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当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4
なかったので立てた
鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0461人間七七四年2009/09/11(金) 06:55:17ID:HaXyBT81
>>460
ありがとうございます。
0462人間七七四年2009/09/11(金) 09:37:32ID:W/ldolMT
「 韓国で行方不明になった日本人女性6500人 」 被害者家族が訴え
http://bl★og.liv★edoor.jp/new★s2chplus/archives/5★066★322★4.html

☆☆☆☆☆☆
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。

1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04 ID:IsvYN1LJ0
1000なら
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↑ ↑ ↑    
中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ
http://s03.megalodon.jp/2009-0911-0412-34/pc11.2ch.net/test/read.cgi/prog/1204019152/34-35
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

鳩山首相の夫人、鳩山幸さんの旧姓や出自が不明だそうですよ。
鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://an★tikimchi.see★saa.net/art★icle/127578850.html (日本アンチキムチ団)

764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1252279762/
0463人間七七四年2009/09/11(金) 20:57:21ID:lIlLrQ2L
甲斐、武田氏の御旗盾なしの甲冑って武田神社に在るの?
0464人間七七四年2009/09/12(土) 18:55:19ID:WASoJgdC
「will 10月号別冊 歴史通
甲冑士森崎干城が語る 武将と甲冑の美学」
30ページ近く特集されてる。
0465人間七七四年2009/09/13(日) 00:20:51ID:1Q/Jd5aL
>>463
菅田天神社所蔵だよ
0466人間七七四年2009/09/14(月) 00:15:41ID:oBfKGa8A
>>465
dくす
0467人間七七四年2009/09/15(火) 22:15:22ID:klaKSxsB
鉄砲は物凄い勢いで全国に広まったのに、当世具足の広まり方は遅々としていて、
九州や東北では桃山期になってようやく、と言う感じらしいね。
0468人間七七四年2009/09/16(水) 00:29:28ID:7iwU99Ks
>>467
参考に↓
ttp://www.katchu.com/html/2230.html
0469人間七七四年2009/09/16(水) 20:53:50ID:CbcOPe67
>>468
ありがとう。とてもためになった。
0470人間七七四年2009/10/09(金) 23:32:01ID:QlKWh4hi
>>464
鎧師の方のインタビュー記事が載ってたやつだよね?

あれの中で、紫糸で威した北条氏伝来の具足があったけど、あれの
所蔵元とかってわかる方いますか?
あの特集は鎧の所蔵を書いてくれるとよりうれしかったな。
0471人間七七四年2009/10/16(金) 05:59:24ID:UzeneYlk
兜と今のヘルメットだとどちらが丈夫??
ふと気になって…
0472人間七七四年2009/10/16(金) 10:46:13ID:zlX0ARCF
兜のほうが丈夫だったらまだ兜使ってるはずだろ・・・

少なくとも耐弾性については現在のケプラー製ヘルメットの方が上かと
でも防刃性は兜のほうが高いかもね
0473人間七七四年2009/10/21(水) 16:43:02ID:3dqYnGwM
戊申戦争のころには爆風よけに兜使ってたらしい
0474人間七七四年2009/10/22(木) 01:42:57ID:vJVe2Yzv
兜は重くてかぶり続けるのも大変だったらしい。
なので、状況に応じて、「軽いけど防御性は低い兜」と、「重いけど防御性の高い兜」を
使い分けていたようだ。
0475人間七七四年2009/10/22(木) 02:27:35ID:GwomN1GX
>>474
最近最上記念館で公開された、延沢光昌の当世具足は兜が6kg、鎧も含めると46kgだそうだ
・・・歩けるのか?
0476人間七七四年2009/10/23(金) 18:48:45ID:spgo4Kdc
>>475
鎧台に飾るときに
肩の紐に物凄い負担がかかりそう
0477人間七七四年2009/10/23(金) 20:11:15ID:JypSoTq3
明珍って今は火箸作ってたんだ。今テレビに出てたけど
普通に町工場みたいな工房だった。
0478人間七七四年2009/10/24(土) 17:20:00ID:LZumDZXh
>>474
飾り兜なんか漆+木材+和紙で作ってるの多いもんな

>>477
見た。
やはり一般人で手に入れることのできる最高の鉄はYSSなのかorz
0479人間七七四年2009/11/05(木) 04:06:17ID:QXcsYS6R
鉄板鎧自体は紀元前からあるけど、実用化されたのは16世紀だもんな
0480人間七七四年2009/11/08(日) 15:40:10ID:YZi2M2VE
スレチかも知れないけど、うさぎ塾の無料型紙使って鎧兜をリアルに作れるのでつか?
0481人間七七四年2009/11/08(日) 18:02:11ID:lCDB51Da
>>480
お金と根気があって
手先が器用なら作れんじゃね?
0482人間七七四年2009/11/09(月) 19:19:08ID:MX2kMa7v
>>481 ありがとうございます。頑張ってみる。
0483人間七七四年2009/11/14(土) 09:12:04ID:OPWKc0tZ
>>480
3年前に無料型紙GETしたけど
一部の型紙のスケールが違っていたり、
シコロがインチキだったりでした。
無料だからその辺は仕方ないね。
0484人間七七四年2009/11/15(日) 00:11:34ID:t4eK6CNZ
声優さんが甲冑着せてもらう動画
http://www.nicovideo.jp/watch/1257410485
0485人間七七四年2009/11/17(火) 01:05:44ID:RXFXBDHu
直江兼続の新研究という本の甲冑に関する考察がよかった。

現在の愛の甲冑は、この数十年の間に兜以外は違うものに取り替え
られていたという衝撃的な展開。数十年前の写真も載せていて、現
在との違いは歴然。面は今のほうが正しいとのことだが驚いた。
0486人間七七四年2009/11/17(火) 10:51:08ID:01ddWvS9
>現在の愛の甲冑は、この数十年の間に兜以外は違うものに取り替えられていた


(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!
0487人間七七四年2009/11/19(木) 13:54:24ID:jBRwc6PU
巷に伝わる甲冑は時代、時代に改造や装飾をされ原型を留めてるのは少ない
要は暴走族の改造バイクみたいなものだ
0488人間七七四年2009/11/24(火) 14:41:09ID:mpINyi4b
> 791 [名無し]さん(bin+cue).rar sage New! 2009/11/23(月) 18:47:34 ID:VQMgrcJv0
> さっきフジのニュースで高翌齢者の万引き特集やってたんだが、警察に連行
> されていく最後の部分で、路上ですれ違ったのが鎧武者だったんでワロタ
>
>
> 792 [名無し]さん(bin+cue).rar sage New! 2009/11/23(月) 18:48:01 ID:vnhGHu8a0
> >>791
> wwwwwwwwww
>
>
> 793 [名無し]さん(bin+cue).rar sage New! 2009/11/23(月) 18:48:13 ID:ZwiOl1CyP
> http://tv2ch.com/jlab-10s/s/10s172597.jpg
>
> これか


東京は道歩いて鎧武者とすれ違うのも普通なのかw
0489人間七七四年2009/11/24(火) 17:55:09ID:8J5ZKnex
普通に鎧武者が歩いてるとは
さすがに頭狂は格が違った
0490人間七七四年2009/11/25(水) 00:38:07ID:dRiDLaoP
ここは東京だぜ?
0491人間七七四年2009/11/25(水) 22:07:19ID:xlxJDe4X
>>488の場所はどうも上野らしい。ここをまっすぐ行くとアメ横。
0492人間七七四年2009/11/26(木) 03:39:43ID:bzngDASb
陣羽織のエポレットに袖印?が付いてるから幕末期の甲冑だな

たぶん彰義隊の生き残りだろ
0493人間七七四年2009/11/26(木) 05:40:08ID:qGdiur9y
時代屋の鎧デーだったんじゃないの? 
土日昼にはいると思うけど……ここは違和感もったた方が良いのか……

http://www.jidai-ya.com/service/index.html#s02
0494人間七七四年2009/11/30(月) 02:12:32ID:4DOpm6gR
歴史祭りのmy甲冑武者じゃね?

イベント帰りとか
0495人間七七四年2009/12/04(金) 23:30:58ID:CLiQvU5A
オークションで見つけたこの甲冑って丸武のに似てるけどちょっと違うみたい。
どこで作ってるのかな?
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h136871268

評価を見ると他の甲冑も出てるけど中国製かな。
丸武より安いから他のがあればボーナスで購入検討するんだが。
0496人間七七四年2009/12/05(土) 20:35:21ID:6OFMgBmU
>>495
面頬の喉の部分が伊予札風じゃない以外はまるたけっぽいですよね

0497人間七七四年2009/12/06(日) 17:09:44ID:ydWprOJ5
>>495
マルチか
0498人間七七四年2009/12/10(木) 20:59:28ID:GT5RIf3d
現代で作られる具足は見た目が真新しくて何かイマイチなんだよな
実物の年代物みたいにウェザリング処理とかしてもらえないんだろうか
あの古さがたまらないんだ
0499人間七七四年2009/12/16(水) 20:16:29ID:kV7w4sA7
時代仕上げじゃ駄目なの?
0500sage2009/12/19(土) 16:41:41ID:ULKfP/Xd
オクでttp://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h137417042というのがでてる。
質問について回答が3つあるんだけど、
その質問者が「復古調の鎧ですね」とか
「素晴らしい鎧ですね。15万円即決できませんか」っていっている。
自分にはどうみても新物にしか見えないんだけど、この質問者達、本当に
本歌って思っているの?それとも折れが見る目がないのかなあ?
0501人間七七四年2009/12/19(土) 16:43:15ID:ULKfP/Xd
すまん、sage間違えた。
0502人間七七四年2010/01/04(月) 16:37:30ID:WYUencBF
こんど鎧を借りる機会があるので、
こないだ買ったデジタル一眼でかっこいいポートレートを作りたいんですが
どういうポーズで撮るのがいいかなと悩んでいます。
みなさんは、甲冑姿の武者はどういうポーズだと格好いいと思いますか?

たとえば刀を構えて撮る場合、甲冑姿だとどういう構えが適切なのだろう。
0503人間七七四年2010/01/04(月) 20:25:55ID:wyGrD4g3
剣術で言えば基本的に屈んで重心を下にして安定させているので見栄えは良くないですな
0504人間七七四年2010/01/04(月) 20:55:13ID:Df6tYjjw
二枚胴具足とかってプレートメイルとかとはどう違うの?
プレートメイルは30kgぐらいあったみたいだけど
>>475の当世具足は40kgぐらいあるんだよな
日本の鎧の軽さに外国の人が驚いた、みたいな話があるけど
何と何を比べたんだろう
0505人間七七四年2010/01/04(月) 21:44:18ID:Mfv7nyk/
>>502
参考にするなら古写真や錦絵、映画なんかを見本にするといいと思う。
参考までに→でも見て行け。ttp://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1235208425/

>>504
当世具足で>>475の例はレアケースだとおもわれ。大鎧並の重さだよ・・・。
標準的な甲冑―日根野頭形・桶側胴に小具足諸々―なら15〜20kgだし、その辺と比べたのでは?
あと日本の甲冑は、発祥が騎射を前提にしたものだったから、関節部が隙間だらけなんで軽かったのかもしれない。
05065022010/01/06(水) 01:00:28ID:suMS0R3Y
>>505
ありがとうございます。参考になります。
0507人間七七四年2010/01/06(水) 12:55:03ID:Gsa5Mal7
>>502
立ち姿で刀を構えるのに限らないなら、兜を持って撮るのもあり。
かぶってしまうと顔が暗めになるゆえ
別のスレから見つけてきた
http://fx.104ban.com/up/src/up11651.jpg

座り姿だと、床机(しょうぎ)でもあるとサマになるね。
0508人間七七四年2010/01/06(水) 16:46:01ID:Vd2xmze+
>>505
なるほど、戦国中期以降の甲冑は結構軽いんだな
確かに関節部分も鎖帷子で覆われてる西洋甲冑に比べると
日本のは局所的な部分だけだもんな。
しかし大鎧ってそんなに重かったんだ・・・
0509人間七七四年2010/01/10(日) 09:31:27ID:hWGqmDXv
1631年9月17日、後世ドイツ三十年戦争と呼ばれる戦いの中でのこの日、ヨーロッパの甲冑事情を一変させる戦いがあった。国王グスタフ アドルフ率いるスウェーデン軍と、ティエリー率いる旧教軍が衝突したブライテンフェルトの戦いである。
スウェーデン軍騎兵は、補給の問題により甲冑が不足し、大半の者がそれを身につけることが出来なかった。一方のティエリー軍騎兵は、甲冑の完全武装であった。しかしこの戦いはスウェーデン軍がティエリー軍に対して圧勝に終わった。
カラコールという伝統的な戦法を取ったティエリーの騎兵は、スウェーデン軍の火力の前に敗退したのに対し、スウェーデン軍の抜刀突撃はティエリー軍を蹴散らした。
これにより甲冑着用の有無は勝敗には関係がなく、火力と機動力こそが戦いを決することが実証された。
以後ヨーロッパの戦いの中で甲冑は姿を消し、胴体の損傷を防ぐ胸甲のみが用いられるようになるのである。
0510人間七七四年2010/01/10(日) 14:44:37ID:PJbxNMza
>>508
西洋の鎧も隙間だらけだけど、
物によっては鎧の下に着込む分厚い服に鎖帷子が縫いこまれていて、
それで関節などの隙間を埋める形になってる。

全身がガチガチに覆われているのは立たせて置く装飾用の鎧か、
トーナメント(ランスでの試合)で使う為の専用の鎧。
0511人間七七四年2010/01/10(日) 21:02:41ID:u3iCrou2
日本でも鎧の下に、鎖や鉄札で隙間を守る小具足を着るよね。
脇を守る脇引、首〜脇を守る満智羅、足の甲を覆う甲懸とか
0512人間七七四年2010/01/10(日) 21:14:26ID:u3iCrou2
>>509
この後スウェーデン騎兵は軽装化と鬼訓練で、迅速な機動を極限まで追求していくからなー・・・
あまりの素早さにろくに発砲する間もなく蹂躙されてしまう
18世紀になるとプロイセンなどは重騎兵もろくに胸甲をつけなくなってしまうね。
ナポレオンの時代になって胸甲の有用さが再評価され多少復活するけど
0513人間七七四年2010/01/11(月) 10:28:50ID:W1jd+Tew
篠臑当ての篠の一つを小刀の入った鞘にする発想は無かったのだろうか
0514人間七七四年2010/01/12(火) 10:11:38ID:hwVvRGGM
>>509>>512
マスケット銃や火縄銃で打ち抜けるってバレたからね。>甲冑
日本は・・・気付くのが230年程遅かったよねぇ。美術品としては最高だけど。

>>513
胴丸つけたまま屈んでみな。手が届かないと思うぜ。
あと実際に付けて歩くと、臑当ては意外とズレる。
0515人間七七四年2010/01/13(水) 18:18:45ID:opHgLo9b
今丸の内で丸武が大甲冑展というのをやってるみたいですが、行かれた方はいらっしゃいますか。
0516人間七七四年2010/01/13(水) 20:15:57ID:8kRcWhmw
>>514
自分剣道部だったんで覚えある
確かにそうだわ…w

>臑当て
横に巻き付いてるだけだもんなぁ
せめて佩盾に膝部分を連結できるギミックでもあれば
0517人間七七四年2010/01/16(土) 07:53:30ID:Jmpm64P6
>>515
行きましたよ。
レプリカですが、楽しめましたよ。
拡販が目的ならば、武将鎧よりも安いモデルを
展示したほうがいいと思うけどね。
0518人間七七四年2010/01/17(日) 17:48:32ID:nDOO/HSo
武田勝頼の素肌攻めというのは理に適っていたということか。
0519人間七七四年2010/01/22(金) 18:26:36ID:tIbbIIV3
>>515
紀の国屋の目と鼻の先でよくやったなぁと感心するわ。
目指してる方向が違うからいいのだけど。

そろそろ丸武は一般向けに足軽具足一式を出さないものかな?
0520人間七七四年2010/01/23(土) 01:46:46ID:T1nh/k7Y
紀の国屋の前でやると何かマズいの?
本格的な歴史考証されるとボロが出るから?・・・と言ってもただの本屋じゃないか。

>足軽具足
アキバの武器屋で一式10万円ですよ
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/24196336.html
0521人間七七四年2010/01/23(土) 02:55:40ID:DKPhjOIj
本屋と同名の甲冑専門の骨董屋が八重洲にあるんだよ
一度行くとすごい勉強になるぞ

ttp://www.kinokuniya.tv/
0522人間七七四年2010/01/23(土) 15:44:17ID:bIKzWAKx
ナルホド。そういうことでしたのね。よく分かりました。

丸武のは、骨董品としての鎧とは趣旨が違うので、まぁ悪くないですね。
0523人間七七四年2010/01/24(日) 04:11:47ID:Y/b8hesZ
>>520
情報サンクス。
陣笠と槍は欲しいな…がんばって金をためるか。
0524人間七七四年2010/01/26(火) 23:16:02ID:eLgqfyr9
>>514
わっしは丸胴(胴丸より二段多い)も二枚胴も所有してます。それを着て城に上がる時とか地下足袋を脱ぐんだけど、ちっとも支障ないです。
また、臑当がズレるなんて今まで一回も経験したことない。紐が汗を吸って解けなくなったことはしょっちゅうですが。

>>498
甲冑は骨董品じゃないです。武士にとっては死装束ともいえるものなので手入れの行き届いたピカピカの物が最上です。
武将たちは戦場で目立つように高価な銀箔、金箔を駆使してピカピカの甲冑をこさえていたんです。
新作なのにわざわざ古美仕上げとかにするのはもったいない話です。

甲冑の効能は精神的なモノが一番と考えます。至近距離で撃たれたら南蛮胴具足でも貫通する訳ですし。
礫や流れ矢が飛び交っている状況でそういうのに当たっても致命傷を避けられる。それだけでも存分に働けると思う。
0525人間七七四年2010/01/27(水) 00:30:02ID:+qaXuSa4
火縄銃の実射見たことあるが、とても鎧で防げるとは思えないほど凄まじい・・・
火薬が「爆発」して弾を飛ばしてるんだなあってのが体でわかる
ドバアァァン!!って感じ
0526人間七七四年2010/01/27(水) 00:45:11ID:dbAf9fzZ
アレは一回は見ておくべきだよな。
一射するだけで煙がもうもうと立ち込めて、あんなんで連射したら何も見えなくなるってのがよくわかる。
0527人間七七四年2010/01/29(金) 04:34:39ID:k4Ca0dW5
どっかの甲冑製造ブロガーが迷い込んでるな。
所行は立派なのにイチイチ一言多いあいつだ…。

ちなみに俺は艶をあえて消した具足だったり。
まあその辺は再現にこだわるか創作と言い切るかだわな。
創作を再現と言っちゃうのは眉をひそめたくなるけど。
0528人間七七四年2010/01/30(土) 02:16:50ID:F23TfKCg
今でこそ甲冑は美術品だけど、
むかし戦場で本当に殺し合いをしてた武者たちは、
戦から帰ってくればその甲冑は土埃や返り血まみれだったであろう。
組み討ちして首を取ったりした日には、胸元から上、返り血を浴びて真っ赤になっていたであろう。

それをどうクリーニング・メンテナンスしてたんだろうね。
金属そのものが露出してる鎧なら拭けばキレイになりそうだけど、
糸で装飾された小札で構成された鎧など、汚れが染み込んだら落とす方法あったんだろうか?
0529人間七七四年2010/01/30(土) 03:33:26ID:yd4ZS4ho
組紐の総とっかえじゃね
それと破損してる小札の交換も
0530人間七七四年2010/01/30(土) 20:53:43ID:z5iAJKl3
>>527
ほめて頂いてるのかな?でも所行って悪行とかに使う言葉だけど?
独学だけど甲冑歴30年もあれば一家言(一過言)あっても当然のこと。
私的なBlogで機能的でない井伊とか伊達の甲冑が嫌いだって言うのは自由でしょ。
異論があればその場で反論すれば?
もっとも艶消し甲冑をわざわざ作ってもらってるような御仁では議論すら成り立たないと思われ。
艶消し甲冑は板前で言えば錆びた包丁を「何十年使い込んだものだ」とひけらかしているようなもの。

>>528
心得のある武士は多少のほころびならばその場でもつくろえるように備えてました。
だから返り血のクリーニングなんて朝飯前。ほとんどの甲冑は防水の漆塗りだから水洗いOKです。
平和な時代 腰の物の日常の手入れを自分でやったように戦国時代に自分の命を守る商売道具のメンテを自分でやるのは当たり前のことです。
0531人間七七四年2010/02/02(火) 16:23:27ID:JsZOqLWj
細川忠興の山鳥の天衝がついた甲冑。あれ、下散の一番下には赤いビロードが貼ってあるが、最初からそうだったのではなく、
あの部分がどこかに当たって音がするのを嫌った忠興自身が、戦場で自らあの布を貼り付けたとのこと。
0532人間七七四年2010/02/03(水) 21:57:52ID:yGOPRIyK
前スレの書き込みが気になっていたので
遅レスですが…

>386 :人間七七四年 :2009/10/13(火) 21:21:02 ID:3T80k5fd
> 伴大納言絵詞は、忠実な甲冑描写で知られ、今日では失われた初期大鎧の実態を知るのに役立つ。
> ここに登場する騎馬武者は検非違使の隋兵で大鎧を着用しているが、興味深いことに弓を持つのみで、刀を全く身に帯びていない。
> 腰に差す太刀はもちろん、小刀さえ身に着けていない。やはり騎乗の従者が従うが、彼も袋に入れた替え弓を持つだけで刀は身に帯びていない。
> 隋兵は六人ほど描かれるが、全員そうである。彼らを率いる検非違使は、甲冑ではなく平服だが、こちらは刀をつけているから、画家が描き忘れたのではない。
> 鎧を着用しない場合でも刀は普通差すから、大鎧を着ながら刀を持たない姿にはやや違和感を覚える。
> 検非違使に仕える者の習慣だったのだろうか。

ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/detail.php
に記述がありました。
「検非違使の随兵はよろひきて、胡簶をひて、太刀をはかぬなり、家子は太刀はくなり」
だそうです。
0533人間七七四年2010/02/17(水) 23:45:59ID:43p3y2Qs
ようやく○武が具足の肩上の袖付部を本歌どおりに作るようになったのはいいんだが
ttp://www.rakuten.ne.jp/gold/yoroi/sode.html
説明文の漢字が間違ってるのがなんとも・・・
仮にも鎧作ってんだからコハゼの漢字は正しい「鞐」を使えばいいのに。
うかうかしてるとヤフオクに出回ってる中国製劣化コピー具足に追い抜かれるぞ!
0534人間七七四年2010/02/18(木) 00:56:35ID:GAJ8oqZZ
>>533
やっぱあれ、中国製コピーだったんだな。
丸武っぽいんだけど、妙に違和感があってのっぺりした
メリハリの無い作りだから、ずっと「?」って思ってたんだ。
0535人間七七四年2010/02/19(金) 15:06:46ID:zMbPt9W5
甲冑着用時の、陣太刀の下げ方の正確なところってどんな感じですかね。
刃が下側になるように「下げる」ときの、
鎧の腰帯(ドラマだと白いサラシが多い)との絡み、緒の結び方、そういった資料がなかなか無いようで。
0536人間七七四年2010/02/25(木) 10:52:50ID:P+ESVzeD
保守
0537人間七七四年2010/02/27(土) 02:18:53ID:QXpHuX8N
陣羽織手に入れた。
大袖の鎧に陣羽織って組み合わせはあんまり無いですか?
所持してる鎧は、大袖と言っても大鎧じゃなく、袖の形状が大袖のタイプというだけの当世具足。

・・・陣羽織着用しようとしたら引っかかってダメポだった。

やはり当世具足にありがちな、もっと小ぶりな袖じゃないと合わないのかな。
0538月孔雀2010/02/27(土) 07:59:17ID:zIuDmYy0
上杉家の甲冑が、一番すごいと思う。
南蛮渡来の真似したって・・・信長さんは、、、

南蛮かぶれ・・・
0539人間七七四年2010/02/27(土) 09:00:15ID:3oSf7OXM
>>537
陣羽織が普及した時期から甲冑の袖は小型化もしくは付けないことが多くなった
桃山期の当世具足を見てごらん?袖なしの例がいくらでもあるから
そういうわけで陣羽織を大袖に無理やり合わせる必要はない

>>538
ドラマの中では信長は南蛮胴ばかり着ているが、その歴史的な証拠は何もない
たまに信長着用の伝来がついた具足があるが全部後世のでっち上げ
南蛮甲冑を使ったことが明らかにわかるのは徳川家康
0540月孔雀2010/02/27(土) 09:45:27ID:zIuDmYy0
そうなんだ
0541人間七七四年2010/02/27(土) 17:48:08ID:58VtAMO1
本物の甲冑はヨーロッパでも注文生産で高価。東洋へやって来る宣教師ごときが手土産に持ってくることなどとてもできない。
フェリペ二世が秀吉に確か2領贈っているから、これが確認できるもっとも古いもの。
ただし、当時の南蛮船は商船であっても海賊や敵との遭遇に備えて甲冑を備品として積んでいたから、これが流出して日本の武士に渡った可能性はある。
つまりヨーロッパの船が日本に来るようになって以後は、南蛮甲冑が使われた可能性はある。
家康のそれも1600年春に漂着したリーフデ号に積まれていたもの。このリーフデ号は火薬や銃器の搭載量は異常で、もともとそれらを販売することを目的としていた可能性もある。
0542人間七七四年2010/02/27(土) 20:34:56ID:3oSf7OXM
ついでに西洋鎧といえば、全身をプレートで覆うものが想像されやすいが
日本に入ってきたものはハーフアーマーと呼ばれる形式が主だったのではなかろうかと思う
ルネサンス以降のヨーロッパでは火器が発展したので、甲冑は頭や胴など急所の防御に特化する代わりに
下半身の装甲を捨てざるを得ず、文字通りの半甲冑が普及していった
その他に船上のような狭い場所だとフルアーマーでは小回りが利かないという理由もあっただろう
0543人間七七四年2010/02/27(土) 21:44:15ID:N/JFW6Gj
脚部は、長さ、形など個人差が大きいから基本的にオーダーでないと具合が悪い。それに対して上半身はある程度融通が利くから、備品として備える場合はサイズが二三種類もあればなんとかなった。
兜は顔面を覆う装置がないのが普通だが、視界が狭まることによる不利を避けるため。ただし下半身に防備がないことに問題はあり、マゼランもその欠点を突かれて死んだ。
0544人間七七四年2010/02/28(日) 03:03:24ID:WtFyDSAe
>>539
具足についてはもう少し詳しく聞きたい。信長の具足というと、建勲神社にある
紺糸威の胴丸具足が有名だけれども。

兜については、信長=南蛮兜という発想は江戸時代にはすでにもうあったみたいで、長篠
合戦図屏風には南蛮兜が描かれている。信長所用いわれる南蛮兜(唐人笠形兜)というと、永禄九年の
銘の入ったものが靖国神社にあるそうな。
05455392010/02/28(日) 11:26:28ID:EIBiFX1L
建勲神社の胴丸は小札こそ古物だが、江戸時代に総体が仕立てられたものとの説がある
胴丸をほぼ同時期に作られた上杉神社の金小札色々威(信長から謙信に贈られた)と
見比べると細部が江戸期の復古調ぽく見えるし、兜のしころも他の室町桃山期のと
比べてみると時代が若く見える(どちらも個人的な感想だが)
柏原藩が先祖をたたえるために作らせたのではないかと思っている
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kin/item07.html

信長所用の伝がつく兜は岐阜市立歴史博物館や総見院、遊就館などにあるが、
南蛮兜といっても作風からは雑賀鉢にしか見受けられない
ttp://mariya.no-blog.jp/blog/2010/01/26_8d05.html
鎖国時代のなかで、海外交易が盛んだった時代と信長のイメージの結びつきが
強くなっていった結果、一見エキゾチックな雑賀の兜を信長の南蛮好きに重ねる向きがあったのかしら
また、信雄が本能寺の焼け跡から見つけた父の遺品と伝わる兜が総見院にある
ttp://www.geocities.jp/hm17212/shiseki/bukouyawa/bukouyawa.html
簡素なトッパイ兜だが角元の大きさから巨大な脇立が付いていただろうことを考えるとさもありなん
05465392010/02/28(日) 11:36:48ID:EIBiFX1L
追記
上でぐちゃぐちゃと書いたが、じゃあ信長は実際どんな甲冑を着ていたのか
ということに対して、俺は従来の胴丸・腹巻か当世具足になりかけの丸胴とか
呼ばれるものの類だったと思う
後者の場合は、利家の金伊予札具足や、秀吉が政宗に贈った銀伊予札胴具足に近い、伊予札製の
ものを想像していただけるとよい

なんにせよ信長の甲冑についてはこれといった強力な証拠が今のところないというのが俺の感慨
0547人間七七四年2010/02/28(日) 22:29:13ID:TgoAFWIq
信長公記の中に一か所信長の甲冑のことに触れた個所があり、そこには「金唐革」の甲冑を着たとある。
「きんからかわ」とは型押しで模様をつけ、金や様々な色で彩色した革のことで、この時代ヨーロッパからもたらされた。
現在金唐革の甲冑と称するものもあるが、写真では雅楽の衣装に使う甲冑で、信長とは関係がなさそうだ。(穴八幡宮蔵)
信長のそれがどんなものだったかは分らないが、信長が特別な甲冑を身に付けたことは確かだ。
実際金唐革を貼り付けたものだったのか、金唐革のように見える甲冑だったのか。後者ならば南蛮甲冑であった可能性もあるのだが。
0548人間七七四年2010/03/13(土) 19:15:19ID:WrpZxTRB
兜のしころを包仏胴みたいに
皮で包んで漆塗ってつるつるにしてみたい
0549人間七七四年2010/03/23(火) 17:03:49ID:Rd08WxlQ
>>547
上杉家に伝わった甲冑群の中に織田信長から贈られたものが多いと私は見ている
特に革製金箔置烏帽子型兜外装や唐草透彫烏帽子形兜外装とその頭形兜は
信長の用いた無の字も装飾されている事から、日本中央で造られて信長が越後へ送ったと思う
0550人間七七四年2010/03/23(火) 17:15:33ID:Rd08WxlQ
建勲神社の胴丸については草摺が八間あることから胴だけに関しては
織田家伝来の室町末期の鎧の残欠を使って、江戸復古調期に仕立て直したと考えられる
0551人間七七四年2010/03/23(火) 17:33:53ID:Rd08WxlQ
致道博物館の色々威胴丸≒建勲神社の胴丸の可能性もある
0552人間七七四年2010/03/24(水) 06:02:25ID:qV3VLzw1
当世具足の膝の部分ってどうなってるの?
六角形の組み合わせで亀の甲羅みたいになってるけど
0553人間七七四年2010/03/24(水) 09:34:21ID:DAFjcpZD
>>552
そこは脛当ての膝を守る部分で、立挙(たてあげ)という名前がある
南北朝頃から立挙を脛当てに設けることが行われてきたが
室町期を通じて脛部分と同じ革や鉄の板で作ることが多かった
当世具足が出始めた時から立挙の部分を亀甲鉄という小さい六角形の鉄板を
布地に仕込んで作る仕立てが主流になる
亀甲鉄を他に使う機会が多いのは胴の肩上に付く小鰭部分
0554人間七七四年2010/03/25(木) 10:53:55ID:H6tGmUlH
>>553
詳しくありがとう
作るのに手間かかりそうだけど
こうしたほうが普通に鉄で覆うより耐久性あるんだろうか
膝付いた時の滑り止めになるのか
0555人間七七四年2010/03/25(木) 19:22:28ID:YPc5fQs4
動きやすいからじゃね
0556人間七七四年2010/03/26(金) 00:32:53ID:aSSEDadS
日本の鎧は大鎧も当世具足も目的が分りにくい部位が多々あるわな
0557人間七七四年2010/03/26(金) 02:02:42ID:bBKRHD+j
>>524
17世紀の西洋でも、甲冑を身につけた方が精神面で敵を圧倒でき有利だと説いた将軍がいたらしいですね。
同時代人にはほとんど理解されなかったみたいですが。

30年戦争でのスウェーデンのサーベル騎兵と皇帝軍のカラコールの事例は…鎧の有無よりも、戦法の違いに
拠る所が大きかったのでは無いかと。
0558人間七七四年2010/03/28(日) 01:52:11ID:c3G9Qymy
ttp://s160.photobucket.com/albums/t161/orcyboy/Ogres/?action=view¤t=oldsamuraiphoto.jpg

これくらい大きな兜めずらしいと思うんだけど、ここまでしころを広げる意味は何?
0559人間七七四年2010/03/28(日) 02:14:11ID:XB5HIuhY
>>558
室町時代に流行した「笠じころ」の形式だね(物自体は江戸期の復古調ぽいが)
打物での戦いが主流になると腕の運動を妨げないようにしころの傾斜角度が小さくなって
ほぼ平らに広がる形となった
ただし首筋の部分ががら空きなので、上杉さんとこでは二重じころを採用したりしているし
桃山期以降は日根野じころなどに代わられていくことになる
0560人間七七四年2010/03/28(日) 02:40:30ID:c3G9Qymy
始めて見たんだけど、室町の兜だったのか
たしかに刀は振りかぶれないね
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