【岩殿城】小山田一族について語れ!【谷村館】
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0001人間七七四年
2007/03/13(火) 21:37:15ID:rzO8eT4h仕方なかったのか?
主に躑躅ヶ崎の武田三代との関係を中心にして
この一族をみんなはどう評価する?
0002人間七七四年
2007/03/13(火) 21:40:02ID:H6IFKeayに忠義を尽くして死んでいる点。
もの凄く印象悪いよ・・・。
0003人間七七四年
2007/03/13(火) 22:14:21ID:fAHcyxLB三方が原でも石投げて石川一正隊を嵌めた訳でしょ?
長篠では小山田隊はかなりの犠牲を出した様だし。
穴山のほうが印象悪くね?
0004人間七七四年
2007/03/13(火) 22:22:41ID:OxTl6NZc0005人間七七四年
2007/03/13(火) 22:30:50ID:c354sauQ武田が国体として崩壊していた以上、その関係は解消でしょ。
領主としては領民を守るのが最大の責務であり、昌行らとは責任の重さが違うんじゃないか。
たとえ義理の兄弟であっても浅井が織田をはめようとしたように、
戦国時代は儒教的価値観では語れまい。
ドラマ、小説のように誘い出してだまし討ちなんてしたかどうかも不明。
江戸時代の儒教教育のための創作説が主流だよね。
正直、いまさら来ないでくれよ。てのが信茂の言い分じゃないか。
0006人間七七四年
2007/03/13(火) 22:52:42ID:3cjDYhCF0007人間七七四年
2007/03/14(水) 00:51:54ID:PcaJwQQz>ドラマ、小説のように誘い出してだまし討ちなんてしたかどうかも不明
信長公記を読んだことあるのか?
織田方の視点で書かれているこの史料ですら小山田の裏切りがあったと
はっきり書いているんだが…。
0008人間七七四年
2007/03/14(水) 01:52:46ID:WOn2sVC+0009仙台藩百姓
2007/03/14(水) 02:30:43ID:KQt5pn6C0010人間七七四年
2007/03/14(水) 03:14:07ID:y6FAzPSI0011人間七七四年
2007/03/14(水) 03:48:00ID:/jD0P0cR息子も備中守なので古備中といわれた
なお小山田は郡内にもあるのでこれと分けるために
備中守の一統は石田の小山田と呼ばれた、石田は甲州の北山筋(場所不定)に
あって代々の所領と居館があった。
信虎時代からの侍大将で海尻城や内山城などの城代も務めた
昌辰は小山田を名乗る前、上原伊賀守昌辰と名乗っていたので郡内小山田とは同族では
無いと思われる、あと昌辰の活動時期がおもに天文年間なので、高遠で討ち死
はしていない。
昌行と共に高遠に籠城したのは弟の大学助昌貞
0012人間七七四年
2007/03/14(水) 08:30:53ID:j5Wb0l2Q0013人間七七四年
2007/03/14(水) 09:16:11ID:9kwB/+Ni>はっきり書いているんだが…。
あ〜あ。
あちこちで言われているけど、後ろ暗い手段で権力を主君から簒奪した
秀吉が筒井順慶を、家康が小早川秀明らを「裏切り者」としてクローズ
アップする宣伝活動をしてきたように、「所領安堵するから私と手を組もう」と
武田方に裏切りを推奨して回った織田陣営にこそ、小山田を裏切り者として
宣伝しなきゃいけない動機があるだろう。
だいたい「裏切れ」ってあの手この手を尽くして、いざその言葉に従うと
「裏切り者」って言って約束を破ってだまし討ちにする奴がどの面下げて
忠義を口にするんだか、本当に理解できない。徳川幕府下で武家としての
生き残りもいた穴山梅雪・木曽義昌らにはあまり悪口が言えないのを見ても、
単なる弱いものイジメ、責任転嫁宣伝に見えるのは仕方あるまい。
ところで嘘を平気でつける信長をうっかり信じて騙し討ちに遭った武田の
陣営って、小山田の他にどれくらいいたんだ?
秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど、
小山田と前後して武田信廉、武田竜宝、武田信豊、武田信綱、武田信堯、
一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊らも殺されてるが、彼らは
どういう「名目」で殺されてるか。なにしろ裏切り者として「小山田
だけが」信長に成敗されたとか信じている人もいるありさまなので、
ハッキリさせてほしい気も。
0014人間七七四年
2007/03/14(水) 09:24:30ID:9kwB/+Ni川尻
笑える。
↓
http://www2.pf-x.net/~sanraku/yamanashi01/images/0004.htm
114 :人間七七四年:2007/03/10(土) 13:16:08 ID:eRj/OzXO
人となりは墓を見ればおおよそわかる・・・。
但し、菩提寺の墓はダメ。
↓
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/baba-haka.htm
115 :人間七七四年:2007/03/10(土) 19:43:34 ID:PNxeKHFN
>>113
完璧すぎる
116 :人間七七四年:2007/03/10(土) 20:22:26 ID:WgwAbnNL
死ぬほどワラタw
117 :人間七七四年:2007/03/10(土) 20:58:21 ID:Flz0/mIw
川尻ひでええぇ
118 :人間七七四年:2007/03/11(日) 10:18:43 ID:mZ05qJW6
人徳の差というべきか。
同じく敵地で死んだにせよ、これだけの差がつくとは・・・。
0015人間七七四年
2007/03/14(水) 14:07:51ID:ZOPHhXKqそんじゃ小山田の行為は裏切りではないと
書かれている一次史料の提示をまずはプリーズ
0016人間七七四年
2007/03/14(水) 18:59:40ID:r+xKH94eそれでは実際どういう経緯があったのか、ちゃんと示してくれないと、
単なる小山田贔屓の感情論にしか見えないよ。
0017人間七七四年
2007/03/14(水) 20:42:27ID:CO6LDgBl何で一番最後の小山田を裏切り者として宣伝する必要があるんだ?
普通は「こいつが裏切ったせいで〜」って事にするんだったら
一番最初に裏切った奴を裏切り者と喧伝するだろう。
それとどこの何から引っ張ってきたかソースを教えて欲しいのだが
>武田竜宝
海野信親の事だよね?竜宝は勝頼が自刃したと聞いたあと
入明寺と言う寺で自決したと思ったんだが・・・?
>山県昌満
天正十年三月七日に兵を率いて勝頼に付き従おうとしたが
疑心を持たれ入れられずやむなく上杉に降ったと思ったが・・・?
>武田信廉
確かろくに戦わず逃げた挙句に捕まって斬首だろう?
>武田信豊
部下の下曽根覚信恒に叛かれ殺されたはず
>武田信綱
これ逍遥軒の事ジャマイカ?
なにぶん不勉強で疑問がキリないんでご教示願いたい
>秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど
城を大群に囲まれ粘りに粘っての末降伏した秋山はそうだったとしても
戦火を被らず郡内領を丸々牛耳っていた小山田は
ただの日和見に失敗した挙句、息子を人質にして
織田家に擦り寄ろうとして逆鱗に触れ処刑されたDQNではなかろうか?
0018人間七七四年
2007/03/14(水) 21:03:55ID:O13Q7MTMまず、武田の残党殺しておこうって意思ありきで
小山田の場合は口実が転がってたってだけだろね
「おっ自分からのこのこ出頭してきやがった」って
0019人間七七四年
2007/03/14(水) 21:09:58ID:1PIYJbkS0020人間七七四年
2007/03/14(水) 22:04:46ID:S+RK/+uiおくればせながら、スレたて乙
ど素人の素朴な疑問なのだが、そもそもなんで『裏切り』が罵倒の対象になってるのかがわからない。
この戦国時代では裏切りも騙し討ちも珍しくもなんともないよね?
まして小山田は、武田信虎の代で同盟者になったものの、元は武田氏以上に勢力があったわけで、(事実がどうあれ)内心「いつかきっと」という思いでいたとしても自然なことだろう。
信長という強大な勢いの前で
勝頼がとくに愚将だったというわけでも、小山田がとくに卑怯だったともみえない。
あえて小山田だけを裏切り者の代表とした理由はなんなのか。
勝頼の子孫やファンが恨みの対象とすることは理解できる。
勝者にとってスケープゴートが必要だったこともわかる。
しかし、なぜ信茂でなければならなかったのだろう。
信茂だって、のこのこ出向けば危ないことぐらいわかっていただろうに、(いくら織田側に甘いことをいわれていたとしても警戒しないとは考えにくい)なぜ会いにいったのか。何かもっと他の理由はなかったのかなあ、とか考えてしまう。
どうなんですかね?
0021人間七七四年
2007/03/14(水) 22:56:06ID:rEv96scD0022人間七七四年
2007/03/14(水) 23:17:31ID:O13Q7MTM逆に主家に殉じたのって誰?
勝頼に「おおい匿ってくれよ」っていわれた時、信茂迷惑だったろうね
「少なっ!だから長篠で最後まで突撃止めたろ、今更来るな馬鹿が」ぐらい言ったかな
0023人間七七四年
2007/03/15(木) 00:00:04ID:/fjD9ae10024人間七七四年
2007/03/15(木) 00:45:55ID:YmyNjwpA勝頼は自分の生まれの不幸を呪うがいいよ
0025バロン曽志崎
2007/03/15(木) 01:05:39ID:X5qSRNtc内藤忠興だったが、これは忠興の側室が小山田信茂の娘だったからで、彼女の
嘆願だったそうだ。父の贖罪の気持ちもあっただろうと思う。
0026人間七七四年
2007/03/15(木) 02:00:16ID:WU65YAl5>『裏切り』が罵倒の対象
罵倒の対象なんて格好良いものじゃないよw
みんなは裏切りに失敗して処刑された最後をプギャーしてるだけw
>小山田がとくに卑怯だったともみえない。
>あえて小山田だけを裏切り者の代表とした理由はなんなのか。
>勝頼の子孫やファンが恨みの対象とすることは理解できる。
>勝者にとってスケープゴートが必要だったこともわかる。
小山田を裏切り者の「代表とした」んじゃなくて
裏切り者は小山田「だけ」っぽい感じがするんだがw
真田が匿おうとしたのを勝頼を欺いて郡内に誘き寄せたやり口はねぇ〜^^;
そりゃ恨まれるよw
でも小山田をスケープゴートにする必要はどう贔屓してもないと思うね
見事なまでに世渡りに失敗した田舎ッぺの末路だから
>>22
>主家に殉じたのって誰?
小山田信茂のいとこと言われる小山田平左衛門と
信茂の甥と言われる小山田弥助が
勝頼と共に天目山で討ち死にしているらしい
親族すら捨て駒にしたことがまずかったんじゃないか?
0027人間七七四年
2007/03/15(木) 09:45:15ID:1mM3tqnw一度は勝頼主従を岩殿に迎えると言っておきながら、笹子峠を封鎖して
その上 迎撃までしたんでは裏切りといわれても仕方ないでそ
勝頼を岩殿に迎えると言わなければよかったんだけど、、、
0028人間七七四年
2007/03/15(木) 09:49:30ID:UpWvi3+D悪党だよ。
0030人間七七四年
2007/03/15(木) 14:17:23ID:fzVEhvwpウェイトを占めてたんだろう
どこかで家中最強とか最大の動員力とか聞いたような気がするけど
0031人間七七四年
2007/03/15(木) 17:56:39ID:UpWvi3+Dそれを譜代じゃないから真田は信用できないって話で小山田なら頼むに足るって話経緯じゃん。そしたら裏切りだろ。
最悪な悪党だろ
0032人間七七四年
2007/03/15(木) 18:02:55ID:Fleu1waE選択肢は実は一つなんだよね。
0033人間七七四年
2007/03/15(木) 19:14:55ID:Dm+7jIzJという書状を送っていて、その書状は現存している。
要するにどっちに行っても助からなかったんだな。
0034仙台藩百姓
2007/03/15(木) 19:15:57ID:RvcohfXj本人だって非難されるのを承知で裏切ったんだから仕方ないお( ^ω^)
それより小山か山田のどっちかにするお
名前からしてどっちつかずだお(#^ω^)
0035人間七七四年
2007/03/15(木) 19:59:42ID:ZwygUTnk「織田信長鉄砲隊の三段撃ち」なんて話を信じているクチの人たち?
とても現代の戦国板の会話とは思えない、山岡宗八全盛時代みたいな
古臭い考えの書き込みもあってびっくりしてるんだけど。
0036人間七七四年
2007/03/15(木) 20:20:45ID:TdpcuOPC裏切りではないというそれなりの
ソースをまずは出せ
0037人間七七四年
2007/03/15(木) 20:39:34ID:GUx+/3qvした方は端から確信犯なんだから。
0038人間七七四年
2007/03/15(木) 20:54:36ID:jhQcVgej0039人間七七四年
2007/03/15(木) 22:24:41ID:YmyNjwpAそのつもりなら岩殿城に迎え入れてから生け捕りとかするよ。おれなら。
「こっから先入ってくんなよ」ってやったら初鹿野天目山で切腹しちゃった
じゃあ、その首は有効利用しようくらいのノリじゃない?
誘ってみたら、10数人で来たよどうすんの?とかじゃない?
誘ったという記述の根拠は何だろ。甲陽軍艦?知ってる人教えて。
「信茂様のとこにいきましょう。とか配下が誘ってそれを見る人が見たら
小山田の口車とかってなっちゃったり。
0040人間七七四年
2007/03/15(木) 22:40:42ID:di1eoWkx勝頼一行は名残を惜しみながら住み慣れた古府中を脇に見、
そこから小山田信茂を頼って勝沼という山中から駒飼という山里へ逃れた。
ところが、ようやく小山田の館が近付いてきたというところで変事が起きた。
自身が内々に承諾して呼び寄せておきながら、当の小山田信茂がここに至って
無下にも勝頼を突き放し、一行の受け入れを拒否してきたのである。
一行は前途を失い、途方に暮れた。新府を出る時には五、六百もいた侍分の者は
逃避行の中で離散し、残ったのは遁れられぬ運命の近臣わずか四十一人に
なってしまっていた。(信長公記)
0041人間七七四年
2007/03/15(木) 23:04:35ID:UpWvi3+D小山田のトコからいざとなったら北条を頼るつもりだったカツヨリを呼び寄せておいて夜の闇に乗じて人質の母を奪いカツヨリ一向を射撃し関東への道を封鎖した小山田は極悪人。
木曾は母を犠牲にしての裏切りだから決意あっての事だろう。
カツヨリが遠江の最後の拠点である高天神城を見殺しにしたから駿河代官の穴山もカツヨリを見切り徳川に寝返るのも理解できる。
仁科の美談の後だから余計に小山田の行為は見苦しい。
0042人間七七四年
2007/03/15(木) 23:05:30ID:YmyNjwpA参考になったよ
「自身が内々に承諾して呼び寄せて」
「受け入れを拒否」
この辺が気になる。信長公記かいた太田牛一にソースきぼんといいたいが
まあ、何らかの根拠はあったんだろ。信長公記は信用できるからね
0043人間七七四年
2007/03/15(木) 23:11:30ID:YmyNjwpA0044人間七七四年
2007/03/15(木) 23:27:59ID:iAwS0IzF笹一酒造
0045人間七七四年
2007/03/15(木) 23:51:29ID:YmyNjwpA0046人間七七四年
2007/03/16(金) 15:33:37ID:WUIs6x580047人間七七四年
2007/03/17(土) 00:23:53ID:5fvlRzNj0048人間七七四年
2007/03/17(土) 11:49:43ID:mEIgMnSbそれは信憑性にかけるな。
あれは信長の動向をざっと知るにはいい文献だが、現在の研究では疑問点も指摘されている。
生駒辺りは書き残していないのかなあ
0049人間七七四年
2007/03/17(土) 13:07:34ID:HO32d/3T当然、信長公記の記述が必ずしも正しいわけではない。
しかし、小山田裏切りを否定する史料、信長公記の記述を異とする史料を提示できなければ、
その反論には、説得力は全くない。
信長公記の全体の性格に言及するだけで、
小山田の記述の部分が信憑性に欠けるという根拠も何も示されてないし。
今のとこ、このスレで提示された史料は信長公記のみだし。
一方小山田擁護側からは、感情論の類ばかりで、いまだ明確なソースはだされてない。
相手にだけソースを求め、それの信憑性に文句をつけ、否定しようというやり方はどうだろうかと見てて思った。
0050人間七七四年
2007/03/17(土) 14:03:50ID:HLBGFppm彼の支配範囲には、郡中諸役所・都留郡法・独自の升とか、
他の家臣が所有していない、独立要素をいっぱい保有してるよ。
それに、武田傘下的結果は、もともと武田との緊張関係から生まれたものだし。
同盟関係という方が妥当かもしれない道理的に・・
少なくとも、小山田氏!という、広い範囲で考えるなら、武田に対して絶対的好意はなかったと思う。
むしろ、叛意があった方が正常だと思うよ。
でも、信茂一人に限っては信玄に厚遇を受けてるし、武田氏の規定をやっぱり強く受けてるから家臣という意識が強かったんじゃないのかな?
もちろん、武田氏滅亡期には、周りもそういう認識だったと思う。
でも、土壇場になって周りの家臣にも、都合良く、昔の常識が浮んできたんだと思うよー
だから、家臣あたりが信茂に強く勝頼みかぎりを勧めたんだと思う。(これは推測だけどね)
結果、小山田信茂の行為は裏切りじゃないよー。
彼一人が家臣・領民を見捨て、武田を去るなら、裏切りだけどね。
とどめに、当時の領民が武田領国下で「武田なんて知らねーだ、小山田氏じゃろ領主様はー」
みたいな史料があるよー
裏切り者は「穴山梅雪」これ一点だよ!
0051仙台藩百姓
2007/03/17(土) 14:16:11ID:275ig+1c長年共に行動してきて
土壇場で「あいつらとは他人だ!」とか言い訳するような奴は漏れでも首撥ねるお(#^ω^)
勝馬に乗ってる時は仲間気取りで不利になれば他人のふりするような奴は要らないお
0052人間七七四年
2007/03/17(土) 14:20:32ID:jDYB6rKz穴山も木曾も殺されなかったんだが。
信長も小山田の土壇場での裏切りに不快感があったんじゃないのか?
旧武田領国を支配する為に小山田を利用して統治するよりも、恨みの対象は小山田に向けられていて殺した方が信州や甲州統治がうまくいくくらいの裏切りへの憎しみがあったんじゃないのか。
0053人間七七四年
2007/03/17(土) 14:36:05ID:p59gUQLBところで嘘を平気でつける信長をうっかり信じて騙し討ちに遭った武田の
陣営って、小山田の他にどれくらいいたんだ?
秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど、
小山田と前後して武田信廉、武田竜宝、武田信豊、武田信綱、武田信堯、
一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊らも殺されてるが、彼らは
どういう「名目」で殺されてるか。なにしろ裏切り者として「小山田
だけが」信長に成敗されたとか信じている人もいるありさまなので、
ハッキリさせてほしい気も。
0054人間七七四年
2007/03/17(土) 14:40:39ID:jDYB6rKz武田一族が誅殺されるのも仕方がない。
小山田が殺される理由は薄汚い裏切りだから不快だったんだろ?それ以外に理由ないじゃん。
0055人間七七四年
2007/03/17(土) 14:44:28ID:p59gUQLB大量虐殺の本家信長の行動にこう言うのってギャグ?
0056人間七七四年
2007/03/17(土) 14:54:58ID:p59gUQLB113 :人間七七四年 :2007/03/10(土) 11:56:22 ID:eRj/OzXO
川尻
笑える。
↓
http://www2.pf-x.net/~sanraku/yamanashi01/images/0004.htm
114 :人間七七四年 :2007/03/10(土) 13:16:08 ID:eRj/OzXO
人となりは墓を見ればおおよそわかる・・・。
但し、菩提寺の墓はダメ。
↓
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/baba-haka.htm
115 :人間七七四年 :2007/03/10(土) 19:43:34 ID:PNxeKHFN
完璧すぎる
116 :人間七七四年 :2007/03/10(土) 20:22:26 ID:WgwAbnNL
死ぬほどワラタw
117 :人間七七四年 :2007/03/10(土) 20:58:21 ID:Flz0/mIw
川尻ひでええぇ
118 :人間七七四年 :2007/03/11(日) 10:18:43 ID:mZ05qJW6
人徳の差というべきか。
同じく敵地で死んだにせよ、これだけの差がつくとは・・・。
0057仙台藩百姓
2007/03/17(土) 15:16:07ID:275ig+1c要するにアホだったんだお( ^ω^)
木曾や穴山の寝返りはそれなりに価値のあるものだったお
だが勝敗が決した今、小山田の寝返りなんて何の価値もないお
恩賞問題を考えれば死んでくれた方が都合いいお
勝頼を騙したのが本当なら鴨葱もいいところ
小山田を殺す口実を得ると共に勝頼共々殺害
更に不忠者のレッテルを貼付けて武田旧民の織田に対する憤りの矛先を分散させる事ができるお
小山田は首になって活躍したともいえるお( ^ω^)
0058人間七七四年
2007/03/17(土) 15:23:11ID:1SehFa7h小山田は一族ともども斬首。何が気に入らなかったんだか信長は
005948
2007/03/17(土) 15:36:19ID:mEIgMnSb反論したんじゃないよ。ほかに裏づけ史料はないのか質問したつもりだった。
ところで、これをみただけだと勝頼は既に40人そこそこの手勢で、小山田・北條・真田が助けたとしても織田軍には勝てなかっただろうね。
本当にこんな兵力しか残っていなかったのだろうか。
0060人間七七四年
2007/03/17(土) 16:43:16ID:p59gUQLB釣った魚(それを見て後から続々裏切った武田の親族衆・直臣衆)
に餌をやる必要はない以上、いなくなってくれた方が良いっていう
ことだと単純に考えるのが一番いいんじゃないかと。
結局武田の一族はほとんど全員が根切りにされている。
殺されずに済んだのは盲目の次男龍宝の子・道快と信清という
僧籍になっていた二人の子供だけで、信玄の影武者も、信虎が
駿河で作った子も裏切り者であろうがなかろうがみんな殺された。
穴山一人いれば名目上の名跡は残したから後はもう要らないっていう
ことで、甲斐・信濃は川尻秀隆・滝川一益・森長可に分配する
ことが決まっていた以上、旧領主はなんのかのと因縁をつけて
みんな殺すのが当然の処置でしょう。信長としては。
まあそういう雑駁な戦後処理をするから川尻がその恨みを全部
受けて逆さにつっこまれることになっちゃうわけだけど。
何代も続いてきた領主である小山田が殺される理由なんて、
悩む必要もないくらいはっきりしていると思うがなあ。
少なくとも「裏切り者だから」なんていうヨタ話だけは
絶対にないよな。
0061人間七七四年
2007/03/17(土) 17:02:13ID:p59gUQLB勝頼は最後の戦いに出たのじゃなく「密かに甲斐を落ち延びる」ための
逃避行ですからねえ。
当時の言葉で「貴賎上下ともに倦み疲れて、内心は信長の国に仕りたしと
諸人も願ひ存する」という状態になって、利でつなかっていた甲斐領主
連合軍は木っ端微塵に解体して、百姓名主もみな脱出してしまった形。
勝頼は新府城に火をかけて、甲斐脱出のために地元に「馬300頭、
人夫500人」の徴用を名主達に呼びかけたものの、ついに一人の
人夫も一頭の馬もやって来なかったとか。付き従う武士まで寝首を
掻くのではないかと疑心暗鬼になって追い返したという記録まで
あり、事実上、女・子供だけを伴っての夜逃げに近い状態。
むしろこの期に及んでなぜ小山田を頼れると思ったのかが不思議です。
そこまで小山田は信用できる相手と思ったのか、ただ逃走ルートとして
郡内方面が有利と思ったのか。あと二ヶ月たてば本能寺、というのは
Ifの話ではありますが、実質的に「追放された前国主」には合戦などは
したくても無理だったでしょう。天目山だって「戦い」というほどの
ものでなし、「さてこそ天目山のいくさは無かりけれ」というやつですね。
0062人間七七四年
2007/03/17(土) 18:45:02ID:4ZrNLj0t17 :人間七七四年:2007/03/14(水) 20:42:27 ID:CO6LDgBl
>>13
何で一番最後の小山田を裏切り者として宣伝する必要があるんだ?
普通は「こいつが裏切ったせいで〜」って事にするんだったら
一番最初に裏切った奴を裏切り者と喧伝するだろう。
それとどこの何から引っ張ってきたかソースを教えて欲しいのだが
>武田竜宝
海野信親の事だよね?竜宝は勝頼が自刃したと聞いたあと
入明寺と言う寺で自決したと思ったんだが・・・?
>山県昌満
天正十年三月七日に兵を率いて勝頼に付き従おうとしたが
疑心を持たれ入れられずやむなく上杉に降ったと思ったが・・・?
>武田信廉
確かろくに戦わず逃げた挙句に捕まって斬首だろう?
>武田信豊
部下の下曽根覚信恒に叛かれ殺されたはず
>武田信綱
これ逍遥軒の事ジャマイカ?
なにぶん不勉強で疑問がキリないんでご教示願いたい
>秋山信友も小山田も、どうせ殺されることを承知で和睦に応じたろうけど
城を大群に囲まれ粘りに粘っての末降伏した秋山はそうだったとしても
戦火を被らず郡内領を丸々牛耳っていた小山田は
ただの日和見に失敗した挙句、息子を人質にして
織田家に擦り寄ろうとして逆鱗に触れ処刑されたDQNではなかろうか?
0063人間七七四年
2007/03/17(土) 20:14:48ID:jDYB6rKz木曾や穴山の場合は「でかした!これで武田攻略の道が開けるわい(*^^)v」だろう。
0064人間七七四年
2007/03/17(土) 20:29:25ID:5fvlRzNjとか勝頼が頼ってきたのかもね。
「はあ?ケツまくる気ですか?俺らはどうなんの?」
「知るか。みんな裏切りやがって。勝手にしろ。おまえもよく考えて生き残れよ」
「わかりました。そうさせてもらいますよ。じゃあ、早速」
なんてやり取りがあったりしてね
0065人間七七四年
2007/03/17(土) 21:08:56ID:Q4bhks8I0066人間七七四年
2007/03/17(土) 21:50:54ID:mEIgMnSbレスd
そんなに凄惨だったのか。想像しただけであわれだなあ。
みんなのレスからすると、凄まじい戦いだったのに
小山田領内はそれまでそんなに戦渦に巻き込まれてない、なのにわざわざ助けるといった、という認識であってる?
0067人間七七四年
2007/03/17(土) 23:40:33ID:p59gUQLB実際、小山田を頼ったわけじゃなく夫人を北条の領地に放つか
同じ捕えられるなら北条の庇護下に入ろうとして笹子峠に出て
きたという説もあるそうで。
結局夫人は北条に戻ることをキッパリ拒否し、はじめっから
死ぬつもりで行き止まりの天目山に栖雲寺を目指して上り、
途中の山道で地侍というか地元百姓の乱捕りに遭いそうになって
急遽山道をその場しのぎの柵で遮断してそこを死に場所と定めて
お松殿とお付きの二人、のちに「勝沼古事記」でこの逃避行を
詳述した坂本直昌らが分かれて落ち延び、残ったものは別れの
杯を交わして夜明けを待ったとか。
女たち約40人は自決し、44人の男たちは織田軍と地元衆の
挟撃に対して狭い間道で迎え撃つ。
「武田三代軍記」では「百余人討ち取り」という大合戦、
「甲陽軍鑑」では勝つよりが六人を討ち取り槍で刺されたと
書かれている「合戦」も、「惣見記」では夫人が自害した刀で
勝頼も自刃、「信長公記」でも「相伴討死」と書かれる
プライベートな自決であったようで、午前十時には全員
死亡が確認されているとか。
わずか二日後には勝頼親子の首は伊那の信長に届けられ、
翌日には「裏切り者」の木曾・穴山が信長を訪れて祝賀の
言葉を述べています。
0068人間七七四年
2007/03/18(日) 08:37:30ID:3vKKWOGb姦計で欺いてる糞人間なんざカス。信長に殺されても同情できないな。
こんなやつの領地を安堵するわけねーじゃん。
0069人間七七四年
2007/03/18(日) 09:51:48ID:/8ibjH7F信茂は信玄の娘を妻にしている
一方で信玄の曽祖父・信昌は小山田から妻(側室?)を迎えている
更に遠くは武田家13代(信玄は19代)信満は小山田氏から
妻を迎えていてその子が14代信重になっている
正直言ってここまで厚遇されているにも拘らず勝頼を裏切った
とあれば世間の謗りは免れまい。
0070人間七七四年
2007/03/18(日) 09:55:52ID:rawK9mH2何をいまさら言ってるん
その"常識"をもとにいろいろ議論されてるんだろ
「裏切りは本当なのか」「裏切りはこの時代的にありなのか」
「なぜ裏切ったのか」「信長の真意は」等々
0071人間七七四年
2007/03/18(日) 10:17:08ID:3vKKWOGb0072人間七七四年
2007/03/18(日) 10:55:14ID:365BMVTf信長が裏切りを推奨して回り、信用して付いてきた人間を
平気で裏切る卑劣漢だったという事を誤魔化したくて仕方ない
奴らが必死になってるんだろう
ところで今日のドラマの小山田がちと楽しみ。
武田のいち「家臣」ではない「同盟領主」ならではの立場から
信虎追放劇を俯瞰しているっていう小山田信有像が見られそう。
0073人間七七四年
2007/03/18(日) 11:15:19ID:365BMVTf>穴山や木曾は武田軍を解体するのに必要な釣り餌だっただけで
>釣った魚(それを見て後から続々裏切った武田の親族衆・直臣衆)
>に餌をやる必要はない以上、いなくなってくれた方が良い
穴山や木曾も「裏切ると得だぞ〜」ということを武田以外の
敵対大名の部下にアピールするためにいい扱いを受けていた。
「信長は裏切り者を許せない」なんて言ってる奴は都合の
悪いことには平気で目をつぶれる二枚舌なんだろ。
でも功臣・佐久間とか林らの末路を見れば、利用価値のなくなった
相手に対して、信長がどんな冷血な態度を取れるのかは一目瞭然。
いずれ木曾なんかも明智や秀吉たちと同様、利用価値がなくなった
頃あいを見計らって、何かしらの名目をでっち上げて粛清したろうね。
で、後世それを美談にでっち上げる、お追従媚びへつらいの名人が
2ちゃん辺りにも現れて矛盾だらけの発言を書きまくるわけだ。
0074人間七七四年
2007/03/18(日) 11:25:12ID:/8ibjH7F従属家臣では無く対等同盟だったとしているが
そのソースは何なのだろうか?
小山田擁護派からは未だにソースの提示がなされていない
まるで証言者ばかり出てくる某追軍売春婦問題のようだ。
信長が裏切りを推奨して回り、信用して付いてきた人間を
平気で裏切る卑劣漢だったという事を散々見てきたくせに
息子を人質にしてまで信長に擦り寄ろうとして
善光寺で処刑された信茂は後世の物笑いの種になってしまっても
致し方ないのではなかろうか?
0075人間七七四年
2007/03/18(日) 11:35:51ID:3vKKWOGb0076人間七七四年
2007/03/18(日) 11:48:36ID:365BMVTf「信長が裏切りを推奨して回り、信用して付いてきた人間を
平気で裏切る卑劣漢だったという事」
を認めたらしいぞww
もっとも「尻まで真っ赤」「ソースは何なの」
「まるで証言者ばかり出てくる某追軍売春婦問題」
と話題そらしに文字通り真っ赤になってますねw
小山田問題もそうたけど、少しは本読めよ。ちょっと
調べればすぐ分かることを「ソースは?」って発言
するだけで底が知れる。
分かっててかいてる荒らしと思ったけど、荒らしにしては
レベルが低すぎる。出直して来い。
ついでに言うとバカ信長厨は愛知出身者以外の奴が多い。
おれなら「擁護してるから郡内の人間」なんて白○発言は
したくてもできないなw
0077人間七七四年
2007/03/18(日) 12:38:57ID:Ai7tntcQあの人は、そんな役多いし
0078人間七七四年
2007/03/18(日) 13:11:33ID:3sxCoLyt大河板の小山田スレでも、小山田に否定的な意見が出ただけで、
荒し・煽りとか認定しだす人いたし。
小山田の再評価とか実像とかには興味あったけど、
正直言って、信者は感情論ばっかで話しにならなくてがっかりした。
0079人間七七四年
2007/03/18(日) 13:20:40ID:dlQnyZjV宮内ら→小山田ら
0080人間七七四年
2007/03/18(日) 13:31:27ID:Ai7tntcQ「こっち来るなよ」って思う
もし小山田家が残る方法があるならば・・・。 って考えるのも当時の常識
言いたくないが徳川家のキャンペーン活動の影響もあるよ
0081人間七七四年
2007/03/18(日) 13:36:47ID:FQNxnsLV小山田領内では甲州法度が適用されなかった(後、徴税関係では一部適用されるようになるが)
そして最後まで独自の領内支配を示す文書が発給されていた
後北条氏の軍役帳ではっきり他国衆として明記されるように、他の勢力との両属関係を持っていた
元々敵対していた武田家と婚姻同盟を結んだ経緯といい、以上の半独立性の強さからそう言われている
0082人間七七四年
2007/03/18(日) 19:23:39ID:rawK9mH2一つは「裏切ってない」
もう一つは「たしかに裏切ったけど別にそこまで悪いことか?」
前者は35と50の書き込みだけだね
「ほんとにそうかな真相はどうなんだろ」的な書き込みはいくつかあるが
後者の意見が多い
50あたりは裏切ってないと書いているが、読んでみると後者なんだな。
擁護派のほうが余程冷静なきがする。
0083人間七七四年
2007/03/18(日) 19:58:02ID:365BMVTf8時/10時が楽しみじゃ。
0084人間七七四年
2007/03/18(日) 20:01:53ID:LXSFYcg2裏切ったのは悪い事ではないと思うが処世術がまったくなってないところは
馬鹿にされるの仕方が無いに一票。
信長が悪いとか言ってんのは馬鹿なんじゃないかと。
0085人間七七四年
2007/03/18(日) 20:28:44ID:rawK9mH2氏綱いいこと言うな
後世で散々言われてる信茂に聞かせたい
0086仙台藩百姓
2007/03/18(日) 20:34:53ID:BFzltaey0087人間七七四年
2007/03/18(日) 21:20:40ID:rawK9mH2処世術として正しかったんだろね
@武田裏切って一縷の望み託して織田に投降
A武田抱え込み織田に滅ぼされる
B領地捨てて北条あたりに亡命
他にあるかな。Aなら後世に美名残せたね
でも、俺の先祖(郡内出身)は信長軍に蹂躙されて殺されたろうから
そしたら今頃俺いないな。
0088人間七七四年
2007/03/18(日) 22:00:27ID:uStQOpsC当時も町田に領地があって、信有(信茂の庶兄?)が統治していた。
郡内小山田家取り潰しの際には、一族を匿ったらしい。
北条家にも他国衆として扱われているので簡単に武田家の武将と言い切れない面もある。
とは言え落ち目になった武田家を土壇場で見捨てたのはマイナス。
せめて勝頼一行が北条領へ脱出するのを見て見ぬ振りしておけば・・・・。
見逃そうが見逃さなかろうが織田家が大身である小山田家を残す理由は無いので、
生き残るには勝頼と一緒に北条家へ亡命するしかなかったと思われるが、
所詮は田舎大名の信玄の元に長くいたのでその辺の考えは多分無かったかと・・・。
同じく他国衆の木曽家の帰参が許されたのを見て自分も大丈夫という程度だったかと。
なお、武田一族なのに裏切った穴山家は問題外。
本能寺の際のドサクサに殺されたが、あれが無くても結果は大して変わらなかったかと。
ただし、最後の失敗だけで信茂を評価すべきでなく、武田家と北条家に挟まれながら上手く立ち回った手腕や、
戦場での活躍を考えれば当時一流の武将であったと言っても過言ではない。
0089人間七七四年
2007/03/18(日) 22:01:43ID:iUtS93h30090人間七七四年
2007/03/19(月) 01:03:56ID:fVYQPpq0武田家が危険な状態(木曽&穴山離反)になったら
北条の他国衆なんだから北条に完全に鞍替えして
後ろ盾を得て甲斐一国を統一してみようとか、
最悪でも郡内領だけを北条に組み込むとかしなかったのだろうか?
北条も他国衆としていたのであれば小山田に少なからず
この武田崩壊の好機にアプローチ(上記のような)がなかったのか?
0091人間七七四年
2007/03/19(月) 01:41:06ID:g1iWuZ++それがなぜ、武田と対等な同盟関係とか飛躍してるのだろう?
と一部の小山田信者を見て思った。
もう一つ。小山田はひたすら擁護しながら、
穴山梅雪を罵るのには容赦ないのには見苦しいものを感じた。
0092人間七七四年
2007/03/19(月) 06:02:39ID:vJyVBUmO0093人間七七四年
2007/03/19(月) 08:27:44ID:ur+1iEui0094人間七七四年
2007/03/19(月) 08:53:17ID:yXfrTqyV主家が落ち目になれば鞍替えしない家のほうが少数派
歴史の動静を見れば別に珍しくも無い
縁戚だからって一連托生とする義理はない、というのが戦国の常識でしょ
まして半独立性があるのならむしろ積極的に織田に与しなかっただけマシ(もっともこの中途半端な態度が木曽らとの明暗を分けてしまったんだが)
0095人間七七四年
2007/03/19(月) 12:09:42ID:9xyv5HvH同じ裏切りならタイミングが見抜けない小山田の方が普通に馬鹿だった
ってお話だろ?見苦しいフォローにしか見えない。
0096人間七七四年
2007/03/19(月) 12:30:02ID:Dz5YQ9jAアンチ小山田は何にでも噛み付かないと気がすまない狂犬なのか?
0097人間七七四年
2007/03/19(月) 19:51:40ID:GC6Cv4kj対等な同盟関係なんて言ってる人いたっけ
もちろん同盟関係ったって強弱はあるんでしょうね
また同盟といっても両者の間柄を便宜的に言い表したりしただけじゃないか。
誰かの本(ごめん忘れた)に手紙の分析かなんかして
「君臣ではなく、兄弟みたいな関係」ってあって
なるほどと思った記憶がある。勉強しなおすかな、この機に。
ところで昨日の大河でその辺を匂わすようなやり取りがあって「へー」って思った
なんか信有かっこいいね。今回の大河では。
0098人間七七四年
2007/03/19(月) 19:55:18ID:JXOQ/vRTどれくらいの期間なんだろう。少なくとも織田徳川連合より絶対
長いだろ。
0099人間七七四年
2007/03/19(月) 20:02:25ID:JXOQ/vRT「義にたがえては、たとい一国二国切り取りたりと言うとも、
後代の恥辱いかがは」
「無道の働きにて利を得たるもの、天罰、ついに逃れがたし」
どう見ても信長のことです。
本当に(ry
「天運尽き果て滅亡を致すとも、義理たがえまじきと心得なば、
末世に後ろ指を指さるる恥辱はあるまじく候」
「古き物語を聞きても、義を守りての滅亡と、義を捨てての
栄華とは、天地格別にて候」
問題は、義理を守っても滅亡したものには「負け犬」と「後ろ指」をさし、
「義を捨てての栄華」を得た奴を「天才」「英傑」「ものが違う」などと
もてはやせる精神構造のやつらだという事ですね。
ほんと露骨に現金というか、恥も外聞もなく目先の利益につられるというか。
0100仙台藩百姓
2007/03/19(月) 20:47:02ID:QKv1hhdi出来もしない綺麗事を偉そうにぬかす奴が一番間抜けな糞だお(#^ω^)
0101人間七七四年
2007/03/20(火) 00:41:49ID:Uz5jRjtQ小山田は土壇場の崩れ際に寝返ったよね
ここが信長の心象を悪くしたんじゃないの
関ヶ原でも事前に東軍寝返りを約束していた小早川や脇坂は戦後加増されたけど
無約束で勝ち馬にのって東軍に寝返っただけの赤座や小川は、不忠者としてしっかり改易されているよ
それとおんなじなんじゃないの
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