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家康は本当に野戦の達人?

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0001人間七七四年2007/03/11(日) 00:04:50ID:jgwWrmey
野戦の天才と呼ばれる徳川家康ですが、
本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?
0619人間七七四年2007/04/02(月) 22:23:00ID:WlWkQtfm
三河は、ある意味、特殊なのかも知れない
学問とか礼儀とか躾とか、んなものは一文の価値もない
戦に強いこと、これが男の価値の全てだ
んな作戦指揮能力のない領主など、直ぐに殺してしまうわな
0620人間七七四年2007/04/02(月) 22:26:25ID:BE728ZtB
>>618
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174052463/317
●桶狭間直前の今川家臣の知行高一覧(>>216補完)
●国衆(計42.4万石)
松平10万
朝比奈A2.5万
三浦A1万
井伊A2.5万
朝比奈B2.6万
由比2.3万
小笠原2.4万
松井2.3万
由比B1.8万
飯尾2.6万
安部1.5万
富永1.3万
葛山1.5万
三浦B1.6万
園部1.8万
井伊C1.5万
井伊D1.2万
宮城1万
石橋屋形1万
「今川家家臣分限帳 天正三年正月」より
とのことなんで松平家は十分大きい家ですね
0621人間七七四年2007/04/02(月) 22:27:23ID:yACFwM6P
ぶっちゃけ、戦場の指揮なんて、部下にまかせればいい能力
政戦両略の能力が高いのは勿論、当時の信長の状況等から
家康と同盟したんでしょ
勿論、家康の部隊指揮能力も、優秀なものだったのは疑いないわけだし
0622人間七七四年2007/04/02(月) 22:30:02ID:yACFwM6P
ああ、上の方の愛知だか静岡県民さんか
レスするだけ無駄だったな
0623人間七七四年2007/04/02(月) 22:31:05ID:BE728ZtB
みたいだね
文体が似てる
0624人間七七四年2007/04/02(月) 22:33:28ID:EYO5GcFo
文体っつうか主張してる内容も全く一緒だな
0625人間七七四年2007/04/02(月) 22:39:00ID:WlWkQtfm
今ね、中日新聞で「新三河物語」を連載してるんだけど(宮城谷)
三河一向一揆で、なぜに家康が宗教に勝って部下の信を得たのかつうことだが
家康の人質時代、三河の現世に希望はなかった、ゆえに来世で救われたいと
宗教に走ったのだが、家康が戻ってみると、現世にも希望が見えてきた
だから家康についたんだとの解釈だ、面白い
つまり家康の存在そのものに希望があったんだな、それほどの才だ
これが西洋だとカノッサの屈辱じゃないが、宗教にひれ伏してしまうのだ
0626人間七七四年2007/04/02(月) 22:53:32ID:SzLuSGua
>>614
戦場での戦果を生かせる奴と無駄にする奴がいる。
家康は前者のタイプで、戦果を最大限政治に生かせた人だと思う。

で、最終的に戦国最高の政治力を発揮することができた。
けど、戦場での戦果に限って言えば、戦国最強、達人というには物足りないという話。
0627人間七七四年2007/04/02(月) 22:56:27ID:yACFwM6P
>>626
達人じゃないならなんで天下とれたんだ?
達人なら天下とれるはずだろ?
なんてレスがつくと予想してみとく
0628人間七七四年2007/04/02(月) 22:59:03ID:WlWkQtfm
>>626
例えば島津の釣り伏せなんかは、伏兵を潜ませておいて誘いこむ
この一手なんだが、それで達人なのか? 天下分け目では通用しないぞ?
0629人間七七四年2007/04/02(月) 22:59:30ID:SzLuSGua
>>626
それは全く俺のレスを読めてないというか、
そんなレスする人はちょっと頭が(ry
0630人間七七四年2007/04/02(月) 23:03:03ID:SzLuSGua
>>628
釣り野伏せもできない人にそんなこと言う資格はないな。
0631人間七七四年2007/04/02(月) 23:05:41ID:WlWkQtfm
>>630
地理的な条件が違うだろう?
矢作川の川原で待ち伏せるのか? 平野だぞ? w
0632人間七七四年2007/04/02(月) 23:05:49ID:SzLuSGua
てゆーかさ、関ヶ原で家康って何かしたの?
何もしてねーだろ。
関ヶ原クラスの大戦だと、重要ならのは戦場での指揮能力ではなく
各武将を自分のために戦わせる政治力。
0633人間七七四年2007/04/02(月) 23:06:24ID:SzLuSGua
>>631
そもそも的外れなレスしてることに気づけよ。
0634人間七七四年2007/04/02(月) 23:07:01ID:0XqPFTpQ
上泉信綱にしろ、宮本武蔵にしろ、剣の達人になればなるほど実際にチャンバラすることは少なくなっていくわけで。

達人の定義もひとそれぞれだろうが、究めてしまった者は、なんつ〜か闘わずして勝つみたいなイメージがあるな。
その分、周囲からみれば物足りないだろうが。
0635人間七七四年2007/04/02(月) 23:22:31ID:WlWkQtfm
>>632
敵を大垣城から関が原へ誘い出し、一日で決着をつけた
こいつは凄いことだぜ?
0636人間七七四年2007/04/02(月) 23:27:22ID:yACFwM6P
>>634
上だと、政宗も達人と呼べないという人もいたし
達人と呼ぶラインが人によって、かなり上下するから難しいかもな
0637人間七七四年2007/04/02(月) 23:49:05ID:U/Pe5JCU
>>632
確かに関ヶ原何かの場合その点が大きく左右したわな

家康が西軍蜂起後の東西から挟撃される恐れがある危機的状況下で、
東軍の団結を維持させながら、西軍の切り崩しに成功し、
勝利への布石を打つ事に成功したのに対し、
三成は総大将に毛利輝元を担ぎ出す事に成功するも、
毛利家の最高顧問的地位の吉川広家はじめ、
筆頭家老の福原らが西軍加担を嫌がり東軍に内応してて、
西軍の統率が根本から崩れてしまい、
戦術・戦略的には最後まで抵抗を示すも、
結局西軍の多くは傍観・そして寝返り、あの惨敗につながってしまった。

もっとも三成と家康とでは地位に格差がありすぎて、
自分の軍団を団結させたり、相手を寝返らせるには、
家康が有利な環境だったのは否めないんだがね
0638人間七七四年2007/04/03(火) 00:01:57ID:9d68Vwfp
家康が有利な環境じゃなくて
まんまと釣り出された三成がアホなだけだよ
三成と直江の関係を知っていていろは姫との縁談をし
愚弄してるんだよ
0639人間七七四年2007/04/03(火) 00:34:37ID:yt/auqM2
>>635
一応言っておくけどな。
逆に西軍に一日で負ける可能性もあったんだ。
勝負はみずもの。特にあんなコントロール効かない大戦なんて。

そして西軍も短期の決着を狙っていたはず。

短期間で勝負をつけたい両軍の思惑が合致して決戦となった。
別に家康だけの手腕ってわけじゃないよ。
0640人間七七四年2007/04/03(火) 00:47:08ID:SVY9OLmk
西軍で赤信号だったのは、吉川と小早川と鍋島の3将。
関が原にこのうち2将がいたのは不運だったと思う。
0641人間七七四年2007/04/03(火) 00:58:07ID:9d68Vwfp
小早川は手の内だったんだよ
だから福島らの裏切りを最後まで心配していた
自分がそうだから相手もそうじゃないかと…
勝算がなくして相手の懐へ飛び込むかよ
0642人間七七四年2007/04/03(火) 02:46:03ID:SmHh7vjm
東軍を完全把握してたなら
味方が崩れそうになったときや押した時にすかさず本体の徳川から遊軍が出る筈だし
最初から東軍だった小早川がギリギリまで様子見しない
家康が所詮東軍の盟主に過ぎなかったからこそ、戦闘指揮権は参軍した諸将に委ねられ
西軍が意外や健闘したからこそ小早川は出撃を躊躇った
0643人間七七四年2007/04/03(火) 06:53:00ID:82Qtjx2Z
まぁ実際、このスレの人間が期待してる合戦能力なんて言う胡散臭いもんが通用するのは
数千〜1万未満ぐらいだろうね、上杉謙信も似たようなこといってた気がするが。

3万5万と兵が増えれば増えるほど、単純に兵を動かす事そのものが難しくなっていくので、
細かい動きなど出来るはずもなくなっていく。
0644人間七七四年2007/04/03(火) 08:13:01ID:SmHh7vjm
つ 秀吉・秀長
0645人間七七四年2007/04/03(火) 08:20:21ID:82/Hny9I
戦国時代の指揮統制システムはお粗末だから、大軍の運用は容易じゃないよ
家臣が軍役に応じたことを示す着到状(出席確認書程度の意味しかない)ぐらいしかなくて、大まかな指示は口頭で行っていたようだ
信長あたりから万単位の軍勢を幾つも動かすようになるが、基本的に個人の能力に頼ったもの
秀吉が陣立書(行軍順や配置も明記している書状)を整備してようやくまともな作戦指令書が出るようになった
0646退屈@親父2007/04/03(火) 12:05:08ID:V4Wqev64






age








0647人間七七四年2007/04/03(火) 16:27:41ID:Ky03rv0+
日本史でも最大級の野戦で勝利した家康が、野戦の達人で確定。
そもそも相対的な基準なのだから、戦国最大野戦の関ヶ原の極大勝利という結果を出した事は評価と直結するだろう。
内容も完璧じゃね?
0648人間七七四年2007/04/03(火) 16:31:22ID:7eGsnt5c
レベル低い書き込みはするなよ
0649人間七七四年2007/04/03(火) 16:34:02ID:OkeL+e9b
大将ってのは、気配りができて配下の武将に恨まれないように、まとめるのが仕事じゃないか?

作戦は軍師が考えて指揮は武将が取ると
だから野戦が得意な人間が多く配下にいたか、そういう作戦が徳川家で主流だったんじゃね
0650人間七七四年2007/04/03(火) 21:40:23ID:9d68Vwfp
本多の指揮で榊原とか大久保とかが動くのか?
それとも大久保の命令で本多や榊原が動くのか?
ばか言ってんじゃねえよ、ぼけ
0651人間七七四年2007/04/03(火) 22:50:17ID:SmHh7vjm
>>647
日本史で最大級って
10万単位の動員同士の戦いって南北朝期にはざらにあったんだが
0652人間七七四年2007/04/03(火) 23:02:28ID:yt/auqM2
>>651
あれ、本当かなあ?
情勢から言って各2,3万が妥当だと思うんだけど。
まあスレ違いなので。とりあえず10万ってことで。
0653人間七七四年2007/04/04(水) 06:24:57ID:VxbQxBB4
関ヶ原が日本史で最大級の野戦というのは事実だろ。
近代の海外戦を別にすれば。
0654人間七七四年2007/04/04(水) 14:06:52ID:dEQiTK72
>>653
そういう基本的な認識からズレている奴がいるから怖い。
0655人間七七四年2007/04/04(水) 14:18:58ID:3Gk2cwjx
やはり日本戦史上は重要だと思うよ
過去の日本でもそれだけの兵数を揃えた戦いはあったといわれるが、水増しされていないという証拠は無い
関ヶ原合戦は太閤検地後で、正確な動員可能数が把握された後の合戦
つまり「本当に20万級の兵力がぶつかったと保証できる初の合戦」
0656人間七七四年2007/04/04(水) 15:14:33ID:W2MhxHir
関ヶ原なんて野戦と呼べる代物か?
権謀術策をつくした下地づくりばっかりで言わば政治力合戦だろ。
周りは自分より年下ばっかを相手にあわやというところまで奮戦されて
慌てふためいて一か八かの裏切り催促。
これが野戦の達人て片腹痛いわ。
0657人間七七四年2007/04/04(水) 15:41:32ID:NCCF8nP7
戦争は過程よりも結果が全てだからな。
負けた結果すら計算に入れる様な家康の思慮深謀は現代の人間にすら計れないほど
>>656
別に当事者でも無いのに、負け犬の遠吠え見たいな事言ってる奴大いスレ
0658人間七七四年2007/04/04(水) 16:32:56ID:dCygOxbH
>>657
日本語でおk
0659人間七七四年2007/04/04(水) 16:44:38ID:Ar4s0LOU
数だけは立派だけど
西軍で戦ったのって宇喜多、石田、大谷(とその支隊)だけだかからなぁ
実際は4万対10万さな
0660人間七七四年2007/04/04(水) 16:48:59ID:W2MhxHir
>>656
野戦というテーマに基づいて論じているのに
>>戦争は過程よりも結果が全てだからな。
なんてズレたこと言われると
秀吉も野戦の達人ということになるが。
0661人間七七四年2007/04/04(水) 17:02:11ID:HPYLtC5N
>>659
小西小西!!

それに東軍も池田輝政や山内一豊らの南宮山を睨んでた1万5千も戦ってないな。
0662人間七七四年2007/04/04(水) 17:05:43ID:QOxZoSj0
>>656
>慌てふためいて一か八かの裏切り催促。
これは何のことをさしているんだ?もっと勉強したほうがいいんじゃね?
0663人間七七四年2007/04/04(水) 17:24:56ID:N8MWJsqv
ていうか家康本隊3万も殆ど交戦してないだろ
0664人間七七四年2007/04/04(水) 17:31:17ID:QOxZoSj0
兵を使わずに野戦で勝利する。まさに達人の域だろ。
0665人間七七四年2007/04/04(水) 17:31:35ID:W2MhxHir
>>662
おまえいろんな史料ちゃんと読んだことあるか?
0666人間七七四年2007/04/04(水) 17:42:39ID:QOxZoSj0
>慌てふためいて一か八かの裏切り催促。
で、これは何のことさしてんだ?いってみ。
0667人間七七四年2007/04/04(水) 19:33:09ID:ohJmOCWV
また鉄砲厨かよ
0668人間七七四年2007/04/04(水) 20:20:35ID:zRpBF6z7
なんて史料?花の慶二?
0669人間七七四年2007/04/04(水) 20:35:43ID:N8MWJsqv
花の慶次というより影武者徳川家康じゃないか
あれは秀秋の身体付近にも弾丸が飛んできて凄かったなw
さすがにあれは創作
0670人間七七四年2007/04/04(水) 20:52:22ID:VxbQxBB4
だからこそおもしろいんだろ漫画もドラマも講談も。
0671人間七七四年2007/04/04(水) 23:16:20ID:qiU/lGo+
家康には、上の方で出てたハンニバルのカンネ会戦のようなパーフェクトゲームも
戦史研究の対象となる合戦もないんじゃない。
0672人間七七四年2007/04/05(木) 00:31:02ID:wQ6Q8Ea1
関ヶ原の戦いはまるで自民党の総裁選挙をみるような派閥抗争だからねえ
戦いそのものも結局はこの派閥抗争の影響がモロに影響したわけで、
類稀なる素晴らしい戦術が生かされた戦いとかとは言い難い
0673人間七七四年2007/04/05(木) 01:36:23ID:dVIdavgH
小牧・長久手や関ヶ原は後年参謀本部が詳細な研究書を出してたけどな
後年司馬遼太郎の「関ヶ原」なんかの種本になったやつ
けど内容自体は講談・軍記をソースにしてて手放しで信頼できるものではない
0674人間七七四年2007/04/05(木) 01:50:38ID:WUu/wThc
つーか戦ってのは本来どれもそういうもんだっつーの。
記録が曖昧なものほど尾ひれがつくもんだが。
0675人間七七四年2007/04/05(木) 01:55:50ID:dVIdavgH
一体どこの世界に戦前に総大将が敵方に調略されて
まともに戦わず負けた戦があるというのかw
どう考えても関ヶ原は特殊な事例
0676人間七七四年2007/04/05(木) 02:13:13ID:TfYWnMkr
輝元って調略されたっけ?
0677人間七七四年2007/04/05(木) 07:04:38ID:5yWlZsgm
戦略抜きで戦術だけを論じても意味が無い。
戦略のない戦争なんてありえないのだから。
0678人間七七四年2007/04/05(木) 07:11:59ID:WDaYLEbM
戦術に通じているものほど、少しでも戦場で有利になるよう開戦前から周到な準備をするもの。

だとしても、関ヶ原がかなり特殊な例であることは異論ない。
0679人間七七四年2007/04/05(木) 08:14:02ID:TfYWnMkr
少なくとも西軍は城から出たし、かなり無茶な戦略機動をした。
つまり、西軍にあった戦術的な優位は減っていている。

表面上の兵力的にほぼ互角だし(実質優位)、
家康が関ヶ原に出た判断は妥当。
0680人間七七四年2007/04/05(木) 12:33:18ID:KX39WcY5
布陣図だけを見れば西軍圧勝
何しろ片翼包囲を喰らった体勢で戦闘が開始されてるんだから
しかし西軍の内実は不和でグダグダ
0681人間七七四年2007/04/05(木) 13:34:59ID:iAcjBKKH
ぐだぐだつう前に総大将が山の上じゃ包囲もくそもないぞ
0682人間七七四年2007/04/05(木) 16:26:51ID:vvdUfjW6
お互い想定外の結果、西軍有利の陣形になったなら
それは三成らを誉めなくてはならない
しかし、調略済みだからと西軍有利の陣形を許すというのでアレば
家康の神経を疑う
戦は水物、何が起こるか判らないのに相手に脇腹を晒すのは誉められない
関ケ原の布陣すら家康の支配下だったのなら、陣形だって西軍に勝てる配置にする訳で
実際に関ケ原に陣取った時に家康はキモを冷やした筈だ
0683人間七七四年2007/04/05(木) 17:59:01ID:1t4qcOgk
>>682
同意
0684人間七七四年2007/04/05(木) 18:25:33ID:iAcjBKKH
だから扇の要に総大将が居ない布陣ってどうなのよ
0685人間七七四年2007/04/05(木) 20:38:16ID:WDaYLEbM
>関ケ原の布陣すら家康の支配下だったのなら、陣形だって西軍に勝てる配置にする訳で

それには、最初から小早川たちを東軍として旗色を明確にさせとくことになり、せっかくの調略が効果半減だろ。
西軍側とみなされていたからこそ、三成たちも安心して松尾山に大軍で布陣させたわけだし。
0686人間七七四年2007/04/05(木) 20:53:20ID:WUu/wThc
>>685
三成は安心などして無い。無理やり陣取ったんだよ小早川は。

またそこまで調略にこだわる意味も無い、最初から味方ならそれに越した事は無い。
0687人間七七四年2007/04/05(木) 21:03:53ID:+QOVvCsR
>旗色を明確にさせとくことになり、せっかくの調略が効果半減
>三成たちも安心して松尾山に大軍で布陣させた
これは酷いwwww

>>386
これだけ認識に差があると、そのレスは無駄になると思うけどwwww
0688人間七七四年2007/04/05(木) 22:25:13ID:g0V6me1R
東軍大勝で一気に決着つけるためには、史実以外のやり方はそうない
最初から東軍優勢が明白であれば正面衝突避けただろうし
もしかして神業ともいえる攻略法?
偶然が積み重なってそうなっただけだとしたら、家康はとんでもない強運
0689人間七七四年2007/04/05(木) 22:39:23ID:dVIdavgH
家康がラッキーマンだということは常識だろ
まあラッキーマンみたいに運だけじゃないけど
0690人間七七四年2007/04/05(木) 22:54:13ID:WUu/wThc
>>688
正面衝突避けてたら、家康の不戦勝で終わってしまうよ。

もともと三成は既に政治的には中央から退かされてしまってるし、秀頼を引き出すことも出来てないから
基本的に大義名分は余り無い、ゲリラ的な挙兵だった訳で。

それも家康不在だったからこその芸当なのに、家康が迫ってる状況で下手に二の足を踏むようなら
もともと家康とつながりがあった連中が家康の方へ走るのが目に見えてる。
0691人間七七四年2007/04/05(木) 23:16:00ID:iAcjBKKH
三成さん、良く挙兵してくれました、ありがとう、だろう。
0692人間七七四年2007/04/05(木) 23:28:50ID:WUu/wThc
何事も無く上杉を血祭りに上げたほうが楽に決まってる、
本来ならそれに越した事は無いし、そういう流れも想定していただろう。

ただまず確実に何らかの形でそうはさせてはもらえないだろうと既に読んでいただろうし、
そうなっても大丈夫なように事前に動いていたと言うだけの事。
0693人間七七四年2007/04/05(木) 23:46:03ID:TfYWnMkr
>>690
正面衝突を避けたら、輝元の部隊・大津城攻めの部隊その他各地の西軍
部隊が関ヶ原に来たでしょうけど・・・。
東軍は、秀忠以外は強いて言えば前田以外はくるあてがないので、
より戦力的に不利になるわけで。

外線的な東軍に対して内線的な西軍は兵力集中が容易なわけで。
普通に東軍の勝ち目が落ちていきます。

>それも家康不在だったからこその芸当なのに、家康が迫ってる状況で下手に二の足を踏むようなら
>もともと家康とつながりがあった連中が家康の方へ走るのが目に見えてる。

基本的に、小早川・吉川・鍋島・長宗我部以外は家康とつながりがあった連中はすでに東軍ですが?
以外に家康は人望ありません。寝返りそうな人間を上げていただくとうれしいのですが。
個人的に、前田玄以と増田あたりが寝返りそうだと思いますが(w。
0694人間七七四年2007/04/06(金) 01:21:13ID:WKe9DZG3
自分であげてるじゃないか

更には小早川・吉川が家康に来てるのに毛利本家だけ頑なに西軍とかありえん
史実でも前半であれだけ西軍が優勢に進めてても動かなかったのに
衝突すら避けてるような状況の西軍に何で輝元がそこまで義理立てしなけりゃいかんのか。
プラス鍋島・長宗我部がつくだけで充分すぎる。奉行連中もつくというのであれば余計に。

だいたい3万8千の家康直属軍、前田軍2万5千の大きさも舐めすぎではないか。
石高の桁が違うのに一緒の数で計算する意味がわからんのだが。
大津城攻めてる連中など徳川はおろか前田軍の半分強程度、しかもその兵力は小早川・毛利の
兵も多く混ざってるのでこれらは上記の理由で東軍に寝返るだろう。
まともに信用できるのは立花宗茂ぐらいのもんだ。

島津もそうだが九州の連中はみんな怪しいもんだし。
0695人間七七四年2007/04/06(金) 02:29:20ID:WWr4lhBt
>>694
>更には小早川・吉川が家康に来てるのに毛利本家だけ頑なに西軍とかありえん
毛利を小早川・吉川を基準に考えている理由を教えてください。
そもそも、小早川・吉川が寝返った理由わかってますか?

>だいたい3万8千の家康直属軍、前田軍2万5千の大きさも舐めすぎではないか。

大坂城にいる。毛利本隊と豊臣直轄軍の5万の軍勢を舐めすぎではと返しておきましょう
前田よりは関ヶ原に近い位置にいますし。
前田も本土防衛用に一万残さなきゃならんでしょ。
そもそも利政の件はスルーですか?

>石高の桁が違うのに一緒の数で計算する意味がわからんのだが。

言っている意味は分からないのですが。
基本的に関ヶ原に追加で来るのは東軍は秀忠隊と前田隊で5万〜6万
西軍は大津城と伊勢と丹後総計の3万と大坂城にいる4万。

数値で言えば西軍の方が投入できる兵力は大きいとさえ言えます。
無論それぞれ時間的なズレがありますが、大津城や伊勢は数日あれば
関ヶ原にこれますし、基本的に西軍の方が投入できる兵力が多いですね。

>島津もそうだが九州の連中はみんな怪しいもんだし。

その論拠は?島津はまあそれはそれとして九州勢は基本的に親石田なんですが。

0696人間七七四年2007/04/06(金) 09:13:32ID:w2wy5olv
無知でごめんなさい
0697人間七七四年2007/04/06(金) 14:54:34ID:vtNccxiQ
戦争は結果がすべてじゃ 何が起こるかわからんし
事前調略も戦のうちじゃー
よって野戦に優れてる
0698人間七七四年2007/04/06(金) 15:37:57ID:hz+VvztE
関ヶ原は一日で方を付いたのが、かなり異常
もうちょい小競り合い続いたりして、長引いてたら、秀忠の大活躍が見られたのに・・・
0699人間七七四年2007/04/06(金) 15:51:01ID:hz+VvztE
>>695
三成が指折り数えて兵を計算した姿が思い浮かんでくる・・・・
自分に都合良く、兵を集めたつもりになって勝てると思ったんだろうな

三成の思考がそんな感じだったと思えて、悲しくなる。
0700人間七七四年2007/04/06(金) 17:13:32ID:l0M86C8B
三成厨は、三成がやったことで家康を大幅に利することになったと認めたがらないだろうな
三成が工作しなければ家康はもっと容易に天下を取ったと・・・
しかしそれは家康を過大評価しすぎ
0701人間七七四年2007/04/06(金) 18:32:44ID:O8fV6pG3
秀吉の唐入りの根拠になったのが築城能力、ロジステクスの発達だが
その使い道がもはや日本にないので唐入りしたのだと言う説まである
その要にいたのが三成で、こんな能力を持った指導者つうと
アイゼンハワーを思い浮かべるが、彼もまた大統領にはなったが
何をしたのかと疑問になる、まるで三成の実戦能力のようだ…。
0702人間七七四年2007/04/06(金) 22:45:26ID:WKe9DZG3
>>695
大阪城と毛利本軍がちゃんと味方で、そのぐらい積極的に動くなら
関ヶ原は問題なく西軍は勝てたろう。だが史実では一切動かなかった。

なのになんでなんの脈絡も無く、関ヶ原を避けて時間稼ぎしただけで完全な味方になってんだ?
0703人間七七四年2007/04/07(土) 00:06:39ID:hAU/x1NA
>>702
>だが史実では一切動かなかった。

出陣の準備をしていたが、
家康が密書の公開に踏み切り、その性で
疑心暗鬼になって動けなかった。

ええと、もしかして毛利の関ヶ原の動き知らないの?
0704人間七七四年2007/04/07(土) 00:52:58ID:rVn2tMuB
>>703
>>出陣の準備をしていたが、
>>家康が密書の公開に踏み切り、その性で
>>疑心暗鬼になって動けなかった。

↑こんなこと言ってる奴が信用できるなら、松尾山にいる小倅も
弁当食ってる宰相殿も信用できるんでは無いか?
0705人間七七四年2007/04/07(土) 01:00:55ID:FupR7WzV
ところで輝元って実戦の経験があるのか?
0706人間七七四年2007/04/07(土) 01:27:53ID:QaLXgFLA
輝元なんて両川の叔父たちに支えられてなんぼの無能人間だから
自分で出陣して戦うなんて不可能だよ
0707人間七七四年2007/04/07(土) 02:55:02ID:KKzgFCyi
関が原当時限定でいうと家康が単に場数だけは踏んでいるだけだろ。
あえて言うなら、義弘の方が実績あるんじゃないの。
達人という言葉が合うのは信玄・謙信・氏康だろう。
0708人間七七四年2007/04/07(土) 03:12:01ID:jPbkNIrM
またまたご冗談を
0709人間七七四年2007/04/07(土) 09:49:04ID:Tcb71wby
家康は初めから複数の戦闘集団を束ねる総大将の地位にいた。
ならば、自身が戦術的な采配を振るう時は余程の苦戦というより敗戦時
であろうし、それ以上は常に戦略的な指示に終始していた。

彼が自らの主導において戦術指揮を執ったのは長久手の戦い時における
池田・森勢との戦闘のみであろう。
0710人間七七四年2007/04/07(土) 09:58:38ID:1zhxK9Wf
上田攻めや三方が原はスルーですかwww
0711人間七七四年2007/04/07(土) 10:29:04ID:T/GVmoTV
上田攻めなら明らかに違うだろう
なんでも煽ればよいってものでもw
0712人間七七四年2007/04/07(土) 11:13:14ID:DxUvJ5Dr
家康の武功、実力は、その実態より過大評価されていた。
その理由は、
1)長年、織田信長の忠実な同盟者だったという経歴
2)小牧長久手での局地戦の勝利により、秀吉に負けなかったという実績
3)秀吉から封ぜられた過分の250万石という巨封の威圧

中でも2)の影響が最も大きい。

関が原の勝利は事前の政治工作が功を奏したためだが、
計算通りだったのは吉川広家だけ。
実態は不透明な小早川秀秋の裏切り頼みという他力本願。

戦場で家康がやった事は、
なかなか裏切りを実行しない小早川秀秋に焦れて、
奮戦中の黒田長政にその旨を再確認した事と、
本陣をやや前進させた事、
そして一か八かの小早川秀秋への裏切りを催促する威嚇射撃という博打だけ。
お粗末極まりない。

所詮家康などこの程度。
戦の駆け引きは豊臣秀長の方が上だろう。
0713人間七七四年2007/04/07(土) 12:15:15ID:Tcb71wby
>>712
それら1)〜3)総てに家康の戦略・政略判断という要因が介在している。
家康はまずそれらを土台にして成り上がり、最後の詰めとして戦術能力
を発揮した。
0714人間七七四年2007/04/07(土) 13:00:24ID:1zhxK9Wf
戦歴はホントたいしたものが無い。
要は巧く泳いだというだけ。
信長の同盟者になったことが儲けものだった。
実質信長に守られていたようなもの。
その信長が死ぬと火事場泥棒のように甲斐・信濃を奪っただけ。
ホントついてるよ。
0715人間七七四年2007/04/07(土) 13:05:25ID:QaLXgFLA
浅井みたいに信長の同盟者になれて儲けものだったのに
耐えられなくて滅亡した輩もいる
信長の同盟者を続けられただけでも凄いことだよ
0716人間七七四年2007/04/07(土) 13:13:50ID:z1neuE/j
自分で火を付けておいて泥棒するのを火事場泥棒とは言わない
河尻秀隆あわれ
0717人間七七四年2007/04/07(土) 13:21:33ID:on0l6tXz
家康が大した事ないなら、他はもっと大した事なかったことになるだろうな
0718人間七七四年2007/04/07(土) 13:24:09ID:UIqorB/v
>>715
浅井は信長殺せるチャンスだと思って自分から寝返ったんだろ
長政が家康みたいに従順な犬と化していれば
徳川より優遇されたろうけど
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