尾張は兵庫助が石舟斎から相伝を受けた内容通りに次代に伝えたから
ほぼその通りに伝わったけど(尾張独自の改良も含めて)

江戸柳生は支流だからかどうか判らないけど、宗矩の代で既にかなり
独自の形に変えられちゃってるよね。 目録内容も伊勢守のと違うし。
十兵衛なんかもだから、独自に研究しなくちゃいけなかったんだと思う。

尾張の兵庫助に師事を仰いだ可能性も指摘されてるけど、 兵庫助が
同族とはいえ、直門以外の者に大事な事まで教えたとは思えないし。