>>156
今川攻めに参加するのは義元亡き後の、
混乱状況の今川家に対してであって、
駿河公方と呼ばれた当時の今川家ではない

武田については>>154のとおり

浅井・朝倉は織田との戦争に同盟国として参加しただけ
自ら挑んだものではありません

北条との戦いも北条家との全面戦争を行おうとしたものではなく、
あくまで旧武田領争奪戦として、いわば局地戦として争っただけ

秀吉との戦いについては>>157のとおり

関ヶ原については天下人秀吉に挑むのではなく、
秀吉亡き後の混乱状況下で、政治工作をフルに生かしながら、
抜け目なく天下を狙い、単独での勢力がはるかに劣る三成と全面戦争になっただけ
西軍があそこまで大きくなるのは家康にとって最悪のケースだったろう


合戦指揮能力とは別として、
家康が自ら戦いを挑むのは基本的に同等もしくは弱い相手だけです
ケンカ売られたら自分の土地を守るために戦いに臨むがね