福島正則について語るスレ
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0001人間七七四年
2007/05/06(日) 21:48:32ID:uwqKS5Km石田三成の劣化版でしょこの人?補給線守ることしかできないような。
0596人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 14:52:03ID:TJ4shIDK福島は前田達に私婚を追及される立場だからな…
家康に付かざるを得ない(自業自得だが)
0597人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 19:40:13ID:k7aQRb3Gその時清正は利家の護衛してるんだぜ?
利家は清正を息子の様に可愛がってて(自分の性分と似ているとか)、清正も利家を慕っており
利家は死ぬ間際前田利長と清正を呼んだらしい。まぁ死ぬ間際に呼んだってのは嘘臭いが。
まぁ清正も正則に愛想尽かしてるし正則のkYっぷりはよっぽどだろ。
0598人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 19:41:39ID:k7aQRb3Gよもや井伊と松平に煽られて突撃したわけじゃないだろうな
0599人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 19:59:00ID:c7DZvyH7こんなのが一族にいなければ変に猪武者に頼ることも
なく豊臣政権を作っただっろうに
0600人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 20:27:33ID:bKD0UjSNつーか、グルの可能性高いけどね。
婿の池田が(こいつは全く朝鮮にも三成とも接点ないわけだが)いる時点で
ついでに、細川と黒田がいる時点でいくらでもストーリー作れる。
0601人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 22:36:32ID:b4czlHcv何かの作品の影響?
0602人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 17:57:32ID:XMGqtZCvひとつは、賤ヶ岳のアレだな。一人5000石とほかの連中より多くもらってる。
まあ、これについては秀吉の政治的宣伝(『黄金太閤』)と見る人もいる。
あとは関ヶ原前後の動向じゃないか?
0603人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 20:17:49ID:YfKR997V一番槍欲しさに攻撃したら取り返しのつかない反撃を受けて開戦…
だったら馬鹿
0604人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 12:20:17ID:Hhei69xh「人を殺して立身を思いつくばかはいない」だし。
0605人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 16:25:30ID:+vAmVINL「豚のように使役された挙句捨てられた」みたいなことも言ってたしな。
司馬氏は正則にたいして結構辛い
0606人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 22:36:38ID:4uuVvMn+0607人間七七四年
2008/06/17(火) 07:47:22ID:gmpx46sD0609人間七七四年
2008/06/17(火) 09:12:05ID:9ISp9zqI0610人間七七四年
2008/06/17(火) 09:21:53ID:vQnUQRsZ0611人間七七四年
2008/06/17(火) 11:18:41ID:Nqii0goN三成も家康も前田もそれなりに構想や理念はあっただろうが、
正則は情念だけで他は何もなかった。
(家康に近づいて甘い汁を吸おうとか寄らば大樹の陰という思考もう薄かったじゃねーか?)
関ヶ原という革命・クーデターが終わったらその時点で誰にも価値が無い男に成り下がった。
歴史の他の同類の様に。
0612人間七七四年
2008/06/17(火) 11:24:42ID:iRpEpHB90613人間七七四年
2008/06/17(火) 17:20:23ID:UXHHceuj0614人間七七四年
2008/06/17(火) 21:05:59ID:DwKZLNuT正則は最後はどんな感じだったとか伝わってないからな。
切腹したってのも真実か不明だし。
せめて改易を申し付けられた時に反抗して華々しく戦って死んだら、
後世の人気も変わったろうに。実際幕府もそれを恐れたらしいし。
0615人間七七四年
2008/06/17(火) 23:32:08ID:4YQFRzIE秀吉との思い出を美しく保存することだけ
だから秀吉が晩年に見せた醜態は三成に責任転嫁して処刑しなければならないし
豊臣が権力にしがみつく姿は醜いので徳川に権力を委譲しただけだ
豊臣が滅ぶことに少しためらいはあっても豊臣が醜態を晒し続けるよりはマシだし
別に自分自身が滅びることにもさほどこだわりはない
正則に構想や価値がないと言ってる奴がいるが正則自身は目的を完遂している
0616人間七七四年
2008/06/17(火) 23:46:26ID:Nqii0goN>別に自分自身が滅びることにもさほどこだわりはない
だとしたら、大大名である家康と婚姻結ぶ必要ないわけだけど・・・。
0617人間七七四年
2008/06/18(水) 13:58:49ID:PvzH2Uq1それで知略でのし上がったわけでもないから、家康に良いように使われたと。
三成は再評価とかで、見方が変わっている人も多いが、
正則の場合は、再評価されて悪化することはあっても、今以上に評価があがるのは難しいだろうな。
0618人間七七四年
2008/06/21(土) 03:08:28ID:l7tCITW0幕府が国もち規模の大名でも改易ということがしやすくなった契機だと思う。
清正などは「虎藤に所領が渡されないようなら戦え」みたいなことを言い残した
というエピソードがあったりするけど
0619人間七七四年
2008/06/21(土) 06:55:38ID:+706dtIWぶり見ると、どう考えても虚名でしかないよな。
0620人間七七四年
2008/06/21(土) 10:18:14ID:VewEQ7PI陸路は山陽道と山陰道の結節点であり海路は瀬戸内海の中心部を扼す位置
軍事的には攝津に豊臣勢力が健在時に豊臣へ帰参すれば九州勢の上方への
移動は陸路荒れやすい土佐沖ルートになりかなりきつい
経済的にも九州からの穀米等の上方方面への移送が瀬戸内海を経由しがたい
ので物資不足を促進
血縁的には豊臣の連枝
福島の資質がどうこうと言うよりも置かれた立場が重要だわな
0621人間七七四年
2008/06/21(土) 23:36:20ID:1055dfnQただ立場上そんなことは表に出せないから三成を処刑して豊臣を守るという形でモチベーションを喚起しようとしたけど
いざ三成を処刑してもやっぱりモチベーションが上がらないからどうすることもできなかっただけ
すべて豊臣が悪いのは明白なのに責任転嫁されるのはおかしい
0622人間七七四年
2008/06/21(土) 23:49:48ID:7XhRlnD60623人間七七四年
2008/06/22(日) 22:25:32ID:48Q40IPB0624人間七七四年
2008/06/28(土) 10:28:24ID:M8XzHQSr関ヶ原で負けたバカ大名の癖にwww
0625人間七七四年
2008/06/28(土) 10:46:33ID:HQCKbOBp0626人間七七四年
2008/06/28(土) 11:04:56ID:Ew9QcdwQ三成みたいに一貫していれば例え失敗してもある程度の評価はあったんだろうけど。
もし大阪の陣の時に、単身でも入城していれば評価はうなぎ上りだっただろうね。
それでも勝てたとは思えないが。
清正は明らかに大阪つぶしの動きがあれば徳川とやるつもりだったんだろうけど。
人間そんなもんだから仕方ないのかな。
0627人間七七四年
2008/06/28(土) 11:59:50ID:FMKywbiz豊臣は何もせずに二十年も三十年も前のことでタカリを繰り返しているだけ
淀や秀頼自身にはなんの努力も功績もないのに威張り散らしているのだから
どうしてそんな人間のために単身で入城しなければいけないんだよ?
助けて欲しければ豊臣側で過去の失政を謝罪したり二度と過ちを繰り返さないと誓うのが先だろ
0628人間七七四年
2008/06/28(土) 17:31:41ID:t+h4s/LQ自他とも認める猛将 +1
賤ヶ岳七本槍 +1
関ヶ原後も豊臣家に対して忠誠心があった +1
大阪の陣の時に密かに米をやった +1
宇喜多秀家に酒を恵んだ +1
部下の仇、伊奈図書を切腹させた +1
恐妻家つまり愛妻家 +1
酒乱 −1
結果的に主家の滅亡に手を貸した −1
家康に謀反勧められて泣いた −1
惨めな晩年を送った −1
日本号を取られた −1
総合評価 +2
結論 正則は名将
0629人間七七四年
2008/06/28(土) 19:17:30ID:jNrT275j0630人間七七四年
2008/06/28(土) 20:35:44ID:8l9LxvlZ猛将の評価はちょっと眉唾なんだが。
秀吉の主だった戦に参陣してるわりには賤ヶ岳以外での逸話をほとんど聞かんのだが。
0631人間七七四年
2008/06/29(日) 09:53:50ID:8JxQs/QC粗野で下品は終生なおならなかった(てか直そうとしてないw) −2
東部方面司令官の癖に城も物資も全部家康にくれてやった −5
諸将を東軍につくように説得しまくった −2
竹鼻城を一気に抜いた +1
群議で演説をぶち、三成憎しで衆議一決させた −2
関ヶ原後豊臣家の守護者として振る舞う −5
後の節目でも、ことごとく実力行使で反旗を翻すことが出来なかった −7
到底豊臣家御大事で行動しているとはおもえん。
関ヶ原の後あらためて秀頼様云々は、カムフラージュなら醜悪きわまりないし、
逆に本当にそう思ってるならこれはもう馬鹿としか言いようがない。
冷徹な計算のもと、秀吉の冷遇への意趣返しの面も濃い、しかも如水はあわよ
くば九州を切り取って天下へ、なんて考えてる黒田、福島より遥かに戦功も将器
も文化や内政能力もあった藤堂とくらべても、単なる三成憎しで行動して載せられ
ていっただけの馬鹿にしか見えない。
実際確信犯である藤堂は、福島のお陰で目立たなかったが、その後の厚遇をみ
ても、こいつと細川が主犯格であるのは間違いない。この両家はその後の保身や
諜報戦略も見事だった。
あの世から太閤殿下は呻いただろう。
「やっぱ馬鹿の市松はどうしようもないぎゃあorz」
0632人間七七四年
2008/06/29(日) 12:09:46ID:FVWlFPu7岐阜城攻めで騙される
関ヶ原で単身突入→呆気なく壊滅
清正にも見捨てられる粗野
0633人間七七四年
2008/06/29(日) 13:21:41ID:bi7lj75T三成の馬鹿にくらべたら正則の方がまし
藤堂や細川みたいな裏切り者の糞大名はどうでもい
0634人間七七四年
2008/06/29(日) 14:08:18ID:W/WfZKo10635人間七七四年
2008/06/29(日) 15:35:59ID:r2s27hj9ゆえに現代的に言えば多少のDQNぽさには目をつぶり、逆にDQNゆえに恩を
与える事により他家からみれば融通の効かない豊臣の盾として盛り立てていった
それは対柴田戦後の処遇をみても、羽柴家による天下統一後の最終的な封地が
尾張清洲であった事をみてもわかる
東海道路にずらりと子飼い武将系を置き東方の拠点としての清洲に縁者福島
いったん事ある時には趨勢に関係なく豊臣の盾となるであろうと・・・
それがころっと転がされ備蓄しておいた物資ごと徳川に献上
時がたち大坂の陣が勃発してもなんともいえない中途半端さ
豊臣滅亡後の改易騒動時にも我が身大事とばかりに安芸1国から川中島という
舐められきった処遇に甘んじる
結局なにもしてない
0636人間七七四年
2008/06/29(日) 15:41:33ID:P6ms4Agt優遇された立場なんだけどね。
こき使われた。細川、黒田、清正(身内だけどこき使われたかわいそうな人)が逆心抱くのも
こき使われたけど、優遇された、三成、宇喜田、行長(商人上がりとはいえこき使われ度はいかがなものかと)
はそれぞれに応じた立場で関ヶ原に臨んだ。
正則は?典型的なごくつぶしの身内の対応でしたな。
0637人間七七四年
2008/07/03(木) 07:50:41ID:T0zVbKy40638人間七七四年
2008/07/03(木) 16:19:28ID:M0EB8jYW0639人間七七四年
2008/07/03(木) 23:18:07ID:vz4hWh8Tこいつもコネ出世だから相当恨まれてたんだろうな
加藤清正とか小西を薬屋とか言ってたらしいけど
福島にも内心桶屋の分際で、みたいな事は思ってたに違いない
国人領主や土豪の出身が豊臣恩顧は多いからな
0640人間七七四年
2008/07/04(金) 04:54:58ID:KKs3v1Xu恨んでても言えないんじゃないかな
0641人間七七四年
2008/07/06(日) 02:38:49ID:52OyuCZRコネ出世という点では清正も変わらんからなあ。
ただ、輝政とのエピソードをみるかぎり、それほど
人望が有るとも思えん
0642人間七七四年
2008/07/06(日) 19:52:52ID:+tA5F4Jw初陣の長篠から死ぬまで足跡が見えるのがでかいよね(´・ω・`)
0643人間七七四年
2008/07/15(火) 11:05:56ID:AbMQZ4oM0644人間七七四年
2008/07/15(火) 11:31:58ID:32hCE6Dx0645人間七七四年
2008/07/15(火) 20:29:06ID:mzTMNGYkこの言葉がこれほど似合う大名もいない
0646人間七七四年
2008/07/15(火) 21:54:21ID:tnTL4nFy真田幸村じゃなくて正則の突撃スキルが発動してたら
家康もヤバかったぜ
そういう意味での安堵の笑いだった
0647人間七七四年
2008/07/16(水) 12:14:21ID:6JfA9xhw明石に蜂の巣にされる男に何ができる?
0648人間七七四年
2008/07/16(水) 15:58:03ID:+hA+t28G一番似合うのは毛利だよww
ヘタレ=毛利だからwww
0649人間七七四年
2008/07/16(水) 16:00:45ID:UKoX5yID0650人間七七四年
2008/07/16(水) 16:25:07ID:cS0GEhMf0651人間七七四年
2008/07/16(水) 17:52:30ID:XYlmIvzm何も出来ずに転がり落ちてった正則とは違う。
0652人間七七四年
2008/07/16(水) 19:04:22ID:+hA+t28G毛利一族全部
0654人間七七四年
2008/07/18(金) 09:49:32ID:5/eXvRaQしょせん毛利ww
0655人間七七四年
2008/07/18(金) 10:44:44ID:xP7hR7CO妙な煽りは全部武田厨だから関わらないほうがいいよ
ケンカさせてニヤニヤしてるんだから
0656人間七七四年
2008/07/18(金) 13:44:15ID:5/eXvRaQ0657人間七七四年
2008/07/18(金) 13:54:46ID:gVxtXzmdまた織田厨が煽ってるのか…
妙な煽りは全部織田厨だから関わらないほうがいいよ
ケンカさせてニヤニヤしてるんだから
“sage”もできない人が
「煽り」
とか何言ってるんですか?w
0658人間七七四年
2008/07/19(土) 11:47:56ID:SugJcsw6小早川秀包は過大評価されすぎ
しょせん毛利一族のカスwww
0659人間七七四年
2008/07/19(土) 11:49:03ID:SugJcsw60660人間七七四年
2008/07/19(土) 11:49:49ID:r1Z1BdM10661人間七七四年
2008/07/19(土) 12:10:23ID:CzMI5Q+h毛利と福島になんか共通点があればいいんだけどな(´ω`)
0662人間七七四年
2008/07/19(土) 15:27:57ID:Hv9yNpms0663人間七七四年
2008/07/20(日) 01:16:26ID:OzgEdn+l0664人間七七四年
2008/07/20(日) 03:45:33ID:QLDP7NfZ0665人間七七四年
2008/07/20(日) 03:45:36ID:Jm9AnVVz0666人間七七四年
2008/07/20(日) 11:38:00ID:rK/7MJ9c>そもそも石田三成の推薦で清洲城もらったんでしょうが
捏造するな三成の推薦などない
>石田には感謝こそすれ恨みをもつ理由など無いんだけどね
加藤・黒田といった同じ派閥の人間がことごとく標的になればいつか自分も三成にやられると考えるのは当然の事
実際、秀吉が早く死んだから助かっただけでもう数年生きていれば福島も三成の標的にされていただろう
0667人間七七四年
2008/07/20(日) 12:23:53ID:glOAf2K/加藤と黒田は朝鮮の役でやられたが、別に個人的攻撃されたわけじゃない。
個人攻撃されたのは細川だけど、これは秀吉の意向だしー(男の嫉妬ってやーね)。
逆に言えば、秀吉に可愛がられている福島は絶対に三成に攻撃されないって保証されたようなもんだけど。
加藤は実は可愛がられていない(w。九州の片田舎にライバルの小西と一緒に飛ばされて、
朝鮮の役の先鋒やらされたのを可愛がっているというのなら話は別だけど。
0668人間七七四年
2008/07/20(日) 20:57:52ID:qCT92st60669人間七七四年
2008/07/20(日) 22:40:55ID:glOAf2K/政権に露骨に立て付くのは神でもない身ではわからんでしょう。
どっちかっていうと、家康があそこまで身軽に動いたことと、
大老のふがいなさは秀吉の読み違いだと思うが。
まあ、豊臣の土地は恩賞という事で家康が勝手に与えるって事を
看過してしまった時点でお仕舞いと見るべきだろうね。
だって、絶対家康に付いた方が得だもん(w。
0670人間七七四年
2008/07/22(火) 05:23:57ID:eNrX/XWo0671人間七七四年
2008/07/22(火) 19:12:21ID:TrVphKdx>そもそも石田は秀吉在世中は誰々の領土をどうするか決められる身分だから 上杉の領土移転なんか三成の考案だしね
三成はそんな身分ではない、あくまで奉行、命を受け奉り行う役職、上杉の転封も三成考案とか、
これらを証明する史料やそう主張する論文等の教えて、聞いたこと無いから
0672人間七七四年
2008/07/24(木) 22:13:36ID:h2iilAZa0673人間七七四年
2008/07/26(土) 09:56:18ID:QxDPIxZoほぼ間違いないってことはその推測を成り立たせたもとになったものがあるんだろうから
煽りとかでなくうろ覚えとか孫引きでいいから読んだ本を教えてくれ
複数の文献から自分で思いついた説とかでいいからどの辺がもとなのかを
面白そうだから調べたいんだ
0674人間七七四年
2008/07/30(水) 08:39:14ID:MZdvwwKl長男次男の生没年はいつかわかりますか?
正友(長男?次男?忠勝と同母兄弟?)は名前からして元服してからの
死去だと思いますが、そう考えると私婚問題のときに養嗣子の正之が
いるのが謎なんですが。
0675人間七七四年
2008/07/30(水) 09:19:39ID:qxPAP1XN「何番目の子供なのか?」と言う命題は、身分が低ければ低いほど、
恐ろしく、あやふやなもので、福島さんランクだと、
正直「分からん」のが、一般常識だと思います。(自分の母の謎が分からないように)
0676人間七七四年
2008/07/31(木) 23:49:56ID:RHlaxiKj哀れ
0677人間七七四年
2008/08/05(火) 23:29:48ID:mhOqUrED加藤清正
腰抜けの屑とは話すしたも持ちません
池田輝政
はいはい女房のおかげで出世しましたよ、うぜぇから話しかけてくるな
黒田長政
正直関わりたくねぇや
藤堂高虎
馬鹿の愚痴を聞かされる俺
0678人間七七四年
2008/08/05(火) 23:40:52ID:PDyZjfqQ0679人間七七四年
2008/08/06(水) 15:34:12ID:eOOocd9O0680人間七七四年
2008/08/06(水) 19:25:50ID:kJoOCHTiいえ、知りたいのは何番目かということより、生没年と母親です。
忠勝が正室腹なので、もし正友も正室腹なら生年によってはあの時期に
「養嗣子正之がいてそれを家康の養女と結婚させた」ことが今まで
思っていた以上に意識的なことなんじゃないか、と個人的に思ったので。
0681人間七七四年
2008/08/06(水) 23:39:15ID:Gcyd5CNF家「国に帰って反乱起こしたっていいんだぜ?(笑)」
正「某にそんな根性はありませぬぅぅぅ号泣
土下座でもなんでもするから目を付けないでくだしゃいー号泣」
家「そう言うと思ったよ失笑」
これが清正になると…
本「清正殿、戦の時代も終わって大量の兵を引き連れ上洛するのはなぜだ?
そして何故髭を剃らぬのか?っと家康様が仰っておった」←隠居汁
清「某国が遠くいざ奉公の際兵が足りぬため上洛する際は兵を多く連れて行くのです
戦無くなれと言えど髭は兜を被るとこれがまた気持ちが良いので剃る事は出来ません」
家康はこれを聞いて「清正がそういったか…ははは(失笑?」っと笑った。
失笑がこれだけ違う
0682人間七七四年
2008/08/07(木) 19:53:56ID:Wj24y/r50683人間七七四年
2008/08/07(木) 22:09:19ID:puICrvpd清正は関ヶ原にいなかったからある程度の強気でいられるわけで
敵に包囲されながら一緒に戦い抜いて勝ったという特殊な経験をすれば
心の中で徳川配下というアイデンティティが形成されてしまうのは仕方がない
それが家康が関ヶ原をやった理由の一つでもあるわけだし
0684人間七七四年
2008/08/07(木) 22:53:30ID:Wj24y/r50685人間七七四年
2008/08/12(火) 07:08:22ID:PPLX9RAZしずがたけの時のちょっとインチキ臭い猪武者な活躍が元ってわけでもないでしょ?
それともバンザイ突撃しとけば日本では勇猛な将軍扱い?
あと福島の配下で名の知られた有能な家臣ってダレ?
可児はたまたま関ヶ原のとき福島家にいた流れの傭兵って感じで、違う気がするんだ。
0686人間七七四年
2008/08/12(火) 11:55:35ID:czKgZOhK関ヶ原では何故か福島が宇喜多と善戦してとかよく説明してあるけどかなり?な部分がある訳だが。
七本槍についても怪しい。
清正は初陣の長篠や他の戦いでも前線に立ってた(作り話かもしれんが)
らしいから何となくイメージつくが福島は?って感じだ。
関ヶ原で逃げる兵を怒鳴るくらいしかやってないような気がするが。
岐阜城攻めでもえらい間抜けだし…愚将じゃね?
0687人間七七四年
2008/08/12(火) 19:04:27ID:efwPeqqaそれすら嘘っぽい。
家康にすれば、ヘタレの毛利や見せかけだけの前田など敵じゃ
ない、じゃあ一番弱いところはと言えば、織田・豊臣の本願の地
で通行上の要地にいる頭の弱い猪武者。こいつは対関東司令官
でもあるから、こいつさえ落とせばノープロブレム。
こんな感じかなw
0688人間七七四年
2008/08/12(火) 23:18:37ID:2XU5/c3G福島丹波とか。
0689人間七七四年
2008/08/13(水) 09:13:24ID:jwL0GYAw7本槍の筆頭という秀吉の宣伝、さらに三成を襲撃した急先鋒
この辺の猪突猛進ぶりが、現代になるにつれて、イメージ的に「猛将」になったんでね?
0690人間七七四年
2008/08/13(水) 11:33:19ID:te8a2J2S0691人間七七四年
2008/08/13(水) 20:35:49ID:ptdy5dvH・・・ダレ?
ぐぐってみたけど、とりあえずどこの家中にもいるまとめ役であり
正則のバンザイ突撃の先鋒として明石勢に蹴散らされた人、くらいしかわからない。
とりあえず大身の福島家の家老ってことで名前は残ってるみたいだけど、
名前だけ出されてもどう有能だったのかわからんよ?
0692人間七七四年
2008/08/14(木) 14:45:34ID:v0mpLgNB清正と違って正則の実績って7本槍以外パッとしないなあ。
関ヶ原でも宇喜多隊に押されまくったみたいだし。
0693人間七七四年
2008/08/14(木) 16:44:59ID:FaH9Nbke0694人間七七四年
2008/08/14(木) 18:16:27ID:GF3Za1H+まぁ、戦略,戦術,戦闘の三段階では最下の戦闘に強かった人でしかなかったみたいですけどねw
秀吉の対毛利戦線に従軍して兜首を取る功績を度々立てていたのは事実の様ですし、敵である
一手の大将拝郷家嘉が秀吉の親族だからといって易々と首を打たれてやるというのもおかしな話。
更に朝鮮役では補給の任を担っていたわけですが、敵から憎き秀吉の親族であるということで
執拗な攻撃を何度も受けているのをその都度撃退しているのも事実です。
だから「猛将である」というのは大袈裟とは思いますが、秀吉親族の中では極めて代表的な
「武骨漢」であったことはほぼ間違いないでしょう。
0695人間七七四年
2008/08/14(木) 18:20:35ID:O8PBLbX2■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています