その三方ヶ原が家康にとってどうしても避けれない戦いだったという認識がそもそも誤り
神君家康公が勝つ可能性の極めて薄い戦いを自分から仕掛けて叩きのめされたのを、
民のことを考えて、とか止むを得ない事情が有ったから仕方が無いというのは典型的な徳川史観
大軍相手に城に籠って防備を固め、援軍や相手の包囲が緩むまで待つというのは戦国時代によく見られた当たり前の戦法
それをしたからといって武士の名が廃ったり、配下が全員家康を見捨てて離反するなんてそもそも有りえない
単なる判断ミスかそうでないなら若気の至りだろう