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当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧

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0001人間七七四年2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4
なかったので立てた
鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0972人間七七四年2012/11/20(火) 23:16:21.31ID:j8Ctukne
>>971
「吾妻鏡」の中に登場する越後城氏の「坂額御前」の鎧はどのような形状だったと考察しますか?

『童形の如く、髪を上令め、腹巻を著け、矢倉の上に居て、射襲い致す之輩の中で死不者莫し』
とあります。
http://adumakagami.web.fc2.com/aduma17a-05.htm

この時代(1201年)腹巻鎧は既にあったのでしょうか?
0973人間七七四年2012/11/20(火) 23:32:54.76ID:cmnjPUGL
>>972
当時の「腹巻」は現代で言うところの「胴丸」だよ
本来は右脇引き合わせのものを「腹巻」、背中引き合わせのものを「胴丸」と呼んでいたのが
近世に入って呼称があべこべになったんだとか
だから坂額御前が着ていたのも右脇引き合わせの胴だと思われる
0974人間七七四年2012/11/20(火) 23:37:52.74ID:cmnjPUGL
現代で言うところの腹巻が発生するのは鎌倉時代後期だというから1201年頃にはまだないんじゃないかな。
腹巻の母体となった腹当ならあると思うけどね
0975人間七七四年2012/11/21(水) 09:22:46.93ID:sxfpbOM2
>>973
大山祇神社の「義経奉納赤糸威胴丸鎧」のような形状と勝手に想像しても間違いではありませんか?
0976人間七七四年2012/11/21(水) 17:21:26.12ID:AmMo/6i6
胴丸鎧(現在の呼称)を着ていたとするのは時代的にちょっと厳しい気がする
単に「腹巻」としか書いてないなら普通の胴丸だと考えた方が自然じゃないかな
0977人間七七四年2012/11/21(水) 20:09:21.59ID:Ot8/ggz7
板額御前は城氏の娘(お姫様)なので、かなり上等な鎧着てたのかなと、勝手に想像。

メインウェポンは弓。なので弦走韋は張っていた(に違いない)。
大袖はつけていたのか?それとも杏葉だったのか?

捕らえられた後、浅利義遠に嫁いで子供を産んでいるらしいので、
ヒロイン?というにはちょっとトウが立った感じのおねぇさんか?(25〜30?)

・・・と、勝手に妄想しています。

美化しすぎかなぁ・・・
0978人間七七四年2012/12/14(金) 22:53:43.27ID:NaLJDE4H
>>977
『平治物語絵巻 信西巻』に、腹巻を着て弓矢を装備した歩兵が何人かいるが、
その中に袖を左側にのみ付けた人物がいる。
矢を射る都合上、防御に片袖が必要だったのだろう。
その胴と袖の威の色は違うので、別々の取り合わせと思われる。

後世、上級武士が腹巻と袖、兜を一緒に使うようになり、三者を同じ仕立てで作
ることが定着した。

また、腹巻に弦走を貼ることは例外を除きついに定着しなかった。
そのままで矢を射っても、弦が胴に引っ掛かるといった大きな支障はなかったのかも。
0979人間七七四年2013/01/23(水) 23:29:35.31ID:nyY6Jsoa
弦走といえば、近藤好和氏が「武具の日本史」の中で
弦走韋を張るのは弓の弦が引っかかるのを防ぐためという他に、
胴の形状維持の目的もあったのではないかと書いていて興味深かった
0980人間七七四年2013/02/01(金) 18:26:12.18ID:1MXjUHGF
 
0981人間七七四年2013/02/01(金) 18:30:08.56ID:1MXjUHGF
 
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