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家康は本当に野戦の達人?

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0001人間七七四年2007/03/11(日) 00:04:50ID:jgwWrmey
野戦の天才と呼ばれる徳川家康ですが、
本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?
0002人間七七四年2007/03/11(日) 00:08:23ID:r5MhQJhN
2?
0003人間七七四年2007/03/11(日) 00:13:23ID:c+PUNbst
結果論でいうなら
8万の敵と野戦して一日で完全勝利したのは家康だけということになる
普通の将はそもそもああいう戦をすること自体がないけど
0004人間七七四年2007/03/11(日) 00:23:39ID:8gfIiuQO
家康が活躍した野戦って、姉川と小牧長久手くらいしか
ないからな。
信長が方面軍制を取って勢力拡大していた時期も、対武田の
防波堤って感じだったし。
信玄や謙信みたいに百戦百勝みたいなイメージはないな。
0005人間七七四年2007/03/11(日) 00:24:15ID:8gfIiuQO
姉川も徳川の活躍に関しては捏造らしいし
長久手くらいしかないな
0006人間七七四年2007/03/11(日) 00:35:07ID:cKofcqFL
家康信長も秀吉も野戦、攻城戦共、そりゃ強かった部類に入るだろうな
ただ、天下を取った理由がそれかと言うと、全く違うと思うし
単に戦だけなら謙信や義弘、信玄と言った武将の方が文句なしで強かっただろう
0007音楽奴隷 ◆5c/UstWSY. 2007/03/11(日) 01:11:31ID:QZJQBi+B
まぁ、石田三成よりは野戦の達人であることは間違いない。
0008人間七七四年2007/03/11(日) 01:20:54ID:2b7KvnTf
( ´゚ω゚` )
0009人間七七四年2007/03/11(日) 01:28:56ID:0PQHP3rD
三方ヶ原も武田の方が倍くらい多かったとは言え負け方が悪い
突撃陣形を布いて待ち伏せしてる武田に向かって包囲戦術なんて愚の骨頂
カンネーの戦いの日本版でもやろうとしたのかね
0010人間七七四年2007/03/11(日) 02:59:59ID:DLLR1HYa
>>6
>単に戦だけなら謙信や義弘、信玄と言った武将の方が文句なしで強かった

それも微妙じゃね?どちらが強いにせよ大差は無かったと思うが
0011人間七七四年2007/03/11(日) 10:28:51ID:K4svnxfP
小牧長久手の部隊機動の妙技はさすがと思うが

名人戦
0012人間七七四年2007/03/11(日) 22:54:44ID:8gfIiuQO
家康の印象は、野戦の達人っちゅーのとはやっぱ違うな。
若い頃は家臣団に支えられていた部分も大きいだろうし、
中年以降は戦術家ではなく戦略家だべ。
大将としてはすげーと思うけど、前線指揮官としての才
能はよくわからん。
0013人間七七四年2007/03/11(日) 23:18:56ID:HEBmG4Cx
>>9 武田軍が敷いていた魚燐の陣は、敵から見れば少数にしか
見えなかったんじゃ内科医?
三角形に陣取る姿は、正面から見たとするならば、三角形の中央
付近にしか兵が集まってないように思えたんじゃないかな
0014人間七七四年2007/03/12(月) 01:48:23ID:0lxJyQPt
× 魚燐の陣
○ 魚鱗の陣
0015人間七七四年2007/03/12(月) 06:41:46ID:rNhvjHwq
関が原での家康の勝利は稀に見る幸運。
兵数は西軍の方が上回り、陣形も東軍を包囲した西軍必勝の配置。
事前に西軍内部に裏切り工作をしておいたおかげで、
西軍が不統一だったとはいえ、
小早川秀秋や吉川広家の動向はあくまで不確定要因。
特に性惰弱な小早川秀秋はどちらに転ぶか全くの不明で、
こんな頼りにならない連中を戦力に見込んで戦をした家康は凡将とさえいえる。

開戦当初から東軍は西軍に押されっぱなしで、
小早川秀秋がトチ狂って東軍に攻めかかっていたなら、
東軍の負けは明らか。

そもそも家康の戦歴で特筆すべき戦は、
姉川での浅井軍への横入れと小牧長久手での局地戦の勝利くらい。
将才はたいしたことはない。
0016人間七七四年2007/03/12(月) 08:20:54ID:LgdeM8Ti
まあ自分も関ヶ原における家康の戦術は全く評価して無いけどさ、
姉川の奮戦と小牧・長久手における中入り潰しはそれなりに評価していいと思うよ
例え相手が義景や秀次だろうと
0017人間七七四年2007/03/12(月) 10:36:42ID:TwZZHwGt
>>13
ボウリングやったことある?
0018人間七七四年2007/03/12(月) 10:49:52ID:mkkDTRNR
>>13
お前滅茶苦茶頭いいな!
天才だよ!
「クラウゼヴィッツを越えた>>13様が語る三方ヶ原援交白書」で論文一本書けるよ。
0019仙台藩百姓2007/03/12(月) 11:32:52ID:NC8LHG0o
家康の前半生の実績は三方ヶ原でのボロ負けと火事場泥棒ぐらいだお( ^ω^)
本能寺以後も小牧長久手で豊臣の一部隊撃破しただけ
家康もこんなもんしか自慢するものがなかった
関ヶ原や大坂の陣はぐだぐだ
大軍の指揮ができない事が露見したお
0020人間七七四年2007/03/12(月) 12:23:37ID:sY2hVv58
少なくとも関が原は指揮能力じゃなくて政治力の勝利
0021人間七七四年2007/03/12(月) 12:53:26ID:3Ryiib7q
>>13
冗談抜きに三方ヶ原で数の少ない家康が一枚布でしかない鶴翼の陣を
ひいたのは、まんまと釣り出されてしまったため、にらみあった状態の
ままジリジリと退いて行くために、数だけは多く見せようと幅だけ
広げたという説が濃厚とされていた。

関ヶ原も策略によって西軍をまんまとはめた一戦のように言われて
きたけれど、最近では退くに退けなくて野戦に持ち込んだけど、
これで負けたら後が全くと言っていいほどなかった東軍が、大坂を
拠点に数年がかりの長期戦に持ち込めると信じていた西軍の油断に
乗じただけのビギナーズラックみたいなもんだったと言われてるし。
0022人間七七四年2007/03/12(月) 13:19:46ID:TwZZHwGt
終業式はまだのはずだが

だれが言ってるの?
あと、beginnerを和訳してみて
0023人間七七四年2007/03/12(月) 13:26:30ID:L0VhsIcu
家康は合戦前の地均しは入念だが、作戦はアドリブを好む。これを行き当たりばったりというか状況に応じた判断を即座に下せるかと評すかは人によるかと。
後、大坂夏の陣天王寺合戦は家康は中央に敵を誘因して両翼で包囲を狙った配陣をしそれに成功している。
0024仙台藩百姓2007/03/12(月) 13:43:04ID:NC8LHG0o
それが作戦なら本陣まで抜かれた時点でどう見ても失敗してます(失笑
0025人間七七四年2007/03/12(月) 14:05:02ID:L0VhsIcu
死なず、敵も孅滅したなら成功でしょう
0026人間七七四年2007/03/12(月) 14:10:16ID:sY2hVv58
本当に本陣まで抜かれたんだったら単に運が良かっただけじゃないのか。
実際、大阪の冬、夏の子細については知らないけど。
0027人間七七四年2007/03/12(月) 14:18:42ID:L0VhsIcu
やばかったら逃げればいい
どうせ豊臣方が突っ込んでも、後がいないのなら孤立は避けられない。
それに逃げる事に関しては家康は戦国一ですし。
0028人間七七四年2007/03/12(月) 14:49:48ID:LgdeM8Ti
天王寺合戦で家康は自らを囮にして豊臣の主力を釣り出し、
撃破に成功した、なんてまことしやかに言われてるけどさ、
あの状況でなんでそんなオール・オア・ナッシングな戦術取らなきゃいけなかったか理解に苦しむね
もし万一大坂の陣で家康が死んでたら家康が十年掛けて地固めした徳川幕府が瓦解する可能性もあったのに
普通に油断してただけじゃないの?
0029仙台藩百姓2007/03/12(月) 14:57:52ID:NC8LHG0o
ハードMだったんだお( ^ω^)
有利な状況でわざわざ初めから命からがら逃げ回る予定だったのなら
それ以外に考えられません
やはり三方ヶ原で糞漏らしながら逃げ回った事で目覚めてしまったのでしょう
大坂でも糞撒き散らしてた可能性大
0030人間七七四年2007/03/12(月) 14:59:51ID:L0VhsIcu
一日で合戦を終わらせるため。
相手は堀を埋め立てられたとはいえ、野戦築城は当然行っているだろうから、そこに閉じこもったら小牧・長久手みたいに長期戦にでもなったら意味がない上、財政的にも厳しい。
となるといかに相手を陣地から誘い出すかが重要になる。
0031人間七七四年2007/03/12(月) 15:03:10ID:EdO7yAQe
三方ヶ原でボロ負けして名声上がったのが面白い
「海道一の弓取り」と言われて、「俺がかよ」とか思ったんじゃないか?
結果天下取れたから「狸もおだてりゃ木に登る」ということだろ
0032人間七七四年2007/03/12(月) 15:10:50ID:LgdeM8Ti
総大将の命を危険に晒しても一日でも早く合戦を終わらせたかったのか
随分当時の幕府財政は逼塞してたんだなあw
自分には如何にも後付の話のように聞こえるけどね
まあ夏の陣の前に三日分の兵糧だけ用意するように伝えたという逸話も有るからね
自ら覚悟して囮になったというならそれはそれで大したものだろう
自分がイメージする名将とはちょっと違うけどね
0033人間七七四年2007/03/12(月) 15:43:26ID:3Ryiib7q
名声上がったなんて書いてるのは江戸期に入ってからのお追従に満ちた
読み物ばかりだろ。「甲陽軍鑑」にしても江戸期に入って編纂された
部分で徳川の強さを喧伝している部分は笑いものになっていて、お陰で
現在では「明らかに甲斐の現状を知っていた人間しか書けない」とされて
いる部分まで長く不審の目で見られていたわけで。

関ヶ原にしろ夏の陣にしろ、あと付けの弁明になっていない弁明が過ぎる。
さすがに三方ヶ原は言い訳のしようがなかったのに、昭和に入ってからも
「男の意地を貫くために横一文字になって信玄の行く手に立ち塞がった」
なんていう卒倒モノの擁護を形にしちゃう人がいるんだから。(それを
信じていた人間って相当たくさんいたんだろうな)

ほんとマグレでも勝ってしまえば、他人が後から勝手に理屈付けして
くれるっていうのは実感できる現実だな。
0034人間七七四年2007/03/12(月) 15:59:15ID:1jZMo37Y
家康が野戦の達人だったか否か?
くだらねえ。どうでも良い事だろうよ。
最終的に天下を獲ったのは家康なのだから。
0035人間七七四年2007/03/12(月) 16:12:44ID:cU9WCxfj
このスレにおいては天下の事なんて道の糞程どうでもいい話。
通説通りに野戦が強かったのかどうかが問題なんだよ。
0036人間七七四年2007/03/12(月) 16:35:36ID:3zgZ0wlH
野糞の達人。
0037人間七七四年2007/03/12(月) 20:24:34ID:pc9IFvF/
>>33
太平洋戦争でアメリカが勝ったのはマグレだと同じレベルだね
0038人間七七四年2007/03/12(月) 23:15:41ID:mD1qw9Ya
そもそも達人というのは
大軍を操り敵の大軍を撃破できることを指すのか
少数でもゲリラで撹乱して敵を苦しめられることを指すのか

前者なら関ヶ原という家康の実績を超える人間は日本には存在しない
後者なら真田あたりの方が上だろうが
0039人間七七四年2007/03/13(火) 00:01:29ID:8v1KL4uH
>>38
関が原の布陣はどう見ても負け戦の布陣だそうですが。
勝ったのは政治力の力だから「野戦」の達人とは言えない。
0040人間七七四年2007/03/13(火) 00:10:25ID:HT0oG7Ge
凡人が見たら負け戦の布陣なのに勝ったから達人という評価にはならないの?
布陣もなにもすべて誰が見ても必勝状態でやらなければ達人ではない?
それは達人というより虐めじゃないか?
0041人間七七四年2007/03/13(火) 00:16:04ID:9yr6ExHc
実際に関ヶ原本戦の家康は何にもしてないからな
本陣で小早川の裏切りを待って爪噛んでただけ
0042人間七七四年2007/03/13(火) 00:49:22ID:G6w8Qb3X
政治力を駆使せず誰が見ても勝利を確信できる布陣で戦ってこそ達人
勝敗を度外視すれば石田三成が達人ということになるが?
0043人間七七四年2007/03/13(火) 00:59:49ID:rJTlfMg+
そもそも三成が大軍を集結させて有利な陣をしくことができたのも、三成自身の政治力なのだが。
0044人間七七四年2007/03/13(火) 01:15:28ID:vk30VZgH
誰がどう見ても勝算が無いなら三成といえども仕掛けるはずがない
関ヶ原が起こらなければ家康の天下は実現しなかったかもしれない
つまり家康は強すぎてもいけないし、弱すぎてももちろんダメ
三成としては勝てそうだったので挙兵したが、やはり勝てなかった
家康の微妙な強さは達人というか、名人芸の域だろw
0045仙台藩百姓2007/03/13(火) 01:17:41ID:rms9JIhu
>>38
両方に決まってんじゃん
むしろ全てと言うべきか
大軍同士でも小数同士でも
大軍に寡兵で挑んでも
寡兵に大軍で挑んでも
全てに於いて負けないのが達人

つまり政宗公は達人だお( ^ω^)
むしろ神かな
0046人間七七四年2007/03/13(火) 02:10:41ID:VL84fukV
>>42、43
同意。
関ヶ原は結果的に小早川の裏切りと毛利が動かなかったのが勝敗を分けた。
実際関ヶ原では裏切りと傍観が出るまではどちらかというと西軍が押してたしな。
もし西軍が東軍を圧倒するようなことになってたら、いくら家康が事前に調略してても
小早川も西軍側で戦うことだって十分あった。吉川広家だっていつまでも毛利を
止めておけるわけない。
家康は関ヶ原では運に助けられた部分が大きいと思うよ。

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