トップページsengoku
1001コメント428KB

【大河】 直江兼続を語るスレ 4 【決定】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2007/05/25(金) 17:21:00ID:1/q0Khyp
<´ ̄愛ヽ. 
 〉 .ロ===}
/=/〉´Д`)
 |ゝ∪ ∪ 
 と__)__)


【義のために】直江兼続を語るスレ3【愛のために】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164148096/
【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154492224/
【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0724人間七七四年2007/12/02(日) 06:18:02ID:/mhfDhkV
>>723
それは逆、官位を世襲してる訳じゃなくて、「代々叙任されている」の間違い。
あくまで叙任しているのは朝廷。

細川家が世襲しているのは管領であって、管領は世襲制なのでこれは問題ない。
0725人間七七四年2007/12/02(日) 09:06:54ID:66dmu+ck
関東管領職を継ぐことと越後国主を継ぐことは別だからな。
もともとセットのもんではないし少弼=関東管領でもない。
しかし少弼を名乗る=謙信の後継の意味が含まれてないし
軽く呼べるものというのも解しがたいな。
謙信自身が皆の前で景勝に少弼を譲ると明言し謙信が以後景勝を少弼と呼んでいたので
三郎景虎も呼ばざるを得ないというのは分かるが。
三郎景虎倒し謙信の後を継いだ後も景勝は関東管領では無かったはず。
0726人間七七四年2007/12/02(日) 23:37:48ID:/mhfDhkV
そういえば謙信が少弼を名乗ってたのの最後っていつなんだろう?
0727人間七七四年2007/12/03(月) 01:51:45ID:DuiCVIEZ
>>721
官位自体かなりいい加減だったらしい。左京大夫なんて同時期に
幾人もいるし・・・・

>>726
出家するころまでじゃないか?
0728人間七七四年2007/12/03(月) 02:58:50ID:MXSV7iIz
>>727
その左京大夫がまさに官位の権威を失墜させた例として有名だね。
結局もともとは管領に次ぐ権威を持っていた京職の位が金で売られる物へと失墜してしまった。

その左京大夫を金で買った人物は何人かいるが、
甲斐守護としての地位向上の為に利用したのが、武田信虎であって、
北条家を名乗るために利用したのが、北条氏綱になる。
中央に断りも無く謙信が彼らのように官位を利用するだろうか?
だが景勝が自称で名乗っていただけなのであれば、辻褄はあう。

少弼の名乗りに関しては出家の頃になんか書状で名乗ってた?
重要だと思うんだがいまいち俺の調べが甘いもんで。
0729人間七七四年2007/12/03(月) 12:23:30ID:gJX97bJT
中央に断りもなくっちゅーか謙信自身も弾正少弼の名乗りを認められただけで
正式に任官されたものではなかったんじゃないか?
どっちにしろ自称だろうが少弼の名乗りが「謙信の後継」を
意味するものであるというのは変わり無いことだと思うわけだが。
0730人間七七四年2007/12/03(月) 17:16:59ID:z7uMSSqf
何か、スレ違いになって無いかい?
上杉スレで語るネタじゃないかい?
他の将を語るにしても直江との絡みで語って頂戴
0731人間七七四年2007/12/03(月) 20:39:14ID:DuiCVIEZ
>>729
謙信はたしか正式に京から使者が来て官途を貰っている。

>>730
じゃあ安田能元との不仲についてだけど、常山記談以外の
記録ってなにかあるのかなあ?
0732人間七七四年2007/12/03(月) 23:55:35ID:/san1c1i
直江の全盛期は家中の要職の大部分を、
直江の支持基盤である与板衆が占めたみたいだから、
直江が支持者を推挙するだけでなく、対立者を排斥した、もありえなくないと思うが
0733人間七七四年2007/12/04(火) 00:06:03ID:l8hVX7Or
>>732
直江の支持基盤(与板・上田組)はそのまま景勝の基盤でもあるからな。
ただ、色部や本庄なども確実に景勝の権力構造に組み込まれているので
その過程での排斥、対立が上条などなのかも。
ただ、安田と仲悪くなったのは関ヶ原以後のはず。
0734人間七七四年2007/12/04(火) 01:34:07ID:WBRT76Ii
謙信の時代に比べて家臣の造反が少なくない。
新発田が最後、前の時代を引きずったが味方がつかなかった。
上条、藤田&栗田は出奔で、家臣団が割れて戦ったとかない。
景勝直江体制でうまくまとまってたとみることもできるんじゃないか。
0735人間七七四年2007/12/04(火) 02:05:16ID:KcfIPEi5
>>729
そもそも弾正少弼自体、朝廷から謙信が貰ったもので、
長尾でも上杉でも代々名乗ってきた訳でもなければ、謙信に特別由来があるわけでも無い。
(あっさり松永久秀が受けちゃってるし)

しかも事が済んだら景勝自身がさっさとその後に違う官位に正式に任官されてるので、
本人が執着して無い時点でさしたる意味があったとは思えない。

彼はそんなものに頼らずとも自らクーデターを起こして上杉家を奪うだけの実力があったと言う事、
謙信は後継の事自体考えていたかどうか怪しい。

で、本題は兼続がその景勝のどのあたりで主に業績を残しているのか?と言う事。
謎だらけなのに、宰相だったというだけで業績を吸い取られてる感じがある。
そもそもどのあたりから記録があるのか?
0736人間七七四年2007/12/04(火) 11:30:02ID:RfHQcK/u
景勝、定勝を弾正大弼と書いてるところも見るな。

兼続が出てきたのは御館の乱ごろだろ。それ以前は史料に出てこない。
上田長尾の炭焼きの息子が景勝の傍仕えになって直江家の婿に入るくらいだから
景勝に気に入られて取り立てられてるのは間違いないだろう。
政治に介入する権限が出来たのは直江家に入ってからな気がするが
個人的に景勝と親密で相談していたとか言われたらわからんな。
謙信の寵童とか根拠の無いデタラメを自信満々に吹聴する馬鹿が多数いるのが
イライラするんだよなー…。
0737人間七七四年2007/12/05(水) 01:25:15ID:GrVA9Xky
炭焼きの息子だって新井白石の藩翰譜のみで
本当かどうか解らないんじゃないか。
常山紀談なんて都市伝説みたいなものだしな。
0738人間七七四年2007/12/06(木) 20:23:19ID:wiPCLdjK
新井白石は文化人だからか文化人直江に好意的じゃん
それすら疑うとなると、直江関係で信じられるものが無くなるやん
0739人間七七四年2007/12/06(木) 22:48:06ID:t07DfAHo
文化人だろうが好意的だろうが、検証は大事だとは思うがな。
0740人間七七四年2007/12/07(金) 01:12:34ID:Wj0uggs1
>>738
「藩翰譜」については、寛政期に編纂されたアレよりはいいけど・・・
て感じかな。それ以前の資料には記載が無い。おそらく彼は景勝の
側近くで仕えていたのは多分間違いないと思うから、それなりの
(=景勝の近臣として取り立てられてもおかしくない)レベルの家の
出身だったんじゃないか。如何せんこの頃は資料が少なくてなあ・・・
0741人間七七四年2007/12/07(金) 07:59:08ID:sAtHJIvP
景勝の弾正少弼は、足利義輝の意を汲んだとして
謙信より譲られているのは間違いない。
新潟県史の説は、景勝への反感が根底にあると思うね。
景勝は、新潟特に中越地方では評判が悪いからね。
0742人間七七四年2007/12/07(金) 17:29:38ID:d315NmTt
>>740
ファンなら直江を美化したいって気持ちは分らなくないけどなw
大抵出自あいまいって奴は低い身分だろ
良い家なら伝わっているはずだろ
0743人間七七四年2007/12/07(金) 20:19:23ID:Wj0uggs1
まあ、確か兼続の母方は信州の泉氏だっけ?
その泉氏から樋口惣右衛門に嫁が迎えられるくらいの家柄なのかな。

流石に直江実綱の姉妹が兼続の母親ということはないだろうし。
ただ、「天地人」ではその母方が直江氏という設定でいくらしいがw
0744人間七七四年2007/12/07(金) 21:27:05ID:S75n/yzM
天地人では兼続は母が直江氏の出だから直江家に入るのも当然で謙信の愛弟子で
景勝は兼続がいないと何も出来ないボンクラになります。
0745人間七七四年2007/12/07(金) 21:43:32ID:l0CVXotY
>>744
史実でもそうだから
0746人間七七四年2007/12/08(土) 00:09:20ID:l6lLTofA
泉氏って飯山城主なんだね。
高梨氏は葛山城を落とされ、泉氏を頼ってここに籠城。
高梨氏上杉景虎に援軍を求め、景虎は長尾政景に援軍命令。
時に1558年。
兼続は1560年生まれだから泉氏娘と樋口兼豊の出会いはここなのか。
0747人間七七四年2007/12/08(土) 00:17:55ID:XjmifaTL
上杉景虎?
0748人間七七四年2007/12/08(土) 00:19:05ID:l6lLTofA
あ。悪い長尾景虎も間違いです。
三郎殿ではないです。
0749人間七七四年2007/12/08(土) 00:20:39ID:skIY9UY1
>>746
となるとやはり樋口兼豊が単なる炭役人というのも
?になってくるな。
0750人間七七四年2007/12/08(土) 00:37:18ID:/U/83neU
江戸期は「下克上史観」と言うのが全盛の時代で、戦国期の出自のよく解らない人間の身元は、とにかく地位を低くするという
変な癖があった。そのほうがドラマチックで大衆にうけるしね。
0751人間七七四年2007/12/08(土) 01:54:28ID:kYn9O5lL
>>741
思うと言う程度の事を断言しちゃダメだろ。
つーかとっくに死んでる義輝の意を汲む?誰が?

そもそも官位は譲るものじゃないんだってば。
0752人間七七四年2007/12/08(土) 08:36:06ID:b2upTrlL


>つーかとっくに死んでる義輝の意を汲む?

「撰吉日良辰、改名字官途、上杉弾正少弼与成之候、
 彼官途者、先 公方様(足利義輝)江深忠信之心馳依有之、
 被仰立被下候条、不安可被思事、目出度候、恐々謹言、
               
 正月拾一日  謙信
                     長尾喜平次殿」

この書状を新潟県史が景勝自身の筆跡と疑ってるけど、
筆跡鑑定でもしたのかね?。
蒸し返すようだけど、景虎が芦名盛氏に宛てた書状に「少弼」と
景勝を呼んでるのだから、景勝官途は間違いないでしょう。
否定する人々は、景虎派か古志長尾家ゆかりの末裔の方々でしょう。
0753人間七七四年2007/12/08(土) 09:15:09ID:i47QjRlI
景勝の出した文書と同じ人物が書いたとしても
単に謙信と景勝両方に同じ佑筆が付いていただけの可能性もあるしな。
0754人間七七四年2007/12/08(土) 13:11:15ID:lQrj6U0y
その通り!!
0755人間七七四年2007/12/08(土) 13:36:54ID:CwFg+POZ
>>736
>政治に介入する権限が出来たのは直江家に入ってからな気がするが

直江家に入るのは天正9年10月以降だけど、
天正8年には皆川式部丞宛ての宛行状が残ってる。ほかにも樋口与六名義で残された
上条宜順(謙信養子)や山崎専柳斎(謙信・景勝側近)らの書状も多く、
直江家に入る前から政権の中枢(つまり景勝の側)で、
ある程度の発言力があったことは確かなんじゃないか。
ただし、単独執政として家中を総覧するのは、
もう1人景勝が寵用した狩野秀治死後の天正16年以後だな。

ちなみに評判の駄作「天地人」では、おせんと前夫・直江信綱の不仲を暗示させる描写、
信綱の凡庸ぶりを印象づける描写が出てくるのだが、
実際には、信綱が事故死する年に夫婦連名の書状が残っていたり(上越市史2155号)
信綱とおせんの子が出家して生きていたという説もあったり、
普通に夫婦仲は良かったように思えるな。
0756人間七七四年2007/12/08(土) 13:54:29ID:CwFg+POZ
>>752
さすがに筆跡鑑定はされたんじゃないの?
新潟県史未見なのだが、その過程とか論拠が当然載ってるんだと思っていた。
(ないなら741もありだろう思えてくる)
天正3年時点で足利将軍は義昭だから、その書状文中の(足利義輝)は傍注ミスだろうね。
天正3年といえば幕府は事実上滅亡していて義昭は各地を流浪中だが。

ほかに、景勝の弾正少弼に関連する書状は自分の知る限り2点ある。
謙信から「弾正少弼殿」(景勝)へ宛てた新年祝賀への礼状(上越市史1382号)と、
浦佐の普光寺に残された文書↓
「御懇札具令披見、随而今度従 上様御幕なと被下、官途させられ候、就之祝儀之趣
祝着之至候、殊巻数守送給候、努悦之式候、諸余令期永日之時候、恐々謹言、
     少弼 景勝(花押影)
  弐月四日
   普光寺 床下」
これは弾正少弼が譲られた際、普光寺から贈られた祝儀への景勝の礼状と考えられている。
こうした書状が残存する以上、朝廷への正式な叙任申請までいかなくても、
謙信が景勝に弾正少弼を譲る意思をまわりに表明した可能性は高いと思う。
それこそ正式な任官は、時節をみて越後国主を譲る時にさせるつもりだったとも考えらるし。
0757人間七七四年2007/12/08(土) 14:03:26ID:XjmifaTL
義昭が上杉の金か助力欲しさに
謙信から俺出家するんで弾正少弼を景勝にやりたいっすーと言われて
「おk、俺が将軍だから俺が許す」と言ったんだろうかw
0758人間七七四年2007/12/08(土) 14:24:16ID:kYn9O5lL
>>753
謙信の祐筆は3人ぐらいいたと思うが、関係ないだろう。
祐筆の筆跡ならば、祐筆の筆跡だとされるだけ、そうではなく景勝の筆跡だと言われてる。

>>756
全部景勝の周りからしか文書が残っていないのが逆に不思議。

1575年なら正式な任官も含めて確実に行動できる時期なのだがその気配すらないのはどう考えても不自然。
自身の隠居に際してはわざわざ高野山まで使いを出してるのに、
後継者へ官位を任官させる(?)事に関しては書状一通で済ませるという謎。お歳暮じゃないんだから。

どっちにしろ中央からの叙任が無いのだから自称なのは間違いない。
そんなものに越後国主がどうとかこじつけにしかならない、が、
状勢的に景勝からすればそれで充分だったと言う事に過ぎない。
家康の秀頼に対する釣鐘事件と同じ、実力で勝っているから口で言う大義名分は適当で良いわけだ。

そんなことより謙信が最後に弾正を名乗っていた記録が見つからないんだが、どの時期までなんだろう?
松永久秀に将軍義輝自身が弾正少弼を送ってる時点で、
謙信の官位に関していささか謎が残る、>>719の言うとおり関東管領となったがゆえに
官位を名乗らなくなっていたとしたら話が180度変わってくる。

景勝が自称し始めたところで景虎が気にしないのも当然になってくる。
0759人間七七四年2007/12/08(土) 14:29:13ID:XjmifaTL
祐筆ではなく景勝自身の直筆と確定している
どの文書と一致するか言ってくれよ。
景勝が少弼を継いだということになってるのに
景勝周りから文書が出てくるのは当然だろ。
0760人間七七四年2007/12/08(土) 14:36:39ID:i47QjRlI
どうせいくら議論しても越後国主は景勝、関東管領職は三郎景虎説が
妥当ってことにしかならんぜ。
0761人間七七四年2007/12/08(土) 15:21:09ID:CwFg+POZ
>>758
>全部景勝の周りからしか文書が残っていないのが逆に不思議。

しかし、すべて偽造だと考えるのも無理があると思うのだが。

>1575年なら正式な任官も含めて確実に行動できる時期なのだがその気配すらないのはどう考えても不自然。

正式に任官させるのは、いずれ越後国主の座を譲る時にと考えた可能性もある、と書いた。
その時期が来る前に謙信は死去したと仮定した書き込みなのでな。

>どっちにしろ中央からの叙任が無いのだから自称なのは間違いない。
>そんなものに越後国主がどうとかこじつけにしかならない、

叙任手続きに関する書状が残ってない以上、しょせん自称だと言うのは納得できる。
しかし弾正少弼は天文21年に謙信が国主としての権威を高めるために長期の準備期間と
莫大な金額を費やして得た官途(武家官位)であることを考えると、
弾正少弼=越後国主とは言い切れないが、こじつけとも言えないんじゃないか。
そして名乗るにあたって、謙信の意思が反映されたかどうかは君と違って気になる。

>そんなことより謙信が最後に弾正を名乗っていた記録が見つからないんだが、どの時期までなんだろう?

そんなことで悪かったなw
謙信が弾正少弼を名乗ってる書状は知らんが、天正3年の普光寺に残ってる起請文では、
法印大和尚謙信と署名している。法印大和尚は僧侶の官位で4位相当だな。

そして760に完全に同意。平行線のままだろうな。
景勝へ弾正少弼が譲られたって話題になると必ずレスする人は、
おそらく前にも景勝スレや後北条氏スレで同じ主張をしていた人だと思うのだが、
確かにスレ違いな気がするので戻った方がいいな(自分もここでは直江がらみだけにするわ)。
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168972775/l50
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187642750/301-400
三郎景虎のスレもあるよ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154969043/l50
0762人間七七四年2007/12/08(土) 15:29:33ID:b2upTrlL
新潟県史にどのように記述されていたか、わかる方いる?。
自分が見たのは上越市史と上杉古文書集の注釈に載っていたその新潟県史説の
簡単な説明だけだから。
0763人間七七四年2007/12/08(土) 20:56:57ID:kYn9O5lL
>>761
もしも弾正少弼として全然名乗っていなかったのであれば
越後の国主云々以前に譲るとかそういうものですらなかったかも・・・となるちょっと意味が変わってくるな。

またあなたの言うように弾正少弼は
「国主としての権威を高めるために長期の準備期間と莫大な金額を費やして得た官途」
であって、その過程こそが重要なのであって、
そういう過程をすっ飛ばして名前だけ叙任も無く名乗っててもなんの意味も無いと言う事は
苦労した謙信が一番判っているだろうし、そういう事を誰よりも重要視してる人物だからこそ
意志があるとは思えないと言う事。信憑性の弱い書状一つで信じるのはどう考えても無理。
その書状をまず中央に送ればよかったではないかと。
本当に譲る気が少しでもあったならそうできない理由が一切無い。

あと、俺は三郎景虎も上杉憲政も、もっと言えば山内上杉家自体はどうでもいい、
関東管領の後継者として景勝より大義名分はあったかもしれないが
景勝に戦国大名として実力でその座を奪われ、越後の実権はおろか苗字まで奪われた
運の悪い連中、としか写らない。その意味で言えば謙信も例外ではない。
0764人間七七四年2007/12/08(土) 21:22:01ID:b2upTrlL
では、なぜこの時期に長尾顕景に上杉姓を与えたのですか?。
0765人間七七四年2007/12/08(土) 23:21:31ID:Njc/Ud48
景勝の話題は景勝スレか上杉スレでやれ、この低脳荒しども。
0766人間七七四年2007/12/09(日) 00:12:17ID:d2hJlNGo
文禄三年定納員数目録、上田士籍には兼続の母は泉弥七郎の娘と記している
と見たのですが、なぜ「直江景綱の妹が母」説が小説などになっているんですか
なにか有名文書に記されているのですか
0767人間七七四年2007/12/09(日) 07:37:53ID:7zg/2nnY
>景勝の話題は景勝スレか上杉スレでやれ、この低脳荒しども。

別にいいじゃないか。疑問に思ってる事を知識ある方々に聞いてるんだから。
お前こそ、あちこちでそういう稚拙な書き込みしてる荒らしのボンクラだろ。


0768人間七七四年2007/12/09(日) 07:45:58ID:baVANblx
まぁ景勝の話である以上スレ違いとするのはちと厳しい気はするな。
0769人間七七四年2007/12/09(日) 08:23:45ID:7zg/2nnY
>なにか有名文書に記されているのですか

木村徳衛「直江兼続伝」によると、その説に対しての正確な史料はない
との事です。
天地人では、花ヶ前盛明が考証協力してるようですから、直江景綱妹説を
採用したのでしょう。花ヶ前氏は、直江景綱妹説を支持してますから。


0770人間七七四年2007/12/09(日) 11:28:57ID:cWfTprhu
>>796
でも、樋口氏と直江氏とでは家格が釣り合わない気がするなあ。
もし、本当に直江氏が兼続の母親ならば、樋口氏は上田衆のなかでも
かなりの大身(格上)の家ということになる。
それこそ炭役人ごときでは無理。

にしても、直江実綱妹説って正確な資料に基づいてないのか。
花ケ前氏は何を根拠に支持してるんだろう
0771人間七七四年2007/12/09(日) 11:59:55ID:f28Ce3H0
>>770
最近は脳内根拠でNHK大河の原作&脚本ができるらしいので何の問題もありません、スイーツ(笑)
0772人間七七四年2007/12/09(日) 15:02:48ID:7zg/2nnY
>なにか有名文書に記されているのですか
訂正します。
花ヶ前盛明も泉弥七郎の娘説を採っていました。
直江氏系図の説明で実綱娘説だったのですが、本文では泉弥七郎の娘でした。
(直江兼続のすべて)
0773人間七七四年2007/12/09(日) 19:22:44ID:d2hJlNGo
>>772
丁寧なお答えありがとうございます
正確な資料がないのに流布しているということですか
「直江景綱の女が妻」がいつのまにか軍記物などで母に変化していったのかもしれないですね
0774人間七七四年2007/12/10(月) 14:43:04ID:c/xl2DWy
景勝のホモの愛人だった、の通説で何ら問題ないだろう
炭焼きの息子でも、愛人として寵愛されたから景勝に近侍した
寵愛されたから、身分が低かったにもかかわらず直江家に送り込まれた、でいいだろ
大したエビデンスも無いのに、通説を無理に覆そうとするなっつうの
0775人間七七四年2007/12/10(月) 18:06:36ID:1F3gVwd8
>>774
炭焼きと炭役人はイコールじゃないぜ。
それに母方が信州泉氏なんだから、その泉氏と婚姻関係を
結んでも不自然でない程度の家柄とみるのが妥当じゃないか?
そもそも例の炭役人の倅って話も初出は『藩翰譜』なわけだし・・・
正直、根拠とするには貧弱だ。
0776人間七七四年2007/12/10(月) 20:53:33ID:tUlWcDp1
↑大変、的確な考察で同意致します。
ID:c/xl2DWyのような知識のない低脳野郎は返す言葉がないでしょう。
0777たられば君2007/12/10(月) 21:38:08ID:4hPC+ePi
樋口兼豊って与板かどこかの城主だったような気が
0778人間七七四年2007/12/11(火) 04:17:40ID:hvCLT2ov
織田家における前田家程度の重さがあっても
主君とホモ達だということでなぜか利家が家督継いだ例もある

0779人間七七四年2007/12/11(火) 07:41:31ID:5camCf8P
>>777
景勝に可愛がられた兼続のおこぼれの可能性が…
0780人間七七四年2007/12/11(火) 13:50:55ID:e2kuTMoj
>>778
前田の場合は実家を継いでいるからな。
与板衆の頭にあたる直江氏をついだのとは違うが、
いずれも主君の肝いりではあったろうな。
0781人間七七四年2007/12/12(水) 07:46:04ID:wP1x4W2F
関が原時に兼続がなぜ主将になり、最上を攻めたのだろうか。
景勝に米沢、山形、庄内を兼続に支配を任せる構想があったのだろうか。
0782人間七七四年2007/12/12(水) 10:26:47ID:1mneuQE4
>>781
庄内と会津、米沢が飛び地になっていたというのもあるんじゃないか?
とりあえず領地をひとつなぎにして、それから越後を窺うという感じか。
対伊達には本庄や須田をのこしてあるわけだし
0783人間七七四年2007/12/12(水) 14:49:15ID:m0r2a/Tn
関が原の西軍は家康が着陣したとき大いに驚いたとあるから、
上杉にも家康はまだ江戸にいるという情報がいってたんじゃないかな
正面の秀康に家康の後詰があるかもしれないから景勝は主軍を動かせなかったと
でなきゃ秀康相手にあんなに兵を置かないと思う
0784人間七七四年2007/12/12(水) 16:43:17ID:swzgOili
70 :人間七七四年:2007/12/11(火) 12:47:52 ID:gMTl9w2K
朝鮮に乗り込んですき放題やる話は結構好きだったのに、琉球に変わったのは残念だったな。
隆氏は、それほど朝鮮に差別的な表現とかしてなかったのになあ。

ただまあセックル中に来たホネの前でギンギンのを丸出しでご立派と言わしめたシーンを
描いたのは評価できる、うん。

73 :人間七七四年:2007/12/11(火) 18:11:57 ID:+tUW1nnf
>>70
朝鮮より金沢の方がボロクソ言われてたよな

81 :人間七七四年:2007/12/12(水) 08:31:05 ID:t6KJKiH1
>>73
その代わりキチガイレベルの上杉厨っぷりだけどなw
・上杉家の越後時代の実収は300万石←景勝時代の表高50万石程度
・三拾人長柄組と言う詳細の良く分からない直江が属していた精鋭集団
・長谷堂合戦で上杉を追撃した最上軍は2万人←山形城に4000人しかいないのにどうやって捻り出したの?w
・佐渡平定では5年も前にアッー!のもつれで死んだ蘆名盛隆を出し策士とのたまうgdgdぶり。
・越後の武将は裏切り野郎ばっかりなのに古い友誼を破る事の出来ない越後人の性格とのたまう。
・三成と兼続の友情は石田が一方的に兼続を利用する物。
etc上杉厨だってこんな酷い奴はいないと思う。

直江兼続が所属していた精鋭軍団三拾人長柄組について知ってる方いませんか?
0785人間七七四年2007/12/13(木) 12:46:35ID:M9R+w5UV
>>782
その構想だけは良いかもしれないが、能力が伴わなければ構想だおれとしか良い様がないな
伊達にも最上にもボコられっぱなしで、領土を掠め取られて
結局、防衛だけに徹していた方が、直江-景勝の実力に見合っていたかも
このホモ主従に追い出された、新発田、上条、藤田が残って居れば少しはやり返すことも出来たかも
0786人間七七四年2007/12/13(木) 12:51:23ID:sybQk0gP
関係ないがやたらホモを強調したがる人間って、心理学的には実はホモに憧れているそうだな。
ホモセクシャルに心惹かれている自分をごまかす為に侮蔑的にホモという言葉を使うんだと。
0787人間七七四年2007/12/13(木) 21:07:26ID:GscqJL1A
785>
低俗な妄想野郎は失せろ!!
0788人間七七四年2007/12/13(木) 23:59:29ID:inOeDFkM
直江ファンも、図星をつかれるたびにヒステリー起こしてないで、
直江の負の部分も認めたうえで、良いところをアピールしろよ
噛合わない論争を繰り返すじゃないかよ
0789人間七七四年2007/12/14(金) 00:48:44ID:M8meTMLh
つうか、戦国武将=ホモは戦国時代をちょこっとでも齧ってるのなら常識だろ‥。
イチイチ指摘する事でもないし怒ることでもない。
ホモが嫌なら豊臣エロ爺秀吉とか細川キチガイ忠興でもマンセーしてれば良い
0790人間七七四年2007/12/14(金) 01:26:30ID:877uC8cw
まあ、わざと悪い言い回しをしようとしてるのが丸分かりで、
しかもそれが>>785みたいにアフォ丸出しだと、微妙な気分にはなるわな…
0791人間七七四年2007/12/14(金) 01:44:39ID:Rh2X77O7
>>789
ホモでここをレス抽出すればわかると思うけど、
いつもの人だよw
0792人間七七四年2007/12/14(金) 09:09:50ID:kG2ks39V
>>789
戦国武将が全部ホモなワケじゃない。当時合戦に女人は連れて行けなかった。
そのため代用としてやむなく多くの大名が男色やっていただけで、ガチホモはさほど多くない
景勝と兼続以外では、近隣では大崎と芦名の殿様ぐらいじゃないか
0793人間七七四年2007/12/14(金) 10:11:40ID:L92eDN/J
>>792
政宗もいるじゃまいかww
0794人間七七四年2007/12/14(金) 15:45:25ID:akNcZEa6
ホモじゃなくてバイなw
0795人間七七四年2007/12/14(金) 15:53:02ID:xPiftlle
ってか上杉で証拠残ってんの清野だけじゃね
0796人間七七四年2007/12/14(金) 22:46:35ID:RjyjUcRt
ホモの話題はするんじゃねえよ。
糞くせえな!!
0797人間七七四年2007/12/14(金) 23:49:43ID:XRHerVk/
戦国武将が男色を「やむなく」やってたとか言ってる時点で、もうねw
0798人間七七四年2007/12/15(土) 00:39:35ID:fEdYO8xX
つーか戦国から家光の時代くらいまで、日本において『恋愛』とは男同士の恋のことだった。
女にうつつをぬかすような奴は、武士町人を問わず「女々しい」と馬鹿にされた。
社会的常識も状況も全く違う世界だったわけだ。
0799人間七七四年2007/12/15(土) 15:22:42ID:JJOKtPi1
まぁ兵同士の団結も深まるし
近隣の村落で女性に乱暴する事が減るので、治安維持と同時に軍の規律にも繋がる。
戦争時と言う事を考えると奨励する理由もわかるな。

逆に女性を連れて行かない理由は上記と逆の事が起こるためなんだろうし。
0800人間七七四年2007/12/16(日) 22:51:55ID:6R5ddAsF
もちろん戦国期に衆道は珍しくないわけだが。ただ、直江の場合は

主君の愛人だから、低い身分から取り立てられ
主君の愛人だから、何の武功も無いのに筆頭家老になり
主君の愛人だから、失策の責任も取らないで許されて
主君の愛人だから、近侍して他の将を讒言し

まさに、「愛」の武将
0801人間七七四年2007/12/16(日) 22:54:05ID:xyzTnBVw
その書き方じゃ、「愛」というより「受」w
0802人間七七四年2007/12/16(日) 23:18:07ID:3kMgqJh7
小説とか信じこんでそうな雰囲気
0803人間七七四年2007/12/18(火) 10:04:36ID:F9HtjuVG
主役候補
@山本耕史 いい役者だけど主役向きではない…。
Aジャニの誰か 松岡 岡田
B舞台系俳優 NHKの独自路線
C歌舞伎俳優 毎年大河に出演しているので…
D織田裕二 腰痛持ちなので大河のような長期的な仕事はしないと思う
E堤 真一 年をとった時の兼続を演じるのなら堤がベストだと思う
Eスマップの誰か 彼らの場合大河に出演するメリットがないから
 三谷の意向で出演した香取以外は大河の主役を演じることはなさそう
0804人間七七四年2007/12/18(火) 11:27:04ID:O7zJFiJq
直江兼続 出川哲郎
上杉景勝 真栄田賢
上杉謙信 小島よしお
北条三郎 妻夫木聡
織田信長 渡哲也
豊臣秀吉 中村梅雀
徳川家康 西田敏行
武田勝頼 中井貴一
北条氏政 杉良太郎
伊達政宗 渡辺謙
0805人間七七四年2007/12/18(火) 11:34:42ID:kiylJ1zM
>>804
上杉サイドだけ露骨だなwww
こういうのは大河板にでも書いてこい。
0806人間七七四年2007/12/18(火) 13:24:17ID:tRM4f83p
おれも直江はどうでもいいから、むしろ敵の新発田、最上、伊達をカッコ良くして欲しい
今年のガクト謙信みたいに
視聴率はほとんどそれに掛かっていると思う
0807人間七七四年2007/12/18(火) 13:27:39ID:E9WwCxcW
>>806
つーか敵を魅力的にするなら、ラスボスの家康を相当かっこよく描かないといかんだろうな。
0808人間七七四年2007/12/18(火) 16:01:28ID:kiylJ1zM
まあ、あの原作&脚本の直江兼続ならどうでもいい気がする。
新発田重家や本庄繁長、安田能元などの越後武士を描けるとは到底
期待出来ないのが悲しい。

しかも、原作からして兼続以外のやつは殆どが醜男かロクデナシだしw
0809人間七七四年2007/12/19(水) 23:32:40ID:ue+GcpAj
徳川、政宗に対する発言とかが
現代の感覚だと小物っぽいのが残念だ
これがなければ格好良いのに…
0810傾いて一時間以内にガッしなかったら天下御免2007/12/20(木) 00:22:58ID:J8wsMWYr
原作の方に前田慶次の名前が載ってるだけで台詞無いんですけどこれはどういう事だ?
0811人間七七四年2007/12/20(木) 09:30:57ID:dOltBCDT
妻夫木聡が09年NHK大河主役

09年のNHK大河ドラマ「天地人」(日曜午後8時)の主演に俳優妻夫木聡(27)が起用される
ことが19日、明らかになった。戦国時代の上杉家の重臣、直江兼続の生涯を描くドラマで、
人気俳優の大河登場は話題となりそうだ。

4月に同局が概要を発表した際には、内藤慎介プロデューサーが主演像について
「25〜30歳前半までで、兼続のキャラクターにぴったりな誠実で清潔感がある人を
キャスティングしたい」と話していた。
NHKドラマへの出演歴はないが、映画やドラマ、舞台に取り組む真摯(しんし)な姿勢を
高く評価する声は多く、白羽の矢が立った。
現在は初舞台となる野田秀樹氏演出の「キル」に出演中。演技者としての奥行きを深めている。
http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20071220-297533.html
0812人間七七四年2007/12/20(木) 21:44:19ID:dIejwyIm
ぶっきー愛の兜
テラワロスwwwww
0813人間七七四年2007/12/20(木) 22:30:00ID:mvxBpBkA
キュートな兼続だな
0814人間七七四年2007/12/20(木) 22:30:09ID:lrmzYWAn
妻夫木か…。がっかりだな……。
0815人間七七四年2007/12/20(木) 22:37:40ID:5YlW+29F
たぶん大コケだよ(-.-;)

どうせ上杉なら鷹山のほうが面白い。

どうしても直江なら原作は童門先生。
0816人間七七四年2007/12/20(木) 22:38:15ID:A98wdLAW
たぶん景勝はまともな配役になるだろ・・
主人公を脳内で景勝に変更しとこうぜ
0817人間七七四年2007/12/20(木) 22:39:32ID:Te2f2T7s
>>815
童門はキモすぎてダメだ。
地元に媚び売りすぎと言うのもキモい。
0818人間七七四年2007/12/20(木) 23:19:20ID:ST/TrWUp
>>816
どうせ坂口や伊藤英明になりそ
0819人間七七四年2007/12/21(金) 03:45:52ID:tW7IqyfQ
>>817
それでも天地人よりはかなりマシだし、何よりも菊姫の人物造形が可愛いw

>>818
華は無くても実力はあるような、いぶし銀の若手を持ってきて
欲しいと思う。でも、今や若手俳優も層が薄くなったからな・・・

個人的には25年くらい前の篠田三郎か村上弘明あたりがいいのでは
と思う。つうか、そろそろ大河でも久々にこの二人を見たい。
0820人間七七四年2007/12/21(金) 06:57:50ID:+l24iroC
>>819
いいねぇ

大河ウルトラと大河ライダーか
0821人間七七四年2007/12/21(金) 12:15:30ID:nMYWv0h+
ご老体も楽しめる話にした方が良くないか‥
爺さん方が可哀想だぞ
俺の爺さん、大河欠かさず見てんだからさ

俺の周りの若い奴らなんか全然見てない
0822人間七七四年2007/12/21(金) 19:18:05ID:+yrSJkli
>兼続のキャラクターにぴったりな誠実で清潔感がある人

妻夫木のキャラ(見た目)ならこれでいいんだろうが
そもそも兼続のキャラの方がこんな設定だっていうのがな

兼続はどっちかというと交渉事がうまくて押し出しが強いキャラだと思ってるし
0823人間七七四年2007/12/21(金) 22:41:58ID:R9nB26Lz
清潔感と誠実さって、実は兼続の造形に一番必要なかったりする。

野望どろどろのエリートが一番必要な造形。
金がなくて大学時代はバイトでホストしてたけど、卒業後は霞ヶ関行った、みたいな。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています