前から疑問なのだが中世、ことに東国の「百貫取り」の武士とは概念として、百貫の銭を知行地から毎年得れる武士をいう。
ならば毎年百貫の銭を武士に納められる田の土地力は、かりに五分五分だとして、倍の二百貫の収穫があるというになる。
かりに一貫文でコメ一石を買えるとした場合だ。
つまり「百貫取り」の武士は「二百石の収穫が見込める土地」を、名義上支配しているということになる。
時代小説などでとくに東国の武士をあらわすのに「百貫の武士」とあれば、その武士は後世でいう、「二百石取り」のさむらいで良いのだろうか?
詳しい人、できれば詳細を教えてください。。