家康は本当に野戦の達人?
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0001人間七七四年
2007/03/11(日) 00:04:50ID:jgwWrmey本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?
0161人間七七四年
2007/03/27(火) 00:00:19ID:SBoN7Xv6なんで浜松から突撃かました家康は戦略眼に疑問符が残る
ケチだから。みたいな馬鹿な説は言わないけど
0162人間七七四年
2007/03/27(火) 00:04:25ID:DiF5STMY家康の全てが弱いものいじめとは言ってないが?
「基本的に」家康の戦略姿勢はそういう「弱いものいじめ」にある、と言ってる
義元の在世中に義元に謀反を企てたか?
信長の健在中に信長に反旗を翻したか?
自分から積極的に信玄健在の武田領に攻め入ったか?
臣従後、生前の秀吉に反旗を翻したか?
小牧長久手については合戦そのものを評価することもいいが、
むしろそのあとの簡単に秀吉に屈しなかった、
政治的駆け引きを高く評価するべきだよ
あの政治駆け引きの妙が「五大老筆頭」の背景に大きく残っているんだから
0163人間七七四年
2007/03/27(火) 00:05:22ID:DiF5STMY大身であっても明らかに弱体化してるのよね
ここが大事
0164人間七七四年
2007/03/27(火) 00:08:52ID:DiF5STMY積極的に突撃かましたってか、
篭城してたら武田の先遣隊と小競り合いになって、
そのまま信玄に誘い出されたっぽいけどね<三方ヶ原
ただ領主としての地位を守るためには、
あそこで武田に戦いを挑まないと、全てが崩れかねない危機的状況だった
武田との遠江三河争奪戦で評価するべきなのは、
武田に戦いを挑んだ事もそうだけど、
それよりも浜松からの徳川支配体制を根本的に崩さなかったことだと思うよ
これは見事だと思う
0165人間七七四年
2007/03/27(火) 00:10:11ID:7D/gh1nx旧主である今川や豊臣をネチネチと痛めつけたをからそういう印象が有るだけで、
こと戦に関しては壮年の頃はむしろ無鉄砲といってもいいくらい
冒険家だったと思うが
0166人間七七四年
2007/03/27(火) 00:11:31ID:DiF5STMY家康が「弱いものいじめ」を得意とするから魅力的ではないと思うけれど、
才能がないとか運だけの凡将とかいうつもりはないからな
0167人間七七四年
2007/03/27(火) 00:14:09ID:DiF5STMY>壮年の頃はむしろ無鉄砲といってもいいくらい
>冒険家だったと思うが
例えばどんな戦いをもって?
武田との遠江・三河争奪戦の場合は、
自身の領主としての地位を守るためには絶対避けられないものだから、
これをもって冒険家とはいえないと思うよ
0168人間七七四年
2007/03/27(火) 00:14:37ID:ltFOYC9V戦略的に戦うのが間違ってる相手に攻めるのはただの馬鹿。
大国で名将が相手では三方ヶ原がいい例。
大国だけど凡将。でなければ逆転なんてできるわけないだろ。
0169人間七七四年
2007/03/27(火) 00:19:22ID:7D/gh1nx神君家康公が勝つ可能性の極めて薄い戦いを自分から仕掛けて叩きのめされたのを、
民のことを考えて、とか止むを得ない事情が有ったから仕方が無いというのは典型的な徳川史観
大軍相手に城に籠って防備を固め、援軍や相手の包囲が緩むまで待つというのは戦国時代によく見られた当たり前の戦法
それをしたからといって武士の名が廃ったり、配下が全員家康を見捨てて離反するなんてそもそも有りえない
単なる判断ミスかそうでないなら若気の至りだろう
0170人間七七四年
2007/03/27(火) 00:22:27ID:DiF5STMY「積極果敢に強いものに挑んだ」というのに違和感があるだけ
あなたのおっしゃるとおり、家康の場合、
「勝てそうな相手とのみ戦をする。しかし止むを得ない場合は例外もある」
と手堅く戦略を立てて最終的に勝利を収めていったということ
ただこのケースは信長や特に元就なんかと比べると、
保守的であるし派手さがなく、あまり魅力的ではないと思う。
実際家康を批判する連中の多くは、こういうところを嫌うからね。
で、あげく「運がよかっただけ」と堂々と貶めることを言うやつも出てくる始末。
魅力的ではないとおもうから「弱いものいじめを得意」とかいたけれども、
しかしそれをもって無能とか運がよかっただけなどというつもりはない
0171人間七七四年
2007/03/27(火) 00:27:42ID:DiF5STMY誰も家康が篭城するつもりはなかったなどと言ってはおりませんが?
基本的に篭城策を推進したかったが、武田の圧倒的な侵攻を前に、
武田との国境周辺の「国人領主」を中心にどんどん武田方に下る始末で、
このままでは徳川家の支配体制が崩壊する危険性があるから、
いずれは出陣せざるを得ないという背景もあったと言ってる。
もっともおっしゃるように徳川の国人層や岡崎衆はともかくとして、
浜松の政権中枢は一致団結してて、
この武田侵攻で崩壊する事はなかったんだけどね
三方ヶ原そのものについては信玄の策が成功しただけで、
家康自ら積極果敢に打って出た彼本意の戦いとは言ってない
0172人間七七四年
2007/03/27(火) 00:28:53ID:XgwDmN5i特にそこまで切羽詰ってるわけでもないのにピンチになることはありません
0173人間七七四年
2007/03/27(火) 01:30:53ID:U7ZxwuhP鈴木眞哉の影響をまともに受けているのがよくわかるレスだ
特に>>15>>33>>46>>47あたりは鈴木の著書のまんまだね
0175人間七七四年
2007/03/27(火) 01:44:18ID:U7ZxwuhPわけわからんのでスルーした
しばらく雑談付き合ってもらえるかね?
0177人間七七四年
2007/03/27(火) 01:48:53ID:U7ZxwuhP>野戦の達人はピンチになってでも一か八かの賭けで勝負することはあっても
野戦の達人はピンチになったら一か八かの大勝負をする事はあっても
>特にそこまで切羽詰ってるわけでもないのにピンチになることはありません
特に大勝負をしなければならないほど切羽詰まっているわけでもない時に、
ピンチに追い込まれる事はありません
こういうことかね?
0178人間七七四年
2007/03/27(火) 02:09:34ID:c48Ga2G7これソースよろしくね
0179仙台藩百姓
2007/03/27(火) 02:26:44ID:cvm4Z/cl後詰めがあるのにわざわざ不利な戦い仕掛けるなんて
家康は信玄にビビって気が狂ったのかお( ^ω^)
0180人間七七四年
2007/03/27(火) 03:02:00ID:hztCconM失敗した経験を血肉にしていって天才タイプと渡り合った。
タイプとしては謙信に対する信玄に似てるのかな。
敵とはいえ絶好のお手本が近くにいたのも運が良いといえる。
0181人間七七四年
2007/03/27(火) 04:24:13ID:9e2GE2Zuあれ、ただでさえより多くの人数抱えてた秀吉が間抜けに懐手して見てないで、本隊が消えて少なくなった家康陣を
落としにかかれば、家康は平地で腹背に敵受けて、一気に窮地に陥るよね。
秀吉に気付かれないような策打ったんだとしたら、神君の神謀とかで史書にかかれてても良さそうなもんだけど、そんな
のも見た事ないし、ただ秀吉が抜けてただけじゃないのかな。
目をつぶって突進したら勝っちゃったレベルの、ただの僥倖な気がする。
0182人間七七四年
2007/03/27(火) 05:17:16ID:HwHyUNsO同意
0183人間七七四年
2007/03/27(火) 06:18:14ID:mqFqhMf1馬鹿馬鹿しい。勢力を築いた歴史上の人物は
常に勝てそうで、実入りの期待できる相手から戦うわ
派手さがないとか、小説に影響されすぎだ
>>180
運が良いだけで、天下が取れるわけないでしょ
信長にしても秀吉にしても、幸運に恵まれているわけだし
その点を無視して、家康のみ運が良いってのは不公平だと思うぞ
運を活かせるのも、実力のうちだわ
信長・秀吉が天才肌で、家康が凡人ってイメージは確かにあると思う
0184人間七七四年
2007/03/27(火) 06:50:50ID:0iOhgAT3姉川や小牧の奮闘は本多忠勝の武勇のおかげ
本多兄弟がいなかったら田舎侍に過ぎない
0185人間七七四年
2007/03/27(火) 07:34:50ID:Fs87cChgしかも、野戦で・・・。
0186人間七七四年
2007/03/27(火) 08:23:11ID:jmVuqfZi0187仙台藩百姓
2007/03/27(火) 09:50:14ID:cvm4Z/cl珍しくも何ともない戦だお
あれぐらいの活躍で野戦上手になるなら
何十人も野戦上手がいるお(;^ω^)
家康は晩年になっても全然成長してないお
大坂なんかじゃ目茶苦茶で指揮も糞もないお
0189人間七七四年
2007/03/27(火) 12:06:30ID:Th454Q0V織田配下でも別格の地位を持ち、秀吉の義弟となり派閥を広げ天下を取った。
政宗は小型家康だな。
0190人間七七四年
2007/03/27(火) 15:12:48ID:HWE7ydeu1:家康は今川義元、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉と、
強大なライバルが次々と死んでくれた。だから勢力拡大・天下取りができるの当たり前。
→幸運な状況が転がり込んだ事は否定できない。
しかし問題はその状況下でどう行動するべきか。この主張にはそういう視点が抜けている。
例えば朝倉義景は足利義昭に頼られるのだが、
義昭を推戴し、将軍に押し上げれば、
当時の朝倉の勢力から見て、織田信長のような地位につくことも出来ないわけではなかった。
が、現実は義昭を擁護するだけで行動をしようともしなかった。
さらに織田包囲網に参加し、信玄西上の際には反織田勢最大のチャンスが到来するも、
義景は「冬になったら越前に戻りづらい」ことを理由にさっさと兵を引き上げてしまい、
信長討伐のチャンスを逃した。
同じような事は元就亡き後の毛利家にも言える。
例えば本能寺の変が起こり、毛利勢の反撃のチャンスが訪れるも、
のちに五大老の一人となる小早川隆景らは大きな反撃をする事もなく見過ごしてしまい、
「関ヶ原」の際も西軍総大将に祭り上げられ、天下取りのチャンスが巡って来るも、
積極的な動きを起こすことはなく、逆に「西軍の総大将であった」ことを理由に大幅に領地を縮小されてしまった。
運が巡ってもその当人がどのように行動するかによって、そこで飛躍できるかどうかは決まる。
0191人間七七四年
2007/03/27(火) 15:20:39ID:Ei10+U3w1しかないのに番号振る意味がわからん
0192人間七七四年
2007/03/27(火) 15:30:16ID:HWE7ydeuそれが成功したのは運がよかっただけ。
→関ヶ原に際し、西軍の健闘により家康の内応策が崩壊する危険が皆無であったとはいえない。
「政治能力も野戦能力も圧倒的に高い家康が勝つべくして勝った」
などとはいえない。西軍が十分すぎるほどに健闘したことは事実である。
また、家康の事前工作が100%成功する保証があるものではないことは当然の事である。
しかし、関ヶ原の際の「幸運」は家康の事前の工作があって、
はじめて生まれるものであることをこの主張は見過ごしている。
「工作が成功するかどうかはその時になるまではっきり分からないのだから何もやらない方がいい」
と無謀に戦いを挑んだらただの愚将として評価されて終わるだろう。
関ヶ原については西軍の活躍により、
家康の事前工作の不確定要素が増し、それを崩壊させかけない状況にあった。
が、結局突き崩すには至らなかった、と見るのが妥当だろう。
また、この「関ヶ原の家康は運がよかっただけ」と批判をするものは、
西軍三成方の、
「総大将毛利家の分裂」「西軍の不統一性」「東軍西上の見誤り」などといった失点に目をつぶっている。
家康の失点ばかりをあげつらうが、三成方にも失点はあったのである。
あと、「策がたまたま当たっただけで幸運」という批判もあるが、
そんなことを言い出したら、
「戦前の事前工作の成功により勝利したものは皆、幸運に救われただけ」
と見るべきであり、例えば武田信玄などは僥倖の連続と批判するべきである。
家康にだけこの例を当てはめて批判しようとするのはおかしい。
0193人間七七四年
2007/03/27(火) 15:30:40ID:HWE7ydeu最後まで読めないお前が馬鹿
0194人間七七四年
2007/03/27(火) 15:32:38ID:HWE7ydeu姉川で活躍したのは小笠原など高天神衆
あと本多正信と忠勝は兄弟でもなんでもない
0195人間七七四年
2007/03/27(火) 15:42:04ID:fLp/gOF00196人間七七四年
2007/03/27(火) 15:47:27ID:HWE7ydeu武田との抗争でも三方ヶ原は別にしてもそれなりに戦い抜いたり、
小牧・長久手の勝利とかを見ると、家康の指揮能力はともかくとして、
すくなくとも彼の率いる三河勢には一定の強さがあったとみるべきなのだろうね。
家康の才能はその三河勢の強さを背景に政治的な工作を展開するところじゃないか?
>>189の評価は妥当だと思う
0197人間七七四年
2007/03/27(火) 15:52:05ID:fLp/gOF00198人間七七四年
2007/03/27(火) 15:52:29ID:DO+eDs8N家康が無能であったか、という主張なら運を物にするのも実力とするのが正しいだろうし
家康が人傑の内でも抜けた存在、という主張なら少なからず絡む運の要素を無視して
天下人である事を最重要視するのが正しいとは思えない
まあ、どれにせよ直接野戦上手であるかどうかに絡んでくる会話では無さそうだ
で、そもそも「野戦の達人」というのが何を指してるのか誰か知らんか?
俺はぶっちゃけ話は聞いたことはあるが出展は聞いたことない
前後の話があれば指揮能力の事なのかお膳立てが得意なのか
話を絞る事くらいは出来るかも知れんよ
0199人間七七四年
2007/03/27(火) 16:01:02ID:HWE7ydeu「家康は運だけの凡君」というのに反論しているだけで、
「神君家康最強」などというつもりはないので誤解しないでほしい。
運をモノにするだけの才能と勢力は持っていたと考えているので。
「野戦の達人」の評価は小牧長久手あたりを論拠にしたものが多いのでは?
家康で評価するのは合戦指揮能力よりもそれ以前の工作や、
家中の統制などいわゆる政治能力を評価するべきだと思うのだけど。
0200人間七七四年
2007/03/27(火) 16:04:04ID:mqFqhMf1政治・戦略家を兼ねてる人物程、そんな状態にならないわけだし
信長は桶狭間以降は、大抵の戦場で相手より有利な状況を敷いてるはず
>>198
ここで、家康を幸運だっただけっての大半は家康が無能って主張だが
家康が人傑の中でも抜けた存在って主張のやつは、運の良さを否定してないと思うぞ
まあ、どのみち「野戦の達人」とやらには関係ない話だ
0201人間七七四年
2007/03/27(火) 16:04:52ID:SSlkxNM+旧来の手堅く忍耐&律儀で野戦上手の家康像とは違って
意外にオールマイティな家康像になるね。
0203人間七七四年
2007/03/27(火) 16:10:01ID:HWE7ydeu「家康は弱いものいじめが得意」なんてカキコあるけど、
信長が好き好んで包囲網敷かれたわけでもないし、
信玄が喜んで謙信に戦いを挑んだわけでもないしね
少数で多数に挑むのは傍から見る分にはかっこよくていいけど、
その当事者としてはそんな危険な博打にいつまでも参加したくないと思うだろうね
0204人間七七四年
2007/03/27(火) 16:11:04ID:fLp/gOF0個別の戦をみると、森部合戦では千六百で六千の斎藤軍を迎え撃ったり
天王寺合戦では一万五千の本願寺勢に三千で突撃したり
無茶をけっこうしてるぞ信長は
そして勝利している
毛利元就も、有田中井手合戦では後年有名になる謀略抜きで五千の武田元繁軍を千五百ほどで撃破してるし
0205人間七七四年
2007/03/27(火) 16:13:52ID:HWE7ydeu戦国時代って、
「軍神武田信玄」とか「闘将上杉謙信」とかいったように、
過剰な評価が多すぎるように思うよね。
自国を維持し、勢力を拡大していくことができる大将ってのは、
それだけの才能を持っていると見るのは当然だけど、
「偉大なる○○公は〜」というように過剰評価するのもどうかと思う。
0206人間七七四年
2007/03/27(火) 16:15:28ID:fLp/gOF0全体的な才幹はともかく、家康の野戦能力という点では実績について激しく疑問なんだな……
0207人間七七四年
2007/03/27(火) 16:21:26ID:mqFqhMf1それは、小説とかゲームとかの評価だから
それを、実像の評価に持ち込んでしまう人がいることが問題なわけで
>>206
つまり、野戦の達人の定義は、少数で大軍に勝利しているか否かってこと?
まあ、野戦の達人という能力は、大名に求められる才能でないのは確か
0208人間七七四年
2007/03/27(火) 16:23:51ID:HWE7ydeuこれは織田との同盟を背景に武田と互角に渡り合おうとしてたわけで、
その証拠に高天神城なんかの場合勝頼の大軍を前に単独で後詰しようとはしてないし、
確かに家康は類稀なる指揮能力で戦いに勝利したっていう印象はないね
0209人間七七四年
2007/03/27(火) 16:28:37ID:HWE7ydeu家康を「運の人」と批判する人はいても、
信玄は強い偉大な人と主張する人は少なくなかったりするのな
上のほうにある鈴木眞哉とかまさにその典型だから
必要以上に褒め上げる必要はないと思うけど、
かと言って逆に貶めまくる必要もないわけで
自国を維持するような大名ってのは皆一定の能力は備えていて、
それぞれに例えば外交の事前工作など政略を重視するタイプとか、
合戦でずば抜けた才能を発揮するタイプとかに分かれると思うのだけど
0211人間七七四年
2007/03/27(火) 19:19:27ID:nbRGX6i6家康の直属の旗本衆が合戦上手だった影響もあって、
「それらを指揮する家康もすごい」というイメージになっちゃってるんじゃないの?
0212人間七七四年
2007/03/27(火) 19:40:11ID:0iOhgAT3だな
特に本多忠勝なんて戦場にほっぽり出しとけば
何十人も殺して自分は傷一つなしに帰ってくるからな
それを家康の頭脳として評価するのはおかしい
あと戦略的な頭脳なら本多正信が補佐してるし
0213人間七七四年
2007/03/27(火) 19:42:36ID:nbRGX6i6家康無能論を唱えるつもりはないんだが、
合戦指揮能力について言えば、家臣団の影響が否めないんじゃないのかと
家康の場合その家臣団を背景にした政治能力の高さが特徴だな
しかも本多親子みたいなのがこれを補佐する仕組みという鬼仕様
0214人間七七四年
2007/03/27(火) 21:54:24ID:WFSrh/WY自身に能力がないのに家臣団だけ出来上がっていくわけ無い。
0215人間七七四年
2007/03/27(火) 22:46:14ID:RrU+m3WL一対一で戦うわけじゃあるまいし、当然そういうことも含めて強い弱いという話になる
0216人間七七四年
2007/03/27(火) 23:02:20ID:qBDunKywそれ相応の才能がなければならないので、
家康にそれなりの指揮能力はあったと見るのが妥当
もっともそれらをふだんから統制するのは政治力の方が大きいと思うが
0217人間七七四年
2007/03/28(水) 00:29:48ID:vICdXGTF0218人間七七四年
2007/03/28(水) 00:35:20ID:lVUsFf+K戦略と戦術って分け方するなら戦略かな?
野戦の達人が意味するところが、戦術の達人であれば
否となるかもしれないが、この場合の達人って
戦略、戦術まで含めて考えていいと思うから、
関が原に関して言えば達人と言っても差し支えないと思うな。
三方ヶ原に関しては相手のほうが上手だったんじゃね?
ってところだけど・・・。
0220人間七七四年
2007/03/28(水) 00:53:55ID:7D7SQ6axむしろ関ヶ原なんていう決戦の場の持ち込まれてる時点で微妙な気がするけど。
0222人間七七四年
2007/03/28(水) 01:11:13ID:lyaNV2Zu家康にとっては単に三成との戦いではなく、
豊臣政権の基盤を壊滅させる戦いだったので大規模なほど効果的であり、
文学的表現すれば秀吉の影との戦いだった
0223人間七七四年
2007/03/28(水) 01:17:58ID:lVUsFf+K山岡荘八に言わせれば、
秀吉とやった小牧長久手の後半戦だっていうんだから、
秀吉の影との戦いだったってのはうまく言い当てていると思う。
0224人間七七四年
2007/03/28(水) 01:24:18ID:sXtJSJxB関が原の決戦に持ちこむことに意味があったし
その布石も、家康は打ち続けていたわけだが
ここでの家康嫌いの人は、偏見が激しすぎるな
小説の影響受けすぎなんじゃないの?
野戦の天才の定義は解らないけれど、天才ってイメージはないな。家康は
0225人間七七四年
2007/03/28(水) 01:24:46ID:EMPQT0Zz凡才タイプだと、人のやることを真似しようとするし、
秀才タイプだと、悪いことも良いことも観察し、欠点がないように努めようとする。
家康の場合、天才ではないが、得てして秀才とも取れないところがあるよね。
だからこそ努力家だったと思うし、それだけ長生き出来たからこそ天下を取れたとも言える。
0226人間七七四年
2007/03/28(水) 01:26:07ID:OVRph+97小牧・長久手と関ヶ原は全然状況が違うのに
まあ小説だからわかりやすい表現使っただけかもしれないが
0227人間七七四年
2007/03/28(水) 01:31:42ID:7D7SQ6ax家康が全肯定されないと気がすまない方ですか。
>>222
関ヶ原は家康が持ち込んだんじゃなくて完全に持ち込まれた側だろ、
家康の戦略は大大名を順々に潰していくはずだったのに
上杉討伐の最中に三成に蜂起を許した結果決戦せざるを得なくなった。
また織田秀信のポカによる岐阜城開場や、三成の掌握力不足、
毛利輝元が消極的な為に毛利家の意思統一の乱れと相手側のミスが大きく、
一気に勝負が着けられたのは運が良かった事は否定できないので、
戦略面でも「達人」と言われるほどの冴えを見せたかと言えば微妙でしょ。
0228人間七七四年
2007/03/28(水) 01:41:56ID:7D7SQ6ax家康が関ヶ原の決戦に持ち込んだっていうのが小説だと思うけど...
んで家康を達人と呼ばないと「家康嫌い」っていうレッテルを貼るの奴も
偏見が激しいだと思うけどねぇ...。
0229人間七七四年
2007/03/28(水) 01:54:00ID:mTkz+mdv誰も家康が達人だとはいっとらん。
ただあんたは家康嫌いなんだね、と言ってるだけ。
まず、家康の戦略が「有力大名の各個撃破だった」と言うのは、
確か外山淳あたりの説だったかな。
家康がどういう目的で関ヶ原に際して戦略を立てていたかは、
推測の域を出ないと思うのだが、それを断言できるあなたはよほど信頼にたる資料を持ちなのだろう。
是非御提示願いたい。
次に三成の掌握力不足などがあって、
一気に決戦に及んで勝利が出来たのは運がいいだけ、という説。
なるほど調略好きの家康にとって西軍に格好の隙があったのは事実ですが、
この隙を突かないことには、勝利を得られんのですよ。
そうすることで勝利への道を得た家康への評価は無しですか?
好条件があってもそれを生かせるかどうかが大事なのですよ。
そういう点を無視して、「家康は運がいいだけ」みたいなことしか言わないから、
家康嫌いなのだね、と言ってるのです。
0230人間七七四年
2007/03/28(水) 01:55:01ID:vICdXGTF関ヶ原の構図まで全部読んでたとは思わんけど、
かと言って何らかの形での西の蜂起は想定していたと思うぞ。
じゃなければああも簡単に方針転換は普通出来ないし、
西軍への根回しも周到すぎる。
0231人間七七四年
2007/03/28(水) 01:56:44ID:sXtJSJxB話にならん
家康を達人と呼ばないと、家康嫌いってレッテルを誰が貼ったよ
そういうのを「偏見」って言うんだよ
0232人間七七四年
2007/03/28(水) 02:06:15ID:mTkz+mdv要はその状況その状況に応じてどう動くことができるかが大事なのよな。
いかに筋書きを書いていても、予想外の出来事というのは起こるもので、
はじめから全て自分の筋書き通りに行くような事なんてまずない。
「予想通りに進まなかった。だから戦略的才能はない」
なんて実に幼稚な意見だよ。
0233人間七七四年
2007/03/28(水) 02:06:51ID:sXtJSJxB弱くて実利が得られるほうから攻めるのは当たり前のことなのに
家康は弱いものいじめの戦略をとってたとか、偏見の極地という他はない
0234人間七七四年
2007/03/28(水) 02:08:34ID:mTkz+mdv信玄が最初に侵攻したのは混乱状態の信濃だし、
信長もいきなり信長包囲網と戦おうとしてたわけじゃないしな
0235人間七七四年
2007/03/28(水) 02:21:55ID:mTkz+mdv確かに家康にとって誤算はあった。
家康が西軍の蜂起を予想していなかったとは思えないが、
(家康が会津遠征をして上方を留守にする事は、政権中枢の空白を意味し、
三成ら反家康勢にとっては格好の機会であるため。
もしこれを想定していなかったとすればただの馬鹿)
ただ、西軍の蜂起で二大老三奉行が参加する事は家康にとって最悪の事態で、
小山評定のあとの江戸滞在は、下手すれば上杉・佐竹からの攻撃もありうる状況で、
事実上動く事ができなかった。
三成らもこれを読んでいたようで、真田への手紙などでは、
「家康はなかなか動く事が出来ないだろう」
みたいなことを書いている。
ただ三成にとっての大きな誤算は、
227の言うとおり、毛利勢が安国寺や毛利元康らのように積極派もいる反面、
総大将の輝元がいまいちはっきりしない事、
西軍の参加者が基本的に京・大阪で足止めして、
強制に参加させたような寄せ集めで統率性が悪かった事、
また豊臣家が資金の提供を拒んでいたため資金面で逼迫してきた事、
そしてなにより家康が想像以上に早く西上してきたことを読んでいなかったこと。
このあたりから三成の計算に狂いが生じた。
それでもなお、関ヶ原に際しては東軍を招き入れる形で迎撃しようと試みたが、
統率せいのなさに加え東軍の内応策が生きて、積極的な攻勢に出る事が出来ず、
小早川の西軍攻撃をきっかけに壊滅的な敗北をしてしまった。
戦略面では三成は十分家康に対抗しうる策を立てたけれど、
上に書いたような隙を家康につかれ、家康得意の政略に敗れてしまった。
だから227の言う双方誤算だらけだったと言うのは否定しないよ。
0236人間七七四年
2007/03/28(水) 02:30:50ID:7D7SQ6ax218で>関が原に関して言えば達人と言っても差し支えないと思うな。
と書いてるから、微妙といった訳で。
それに対して反論しといて>誰も家康が達人だとはいっとらん。
とか訳わからん反論すんなよ。
まずは言いだしっぺのあんたが>>222の家康が関ヶ原に持ち込んだ説を確たる史料を下に語ってくださいな。
俺はそこまで学がないから本の受け売りしか語れんけどね。
>一気に決戦に及んで勝利が出来たのは運がいいだけ、という説。
運がいいだけなんぞ言ってないけど、運が良かった事は否定できないと言ってるだけだが。
それを含めて考えれば「達人」と評されるほどの冴えを見せたかは微妙といってるわけで、
評価してない・家康嫌いとか論が飛躍し過ぎ。
>>230
ああも簡単って言うほど簡単に反転してないと思うけど、
小山評定をやったり家康出陣まで一ヶ月ほど江戸に滞在してるしね。
>>231
お前さんかな、「関ヶ原での家康は達人」というのに微妙と返せば
>ここでの家康嫌いの人は、偏見が激しすぎるな
>小説の影響受けすぎなんじゃないの?
って言ってる時点で君の偏見だと思うけど。
0237人間七七四年
2007/03/28(水) 02:43:58ID:sXtJSJxB>>218=>>231ってこと?そういう色眼鏡でみてるから偏見だって指摘してるの。わかる?
偏見持ちは、強大な武田より
富める弱体化した今川を標的としたことを「弱いものいじめ」と表記する
関が原にしても、長期戦になってもおかしくないところ
戦場では1日で雌雄を決してるわけだし、充分に冴えを発揮してると思うが?
0238人間七七四年
2007/03/28(水) 02:44:13ID:lVUsFf+K西軍が蜂起する前に100以上の書状をあちこちに出して、
勝ったらたくさん加増してやるぞい。って送りまくっていたんでしょ。
その加増してやるって言った石高が、当時の総石高より多かったってのは
一つの笑い話だったとはずだが。
0239人間七七四年
2007/03/28(水) 02:46:41ID:mTkz+mdvあんたが俺を誰だと思ってるのか知らんが、
少なくとも俺は「関ヶ原の家康を見て彼を達人だと思うな」と言った覚えはない
ただあんたのレスが極論に走ってると思ったから「家康嫌いなんだね」とかいただけ
>家康が関ヶ原に持ち込んだ説を確たる史料を下に語ってくださいな
あんたの「家康は大名を各個撃破するつもりだった」説の史料提示を求めるに際し、
何でこっちの根拠を出さないといけないの? それとこれとは関係ないよ。
少なくとも俺は「各論とも推測の域を出ない」として、
家康の戦略を断言した覚えはないんだが?
けどあんたは「各個撃破が目的」と断言した。だからその論拠を教えてくれと言ってる。
>運がいいだけなんぞ言ってないけど、運が良かった事は否定できないと言ってるだけだが。
>それを含めて考えれば「達人」と評されるほどの冴えを見せたかは微妙といってるわけで、
>評価してない・家康嫌いとか論が飛躍し過ぎ。
けどあなた、>>227のレスでは、
「運がよかった事は否定できない」で論を止め、
その後の家康の行動については無視してるよね。
だからそれは変じゃないの、と批判をしてるんだけど?
あと>>235読んでくれてるかね?
俺は何もあんたの意見を全否定しているわけではないんだよ。
0240人間七七四年
2007/03/28(水) 02:49:37ID:mTkz+mdvけど書状攻撃の多くは、西軍蜂起後の江戸滞在時じゃなかったかな?
有名な伊達への100万石のお墨付きとかね
吉川広家の内応提示も西軍蜂起後だったはずだし
0241人間七七四年
2007/03/28(水) 02:52:29ID:lVUsFf+Kおいおい、ちゃんとIDぐらい確認してから発言しろよ。
>>218は俺だ。
>>229とは別人。
で、>>218は、あくまでも関が原の家康に限定してお話。
だから、三方ヶ原では・・・。という言い方になっている。
0243人間七七四年
2007/03/28(水) 02:56:40ID:sXtJSJxB本人がそれに気づいてないだけだと思うんだが
0244人間七七四年
2007/03/28(水) 02:56:52ID:mTkz+mdv俺も>>227に「運だけというのか」と噛み付いたのは謝る
多分227と俺の関ヶ原の一連の流れの状況認識って基本的に大きな差はないと思う
ただその状況下での双方の動きをどう評価するかが異なってるだけで
0245人間七七四年
2007/03/28(水) 03:00:54ID:mTkz+mdv三成らが動くだろうな、とは読んでいただろうけど、
あそこまで大きなるのは最悪のケースだったんじゃないか、と
もっとも会津討伐時には、毛利輝元と兄弟の契りを交わしたり、
宇喜多家の内紛に関与したりして、大勢力を押さえ込もうとしていた節はあるんだけどね
>>243
鈴木眞哉あたり読んでるだけだと、
「運がよかっただけじゃん」という結論になりかねない
けど227の場合はそうじゃないと思うけどね
多分「家康の目的は各個撃破」とかいう所を見ると、
外山淳の本あたりじゃないか、と思うんだけど
ちなみに外山の本は東軍、西軍双方の参加兵数を、
独自に科学的に調べてるところは評価していいと思う
0246人間七七四年
2007/03/28(水) 03:08:34ID:lVUsFf+Kまー書状云々はちとアレだったが、
同じく、事前にそうなることは予想していたのだと思う。
伊達のいろは姫との忠直(だったっけ?)との婚姻というか、
婚約したりとか、あの辺りから手を打っていたんじゃないかと。
後、大坂から江戸に向かう途中、えらくのんびりと移動していたあたりとか。
>あそこまで大きなるのは最悪のケースだったんじゃないか、と
これも同意かな。あんな上手い具合に一大決戦になることまで、
予測していたとは、思えない。なんの根拠もないけどね。
0247人間七七四年
2007/03/28(水) 03:08:45ID:7D7SQ6axおいおい「微妙」って答えるのが極論なのかよ、
そういう218からの文脈を読まないで横から訳分からん事を言うのが、
訳分からん反論だと言ってるんだが。
論拠ねぇ・・・上杉討伐時の家康は西軍蜂起に対して備えてた事実はないというのが論拠。
西軍の蜂起を予測してたんならばもっと前から内応策を出してても良い筈だからね。
んで前田→上杉と順番に大大名を潰しに掛かってるのに各個撃破じゃないっていう
根拠の方が知りたいわい。
>「運がよかった事は否定できない」で論を止め、 その後の家康の行動については無視してるよね。
だからそういう論理の飛躍を止めろって言ってる、だいたいその後の家康の行動を含めて
「戦略面でも「達人」と言われるほどの冴えを見せたかと言えば微妙」と評価を下してるのに、
無視してるってなんじゃそりゃ。
235は読む前に書いたが、別に235に関して言いたい事は無いし、
俺を全否定がどうこうよりも、>「家康は運がいいだけ」
とかいうの脳内で論理を飛躍させて人をレッテル張りするのを止めろっていってるんだが。
0248人間七七四年
2007/03/28(水) 03:08:58ID:sXtJSJxBになるのに、負ければ、家康が弱いから。になってるわけだし
ちょっと、極端すぎやしないかなって思う
野戦の達人とかどうかは不明だけど、少なくとも天才のイメージは全くない
0249人間七七四年
2007/03/28(水) 03:11:44ID:lVUsFf+K>>248
おいおい、おまいスレタイよく読め!!
「家康は本当に野戦の達人か?」
がスレタイであって
「家康は野戦の天才か?」がスレタイなのではない。
誰も天才のイメージがあるかどうかの話なぞしてはおらぬぞ。
0250人間七七四年
2007/03/28(水) 03:15:56ID:sXtJSJxBつまり、上杉討伐時点では、西軍の蜂起は予測してなかった
そこから、西軍蜂起という予測外の事態から
西軍に調略をしかけ、戦略を決定し、
あの規模の合戦を1日で雌雄を決したってこと?
とんでもない化け物じゃん
0251人間七七四年
2007/03/28(水) 03:18:34ID:sXtJSJxB失礼しました。
そもそも野戦の達人っていうのの、定義はなんなんでしょうかね
不利な状況で勝利を積み重ねるのが「野戦の達人」の定義とは
ちょっと思えないし
0252人間七七四年
2007/03/28(水) 03:21:28ID:lVUsFf+Kとりあえず貼っとく。
たつじん 0 【達人】
豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人。
「―の境地に入る」「剣道の―」
――は大観す
〔「冠子(世兵)」、賈誼「鳥賦」〕達人は一部分にとらわれず全体を見通すので判断を誤らない。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C3%A3%BF%CD&search_history=&kind=&kwassist=0&mode=0&jn.x=30&jn.y=5
0253人間七七四年
2007/03/28(水) 03:25:03ID:mTkz+mdv>論拠ねぇ・・・上杉討伐時の家康は西軍蜂起に対して備えてた事実はないというのが論拠。
>西軍の蜂起を予測してたんならばもっと前から内応策を出してても良い筈だからね
西軍総大将となった毛利輝元とは会津出征前に、
義兄弟の契り交わしてたことは知ってるよね?
宇喜多についても家中の騒動に仲裁に入って、
自身の影響力のこそうとしてるし、前田については言うまでもないよね。
「三成が挙兵して西軍は挑んでくる」
ことをどれほど具体的な想像をしていたかわからんが、
反攻勢力を少しでも少なくしようと手を打っていたというのは事実だよ。
それに少なくともそれじゃ、
「家康は大名の各個撃破が目的だった」と断言できないよね。
そういうのは推測だよね。
>「戦略面でも「達人」と言われるほどの冴えを見せたかと言えば微妙」
家康の戦略を推測するしかない状況では、評価の仕様がないんじゃない?
それよりもその状況その状況でどう動いたかを見るしかないわけで。
「家康はこう動こうと戦略を立てていたがそれは出来なかった。
だからその才能は微妙だった」
このようにあなたの論拠は自分の推測を元にしているだけだよ。
>だいたいその後の家康の行動を含めて
その後の家康の行動について227のどこに書いてるんだい?
それにあなたの言うさえない家康の行動である内応策が生きて西軍は敗れるんだが?
そこを無視するのが変だと言ってるんだよ。
0254人間七七四年
2007/03/28(水) 03:33:55ID:mTkz+mdv227のいうように家康の思い通り進んだ戦いじゃないのは確かだよ
235に書いたように関ヶ原の合戦当日も東軍にとっては最悪の形で迎撃されたわけで
ただそういう不利な状況下で、家康の政略が働いて勝利しているから、
(これも敗れるかもしれないものだったんだが)
俺はそういう手を打った家康については評価するんだが、
227にすればそれは「微妙」に見える、と
このあたりは解釈の違いだから、
おそらくは永遠に決着つかないんだろうけどね
0255人間七七四年
2007/03/28(水) 03:41:47ID:mTkz+mdvだんだんイライラしてくるし、いい議論ができるとは思えん
「神君家康公は偉大で関ヶ原にも勝利するべくして勝利した」
みたいなのに異議を唱える意味で、
要は「なんでもお見通しの戦略の達人」に比べたら、
「それは微妙」というなら別に227に異論はないよ
0256人間七七四年
2007/03/28(水) 08:10:59ID:EMPQT0Zz小田原陣中のさなか、馬に乗って太閤(秀吉)の先手となって馬乗りをしてたところ、
谷川に人が一人やっと通れるくらいの橋が掛かってる場所に出くわしたんだな。
この時実は丹羽、長谷川、堀などの諸大名も居合わせていたんだけれども、
この三人は、家康は見事に橋を渡りきるかと思ってたら、当人は馬から下りて、
近習の物におんぶされて川を渡ったそうな。
それを見た将兵は笑い転げてたらしいけれども、この三人は
「さすがに海道一の馬乗りだ」と褒めちぎったそうな。
三人に言わせれば、馬上の巧者は決して危ないことはやらないのだそうな。
つまり、この馬の達人にしても、野戦の達人にしても、江戸時代になって
こういうエピソードなんかで誇張されたもんじゃないかな、て思うんだけどね。
0257人間七七四年
2007/03/28(水) 08:11:15ID:jbfFCUUS年月が立つに連れて下手になってる気がするの気のせいか?
少なくとも大軍率いての戦って実は、小田原と関が原と大坂の陣位で
あとはせいぜい一万チョイ程度しか動員できなかったし。それも武田氏滅亡当時位。
小牧・長久手の頃も大軍率いての同等の決戦じゃなくて、
緒戦の挑発と迎撃に成功してあとは逃げ回ったというのが現実だからな。
戦上手という評価は正しくても野戦の達人という評価ではないと思う。
つまり家康は、小勢での野戦統率能力はあるとしても、大軍率いての能力は疑問符がある。
ただ、純粋に将としてみれば、小牧・長久手とか関が原合戦の状況を作った様に能力が高いと見受けられる。
つまり、普通の戦術家にして実態は戦略家だったという当たり前の評価。
0258仙台藩百姓
2007/03/28(水) 09:33:20ID:fgCrZNBw結局のこのこ出て行って潰走しただけの話しだお
何とかなるだろぐらいの考えで出て行ったのは間違いないお
戦略的にも戦術的にも完全に失敗だお
0259人間七七四年
2007/03/28(水) 10:47:37ID://Kt1vR10260人間七七四年
2007/03/28(水) 12:02:53ID:vo5n6uvd■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています