関ヶ原をその時点で徳川と豊臣の争いだなんて思ってた奴は日本に
ほとんど存在していなかったはずだが。参戦していた奴も含めて
ほぼ全員が「豊臣政権内部の主導権争い」と思っていたはずだ。
で、この野戦一つで天下の趨勢が決まる(もしくは決まった)と
思っていた奴もほとんどいなかったろう。大坂を中心にむこう
数年は内乱が続くと信じていた人間が日本中にゴロゴロしていた。

結果的に「ここで負けたら関東のボロ城を枕に、ジリ貧どころか
一気に掃討されてしまう運命しかない」と危機感の固まりになって
いた徳川勢が必死に攻め、「まあ退いて次に備えっか」とやる気の
なさ全開だった西軍諸将を追い散らしたあとに、うまい具合に
(世の中そんなに変わらないんじゃないのと甘く見ていた)周囲が
バタバタ試合放棄を繰り返して、「結 果 的 に」関ヶ原だけが
大規模な合戦になって「これが勝敗を決めた」形になった。

今で言えば日本シリーズの第1戦、強いはずのチームが先発に
様子見を立てて試合を落としたあと、本社の事情やらで以後の
試合ができなくなり、結果的に1勝した相手チームが「日本一」に
なったようなもの。しかしその第一戦に勝った投手や監督が
日本一の名選手・名監督って呼ぶのは普通ハァ?って思うだろ。