一気に駿河まで落とした信玄だが富士信忠らを攻略できなかったため逆包囲に陥り
北条に峠を封鎖されるに及んで道なき道を木を切って甲斐に撤退するはめになった。
手荒なまねをしないとか、そういう問題ではない。
信玄は他にも同時期に十六善神社(日本武神社)や大宮妙見社(秩父神社)
廣見寺、多くの椋神社、薬師堂、地蔵寺など秩父地方の社寺のほとんどを焼き払っていて、
むしろ社寺を狙って焼いていたことがわかる。秩父一帯ではこれを「信玄焼き」という。