家康は本当に野戦の達人?
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0427人間七七四年
2007/03/31(土) 01:45:46ID:UVRZWrWg>中の上とは他の大名で言うと誰が相当するの?
異論はあるかもしれないが、伊達政宗。
伊達政宗は対佐竹・東北勢連合軍に対して劣る兵力で奮戦している。
これが家康の三方が原に似ていると思う。
摺上原はほぼ同数の兵力(伊達がやや多い)だが芦名は内部分裂状態。
序盤苦戦で最終的に伊達勝利。
規模も経過も違うけど、関ヶ原と似ていると思う。
また政宗は大崎義隆を攻めた際、大崎軍よりずっと多い兵力で攻めながら撃退されている。
ここが上田城攻めを連想させる。
>野戦の達人の基準とそれに該当する人物
達人の基準 上ほど良い。
・敵より劣る兵力で大軍を撃退、より良いのは壊滅。もちろんより少ない兵力でより
多い敵を倒すほど良い。(奇襲、強襲は問わない)
・大体同数兵力だが味方の犠牲を少なく、敵の犠牲を多くする。
・これらを一度ではなく複数回こなす。また敵にこれらをさせない。何度もこれらを敵に許した
場合、以前に自分が上記を行ったとしても達人には含めない。
・なお敵対した者があまりにも経済力・石高などで乖離していた場合、いくら撃退しても戦略、政略面で
押し切られるのは仕方ないので、戦略、政略面が原因の敗北と見られる場合は戦略、政略面で評価する。
自分が達人と考える人物
毛利元就 長野業正 鈴木重秀 吉川元春 立花宗茂
真田は昌幸だと思うが、上田城攻めは野戦よりも篭城戦の面が強いので入れなかった。
また自分が戦歴をよく知らない人物は入れていない。
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