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当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4
なかったので立てた
鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0764人間七七四年2011/10/05(水) 09:45:06.13ID:s/zrbagc
明治時代の弓でもまだ引ける状態なんだ、
もっと早くダメになるのかと思ってた。
0765人間七七四年2011/10/05(水) 11:23:22.86ID:hhbuWvHP
>>763
足軽クラスでも簡素とはいえちゃんとした御貸具足を着て
頭形兜に部隊認識用のちょっとした立物とか付けてたんじゃなかろうか
さすがに頬当は着用してなかったと思うけど、まともに甲冑すら着ていなかった朝鮮兵から見れば重武装だろうな
ただ、敵陣に肉薄して斬り込んだりするのは足軽じゃなくて徒歩武者や騎馬武者だから
比較的派手な装いのそいつらの方が印象に残ったのかも
0766人間七七四年2011/10/05(水) 11:24:56.19ID:hhbuWvHP
アンカーミスった
>>763じゃなくて>>762
0767人間七七四年2011/10/05(水) 19:44:39.03ID:swPVXaMS
>>764
丸竹の状態で乾燥

ヒゴの状態で乾燥

成形

調整

細いとうを巻積める

漆仕上げ

成形・装飾

弓師じゃないんで細かい所及び加減は不明。
漆器が長寿命なのと理屈は同じでは?
0768人間七七四年2011/10/06(木) 04:11:50.03ID:QYXgtPMT
>>765
武田の長柄足軽は前立付きの頭形兜に頬当もつけてた
加藤清正もそうだが長柄の具足は、足軽にしては重装備なことが多くね?
0769人間七七四年2011/10/06(木) 18:52:28.91ID:6IrFv8JY
加藤清正って足軽に具足の胴を着せないかわりに兜を被らせてたんだよな
0770人間七七四年2011/10/06(木) 19:40:21.74ID:JvHu0lPc
>>769
(°□°;)
良い弓の的じゃん。
足軽なんかは命より目立つ方が大切って感性なんだろうか?
0771人間七七四年2011/10/06(木) 20:55:30.09ID:e45F1214
槍での叩き合いが仕事なんだから
胴より頭守ったほうがいいだろ
0772人間七七四年2011/10/06(木) 21:27:03.69ID:6IrFv8JY
槍足軽だけでなくて弓足軽も鉄砲足軽もだろ?
0773人間七七四年2011/10/06(木) 21:35:22.38ID:3hZ0ihi/
鉄砲時代に突入してからは重装備が無駄てのを300年も早く気づいたのかもしれん
0774人間七七四年2011/10/06(木) 21:40:08.90ID:8sr2r53v
容積が大きい胴よりも兜、それも量産の効く頭形兜や桃形兜をそろえるのが
経済的に楽だったと思われる。
立花家には朝鮮の役で従者が使用したという桃形兜が二百数十頭残るが、
胴以下のパーツはまったくといってよいほどない。
戦闘に際して上層部が貸し与えたのは兜や簡単な防具くらいで、
それ以外は何も付けなかったか自己負担だったかという家中もあったのではないか。
0775人間七七四年2011/10/07(金) 11:16:24.02ID:SqwTR2aV
>>774
なるほど
建設業で取りあえずヘルメットだけは揃えるようなもんだな。
安全帯は個人負担させてる親方も確かにいる
0776人間七七四年2011/10/07(金) 11:24:13.91ID:D5RR5JQj
ハリウッド映画の「プレデターズ」を見たら
過去に狩りの対象として日本の鎧武者も惑星に連れてこられたという設定があった
惑星で十年生き残っているという元海兵隊員がその遺品と思われる兜を被っており、隠れ家には刀もあった
兜は金覆輪の阿古陀形筋兜のように見え、しころは日根野じころで板物の素懸威、
角元はあるものの立物はなかった。こうした様式を見る限り桃山〜江戸時代以降の兜のように思える
刀も打刀拵だし、連れて来られたのは大坂の陣頃の上級武士ではないかなどと想像した
まあ、ハリウッドのスタッフがそこまで考えてるとも思わないけどw
0777人間七七四年2011/10/07(金) 16:48:21.69ID:3aEkjKmx
鎧は詳しくないけど、西洋だと厚手の布で胴鎧を作ってたりするし、
足軽なんかだと、胴は布と詰め物ってケースもあったんじゃないかな?
0778人間七七四年2011/10/07(金) 20:26:19.06ID:H6fjSD8z
戦国末期に胴をつけず羽織にした鉄砲足軽は出てきてるな
0779人間七七四年2011/10/08(土) 09:36:22.92ID:UV+GY/+5
>>778
まあ、鉄砲相手じゃな。
そんな時代じゃ足軽程度の兜はチャリンコ用ヘルメットと同じ扱いじゃね。
0780人間七七四年2011/10/08(土) 14:09:56.72ID:SUFIvSei
鉄砲セット買ったら鎧兜買うお金無くなっちゃったでござる
0781人間七七四年2011/10/08(土) 14:24:35.55ID:wofD3lqE
それは無鉄砲だな
0782人間七七四年2011/10/08(土) 20:29:41.31ID:ZEYh0ZS8
第二次大戦のヘルメットみたいなもんか
0783名無し@一足軽2011/10/10(月) 10:10:47.80ID:YWM25XuS
具足なんかは鉄板を馬の革で綴ってあるだけの粗末なものだ。1回の戦闘でボロボロになってしまう。
だから戦国の遺品として残っている甲冑は将校クラスの非戦闘員のものがほとんどだ。それか江戸初期に造られた模造品だ。
信長なんかはいつも最前線で指揮を執っていたから、敵方のいい標的になり草摺も取られ、鉄砲隊に狙われて狙撃され、
甲冑の遺品はほとんど無い。劇画やドラマで南蛮胴を着用しているのもなんとなく本物らしくない。
南蛮胴は、家康の日光東照宮にあるのが初期のものか。
0784人間七七四年2011/10/10(月) 10:44:18.89ID:bYAgK63N
南蛮胴ってまるで欧州の鎧みたいな素材感の胴のことか?
あれなら、本当に戦争で使えたかどうか怪しいと思うんだが。
あの時代は日本人と欧州人の大きさの違いは、
今程度しかなかったらしい。
それに対して、馬の方は本州にいた在来種(道産子より一回り小さい。汗血馬?よりも小さい)。
欧州バリの鎧を着た武者を乗せて走れるんだろうか?
0785人間七七四年2011/10/10(月) 12:04:14.86ID:aIWpA7AV
胴を換えたくらいでそんなに重くなるわけ無いだろww
0786人間七七四年2011/10/10(月) 12:21:58.16ID:mXMoXr1k
>>784
グスタフ・アドルフのスゥエーデンなんて日本馬より体格の貧弱な馬に重装騎兵載せて
騎馬突撃してたんだがw
0787名無し@一足軽2011/10/10(月) 20:36:32.87ID:rojkN+8d
家康の東照宮所蔵の南蛮胴は、関ヶ原の合戦で着用した甲冑だ。南蛮胴なら、火縄銃の有効射程距離
100mでも弾を弾き返す。当時の合戦のルールで、勝ち戦のさなかでも大将が流れ弾にでも当たり死んで
しまったら負けということになっていた。だから、大将、大名クラスは高価な南蛮胴を着用した。つまり、
南蛮胴を着用していれば、オレは死なない、味方は勝つという武門の象徴とでもいうべきか。
0788人間七七四年2011/10/10(月) 21:04:35.78ID:G1N2JF3t
大将は戦わないから防御率だけを考えた南蛮胴でもいい
馬に乗って移動するからスピードも体力もいらないし
前線でほんとに戦う兵にはいらない
機動力と長時間たたかえることのほうが大事
0789人間七七四年2011/10/10(月) 21:48:03.48ID:mQGbYl6G
ttp://webarchives.tnm.jp/archives/img/27188
↑は東博所蔵の革包み腹巻。南北朝から室町頃、戦場の最前線を駆け回っていた雑兵の着料と推察される。
伊予札を簡単な菱綴で革に仕付けた(草摺の裾は本小札)粗製の胴で、威しの甲冑より明らかに下等な品である。
大阪の金剛寺にもこうした革包みの腹巻が10領程度残っているが、
こうした類の革包み鎧は製作・修理が簡単であることから、その多くは消耗品として使い尽くされたり、
美術観賞的な価値の低さや粗製ゆえの保存状態の悪さなどから大事にされることなく消えていってしまった。

なお、革包み胴には、手入れのしやすさのほか、表面に威毛がほとんど露出しないことから、
物が引っかかりにくい利点があるとされる。当世具足でも初期の遺品に革包み胴が結構多く見られるのは、
その機能が評価されて上士の間にも広まったという、武具界の下克上を表しているのではないだろうか。
0790名無し@一足軽2011/10/10(月) 22:53:42.85ID:vF1Uv3bc
週刊デアゴスティーニの「伊達正宗の甲冑」は全55号で108,000円。
同じく「安土城」は全100号で160,000円。

板が少しそれたのでここまで。
0791 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 2011/10/11(火) 17:01:34.36ID:s42KslIM
当世具足が普及する前の、薙刀&胴丸が騎馬武者の装備の主流だった頃の騎馬武者の鎧の画像ってあるかな?
0792人間七七四年2011/10/11(火) 22:40:38.89ID:SuN1jeQl
>>791
それなら細川澄元の騎馬像が該当する。詳細はググって確認して。
0793人間七七四年2011/10/11(火) 23:50:26.20ID:EXmWggwh
>>792
真っ先にそれが思い浮かぶw
得物は長巻という解釈があるけど、どちらがより適切なものか。
0794名無し@一足軽2011/10/12(水) 00:23:06.28ID:wvdlUzk1
NHKが2000年に放送した大河「葵徳川三代」はジェームス三木の脚本だが、登場する武将の兜が史実に基づいて
映像化されていたな。福島正則の大水牛脇立桃形とか、加藤清正の長烏帽子なんかだ。ただ、家康の甲冑は、羊歯葉前立
大黒頭巾形兜勝川具足で、787で書いたのとは違っていたな。ただ、この作品から、足軽の具足の背に会当理が付くように
なり大名の家紋の旗が立ったのが間違いだ。視聴者サービスでどちらが東軍か西軍かが判るようにしたのだろうな。でも、
これが後の戦国モノに踏襲され、「江」でもそんなふうで視聴者にはそれでいいんだろうな。NHKもいい加減なものだ。
0795 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 2011/10/12(水) 01:37:19.72ID:mMSN2Am3
>>792-793
wikiにも載ってるあれか。
画像を見ると二の腕の部分は杏葉で守っているみたいだけど、手の甲や脚部は無防備なのかな?
それとも、西洋の甲冑みたいに鎖鎧でガードしているんだろうか?

画像だと足は無防備に見えるけど、騎乗したまま歩兵と戦ったら足は一番狙われやすいところだろうし……。
0796人間七七四年2011/10/12(水) 09:02:47.09ID:FjX0k8hg
>>795
ちゃんと手足も小具足で防御してるんじゃない?
籠手は鎖や金具を表に出さずに家地で包んだ産籠手(うぶごて)という形式ならばあの描き方に納得がいく。
絵を見る限り、手甲は描かれていないように思えるが、
細かい作業や運動性を優先して手甲を省略することもあった。
ひざから下もちゃんと臑当を付けてるよ。色が黄色っぽいから装備していないように見えるだけ。
この色は金箔押か、白檀塗を表現しているのだろう。

この時期の杏葉が守るのは二の腕よりも、胴の高紐がある前胸部になる。
杏葉が二の腕というか肩先を守っていたのは平安・鎌倉後期までで、
大袖が付く位置に杏葉の板金具を付けていた。
その頃の遺品は1、2点しかないが、南北朝以降のものより2回りほど大きい。
時代が下って胴丸に袖が付くのが定着すると胸先に移動し、形式的なものとなって小型化した。
0797人間七七四年2011/10/12(水) 09:33:33.43ID:wuzLz8TD
>>794
あれってやっぱり足軽は会当理ないのが本当なんだな
変だとは思ったけど、NHKがやってるんだから正しいのかなと思ってた

そういや江といえば、小谷城攻めのときの秀吉が両乳鐶付きの切付胴を着てた。ありえねえw
0798人間七七四年2011/10/12(水) 10:58:24.24ID:W1fJxaI+
「足軽に指物なんか付けさせたら林に入ったっ時引っかかるだろ」何てことを晩年の細川忠興が
確か言ってたな。
0799名無し@一足軽2011/10/12(水) 18:18:30.74ID:iq2iRVsY
×会当理
○合当理
すまん。
0800 忍法帖【Lv=17,xxxPT】 2011/10/12(水) 19:07:56.11ID:mMSN2Am3
>>796
俺が知らなかったことだらけだな。
ありがとう。勉強になった。

>>798
「兜の前立ては林の中では邪魔になるから、壊れやすいものが好ましい」といったのもこの人だっけ?
0801名無し@一足軽2011/10/12(水) 22:33:24.46ID:t/6QB7qc
798様、黒田の大水牛脇立も伝上杉謙信の三宝荒神兜も、それぞれ脇立・三宝荒神部分が
取り外しできるようになっている。出陣の儀式、凱旋時は付けたが戦闘時はヘルメット
様式だ。それに黒田の大水牛脇立は薄い木材をつなぎ合わせて作ってあるし、三宝荒神部分は
厚紙と牛革で作ってあり以外に軽量になっている。
0802人間七七四年2011/10/13(木) 16:13:54.17ID:MDzkG3nM
伊賀上野城にある、藤堂高虎所用の唐冠兜、横にやたらに長い飾りが付いている(左右それぞれ80センチくらいか)が、横にいる人が迷惑。
ちょっとでも頭を動かせば、当たってしまう。俺の近くには寄るな、というサインなんだろうか。
0803人間七七四年2011/10/13(木) 20:00:27.21ID:F/pSXP2Z
身の丈六尺二寸の高虎があの兜を被ったらさぞ見栄えが良かったろうな
0804人間七七四年2011/10/15(土) 12:52:15.93ID:HgBDEKk5
菊池夢美術館〜甲冑展示
http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee425876.flv
0805名無し@一足軽2011/10/16(日) 01:48:44.04ID:spvpWNXF
足軽以上が武士だ。甲冑で正装した時に左側から見分するのが正式な作法だ。ちゃんと大小の刀を差しているかだ。陣中には、合戦の情報を聞いて
槍1本、鎧櫃1つで陣借りしてくる浪人も沢山いる。騎馬の者も来る。将校級が逐次面接をする。浪人の氏素性を聞く。いずれの家中の出身か?主人は
誰だったのか?何時、何処の合戦から浪人になっているのか?得て物は何か?感状は何枚持っているか??勿論、持って来ている甲冑の見分する。
兜も具足も同じ作者の銘が刻まれているかが重要なポイントだ。それに太刀。由緒ある刀鍛冶の作かだ。こうして面接は慎重に行われて目出度く
陣借りとなる。いずれにしても先鋒部隊だが、体格・面魂・武具の良し悪し・感状の枚数で配属が決められた。
話は飛ぶが、武将の甲冑姿の肖像画で、現存する甲冑に大袖が無く、絵には大袖が描かれているのは(例:本田忠勝)その武将が由緒正しい出自
であることと、正式な武士である事を示している。鎌倉期の大鎧は実戦には向かないが、戦国の武将の憧れだった。
0806人間七七四年2011/10/16(日) 14:24:48.40ID:YHGFKfOW
鎌倉期の大鎧て馬に乗って戦う用だろ
0807名無し@一足軽2011/10/16(日) 18:39:51.86ID:QRi9hpBS
↑806へ
オマエ、ほんとに歴史を知らんな。さもなくば大河の見すぎ。オマエみたいな連中に
反論するんもアホくさいw
0808人間七七四年2011/10/17(月) 00:34:18.41ID:oTZlbq4m
>>806
鎌倉期の大鎧は馬に乗って戦う用だね。
実戦に向かないと思っている人は歴史を知らな過ぎ。
0809人間七七四年2011/10/17(月) 01:35:49.93ID:DBpz+l7G
鎌倉時代の戦って馬上が基本形で、大鎧も馬上での戦いを想定されたものになってるし
大鎧は馬に乗ることで鎧の重量が自分にかかりにくい作りになってる
0810人間七七四年2011/10/17(月) 02:37:24.97ID:XVP8NiGl
大鎧は戦国時代にはとっくに時代遅れになっていたということを言いたかったのでは?>>805
復古調甲冑が作られるより前の時代で、現存する遺品の中で最後に作られたことが確認できるのは、
大内義隆が1542年に厳島神社に奉納した黒革肩紅威大鎧(重文)がある。
ttp://www.pref.hiroshima.lg.jp/kyouiku/hotline/bunkazai/data/102040040.html

大鎧が花形甲冑だった平安・鎌倉期と違い、
この頃の大鎧はその重量や非機動性、製作にかかる手間などから敬遠され、
室町中期までには胴丸に主役の地位を譲っている。
それでも南北朝以降に定着した徒歩戦に対応すべく、胴の腰の裾を窄めたり、
筋兜を採用したりしているが、やがては時代の流れに取り残され、
祭礼の衣装用や寺社への奉納用くらいに留まるようになってしまった。
上記の大内義隆も、大鎧を奉納したのは名門守護大名の手前からであって、
あくまで戦場では自身は胴丸を着ていたと思われる。
室町末期から桃山期の、甲冑姿の武将の肖像に、大袖が描かれているのは
(その源流は大鎧にあるといえるかもしれないが)、
直接的には地位の向上に伴って重武装化した胴丸を意識しているとする方が自然であろう。
あるいは後世に作成されたものならば、復古調の空気に影響されて描き足したということになる
(これなら大鎧への憧れが直接影響していると考えられる)。
0811人間七七四年2011/10/17(月) 02:43:30.35ID:cPi+16c4
>鎌倉期の大鎧て馬に乗って戦う用だろ

しかしこれを否定してるということは単に無知だったとしか思えない
0812人間七七四年2011/10/17(月) 08:43:26.77ID:9Wga+kfF
この人ってあちこちで読みづらい文章書いてるのかな?
改行も変だし、2ちゃん慣れしてない感じ。
個人でブログでもやればっていいたい。

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193685418/185
0813人間七七四年2011/10/17(月) 12:33:38.55ID:Cozye8KE
というか、平野での馬上の弓の打ち合いから
徒での拠点攻防戦に様変わりしたからそれにあわせて変化したというか。
0814人間七七四年2011/10/17(月) 20:50:38.79ID:iZeqJZtU
>>812
それは某研に言ってやれw
0815人間七七四年2011/10/17(月) 21:34:51.99ID:izrqWSNC
「センゴク」って漫画は歴史考証はしっかりしてて面白いけど具足についてはてんでデタラメだな。
徳川家康が大高城兵糧入れで金留塗の仏胴具足を着てたり、上杉謙信が三宝荒神の兜を被ってるのはいいとしても、
こりゃ構造を理解しないまま描いてるなあ、と一目でわかるような規格外の具足が次々と出てくる
0816人間七七四年2011/10/17(月) 22:42:00.04ID:XVP8NiGl
>>815
今まで日本の甲冑がハイカル・サブカルの両界でしっかりした考証の下に
表現された例なんて数えるほどしかないぞ。
江戸時代以前に描かれた絵画といえど、合戦の場面で甲冑を描く場合は、強固な監修やサポートがないと、
鎌倉時代の「男衾三郎絵詞」のように大鎧の絵が滅茶苦茶になってしまうことがあった。
江戸時代の歌舞伎の衣装鎧や武者絵の中の甲冑については論外。現代の感覚に合わせて言えば、
かっこいいアニメキャラ並のレベルでしかなく、気をつけないと甲冑研究の邪魔にすらなりかねない。

最近では宮崎駿の「もののけ姫」が、甲冑そのものについては割合よく描けていたが、
作品の時代背景が室町後期ということを考えると、
大鎧を着た兵士と当世具足を着用した兵士の両方が出てきたのはちと極端に過ぎると思われる
(中央と地方の相違を表現したかったのかもしれないが)。
0817人間七七四年2011/10/18(火) 00:02:52.77ID:eeMeUflb
>>814
某研はブログ持ってなかったっけ?
0818名無し@一足軽2011/10/18(火) 01:23:49.86ID:tF9Jh7An
↑812へ
国宝「竹雀虎」とか同じく厳島神社所蔵の「白糸縅」なんかは製作期間が2年位かかり部品の多くは中国製だ。大将のシンボルの「紅糸縅」
の赤の染料も縅糸も中国からの輸入品だ。余程の地位のある武将しか着用できない。
戦いも大鎧を着て馬上で刀を振り回すのではなく、大将は本陣にいて戦いの趨勢を見守り、武将級では本来、流鏑馬のように弓矢で戦うのが
実戦だ。胴丸を着た兵士の戦いにもルールがあり相手の烏帽子をとったら勝ちとか、旗指物を奪われたら負けとかで相手が降参したらそれで
良しで、日本人同士がそう殺し合いをするのではない。これが平安〜鎌倉の実の姿。義経の平家殲滅は完全なルール違反の合戦だ。
しかしそれが後の世に美化されてしまった。
鎧のスレだから、多くは書かないが一部の人を除いて大河の見すぎか、史書・司馬作品なんかをを読んでいない人が多すぎるな。
近年の研究書でもいいものがあるからそれらを読んでから書いた方がいい。

0819人間七七四年2011/10/18(火) 01:51:50.54ID:MVwaKoV2
>>818
いいから少し落ち着いて書きこめ
0820人間七七四年2011/10/18(火) 02:03:03.29ID:guBzAwjj
>>818
大鎧は馬上専用とはなんもつながってない論点そらし
もう止めとけ
お前の負け
0821人間七七四年2011/10/18(火) 06:56:10.29ID:l9r9z3t7
>>815
そもそもセンゴクは「刀なんて役に立たん(キリッ」
「騎乗したまま戦うなんて有り得ない(どやぁ)」
とか言ってた時点で、ただの知ったかが描いてる漫画やろ

>>818
その近年の研究とやらのソースきぼん。
烏帽子や旗取るだけだとか聞いたこともねえし、そんなんで
勝負がつく様子が書かれた一次史料とか見た事ねえよ。
0822人間七七四年2011/10/18(火) 07:48:38.87ID:4IMIXmpB
>>818
あんた2ちゃんに向いてないね。
0823人間七七四年2011/10/18(火) 16:15:27.30ID:GkDTkUOG
>>818
国宝鎧を引っ張り出して何を言ってるんだ?
竹雀虎は源義経奉納との伝来があり、一説によれば足利義満の奉納品とも推測される超高級品
あと「厳島神社所蔵の白糸縅」って櫛引八幡宮の白糸威褄取鎧のことか?
あれだって南部信光が後村上天皇から拝領したものだぞ
そんな高級品を一般の武士が着れないなんて至極当たり前のことじゃん
0824人間七七四年2011/10/18(火) 20:07:17.64ID:2WslxfBQ
>>818
重箱の隅つつきになるが、厳島神社に白糸威大鎧はないよ。
白糸威銀小札丸胴具足ならあるがね。
ひょっとして日御碕神社の白糸威大鎧のことを言いたかったのかな?
0825人間七七四年2011/10/19(水) 01:04:52.65ID:2wH1JH3p
>>818 紅の染料は、紅花の花を集めて発酵させたものから得る。もともとの起源はエジプトだが、遅くとも飛鳥時代には国産化されていた。法隆寺の近くにある藤の木古墳の棺の中から発見されている。
紅花の産地は山形が有名だが、ここにあるの修験道で有名な羽黒山は能除太子(蜂子皇子ともいう)で崇俊天皇の皇子。藤の木古墳の被葬者は特定できないものの、崇俊天皇も有力候補のひとりであるのは興味深い。
話がそれたが、平安時代の鎧の縅の糸の紅の染料が中国製であるとする根拠はない。ちなみに質の良い紅で何度も染めたものは、スカーレットに近い深い赤。
0826人間七七四年2011/10/20(木) 11:53:55.70ID:qJSg44ac
丸武でこれまで3度ほど買い物した感想を愚痴らせてください。
やっぱ丸武産業は田舎ローカルのアナログ企業だな・・・

それなりに立派なサイト構えて、全国区で商売しているにもかかわらず、ネット対応が疎かすぎる。
メールの返事が無い。ほっとくとたぶん1週間に1回も開いてない。

代表番号に電話すると、のっそりとしゃべるオバチャンが出てきて、
「3日前にメールで問い合わせた件なんですが・・・」というと、
「あぁはい わかるひとにきいてみますね〜」という感じ。

電話しないと見てくれないならメールの意味無いでしょう・・・
営業日だけでいいからせめて1日1回ぐらいメール確認してよと言いたい。

問い合わせ、購入、支払い等含めてメールなら3〜4往復で済む内容のやりとりしかしていないのに、
丸武相手の取引はやたら手間と時間がかかる。
ヤフヲクでもここまで手際の悪い出品者はなかなかいない。

昔かたぎの職人気質で、ネットの客など客じゃねぇ・・・などと邪険にされているという風ではなく、
単純にPC初心者レベルの人しかいないという感じがした。
メール文面の改行や空白の位置がヘンだったり。
いちど、個人情報が乗った他の客宛てのメールが誤送されてきたし。

せめて一人でいいから窓口となるIT担当者雇えばいいのに。
せいぜい満足にPCが使えて問題なくメール対応ができる程度の人材も鹿児島にはいないのかな?

0827人間七七四年2011/10/20(木) 12:11:30.29ID:dbx6qQAg
>>826
丸武にとってはテレビ・映画会社が一番のお得意先で、
ウェブ販売はとりあえずの余興のようなものと認識して運営してるから
対応がなおざりになるんじゃない?
店長でさえ満足に文章をタイプできてないことがあるくらいだし、
専門知識のそろった人を雇おうとか、勉強しようといった意識に欠けてるきらいがあるね。
あそこは今でもモノを作っていればそばから売れるとでも思ってそうだよ。
0828人間七七四年2011/10/20(木) 15:59:54.57ID:deaCAn8Z
殿様商売だねぇ・・・うらやましい・・・。
0829人間七七四年2011/10/20(木) 18:05:14.08ID:2k4zTOP5
ヤフオクでニセモノ売ってる中華業者がディスってるようにしか見えない。
奴らにしてみれば目の上のタンコブだもんねー。
0830人間七七四年2011/10/20(木) 18:37:43.24ID:gP5/Eeay
(=゚ω゚)ノしょーばいしょうーばいみりおーんスロット
0831人間七七四年2011/10/20(木) 18:50:56.04ID:5UaK7Pxg
>>827
そこまでわかってるなら、そのレベルで対応すればいいじゃないの?
ネット通販専門店と同じレベルの対応をしてほしいってのは単なる我儘だろ。

08328262011/10/20(木) 18:52:22.75ID:qJSg44ac
>>829
ありのまま起こったことを書いただけなんだけど・・・

ネット取引の手際の悪さは非常に不満だけど、
ちょっと擁護しとくと、
丸武の商品の価格や品質そのものには満足してる。
0833人間七七四年2011/10/20(木) 20:30:51.54ID:QrMhTkkH
田舎の食堂とかもそんなかんじだったw
昔ながらにのほほんとしてるのが、ファーストフードのサービスが標準になると
イライラさせられるはわからんでもない
0834人間七七四年2011/10/20(木) 22:07:10.98ID:H9rP6veR
>>831
我儘って何だよw
消費者が当たり前の対応を求めることがワガママか??

826みたいに愚痴りながらも3度も利用してるって人は「分かってる」のかもしれないが、
少なくとも初見の人は、そこまで対応がアレなら怒ると思う。
2度と買わないと言われてもおかしくないレベル。

自社サイトだけでカタログ乗っけていて、「詳細はお問い合わせください」のような業者ならともかく、
楽天とヤフーのモールにも出店していて、
それぞれのアカウントと決済システムで買い物ができるようになっている以上、
利用者からすれば、そこらの数あるネット通販サイトと比べてまぁ平均的な水準を期待するよね。

0835人間七七四年2011/10/21(金) 02:38:32.92ID:v20hA5oq
(=゚ω゚)ノ何を作ってるんでしょーか?
0836人間七七四年2011/10/21(金) 04:32:48.12ID:OImjUzlw
>>834
それはお前の勝手な思い込みだ。
満足できなきゃ自分が満足するショップで買えよ。
丸武が品物卸してる店は他にもあるだろ。
それとも中華からでも買うか?
一度中華とコンタクト取れば、丸武のサービスが神対応に思えるようになるぞw
0837人間七七四年2011/10/21(金) 14:02:23.67ID:lGjBBHpz
>>834
お前が文句をいうのは勝手だが、ショップがどんな商売の仕方をするかもショップの勝手だ。
ショップが消費者に「買ってもらっている」のと同じように、お前もショップから「売ってもらっている」んだよ。

消費者絶対が通るのは、多種類大量生産の品物だけだ。
0838人間七七四年2011/10/23(日) 00:22:42.40ID:p4SRHupG
ebayの中国人達からはまだハズレくじ引いてないなw
梱包はよくない
0839人間七七四年2011/10/23(日) 00:52:50.73ID:9k2yPkAg
http://page19.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x189495620

この業者、出しては売れてるみたいだけど、モノはどうなの?

しばらく前からちょっと注目してるが、
大体同じ形の当世具足の色違い、模様違いを、常に2品ぐらいずつ出品してて、
だいたい8〜10万で落札されている模様。
丸武の一番安い当世具足で16万円だから、それより安い感じだけど、どうだろう?

こいつも中華業者なの?
0840人間七七四年2011/10/23(日) 06:10:27.52ID:zZpsweLj
思いっ糞中華
評価のコメントが自演臭くて噴いた
一桁評価で「迅速に〜」って書いてるのはほとんどサクラだろ
ストア登録してあるから自演で吊り上げ入札かけても問題無いしね
0841人間七七四年2011/10/24(月) 19:22:32.22ID:fPmSdNPS
着るの興味ないから、精巧に作ってあってペットボトル位の大きさだったらいくつも買うのになー
コレクションしやすいし値段も抑えられるし。
0842人間七七四年2011/10/24(月) 23:14:25.87ID:cVqmns0x
それ欲しいな。何mlのペットボトルかにもよるけど
個人的には袖の無い具足に袖を付けたりとか余計なことはしないで、
出来る限り実物に忠実に再現してほしい
0843人間七七四年2011/10/25(火) 00:33:17.14ID:J5gpGsQx
んだんだ! どっかで実現してくれないかなー
0844人間七七四年2011/10/26(水) 00:06:37.17ID:okjgniG/
いつかyahoo知恵袋で「面頬はいつごろ発生しましたか?」という質問に対して
「当世具足が普及した安土桃山時代からです。」という回答がベストアンサーに選ばれてて笑ってしまった
目の下頬も総面も室町時代からあるっつーのw
0845人間七七四年2011/10/26(水) 00:37:30.29ID:s8JJui4J
>>844
更に幅広く「面具」としてみるなら、当時の遺物はないものの平安末にはすでに半首が登場していたしな。
0846人間七七四年2011/10/26(水) 00:47:01.06ID:okjgniG/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1446462874
探したらあっさり見つかった。この口ぶりだと質問者の言う「面頬」は目の下頬や総面のことなんだろうね
しかしこのベストアンサー、当世袖が小具足の一つだとも言っちゃってるし
残念な点が目立つな
0847人間七七四年2011/10/26(水) 04:45:10.60ID:WB2fppzI
古墳時代に面具なかったっけ?
0848人間七七四年2011/10/26(水) 07:07:27.45ID:Te9vx37F
室町末期と戦国時代・安土桃山は被ってるからな
質問・回答者がどの年代をイメージしてるのかが分からんとなんとも言えん
0849人間七七四年2011/10/26(水) 07:27:50.63ID:jzNawpdx
面頬は、実際に使われていたんだろうか。ヨーロッパの場合、16,7世紀ごろになると、バイザーのついた兜はあまり使われなくなる。鉄砲の弾は防ぎきれないから、顔面をオープンにして視界を良くし、物音を聞きやすくする方を選んだ。
日本の場合、面頬はひもで固定するので容易に着脱できない。顔面を保護されているという安心感はあるにせよマイナス面も多い。
鎧を道具として飾る時に、面頬があった方が様になるという理由で付いているだけではないか。
ちなみに武闘派で知られる黒田長政は、国内や朝鮮半島でも敵と直接刃を交えることも多かったが、面頬を用いないのが流儀だった。今日残される具足にも面頬は含まれず、有名な肖像画でも喉輪すら着用していない。
0850人間七七四年2011/10/26(水) 07:59:14.04ID:JF5GqA/T
>>849
>>754

0851人間七七四年2011/10/26(水) 14:18:20.76ID:okjgniG/
>>849
面頬は目の下頬と総面だけじゃない

http://www.kinokuniya.tv/images/mask/c056_2.jpg
↑両頬と顎のみを守るつばくろ頬(目の下頬の鼻がない感じ)

http://pichiska.sakura.ne.jp/jonhadi/sr2_bbs/sr2_bbs_img/8_1.jpg
↑顎のみを守る越中頬などもある

むしろ実戦期にはこうした半頬タイプが主流であったと思われる
しかしフロイスや明・朝鮮人も言及しているように、顔の大部分を覆うタイプを付けた鎧武者も結構いた
内藤昌豊や山内一豊が総面を着用していたという記録もある
江戸時代になると実用よりも飾り栄えが重視されたため
凝った意匠の目の下頬や総面が流行したという点は君が指摘した通りである
0852人間七七四年2011/10/26(水) 22:13:54.39ID:s8JJui4J
面頬などの小具足は年月の流れの中で散逸しやすい傾向にある。
昔の家宝目録に記載されていても、現在は臑当や脇引などが欠けていることは割とあるし、
徳川将軍家においてすら、二代秀忠所用の茶糸威胴具足は兜が伝わっていないのであるから、
面頬が今はないからといって当初から備えていなかったとも言い切れない。
肖像画に関しても、後世に自分の面影を伝えるなどの目的で顔をはっきりさせたいという思惑から、
実際の格好と違い、あえて素顔を晒した状態にして描かせたことも考えられる。
0853人間七七四年2011/10/26(水) 23:28:03.07ID:lIlkeA3o
>>851
大河ドラマだと半頬タイプが主流だな。
俳優の顔が見えないとどうしようもないからな。
0854人間七七四年2011/10/26(水) 23:41:19.42ID:s8JJui4J
>>853
最近の大河は半頬すら付けていないことが多いよ(「独眼流政宗」の時にはわずかに見られた)。
主役やレギュラー陣が辛うじて喉輪をしてるかどうかだな。

ドラマでの面頬着用よりも気になるのが、時代祭りなどで兜を阿弥陀に被ってる人間が多いこと多いこと。
視界を確保したいのか、帽子と同じ感覚で被ってるのか知らんが、
内兜ががら空きになっているとかっこ悪いし危険。それに兜の重さが後方に傾くので余計に首が疲れる。
演武を行うなら尚更。模造品でも武器の先が顔に当たるおそれを考えて目深に被らなきゃならん。
0855人間七七四年2011/10/27(木) 09:45:41.04ID:VgLzmP2A
俺の場合頭がでかくて、普段使っているバイク用のヘルメットもアライの最大サイズ。
歴史イベントの貸し出し甲冑の兜が深くかぶれなかったことはある。
浅く、あみだにしかかぶれなかった。
0856人間七七四年2011/10/27(木) 21:11:29.78ID:k+fR208E
兜は眉庇で正面の視界が隠れるくらい深く被るもんだよな。
上から俯瞰できる騎馬武者なら、それで視界は十分確保できる。
イギリスの近衛騎兵のヘルメットも同様に深く被ってるね。
0857人間七七四年2011/10/27(木) 21:27:46.24ID:k+fR208E
>>849
日本では鉄砲からの防御の為、面頬がより普及したと言われる事が多いが、どうなんだろう。

戦国中期においては北条の軍役帳では馬上の者は面頬の装備が義務付けられていて、
武田の天正4年の軍役定書には、馬上は面頬と喉輪を身につけること、
そして長柄、鉄砲、弓といった歩衆は兜に喉輪は身に着けるが、面頬の装備は書いていない。
0858人間七七四年2011/10/27(木) 23:10:48.33ID:QTTAtWIp
長柄や鉄砲、弓みたいな足軽にまで頬当を装着させる経済的余裕がなかったんだと思う
御貸具足自体がお粗末なものだし
0859人間七七四年2011/10/31(月) 21:00:56.01ID:NGbIEoue
足軽の長槍は、先が撓うために目標を正確につくことができない。槍襖を作って相手の進撃を止めたり、上からたたいたりして用いる。
これに対して上級の武士が持つ手鑓は、せいぜい3メートルくらいで長さが短く、重量も軽いからコントロールしやすく、訓練を積めば目標を正確に突くことができる。
それでも甲冑を貫くことは難しいから、相手の甲冑の隙間を狙うことになる。この隙間をなくすことが面頬や喉輪の役割だったのではないだろうか。
とすれば、もともと重武装でもない隙間だらけの格好で、手鑓を持った敵と対峙することを想定していない足軽が、それらをつけないのは当然。
0860人間七七四年2011/10/31(月) 22:35:49.54ID:CERMI1Ly
足軽に面頬はないよな・・・
兜に面頬の足軽はいまだかつて聞いたことがない。
陣笠に面頬のシュールな足軽って歴史上存在したのかなw
0861人間七七四年2011/10/31(月) 23:17:00.79ID:JyUrtS7q
>陣笠に面頬のシュールな足軽
なんかそれイスンシンの朝鮮ドラマで見たぞ
目の下頬完備の足軽軍団が火縄銃を連発銃のように連射してたw
0862人間七七四年2011/11/01(火) 00:06:36.37ID:ZkK8kOvj
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1334961983
映画「天と地と」では海外ロケで現地人エキストラを雇ったため、
顔が露出すると都合が悪いので足軽にいたるまで面頬を着けさせたんだって。
映画作品としては面白いが史実では絶対にありえなかった光景だな。
0863人間七七四年2011/11/01(火) 00:19:33.18ID:WyVnpUtf
貸具足ではせいぜい頬当がいいところ
>>862
カナディアンマンってバレちゃうしwww
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