■熱く語ろうや柳生一族 ■
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0001柳生千兵衛
2007/03/12(月) 18:11:43ID:9oIqjtKD0076人間七七四年
2007/09/24(月) 18:42:34ID:9RXOC9ey戸部新十郎の本の話じゃないかな
肩を自在に外したり戻したりできるような老人が結構いたとか何とか
直参だし大名だしで江戸に眼が行きがちだけど、尾張の方が嫡流だし新陰流の正統なんだよね
尾張は陪臣だし、江戸柳生を支流というのは違和感あるけど
0077人間七七四年
2007/09/25(火) 05:10:08ID:oL18aLIGほぼその通りに伝わったけど(尾張独自の改良も含めて)
江戸柳生は支流だからかどうか判らないけど、宗矩の代で既にかなり
独自の形に変えられちゃってるよね。 目録内容も伊勢守のと違うし。
十兵衛なんかもだから、独自に研究しなくちゃいけなかったんだと思う。
尾張の兵庫助に師事を仰いだ可能性も指摘されてるけど、 兵庫助が
同族とはいえ、直門以外の者に大事な事まで教えたとは思えないし。
0079人間七七四年
2007/10/09(火) 18:28:55ID:yN9UTD+T亀レスだけど、単に時代に合わなかっただけかと。
弱体化どころか、連也の代には初心者用の取り上げ遣い等が考案され、幕末くらいにも
長岡房成によって従来の型に比べ、より激しく打ち合う試合勢法なんかが考案されたり
教授体勢もしっかり整っていったんじゃないかな。
ただそれでも幕末流行の竹刀での試合なんかは邪道とされてたし、何よりも身体の遣い方
が恐ろしく細かく難しいし、免許も貰い難いっていうんで、当時の血気盛んな志士の性に
合わなかったのかも。
それに、幕末は紫ちりめん事件で新陰流の高弟の方々が次々粛清されちゃったりと…。
でも何気に高杉晋作って新陰流の免許持ってるんだよね。
>>77
尾張と江戸って仲悪いように書かれてるけど実際にはお互いによく出稽古をしたり
する仲で交流もちゃんと取ってたらしいからその可能性もあるんじゃないかな。
0080人間七七四年
2007/11/03(土) 23:00:06ID:aTTT3SzR小説なんかでの書かれ方のために単純な武力よりも精神面に重きを置いて鍛えていたイメージが強い。
なのでこの二人については剣に興味のない俺でも非常に憧れる。
0081人間七七四年
2008/01/03(木) 19:07:43ID:mM6KFHVl0082人間七七四年
2008/01/03(木) 22:30:04ID:krXWT6AX0083人間七七四年
2008/01/03(木) 22:43:54ID:fEtICkRw0084人間七七四年
2008/02/22(金) 03:19:19ID:JBzGwHOi(ハゲてる人で25回の協会の演武会パンフに出てる)
あの人が継承したとばかり思ってたんだが
0085人間七七四年
2008/03/01(土) 13:17:56ID:3fWx3+ER0086人間七七四年
2008/04/26(土) 00:04:09ID:xk6PXt6n0087人間七七四年
2008/05/01(木) 17:40:35ID:tcMI6OcX毎週木曜 20:00〜20:55 【再放送】翌週木曜 10:00〜10:55
0088人間七七四年
2008/05/23(金) 15:38:01ID:oEE4Ya/x0089人間七七四年
2008/06/27(金) 22:31:22ID:Zv+KD1ph0090人間七七四年
2008/08/13(水) 10:11:56ID:C34pJQIp0091人間七七四年
2008/08/16(土) 01:33:39ID:MKX9KQ0U0092人間七七四年
2008/09/05(金) 13:38:48ID:2v4U1w7f長男なのになんで三なんだろう
0093お役目 ◆Fj7bMmKxzU
2008/09/05(金) 17:48:49ID:GtBqBqw10094人間七七四年
2008/09/06(土) 07:05:24ID:iv+bemIb血筋が絶えてしまうが、そういう場合養子で相続した
人物も剣は使えたのかな?
0095人間七七四年
2008/09/08(月) 02:41:09ID:efwHKoszhttp://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-54.html
0096人間七七四年
2008/09/08(月) 21:12:32ID:gM10eg6sそりゃ先代が叩き込むんでしょ。
血筋だろうが養子だろうが、教え方と本人の素質とだろうし。
ちなみに養子は松平氏、真田氏、松前氏、柳沢氏、田沼氏と続いて
最後の2代は、武田氏。あの武田信玄の直系。
(目が見えずに海野家を継いだ信玄の次男の子孫)
0099人間七七四年
2008/09/20(土) 23:44:30ID:XRisRt8T0100人間七七四年
2008/10/04(土) 20:38:06ID:Au1R9VAb柳生一族の陰謀より
0101人間七七四年
2008/11/02(日) 22:17:46ID:9tMxnuw00102人間七七四年
2008/11/06(木) 21:11:45ID:tzZlh4Iq十兵衛隻眼説はあの時代に流行った講談の逸話だよ。片目、片腕、片足等、異形のヒーローが幕府に立ち向かい成敗するような講談が町民達の鬱積の捌け口だった。
0103人間七七四年
2008/11/06(木) 22:31:11ID:Q3ThKQg80104人間七七四年
2008/11/13(木) 20:50:26ID:xFv3et710105石垣眞人
2008/11/30(日) 15:29:17ID:IJXt/I7yhttp://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。
0106人間七七四年
2009/03/23(月) 17:10:49ID:aDoh3T+7とりあえず随分話が進んだみたいだからまたリンク貼っとくか。
最新だと尾張柳生が出てきたところまで進んだよ。
やる夫で学ぶ柳生一族(まとめ)
http://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-371.html
0107人間七七四年
2009/03/26(木) 13:33:44ID:kx8hFK6Q0108人間七七四年
2009/03/27(金) 11:56:40ID:kNJvITkTもう17話まで続いてるのか。
この調子だと30話近く行くんじゃね?
どこまでやってくれるのか・・・。
0109人間七七四年
2009/04/17(金) 14:45:35ID:ab/g08Zcあれって柳生家からすれば何か影響あるの?
0110人間七七四年
2009/04/17(金) 16:23:51ID:NKHeSBuQノーコメント。命が危ないから。
0111人間七七四年
2009/04/17(金) 18:58:36ID:ab/g08Zc0112人間七七四年
2009/04/21(火) 18:27:34ID:jov0xtxm江戸初期の柳生では、江戸と尾張だとどちらの方が権威があったのでしょうか?
地位は確かに江戸の方が高かったかもしれないけど、
実際に新陰の正統を継いだ柳生家の正統は尾張の兵庫助ですし、
真の権威は尾張の方で、実は江戸の宗矩の方こそ、
兵庫助の「新陰流正統」の威を借りていた、ということはないのでしょうか?
当時から、尾張の方が実力は上だと言われているわけですし、
実力的にも将軍家指南役としては兵庫助の方が適役ではないかと思うのですが、
何故そうならなかったのか不思議なのです。
やはり政治力の差ということなのでしょうか?
0113人間七七四年
2009/04/22(水) 10:40:49ID:4Zj/S6eKとりあえずざっくりと。
・幕府に仕えて20年以上経つ宗矩と、一時期を除いてずっと浪人してた兵庫助では扱いが違って当然。
・柳生の本家は宗矩が継いでいる。家の正統は江戸の方。兵庫助の父は廃嫡されている。
・この時期、「新陰流の正統」という概念自体、存在していたかどうか不明。
・そもそも剣術自体、それほど大した扱いを受けていない。
平たく言えば、
・江戸と尾張なら、権威は圧倒的に江戸の方が上。
宗矩が兵庫助の威を借りるというのは考えづらい。逆ならまだ有り得る
ということ。
あと、とりあえず「政治力」と言うのはやめておいた方がいいと思う。
論拠も無いのにそれを言うのは、陰謀論と大して変わらんから。
0114人間七七四年
2009/04/22(水) 11:12:06ID:4Zj/S6eK剣豪スレのこれ、貴方でしょ?文体変えてるけどID一緒だし。
>931 :人間七七四年:2009/04/21(火) 19:50:17 ID:jov0xtxm
>そういえば一之太刀はそうだったな。
>唯一伝授の割には足利義輝にも教えてたけど・・・。
>やはりそれなりに武芸者にも権威があったってことだな。
>そう考えると当時の武芸者というか武術流派の弟子からすれば、
>権威的に、自流派の師匠>将軍ということも有り得たんだろうか?
>というのは、どうも当時の武芸者視点で考えると、
>柳生宗矩をどう評価したのか見えづらくてな。
>もしかして、新陰流正統の兵庫助がいたからこその将軍家指南役、
>という見方も出来るんじゃないかと思ってるんだが。
0115人間七七四年
2009/04/22(水) 22:37:30ID:zUiw8WYi肩の力抜けよ
0116人間七七四年
2009/05/27(水) 18:59:26ID:HkYTpnOb↑こういう記事があったけど・・・?
その昔、柳生宗矩という剣豪がいた。
判りやすく説明すると、徳川将軍家初代武術指南役を任せられた柳生新陰流の当主である。
この宗矩は指南役になって、直参旗本、大名となっても心は休まることはなかった。
彼には強力なライバルが多かったからである。
諸国を遊歴しながら武芸を磨く、放浪の剣豪 「 宮本武蔵 」
一刀流開祖から直々に剣を学び、夢想剣にて武蔵すら負けを認めた剣豪
「 小野次郎左衛門 」
天狗の化身とさえ言われた天流剣術の「 斉藤伝鬼坊 」・・・・
これらを差し置いて、指南役になれたのは ” 強さ ” ではなく
将軍への指南の際、直参の連中へ手心を加えたためであったとも言われ、これが就任の原因であったと言われる。
現代でも、宗矩は剣術家としては2流であると言われてる原因でもある。
その他、将軍家にも信頼を置かれ、当時京都の仏教界では一大発言を持っていた沢庵和尚の推挙もあったとも言われている。
武芸の必要の無い将軍家へは、型だけのヌルイ稽古と
仏教界からの進言で指南役に納まった宗矩は、つねに武芸者からの非難の矢面であった。
(事実、小野次郎左衛門は、刃引きの剣で稽古をしたため、徳川家の者は皆閉口したとも言われている)
其ればかりではなく、男色家だった徳川家光に尻の穴まで貸したとさえ言われている。
0117人間七七四年
2009/05/28(木) 11:27:12ID:Dkdvs4EN引用先の主旨は、宗矩の
「我、敵に勝つ術を知らず。己に勝つ術を知る」を元にした
「”己に勝つ”心の強さこそ大切」ってことだから、
枕だけ引用するのは感心しないなあ。
まあ、この枕も確かに変は変だけどさ。
当時の剣術や武芸者を過大評価し過ぎ。
たかが剣術がそこまで評価されるようになったのは
むしろ将軍家に剣を教えた宗矩の功績だしさ。
あと、沢庵の件は逆(宗矩が沢庵を推挙した)だし、衆道の件は友矩だろ。
事実誤認が多過ぎて、まともに相手にする価値もないと思うけどなあ。
>自己中心的な武術、中国功夫の随文です。意見があるなら、かかって来い!(笑)
とか書いてるから、「武道家は強くないとダメ」って類の人だろ。
行政官僚で政治家でもあった宗矩と、ただの武芸者に過ぎない他の連中を
同列に並べてる時点で話にならんね。
0118人間七七四年
2009/05/31(日) 10:21:56ID:t9lA98n90119人間七七四年
2009/06/01(月) 11:11:02ID:jL3SyrmI何かと思ったら丸目蔵人と宗矩の問答か。
これって確か球磨群誌あたりに載ってるやつだっけ。
まあ、よくあるタイプの「我が流派の始祖は柳生宗矩より凄いのだ」だな。
特に根拠なく「丸目蔵人が最強」「石舟斎より格上」とか書いてるし。
(蔵人が「西国の御指南は貴殿に任せおき候」という書状を受けていて、
伊勢守の高弟の一人だったのは事実だけど)
単純に考えれて、九州の小大名の陪臣の隠居が、
ホイホイ三千石の直参旗本に会えると思ってんのか?
宗矩からすればツラも見たことない爺だから普通に門前払いして終了だろ。
0120人間七七四年
2009/06/08(月) 00:06:37ID:zJfjI/2t0121人間七七四年
2009/06/09(火) 06:10:38ID:NSZFtJNA0122人間七七四年
2009/06/09(火) 10:22:57ID:NddrH5NV元和の頃、柳生新陰流の高弟である旗本の福町七郎右衛門と寺田小助が
島津藩江戸屋敷で重位と仕合って敗れて重位の門人になった。
でも寺田は翌日死亡…っていう話のこと?
とりあえず、示現流の逸話にしか出てこない「柳生の高弟」だから、
実力の程は不明としか言いようがないかなあ。
そもそも、この2人が実在したかどうか、
こんな試合が実際にあったかどうか自体不明瞭だし。
「旗本」って書いてあるから、徳川実紀か寛政重修諸家譜でも探れば実在したかどうかわかると思うけど。
大名の陪臣が直参旗本を殺しておいて、記録が一切残ってない、
なんてことは考えづらいしね。
0123人間七七四年
2009/07/10(金) 00:37:51ID:pWImaVGVすげえwなんだあれwww
0124人間七七四年
2009/07/10(金) 15:23:10ID:COHtFnny0125人間七七四年
2009/08/02(日) 00:38:59ID:loZVE59rテレビ東京、正月時代劇は「柳生武芸帳」
テレビ東京は30日、来年1月2日に計7時間放送する新春ワイド時代劇として、
「柳生武芸帳」(仮)を放送すると発表した。原作は五味康祐の同名小説。
徳川3代将軍家光の治世を舞台に繰り広げられた、徳川家、反徳川家の権力闘争を描く。
主演の剣豪、柳生十兵衛役は、時代劇初主演となる俳優の反町隆史さん(35)が務める。(30日 21:09)
0126人間七七四年
2009/08/03(月) 04:24:54ID:55KrUeG5正月が楽しみだ。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090730-524867.html
反町が時代劇初主演、柳生十兵衛役に意欲
俳優反町隆史(35)が時代劇初主演を務めることが29日、分かった。
テレビ東京系恒例の新春ワイド時代劇「柳生武芸帳」(1月2日放送)で孤高の剣豪・柳生十兵衛を演じる。
五味康祐原作の同名小説のドラマ化で、3部構成の7時間スペシャル。
リアルな殺陣などアクションシーンをふんだんに盛り込んだ内容になるという。
体づくりのために普段から殺陣の練習に励んでいるという反町は
「時代劇の中でも柳生武芸帳はとても興味のある作品。十兵衛の魅力を出せるように演じていきたいと思います」と決意を語った。
9月下旬から約2カ月にわたって撮影する予定。
ほかに父宗矩を高橋英樹(65)、弟又十郎宗冬を速水もこみち(24)が演じる。
0127人間七七四年
2009/10/19(月) 21:24:46ID:N0Lrj1hT裏柳生って実在したの?
0128人間七七四年
2009/10/20(火) 02:10:28ID:X3SvKpqu確か子連れ狼が初出だったはず。
そうではなく、江戸柳生家の家臣や門弟たちが、
惣目付但馬守宗矩の手足耳目となって諸大名を監視していた、と
いう説を指すのであれば信憑性は微妙。
少なくとも史料上で立証できるというものではない。
基本的に講談話の類。
0129人間七七四年
2009/10/21(水) 10:36:34ID:EonE6pIT役職を元に特別視するのは難しいんじゃないか?
0130人間七七四年
2009/10/24(土) 20:41:06ID:fB74L59Uやっぱり忍びとしてはムチャだよなw
0131人間七七四年
2009/10/24(土) 22:20:09ID:YtFe2V/1剣豪スレでまた続けて書くのも悪いのでこっちにまとめて。
柳生家の本家分家問題は、どうも家督と血脈と流派を混同してるのが多い。
現状残ってる石舟斎の血筋が尾張家だけだから余計にややこしい。
今と当時を分けて話さないといかんからな。
柳生家の家督は江戸家。
柳生家の血脈は尾張家が嫡流。
新陰流の正統は尾張家
だから、柳生本家は江戸だけど、嫡家で新陰流の正統は尾張。
ただ、将軍家御流儀になって、所謂「天下一の柳生」と称された流派は江戸の方。
まあ、新陰流の正統については結構怪しいところがあるから
結構微妙なんだが。
0132人間七七四年
2009/10/28(水) 22:46:31ID:OcfSIogc0134人間七七四年
2009/11/27(金) 15:21:44ID:B6NdsV8B国家(江戸幕府)の安全上。
0135人間七七四年
2009/11/27(金) 18:49:03ID:Mmq2d7rX明確に隠密目的でやっていたかというと疑問だな。
宗矩の大目付在任期間自体、かなり短いし・・・。
0136人間七七四年
2009/11/30(月) 13:21:43ID:GG2GY7tc加藤清正が客分として彼を迎えたいと石舟斎に願った時、
「兵庫助は気が短いから必ず揉め事を起こすでしょう。
どうしてもといわれるなら、3度までは許していただきたい。」
と条件を出した。
石舟斎の危惧はあたった。
清正の領内で一揆が起こった時である。
伊藤光兼が鎮圧に向かったが一向に成果があがらない。
清正は兵庫助に「全権を与えるから鎮圧してまいれ」と命じた。
兵庫助は伊藤に「本陣へ突っ込み鎮圧を」と提案したが、
伊藤は新参者の言葉に耳をかさなかった。
兵庫助は即座に伊藤を切り捨て、一揆の本陣に攻撃をかけ鎮圧してしまった。
清正は石舟斎との約束どおり罪を問わなかった。
兵庫助は加藤家を辞して10年間修行の旅を続け、
尾張徳川家に500石で兵法指南として召抱えられる。
0137人間七七四年
2009/11/30(月) 16:53:48ID:Psvtb3+d0138人間七七四年
2010/02/07(日) 14:49:56ID:EiI1CNIm0139人間七七四年
2010/02/10(水) 00:48:55ID:qpoKfo8n記録がないからなんとも言えないけど。
0140人間七七四年
2010/03/21(日) 01:39:31ID:0ooNUvQv一時期、創作系の宗矩はどれもこれも隆慶一郎の劣化コピーばっかりだったが、
最近は違ってきてるのか?
http://natalie.mu/comic/news/29172
>なお4月7日発売のビジネスジャンプ9号では、
>本宮ひろ志の徳川幕府の礎を築いた剣豪・柳生宗矩の人生を描く
>新連載「柳生宗矩」がスタート
0141人間七七四年
2010/03/28(日) 16:29:34ID:nP+cdEi9あんたが江戸が本家と言ってるのは、幕臣としての柳生家のことだろ
それは分家だ。本家よりもはるかに大規模な分家
尾張の柳生家は小豪族としての規模を守ったまま”柳生一族全体”の本流を保ち、
数百石の知行が独自にある
江戸柳生が統治する万石単位の柳生藩に養われているわけじゃないぞ
あんたこそ混同しないで、頭の中を整理しなさい
0142人間七七四年
2010/03/29(月) 02:37:46ID:MYYO+ntO半年も経ってから返事されてもなあ。
というか、家督と血脈と流派を混同するなって言ってるのに、何で話が通じないのかね。
お前さんの言ってる「本流」ってのは血脈の上での「嫡流」だ。
「本家」「分家」ってのは家督の上の事になる。
先代の家督相続者であるところの石舟斎は、
関が原以降で取り戻した代々の柳生庄二千石を残らず宗矩に与えている。
兵庫助が得た「独自の知行」というのが、
宗矩とは別に石舟斎から与えられているなら、まだ話は通じるけど、
実際には尾張家に仕えた後、柳生家とは無関係に得た知行だから、
代々の所領を石舟斎から継いだ宗矩が、
その際、柳生家の家督も継いだと解釈する方が妥当だろ。
大体、その理屈だと、石舟斎が死んで、尾張藩に仕えるまでの間、
柳生庄を継いでた宗矩が兵庫助を養ってたわけで、
それって分家どころか単なる厄介とか部屋住みじゃないか。
まあ、この辺りについては、
徳川家でも同じようなこと(結城秀康と徳川秀忠)が起きてて、
それを説明してるところもあるから、それを読んでみれば?
将軍は本家、越前は嫡家
ttp://homepage1.nifty.com/saizou/etizen/matudaira.htm
0143人間七七四年
2010/04/01(木) 20:16:43ID:rNxvjAxr調べてもわからないんだけど・・・
0144人間七七四年
2010/04/03(土) 21:26:38ID:TIukUyIvでも確かにわからんな。
宗冬の嫁は京極高通の娘だっていうのはハッキリしてるのになあ。
0146人間七七四年
2010/04/08(木) 00:53:03ID:MjXBfXkT■ビジネスジャンプ:本宮ひろ志巨弾新連載!! 『猛き黄金の国 柳生宗矩』
http://bj.shueisha.co.jp/mune/index.html
■BJにて本宮ひろ志が柳生宗矩を描く。次号冬目景が連載再開
http://natalie.mu/comic/news/30179
宗矩がこんな風にヒーローになるなんて、
隆慶一郎系作品とかあずみとかでかませにされてた頃を思うと
随分変わってきたなあ。
0147人間七七四年
2010/04/08(木) 07:41:11ID:ZWLMNl4I0148人間七七四年
2010/06/24(木) 19:10:47ID:wYgRU6YFhttp://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-5562.html
勘弁してくれ。
本宮センセの連載も、秀忠時代をすっとばしていきなり年寄りになってるし・・・。
0149人間七七四年
2010/08/15(日) 00:37:37ID:rENO8/Ts0150人間七七四年
2010/09/02(木) 07:15:35ID:tNJSj03w0151人間七七四年
2010/09/03(金) 17:33:09ID:OK0XLBYDって言うとどこぞ愚地克巳のになるかもしれないので言いませんよ
0152人間七七四年
2010/11/13(土) 21:09:14ID:r2/DF5Fw0153人間七七四年
2010/11/13(土) 22:50:03ID:FA1pG2f7これが総ての柳生を操る首領であろうが
0154人間七七四年
2011/02/28(月) 01:27:58.89ID:0ZcUev3gあと三巌な
0155人間七七四年
2011/04/21(木) 00:08:36.77ID:4mq2Lb5R片目でも大丈夫だよ。
でも、片目を失ってから数ヶ月は遠近感がつかめない。
俺も片目の視力無くなった当時はコップにジュースも注げなかったが、すぐ慣れて球技も余裕でした。
今は視力が多少回復したけど。
数年前の書き込みにレスしてみました。
Y十M面白いな。
0156人間七七四年
2011/05/13(金) 02:58:01.25ID:L4qCsOnN一昔前と比べると、随分評価良くなってきたな。前はひどかった。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12596
0157人間七七四年
2011/11/06(日) 00:06:00.92ID:h61Fshx7■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています