殺人を犯して逃亡した −2
粗野で下品は終生なおならなかった(てか直そうとしてないw) −2
東部方面司令官の癖に城も物資も全部家康にくれてやった −5
諸将を東軍につくように説得しまくった −2
竹鼻城を一気に抜いた +1
群議で演説をぶち、三成憎しで衆議一決させた −2
関ヶ原後豊臣家の守護者として振る舞う −5
後の節目でも、ことごとく実力行使で反旗を翻すことが出来なかった −7


到底豊臣家御大事で行動しているとはおもえん。
関ヶ原の後あらためて秀頼様云々は、カムフラージュなら醜悪きわまりないし、
逆に本当にそう思ってるならこれはもう馬鹿としか言いようがない。
冷徹な計算のもと、秀吉の冷遇への意趣返しの面も濃い、しかも如水はあわよ
くば九州を切り取って天下へ、なんて考えてる黒田、福島より遥かに戦功も将器
も文化や内政能力もあった藤堂とくらべても、単なる三成憎しで行動して載せられ
ていっただけの馬鹿にしか見えない。
実際確信犯である藤堂は、福島のお陰で目立たなかったが、その後の厚遇をみ
ても、こいつと細川が主犯格であるのは間違いない。この両家はその後の保身や
諜報戦略も見事だった。

あの世から太閤殿下は呻いただろう。
「やっぱ馬鹿の市松はどうしようもないぎゃあorz」