福島正則について語るスレ
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0001人間七七四年
2007/05/06(日) 21:48:32ID:uwqKS5Km石田三成の劣化版でしょこの人?補給線守ることしかできないような。
0671人間七七四年
2008/07/22(火) 19:12:21ID:TrVphKdx>そもそも石田は秀吉在世中は誰々の領土をどうするか決められる身分だから 上杉の領土移転なんか三成の考案だしね
三成はそんな身分ではない、あくまで奉行、命を受け奉り行う役職、上杉の転封も三成考案とか、
これらを証明する史料やそう主張する論文等の教えて、聞いたこと無いから
0672人間七七四年
2008/07/24(木) 22:13:36ID:h2iilAZa0673人間七七四年
2008/07/26(土) 09:56:18ID:QxDPIxZoほぼ間違いないってことはその推測を成り立たせたもとになったものがあるんだろうから
煽りとかでなくうろ覚えとか孫引きでいいから読んだ本を教えてくれ
複数の文献から自分で思いついた説とかでいいからどの辺がもとなのかを
面白そうだから調べたいんだ
0674人間七七四年
2008/07/30(水) 08:39:14ID:MZdvwwKl長男次男の生没年はいつかわかりますか?
正友(長男?次男?忠勝と同母兄弟?)は名前からして元服してからの
死去だと思いますが、そう考えると私婚問題のときに養嗣子の正之が
いるのが謎なんですが。
0675人間七七四年
2008/07/30(水) 09:19:39ID:qxPAP1XN「何番目の子供なのか?」と言う命題は、身分が低ければ低いほど、
恐ろしく、あやふやなもので、福島さんランクだと、
正直「分からん」のが、一般常識だと思います。(自分の母の謎が分からないように)
0676人間七七四年
2008/07/31(木) 23:49:56ID:RHlaxiKj哀れ
0677人間七七四年
2008/08/05(火) 23:29:48ID:mhOqUrED加藤清正
腰抜けの屑とは話すしたも持ちません
池田輝政
はいはい女房のおかげで出世しましたよ、うぜぇから話しかけてくるな
黒田長政
正直関わりたくねぇや
藤堂高虎
馬鹿の愚痴を聞かされる俺
0678人間七七四年
2008/08/05(火) 23:40:52ID:PDyZjfqQ0679人間七七四年
2008/08/06(水) 15:34:12ID:eOOocd9O0680人間七七四年
2008/08/06(水) 19:25:50ID:kJoOCHTiいえ、知りたいのは何番目かということより、生没年と母親です。
忠勝が正室腹なので、もし正友も正室腹なら生年によってはあの時期に
「養嗣子正之がいてそれを家康の養女と結婚させた」ことが今まで
思っていた以上に意識的なことなんじゃないか、と個人的に思ったので。
0681人間七七四年
2008/08/06(水) 23:39:15ID:Gcyd5CNF家「国に帰って反乱起こしたっていいんだぜ?(笑)」
正「某にそんな根性はありませぬぅぅぅ号泣
土下座でもなんでもするから目を付けないでくだしゃいー号泣」
家「そう言うと思ったよ失笑」
これが清正になると…
本「清正殿、戦の時代も終わって大量の兵を引き連れ上洛するのはなぜだ?
そして何故髭を剃らぬのか?っと家康様が仰っておった」←隠居汁
清「某国が遠くいざ奉公の際兵が足りぬため上洛する際は兵を多く連れて行くのです
戦無くなれと言えど髭は兜を被るとこれがまた気持ちが良いので剃る事は出来ません」
家康はこれを聞いて「清正がそういったか…ははは(失笑?」っと笑った。
失笑がこれだけ違う
0682人間七七四年
2008/08/07(木) 19:53:56ID:Wj24y/r50683人間七七四年
2008/08/07(木) 22:09:19ID:puICrvpd清正は関ヶ原にいなかったからある程度の強気でいられるわけで
敵に包囲されながら一緒に戦い抜いて勝ったという特殊な経験をすれば
心の中で徳川配下というアイデンティティが形成されてしまうのは仕方がない
それが家康が関ヶ原をやった理由の一つでもあるわけだし
0684人間七七四年
2008/08/07(木) 22:53:30ID:Wj24y/r50685人間七七四年
2008/08/12(火) 07:08:22ID:PPLX9RAZしずがたけの時のちょっとインチキ臭い猪武者な活躍が元ってわけでもないでしょ?
それともバンザイ突撃しとけば日本では勇猛な将軍扱い?
あと福島の配下で名の知られた有能な家臣ってダレ?
可児はたまたま関ヶ原のとき福島家にいた流れの傭兵って感じで、違う気がするんだ。
0686人間七七四年
2008/08/12(火) 11:55:35ID:czKgZOhK関ヶ原では何故か福島が宇喜多と善戦してとかよく説明してあるけどかなり?な部分がある訳だが。
七本槍についても怪しい。
清正は初陣の長篠や他の戦いでも前線に立ってた(作り話かもしれんが)
らしいから何となくイメージつくが福島は?って感じだ。
関ヶ原で逃げる兵を怒鳴るくらいしかやってないような気がするが。
岐阜城攻めでもえらい間抜けだし…愚将じゃね?
0687人間七七四年
2008/08/12(火) 19:04:27ID:efwPeqqaそれすら嘘っぽい。
家康にすれば、ヘタレの毛利や見せかけだけの前田など敵じゃ
ない、じゃあ一番弱いところはと言えば、織田・豊臣の本願の地
で通行上の要地にいる頭の弱い猪武者。こいつは対関東司令官
でもあるから、こいつさえ落とせばノープロブレム。
こんな感じかなw
0688人間七七四年
2008/08/12(火) 23:18:37ID:2XU5/c3G福島丹波とか。
0689人間七七四年
2008/08/13(水) 09:13:24ID:jwL0GYAw7本槍の筆頭という秀吉の宣伝、さらに三成を襲撃した急先鋒
この辺の猪突猛進ぶりが、現代になるにつれて、イメージ的に「猛将」になったんでね?
0690人間七七四年
2008/08/13(水) 11:33:19ID:te8a2J2S0691人間七七四年
2008/08/13(水) 20:35:49ID:ptdy5dvH・・・ダレ?
ぐぐってみたけど、とりあえずどこの家中にもいるまとめ役であり
正則のバンザイ突撃の先鋒として明石勢に蹴散らされた人、くらいしかわからない。
とりあえず大身の福島家の家老ってことで名前は残ってるみたいだけど、
名前だけ出されてもどう有能だったのかわからんよ?
0692人間七七四年
2008/08/14(木) 14:45:34ID:v0mpLgNB清正と違って正則の実績って7本槍以外パッとしないなあ。
関ヶ原でも宇喜多隊に押されまくったみたいだし。
0693人間七七四年
2008/08/14(木) 16:44:59ID:FaH9Nbke0694人間七七四年
2008/08/14(木) 18:16:27ID:GF3Za1H+まぁ、戦略,戦術,戦闘の三段階では最下の戦闘に強かった人でしかなかったみたいですけどねw
秀吉の対毛利戦線に従軍して兜首を取る功績を度々立てていたのは事実の様ですし、敵である
一手の大将拝郷家嘉が秀吉の親族だからといって易々と首を打たれてやるというのもおかしな話。
更に朝鮮役では補給の任を担っていたわけですが、敵から憎き秀吉の親族であるということで
執拗な攻撃を何度も受けているのをその都度撃退しているのも事実です。
だから「猛将である」というのは大袈裟とは思いますが、秀吉親族の中では極めて代表的な
「武骨漢」であったことはほぼ間違いないでしょう。
0695人間七七四年
2008/08/14(木) 18:20:35ID:O8PBLbX20696人間七七四年
2008/08/14(木) 18:27:49ID:GF3Za1H+0697人間七七四年
2008/08/15(金) 00:29:32ID:+KULo82+> 更に朝鮮役では補給の任を担っていたわけですが、敵から憎き秀吉の親族であるということで
> 執拗な攻撃を何度も受けているのをその都度撃退しているのも事実です。
詳しく。福島の朝鮮での武功ってちょっと聞いた事ないような気が。
0698人間七七四年
2008/08/15(金) 01:27:52ID:YSTtfUT20699人間七七四年
2008/08/15(金) 17:53:05ID:WJvMDHhb698と688ってとりあえず福島に箔をつけるために
とりあえず知ってる名前だけ並べてみましたって感じだな。
具体的な内容もない、福島の頭同様空っぽの書き込みだ。
長門浦海戦なんてググってもほとんど出てこないようなたいしたことない戦だし、
海戦の詳細でも福島の名前もほとんど挙がらない。
その海鮮と福島の関係なんて、ググっても韓国関係の怪しいサイトか2ちゃんしかでてこないし
その2ちゃんでも福島は兵站の担当だったってだけで武功自体は聞いたこともない。
> 敵から憎き秀吉の親族であるということで
> 執拗な攻撃を何度も受けている
これもどっかのハングル系のサイトが根拠なの?w
朝鮮で福島なんて知られてるわけなかろう。
0700人間七七四年
2008/08/16(土) 03:09:26ID:8fY9ph9d関ヶ原の先鋒の約束を得る
ところがどっこい騙されて直政に先陣を奪われる。
宇喜多隊の反撃。霧により視界悪く、当然小勢の直政ではなく福島隊が発砲される。
:開戦
先陣を奪われた(?)福島の心境はどうだろうか?脳裏によぎったのは岐阜での失敗か?
予想だがかなりここで焦りが出てしまったのではないか。
明石・宇喜多諸隊(約一万)対福島隊(約六千〜八千)
小山に陣地を作って待ち構える宇喜多隊に対し福島が選んだ戦術は突撃。
肯定的に見れば撃ち合いになっても宇喜多の鉄砲数には敵わないから仕方がないか?
しかし突撃だけで、逆落・鉄砲・陣地の状況を崩せる訳もなく退く。(一回目)
体勢を整え再度の攻撃に打って出るも散々打ち払われて失敗。(二回目)
三度目の攻撃。失敗。敗走。
四度目の攻撃。失敗。福島隊前線完全に崩壊。300〜500m退く。
度重なる攻撃失敗で正則の周辺には旗本(割と位の高い)と部隊も旗本武士中心とボロボロになる。
逃げる兵をまとめあげる(正則自身が慌てて兵を叱咤する?)
幸運な事に小西隊敗走により東軍、北部戦場に余力が出来る。
更に東軍の予備隊投入で一帯が激戦となり宇喜多隊の遊撃隊は守備に回り追撃不能
正則、最大の危機を乗り越える。
五度目の攻撃
四方を攻撃されつつも若干優勢に戦いを進める宇喜多隊と互角の戦闘を繰り広げる。
小早川秀秋寝返り
宇喜多小西石田戦場離脱
島津中央突破開始。
逸話として島津のあまりの勢いに福島でさえ眺める事しか出来なかったとあるが
最早数千とも福島には戦える余力がないと言った方が真実だろう。
結局周囲の助力を借りながら宇喜多と互角に渡りあったというのが事実であり
単軍で宇喜多と五分で渡り合ったという今の謎の風潮はどう考えてもおかしい。
功に焦らず周りと歩調を合わせながら戦えば関ヶ原の序盤は西軍有利など後世には残らなかった筈。
それにしてもこの福島の負けっぷりは小早川に少なからず東軍参加への意欲を削いだに違いない
0701人間七七四年
2008/08/16(土) 03:41:54ID:8fY9ph9d池田と福島は岐阜城を狼煙が上がったら同時に攻めると約束していた。
しかし池田自身もそうだが、家臣にも地の理がある者が多くさっさと岐阜城にとりついてしまう。
これに気付いた福島、約束が違うと激怒。手柄争いが勃発。
0703人間七七四年
2008/08/16(土) 07:53:36ID:NsKFnt3mよく井伊直政に一番槍奪われたって言われるけど、少数の鉄砲隊でパンパン撃って逃げちゃっただけでしょ。
井伊がそのまま玉砕したならともかく、ドサクサ紛れのテロリストみたいなもんでしょ。
前線正面にいる福島隊からすれば、迷惑であっても不名誉であったり焦る等の理由にはならないだろう。
0704人間七七四年
2008/08/16(土) 13:56:17ID:MRKlQrKhなんとか奮戦して挽回しようと焦ったんじゃないの
0705人間七七四年
2008/08/16(土) 18:48:45ID:BNnAYj71福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
>>703
先陣奪われたのにはやっぱかわりないからあせりはあったんじゃない?
0706人間七七四年
2008/08/16(土) 19:44:58ID:YKBezq3o福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
福島で調べたらどこのサイトも互角とか書いてあるはずだよ
福島で調べたらどこの“サイト”も互角とか書いてあるはずだよ
サイトがソースだそうですw
0707人間七七四年
2008/08/16(土) 20:08:20ID:Lec9Rye/関ヶ原を見てきた香具師らがレポってたんだな。
0708人間七七四年
2008/08/16(土) 22:59:51ID:l9XjgXMrまあなんだな、落ちつこうよ涼しくなってきたし
0709人間七七四年
2008/08/17(日) 17:40:41ID:lYiNFheN0710人間七七四年
2008/08/17(日) 17:44:29ID:42X9QbVI0711人間七七四年
2008/08/18(月) 21:14:13ID:fNfhIkF2アンチ福島なら討ち死にだろ
0712人間七七四年
2008/08/18(月) 23:32:22ID:x0LY8/mc概ねスルーが多い気が・・・。
まあ、宇喜田は家康が陣場野に出た位から攻勢強めて、
関ヶ原横断して、徳川勢に数度攻撃しているわけだけど、福島がその間何していたかはどこも語らない。
(いえ、必死こいて多分再編成していたのだろうけど)
正直な話、東西両軍右翼に兵力集中しているわけで、左翼は劣勢。つまり、左翼は本質的には防御しなきゃならん。
その状態にも関わらず、数度突撃して最後に戦線に大穴明けた福島は序盤の東軍劣勢の首班なんじゃねえぇかって思う。黒田や細川も酷いけどね。
0713人間七七四年
2008/08/19(火) 00:13:18ID:vP/QEma6>まあ、宇喜田は家康が陣場野に出た位から攻勢強めて、
>関ヶ原横断して、徳川勢に数度攻撃しているわけだけど、福島がその間何していたかはどこも語らない。
何の史料に書いてあるの?
0714人間七七四年
2008/08/19(火) 20:35:01ID:xQMK5l7iはっきりいってアンチは難癖つけすぎ
認めるべき所は認めるべきだな
0715人間七七四年
2008/08/20(水) 11:41:27ID:T1dMypKx徳川的には、文武に通じていたら、大減封→没収の流れが不自然になっちゃうからなぁ。
戦で活躍も治世に不備でやむを得ずって流れに仕立てるには、戦はできたけども=猛将って仕立てたのかもしれない。
0716人間七七四年
2008/08/20(水) 13:05:29ID:v69WksDvお家騒動とか領内仕置の下手(一揆とか)を理由に改易の場合ならともかく、
正則は幕府が定めた法度違反だから、当てはまらなくないか?
0717人間七七四年
2008/08/20(水) 22:45:38ID:SesnynO30718人間七七四年
2008/08/21(木) 08:38:54ID:1/iAGXxe0719人間七七四年
2008/08/21(木) 19:12:50ID:Gw7f3uzeゲームとか軽く触ってる人には猛将
2chみてたりちょっと調べてる人だと猪って感じじゃね
0720人間七七四年
2008/08/22(金) 00:36:36ID:ZTi2ajlk政争に巻き込まれてアボーン、不満を申し立てた農民をアボーン。
普請負担やってらんね発言で威厳もアボーン。宇喜多に酒を渡した話も捏造でアボーン。
戦:
メインは後方輸送部隊。朝鮮出兵でも日本勢力側の海をうろうろ。
関ヶ原では岐阜城でアボーン、関ヶ原でもアボーン。
家康に一喝されて号泣アボーン
0722人間七七四年
2008/08/23(土) 21:08:50ID:PI4hdl4L別にアンチじゃないけど。
福島の裏切りを程良く徳川テイストで捏造するには、「猛将」程度が丁度
いいんじゃね?実態は「この馬鹿が、太閤の眷属の癖に易々と寝返りお
るわw」だったとしても、福島の引っ張りが大きかったのは事実だし、家康
に信服し、助力をこう存在として。
0723人間七七四年
2008/08/24(日) 23:26:24ID:Z2qA7MtR正則の正室の名前がわからないんだが…。ウィキ見ても多分書いてなかった。
誰か教えてくれ。
0724人間七七四年
2008/08/24(日) 23:32:30ID:GmPAEdf80725人間七七四年
2008/08/26(火) 00:26:57ID:C+/1gm3p自分の棺桶自分で作ったの?
0726人間七七四年
2008/08/27(水) 00:46:42ID:Cbt8rCu0叩き上げの猛将
0727人間七七四年
2008/08/27(水) 11:39:49ID:SjPUNJwl0728人間七七四年
2008/08/29(金) 14:24:40ID:AHEwYlKr0729人間七七四年
2008/08/29(金) 21:09:34ID:XFEs2gQ8司令官は後方で突撃命令
足軽は物の見事に全滅
笑えんわ
0730人間七七四年
2008/08/29(金) 21:41:33ID:adS4ZHv/に、してはお粗末と思ってしまうのは漏れだけ?
0731人間七七四年
2008/08/29(金) 23:07:25ID:IFTbwt+5後は不幸にして福島軍に従軍した兵士達の冥福を祈るのみ
0732人間七七四年
2008/08/30(土) 00:03:24ID:+f3+NND90733人間七七四年
2008/08/30(土) 03:17:30ID:bQ2LXszk本人が成した事でなかったとしても、人となりを表す意味で、全く明後日の
方向を向くものでもない。
そういうものが平均化されて、実像に近くなっていく。
よって少なくとも、正則は猛将といった方が当てはまるのでは?
0734人間七七四年
2008/08/30(土) 06:00:02ID:L8wpzg0fそれでは武将の7〜9割は猛将でおじゃるな
0737人間七七四年
2008/08/30(土) 13:01:00ID:3JtsemG5大袈裟だけど、数値の根拠は?
猛将と呼ばれてる武将は多いけど、程度に差はあるし、割合もそんなに多くないと思うけど。
>>735
理論て大げさなw 今の世の中でもそうでしょ。
三成には、良いエピソードもたくさんあるし、奸臣とは全く思わない。
0738人間七七四年
2008/08/31(日) 04:10:59ID:c7W8q7YF少なくとも福島が猛将って根拠やエピソードは殆んどないけど
0739人間七七四年
2008/08/31(日) 06:07:54ID:2ix9av3I完全に創作で明らかに違うものというのは自然淘汰されていくもんだよ。
その人と接触した人というのは、たくさんいるわけだから。
猛将と言える根拠やエピソードはほとんどないのかもね。でも、現在
猛将として伝わっている。それでいいんじゃない?愚将として伝わるものも
あるわけじゃない。
0740人間七七四年
2008/08/31(日) 07:02:11ID:IUvYK1RT権力を持った人間が流布してその地域に根づいて、時を経てその「伝説」が古くから伝わるものとして、各地に広がる。
検証だの自然淘汰だのは、現代的な考え方過ぎる。今みたいな情報社会じゃないんだから。
0741人間七七四年
2008/08/31(日) 07:25:25ID:2ix9av3I一般的な事象としては仰る通り。
ただ、ここでは一武将の評価という限定された範囲の話。
正則の評価について、自身で流布したものもあるかもしれないが、
上席の者、配下の者、同僚、敵方、一般人等、第三者的視点が入って
いるものも多分にあり、客観性はある。
それは正則に限ったことではないし、エピソードの真偽を物差しとして
正則のみを断じるのはおかしい。
0742人間七七四年
2008/08/31(日) 07:29:49ID:IUvYK1RT>上席の者、配下の者、同僚、敵方、一般人等、第三者的視点
これが、正則が生きていた当時の史料にちゃんと残ってるものについては、誇張はあってもある程度、信じて良いかもね。
でも、「言ったという」みたいな、出典がはっきりしないものは、軍記物やらの一人歩きが多いからねぇ。
偶像の「福島正則」なら構わないけど、史実で話している以上は、根拠がない「誰々がどういった」なんて話は、ただの物語だ。
0743人間七七四年
2008/08/31(日) 07:44:59ID:2ix9av3I史実の真偽追及という観点からだと、確かにの物語。
ただ、正則をはじめ、数多いる武将の間違い探しをしたいわけじゃない。
史実にないもの、根拠のないものを全て切り捨てていったら、今に伝わる
武将のなんと味気なくなることか。
例え物語に近しいとしても、その人となりが感じられるならば十分楽める。
論点がボケるので明白にするが、仮に史実でないということで正則を否定
するのであれば、逆に愚将であるとも言えないのでは?
0744人間七七四年
2008/08/31(日) 08:58:26ID:Un+OEToj実際に戦場で采配を振るったという事績が少ない。
同世代、つーか豊臣系2代目や秀吉子飼いの他の武将は、
一軍の大将として自家の兵を率いたという事績はある。
まあ、実は日本国内はよりも大部分は朝鮮だけど(w。
でも日本国内に限っても三成より将としての実戦経験すくなそーな。
イメージ云々以前の問題だと思うわけだが。
>論点がボケるので明白にするが、仮に史実でないということで正則を否定
>するのであれば、逆に愚将であるとも言えないのでは?
誇張分差し引いても、主家つーか血縁の(太閤の従兄弟だぜ?)豊臣家崩壊の
引き金引いたというのは事実。
三成云々は差し引いて、関ヶ原云々は差し引いても、真っ先に家康に近づいた
わけだし、言い訳なんないな。
0745人間七七四年
2008/08/31(日) 09:48:33ID:2ix9av3I関ヶ原の采配で十分では?極端な話、対毛利〜関ヶ原の実績有無は余り関係ない。
今に伝わる正則観は、関ヶ原に拠るところが大きいでしょ。
実績の多寡で武将の質が決定するなら、周知のとおり真田幸村なんか論外だよね。
自ら采配振るったのは大坂の陣だけ。でも、当時でも日本一の兵と評され、現代の評価も大。
もちろんそれを腐すつもりは全くない。
豊家滅亡の原因は三成だと思っている。秀吉亡きあと、家康への権力移譲は自然な流れ。豊家
親族である自らが家康に接近することで、豊臣・徳川の関係を強化し、徳川支配下での豊家存続
を選択した正則は現実的。
豊家の天下を維持・回復すべく家康と対決した三成は理想主義的であり、非現実的。もちろん、
感情的には三成のアプローチには惹かれるし、おかげで関ヶ原という大会戦が日本史に記された訳だから。
0746人間七七四年
2008/08/31(日) 10:59:51ID:Un+OETojつまり印象論だけで語るという認識でよろしいか?
実績も少々いれないと正則可愛そう。
>を選択した正則は現実的。
言いたいことはわかった。
関ヶ原後の正則の行動が現実的であったか語ってくれると助かる。
0747人間七七四年
2008/08/31(日) 11:07:19ID:9XddmWWy三成が理想主義的というよりも三成と武断派では秀吉から貰ったものの価値が違うのが大きいと思うよ
武断派が秀吉から貰ったのは戦の恩賞としての領地であり
石高というのは豊臣政権がなくても通用する普遍の通貨であるわけだ
それに武断派にとっては豊臣政権だろうが徳川政権だろうが政権参画が不可能なことは変わらない
どうしても豊臣政権でなくてはならない動機付けが弱くなってしまう
対して三成の場合19万石の領地よりも奉行としての権力が一番重要なものであり
奉行としての権力は豊臣政権が存在しなければ使うことが不可能な豊臣専用の通貨となる
奉行でなければ三成なんてただの人に過ぎなくなるわけだから
リスクを犯してでも豊臣政権を維持しようと考えるのは必然だろう
別に三成が武断派連中より忠義が厚いというのではなくて
貰ったものの使い道が各々で異なるため対応も異なるものになったと考えた方がいい
0748人間七七四年
2008/08/31(日) 11:09:50ID:+3lU7P30何を以って豊家滅亡とするかだろうな。
跡継ぎを根絶やしにされたことが一番強烈だろう。
跡継ぎが生きていれば、どのような形であれ家は残る。
ましてや出自はどうあれ関白にまで登り詰めた人物の子孫だから、普通なら無碍には出来ない。
しかし、やっちまった人がおるんですよ。
関ヶ原で大外堀を埋め(家臣団の分裂を利用した頭取りと追い込み)、
十数年かけ物理的な堀を埋め、女主人と秀頼を自害に追い込む。
その子(秀頼と側室の男子)も斬首。
かろうじて姫(秀頼と側室の女子)だけは、秀頼の正室だった人(やっちまった人の孫でもある有名な姫)が
養女にすることで何とか命は助けた。が、女子ゆえに此処で家は断絶。
ま、そういうことです。
0749人間七七四年
2008/08/31(日) 12:21:13ID:2ix9av3I印象論じゃないです。
>>744において、対毛利〜関ヶ原において采配実績が不足、という事に対する回答。
関ヶ原のみでも、正則の戦闘能力は十分評価可能では?という意。
関ヶ原後、具体的に尽力したことと言えば、二条城の会見ですよね?
ちょっと意図がわかりにくいです。
0750人間七七四年
2008/08/31(日) 12:25:18ID:2ix9av3I子飼い武将から、豊家への忠節という要素を排除したら、そもそもの土台が壊れる。
豊臣・徳川の別なく領国を維持したいだけなら、秀吉死後、手の平を返せばいい。
数ある豊家への不変忠節エピソードは全て不要。
三成については、確かにそうですね。豊家への忠節は疑うべくもないけれども、
自身の権力欲も当然あったかとも思います。
正則の資質云々という話からは、ちと外れてる気がしますけどね。
0751人間七七四年
2008/08/31(日) 12:26:52ID:2ix9av3I仰るとおり。
後継ぎを根絶やしにされないためには、家康に早々に屈するべきだった。
大坂城から退き、他所で一大名に転じていれば、滅亡させられる事もなかった。
それこそが、清正・正則等が企図した所。
0752人間七七四年
2008/08/31(日) 12:52:43ID:+3lU7P30やっちまった人は計画的に物事を進めているので、一時的に屈しても無駄だろう。
豊家子孫=担ぐ神輿ですからな。
神輿がなくならない限り、担ぐ人間は必ず出てくる。
やっちまった人には目の上の厄介なタンコブとして残り続ける。
何故かというとね、千姫が助命嘆願した子(秀頼と側室の女子)も斬首の予定だった。
殺された男子が8歳だから、同じぐらいの歳でしょうな。
子孫の年齢は若い、やっちまった人は老年、コントロールできない死後の憂いを断つための根絶やしですよ。
加藤、福島が何をやろうと無駄だったと推察します。
0753人間七七四年
2008/08/31(日) 13:14:50ID:hELyZDL20754人間七七四年
2008/08/31(日) 13:25:46ID:2ix9av3I確かにその可能性は大きいと思います。日本全国戦国の世ではよくある話でしょう。
ただ、家康存命の間に豊臣家を滅ぼせたかは疑問です。史実ですら、方広寺の梵鐘のような
名目を必要としていました。ひたすら恭順姿勢を示す相手には難しいのではないですか?
仮にも前の関白の子息を、理由もなく殺害することは困難です。家康が愚かなら別ですが。
いずれにしても、加藤・福島両人のやろうとした事は、仮に無駄に終わったとしても、
正しかったと思います。
0755人間七七四年
2008/08/31(日) 15:14:20ID:Un+OEToj>正しかったと思います。
三成が正しかったのと同じくらい正しいし、
結果的に失敗したので三成と同じ位間違っているわけだ。
結局三成とかの差は家康の野心の読み違え程度の差だというわけだ。
いえ、正則が天下を家康に謙譲するほどの覚悟があったというならそーじゃないけど。
0756人間七七四年
2008/08/31(日) 15:34:33ID:7ZLH7ML2福島正則は何を思ったんだろうか。
今となっては確かめる術もないが。
0757人間七七四年
2008/08/31(日) 16:36:57ID:c7W8q7YFそれこそ印象論で語らないと猛将なんてイメージはつかないよね?
宇喜多相手に無茶苦茶な采配でぼっこぼこにされてるじゃない。
ひたすら前進・突撃命令出すのが猛将ってかい?
あまりにも愚だよ
福島の関ヶ原の通しての手柄は家康と真っ先に手を組んだ事、清洲を明け渡した事に尽きる
0758人間七七四年
2008/08/31(日) 19:12:13ID:VwZVthyx関ヶ原本戦で、宇喜多にボコボコと言う人いるけど、それ違うよ。
1対1の会戦でなく、総指揮・徳川家康の1部隊の位置付けなんだからさ。
友軍とのバランスもあるし、自分の部隊だけ好き勝手出来るわけじゃない。
西軍の島津とは違うんだって。言う必要もないけど、兵数だって3倍違う。
というか、表面だけ読んで知った気にならないで考えたら?
0759人間七七四年
2008/08/31(日) 19:28:40ID:Un+OEToj>関ヶ原本戦で、宇喜多にボコボコと言う人いるけど、それ違うよ。
まぎれもなくボコボコです。
>1対1の会戦でなく、総指揮・徳川家康の1部隊の位置付けなんだからさ。
>友軍とのバランスもあるし、自分の部隊だけ好き勝手出来るわけじゃない。
なんか、井伊と先陣争って無謀な突撃したとかよく言われるけど・・・。
>西軍の島津とは違うんだって。言う必要もないけど、兵数だって3倍違う。
>というか、表面だけ読んで知った気にならないで考えたら?
東西両軍、右翼に兵力を集中しています。
つまり、右翼で攻勢かけるか、左翼に予備兵力を投入するかの2択。
福島はその点に留意して宇喜田を拘束する戦術をとらにゃいけない。
三成の様に。
表面上だけで言えば上記です。
他に何かあるんでしょうか?言って欲しいです。
0760人間七七四年
2008/08/31(日) 19:53:27ID:Ho7ceABgここまでする必要があったのか?
実戦の評価も、>>759の言うことを覆しようがないし、仮に三成が死ぬほど憎くても、
徳川は豊臣家中とは違う。いくら内輪げんかしても、外部のものに易々とくれてやる
など狂気の沙汰としか言いようがない。本当に死ぬほどの思いをして豊臣の天下に
貢献してきたのかどうかも、疑わしいね。
0761人間七七四年
2008/09/01(月) 06:19:15ID:8KYYaKhzちょっと教えて頂いていいですか?
東軍の主力はずっと左翼だと思ってました。
ググっても戦術的な事はわからなかったのです。
0762人間七七四年
2008/09/01(月) 20:25:28ID:BfyLWpb+全然釣れてね〜し。笑えるw
0763人間七七四年
2008/09/01(月) 21:38:55ID:E837CDl0俺の言う事を聞いてれば豊家安泰なのに・・・
太閤殿下に申し訳ないっ
正則の政権構想は側近独裁ではなく武断派諸将の連合政権で徳川に対抗するのだろう
全く空回りだったけど
石原莞爾くらいの評価はされていい
0765人間七七四年
2008/09/01(月) 22:10:01ID:zw/y5RON0766人間七七四年
2008/09/01(月) 23:54:57ID:BfyLWpb+福島はどうでもいいんだが、それあってる?
西軍は鶴翼で、宇喜多が要の箇所なのはOK。
東軍は魚鱗から変じて、西軍の配置に対応した陣形と何かで
読んだことがあるんだが。調べても出てこねぇんだけどね。
だとすると、東軍先鋒は福島だから、やっぱり左翼が主力じゃねーのかな。
0767人間七七四年
2008/09/02(火) 00:43:49ID:99V2/z2t>東軍は魚鱗から変じて、西軍の配置に対応した陣形と何かで
>読んだことがあるんだが。調べても出てこねぇんだけどね。
陣形なんで概ね後付けだからな。
単純に西軍が防御の陣形をとって、東軍が突破の陣形とった程度でいいんじゃないの?
小早川その他が不参戦なので宇喜田が中心だけど、実際は右翼になっちゃってる。
考えてみると、小早川その他のを東軍がよくあれだけスルーできたと関心するな、
>だとすると、東軍先鋒は福島だから、やっぱり左翼が主力じゃねーのかな。
兵力で言えば、黒田・細川を主力とする右翼が多い。
まあ、家康が陣場野にいった時点で福島は戦果拡張の余地なしとみなされたわけだけどな。それとも黒田ヤバス説かな?
陣場野ってぶっちゃけ右翼そのもの石田の陣地の精々数百m前(w。家康はっちゃけすぎじゃね?
0768人間七七四年
2008/09/02(火) 18:54:44ID:/314AhaS補給線維持のため漢城の南東辺りの稷山城を守備していたが敵の攻撃を三度受け、
三度とも撃退している。 『国史実録』
その後、竹山に駐屯していた時に、遍以中が率いる朝鮮軍の攻撃を受けているが
これも撃退している。 『富田文庫』
>>699
>その2ちゃんでも福島は兵站の担当だったってだけで武功自体は聞いたこともない。
まぁ、敵を撃退しただけで武功と呼べるかどうかは疑問ではありますが、ググった程度の知識では
限界がありますね。まして2chの書き込みだけで判断するのはいくらなんでも不味いでしょう。
「知れば知るほど嫌いになる」とのことですが、レスを見る限り福島勢が半島に上陸して城に篭って
戦った事実も知らなかったようですから、批判するにしてももっと知ってからにしていただきたいものです。
>朝鮮で福島なんて知られてるわけなかろう。
戦ってる敵の情報は可能な限り入手しようと試みるのが常識だと思います。
当時の日本側も明,朝鮮軍の将の名や官位や立場なんかを認識してる場合もあった訳ですし、
捕虜から聞き出す以外に、内通者から得られるケースがあっても不思議ではありません。
ついでに日本側は朝鮮人から年貢を取り立てることもしていたそうなので、地元民との接触から些細な
情報が流れるということもあったと思われます。
0769人間七七四年
2008/09/02(火) 21:23:18ID:VDFiW2+I0770人間七七四年
2008/09/02(火) 21:34:44ID:/314AhaS少なくとも2chソースよりはマシってか比較対照にもにもなるまいてw
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