家康は本当に野戦の達人?
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0001人間七七四年
2007/03/11(日) 00:04:50ID:jgwWrmey本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?
0542人間七七四年
2007/04/01(日) 13:16:59ID:IJxyWYlf>つまり「陣形図は何度も見たけれどなにひとつわからなかった」ということだな
当たり前だ。
隠されたヒントなんて存在しないのだから。
もうお前の薄っぺらな正体はすっかり見透かされてるっつーの。
消えな。
0543人間七七四年
2007/04/01(日) 13:17:12ID:Pa+BHmvA|┃ | どっきり|
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
0544人間七七四年
2007/04/01(日) 13:19:55ID:tRTmfZDP現代の関ヶ原がどういうところか、それすらも本当に知らないんだな。
自分が古戦場にいったのならまだしも、どこの誰すらもわからないでっちあげの意見を元に語られてもな。
で、陣形図は何度も何度も見たけど何もわかりません、もう降参ですから教えてください、ということでいいんだっけ?
それさえ確認できたら先に進むんだが。
0545人間七七四年
2007/04/01(日) 13:22:58ID:akcNsTGW問題は家康が山頂の小早川に威嚇射撃をしたとして、
秀秋がそれを威嚇射撃だと気付くことが出来たかどうか、でしょ
2-3キロ以上離れてる家康本陣から自分の方向に
鉄砲を射掛けられても普通それが自分に対しての威嚇だとは思わない
この時代の鉄砲の最大射程は多めに見積もっても500メートルくらいなんだからな
家康が松尾山の方に向かって射撃しても麓の大谷隊を撃ってるとしか思わないだろ
小早川本陣に弾が届くどころかその半分も届いて無いんだから
0546人間七七四年
2007/04/01(日) 13:23:51ID:IJxyWYlfシカト
以後も同様
0547人間七七四年
2007/04/01(日) 13:26:10ID:tRTmfZDPてわけね。
そりゃちょっと虫がよすぎやしないかい?
0548人間七七四年
2007/04/01(日) 13:30:11ID:qp6OWRmJ物見が山を降りて偵察し、どうも大谷隊ではなくこちらに威嚇しているようだと報告すれば
それで秀秋は家康が怒っていると理解できる
0549人間七七四年
2007/04/01(日) 13:35:36ID:akcNsTGWそもそも陣場野から松尾山に向かって鉄砲を撃つ掛けても、
麓の大谷隊に届くかさえも微妙なんだから
まだ家康からの使者が来て「今すぐ西軍を攻撃しなければこちらから攻撃する」と言ったとかの方が理解できる
0550人間七七四年
2007/04/01(日) 13:39:27ID:IJxyWYlf威嚇射撃なんだから弾丸が届かなくっても別にいいんだよ。
家康が秀秋を射殺してもしょうがねーだろ。
それに家康が砲撃を支持した松尾山の位置は、
戦闘真っ只中の方角とは明らかに異なる。
昨日今日戦場に出たド素人じゃあるまいし、
家康が自分に向けて砲撃したことを秀秋が分からないはずなどなかろう。
俺の主張に異を唱えるのなら、
戦局を日和見していた秀秋が、
裏切りを決意し、大谷隊攻撃を実行に移した心理的誘因は何なのか明示しろよ。
0551人間七七四年
2007/04/01(日) 13:42:22ID:lYqs2FSi論と論拠書けば2往復もレスし合えば終わる事を延々と無駄レス
0552人間七七四年
2007/04/01(日) 13:52:09ID:tRTmfZDPはっきり宣言しとかないと、苦し紛れに自演始めたかとみな思ってしまうじゃないか。
0553人間七七四年
2007/04/01(日) 13:54:22ID:akcNsTGW最大射程距離の遙か彼方でパチュンパチュンやっても威嚇射撃になるわけないだろ
相手がその気になればいつでも自分を攻撃できるとわかって初めて「威嚇」になるんだからな
ちなみに家康が秀秋を本気で射殺するなら最低でも200メートルくらいまで肉薄しないといけない
戦況を傍観してた秀秋が何故急遽大谷隊攻撃を決意したかどうかなんて秀秋以外の人間にわかるわけがない
数に劣る西軍の疲れを見た秀秋が東軍勝利を確信したとか、
戦後最も自分の価値が高くなるように裏切る最高のタイミングを見計らってたとか、
或いは何度目かの黒田からの使者にとうとう説得されたのかもしれん
むしろ有ったかどうかわからない家康の威嚇射撃みたいなものが直接の引き金になったと決め付ける方がどうかと
0554人間七七四年
2007/04/01(日) 14:04:09ID:aaReqcX+御用学者に400年踊らされてるおばかさん
0555人間七七四年
2007/04/01(日) 14:08:06ID:9SfQLv+O威嚇射撃っても裏切りの催促だから「いつでも攻撃できるぞ」って類の威嚇射撃じゃないと思うけど。
「そろそろ裏切らないとお前も敵とみなすぞ」っていう
意味を込めた、伝えるための威嚇射撃だったらならば実際に弾が届く必要は無く、
意思表示さえ出来れば十分だから射程外であろうとも問題ないのでは?
0556人間七七四年
2007/04/01(日) 14:11:11ID:tRTmfZDP周囲が静まり返っていたというならまだしも、戦場でねぇ。
0557人間七七四年
2007/04/01(日) 14:13:10ID:IJxyWYlf>相手がその気になればいつでも自分を攻撃できるとわかって初めて「威嚇」になる
秀秋は自分を砲撃してきた家康が、
いままで経っても松尾山で傍観している自分に対して怒ってると思い、
その家康の怒りに恐れ慄いたからこそ西軍を攻撃したんだ。
>家康が秀秋を本気で射殺
戦の最大のキーパーソンの秀秋を家康が射殺するわけがない。
上記で述べた。
>数に劣る西軍の疲れを見た秀秋が東軍勝利を確信
戦局は西軍優勢東軍劣勢だった。歴史認識の誤り。
>戦後最も自分の価値が高くなる
それは三成から内示されていた関白に決まってんだろ。
そんな事も分からないで西軍を攻撃するから秀秋は阿呆と言われている。
>何度目かの黒田からの使者にとうとう説得された
秀秋の傍には裏切りの指南役が常駐していた。
それでも秀秋は家康からの裏切りの催促があるまで傍観している。
>有ったかどうかわからない家康の威嚇射撃
どの専門家も、そして万人が認めている歴史的事実。
単に俺の主張を認めたくないが為の虚勢かい。
お前の論法だと、信長暗殺の実行犯は光秀かどうかも怪しいことになるぞ。
0558人間七七四年
2007/04/01(日) 14:14:30ID:akcNsTGW例えば家康と秀秋が見晴らしのいい平原で二人きりで立って、
それで家康が手に持った鉄砲で秀秋の方を目掛けて撃ったというなら、
秀秋が射程距離の遙か外でも家康の秀秋への「警告」の意思表示は十分可能かもしれない
ただ現実は東西合わせて10万を超える大軍が狭い関ヶ原でひしめきあってる状態、
更に秀秋と家康の間には大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてたわけで・・・
こういう状況で家康配下の鉄砲隊が松尾山の方へ向けて射撃を開始したら、
普通は大谷隊へ攻撃してると判断するんじゃないかと自分は思う
0559人間七七四年
2007/04/01(日) 14:16:54ID:aaReqcX+さらに離れた位置からの銃声も届かないような威嚇がほんとに意味あんのかと。
まぁ最近は、家康配下の鉄砲の名人数名を藤堂隊に出して
家康の命でその家康旗下の数名の鉄砲隊と藤堂の一部の鉄砲隊に
威嚇をさせに行ったっていう独自の解釈をしてる連中もいるが。
でも冷静に考えると、秀秋側からしてみれば、急に鉄砲を射掛けられたら
大谷隊か藤堂隊のどちらかだと普通に思うだろ。
家康の旗印を持った鉄砲隊が至近にいないかぎり。
ただでさえ戦場はピークを迎えてて銃声、怒号なんかが激しいだろうし、
離れてるところからの銃声なんてまったく意味無いだろ。
0560人間七七四年
2007/04/01(日) 14:19:06ID:tRTmfZDP小早川側に確認できたという無理を通すことによって辛くも成り立っているあやふやな論理だな。
察知できなければすべての前提が崩れ去るわけで。
小早川がどういう手段によって、知りようがない狙撃を認識できたか、新説の披露を期待するとしよう。
0561人間七七四年
2007/04/01(日) 14:24:05ID:9SfQLv+O見晴らしの利く山の上に陣取り、また物見が周囲を見張ってるだろうから
一つの部隊(何百人単位か千人単位かは分からないが)が
自分の方向を向いて鉄砲を撃ちかけてたら気づくと思うけど。
そもそも遠いと感じたなら撃ち掛ける部隊を近づけたら良いだけだし。
0562人間七七四年
2007/04/01(日) 14:26:48ID:akcNsTGW0563人間七七四年
2007/04/01(日) 14:27:50ID:tRTmfZDPその間に他の陣があってもかい?
届かない距離で、方向だけこちらを向いていることが、仮に千里眼のような観察力で見極めることができたとしても、その手前にある
部隊への射撃と思うのが関の山。
近づけたら良いだけって‥‥‥だから陣形図を見ろっていったんだ。
0564人間七七四年
2007/04/01(日) 14:35:34ID:IJxyWYlf>現実は東西合わせて10万を超える大軍が狭い関ヶ原でひしめきあってる状態
家康の本陣は激戦の場所の後方にあり、それなりに距離がある。
どこから射撃を受けたのか容易に認識できる。
>>558 >>559
>秀秋と家康の間には大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてたわけで・・・
こういう状況で家康配下の鉄砲隊が松尾山の方へ向けて射撃を開始したら、
普通は大谷隊へ攻撃してると判断するんじゃないか
>真下で大谷隊と藤堂隊がばんばんやりあってるのに
大谷隊か藤堂隊のどちらかだと普通に思うだろ
秀秋は盲目じゃねーんだよ。
しかも朝鮮でも実戦を積んでいる。
射撃の方向さえ分からないだなんて有り得ねぇっつーの。
現代人の見地を当時の武将に当てはめようとする愚劣。
0565人間七七四年
2007/04/01(日) 14:37:52ID:akcNsTGW随分複雑な秀秋像だな
0566人間七七四年
2007/04/01(日) 14:38:46ID:JrRYiAi2必死に聞こうとしてたはずだよ。
ぼーっと眺めてたわけじゃないと思う。
とりわけ家康の動きは注視してただろうし、分からなければ斥候を出す。
仮に下の様子が煙や怒号で分からなかったとした場合、
下の様子が分からずに突然東軍に寝返ったなんて事の方が理解できない。
0567人間七七四年
2007/04/01(日) 14:41:38ID:GK3FFgBzそれでも”伍流後十三”に頼んだんだろうな…当時の実用射程は20mくらいだよ…
雑賀孫一は10mぐらいまでひきつけたらしいけど。
0568人間七七四年
2007/04/01(日) 14:43:21ID:tRTmfZDPただ、戦場ではっきりと裏切り行為を行うのはやはり勇気がいるし、逡巡するのも当然。
それでも、大軍を擁しながら傍観したままで戦さが終わればどちらが勝っても非難されるのは明白で
いずれにせよどちらかに決断しなければならない時期であった。それだけのこと。
0569人間七七四年
2007/04/01(日) 14:43:36ID:9SfQLv+O大谷隊と藤堂隊が戦ってる場所から秀秋の陣はわりと離れてるし、
両者が戦ってる場所よりも後方を回り込んで松尾山の西側から回り込み、
交戦地からちょっと離れた場所に位置し、そこから撃たれれば
交戦地とは別方向からの射撃になるんで気づくと思うけど。
ましてや徳川家の部隊(と馬印や旗印で判断できる)が鉄砲を構えて、
松尾山を撃ってる所を物見にでも見せれば間違いようがないんじゃないの。
>>563
西側から回り込んで近づけば他の陣と接触しなくても良いと思う。
0570人間七七四年
2007/04/01(日) 14:46:47ID:9SfQLv+O西じゃない、東だね。訂正。
0571人間七七四年
2007/04/01(日) 14:47:39ID:akcNsTGW今度は宇喜多隊と福島隊の間を突っ切ることになるんじゃないか?
0572人間七七四年
2007/04/01(日) 14:52:23ID:lYqs2FSi0573人間七七四年
2007/04/01(日) 14:55:03ID:lYqs2FSi0574人間七七四年
2007/04/01(日) 14:57:18ID:akcNsTGWこれは失礼
松尾山は東西に長いから大谷&藤堂隊の激戦地を避けて
東側から威嚇射撃しようとするなら尚更距離が遠くなるな
家康配下の鉄砲隊がいきなり戦列を離れて松尾山東方へ大迂回し、
松尾山の山頂に陣取った小早川隊へ遙か彼方から鉄砲を撃ちかける・・・
これは随分不自然な動きに思えるぞ
家康本隊から離れてこれだけ遠くに逝っちゃったらむしろ秀秋の注意も逝かなくなるんじゃないか
0575人間七七四年
2007/04/01(日) 15:33:11ID:JrRYiAi2人数は100人ぐらい?200人ぐらい?
これぐらいなら狭い関ヶ原でもスペースはあるんじゃないかな。
小早川はこっちを見てるんだから、家康の意図さえ気付かせればいいんだし。
0576人間七七四年
2007/04/01(日) 15:50:20ID:KKyl8eRmこういう時は順序立てて考えるんだ。
Q、家康が秀秋に何度も寝返りの催促の使者を送っているのに、秀秋が寝返らなかったのは何故か?
A、当初西軍が優勢だったから。
Q、西軍優勢なら寝返らないだろ普通、なのにどうして寝返ったのか?
A、秀秋に寝返りを決心させる強い働きかけがあったからです。
Q、それは何か?
A、秀秋隊に威嚇発砲をすることです。
Q、秀秋の陣に鉄砲の弾なんか届かないし、音だって聞こえないだろ。意味ないじゃないか?
A、確かに弾も届かないし、音も聞こえません。ただし、鉄砲から上がる硝煙は見えます。煙はのろし等、昔から
遠くの者に対し、サインや合図として使われてきました。山の上に陣取った秀秋からも確認出来たはずです。
Q、煙見たぐらいで、寝返るかよ?
A、家康から秀秋に何度も使者を送っているので、秀秋がこれが家康からの寝返りの合図だと理解していたのでは。
おそらく、これが最後通達で「これでも動かなければこのまま攻め上がる」とでも脅したものと思われます。
Q、大体、戦闘が始まってるんだから鉄砲だってあっちこっちで撃ってたし、煙の見分けなんかついたのか?
A、先方の井伊隊を別にすれば、家康本陣は戦闘を開始していません。敵との距離が離れ鉄砲を撃っても意味の無い
場所で発砲した分けです、秀秋にもそれが誰へのものなのか、十分理解出来たはずです。
Q、なら、秀秋が鉄砲で寝返ったてのは合ってるのか?
A、これ以外に、兵数、地形、陣形、戦術、戦況、全てに優勢な西軍を寝返る切っ掛けがありません。
0577人間七七四年
2007/04/01(日) 16:14:10ID:fP1rFGZQ西軍はその機会がなかったんだし、東は説得しほうだい
0578人間七七四年
2007/04/01(日) 17:17:44ID:K/yJW8NL0579人間七七四年
2007/04/01(日) 17:34:32ID:vKvti1a30580人間七七四年
2007/04/01(日) 17:44:27ID:fP1rFGZQ0581人間七七四年
2007/04/01(日) 17:49:50ID:zslAmVJpとういうだけの話。
0582人間七七四年
2007/04/01(日) 18:36:38ID:9SfQLv+O東側から川に沿って西進すれば交戦してる場所を避けて、
問題無い距離まで到達できると思うよ。
また不自然な行動程秀秋の注意を引けるし、徳川の分隊が
移動してるのを物見も発見するだろうから威嚇射撃を見せ付けるには
そっちの方が良いんじゃないの?
まさか松尾山に接近する徳川家の部隊を無視するってのはないだろうし。
0583人間七七四年
2007/04/01(日) 19:34:53ID:tRTmfZDPまして東軍の総大将たる徳川の鉄砲隊がそんな怪しい動きで長距離移動してりゃ、狙われるのがオチ。
山中のゲリラ戦やってるんじゃないんだから。
それがなにかの合図で、それにより確実に小早川隊が動くという確証があるならともかく、効果のほどの怪しい威嚇射撃を
わざわざ戦場で貴重な火力を遠くにやってまでするのは戦術上リスクが多すぎる。
機動力を活かした騎馬隊ならまだしも、徒歩なら移動しているだけで戦況が変わるというのに。
最初から射撃があったという、結論を先にもってきて無理矢理後付で理屈をつけるより、なかったんじゃないかと考えた方がよほど
自然じゃないかね。
0584人間七七四年
2007/04/01(日) 20:31:26ID:bs87hsCQ否定派の論法は
具体的状況を想定して、「だから無理だった」と言うこと。
しかしお前は見てきたのかと。
しょせん想定に過ぎない具体的状況をもとに断定するのは無理がある。
実際にその時代を過ごした人たちがそう言ってる。
それを否定したければ同じ時代の人でその見解を否定している人を見つけてくること。
そうしないと議論のレベルがかみあわない。
0585人間七七四年
2007/04/01(日) 21:07:59ID:EZwGfQFdコイツ馬鹿丸出しだな
0586人間七七四年
2007/04/01(日) 21:21:21ID:tRTmfZDPそれって誰のこと?
威嚇射撃説の出典を知ってるならどうぞ。
0587人間七七四年
2007/04/01(日) 21:32:37ID:akcNsTGW今度は文献的に検証してみようか>関ヶ原における家康の松尾山への威嚇射撃
一般的な関ヶ原の通説といっても良い小早川隊への威嚇射撃だが、
誰かこの話の初出を知ってる人居る?
出来れば関ヶ原に居た人間による一次資料が望ましいが、そうでなくても構わない
慶長年中ト斎記なんかには無かった記事だと思うが
0588人間七七四年
2007/04/01(日) 21:35:23ID:Dn3+gjvM狙われるっても松尾山付近の西軍の前線は藤堂・京極の部隊と交戦中だし、
それらを突破しない限りは攻撃を仕掛けることも出来ないんだから
他の部隊の注意を引いたって別段問題と思うけど、また長距離って程長距離でもないし。
効果は実際に秀秋が裏切ってるから何とも言えないけど、
最後通告を態度で示す恫喝って考えれば威嚇射撃も意味が無い訳では無いと思うよ、
戦術上のリスクも秀秋が切れて襲い掛かってくるのならともかく、距離も離れてないし
前線に藤堂等、付近に徳川3万の軍勢が控えてる状況では孤立の可能性も低いので
高くない、むしろ低いんじゃないかな。
俺には無かったとする方が「無かった」という結論を先に持ってきて論を展開してるように見えるから
あったと主張してる訳でして・・・なので無かったとするのが自然とは思えないんだよ。
0589人間七七四年
2007/04/01(日) 22:54:49ID:vUgmFEDd「家康にとっての希望であった野戦を関ヶ原で実現しながら、
小早川の裏切りに頼らなければならないほど苦戦した家康に、
野戦の才能はない」と言いたいんだろ?
関ヶ原の勝利は巧みな戦術で勝利したのではなく、
政治工作がモノを言って得られた勝利だから、
そういう意見が出てくるのも納得できるが、
その政治工作で野戦の失敗を補っているのだから、その点の評価はあっていいと思うがね
まあこれを「合戦上手」というのが妥当なのか分からないが
有能な部下を巧みに動かすなど、
兵の駆け引きを知っていたのは確かだろうし、決して下手くそとは思わないが、
「天才武将」と言えるほどの合戦上手とは異なると思う
関ヶ原や大阪の陣の場合、
自身の強大な権力を背景にした政治力で戦争に勝利する、
そんな感じだものな
0590人間七七四年
2007/04/01(日) 23:12:03ID:vKvti1a3関ヶ原はとりわけ規模が大きく、それでいて入り組んだ部分があったから
色々と資料が残っていて、そういう観点から考査がしやすいだけに過ぎない。
0591人間七七四年
2007/04/01(日) 23:16:44ID:vUgmFEDd家康は戦争には強いよ
武田との戦争さえ危機的状況に追い込まれてなお最後は勝利を収めるし、
秀吉との戦争でも簡単に講和することなく、その後もなかなか服従しないし、
関ヶ原・大阪の陣なども説明するまでもない
合戦指揮能力だけじゃなく政治力があるからこういう結果がもたらされているわけで
ただ純粋に合戦時の兵の駆け引きについて言えば、
「天才」と言えるレベルなのか疑問、ということだろ
個人的には信玄とかと変わらないと思うのだが
信玄もそんなむちゃくちゃ合戦指揮が上手い、というわけじゃないからね
0592人間七七四年
2007/04/01(日) 23:27:34ID:bs87hsCQでも達人クラスかというとちょっと。ってことですな。
0593人間七七四年
2007/04/01(日) 23:59:01ID:lYqs2FSi>それを否定したければ同じ時代の人でその見解を否定している人を見つけてくること。
>そうしないと議論のレベルがかみあわない。
低いレベルに合わせるべきだ!という斬新な発想のID:bs87hsCQに乾杯
0595人間七七四年
2007/04/02(月) 00:20:04ID:NQ8Bfx9A稀に戦術でひっくり返すやつがいるが、野戦の達人とはそういうやつにこそ相応しい
まぁ評価は順当勝ちした指導者>>>>>戦術でひっくり返した達人だが
0596人間七七四年
2007/04/02(月) 00:21:15ID:0XqPFTpQ0598人間七七四年
2007/04/02(月) 00:40:15ID:WlWkQtfm真正面から打ち破ったのでは勝っても被害が大きい
関が原で小早川に裏切らせて横槍を入れさせて勝つ
これほど野戦上手はいまい、どうだ
0600人間七七四年
2007/04/02(月) 01:22:49ID:eYuVF/ku話違うもの持って来るな
南京は、無かったって言ってるのは少数だ
あれは
「あんな多数の虐殺は物理的に無理」
って話だ
秀吉がすごい火力を使って朝鮮の書物を全て灰にした
とかと同レベルの話だ
民間人が見た戦争による被害者がどれだけ誇大して伝えられるかなんて
第二次世界大戦に限った事じゃねえよ
情報網発達した今の戦争だって正確な情報なんて出てこないのが戦場
0601人間七七四年
2007/04/02(月) 02:41:09ID:YdQ0xnTE第二次大戦で勝利したアメリカは確かに強かったし、
当時の指導者ルーズベルトは有能な大統領だったが、
しかし戦争の指揮そのものが天才的にうまかったのかというとまた別の話で
家康も同じようなものじゃないの?
0602人間七七四年
2007/04/02(月) 03:12:38ID:GFc3noWU敵地で補給が絶たれているにもかかわらず、手勢の10倍の動員力を持つローマに10年居座って攻撃を続けるハンニバル
しかも手勢の半分は言葉も通じないガリアとヌミディアの傭兵部隊だった
ローマは毎年のように討伐軍を繰り出すがすべて敗北し、毎年のように重臣が死んでいく、お世辞にもローマの戦術がよかったとはいえない
食料調達をほぼ100%略奪に頼るハンニバルをまったく妨害できなかった
が、ローマはハンニバルにいる方面では篭城策を取り、ハンニバルのいない方面の城を奪うという戦略で見事逆襲
ハンニバルがローマでグダグダやっている間に本国を脅かして、ハンニバルを撤退に追い込む
ハンニバルはローマの制海圏を突っ切る羽目に陥って手勢を1万にまで減らしてしまい、ザマの敗退を招いた
日本で言えば、いろいろあって徳川が織田と敵対した神君イエヤスは五千の兵で織田を攻撃した
自国民が不足していたため兵の半分は中国人と朝鮮人
あえなく補給線は絶たれ、食料は略奪に頼らなければならなくなった
しかし、そこは神君イエヤス
毎年のように派遣される柴田・羽柴・滝川・明智等をすべて撃退し、安土に迫る
安土を攻めあぐねるも周辺地域を徹底的に略奪して、ほぼ100%自給自足で10年間攻撃を続ける
しかし、その10年で遠江が落とされ三河も占領寸前に追い込まれる
神君イエヤスといえどこれには撤退するしかなかった
0603人間七七四年
2007/04/02(月) 03:20:20ID:vybUi3hg飛び道具が投槍だったハンニバルの時代とはぜんぜん状況が違うと思う…
あとハンニバルは自占領地では略奪してないよ。
0604人間七七四年
2007/04/02(月) 09:18:19ID:Y5jimeng強引に築陣したんだから、秀秋を西軍と見るのはおかしい。
あきらかに東軍よりで、西軍の優勢を見て迷ってたに過ぎない。
東軍の軍艦やら稲葉にそそのかされて西軍攻撃を開始しただけ。
0605人間七七四年
2007/04/02(月) 13:04:25ID:yle/kMsM0606退屈@親父
2007/04/02(月) 15:09:46ID:+7f6TVp6age
0607人間七七四年
2007/04/02(月) 19:12:25ID:TuB/h/osなかったという説は誰が主張してるの?
ここを見るまで不覚にも聞いたことがなかったよ。
0608人間七七四年
2007/04/02(月) 19:26:40ID:EYO5GcFo0609人間七七四年
2007/04/02(月) 20:44:01ID:h0h+9conこのスレもそういう意図で立てられたようだし
0610人間七七四年
2007/04/02(月) 21:26:13ID:BE728ZtB政治外交能力の高さ故に天下を取れたっていう流れになってるだけだろ?
もちろん家康が戦争に弱いなんて言うつもりは無いよ
ただ、戦国大名の活躍の場ってのは戦場だけじゃないし
戦場において家康以上の輝きを示した武将はいるってだけの話
0611人間七七四年
2007/04/02(月) 21:46:29ID:WlWkQtfm今の日本をみろよ
0612人間七七四年
2007/04/02(月) 21:54:15ID:yACFwM6P日本は、隣りの家の住人が銃持ち歩いてるのに
扉に鍵もかけずに、仲良くしましょ。でやってきたから仕方ない
戦場において、家康より輝いた武将は確かに存在するし
家康がトップだというつもりは、毛頭ないんだが
人によって達人の基準が違うからなんとも
少なくとも、水準以上の戦術能力があったのは間違いない
まあ>609の言い分もわかるよ。
このスレ、最初の方は家康のやりかたはよわいものいじめだ
とか電波がぶんぶん流れてたし
0613人間七七四年
2007/04/02(月) 21:54:19ID:EYO5GcFo0614人間七七四年
2007/04/02(月) 22:01:24ID:WlWkQtfm政治力は軍事力に比例してる、つうことだ
軍事力のない政治力なんてないんだよ
外交も同じ、家康には軍事力があったから政治力も外交力もあった
その軍事力はどうやって獲得したんだと言いたい
0615人間七七四年
2007/04/02(月) 22:06:21ID:EYO5GcFo豊臣政権で最大の石高の持ち主だったが、単純な野戦指揮能力では
もっと上が他に居ると指摘されてるだけだろう
0616人間七七四年
2007/04/02(月) 22:10:18ID:BE728ZtB君の言う軍事力・政治力は大名家としてのものだろ?
ここで問題になっているのは家康個人の指揮官としての能力のことだと思うんだが
0617人間七七四年
2007/04/02(月) 22:18:44ID:UFfJmTX3なく運動戦型の戦いなんじゃないかって思う。
苦戦・敗北した戦いって決戦型ばかりだし。
たとえば、関が原なんかも関が原合戦に持っていくまで、
濃尾を中心とした運動戦といってよいけど、それが非常にうまい。
でも決戦の形式になった関が原合戦はどうしてというほど
指揮に疑問がある。
つまり、戦域レベルの作戦能力は高いが、戦術レベルの指揮能力は低いのではと。
個人的意見を言えば、徳川家の戦術レベル強さは家康ではなく武将が肩代わりしたのではと。
0618人間七七四年
2007/04/02(月) 22:19:21ID:WlWkQtfm信長の犬の時代だって、力がなければ同盟なんてしてくれないぞ?
信長が指揮能力もない男と同盟するか?
0619人間七七四年
2007/04/02(月) 22:23:00ID:WlWkQtfm学問とか礼儀とか躾とか、んなものは一文の価値もない
戦に強いこと、これが男の価値の全てだ
んな作戦指揮能力のない領主など、直ぐに殺してしまうわな
0620人間七七四年
2007/04/02(月) 22:26:25ID:BE728ZtB織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174052463/317
●桶狭間直前の今川家臣の知行高一覧(>>216補完)
●国衆(計42.4万石)
松平10万
朝比奈A2.5万
三浦A1万
井伊A2.5万
朝比奈B2.6万
由比2.3万
小笠原2.4万
松井2.3万
由比B1.8万
飯尾2.6万
安部1.5万
富永1.3万
葛山1.5万
三浦B1.6万
園部1.8万
井伊C1.5万
井伊D1.2万
宮城1万
石橋屋形1万
「今川家家臣分限帳 天正三年正月」より
とのことなんで松平家は十分大きい家ですね
0621人間七七四年
2007/04/02(月) 22:27:23ID:yACFwM6P政戦両略の能力が高いのは勿論、当時の信長の状況等から
家康と同盟したんでしょ
勿論、家康の部隊指揮能力も、優秀なものだったのは疑いないわけだし
0622人間七七四年
2007/04/02(月) 22:30:02ID:yACFwM6Pレスするだけ無駄だったな
0623人間七七四年
2007/04/02(月) 22:31:05ID:BE728ZtB文体が似てる
0624人間七七四年
2007/04/02(月) 22:33:28ID:EYO5GcFo0625人間七七四年
2007/04/02(月) 22:39:00ID:WlWkQtfm三河一向一揆で、なぜに家康が宗教に勝って部下の信を得たのかつうことだが
家康の人質時代、三河の現世に希望はなかった、ゆえに来世で救われたいと
宗教に走ったのだが、家康が戻ってみると、現世にも希望が見えてきた
だから家康についたんだとの解釈だ、面白い
つまり家康の存在そのものに希望があったんだな、それほどの才だ
これが西洋だとカノッサの屈辱じゃないが、宗教にひれ伏してしまうのだ
0626人間七七四年
2007/04/02(月) 22:53:32ID:SzLuSGua戦場での戦果を生かせる奴と無駄にする奴がいる。
家康は前者のタイプで、戦果を最大限政治に生かせた人だと思う。
で、最終的に戦国最高の政治力を発揮することができた。
けど、戦場での戦果に限って言えば、戦国最強、達人というには物足りないという話。
0627人間七七四年
2007/04/02(月) 22:56:27ID:yACFwM6P達人じゃないならなんで天下とれたんだ?
達人なら天下とれるはずだろ?
なんてレスがつくと予想してみとく
0628人間七七四年
2007/04/02(月) 22:59:03ID:WlWkQtfm例えば島津の釣り伏せなんかは、伏兵を潜ませておいて誘いこむ
この一手なんだが、それで達人なのか? 天下分け目では通用しないぞ?
0632人間七七四年
2007/04/02(月) 23:05:49ID:SzLuSGua何もしてねーだろ。
関ヶ原クラスの大戦だと、重要ならのは戦場での指揮能力ではなく
各武将を自分のために戦わせる政治力。
0634人間七七四年
2007/04/02(月) 23:07:01ID:0XqPFTpQ達人の定義もひとそれぞれだろうが、究めてしまった者は、なんつ〜か闘わずして勝つみたいなイメージがあるな。
その分、周囲からみれば物足りないだろうが。
0636人間七七四年
2007/04/02(月) 23:27:22ID:yACFwM6P上だと、政宗も達人と呼べないという人もいたし
達人と呼ぶラインが人によって、かなり上下するから難しいかもな
0637人間七七四年
2007/04/02(月) 23:49:05ID:U/Pe5JCU確かに関ヶ原何かの場合その点が大きく左右したわな
家康が西軍蜂起後の東西から挟撃される恐れがある危機的状況下で、
東軍の団結を維持させながら、西軍の切り崩しに成功し、
勝利への布石を打つ事に成功したのに対し、
三成は総大将に毛利輝元を担ぎ出す事に成功するも、
毛利家の最高顧問的地位の吉川広家はじめ、
筆頭家老の福原らが西軍加担を嫌がり東軍に内応してて、
西軍の統率が根本から崩れてしまい、
戦術・戦略的には最後まで抵抗を示すも、
結局西軍の多くは傍観・そして寝返り、あの惨敗につながってしまった。
もっとも三成と家康とでは地位に格差がありすぎて、
自分の軍団を団結させたり、相手を寝返らせるには、
家康が有利な環境だったのは否めないんだがね
0638人間七七四年
2007/04/03(火) 00:01:57ID:9d68Vwfpまんまと釣り出された三成がアホなだけだよ
三成と直江の関係を知っていていろは姫との縁談をし
愚弄してるんだよ
0639人間七七四年
2007/04/03(火) 00:34:37ID:yt/auqM2一応言っておくけどな。
逆に西軍に一日で負ける可能性もあったんだ。
勝負はみずもの。特にあんなコントロール効かない大戦なんて。
そして西軍も短期の決着を狙っていたはず。
短期間で勝負をつけたい両軍の思惑が合致して決戦となった。
別に家康だけの手腕ってわけじゃないよ。
0640人間七七四年
2007/04/03(火) 00:47:08ID:SVY9OLmk関が原にこのうち2将がいたのは不運だったと思う。
0641人間七七四年
2007/04/03(火) 00:58:07ID:9d68Vwfpだから福島らの裏切りを最後まで心配していた
自分がそうだから相手もそうじゃないかと…
勝算がなくして相手の懐へ飛び込むかよ
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