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当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧

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0001人間七七四年2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4
なかったので立てた
鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0525人間七七四年2010/01/27(水) 00:30:02ID:+qaXuSa4
火縄銃の実射見たことあるが、とても鎧で防げるとは思えないほど凄まじい・・・
火薬が「爆発」して弾を飛ばしてるんだなあってのが体でわかる
ドバアァァン!!って感じ
0526人間七七四年2010/01/27(水) 00:45:11ID:dbAf9fzZ
アレは一回は見ておくべきだよな。
一射するだけで煙がもうもうと立ち込めて、あんなんで連射したら何も見えなくなるってのがよくわかる。
0527人間七七四年2010/01/29(金) 04:34:39ID:k4Ca0dW5
どっかの甲冑製造ブロガーが迷い込んでるな。
所行は立派なのにイチイチ一言多いあいつだ…。

ちなみに俺は艶をあえて消した具足だったり。
まあその辺は再現にこだわるか創作と言い切るかだわな。
創作を再現と言っちゃうのは眉をひそめたくなるけど。
0528人間七七四年2010/01/30(土) 02:16:50ID:F23TfKCg
今でこそ甲冑は美術品だけど、
むかし戦場で本当に殺し合いをしてた武者たちは、
戦から帰ってくればその甲冑は土埃や返り血まみれだったであろう。
組み討ちして首を取ったりした日には、胸元から上、返り血を浴びて真っ赤になっていたであろう。

それをどうクリーニング・メンテナンスしてたんだろうね。
金属そのものが露出してる鎧なら拭けばキレイになりそうだけど、
糸で装飾された小札で構成された鎧など、汚れが染み込んだら落とす方法あったんだろうか?
0529人間七七四年2010/01/30(土) 03:33:26ID:yd4ZS4ho
組紐の総とっかえじゃね
それと破損してる小札の交換も
0530人間七七四年2010/01/30(土) 20:53:43ID:z5iAJKl3
>>527
ほめて頂いてるのかな?でも所行って悪行とかに使う言葉だけど?
独学だけど甲冑歴30年もあれば一家言(一過言)あっても当然のこと。
私的なBlogで機能的でない井伊とか伊達の甲冑が嫌いだって言うのは自由でしょ。
異論があればその場で反論すれば?
もっとも艶消し甲冑をわざわざ作ってもらってるような御仁では議論すら成り立たないと思われ。
艶消し甲冑は板前で言えば錆びた包丁を「何十年使い込んだものだ」とひけらかしているようなもの。

>>528
心得のある武士は多少のほころびならばその場でもつくろえるように備えてました。
だから返り血のクリーニングなんて朝飯前。ほとんどの甲冑は防水の漆塗りだから水洗いOKです。
平和な時代 腰の物の日常の手入れを自分でやったように戦国時代に自分の命を守る商売道具のメンテを自分でやるのは当たり前のことです。
0531人間七七四年2010/02/02(火) 16:23:27ID:JsZOqLWj
細川忠興の山鳥の天衝がついた甲冑。あれ、下散の一番下には赤いビロードが貼ってあるが、最初からそうだったのではなく、
あの部分がどこかに当たって音がするのを嫌った忠興自身が、戦場で自らあの布を貼り付けたとのこと。
0532人間七七四年2010/02/03(水) 21:57:52ID:yGOPRIyK
前スレの書き込みが気になっていたので
遅レスですが…

>386 :人間七七四年 :2009/10/13(火) 21:21:02 ID:3T80k5fd
> 伴大納言絵詞は、忠実な甲冑描写で知られ、今日では失われた初期大鎧の実態を知るのに役立つ。
> ここに登場する騎馬武者は検非違使の隋兵で大鎧を着用しているが、興味深いことに弓を持つのみで、刀を全く身に帯びていない。
> 腰に差す太刀はもちろん、小刀さえ身に着けていない。やはり騎乗の従者が従うが、彼も袋に入れた替え弓を持つだけで刀は身に帯びていない。
> 隋兵は六人ほど描かれるが、全員そうである。彼らを率いる検非違使は、甲冑ではなく平服だが、こちらは刀をつけているから、画家が描き忘れたのではない。
> 鎧を着用しない場合でも刀は普通差すから、大鎧を着ながら刀を持たない姿にはやや違和感を覚える。
> 検非違使に仕える者の習慣だったのだろうか。

ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/detail.php
に記述がありました。
「検非違使の随兵はよろひきて、胡簶をひて、太刀をはかぬなり、家子は太刀はくなり」
だそうです。
0533人間七七四年2010/02/17(水) 23:45:59ID:43p3y2Qs
ようやく○武が具足の肩上の袖付部を本歌どおりに作るようになったのはいいんだが
ttp://www.rakuten.ne.jp/gold/yoroi/sode.html
説明文の漢字が間違ってるのがなんとも・・・
仮にも鎧作ってんだからコハゼの漢字は正しい「鞐」を使えばいいのに。
うかうかしてるとヤフオクに出回ってる中国製劣化コピー具足に追い抜かれるぞ!
0534人間七七四年2010/02/18(木) 00:56:35ID:GAJ8oqZZ
>>533
やっぱあれ、中国製コピーだったんだな。
丸武っぽいんだけど、妙に違和感があってのっぺりした
メリハリの無い作りだから、ずっと「?」って思ってたんだ。
0535人間七七四年2010/02/19(金) 15:06:46ID:zMbPt9W5
甲冑着用時の、陣太刀の下げ方の正確なところってどんな感じですかね。
刃が下側になるように「下げる」ときの、
鎧の腰帯(ドラマだと白いサラシが多い)との絡み、緒の結び方、そういった資料がなかなか無いようで。
0536人間七七四年2010/02/25(木) 10:52:50ID:P+ESVzeD
保守
0537人間七七四年2010/02/27(土) 02:18:53ID:QXpHuX8N
陣羽織手に入れた。
大袖の鎧に陣羽織って組み合わせはあんまり無いですか?
所持してる鎧は、大袖と言っても大鎧じゃなく、袖の形状が大袖のタイプというだけの当世具足。

・・・陣羽織着用しようとしたら引っかかってダメポだった。

やはり当世具足にありがちな、もっと小ぶりな袖じゃないと合わないのかな。
0538月孔雀2010/02/27(土) 07:59:17ID:zIuDmYy0
上杉家の甲冑が、一番すごいと思う。
南蛮渡来の真似したって・・・信長さんは、、、

南蛮かぶれ・・・
0539人間七七四年2010/02/27(土) 09:00:15ID:3oSf7OXM
>>537
陣羽織が普及した時期から甲冑の袖は小型化もしくは付けないことが多くなった
桃山期の当世具足を見てごらん?袖なしの例がいくらでもあるから
そういうわけで陣羽織を大袖に無理やり合わせる必要はない

>>538
ドラマの中では信長は南蛮胴ばかり着ているが、その歴史的な証拠は何もない
たまに信長着用の伝来がついた具足があるが全部後世のでっち上げ
南蛮甲冑を使ったことが明らかにわかるのは徳川家康
0540月孔雀2010/02/27(土) 09:45:27ID:zIuDmYy0
そうなんだ
0541人間七七四年2010/02/27(土) 17:48:08ID:58VtAMO1
本物の甲冑はヨーロッパでも注文生産で高価。東洋へやって来る宣教師ごときが手土産に持ってくることなどとてもできない。
フェリペ二世が秀吉に確か2領贈っているから、これが確認できるもっとも古いもの。
ただし、当時の南蛮船は商船であっても海賊や敵との遭遇に備えて甲冑を備品として積んでいたから、これが流出して日本の武士に渡った可能性はある。
つまりヨーロッパの船が日本に来るようになって以後は、南蛮甲冑が使われた可能性はある。
家康のそれも1600年春に漂着したリーフデ号に積まれていたもの。このリーフデ号は火薬や銃器の搭載量は異常で、もともとそれらを販売することを目的としていた可能性もある。
0542人間七七四年2010/02/27(土) 20:34:56ID:3oSf7OXM
ついでに西洋鎧といえば、全身をプレートで覆うものが想像されやすいが
日本に入ってきたものはハーフアーマーと呼ばれる形式が主だったのではなかろうかと思う
ルネサンス以降のヨーロッパでは火器が発展したので、甲冑は頭や胴など急所の防御に特化する代わりに
下半身の装甲を捨てざるを得ず、文字通りの半甲冑が普及していった
その他に船上のような狭い場所だとフルアーマーでは小回りが利かないという理由もあっただろう
0543人間七七四年2010/02/27(土) 21:44:15ID:N/JFW6Gj
脚部は、長さ、形など個人差が大きいから基本的にオーダーでないと具合が悪い。それに対して上半身はある程度融通が利くから、備品として備える場合はサイズが二三種類もあればなんとかなった。
兜は顔面を覆う装置がないのが普通だが、視界が狭まることによる不利を避けるため。ただし下半身に防備がないことに問題はあり、マゼランもその欠点を突かれて死んだ。
0544人間七七四年2010/02/28(日) 03:03:24ID:WtFyDSAe
>>539
具足についてはもう少し詳しく聞きたい。信長の具足というと、建勲神社にある
紺糸威の胴丸具足が有名だけれども。

兜については、信長=南蛮兜という発想は江戸時代にはすでにもうあったみたいで、長篠
合戦図屏風には南蛮兜が描かれている。信長所用いわれる南蛮兜(唐人笠形兜)というと、永禄九年の
銘の入ったものが靖国神社にあるそうな。
05455392010/02/28(日) 11:26:28ID:EIBiFX1L
建勲神社の胴丸は小札こそ古物だが、江戸時代に総体が仕立てられたものとの説がある
胴丸をほぼ同時期に作られた上杉神社の金小札色々威(信長から謙信に贈られた)と
見比べると細部が江戸期の復古調ぽく見えるし、兜のしころも他の室町桃山期のと
比べてみると時代が若く見える(どちらも個人的な感想だが)
柏原藩が先祖をたたえるために作らせたのではないかと思っている
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kin/item07.html

信長所用の伝がつく兜は岐阜市立歴史博物館や総見院、遊就館などにあるが、
南蛮兜といっても作風からは雑賀鉢にしか見受けられない
ttp://mariya.no-blog.jp/blog/2010/01/26_8d05.html
鎖国時代のなかで、海外交易が盛んだった時代と信長のイメージの結びつきが
強くなっていった結果、一見エキゾチックな雑賀の兜を信長の南蛮好きに重ねる向きがあったのかしら
また、信雄が本能寺の焼け跡から見つけた父の遺品と伝わる兜が総見院にある
ttp://www.geocities.jp/hm17212/shiseki/bukouyawa/bukouyawa.html
簡素なトッパイ兜だが角元の大きさから巨大な脇立が付いていただろうことを考えるとさもありなん
05465392010/02/28(日) 11:36:48ID:EIBiFX1L
追記
上でぐちゃぐちゃと書いたが、じゃあ信長は実際どんな甲冑を着ていたのか
ということに対して、俺は従来の胴丸・腹巻か当世具足になりかけの丸胴とか
呼ばれるものの類だったと思う
後者の場合は、利家の金伊予札具足や、秀吉が政宗に贈った銀伊予札胴具足に近い、伊予札製の
ものを想像していただけるとよい

なんにせよ信長の甲冑についてはこれといった強力な証拠が今のところないというのが俺の感慨
0547人間七七四年2010/02/28(日) 22:29:13ID:TgoAFWIq
信長公記の中に一か所信長の甲冑のことに触れた個所があり、そこには「金唐革」の甲冑を着たとある。
「きんからかわ」とは型押しで模様をつけ、金や様々な色で彩色した革のことで、この時代ヨーロッパからもたらされた。
現在金唐革の甲冑と称するものもあるが、写真では雅楽の衣装に使う甲冑で、信長とは関係がなさそうだ。(穴八幡宮蔵)
信長のそれがどんなものだったかは分らないが、信長が特別な甲冑を身に付けたことは確かだ。
実際金唐革を貼り付けたものだったのか、金唐革のように見える甲冑だったのか。後者ならば南蛮甲冑であった可能性もあるのだが。
0548人間七七四年2010/03/13(土) 19:15:19ID:WrpZxTRB
兜のしころを包仏胴みたいに
皮で包んで漆塗ってつるつるにしてみたい
0549人間七七四年2010/03/23(火) 17:03:49ID:Rd08WxlQ
>>547
上杉家に伝わった甲冑群の中に織田信長から贈られたものが多いと私は見ている
特に革製金箔置烏帽子型兜外装や唐草透彫烏帽子形兜外装とその頭形兜は
信長の用いた無の字も装飾されている事から、日本中央で造られて信長が越後へ送ったと思う
0550人間七七四年2010/03/23(火) 17:15:33ID:Rd08WxlQ
建勲神社の胴丸については草摺が八間あることから胴だけに関しては
織田家伝来の室町末期の鎧の残欠を使って、江戸復古調期に仕立て直したと考えられる
0551人間七七四年2010/03/23(火) 17:33:53ID:Rd08WxlQ
致道博物館の色々威胴丸≒建勲神社の胴丸の可能性もある
0552人間七七四年2010/03/24(水) 06:02:25ID:qV3VLzw1
当世具足の膝の部分ってどうなってるの?
六角形の組み合わせで亀の甲羅みたいになってるけど
0553人間七七四年2010/03/24(水) 09:34:21ID:DAFjcpZD
>>552
そこは脛当ての膝を守る部分で、立挙(たてあげ)という名前がある
南北朝頃から立挙を脛当てに設けることが行われてきたが
室町期を通じて脛部分と同じ革や鉄の板で作ることが多かった
当世具足が出始めた時から立挙の部分を亀甲鉄という小さい六角形の鉄板を
布地に仕込んで作る仕立てが主流になる
亀甲鉄を他に使う機会が多いのは胴の肩上に付く小鰭部分
0554人間七七四年2010/03/25(木) 10:53:55ID:H6tGmUlH
>>553
詳しくありがとう
作るのに手間かかりそうだけど
こうしたほうが普通に鉄で覆うより耐久性あるんだろうか
膝付いた時の滑り止めになるのか
0555人間七七四年2010/03/25(木) 19:22:28ID:YPc5fQs4
動きやすいからじゃね
0556人間七七四年2010/03/26(金) 00:32:53ID:aSSEDadS
日本の鎧は大鎧も当世具足も目的が分りにくい部位が多々あるわな
0557人間七七四年2010/03/26(金) 02:02:42ID:bBKRHD+j
>>524
17世紀の西洋でも、甲冑を身につけた方が精神面で敵を圧倒でき有利だと説いた将軍がいたらしいですね。
同時代人にはほとんど理解されなかったみたいですが。

30年戦争でのスウェーデンのサーベル騎兵と皇帝軍のカラコールの事例は…鎧の有無よりも、戦法の違いに
拠る所が大きかったのでは無いかと。
0558人間七七四年2010/03/28(日) 01:52:11ID:c3G9Qymy
ttp://s160.photobucket.com/albums/t161/orcyboy/Ogres/?action=view¤t=oldsamuraiphoto.jpg

これくらい大きな兜めずらしいと思うんだけど、ここまでしころを広げる意味は何?
0559人間七七四年2010/03/28(日) 02:14:11ID:XB5HIuhY
>>558
室町時代に流行した「笠じころ」の形式だね(物自体は江戸期の復古調ぽいが)
打物での戦いが主流になると腕の運動を妨げないようにしころの傾斜角度が小さくなって
ほぼ平らに広がる形となった
ただし首筋の部分ががら空きなので、上杉さんとこでは二重じころを採用したりしているし
桃山期以降は日根野じころなどに代わられていくことになる
0560人間七七四年2010/03/28(日) 02:40:30ID:c3G9Qymy
始めて見たんだけど、室町の兜だったのか
たしかに刀は振りかぶれないね
0561人間七七四年2010/03/28(日) 09:13:50ID:1VQGTgGa
当時、当世具足で一番カッコ良かったのは細川忠興が来てたやつみたいだね。
兜に羽根がぴょーんってなってるやつ。
あれが、武将の間ではカッコいいと評判だったらしい。
0562人間七七四年2010/04/01(木) 01:29:22ID:JJWlKY+Q
>>165
コピペにレスしてもしょうがないんだけど、
ナンバ走りだったっら昔の日本人は疾走出来たのか・・・凄いな。
この前小田原城行って来たんだけど、天守閣のたもとに観光客向けの貸し鎧屋?があって、
そこで鎧着せて貸してくれるんだよね。
当世具足風の、ペナペナな物なんだけど、着てみたらまあまあ重くて、
全力疾走はきついな、って感じだった。
店のオジサン曰く、映画の撮影とかに使われるまがい物で、実際の重量の四分の一程の重さなんだって。
俺だったらあの四倍もの重量の鎧装着してひっくり返ったらそうすぐには起き上がれないわ。
ましてや泳いだら絶対沈むね。
昔の人は基礎体力が半端じゃなkったのかな?
「馬から落ちたところを討ち取られて・・・」
とかよくあるけど、なんかわかる気がしたなあ。
0563人間七七四年2010/04/01(木) 11:06:28ID:7BD7t+Rt
昔は上手く体重とかを利用して自然に移動したそうなんで、走るのも
西洋式の力に頼る走り方よりかなり効率は良いんだろうね
0564人間七七四年2010/04/01(木) 11:31:01ID:GNyuoKyr
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。

彼らは舞うような歩法を用い
これはナンバ走りのことかな?
0565人間七七四年2010/04/01(木) 13:29:38ID:wWS2q7vq
小田原城のは木製だったな
籠手の本来なら金属の部分は皮製でそれっぽく見えるようになってた
0566人間七七四年2010/04/01(木) 17:04:26ID:A73uRs3f
>>564
長さからして野太刀だから
薬丸自顕流みたいな歩法になるんじゃねーの?
0567人間七七四年2010/04/01(木) 17:53:22ID:uFOwjNCG
柳生新陰流とかの他流派でも野太刀は使えるよ
0568人間七七四年2010/04/02(金) 14:48:56ID:lTErYuWh
甲冑工房でかっこいいの見つけた
ttp://www.yoroi.co.jp/topics/2006/tsugaru/tsugaru.html

他の武将のもあった
ttp://www.yoroi.co.jp/topics.html
0569人間七七四年2010/04/02(金) 22:56:03ID:YYo1wsPW
信長公のはやはり南蛮胴なんだね。
裏付ける資料は無いらしいけど、
やっぱりかっこいいなぁ。
0570人間七七四年2010/04/03(土) 01:07:00ID:Ko23iSAE
南蛮胴が入ってきたのは豊臣時代。
信長が南蛮胴を付けていたなんて、ありえない。

そんなものは漫画かゲームの世界だけ。
0571人間七七四年2010/04/15(木) 18:21:58ID:2hTrBKx0
織田信長=南蛮甲冑ってイメージは黒澤明の映画、影武者からだね
0572人間七七四年2010/04/19(月) 07:32:25ID:U7PvfyMJ
想像と現実だけは別にして考えてたらいいと思うよ。>南蛮胴
人によるかもしれないが、あまり派手な威の腹巻をつけた信長はなぁ…。
0573人間七七四年2010/04/20(火) 19:39:00ID:pLAM/h1u
明治28年

鎌倉武士
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_5-1.jpg
南北朝武士
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_9-1.jpg
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_11-1.jpg
室町武士
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_13-1.jpg


明治だけに今の材質で作ったものではないぶんリアルかも
0574人間七七四年2010/04/20(火) 19:41:18ID:pLAM/h1u
足軽
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_3-1.jpg
旗持ち
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_10-1.jpg
中間
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_12-1.jpg
武士と盾
http://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_15-1.jpg
僧兵
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_7-1.jpg

自分的には鎌倉武士の大鎧が一番カッコいい
0575人間七七四年2010/04/20(火) 19:50:17ID:6sbcbYQW
自分は僧兵が良いな
0576人間七七四年2010/04/21(水) 13:58:32ID:v72p7yaI
明治期に撮られた戦国の鎧があれば見たかった
武将クラスの派手なやつ
0577人間七七四年2010/04/21(水) 22:42:18ID:oA6MmOvN
写真の説明書きが英語だけど明治に海外で出版されたのかね。
0578人間七七四年2010/04/22(木) 00:34:16ID:7fQed6t7
鎧を現代人が着るのは大変そうだ
0579人間七七四年2010/04/22(木) 09:04:43ID:Zs+nWDJo
>>574
武士と盾の御仁が津軽為信公の風貌が
0580人間七七四年2010/04/22(木) 12:33:44ID:0yRSMTGB
かっこええ・・・
http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/history/img/12653012080066.jpg
0581人間七七四年2010/04/22(木) 19:49:54ID:74sJXOs/
大袖良いなぁ
0582人間七七四年2010/04/22(木) 21:43:00ID:xpVF0qpu
教科書で憲法発布か何かの祝いで鎧を着て写真を撮った
という古写真の画像を探しているのだが未だに見つからない
0583人間七七四年2010/04/26(月) 00:34:32ID:fXnfRmp8
サムライ出陣
ttp://www.flickr.com/photos/24443965@N08/2822802922/sizes/o/

0584人間七七四年2010/06/09(水) 21:57:59ID:R1KVDN6S
胴体が人間の上半身みたいになってる具足で面白いのありますか?
0585人間七七四年2010/06/09(水) 22:11:15ID:vOGOODPD
肩脱ぎ二枚胴具足
0586人間七七四年2010/07/19(月) 17:38:58ID:rXit5n0L
不思議なのが、日本の鎧があれだけ重装備なのにポールアクスのような対装甲武器が全然無いって事なんだよな。
金砕棒はレアな武器みたいだし。
0587人間七七四年2010/07/19(月) 17:59:20ID:BJ2kCleF
太平記には砕棒とか鉞とかいっぱい出てくんぞ
0588人間七七四年2010/07/21(水) 23:59:34ID:K8/6XZoe
丸武のサイト見ていたのですが
合皮素材の部分があって、劣化が心配とあるけど
実際どうなのでしょうか?
購入者の方、使用中の方よろしければ教えてください
ttp://review.rakuten.co.jp/rd/2_198062_10000457_0/
0589人間七七四年2010/07/27(火) 21:09:14ID:/LBBP8wg
日本の鎖って、欧州のメイルと比べるとかなりスカスカでリングも小さく見えるけど効果はあったのか?
0590人間七七四年2010/07/28(水) 01:27:53ID:o8Km6Nbt
スカスカに見えるのは鎖の編み方や輪の大きさによるもので、(試したことはないのでわからないが)西洋のほうがたぶん頑強なのかもしれないが、
西洋と日本での鎖帷子の使われ方には歴史的に違いがあることを踏まえる必要がある。

西洋甲冑ではそもそも、古代から中世まで鎖帷子(メイル)が主体的に使われてきた。板金鎧が発展していったのは、
鎖帷子は刺突に弱く、着ると体に鎖全部の重量がのしかかって動くのに抵抗がいるという弱点を補う形でであった。

日本では、鎖帷子は札甲冑の下に着込むとか、非常時に着るとかの副次的な使用が主であったことを
考えると、同じ物に対しても求める強度が日本と西洋では異なってくると想像できるがどうだろう?
日本の鎖帷子に亀甲やカルタ形の鉄板を混ぜた例がいくつかあるが、鎖だけでは不安だという使用者の思いも感じられるのでは?
0591人間七七四年2010/07/28(水) 18:52:18ID:TGdT4x8e
ただでさえ重い甲冑に鎖帷子を着込めばかなりの重量になる筈。
だから軽量化する為にスカスカになったんじゃないか?
あくまでも間接部の防御や甲冑が貫通された時の保険などの副次的な装備だし。
0592人間七七四年2010/08/02(月) 11:27:21ID:DBkV/E0C
http://dl.dropbox.com/u/5567084/32rwea23.jpg
甲冑剣術のいでたち、構えを見ても、脇の下とかただの着物しかないから、
槍とかで突き貫かれたら終わるような気がする

狙ってくる部位が分っていることは逆にメリットにもなるのか?
相手の得物をかわして、懐に入って斬り殺す動きを重視するなら、鎖帷子で重装備にするよりも効果的だったのかもしれぬ
0593人間七七四年2010/08/03(火) 00:30:54ID:puLO2bmn
>>592
甲冑を着た武者の剣術は写真のように半身をきった構えなのか?
現代の剣道とかは体は正面向いてるが。
もっともお互い動いている相手の部位をピンポイントで仕留めるのは難しいだろう。
槍や刀で相手をぶっ叩いて組み付いて投げ飛ばしたんじゃね?

鎖帷子で思い出したが、ヒストリカルチャンネルだったかで、日本の和弓では中世ヨーロッパ騎士の鎖帷子を貫通出来なかったな。
英国のロングボウよりも弾道ゼリーを使った測定では貫通力で上回ったが、矢じりの問題で鎖帷子にはじかれてた。
0594人間七七四年2010/08/03(火) 01:25:04ID:+FS0U8P8
>>593
甲冑剣術に限ったことでは無いけど、剣術での刀の構え方は、現代剣道の「正眼」のように正面に構えるだけではないよ。
横に構える「八相」、「霞の構え」。
他に腰の下斜めうしろに構える「脇構え」とかもある。

>>592の写真のは八相を低くした感じか。
介者剣術は重心を低めに取って隙を小さくするというのは本当なんだな。
0595人間七七四年2010/08/03(火) 05:49:57ID:Vizn/ME7
>>593
あの番組って最終的には(ドイツ除く)欧米マンセーで完結させるから、
参考程度にしておくと良いよ。
第二次大戦で難攻不落の要塞を陥落させたドイツの列車砲を無駄と一蹴した後、
日本に核兵器を撃ち込む為に開発した世界最大の巨砲(未完成)を絶賛してたから。
0596人間七七四年2010/08/03(火) 18:42:15ID:cgMP7evF
いきなり時代が違う質問で申し訳ないのですが、、
平安末期頃の兜を平家はしっかり被ったのに坂東武者は兜背負ってたと言うのは本当?
あと兜がズレないように天辺の穴から髪の毛引っ張り出してたと言うのも変ですが本当ですか?
分る人おりましたらお願いします。
0597人間七七四年2010/08/04(水) 01:05:49ID:KEV3Ioul
平安末期に用いられていた兜は星兜という形式のもので、
頭蓋に被る「鉢」の部分を、台形の鉄板十数枚を半球状に鋲で留め合わせて作っていた。
「星兜」の名は表面に出た鋲の頭を星に見立てて呼んだもの。
この頃の兜の脳天部には、丸い大きな穴があるのだが、これは(兜製作の技術的な水準の問題も含めて)
その穴から烏帽子を被せた髻を出して、兜を固定していたことによるもの。当時は頭髪が神聖なものとして
扱われていたことも関係しているだろう(人前では必ず被り物をしなければ恥とされた)。
源平合戦期の大鎧に付いている兜の穴は直径数cmとかなり大きいが、もちろん急所であったことは事実。
鎌倉・室町を下るにしたがって技術の発展と共に穴は小さくなり、完全に塞ぐこともできるようになったが、
なおも飾りや頭の蒸れ防止のために1、2cmくらいの大きさで開けられることが多かった。

で、平家の武者は被っていたのに坂東武者は背負っていたとのことだが、
大鎧を着て馬に乗って戦う武士は、源平関係なく誰でも戦闘時以外は兜を脱いでいた。重いもん。
休憩時や行軍のときは従者が持ったり被ったりしていて、戦いが始まるとこれを受け取って被った。
>坂東武者は兜背負ってた
『平家物語』巻十一の那須与一「甲をば脱いで高紐にかけ」のくだりが元かしら。その話は絵の題材にもよくなっているから。
0598人間七七四年2010/08/04(水) 01:15:00ID:KEV3Ioul
追加。そういうわけで、平家物語をテーマにしたドラマで戦いを描く場合は、兜の天辺から
烏帽子の先端を突き出した風にした具合にすることが本来は望ましいのですが、髻を解いた状態の
ロン毛かつらを被せるケースが結構多いです(衣装の甲冑との兼ね合いもあるから仕方ないか)。

天辺の穴が小さくなると髻を解いてから兜を被るようになりますが、
『蒙古襲来絵詞』などの史料から、元寇期前後から始まったと言われています。
0599人間七七四年2010/08/04(水) 02:51:11ID:IoQN2ihE
>>593
あれ確か和弓とロングボウで同じくらいの張力のものを比べてたでしょ。
複合素材の弓と単一素材の弓を比較しての大きなメリットって、同一サイズで制作する場合、複合素材のそれは
張力の限界を大きくとり易いということだったと思うんだが。
0600人間七七四年2010/08/04(水) 03:50:11ID:FMdqF3fq
>>599
まあ、あの番組は和弓を割りと持ち上げてたが。
同じ張力で比較して、単純な運動エネルギーでは和弓のほうがロングボウを上回ると結論付けてたし。
0601人間七七四年2010/09/23(木) 13:28:00ID:oiDo3Lxm
練革って刺突には弱いの?
0602人間七七四年2010/09/28(火) 09:03:19ID:LXP0Cm9Q
鎧着てても股間を草摺ごと蹴っ飛ばせば悶絶して終わりだろ
0603人間七七四年2010/10/04(月) 21:00:57ID:czcdhIXz
>>602
そう。
でも水軍衆相手の場合は注意が必要だぜ、
金玉ガードがちゃんと備えられている甲冑もあるらしいよ。

金玉ガードがないのは馬に乗るからであって、
馬に乗る必要が全く完全にない海賊は付ける奴もいるんだってさ。
0604人間七七四年2010/10/25(月) 09:13:01ID:EHVrglRO
海に落ちてサメに襲われても安全なようにとか
船べりに立ったときに足滑らして股間直撃防止のためという話もあるな
0605人間七七四年2010/10/29(金) 10:43:16ID:EIjE5g2x
ほんまもん(笑)

http://www.sengokudama.jp/category/gaisyu-story.html

突っ込みどころ満載。
0606人間七七四年2010/10/30(土) 02:19:15ID:KJYRr0cC
今、岡崎城公園内の三河武士の館家康館で、本多忠勝の鹿角の兜の付いた具足を展示中。12月8日まで。
0607人間七七四年2010/11/02(火) 23:29:06ID:N7zyH0PA
レプリカ具足の試着体験とかどこかでやってない?
0608人間七七四年2010/11/03(水) 12:35:52ID:6u8abJFa
>>607
体験型甲冑店 「遠州掛川 鎧屋」
http://yoroiya.hamazo.tv/
0609人間七七四年2010/11/08(月) 12:57:44ID:3e4h8TAR
>>603
「小堀流踏水術」っていう古流泳法の流派があって、
甲冑を付けて立ち泳ぎする演武とかやってるんだが、
そのいでたちは普通の具足だったなぁ。
金玉ガードなんてはじめて聞いた
0610人間七七四年2010/11/09(火) 19:08:24ID:NY6iCV/F
昔なんかの写真で
普通の足軽鎧
3倍の大きさの足軽鎧
(しかも実戦で使われた形跡のあるもの)というものがあったと思うのですが、詳細のわかる方教えてください。
0611人間七七四年2010/11/19(金) 20:59:12ID:UOgSTvAo
質問です。もののけ姫のアシタカも身に着けている鎧の下の袖だけの部分
ttp://gyazo.com/86160a920c00fdb11ea0321a1bd0916f.png
(逆ノースリーブと一部で言われているあれ)の名称が分かりません。
知っている方、教えてください。
0612人間七七四年2010/11/19(金) 21:07:13ID:VmsHpamV
>>611
長手甲
0613人間七七四年2010/11/20(土) 00:31:21ID:iE0KQGOX
ニコニコはゆとりばかりか!
0614人間七七四年2010/11/20(土) 03:05:11ID:adJf5xx5
>>612
ありがとうございます。あれも手甲の一つだったんですね。
手甲ってごついイメージがあったので、布のあれはどういう名称かずっと
分からなかったです。
0615人間七七四年2010/11/20(土) 07:31:46ID:DdMjP5rb
逆ノースリーブwww
戦国オタとしては普通の風景だから草を生やすような違和感は無い。
0616人間七七四年2011/01/26(水) 22:58:50ID:A8eIn6IV
小札でできた胴丸に、
大鎧のような栴檀板(せんだんのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた)を付けたような構成の甲冑って、
いつぐらいの時代に使われていたものですか?

この画像のような。
http://homepage2.nifty.com/watauti/tono13.jpg
http://dl.dropbox.com/u/9990573/IMGP332.jpg

カテゴリとしては胴丸に分類されるのですか?
0617人間七七四年2011/01/27(木) 11:02:28ID:XfVCuHV2
実用品としては存在してるのかなあ。
俺が知ってるのは江戸時代以降のコケおどしの復古鎧だけど。
0618人間七七四年2011/02/04(金) 01:29:24ID:O3Dwiks5
BSジャパン 2月4日(金)20:00〜20:55 にっぽん原風景紀行 美しき松川浦 冬の青のり収穫 〜福島県相馬市〜

福島県相馬市にある松川浦は、大小の島が点在する風光明媚な風景で、日本百景の一つに数えられる。今の時期、青のりの収穫が盛んで、美しい景色の中を漁船が行き交う。
今回、俳優・波岡一喜が訪れ、青のり漁師の生活に触れていく。また、全国でも珍しい、本物の甲冑を復刻させる甲冑職人の技にも出会う。
ttp://www.bs-j.co.jp/genfuukei/
ttp://www.bs-j.co.jp/bangumi/html/201102042000_20474.html
0619人間七七四年2011/02/11(金) 07:53:06ID:/gX6jSmr
>>616
鎌倉時代の絵巻物にはいくつか例があるが現存品は大山祇神社の一領だけ
源義経奉納といわれているが、例によって時代はもっと下るらしい
ただしこれらは胴の正面に弦走韋も貼ってある

分類としては「腹巻鎧」
「胴丸鎧」というのは後世の腹巻⇔胴丸の名称逆転を受けた呼称なので正しくない
0620人間七七四年2011/02/12(土) 04:44:31ID:7AVWHVEv
>>616
甲冑着てこういう座り方すると股間の草摺が目立つね
0621人間七七四年2011/02/27(日) 12:46:01.59ID:/occJbfb
鎧が欲しいなぁ。
0622人間七七四年2011/02/27(日) 18:23:30.88ID:1PuaayzF
腹巻鎧いいねー。自分は近々会社を辞めて長年の夢だった
甲冑師の方に弟子入りをしようと思うんだけど、
甲冑師の方て今の時代でも弟子とかとってるんですかね?
0623人間七七四年2011/02/27(日) 18:38:45.79ID:/occJbfb
丸武産業で雇ってもらえば?
0624人間七七四年2011/02/27(日) 18:54:45.19ID:1PuaayzF
>>623
鹿児島のですよね?半年ほど前に一応問合せをしたのですが、
関東在住なんであんまりいい返事はもらえませんでした。
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