当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧
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0001人間七七四年
2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0002人間七七四年
2007/06/08(金) 18:33:06ID:MYB9vOSB0003人間七七四年
2007/06/08(金) 19:44:50ID:cty3swdt0004人間七七四年
2007/06/08(金) 19:47:53ID:5IxpEwlf0005人間七七四年
2007/06/08(金) 19:56:01ID:P1ntm8y4鎧つうか防具全般ってことで
具足って兜・胴・篭手・脛当だっけ?
0006人間七七四年
2007/06/08(金) 20:42:52ID:H3Ky8sO/0007人間七七四年
2007/06/08(金) 20:48:04ID:UF95F/xlもともとは仏教用語が転じたもの
0008人間七七四年
2007/06/08(金) 21:27:51ID:3U6AAyFbここでも良かったんじゃないか
0009人間七七四年
2007/06/08(金) 21:38:38ID:puJqC20x結構、ハイカラら人だったようで
0010ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/08(金) 22:41:42ID:9Q6vDVH3南蛮具足は鉄砲に対して、従来の鎧にくらべて、高い防御性を持っていたそうです。
ですが、南蛮人の体型に合わせて作られたものをベースにした大きく、重い鎧なので、日本人は使う人を選びました。
一般兵にまでは回らなかったようですね。
0011人間七七四年
2007/06/08(金) 23:44:07ID:WWFJsbLuブリキのオモチャみたいな鎧兜が展示してあったのでしげしげ見てると
そこのジー様館長が
「君ら若い人達は昔の人がテレビや映画で見た大鎧みたいな豪華で重たい
鎧兜を着て戦ったと思ってるようじゃが、本当に戦う時には軽いこんな鎧兜
を着ていたんじゃ〜」と長々と話してくれた
ま〜足軽でもお貸し道具なんかがあるからよ〜わからんけど
0012人間七七四年
2007/06/09(土) 05:17:55ID:uOon+ZyMこれは徳川家康が、この当世具足(南蛮胴)が本当に防弾効果があるのか否かを試す為、実際に家康自身が着用する前に火繩銃で試し撃ちをして安全性を確認した痕跡で、実戦で着いた弾痕ではないとか
その他には、火繩銃が出回り始めた戦国時代に於いて、胸筋(ご丁寧に乳首付きw)や腹筋を模して、遠くからでは一見まともに鎧(胴丸)を着けていない様に見えてしまう『仁王胴』が出てきたとか
(※ソースは某局のテレビ番組の『世界不思議発見』より)
0013人間七七四年
2007/06/09(土) 06:06:51ID:IEdloWqq0014仙台藩百姓
2007/06/09(土) 07:52:33ID:3hnLZ469つまり家康はデブだったから
でかい南蛮胴がぴったりだったと言う事かお( ^ω^)
0015人間七七四年
2007/06/09(土) 08:08:28ID:TjezfxVI日光東照宮所蔵品
紀州東照宮所蔵品(弾痕アリ)
榊原康政拝領品
渡辺守綱拝領品
後、加藤嘉明が拝領した南蛮兜
>>14
筋肉質という但し書きは必須だね
0016人間七七四年
2007/06/09(土) 09:24:13ID:JzKzDfH+日本人の体格に合わせるために国内生産された和製南蛮胴はたくさんある。
0017仙台藩百姓
2007/06/09(土) 10:15:09ID:3hnLZ469ていうか晩年の家康の鎧は全部横長なんだおうね
( ^ω^ )
普通の人なら二人入れそうだお( ^ω^)(^ω^ )
0018人間七七四年
2007/06/09(土) 10:37:04ID:TjezfxVIさぞかし立派な体格だったのでしょうな
渡辺守綱の拝領した南蛮胴を着た甲冑絵をみると、全然痩せた体格に合っていないんだよねこれが
0019人間七七四年
2007/06/09(土) 10:56:10ID:4him/Ezw足も鉄靴で装甲していたり。
0020人間七七四年
2007/06/09(土) 22:39:52ID:4him/Ezw胴丸とか腹巻より防御力が高そうだ・・・
ttp://image.space.rakuten.co.jp/lg01/75/0000141975/21/imgd9727275ghpo4s.jpeg
0021人間七七四年
2007/06/10(日) 01:30:59ID:yb1k7pN+江戸時代の初期に
火薬の装量を減らした火縄銃で撃ってわざと弾痕を付けて
鎧の強度を誇るのが流行った。
これを「様具足(ためしぐそく)」と言う。
博物館とかに何の説明も無く弾痕付きの鎧が展示してあって
実戦によるものかと誤解されるが、ほとんどはわざと付けた弾痕。
0022人間七七四年
2007/06/10(日) 02:22:15ID:Wc/b4tbb0023人間七七四年
2007/06/10(日) 03:03:16ID:LwZxmokZ0024人間七七四年
2007/06/10(日) 10:54:26ID:5Pe+MT7lベコーンと凹んでた。ありゃ兜なきゃ即死だな。
0025人間七七四年
2007/06/13(水) 20:30:20ID:pm+BWj/q刀や槍くらいではびくともしなかったんだろか?
0026ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/13(水) 20:53:46ID:zTT7aAQJ0027人間七七四年
2007/06/14(木) 01:13:55ID:8hsJf/JF500万ぐらいでいいのが買えるよね?
0028ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/14(木) 01:21:50ID:88T0OsOuよりどりみどりhttp://store.yahoo.co.jp/yoroi/c9f0beadb3bba5b7a5eaa1bca5ba.html
0029人間七七四年
2007/06/14(木) 03:17:53ID:LOseepHc見てて思ったが、威しの糸をふんだんに使ってる具足は値が張る気がする
仏胴や桶側胴みたいにシンプルなのは比較的安いっぽいし
これすごいね
http://www.yoroi.co.jp/topics/2006/nannbann/nannbann.html
0030ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/15(金) 01:45:34ID:ct4x/uBa0031人間七七四年
2007/06/16(土) 01:45:38ID:WQo1Gv1m0033人間七七四年
2007/06/16(土) 13:01:39ID:tF9Mw9ev0034人間七七四年
2007/06/17(日) 01:31:13ID:OiKNLusb0035人間七七四年
2007/06/17(日) 10:14:57ID:xKbhPJPN0036人間七七四年
2007/06/18(月) 03:18:31ID:VJDUoNsuhttp://www.yoroi.co.jp/topics/ujisato/ujisato.html
0037人間七七四年
2007/06/19(火) 22:54:48ID:hR66hvdi鉄の表面に銀箔を押したものはあるね。
遺物を見るとくすんでて地味だけど、
新品のころはギンギラギンだっただろう。
0038人間七七四年
2007/06/20(水) 00:17:41ID:xvlULFqD錆び止めに漆を塗らない金物は刃物くらいでしょ。
0039人間七七四年
2007/06/20(水) 22:22:55ID:uKbA9HHg仏壇を見れば判ると思うが、漆+金箔は非常に好まれたけど
漆+銀箔の仏壇って無いでしょ。
0040人間七七四年
2007/06/20(水) 22:23:26ID:eSubgjtzttp://tabiudo.net/tenaka.html
0041人間七七四年
2007/06/20(水) 23:02:36ID:WPkz1xsj銀箔押しの兜や立物なんていっぱいあるよ。
0042人間七七四年
2007/06/20(水) 23:04:20ID:xvlULFqD0.6mmだっけ?実際の胴は3mmくらいあったそうで、
本物の重量感を味わうにはどこの甲冑がいいんだろ?
0045人間七七四年
2007/06/24(日) 18:40:47ID:1WDVy1ad0046人間七七四年
2007/06/24(日) 23:32:23ID:pM/VcWxe0048人間七七四年
2007/06/25(月) 22:20:44ID:BOzxWnHi室町時代末期〜安土桃山時代(戦国時代末期)
に出現した鎧の形式を総称して「当世具足」と言う。
0049人間七七四年
2007/07/06(金) 22:22:59ID:a3XtfEQ5古墳時代にも面鎧があったというのは本当なのかな。
0050人間七七四年
2007/07/07(土) 00:20:56ID:NuE9seUC源氏八領とか武田家の「盾無」とか
俵藤太の「平石(避来矢)」は兜だけ残ってると聞いてますが。
戦国武将の愛刀なんかは調べやすいんだけどな…
0051人間七七四年
2007/07/07(土) 07:27:50ID:2MlNFHNMよく兜鉢や胴の裏に銘が刻んでるのを見ますけど、銘を刻むのが普通だったかは自分にはわからないです。
「義道」とだけ刻んであるのもあれば、「○○国住明珍○○作之」と刻んであるものも。
篭手に銘があるものもありますね。
0052人間七七四年
2007/07/07(土) 22:17:30ID:eUlgOr7L鎧は札や威絲など細かい部品を組み立てて作るため、
最終的に組み立てた総合甲冑師の銘というのは通常入りにくい。
が、札や兜鉢など金属部分を担当する部品製作の職人や
全部自前で制作する派は銘を入れる事が出来た。
明珍派は元々鍛冶職人で部品製作の家だったため、
部品から自前で作った明珍の銘は残り易く、
組み立てを主にやっていた岩井派などは銘が残りにくかった。
江戸時代には実用品というより工芸品になったため
銘を入れる事が多くなった。
というような話を読んだ事がある。
0053人間七七四年
2007/07/08(日) 21:36:39ID:MSYdcA4V弓を引きやすくするためそうしていたと聞いた。
中には指が分かれておらず手全体を覆う鎖手袋や、指先まで鉄片をつけているものもあるけど。
0054人間七七四年
2007/07/08(日) 23:20:30ID:IfKXREfA総面は室町時代初期くらいに出現したらしい。
面具の一番古い記録が平安時代の末期らしく、
古墳時代にはなかったと考えるのが妥当では
0055人間七七四年
2007/07/09(月) 16:18:34ID:dt30Mn0O0056人間七七四年
2007/07/10(火) 00:47:45ID:3yAbInPnなるほど、太平記のころなのか・・・
打物戦が多かったからなのかな。
>>55
現存しているのは平安時代前期のものと言われる沢潟威鎧。すでに大まかな大鎧の形式を備えている。
十世紀半ば、937年の平将門の乱の頃には大体出来ていたみたい。
大鎧の簡略版として胴丸も近い時期に発生したそうだ。
0057人間七七四年
2007/07/10(火) 18:06:56ID:ubwxeec50058人間七七四年
2007/07/10(火) 23:40:37ID:AQAckw4H0059人間七七四年
2007/07/11(水) 00:49:47ID:bJVmBMvW0060人間七七四年
2007/07/11(水) 04:52:15ID:Mxcarr4f0061人間七七四年
2007/07/13(金) 02:26:50ID:gQlWi72a0062人間七七四年
2007/07/13(金) 07:15:19ID:xUIosehOインドかどっかにあった気もする
0063人間七七四年
2007/07/13(金) 12:19:22ID:gQlWi72a中国のはかろうじて三国志のゲームやらなんやらで見るけど、あれはデザイン自体がフィクションだからなぁ。
あんまり暑い国だと甲冑よりむしろ裸に近いイメージがあるし。
裸で戦ってて、顔だけ面頬で守る発想になるのかな?
やっぱり知り得る限り日本の甲冑が一番カッコイイな。
0064人間七七四年
2007/07/14(土) 21:20:43ID:Jpw4CL2mワンルームマンションじゃ置く場所ないんだな
0065人間七七四年
2007/07/14(土) 21:28:11ID:bozFkjtJ0066人間七七四年
2007/07/15(日) 02:16:45ID:3kOpWZX70067人間七七四年
2007/07/15(日) 21:59:51ID:YBYAdzKr0068人間七七四年
2007/07/16(月) 00:50:44ID:nqgWNbUf昔の侍は甲冑着てウォーキングして体鍛えてたみたいだし
0070人間七七四年
2007/07/16(月) 12:10:46ID:RbMjtq2I0071人間七七四年
2007/07/16(月) 17:18:10ID:okha3RHt「あ、ヨロイの人だ!」
「これ!見ちゃいけません!!」
0072人間七七四年
2007/07/17(火) 08:53:19ID:TVKvPPLb0073人間七七四年
2007/07/17(火) 13:24:09ID:jxlmmSAR0074人間七七四年
2007/07/19(木) 01:14:08ID:gXOIEcx50075人間七七四年
2007/07/19(木) 11:17:33ID:4fvOOnKZちょっと硬い素材の衣服だってだけじゃん。
0076人間七七四年
2007/07/19(木) 21:58:15ID:9RKXV57Y0077人間七七四年
2007/07/20(金) 16:01:38ID:9HdVcJWM0078人間七七四年
2007/07/23(月) 01:00:53ID:E2NFib6k0079人間七七四年
2007/07/24(火) 10:15:11ID:qrXiaSao0080人間七七四年
2007/07/25(水) 07:51:04ID:u05rC4h0大鎧は重量があまりにあるため、革と鉄の小札を組み合わせて綴ったものが多いが、木を使うこともある
南北朝時代以降総鉄製の鎧があらわれだし、戦国時代以降の当世具足は装飾部以外鉄製のものが大半
歩卒が身に付ける胴丸なども革製が多かったが、鉄砲の普及により鉄のものにとってかわった
足軽の陣笠は和紙を塗り固めたものでかなり丈夫だそうだ
0081人間七七四年
2007/07/25(水) 10:25:04ID:09Q/0S7X0083名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 01:23:19ID:RqPpMZiY0085人間七七四年
2007/08/09(木) 06:48:51ID:M0t6+wET0086人間七七四年
2007/08/09(木) 08:11:16ID:HrMAZbPE0087人間七七四年
2007/08/09(木) 22:57:17ID:QEcf4aqa0088人間七七四年
2007/08/10(金) 21:28:40ID:godI1Edw0089人間七七四年
2007/08/16(木) 05:58:42ID:HO5LeDvD0090人間七七四年
2007/08/17(金) 05:27:15ID:D2DFzUpY0091人間七七四年
2007/08/20(月) 21:42:41ID:ugC4PE7J0092人間七七四年
2007/08/20(月) 22:05:27ID:x+2d7BLA本物の重量感が欲しいんだよな〜。
0093人間七七四年
2007/08/20(月) 22:28:43ID:ugC4PE7J丸武から鎧送られてきたら厚さはかってるべ
0095人間七七四年
2007/08/20(月) 23:50:02ID:ugC4PE7J質が良かったらもっと
高額のも買おうかと思ふ。
0096砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas
2007/08/21(火) 00:05:29ID:XDPQl5fR「質が良い」というのは、やはり防具として堅牢であること!
良ければ刃物で切りつけたり、鉛玉を打ち込んだりしてみて。
0097人間七七四年
2007/08/21(火) 00:11:08ID:PzMFYa5m0098人間七七四年
2007/08/21(火) 20:07:33ID:nrNPqhau0099人間七七四年
2007/08/23(木) 23:02:06ID:DPH/FfAL0100人間七七四年
2007/08/24(金) 22:49:47ID:5jHHCz5o正直防御力が高すぎてなかなか死にそうにない感じ。
0101人間七七四年
2007/08/25(土) 04:27:44ID:eQu9mqHy0102某研究者
2007/08/25(土) 17:50:47ID:xELlJb/6短甲が廃れたのは不可解だが
皮の札鎧の数を供給する事を優先したのかだが
精鋭部隊は鉄の短甲や明光鎧の様な物を着た方が
良かったと言う事は無いのかだが
0103某研究者
2007/08/25(土) 17:54:18ID:xELlJb/6ミトン式に近い篭手も
一応有るが
組み討ちには不向きかも知れぬし
此れは完全に指先を覆えるのかどうかだが
此れは江戸時代の物では無いのかだが
0104某研究者
2007/08/25(土) 17:59:48ID:xELlJb/6正直防御力が高すぎてなかなか死にそうにない感じ。
プレートアーマーでは無い札鎧だから
上から殴れば
可也衝撃を受ける訳だろうか
0105某研究者
2007/08/25(土) 18:03:12ID:xELlJb/6>明光鎧は南北朝から唐朝にかけて流行したもの。
明光鎧より短甲の方が
胴体全体が一体化しているので
防御力は高いかも知れぬが
明光鎧も唐以降は余り見ないが
此れが廃れたのは
ブリガンダインの様な鎧や札鎧を多用する
北方蛮族進入の影響なのだろうか
0106某研究者
2007/08/25(土) 18:23:49ID:xELlJb/6短甲を装備してこの様な格好で
騎乗して居たのかだが
6世紀には短甲は廃れたと言う
事だろうか
0107某研究者
2007/08/25(土) 18:30:44ID:xELlJb/6>最近、韓国の池山洞(チサンドン)32号墳から日本製と考えられる鉄製よろい(横矧板鋲留式短甲)が出土して注目されています。
>5世紀後半には、日本の鉄製品を逆輸入するほどに鍛冶技術が向上したことを知ることができるのです。
朝鮮で出土する短甲と言うのも良く有るが
此れは基本的に日本製なのか
どうかだが
短甲を輸入していたと言う事は
札鎧より優秀と見て居たのか
どうかだが
0108人間七七四年
2007/08/25(土) 18:37:08ID:oLrUU3jt馬上での動きやすさを考慮して変化したと言われているけど
歩兵も挂甲にとってかわっているのは不思議といえば不思議
0109某研究者
2007/08/26(日) 12:09:16ID:e3H2ZjJEイラン等の兜にも面具と言うのは
有った訳だろうか
0110人間七七四年
2007/08/26(日) 14:22:13ID:SrXWevsF0111人間七七四年
2007/08/26(日) 18:02:23ID:ECtXpi9/ところで102〜107はナニモノなのだろうかなのだが。
0113人間七七四年
2007/08/26(日) 20:41:55ID:ECtXpi9/0114人間七七四年
2007/08/27(月) 11:33:22ID:HBRgAxsxこれでスレ住人を尊重して空気を読んでくれればなんだが、
それでは某研氏じゃなくなっちゃうのかも
0115人間七七四年
2007/08/30(木) 00:22:40ID:60ZUFojV一方的に言いたいこと言って満足してるだけ。
つまり、会話が全く成立しないコテ。
0116人間七七四年
2007/09/03(月) 02:01:14ID:omCdm6Gfよろい届きましたか?
0117人間七七四年
2007/09/03(月) 15:54:21ID:S9dzHsOB0118人間七七四年
2007/09/05(水) 20:51:28ID:oLENCFXL到着したらうpキボン!
0119人間七七四年
2007/09/05(水) 21:39:29ID:ZvUSF12aヤフオクで買おうと思っても
終了間際に一気に値が上がるし
0120人間七七四年
2007/09/14(金) 02:25:30ID:xlFE/rBt0121人間七七四年
2007/09/16(日) 15:21:14ID:k66boAsq0122人間七七四年
2007/09/17(月) 12:24:38ID:7gnZQqsIドラマで使ってるのは売ってないのかな?
0123人間七七四年
2007/09/17(月) 13:50:29ID:JrhCy9Exサイズ指定さえすれば、街の幟とか売ってる所で
つくってくれるんジャマイカ?竿は知らんけど。
あと、雑兵や足軽、下級武士が背負ってる背旗は
たぶん、お前さんが思ってるほど大きなものじゃ無いぞ。
0124人間七七四年
2007/09/20(木) 20:56:54ID:yopb+sxW小学生の頃から惚れてたわ
0125人間七七四年
2007/09/20(木) 21:26:40ID:ug+zUGCn仏胴のペロンとした曲線は実に美しい。
0126人間七七四年
2007/09/21(金) 02:27:10ID:9YSXMwKg小札を綴り皮札を混ぜるのは軽量化と動きやすさを向上はさせたが、
挂甲→大鎧→胴丸・腹巻と続くラメラーアーマーの系譜は
工程の煩雑化と防御力の低下を招いたと思うんだけど・・・
防御力より機動力を重視していたんだろうな
0127人間七七四年
2007/09/21(金) 04:14:59ID:9YSXMwKgちなみにヨーロッパでは、鎧を黒く塗るのは
磨き上げる余裕もない浪人騎士のすることと思われていたそう
日本は湿度が高いからそれどころじゃーないのかもしれないが
0128人間七七四年
2007/09/21(金) 19:54:33ID:3lIPWEr7なーんか技術の分断があったぽいよなー。
なんらかの理由で鎧製造技術者が皆殺しにされたんじゃあるまいか
0129人間七七四年
2007/09/24(月) 16:02:15ID:NyZcJJP70132人間七七四年
2007/09/26(水) 19:00:29ID:l3a7Exf50133人間七七四年
2007/10/04(木) 10:06:23ID:tp0BrSfK>>131
エドワード王子が黒い鎧を着ていたのと言うのは伝説で、それを裏付ける証拠は何一つ無い。
黒太子と言う名前も彼の死後かなり経ってからつけられた物。
0134人間七七四年
2007/10/04(木) 23:22:37ID:Q0/SDeKw0135人間七七四年
2007/10/05(金) 00:23:58ID:xUjYPE2E是非、黒鎧であって欲しい。
0137人間七七四年
2007/10/05(金) 14:20:50ID:WPGWMk+9ttp://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/elements/041-4.jpg
0139人間七七四年
2007/10/05(金) 16:40:08ID:BfBN68cm0140人間七七四年
2007/10/06(土) 13:08:10ID:u479+1HPttp://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B027560000000001.jpg
ttp://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B027560000000002.jpg
0141人間七七四年
2007/10/08(月) 12:40:36ID:ett2ADeE0142人間七七四年
2007/10/08(月) 22:34:11ID:My4CYWQh緑の漆を塗ったもって案外少ない気がする
白塗り具足なんて一度も聞いたことないなw
0143人間七七四年
2007/10/08(月) 22:35:36ID:gjTxN0rj0144人間七七四年
2007/10/08(月) 22:40:15ID:n5k3oSnhこれ見てたら「炎立つ」の俘囚(安倍氏など)の甲冑を思い出したよ。
草摺丈がもう少し短くて壺袖様の袖を具してたが……あれって考証的にどうだったんだろ?
古代の挂甲→大鎧の過渡期っぽいイメイジで好きだったな。
0146人間七七四年
2007/10/08(月) 23:24:01ID:JKvOoJfMwiki以外のソース無いの?
“黒騎士”を検索してもwiki以外何も出てこない。
ソースがwikiだけじゃなー
0148人間七七四年
2007/10/09(火) 22:27:46ID:GBHWE9KAおれもそれ以上はよく知らんw
英語圏ではBlack knightを日本の浪人に例えることがあるらしい。
0149人間七七四年
2007/10/11(木) 11:16:01ID:Eh8CCgQS白塗り具足の絵巻見たことがあるが、名前が思いだせん
大鎧だとおもうが貴族らしき屋敷に敵の首もってへへーってやってるとこ
0150人間七七四年
2007/10/12(金) 01:14:30ID:bT0lkH3X>英語圏ではBlack knightを日本の浪人に例えることがあるらしい。
だから、ソースは?
wiki以外で
0151人間七七四年
2007/10/12(金) 06:01:26ID:5X7BVnkWあとは知らんよ。
学術系でもあるまいしWIKIがソースでそこまで不都合があるんだろうか?
WIKI執筆者より知識があるならともかく。
英語版WIKIのblack knightをめっさ意訳すると)
黒騎士は、特定の君主に縛られないか、または縛られたくない軍人か騎士であり、
どんな紋章の規格も持たず出自も確認できないので、黒塗りにしていた。
紋章を持つ資格がスコットランド紋章院かイングランド紋章院など機関によって慎重に定められていたので、
主君の遺産か寄付による紋章の資格を得ていなかった戦士は、自分達を表すどんな紋章の意匠も持っていなかった。
しばしばこれらの似非騎士はフリーランスで、鎧を手入れする従者が欠けていたから錆止めに鎧を黒く塗っていた。
これらの特定の主君を持たない経験豊富な戦士達は、どの勢力にも付いたり離れたりし、
彼らの組織化された力は王にとって大きな悩みの種だった。
この種の放浪状態は封建制度システムと正反対の存在で、彼らは冷遇されていた。
この冷遇ぶりが、この単語が軽蔑的に用いられるようになった原因だ。
より一般的に使用されるネガティブな用法は、自分から進んで紋章を隠した軍人や騎士に関するもの。
危険な政治的陰謀にかかわる騎士か、紋章を見られるのに不向きな活動をする戦地の者が、
個人を特定されないように盾を黒く塗った。
0152人間七七四年
2007/10/13(土) 05:15:18ID:Lfq6saG+緑
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/gallery/moukoshurai/e03.htm
白
http://pukapuka.sakura.ne.jp/cgi-bin/upload/puka/img-box/1192076215999.jpg
0153人間七七四年
2007/10/13(土) 08:25:29ID:Wiot144T時代から腹巻かなにかの威鎧っぽいが。
0154人間七七四年
2007/10/13(土) 09:51:12ID:/4VmYRZFあーよく読んだら「白塗り」か
塗りは知らんな
白けりゃいいじゃんってわけにはいかないのか
0156人間七七四年
2007/10/15(月) 18:02:32ID:DwblwBmV0157人間七七四年
2007/10/16(火) 06:19:15ID:YOjO8dOR練革か鉄
千数百〜二千数百枚の札を色糸や染革で威して出来てる
鉄札はチタンが混じり、砂鉄を使って鋼に精錬したもの
0158人間七七四年
2007/10/16(火) 22:14:11ID:GEVGAfPj見た目は綺麗だが、鎧を更正している紐が外側に剥き出しって危ないと思うんだけど
0159人間七七四年
2007/10/17(水) 14:38:18ID:dRXY96Yr現存するもので刀で斬られたと思われる損傷を観察すると
一撃で切れる威し糸は多くて4本みたいだよ
同じ列を連続できられるなんてことはありえないけど仮に一列を連続で斬られても完全に切断するのに最低15回も斬らないといけない
まあ当世具足になるとだいぶ威し糸は隠されてくるけど
0160人間七七四年
2007/10/17(水) 18:19:05ID:17BRWXwfメンテナンス大変そうだw
なんかの祭で大鎧の兜の糸がほつれまくってた
0161人間七七四年
2007/10/17(水) 20:03:07ID:c1Ggetbcちと舐めてた
0163人間七七四年
2007/10/25(木) 15:39:36ID:41a91J6Z赤糸威みたいなやつ
0164人間七七四年
2007/10/25(木) 20:34:58ID:+x4RMaJXラメラーアーマーは本当に動きやすいんだろうか・・・
0165人間七七四年
2007/10/26(金) 21:36:10ID:2KhrcWWp以下コピペ
日本甲冑は兜胴丸小具足の完全装備のまま自分の足にて全力疾走できる
(草摺しころがガチャガチャ上下しない和式走法ならば)。
四肢部の重量軽く各関節が生物的な可動性を有しているためである。
前立を外せばその場受身もでき(その場受身も使えないような不自由な装備
では敵前で転倒したときに敵の妨害の可能性のある中、立位に戻れる可能性
は低かろう)、蜻蛉も切れる(宙返りといっても側転に近い仕舞で習うよう
なほうだが)
体験したことは無いが着たまま泳ぐことすら可能というのだから恐れ入る。
(但し公平さの為にあえて告白すれば日本甲冑の兜は重い。というか兜だけ
をかぶっている気分だ。このバランスに慣れるのには現代人の自分には骨が
折れた。ただし当時の日本人の基礎体力と身体能力は西洋人も驚愕した旨の
記述が残っているようなのでひょとすると武士の体力なら兜の重さは気にな
らなかったかもしれない。)
着たまま十二分に動ける鎧があるのに裸になるなどという極端な事をする必
要はない。
といっても武士の中には蛮勇を誇示するためにあえて片肌もろ肌脱いで戦っ
た者はいたようだ。
以上コピペ終わり
0166人間七七四年
2007/10/27(土) 00:32:05ID:FXlxYYlTしかもスゲー強かったみたいだし
0167人間七七四年
2007/10/27(土) 04:29:50ID:N0f4emp40168人間七七四年
2007/10/27(土) 12:08:21ID:HhrKPlTSスケイルアーマーでも無理がある
半分づつ重なって横列をつくりそれを更に縦に半分づつ重ねていくわけだから
最大で四枚重ね分の装甲に守られてることになる
しかも太くて丈夫な威糸で威してるから鎧全体がクッションになってる
0169人間七七四年
2007/11/03(土) 14:59:20ID:A3YYbFf80170人間七七四年
2007/11/20(火) 17:29:34ID:8sXcm7fL0171人間七七四年
2007/11/29(木) 08:52:01ID:g0UoBNOb0172人間七七四年
2007/11/29(木) 21:04:55ID:WUv2LDztつまり、しころで兜全体を支える、首の筋肉を使うのは向きをかえるときのみ?
0173人間七七四年
2007/11/30(金) 09:33:38ID:pVySb0zz0174人間七七四年
2007/11/30(金) 13:48:08ID:XEzBJOvm0175人間七七四年
2007/12/13(木) 03:14:43ID:2PMqNVcp胴だけとか、這楯だけとかは。
0176人間七七四年
2007/12/15(土) 07:30:18ID:v0adNAsB0177人間七七四年
2007/12/17(月) 08:34:34ID:bOOizBQk戦国時代の鎧の下に着ているものはどんな着物なの?
0178人間七七四年
2008/01/10(木) 04:05:49ID:9Nagdq/R0179人間七七四年
2008/01/12(土) 01:20:23ID:cS5DjhKn0180人間七七四年
2008/01/13(日) 21:10:24ID:vHQ+R5JS海外の掲示板で外国人(アメリカ人?)が
「日本の鎧は世界中の鎧の中で一番素晴らしい」とか言っててちょっとうれしかった。
0181人間七七四年
2008/01/13(日) 21:21:25ID:pkZg/Cz/恐ろしくてカートに入れれないよ。五千円で買えないかな。
0182人間七七四年
2008/01/13(日) 23:40:34ID:RD7EK6Yd0183人間七七四年
2008/01/14(月) 01:33:31ID:QQa+EBmk(程度もそれなりなのは覚悟しておかなきゃならんが)
0184人間七七四年
2008/01/14(月) 21:08:04ID:XVXJQuZX0185人間七七四年
2008/02/01(金) 01:51:18ID:9nshVVQ+0186人間七七四年
2008/05/09(金) 02:18:31ID:RP4AJnHC0187人間七七四年
2008/07/22(火) 13:55:26ID:HHcZOX3p畳具足は幕末の足軽具足だぞ
戦国時代の物じゃないぞ。勘違いするなよ。
0189人間七七四年
2008/07/29(火) 10:38:00ID:dQPZ/7h90190人間七七四年
2008/09/08(月) 13:21:44ID:pzrgJYyoって話があったけど、徳川家に取り立てられて麹町に
立派な屋敷もあったようだ。
明治以降はどうなったのか、だれか知らない?
0191人間七七四年
2008/09/08(月) 14:03:29ID:Lki0zbnp兵農分離がされた戦国末期〜江戸初期の、足軽用胴丸で新品300万円ほどだそうな。
当然中古ショップが大繁盛。
(仕入れ先は戦場の死体)
かなり高価と思ったが、
今で言うなら、レースに出るために、中古のアルトワークスを買って、150馬力くらいにチューンして、
足回り固めて、シート・ロールバー・タワーバー・計器・ユニフォームでそれくらいかな?
0192人間七七四年
2008/10/23(木) 00:59:06ID:w7EhqNgX俺らが車買うくらいの投資だったんだなw
0193人間七七四年
2008/10/26(日) 22:21:25ID:2DRpoHWi0194人間七七四年
2008/11/24(月) 12:16:51ID:8eC66g3Yこの鎧はいつごろの時代の、何という種類の鎧に分類されますか?
http://www.death-note.biz/up/img/31396.jpg
あと、喉のところを覆ってる防具は、面とくっついているものですか?
0195人間七七四年
2008/11/24(月) 17:33:41ID:qy4FVmtV吹き返しのサイズは鎌倉後朝〜室町中期。兜は十二間程度の筋兜。
シコロのサイズは室町以降。
袖は大袖。草摺は胴丸腹巻具足に多い糸威の五枚タイプ。
胴は桶川胴に装飾を施して糸威に似せた物。
結論、年代は特定できません。無駄な装飾が多いところや、布部や糸の劣化具合から見て
現代に作られた観賞用の物と思われます。
喉部を守る垂は頬当と一体の物と単体の物があります。
0196人間七七四年
2008/11/25(火) 01:12:28ID:XO+4FRHeありがとうございます。
それでは、ここのものはどうでしょう?
ここの真ん中ぐらいからの、大人用の着用鎧(18万〜40万のもの)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~suwakou/subyoroi.htm?gclid=CN_29430vJYCFQeFbgodfiaVyw
自分は甲冑に関してまだ初心者なのですが、着用できる鎧をひとつ欲しいと思っています。
足軽鎧ではなく、武将鎧的な甲冑を。
いろんなサイト見て回ってると、立派なものは7ケタがデフォのようで手が出ないな・・・
と思ってたら、上記のところを見つけまして。
20万前後のを買おうかなと迷っているところです。
このサイトのものは、他のところにあるような値段7ケタのと比べて、モノとしてはどう違うのでしょう?
ちなみに>>194で挙げたのはヤフオクにあったもので、ついさっき終了で15万で落札されました。
0197人間七七四年
2008/11/25(火) 23:49:27ID:i3oIvd06サムライストアでググってみ?
0198人間七七四年
2008/11/30(日) 22:12:19ID:QjS/2TqW0199地味ー
2008/12/13(土) 23:10:57ID:jEC/GunKそれと、日本の大鎧と西洋のチェーンメイルっテどのくらい防御力に差がありますか? 失礼でないのなら、教えてください?
0200人間七七四年
2008/12/15(月) 13:26:47ID:IoWTeoCd防御力ってのがどういうものを想定しているのかどうかわからないが、
どちらも当地の戦い方にあわせて発達しているので、比べようが無い。
例えば、チェーンメイルや鎖帷子は斬撃には強い反面、刺突には弱い。
つまり騎射戦が全盛の頃の日本では役に立たない。
逆に大鎧はその騎射戦に適応しているわけで。
状況次第というのが答えだな。
0201人間七七四年
2008/12/15(月) 20:36:24ID:Y7f/S9ZV重量で言えば大鎧はチェインメイルよりかなり重い。革と鉄の札を組み合わせ綴った構造で、
兜や脛当も含めたフル装備だと25〜35kgはあるよ。プレートアーマー並み。
あまりに重いので札に革を混ぜて軽量化。
ノルマンや十字軍時代のグレートヘルムは軟鉄製なので見た目よりかなり脆いが、
縁が金属枠の木製盾を持ち全身の被覆率も高い。が、兜被って20kg未満と大鎧より軽い。
大鎧は兜が重く重量バランスが悪いらしいが・・・
0202人間七七四年
2008/12/15(月) 22:59:31ID:bU3jhz8U当世具足の価格って現代の価値になおすと幾らぐらい?
西洋甲冑に関してはぐぐったら大体出てきたんだけど、日本の鎧がわからん
0203人間七七四年
2008/12/16(火) 07:29:06ID:vekVoXKPそれ以下の場合は費用が足りず先祖伝来の鎧を調整、修理したり、
パーツの幾つかを新調したりするくらいなので、値段がはっきりしない。
ある話では、胴丸代に6両(戦国期)と言う話が出てくるし、
一領新調するのに数百両かかる(江戸初期)と言う話もある。
0204人間七七四年
2008/12/17(水) 09:51:49ID:qwmC1O70あの刀は何て言いますか?
手持ちの甲冑を着るときのために、模造刀で手に入らないかな・・・ってw
0206204
2008/12/18(木) 11:15:44ID:xovgJEtbボーナスも入ったので、オクで中古の鎧を落札。届きました。
大袖付き当世具足みたいな感じ。(骨董品ではない、現代に作られたもの)
さっそく昨夜着用してみたんですが、2〜3点分からない部分が。
大袖はどこに結びつければ良いですか?
あと、陣太刀の下げ方などkwsk教えていただけると助かりまする
0207人間七七四年
2008/12/20(土) 22:21:41ID:07cGORR+甲冑 着用 でググると結構いいサイトあるよ
0208人間七七四年
2008/12/21(日) 17:31:11ID:QW0+NGK+家を建て替えた頃、何時の間にか無くなったね
多分骨董屋か、解体屋さんが持って行ったんだろう
今思えば勿体なかった
0209206
2008/12/22(月) 15:27:01ID:LTO1bzDqこれです。
http://www.jpdo.com/link/1/img/7714.jpg
あまり調べずヤフオクでポチりましたが、
詳細分かる方kwsk教えていただけると助かります。
いつごろの時代のもので、正確な名前的にはどういうカテゴリに入る鎧で・・・などなど。
大袖の付け方は、胴の肩の部分に2箇所、輪になった部分があったので。ヒモを通してそれらしく着ることができたんですが、正しいのかな・・・
0210人間七七四年
2008/12/25(木) 15:30:51ID:Q1E6T3wGカッコヨス
ちなみにいくらくらいだったんですか?
0213人間七七四年
2008/12/30(火) 02:45:44ID:Ow1LV8M+http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20081230024404.jpg
0214人間七七四年
2008/12/30(火) 11:41:50ID:vpwpK8gmttp://picasaweb.google.co.jp/ayano1984/qAyKGE#5260608968487641586
0215人間七七四年
2008/12/30(火) 23:38:27ID:Mlp4rJOg丸武の現代甲冑よりいいじゃん、
0216人間七七四年
2008/12/31(水) 01:15:48ID:mFTGxW/n>いつごろの時代のもので、正確な名前的にはどういうカテゴリに入る鎧で・・・などなど。
写真だけでは良く分かりませんが、写真から分かる部分だけから…
まず兜の菱縫いを見てゲンナリしますな。
乳首から紐が垂れているのも個人的には悪趣味だと思います。
立挙の部分が毛引威で長側が素懸脅しというのもあんまりない(直江兼続とかあるけど)。
こういったタイプの甲は実戦時代にはあんまり無かったと思うので、
強いてカテゴリ分けすると、「平和ボケした時代の復古調お飾り甲冑」でしょう。
ただ、7万は安いなぁ。どうやら正しい買い物をしたようです。
俺なら、バラして自分好みに威し直しますw
大袖の付け方は、袖の上部から3箇所(受緒、執加の緒、懸緒といいます)と、
袖の後方から一箇所紐が出ているはずです(水呑の緒)。
これら合計4本の紐を使います。
ちなみに、うpしている写真で言うと、袖の外側で結んである紐が、受緒と懸緒。
で、受緒と執加の緒を肩の部分に結びます。
残った懸緒と水呑の緒を胴の背中にある総角に結びます。
言葉で説明するのはこのくらいが限界なので、詳しくはググると吉。
0217人間七七四年
2009/01/01(木) 14:10:51ID:xse+KkBFしかし俺んち置くところがないわ
0218人間七七四年
2009/01/02(金) 11:43:43ID:n2pzWwsn昭和につくられた現代の甲冑じゃないだろうか。
>>214
上は鎧下着、下は股引。
しかし、陣羽織着ている人の鎧直垂、ぶかぶかしててかっこ悪い。
大河ドラマでも、鎧直垂着て戦国時代の鎧つけている人がいる。
あんなの着てたら足のさばきが悪そうだけど・・・。
0219人間七七四年
2009/01/02(金) 14:51:07ID:lvJBIsQ5めっちゃはっちゃけるぞwオッサンだがw
俺は、鎧は桶側胴具足で、
兜は桃形か椎形に天衝の脇立を付けて、長い毛を付けたやつがいいな。
ホスィ・・・(´・д・)
武器は勿論槍で。
0221人間七七四年
2009/01/03(土) 15:59:20ID:7hL2KCk4甲冑注文して届いてるはずなのに
ぷっつりと音沙汰がなくなる人が多いのはなんでだろう
買ってから置き場所、処遇に困惑したり後悔してんのかな
0222人間七七四年
2009/01/03(土) 18:08:44ID:JtLJqG1F↓
おまえら「はやくうp汁!」
↓
117「うpしたよ!ヽ(´∀` )ノ」
↓
おまえら「何コレwwwオモチャじゃんwww( ´,_ゝ`)プッ」
↓
117「ひどいよ・・・・゚・(つД`)・゚・ ウェ―ン」
こういう流れが怖いんじゃね?
あと特定されるのが嫌だとか
0223212
2009/01/05(月) 00:46:14ID:cji+hnEYありがとうございます
詳細よくわかりました。
いきなりこういうモノ購入して家族には驚かれていますがw
ちなみに、この鎧に合う着物は、鎧直垂で良いのですか?
こういうの
http://store.shopping.yahoo.co.jp/yoroi/008-001-001.html
それとも、戦国時代風だともっと簡素なものなのですか?
↓にうpした写真だと、上は作務衣、下は野袴をはいています。
>>221
もちろん着用して楽しんでますw
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20090105004252.jpg
フル装備して体重計に乗ったら100キロオーバー。
外を歩きたい衝動に駆られますが・・・
そのうち歴史祭りにでも参加しようかなと計画中。
顔がでかいせいで面頬(と、それに繋がった喉輪)が装備できないのが悲しいところ。
工具で無理やり曲げて顔の形に矯正しようかなと迷い中です。
0224人間七七四年
2009/01/05(月) 00:57:15ID:TzTfg3Fy>217なんだけど俺買ってないよ。
写真見てかっこええなって云っているだけ!!
0225216
2009/01/05(月) 07:05:25ID:5OlVOgKMうはwwwすげぇ楽しそう。裏山鹿。
作務衣or野袴でOKだろうけど、
この鎧なら鎧直垂のほうが見栄えするんじゃなかろうか。
>>224
>>217さんではなく >>117さんのことを言っているのでは??
0226人間七七四年
2009/01/05(月) 12:40:23ID:ajlR1fvHでも脛当上下逆じゃないかな?
籠手とか袖もうpお願い!
0227人間七七四年
2009/01/05(月) 14:14:18ID:cji+hnEYこっちはオクで出品者が撮った、この鎧の全体写真。(でかい
http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/30990
>脛当上下逆じゃないかな?
太いほうが上で装備していますが、違いましたか?
0228人間七七四年
2009/01/05(月) 23:04:05ID:ajlR1fvH脛当は皮が張ってあるほうが内側だからさ。
脛当の下に祭り用の脚半(コハゼがあるタイプ)を付けると脛当てがずり下がらなくていいよ。
0229人間七七四年
2009/01/05(月) 23:05:40ID:Fy7HLJUl0230223,227
2009/01/06(火) 16:28:09ID:tu02rCS9なるほど そうでしたか。
装甲が硬いほうが外側だろうなーと考えて装備したのが間違っていたんですな・・・
>脛当の下に祭り用の脚半(コハゼがあるタイプ)を付けると脛当てがずり下がらなくていいよ。
それはいいことを聞いた。浅草で買ってきまする
それにしても、甲冑を着用してみると、
戦場に赴き命の取り合いをする際のいでたちだと思うと、心が引き締まる思いです。
しかし、武者が戦場から帰ってきた際には戦塵にまみれてもうボロボロだったんだろうな・・・
敵を組み伏せてして首を掻いたりした日にはもう、返り血で染まっていそう。
金属打ちっぱなしの部分はともかく、糸で装飾してある部分も多いわけで、
当時はメンテナンスとか大変だったんだろうなぁ・・・などと想像。
0233人間七七四年
2009/01/08(木) 20:58:10ID:U5+wUCCTttp://www.rakuten.co.jp/yoroi/117807/396052/
こういう当世具足をアレンジする場合どんな風にしますか?
自分だったら前立てはコレで
ttp://image.www.rakuten.co.jp/yoroi/img1059309447.jpeg
兜はブツブツの厳星兜もいいけど桃形兜なんかもいい
標準の緋色の威糸を赤、もしくは可能ならばワイン色(赤黒い感じ)
胴に家紋
陣羽織は黒↓ 背中に赤で家紋いれて前は銀色系で肩板なし、内側の布は紅
ttp://image.www.rakuten.co.jp/yoroi/img1059252189.jpeg
俺だったらこうするぜ!っていうのがありましたら
参考にしたいので是非是非意見してください
あ〜買ってしまいそうw
0234人間七七四年
2009/01/09(金) 01:12:40ID:nrWzISAAttp://www.rakuten.co.jp/yoroi/117807/324735/
頭形兜と桶側胴の組み合わせはたまらんぜ(;゚∀゚)=3ハァハァ
兜の曲線を見せたいから前立てはそのまま
でもこれだとちょっとキマりすぎてるような気がするから
小具足の家地をこっちの茶色のにして、あえて外してみたいな
ttp://www.rakuten.co.jp/yoroi/117807/324737/
0235233
2009/01/09(金) 23:10:22ID:JXBuCAQH菱縫は初期配色のまま緋糸ですか?
個人的に他で気になるのが勘助の鎧
ttp://www.rakuten.co.jp/yoroi/117807/120119/
これもカコイイ
0236人間七七四年
2009/01/10(土) 10:47:43ID:R7REGZht丸武産業に問い合わせメール送っても返事が無い・・・
あそこの鎧直垂って、オーダーメイド?
それとも既製品が何サイズかあってS,M,Lなど指定できるのかな?
サイトでは「カートに入れる」操作しかできないから詳細がワカラン。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/yoroi/008-001-001.html
http://store.shopping.yahoo.co.jp/yoroi/008-001-002.html
色柄に関しても、
> * 写真は一参考例です。
>■色に関してはある程度お好み応じられますが、細かい柄等に関しては制限がございますので、ご了承下さい。
> * 詳細に関してはお問い合わせくださいませ。
となってるから、写真出てる以外のも選べるのかな?と思って詳細を知りたいんですが。
サイト作って大々的にネット通販展開してるのに問い合わせメールを誰も見てないんだろうか。
0237人間七七四年
2009/01/10(土) 21:47:34ID:GDkv++Z00238人間七七四年
2009/01/10(土) 23:19:11ID:R7REGZhtで、年内に返事無かったから、年明けて5日ごろに再度、楽天アドのほうに出してみたんですが音沙汰無し・・・
0240人間七七四年
2009/01/10(土) 23:43:23ID:yFB8OBXrhttp://www.rakuten.co.jp/yoroi/409726/184532/
0241人間七七四年
2009/01/11(日) 01:17:03ID:wwcjFpNr脛当は「皮が張ってあるほうが内側」って言ったのは
>>223の画像で脛当が左右が反対に付けてる様に見えたからで
脛当の表(鉄が付いてる方)と裏地が反対という意味じゃないです。
文で説明するの難しいので↓に画像張りました。
http://imepita.jp/20090111/017540
脛当ては表面の篠に「皮」が張ってあるほうが内側になると言いたかっただけです。
説明下手でごめんw
0242人間七七四年
2009/01/14(水) 06:34:52ID:NlvLZkTM中国やトルコなんかでもっと全身を覆う鎧はあるけど、こういう重厚な感じじゃないし
徒士以上は着けてたというんだからすごい
0245人間七七四年
2009/01/14(水) 15:50:06ID:NlvLZkTM手首の動脈とか大丈夫なのかと
>>244
鎖かたびらとか脇に亀甲札のパッドみたいなものをつけてますね
0246人間七七四年
2009/01/14(水) 17:13:45ID:SH8gEjPPうまい説明が思いつかないが、
篭手は手先だけをガードするものではない。
形状は筒状で、手先から腕、肩を通して、胸の辺りで逆側の篭手と交差してる。
なので腕の部分はきっちりガードされてる。
0247人間七七四年
2009/01/14(水) 19:41:06ID:91Er/CST0248人間七七四年
2009/01/14(水) 22:03:08ID:J0u1wTO2香取神道流には内篭手という相手の手首の動脈を斬る技がある。
0249人間七七四年
2009/01/17(土) 22:20:01ID:fQaHpuTM先月の20日ごろに1回、ヤフー店のほうのアドレスに出したのです。
で、年内に返事無かったから、年明けて5日ごろに再度、楽天アドのほうに出してみたんですが音沙汰無し・・・
あそこの店長は、偏屈で 受けたくないと メールを 無視する。
私は、あそこで 100万以上買っているけれど
態度は、変わらない。
ちゃんと 言葉で説明してくれれば いいのに ・・
最近 嫌になっている。値上げしたしね。
0250人間七七四年
2009/01/21(水) 11:19:36ID:YNyneVQtおぉ ありがとうございます!
よくわかりました
0251人間七七四年
2009/01/21(水) 15:25:19ID:YNyneVQt0252人間七七四年
2009/01/21(水) 17:55:52ID:J6YiaE7bアドレナリンでまくりだし
0254人間七七四年
2009/01/22(木) 21:58:47ID:7DgkFJ79大河板から流れてきますた。
直江兼続の例の「愛」前立て付きの「薄浅葱糸威最上胴具足」。
推定製造年代をご存知の方、いらさいますか?
0255人間七七四年
2009/01/22(木) 23:59:45ID:77+oRYxP「愛」の具足は「最上胴」じゃなくて「二枚胴」ですよ。
作られた時期ですが、胴部分が当世具足として完成された様式
なので総体が整った時期は江戸初めとしておいたほうが
無難でしょう。兜は古物を合わせているかもしれませんね。
ちなみに前立は雲の形の土台に愛の字をおいているから、
雲の上の存在=神様仏様、つまり愛宕とか愛染を表しているのは言うまでもない。
0258人間七七四年
2009/01/24(土) 15:22:54ID:mcBaxfE/ご回答ありがとうございます。
そうですか、江戸初期ですか。
>「愛」の具足は…
失礼しました。
「金小札浅葱糸威二枚胴具足」という呼称なのですね。
一部HP上に「薄浅葱糸威最上胴具足」とありましたので、
そのままコピペしてしまいました。
>ちなみに前立は…
「愛」についでの御考察に異論ございません。
謙信の飯綱権現、景勝の六軍神名や卍、
本人所用と伝わる
浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足の普賢菩薩をあらわす梵字など、
すべて神仏由来の意匠です。
したがって、
「愛」についても、神仏つながりで考えるのが自然のように思います。
「愛宕」か「愛染」かについては、
春日山城至近に愛宕神社があるようですので、単純に愛宕説支持です
0259人間七七四年
2009/01/25(日) 22:05:22ID:/gbsqmAZ0260247
2009/01/26(月) 01:47:13ID:S1gqHPOU> マンチラだけ売ってるとこ
それ俺も知りたい。っていうか、マンチラ欲しいけど売ってないんだよねぇ。
自作しようとして途中で挫折しちゃった。
0261人間七七四年
2009/01/26(月) 02:11:17ID:7FY3XJfq0262人間七七四年
2009/01/26(月) 02:25:19ID:S1gqHPOUカコええ!!
普段は褌で、パンツは一枚も持ってないけどコレなら買ってもいいかな。
…マンチラパンティとか誰か作らんかな。
0263人間七七四年
2009/01/26(月) 03:18:15ID:gkhVSTGw0264人間七七四年
2009/01/28(水) 11:33:12ID:tt3B9oqT見たんだがあれは、実際に戦場で使われた奴じゃないよなw
いわゆる飾り兜って奴だよな、凄いよな、昔の人の発想は。
0265人間七七四年
2009/01/29(木) 04:39:39ID:/V6DNliV女性用具足もあるよ
胴が細身で胸が少し膨らんだ仏胴、赤漆塗だった
>>264
飾りの部分は和紙や木でできてるからけっこう軽かったりする・・・
0266人間七七四年
2009/01/30(金) 02:53:13ID:HQrerXxi井伊直弼の娘の甲冑を見たことあるよ。
当時は一度着るか着ないかだろうけど、女性にしては小柄な鎧だったな。
今の中学生くらいの子が着るような、そんなくらい。
0267人間七七四年
2009/01/30(金) 12:06:32ID:mF5eGq470268人間七七四年
2009/01/30(金) 12:28:26ID:EML0uLfA0269人間七七四年
2009/01/30(金) 13:46:38ID:UPFq/UNb鎌倉時代くらいから武士達が片方の腕に身につける
袖だけの装具があるよね?あれはなんて呼ばれるものなの?
あと、その役割は?たぶん弓を引く時自分の腕を守るための
ものなんじゃなかろうか…と思っているんだけど。
詳しい人お願いします。
0271人間七七四年
2009/01/30(金) 17:03:06ID:UPFq/UNbどうもありがとう。
…でもそれじゃなくて、もう少し長袖っぽい奴で、肩や胸ぐらいまで覆われる
やつのことを知りたいのです(←呼び名すらわからなくてゴメン)。
0272人間七七四年
2009/01/30(金) 17:19:25ID:qj7EdMMBhttp://www2.odn.ne.jp/yabusame-fg/syozme.html
0273人間七七四年
2009/01/30(金) 18:12:43ID:UPFq/UNbありがとうございます。これはわかりやすい。
射籠手というのですね。
で、これはやはり矢を射る時に左腕を守る役割を持つのでしょうか?
主に鎌倉・室町期の武士達が身につけているように思いますが、
でも戦国・江戸期でも見ますよね。実用的なものというより、
装飾的な意味もあるのでしょうか。
0274人間七七四年
2009/01/30(金) 19:24:31ID:dquBRYne弓道の人も片肌脱いで射たりするし
0275人間七七四年
2009/01/30(金) 19:37:52ID:UPFq/UNb>袖が邪魔にならないようにじゃない?
なるほど。
でも上半身はだけて、裸の腕に直にこれを身につけたりしている
絵や映像もみたことがある気がするのですが…。
0276216
2009/01/30(金) 21:13:50ID:sgvqbrhL篭手つけるときは直垂の片袖脱ぐけど、小袖や襦袢は着たままみたいだし。
でも一応腕の外側に鎖やら金物が付いてるけど、内側はほぼカラ空きだよね。
防御力がそんなにあったかどうかは疑問。
0277人間七七四年
2009/01/31(土) 02:37:28ID:XB9Xo5aVじゃない?弓道やったことないからわからないけど、道着の下に長袖の
アンダー着ている人がいるのも同じ理由だと思う。
0278人間七七四年
2009/01/31(土) 05:12:53ID:RcBDIMx9大名や上級武士はともかく下級武士は生活苦から売っちゃった奴も多いらしい。
…で、鎧櫃だけ家に置いて太平の世で面目を保ったのだとか…。
しかし幕末になると再び兵装が必要になるが、全国の藩で、多数の藩士が装備を売ったことが判明する。
仕方ないので藩からストックを貸し出したり、急拵えの粗悪な具足や大河ドラマでお馴染みの畳具足が開発されることになったらしい。
もっともご存じの通り蛤御門の変の辺りから具足は新式銃に敵わず、存在意義を失い西洋式兵装に改められていった。
0279人間七七四年
2009/01/31(土) 16:11:59ID:IC4jBSx1こんな悪質業者は排除しましょう。maruichi1939
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e89353663
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e84552276
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e84282730
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e82949916
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e86517883
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e81149674
0280人間七七四年
2009/02/01(日) 02:04:05ID:4pGiw2Re丸武とかの現代甲冑だと小びれの上に袖を付けるのが多いね、
あれだと激しく動いたら袖がまくれると思うんだけど…
0282人間七七四年
2009/02/01(日) 22:42:27ID:/om6eri0面倒。本歌はたいてい鞐どめになってるから一人でも簡単に結べるのに・・・
0283人間七七四年
2009/02/02(月) 00:40:57ID:iL7WcKKR甲冑から技術を応用したのかな
0284人間七七四年
2009/02/02(月) 19:23:31ID:pSGEvSN0この鎧は最上胴ですか?
0285人間七七四年
2009/02/02(月) 21:02:44ID:4nLtsrphラストサムライでトム・クルーズが着てたやつか。残念ながらそれは最上胴ではない。
最上胴は長側(腹部周り)の各段に蝶番を4ヶ所入れるのが正しい形式。
284のは見る限り二枚胴で本歌に比べると上手でないが、映像で見たときの違和感はなかった。
正しい最上胴の画像を参考に→ttp://www.karakusa.jp/DSCF6531.jpg
0287人間七七四年
2009/02/02(月) 21:15:04ID:4nLtsrph最上胴はそれまで小札一枚一枚を絡めて板にしていたのを鉄や革の延べ板
に代えたのが画期的だったが、のちの五枚胴のように最初から分解を前提に
した構造でないことは明らかだ。中世甲冑から当世具足への過渡期にある最上胴と、
すでに当世具足である五枚胴を混同しないように。ときどき甲冑の解説本でも
混ぜこぜにして書いてあるので注意されたし。
0288人間七七四年
2009/02/04(水) 03:41:22ID:7Ntb5FbU脇に板付け足して四枚or五枚胴に改造してもらえるかな?
0289人間七七四年
2009/02/04(水) 13:19:59ID:9QN5149B改造費 高くなりそう
サイズアップ版 買ったほうが安くなりそう
0290人間七七四年
2009/02/11(水) 23:40:07ID:pWH11Zimほかの胴と同じく蝶番なのかな?
0291人間七七四年
2009/02/12(木) 09:34:21ID:ZMp4ePdlttp://www.sido-collection.com/online.html
0292人間七七四年
2009/02/20(金) 15:16:25ID:QYI7YJj4陣太刀の緒は腰に巻きつけて固定でいいのですか?
それやってみたら結構不安定でした。下が下がる形で。
時代劇に出てくる武者はもっと水平にしっかり固定されているように見えますが。
0293人間七七四年
2009/02/20(金) 21:36:40ID:MYXz9uEI南蛮胴具足は、舶来品はそのまま、国産品は分離できるものと蝶番をつけるものと2種類がある。
日光東照宮の家康南蛮胴具足はたぶん国産だが、ヨーロッパ製に忠実で蝶番がない形式。和歌山東照宮のそれは、輸入品なので当然蝶番はない。
和歌山のものは前胴9,8キロ後胴2,2キロで、胴だけで12キロと国産の鎧の全備重量に迫る。これに対し日光のそれの胴は前後で7キロと常識的な重さ。
0294人間七七四年
2009/02/22(日) 00:48:38ID:eqb4ObgV戦場では佩く(吊り下げる)のではなく、すぐに抜けるように帯びる(腰帯に挿す)のが常識
当世具足なら刃を上向けにして帯刀、大鎧の場合は天神差(刃を下向け)にするのが主流だよ
0295人間七七四年
2009/02/22(日) 10:58:51ID:YmYrZyzr足軽具足なんかは10kgいかないものが多いし
家康の大黒頭巾兜羊歯具足は40kg以上ある
15〜25kgが平均だろうね
0296人間七七四年
2009/02/23(月) 05:34:02ID:3v+vlO0D上刃が刀、下刃が太刀だっけな?
当世具足でコスプレしてるときに間違えてて、歴史ヲタにしつこく糾弾されたことがあるんだ
>>295
家康の具足は着用しても儀礼用だったんではないかと…40`cとか歩けないよw
昔井伊直政の具足が60`cあると本見たときは吹いた
西洋甲冑は全身に締まるように着るから重くてもまだましと聞くが、日本の甲冑は上半身が重すぎて肩が凝りそうだわ
何より雨の日なんぞコケやすそうだ
0297人間七七四年
2009/02/23(月) 14:17:51ID:sZIhWmjq実践では動きやすいものを着ていたのでしょうな。
0298人間七七四年
2009/02/24(火) 21:16:54ID:Oh+aFYGz0299人間七七四年
2009/02/25(水) 00:47:25ID:IvpiRasOこれは例外的で、15キロを越えるものは重い部類に属する。ヨーロッパでは上半身だけの半甲冑でも20キロを越えるのが普通だから、日本は軽装といえる。
現代の兵士は完全武装で40キロを越える装備を身に着けて戦うから、戦国時代の武将は肉体的負担は軽かった。
0300人間七七四年
2009/02/25(水) 11:09:33ID:ky5iMWcFけど昔は大名重臣クラス以外は全兵具足着て歩いて戦場まで向かってたんだろ?
武器や兵糧もとなると現代戦の兵と比べても対して変わらないのではなかろうか…。
まぁだからといって機動戦でも14、5`cの防弾チョッキなんぞ着込んで戦いたくないが…
0301人間七七四年
2009/02/25(水) 11:54:25ID:Gv4fBWpS16世紀全身プレートアーマーの主流になったフリューテッドアーマーは20kg前後だけどね。
胸甲部分を除くと厚さが1mmもない。
ただ、これは長大なランスや剣、下の鎖帷子の着込みを除いた重量であり、プラス10〜15kgはあるだろう。
たとえば中国宋代の歩人甲は槍手で32〜35kgの甲冑を身に着けていたが、
武器を含め全備重量は50kg前後となった。
顔やすねの装甲を省略し、
胴体に重点防御をするようになったキュイラスアーマーは防弾胸甲の重さもありもうちょっと重い。
0302人間七七四年
2009/02/25(水) 12:14:56ID:rybYYnROそんなことないぞ。大抵は戦場までは普通の旅装束で、現地で具足に変える。
ずっと鎧を着けたままだと、戦場に到着しても疲れ果てて役に立たなくなる。
食事なんかも、なるべく炊き立ての白米を支給して、
現場についたら3日分くらいの糒と塩や味噌を支給するという形。
0303人間七七四年
2009/02/25(水) 13:00:08ID:aUMxjmxhオーストリアで16世紀初めに作られたマシクミリアン式甲冑では、表面に畝をつけることで軽量化を実現し、20キロほどになった。以上三浦權利氏の「西洋甲冑武器事典」(柏書房)より。
足軽は最初から着たまま。それ以上の武士は、小者と呼ばれる従者に鎧櫃を背負わせていく。小者は刀を差すが通常の衣服の非戦闘員で戦いには参加しない。
0304人間七七四年
2009/02/25(水) 16:10:02ID:skGV0wd5胴体部分の重装甲に特化してたって事かな?
西洋の胸甲と同じ考え方で。
0305人間七七四年
2009/02/26(木) 00:16:20ID:9nKsK5so一度下げ緒を腰に巻き付けて、太鼓革(太刀を吊り下げている革部品)に
緒を巻き付けてから縛ると安定する。
0306人間七七四年
2009/02/26(木) 12:22:44ID:9hA9tOY/この本にはこれらの甲冑のその他のデータも出ている。注目すべきは羊歯具足と金陀美具足のサイズの違い。
羊歯 胴高36,5 臑当高33,5 金陀美 同高 39,0 臑当高37,5
羊歯は伊予札 金陀美は鉄板打ち出しの仏胴(上部に足掻きあり)と手法が違うため、修理法などによっては多少に誤差は生じるが、この違いはそれが原因ではない。
臑当ては臑だけではなく膝部分までを護るいわゆる大立上げで、脚の長さをそのまま反映はしていないが、やはり形の違いから生まれる誤差ではない。
金陀美具足の着用者のほうが明らかに大柄である。この具足は、家康の若い時代のものではありえない。
0307人間七七四年
2009/02/26(木) 21:21:21ID:lCJy7Jbfあるいは影武者w用かな?
0309人間七七四年
2009/02/28(土) 02:14:22ID:V3KdgpXiエラスムス、中世の哲学者で肖像画も残っているが、確かあんな帽子を被っていたような気がする。三浦按針が乗ってきたリーフデ号は、旧名エラスムス号だ。
家康は幕府を開いたことで、保守的なイメージがあるが、南蛮甲冑を愛用したことでも分かるように、ヨーロッパ文化を受け入れている。
あの兜は南蛮帽兜ではないのか。それを理解しなかった鎖国時代の人が、後になって大黒天と言いだしたのではないか。
0310人間七七四年
2009/02/28(土) 10:33:31ID:5+hSN3SMするどいとこ突いてますね。
家康の甲冑(羊歯具足、金陀美具足、熊毛水牛具足)は江戸時代、神君家康と崇めた徳川将軍家
が後世に作ったものと推測したほうが説明がつく事が多い。
ただ、大黒天兜の頭は張子だと思うので南蛮帽兜は考えにくいと思う。
0311人間七七四年
2009/02/28(土) 14:50:47ID:UFvts2EIこの羊歯具足は、関ヶ原の戦いの直前に、奈良の甲冑師岩井与左衛門が作成した。18,9キロとかなり重いが、実際に戦場を走りまわるわけではないから、それほど問題にはならない。
家康自身が着用したものと考えるべきではないか。すくなくとも家康関係の様々な物が失われるような災害は、起きていない。(豊臣家にとっての大坂城炎上のような)家康の使用した甲冑そのものが残っていたとしても何の不思議もない。
0312人間七七四年
2009/02/28(土) 20:03:45ID:D9i2jVbc確かにこの帽子はちょっと似ているな
http://www.wga.hu/art/h/holbein/hans_y/1525/07erasmu.jpg
0314人間七七四年
2009/03/03(火) 13:10:09ID:iUPRuqfa家康はどこかで間違いなくこの像を見ている。今回改めて「御甲冑師岩井与左衛門由緒書」を見たら、家康が御霊夢を見て、岩井にこの冑を作らせたとはあるが、それが大黒天とは一言も書かれていない。
この像に強い印象を持った家康が、それを夢に見たとしても不思議ではなかろう。羊歯具足の冑がエラスムスの被っている帽子を写したものとしても全く問題がない。
確かにこの冑には全周に鍔がつくなど、エラスムスの帽子とは異なる点もあるが、それを言い出せば大黒天の頭巾にも鍔はない。鍔なしでは冑のデザインとしてうまくまとまらないので、岩井がそのように処理したのだろう。
リーフデ号は商船であったが、銃500丁、銃弾5000発、火薬5000ポンドを積んでいたという。関ヶ原直前の緊迫した情勢の中で、これらの大量の武器は、家康にとって天の恵みにも思えたのではないか。
エラスムスが誰かは知らなかっただろうが、この像を幸運をもたらした神としてあがめ、それにあやかろうとしたのではないか。
0315人間七七四年
2009/03/03(火) 13:19:45ID:iUPRuqfa無事潜り抜けたらしい。少なくとも家光以後の技術ではこの具足は作れない。(歴代将軍がレプリカを作っているが、遠く及ばない)もともと鎧櫃に入れて保管するものだから、火事から避難させるのは容易だったのだろう。
0316人間七七四年
2009/03/06(金) 18:28:27ID:LixUx5z3http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/R0403172
最近出た本だが非常に面白かった。実用品としての兜の機能だけじゃなく、
歴史や地域性も良く纏められてて勉強になったよ。
0317人間七七四年
2009/03/09(月) 13:04:24ID:YFFV7fKl私も拝見しましたが疑問のある記載もありましたね
いまスレで話題になってる家康の甲冑についても
P42で相変わらす水牛熊毛植を戦国期の物と書いたりしてるね
0318人間七七四年
2009/03/09(月) 19:41:43ID:JV6IUQoN丸武の商品が
定価以上で落札されてるけど
落札者は知らずに落札してるんだろうか
0319人間七七四年
2009/03/10(火) 16:27:53ID:Q/95rW7B丸武の存在を知らないどころか、正平革の年号を
真に受けて現代作の桶側胴を「室町時代の鎧です!」とか
説明してた爆笑ケースまである
0320人間七七四年
2009/03/11(水) 02:28:22ID:5ZyUnLw4丸武で一領買ったが、よく見るとスプレー塗りだったり下地がそのままだったり…
とはいえ買わないと解らんものではあるが
丸武の出来は悪くないが、それを時代物と騙すのは頂けないな
0321人間七七四年
2009/03/11(水) 16:08:17ID:7GtoWfsghttp://www.osakacastle.net/exhibition/event.html
もう申し込み締め切りは過ぎてるけど
詳細
http://www.osakacastle.net/exhibition/documents/20_yoroikabuto.pdf
0322人間七七四年
2009/03/11(水) 17:17:16ID:5ZyUnLw40323人間七七四年
2009/03/12(木) 01:11:46ID:3C8ye9Oi国とか自治体の所有物ならば、ある程度のことを言っても大丈夫だが、個人所有の場合、相手との関係がこじれると、あとあと面倒だ。
アマチュアの研究家ならはじめから所有者とのつながりは希薄なことが多いから、何を言っても問題は起きないし、最悪相手を怒らせても、距離を取ればいいだけの話だ。
でも専門家だと有力コレクターと事を構えるのは、以後の仕事にさしつかえる。
0324人間七七四年
2009/03/12(木) 02:31:48ID:0TotIuqX0325人間七七四年
2009/03/12(木) 07:24:59ID:3PsEqaPq家康のものとして最も古い甲冑は、上田博物館のみみづく型の冑を伴うものだと思う。これは1568年には存在し、家康壮年期のものとして唯一。家臣に下賜されたため残った。
0326人間七七四年
2009/03/12(木) 11:44:20ID:hCDH4PPm時代物とは言ってない。
「時代劇や大河ドラマに登場するのと同じ甲冑」と謳ってるだけ。
もちろん完全に伝統的な製法とは限らないし、カメラに写らない部分は特にこだわってない。
まぁモノはいいし見た目は普通分からないから、着用メインなら丸武はすごくいいと思うよ
0327人間七七四年
2009/03/12(木) 15:26:20ID:x55XZsnQ正直、井澤さんのコレクションもどの程度信じていいものなのやらと
言う気もする。「森蘭丸の具足」の件もあるしね。
井伊(中村)さんのコレクションってのは、どうなんだろ。
経営してる美術館みたいなのには、旧藩士の家などから寄託されてる
ものも結構あるようだけど。
>>326
丸武のやつは、イベントやドラマなどで重宝するような感じだよね
0328人間七七四年
2009/03/12(木) 15:38:32ID:lBLOB0eQ○澤とか井○みたいな意図的に由来とか捏造する自称専門家もいますからね
井○は当家の赤備えに関しては多分間違いないんだろうけど
>>326
オク出展者が、って事です…言葉足らずスマソ
俺も一領持ってるからその辺はわかる
あえて言うなら小手は当世袖と一体化、胴とこはぜで脱着できるタイプなら大分着脱楽なんだがな;
0329人間七七四年
2009/03/12(木) 16:27:24ID:dHlcF3No岐阜県可児市兼山の時代祭りに、使用し続けるのいかがなものかと思う
0330人間七七四年
2009/03/12(木) 18:23:42ID:HjFN2mSv戦国武将体験プラン
http://www.yumekoubou.info/
0331人間七七四年
2009/03/12(木) 19:04:59ID:Rwax89pD兄長可の甲冑と較べて形式敵に時代が下ると思われること、320年前の物としてはきれいでありすぎること、来歴が明示されていないこと、
など疑うべきポイントはあるのだが、かなりのマニアでないと無理だろう。
でも明治、大正、昭和初期あたりに同じことをやられていたたら、誰も分からないだろう。
桃山や江戸初期など実際に甲冑が使われた時代でも、部品を寄せ集めて仕立て直すということは行われただろうから。
0332人間七七四年
2009/03/12(木) 19:40:18ID:0TotIuqX誰かが言い出せば、何でも「伝・〜」だもんね。
0333人間七七四年
2009/03/12(木) 21:13:12ID:lBLOB0eQ井○は井伊直政所用の具足の展示の間違いを指摘して信頼を得たからなぁ
少なくとも旧士族からの委託品は嘘はないと思う
ただ自前で収集してきた具足には胡散臭さが抜けないんだよな
時代は一致してるだろうけど伝来は信用できんね
>>331
あれって井○が自伝でワシが集めたみたいな事書いてるんだよな
○澤が凄いのは、それをもっともらしく取り繕うあたりだよ
小幡信貞の具足の件と言い神業としか思えん
牛肉偽装コロッケより凄い
0334人間七七四年
2009/03/12(木) 22:19:10ID:v+XcPlE2彼の著書を読んだ時にその話が載っていた。
たしか脇引を肩から下げないで肩上に乗せて小鰭みたいに飾っていたのに突っ込んだんだよな。
で、対する学芸員の返答が「古代には頚鎧があったからそれのようなものだろう」
と屁理屈丸出しでワロス
まあどうでもいいことだけどね。なんでもない甲冑に大仰な伝来をつけて本物
らしくみせることに比べれば。こんなスレ見ないであろう祭の大部分の参加者を通して
うそが真実として広がっていくことに比べれば。
0335人間七七四年
2009/03/13(金) 15:38:07ID:eSLY8ppm明珍宗恭本人が自分が作ったとかいてある。
0336人間七七四年
2009/03/13(金) 16:33:46ID:9W1sOUVu217 :わたしはダリ?名無しさん? [sage] :2008/03/30(日) 11:34:18
甲冑師 明珍宗恭と語るって本に蘭丸の話があった
明珍 人間は何でも伝統がほしいのね 今 森蘭丸所用と称してる鎧も元はと言えば 川越の道具屋にあったものなの
僕が銀座松坂屋のそばで買った兜をまとめてあげたら、持ち主が
「蘭丸、蘭丸」と騒ぎ出して とうとうNHKまで放映して。芳賀さんも言ってたね。
あの具足今に 蘭丸所用になるよって。
257 :わたしはダリ?名無しさん? [sage] :2008/05/27(火) 00:29:27
蘭丸の甲冑がらみでまた面白い記事を見つけたwww
井伊達夫著『赤備え-武田と井伊と真田と-』(宮帯出版社)の中より
「・・・余談になるが、世上に森蘭丸の具足というものがある。
『決定版 図説・戦国甲冑集』などの図表に紹介されまことしやかになっている。
この具足はもう三十年以上も昔のことになるが、私が彦根で見出し、川越の古美術商
奥平長良氏に譲ったもので、当初の状態は現在、本にのせられているよりだいぶ
悪かった。何年かのち奥平氏が、ある会合の席で著者の肩を敲いて、「中村(著者旧姓)
さんから頒けてもらった具足がとんでもない有名人の鎧になっちゃってるよ」
・・・ちなみに前立などもちろん、当初は存在していなかった。名号の前立などよく
考えたものである。・・・」
他の箇所では小幡信貞伝来の具足(『戦国甲冑集2』に乗ってるやつ)を他の研究者の
論を引用して否定してる。
この本の著者も裏でいろいろ言われているようだが、巷の甲冑について回る「どこぞの
有名人が着てた云々」は鵜呑みにしないほうがいいってことだね。
267 :わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/02(月) 11:00:06
蘭丸の鎧はどこで売ってたの?
269 :わたしはダリ?名無しさん? :2008/06/03(火) 15:21:13
>>267
川越市の奥平古美術店と銀座松坂屋近くの骨董屋で売っていた物の合体バージョン
0337人間七七四年
2009/03/13(金) 18:00:33ID:RJFb0TYQ蘭丸ネタはこのスレから 185 あたりからだね
【鎧】甲冑ってどーよ?【兜】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1043910371/
0338人間七七四年
2009/03/14(土) 23:47:24ID:KD647d8m別に悪いことではない。戦のあった時代には欠けたパーツの
補充は重要だし、平和時でも備えを怠らないという意識から
普通の行いだったろう。現代ではバラバラなものを服合わせ
の如く己のセンスを駆使してまとめていくという楽しみ方も
できるし、公表する際にも合わせ物であることを明示すれば
何も問題はないと思う。ただ、合わせ物という履歴を故意に
隠したり、更にまことしやかな伝来を含めるというのならば、
話は変わってくる。
0339人間七七四年
2009/03/16(月) 05:56:13ID:1KIp+rQIミートホープ伊澤吹いたwwww
>>338
蔵から出て来る甲冑もその類だよな
本当に旧士族の所有品でも破損したら補填してるだろうし
何より貧乏侍は片っ端から甲冑を売り払ったから、後世別人が手にしたものかもよ
伊澤みたいに悪意を持ってやってなくてもねぇ
蘭丸セットは格好良いだけに勿体ないわ
0340人間七七四年
2009/03/16(月) 13:46:07ID:aZGUzR0n0341人間七七四年
2009/03/16(月) 21:40:40ID:PK6qJvBT100万(子供が私立に入学した感覚)くらい?
それとも300万(奮発して良い車を買った)くらいの感覚?
0342人間七七四年
2009/03/16(月) 22:06:40ID:ns61f+s/0343人間七七四年
2009/03/16(月) 22:43:00ID:qdHKZi/T0344人間七七四年
2009/03/17(火) 02:44:19ID:PYRN2G9R0345人間七七四年
2009/03/17(火) 02:45:33ID:RcXqKpzxシンプルな頭形・横矧桶側胴に諸々で100万くらいであろうね
0346人間七七四年
2009/03/17(火) 02:49:11ID:RcXqKpzx南蛮胴みたいな分厚いものでない限り矢鉄砲は弾けんだろう
正直槍刀はともかく、矢鉄砲が直撃せんよりマシ程度の装備だろう
0347人間七七四年
2009/03/17(火) 03:48:54ID:SPib2bmFちゃんとしたものは一戸建ての住宅を建てるくらいの感覚。
戦車相当は騎馬武者。
武具一式と馬(と代馬)、従者数人とその分の装備でそのくらい
0348人間七七四年
2009/03/17(火) 08:41:12ID:zTva/fu8足軽用 大衆車クラス
一般武士用 ミニバンクラス
侍大将用 国産高級車クラス
総大将用 ベンツ、BMWクラス
信長、秀吉、家康など ロールス、マイバッハクラス
0349人間七七四年
2009/03/18(水) 03:13:33ID:Pdpjn5qNあまり語られない足軽の装備や配備が事細かに描写されているのが勉強になるよ
しかしこんないい仕事をする中西立太画伯が亡くなるとは、ほんと神も仏もないね
誠実な人が死に、ペテン師がのうのうと生きてるとはこんな馬鹿な話があるかい
0350人間七七四年
2009/03/19(木) 00:18:02ID:UarkBKWe歴史学には、国の在り方まで誤らせるようなとんでも学説をふりまく連中も多くいる訳で、そうした者たちに比べればまだかわいい、というべきではないか。
たまたま金持ちで、実物を手にすることが出来たため偽造に走ったということで、金儲けのために人をだまそうとしたのではないと思う。
0351人間七七四年
2009/03/19(木) 01:21:29ID:cCjzDJ72そうか、○澤はペテン師だったのか…
お前釣られたって気付けよw
金の多寡の問題じゃなくて、明らかに経緯の異なるものを森蘭丸所用と書いて広めてご当地にまで売り込んだのが問題だろ。
しかも本人が間違えたのでなく意図的に広めたのならさらに問題だよ。
ゴッドハンドみたいな歴史の根底を揺るがす嘘じゃなきゃ何だって許されるの?発想が朝日新聞かゆとりそのものじゃんww
あぁ、俺も釣られてるのかww
まあ著作内で同業者を売った○伊もどうかと思うが。
旧華族の名跡まで継いだが、捏造を指摘されたらこの人どうするつもりだろう?
時々ヤフオクの朱具足を必死に競りにかかる人物がいるが…まさかなw
0352人間七七四年
2009/03/19(木) 10:29:36ID:iOZNURTE前は美術館のHPでも誇らしげに発表していたが、あそこがディプロマミル(偽大学)
だと気づいたのか指摘されたのかは知らんが、今は経歴からも削除されてるw
偽物作りが偽物に引っかかるとはいい皮肉よwww
0353人間七七四年
2009/03/19(木) 11:51:16ID:B8zoLLDF0354人間七七四年
2009/03/19(木) 11:54:49ID:gq8vtJRw伊澤は地方の歴史資料館では展覧会は開くは
甲冑の講演では捏造話をするわ
岐阜県可児市の兼山での歴史祭りを利用するわ
これが、かわいい事か?
0355人間七七四年
2009/03/19(木) 12:05:33ID:gq8vtJRw0356人間七七四年
2009/03/19(木) 15:45:15ID:iOZNURTEまず戦で討たれたら兜は戻ってこないと思われる。
首実検の際に倒した敵の将士が本人であることの確認に兜が有力な
証拠になるので首級とともに持ち去られることが多い。後日首は
送り返されることもあったようだが、兜は家宝として討っ手の子孫に
代々伝えられていく。
たとえば長久手の戦いで死んだ森長可の具足の胴は、森家ゆかりの赤穂大石神社に
あるが、兜は別の個人が所有している。
0357人間七七四年
2009/03/19(木) 20:33:31ID:vTCjGlC7小姓だから、大衆車クラス?
偽物のアレが森蘭丸の具足として広く信じられたって事は
当時は小姓があの程度の具足を持ってて不思議じゃなかったって事だよね。
森蘭丸の偽具足、間近で見たことあるけど、アレが大衆車クラスなら
総大将クラスになると、もっと凄い装備をしてたんだろうなぁ。
0358人間七七四年
2009/03/20(金) 11:26:14ID:jYiHEJPg0359人間七七四年
2009/03/20(金) 20:19:11ID:NcodSBfX徳川美術館などにある、かつては秀吉近侍の鎧とよばれていたものは、全部で十数領が確認されている。これは、実際は家康の近侍のもので、大坂夏の陣に用いられたらしいのだが、細部の違いはあるものの基本的にはユニフォームである。
とすれば、個人負担ではなく給付されたのではないだろうか。個人のものならば、それぞれが自分で保管したはずで、まとまって残っていることもそれを示唆している。
あの蘭丸鎧の胴には、普通の武士の鎧ならばついていて当然の合当理がついていない。蘭丸ではないにせよ、近習か小姓のそれだったのではなかろうか。
0360人間七七四年
2009/03/20(金) 20:35:22ID:NcodSBfX0361人間七七四年
2009/03/20(金) 21:30:50ID:jYiHEJPghttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1237551626/l50
ゲームから始まり、アニメ化されるほどの人気となった「戦国BASARA」。
実在した戦国時代の英雄たちが多数登場する作品なのですが、その中でもとりわけ人気の高い武将、
伊達政宗の兜が匠(たくみ)の手によって再現されて展示されていました。
しかもその兜はディスプレイ用の特注品ではなく、近日発売予定のものなのだそうです。
0362人間七七四年
2009/03/21(土) 00:02:51ID:aF0woByF「戦国BASARA」というゲームのキャラクターの兜だからこれでいいのか
0363人間七七四年
2009/03/21(土) 06:17:55ID:pZi0q4Wdちょwwww丸武の光忍さんナニ作ってんすかwwwww
携帯なんで確信持てんが南蛮兜か椎実兜に三日月つけたようなデザインだな
0364人間七七四年
2009/03/21(土) 10:36:24ID:CfMVC0itとうとうコスプレ会社に成り下がったか
地に落ちたものだ
0365人間七七四年
2009/03/21(土) 19:28:56ID:YmiiVsvP0366ホットパンツ
2009/03/21(土) 19:55:04ID:RYk7byy+顔全体を覆うめんぽうも肩を覆う大袖もない!
関が原から大阪冬の陣にかけてそれらがあらわれたようだ!
0367人間七七四年
2009/03/21(土) 20:42:22ID:YmiiVsvP0369人間七七四年
2009/03/22(日) 06:55:25ID:FLbq0C0S前からだろw腐向けは流石にあれだが…
これで現物の六十二間筋兜見て火病るやつがでないといいが
>>366
大袖なんぞ徒士クラスにはいらんだろ
足軽なんぞ籠手しかしてないくらいだし
けど本多忠勝の肖像画の大袖はかっこええわ(*´д`*)
0370人間七七四年
2009/03/22(日) 08:57:17ID:uhPzgz8Uとはいうものの、飛来する矢を避けるためには極めて有効な防備だったと思う。足軽等が使わなかったのは、それ自体高価であるのと分不相応と思われたからだろう。
それなりに重量があるので、動きが制限されるということもあったかもしてない。
0371ホットパンツ
2009/03/22(日) 12:12:01ID:R7Q6NGAa大河ドラマをみていると誤解してしまうけど、実際は家康の時代(1600年
〜1614年)ころにそれらができたんであって、1500年代には存在しなかった。
0372人間七七四年
2009/03/24(火) 14:24:10ID:KaweKgFS0374人間七七四年
2009/03/25(水) 09:40:36ID:YoJZKP4Vどんな具足なんですか?二枚胴のやつ?
0375人間七七四年
2009/03/26(木) 18:41:30ID:AWsCZbb6仁王胴具足・本小札色々威丸胴・伊予札色々威腹巻。
腹巻は伝わった時代が違うようだが、他の2領は秀吉がフェリペ2世に贈ったものという。
当時の記録とも甲冑の描写と符合するので間違いないだろう。
19世紀の末に武器庫が火事になった際に損傷し、残欠が整理されて現在に至る。
で、その丸胴具足は大袖を備えているが、全体の性格は実用より儀礼性が高いものだ。
同時期に作られた贈り物や儀礼用の本小札丸胴(ロンドン塔にある、
徳川秀忠がジェームス1世に贈ったものなど)にも同様に大袖が付随していることからも、
文禄・慶長期には、大袖は実戦から遠ざかっていたと見ることができるのではないか。
このときの戦場ではより動きやすい壷袖・蝶番袖や袖なし籠手のみが多かったかもしれない。
甲冑の詳細は土井輝生の『武具甲冑紀行』の1巻をどうぞ。
0376人間七七四年
2009/03/26(木) 18:58:37ID:zffLbWpz海外に残るどれにも大袖がついているのに、
>文禄・慶長期には、大袖は実戦から遠ざかっていたと見ることができるのではないか。
…につながる経過がよくわからない……
しかも「…かもしれない」は推測だよね。
”儀礼”用が実戦用と違う、と判断した根拠は何なのかな??
0377人間七七四年
2009/03/26(木) 21:36:49ID:T4t9oQbi0378人間七七四年
2009/03/26(木) 23:00:19ID:fJ5DLa3G江戸時代になるとまた増えてくるし
0379人間七七四年
2009/04/01(水) 14:05:50ID:m2wF2i0Qまあ、なんだ、なかなか色々言われてる人だが…
コレクションの迫力は凄かったわ
俺も○武で一領買ったが、迫力というか重厚感が違うよ
見せ方も巧いんだろうと思った
0380人間七七四年
2009/04/03(金) 21:23:13ID:nfOZ9mN1売った後は知らん顔かよ。。
0381人間七七四年
2009/04/03(金) 22:38:37ID:vWb0VZN0中小だからアフターサービスは肝心なんだがな…
愛の兜作りでてんてこまいか?
0382人間七七四年
2009/04/03(金) 23:13:24ID:PsDYDSRf0383人間七七四年
2009/04/05(日) 18:32:10ID:+ZKc1K5u今すぐに直して欲しいとか言ってないし、忙しい時期にスミマセンが概算で
結構ですから、費用を教えて下さいとお願いしたんですけどね。
直す気も失せたし、放置プレイにしますわ・・・
0384人間七七四年
2009/04/06(月) 13:55:40ID:zOHypBkTこのまま戦場出たら喉元を槍の一突きで討ち取られる;;
0386人間七七四年
2009/04/06(月) 18:33:44ID:n4CjrPZc鹿児島に移住したいなと思いつつ不便そうで…
そんな俺は、友達の女の子に鎧を着せてあげたが、一枚ずつ剥がしてえっちしたい願望に駆られて、
押し倒したら小手で殴られますた(´・ω#`)顔が痛いわ
0387人間七七四年
2009/04/07(火) 01:54:53ID:ITFPNEXn小札を一枚一枚剥がして(;´д`)'`ァ'`ァ
五枚胴を一枚ずつ剥がして(;´д`)'`ァ'`ァ
畳具足の板を一枚ずつ剥がして(;´д`)'`ァ'`ァ
鎧プレイ最高だな、氏ね
0388梵天丸家臣
2009/04/09(木) 19:59:00ID:zvUMK+vAそんな糞みたいな漫画と伊達政宗を同一視するなよ
政宗公に対して失礼だろ
0389人間七七四年
2009/04/10(金) 00:44:04ID:Jlq5m4D1よく聴いてみると小学生がバスに轢かれて亡くなったニュースだった
ご冥福を祈るとともに不謹慎でみっともなく思えてきたわ…
0390人間七七四年
2009/04/10(金) 18:28:09ID:gNbx4nwA/)
///) /
/,.=゙''"/、______//
/ i f ,.r='"-‐'つ______/ SmallなことはNo, thank you!!
/ / _,.-‐'~/ \__/⌒\
/ ,i ,二ニ⊃■■ (●)V\
/ ノ il゙フW:::⌒(__人__)⌒:::W\
,イ「ト、 ,!,!|VW |r┬-| V|\
/ iトヾヽ_/ィ" ̄ ̄|===`ー'´=====/\\
0391人間七七四年
2009/04/10(金) 23:41:26ID:Jlq5m4D1団体のおじいちゃんおばあちゃんに囲まれて写真撮影に必死にねだられてた
春のおかしな人とはいえ、なんかワロス
0392人間七七四年
2009/04/12(日) 00:42:28ID:4C25uQr40393人間七七四年
2009/04/12(日) 10:24:40ID:ybt+J4to0394人間七七四年
2009/04/13(月) 02:55:37ID:ryyMCqES0395人間七七四年
2009/04/13(月) 04:31:44ID:qoP+6X7q0396人間七七四年
2009/04/13(月) 04:36:11ID:qoP+6X7qttp://uploaders.ddo.jp/upload/1mb/src/1up5799.jpg
こっちで
0397人間七七四年
2009/04/13(月) 23:44:37ID:8woJO9Y30398人間七七四年
2009/04/14(火) 00:23:15ID:Oly3whlwどんな数え方しても四枚にしか見えないんだが
はっきり5枚と分かる画像ないかな
0399人間七七四年
2009/04/14(火) 08:31:17ID:fTku0KaIヤフオクで五枚胴で検索すると幸せになれたりしたりします
ただ欲しくなるときがあるので気をつけてw
0400人間七七四年
2009/04/14(火) 08:46:05ID:tFS3GMouせいぜい胴と脛くらいしかつけてないんじゃないの?
あとは褌一丁・・・
なんか萌えてきた
0402目欄
2009/04/14(火) 13:14:01ID:XU+2pSTN自分で探す努力しろってんだよ〜
0403人間七七四年
2009/04/16(木) 16:48:04ID:IVGeUGYm大部分の鎧が、胴と面頬の間、つまり咽喉輪にあたる部分が、ないので
実際に飾ると その部分が、スカスカで 何だか物足りない。
間が抜けてるというと 言いすぎだけれど
小さな事だけれど 気になる人は、意外に多い。
0407人間七七四年
2009/04/18(土) 02:40:55ID:6gs4zuqh脇引があれば尚良いのに
小手がこはぜの脱着型なら着るの楽なのに
胴回りが大きかったら腹が入るのに
とはよく思う
0409人間七七四年
2009/04/25(土) 18:56:47ID:81br4LZfいまだに返事は無しですか?
0410人間七七四年
2009/04/29(水) 07:44:19ID:F84pJhk8まさか褌一丁だったわけでもないだろうし。
0412人間七七四年
2009/04/30(木) 11:02:21ID:YYP5WX34ほう。
丸武で売ってる鎧直垂(筒袖で2万円台のほう)って、あれは史実に近い形なんですかね?
http://image.www.rakuten.co.jp/yoroi/img1059151099.jpeg
どう見ても直垂じゃなくて作務衣に近い形ですが、あれが「甲冑下着」と見ていいんですか?
0414人間七七四年
2009/05/01(金) 00:14:03ID:oX5rIpkm甲冑持ってる人はぜひ1着持っておくといい
0415人間七七四年
2009/05/01(金) 12:20:33ID:4k3xZjnG0416人間七七四年
2009/05/01(金) 18:00:27ID:HtLhB9ba0417人間七七四年
2009/05/02(土) 14:14:07ID:lQZQyt/z0418人間七七四年
2009/05/02(土) 16:27:47ID:X0YcowHOパンチラの比じゃないエロス。
0419人間七七四年
2009/05/05(火) 23:33:03ID:KpCfC8rAあれはわざわざ亡骸から鎧を脱がせて直垂を引っぺがしたのだろうか
0420人間七七四年
2009/05/06(水) 16:20:27ID:5NtuGKsb大鎧着ているんだったら外に出ている
直垂の右袖を切り取って首級を包むのが簡単じゃないか。
まるまる服で包んだらかえって運びにくくなりそう。
参考に「首を運ぶ」↓
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8740/militaryhistory/kubi/kubi03.htm
0421人間七七四年
2009/05/17(日) 23:34:58ID:S46uOzFb0422人間七七四年
2009/05/18(月) 01:33:40ID:ZLpPlGJL三十二間筋兜とか六十四間筋兜や星兜とかってあるけれど
これは兜の何かの単位なの?
それと甲冑詳細わかるサイトあったら教えて欲しいです〜
0423人間七七四年
2009/05/18(月) 14:03:18ID:bssJ+kyH文字通りその兜の「筋」である、矧板の数。
32個を組み合わせれば三十二間筋兜。
64個組み合わせれば六十四間筋兜。
星兜はこういうこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%85%9C
0424人間七七四年
2009/05/23(土) 20:42:54ID:gVZYUUiK具足が妙に凝って描かれていてワロタ
0425人間七七四年
2009/06/29(月) 21:39:21ID:TG+DG13w鎧の何がどう美しいのか知りたいのですが
読んでおいて間違いない参考書、って何なんでしょう?
どなたが書かれたものかも教えてください。
0426人間七七四年
2009/06/30(火) 17:27:45ID:dVksahukんー なんか奇特な人だな
>鎧の何がどう美しいのか
を、現状で何も感じていない人であれば、興味を持つことも無いんじゃないだろうか
「いまは理解していないけれど、これから美しさを理解して興味を持ちたい」ってことなのか?
それとも、学校の歴史の授業で、興味あるわけじゃないけど、なんか調べて来いって宿題出されたとか?
0427人間七七四年
2009/07/03(金) 19:12:33ID:yk+avy2Q0428人間七七四年
2009/07/04(土) 06:02:39ID:7klS+D+A0430人間七七四年
2009/07/29(水) 10:40:09ID:Nb3vZkBSここのピンク甲冑の萌え甲冑はちょっと笑ったw
ttp://mononopu.com/index.html
0431人間七七四年
2009/07/29(水) 13:52:37ID:vDuWmsRv昨日届いたんだけど、見かけはいいが、軽い。小札も薄い。ここのスレかどうか忘れたけど、誰かが言ってたように
確かに丸武産業の鉄板は薄いなあ。本歌の喉輪は重い、って紀ノ国屋のカタログに書いてあったからちょっと残念。
まあ、飾り付ける甲冑も本歌じゃないからいいかなあ?
0432人間七七四年
2009/07/29(水) 20:45:40ID:B73DutXN0433人間七七四年
2009/07/29(水) 21:44:37ID:vDuWmsRv喉輪の制作費ですが、普通に作ると3万強、時代仕上げ(本歌のように見せる)と約3.6万です。
0434人間七七四年
2009/08/09(日) 17:02:31ID:wry8fKWQかつての足軽の紙鎧はどうやって固くしたのだろう?
0435人間七七四年
2009/08/09(日) 17:16:17ID:Bv11rRot0436人間七七四年
2009/08/10(月) 13:14:28ID:r8KyOSfh祭や行列にも参加できなさそうなので、いわゆるベアボーンみたいなのがあれば、
パーツや紐の色やデザインを選んで短期間で組み立てれて便利なのにと思う。
0437人間七七四年
2009/08/10(月) 15:22:54ID:swazEvzLいいアイデアじゃないか
それを君が商品化するビジネスしてみたらどうか?
0438人間七七四年
2009/08/11(火) 08:11:36ID:Yk1k+xkzつ丸武産業
しかしあそこのは当世籠手じゃないのかよ
いちいち左右つけて手首の縄縛るのが面倒くさいんだぜ
0439人間七七四年
2009/08/11(火) 13:06:39ID:UT90kTYg当世籠手だとサイズがピッタリ合わないと駄目だからじゃないかな?
0440人間七七四年
2009/08/11(火) 17:58:03ID:ee8io4wW何人分の鎧の材料になるだろう?
0441人間七七四年
2009/08/11(火) 22:09:55ID:MPssqz3G今のは0.7ミリ厚とかなので無理。ペナペナ
0442人間七七四年
2009/08/13(木) 13:03:33ID:5OaMmkkq0443人間七七四年
2009/08/14(金) 12:13:23ID:baSkxOsNただし塗装が大変だろうね
0444人間七七四年
2009/08/14(金) 15:51:13ID:pIS1OwCw0445人間七七四年
2009/08/15(土) 00:15:46ID:aQYrJss50446名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 03:31:04ID:FsqCkvZghttp://bbs.avi.jp/photo/142912/14107975
0447名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 10:57:28ID:8g7oMup/0448人間七七四年
2009/08/31(月) 01:44:45ID:HK4aalzW0449人間七七四年
2009/08/31(月) 01:56:42ID:yJTaqSgW0450人間七七四年
2009/08/31(月) 01:57:29ID:yJTaqSgW変わっているというほど珍しいものじゃない。
0451人間七七四年
2009/09/01(火) 01:09:55ID:7TrwgZ9z0452人間七七四年
2009/09/01(火) 02:01:57ID:xosbV21o0453人間七七四年
2009/09/03(木) 12:43:06ID:CJwF4SkN0454人間七七四年
2009/09/03(木) 15:14:39ID:21qW4gdF草ずりないし
0455人間七七四年
2009/09/07(月) 14:43:54ID:8wvJq0W/クレしんと同じで結構リアルそうだ。
0456人間七七四年
2009/09/07(月) 17:12:46ID:28XPFob+比較すればね。
0457人間七七四年
2009/09/08(火) 02:46:49ID:D+ZBDfRe伊達政宗の鎧は素敵でした。
0458人間七七四年
2009/09/09(水) 00:48:33ID:Qb5Cj97xこんなちっちゃな鎖でホントに刀受け止められたの?
0459人間七七四年
2009/09/11(金) 02:04:11ID:9uFc4CsAhttp://prt.iza.ne.jp/images/news/20090706/199122_c450.jpg
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/s/sanahanna/20090706/20090706191436.jpg
当世具足の胴や草摺をつけてない状態?
首元にのぞく青い布は籠手に繋がっているという理解でいいでしょうか。
0460人間七七四年
2009/09/11(金) 03:44:01ID:gkLA1cmwその状態は多分、小具足姿っていって陣中でくつろぐ状態。
それに胴(草摺は胴とくっ付いてる)をつけて兜をかぶってとあと細々したパーツを装備すれば臨戦態勢になる。
0462人間七七四年
2009/09/11(金) 09:37:32ID:W/ldolMThttp://bl★og.liv★edoor.jp/new★s2chplus/archives/5★066★322★4.html
☆☆☆☆☆☆
李鵬が言ってた、20年後に日本なんてなくなるって、こういう事か。
1000 :名無しさん@十周年:2009/09/10(木) 21:55:04 ID:IsvYN1LJ0
1000なら
鳩山:「譲歩を引き出しました。ソースコード開示しなくてもいいそうです。やったー!」
でもEAL3並みの要求を飲まされる。日本の適合性評価機関は承認されない。
結局技術はばっちり漏洩する。終わり
↑ ↑ ↑
中国 「IT製品、ソースコード開示せよ。情報漏洩はないから」…日本側が撤回求めるも、予定通り実施へ
http://s03.megalodon.jp/2009-0911-0412-34/pc11.2ch.net/test/read.cgi/prog/1204019152/34-35
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
鳩山首相の夫人、鳩山幸さんの旧姓や出自が不明だそうですよ。
鳩山幸さんはサイエントロジーというカルトと関係があるという噂があります。
http://an★tikimchi.see★saa.net/art★icle/127578850.html (日本アンチキムチ団)
764 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/09/06(日) 01:04:07 ID:/WrcABwtO
幸夫人のごお父様は中国人ではなく、キム・ジョンウォン(漢字不明)という朝鮮北部出身の貿易商だったようです。
戦後は日本に渡り、幸さんが渡米するまでは神戸の商社に勤めていたようです。 キムさんは幸さんが渡米した直後、
北海道室蘭に引っ越し、貿易商を営みながら総連支部の設立に尽力されたと話しておりました。
【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 2
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1252279762/
0463人間七七四年
2009/09/11(金) 20:57:21ID:lIlLrQ2L0464人間七七四年
2009/09/12(土) 18:55:19ID:WASoJgdC甲冑士森崎干城が語る 武将と甲冑の美学」
30ページ近く特集されてる。
0467人間七七四年
2009/09/15(火) 22:15:22ID:klaKSxsB九州や東北では桃山期になってようやく、と言う感じらしいね。
0470人間七七四年
2009/10/09(金) 23:32:01ID:QlKWh4hi鎧師の方のインタビュー記事が載ってたやつだよね?
あれの中で、紫糸で威した北条氏伝来の具足があったけど、あれの
所蔵元とかってわかる方いますか?
あの特集は鎧の所蔵を書いてくれるとよりうれしかったな。
0471人間七七四年
2009/10/16(金) 05:59:24ID:UzeneYlkふと気になって…
0472人間七七四年
2009/10/16(金) 10:46:13ID:zlX0ARCF少なくとも耐弾性については現在のケプラー製ヘルメットの方が上かと
でも防刃性は兜のほうが高いかもね
0473人間七七四年
2009/10/21(水) 16:43:02ID:3dqYnGwM0474人間七七四年
2009/10/22(木) 01:42:57ID:vJVe2Yzvなので、状況に応じて、「軽いけど防御性は低い兜」と、「重いけど防御性の高い兜」を
使い分けていたようだ。
0475人間七七四年
2009/10/22(木) 02:27:35ID:GwomN1GX最近最上記念館で公開された、延沢光昌の当世具足は兜が6kg、鎧も含めると46kgだそうだ
・・・歩けるのか?
0477人間七七四年
2009/10/23(金) 20:11:15ID:JypSoTq3普通に町工場みたいな工房だった。
0478人間七七四年
2009/10/24(土) 17:20:00ID:LZumDZXh飾り兜なんか漆+木材+和紙で作ってるの多いもんな
>>477
見た。
やはり一般人で手に入れることのできる最高の鉄はYSSなのかorz
0479人間七七四年
2009/11/05(木) 04:06:17ID:QXcsYS6R0480人間七七四年
2009/11/08(日) 15:40:10ID:YZi2M2VE0482人間七七四年
2009/11/09(月) 19:19:08ID:MX2kMa7v0483人間七七四年
2009/11/14(土) 09:12:04ID:OPWKc0tZ3年前に無料型紙GETしたけど
一部の型紙のスケールが違っていたり、
シコロがインチキだったりでした。
無料だからその辺は仕方ないね。
0484人間七七四年
2009/11/15(日) 00:11:34ID:t4eK6CNZhttp://www.nicovideo.jp/watch/1257410485
0485人間七七四年
2009/11/17(火) 01:05:44ID:RXFXBDHu現在の愛の甲冑は、この数十年の間に兜以外は違うものに取り替え
られていたという衝撃的な展開。数十年前の写真も載せていて、現
在との違いは歴然。面は今のほうが正しいとのことだが驚いた。
0486人間七七四年
2009/11/17(火) 10:51:08ID:01ddWvS9(;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!
0487人間七七四年
2009/11/19(木) 13:54:24ID:jBRwc6PU要は暴走族の改造バイクみたいなものだ
0488人間七七四年
2009/11/24(火) 14:41:09ID:mpINyi4b> さっきフジのニュースで高翌齢者の万引き特集やってたんだが、警察に連行
> されていく最後の部分で、路上ですれ違ったのが鎧武者だったんでワロタ
>
>
> 792 [名無し]さん(bin+cue).rar sage New! 2009/11/23(月) 18:48:01 ID:vnhGHu8a0
> >>791
> wwwwwwwwww
>
>
> 793 [名無し]さん(bin+cue).rar sage New! 2009/11/23(月) 18:48:13 ID:ZwiOl1CyP
> http://tv2ch.com/jlab-10s/s/10s172597.jpg
>
> これか
東京は道歩いて鎧武者とすれ違うのも普通なのかw
0489人間七七四年
2009/11/24(火) 17:55:09ID:8J5ZKnexさすがに頭狂は格が違った
0490人間七七四年
2009/11/25(水) 00:38:07ID:dRiDLaoP0492人間七七四年
2009/11/26(木) 03:39:43ID:bzngDASbたぶん彰義隊の生き残りだろ
0493人間七七四年
2009/11/26(木) 05:40:08ID:qGdiur9y土日昼にはいると思うけど……ここは違和感もったた方が良いのか……
http://www.jidai-ya.com/service/index.html#s02
0494人間七七四年
2009/11/30(月) 02:12:32ID:4DOpm6gRイベント帰りとか
0495人間七七四年
2009/12/04(金) 23:30:58ID:CLiQvU5Aどこで作ってるのかな?
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h136871268
評価を見ると他の甲冑も出てるけど中国製かな。
丸武より安いから他のがあればボーナスで購入検討するんだが。
0496人間七七四年
2009/12/05(土) 20:35:21ID:6OFMgBmU面頬の喉の部分が伊予札風じゃない以外はまるたけっぽいですよね
0498人間七七四年
2009/12/10(木) 20:59:28ID:GT5RIf3d実物の年代物みたいにウェザリング処理とかしてもらえないんだろうか
あの古さがたまらないんだ
0499人間七七四年
2009/12/16(水) 20:16:29ID:kV7w4sA70500sage
2009/12/19(土) 16:41:41ID:ULKfP/Xd質問について回答が3つあるんだけど、
その質問者が「復古調の鎧ですね」とか
「素晴らしい鎧ですね。15万円即決できませんか」っていっている。
自分にはどうみても新物にしか見えないんだけど、この質問者達、本当に
本歌って思っているの?それとも折れが見る目がないのかなあ?
0501人間七七四年
2009/12/19(土) 16:43:15ID:ULKfP/Xd0502人間七七四年
2010/01/04(月) 16:37:30ID:WYUencBFこないだ買ったデジタル一眼でかっこいいポートレートを作りたいんですが
どういうポーズで撮るのがいいかなと悩んでいます。
みなさんは、甲冑姿の武者はどういうポーズだと格好いいと思いますか?
たとえば刀を構えて撮る場合、甲冑姿だとどういう構えが適切なのだろう。
0503人間七七四年
2010/01/04(月) 20:25:55ID:wyGrD4g30504人間七七四年
2010/01/04(月) 20:55:13ID:Df6tYjjwプレートメイルは30kgぐらいあったみたいだけど
>>475の当世具足は40kgぐらいあるんだよな
日本の鎧の軽さに外国の人が驚いた、みたいな話があるけど
何と何を比べたんだろう
0505人間七七四年
2010/01/04(月) 21:44:18ID:Mfv7nyk/参考にするなら古写真や錦絵、映画なんかを見本にするといいと思う。
参考までに→でも見て行け。ttp://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1235208425/
>>504
当世具足で>>475の例はレアケースだとおもわれ。大鎧並の重さだよ・・・。
標準的な甲冑―日根野頭形・桶側胴に小具足諸々―なら15〜20kgだし、その辺と比べたのでは?
あと日本の甲冑は、発祥が騎射を前提にしたものだったから、関節部が隙間だらけなんで軽かったのかもしれない。
0506502
2010/01/06(水) 01:00:28ID:suMS0R3Yありがとうございます。参考になります。
0507人間七七四年
2010/01/06(水) 12:55:03ID:Gsa5Mal7立ち姿で刀を構えるのに限らないなら、兜を持って撮るのもあり。
かぶってしまうと顔が暗めになるゆえ
別のスレから見つけてきた
http://fx.104ban.com/up/src/up11651.jpg
座り姿だと、床机(しょうぎ)でもあるとサマになるね。
0508人間七七四年
2010/01/06(水) 16:46:01ID:Vd2xmze+なるほど、戦国中期以降の甲冑は結構軽いんだな
確かに関節部分も鎖帷子で覆われてる西洋甲冑に比べると
日本のは局所的な部分だけだもんな。
しかし大鎧ってそんなに重かったんだ・・・
0509人間七七四年
2010/01/10(日) 09:31:27ID:hWGqmDXvスウェーデン軍騎兵は、補給の問題により甲冑が不足し、大半の者がそれを身につけることが出来なかった。一方のティエリー軍騎兵は、甲冑の完全武装であった。しかしこの戦いはスウェーデン軍がティエリー軍に対して圧勝に終わった。
カラコールという伝統的な戦法を取ったティエリーの騎兵は、スウェーデン軍の火力の前に敗退したのに対し、スウェーデン軍の抜刀突撃はティエリー軍を蹴散らした。
これにより甲冑着用の有無は勝敗には関係がなく、火力と機動力こそが戦いを決することが実証された。
以後ヨーロッパの戦いの中で甲冑は姿を消し、胴体の損傷を防ぐ胸甲のみが用いられるようになるのである。
0510人間七七四年
2010/01/10(日) 14:44:37ID:PJbxNMza西洋の鎧も隙間だらけだけど、
物によっては鎧の下に着込む分厚い服に鎖帷子が縫いこまれていて、
それで関節などの隙間を埋める形になってる。
全身がガチガチに覆われているのは立たせて置く装飾用の鎧か、
トーナメント(ランスでの試合)で使う為の専用の鎧。
0511人間七七四年
2010/01/10(日) 21:02:41ID:u3iCrou2脇を守る脇引、首〜脇を守る満智羅、足の甲を覆う甲懸とか
0512人間七七四年
2010/01/10(日) 21:14:26ID:u3iCrou2この後スウェーデン騎兵は軽装化と鬼訓練で、迅速な機動を極限まで追求していくからなー・・・
あまりの素早さにろくに発砲する間もなく蹂躙されてしまう
18世紀になるとプロイセンなどは重騎兵もろくに胸甲をつけなくなってしまうね。
ナポレオンの時代になって胸甲の有用さが再評価され多少復活するけど
0513人間七七四年
2010/01/11(月) 10:28:50ID:W1jd+Tew0514人間七七四年
2010/01/12(火) 10:11:38ID:hwVvRGGMマスケット銃や火縄銃で打ち抜けるってバレたからね。>甲冑
日本は・・・気付くのが230年程遅かったよねぇ。美術品としては最高だけど。
>>513
胴丸つけたまま屈んでみな。手が届かないと思うぜ。
あと実際に付けて歩くと、臑当ては意外とズレる。
0515人間七七四年
2010/01/13(水) 18:18:45ID:opHgLo9b0516人間七七四年
2010/01/13(水) 20:15:57ID:8kRcWhmw自分剣道部だったんで覚えある
確かにそうだわ…w
>臑当て
横に巻き付いてるだけだもんなぁ
せめて佩盾に膝部分を連結できるギミックでもあれば
0517人間七七四年
2010/01/16(土) 07:53:30ID:Jmpm64P6行きましたよ。
レプリカですが、楽しめましたよ。
拡販が目的ならば、武将鎧よりも安いモデルを
展示したほうがいいと思うけどね。
0518人間七七四年
2010/01/17(日) 17:48:32ID:nDOO/HSo0519人間七七四年
2010/01/22(金) 18:26:36ID:tIbbIIV3紀の国屋の目と鼻の先でよくやったなぁと感心するわ。
目指してる方向が違うからいいのだけど。
そろそろ丸武は一般向けに足軽具足一式を出さないものかな?
0520人間七七四年
2010/01/23(土) 01:46:46ID:T1nh/k7Y本格的な歴史考証されるとボロが出るから?・・・と言ってもただの本屋じゃないか。
>足軽具足
アキバの武器屋で一式10万円ですよ
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/24196336.html
0521人間七七四年
2010/01/23(土) 02:55:40ID:DKPhjOIj一度行くとすごい勉強になるぞ
ttp://www.kinokuniya.tv/
0522人間七七四年
2010/01/23(土) 15:44:17ID:bIKzWAKx丸武のは、骨董品としての鎧とは趣旨が違うので、まぁ悪くないですね。
0524人間七七四年
2010/01/26(火) 23:16:02ID:eLgqfyr9わっしは丸胴(胴丸より二段多い)も二枚胴も所有してます。それを着て城に上がる時とか地下足袋を脱ぐんだけど、ちっとも支障ないです。
また、臑当がズレるなんて今まで一回も経験したことない。紐が汗を吸って解けなくなったことはしょっちゅうですが。
>>498
甲冑は骨董品じゃないです。武士にとっては死装束ともいえるものなので手入れの行き届いたピカピカの物が最上です。
武将たちは戦場で目立つように高価な銀箔、金箔を駆使してピカピカの甲冑をこさえていたんです。
新作なのにわざわざ古美仕上げとかにするのはもったいない話です。
甲冑の効能は精神的なモノが一番と考えます。至近距離で撃たれたら南蛮胴具足でも貫通する訳ですし。
礫や流れ矢が飛び交っている状況でそういうのに当たっても致命傷を避けられる。それだけでも存分に働けると思う。
0525人間七七四年
2010/01/27(水) 00:30:02ID:+qaXuSa4火薬が「爆発」して弾を飛ばしてるんだなあってのが体でわかる
ドバアァァン!!って感じ
0526人間七七四年
2010/01/27(水) 00:45:11ID:dbAf9fzZ一射するだけで煙がもうもうと立ち込めて、あんなんで連射したら何も見えなくなるってのがよくわかる。
0527人間七七四年
2010/01/29(金) 04:34:39ID:k4Ca0dW5所行は立派なのにイチイチ一言多いあいつだ…。
ちなみに俺は艶をあえて消した具足だったり。
まあその辺は再現にこだわるか創作と言い切るかだわな。
創作を再現と言っちゃうのは眉をひそめたくなるけど。
0528人間七七四年
2010/01/30(土) 02:16:50ID:F23TfKCgむかし戦場で本当に殺し合いをしてた武者たちは、
戦から帰ってくればその甲冑は土埃や返り血まみれだったであろう。
組み討ちして首を取ったりした日には、胸元から上、返り血を浴びて真っ赤になっていたであろう。
それをどうクリーニング・メンテナンスしてたんだろうね。
金属そのものが露出してる鎧なら拭けばキレイになりそうだけど、
糸で装飾された小札で構成された鎧など、汚れが染み込んだら落とす方法あったんだろうか?
0529人間七七四年
2010/01/30(土) 03:33:26ID:yd4ZS4hoそれと破損してる小札の交換も
0530人間七七四年
2010/01/30(土) 20:53:43ID:z5iAJKl3ほめて頂いてるのかな?でも所行って悪行とかに使う言葉だけど?
独学だけど甲冑歴30年もあれば一家言(一過言)あっても当然のこと。
私的なBlogで機能的でない井伊とか伊達の甲冑が嫌いだって言うのは自由でしょ。
異論があればその場で反論すれば?
もっとも艶消し甲冑をわざわざ作ってもらってるような御仁では議論すら成り立たないと思われ。
艶消し甲冑は板前で言えば錆びた包丁を「何十年使い込んだものだ」とひけらかしているようなもの。
>>528
心得のある武士は多少のほころびならばその場でもつくろえるように備えてました。
だから返り血のクリーニングなんて朝飯前。ほとんどの甲冑は防水の漆塗りだから水洗いOKです。
平和な時代 腰の物の日常の手入れを自分でやったように戦国時代に自分の命を守る商売道具のメンテを自分でやるのは当たり前のことです。
0531人間七七四年
2010/02/02(火) 16:23:27ID:JsZOqLWjあの部分がどこかに当たって音がするのを嫌った忠興自身が、戦場で自らあの布を貼り付けたとのこと。
0532人間七七四年
2010/02/03(水) 21:57:52ID:yGOPRIyK遅レスですが…
>386 :人間七七四年 :2009/10/13(火) 21:21:02 ID:3T80k5fd
> 伴大納言絵詞は、忠実な甲冑描写で知られ、今日では失われた初期大鎧の実態を知るのに役立つ。
> ここに登場する騎馬武者は検非違使の隋兵で大鎧を着用しているが、興味深いことに弓を持つのみで、刀を全く身に帯びていない。
> 腰に差す太刀はもちろん、小刀さえ身に着けていない。やはり騎乗の従者が従うが、彼も袋に入れた替え弓を持つだけで刀は身に帯びていない。
> 隋兵は六人ほど描かれるが、全員そうである。彼らを率いる検非違使は、甲冑ではなく平服だが、こちらは刀をつけているから、画家が描き忘れたのではない。
> 鎧を着用しない場合でも刀は普通差すから、大鎧を着ながら刀を持たない姿にはやや違和感を覚える。
> 検非違使に仕える者の習慣だったのだろうか。
ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/detail.php
に記述がありました。
「検非違使の随兵はよろひきて、胡簶をひて、太刀をはかぬなり、家子は太刀はくなり」
だそうです。
0533人間七七四年
2010/02/17(水) 23:45:59ID:43p3y2Qsttp://www.rakuten.ne.jp/gold/yoroi/sode.html
説明文の漢字が間違ってるのがなんとも・・・
仮にも鎧作ってんだからコハゼの漢字は正しい「鞐」を使えばいいのに。
うかうかしてるとヤフオクに出回ってる中国製劣化コピー具足に追い抜かれるぞ!
0534人間七七四年
2010/02/18(木) 00:56:35ID:GAJ8oqZZやっぱあれ、中国製コピーだったんだな。
丸武っぽいんだけど、妙に違和感があってのっぺりした
メリハリの無い作りだから、ずっと「?」って思ってたんだ。
0535人間七七四年
2010/02/19(金) 15:06:46ID:zMbPt9W5刃が下側になるように「下げる」ときの、
鎧の腰帯(ドラマだと白いサラシが多い)との絡み、緒の結び方、そういった資料がなかなか無いようで。
0536人間七七四年
2010/02/25(木) 10:52:50ID:P+ESVzeD0537人間七七四年
2010/02/27(土) 02:18:53ID:QXpHuX8N大袖の鎧に陣羽織って組み合わせはあんまり無いですか?
所持してる鎧は、大袖と言っても大鎧じゃなく、袖の形状が大袖のタイプというだけの当世具足。
・・・陣羽織着用しようとしたら引っかかってダメポだった。
やはり当世具足にありがちな、もっと小ぶりな袖じゃないと合わないのかな。
0538月孔雀
2010/02/27(土) 07:59:17ID:zIuDmYy0南蛮渡来の真似したって・・・信長さんは、、、
南蛮かぶれ・・・
0539人間七七四年
2010/02/27(土) 09:00:15ID:3oSf7OXM陣羽織が普及した時期から甲冑の袖は小型化もしくは付けないことが多くなった
桃山期の当世具足を見てごらん?袖なしの例がいくらでもあるから
そういうわけで陣羽織を大袖に無理やり合わせる必要はない
>>538
ドラマの中では信長は南蛮胴ばかり着ているが、その歴史的な証拠は何もない
たまに信長着用の伝来がついた具足があるが全部後世のでっち上げ
南蛮甲冑を使ったことが明らかにわかるのは徳川家康
0540月孔雀
2010/02/27(土) 09:45:27ID:zIuDmYy00541人間七七四年
2010/02/27(土) 17:48:08ID:58VtAMO1フェリペ二世が秀吉に確か2領贈っているから、これが確認できるもっとも古いもの。
ただし、当時の南蛮船は商船であっても海賊や敵との遭遇に備えて甲冑を備品として積んでいたから、これが流出して日本の武士に渡った可能性はある。
つまりヨーロッパの船が日本に来るようになって以後は、南蛮甲冑が使われた可能性はある。
家康のそれも1600年春に漂着したリーフデ号に積まれていたもの。このリーフデ号は火薬や銃器の搭載量は異常で、もともとそれらを販売することを目的としていた可能性もある。
0542人間七七四年
2010/02/27(土) 20:34:56ID:3oSf7OXM日本に入ってきたものはハーフアーマーと呼ばれる形式が主だったのではなかろうかと思う
ルネサンス以降のヨーロッパでは火器が発展したので、甲冑は頭や胴など急所の防御に特化する代わりに
下半身の装甲を捨てざるを得ず、文字通りの半甲冑が普及していった
その他に船上のような狭い場所だとフルアーマーでは小回りが利かないという理由もあっただろう
0543人間七七四年
2010/02/27(土) 21:44:15ID:N/JFW6Gj兜は顔面を覆う装置がないのが普通だが、視界が狭まることによる不利を避けるため。ただし下半身に防備がないことに問題はあり、マゼランもその欠点を突かれて死んだ。
0544人間七七四年
2010/02/28(日) 03:03:24ID:WtFyDSAe具足についてはもう少し詳しく聞きたい。信長の具足というと、建勲神社にある
紺糸威の胴丸具足が有名だけれども。
兜については、信長=南蛮兜という発想は江戸時代にはすでにもうあったみたいで、長篠
合戦図屏風には南蛮兜が描かれている。信長所用いわれる南蛮兜(唐人笠形兜)というと、永禄九年の
銘の入ったものが靖国神社にあるそうな。
0545539
2010/02/28(日) 11:26:28ID:EIBiFX1L胴丸をほぼ同時期に作られた上杉神社の金小札色々威(信長から謙信に贈られた)と
見比べると細部が江戸期の復古調ぽく見えるし、兜のしころも他の室町桃山期のと
比べてみると時代が若く見える(どちらも個人的な感想だが)
柏原藩が先祖をたたえるために作らせたのではないかと思っている
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kin/item07.html
信長所用の伝がつく兜は岐阜市立歴史博物館や総見院、遊就館などにあるが、
南蛮兜といっても作風からは雑賀鉢にしか見受けられない
ttp://mariya.no-blog.jp/blog/2010/01/26_8d05.html
鎖国時代のなかで、海外交易が盛んだった時代と信長のイメージの結びつきが
強くなっていった結果、一見エキゾチックな雑賀の兜を信長の南蛮好きに重ねる向きがあったのかしら
また、信雄が本能寺の焼け跡から見つけた父の遺品と伝わる兜が総見院にある
ttp://www.geocities.jp/hm17212/shiseki/bukouyawa/bukouyawa.html
簡素なトッパイ兜だが角元の大きさから巨大な脇立が付いていただろうことを考えるとさもありなん
0546539
2010/02/28(日) 11:36:48ID:EIBiFX1L上でぐちゃぐちゃと書いたが、じゃあ信長は実際どんな甲冑を着ていたのか
ということに対して、俺は従来の胴丸・腹巻か当世具足になりかけの丸胴とか
呼ばれるものの類だったと思う
後者の場合は、利家の金伊予札具足や、秀吉が政宗に贈った銀伊予札胴具足に近い、伊予札製の
ものを想像していただけるとよい
なんにせよ信長の甲冑についてはこれといった強力な証拠が今のところないというのが俺の感慨
0547人間七七四年
2010/02/28(日) 22:29:13ID:TgoAFWIq「きんからかわ」とは型押しで模様をつけ、金や様々な色で彩色した革のことで、この時代ヨーロッパからもたらされた。
現在金唐革の甲冑と称するものもあるが、写真では雅楽の衣装に使う甲冑で、信長とは関係がなさそうだ。(穴八幡宮蔵)
信長のそれがどんなものだったかは分らないが、信長が特別な甲冑を身に付けたことは確かだ。
実際金唐革を貼り付けたものだったのか、金唐革のように見える甲冑だったのか。後者ならば南蛮甲冑であった可能性もあるのだが。
0548人間七七四年
2010/03/13(土) 19:15:19ID:WrpZxTRB皮で包んで漆塗ってつるつるにしてみたい
0549人間七七四年
2010/03/23(火) 17:03:49ID:Rd08WxlQ上杉家に伝わった甲冑群の中に織田信長から贈られたものが多いと私は見ている
特に革製金箔置烏帽子型兜外装や唐草透彫烏帽子形兜外装とその頭形兜は
信長の用いた無の字も装飾されている事から、日本中央で造られて信長が越後へ送ったと思う
0550人間七七四年
2010/03/23(火) 17:15:33ID:Rd08WxlQ織田家伝来の室町末期の鎧の残欠を使って、江戸復古調期に仕立て直したと考えられる
0551人間七七四年
2010/03/23(火) 17:33:53ID:Rd08WxlQ0552人間七七四年
2010/03/24(水) 06:02:25ID:qV3VLzw1六角形の組み合わせで亀の甲羅みたいになってるけど
0553人間七七四年
2010/03/24(水) 09:34:21ID:DAFjcpZDそこは脛当ての膝を守る部分で、立挙(たてあげ)という名前がある
南北朝頃から立挙を脛当てに設けることが行われてきたが
室町期を通じて脛部分と同じ革や鉄の板で作ることが多かった
当世具足が出始めた時から立挙の部分を亀甲鉄という小さい六角形の鉄板を
布地に仕込んで作る仕立てが主流になる
亀甲鉄を他に使う機会が多いのは胴の肩上に付く小鰭部分
0554人間七七四年
2010/03/25(木) 10:53:55ID:H6tGmUlH詳しくありがとう
作るのに手間かかりそうだけど
こうしたほうが普通に鉄で覆うより耐久性あるんだろうか
膝付いた時の滑り止めになるのか
0555人間七七四年
2010/03/25(木) 19:22:28ID:YPc5fQs40556人間七七四年
2010/03/26(金) 00:32:53ID:aSSEDadS0557人間七七四年
2010/03/26(金) 02:02:42ID:bBKRHD+j17世紀の西洋でも、甲冑を身につけた方が精神面で敵を圧倒でき有利だと説いた将軍がいたらしいですね。
同時代人にはほとんど理解されなかったみたいですが。
30年戦争でのスウェーデンのサーベル騎兵と皇帝軍のカラコールの事例は…鎧の有無よりも、戦法の違いに
拠る所が大きかったのでは無いかと。
0558人間七七四年
2010/03/28(日) 01:52:11ID:c3G9Qymyこれくらい大きな兜めずらしいと思うんだけど、ここまでしころを広げる意味は何?
0559人間七七四年
2010/03/28(日) 02:14:11ID:XB5HIuhY室町時代に流行した「笠じころ」の形式だね(物自体は江戸期の復古調ぽいが)
打物での戦いが主流になると腕の運動を妨げないようにしころの傾斜角度が小さくなって
ほぼ平らに広がる形となった
ただし首筋の部分ががら空きなので、上杉さんとこでは二重じころを採用したりしているし
桃山期以降は日根野じころなどに代わられていくことになる
0560人間七七四年
2010/03/28(日) 02:40:30ID:c3G9Qymyたしかに刀は振りかぶれないね
0561人間七七四年
2010/03/28(日) 09:13:50ID:1VQGTgGa兜に羽根がぴょーんってなってるやつ。
あれが、武将の間ではカッコいいと評判だったらしい。
0562人間七七四年
2010/04/01(木) 01:29:22ID:JJWlKY+Qコピペにレスしてもしょうがないんだけど、
ナンバ走りだったっら昔の日本人は疾走出来たのか・・・凄いな。
この前小田原城行って来たんだけど、天守閣のたもとに観光客向けの貸し鎧屋?があって、
そこで鎧着せて貸してくれるんだよね。
当世具足風の、ペナペナな物なんだけど、着てみたらまあまあ重くて、
全力疾走はきついな、って感じだった。
店のオジサン曰く、映画の撮影とかに使われるまがい物で、実際の重量の四分の一程の重さなんだって。
俺だったらあの四倍もの重量の鎧装着してひっくり返ったらそうすぐには起き上がれないわ。
ましてや泳いだら絶対沈むね。
昔の人は基礎体力が半端じゃなkったのかな?
「馬から落ちたところを討ち取られて・・・」
とかよくあるけど、なんかわかる気がしたなあ。
0563人間七七四年
2010/04/01(木) 11:06:28ID:7BD7t+Rt西洋式の力に頼る走り方よりかなり効率は良いんだろうね
0564人間七七四年
2010/04/01(木) 11:31:01ID:GNyuoKyr此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
彼らは舞うような歩法を用い
これはナンバ走りのことかな?
0565人間七七四年
2010/04/01(木) 13:29:38ID:wWS2q7vq籠手の本来なら金属の部分は皮製でそれっぽく見えるようになってた
0567人間七七四年
2010/04/01(木) 17:53:22ID:uFOwjNCG0568人間七七四年
2010/04/02(金) 14:48:56ID:lTErYuWhttp://www.yoroi.co.jp/topics/2006/tsugaru/tsugaru.html
他の武将のもあった
ttp://www.yoroi.co.jp/topics.html
0569人間七七四年
2010/04/02(金) 22:56:03ID:YYo1wsPW裏付ける資料は無いらしいけど、
やっぱりかっこいいなぁ。
0570人間七七四年
2010/04/03(土) 01:07:00ID:Ko23iSAE信長が南蛮胴を付けていたなんて、ありえない。
そんなものは漫画かゲームの世界だけ。
0571人間七七四年
2010/04/15(木) 18:21:58ID:2hTrBKx00572人間七七四年
2010/04/19(月) 07:32:25ID:U7PvfyMJ人によるかもしれないが、あまり派手な威の腹巻をつけた信長はなぁ…。
0573人間七七四年
2010/04/20(火) 19:39:00ID:pLAM/h1u鎌倉武士
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_5-1.jpg
南北朝武士
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_9-1.jpg
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_11-1.jpg
室町武士
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_13-1.jpg
明治だけに今の材質で作ったものではないぶんリアルかも
0574人間七七四年
2010/04/20(火) 19:41:18ID:pLAM/h1uttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_3-1.jpg
旗持ち
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_10-1.jpg
中間
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_12-1.jpg
武士と盾
http://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_15-1.jpg
僧兵
ttp://www.baxleystamps.com/litho/ogawa/ogawa_mil_7-1.jpg
自分的には鎌倉武士の大鎧が一番カッコいい
0575人間七七四年
2010/04/20(火) 19:50:17ID:6sbcbYQW0576人間七七四年
2010/04/21(水) 13:58:32ID:v72p7yaI武将クラスの派手なやつ
0577人間七七四年
2010/04/21(水) 22:42:18ID:oA6MmOvN0578人間七七四年
2010/04/22(木) 00:34:16ID:7fQed6t70580人間七七四年
2010/04/22(木) 12:33:44ID:0yRSMTGBhttp://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/history/img/12653012080066.jpg
0581人間七七四年
2010/04/22(木) 19:49:54ID:74sJXOs/0582人間七七四年
2010/04/22(木) 21:43:00ID:xpVF0qpuという古写真の画像を探しているのだが未だに見つからない
0583人間七七四年
2010/04/26(月) 00:34:32ID:fXnfRmp8ttp://www.flickr.com/photos/24443965@N08/2822802922/sizes/o/
0584人間七七四年
2010/06/09(水) 21:57:59ID:R1KVDN6S0585人間七七四年
2010/06/09(水) 22:11:15ID:vOGOODPD0586人間七七四年
2010/07/19(月) 17:38:58ID:rXit5n0L金砕棒はレアな武器みたいだし。
0587人間七七四年
2010/07/19(月) 17:59:20ID:BJ2kCleF0588人間七七四年
2010/07/21(水) 23:59:34ID:K8/6XZoe合皮素材の部分があって、劣化が心配とあるけど
実際どうなのでしょうか?
購入者の方、使用中の方よろしければ教えてください
ttp://review.rakuten.co.jp/rd/2_198062_10000457_0/
0589人間七七四年
2010/07/27(火) 21:09:14ID:/LBBP8wg0590人間七七四年
2010/07/28(水) 01:27:53ID:o8Km6Nbt西洋と日本での鎖帷子の使われ方には歴史的に違いがあることを踏まえる必要がある。
西洋甲冑ではそもそも、古代から中世まで鎖帷子(メイル)が主体的に使われてきた。板金鎧が発展していったのは、
鎖帷子は刺突に弱く、着ると体に鎖全部の重量がのしかかって動くのに抵抗がいるという弱点を補う形でであった。
日本では、鎖帷子は札甲冑の下に着込むとか、非常時に着るとかの副次的な使用が主であったことを
考えると、同じ物に対しても求める強度が日本と西洋では異なってくると想像できるがどうだろう?
日本の鎖帷子に亀甲やカルタ形の鉄板を混ぜた例がいくつかあるが、鎖だけでは不安だという使用者の思いも感じられるのでは?
0591人間七七四年
2010/07/28(水) 18:52:18ID:TGdT4x8eだから軽量化する為にスカスカになったんじゃないか?
あくまでも間接部の防御や甲冑が貫通された時の保険などの副次的な装備だし。
0592人間七七四年
2010/08/02(月) 11:27:21ID:DBkV/E0C甲冑剣術のいでたち、構えを見ても、脇の下とかただの着物しかないから、
槍とかで突き貫かれたら終わるような気がする
狙ってくる部位が分っていることは逆にメリットにもなるのか?
相手の得物をかわして、懐に入って斬り殺す動きを重視するなら、鎖帷子で重装備にするよりも効果的だったのかもしれぬ
0593人間七七四年
2010/08/03(火) 00:30:54ID:puLO2bmn甲冑を着た武者の剣術は写真のように半身をきった構えなのか?
現代の剣道とかは体は正面向いてるが。
もっともお互い動いている相手の部位をピンポイントで仕留めるのは難しいだろう。
槍や刀で相手をぶっ叩いて組み付いて投げ飛ばしたんじゃね?
鎖帷子で思い出したが、ヒストリカルチャンネルだったかで、日本の和弓では中世ヨーロッパ騎士の鎖帷子を貫通出来なかったな。
英国のロングボウよりも弾道ゼリーを使った測定では貫通力で上回ったが、矢じりの問題で鎖帷子にはじかれてた。
0594人間七七四年
2010/08/03(火) 01:25:04ID:+FS0U8P8甲冑剣術に限ったことでは無いけど、剣術での刀の構え方は、現代剣道の「正眼」のように正面に構えるだけではないよ。
横に構える「八相」、「霞の構え」。
他に腰の下斜めうしろに構える「脇構え」とかもある。
>>592の写真のは八相を低くした感じか。
介者剣術は重心を低めに取って隙を小さくするというのは本当なんだな。
0595人間七七四年
2010/08/03(火) 05:49:57ID:Vizn/ME7あの番組って最終的には(ドイツ除く)欧米マンセーで完結させるから、
参考程度にしておくと良いよ。
第二次大戦で難攻不落の要塞を陥落させたドイツの列車砲を無駄と一蹴した後、
日本に核兵器を撃ち込む為に開発した世界最大の巨砲(未完成)を絶賛してたから。
0596人間七七四年
2010/08/03(火) 18:42:15ID:cgMP7evF平安末期頃の兜を平家はしっかり被ったのに坂東武者は兜背負ってたと言うのは本当?
あと兜がズレないように天辺の穴から髪の毛引っ張り出してたと言うのも変ですが本当ですか?
分る人おりましたらお願いします。
0597人間七七四年
2010/08/04(水) 01:05:49ID:KEV3Ioul頭蓋に被る「鉢」の部分を、台形の鉄板十数枚を半球状に鋲で留め合わせて作っていた。
「星兜」の名は表面に出た鋲の頭を星に見立てて呼んだもの。
この頃の兜の脳天部には、丸い大きな穴があるのだが、これは(兜製作の技術的な水準の問題も含めて)
その穴から烏帽子を被せた髻を出して、兜を固定していたことによるもの。当時は頭髪が神聖なものとして
扱われていたことも関係しているだろう(人前では必ず被り物をしなければ恥とされた)。
源平合戦期の大鎧に付いている兜の穴は直径数cmとかなり大きいが、もちろん急所であったことは事実。
鎌倉・室町を下るにしたがって技術の発展と共に穴は小さくなり、完全に塞ぐこともできるようになったが、
なおも飾りや頭の蒸れ防止のために1、2cmくらいの大きさで開けられることが多かった。
で、平家の武者は被っていたのに坂東武者は背負っていたとのことだが、
大鎧を着て馬に乗って戦う武士は、源平関係なく誰でも戦闘時以外は兜を脱いでいた。重いもん。
休憩時や行軍のときは従者が持ったり被ったりしていて、戦いが始まるとこれを受け取って被った。
>坂東武者は兜背負ってた
『平家物語』巻十一の那須与一「甲をば脱いで高紐にかけ」のくだりが元かしら。その話は絵の題材にもよくなっているから。
0598人間七七四年
2010/08/04(水) 01:15:00ID:KEV3Ioul烏帽子の先端を突き出した風にした具合にすることが本来は望ましいのですが、髻を解いた状態の
ロン毛かつらを被せるケースが結構多いです(衣装の甲冑との兼ね合いもあるから仕方ないか)。
天辺の穴が小さくなると髻を解いてから兜を被るようになりますが、
『蒙古襲来絵詞』などの史料から、元寇期前後から始まったと言われています。
0599人間七七四年
2010/08/04(水) 02:51:11ID:IoQN2ihEあれ確か和弓とロングボウで同じくらいの張力のものを比べてたでしょ。
複合素材の弓と単一素材の弓を比較しての大きなメリットって、同一サイズで制作する場合、複合素材のそれは
張力の限界を大きくとり易いということだったと思うんだが。
0600人間七七四年
2010/08/04(水) 03:50:11ID:FMdqF3fqまあ、あの番組は和弓を割りと持ち上げてたが。
同じ張力で比較して、単純な運動エネルギーでは和弓のほうがロングボウを上回ると結論付けてたし。
0601人間七七四年
2010/09/23(木) 13:28:00ID:oiDo3Lxm0602人間七七四年
2010/09/28(火) 09:03:19ID:LXP0Cm9Q0603人間七七四年
2010/10/04(月) 21:00:57ID:czcdhIXzそう。
でも水軍衆相手の場合は注意が必要だぜ、
金玉ガードがちゃんと備えられている甲冑もあるらしいよ。
金玉ガードがないのは馬に乗るからであって、
馬に乗る必要が全く完全にない海賊は付ける奴もいるんだってさ。
0604人間七七四年
2010/10/25(月) 09:13:01ID:EHVrglRO船べりに立ったときに足滑らして股間直撃防止のためという話もあるな
0605人間七七四年
2010/10/29(金) 10:43:16ID:EIjE5g2xhttp://www.sengokudama.jp/category/gaisyu-story.html
突っ込みどころ満載。
0606人間七七四年
2010/10/30(土) 02:19:15ID:KJYRr0cC0607人間七七四年
2010/11/02(火) 23:29:06ID:N7zyH0PA0608人間七七四年
2010/11/03(水) 12:35:52ID:6u8abJFa体験型甲冑店 「遠州掛川 鎧屋」
http://yoroiya.hamazo.tv/
0609人間七七四年
2010/11/08(月) 12:57:44ID:3e4h8TAR「小堀流踏水術」っていう古流泳法の流派があって、
甲冑を付けて立ち泳ぎする演武とかやってるんだが、
そのいでたちは普通の具足だったなぁ。
金玉ガードなんてはじめて聞いた
0610人間七七四年
2010/11/09(火) 19:08:24ID:NY6iCV/F普通の足軽鎧
3倍の大きさの足軽鎧
(しかも実戦で使われた形跡のあるもの)というものがあったと思うのですが、詳細のわかる方教えてください。
0611人間七七四年
2010/11/19(金) 20:59:12ID:UOgSTvAottp://gyazo.com/86160a920c00fdb11ea0321a1bd0916f.png
(逆ノースリーブと一部で言われているあれ)の名称が分かりません。
知っている方、教えてください。
0613人間七七四年
2010/11/20(土) 00:31:21ID:iE0KQGOX0614人間七七四年
2010/11/20(土) 03:05:11ID:adJf5xx5ありがとうございます。あれも手甲の一つだったんですね。
手甲ってごついイメージがあったので、布のあれはどういう名称かずっと
分からなかったです。
0615人間七七四年
2010/11/20(土) 07:31:46ID:DdMjP5rb戦国オタとしては普通の風景だから草を生やすような違和感は無い。
0616人間七七四年
2011/01/26(水) 22:58:50ID:A8eIn6IV大鎧のような栴檀板(せんだんのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた)を付けたような構成の甲冑って、
いつぐらいの時代に使われていたものですか?
この画像のような。
http://homepage2.nifty.com/watauti/tono13.jpg
http://dl.dropbox.com/u/9990573/IMGP332.jpg
カテゴリとしては胴丸に分類されるのですか?
0617人間七七四年
2011/01/27(木) 11:02:28ID:XfVCuHV2俺が知ってるのは江戸時代以降のコケおどしの復古鎧だけど。
0618人間七七四年
2011/02/04(金) 01:29:24ID:O3Dwiks5福島県相馬市にある松川浦は、大小の島が点在する風光明媚な風景で、日本百景の一つに数えられる。今の時期、青のりの収穫が盛んで、美しい景色の中を漁船が行き交う。
今回、俳優・波岡一喜が訪れ、青のり漁師の生活に触れていく。また、全国でも珍しい、本物の甲冑を復刻させる甲冑職人の技にも出会う。
ttp://www.bs-j.co.jp/genfuukei/
ttp://www.bs-j.co.jp/bangumi/html/201102042000_20474.html
0619人間七七四年
2011/02/11(金) 07:53:06ID:/gX6jSmr鎌倉時代の絵巻物にはいくつか例があるが現存品は大山祇神社の一領だけ
源義経奉納といわれているが、例によって時代はもっと下るらしい
ただしこれらは胴の正面に弦走韋も貼ってある
分類としては「腹巻鎧」
「胴丸鎧」というのは後世の腹巻⇔胴丸の名称逆転を受けた呼称なので正しくない
0621人間七七四年
2011/02/27(日) 12:46:01.59ID:/occJbfb0622人間七七四年
2011/02/27(日) 18:23:30.88ID:1PuaayzF甲冑師の方に弟子入りをしようと思うんだけど、
甲冑師の方て今の時代でも弟子とかとってるんですかね?
0623人間七七四年
2011/02/27(日) 18:38:45.79ID:/occJbfb0624人間七七四年
2011/02/27(日) 18:54:45.19ID:1PuaayzF鹿児島のですよね?半年ほど前に一応問合せをしたのですが、
関東在住なんであんまりいい返事はもらえませんでした。
0625人間七七四年
2011/03/02(水) 11:12:47.44ID:WnQ7Yd7Rttp://japanese-armor.org/jpn/
甲冑会に聞いてみたらどうかな?本業の人が何人かいるから相談に乗ってもらえるかもよ
0626人間七七四年
2011/03/04(金) 15:53:41.83ID:v9W/wfJwありがとうございます。早速、連絡したいと思います。
0627人間七七四年
2011/03/06(日) 01:21:05.42ID:UiGGaiOF上はDID製作の織田信長フィギュア
建勲神社の胴丸と揚羽蝶の陣羽織が付属し、モデル写真の中では2つを着せてはいるが、
大袖を付けた上で陣羽織を着ることは実際上相当無理がある
まねしないように
0628人間七七四年
2011/03/06(日) 10:42:49.96ID:Aq/WVItG0629人間七七四年
2011/03/13(日) 18:58:27.14ID:tRyCV0dG0630人間七七四年
2011/03/17(木) 12:57:24.74ID:m9YSecVJttp://www.geocities.jp/kazzuki2001/kabuto.html
0632人間七七四年
2011/03/18(金) 23:22:26.69ID:0EliEvWo本山一城(黒田官兵衛の子孫にあたる漫画家)。だけど、俺もこの人の文章は
品が無さ過ぎて好きじゃない。
0633人間七七四年
2011/03/19(土) 05:58:08.13ID:KMso/AQEガキの頃は結構好きだったのにw
0634人間七七四年
2011/03/19(土) 09:46:31.94ID:rL/p4mem0635人間七七四年
2011/03/19(土) 12:35:10.40ID:gQWK4Jk1って序盤の方に書いてあるけど
幕末の陣羽織と桃山期の陣羽織ってどこらへんが違うの?
もしかしてやたらと足元に向けて長くなってたり?
0636人間七七四年
2011/03/19(土) 15:06:08.15ID:iIPOmc8A○当世具足は江戸時代になってから登場した。胴に樽型の曲線があるのは西洋鎧の影響。それ以前の胴は直線的。
このへんの記述は
「くそく(具足)、はらまき(腹巻)、おけかはとう(桶側胴)、くさすり(草摺)十けん(間)」六さけ(下げ)、………
のとわ(喉輪)つね(常)のこと(如)し、一、かふととうなり(甲頭形)、しころ(??)五さけ(下げ)、
まみ(眉庇)ほしかふと(星兜)のことく(如く)、めんほう(面頬)とひはなことゞヽく、… 」
『石川孝雄家(甲府市)文書』
(穴山信君(1541〜82)が元亀二年(1571)に吉三に宛てた具足注文)
と矛盾しないのだろうか
0637人間七七四年
2011/03/19(土) 19:17:40.21ID:y1QolkMbほうほう、興味深い説ですね。江戸時代の上限が遡る可能性が出てきた。
0639人間七七四年
2011/03/20(日) 23:05:11.63ID:fVKerPwT0640人間七七四年
2011/03/20(日) 23:22:41.17ID:fVKerPwT当世具足の登場ね
0641人間七七四年
2011/03/21(月) 12:38:54.93ID:sG0cSXqe戦国時代の陣羽織は裾が広く、「ハの字型」をしており、江戸時代の陣羽織は肩幅と裾幅が同じでした。
0642人間七七四年
2011/03/21(月) 13:39:29.41ID:F1PSCXwSこんな感じのやつか
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B07&processId=02&colid=I393
https://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/04_fukushou/02.html
0643人間七七四年
2011/03/21(月) 15:19:04.54ID:9Deo1Fbi0644人間七七四年
2011/03/22(火) 08:28:18.38ID:lD69TQWL0645人間七七四年
2011/03/22(火) 20:30:24.56ID:N++VGnFy素材も桃山期のには麻や紙といった通気や軽さを重視したものもそれなりに見られるが、
江戸期以降はラシャや金襴での仕立てが一般化し、形も袖無しで前の開き部分を折り返した様式が定型となる
0646人間七七四年
2011/03/27(日) 13:37:02.13ID:qxyKDSvK葵の紋の金具を各所に配し、胴の正面に大きく葵の紋を紋柄縅にするなど、この当時の最高級レベルの丁寧な作り。信一のような中級クラスの武士が用いるものではない。
1568年信長は将軍義昭を擁して上洛戦を行ったが、家康は自身の出陣ができなかったため信一に兵を預けて出陣させた。そのときに与えた甲冑がこれ。
貴重な拝領品であるため大事にされ、今日まで残った。
したがって、この当世具足の制作年代は1560年代の後半と特定できる。青年時代の家康の甲冑の唯一の遺品としても貴重。
0647人間七七四年
2011/03/27(日) 16:10:50.67ID:8mhtUf0A正直私も自分の推測が正しいとは思っていないので
以下の文章は参考程度に見ていただければいいが意見を一つ
あの具足が永禄年間に製作されたというにはちょっと疑問な所がある
うまく説明できないんだが、当世具足としては初期の部類に入るのは確実だが
それでも天正より後という感じがする
・日根野形式のシコロ
・面頬の仕立て
・段数が増加しきった胴の立挙・長側
・黒糸威(桃山時代より前には遺品がまずない)
・四孔式の胸板
・脛当のホ具摺
とかを見ると当世具足としては一応完成された様式を備えているので、
信一が家康の代理出陣する際に渡されたというのは後世の付加で、
関が原前後に家康から拝領したというのが実相ではなかろうか
手元の資料が少ないのでこれくらいまで
0648人間七七四年
2011/03/30(水) 05:12:52.19ID:o7Q83j4t足軽が桶側胴に陣笠被って走り回ってるのが一番映像としては、安心できるのも確かな話で。
0649人間七七四年
2011/03/30(水) 20:55:50.09ID:8MQx8YuZところが上田博物館の松平信一のものは篠脛当て。この甲冑が家康のものであることは確実だから、当初は大立上げの脛当が付属していたはず。そうではないのは信一がこの甲冑を実際に用いたからと思われる。
大立上げの脛当ては、篠と異なり鉄板の打ち出しだから、本来の所有者以外は使いにくい。脛当のみは信一が自分のものを用いたと考えられる。
家康が事実上の天下人となってから以後では、仮に下賜されたとしてもそれを実用に供するのは難しかったんではなかろうか。
0650人間七七四年
2011/03/31(木) 04:59:43.33ID:vW0r0g2w0651人間七七四年
2011/04/16(土) 16:15:31.65ID:b23/Q4Pp熊本県あさぎり町に伝わる、兜・大袖・脇引の付いた腹巻の残欠。胴の長側が伊予札仕立て。
南北朝期の遺品とあるが、腹巻をこんなに重武装化させるのは室町後期の特色。
写真の真ん中に鐶を打った菱縫板があるがこれは初期型の背板(臆病板)。
背板は大袖の緒を結ぶ総角を取り付けるために使われ出したので最初は札板1、2段だけだったが、
後に防御力向上のために大型化した。
兜もまた練革板の打ち出しという珍しい簡易兜。
シコロや眉庇の形からこれも南北朝からは更に時代が下るものと思われる。
当世具足が普及する前の、九州地方で活動していた中堅〜上級武将の着料の好例といえる。
0652人間七七四年
2011/04/23(土) 15:32:34.40ID:7vC3woOt「鎧」・・・よろい。特に首から下を保護する部分を指す。日本史上では「大鎧」をさすこともある。
「甲冑」・・・胴部を保護する「鎧」と頭部を守る「兜」をまとめて指す語。鎧兜(よろいかぶと)。
なお、「甲」は「鎧」、「冑」は「兜」にあたる。
上のように俺は今まで理解していたから、「鎧甲冑」という言葉を聞くと「よろいよろいかぶと」と
頭の中で解釈してゲンナリするんだが、どこか間違ったとこあるか?
0653人間七七四年
2011/04/23(土) 15:41:02.07ID:ILqjtf4oヤフオクの出品タイトルだけじゃない?
あれって今だにタイトル検索しかないから、
タイトルにやたら長ったらしくキーワードを詰め込むしかない。
「鎧胴/鎧兜 武具 刀剣 鍔 具足 甲冑 」とか。サムネイル写真無ければ何なのか分からないものばかり。
出品時にニコニコのハッシュタグみたいなのを付けられればもっとスマートになるのにといつも思う。
0654人間七七四年
2011/04/23(土) 15:57:58.52ID:7vC3woOtいや、それが結構な頻度で出版物やテレビで目にしたり
「よろいかっちゅー」とか聞いたりするのようになったのよ。
どうしてそんな重複語ができたのか、使っても平気な人がいるのかはわからないが。
ヤフオクの検索が不便なのは同意する。
0655人間七七四年
2011/04/23(土) 19:24:35.44ID:1c1bux2Zhttp://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k140325141
0656人間七七四年
2011/04/26(火) 19:27:45.35ID:b+7DJn2jまだ許せるものからチョー恥ずかしいものまでミスはいっぱいある。
時代祭やコスプレだけじゃなく、テレビドラマや博物館でも間違いは起こるのだ。
というわけでまず俺から思いつく限りを書き出すことにする。
兜編
・鍬形の板を左右逆にする→正しく台に挿せれば綺麗なU字・V字形のラインができるが、不自然だったら左右逆のおそれあり。
・被るときに忍緒をいい加減に結ぶ(蝶結びなど)→詳しい人にやってもらうか教えてもらう、または専門書で勉強しよう。
・視野が狭まるからといって阿弥陀に被る→演武の時にデコが出てるとすごく危険。
何かの拍子に武器の刃先が当たったら・・・それから兜の重量が後ろに偏るから余計に首が疲れる。
・忍緒を締めてから面頬を付ける→兜より先に付ける。緒便りの金は忍緒をしっかり締めるためにあるのだ。
・前髪を出す→視界の邪魔になるから髪の毛は鉢巻や手拭いを巻いてしまいましよう。
・(あまりなさそうだが)烏帽子着用の上から兜を被る→それは鎌倉中期までの厳星兜まででいいよ。
0657人間七七四年
2011/04/26(火) 19:28:25.55ID:b+7DJn2j胴編
・前後逆に着る→当世具足だと結構な割合でいる。そもそも後胴側は立挙が高いから胸につかえるし、背撓や合当理・待受があると邪魔だと思うんだが。
大鎧や胴丸の場合、総角が豪華に見えるから前に持ってこようとしたり、腹巻の場合は前で引き合わせようとする気持ちはわからんでもないが。
・胴丸や当世具足で引き合わせの際に前胴側の板を後胴の板の上に重ねる→着用するときは間違い。
敵と組討になったとき、前胴板を縁からつかまれてはがされる危険あり。また、右腕を後ろから前に振り出すときに
板の縁に引っかかって動かしにくいときもあるから、後胴側を前側の上に重ねよう。
飾るときはどちらが上でも特にかまわない。あるいは前胴を上に重ねると見栄えが少しいいかも。
・肩に全重量を載せる→体力の消耗が早くなる。腰骨の辺りに発手を乗せるようにして着て重さを分散しよう(要は腰部をきつめに縛る)。
室町以後の甲冑は「腰で着る」というのはそういうこと(それじゃあ、連尺を内胴に通して肩に吊るす仙台胴って本末転倒?)。
・着用の際に飾り用の太丸紐をそのまま上帯にする→第一ほどけやすいし腰周りが太くなると行動に支障出たり刀を差しにくかったりすると思うがなあ。
平たいさらし布などで作りましょう。
0658人間七七四年
2011/04/26(火) 19:29:20.87ID:b+7DJn2j袖編
・左右逆に付ける→水呑緒の鐶や笄金物の位置と冠板の形で見分けよう。
正しく作られているものなら水呑緒の鐶と笄金物は後胴側に、冠板の高くなっているほうが前胴側に来るはず。それで左右がわかる。
当世具足の置袖は大抵左右同じ形式だが、腕の動きやすさを考慮して裾板の半分を斜めに削いだものが時たまある。
その場合は、削がれた斜め部分の方が前胴側になるので正しく左右を判別できる。
・袖付緒を肩上に結ばないで緒同士で結び、外側に出す→飾るときはいいが着用するならちゃんと肩上の袖付綰に結べ。
緒がぶらぶらしていると袖が不必要にバタバタしたり、物に引っかかったり、敵につかまれたりしていいことないぞ。
袖付綰がないなら肩上のどこか困らないところに結び付けるか、袖は最初から付けないこと。復古調でない当世具足なら袖なしでも違和感は少ないから大丈夫。
・置袖を脇の下に付ける→当世具足ならではの間違い。脇下には専用の脇引(わきびき、脇当とも)なる小具足がある。袖は上腕部を守るものです。
小具足編
・籠手の左右を間違える→貴方の小指は親指並みに太いんですね、すごーい。肘も背中側に曲がるんですね、わー。
・籠手を脚にはく→貴方はお猿さんですか?
・佩楯を肩にかける→初心者がたまにやる間違い。袖と混同しちゃうんだな。
・佩楯を尻側から付ける→正座したときに金具が食い込んで足が痛くなるぞ。
・佩楯の裏地を表に出して付ける→金具類は基本的に表側に出すもの。そういう風に付けると籠手、臑当と比べて何か変だと気づくと思うけどな?
・臑当の上下を間違える→人間の臑は膝の方が太く、くるぶしが細い。臑当の上下もそれに従う。
・臑当の左右を間違える→革や布でできた軟らかい部分を外臑に持ってきていないか?
そこはホ具摺(かこずり)といって騎乗の際に臑当と馬具とが干渉して傷つけ合うのを防ぐためにある。
だからホ具摺は内側になるように気をつけよう。そもそも、人間の臑は微妙に内側に向かって曲がっている。
ホ具摺がない臑当の場合、左右はカーブの具合で判別できる。
・臑当の上下左右を間違える→上記の2つのことに注意して正そう。
0659人間七七四年
2011/05/04(水) 12:01:54.47ID:MejneYN3子供が初節句を迎えて実家につれて帰ったところ、
床の間にこのような甲胄が飾ってありました。
94歳の祖父に謂れを聞いたのですが、祖父が子供の頃から存在する、
というだけでよく分からないそうです。
鎧櫃の家紋は丸に違い鷹の羽
吹き返しの家紋は下がり藤
どちらも我が家の家紋とは異なります。
また櫃と甲胄の家紋が違うのもよく分かりません。
祖父の家は北畠神社近く、滝川一益が治めていた場所だそうです。
飾りつけは適当な丸木にタコ糸でくくりつけるという乱暴なやり方で、
そんなことをして良いのか気が気でなかったのでこちらに参りました。
何かお分かりの方がいらっしゃいましたらお教え下さい。
宜しくお願い致します。
ttp://uploader.sakura.ne.jp/src/up38194.jpg
0660人間七七四年
2011/05/04(水) 13:39:07.20ID:0CmVRE+/0661人間七七四年
2011/05/04(水) 17:37:44.27ID:ycRniXw2できたらAxfcにうpしてほしい。
0662659
2011/05/05(木) 01:56:41.77ID:ocC3LsOpお褒め頂有難うございます。
子供の頃に見たときはあまり興味が無かったので何も感じませんでしたが、
先日見たときに本物であるような感じがして、それでとても気になりだしたのです。
>>661
ttp://ll.la/@46:
こちらでいかがでしょうか。
0663人間七七四年
2011/05/05(木) 04:22:02.18ID:8RrincRW格好いい鎧ですね。鎧の蒔絵や佩楯・草摺の毛引きがしゃれてる。
江戸時代よりは時代は降らないと思うけど、いい一品だと思います。
後、何気に鎧櫃が古いものですね。太鼓櫃ってなかなか見物を見たことなかったので。
鎧の櫃が二つありますが、もう一つ鎧があったりするのでしょうか?
0664659
2011/05/05(木) 09:18:53.67ID:ocC3LsOpご覧いただき有難うございます。
この鎧櫃2個に分けて収納されています。
これを一人でどうやって運ぶのかも気になるところです。
0665人間七七四年
2011/05/05(木) 11:11:12.91ID:LB0TNLXh覆輪が施され、下級武士のものではないと思います。胴は5枚胴でしょうか?面頬、草摺もよいので
かなり高位の武将の着用のものではないでしょうか??脛当の亀甲のところに
金具があるのは初めてみました。籠手と袖は新物?とも思いますが、保存状態がよければ金箔がこんなに
キレイに残るのかもしれません。う〜ん、欲しい!(苦笑)
0667人間七七四年
2011/05/05(木) 12:01:24.18ID:aPWTMa4R参勤交代の絵巻物に具足持ちの侍が描かれていることがありますが、
それによると大抵は鎧櫃の蓋にある穴に棒を通して肩に担ぐ格好で運ばれています。
上げてもらった写真からも、鎧櫃の蓋に穴が開いているのがわかりますが、
鎧櫃が2つの場合は棒の両端を通して前後に担いで運ぶこととなります。
実戦期の鎧櫃にはリュックサックの要領で背負えるように肩紐が付いていたり、
竹を網代編みにした軽いものが多いですが、写真のように2つに分けて収納するのは
江戸期の高級武将のやり方といえるでしょう。
あと、鎧も結構珍しい仕立てですね。普通の篠臑当かと思ったら篠の間に小篠を置いているし、
胴の蝶番も端に模様を付けて切っている。三具は家地が同じものに見えるので一作物っぽいですね。
それから兜鉢が室町末期の古物を再利用している可能性もあります。
あるいは鉢裏に作者の銘が入っているかも。
0668659
2011/05/05(木) 12:08:49.12ID:ocC3LsOp色々教えていただき有難うございます。
帰ってきてから色々調べ始めたので詳細はあまりチェックしてませんでした。
ただ、組み立てたときの感じではそんなにヒンジがついていたような感じはしなかったので
2枚胴かもしれません。
保存状態は正直劣悪で、無頓着な祖父が今まで飾っていたものですから
飾っていたときの櫃の縁に佩楯が擦れて、だいぶ擦り切れてました。
何よりも前立ての角が2本折れているのを何度もいい加減な方法で補修しており
接合部がぐずぐずになっていました。
今回も木工用ボンドでつけるという荒業でした(T_T)。
漆も触るとぽろぽろ崩れてきていて、今度片付けるときが心配です。
>>666
祖父のせいばかりにして申し訳ありませんが、聞いた事は無いそうです。
ただし、祖父の祖父に当たる人がかなり出世をしたようで、
その人が買って来た可能性が高いと考えられます。
もしかしたら怖い人で聞けなかったのかもしれませんね。
0669659
2011/05/05(木) 12:26:48.52ID:ocC3LsOpご教授有難うございます。
そういえば櫃の横には金具がついてて上げると取ってのようになりました。
持ちづらい形でしたが今思えば棒を通す程度のくぼみがあったような気がします。
帰省先は車で6時間ぐらい掛かるほど離れているので、
次はお盆に帰省したときに裏の銘を確認したいと思います。
向こうは高齢世帯かつ農家でいま忙しいので、
変な事を頼むと怒られると思いますのでご容赦ください。
0670人間七七四年
2011/05/05(木) 13:01:22.60ID:lJcvGvUW0671人間七七四年
2011/05/13(金) 23:14:10.04ID:28yvwxU+・牛皮…言わずもがな小札の素材。膠水に漬けてから数枚を貼り合わせ、叩き締めて練革を作る。
・馬皮…薄くて伸縮性に富み、小札板を包んだり、胴の裏側に貼り付けたりする。
・鹿皮…耐水性・吸湿性・柔軟性に優れ、染色も自由。細く裂いて威毛にしたり、模様を染め付けて絵革にしたりする。
・犬皮…あまり目立たないが小札の下絡みで大活躍。当世具足の胴の板を仕付ける留め革としても使われる。
大鎧や胴丸などの中世甲冑だと1領でも上記の3〜4種類ほどを使用していることになる。
桃山期以降になると装飾に毛皮が流行り出すし、江戸期の加賀具足には胴を象皮で包んだ例まである。
展示された甲冑を見て「この鎧には戦死した武士の霊が憑いている」なんて笑えることを言う人がいるようだが、
じゃあその鎧1領を仕立てるために潰された動物たちの霊は見えないのか?と聞いてみたい。
0672人間七七四年
2011/05/13(金) 23:46:18.13ID:CVan0I5F調べるのもめんどくさそうだ。
0673人間七七四年
2011/05/16(月) 00:48:48.73ID:+42yaJvM修復・製作や黒澤明監督映画への協力を通じて近代の甲冑研究に大きな貢献をされた方です。
同氏が集めた研究資料は2007年に早稲田大学に寄贈されており、2009年には同大の博物館で特別展示が開かれました。
ここにご冥福をお祈りします。
0674人間七七四年
2011/05/19(木) 23:49:40.89ID:vesJ4J1q「斎藤実盛の兜」だってさ。どう見たって大鎧より胴丸が似合う室町時代の筋兜なんだがねえ。
いや、兜自体が付属の大袖や臑当と一緒に重文指定されていることには
まったく異議はないしむしろ賛同しているよ。
でもさあ、21世紀にもなって「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句とこの兜を結びつけて
甲冑素人の参拝客に安いロマンと感動を売り込むのはもうやめにしないか?多太神社さんよ?
嘘っぱちの伝来を付けたって白々しいことこの上ないし、兜そのものに対しても失礼な行為だと思うよ。
斎藤実盛が地域にとって重要な人物であることはよくわかっているつもりだが、
やっぱり判明している史実は物語からきっちり分けるべきじゃないのかね。
0675人間七七四年
2011/05/20(金) 22:35:42.33ID:gnYMpr5x>この時、73歳の将は白髪を染め、錦の直後を着用していたが、酋実験の結果、実盛と判明する。
直後って何だろう?と思ったが直垂のことだろうか。
0676人間七七四年
2011/06/17(金) 21:43:25.59ID:hedDtRwo今、小田原城で開かれている甲冑展示会に上杉景勝所用の伊予札胴具足が出されている。
これは戦後上杉家から流出し、数十年行方知れずだったのだが、近年になって再び世に出たものである。
この具足が再登場した最初の場所があのヤフオクであったことを覚えている人はいるだろうか?
その時の状況kwsk
どんな状態でヤフオクに上がったとか知りたい
どれくらいで落札されたかにも興味ある
0678676
2011/06/18(土) 09:52:39.33ID:GTfaKFeE何分2004、5年のことだったし、商品の画像は保存したものの
オークションページの記録をし忘れていたので
出品者の情報や落札価格の詳細については忘れてしまった。ご容赦願いたい。
ただ、初値に500万円が付けられていたのはよく覚えている。以後も入札する人間がいたことから
少なくとも出品者は具足の価値を十分に知っていたはずである(落札者もそうだろう)。
個人的には1千万出してもまだまだ足りないと思う。
御家流のエッセンスをつぎ込んだ、上杉家を体現する具足であるが、
本来あったはずの佩楯と臑当は出品時にはすでになかった。
写真の臑当は体裁を整えるための合わせ物。
また、特に状態が悪かったわけではないが、
出品されてから現在までの間に一部修復が施されている。
詳細な解説は『上杉謙信・景勝と家中の武装』にある。
0679人間七七四年
2011/06/27(月) 08:36:57.74ID:ClOAN/IHあれだけ時間の流れがあって鎧って進化しなかったの?
0680人間七七四年
2011/06/27(月) 09:07:58.34ID:bc86PWWgあなたの質問にある「鎧」の語が指しているのが
日本の甲冑全般なのか、それとも「大鎧」のどちらなのかを教えてほしい。
また、あなたの考えている進化の基準が何なのかをもう少し具体的に説明してくれないか。
今の質問文だと漠然としていて非常に反応に困るんだよね。
0681人間七七四年
2011/06/27(月) 16:31:01.07ID:QO7JxT2m甲冑かな。ネットで義経が着てた甲冑と信玄が着てた甲冑見比べたんだけど
デザインの違いはあるけど500年たってる割に変わら泣く見える、
ていうか義経の甲冑の方が格好いい。
鉄砲とか海外から流れてきたのに。甲冑は進化しなかったのかね。
0682人間七七四年
2011/06/27(月) 22:12:11.42ID:bc86PWWgまず最初に、あなたの言う義経の甲冑は↓
@赤糸威胴丸鎧(大山祇神社蔵)
ttp://hukumusume.com/366/world/isan/itiran_kokuhou/001.htm
もしくは
A色々威腹巻(吉水神社蔵)
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~crows-up/yosino14_1.jpg
で、信玄の甲冑というのはひょっとして丸武産業製の
ttp://www.yoroi.co.jp/syouhin/s013.html
じゃないのかな?
はっきり言うと、歴史上の人物が使ってたといわれる甲冑で、
確実に当人の所用といえるものって非常に少ないんだよ。
特に義経や信玄など、本人やその子孫が滅ばされた武将に関しては(楠正成、織田信長などもそう)。
それで、後世、英雄に思い入れのありすぎる人たちや、客寄せアイテムがほしい寺社などが、
よくわからないけど古そうな鎧や、はたまた江戸時代に作られた甲冑に「誰々の鎧」なんて肩書きをつけることはよくあるの。
そのほかには、江戸時代に庶民の間で人気があった講談や読み物で人物への想像が勝手に膨らんで、
歴史的な裏付けがあやふやなのに「こんな兜を使ってたんだ」という思い込みの塊そのものの甲冑のイメージが出来上がっていくケースもある。
それで、義経の甲冑は前者、信玄の甲冑は後者なの。
@の胴丸鎧は、製作方法から実は鎌倉後期から南北朝の間に作られたのではないかといわれているし、
Aの腹巻の形式が登場するのも鎌倉末期からというのが定説になっている。
このほかにも義経が着ていた鎧とされるものはいっぱいあるが、どれもこれも義経本人が生きてきた時期より
後になって作られたものばかり。
信玄の甲冑にしても、江戸時代の浮世絵ですでに確立したイメージを丸武産業がそのまま形にしただけのことで、
実際に信玄が所用しただろうと考えられているものは兜が1つ2つあるに過ぎない。
それ以外で信玄云々といわれているのは一番良くて勝頼の代に作られたもので、後は江戸時代の作がもっぱら。
まあ、ネットでその程度しか調べていないのであれば「大して変化していない」といえるでしょうね。
それじゃあ以下のサイトは見ていないのですか?
http://www.katchu.com/html/2000.html
↑甲冑研究者の運営するサイトより、甲冑の基礎知識の紹介。文章メインで読みにくいかもしれない。
http://www.usagijuku.com/history.html
↑紙の鎧製作キットを販売するうさぎ塾のサイトより、甲冑の歴史。
2サイトとも「甲冑 歴史」でググれば必ず引っかかるよ。まあ読んで見て頂戴な。
0683人間七七四年
2011/06/27(月) 22:29:35.06ID:QO7JxT2mやっぱ素人には大鎧と具足の違いは分からないですよ。
大和時代の埴輪の兵とかだとデザインがまるで違うと思うんですけどね。
大和時代から平安時代で劇的に変わって後は緩やかに変わっていったって
イメージですかね。
0684人間七七四年
2011/06/27(月) 23:52:04.67ID:bc86PWWg大鎧↓
http://www.imai-art.jp/sakuhin-daihyou2b.htm
当世具足(一般的な桶側胴)↓
http://gallery.nikon-image.com/198833810/albums/1842341/photos/18046613/
これでも識別は難しいかね?まあ、当世具足の様式は実用にかなえば何でもありだから
知識量が少ない時に判別しようとするのは難しいだろうね。
その大和時代の兵装だが、
短甲(復元品)↓
http://www.omaruhouse.com/work/other/kabuto/tankou2.html
挂甲(復元品)↓
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000010
この2種類がもっぱら。中世以降の甲冑とだいぶ違う印象を受けるかもしれない。
だけど、日本の甲冑はこのうちの挂甲を改良・発展させたものである。
挂甲は細かい鉄や革の板(札、さね)を綴って構成するわけだが、大鎧もその延長上に
あるわけで(さらにはずっと下って当世具足の一部にも引き継がれる)、根本から性質の異なるものではない。
あと、
>大和時代から平安時代で劇的に変わって
というけど、実はその間をつなぐ奈良時代の甲冑の全容が殆どわかっていないんだよ。
想像復元を試みた例はいくつかあるが、現物の遺品が切れ端程度しか残っていないので非常に頼りないのである。
甲冑の歴史上では、平安時代に大鎧や胴丸が出現するまで、本来はどんな変化が起こったかがつかめる貴重な時期なのだが・・・
だからいきなり大鎧とかが現れたように錯覚を起こすのよ。
その後の緩やかにってのも一部正しくて一部間違ってる。
大鎧・胴丸・腹巻・(当世具足)は並行して製作され、使用されたのでそんなに違って見えないかもしれないが、
戦法や社会構造の変化に合わせていわゆる「主役の甲冑」は変動していくわけで、
そういう観点からだと(大雑把だが)以下のようになる。
・平安〜鎌倉→騎乗武士の弓による一騎打ち・・・大鎧が主、郎党の胴丸が従
・鎌倉後半〜南北朝→元寇ショック・・・胴丸の注目度上昇。腹当・腹巻登場
・室町〜戦国→打物戦・集団戦が一般化→鈍重な大鎧が実用を離れて儀礼化。胴丸・腹巻が主役
・戦国〜桃山・江戸初期→鉄砲伝来、下克上・・・新式の当世具足登場。胴丸・腹巻が廃れ始める
・江戸〜→島原の乱以降平和に・・・当世具足の進歩止まる。以後復古調甲冑が流行って幕末維新で甲冑は終焉
上の文章、自分で書いておきながら、あまり緩やかな変化とは感じなかったけど、どうかな?
もちろん、細かく時期を分けていけば緩やかな変化を確認・定義することもできないわけではない。
0685人間七七四年
2011/06/28(火) 00:12:33.01ID:a30jLmd8考証のいい加減な現代甲冑や江戸期の復古大鎧と比べてるのなら知らんが
0686人間七七四年
2011/07/02(土) 15:47:34.22ID:4exrZEet↑楠正成の兜だってさ。どう見ても江戸時代の復古調兜です。本当にありがとうございました。
0687人間七七四年
2011/07/06(水) 21:13:22.94ID:3BjcK1Apttp://rekishi.dogaclip.com/Crm/Profile-100000024.html (動画)
↑「新田義貞の兜」だってさ。モノ自体は高級品だがどう見ても南北朝期の兜じゃありません。
阿古陀形から後勝山形に移行途中の膨らみ、錆地仕上げ、神号刻み込み、
鍬形台の省略、突き出た眉庇、銀象嵌、共鉄の装飾、どれをとっても室町末期から現れた技法ばかりです。
鉢裏に「元応元年相州」の銘がある?年号は後入れの偽物でしょう。南北朝期には兜鉢に銘を刻む習慣はありませんでした。
あるいは「元亀」の書き換えかもね。というより、実際の銘の刻みは不鮮明で解読できないらしいとか。
「相州住○○」なんて甲冑師の名前があったら本当の製作年代特定されて都合悪いから削って消しちゃったんだろうな。
まあ、これは「小田原鉢」という筋兜で、手の込んだ作域からして、後北条家一門やそれに近い人物が使用していたと思われ。
数が少ないので希少価値が高く、重文指定されている件に関しては一部納得できる。
もともとは結城秀康が小田原合戦で獲った戦利品の一つだったんじゃなかろうかね。
0688人間七七四年
2011/07/16(土) 09:50:03.80ID:jdnB2uth↑「平敦盛の鎧」だってさ。もう笑うしかねえな。
阿古陀形の兜に半頬、最上胴かよ。どう足掻いたって室町末期より前には上れません。
胴の板札が金箔押しで毛引威なことから元来はそれなりのステータスの武将が用いていたのは推測できるんだが、
袖がシコロの代わりに兜に仕付けられていて脱力感が半端ない。
甲冑を知らない一般人はこんなインチキ伝来まみれの鎧を見ても「諸行無常だね〜」なんて感動できるんだからある意味では幸せだよな。
0689人間七七四年
2011/07/16(土) 10:58:18.79ID:w2DZ+bwnちゃんと修復すればいいのにもったいない
0690人間七七四年
2011/08/02(火) 20:41:02.30ID:HvSkAsT+↑「北郷忠相」の南蛮胴具足だってさ。実にいけませんなあ。そもそも人物とモノとの時代が一致しない。
どうして永禄の初めに死んだ人間が南蛮胴(しかも和製)を着られるんだ?具足からは江戸期の臭いがプンプンしますね。
格好いいのは認めるからさ、ちゃんとより正確な情報も知らせなきゃ駄目だよ。
偉人や英雄がらみの伝来にしがみつかないとモノを見られない、伝えられないというのを早く過去の話にしなきゃ。
0691人間七七四年
2011/08/04(木) 19:44:23.58ID:49eoC/ib頭成の正面に鎬を立てればそれっぽい
0692人間七七四年
2011/08/07(日) 17:32:31.95ID:w02uihHPまあ、桶側胴を見たらそんな感じがするよね。
挂甲に起源を持つ札鎧から短甲を思わせる板鎧への移行は先祖帰りを連想させて面白いが、
それでも板物の当世具足は札の甲冑の延長として出てきたわけで、
単純に短甲の復活と見るわけにはいかないことに注意。
0693人間七七四年
2011/08/08(月) 22:05:31.66ID:uTGcN1aw0694人間七七四年
2011/08/12(金) 23:56:24.38ID:2mB8I7NUttp://blog.livedoor.jp/machelin-gaiden/archives/2487905.html
↑「源義経の色々威腹巻」だってさ。平安末期にはまだ背中引き合わせ式の腹巻は登場していなかったというのが歴史界での常識のはずなんだがな。
第一に色々威ってのが時代の若い証拠な上に、小札も完全に盛上本小札だし、革所の小縁が菖蒲革って、それもう室町後期ですから。
ご丁寧に咽喉輪まで付けちゃってさあ。まあ本来は高級武士の着料であったことは確かなんだけどさ。
佐藤忠信の兜だって総覆輪阿古陀の筋鉢に板ジコロというバリバリの室町末期仕様。本来は実戦期の貴重な資料なのにデタラメな伝来が
本来の価値を曇らせてしまっている。至極残念無念なり。
しかし腹巻や兜に輪をかけてひどいのが弁慶の籠手に静御前の鎧(!)。どう見ても江戸期の作品です。本当に(ry
余談だがこの神社の宮司さんもきわどい方だねえ。「現行憲法無効」なんて張り切っちゃってる。まあこの神社、かつてはあの「南朝」だったからなあ・・・。
0695人間七七四年
2011/08/18(木) 20:23:08.13ID:MeWIyAuz↑「湛増の鉄烏帽子」だってさ。どう見ても源平期にはありえない烏帽子形兜です。本当にありがとうございました。
0696人間七七四年
2011/08/18(木) 21:19:42.69ID:bRnA5TpI0697人間七七四年
2011/08/18(木) 22:44:54.48ID:MeWIyAuzあれほど兜の立物に不適当なものはないと思うんだが。
・硬い→壊れにくい→武器や障害物が引っかかりやすい→動きが阻害されるor敵に取り付かれる
・重い→兜の重量バランスが崩れる→戦闘時の行動に悪影響
そもそも信繁のものといわれる甲冑で時代の確かなものは俺の知る限り全然ないんだが、
それでも彼が鹿角の脇立を用いていたなら、それは薄い金属や桐を切り出した板か、張懸かのどちらかだろう。
0698人間七七四年
2011/08/19(金) 22:40:54.97ID:9sdccb8L0699人間七七四年
2011/08/20(土) 03:11:29.07ID:PMyIUY8zそろそろちゃんとしたものの紹介もしたいが、もう一つ胡散臭いのを出しておくか。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kyuhzaemon/52727504.html
↑「大祝家の鶴姫所用・現存唯一の女性用鎧」だってさ。この胴丸を紹介しているサイトはみんな
「胸の部分が豊かで、腰が引き締まっているから女の子用だ!」なんてことを平気で書いているが、
それじゃあ戦国時代の武将は大半が女の子になっちゃうよ。素人だからこそ書けるんだと思うとちょっとうらやましい。
胴丸・腹巻は時代が下るにつれ徒歩戦により適応するためにその重量を分散すべく、腰部を絞った構造に変化していくわけだが、
室町末期にはそれがピークに達し、はっきりした逆三角形の体をなすようになる。
特にこの胴丸は当世具足化の一歩手前という様相をたぶんに含んでおり、長側の札板の段数は通常より1段多い5段構成なのである。
そのために見る角度によっては余計腰の窄まりがきつく感じられる。
草摺の間数が11間というのも珍しい感じがするが、同時期の胴丸・腹巻から初期の当世具足の一部に、足さばきと防御の向上をはかって
草摺を10間以上にすることはままあるので、何も水軍ゆえの特許発明というわけではない。
内陸の武将だった武田勝頼が浅間大社に奉納した紅糸威最上胴丸の草摺も11間だよ。
最もユニークなのはその脇部の防御だが、通常一枚板の脇板を取り付ける代わりに、札板2段を威し付けている。
非常にレアなものだが、これは「付脇引」という手法。室町後期から脇部を守る脇引という防具が流行し始めるが、
小札の板で作った脇引は胴の外から取り付ける関係から、動くと結構パタパタして違和感を覚えた人がいたらしく、
初めからくっつけてしまおうということで、胴に直接威して付ける付脇引が考案されたと推定されている。とはいえ遺例は殆どなく、
この胴丸のほかには談山神社所蔵の腹巻くらいにしか確認されない。別におっぱいによってできる隙間を埋めようとかいう性質のものではない。
これだけ実戦を意識した特徴から考えるに、その本来の使用者は、軍団を指揮して戦ったとはいえ、当時10代だった鶴姫よりも
戦の経験豊富な男性武将であるとするのが個人的にはしっくり来るのだが・・・。
0700人間七七四年
2011/08/24(水) 19:55:39.24ID:BraIhd+w義経の腹巻とか鶴姫の胴丸は今まで漠然と信じてたわ
0701659
2011/08/25(木) 11:36:55.62ID:jvY0C1Qfその節は大変お世話になりました。
盆に帰省した際に、ちょっとですが詳細について写真を撮ってきましたのでまたアップさせて頂きます。
兜の内張りを捲った内側に銘らしきものはあったのですが、誰それ作、という感じでは無いので銘なのかどうか良く分かりませんでした。これ以外の表記はなかったと思います。
胴は内張りが張ってあり、中を見ることが出来ませんでした。湿気が多く、今回は分解収納は諦めたので、また冬にでも胴内側については確認したいと思います。なお、胴は5枚胴でした。威が迷彩服色でしたが、こんなのはアリなのでしょうか(^-^;)。
1.兜内側の内張りを捲ったところ
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22532
2.内後面に銘らしきもの
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22533
3.胴内側
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22534
4.迷彩柄の威
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22535
0702人間七七四年
2011/08/25(木) 20:26:28.06ID:gYkTg5yN具足の確認お疲れ様でした。
兜の銘ですが、うーん、貼り紙ではなんともいえません。
やはり、作者の銘については鏨で刻み込んだものが一番重視されるので、
紙の他に何も表記らしきものがなければ実質無銘でしょう(それが悪いという訳ではありません)。
紙は具足全体の完成以後に貼り付けられたのでしょう。「久○」と書いているように見えますが私にもわかりません。
兜のはっきりした全体像がわからないので確証はもてませんが、鋲の感じからは、
上野国で明珍派甲冑師が製作した「上州鉢」の流れを汲む小星兜ではないかと思います。
迷彩柄の糸は、正確には「啄木糸(たくぼくいと)」と呼ばれるもので、
基本的には白・紫・萌黄・紺の4色の糸をベクトル状に組んで作るものです。
きつつきの胸毛の模様を表したものとのことからこの名が付きました。
啄木糸は、室町末期までの鎧の威しでは、シコロや袖、草摺の裾の板の下端を横に縫う畦目の装飾くらいにしか
用いられませんでしたが、桃山から江戸初期の一時期、具足全体をこの啄木糸で威すことが流行しました。
また、この甲冑の出自ですが、合わせ物の可能性は否定できませんが、使用されている威糸の配色バランスが
取れているので、説得力は弱いですが揃いの一作物といっても通じると思います。
あからさまな特徴はあまりありませんが、金箔の使用や威糸の色の多用、胴の蝶番の切鉄細工から考えて、
加賀具足ではないでしょうか。
加賀具足は、江戸時代に金沢に移った上州明珍系の甲冑師が、他派の甲冑師とともに完成させたといわれています。
華麗で技巧的な加賀具足の兜には筋兜や変わり兜が多いですが、小星兜の例もあります。
この具足に関しては古物の再利用という気がします。
0703659
2011/08/25(木) 23:42:14.59ID:jffC7HnB色々と教えていただき有難うございます。
張り紙は銘ではなかったのですね。次に帰ったときにでもさらに詳しく見てみようと思います。
迷彩柄の糸も昔からあったんですね!
びっくりしました。
お話から伺うとやはり、江戸時代初期程度の加賀具足と考えるのが妥当なようですね。
とするとけっこう古い貴重なものなんですね。
祖父や父によーっく言い含めておきます!
ちなみにやらしい話ですが価値的にいくらぐらいのものなんですか?
保存状態にもよると思うので、最低最高って感じで幅を持たせて教えていただけましたら結構です。
まあ前述の通り、前立の装飾の角が2本とも折れて雑な修復しかしてないなど、劣化が激しいので保存状態は「悪」と考えていただいた方がいいと思います。。。
0704人間七七四年
2011/08/26(金) 10:36:36.57ID:84dW14ONあるサイトを見ていて兼続の鎧が昔と今で変化してるというページがあったのですが、その理由として上杉神社では「盗難 」とありました。
これは表向きの理由らしく、
鎧好きの方なら真の理由が解るでしょうとも書いてありました。
しかし、鎧も歴史も最近興味を持ったばかりで検討もつきません。
>>485さんのレスの本に真の理由が書いてあるんでしょうか?
このスレにいる方々で解る方々いらっしゃいますか?ヒントいただけると嬉しいです!
0705人間七七四年
2011/08/26(金) 18:36:51.60ID:IMPmCh5D上州鉢の銘は、前正面の板の裏側に作者の名前が(「上州住○○」の書き方が一般的)、
もっと親切な場合は後正面の板の裏に製作年月日が入ることが多いです。
具足全体としては江戸中期ぐらいではないかと私は考えていますが、
パーツのまとまった加賀具足自体貴重な存在でして、多少時代が若くても立派なものです。
日本・海外を問わず、加賀具足にはファンが結構いるので高値でも引き取りたいという人は現れるでしょう。
昨今の不況で古美術品全体の売れ行きはさっぱり落ち込んでおり、売値も底の底を突くような有様ですが、
保存状態の悪さを差し引いても、私が骨董屋ならば60〜70万円で売りに出して様子をうかがおうと思います。
前立が壊れているとのことですが、基本的に兜の立物は戦で壊れることを前提にした消耗品として作られています。
軽くて脆いものでなければ戦闘に差し障りが出ますので。また、器用な人なら誰でも作れ、近代以降に作られたものも
いっぱい出回っているので、それほどこだわるべきものではありません。古道具屋などで形の似たものや別の種類のものを探し、
時々差し替えて楽しむという方法もありますよ。
ttp://www.yamabushiantiques.com/ARMOR38.htm
ついでながら、↑の一品はとりわけコテコテの加賀具足ですが、このくらいにまで加賀出来をアピールするものだと、
300万円以上の値札をかけても誰かがすぐに飛び付いてくるようなレベルです。
以上、不景気時代の今を念頭に値段を考えてみましたが、バブル期のような好況下で売り出せば、
確実に上記の値段の2倍以上で売れるものと考えられます。
0706659
2011/08/26(金) 23:45:25.60ID:q6Pjcvi1ご教示有難うございます!
前正面の裏側ですか。それは裏地があるので見ませんでした。
皆さんは裏地を剥してみているんですか?さすがに壊すのは怖くてあまり強引な事は出来ませんが、次回やれるところまでやってみようと思います。
価値についても教えていただきありがとうございます。
6、7代前からの伝承のものなので、売り払うつもりはありませんが、祖父や父にその価値を認識してもらいたくてお伺いしました。
値段もそうですが、歴史あるものが飾ってある事が何よりですよね!
近代の適当な創作物ではないと分かっただけでも興奮ものです!
前立てを差し替えとは思いつきませんでした。
ベースがぼろいので同じくらいぼろい前立てで適価な物があれば購入してみたいと思います。
しかし見た感じかなり精巧な彫刻に見えたので、あれが壊れる事前提ならもったいないですねえ。
水牛だとおもうのですが、顔面の堀の深さや耳の薄さなど、あれが木を彫って作られたものとは思えないぐらいの出来栄えですよ。
昔の人はスゴいですね。。。
まあ、毎回命がかかっているのだから入魂の作をつける気持ちは分からなくも無いですが。
ところで、他にも面頬と篭手の写真をとってきましたので良ければご覧下さい。
0707人間七七四年
2011/08/26(金) 23:50:42.27ID:IPIYfPk+0708659
2011/08/26(金) 23:57:51.84ID:q6Pjcvi1http://mup.vip2ch.com/dl?f=22616
面頬裏
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22617
篭手表
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22618
篭手裏
http://mup.vip2ch.com/dl?f=22619
面頬裏の金箔に剥げている所があるのは保管が悪いからでしょうか。実際に使われて口周りや頬など、動く部分が擦れて削れたのではないかと想像したりもしているのですが・・・。
0709702=705
2011/08/27(土) 01:49:43.63ID:Hbh0QGjP>>708
受張が健全な場合、兜の銘を確認するには布地を切り裂いて確かめるしか方法はありません。
大抵の銘は真後ろか真正面の板の裏に刻んでありますが、それ以外の箇所に刻んであったり無銘だったりすると、
貴重な文化資料の毀損にしかならないため、よほどの確信がない限り、布破りはやらないほうがいいです。
ただ、江戸期以降の兜の受張の中には、銘にかかる部分だけ布を切り取り、外から確認できるようにしたり、
鉢から着脱できる工夫を施したものもあります。こうした場合には、布を傷つける心配はありません。
今の兜に付いている前立は「獅噛(しかみ)」といって、牙を剥いた獅子の顔を表したものです。
割合ポピュラーなデザインなので似たものは早めに見つかるかもしれませんが、取り付けるための穴が
兜の差し棒と一致するものに絞り込む必要があるので意外と大変かもしれません。
普通、立物の穴は1箇所だけなのですが、お持ちの兜は2本角元のタイプですので、
2つ穴が適正な間隔にあいている前立であることが望ましいです。
面頬裏の金箔ですが、こういった表には見えないところにもお金をかけるのが太平期の発想ですね。
室町末頃から金銀箔や色漆を甲冑に用いるようになるのですが、黒漆よりも希少で高価なため、
実戦期には裏面にまで金を施すようなことはまず行われませんでした。
表に箔を押すにしても、威糸で隠れる箇所は黒漆のままにするなどして経費を節約した跡がうかがえます。
戦いが絶えた後、甲冑の兵器としてよりも家格に威容を添える美術工芸品としての側面が発達してくるにつれ、
派手で手間のかかる装飾が盛り込まれていきます。とりわけ高級な加賀具足にもなると、
シコロや草摺、胴の裏などに金箔を押しまくるので、ここで加賀製かどうかを判断することもできます。
この面頬の金箔の剥げは、写真で見る限りはエッジや頬、上唇など顔面でも当たりやすい場所に集中していて
不自然さはないので、単なる経年劣化によるものとしてよいと思います。
作られてから2、300年は経っているので何人かがそれなりの回数自分の顔に当てたであろう事は確かでしょう。
籠手は、一の腕、二の腕を守る鉄板の形が瓢箪に似ていることから「瓢籠手(ふくべごて)」といいます。
「小田籠手」の別名もあり、当世具足では一般的な形式です。
0710659
2011/08/27(土) 23:25:24.91ID:OjEovQiEさらに詳細な解説を有難うございます。
前立を変えてみるというのは思いつかなかったです。ぼちぼち探してみようと思います。
面頬からも江戸中期の加賀具足であることが濃厚になってきたわけですね。今後は取り扱いにも気を付けようと思います。
片付けるときに銘など確認して新しい事が分かりましたら、またこちらにご報告させていただきます。
色々有難うございました。
0711人間七七四年
2011/09/05(月) 00:14:07.90ID:Zccr3F0Http://www.scalarchives.com/web/dettaglio_immagine.asp?idImmagine=H400225&posizione=4&numImmagini=698&SC_Luogo=Royal+Armouries%2C+Leeds%2C+Great+Britain&prmset=on&SC_PROV=RA&SC_Lang=eng&Sort=9&luce=
↑は現在、イギリスはリーズの王立武器庫に所蔵されている最上腹巻具足だが、室町末期から桃山・江戸初期の貴重な実戦用甲冑である。
特に注目したいのが、小振りのシコロを付けた古頭形兜。日根野形や越中形が現れる前の原初的でシンプルな形状をしている。
その多くは江戸期に張懸兜の土台に転用されたため、現在にまで古頭形がそのまま伝わっている例はごくわずかで、なかなか見られない一品である。
草摺の段数も驚異的に多く、8段というまさに「佩楯いらず」というべき長さである。
同時期の胴丸・腹巻でもここまで段数を増したことは殆どなく、タイ記録としては上杉神社所蔵の燻革素懸威腹巻(謙信所用)の草摺が同じく8段を採用しているくらいである。
リンク先の解説ではHaruta Mitsusadaによって作られたとの推測がなされているが、これは奈良在住の甲冑師・春田光定のことであろう。
日本国内にも彼の銘が入った兜や鎧が結構残っているが、この腹巻具足と形状が近いものとしては、稲葉良通所用の最上胴丸具足が思いつく↓。
ttp://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/bunka-geijutsu/bunkazai-zuroku/bunkazai-zuroku/kougeihin/ibigawachou/sukaketiketari.html
良通の具足のほうがやや古手の印象を与えるが、これも兜に「春田光定」銘が入っており、両者の製作時期はさほど離れていたわけではなさそうだ。
どちらも戦場を駆け抜けた実用の具であり、全体からは緊張感あふれるシャープな雰囲気が放たれている。
0712人間七七四年
2011/09/05(月) 00:15:12.49ID:Zccr3F0H説得力は弱いが、籠手の手甲紋金具や八双鋲にクルス紋が入っていることからそう推測されている。
とすれば、これは彼が高山右近と共にマニラへ追放された際に持ち出されたということになり、
古式な特徴を多く含んだこの具足がいじられることなく今に伝わっているのも納得できるというものである。
記録によれば、内藤如安は兜の立物に十字架とIHSの文字を用いていたという。
立物に自分の信仰する神仏の像をあしらうことが多かった時期である。キリシタン武士も戦いの中では神の加護に与ろうとしたとて不思議はない。
この古頭形兜の頭立角元が十字架を、前立角元がIHSを付けるためのものだったのかと考えると興味深い、貴重な実戦期の具足一領である。
0713人間七七四年
2011/09/05(月) 12:43:43.54ID:g2akFchnおお、この具足、存在は知ってたんだけど見たことなかったんだよね。ありがとう
全体的な雰囲気は伝・足利政氏所用の縹糸威最上胴丸具足と似てるね
これが日本に残っていたら後世になって適当な立物が追加されてたりしそうだ
海外で良好な状態で保存されていたのは本当にありがたい
0714711
2011/09/05(月) 22:46:56.63ID:Zccr3F0H立物が変えられるなんてまだまだ可愛いほうで、室町から桃山期の古物で
江戸期に改装されたものはゴテゴテの飾り金具を打たれまくって実用性を殺され、
だらしない格好にされてしまったケースが多い。
まして、この具足が考えられている通りに内藤如安関連の品で、日本にあり続けたとしたら、
近世を生き延びる以前にキリシタンのものとして弾圧の流れの中で破棄されるか、
紋金具を外されるなどして痕跡を消されるか、徹底的に隠匿されるかなどの
厳しい選択に置かれたであろう。
ただ、実際の所有者がどうであれ、早めに海外に流れたことで国内情勢と関わりなく
今日まで伝わることができたのは、この具足にとっては正解だったといえる。
0715人間七七四年
2011/09/06(火) 14:48:27.21ID:9Pd5BH5C国内には数点しか残ってないんだっけ?
腹巻・胴丸全盛の時代からすでにあったという実感が湧かない
0716711
2011/09/06(火) 19:06:29.73ID:gj3b/tsT数点というのはさすがに少なく見積もりすぎだろう。
私の場合、主に書籍で確認しただけでも最低10頭は見てきたよ。
それでもあれこれ吟味するには非常に数が足りないのだが。
ttp://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/siteibunkazai/miyagi-no-bunkazai/04Kougei/ken/22yoroi.htm
↑残欠状態だが、古頭形兜が本小札の胴丸に添う例があったので貼っておく。
室町後期どころか、人によっては頭形兜の淵源を平安時代の源平期あたりにまで持っていくことがある。
頭形兜は江戸期の遺品は腐るほどあるのに、その出自にはまだ謎の多い兜である。
0717人間七七四年
2011/09/06(火) 23:23:20.24ID:9Pd5BH5Cお、ありがとう。初めて見る品だわ
それにしても、平安時代w あったとしても雑兵用なんだろうけど、
源平合戦で古頭形兜の兵士が戦っているのを想像すると強烈な違和感がw
やはり遺品がこうも少ないと、発生がどこまで遡れるかわからないんだろうな
0718人間七七四年
2011/09/07(水) 10:54:33.15ID:enGRavDKもし霊的な世界が本当にあったとして、
「霊感がある人は昔の霊が甲冑姿で出てきたりしたら細部まで見えるんだろうか。話せるなら歴史の真実が解るのだろうか。羨ましいなー。」
と全く霊感ゼロな自分は妄想してしまった。
実際もし見える体質なら刀や甲冑、合戦があった地等を見に行くのが嫌になりそうだけどね。
0719人間七七四年
2011/09/07(水) 11:45:35.78ID:ig5CzIekすぐ逃げ出すだろうから細部まで見て覚える余裕はないのでは?
0720711
2011/09/07(水) 13:15:15.36ID:9Si8Tear頭形兜の起源についてまとめた本でお勧めなのは浅野誠一著『兜のみかた 頭形兜考』。
古い本なので大きい図書館か古書店で探してみて。
>>718
元亀・天正から慶長・元和あたりの武装の変遷を特に知りたいな。
胴丸・腹巻から当世具足への交代期の格好とか、
下卒の着料とかについて詳しいことは大部分がまだ不明なんだよね。
0721人間七七四年
2011/09/08(木) 14:46:46.11ID:II+wwPQ2金之丞は即死だった
0722人間七七四年
2011/09/08(木) 21:00:05.21ID:PWRfRA+pttp://www5f.biglobe.ne.jp/~toukondankon/gun-kin.htm
↑これに出ている写真の兜だな。
普通頭を撃ち抜かれたらまず助からんし、命拾いしても大方が廃人になっちまうわな。
天狗党の使用していた銃は輸入した新式銃だったのかな?
0723人間七七四年
2011/09/08(木) 23:10:36.66ID:Efw3+apY0724人間七七四年
2011/09/08(木) 23:15:27.05ID:II+wwPQ2そういえば、かの戦争で高崎藩の三番手隊長だった深井八之丞の鎧は、藩から45両を借用して修繕した代物だったそうだ
0725人間七七四年
2011/09/08(木) 23:38:25.53ID:ZbkhFFdT立派なお髭ですね。こういうたっぷりとした髭の頬当は江戸時代のものが大半だと考えていいんだろうか
実戦期の遺品で見た記憶ないような
0726人間七七四年
2011/09/09(金) 00:27:32.98ID:gyRzQxFi上杉景勝の遺品には長めの髭を付けた面頬があるが、
他の当時のものに比べて特別なこだわりを感じる。
あまり髭が長いと鼻の穴や口元が覆われるので都合がよくないんじゃないかね。
面頬の髭は平和になってから一般的な飾りになったっぽい。
江戸時代の武士はひげを剃ることが義務付けられてたから余計にそうなったのかも。
0727人間七七四年
2011/09/09(金) 10:48:33.67ID:bG0sHAHA0728人間七七四年
2011/09/09(金) 16:03:12.34ID:9tGJYcb5法然上人絵伝の夜討ちシーンに、手に盾を持った武士が描かれていたと思うんだが
0729人間七七四年
2011/09/13(火) 21:12:03.13ID:G/hdzBtq桃形兜って烏帽子形兜と同様、変わり兜としてはかなり古い部類に入るんだよな
西洋甲冑が輸入されたのは記録上では1588年が最初と聞いたが
望月家には永禄〜天正のはじめ頃の作と推定される桃形兜が残ってるし
0730人間七七四年
2011/09/13(火) 22:32:07.85ID:YjRn5XR6俺は桃形兜の源流は明・朝鮮の兵士の鉄兜にあるのではないかと思っている。
遺品が非常に少ないのでなんとも言いがたいが、
そもそも西洋兜は日本に持ち込まれた数が圧倒的に少ないし、
モリオンやキャバセットを真似て作られたという説は、
桃形兜が下級武士の簡易兜として発生した事実とはあまり整合性が感じられない。
なお、九州を中心に、西日本に初期の遺品が多く残っているという報告が最近なされている。
それを受けて、以下は全くの推論になるが、
おそらく同地を根拠地にしていた後期倭寇が、明・朝鮮の軍と交戦した結果、
敵の武装を参考にして開発させたのが桃形兜ではないかと思うようになった。
桃形兜は一般的に鉄板4枚を前後左右からはぎ合わせて作るが、
明や朝鮮の鉄兜も、若干製法は異なるが、4枚や2枚の鉄板から構成されるものが多いのだ。
たまたまそういう形にできた、ということもあるだろうが、
何かしら技術的学習や交流はあってもおかしくなかろう。
0731730
2011/09/13(火) 22:40:55.56ID:YjRn5XR6俺の説(というかあて推量)の弱点は、明・朝鮮の兜から参考にしたというなら、
もっと早く、たとえば前期倭寇の全盛だった室町初めに登場しても
よかったのではないかという問いに対して適切な答えが出せないこと。
苦し紛れの答えをするなら、大陸・半島出身者が多かった後期倭寇の時期が桃形兜が
生まれるのに適していたということになるのだろうが。
0732人間七七四年
2011/09/14(水) 18:14:06.55ID:TUPgm6zO各地で自然発生していったのではないかと思ってしまった
0733人間七七四年
2011/09/14(水) 20:01:10.21ID:1XrBuVv2後三年合戦絵巻 [e国宝]
ttp://www.emuseum.jp/detail/100319/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=209&num=3
平治物語絵巻「三条殿夜討の巻」 [bowdoin大学]
ttp://learn.bowdoin.edu/heijiscroll/
平治物語絵巻「六波羅行幸巻の巻」 [e国宝]
ttp://www.emuseum.jp/detail/100148/000/000?mode=detail&d_lang=ja&s_lang=ja&class=1&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=17&num=3
平治物語絵巻「六波羅合戦の巻」 [国際日本文化研究センター]
ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/heijiemaki/html/
男衾三郎絵巻 [e国宝]
ttp://www.emuseum.jp/detail/100332?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=177&num=2&mode=detail¢ury=
蒙古襲来絵詞(トレス元はwiki)
ttp://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/index.html
その他色々
絵巻物データーベース [国際日本文化研究センター]
ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/
奈良絵本・絵巻の世界―武士の物語絵巻を読む― [明星大学]
ttp://ehon-emaki.meisei-u.ac.jp/
他にもあったら教えて欲しいです
0734人間七七四年
2011/09/21(水) 15:31:56.74ID:l04czoiwよく描き込まれていてとても気に入ったんだけど、一つ疑問が
同書では明智光秀や浅井長政、池田恒興が本小札毛引威の二枚胴を着てるんだけど
時代的に考えづらいのでは?胴丸・腹巻ならともかく、
二枚胴で全面毛引威なんて江戸時代以降の様式かと思うんだが
0735人間七七四年
2011/09/21(水) 16:48:57.14ID:0WiXwZJOあれ信長が普通に南蛮具足で書かれているような本でしょ?つまりそういうことだよ。
書き込みという意味ではリアルなんだろうけど、史実的という意味でのリアルじゃない。
0736人間七七四年
2011/09/21(水) 18:13:15.22ID:12noqNV2>>735
写実的に正確なのと史実に即しているのがいつも両立するわけではないということだな。
昔の例で言えば、利剣の前立の兜を着けた榊原康政の肖像画と具足がある。
肖像画のせいで東博所蔵のあの竜の蒔絵の二枚胴具足が康政所用とされているが、
作域からして実際に総体が製作された年代の上限はせいぜい江戸中期という代物。
子孫が具足を作らせたか、どこかから購入した後に伝来を付け、
肖像を描かせて初代藩主の着料にでっち上げたのが実情だろう。
0737人間七七四年
2011/09/22(木) 00:31:55.84ID:64OTd7heもしかして肖像画に描かれた本物には本当に大袖が付属していたんだろうか
・・・いや、それはないか
0738人間七七四年
2011/09/22(木) 11:57:58.04ID:yPQSH/T00739人間七七四年
2011/09/22(木) 19:05:31.47ID:Tkc9+3Ov>>736 榊原康政のあの絵は、籠手を左にしかつけていない。室町以後では諸籠手が普通でだから写実ではない。
同様に、徳川美術館蔵の三方ヶ原敗戦時のしかめっつらをした家康像も片籠手。しかも身につけているのが古式の鎧直垂。
戦いの直後に描かせたといわれるが、写実ではない。画家が顔だけスケッチして、それをもとに後からまとめたとも考えられるが少なくとも衣装はフィクション。
0740736
2011/09/22(木) 19:33:26.94ID:5w+raVa0確かにあの肖像の片籠手姿からは、復古志向の強まった江戸期に描かれたと考えるのが穏当だろう。
指摘の通り、家康のしかめ面の絵も衣装が当時の格好を反映しておらず、古式過ぎる点から、
幕府による家康神格化の一環で後世に創作されたものといえる。
ぶっちゃけた話、江戸太平期に描かれた武者絵なんてやつは、
現代の戦国無双やBASARAのキャラ絵並みの感覚で描かれたものばっかりである。
美術史研究の上では考察する意義はあるものの、甲冑そのものの研究には益するところは殆どない。
0741人間七七四年
2011/09/24(土) 13:32:02.42ID:1Dec0BWW胴を身につけるのは臨戦態勢。喉輪、佩盾、脛当のような小具足は前もって身につけておく。籠手はある時期から胴につけるようになったが。
0742人間七七四年
2011/09/24(土) 19:43:35.91ID:Cg3+i8nK喉輪を胴の外に出すのは間違いだと一概に言い切るのは微妙なところである。
喉輪は胴よりも先に付けるため、胸板の内側に来るというのは細川澄元の騎馬像に描かれていることから
そういわれているが、ほぼ同時代を生きた大内義興の騎馬像では、喉輪の裾板が胴の外に出ている。↓参照。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/mushibaikin2000/50551084.html(細川澄元)
ttp://area2.sakura.ne.jp/Social_Science/history/muromachi/oouchishi.html(大内義興)
大内義興像の武装描写は細川澄元像に劣らず緻密であり、絵師のミスとは考えにくい。
喉輪を内にしまうか外に出すかは個人の好みの問題だったのではないか。
籠手の冠板を鞐で胴の肩上に連結するようになったのは天正後年に当世具足が発生してからと考えていいだろう。
ごく最初期の例としては仙台市博物館所蔵の銀伊予札丸胴具足や前田育徳会所蔵の金伊予札丸胴がそれにあたる。
以後、この鞐留めの籠手が大流行し、当世具足では当たり前となるが、これはあらかじめ籠手を胴に付けておくことで、
胴を着る時に一緒に籠手に腕を通すことで、1つの手順で上半身の防御が完成すると利点があるからである。
従来の、先に籠手を付け、互いに反対側の脇の下で紐で結ぶ方法だと、腕→胴の2段階のプロセスを踏まなければならない。
鞐留めの籠手は当時は「早着籠手」とも呼ばれたようで、武装の時間短縮を求めていた武将たちに大きく受け入れられた。
一方で、左右の籠手を大きな家地で仕立て、ワンピースにした指貫籠手も生まれるが、
こちらは鞐留め式に比べるとさほど目立たない。ただし、左右どちらかを紛失する心配がない点と、ゆとりを持って縫製すれば、
様々な体型に合わせることができる利点があるため、江戸期以降の御貸具足に採用されていることがある。
0743742
2011/09/24(土) 21:10:11.45ID:Cg3+i8nKそういうわけで桃山期のドラマに甲冑を登場させる場合、籠手に関しては、
上に書いたとおりの鞐留め式籠手を使用するのが本来は望ましいのだが、
指貫籠手や古式の紐掛け式籠手と違ってフィットしすぎるがゆえに、
着用者の腕の長さに合わせられるほど融通が利かないのが欠点である。
よって衣装を使い回しせざるを得ない演劇の中(テレビ・映画含む)では、
桃山から江戸期を舞台にしていても、紐掛け式籠手が史実に反して蔓延っている。
だが、視聴者の殆どはヨロイのヨの字も知らないし、知ったところで何があるわけでもないので、
この状況はこれからずっと先も続くだろう。
0744人間七七四年
2011/09/26(月) 18:32:07.95ID:9dp1hu98要人の護送や本陣の護衛にあたるような上級武士なら兜をかぶっているはずでは?
まさかそういう仕事を百姓の足軽にはやらせないだろうし
0745人間七七四年
2011/09/27(火) 06:01:05.30ID:wgqk964H銃火器への適応として甲冑の軽量化・簡素化が進んだのだろうか
とても興味がある
0746人間七七四年
2011/09/27(火) 19:52:56.35ID:JSNAFtlx鎧の上に胸甲をつけたとか妄想をする。
0748人間七七四年
2011/09/29(木) 02:37:19.06ID:GmB6AJ/U最近、個人的に疑わしく思っているんだが、どうなんだろうか?
国会図書館の検索ページで本名の笹間恒雄で博士論文を探しても見つからない。
博士は自称だったのだろうか?
また、International University USAなるところから賞を受けたともいうが、ここも怪しい。
そんな教育機関、ググってもそれらしいのが引っかからない。
最悪の場合、笹間氏は今問題になっているディプロマミル(偽大学)に手を出していたのかとも考えられる。
もし上に挙げた不正を行っていたとすれば、研究業績の内容がそれで揺るがないことはわかっているのだが、
残念に思えてならない。
ちなみに、京都で井○美術館や大○馬を開いてるあのオッサンは、今はサイトのニュースから消してるが、
ディプロマミルで有名なイオンド大学から名誉博士号をもらっているぞ。
偽学位を持ってたって何の足しにもならんどころか、マイナス評価の要因にさえなりかねないんだが、
あそこはアレなことばっかをしているから何に使うかわからんなあ。
まあ、知らずに引っかかったというんなら「ざまぁwwwwww」と笑ってやるさ。
0749人間七七四年
2011/09/29(木) 13:36:42.82ID:l247pPqD井○美術館の人って評判悪いの?「赤備え 〜武田と井伊と真田と」はとても勉強になるなあと思いながら読んだんだが
0750748
2011/09/29(木) 18:48:17.55ID:GmB6AJ/Uあまり意味はないが名前は一応伏せた。
68 :わたしはダリ?名無しさん?:03/11/03 00:54
中○甲刀修史館っていったら悪徳甲冑ブローカーで有名だよ。甲冑関係の人なら誰でも
知ってるよ。特に伝〜っていうのを勝手に作って売ってるよね。ヤフオクでもあそこの番頭が
むっちゃインチキで売ってるよ。
246 :わたしはダリ?名無しさん?:2008/04/17(木) 21:25:33
伊○コレクションと京都井○美術館(中○コレクション)は捏造甲冑の巣窟だよ
これからも次から次へと根拠の無い○○所用甲冑が生まれると思うよ
359 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/09/19(土) 23:39:01
旧姓中○の場合は虚偽の中に真実を入れてくるのがやっかい
コレクションは怪しいが、井伊家伝来の品があるのも事実なんだよね…
362 :わたしはダリ?名無しさん?:2009/09/21(月) 14:12:11
>>361
井伊達○こと、中○達○
2005年7月に旧与板藩(所在地は新潟県長岡市。直政の長男・井伊直勝の系統)井伊家の名跡を継ぎ、中○達○から井伊達○に改姓したそうです。
夫人が井伊家とかではなく、単に養子縁組をしただけで血統は無縁。
法律的に養子縁組をしたかどうかも不明。
伊澤家所有の森蘭丸具足を命名した最初の人物で、彼の予想に反して大きな人気を得てしまったことから、
後に自著「赤備え―武田と井伊と真田と」で、現在の所有者を猛烈に非難している。
コピペは以上。
確かに彼の著書は読み応えがあるし、歴史にも非常に通じているので正面からの反論・批判が非常に難しい。
甲冑愛好家の多くは、裏では彼の悪口をたくさん言っているが、
オッサンがなかなか尻尾を見せないので表側では誰も突っ込みにいけない状況にある。
井伊家関係なら結構まじめに研究しているとは思うのだが、適当なバランスで本当のことに嘘を混ぜるので厄介な人である。
0751人間七七四年
2011/09/29(木) 19:29:26.45ID:l247pPqD詳細ありがとう
そんな胡散臭い人だったのか・・・
ていうか森蘭丸所用具足ってこの人の鑑定だったのかよ
著書にはまったく逆のこと書いてるのに
じゃあ同書の「伝○○所用」は信じないほうがいいかな
本の内容自体はためになるだけに残念だ
0752人間七七四年
2011/09/29(木) 21:37:55.49ID:ckzxl/kWもだよね
0753人間七七四年
2011/09/29(木) 22:51:25.17ID:oJ4R35UR鎧関係はややこしいな。誰とは言わずとも胡散臭い話がころころ出てくる。
0754人間七七四年
2011/09/30(金) 22:52:29.96ID:IhonAuQA身分の低い雑兵のものに至っては単なる消耗品なのでまず現存しないという。
実戦期の軍装の詳細についてはよくわかっていない点が多い。
その点、当時の日本を訪れた宣教師や、文禄・慶長の役で実際に日本の鎧武者を目撃した明・朝鮮人の証言は
誇張や卑下表現が含まれているとしても、参考になると思う。
何故なら日本人にとっては当たり前でいちいち記録に残さないような事柄でも、異国人である彼らには
驚きの目で捉えられることが少なくないからだ。
というわけで、以下にまとめてみた↓
「我々の武装具は極めて重い。日本の物はとても軽い」
「我々の甲冑は、すべて鋼鉄で出来ている。彼ら(日本人)のは角または革の薄片を、縒り糸で縫い合わせたものである」
「我々の兜は瞼甲(ヴィゼイラ)を着ける。日本人は顔に悪魔の半分の仮面を着ける」
・・・ポルトガル、ルイス・フロイス「日欧文化比較」
「倭国軍は鬼や獅子の面を被っていたので、人馬が驚いて退き、ぬかるみにはまって動けなかった」
・・・明国、宋応昌「両朝平攘録」
「奇怪な身なりをして敵を驚かせ、牛頭に鬼面をした者もある」
・・・明国、李睟光「芝峰類説」
「おおむね倭人たちは紅黒の鉄の甲冑を着て色とりどりの鉄兜を被り、口角には髭を縦横に生やし
鉄広大(鉄の衣を着た道化方)のような姿をしており、金冠の黄金色の羽根・金挿・羽衣・羽箒・螺角などことごとく奇怪な形相である。
奢侈であり、鬼神のようでもあり、獣のようにも見えたので、これを見る者、驚かざるをえなかった」
・・・李氏朝鮮、李舜臣「忠武公全書」
「華麗多く虎皮及び鶏尾をもって戦服を作り、金銀をもって仮面を拵え、馬面及び人面を表す、それは偽り驚かすこと甚だしく、
人の眼に眩いばかりに光り輝いた。壬辰年に敗退した軍の者たちは皆、虎・豹・水石の怪物が一時に出現したようで、不覚にも気を失い、
魂を奪われたと言っている」
・・・李氏朝鮮、姜侃「倭情録」
0755人間七七四年
2011/10/03(月) 21:45:16.46ID:i1TTzgXbこの前行ったときは息子らしき人が出てきてたが、ろくに質問すらさせてくれぬ。
こっちは赤備えについて調べに行ってるのに、どうにも消化不良やで。
0756人間七七四年
2011/10/04(火) 12:46:08.55ID:/28pMXmp新米コレクターに「盛り乱○」の甲冑を売りつける
↓
甲冑が有名になる
↓
悔しくなって、あいつ偽者を自慢しやがって、と触れ回る(売りつけたのは自分達だけど)
↓
そのコレクターも今となっては知識もついたけど、「本物」ってことで余計なこと言わないでいるw
0757人間七七四年
2011/10/04(火) 16:20:56.48ID:glFD62Lp本多忠勝の鹿角のついた兜と甲冑、有名な肖像画に描かれたものと同一ではないが、本人の物であることは間違いない。
現在も子孫の所有だし、江戸時代にも将軍に見せたという伝来があるもの。同じ意匠でいくつも召し替えの具足を持つのは、経済的に余裕がある大名では珍しくない。
井伊直政や直孝、伊達政宗も同じようなものが複数残っている。
0758人間七七四年
2011/10/04(火) 17:45:33.02ID:8WxmD/X+実際の戦国はもっと単純みたいに書かれてたけどかなり着飾ってるやん
0759人間七七四年
2011/10/04(火) 19:16:36.42ID:SsdyZpIn江戸中期以降の微に入り細を穿った装飾が多用された華麗な甲冑と違い、
室町末期から桃山・江戸初期の初期当世具足では、装飾の技法こそ単純だが、
遠くからも自分の存在が目立つように、わかりやすく伸び伸びしたデザインの蒔絵や箔押しを施した胴や、
大型の立物・指物が用いられた。
もっとも、自分の好みに合わせて甲冑を飾り立てることができたのは、
自分の鎧を持てる身分の武将(だいたい中堅以上)に限られていただろうが、
足軽クラスでも、軍団全体の威容を整えるために派手な軍装が支給されることはあった。
たとえば朝鮮出兵時には立花宗茂の家中が金箔押の桃形兜を被って出陣しているし、
伊達政宗も兵士に奇抜な格好をさせた話が残っている。
0760人間七七四年
2011/10/04(火) 19:50:35.81ID:N5R36befttp://www.arimakinenkan.or.jp/exhibition/exhibition_2011_02_shinkansen.html
↑伝二代藩主忠頼所用「大熊」の具足に似ているような気がする。
仕立ては家康公の羊歯具足と同じように岩井のような?
俺も本山さんではないけど忠勝公より少し後のものにみえるね。
後こういうのをみつけた↓「鋼鉄の全身鎧の見本」ってのは日本の当世具足?
「懲秘録」
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
0761人間七七四年
2011/10/04(火) 23:09:56.70ID:N10/FVi8日本人に斬られたり突かれたりしないために鉄製の鎧を考えたというだけで、
日本の具足をモデルにしたわけではないのかもしれないな
0762人間七七四年
2011/10/05(水) 02:01:19.29ID:NNEfuWGdこの書き方だと派手なのが武将クラスみたいな少数だけじゃなく、数が多かったみたいな書き方だな
前線で戦う足軽にも多くいたみたいな
下級でも面頬とか付けるのあたりまえだったのかね
0763人間七七四年
2011/10/05(水) 08:33:04.54ID:swPVXaMSどうなんだろうか?
重くなればなる程弓の的になりやすいし。
今自分の軟派な弓道選手じゃあるまいし(明治の弓でも、昔引いたことがあるがハンパなく強い)、
鋼の鎧ならまだしも革や布じゃ2、30mの距離なら打ち抜けるだろ。
せいぜい、腹と頭と手足の保護くらいしか出来ないんじゃね?
0764人間七七四年
2011/10/05(水) 09:45:06.13ID:s/zrbagcもっと早くダメになるのかと思ってた。
0765人間七七四年
2011/10/05(水) 11:23:22.86ID:hhbuWvHP足軽クラスでも簡素とはいえちゃんとした御貸具足を着て
頭形兜に部隊認識用のちょっとした立物とか付けてたんじゃなかろうか
さすがに頬当は着用してなかったと思うけど、まともに甲冑すら着ていなかった朝鮮兵から見れば重武装だろうな
ただ、敵陣に肉薄して斬り込んだりするのは足軽じゃなくて徒歩武者や騎馬武者だから
比較的派手な装いのそいつらの方が印象に残ったのかも
0767人間七七四年
2011/10/05(水) 19:44:39.03ID:swPVXaMS丸竹の状態で乾燥
↓
ヒゴの状態で乾燥
↓
成形
↓
調整
↓
細いとうを巻積める
↓
漆仕上げ
↓
成形・装飾
弓師じゃないんで細かい所及び加減は不明。
漆器が長寿命なのと理屈は同じでは?
0768人間七七四年
2011/10/06(木) 04:11:50.03ID:QYXgtPMT武田の長柄足軽は前立付きの頭形兜に頬当もつけてた
加藤清正もそうだが長柄の具足は、足軽にしては重装備なことが多くね?
0769人間七七四年
2011/10/06(木) 18:52:28.91ID:6IrFv8JY0771人間七七四年
2011/10/06(木) 20:55:30.09ID:e45F1214胴より頭守ったほうがいいだろ
0772人間七七四年
2011/10/06(木) 21:27:03.69ID:6IrFv8JY0773人間七七四年
2011/10/06(木) 21:35:22.38ID:3hZ0ihi/0774人間七七四年
2011/10/06(木) 21:40:08.90ID:8sr2r53v経済的に楽だったと思われる。
立花家には朝鮮の役で従者が使用したという桃形兜が二百数十頭残るが、
胴以下のパーツはまったくといってよいほどない。
戦闘に際して上層部が貸し与えたのは兜や簡単な防具くらいで、
それ以外は何も付けなかったか自己負担だったかという家中もあったのではないか。
0775人間七七四年
2011/10/07(金) 11:16:24.02ID:SqwTR2aVなるほど
建設業で取りあえずヘルメットだけは揃えるようなもんだな。
安全帯は個人負担させてる親方も確かにいる
0776人間七七四年
2011/10/07(金) 11:24:13.91ID:D5RR5JQj過去に狩りの対象として日本の鎧武者も惑星に連れてこられたという設定があった
惑星で十年生き残っているという元海兵隊員がその遺品と思われる兜を被っており、隠れ家には刀もあった
兜は金覆輪の阿古陀形筋兜のように見え、しころは日根野じころで板物の素懸威、
角元はあるものの立物はなかった。こうした様式を見る限り桃山〜江戸時代以降の兜のように思える
刀も打刀拵だし、連れて来られたのは大坂の陣頃の上級武士ではないかなどと想像した
まあ、ハリウッドのスタッフがそこまで考えてるとも思わないけどw
0777人間七七四年
2011/10/07(金) 16:48:21.69ID:3aEkjKmx足軽なんかだと、胴は布と詰め物ってケースもあったんじゃないかな?
0778人間七七四年
2011/10/07(金) 20:26:19.06ID:H6fjSD8z0780人間七七四年
2011/10/08(土) 14:09:56.72ID:SUFIvSei0781人間七七四年
2011/10/08(土) 14:24:35.55ID:wofD3lqE0782人間七七四年
2011/10/08(土) 20:29:41.31ID:ZEYh0ZS80783名無し@一足軽
2011/10/10(月) 10:10:47.80ID:YWM25XuSだから戦国の遺品として残っている甲冑は将校クラスの非戦闘員のものがほとんどだ。それか江戸初期に造られた模造品だ。
信長なんかはいつも最前線で指揮を執っていたから、敵方のいい標的になり草摺も取られ、鉄砲隊に狙われて狙撃され、
甲冑の遺品はほとんど無い。劇画やドラマで南蛮胴を着用しているのもなんとなく本物らしくない。
南蛮胴は、家康の日光東照宮にあるのが初期のものか。
0784人間七七四年
2011/10/10(月) 10:44:18.89ID:bYAgK63Nあれなら、本当に戦争で使えたかどうか怪しいと思うんだが。
あの時代は日本人と欧州人の大きさの違いは、
今程度しかなかったらしい。
それに対して、馬の方は本州にいた在来種(道産子より一回り小さい。汗血馬?よりも小さい)。
欧州バリの鎧を着た武者を乗せて走れるんだろうか?
0785人間七七四年
2011/10/10(月) 12:04:14.86ID:aIWpA7AV0786人間七七四年
2011/10/10(月) 12:21:58.16ID:mXMoXr1kグスタフ・アドルフのスゥエーデンなんて日本馬より体格の貧弱な馬に重装騎兵載せて
騎馬突撃してたんだがw
0787名無し@一足軽
2011/10/10(月) 20:36:32.87ID:rojkN+8d100mでも弾を弾き返す。当時の合戦のルールで、勝ち戦のさなかでも大将が流れ弾にでも当たり死んで
しまったら負けということになっていた。だから、大将、大名クラスは高価な南蛮胴を着用した。つまり、
南蛮胴を着用していれば、オレは死なない、味方は勝つという武門の象徴とでもいうべきか。
0788人間七七四年
2011/10/10(月) 21:04:35.78ID:G1N2JF3t馬に乗って移動するからスピードも体力もいらないし
前線でほんとに戦う兵にはいらない
機動力と長時間たたかえることのほうが大事
0789人間七七四年
2011/10/10(月) 21:48:03.48ID:mQGbYl6G↑は東博所蔵の革包み腹巻。南北朝から室町頃、戦場の最前線を駆け回っていた雑兵の着料と推察される。
伊予札を簡単な菱綴で革に仕付けた(草摺の裾は本小札)粗製の胴で、威しの甲冑より明らかに下等な品である。
大阪の金剛寺にもこうした革包みの腹巻が10領程度残っているが、
こうした類の革包み鎧は製作・修理が簡単であることから、その多くは消耗品として使い尽くされたり、
美術観賞的な価値の低さや粗製ゆえの保存状態の悪さなどから大事にされることなく消えていってしまった。
なお、革包み胴には、手入れのしやすさのほか、表面に威毛がほとんど露出しないことから、
物が引っかかりにくい利点があるとされる。当世具足でも初期の遺品に革包み胴が結構多く見られるのは、
その機能が評価されて上士の間にも広まったという、武具界の下克上を表しているのではないだろうか。
0790名無し@一足軽
2011/10/10(月) 22:53:42.85ID:vF1Uv3bc同じく「安土城」は全100号で160,000円。
板が少しそれたのでここまで。
0794名無し@一足軽
2011/10/12(水) 00:23:06.28ID:wvdlUzk1映像化されていたな。福島正則の大水牛脇立桃形とか、加藤清正の長烏帽子なんかだ。ただ、家康の甲冑は、羊歯葉前立
大黒頭巾形兜勝川具足で、787で書いたのとは違っていたな。ただ、この作品から、足軽の具足の背に会当理が付くように
なり大名の家紋の旗が立ったのが間違いだ。視聴者サービスでどちらが東軍か西軍かが判るようにしたのだろうな。でも、
これが後の戦国モノに踏襲され、「江」でもそんなふうで視聴者にはそれでいいんだろうな。NHKもいい加減なものだ。
wikiにも載ってるあれか。
画像を見ると二の腕の部分は杏葉で守っているみたいだけど、手の甲や脚部は無防備なのかな?
それとも、西洋の甲冑みたいに鎖鎧でガードしているんだろうか?
画像だと足は無防備に見えるけど、騎乗したまま歩兵と戦ったら足は一番狙われやすいところだろうし……。
0796人間七七四年
2011/10/12(水) 09:02:47.09ID:FjX0k8hgちゃんと手足も小具足で防御してるんじゃない?
籠手は鎖や金具を表に出さずに家地で包んだ産籠手(うぶごて)という形式ならばあの描き方に納得がいく。
絵を見る限り、手甲は描かれていないように思えるが、
細かい作業や運動性を優先して手甲を省略することもあった。
ひざから下もちゃんと臑当を付けてるよ。色が黄色っぽいから装備していないように見えるだけ。
この色は金箔押か、白檀塗を表現しているのだろう。
この時期の杏葉が守るのは二の腕よりも、胴の高紐がある前胸部になる。
杏葉が二の腕というか肩先を守っていたのは平安・鎌倉後期までで、
大袖が付く位置に杏葉の板金具を付けていた。
その頃の遺品は1、2点しかないが、南北朝以降のものより2回りほど大きい。
時代が下って胴丸に袖が付くのが定着すると胸先に移動し、形式的なものとなって小型化した。
0797人間七七四年
2011/10/12(水) 09:33:33.43ID:wuzLz8TDあれってやっぱり足軽は会当理ないのが本当なんだな
変だとは思ったけど、NHKがやってるんだから正しいのかなと思ってた
そういや江といえば、小谷城攻めのときの秀吉が両乳鐶付きの切付胴を着てた。ありえねえw
0798人間七七四年
2011/10/12(水) 10:58:24.24ID:W1fJxaI+確か言ってたな。
0799名無し@一足軽
2011/10/12(水) 18:18:30.74ID:iq2iRVsY○合当理
すまん。
0801名無し@一足軽
2011/10/12(水) 22:33:24.46ID:t/6QB7qc取り外しできるようになっている。出陣の儀式、凱旋時は付けたが戦闘時はヘルメット
様式だ。それに黒田の大水牛脇立は薄い木材をつなぎ合わせて作ってあるし、三宝荒神部分は
厚紙と牛革で作ってあり以外に軽量になっている。
0802人間七七四年
2011/10/13(木) 16:13:54.17ID:MDzkG3nMちょっとでも頭を動かせば、当たってしまう。俺の近くには寄るな、というサインなんだろうか。
0803人間七七四年
2011/10/13(木) 20:00:27.21ID:F/pSXP2Z0804人間七七四年
2011/10/15(土) 12:52:15.93ID:HgBDEKk5http://video.mainichi.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48227968/48227968peevee425876.flv
0805名無し@一足軽
2011/10/16(日) 01:48:44.04ID:spvpWNXF槍1本、鎧櫃1つで陣借りしてくる浪人も沢山いる。騎馬の者も来る。将校級が逐次面接をする。浪人の氏素性を聞く。いずれの家中の出身か?主人は
誰だったのか?何時、何処の合戦から浪人になっているのか?得て物は何か?感状は何枚持っているか??勿論、持って来ている甲冑の見分する。
兜も具足も同じ作者の銘が刻まれているかが重要なポイントだ。それに太刀。由緒ある刀鍛冶の作かだ。こうして面接は慎重に行われて目出度く
陣借りとなる。いずれにしても先鋒部隊だが、体格・面魂・武具の良し悪し・感状の枚数で配属が決められた。
話は飛ぶが、武将の甲冑姿の肖像画で、現存する甲冑に大袖が無く、絵には大袖が描かれているのは(例:本田忠勝)その武将が由緒正しい出自
であることと、正式な武士である事を示している。鎌倉期の大鎧は実戦には向かないが、戦国の武将の憧れだった。
0806人間七七四年
2011/10/16(日) 14:24:48.40ID:YHGFKfOW0807名無し@一足軽
2011/10/16(日) 18:39:51.86ID:QRi9hpBSオマエ、ほんとに歴史を知らんな。さもなくば大河の見すぎ。オマエみたいな連中に
反論するんもアホくさいw
0808人間七七四年
2011/10/17(月) 00:34:18.41ID:oTZlbq4m鎌倉期の大鎧は馬に乗って戦う用だね。
実戦に向かないと思っている人は歴史を知らな過ぎ。
0809人間七七四年
2011/10/17(月) 01:35:49.93ID:DBpz+l7G大鎧は馬に乗ることで鎧の重量が自分にかかりにくい作りになってる
0810人間七七四年
2011/10/17(月) 02:37:24.97ID:XVP8NiGl復古調甲冑が作られるより前の時代で、現存する遺品の中で最後に作られたことが確認できるのは、
大内義隆が1542年に厳島神社に奉納した黒革肩紅威大鎧(重文)がある。
ttp://www.pref.hiroshima.lg.jp/kyouiku/hotline/bunkazai/data/102040040.html
大鎧が花形甲冑だった平安・鎌倉期と違い、
この頃の大鎧はその重量や非機動性、製作にかかる手間などから敬遠され、
室町中期までには胴丸に主役の地位を譲っている。
それでも南北朝以降に定着した徒歩戦に対応すべく、胴の腰の裾を窄めたり、
筋兜を採用したりしているが、やがては時代の流れに取り残され、
祭礼の衣装用や寺社への奉納用くらいに留まるようになってしまった。
上記の大内義隆も、大鎧を奉納したのは名門守護大名の手前からであって、
あくまで戦場では自身は胴丸を着ていたと思われる。
室町末期から桃山期の、甲冑姿の武将の肖像に、大袖が描かれているのは
(その源流は大鎧にあるといえるかもしれないが)、
直接的には地位の向上に伴って重武装化した胴丸を意識しているとする方が自然であろう。
あるいは後世に作成されたものならば、復古調の空気に影響されて描き足したということになる
(これなら大鎧への憧れが直接影響していると考えられる)。
0811人間七七四年
2011/10/17(月) 02:43:30.35ID:cPi+16c4しかしこれを否定してるということは単に無知だったとしか思えない
0812人間七七四年
2011/10/17(月) 08:43:26.77ID:9Wga+kfF改行も変だし、2ちゃん慣れしてない感じ。
個人でブログでもやればっていいたい。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193685418/185
0813人間七七四年
2011/10/17(月) 12:33:38.55ID:Cozye8KE徒での拠点攻防戦に様変わりしたからそれにあわせて変化したというか。
0815人間七七四年
2011/10/17(月) 21:34:51.99ID:izrqWSNC徳川家康が大高城兵糧入れで金留塗の仏胴具足を着てたり、上杉謙信が三宝荒神の兜を被ってるのはいいとしても、
こりゃ構造を理解しないまま描いてるなあ、と一目でわかるような規格外の具足が次々と出てくる
0816人間七七四年
2011/10/17(月) 22:42:00.04ID:XVP8NiGl今まで日本の甲冑がハイカル・サブカルの両界でしっかりした考証の下に
表現された例なんて数えるほどしかないぞ。
江戸時代以前に描かれた絵画といえど、合戦の場面で甲冑を描く場合は、強固な監修やサポートがないと、
鎌倉時代の「男衾三郎絵詞」のように大鎧の絵が滅茶苦茶になってしまうことがあった。
江戸時代の歌舞伎の衣装鎧や武者絵の中の甲冑については論外。現代の感覚に合わせて言えば、
かっこいいアニメキャラ並のレベルでしかなく、気をつけないと甲冑研究の邪魔にすらなりかねない。
最近では宮崎駿の「もののけ姫」が、甲冑そのものについては割合よく描けていたが、
作品の時代背景が室町後期ということを考えると、
大鎧を着た兵士と当世具足を着用した兵士の両方が出てきたのはちと極端に過ぎると思われる
(中央と地方の相違を表現したかったのかもしれないが)。
0818名無し@一足軽
2011/10/18(火) 01:23:49.86ID:tF9Jh7An国宝「竹雀虎」とか同じく厳島神社所蔵の「白糸縅」なんかは製作期間が2年位かかり部品の多くは中国製だ。大将のシンボルの「紅糸縅」
の赤の染料も縅糸も中国からの輸入品だ。余程の地位のある武将しか着用できない。
戦いも大鎧を着て馬上で刀を振り回すのではなく、大将は本陣にいて戦いの趨勢を見守り、武将級では本来、流鏑馬のように弓矢で戦うのが
実戦だ。胴丸を着た兵士の戦いにもルールがあり相手の烏帽子をとったら勝ちとか、旗指物を奪われたら負けとかで相手が降参したらそれで
良しで、日本人同士がそう殺し合いをするのではない。これが平安〜鎌倉の実の姿。義経の平家殲滅は完全なルール違反の合戦だ。
しかしそれが後の世に美化されてしまった。
鎧のスレだから、多くは書かないが一部の人を除いて大河の見すぎか、史書・司馬作品なんかをを読んでいない人が多すぎるな。
近年の研究書でもいいものがあるからそれらを読んでから書いた方がいい。
0820人間七七四年
2011/10/18(火) 02:03:03.29ID:guBzAwjj大鎧は馬上専用とはなんもつながってない論点そらし
もう止めとけ
お前の負け
0821人間七七四年
2011/10/18(火) 06:56:10.29ID:l9r9z3t7そもそもセンゴクは「刀なんて役に立たん(キリッ」
「騎乗したまま戦うなんて有り得ない(どやぁ)」
とか言ってた時点で、ただの知ったかが描いてる漫画やろ
>>818
その近年の研究とやらのソースきぼん。
烏帽子や旗取るだけだとか聞いたこともねえし、そんなんで
勝負がつく様子が書かれた一次史料とか見た事ねえよ。
0823人間七七四年
2011/10/18(火) 16:15:27.30ID:GkDTkUOG国宝鎧を引っ張り出して何を言ってるんだ?
竹雀虎は源義経奉納との伝来があり、一説によれば足利義満の奉納品とも推測される超高級品
あと「厳島神社所蔵の白糸縅」って櫛引八幡宮の白糸威褄取鎧のことか?
あれだって南部信光が後村上天皇から拝領したものだぞ
そんな高級品を一般の武士が着れないなんて至極当たり前のことじゃん
0824人間七七四年
2011/10/18(火) 20:07:17.64ID:2WslxfBQ重箱の隅つつきになるが、厳島神社に白糸威大鎧はないよ。
白糸威銀小札丸胴具足ならあるがね。
ひょっとして日御碕神社の白糸威大鎧のことを言いたかったのかな?
0825人間七七四年
2011/10/19(水) 01:04:52.65ID:2wH1JH3p紅花の産地は山形が有名だが、ここにあるの修験道で有名な羽黒山は能除太子(蜂子皇子ともいう)で崇俊天皇の皇子。藤の木古墳の被葬者は特定できないものの、崇俊天皇も有力候補のひとりであるのは興味深い。
話がそれたが、平安時代の鎧の縅の糸の紅の染料が中国製であるとする根拠はない。ちなみに質の良い紅で何度も染めたものは、スカーレットに近い深い赤。
0826人間七七四年
2011/10/20(木) 11:53:55.70ID:qJSg44acやっぱ丸武産業は田舎ローカルのアナログ企業だな・・・
それなりに立派なサイト構えて、全国区で商売しているにもかかわらず、ネット対応が疎かすぎる。
メールの返事が無い。ほっとくとたぶん1週間に1回も開いてない。
代表番号に電話すると、のっそりとしゃべるオバチャンが出てきて、
「3日前にメールで問い合わせた件なんですが・・・」というと、
「あぁはい わかるひとにきいてみますね〜」という感じ。
電話しないと見てくれないならメールの意味無いでしょう・・・
営業日だけでいいからせめて1日1回ぐらいメール確認してよと言いたい。
問い合わせ、購入、支払い等含めてメールなら3〜4往復で済む内容のやりとりしかしていないのに、
丸武相手の取引はやたら手間と時間がかかる。
ヤフヲクでもここまで手際の悪い出品者はなかなかいない。
昔かたぎの職人気質で、ネットの客など客じゃねぇ・・・などと邪険にされているという風ではなく、
単純にPC初心者レベルの人しかいないという感じがした。
メール文面の改行や空白の位置がヘンだったり。
いちど、個人情報が乗った他の客宛てのメールが誤送されてきたし。
せめて一人でいいから窓口となるIT担当者雇えばいいのに。
せいぜい満足にPCが使えて問題なくメール対応ができる程度の人材も鹿児島にはいないのかな?
0827人間七七四年
2011/10/20(木) 12:11:30.29ID:dbx6qQAg丸武にとってはテレビ・映画会社が一番のお得意先で、
ウェブ販売はとりあえずの余興のようなものと認識して運営してるから
対応がなおざりになるんじゃない?
店長でさえ満足に文章をタイプできてないことがあるくらいだし、
専門知識のそろった人を雇おうとか、勉強しようといった意識に欠けてるきらいがあるね。
あそこは今でもモノを作っていればそばから売れるとでも思ってそうだよ。
0828人間七七四年
2011/10/20(木) 15:59:54.57ID:deaCAn8Z0829人間七七四年
2011/10/20(木) 18:05:14.08ID:2k4zTOP5奴らにしてみれば目の上のタンコブだもんねー。
0830人間七七四年
2011/10/20(木) 18:37:43.24ID:gP5/Eeay0831人間七七四年
2011/10/20(木) 18:50:56.04ID:5UaK7Pxgそこまでわかってるなら、そのレベルで対応すればいいじゃないの?
ネット通販専門店と同じレベルの対応をしてほしいってのは単なる我儘だろ。
0832826
2011/10/20(木) 18:52:22.75ID:qJSg44acありのまま起こったことを書いただけなんだけど・・・
ネット取引の手際の悪さは非常に不満だけど、
ちょっと擁護しとくと、
丸武の商品の価格や品質そのものには満足してる。
0833人間七七四年
2011/10/20(木) 20:30:51.54ID:QrMhTkkH昔ながらにのほほんとしてるのが、ファーストフードのサービスが標準になると
イライラさせられるはわからんでもない
0834人間七七四年
2011/10/20(木) 22:07:10.98ID:H9rP6veR我儘って何だよw
消費者が当たり前の対応を求めることがワガママか??
826みたいに愚痴りながらも3度も利用してるって人は「分かってる」のかもしれないが、
少なくとも初見の人は、そこまで対応がアレなら怒ると思う。
2度と買わないと言われてもおかしくないレベル。
自社サイトだけでカタログ乗っけていて、「詳細はお問い合わせください」のような業者ならともかく、
楽天とヤフーのモールにも出店していて、
それぞれのアカウントと決済システムで買い物ができるようになっている以上、
利用者からすれば、そこらの数あるネット通販サイトと比べてまぁ平均的な水準を期待するよね。
0835人間七七四年
2011/10/21(金) 02:38:32.92ID:v20hA5oq0836人間七七四年
2011/10/21(金) 04:32:48.12ID:OImjUzlwそれはお前の勝手な思い込みだ。
満足できなきゃ自分が満足するショップで買えよ。
丸武が品物卸してる店は他にもあるだろ。
それとも中華からでも買うか?
一度中華とコンタクト取れば、丸武のサービスが神対応に思えるようになるぞw
0837人間七七四年
2011/10/21(金) 14:02:23.67ID:lGjBBHpzお前が文句をいうのは勝手だが、ショップがどんな商売の仕方をするかもショップの勝手だ。
ショップが消費者に「買ってもらっている」のと同じように、お前もショップから「売ってもらっている」んだよ。
消費者絶対が通るのは、多種類大量生産の品物だけだ。
0838人間七七四年
2011/10/23(日) 00:22:42.40ID:p4SRHupG梱包はよくない
0839人間七七四年
2011/10/23(日) 00:52:50.73ID:9k2yPkAgこの業者、出しては売れてるみたいだけど、モノはどうなの?
しばらく前からちょっと注目してるが、
大体同じ形の当世具足の色違い、模様違いを、常に2品ぐらいずつ出品してて、
だいたい8〜10万で落札されている模様。
丸武の一番安い当世具足で16万円だから、それより安い感じだけど、どうだろう?
こいつも中華業者なの?
0840人間七七四年
2011/10/23(日) 06:10:27.52ID:zZpsweLj評価のコメントが自演臭くて噴いた
一桁評価で「迅速に〜」って書いてるのはほとんどサクラだろ
ストア登録してあるから自演で吊り上げ入札かけても問題無いしね
0841人間七七四年
2011/10/24(月) 19:22:32.22ID:fPmSdNPSコレクションしやすいし値段も抑えられるし。
0842人間七七四年
2011/10/24(月) 23:14:25.87ID:cVqmns0x個人的には袖の無い具足に袖を付けたりとか余計なことはしないで、
出来る限り実物に忠実に再現してほしい
0843人間七七四年
2011/10/25(火) 00:33:17.14ID:J5gpGsQx0844人間七七四年
2011/10/26(水) 00:06:37.17ID:okjgniG/「当世具足が普及した安土桃山時代からです。」という回答がベストアンサーに選ばれてて笑ってしまった
目の下頬も総面も室町時代からあるっつーのw
0845人間七七四年
2011/10/26(水) 00:37:30.29ID:s8JJui4J更に幅広く「面具」としてみるなら、当時の遺物はないものの平安末にはすでに半首が登場していたしな。
0846人間七七四年
2011/10/26(水) 00:47:01.06ID:okjgniG/探したらあっさり見つかった。この口ぶりだと質問者の言う「面頬」は目の下頬や総面のことなんだろうね
しかしこのベストアンサー、当世袖が小具足の一つだとも言っちゃってるし
残念な点が目立つな
0847人間七七四年
2011/10/26(水) 04:45:10.60ID:WB2fppzI0848人間七七四年
2011/10/26(水) 07:07:27.45ID:Te9vx37F質問・回答者がどの年代をイメージしてるのかが分からんとなんとも言えん
0849人間七七四年
2011/10/26(水) 07:27:50.63ID:jzNawpdx日本の場合、面頬はひもで固定するので容易に着脱できない。顔面を保護されているという安心感はあるにせよマイナス面も多い。
鎧を道具として飾る時に、面頬があった方が様になるという理由で付いているだけではないか。
ちなみに武闘派で知られる黒田長政は、国内や朝鮮半島でも敵と直接刃を交えることも多かったが、面頬を用いないのが流儀だった。今日残される具足にも面頬は含まれず、有名な肖像画でも喉輪すら着用していない。
0851人間七七四年
2011/10/26(水) 14:18:20.76ID:okjgniG/面頬は目の下頬と総面だけじゃない
http://www.kinokuniya.tv/images/mask/c056_2.jpg
↑両頬と顎のみを守るつばくろ頬(目の下頬の鼻がない感じ)
http://pichiska.sakura.ne.jp/jonhadi/sr2_bbs/sr2_bbs_img/8_1.jpg
↑顎のみを守る越中頬などもある
むしろ実戦期にはこうした半頬タイプが主流であったと思われる
しかしフロイスや明・朝鮮人も言及しているように、顔の大部分を覆うタイプを付けた鎧武者も結構いた
内藤昌豊や山内一豊が総面を着用していたという記録もある
江戸時代になると実用よりも飾り栄えが重視されたため
凝った意匠の目の下頬や総面が流行したという点は君が指摘した通りである
0852人間七七四年
2011/10/26(水) 22:13:54.39ID:s8JJui4J昔の家宝目録に記載されていても、現在は臑当や脇引などが欠けていることは割とあるし、
徳川将軍家においてすら、二代秀忠所用の茶糸威胴具足は兜が伝わっていないのであるから、
面頬が今はないからといって当初から備えていなかったとも言い切れない。
肖像画に関しても、後世に自分の面影を伝えるなどの目的で顔をはっきりさせたいという思惑から、
実際の格好と違い、あえて素顔を晒した状態にして描かせたことも考えられる。
0853人間七七四年
2011/10/26(水) 23:28:03.07ID:lIlkeA3o大河ドラマだと半頬タイプが主流だな。
俳優の顔が見えないとどうしようもないからな。
0854人間七七四年
2011/10/26(水) 23:41:19.42ID:s8JJui4J最近の大河は半頬すら付けていないことが多いよ(「独眼流政宗」の時にはわずかに見られた)。
主役やレギュラー陣が辛うじて喉輪をしてるかどうかだな。
ドラマでの面頬着用よりも気になるのが、時代祭りなどで兜を阿弥陀に被ってる人間が多いこと多いこと。
視界を確保したいのか、帽子と同じ感覚で被ってるのか知らんが、
内兜ががら空きになっているとかっこ悪いし危険。それに兜の重さが後方に傾くので余計に首が疲れる。
演武を行うなら尚更。模造品でも武器の先が顔に当たるおそれを考えて目深に被らなきゃならん。
0855人間七七四年
2011/10/27(木) 09:45:41.04ID:VgLzmP2A歴史イベントの貸し出し甲冑の兜が深くかぶれなかったことはある。
浅く、あみだにしかかぶれなかった。
0856人間七七四年
2011/10/27(木) 21:11:29.78ID:k+fR208E上から俯瞰できる騎馬武者なら、それで視界は十分確保できる。
イギリスの近衛騎兵のヘルメットも同様に深く被ってるね。
0857人間七七四年
2011/10/27(木) 21:27:46.24ID:k+fR208E日本では鉄砲からの防御の為、面頬がより普及したと言われる事が多いが、どうなんだろう。
戦国中期においては北条の軍役帳では馬上の者は面頬の装備が義務付けられていて、
武田の天正4年の軍役定書には、馬上は面頬と喉輪を身につけること、
そして長柄、鉄砲、弓といった歩衆は兜に喉輪は身に着けるが、面頬の装備は書いていない。
0858人間七七四年
2011/10/27(木) 23:10:48.33ID:QTTAtWIp御貸具足自体がお粗末なものだし
0859人間七七四年
2011/10/31(月) 21:00:56.01ID:NGbIEoueこれに対して上級の武士が持つ手鑓は、せいぜい3メートルくらいで長さが短く、重量も軽いからコントロールしやすく、訓練を積めば目標を正確に突くことができる。
それでも甲冑を貫くことは難しいから、相手の甲冑の隙間を狙うことになる。この隙間をなくすことが面頬や喉輪の役割だったのではないだろうか。
とすれば、もともと重武装でもない隙間だらけの格好で、手鑓を持った敵と対峙することを想定していない足軽が、それらをつけないのは当然。
0860人間七七四年
2011/10/31(月) 22:35:49.54ID:CERMI1Ly兜に面頬の足軽はいまだかつて聞いたことがない。
陣笠に面頬のシュールな足軽って歴史上存在したのかなw
0861人間七七四年
2011/10/31(月) 23:17:00.79ID:JyUrtS7qなんかそれイスンシンの朝鮮ドラマで見たぞ
目の下頬完備の足軽軍団が火縄銃を連発銃のように連射してたw
0862人間七七四年
2011/11/01(火) 00:06:36.37ID:ZkK8kOvj映画「天と地と」では海外ロケで現地人エキストラを雇ったため、
顔が露出すると都合が悪いので足軽にいたるまで面頬を着けさせたんだって。
映画作品としては面白いが史実では絶対にありえなかった光景だな。
0864862
2011/11/01(火) 00:24:14.78ID:ZkK8kOvj室町末〜桃山初あたりの戦場では、適当に入手したり配布されたりした頬当や喉輪を着けて、
頭や首を防護していた下級兵士はそれなりにいただろう。
宣教師の記録によれば、日本人は喉輪やシコロ程度を付けていても武装したとみなされていたようだし。
また、遺品はほとんどないが、鉢巻に横長の鉄板を縫い付けた額鉄(ひたいがね、後世の鉢鉄の前身か)
という簡易防具も使われていた。
ただ、頬当や額鉄は、兜を持てない足軽にとっては顔面よりもあくまで頭部を守るためのものであったと思われる。
江戸期に入って軍規の整備が進み、武士の階層が固定化して以降、平の足軽が面頬を装備することはなくなった。
0865人間七七四年
2011/11/01(火) 05:12:17.84ID:PlXHPQeO最後の場面で兜を用いなかったのは、天辺の穴から髷を出せないためしっかり固定できず、撮影の激しい動きに対応できなかったからだろう。
ところで、この時小道具として用いた兜の鉢は、某有名画家が所有していた平安期の本物で、文化財指定された物、と読んだだ記憶があるのだが、現在調べても該当するものがない。映像を見る限りそれらしい物で、平安期のものと言うのは真実らしく思える。
0866人間七七四年
2011/11/01(火) 15:35:59.23ID:JnbdnHSC↑現在ロンドン塔に所蔵されている
徳川秀忠がジェームズ1世に送った胴丸が好きだな。色合いが綺麗
これって実際に秀忠が着用したことはあるんだろうか
それとも贈答用に新しく作られたもの?
0867人間七七四年
2011/11/01(火) 16:36:35.11ID:KGcMnF1n家康の鎧は奈良の岩井が作っていたから、この秀忠のものも岩井の作だろう。日の丸縅と同時期に一連の作として作られたのではないか。
家康のものは大坂夏の陣に用いたとの説があり、これが正しいとすれば秀忠の方も夏の陣に用いた可能性がある。
しかし、実戦に使用すれば汚れるはずで、そのようなものを贈答品に用いたかは疑問もある。
0868人間七七四年
2011/11/01(火) 16:41:20.60ID:R8ebT6iE0870人間七七四年
2011/11/01(火) 18:17:30.81ID:zYJjO1p10871人間七七四年
2011/11/01(火) 20:36:05.54ID:JnbdnHSC言われてみれば確かに似てるな、
と思って調べてみたら海外サイトで詳しい情報を見つけた↓
http://www.heritage-images.com/Preview/PreviewPage.aspx?id=1197058&pricing=true&licenseType=RM
秀忠が贈った胴丸は1610年、Iwai Yozaemonの作だそうだ
0872人間七七四年
2011/11/02(水) 06:00:39.76ID:5IMCi9fo家康は壮年期には南蛮甲冑など、新しいもの用いたが、晩年は伝統的な毛引縅、大袖付きの胴丸具足に回帰したことがわかる。
0873人間七七四年
2011/11/02(水) 17:26:01.45ID:iqOMclv60874人間七七四年
2011/11/04(金) 11:29:34.53ID:BD+2F0HJ「はつぶり」の漢字表記は「半首」もしくは「半頭」。
「七人の侍」で菊千代が被っていた鎖シコロ付きの星兜は、
平安期の本歌を基にして甲冑師の明珍宗恭(今年の1月に死去)が製作したもの。
江戸期のものならまだしも、動きの激しい映画の撮影に本物の中世甲冑を使えるわけがない。
ただし、そのモデルについては特定しがたい。がんばって調べてくれ。
>>866-868
>>870-873
岩井与左衛門が製作を監修し(兜のシコロの裏に朱書き銘が入っている)、
徳川将軍から海外君主に贈呈されたとされる具足は、
現在イギリスに2領、フランスに4領、オーストリアに1領が伝わっているが、
いずれも日本国内にある日の丸紋柄威胴具足(徳川美術館)、紅糸威胴具足(水戸東照宮)と
ほぼ同様の作りこみである。共通点としては、
・鍬形台を打った阿古陀形筋兜に目の下頬
・大袖付きの毛引威本小札丸胴
・筒籠手に筒臑当、佩楯はばらつきがあるが板佩楯が多い
・金銀蒔絵を金具廻や小具足に施す
といったようなことが挙げられる。
興味深いのは、徳川家一門の所用するものには葵紋を入れた金物が打たれているのに対し、
贈呈された具足については葵紋が使われていないどころか別の紋が入っているのである。
これは既製品を再生して一領に仕立てていたと考えられるが、
いかなる意図があってこのような方針をとったのかは不詳である。
宮崎隆旨『奈良甲冑師の研究』にもっと詳しい調査報告が載っているので、
興味がある人はそちらを読んでほしい。
0875人間七七四年
2011/11/04(金) 20:44:22.64ID:50eGmW8Bそのかわり籠手や脛当てに菊、桐、巴、をはじめとして何種類もの紋が散らされている。
徳川美術館の熊毛植え黒糸縅具足や羊歯具足には家紋はなかったはず。
葵の紋が入っているのは上田博物館にある松平信一のものくらいのもの。
これはもともと家康のものであったが、紋柄縅で葵の紋を出している他、金物にも葵の紋が散らしてある。
その他、家紋が入っているのは尾山神社蔵の前田利家の鉄鋼胴くらいではないか。これは珍しく前田又左衛門と名前まで入っている。
赤穂大石神社森長可の伊予札胴乃金物に入るはの桐紋で、鶴丸ではない。
家紋を甲冑に入れる習慣があまりなかったのではないか。
0876人間七七四年
2011/11/05(土) 00:37:34.19ID:C2XLGN4K徳川家用の甲冑には必ず葵紋が入っているとまで言い切るつもりはないが、
あれだけ海外に贈られた具足には一つも入っていないというのも不思議な感じがする。
>>熊毛植え黒糸縅具足や羊歯具足には家紋はなかったはず
熊毛植の方は調べていないのでわからないが、羊歯具足の方には、シコロの鉢付鋲などに葵紋が入れられている。
また、
>>尾山神社蔵の前田利家の鉄鋼胴
は、胴の形状や弾痕からして、江戸初期に流行した試し胴であり、古く見ても利常の代が上限に見える。
「前田又左衛門」の銘切りは後世による伝来の付加の一環で行われたのではないか。
>>森長可の伊予札胴の金物に入るのは桐紋
桐紋が当時権威性の高いものだったという前提で考えると、長可の伊予札胴は目上の者から下されたものという可能性が高い。
そうであれば、自分の紋に変えたりすることなくそのまま使用するのが普通だろう。
この場合、長可にこの胴をあげたのは信長か秀吉ということになるが、作域に新しい特徴が見られるので、
実際は忠政所用だったかもしれない。
>>家紋を甲冑に入れる習慣があまりなかったのではないか
家紋ではなく紋様として好まれたデザインは多々あり、多くの現存甲冑にも取り入れられているが、
どう見ても一般的ではなく、家紋としか考えられない紋を付けた最古の例は、
鎌倉時代の遺品にもある(鶴嶺神社の赤糸威大鎧は十字紋の裾金物を打つ)。
それ以来連綿と続き、多少特別な意味合いを帯びることはあってもとりわけ特異な行為ではなかったと思える。
もちろん、オーダーでないレディメイドの量産品(近世の一部の御貸具足を除く)には、
最初は特定の家紋が付くことはなかったろう。
0877人間七七四年
2011/11/08(火) 10:00:57.14ID:apqPjTEG笹間良彦氏がこの金陀美具足について「家康公初陣の具足」という伝来を支持しているのには驚いてしまった
大高城兵糧入れの時点で仏二枚胴具足があったらオーパーツになるんじゃないか?
革包の仏胴なら当時からすでにあったのかもしれないけど
0878人間七七四年
2011/11/08(火) 10:05:11.38ID:apqPjTEGおっと、>>877のリンク見れないな。こっちを見てね
0879人間七七四年
2011/11/08(火) 13:18:00.34ID:xcmwFD7E1550年代終わりの製作と考えるのは、確かにしっくりこないが、それとてこれといった根拠があってのことではない。
現在の久能山東照宮に来る前は、江戸城紅葉山文庫に羊歯具足などともに保管されていたこと、葵の紋をつけた豪華な蒔絵の具足櫃に入れられていること、あえて修理の手をいれていないこと、などから判断して、徳川家にとって特別な意味をもった具足であったことは事実。
0880人間七七四年
2011/11/08(火) 23:13:18.81ID:zrUF6GdE金陀美具足は、人によっては製作された年代を江戸前期(家康死後)に推定することもあるが、
個人的には上限を桃山期(関が原合戦の前後)に引き上げてもいいんじゃないかと思う。
桶狭間の合戦時に、形式が何であれ金をふんだんに使った甲冑を用意できるほどの
経済的余裕や地位が松平家にあったとは考えにくいし、『信長公記』中の元康の格好を、
金色の具足が朝日に照らされて赤く見えたのだろうと解釈するのには苦しさを覚える。
そうではなく最初から朱色を添えた鎧を使用していたのではないか。
静岡浅間神社には今川義元が調製させた家康着初めの鎧と伝わる小ぶりの腹巻が伝わるが、
これを用いていたのも否定できないだろう。一般的な腹巻に比べると、
少年用とあってサイズはやや小さめだが、幅の狭い本小札(奈良小札)を紅糸で毛引きに威し、
草摺を9間に割り、背中の引き合わせには背板を設けるといった入念な室町末期の作域で、
奈良の甲冑師による作品と見られる(かつては同作の袖・兜も付いていただろうが、いまは胴のみ)。
よって、この腹巻は、本来は今川氏真の元服鎧として作られたものを、
お下がりとして元康が頂いたとする説もある。
お古とはいえ今川家嫡男の品を義元が元康に与えたことは、
彼が松平家をどのように見ていたのかを考える上でもヒントになろう。
元康も元康で、義元が戦死するまでは今川家を離れようと思わなかったはずで、
戦陣に際しては厚遇の証として主から下された鎧を着て手柄を立てることを
考えていたとするのが人情としては自然だろう。
気がかりなのは元服から桶狭間まで成長期にあっただろう元康の体形だが、
そこは当時の栄養事情から、背丈はあまり変化しなかったとすれば間に合ったかもしれない。
ttp://www.youtube.com/watch?v=SR2U6nmP2as
↑紅糸威小腹巻(0:55前後から写真が登場。字幕では増善寺所蔵とあるが誤り)
うがった見方をすれば、青年期の元康の行動を隠蔽するために、
金陀美具足(家康存命中に作られたか、死後に幕府が製作させたかは不明だが)に、
改めて大高城兵糧入れの伝来を付加し、この腹巻を世間の耳目から遠ざけようとしたと考えられる。
世情の安定化と幕府による統治の正当化の一環として家康神君化が進められたわけだが、
反乱や下克上を否定する幕府にとっては、家康も若い頃に主家である今川に対して離反・敵対し、
駆逐している事実が非常に不都合な材料だったのである。
であるから、戦国の臭いを放ち、今川家の影をまとう腹巻を封じ、
見栄えのよい金陀美具足を掲げたと思うのだが・・・。
0881人間七七四年
2011/11/09(水) 00:03:56.50ID:mf3WtZO+俺も金陀美具足は作風からして桃山時代が一番しっくりくるのではないかと思う
そういや、家康少年時代の召領として後世に創作された金小札の童具足なんてのもあるよね
0882人間七七四年
2011/11/10(木) 00:27:08.66ID:kbSqamA4肩先に付いてる程度と思ったら、肩全体を覆うくらいだった。
大袖が省略された代わりに大きくしてるんだろう。
前立以外はほんとにシンプルで実用的だなー。元和偃武以降の甲冑と好対照だ。
0883人間七七四年
2011/11/10(木) 01:14:24.16ID:lgxyTSMN大仰な立物は戦闘時の邪魔になるように見えるが、
あの時期の武将の軍装は目だって何ぼの感覚が当たり前だったので、
あの弦月の前立だけだとむしろ控えめな印象を覚える。
陣羽織や指物などと合わせて効果的に演出していたのだろう。
実戦期の兜の立物は消耗品のコンセプトで製作されており、
素材には軽い木材や薄い金属が主に使用されているため、
武器や物が引っかかった時に壊れたり抜けたりしやすい作りになっている。
また、元和偃武をもって世の中の気分が穏やかになったわけではない。
実際は幕府の武断政治によって大名の改易が多発して大量の浪人が発生、
殺気立った雰囲気は家綱・綱吉の頃までなかなか落ち着かなかった。
大阪の陣より間は空くが島原の乱が起こっているし。
甲冑もこの時期までは緊迫した時勢を反映して実用を強く意識していた。
装飾が増えるようになるのは太平気分が広がった17世紀後期から。
0885人間七七四年
2011/11/10(木) 10:20:19.52ID:NGGLqTQ7因島水軍城所蔵の白紫緋糸段威腹巻って、もともとは小早川隆景の着領だったんだな
「一個人」12月号にそう書いてあってびっくりした(監修・文は笹間良彦氏の弟子、棟方武城)
村上吉亮の元服時に贈ったものと聞いていたからてっきり贈答用に新しく作らせた腹巻かと思ってた
0886人間七七四年
2011/11/10(木) 13:12:16.20ID:9J4vksb/体に密着していれば、重量が肩だけにかからず分散されるから、使い心地が胴丸などよりも良かったのではないだろうか。
背中部分に合わせ目があることは防御の面では不安があるが、それが腹巻の愛用された理由だと思う。
0887人間七七四年
2011/11/11(金) 20:46:32.90ID:UkVilvACそのまま当世具足などの後世の鎧に使われた例とかあるのでしょうか?
0888人間七七四年
2011/11/11(金) 22:01:02.50ID:9CqoG5+O古物を形を変えずに使うことはあったかもしれないが
(寺社に奉納されていた古い甲冑を後世の人間が引っ張り出して戦に赴いた話も伝え聞くから)、
現存品では時勢に合うように改造を施されたものが結果的には目立っている。
一例として、福島県の都々古別神社には、当世眉庇や脇立用の角元を付け直された鎌倉期の星兜鉢が残っている。
また、実用を離れた江戸中期の復古調甲冑にも、古い鉢や札を流用して大鎧や胴丸を仕立てた作品が散見される。
当たり前だが年代の上がるほど、甲冑は部品が離れたり破損したりしやすいので、
特に中世甲冑が完品で伝わるケースは稀である。
江戸期の当世具足の中に室町末期の兜鉢が使われていたりするとそれだけでも大変価値のあるものといえる。
0889人間七七四年
2011/11/14(月) 20:03:09.62ID:B3i4s+oeやっぱりレプリカはレプリカだなあ
三斎着用甲冑は京都国立博物館で見た本物が草摺下二段に緋色ビロウドなのに
レプリカは草摺下一段だけ、後何故か袖にも貼ってある意味不明仕様
乗馬時に鞍との当たりを柔らかくするためって説明が本物にはあったが
レプリカには説明も当然なくただの色分けにしかなってねえ
出来が悪いとまで言うつもりはないが、本物の後に見ると感動がないな
0890人間七七四年
2011/11/14(月) 20:59:00.91ID:chseaMsY拙者は大甲冑展の武者行列のほうに参加してたでござる
行列といっても、みやこめっせから平安神宮までの数百メートルの間だけど。
平安神宮には七五三の子供たちがいっぱいで、我々と一緒に写真撮影していった。
0891人間七七四年
2011/11/15(火) 15:23:32.23ID:4s2yEod3>笹間良彦氏がこの金陀美具足について「家康公初陣の具足」という伝来を支持しているのには驚いてしまった
例えば直江兼続の「愛」の甲冑にも(胴についての)異議は述べてないわけだが・・・
だからといって気づかなかったわけじゃあない。
所蔵者の神社や旧大名家ではそういう建前なんだから、あえて言わないだけってのも多いよ。
それを言っちゃうと出入り禁止ってとこも実際にある。
所有先が公的な博物館に移ったりすると、そこらへんも問題なく発言できるようになるけどね。
0892人間七七四年
2011/11/15(火) 23:39:40.46ID:dQ7iwkUrいや、それがどの本だったか、異議を唱えていないだけならまだしも
「人質時代にこんな高価な具足を新調した家臣の苦労が偲ばれる」みたいに書いてたので
本心から伝来を信じているように思えた
そりゃまあ、あの時代には絶対に仏二枚胴などなかったと断定するつもりはないけど
0894人間七七四年
2011/11/18(金) 13:20:18.23ID:8EvC3yus0895人間七七四年
2011/11/20(日) 22:38:16.48ID:o2Canb1U12月11日まで靖国神社遊就館で館蔵の刀剣や甲冑が特別展で公開されてるよ。
非常に面白いし、展示品の質もよいので東京近郊に住んでる人は見に行くといい。
それとも、ここに書き込んでる人はもう知ってるか。
0896人間七七四年
2011/11/25(金) 13:29:22.52ID:1WUSyaqZ0897人間七七四年
2011/11/25(金) 20:26:33.36ID:9qoOW++I0898人間七七四年
2011/11/25(金) 20:59:06.65ID:qiEUe5HKそれ何て本に書いてあったの?事実誤認もはなはだしいね。
確かに室町末期ごろから地方での生産が目立ち始め、
とりわけ関東地方では五枚胴が登場するなどの特色が現れるけど、
それでも近世に入るまで日本の甲冑生産第一位は奈良で、次に京都・大坂が来る。
徳川幕府が開かれると新たに江戸が加わるんだけどね。
学術専門書だけど、宮崎隆旨『奈良甲冑師の研究』に詳しい研究報告が載ってるよ。
0899人間七七四年
2011/11/26(土) 04:13:17.11ID:uGTmdInH洛中洛外図なんかにも鎧師の絵があるよね
0900聖徳太子
2011/11/29(火) 12:02:19.03ID:opS95nw70901人間七七四年
2011/11/29(火) 14:44:25.23ID:x7Zg+wg7http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%A2%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%84&oe=utf-8&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&biw=904&bih=711&sei=MXHUTtr-JZDDmQXP-ZiDAQ
0902人間七七四年
2011/11/30(水) 23:58:28.33ID:3Vy2W7CYttp://www.youtube.com/watch?v=qXRlFprj9Go
忍緒を蝶結びで締めると安定性が悪いし、余った端の先がぶらぶらしてダサいし、
物に引っかかったり敵につかまれたりしてろくなことがないのできっちり締めましょう。
ちなみに解説してる人は現役甲冑師の三浦公法氏。日甲研の常務理事で、数多くの作品を修復・製作してきた方。
お兄さんの三浦権利氏も西洋甲冑師として有名である。
0903人間七七四年
2011/12/01(木) 00:50:54.95ID:qfD31S6s本じゃなくてとある掲示板の書き込みです。どう考えてもおかしいと思ったんですがやっぱりデタラメだったみたいですね。ありがとうございました。
0905人間七七四年
2011/12/03(土) 20:21:49.33ID:eG0+9E7Ohttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1314345476/624-633n
[632:世界@名無史さん≪sage≫ (2011/12/03(土) 17:59:38.34 0) AA]
>>630
モンゴルと満州とトルコとチベットが抜けてる
1.中国
2.日本
3.モンゴル
4.トルコ
5.満州
6.チベット
7.朝鮮
0907人間七七四年
2011/12/07(水) 11:36:38.89ID:jWxabXk10908人間七七四年
2011/12/09(金) 19:11:18.19ID:Lq7veLW80909人間七七四年
2011/12/10(土) 02:05:41.12ID:xYw26WVeしかし、この染料の成分に絹糸を犯す成分が含まれており、糸が傷みやすいという欠点があった。家康が家臣たちに使用は好ましくないとお触れを出したが、流行は止まらなかった。
近代以後に修理される場合は、この八幡黒の縅は紺糸縅や茶縅に置き換えられていることが多い。化学染料を使えば絹糸を安全に黒く染めることも可能だが、当時とは異なった素材を使うことを避けるためにこうなる。
家康自身の物も大半が八幡黒。井伊や本多の物も、現在は紺や茶縅だが、オリジナルは八幡黒。家康の大高城兵糧入れの金陀美具足は、修理を禁止されていたのでボロボロの黒糸縅のまま。
この八幡黒は、京都の男山八幡近くで行われていた染なので、地方にはあまり用いられなかったと思われる。
0910人間七七四年
2011/12/10(土) 11:00:21.96ID:U5XJc8Mf刀も武用の柄巻きには黒は使うなという言い伝えがあるけど、
これも繊維が傷むのを嫌ったのが理由だと思う。
想像だけど、忍者が黒い服を着ないというのもまた同じ理由からなんじゃないかな。
0911人間七七四年
2011/12/10(土) 21:50:51.76ID:e6e7O1UWhttp://samurai-collection.jp/
0912人間七七四年
2011/12/15(木) 10:17:43.90ID:hEMX5XDc「八幡黒」の読みは「やわたぐろ」が正しいはずだが。
八幡黒の染料は五倍子(ふし)というヌルデの木にできる虫こぶ。
黒色の主成分は五倍子に含まれるタンニンで、
鉄気を多く含ませた水を媒染剤にして色を固定させることから劣化の具合が早いとされる。
『雑兵物語』にも「鎧の威糸に黒糸はよくない」と書いた一節があったような。
実は、五倍子と鉄水はお歯黒によく使われていた組み合わせであり、
お歯黒をヒントにして八幡黒が生まれたのかもしれない。
また、材料は違うが京都・吉岡憲法染のヤマモモと鉄媒染による黒染めや、
シャリンバイの材と泥土で色を付ける大島紬も、
タンニンを鉄で生地に固着させるという点では八幡黒と仕組みが同じである。
0913人間七七四年
2011/12/16(金) 11:12:10.94ID:WZ5y2AkMしっかしいつ見てもひどいクオリティの商品だな。
そのくせ偉そうな価格ばかり並んでいるんだから笑ってしまうよ。
中国製なら丸武よりも安く抑えてアピールすりゃいいと思うんだがなあ。
ギャラリーに甲冑購入者の家の写真が出てるが、成金趣味がにじみ出ている。
金はあるが物を知らない連中をターゲットにしてるということでいいんだな。
みんなはここから絶対に買うなよ!
0914人間七七四年
2011/12/20(火) 10:30:50.38ID:JcmldS7j確かに安土桃山時代の遺品では見た記憶ないな
このイラストみたいに島津義弘が丸に十文字の前立を付けているのは時代的におかしいことなんだろうか
http://blog-imgs-30.fc2.com/r/o/u/route123/rekishikaidou.jpg
0916人間七七四年
2011/12/20(火) 12:28:49.75ID:JcmldS7j江戸中期の新作と言っても差し支えない程らしい
木瓜の前立も後補だと思うよ
0917人間七七四年
2011/12/20(火) 12:44:28.58ID:yFbvbJOJ0918人間七七四年
2011/12/20(火) 13:51:53.81ID:R0dof5wQもちろん建勲神社の物とは別物で、室町後期の由緒正しい紺糸縅の胴丸。どこのものかは説明がなかったが、説明がないということは京都博物館の所有だったのかもしれない。
鍬形の間に入る形の前立で、建勲神社のものと同じ方式。前立だけが後世の作と言うことはあり得ると思うけれど。
0919人間七七四年
2011/12/20(火) 21:47:02.71ID:DfnyYRDq室町末期まで、鍬形の中央に付ける立物は、遺品・肖像・合戦絵巻などから推測するに、
利剣を立てて三鍬形とするか、鏡や笠印などを挿すのが一般的だったとされる。
家紋をあしらったもので、当時に作られたと言えるものは現在も発見されていない。
消耗品ゆえに消え去ってしまったとも考えられるが、文献や絵画にもそれらしき記録が見当たらないため、
そもそも作られていなかったのではないかという説が有力。
ただ、断っておくと、胴や袖、シコロに打つ八双鋲などに家紋としか考えられない図案を用いた例は結構ある。
また、徳川家の輪貫、仙台藩の八日月、加賀藩の猪目、高槻藩の二等辺三角形などの合印は家中のシンボルとはなりえても、家紋ではない。
>>918
伝・織田信長所用の紺糸威胴丸具足は、所蔵者はあくまでも建勲神社で、京博に寄託しているのが実情。
あれは江戸期の復古調甲冑だが、研究の進んだ後期に作られたと見られ、作域の水準は高いほうである。
ただし他にも同じくらいのできばえの復古調鎧はいくらでもあり、この具足が室町時代のものとして重文指定されてしまったことは、
いくら昔(1954年)のこととはいえ、文化庁のミスであるといわざるを得ない。
笹間良彦氏は小札の不揃いな箇所があると指摘し、古物を仕立て直したものとしている。
ここでもう一つ、あまり指摘されていないことだが、兜のシコロが江戸期の方法で作られていることが、時代の新しい証拠である。
中世末まで、本小札のシコロは、両端をひねり返して吹き返しを形成するのが定法だった。
甲冑の当世具足化が進んだ桃山・江戸初期には吹き返しが更に形骸化して小さくなり、省略されることになるのは周知の通りだが、
江戸中期以降に甲冑が太平の気分を受けて加飾化が進むと、再び吹き返しが飾りのパーツとして大型化する。
この江戸期の吹き返しは、原則としてシコロとは別に製作してから兜に取り付けるため、
ここで中世の本歌か復古調かを見分ける一つのポイントになることがある。残念ながら信長の紺糸威の兜は該当してしまうため、江戸期の作である。
0920人間七七四年
2011/12/20(火) 23:16:14.97ID:JcmldS7jいつもながら詳しい解説ありがとう!すっきりしたわ
しかし信長の胴丸って江戸時代の完全新作だったのか
0921人間七七四年
2011/12/29(木) 17:37:53.54ID:iU4f3JQZ一軒小屋のような神社でも鎧って奉納されてるんだな
何か丸武とかで作られたっぽい古風の胴丸だったけど
0922人間七七四年
2012/01/08(日) 16:02:36.65ID:uEA8dVpFあけおめ 今年こそ良い年になりますように!
0923人間七七四年
2012/01/18(水) 22:50:23.23ID:ZtKnQeWx三重県ローカルのケーブルテレビ局が作った歴史番組で、日本の甲冑特集の回。
最初はまあまあ見ることができたが、
5:10あたりで「小札」の読みを「こふだ」と言ったところから怪しくなっていく。
8:06の「吹返し」の説明も違う。兜の種類じゃなくてパーツの名前なのに。
8:14の「笠シコロ」になると出てくるのは日根野シコロ。しかもまた兜そのものとして解説しているし。
8:33からは伝・森田浄雲の具足が出てくるが、どう見ても室町末期までには持っていけない。
総革製で、札の威しも見た感じ粗雑なので、下手すりゃ幕末物かもしれん。
11:00から信長が南蛮甲冑を着たなんてのも確固たる証拠がない話。
12:30で紹介する復古調甲冑は更にいい加減な現代作という・・・。
結論としては、見たい人は見ればいい、ただし勉強のためにはあまりならない番組だった。
0924人間七七四年
2012/01/19(木) 14:59:47.69ID:k3HnnNDr「胴丸鎧」のキャプションとともに出てくるものも全然胴丸鎧じゃないし・・・
ひょっとして胴丸鎧と胴丸を混同してるのか?
う〜ん、お粗末と言わざるを得ない出来だな・・・
専門家に監修してもらえばよかったのに
でも威糸を穴に通す作業を動画でちょっとだけ見れたのはよかった
0925人間七七四年
2012/01/25(水) 10:38:17.90ID:mbox5SCO長篠の戦で真田信綱が討ち死にしたときに着用していたという具足が信綱寺に保存されてるそうだ
桶側胴を黒漆で塗り込めた仏二枚胴なんだが、当時としてはかなり新しい様式なんじゃないか?
この頃の主流は従来からの胴丸・腹巻か、せいぜい伊予札の丸胴や最上胴丸くらいだろうし
0926人間七七四年
2012/01/25(水) 15:56:39.74ID:cwGOV7jb付近の山に逃れた武田方の兵が、飢え死にしたとかいう話もあるように、戦いののちは織田、徳川軍がその付近を支配したから、武田の関係者が行動することが出来たとは思えない。
長久手の戦いでは、数的に劣勢であったために、勝った徳川方もすぐに兵を引いたから、戦場で森長可の首のない遺体を回収する余裕があり、討ち死に時に着用していたという甲冑が残るが。
0927人間七七四年
2012/02/09(木) 22:32:26.10ID:AhF6hODa時代考証や合戦のリアリティにこだわった映画だということで観てみた
確かに中盤の攻城シーンだけは見ごたえあったけど、
天正2年(1574年)という時代設定を考えると、劇中に登場する具足がどうも・・・
文禄・慶長期に発生したはずの日根野頭形兜を草なぎが被ってるし、
出てくる具足の胴も板物の二枚胴ばかり、足軽は完全に畳具足で統一。
これが中央の織田配下の軍装というならまだしも、小大名同士の田舎合戦の話だし・・・
出来ればそのへんも専門家を招いてしっかり再現してほしかったところ
まあNHKの大河ドラマでさえ、甲冑衣装は同じものをいろいろな時代に使いまわしてるんだから
贅沢な要求なのはわかってるけど・・・新調は金かかるんだろうなあ
0928人間七七四年
2012/02/10(金) 14:30:00.50ID:LrdtfC7n舞台設定は原作のクレしんにならっておそらく武蔵国のあたり、
ていうか今の春日部市周辺だろうから、甲冑の考証にこだわるなら
関東風を強く出した格好にすべきだろうね。
大名・城主レベルなら旧来の阿古陀兜と本小札の胴丸・腹巻に加えて、
新式の六十二間の筋・小星兜や最上胴・五枚胴を当てればいいんだろうけど、
足軽あたりにばらばらな武装をさせるのがかえって困難そう。
0929人間七七四年
2012/02/19(日) 15:44:44.21ID:tvkq+E1g↑は岩国歴史美術館所蔵の色々威胴丸。伝来によれば安芸武田氏の最末期当主である光和の所用という。
光和の後1、2代で安芸の武田氏は滅び、光和の遺児・小三郎が毛利氏の下で周防武田氏を興すことになる。
幅の狭い奈良小札、10間の草摺、色々威、広袖という点が室町末期の甲冑であることを物語るが、
面白いことに、胸板に最上胴(胴丸か腹巻かは不明だが)の板札を再利用している。
写真が小さいのでわかりにくいが、うっすらと胸板に素懸威用の穴が見える。
もちろん当時は表面を絵革で包んでいたので使用する分には普通の胸板と変わりなかっただろう。
こうした部品の再利用は制作費の節約と考えるのが自然だが、総体に手の込んだ作域なのでどこまで効果があったのかは疑問。
0930人間七七四年
2012/04/05(木) 02:16:14.04ID:59VVc1da各形式どころか小具足の記事すら建っている
しかも貴重な写真も豊富だからありがたい
0932人間七七四年
2012/04/06(金) 19:31:21.38ID:0tS4J5Sf0933人間七七四年
2012/04/06(金) 19:41:54.96ID:Sp3A8l3r無断でやってもめてもめんどくさいし
0934人間七七四年
2012/04/06(金) 21:33:58.54ID:JHQBd8Yl遠くて行けないのが残念。
(竹虎雀)ttp://www.nikkei.com/life/culture/article/g=96958A9C93819A91E2E7E2E1918DE3E1E2E1E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E3E0E0E2E3E2EBE3E7E5
(梅鶯)ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/art12033019560002-n1.htm
梅鶯の胴に弦走革が付いていないのは、明治初期に展示していたところを心無い参拝客が切り取って盗んだため。
ちなみに、この2領を修理した小沢正実氏は牧田三郎氏(故人・人間国宝)の弟子。牧田氏も生前は東博で文化財指定された甲冑を修理していた。
0935人間七七四年
2012/04/06(金) 23:39:06.09ID:xAjnNvVv0936人間七七四年
2012/04/19(木) 22:49:18.32ID:8VLlZzLb>>674
「斎藤実盛所用の兜、大袖、臑当」?・・・どう見ても室町じゃないか〜wwwむざんやな〜wwwwww
>>686
「楠正成の兜」?・・・こんな復古調兜に大楠公の名前を被せるとは却って失礼千万である!
>>687
「新田義貞の兜」?・・・モノはすごく上等だが室町末〜桃山から上には持っていけないね。後北条が作らせた小田原鉢だよ。
>>688
「平敦盛の鎧」?・・・金箔押しの最上胴と阿古陀兜が哀愁より笑いを誘う。
>>690
「北郷忠相の南蛮胴具足」?・・・臑当だけが古い。だけど他のパーツが室町とか無いから。
>>694
「源義経の色々威腹巻」?
「佐藤忠信の兜」?
「弁慶の籠手に静御前の鎧」?
>>695
「湛増の鉄烏帽子」?・・・源平オールスターズ、もうやめてくれよ。
>>699
「大祝家の鶴姫の胴丸」?・・・本当、戦う女の子って人気あるよねぇ。
0937人間七七四年
2012/05/31(木) 23:29:19.19ID:g3GwZj+Q0938兜丸
2012/06/06(水) 21:17:14.04ID:HbUEK99lこの兜は鉢(腰巻という、しころの付けてある部分の上の部分の所)が回転する兜で、攻撃を受けると受けた方向に回転して受け流せる。
あまり普及しなかったらしい。
それから当世具足で胴の中央に鎬(しのぎ)が立ててあるのは日本の甲冑でされていたことではなく南蛮胴から取り入れたこと。
そしてその南蛮胴を利用したのが南蛮胴具足。
鎬は鉄砲の弾を左右に弾くために立てられたもの。
0939人間七七四年
2012/06/07(木) 14:37:50.78ID:rzVUkHcUなんでそこで半島が出てくるんだ?
というか、鎧の捏造とか言ったって朝鮮には鎧自体残ってないだろ
0940人間七七四年
2012/06/15(金) 06:37:23.06ID:wA8Ebykj↑メトロポリタン美術館所蔵の李氏朝鮮の鎧みたい。
1935年寄贈みたいな事が書いてあるから、これは信じてもよいんではないか?
ttp://www.metmuseum.org/Collections/search-the-collections/40014198
↑明治時代に流出した有名な足利尊氏所用伝来のある大鎧
ttp://www.metmuseum.org/search-results?ft=Kabuto&rpp=100&pg=1
↑同館所蔵の日本兜達。
殆どが戦前に米国人に買われてあっちに寄贈されたもののようだから
疑り深い人達?も信じられるのではないか。
ttp://web.archive.org/web/20070702172556/http://www.picure.l.u-tokyo.ac.jp/arc/stibbert/content_j/tn01.html
↑明治時代にイギリス人によって収集された、
イタリアにあるスティッベルト博物館所蔵の日本鎧兜郡。
これはもう消えているサイトをインターネットアーカイブで掘り起こしたものだから、
いつまで残っているかは知らない。
よって画像が欲しい人は、さっさと保存しておくことをオススメする。
0941人間七七四年
2012/06/25(月) 11:34:07.60ID:lEHtlTFb李朝全般のイメージとして使用されてることだろね。
原資料自体が少ないって言うのとはまた別なんだ。
0942人間七七四年
2012/06/25(月) 13:17:37.88ID:QI2mkIiL城の比較と同様無理有りすぎ
そもそも戦闘様式からして違うし
0943人間七七四年
2012/06/26(火) 07:07:23.36ID:88U++JJG0944人間七七四年
2012/07/03(火) 23:51:11.29ID:5Y/CwkuCただ、氏の絵では桃山時代になっても杉形じころの兜が出てきたりするし
毛引威の具足を着ている武者も多すぎる気がするんだよね
まあ当時の統計資料が残っているわけでもないし、このへんは解釈の違いなんだろうけど
0945人間七七四年
2012/07/05(木) 11:32:05.57ID:wH4CqKkr0946人間七七四年
2012/07/06(金) 18:47:57.61ID:2Xkh1uwyあの絵は好きなんだけど、資料としてはぼけまくりの輪郭で台無しだよねw
もっとシャープな線で描ける人がいたら
0947人間七七四年
2012/07/06(金) 21:55:52.01ID:wzJAUqi5なおかつ「正確に」描写できているかどうか、というレベルで見てみると殆どがアウトである。
絵やイラストで食っているのに怪しいレベルの人間もいる。
もっとも日本甲冑自体が、よく観察・勉強しないと適切に描けない構造になっている上に、
戦のなくなった近世以降、絵画における武装表現は中世の頃よりも低下していったから仕方ない部分もある。
近代の歴史画家で甲冑をはじめ有職故実に特に通じていたのは小堀鞆音、安田靫彦、前田青邨、松岡映丘など。
中でも鞆音は自分で大鎧を製作したり、青邨は甲冑武具のコレクションを収集したりして(今は歴博が所蔵)
自分の作品に反映させている。
0948人間七七四年
2012/07/19(木) 23:54:53.67ID:YfXN5oN/Google検索で正しい表記を差し置いてトップに出てくる間違いをピックアップしてみた。
間違いではなく当て字であると開き直れなくもないが、やっぱり使うと恥ずかしいから注意してほしい。
・「桶川胴」…「桶側胴」が正式。板を矧ぎ合わせて作った胴の表面が桶のように見えることから「桶側」の名が付いた。
始末が悪いことに、MARU武や光ZAN堂が自社製品の紹介にこの「桶川」を平気で使っているもんだから
(チェック係がいないのかね?それとも新物のメーカーはそんなことも知らない連中の集まりなのかね?)、
「埼玉の桶川辺りで発明されたから桶川胴という」なんて言いだす輩も出かねないほどの勢いでこの誤記が広まっている。
・「頭成兜」…検索して調べた限りでは、どうやらFF11に登場するアイテムのせいらしい。
あとは「なりかぶと」の音を聞いただけで「成兜と書くんだろう」と判断した人間が多数いるからなのかもしれない。
「なり」の漢字表記は「形」で、物の形や格好を意味する言葉。
頭形だったら「頭の形をした」、桃形だったら「桃の形をした」ということ。
皆は気を付けてくれよな!
0949人間七七四年
2012/07/23(月) 22:58:34.05ID:ClaJ1KmE桶川胴は実際に出てきてびっくりしたことあるわ
あと関係ないけど、五枚胴に変換しようとしたらゴマ移動になるよなw
0950人間七七四年
2012/07/24(火) 16:45:42.28ID:Chx9nd010951人間七七四年
2012/07/30(月) 04:53:14.14ID:ueWH6btF0952人間七七四年
2012/07/31(火) 00:24:03.90ID:SKwtAoLo歴史群像とかでも当世具足ばっかだからな・・・当世具足も好きなんだけどね
0953人間七七四年
2012/07/31(火) 14:20:45.46ID:H8lI0ZRe多くの若者はゲーム・漫画の影響で戦国武将ファンから甲冑に興味を広げていくことが多く、
奇抜さに惹かれることから当世具足に注目が集まりやすい。
中世甲冑の写真を見たければ、小学館の『原色日本の美術 甲冑と刀剣』がバランスよく載っててお勧め。
他、古本になるけど至文堂『日本の美術 No.24 甲冑』も解説が充実している。
あとは博物館や寺社の所蔵品図録に目を通すのもいい。
0954人間七七四年
2012/07/31(火) 23:55:09.78ID:9mzQtP6M0955人間七七四年
2012/08/01(水) 15:54:59.94ID:B4V/kXD7日本最古の大鎧(これは小札が一領ぶん残るだけで甲冑の形をしていない)から江戸時代、松平定靜奉納の復興大鎧まである。
現地まで行かないと入手できないのが難。
0956人間七七四年
2012/08/01(水) 16:18:22.18ID:EG4bEQnc本物を見に行くならともかく、図録だけを求めにわざわざ現地に赴く必要はない。
日本の古本屋やスーパー源氏で探せば済む話。
0957人間七七四年
2012/08/01(水) 20:33:59.60ID:P8VNyeAA42年版には甲冑の写真は少ないのでご注意。現在、現地でどんなものが売られているのかは、最近行っていないので知らない。
0958人間七七四年
2012/08/01(水) 23:52:32.22ID:XRYiPYdK紹介ありがとう。両方とも近くの図書館にあったけど、
大型本なのでなかなか借りてじっくり読む気にはならなかったんだよな・・・今度借りてみよう。
個人的には同じく図書館にあった岡山県立博物館のパンフレット(?)の「武士の美と心」が良かった
伝・足利尊氏奉納の腹巻とか、室町後期の前立挙二段、胸板・脇板に絵革を貼った古風な素懸威最上腹巻とか
数は少ないけど見ごたえのある写真が載ってた
>>957さんもありがとう!
大山祇神社にはいつか必ず行くつもりだから、お土産に60年版かそれ以降のものを買うよ
0959人間七七四年
2012/08/02(木) 16:02:29.52ID:TI/bti6G原文が乗っていないので、その社伝がいつどのような形で生まれたものかは判断できない。江戸時代以後に推測で書かれた可能性も否定できない。
真偽の程は不明だが、そのような伝承があると言う事実は記録して置く必要がある。
腰の部分が絞られるのは室町中期以後によく見られるが、それでもこの胴丸の腰部の細さは異常。
0960699
2012/08/02(木) 22:57:37.42ID:6AuZlXt7大山祇神社宮司の家系の人間である三島安精が昭和41年に『海と女と鎧』という小説を書いたことで広まった。
そもそもが室町末期から二百年以上離れた時代に作成された記録(というか物語)なので相応に割り引かねばならない。
その上、『家記』の一節に「鶴姫の比類無き働き、鎧とともに今に伝はるなり」とあるそうだが、
三島は神社の資料や宝物を調べているうちに件の胴丸を「これは女物に違いない」と思い(込んで)、
上記の文に結び付けて本を書いたという顛末である。
おまけに笹間良彦が描いた、胴丸を着用した鶴姫の絵が宝物館の展示場で現物の脇に飾られているものだから、
見物客にますます「紺糸裾素懸威胴丸=女鎧」が刷り込まれていく。
「草摺が11間」とか、「脇部の構造が特殊」とか、「腰の窄まりがきつい」からという指摘が挙がり、
そのどれもが「だから女性らしい」という現代人的な感性を伴い、女性用鎧を肯定してきたわけだが、
いずれもが徒立打物戦の激化に対応するためということで説明ができる以上は、
女性用であるとすることに説得力が感じられない。
また、胴回りの細さについては目測だけでなく、同時代の他の遺品と数値データによる比較で、
普通か特殊かを考えることはできるだろうが、それで着用者の性別まで断定することは性急かつ危険ではないか。
0961699
2012/08/02(木) 23:16:34.79ID:6AuZlXt7これはまったくの想像だが、『大祝家記』を書いた人間が現在鶴姫の鎧といわれている胴丸を見て、
「これは腰細だから女性用だ」と思って記録を作ったのだとすると面白く感じる。
戦の絶えた近世、甲冑のシルエットは丸みを帯びた太鼓腹になり、
戦国期の逆三角形の胴は忘却の彼方にあったからだ。
平和ボケの甲冑しか知らない江戸期の人間が、
実用具であった昔の甲冑を解釈したらこうなったという具体例になる可能性はあるだろうか。
0962人間七七四年
2012/08/02(木) 23:23:49.97ID:HPi/Y3e1西洋甲冑の影響だと主張する人もいるけどどうなんだろうな
0963人間七七四年
2012/08/03(金) 06:25:52.52ID:F8nFV8r7ウエストを絞るのは、胸を強調するためであるが、日本で胸が大きいのがよいとされるようになったのは戦後、アメリカの風俗の影響。
したがってウエストが細い=女性用との発想は日本古来のものではない。
0964人間七七四年
2012/08/03(金) 10:12:29.96ID:LxHDKBn20965人間七七四年
2012/08/06(月) 01:32:02.91ID:+JvFagTlttp://ameblo.jp/nhrdsk/entry-11305595161.html
善徳寺 具足 でグーグル画像検索をすると
もう少し大きくて詳細なものがみられる。
この最近盗難にあったとかいう具足は加賀製?
可也良さそうな物にみえるな…
っていうか、この胴の丸みやスタイル、三具や全体的な構成、感じが
例の家康の鎧と似ている印象をうけるのだけど、アレも案外加賀製だったりして。
0966人間七七四年
2012/08/06(月) 11:16:40.70ID:1QGJxPX7加賀具足といえば、今年2月に「武士の家計簿」の猪山家の具足が、
板橋区立郷土資料館の特別展に並んで話題になったことが新しいが・・・
ttp://nanto.zening.info/jyouhana/Dsc_5765_m.htm
善徳寺から盗まれた具足は加賀藩12代藩主・前田斉泰の子の亮麿のために作られた稚児鎧。
亮麿は2歳で善徳寺に送られ住職となるが2年後に死去。
この具足も亮麿とともに寺に入ったもので、儀礼的な側面が強い。
稚児鎧というと、現代の五月人形のようにいい加減なものだと思う向きもあるだろうが、
将軍や大名が作らせた本歌の作品は大人用の甲冑と遜色ないどころか、
工芸的な水準ではこれを凌ぐことすらある。
亮麿の具足も、作域や伝来から加賀出来と考えて問題はなさそうである。
将軍家は家康の代から岩井与左衛門家を召抱えていたので、
加賀など、わざわざ他地域の甲冑師にオーダーする必要性は低かったと思われるが。
0967965
2012/08/06(月) 11:57:27.24ID:O3AagXlj詳しい説明ありがとうございます。
>亮麿のために作られた稚児鎧
そうですか、これは稚児鎧だったんですか。
確かに良くみれば高さ無く、狭く見えるようです。
全く気が付きませんでした。
>家康の具足
あれも岩井与左衛門家の仕立てのものなのですか。
あれ2つだけ、羊歯や日の丸威しなんかと作りも雰囲気も少し違う感じがしていたので
この記事をみて、思いつきで書き込んでしまいました。
0968965
2012/08/06(月) 12:27:15.56ID:O3AagXlj966さんが貼ってくれたURLに掲載されている画像を見ると
確かに稚児鎧ですね。
しかも家康公の金陀美、白檀とは全然作りも雰囲気も違う(汗)
0969人間七七四年
2012/08/06(月) 15:01:21.17ID:l4FU4FeE0970人間七七四年
2012/11/15(木) 23:54:33.56ID:qj4jhRM0平安末期〜鎌倉初期の腹巻について聞きたいのだけど・・・
0971人間七七四年
2012/11/20(火) 13:42:45.80ID:cmnjPUGL0972人間七七四年
2012/11/20(火) 23:16:21.31ID:j8Ctukne「吾妻鏡」の中に登場する越後城氏の「坂額御前」の鎧はどのような形状だったと考察しますか?
『童形の如く、髪を上令め、腹巻を著け、矢倉の上に居て、射襲い致す之輩の中で死不者莫し』
とあります。
http://adumakagami.web.fc2.com/aduma17a-05.htm
この時代(1201年)腹巻鎧は既にあったのでしょうか?
0973人間七七四年
2012/11/20(火) 23:32:54.76ID:cmnjPUGL当時の「腹巻」は現代で言うところの「胴丸」だよ
本来は右脇引き合わせのものを「腹巻」、背中引き合わせのものを「胴丸」と呼んでいたのが
近世に入って呼称があべこべになったんだとか
だから坂額御前が着ていたのも右脇引き合わせの胴だと思われる
0974人間七七四年
2012/11/20(火) 23:37:52.74ID:cmnjPUGL腹巻の母体となった腹当ならあると思うけどね
0976人間七七四年
2012/11/21(水) 17:21:26.12ID:AmMo/6i6単に「腹巻」としか書いてないなら普通の胴丸だと考えた方が自然じゃないかな
0977人間七七四年
2012/11/21(水) 20:09:21.59ID:Ot8/ggz7メインウェポンは弓。なので弦走韋は張っていた(に違いない)。
大袖はつけていたのか?それとも杏葉だったのか?
捕らえられた後、浅利義遠に嫁いで子供を産んでいるらしいので、
ヒロイン?というにはちょっとトウが立った感じのおねぇさんか?(25〜30?)
・・・と、勝手に妄想しています。
美化しすぎかなぁ・・・
0978人間七七四年
2012/12/14(金) 22:53:43.27ID:NaLJDE4H『平治物語絵巻 信西巻』に、腹巻を着て弓矢を装備した歩兵が何人かいるが、
その中に袖を左側にのみ付けた人物がいる。
矢を射る都合上、防御に片袖が必要だったのだろう。
その胴と袖の威の色は違うので、別々の取り合わせと思われる。
後世、上級武士が腹巻と袖、兜を一緒に使うようになり、三者を同じ仕立てで作
ることが定着した。
また、腹巻に弦走を貼ることは例外を除きついに定着しなかった。
そのままで矢を射っても、弦が胴に引っ掛かるといった大きな支障はなかったのかも。
0979人間七七四年
2013/01/23(水) 23:29:35.31ID:nyY6Jsoa弦走韋を張るのは弓の弦が引っかかるのを防ぐためという他に、
胴の形状維持の目的もあったのではないかと書いていて興味深かった
0980人間七七四年
2013/02/01(金) 18:26:12.18ID:1MXjUHGF0981人間七七四年
2013/02/01(金) 18:30:08.56ID:1MXjUHGFレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。