家康の武功、実力は、その実態より過大評価されていた。
その理由は、
1)長年、織田信長の忠実な同盟者だったという経歴
2)小牧長久手での局地戦の勝利により、秀吉に負けなかったという実績
3)秀吉から封ぜられた過分の250万石という巨封の威圧

中でも2)の影響が最も大きい。

関が原の勝利は事前の政治工作が功を奏したためだが、
計算通りだったのは吉川広家だけ。
実態は不透明な小早川秀秋の裏切り頼みという他力本願。

戦場で家康がやった事は、
なかなか裏切りを実行しない小早川秀秋に焦れて、
奮戦中の黒田長政にその旨を再確認した事と、
本陣をやや前進させた事、
そして一か八かの小早川秀秋への裏切りを催促する威嚇射撃という博打だけ。
お粗末極まりない。

所詮家康などこの程度。
戦の駆け引きは豊臣秀長の方が上だろう。