家康は本当に野戦の達人?
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0001人間七七四年
2007/03/11(日) 00:04:50ID:jgwWrmey本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?
0117人間七七四年
2007/03/15(木) 14:39:09ID:9eMd1xAI押さえの兵残して本隊は大坂城に戻ってるよ
一ヶ月ぐらい前にね
0118人間七七四年
2007/03/15(木) 15:02:07ID:gRFiNrrFその結果蟹江合戦は、家康の大勝利
5倍も兵力保持していた秀吉って馬鹿なのか?
0119人間七七四年
2007/03/15(木) 15:07:37ID:gRFiNrrF戦術的には、家康の勝ち戦
戦略的に引き分けだよ
0120人間七七四年
2007/03/15(木) 15:13:20ID:gRFiNrrF秀吉に積極的に敵対したのは、佐々だけ前田に任せれば充分
0121仙台藩百姓
2007/03/15(木) 15:20:40ID:RvcohfXjでも、混成軍の大戦だとどこまで本人の采配と見るべきか難しいお
大坂の陣などで豊臣側に撃破された諸藩の評価も家康が負う事となるのと一緒だお
0122人間七七四年
2007/03/15(木) 15:24:56ID:ZixpWA4G紀州勢の圧迫に加えて長期間京を留守にすることは、
既に天下人として地盤を固めつつあった
秀吉にとって望ましいことではなかったということ
戦のことだけ考えていればいいこの頃の家康とは違う
0123人間七七四年
2007/03/15(木) 16:04:32ID:gRFiNrrF秀吉の故郷中村まで蟹江からなら、歩いて40分ぐらいか
0124人間七七四年
2007/03/15(木) 20:17:13ID:S/hGsVYoその後上杉前田に睨まれ動けない。
長曽我部は毛利、宇喜多に睨まれた上に四国完全統一も出来てない。
信雄はやる気なし。
北条は関東から出る気概を感じない。
伊達は地方で暴れてるだけ。
結局こんな状況で得するのは島津くらいか。
0125人間七七四年
2007/03/15(木) 23:24:32ID:UpWvi3+Dつまり最強武田軍団のおかげだよ。
0126人間七七四年
2007/03/15(木) 23:29:19ID:vPcYrede0128人間七七四年
2007/03/16(金) 00:20:41ID:93jtF8D/これで秀吉が家康に負けたととらえるなら関ヶ原や大坂の陣での
外様大名などの苦戦も家康は○○に負けたとしないとならなくなる
無論長久手で少数の兵力で秀吉の一部隊に勝ったと言うのは評価すべきだと思うけど
例え、伊勢など他の戦線では負けていても
あと家康の野戦の評価なら
吉田城の攻防戦で今川の援軍の武田信虎を小兵力で破ったことや
天正壬午の乱で北条の大軍と小兵力で引き分けたことがある
0129仙台藩百姓
2007/03/16(金) 01:06:26ID:7mlKzq9b一宮で信虎と戦ったかどうかは分からんが
相手が氏真である以上評価されにくいお(;^ω^)
自分達で今川を貶たわけだし皮肉だお
天正壬午の一連の動きも
戦術的には評価対象になる程のものとは思えないお
政治的には家康が多少優位に立った感があるが
戦い自体は小競り合い程度しかなく本隊同士も動かず
対北条なら北関東のヘッポコ大名ですら正面からぶつかって勝利してるお
それ相手に睨み合って講和したのが野戦上手に繋がるとは思えないお(;^ω^)
0130人間七七四年
2007/03/16(金) 07:11:20ID:Xu4pqfme0131人間七七四年
2007/03/16(金) 09:22:47ID:4B+JQXv8項羽やナポレオンとかも強くても負けたパターンか
0132人間七七四年
2007/03/16(金) 12:02:50ID:cMihzzKu一般的にはハンニバルや項羽、ナポレオンの方が名将だと言われてるな
敗れるまでの実績が違うから
0133人間七七四年
2007/03/16(金) 12:54:59ID:Vp4wu53Dスピキオ>ハンニバルとか無意味な不等号をつける気はないが、
スピキオとの直接対決でカンネーの再現されてんのに、
何を根拠にハンニバル>スピキオとか言ってるわけ?
ただの池沼?
0134人間七七四年
2007/03/16(金) 14:27:37ID:DDlVJpwS後から来る織田本隊と挟み撃ち
どうして考えなかったんだろ
0135人間七七四年
2007/03/16(金) 14:31:15ID:a587fV5T最後は戦わずして崩壊してたじゃない
0136人間七七四年
2007/03/16(金) 18:36:19ID:02RAb5ax領地が荒らされるのを放置していたら領民から見放されるから
特に武田の乱取りは過酷なのにそれを防ごうともしない殿様に誰も年貢など納めてくれない
0137人間七七四年
2007/03/16(金) 18:51:31ID:cQyXEIB3それが事実だとしたら
何で三方ヶ原以降長篠までは決戦を避けて武田軍が荒らすのを放置していたのに
領民から見放されなかったのか
0138人間七七四年
2007/03/16(金) 21:50:19ID:Um4QmC7R現にバタバタ離反されそうになってて、半分発狂して大賀弥四郎を
鋸引きで惨殺して周辺に見せつけたりしていたわけで。
江戸期になって史実の記録は捏造の限りを尽くして改竄していても
そうなんだから、当時の実態なんて怪しいもんだよ。
0139人間七七四年
2007/03/16(金) 22:06:17ID:cMihzzKuその後領民に見放されたという話は聞かない
むしろ家康にとって心配だったのは家康に表向きは臣従してる遠江や三河の豪族達の離反だろう
0140人間七七四年
2007/03/17(土) 00:57:20ID:pHt/f6QL北条の場合しっかり城で守ってくれるし、
実際謙信は、北条と上杉の間をうろちょろしてる豪族の城は落とせても、
北条家の支城に関しては全然落とせてない。
そりゃ信頼感が違うだろう。
0141人間七七四年
2007/03/18(日) 13:20:06ID:365BMVTfしていないからすぐ北条に帰服できるし、北条もそれを分かってるから
とやかく言わずに旧に復せるしなあ。
繰り返していれば習慣になるけど、三河駿河の境界線上の土豪たちの
去就はそう簡単じゃなかったろうしなあ。武田もヘタクソな統治を
してたから何とかなってたけど、もう五十年くらい時代が違ってたら
家康もとてもじゃないが持たなかった可能性もあるわな。
0142人間七七四年
2007/03/20(火) 12:10:24ID:Clu/0zK+野戦の達人と言われたのは家康の晩年だったはず、
周りの大名は代替わりして2代目だったり、
元部隊指揮官が秀吉のコネで出世したりで
一国の大名として戦歴を重ねてきた指揮官が少なくなっていた時代だったはず。
だからその当時で野戦の達人と言えば太閤にも対抗した家康しか残っていない。
(まあ島津は匹敵する力はあったろうが知名度で劣っていた)
そんな状況での評価なわけだから野戦の達人と呼ばれたことは妥当だと思う。
実際に家康が野戦の達人ではなかったとしてもね。
俺も達人と言うより普通に良将くらいだとは思う。
0143人間七七四年
2007/03/26(月) 13:33:06ID:/hGGXIH+島津が家康に匹敵といっているが、島津は秀吉にバンザイしちゃっているだろ。
家康の手腕は島津を上回っているだろうが。役者が違う。
0144人間七七四年
2007/03/26(月) 14:11:50ID:lY5v7j8F感はないよね。
中入り成功しちゃたまらんから全力であたったら敵が小城にかまったおかげも
あって捕捉&撃破、秀吉本軍に会戦はまずいので小牧にとって返した。という
訳で、水準以上の将ならだれでも同じ事をしたんじゃね?強行軍や遭遇戦勝利
を可能にする兵質があれば。
強行軍といえば秀吉の賤ヶ岳の合戦もそうなんだけど、こちらは機動戦を
予測して美濃に行くときに既に戻ることを準備している。自由自在の城攻めも
含め、秀吉の戦いには知略を感じるが、家康にはそれが感じられない。
陣形だけをとっても三方が原、関が原といちゃもんしかつけられてないし。
0145人間七七四年
2007/03/26(月) 18:52:00ID:0Do5TauVただし、政治家としては圧倒的に家康だし、太閤に勝っている実績もかなり派手だと思う。
ただ、家康の実績の内、どれだけが家康の野戦指揮官としての実力ゆえかって言うと判断が難しい気がする。
しかも家康の凄さって言うのは戦に関しては部下を上手く使いこなすって言う才というより
器的な凄さじゃないかって言う気もしている。
0146人間七七四年
2007/03/26(月) 22:44:50ID:eewZTdYwというような評価には違和感があるが、
逆に「家康が運だけ」といいたがるのは鈴木眞哉のうけうり
運をモノにするだけの才能はあるし、
運が巡るべく手は打っている
関ヶ原にしても鈴木や信者は「運がよかっただけ」と貶しまくるが、
家康の内応策が生きて勝利しているわけで、
少なくとも家康が手を打たなかったら、
こういう形での勝利がなかったことは間違いない
もっとも家康の才能は合戦の指揮能力より
保身に長けた政治能力の高さだと思うが
0147人間七七四年
2007/03/26(月) 22:51:11ID:i3XeJFtu0148人間七七四年
2007/03/26(月) 22:56:22ID:GHYRSw410149人間七七四年
2007/03/26(月) 23:00:35ID:eewZTdYwだからその考え方が鈴木ともろ一緒なんだってw
運という要素を無視しろとは言わんが、
それだけで思考停止してすべてを見ようとするのは、愚の骨頂
そんな事言い出したら、
例えば信玄だって幸運の限り
親父が甲斐の地ならしをしてくれて、
しかも家臣団や領民の不信を買っていたために、
クーデターを起しやすい環境にあったし、
信玄が得意とする策略の数々だってたまたま当たっただけで、
それは実際成功するかどうなるかわからない
高く評価される「信長包囲網」にしたって、
現実には朝倉の脱落という形で失敗しているしね
家康を「運だけ」と否定したいなら、
他にも当てはまる例は少なくないよ
0150人間七七四年
2007/03/26(月) 23:03:42ID:eewZTdYw運がめぐっても朝倉義景のようにわけわからんことするやつもいる
信玄西上にともなう信長包囲網で信長が窮地に陥り、
反信長勢最大のチャンスが到来するも、これをみすみす逃すのだから
少なくとも運がめぐってきたらこれを逃すことなく、
自身の糧にするだけの才能はある
もっとも信長とかと違って、そういう「運」が巡らなかったら家康の場合、
今川の有力家臣の一人でも満足だったろうね
0151人間七七四年
2007/03/26(月) 23:04:30ID:eewZTdYw>少なくとも運がめぐってきたらこれを逃すことなく、
>自身の糧にするだけの才能はある
これは家康のことね
0152人間七七四年
2007/03/26(月) 23:14:46ID:/hGGXIH+家康は相当の実力の持ち主だわな。
0153人間七七四年
2007/03/26(月) 23:25:33ID:eewZTdYw信長や秀吉、信玄、元就とかと比べると派手さがないし面白くないけどね
基本的に弱いものいじめが上手くて、
強いものには「律義者」を装いながら、ちゃっかりそれなりの地位を確保して、
隙あらばその強いものから全てを奪い去ろうとするような男だから
実際そうやってのし上がったのが家康だから、
「家康公は偉大英雄なのだ」と評価する気にはなれん
ただ、「運」というだけで思考停止するのには違和感があるだけ
0154人間七七四年
2007/03/26(月) 23:29:22ID:/hGGXIH+ほう、小牧長久手も武田との合戦も弱いものいじめだったのか。
家康よりも弱かった秀吉信玄像の持ち主か。珍しいねチミw
俺はむしろ、家康は常に自分よりも大きく強い敵と戦い続けてたイメージがあるな。
0155人間七七四年
2007/03/26(月) 23:43:55ID:eewZTdYw上に書き忘れたが、あと家康の大きな特徴の一つに、
「一度手に入れたものは誰にも渡したくない」というケチな部分があって、
その特徴から考えれば、武田との12年戦争は簡単に理解できる。
武田との合戦は相手が自身の領土に大侵略してきたから、
これを守るために迎撃しているだけのことであって、
武田領を侵略しようと積極果敢に好き好んでやっているものではないよ。
もし武田が何もしてこなかったら、友好関係を維持してたろう。
基本的にそんな大冒険するような男ではない。
そして設楽が原合戦の勝利の後、
武田が不利になるや途端に積極的に攻勢に出ていき、
最終的に武田滅亡に大きな役割を果たしているところから見て、
「強いものに積極的にいどむ」というイメージとは異なると思うが?
武田との抗争にしぶとく勝ち抜いたことは評価するべきだと思うし、
家康を無能者と見るのには違和感があるが、
かと言って「強いものに自ら積極果敢に挑んだ家康」というのは異なると思う。
0156人間七七四年
2007/03/26(月) 23:47:50ID:/hGGXIH+こいつらと戦うのが弱いものいじめなら、家康どんだけ強かったんだ?
そりゃ野戦の達人といわれるわけだ。
0157人間七七四年
2007/03/26(月) 23:49:55ID:eewZTdYwあの合戦が起こったときは秀吉の「天下」もまだ定まったわけでなく、
混乱状況にあったからこそ「勝てるかもしれない」と戦いを挑んだわけで、
もし秀吉が小田原攻めのような状況にあったら、戦いは挑んでいないだろう。
ただ、この小牧長久手の時の家康の最大の特徴は、
戦争としては秀吉に敗れるけれども、
小牧長久手の局地戦の勝利や秀吉が西国攻めなどもあって、
家康ら東国勢との戦争を嫌がっていると見るや、
わざわざ秀吉から人質までとって最終的に臣従し、、
豊臣政権の中でNo2的な独特の存在感を発揮するような立場に収まるところ。
こういう抜け目のない政治的駆け引きの才能が家康はズバ抜けて高いと思うよ。
0158人間七七四年
2007/03/26(月) 23:55:50ID:/hGGXIH+小牧長久手の何処が弱いものいじめだよ。
明らかに戦力的劣勢の中で秀吉の大群と対峙しているだろ。
自分よりも大身の敵と積極的にっ戦ったことに間違いはない。
甲州入りのとき北条の大軍と戦ったのも同じだ。
関ヶ原まで家康は自分の身よりも大きな敵と戦い続けていただろう。
0159人間七七四年
2007/03/26(月) 23:57:31ID:eewZTdYw今川攻めに参加するのは義元亡き後の、
混乱状況の今川家に対してであって、
駿河公方と呼ばれた当時の今川家ではない
武田については>>154のとおり
浅井・朝倉は織田との戦争に同盟国として参加しただけ
自ら挑んだものではありません
北条との戦いも北条家との全面戦争を行おうとしたものではなく、
あくまで旧武田領争奪戦として、いわば局地戦として争っただけ
秀吉との戦いについては>>157のとおり
関ヶ原については天下人秀吉に挑むのではなく、
秀吉亡き後の混乱状況下で、政治工作をフルに生かしながら、
抜け目なく天下を狙い、単独での勢力がはるかに劣る三成と全面戦争になっただけ
西軍があそこまで大きくなるのは家康にとって最悪のケースだったろう
合戦指揮能力とは別として、
家康が自ら戦いを挑むのは基本的に同等もしくは弱い相手だけです
ケンカ売られたら自分の土地を守るために戦いに臨むがね
0160人間七七四年
2007/03/27(火) 00:00:12ID:qlehXNjn今川も北条も小牧のときの秀吉も家康よりも大身であったことに変わりはない。
家康は関ヶ原まで自分よりも”大きな”大名と”積極的に”戦っていた。
弱いものいじめなどという表現は明らかにまちがっている。
0161人間七七四年
2007/03/27(火) 00:00:19ID:SBoN7Xv6なんで浜松から突撃かました家康は戦略眼に疑問符が残る
ケチだから。みたいな馬鹿な説は言わないけど
0162人間七七四年
2007/03/27(火) 00:04:25ID:DiF5STMY家康の全てが弱いものいじめとは言ってないが?
「基本的に」家康の戦略姿勢はそういう「弱いものいじめ」にある、と言ってる
義元の在世中に義元に謀反を企てたか?
信長の健在中に信長に反旗を翻したか?
自分から積極的に信玄健在の武田領に攻め入ったか?
臣従後、生前の秀吉に反旗を翻したか?
小牧長久手については合戦そのものを評価することもいいが、
むしろそのあとの簡単に秀吉に屈しなかった、
政治的駆け引きを高く評価するべきだよ
あの政治駆け引きの妙が「五大老筆頭」の背景に大きく残っているんだから
0163人間七七四年
2007/03/27(火) 00:05:22ID:DiF5STMY大身であっても明らかに弱体化してるのよね
ここが大事
0164人間七七四年
2007/03/27(火) 00:08:52ID:DiF5STMY積極的に突撃かましたってか、
篭城してたら武田の先遣隊と小競り合いになって、
そのまま信玄に誘い出されたっぽいけどね<三方ヶ原
ただ領主としての地位を守るためには、
あそこで武田に戦いを挑まないと、全てが崩れかねない危機的状況だった
武田との遠江三河争奪戦で評価するべきなのは、
武田に戦いを挑んだ事もそうだけど、
それよりも浜松からの徳川支配体制を根本的に崩さなかったことだと思うよ
これは見事だと思う
0165人間七七四年
2007/03/27(火) 00:10:11ID:7D/gh1nx旧主である今川や豊臣をネチネチと痛めつけたをからそういう印象が有るだけで、
こと戦に関しては壮年の頃はむしろ無鉄砲といってもいいくらい
冒険家だったと思うが
0166人間七七四年
2007/03/27(火) 00:11:31ID:DiF5STMY家康が「弱いものいじめ」を得意とするから魅力的ではないと思うけれど、
才能がないとか運だけの凡将とかいうつもりはないからな
0167人間七七四年
2007/03/27(火) 00:14:09ID:DiF5STMY>壮年の頃はむしろ無鉄砲といってもいいくらい
>冒険家だったと思うが
例えばどんな戦いをもって?
武田との遠江・三河争奪戦の場合は、
自身の領主としての地位を守るためには絶対避けられないものだから、
これをもって冒険家とはいえないと思うよ
0168人間七七四年
2007/03/27(火) 00:14:37ID:ltFOYC9V戦略的に戦うのが間違ってる相手に攻めるのはただの馬鹿。
大国で名将が相手では三方ヶ原がいい例。
大国だけど凡将。でなければ逆転なんてできるわけないだろ。
0169人間七七四年
2007/03/27(火) 00:19:22ID:7D/gh1nx神君家康公が勝つ可能性の極めて薄い戦いを自分から仕掛けて叩きのめされたのを、
民のことを考えて、とか止むを得ない事情が有ったから仕方が無いというのは典型的な徳川史観
大軍相手に城に籠って防備を固め、援軍や相手の包囲が緩むまで待つというのは戦国時代によく見られた当たり前の戦法
それをしたからといって武士の名が廃ったり、配下が全員家康を見捨てて離反するなんてそもそも有りえない
単なる判断ミスかそうでないなら若気の至りだろう
0170人間七七四年
2007/03/27(火) 00:22:27ID:DiF5STMY「積極果敢に強いものに挑んだ」というのに違和感があるだけ
あなたのおっしゃるとおり、家康の場合、
「勝てそうな相手とのみ戦をする。しかし止むを得ない場合は例外もある」
と手堅く戦略を立てて最終的に勝利を収めていったということ
ただこのケースは信長や特に元就なんかと比べると、
保守的であるし派手さがなく、あまり魅力的ではないと思う。
実際家康を批判する連中の多くは、こういうところを嫌うからね。
で、あげく「運がよかっただけ」と堂々と貶めることを言うやつも出てくる始末。
魅力的ではないとおもうから「弱いものいじめを得意」とかいたけれども、
しかしそれをもって無能とか運がよかっただけなどというつもりはない
0171人間七七四年
2007/03/27(火) 00:27:42ID:DiF5STMY誰も家康が篭城するつもりはなかったなどと言ってはおりませんが?
基本的に篭城策を推進したかったが、武田の圧倒的な侵攻を前に、
武田との国境周辺の「国人領主」を中心にどんどん武田方に下る始末で、
このままでは徳川家の支配体制が崩壊する危険性があるから、
いずれは出陣せざるを得ないという背景もあったと言ってる。
もっともおっしゃるように徳川の国人層や岡崎衆はともかくとして、
浜松の政権中枢は一致団結してて、
この武田侵攻で崩壊する事はなかったんだけどね
三方ヶ原そのものについては信玄の策が成功しただけで、
家康自ら積極果敢に打って出た彼本意の戦いとは言ってない
0172人間七七四年
2007/03/27(火) 00:28:53ID:XgwDmN5i特にそこまで切羽詰ってるわけでもないのにピンチになることはありません
0173人間七七四年
2007/03/27(火) 01:30:53ID:U7ZxwuhP鈴木眞哉の影響をまともに受けているのがよくわかるレスだ
特に>>15>>33>>46>>47あたりは鈴木の著書のまんまだね
0175人間七七四年
2007/03/27(火) 01:44:18ID:U7ZxwuhPわけわからんのでスルーした
しばらく雑談付き合ってもらえるかね?
0177人間七七四年
2007/03/27(火) 01:48:53ID:U7ZxwuhP>野戦の達人はピンチになってでも一か八かの賭けで勝負することはあっても
野戦の達人はピンチになったら一か八かの大勝負をする事はあっても
>特にそこまで切羽詰ってるわけでもないのにピンチになることはありません
特に大勝負をしなければならないほど切羽詰まっているわけでもない時に、
ピンチに追い込まれる事はありません
こういうことかね?
0178人間七七四年
2007/03/27(火) 02:09:34ID:c48Ga2G7これソースよろしくね
0179仙台藩百姓
2007/03/27(火) 02:26:44ID:cvm4Z/cl後詰めがあるのにわざわざ不利な戦い仕掛けるなんて
家康は信玄にビビって気が狂ったのかお( ^ω^)
0180人間七七四年
2007/03/27(火) 03:02:00ID:hztCconM失敗した経験を血肉にしていって天才タイプと渡り合った。
タイプとしては謙信に対する信玄に似てるのかな。
敵とはいえ絶好のお手本が近くにいたのも運が良いといえる。
0181人間七七四年
2007/03/27(火) 04:24:13ID:9e2GE2Zuあれ、ただでさえより多くの人数抱えてた秀吉が間抜けに懐手して見てないで、本隊が消えて少なくなった家康陣を
落としにかかれば、家康は平地で腹背に敵受けて、一気に窮地に陥るよね。
秀吉に気付かれないような策打ったんだとしたら、神君の神謀とかで史書にかかれてても良さそうなもんだけど、そんな
のも見た事ないし、ただ秀吉が抜けてただけじゃないのかな。
目をつぶって突進したら勝っちゃったレベルの、ただの僥倖な気がする。
0182人間七七四年
2007/03/27(火) 05:17:16ID:HwHyUNsO同意
0183人間七七四年
2007/03/27(火) 06:18:14ID:mqFqhMf1馬鹿馬鹿しい。勢力を築いた歴史上の人物は
常に勝てそうで、実入りの期待できる相手から戦うわ
派手さがないとか、小説に影響されすぎだ
>>180
運が良いだけで、天下が取れるわけないでしょ
信長にしても秀吉にしても、幸運に恵まれているわけだし
その点を無視して、家康のみ運が良いってのは不公平だと思うぞ
運を活かせるのも、実力のうちだわ
信長・秀吉が天才肌で、家康が凡人ってイメージは確かにあると思う
0184人間七七四年
2007/03/27(火) 06:50:50ID:0iOhgAT3姉川や小牧の奮闘は本多忠勝の武勇のおかげ
本多兄弟がいなかったら田舎侍に過ぎない
0185人間七七四年
2007/03/27(火) 07:34:50ID:Fs87cChgしかも、野戦で・・・。
0186人間七七四年
2007/03/27(火) 08:23:11ID:jmVuqfZi0187仙台藩百姓
2007/03/27(火) 09:50:14ID:cvm4Z/cl珍しくも何ともない戦だお
あれぐらいの活躍で野戦上手になるなら
何十人も野戦上手がいるお(;^ω^)
家康は晩年になっても全然成長してないお
大坂なんかじゃ目茶苦茶で指揮も糞もないお
0189人間七七四年
2007/03/27(火) 12:06:30ID:Th454Q0V織田配下でも別格の地位を持ち、秀吉の義弟となり派閥を広げ天下を取った。
政宗は小型家康だな。
0190人間七七四年
2007/03/27(火) 15:12:48ID:HWE7ydeu1:家康は今川義元、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉と、
強大なライバルが次々と死んでくれた。だから勢力拡大・天下取りができるの当たり前。
→幸運な状況が転がり込んだ事は否定できない。
しかし問題はその状況下でどう行動するべきか。この主張にはそういう視点が抜けている。
例えば朝倉義景は足利義昭に頼られるのだが、
義昭を推戴し、将軍に押し上げれば、
当時の朝倉の勢力から見て、織田信長のような地位につくことも出来ないわけではなかった。
が、現実は義昭を擁護するだけで行動をしようともしなかった。
さらに織田包囲網に参加し、信玄西上の際には反織田勢最大のチャンスが到来するも、
義景は「冬になったら越前に戻りづらい」ことを理由にさっさと兵を引き上げてしまい、
信長討伐のチャンスを逃した。
同じような事は元就亡き後の毛利家にも言える。
例えば本能寺の変が起こり、毛利勢の反撃のチャンスが訪れるも、
のちに五大老の一人となる小早川隆景らは大きな反撃をする事もなく見過ごしてしまい、
「関ヶ原」の際も西軍総大将に祭り上げられ、天下取りのチャンスが巡って来るも、
積極的な動きを起こすことはなく、逆に「西軍の総大将であった」ことを理由に大幅に領地を縮小されてしまった。
運が巡ってもその当人がどのように行動するかによって、そこで飛躍できるかどうかは決まる。
0191人間七七四年
2007/03/27(火) 15:20:39ID:Ei10+U3w1しかないのに番号振る意味がわからん
0192人間七七四年
2007/03/27(火) 15:30:16ID:HWE7ydeuそれが成功したのは運がよかっただけ。
→関ヶ原に際し、西軍の健闘により家康の内応策が崩壊する危険が皆無であったとはいえない。
「政治能力も野戦能力も圧倒的に高い家康が勝つべくして勝った」
などとはいえない。西軍が十分すぎるほどに健闘したことは事実である。
また、家康の事前工作が100%成功する保証があるものではないことは当然の事である。
しかし、関ヶ原の際の「幸運」は家康の事前の工作があって、
はじめて生まれるものであることをこの主張は見過ごしている。
「工作が成功するかどうかはその時になるまではっきり分からないのだから何もやらない方がいい」
と無謀に戦いを挑んだらただの愚将として評価されて終わるだろう。
関ヶ原については西軍の活躍により、
家康の事前工作の不確定要素が増し、それを崩壊させかけない状況にあった。
が、結局突き崩すには至らなかった、と見るのが妥当だろう。
また、この「関ヶ原の家康は運がよかっただけ」と批判をするものは、
西軍三成方の、
「総大将毛利家の分裂」「西軍の不統一性」「東軍西上の見誤り」などといった失点に目をつぶっている。
家康の失点ばかりをあげつらうが、三成方にも失点はあったのである。
あと、「策がたまたま当たっただけで幸運」という批判もあるが、
そんなことを言い出したら、
「戦前の事前工作の成功により勝利したものは皆、幸運に救われただけ」
と見るべきであり、例えば武田信玄などは僥倖の連続と批判するべきである。
家康にだけこの例を当てはめて批判しようとするのはおかしい。
0193人間七七四年
2007/03/27(火) 15:30:40ID:HWE7ydeu最後まで読めないお前が馬鹿
0194人間七七四年
2007/03/27(火) 15:32:38ID:HWE7ydeu姉川で活躍したのは小笠原など高天神衆
あと本多正信と忠勝は兄弟でもなんでもない
0195人間七七四年
2007/03/27(火) 15:42:04ID:fLp/gOF00196人間七七四年
2007/03/27(火) 15:47:27ID:HWE7ydeu武田との抗争でも三方ヶ原は別にしてもそれなりに戦い抜いたり、
小牧・長久手の勝利とかを見ると、家康の指揮能力はともかくとして、
すくなくとも彼の率いる三河勢には一定の強さがあったとみるべきなのだろうね。
家康の才能はその三河勢の強さを背景に政治的な工作を展開するところじゃないか?
>>189の評価は妥当だと思う
0197人間七七四年
2007/03/27(火) 15:52:05ID:fLp/gOF00198人間七七四年
2007/03/27(火) 15:52:29ID:DO+eDs8N家康が無能であったか、という主張なら運を物にするのも実力とするのが正しいだろうし
家康が人傑の内でも抜けた存在、という主張なら少なからず絡む運の要素を無視して
天下人である事を最重要視するのが正しいとは思えない
まあ、どれにせよ直接野戦上手であるかどうかに絡んでくる会話では無さそうだ
で、そもそも「野戦の達人」というのが何を指してるのか誰か知らんか?
俺はぶっちゃけ話は聞いたことはあるが出展は聞いたことない
前後の話があれば指揮能力の事なのかお膳立てが得意なのか
話を絞る事くらいは出来るかも知れんよ
0199人間七七四年
2007/03/27(火) 16:01:02ID:HWE7ydeu「家康は運だけの凡君」というのに反論しているだけで、
「神君家康最強」などというつもりはないので誤解しないでほしい。
運をモノにするだけの才能と勢力は持っていたと考えているので。
「野戦の達人」の評価は小牧長久手あたりを論拠にしたものが多いのでは?
家康で評価するのは合戦指揮能力よりもそれ以前の工作や、
家中の統制などいわゆる政治能力を評価するべきだと思うのだけど。
0200人間七七四年
2007/03/27(火) 16:04:04ID:mqFqhMf1政治・戦略家を兼ねてる人物程、そんな状態にならないわけだし
信長は桶狭間以降は、大抵の戦場で相手より有利な状況を敷いてるはず
>>198
ここで、家康を幸運だっただけっての大半は家康が無能って主張だが
家康が人傑の中でも抜けた存在って主張のやつは、運の良さを否定してないと思うぞ
まあ、どのみち「野戦の達人」とやらには関係ない話だ
0201人間七七四年
2007/03/27(火) 16:04:52ID:SSlkxNM+旧来の手堅く忍耐&律儀で野戦上手の家康像とは違って
意外にオールマイティな家康像になるね。
0203人間七七四年
2007/03/27(火) 16:10:01ID:HWE7ydeu「家康は弱いものいじめが得意」なんてカキコあるけど、
信長が好き好んで包囲網敷かれたわけでもないし、
信玄が喜んで謙信に戦いを挑んだわけでもないしね
少数で多数に挑むのは傍から見る分にはかっこよくていいけど、
その当事者としてはそんな危険な博打にいつまでも参加したくないと思うだろうね
0204人間七七四年
2007/03/27(火) 16:11:04ID:fLp/gOF0個別の戦をみると、森部合戦では千六百で六千の斎藤軍を迎え撃ったり
天王寺合戦では一万五千の本願寺勢に三千で突撃したり
無茶をけっこうしてるぞ信長は
そして勝利している
毛利元就も、有田中井手合戦では後年有名になる謀略抜きで五千の武田元繁軍を千五百ほどで撃破してるし
0205人間七七四年
2007/03/27(火) 16:13:52ID:HWE7ydeu戦国時代って、
「軍神武田信玄」とか「闘将上杉謙信」とかいったように、
過剰な評価が多すぎるように思うよね。
自国を維持し、勢力を拡大していくことができる大将ってのは、
それだけの才能を持っていると見るのは当然だけど、
「偉大なる○○公は〜」というように過剰評価するのもどうかと思う。
0206人間七七四年
2007/03/27(火) 16:15:28ID:fLp/gOF0全体的な才幹はともかく、家康の野戦能力という点では実績について激しく疑問なんだな……
0207人間七七四年
2007/03/27(火) 16:21:26ID:mqFqhMf1それは、小説とかゲームとかの評価だから
それを、実像の評価に持ち込んでしまう人がいることが問題なわけで
>>206
つまり、野戦の達人の定義は、少数で大軍に勝利しているか否かってこと?
まあ、野戦の達人という能力は、大名に求められる才能でないのは確か
0208人間七七四年
2007/03/27(火) 16:23:51ID:HWE7ydeuこれは織田との同盟を背景に武田と互角に渡り合おうとしてたわけで、
その証拠に高天神城なんかの場合勝頼の大軍を前に単独で後詰しようとはしてないし、
確かに家康は類稀なる指揮能力で戦いに勝利したっていう印象はないね
0209人間七七四年
2007/03/27(火) 16:28:37ID:HWE7ydeu家康を「運の人」と批判する人はいても、
信玄は強い偉大な人と主張する人は少なくなかったりするのな
上のほうにある鈴木眞哉とかまさにその典型だから
必要以上に褒め上げる必要はないと思うけど、
かと言って逆に貶めまくる必要もないわけで
自国を維持するような大名ってのは皆一定の能力は備えていて、
それぞれに例えば外交の事前工作など政略を重視するタイプとか、
合戦でずば抜けた才能を発揮するタイプとかに分かれると思うのだけど
0211人間七七四年
2007/03/27(火) 19:19:27ID:nbRGX6i6家康の直属の旗本衆が合戦上手だった影響もあって、
「それらを指揮する家康もすごい」というイメージになっちゃってるんじゃないの?
0212人間七七四年
2007/03/27(火) 19:40:11ID:0iOhgAT3だな
特に本多忠勝なんて戦場にほっぽり出しとけば
何十人も殺して自分は傷一つなしに帰ってくるからな
それを家康の頭脳として評価するのはおかしい
あと戦略的な頭脳なら本多正信が補佐してるし
0213人間七七四年
2007/03/27(火) 19:42:36ID:nbRGX6i6家康無能論を唱えるつもりはないんだが、
合戦指揮能力について言えば、家臣団の影響が否めないんじゃないのかと
家康の場合その家臣団を背景にした政治能力の高さが特徴だな
しかも本多親子みたいなのがこれを補佐する仕組みという鬼仕様
0214人間七七四年
2007/03/27(火) 21:54:24ID:WFSrh/WY自身に能力がないのに家臣団だけ出来上がっていくわけ無い。
0215人間七七四年
2007/03/27(火) 22:46:14ID:RrU+m3WL一対一で戦うわけじゃあるまいし、当然そういうことも含めて強い弱いという話になる
0216人間七七四年
2007/03/27(火) 23:02:20ID:qBDunKywそれ相応の才能がなければならないので、
家康にそれなりの指揮能力はあったと見るのが妥当
もっともそれらをふだんから統制するのは政治力の方が大きいと思うが
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