、群馬)あたりには武田氏ものです。
私のご先祖様はどの武田っぽいでしょうか?
0229人間七七四年
2010/05/04(火) 14:58:12ID:AuB/cImZ0230人間七七四年
2010/07/22(木) 16:13:16ID:oELI4Amjてっきり途絶えたとばかり思っていたよ
0231人間七七四年
2010/09/27(月) 19:19:07ID:bIiT6cwE0232人間七七四年
2010/09/27(月) 20:23:10ID:wFVe1+VP0233人間七七四年
2010/09/28(火) 03:18:42ID:hPklvHYl0234人間七七四年
2010/12/21(火) 14:39:20ID:R+LWUU+50235人間七七四年
2010/12/21(火) 15:33:43ID:Qtq2h7Mh【僧で】安国寺恵瓊【大名】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152069507/
0236人間七七四年
2010/12/26(日) 09:15:51ID:hkgs5XPT尺が足りないくらいエピソードと戦いのてんこ盛り。
しかもほぼハッピーエンド。ドラマにしてくれる人がいないかね。
0237人間七七四年
2010/12/27(月) 09:18:04ID:ffI9kbQb0238人間七七四年
2011/01/02(日) 11:40:48ID:s0UtSI1e信じた人はいないだろうし、石田三成が井伊より人気者になるとか、
長宗我部が女の子にキャーキャー言われるようになるとか、メジャーと
マイナーの概念なんて簡単に覆るものだからなあ
0239人間七七四年
2011/01/29(土) 22:12:52ID:3TtELkjv0240人間七七四年
2011/01/30(日) 04:09:34ID:peEWCtek0241人間七七四年
2011/02/01(火) 10:27:31ID:aP7Uf6vI上総武田氏(庁南か真里谷)がモデルみたいですね。攻める方が里見方の青山信濃守。
武田側の軍師が北条綱成の玉縄城から来た僧籍(山本道鬼のような者か)。
国府台合戦も話の中にちらと出て来ますので、食いついてしまいました。
ちとスレ違いでした。申し訳ありません。
0242人間七七四年
2011/02/06(日) 04:59:17ID:7W5f202B0243人間七七四年
2011/02/23(水) 09:15:21.42ID:WDvGXJs20244人間七七四年
2011/02/27(日) 12:43:45.92ID:o9vVTKnthttp://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1298773088/l50
0245人間七七四年
2011/02/28(月) 11:20:56.67ID:kM/xTMmG私も読みました。非常に面白かった。戦の目的が…でしたが、それもあの時代にありそうなことで
大した大儀もない合戦がリアリティを与えてました。映画は無理でもテレビドラマにしてもよさそうな
気がします。
0247人間七七四年
2011/03/21(月) 22:22:29.84ID:wgzyXpan0248人間七七四年
2011/05/03(火) 20:23:29.10ID:C4ZLHkRy0249人間七七四年
2011/08/09(火) 21:21:47.50ID:S3JL+1Rv0250人間七七四年
2011/08/09(火) 23:42:21.81ID:IkcuwltZ0251人間七七四年
2011/08/14(日) 03:18:04.57ID:M5RDWn+B明智方でも首謀者の明智一族と斉藤利三、長浜城襲った阿HEY以外はほぼ許されてるのに彼だけ処刑
0252人間七七四年
2011/10/30(日) 19:02:20.63ID:WAPvMRTN0253人間七七四年
2011/10/30(日) 21:00:26.65ID:DtBkE+RN0254人間七七四年
2011/11/01(火) 00:50:30.56ID:Wtohj9XO安芸は若狭から派遣された代官的な存在だったから、一番血は濃い。
但し、室町殿足利義澄と足利義材(義伊)の争いで義澄方についた若狭に対して
義伊方についた大内氏(義興)に追随した安芸が結果的に本家である若狭
から独立した形になった。もっとも、その後元繁が尼子経久と共に大内義興に
反旗を翻すことになるのだが。
0255人間七七四年
2011/11/21(月) 02:26:09.14ID:GtvTFvH9親の敵に仕えた男
0256人間七七四年
2011/11/25(金) 16:56:41.44ID:gc4RCA+N■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています