貫高制→石高制の変化があったからかどうかはわからんが、戦国大名
の石高がわからず、どの程度の規模の領主だったのかさっぱりわからない

例えば、織田信長が守護代の分家の分家の家を継いだときどれくらいの
石高だったのか? オヤジ(信秀)が頑張ったからそこそこの規模だと
思うが、ではオヤジの代での石高は? 守護代の分家の分家となると
相当低いと予想されるが・・・

戦国大名の初期〜中期〜後期の石高を教えてくれ