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当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧

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0001人間七七四年2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4
なかったので立てた
鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0261人間七七四年2009/01/26(月) 02:11:17ID:7FY3XJfq
甲冑パンツが出たのにマンチラ型のブラがないのは不公平だと思う。
0262人間七七四年2009/01/26(月) 02:25:19ID:S1gqHPOU
なに?甲冑パンツってwwwと思ってググってみたら
カコええ!!

普段は褌で、パンツは一枚も持ってないけどコレなら買ってもいいかな。

…マンチラパンティとか誰か作らんかな。
0263人間七七四年2009/01/26(月) 03:18:15ID:gkhVSTGw
女は黙って裸甲冑
0264人間七七四年2009/01/28(水) 11:33:12ID:tt3B9oqT
前に、靖国神社の近くにある、博物館で兜からにぎり拳が突き出たような奴
見たんだがあれは、実際に戦場で使われた奴じゃないよなw
いわゆる飾り兜って奴だよな、凄いよな、昔の人の発想は。
0265人間七七四年2009/01/29(木) 04:39:39ID:/V6DNliV
>>263
女性用具足もあるよ
胴が細身で胸が少し膨らんだ仏胴、赤漆塗だった
>>264
飾りの部分は和紙や木でできてるからけっこう軽かったりする・・・
0266人間七七四年2009/01/30(金) 02:53:13ID:HQrerXxi
>>265
井伊直弼の娘の甲冑を見たことあるよ。
当時は一度着るか着ないかだろうけど、女性にしては小柄な鎧だったな。
今の中学生くらいの子が着るような、そんなくらい。
0267人間七七四年2009/01/30(金) 12:06:32ID:mF5eGq47
江戸時代の侍って甲冑持ってたのか?
0268人間七七四年2009/01/30(金) 12:28:26ID:EML0uLfA
少なくとも先祖伝来のを一領はもってるはず
0269人間七七四年2009/01/30(金) 13:46:38ID:UPFq/UNb
自分の無知をさらして悪いんだが…
鎌倉時代くらいから武士達が片方の腕に身につける
袖だけの装具があるよね?あれはなんて呼ばれるものなの?

あと、その役割は?たぶん弓を引く時自分の腕を守るための
ものなんじゃなかろうか…と思っているんだけど。
詳しい人お願いします。
0270人間七七四年2009/01/30(金) 15:07:54ID:9uWCBXjK
>>269 これかにゃ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86
0271人間七七四年2009/01/30(金) 17:03:06ID:UPFq/UNb
>>270
どうもありがとう。

…でもそれじゃなくて、もう少し長袖っぽい奴で、肩や胸ぐらいまで覆われる
やつのことを知りたいのです(←呼び名すらわからなくてゴメン)。
0272人間七七四年2009/01/30(金) 17:19:25ID:qj7EdMMB
>>269
http://www2.odn.ne.jp/yabusame-fg/syozme.html
0273人間七七四年2009/01/30(金) 18:12:43ID:UPFq/UNb
>>272
ありがとうございます。これはわかりやすい。
射籠手というのですね。

で、これはやはり矢を射る時に左腕を守る役割を持つのでしょうか?
主に鎌倉・室町期の武士達が身につけているように思いますが、
でも戦国・江戸期でも見ますよね。実用的なものというより、
装飾的な意味もあるのでしょうか。
0274人間七七四年2009/01/30(金) 19:24:31ID:dquBRYne
袖が邪魔にならないようにじゃない?
弓道の人も片肌脱いで射たりするし
0275人間七七四年2009/01/30(金) 19:37:52ID:UPFq/UNb
>>274
>袖が邪魔にならないようにじゃない?
なるほど。

でも上半身はだけて、裸の腕に直にこれを身につけたりしている
絵や映像もみたことがある気がするのですが…。
02762162009/01/30(金) 21:13:50ID:sgvqbrhL
邪魔にならないようにするためと、防御の両方じゃね?
篭手つけるときは直垂の片袖脱ぐけど、小袖や襦袢は着たままみたいだし。

でも一応腕の外側に鎖やら金物が付いてるけど、内側はほぼカラ空きだよね。
防御力がそんなにあったかどうかは疑問。
0277人間七七四年2009/01/31(土) 02:37:28ID:XB9Xo5aV
裸の腕に籠手を指すのは単に弓の弦が当たって皮膚が傷つくのを防ぐため
じゃない?弓道やったことないからわからないけど、道着の下に長袖の
アンダー着ている人がいるのも同じ理由だと思う。
0278人間七七四年2009/01/31(土) 05:12:53ID:RcBDIMx9
>>267
大名や上級武士はともかく下級武士は生活苦から売っちゃった奴も多いらしい。
…で、鎧櫃だけ家に置いて太平の世で面目を保ったのだとか…。

しかし幕末になると再び兵装が必要になるが、全国の藩で、多数の藩士が装備を売ったことが判明する。
仕方ないので藩からストックを貸し出したり、急拵えの粗悪な具足や大河ドラマでお馴染みの畳具足が開発されることになったらしい。
もっともご存じの通り蛤御門の変の辺りから具足は新式銃に敵わず、存在意義を失い西洋式兵装に改められていった。
0279人間七七四年2009/01/31(土) 16:11:59ID:IC4jBSx1
吊り上げしては失敗して再出品の連続
こんな悪質業者は排除しましょう。maruichi1939
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e89353663
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e84552276
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e84282730
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e82949916
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e86517883
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e81149674
0280人間七七四年2009/02/01(日) 02:04:05ID:4pGiw2Re
当世具足の袖って籠手と連結させて小びれの下の峠に連結させるのが多いみたいだけど、
丸武とかの現代甲冑だと小びれの上に袖を付けるのが多いね、
あれだと激しく動いたら袖がまくれると思うんだけど…
0281人間七七四年2009/02/01(日) 02:30:24ID:1wlibtNN
>>280
これが意外と外れない。
ただ篭手に着けられる方が当世袖らしいとは思う。
0282人間七七四年2009/02/01(日) 22:42:27ID:/om6eri0
あと丸武の籠手は手首の紐をぐるぐる巻いてもらわないといけないのが
面倒。本歌はたいてい鞐どめになってるから一人でも簡単に結べるのに・・・
0283人間七七四年2009/02/02(月) 00:40:57ID:iL7WcKKR
こはぜか・・・足袋が紐で結ぶ形式からこはぜで止める形式に変わったのは
甲冑から技術を応用したのかな
0284人間七七四年2009/02/02(月) 19:23:31ID:pSGEvSN0
http://www.alleycatscratch.com/exhibit/AMPD_FIDM/2004/LastSam/100_4999_SE_fi04.jpg
この鎧は最上胴ですか?
0285人間七七四年2009/02/02(月) 21:02:44ID:4nLtsrph
>>284
ラストサムライでトム・クルーズが着てたやつか。残念ながらそれは最上胴ではない。
最上胴は長側(腹部周り)の各段に蝶番を4ヶ所入れるのが正しい形式。

284のは見る限り二枚胴で本歌に比べると上手でないが、映像で見たときの違和感はなかった。
正しい最上胴の画像を参考に→ttp://www.karakusa.jp/DSCF6531.jpg
0286人間七七四年2009/02/02(月) 21:12:14ID:pSGEvSN0
>>285
ありがとうございました
0287人間七七四年2009/02/02(月) 21:15:04ID:4nLtsrph
あとついでに。
最上胴はそれまで小札一枚一枚を絡めて板にしていたのを鉄や革の延べ板
に代えたのが画期的だったが、のちの五枚胴のように最初から分解を前提に
した構造でないことは明らかだ。中世甲冑から当世具足への過渡期にある最上胴と、
すでに当世具足である五枚胴を混同しないように。ときどき甲冑の解説本でも
混ぜこぜにして書いてあるので注意されたし。
0288人間七七四年2009/02/04(水) 03:41:22ID:7Ntb5FbU
丸武で二枚胴買ったけど胸が入らない
脇に板付け足して四枚or五枚胴に改造してもらえるかな?
0289人間七七四年2009/02/04(水) 13:19:59ID:9QN5149B
>>288
改造費 高くなりそう
サイズアップ版 買ったほうが安くなりそう
0290人間七七四年2009/02/11(水) 23:40:07ID:pWH11Zim
さりげない疑問だが、南蛮胴の表側の胴と背側の胴の継ぎ目ってどうなってるの?
ほかの胴と同じく蝶番なのかな?
0291人間七七四年2009/02/12(木) 09:34:21ID:ZMp4ePdl
甲冑パンツ...
ttp://www.sido-collection.com/online.html
0292人間七七四年2009/02/20(金) 15:16:25ID:QYI7YJj4
すんません 甲冑のときの太刀の下げ方(佩き方?)ってどんな風になりますか?
陣太刀の緒は腰に巻きつけて固定でいいのですか?
それやってみたら結構不安定でした。下が下がる形で。
時代劇に出てくる武者はもっと水平にしっかり固定されているように見えますが。
0293人間七七四年2009/02/20(金) 21:36:40ID:MYXz9uEI
>>290 ヨーロッパ製の甲冑の胴は、前後を完全に分離することができ、固定は、両側にある金具でする。金具の形式はそれぞれ異なる。上から革製のベルトをしめて万全を期す。
南蛮胴具足は、舶来品はそのまま、国産品は分離できるものと蝶番をつけるものと2種類がある。
日光東照宮の家康南蛮胴具足はたぶん国産だが、ヨーロッパ製に忠実で蝶番がない形式。和歌山東照宮のそれは、輸入品なので当然蝶番はない。
和歌山のものは前胴9,8キロ後胴2,2キロで、胴だけで12キロと国産の鎧の全備重量に迫る。これに対し日光のそれの胴は前後で7キロと常識的な重さ。
0294人間七七四年2009/02/22(日) 00:48:38ID:eqb4ObgV
>>292
戦場では佩く(吊り下げる)のではなく、すぐに抜けるように帯びる(腰帯に挿す)のが常識
当世具足なら刃を上向けにして帯刀、大鎧の場合は天神差(刃を下向け)にするのが主流だよ
0295人間七七四年2009/02/22(日) 10:58:51ID:YmYrZyzr
当世具足は数kgのもの〜45kgと重さに幅がある
足軽具足なんかは10kgいかないものが多いし
家康の大黒頭巾兜羊歯具足は40kg以上ある
15〜25kgが平均だろうね
0296人間七七四年2009/02/23(月) 05:34:02ID:3v+vlO0D
>>294
上刃が刀、下刃が太刀だっけな?
当世具足でコスプレしてるときに間違えてて、歴史ヲタにしつこく糾弾されたことがあるんだ

>>295
家康の具足は着用しても儀礼用だったんではないかと…40`cとか歩けないよw
昔井伊直政の具足が60`cあると本見たときは吹いた

西洋甲冑は全身に締まるように着るから重くてもまだましと聞くが、日本の甲冑は上半身が重すぎて肩が凝りそうだわ
何より雨の日なんぞコケやすそうだ
0297人間七七四年2009/02/23(月) 14:17:51ID:sZIhWmjq
家康自身は「鎧なんて軽けりゃ軽いほど良い」って言ってたな。
実践では動きやすいものを着ていたのでしょうな。
0298人間七七四年2009/02/24(火) 21:16:54ID:Oh+aFYGz
当世具足を着た嫁を一枚一枚剥いでセクロスしたい。
0299人間七七四年2009/02/25(水) 00:47:25ID:IvpiRasO
当世具足はそんなに重くない。60キロ、40キロは伝説の類で、正式にデータとして発表されているもので最も重いのは、井伊直政(直孝との説もあり、たぶんこちらが正解)所用の桶側胴具足の27,3キロ。
これは例外的で、15キロを越えるものは重い部類に属する。ヨーロッパでは上半身だけの半甲冑でも20キロを越えるのが普通だから、日本は軽装といえる。
現代の兵士は完全武装で40キロを越える装備を身に着けて戦うから、戦国時代の武将は肉体的負担は軽かった。
0300人間七七四年2009/02/25(水) 11:09:33ID:ky5iMWcF
>>299
けど昔は大名重臣クラス以外は全兵具足着て歩いて戦場まで向かってたんだろ?
武器や兵糧もとなると現代戦の兵と比べても対して変わらないのではなかろうか…。
まぁだからといって機動戦でも14、5`cの防弾チョッキなんぞ着込んで戦いたくないが…
0301人間七七四年2009/02/25(水) 11:54:25ID:Gv4fBWpS
>>299
16世紀全身プレートアーマーの主流になったフリューテッドアーマーは20kg前後だけどね。
胸甲部分を除くと厚さが1mmもない。
ただ、これは長大なランスや剣、下の鎖帷子の着込みを除いた重量であり、プラス10〜15kgはあるだろう。
たとえば中国宋代の歩人甲は槍手で32〜35kgの甲冑を身に着けていたが、
武器を含め全備重量は50kg前後となった。

顔やすねの装甲を省略し、
胴体に重点防御をするようになったキュイラスアーマーは防弾胸甲の重さもありもうちょっと重い。
0302人間七七四年2009/02/25(水) 12:14:56ID:rybYYnRO
>けど昔は大名重臣クラス以外は全兵具足着て歩いて戦場まで向かってたんだろ?
そんなことないぞ。大抵は戦場までは普通の旅装束で、現地で具足に変える。
ずっと鎧を着けたままだと、戦場に到着しても疲れ果てて役に立たなくなる。

食事なんかも、なるべく炊き立ての白米を支給して、
現場についたら3日分くらいの糒と塩や味噌を支給するという形。
0303人間七七四年2009/02/25(水) 13:00:08ID:aUMxjmxh
ヨーロッパの甲冑の重量 グリニッジ甲冑 1590年頃 イギリス 32,3キロ  重騎兵用甲冑 1600年頃 北イタリア 21,6キロ(膝から下は無し)
オーストリアで16世紀初めに作られたマシクミリアン式甲冑では、表面に畝をつけることで軽量化を実現し、20キロほどになった。以上三浦權利氏の「西洋甲冑武器事典」(柏書房)より。
足軽は最初から着たまま。それ以上の武士は、小者と呼ばれる従者に鎧櫃を背負わせていく。小者は刀を差すが通常の衣服の非戦闘員で戦いには参加しない。
0304人間七七四年2009/02/25(水) 16:10:02ID:skGV0wd5
当世具足は、鉄砲の登場で中途半端な装甲が無意味になったので
胴体部分の重装甲に特化してたって事かな?
西洋の胸甲と同じ考え方で。
0305人間七七四年2009/02/26(木) 00:16:20ID:9nKsK5so
>>292
一度下げ緒を腰に巻き付けて、太鼓革(太刀を吊り下げている革部品)に
緒を巻き付けてから縛ると安定する。
0306人間七七四年2009/02/26(木) 12:22:44ID:9hA9tOY/
当世具足の重量 羊歯具足 久能山東照宮蔵 18,9キロ  金陀美具足 同 11,7キロ 以上「久能山東照宮博物館100選」 同館発行より。
この本にはこれらの甲冑のその他のデータも出ている。注目すべきは羊歯具足と金陀美具足のサイズの違い。
羊歯 胴高36,5 臑当高33,5  金陀美 同高 39,0 臑当高37,5
羊歯は伊予札 金陀美は鉄板打ち出しの仏胴(上部に足掻きあり)と手法が違うため、修理法などによっては多少に誤差は生じるが、この違いはそれが原因ではない。
臑当ては臑だけではなく膝部分までを護るいわゆる大立上げで、脚の長さをそのまま反映はしていないが、やはり形の違いから生まれる誤差ではない。
金陀美具足の着用者のほうが明らかに大柄である。この具足は、家康の若い時代のものではありえない。
0307人間七七四年2009/02/26(木) 21:21:21ID:lCJy7Jbf
羊歯具足は展示用で、実際に着用してないんじゃねえの?
あるいは影武者w用かな?
0308人間七七四年2009/02/28(土) 01:59:49ID:7Le9sEy1
>>306
金陀美具足カコ(・∀・)イイ!までは読んだ。
0309人間七七四年2009/02/28(土) 02:14:22ID:V3KdgpXi
羊歯具足の冑。あれは家康が大黒天を夢で見て作らせた、ということになっているが、本当にそうなんだろうか。あの頭の形、ヨーロッパ人が被っている帽子に見える。
エラスムス、中世の哲学者で肖像画も残っているが、確かあんな帽子を被っていたような気がする。三浦按針が乗ってきたリーフデ号は、旧名エラスムス号だ。
家康は幕府を開いたことで、保守的なイメージがあるが、南蛮甲冑を愛用したことでも分かるように、ヨーロッパ文化を受け入れている。
あの兜は南蛮帽兜ではないのか。それを理解しなかった鎖国時代の人が、後になって大黒天と言いだしたのではないか。
0310人間七七四年2009/02/28(土) 10:33:31ID:5+hSN3SM
>>309
するどいとこ突いてますね。
家康の甲冑(羊歯具足、金陀美具足、熊毛水牛具足)は江戸時代、神君家康と崇めた徳川将軍家
が後世に作ったものと推測したほうが説明がつく事が多い。
ただ、大黒天兜の頭は張子だと思うので南蛮帽兜は考えにくいと思う。
0311人間七七四年2009/02/28(土) 14:50:47ID:UFvts2EI
南蛮帽といっても、文字通り南蛮、この場合はヨーロッパの帽子をかたどった、という意味。たぶん鉄の鉢の上に軽い木で形を作り漆をかけている。
この羊歯具足は、関ヶ原の戦いの直前に、奈良の甲冑師岩井与左衛門が作成した。18,9キロとかなり重いが、実際に戦場を走りまわるわけではないから、それほど問題にはならない。
家康自身が着用したものと考えるべきではないか。すくなくとも家康関係の様々な物が失われるような災害は、起きていない。(豊臣家にとっての大坂城炎上のような)家康の使用した甲冑そのものが残っていたとしても何の不思議もない。
0312人間七七四年2009/02/28(土) 20:03:45ID:D9i2jVbc
エラスムスってこの人か
確かにこの帽子はちょっと似ているな
http://www.wga.hu/art/h/holbein/hans_y/1525/07erasmu.jpg
0313人間七七四年2009/02/28(土) 23:28:19ID:7Le9sEy1
>>311
江戸城ないし駿府城の出火はそれに該当しないの?
0314人間七七四年2009/03/03(火) 13:10:09ID:iUPRuqfa
>>312 写真感謝 ホルベインさすが名手。もちろん家康が見たのは、リーフデ号の船尾飾りとして付いていたエラスムス像の方(のち栃木県佐野市竜江院蔵)。リーフデ号は1600年3月の大分に漂着後、堺経由で相模へ回航された。
家康はどこかで間違いなくこの像を見ている。今回改めて「御甲冑師岩井与左衛門由緒書」を見たら、家康が御霊夢を見て、岩井にこの冑を作らせたとはあるが、それが大黒天とは一言も書かれていない。
この像に強い印象を持った家康が、それを夢に見たとしても不思議ではなかろう。羊歯具足の冑がエラスムスの被っている帽子を写したものとしても全く問題がない。
確かにこの冑には全周に鍔がつくなど、エラスムスの帽子とは異なる点もあるが、それを言い出せば大黒天の頭巾にも鍔はない。鍔なしでは冑のデザインとしてうまくまとまらないので、岩井がそのように処理したのだろう。
リーフデ号は商船であったが、銃500丁、銃弾5000発、火薬5000ポンドを積んでいたという。関ヶ原直前の緊迫した情勢の中で、これらの大量の武器は、家康にとって天の恵みにも思えたのではないか。
エラスムスが誰かは知らなかっただろうが、この像を幸運をもたらした神としてあがめ、それにあやかろうとしたのではないか。
0315人間七七四年2009/03/03(火) 13:19:45ID:iUPRuqfa
>>313 羊歯具足は家康の死までは常に傍にあり、死後は久能山東照宮に収められた。1647年に家光により江戸城内に移され、以後は紅葉山文庫に秘蔵されていた。江戸城は明暦の大火をはじめ、何度も火災に遭っているが、
無事潜り抜けたらしい。少なくとも家光以後の技術ではこの具足は作れない。(歴代将軍がレプリカを作っているが、遠く及ばない)もともと鎧櫃に入れて保管するものだから、火事から避難させるのは容易だったのだろう。
0316人間七七四年2009/03/06(金) 18:28:27ID:LixUx5z3
【決定版】図説 戦国の実戦兜
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/R0403172

最近出た本だが非常に面白かった。実用品としての兜の機能だけじゃなく、
歴史や地域性も良く纏められてて勉強になったよ。
0317人間七七四年2009/03/09(月) 13:04:24ID:YFFV7fKl
>>316
私も拝見しましたが疑問のある記載もありましたね
いまスレで話題になってる家康の甲冑についても
P42で相変わらす水牛熊毛植を戦国期の物と書いたりしてるね

0318人間七七四年2009/03/09(月) 19:41:43ID:JV6IUQoN
オクでたまに
丸武の商品が
定価以上で落札されてるけど
落札者は知らずに落札してるんだろうか
0319人間七七四年2009/03/10(火) 16:27:53ID:Q/95rW7B
そもそも出品者に甲冑のド素人が多いから
丸武の存在を知らないどころか、正平革の年号を
真に受けて現代作の桶側胴を「室町時代の鎧です!」とか
説明してた爆笑ケースまである
0320人間七七四年2009/03/11(水) 02:28:22ID:5ZyUnLw4
ありえねえなw
丸武で一領買ったが、よく見るとスプレー塗りだったり下地がそのままだったり…
とはいえ買わないと解らんものではあるが

丸武の出来は悪くないが、それを時代物と騙すのは頂けないな
0321人間七七四年2009/03/11(水) 16:08:17ID:7GtoWfsg
大阪城天守閣・第10回紙で作ろう「鎧・兜」製作体験教室
http://www.osakacastle.net/exhibition/event.html
もう申し込み締め切りは過ぎてるけど

詳細
http://www.osakacastle.net/exhibition/documents/20_yoroikabuto.pdf
0322人間七七四年2009/03/11(水) 17:17:16ID:5ZyUnLw4
これ作ると大阪城の真田の赤備え清掃隊に入れるんだよね。羨ましい。
0323人間七七四年2009/03/12(木) 01:11:46ID:3C8ye9Oi
>>317 甲冑に限らず、美術品などは所有者との関係もあり、自由に発言できない場合がある。
国とか自治体の所有物ならば、ある程度のことを言っても大丈夫だが、個人所有の場合、相手との関係がこじれると、あとあと面倒だ。
アマチュアの研究家ならはじめから所有者とのつながりは希薄なことが多いから、何を言っても問題は起きないし、最悪相手を怒らせても、距離を取ればいいだけの話だ。
でも専門家だと有力コレクターと事を構えるのは、以後の仕事にさしつかえる。
0324人間七七四年2009/03/12(木) 02:31:48ID:0TotIuqX
間違いを認められないとは情けないコレクターですね
0325人間七七四年2009/03/12(木) 07:24:59ID:3PsEqaPq
>>317 家康の熊毛植の甲冑は、大坂冬の陣に用いたとの記録があるそうだ。その記録自体、江戸期のものだから信頼性に多少疑問もあるが、あの甲冑自体は江戸初期でよいのではなかろうか。
家康のものとして最も古い甲冑は、上田博物館のみみづく型の冑を伴うものだと思う。これは1568年には存在し、家康壮年期のものとして唯一。家臣に下賜されたため残った。
0326人間七七四年2009/03/12(木) 11:44:20ID:hCDH4PPm
>>320
時代物とは言ってない。
「時代劇や大河ドラマに登場するのと同じ甲冑」と謳ってるだけ。
もちろん完全に伝統的な製法とは限らないし、カメラに写らない部分は特にこだわってない。
まぁモノはいいし見た目は普通分からないから、着用メインなら丸武はすごくいいと思うよ
0327人間七七四年2009/03/12(木) 15:26:20ID:x55XZsnQ
>>323
正直、井澤さんのコレクションもどの程度信じていいものなのやらと
言う気もする。「森蘭丸の具足」の件もあるしね。
井伊(中村)さんのコレクションってのは、どうなんだろ。
経営してる美術館みたいなのには、旧藩士の家などから寄託されてる
ものも結構あるようだけど。

>>326
丸武のやつは、イベントやドラマなどで重宝するような感じだよね
0328人間七七四年2009/03/12(木) 15:38:32ID:lBLOB0eQ
>>324
○澤とか井○みたいな意図的に由来とか捏造する自称専門家もいますからね
井○は当家の赤備えに関しては多分間違いないんだろうけど

>>326
オク出展者が、って事です…言葉足らずスマソ

俺も一領持ってるからその辺はわかる
あえて言うなら小手は当世袖と一体化、胴とこはぜで脱着できるタイプなら大分着脱楽なんだがな;
0329人間七七四年2009/03/12(木) 16:27:24ID:dHlcF3No
森蘭丸の具足が捏造品と解ってても、丸武産業ではレプリカ売り続けたり
岐阜県可児市兼山の時代祭りに、使用し続けるのいかがなものかと思う
0330人間七七四年2009/03/12(木) 18:23:42ID:HjFN2mSv
ここも丸武製なんかな?

戦国武将体験プラン
http://www.yumekoubou.info/
0331人間七七四年2009/03/12(木) 19:04:59ID:Rwax89pD
蘭丸甲冑は出来が良いだけに、事実を知らないと信じてしまいそうになる。
兄長可の甲冑と較べて形式敵に時代が下ると思われること、320年前の物としてはきれいでありすぎること、来歴が明示されていないこと、
など疑うべきポイントはあるのだが、かなりのマニアでないと無理だろう。
でも明治、大正、昭和初期あたりに同じことをやられていたたら、誰も分からないだろう。
桃山や江戸初期など実際に甲冑が使われた時代でも、部品を寄せ集めて仕立て直すということは行われただろうから。
0332人間七七四年2009/03/12(木) 19:40:18ID:0TotIuqX
「伝・〜」ってのは都合がいいね。
誰かが言い出せば、何でも「伝・〜」だもんね。
0333人間七七四年2009/03/12(木) 21:13:12ID:lBLOB0eQ
>>327
井○は井伊直政所用の具足の展示の間違いを指摘して信頼を得たからなぁ
少なくとも旧士族からの委託品は嘘はないと思う
ただ自前で収集してきた具足には胡散臭さが抜けないんだよな
時代は一致してるだろうけど伝来は信用できんね

>>331
あれって井○が自伝でワシが集めたみたいな事書いてるんだよな
○澤が凄いのは、それをもっともらしく取り繕うあたりだよ
小幡信貞の具足の件と言い神業としか思えん
牛肉偽装コロッケより凄い
0334人間七七四年2009/03/12(木) 22:19:10ID:v+XcPlE2
>井伊直政所用の具足の展示の間違い
彼の著書を読んだ時にその話が載っていた。
たしか脇引を肩から下げないで肩上に乗せて小鰭みたいに飾っていたのに突っ込んだんだよな。
で、対する学芸員の返答が「古代には頚鎧があったからそれのようなものだろう」
と屁理屈丸出しでワロス

まあどうでもいいことだけどね。なんでもない甲冑に大仰な伝来をつけて本物
らしくみせることに比べれば。こんなスレ見ないであろう祭の大部分の参加者を通して
うそが真実として広がっていくことに比べれば。
0335人間七七四年2009/03/13(金) 15:38:07ID:eSLY8ppm
伊澤昭二の偽蘭丸甲冑は石田謙司著「甲冑師・明珍宗恭と語る」って本で
明珍宗恭本人が自分が作ったとかいてある。
0336人間七七四年2009/03/13(金) 16:33:46ID:9W1sOUVu
美術鑑賞板からコピペ

217 :わたしはダリ?名無しさん? [sage] :2008/03/30(日) 11:34:18
甲冑師 明珍宗恭と語るって本に蘭丸の話があった

明珍 人間は何でも伝統がほしいのね 今 森蘭丸所用と称してる鎧も元はと言えば 川越の道具屋にあったものなの
   僕が銀座松坂屋のそばで買った兜をまとめてあげたら、持ち主が
   「蘭丸、蘭丸」と騒ぎ出して とうとうNHKまで放映して。芳賀さんも言ってたね。
   あの具足今に 蘭丸所用になるよって。
257 :わたしはダリ?名無しさん? [sage] :2008/05/27(火) 00:29:27
蘭丸の甲冑がらみでまた面白い記事を見つけたwww

井伊達夫著『赤備え-武田と井伊と真田と-』(宮帯出版社)の中より
「・・・余談になるが、世上に森蘭丸の具足というものがある。
『決定版 図説・戦国甲冑集』などの図表に紹介されまことしやかになっている。
この具足はもう三十年以上も昔のことになるが、私が彦根で見出し、川越の古美術商
奥平長良氏に譲ったもので、当初の状態は現在、本にのせられているよりだいぶ
悪かった。何年かのち奥平氏が、ある会合の席で著者の肩を敲いて、「中村(著者旧姓)
さんから頒けてもらった具足がとんでもない有名人の鎧になっちゃってるよ」
・・・ちなみに前立などもちろん、当初は存在していなかった。名号の前立などよく
考えたものである。・・・」
他の箇所では小幡信貞伝来の具足(『戦国甲冑集2』に乗ってるやつ)を他の研究者の
論を引用して否定してる。
 この本の著者も裏でいろいろ言われているようだが、巷の甲冑について回る「どこぞの
有名人が着てた云々」は鵜呑みにしないほうがいいってことだね。
267 :わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/02(月) 11:00:06
蘭丸の鎧はどこで売ってたの?
269 :わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/03(火) 15:21:13
>>267
川越市の奥平古美術店と銀座松坂屋近くの骨董屋で売っていた物の合体バージョン
0337人間七七四年2009/03/13(金) 18:00:33ID:RJFb0TYQ
>>336
蘭丸ネタはこのスレから 185 あたりからだね
【鎧】甲冑ってどーよ?【兜】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1043910371/
0338人間七七四年2009/03/14(土) 23:47:24ID:KD647d8m
足りない兜や胴・小具足を方々から取り寄せてまとめるのは
別に悪いことではない。戦のあった時代には欠けたパーツの
補充は重要だし、平和時でも備えを怠らないという意識から
普通の行いだったろう。現代ではバラバラなものを服合わせ
の如く己のセンスを駆使してまとめていくという楽しみ方も
できるし、公表する際にも合わせ物であることを明示すれば
何も問題はないと思う。ただ、合わせ物という履歴を故意に
隠したり、更にまことしやかな伝来を含めるというのならば、
話は変わってくる。
0339人間七七四年2009/03/16(月) 05:56:13ID:1KIp+rQI
>>333
ミートホープ伊澤吹いたwwww

>>338
蔵から出て来る甲冑もその類だよな
本当に旧士族の所有品でも破損したら補填してるだろうし
何より貧乏侍は片っ端から甲冑を売り払ったから、後世別人が手にしたものかもよ
伊澤みたいに悪意を持ってやってなくてもねぇ

蘭丸セットは格好良いだけに勿体ないわ
0340人間七七四年2009/03/16(月) 13:46:07ID:aZGUzR0n
井伊澤・・・・似たもの同士
0341人間七七四年2009/03/16(月) 21:40:40ID:PK6qJvBT
平均的な具足って、今の価値で、どれくらいしたの?
100万(子供が私立に入学した感覚)くらい?
それとも300万(奮発して良い車を買った)くらいの感覚?
0342人間七七四年2009/03/16(月) 22:06:40ID:ns61f+s/
個人の家庭で戦車持ってるような感じ
0343人間七七四年2009/03/16(月) 22:43:00ID:qdHKZi/T
つまりは数億〜十数億ってこと?
0344人間七七四年2009/03/17(火) 02:44:19ID:PYRN2G9R
実際のところ、矢弾や刃をどれだけ防げてたのか気になる
0345人間七七四年2009/03/17(火) 02:45:33ID:RcXqKpzx
ものによるとしか言えん
シンプルな頭形・横矧桶側胴に諸々で100万くらいであろうね
0346人間七七四年2009/03/17(火) 02:49:11ID:RcXqKpzx
>>344
南蛮胴みたいな分厚いものでない限り矢鉄砲は弾けんだろう
正直槍刀はともかく、矢鉄砲が直撃せんよりマシ程度の装備だろう
0347人間七七四年2009/03/17(火) 03:48:54ID:SPib2bmF
>>341
ちゃんとしたものは一戸建ての住宅を建てるくらいの感覚。

戦車相当は騎馬武者。
武具一式と馬(と代馬)、従者数人とその分の装備でそのくらい
0348人間七七四年2009/03/17(火) 08:41:12ID:zTva/fu8
甲冑の価格を、現代の車の価格と同じくらいと考えればよいのではないか。
足軽用        大衆車クラス
一般武士用      ミニバンクラス
侍大将用       国産高級車クラス
総大将用       ベンツ、BMWクラス
信長、秀吉、家康など ロールス、マイバッハクラス
0349人間七七四年2009/03/18(水) 03:13:33ID:Pdpjn5qN
日本甲冑史の下巻買ってきた
あまり語られない足軽の装備や配備が事細かに描写されているのが勉強になるよ

しかしこんないい仕事をする中西立太画伯が亡くなるとは、ほんと神も仏もないね
誠実な人が死に、ペテン師がのうのうと生きてるとはこんな馬鹿な話があるかい
0350人間七七四年2009/03/19(木) 00:18:02ID:UarkBKWe
でも井○を弁護する訳じゃないが、蘭丸鎧だって他人に大金で売り付けたわけじゃないし、学研のあの本に載せることで得られた金額だって、たぶん物を購入する費用よりは遥かに低いはずだ。
歴史学には、国の在り方まで誤らせるようなとんでも学説をふりまく連中も多くいる訳で、そうした者たちに比べればまだかわいい、というべきではないか。
たまたま金持ちで、実物を手にすることが出来たため偽造に走ったということで、金儲けのために人をだまそうとしたのではないと思う。
0351人間七七四年2009/03/19(木) 01:21:29ID:cCjzDJ72
>>350
そうか、○澤はペテン師だったのか…
お前釣られたって気付けよw

金の多寡の問題じゃなくて、明らかに経緯の異なるものを森蘭丸所用と書いて広めてご当地にまで売り込んだのが問題だろ。
しかも本人が間違えたのでなく意図的に広めたのならさらに問題だよ。
ゴッドハンドみたいな歴史の根底を揺るがす嘘じゃなきゃ何だって許されるの?発想が朝日新聞かゆとりそのものじゃんww

あぁ、俺も釣られてるのかww

まあ著作内で同業者を売った○伊もどうかと思うが。
旧華族の名跡まで継いだが、捏造を指摘されたらこの人どうするつもりだろう?
時々ヤフオクの朱具足を必死に競りにかかる人物がいるが…まさかなw
0352人間七七四年2009/03/19(木) 10:29:36ID:iOZNURTE
そうだ、○伊は一部で有名なイオンド大学から博士号もらってるんだよw
前は美術館のHPでも誇らしげに発表していたが、あそこがディプロマミル(偽大学)
だと気づいたのか指摘されたのかは知らんが、今は経歴からも削除されてるw
偽物作りが偽物に引っかかるとはいい皮肉よwww
0353人間七七四年2009/03/19(木) 11:51:16ID:B8zoLLDF
そんだけ高価で、討ち死にしたりしたらちゃんと装備品一式は遺族の元に戻ったのだろうか・・・
0354人間七七四年2009/03/19(木) 11:54:49ID:gq8vtJRw
>>350
伊澤は地方の歴史資料館では展覧会は開くは
甲冑の講演では捏造話をするわ
岐阜県可児市の兼山での歴史祭りを利用するわ

これが、かわいい事か?
0355人間七七四年2009/03/19(木) 12:05:33ID:gq8vtJRw
ttp://www5.ocn.ne.jp/~shiraki/album/album2007/2007-01.html
0356人間七七四年2009/03/19(木) 15:45:15ID:iOZNURTE
>>353
まず戦で討たれたら兜は戻ってこないと思われる。
首実検の際に倒した敵の将士が本人であることの確認に兜が有力な
証拠になるので首級とともに持ち去られることが多い。後日首は
送り返されることもあったようだが、兜は家宝として討っ手の子孫に
代々伝えられていく。
たとえば長久手の戦いで死んだ森長可の具足の胴は、森家ゆかりの赤穂大石神社に
あるが、兜は別の個人が所有している。
0357人間七七四年2009/03/19(木) 20:33:31ID:vTCjGlC7
もし森蘭丸の具足が本物だったら、どれ位のランクなんだろ?
小姓だから、大衆車クラス?
偽物のアレが森蘭丸の具足として広く信じられたって事は
当時は小姓があの程度の具足を持ってて不思議じゃなかったって事だよね。

森蘭丸の偽具足、間近で見たことあるけど、アレが大衆車クラスなら
総大将クラスになると、もっと凄い装備をしてたんだろうなぁ。
0358人間七七四年2009/03/20(金) 11:26:14ID:jYiHEJPg
復古調は飛行機買うくらいだったのかな
0359人間七七四年2009/03/20(金) 20:19:11ID:NcodSBfX
小姓は普通の侍ではない。たいてい家中の重臣の次三男。装備は給付されるのか、自己負担かは分からないが普通の武士の水準とは別格だろう。
徳川美術館などにある、かつては秀吉近侍の鎧とよばれていたものは、全部で十数領が確認されている。これは、実際は家康の近侍のもので、大坂夏の陣に用いられたらしいのだが、細部の違いはあるものの基本的にはユニフォームである。
とすれば、個人負担ではなく給付されたのではないだろうか。個人のものならば、それぞれが自分で保管したはずで、まとまって残っていることもそれを示唆している。
あの蘭丸鎧の胴には、普通の武士の鎧ならばついていて当然の合当理がついていない。蘭丸ではないにせよ、近習か小姓のそれだったのではなかろうか。
0360人間七七四年2009/03/20(金) 20:35:22ID:NcodSBfX
>>350 朝鮮、韓国の歴史捏造に比べれば児戯に等しい。
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